はてなキーワード: 席替えとは
https://anond.hatelabo.jp/20180911104826
これのブコメ
を見て俺はまさしくそういった童貞クサくてヤバい奴なんだなって思い出した。
俺は中高が男子校でいわゆる女子とドキドキな青春なんてものはなく、彼女いない歴=年齢な奴だ
そのため、高校最後の年、さらに浪人して一年、予備校で過ごした時、そこで何年かぶりに女子というものに出会った。いや、女子というのは別に通学中の電車の中でも見ることは出来たが、それは出会ったとは言わないだろう。そんなわけで、予備校が始まった最初はチラッと胸に期待が横切らなかったと言えば嘘になる。でも、一ヶ月後にはそんなもの見当違いであったことに気がついていた。そりゃ、予備校は勉強するところで、お友達を作るところではないのだ、当然だった。だから、高3の予備校時代、同じ高校の奴以外と話すことはなかった。しかし、個人的にぐっときた子はいた。話しかける勇気も気力もなかったが…でもその子は全体的に色白で長い黒髪の勉強熱心な良い子だった。だから、俺はその子後ろらへんの席に座ったときに真面目に授業を受けてる彼女の後ろ姿を心の支えにして授業を受けていた。
しかし、受験は悲惨な出来、センター試験の自己採点が終わったときに心が折れてたんだ思う。そういう訳で、さらに一年過ごすことになった。その子も実は浪人してしまっていたが、予備校がこれまでの模擬テストの成績からクラス分けした時に、その子は俺よりも上位のクラスに行ってしまい、それきりほとんど見かけることはなくなった。
浪人生となってからは、高校時代の仲間もいなくなってしまった。でも、それは当時の自分にとってはどうでも良いことだった。大学受験に失敗し、親には金食い虫と罵られ反論もできずに焦ってた自分にとっては勉強がなによりも一番大事なもので(といっても勉強なんてからっきしだった)、予備校で友達を作る気はサラサラなかった。でも、意外にも話のできる知り合いは出来た。講師や講義の評判や勉強方法を共有できたのはすごく助かったし、向こうも同じだったのだと思う。
しかし、知り合いの中に女子はいなかった。とは言っても彼らは男子校出身者とは一味違い彼女持ちのやつもいたし、クラス内の女子にさも当然の如く話しかけに行くやつもいた。俺らのクラスの女子はイマイチだよなー、〇〇クラスのあの子かわいくね?みたいな話もしていた。俺はそんな女子関連の話に対する応答集を頭の中に持ち合わせていなかったため、適当に頷いて自分から持ち出すことは全くできなかったが、彼らはそんなことは気にしていないようだった。
さて、そんな浪人生の俺には、クラス内にぐっと来る子がいた。その子はやや同世代の女子よりはやや背は低かった。髪は黒髪の短髪で首の根元あたりで揃えていて、高校のときは運動部に所属してたんだろうなって思わせる活発そうな雰囲気であった。もちろん、予備校の浪人生活はお友達を作るためのところではない。それでも、高3の予備校の時よりはクラス内にチラホラと友達同士になった人たちはいたようだが、それでも学校のクラスに比べれば圧倒的にその人間関係は希薄だった。クラスの名前表なんてものは存在せず、当然俺はその子の名前を知らなかった。別に知ったからなんだという話ではあるが、後ろの席からなんとなく視線だけ彼女の後ろ姿に向けた時、あの子はどれだけ頭がいいのだろうと気になった。成績が全ての世界にいると自然とその子の成績も気になったのだ。
うちの予備校は模擬試験の上位者を名前付きで張り出している。俺はその子の名前がそこにあるのか気になり、名前を探って見ることにした。本当にキモチワルイことである。
そして、俺はクラスの連絡担当の職員が、生徒に資料等を返却するときに呼ぶ名前から探ることにした。だから、俺は辛抱強く彼女が席を立つ直前に呼ばれる名前を覚えた。しかし、結構呼ぶスピードが速く、同時に複数人が席を立つことも多く確信をもって名前を知るのには結構な時間がかかった。そして、ようやく知ることができたのは名字だけであった。職員が名字でしか呼ばないからである。しかし、彼女と同じ名字の人はいなかったのでこれで十分であった。
それから、俺は成績表が張り出される時に自分のを探すフリをして彼女の名字がないか探していた。結論から言うと彼女は成績上位者ではなかった。おそらくクラスの中ぐらいの成績なのだろう。たまに船を漕いでいる様子も見受けられたし、俺は偶々そんな彼女と席が近くなった時(講義毎に席は変わる)、ペンを音を立てて机の上においてみたりして起きるのを期待してみたりした。もちろん、そんなキモチワルイ事をやっているなんてバレたくないので、顔と視線は教卓に向け、ペンを置くのはノートを一通り取り終わった自然なタイミングになるように注意した。そして、その効果はあったのかは分からない。勉強疲れの脳がある程度休息をとったから起きただけなのかもしれないが彼女は起きた。
そんな彼女だが、それでも一度だけ彼女の名前が成績一覧に載っていることがあった。その時はなぜか少しだけ嬉しくなった。ちなみに俺はクラスでも成績は下の下、最下位ではないが、もはや大学受験で合格確実という判定の大学を家の近くで探すほうが大変な有様であった。
実は、そんな彼女と話す機会が一度だけあった。それは日曜日の朝に予備校が、浪人生に向けて今後の予定をガイダンスしていた時だ。彼女は朝寝坊だろうか、遅れてきた。彼女が来たとき、ガイダンスは小休憩中で教室の廊下には俺一人だけであった。
「まだ、やっていますか?」
彼女は俺にガイダンスはまだ終わっていないか確認しに話しかけてきた。本当に唐突であった。そして、不意を突かれた俺は
「あ゛?まだやっていますよ」
と、自分でも信じられないほど、ドスを効かせて、素っ気なく答えた。
あのときの俺にバカか。と言いたい。知らないオッサン相手でももう少し愛想よく答えることは出来たはずだ。なぜ、よりによってぐっと来た子に対してこれまでで、とびっきりの無愛想な返事をしてしまったのだろうと、今でもたまに思い出して後悔してしまう。別に、ここで愛想よく答えたからといっても、何も変わらないだろう。それは十分に分かってる。でも、少なくとも悪意や敵意なんてものは微塵もなかった相手に対してアレはないだろう。
しかし、彼女はありがとうございます。とだけ言って教室の中へ入っていった。それから、俺は便所に向かい、やっちまった。とつぶやいた。そして、浪人生活後、その子は見かけていない。
俺はなぜか大学に受かり入ってしまった。浪人生ではなくなったのだ。しかし、国立はうまく行かなかったため、今度は学費は借金してもらうぞと親に罵られている。今はそんな大学生活を送っている。その大学に女子は居るか居ないかと聞かれたら、居る。だが、女子の割合は全体のほんの一握りだけだ。
そのクラスには、ぐっと来る子が居る。その子は色白で肩まで伸ばした髪をやや茶色に染めている。黒髪でも似合うと思う。
そんなその子は、受験生活が終わって浮かれ気味なクラスの面々とは違い、バックられ気味な大学ガイダンスにもしっかり出席し、授業もサボらず受けている。クラスの皆顔には出さないがその子のことはかわいいかどうかの二択にはかわいいと答えるだろう。いわゆる高嶺の花だ。
だが、大学で知り合った奴は俺らのクラスの女子はイマイチだよな。と言っていた。なぜだ。
でも、たまに視界に映ってしまうとついその後ろ姿を追いながら、講義を受けている。そして、大学が終わればそれっきり見かけることはないだろう。
そんな訳で、童貞をこじらせキモチノワルイ事にまともに話したこともない相手に、勝手にぐっと来ては、それを散らしてきた。
俺はそんな自分の事がキモチワルイと思う事はある。視線は向けられている側には分かると言う話は常々聞いてきた。しかし、視界に入るとついつい視線が向かってしまう。だから、せめて自分なりに気付かれないように一応の注意してきたつもりだ。
でも、俺のバカなこじらせた童貞のせいで、少なくとも悪意や敵意は含めていないその子に不快な思いをさせているかも知れないというのは、本当に申し訳なく腹立たしいことだと思う。
当時高校生だった私のクラスで、くじ引きによる席替えが行われた。
くじの結果、ボス格だった女子の隣に、無口で周りから忌避されてた男子が座ることになった。
そのとき、女子の方がこれ見よがしに、くっつけていた机を離し、「何でこんなのが隣に座るんだ」と喚いた。
私は不快に思ったが何も出来なかった。先生も、クラスの誰も女生徒を咎めることができなかった。
もし、自分が教師の立場になって同じ場面に立ち会わせたとき、どうやって場を収めればいいだろうということをずっと考えていた。
教員免許を取っても、上手く立ち回れる気がしない。どちらかというと空気の読めない性格をしている私はきっと、女生徒の方を咎めて、クラス全体の空気を悪くしてしまいそうな気がする。
そう思ったら、生徒の心に傷をつけてしまう自分は教師になってはいけないのだと思い込んでしまい、結局、教育とは関わりのない仕事に就いて今に至っている。
たぶん、罪悪感のせいだと思う。
その前に行われるクラスの席替えは、とても重要なイベントだった。
席替えして近くになった人同士で班を作り、林間学校の最中は常にその班で行動することになるからだ。仲の良い友達や日頃気になっている子と一緒になれるかどうか、それが林間学校の楽しみを大きく左右していた。
席替えはくじを引いて決める。完全に運まかせだった。
みんな教室の前の箱に入ったくじを引いて自分の席に戻り、一喜一憂している。また同じ班だね と喜び合っている女子もいれば、離れ離れになってもずっと友達だぜ と大げさに別れを悲しんでいる男子もいた。
僕が引いたくじは良くも悪くもなかった。とりたてて仲の良い友達はいないけど、特に苦手な人もいない班。
「○○の席はどこだった?」
僕の後ろに座っていたコウキが訊ねてきた。僕は班の番号が書かれた紙を見せた。
「お前、4班かよ。良いなあ」
コウキは羨ましがった。どうしてだろう。
ふと教室を見回してみた。コウキの家の近くに住んでいる、彼の幼なじみのハルカが、「4班になったんだ」と友達と話している。
ははん。コウキはハルカと一緒の班になりたいんだな。普段はにぶい僕でも察することができた。
「お前こそ何班になったんだよ」
僕はコウキに訊ねた。彼の紙には「2班」と書かれていた。
ん、2班だと。僕はもう一度教室を見回す。
斜め前に座っていたサツキは、友達に2班になったと言っていた。サツキは一昨年に学区内に引っ越してきた転校生だった。今年になって初めて同じクラスになったものの、ほとんど会話したことがなかった。
今ならはっきりと言える。僕は彼女のことが気になっていた。好きだった。
「全員くじを引いたな。じゃあ席を移動して班を作ろう」
先生が言った。みんな机を持ち抱えて、指定された場所へと移動する。僕の学校の席替えは机ごと移動する仕組みだった。机を動かす音が教室内に響いた。
コウキは、僕のそんな気持ちを知ってか知らずか、こんな相談を持ちかけてきた。
「お前のくじと俺のくじ、交換しないか?」
みんな公正にくじを引いて席替えをしている。そんなことしちゃダメだ。だけどサツキと一緒の班になって、林間学校に行ってみたい……。
「うん、良いよ」
とっさに僕は言った。コウキも僕も、他の人に班の番号を教えていない。しかも席を移動している最中で騒がしい教室、ごまかしがきく。僕はコウキとくじをこっそり交換した。
「ありがとな」
そう言うと、コウキは廊下側の座席、4班の方へ移動した。僕は窓側の座席、2班の方へ移動した。
僕の隣の席にはサツキが座ることになった。
席替えを終えて、先生が授業を再開した。最初は抱えていた後ろめたい気持ちも、林間学校へ行くころにはすっかり消え失せていた。
席替えから二週間後。林間学校の行き先は、市の北部の山の中だった。
オリエンテーリングでは同じ班の女子のユウキが「もう歩きたくない」と言い出したのを班の全員で宥めたり、夕食作りでは料理が上手なナツハの貢献で美味しいカレーが出来上がったり。
そんなイベントの最中でも、サツキの姿は印象に残っていた。地域のスポーツクラブに入っていてしていて健康的に日焼けした素肌。お団子にしてまとめた黒髪。普段見慣れた制服とは違った、動きやすいジャージとピンク色のTシャツの私服。
でも結局、僕は同じ班のタクヤと話してばかりで、サツキとはほとんど話せていなかった。話すきっかけは何度もあったはずなのに、気恥ずかしさが先んじてしまった。
カレーを食べ終わったころには、すっかり日も暮れていた。とうとうキャンプファイヤーの時間がやって来た。
キャンプファイヤーでは、学年全員が中央の火を取り囲んで手をつないで歌う。同じ班の人は隣り合わせになる。僕はサツキと手をつなぐことになった。
僕はサツキの方に手を伸ばした。でも、サツキは僕の手をすぐに握ろうとしなかった。音楽がなり始めた。やっと手を握ることができた。
僕の手は緊張と焦りから、じんわりと湿っていた。彼女の手は乾いていた。
サツキは僕に対して悪態をついたり、露骨に嫌がった訳ではない。ただ、キャンプファイヤーで手をつなぐのが遅れただけ。そう自分に言い聞かせても、僕は薄々気づいていた。
彼女が僕を好きになることはないんだろう、と。
林間学校のキャンプファイヤーまでは、彼女のことを想うと胸が高鳴った。席替えをしてからの二週間は、学校へ行くのがちょっぴり楽しかった。
これまでほとんど接点のなかった転校生への恋心は、林間学校を境に少しずつしぼんでいった。
最近、小学生のころの親友と久しぶりに再開した。僕は小学校を卒業すると同時に引っ越していて、仲の良かった友達以外の同級生のその後についてはほとんど何も知らなかった。
誰々は今どこで何をしてる、アイツは悪さをして捕まった……。その会話の中で、結婚した同級生の話が出てきた。サツキもその一人だった。高校を卒業して間もなく結婚して、子供もいるらしい。
しばらく昔話に花を咲かせて、親友と別れた。サツキのフルネームを検索してみると、SNSのプロフィールが出てきた。
彼女いない歴=年齢で25年、友達から誘われて街コンに行った。街コンって行っても昼からやってるやつなんだけど。
合コンとか全然やったことない自分が参加したことを記念して、思ったコトを書いてみる。
・参加費は男たけえ。男9000女2000。しかも料理とドリンクしょぼすぎ。出会いの機会にだけお金払うって感じ。
・お店はすごい綺麗。男だけじゃ行かないようなダイニングバーを貸切。話しやすかった。料理はしょぼいけど。
・運営は何もしない。自己紹介シートとかも無く盛り上げもやらず席替え5分前を伝えるだけ。口コミを見てイベンター決めればよかったって思った。
・20代限定!ってやつだったからかもしれないけど、20台前半が大半を占めていたと思う。なんか年齢が高い方が参加率高いと思ってたから意外だった。
・ネットとかでみるようなブサイクとか必死な人は皆無。イケイケとかチャラついてる人もいなく、ふつーの人たち。女性はOL?が大半で男は学生っぽい人が多かった。
・30分くらい話して席替えを繰り返す感じ。ふつーに話してると時間経つの早いなって思うくらいで気まずくもならない。でも初対面の人と連続で話すって疲労感はやばい。
・終わったのが16時くらいだったから2次会とかの雰囲気なかった。夜の方がいいかも。
・趣味は何ですか?ってどこの席でも話してる。けど趣味がある人とか全然いないんだね。自分も無趣味だからホッとできた。
・連絡先は交換する時間を作ってくれるから絶対に交換できる。大変なのは一日に何人も交換するから覚えられないコト。「犬飼ってる人」みたいな記憶のみ。
女性に苦手意識を持ってたし盛り上がらなかったらどうしよう…とか思ってた。けど黙ってる人とかいないし笑ってくれたり、質問しあったりで純粋に楽しく会話できた。
LINE送って返信全然こないけど、人と会話するのって楽しいなって久々に思ったから気分はスッキリ満足。参加費は勉強代と割り切って考えられた。
筋トレ:アニメ第3話 //回数が10倍から3倍になった。よかったね
空き缶:アニメ第3話
日直:アニメ第1話
傘:アニメ第3話
本屋さん:アニメ第5話 //「ヒミツなんかじゃないもん」が削られている
雨宿り:アニメ第5話
二人乗り:アニメ第6話
背比べ:アニメ第10話
席替え:アニメ最終話 //ハンカチを渡すのはアニオリ。きれいに纏めた
わき腹:アニメ第8話
水道:アニメ第6話 //ハンカチはアニオリ。最終話に繋げるためですね
21ゲーム:未アニメ化。西片が私にキスできたら西片の勝ちね。
お誘い:アニメ第10話
買い物:アニメ第7話
二択クイズ:アニメ第10話 //お誘いから繋げたのはうまいと思う
ホラー:アニメ第9話 //ポーカーをやらなかったため日直を手伝う理由が変わったのは残念
ウォータースライダー①:OVA予定
ウォータースライダー②:OVA予定
ウォータースライダー③:OVA予定
目薬:未アニメ化。目薬対決。巻末おまけ漫画に北条さんという一発キャラが登場
入学式:アニメ最終話 //過去回。自己紹介のくだりがやや原作と違う
氷:未アニメ化
同性にレイプされかけた話。
10年ほど前の大学3年時、自分は見た目が高身長イカリ肩かつ高すぎる鼻のため、ガンダムと呼ばれていた。
以降フェイクもいれるが、美術系の学校だったため二浪三浪の新入学生などわりといて、一応年齢チェックはした上で、サークルや学科の縦割りグループで新歓のような飲み会をする。
あまり人付き合いは得意でないが、そういった新顔がたくさん集まる飲み会は作品制作に協力してくれる若手との縁を作る場でもあるので「ノリ気ですよ〜」といったテイで参加した。
その時出会ったのが、茨城から都内まで通っているという一年のTだった。
慣れた手つきかつ急ピッチで酒を飲むT。かなり華奢で服装は地味、落ち着いた雰囲気なので浪人組かなと勝手に受け止めた。
聞くと高校時代からとんでもない作品制作を行っており、オンラインでかなりのファンがいるとのことだった。
その場ではあまり話した記憶はないのだが、ガンダム故の抱擁力か、席替えをしてもTは自分の横を選んできた。若い子ばかりなので付き合いづらいのかなと思い、Tを含め周りと適当な会話をしつつ、気付いたらお開き。
その頃にはTは完全に出来上がっていた。
みたいに訪ねても動かない。
幹事をやっていた友人にこの人どうする?電車放り込む?と聞くと出席簿を確認し、
と。
皆さん学生時代に未成年飲酒、目撃したことあるでしょ、とかなんも言い訳にはなりませんね。
仕方がないのでTを引き受け、とりあえず皆と別れて大学の友人がバイトしている近場のカラオケに運んだ。
が、カラオケに着いた途端、Tは元気になった。
知り合ったばかりの同期の集団で帰るのがイヤだったらしく、ガンダム先輩ならどうにかしてくれるだろうと過剰に酔ったフリをした、とのこと。
わりとメンヘラを引き寄せる体質であるので、この時点でちょっとヤベェんじゃないかとは思ったが、自分も人見知りだし飲ませてしまった手前仕方ない、と朝まで付き合うことに。
だらだら話しをしつつ、うつらうつらしだした深夜、Tが「トイレ行かせてください」と自分の前を横切ろうとした。
狭い部屋なので否応なしに距離が近いが、まぁ同性なので気にならない。
足をソファの上に上げて通りやすくスペースを作ったところ、急にキスをされ、そのまま押し倒された。
でも舌で口をこじ開けようとしてくるし、Tの手がもぞもぞと動いて胸とベルトを触っている。そもそも冗談を言う間柄でもない。
冗談っぽく引き剥がそうとするが体を退けず、執拗にキスをしてくる。これはマジのやつだ、と気付いた。
自分は10年以上水泳と空手を続けていて、ガンダムに相応しい体型を維持していたが、マジで動けない。
自分より15cmほど背が小さく、押したら骨折間違いなしな年下の女性に乗しかかられ、今まさにベルトを外されそうになっている。
大げさに動けば怪我を負わせてしまうかもしれないと、どこか冷静に考えていた。
そのとき小難しいベルトをしていたようで「これ外してもらえますか」と律儀に聞かれた。
気が動転していたんだろう、「これ難しいよね〜、こうやって外すんだよ〜」なんて素直に外してみせてしまった。
ここは何故かよく覚えている。
おそらくそれで同意したと思ったのだろう、Tは一気に下着に手を突っ込んでこねくり回し、エロ漫画的なことを言った。
そこでドン引きして目が覚め、「ごめんトイレ」と勢いよく立ち上がり、トイレへ逃げた。
個室で確認すると半チチ露出していたし、なんならチチ自体もチクビも赤くなっていた。あの場で強く揉まれて吸われたのか…?記憶は定かではない。首元にもキスマークが付いていた。
あまり覚えていないが、最後までやってはいない。女性同士の最後って、いまだにどこまでかはわからないが。
その後、Tとは学内ですれ違う程度で、アレは夢かと思うほど何もなかった。
そして卒業後、同学科で1つ年下の女性Kに作品展で出会い、たまたまTの話になった。
現役組で才能豊かなTはまぁまぁ有名だったようだ。
Kはざっくばらんに話す人で、仕事が近いこともありちょいちょい飲みに行くようになった。そこでKも自分と同じ被害にあったことを知った。
Kも自分も逃げることができたが、Tはオンライン上のファンの女の子に手を出し、その子は逃げられず揉めたりと、なかなかやべーことになっていたそうだ。
なぜオンライン上のことがわかるのかと言うと、KはもともとTと同ジャンルの古参サークルだったからだ。
そりゃ専攻に近いジャンルで皆生きるから、オンラインでも被ることあるよね…
ちなみにその女性もKもガンダムも身長が結構高いので、Tがガンダムも襲ったのも顔よりも体型だったのではとまとまった。
なお、ガンダムは女性や男性問わずバイやAセクシャルの人などとお付き合いをし、現在はアラサー喪女となっている。
性別や性的指向関係なくやべーやつはやべーし、個人の問題だよねということに気付いた大きな出来事を、毎年この時期に思い出します。
名前だって如何にも女の子らしいものだ(男性にもわたしと同じ名前の人はいるかも知れないが、何年もずっと人気な名前ランキングなるものに自分と同じ名前が入っているくらいだし、世間的にはこれは「女の子らしい」名前なのだと思う)。
女性として生きているからには、多くの人が男性に恋をするのだろう。
もちろん恋愛対象が同性であったり、異性も同性もどちらもであったりする人も少なくはないだろう。
そう長いものではないこの人生の中でも、わたしには男性の恋人が居たことがある。
告白したり付き合ったりにはならないまでも、同級の男子に恐らく恋と思われる気持ちを抱いたこともある。
そして、ただとても仲が良い友達であるだけのはずの女の子に彼氏が出来て、ひどくショックを受けたこともある。
おかしな話だ。
仲の良い友人に、彼氏が出来た。
それは、わたしにとってその彼氏が余程憎い人間であるだとか、彼女本人がそれを辛いことだと思っているのが見て取れるだとか、そういった特殊な場合以外は、祝えて当然とも言える出来事なのではないだろうか。
「今まで通りには遊べなくなるかなぁ」と少し寂しく感じることはあっても、何故だか少しもめでたい事だと思えなくて涙が出そうになるなんてことがあるのだろうか。
わたしは友人の彼氏の事を憎いと感じたことは無かったし、彼氏が出来たんだ、とわたしに報告してくる彼女は本当に嬉しそうだったし、なんであんなにもショックを受けたのか、全く分からなかった。
わたしはもしかして、彼女に恋をしていたのだろうか。あの涙が出そうなくらいの大きなショックは、失恋だったのだろうか。
人に対してどんな想いを抱いたら、それを「恋」と呼べるのだろうか。
一緒に話していて楽しいな、と思った。
くじ引きで行われた席替えで隣の席になったことが、ひどく嬉しかった。
わたしがこれは「恋」なんだろうなと思ってきた気持ちはそんなものばかりだった。
「恋」には付き物であろうそういう気持ちは、一度も抱いたことがないことに気が付いた。
では、わたしが今まで「恋」だと思ってきた気持ちはなんだったのだろう。
友人に彼氏が出来た時に感じたあの絶望感は、なんだったのだろう。
わたしは今までの人生で、「恋」をしたことがないのではないか。
そう思った瞬間、ひどく恐ろしく思った。
わたしがこれまで「恋」だと思ってきた気持ちが、本当に「恋」だったとしたら。
わたしはきっと恋愛対象が同性だけでも異性だけでもない、両性愛者、バイセクシュアルとされる存在なのだろう。
それならそれで、まあ、いい。
わたしがこれまで「恋」だと思ってきた気持ちが、本当は「恋」ではなかったとしたら。
こんな文章を長々と書くにあたって、何も調べなかったわけではない。
「恋」がわからないのが、まだ「恋」をしたことがないからなのか、そもそもわたしに「恋」という感情が備わっていないからなのか、全然わからない!
そうだとしたら、わたしはいつになったら「恋」が出来るのだろう。
恋がしたいわけではないけど、この気持ちへの答えは欲しい。
わたしは一体なんなんだろう。
今では信じられないかもしれないが、小生の学生時代は体育の授業は男女同じ教室で着替えたものだ。
席替えは男女を同じ列で交互に並べるから、男子の前は女子が座ることになる。
さて、体育の授業の着替えである。
小生は小4で精通しているので11~12歳ともなれば女子の発育具合が気になる次第である。
女子も自身の体型の変化や男の目線に敏感であるから、着替えをする時はバレないように早く着替えたいから手早く脱いで手早く穿く努力を重ねていた(補足しておくが、今当たり前にやっている着替えの時に下着などが見えないなどのノウハウは共有されていない。ネットがないってすばらしい!)
そんな折、小生は目の前の女子のパンティを体育の授業の度に拝んでいたのである。
椅子の背もたれと座面の間に隙間があるのは皆さんよくご存知であろう。あそこの隙間から女子のプリケツパンティを浴びるように見せていただいた。
あの空間に切り取られた発育良い尻は大変に素晴らしい。正に桃。みずみずしい弾力性と張り付く布地が小生の股間をたまらなく熱くさせたものである。
椅子の背もたれと座面をつなぐスチールのパイプがまた乙である。発育良い女子の尻はこのパイプとパイプとの内寸より外にはみ出るものであるから、尻の大きさのひとつの基準として見れるのである。尻の大きい女子はこれを優に超えるものであるから、股間への威力もまた一回り大きいものであった。
家に帰れば自慰が待っている。国語辞典で性的な単語を調べ、眼裏に焼き付けた前の席の女子の桃尻を辿り、その子がお尻振りながら小生を誘惑する妄想に耽るのだ。
さあ呪え!
私にポエムを書かせてください
(受験生が携帯弄ってる場合じゃないかもしれないけど、打ったら気がすむと思うから投稿させてください。)
センター試験は3日後。
私は私立文系・三科目型ということもあり、国立志望の子や理系の子と比べたらまだ私は辛くない方かも?と毎日塾の帰り道で自分に言い聞かせてはなんとか合格を勝ち取るために努力してるつもり。ではある。
でも、毎日頑張ってるのに、勉強が直接的な原因じゃないことで、メンタルがやられてる。ここ3、4ヶ月の話。誰にも助けを求められずにいることがある。
9月に学年全体に指定校推薦の案内があった。偏差値は50〜5の学校なので、有名大学への進学率の上昇に奮闘中。
私の学校の制度は、頭のいい子から順に早慶に推薦出すのではないくて、一定の成績+役職(部長だとか)+自己推薦文なので、先生達は推薦に関して
「成績だけじゃ駄目だ。リーダーシップのある子をしっかり選ぶ。だから、勉強だけ真面目にやってる君達はそのまま真っ直ぐ努力してくれ。」
みたいなことを何度か言った。私はそれを信じた。
習熟度別のクラスは1番上。部活の部長。委員会の委員長。行事もクラス単位での重役を何個かやった。自分から進んで何かとやるタイプだ。自他共にそう認めてる。と思う。
でも
私は推薦に落ちた。
受かった子は学年で1番頭のいい子だった。
それまではまだよかった。
そこまでは。
今でも思い出すのは9/11のことだ。自己推薦文を書いた紙は職員室へ決められた時間帯に提出だったから、ライバルとすれ違う可能性が高くて、案の定私の場合はそうだった。目を合わせないように下を向いて私は歩いた。
運が悪いことに、受かった子と落ちた子(私)は普段のHRの席が隣同士。よく話す。(今となっては全く口聞かない)翌日の12日周りの友達にはお互いバレないようには接したし、私も普通に話しかけたりしていたが、休み時間に言われたことが、あの日からずっと心に深くて、痛い、引っかき傷をつけたままだ。
この後に続く言葉は「(私は昨日ずっと準備してきた自己推薦文練りに練って徹夜してまで懸命にやりました負けるつもりはありません)」だ。多分。
傷ついた。当たり障りのないそんな言葉で。私以外の誰も聞いてないその状況で。何ならもっとストレートに、意地悪に、その優等生という仮面を引き剥がして、言って欲しかった。
結局あなたは受かったじゃない、きっと3月になったら慶◯受かったよとか私に言うのかな、私はあなたとのプレゼンの準備の時だって原稿を家で書いたり資料集めたり率先してやって、あなたはそれを有難うと言うだけだったのに、私と違って部長でも委員長でもないのに、通ったじゃない推薦に。
でも、あなたは1番頭が良かったから仕方がない、ではもう妥協できないよ。
今のはおまけだけど(先生達が本当の基準を初めから言ってくれたならよかった)こうやって今までずっとじわじわ嫌いが増し続けていた。担任に何かの紙を単独で貰ってるのを目撃するたびに確信も増してくし。下手くそか。徹底的に隠すんじゃなかったのかよ。もう忘れるにも忘れられないし全部知ってんだよばーか。
でも席隣だし、でも毎日顔合わせるし、でも担任に「私、隣の席の子が私が落ちた◯應の指定校推薦受かったの知ってるんで、毎日心臓えぐりとれそうなくらい苦しいので、席替えしてください」は言えないじゃんやっぱり、言う勇気ないじゃん、もう18だし。
推薦に受かってからのあなたは良いよね、元がポーカーフェイスだから私をひどく傷つけただけで、誰も推薦だと疑わない。今までもこれからも。
この1年間ずっと席が隣だった(何度も言う)。世界史を教えてもらった時は助かったけど、2学期は憎くて仕方なかった。推薦通ったことじゃなくて、私のことを故意に傷つけたあの一言が全ての原因だ。頭が良いだけで考えが稚拙な人間なお前が半年先に合格決めたことが許せない。指定校推薦て何のためにあるんだ本気で。
マーチの指定校推薦とった奴も、私のこと2年間くらい集団いじめしてたグループの主犯格だし。クソが。
もう〜〜〜〜今年おみくじ引いてないから知らんけど、神様、こんなに私は別の意味で重苦しかったんだから、センター利用マーチは頂戴よね〜〜〜〜
もう何年も前に終わった話。
でも、同じことで苦しんでいる人のために書き残しておく。
ストーカー騒動の時に、しっかり対応してくれた会社には感謝している。
個人や会社を特定するのは無理だろうけど、話の大筋は変わっていない。
部署によっては平日だけのところもあれば、土日祝も営業しているところもあった。
そして相手の部署はフリーアドレスを採用していた。だから、座席を毎日自由に変えられた。
そういったこともあって、付け回されているのに気づくのが少し遅れた。
挨拶をする相手も多くて、その時点ではただの丁寧な派遣さんという印象だった。
ストーカー本人に、休日は何をしているかと聞かれて「旦那とデート」と答えたことがあるから、知らないはずはない。
これも本人の口から聞いたし、他の人も言っていたから確実な情報だ。
ストーキングに気づきはじめたのは、勤めはじめてちょうど1年経った頃。
会社にも慣れて、どの部署が何をしているか、その人がどういう仕事をしているのか。
そういったことが、おおよそ理解できた時期のことだった。
他の人と比べて、挨拶する回数が多過ぎた。
ある日、会って挨拶する回数をカウントしてみたら20回を越えていた。他の人は多くても8回だったから、あきらかにおかしかった。
そして、少しずつ馴れ馴れしくなってきてもいた。
ただ挨拶を交わす相手だったはずが、ある時期から肩を叩いてくるようになった。
軽く叩くだけだったけど、なで方が変というか、どこかねっとりとしていて気持ちが悪かった。
何となくブラ紐の位置を確認されている感じがあって、この時点でようやくヤバイ相手だと認識するようになった。
いちいち体をさわってくるから、こっちとしても会いたくない。
だから、相手がいる場所をできるだけ避けるようにしようと思った。
経理席は、給料情報の他にも個人情報が山ほど置いてあるから、そこだけパーテーションで区切られていた。
そしてストーカーは、いつもパーテーションの出入り口を確認できる場所で仕事をしていた。
これは確実に見張られている。
そう思って、その日はお腹が痛いとウソをついて、タイムシート回収の仕事を同僚に頼み、一日外に出ないようにした。
出るのはお昼の時だけ。
ストーカーは、私が一人でいる時しか寄ってこないから、休み時間は同僚と行動を共にした。
今日はやり過ごせたなと胸をなで下ろし、ちらっと時計を見た時、パーテーションの隙間に黒いものが見えた。
あんなとこに何かあったかな?と見てみたら、それはストーカーの目だった。
私が外に出てこないのに焦れたのか。休みか早退とでも思ったのか。私がいることを確認しにきたらしい。
青いパーテーションの間から見えた目が不気味で、背中に鳥肌が立った。
正直なところ、何で私が狙われているのかわからなかった。
経理には、モデルかアイドルかという評判のかわいい子がいて。社内の男性は、ほとんどその子狙いだった。
その子が狙われるのなら、きっと誰でも納得するだろう。
けど、30過ぎた既婚者の私が狙われる理由が、この時は全然わからなかった。
なるべく一人にならないよう。
経理席の外に出ないよう。
用事で出たとしても、基本は駆け足で移動した。
経理は、たくさんの締め日と締め時間があったから、走っていても違和感がない。
でも、ストーカーの部署はそこまで忙しくないから、もし走っていたら違和感がある。
もし走ってついてきたら、誰かがおかしいと気がついてくれる。
そう信じて、1ヶ月くらい走りながら仕事していた。
自分でも、うまくやり過ごせていたと思う。
視線を受けているのがこんなに疲れるなんて、思ってもみなかった。
外で同僚と一緒に作業していても、触れるか触れないかという距離を歩いていく。
ストーカーの足音は独特で、また来たというのがわかってしまう。
一人でいるところを見つかれば、ものすごい勢いで歩いてくる。
慌てて知り合いに声をかけ、どうにか立ち話に持ち込むと、ゆっくりゆっくり時間をかけて隣を歩いていく。
怖くて、気持ち悪くて。
会社に行くのが嫌になって辞めようかと思い、ついに上司に相談した。
はっきり言って相談するのは嫌だった。
30も過ぎたというのに、人間関係のいざこざを処理できないことが恥ずかしかったし、情けなかった。
すごくいい上司だったから、呆れられてしまうんじゃないかと思うと、なかなか言い出せなかったのもある。
「もっと早く言いなさい」と私を叱って、すぐに部署会議をはじめた。
まず仕事の割り振りを変えてくれた。次の日から、私は経理席から出なくていいようになった。
いつも誰かが私といるように配慮してくれて、シフトまで変更してくれた。
そして「こういうのは、大ごとにするべき」という方針を立てて、上に掛け合うために経理全体で証拠を集めることになった。
私は「なんとなく見られている」というのは、とても証拠にならないと思っていたけど、上司の考えは違った。
就業中は、経理全員がテキストファイルを起動し、その人の動向を記録していく。そうすれば、必ず異常性が浮き上がってくると言っていた。
○○:×× 経理席の前を通り過ぎていった。
○○:×× 経理席の前で印刷したファイルを確認していた。ちらちらと増田さんの席を見ている。
こんな感じの記録を10人がかりで残していった。
最初、1週間続けるという指示だったけど、2日目で方針が変わった。
なんとストーカーは、多い時は2分に一回のペースで私の姿を確認しにきていた。
こりゃまずいぞと、上司が私を引き連れて、ストーカーの上司とかけ合ってくれた。
10人で残したメモを見た相手の上司は、「これは……」と言ったまましばらく黙って、どこかに電話した。
この人達に事情を話して、PC経由でもっと証拠を取れないかと聞いてくれた。
どうやら派遣会社に掛け合うために、動かない証拠が欲しいようだった。
すると、システム管理の係長が、試したいソフトがあると言ってきた。
そして、離席する時はノートPCをスリープにするという規則があった。
ストーカーのノートPCに、フリーアドレスを利用して、サボっている人がいないかと確認するためのソフトを入れたい。
いろいろと難しい説明だったから私には理解できなかったけど、それを入れたら、ストーカーの離席の頻度がわかるという話だった。
表向きはアンチウイルスソフトのテストで、各部署の数人だけランダムに選んだということにして、ストーカーのノートPCにインストールした。
そこから2週間の間。
ストーカーがよく覗きにくるパーテーションの隙間は、上司がどこからか持ってきた広報用のポスターで全部潰した。
ストーカーの上司のはからいもあってお昼時間もずれたし、シフトの情報共有もあったから、お互いの出勤日が被らないようになった。
結果は黒。というか真っ黒。
私の休みの日のログだと、1時間のうちに5分も離席していなかった。
ところが私が出勤していると、1時間のうち40分も離席していた。
ストーカーの上司は即座に派遣会社の担当を呼んで、ストーカーの勤務実態を伝え、月末で切ると通告した。
私に害があってはまずいからと、基本は離席時間の多さからのサボりということで呼び出し、もう今月で辞めてくれと言ったらしい。
そうしたらストーカーは「ただの休憩です。最近、友人関係で悩んでいて……。今後は改善するから辞めたくないです」とすがりついてきた。
派遣の担当も「必ず改善させる。せめて契約期間まではお願いします」と言ってきた。
それで仕方なく、あくまでストーカーの上司が気づいたという体で「いつも経理席の近くをうろついているのはなぜだ?」と聞くことにした。
最初は、一向に口を割らなかったけど、じわじわと証拠を出して追い詰めていったら、やっと「増田さんと仲良くなりたかった……」と言い出したらしい。
私は、他の人にもするように単に返しただけだったけど、ストーカーにとっては「俺に気があるように笑っていた」ように見えたんだとか。
ストーカーの上司が、「お前、嫁さんいるだろう?」と聞くと「会社のことは嫁には関係ない」と。
そして「増田さんならわかってくれる。彼女と話したいから呼んで欲しい。彼女の誤解がとけて仲良くなれば、もう仕事中に離席はしないから、このまま働かせて欲しい」と意味わかんないことを言ったらしい。
それでストーカーの上司が激怒して「会社は仕事する場所であって、不倫をする場所じゃない!」って、その日に派遣切りして終わった。
派遣の担当者はもう頭を下げまくって、ストーカーの荷物を一緒にまとめて引き取って行ったとか。
いちおう誓約書のようなものも書いてもらったとは聞いたけど、私には見せてはもらえなかった。
ストーカーは社内の付け回しだけで、勤務後は追いかけてきてなかったからこっちの住所バレはしていない。
しばらくは派遣会社内で働かせて監視する。もし、逃げたらこっちにも連絡すると言われて以降、まったく連絡はなく。1年経ってから念のために確認したら、まだそこで働いているということだった。
これについては感謝してもしきれない。心からありがたいと思っている。
もし、いまも社内ストーカーに苦しんでいる人がいれば、メモでいいから証拠を残すことと、一人でも多くの味方を作ることを勧めたい。
会社って逃げ場がないから、悩んでいる間に追い詰められていく。
気がついたら、声を上げることが難しくなっていたりするから、早めに動いた方がいいと思う。
「勘違いかもしれないから、一緒に確認して欲しい」って言えば、協力してくれる人が出て来る。次から、悩む前にそう言って味方を作れと上司に言われた。
同僚がFacebookをやっている人で、ストーカーが派遣切りされた日に、なんとなく検索したらアカウントを発見し、記事を読んだらしい。
そうしたら、その日の夜に嫁さんと仲良く食事している写真がアップされていた。
私のことをストーカーしている期間も、ずっと嫁と仲良くしている写真がアップされていて、友達からのコメントは「相変わらず仲がいいね!」で埋まっていたんだとか。
異常なまでに追いかけてきていた人が、家に帰ると嫁と仲良くしているのが理解できなくて、この話が一番ゾッとした。
まさに異常行動だったんだなと、そんな風に思っている。
追記を書きました。
自分は、小さい頃からプライドが高かった。一人っ子というのもあり、自分に都合の良くないことが大嫌いだった。幼稚園、小学校低学年のときはそれでも楽しかった。ガキ大将のように好き勝手に行動しても、勝手についてくる人はいたし、そんな人間を好きになる子もいたのだ。でも、そんな人間が好かれ続けるわけもなかった。それは小学六年のことだった。今までのように好き勝手に行動していたが、それが気に入らない人間はもちろんいる。端的に言えばいじめにあった。相手は隣のクラスそのものだった。そのクラスのリーダー的存在たちから嫌われ、無視や悪口を言われ続けた。中学に上がり、自然といじめはなくなったが、あのいじめによってその時自意識というものを意識したのだと思う。自分は、小太りで容姿も下の中、運動がとても苦手だったが、それをはっきり意識させられたのがあの頃だったと思う。女子の陰口でそのことを言われ、とても傷ついたことを覚えている。中学は隣の小学校の生徒とおなじになる。今まで、小学生の頃は小さい頃からの知り合いだったため好き勝手にしても友達でいられたが、中学で初めて会う人間はそうではなかった。容姿と面白さが何よりも重要で自分にはそれがなかった。いじめによって嫌われることが怖くなっていたのも相まって、なんとか面白さを手に入れようとして、いわゆるキョロ充になった。他人の顔色を疑い、会話中にはすぐ笑う。そうしていろいろなグループとなんとかやっていった。しかしそんなことをしても得られるのは薄い知人関係であって友人ではないとしるのは卒業する直前だった。
高校に入学し、また容姿と面白さにより決まるカーストと戦わなければいけなかった。中学とは違い、もともとの知り合いがほとんどいなかったため、そのカーストに勝つことはできなかった。無為なことはわかっていてもどうしようもなく、キョロ充に甘んじていた。それが2年まで続いた。カースト上位に行くために自分に残されているのは勉強だけだとこの時おもった。そして、三年になり、勉強に打ち込んだ。しかし、3年は最悪だった。自分のことを嫌っている体育教師が担任となり、小学生以来のいじめをうけた。席替えは自分だけ教卓の前固定でくじすら引かせてもらえなかった。また、受験勉強をはやくから頑張っていたのだが、毎日のホームルームで「運動せずに勉強ばかりしているこいつは気持ち悪い、そう思わないか?」ということを担任がふざけ半分で言い、笑いを取るということが当たり前になっていた。たちの悪いのが、自分の部活の女子に同意を求め、「女子も気持ち悪いってさ」と異性をつかってけなしてきたことだと思う。当時は意地の悪い教師だと思うだけで、気にしていないつもりだったが、大学に入ってこの記憶が頭にこびりついて、どの女子も容姿の悪い自分のことを気持ち悪いと思っていると感じ、女子を恐怖してしまうようになってしまった。
まあまあいい大学に入り、それでカースト上位になったと自己暗示を掛けて今日まで生きてきたが、もうだめかもしれない。
見ないふりをしていて、気にしていないふりをしてたが、みんな当たり前に大学生を楽しんでいて、自分はただ学歴を得ただけで、それ以上のことをなにも成し遂げられていないことに気づいてしまった。ツイッターを見れば、高校の同期の自慢が目に飛び込んでくる。見なきゃ良いじゃないか、そう思ってもつい見てしまう。羨ましい。どうして彼らは当たり前のように友達を作り、当たり前のように遊び、当たり前のように恋人を作ることができるのだろう。もちろん、そうでない人もいる。でも、そんな人達は自分の世界を持っていて、特別不満があるわけではない。カースト上位に行きたいと思ったのは、そういった楽しそうな人たちを見てきたからだ。彼らになりたくて、そのためにカースト上位に行きたくて、学歴でそこに行こうとしたが、学歴を手にする満足感で、それ以上のことができずにいた。というより、学歴を手にすれば後はなんとかなるものだと思っていた。でもそんなことはなかった。それに気づいたのが今だった。皆に比べて自分はどうか。大学の勉強が楽しいとも思えず、サークル活動もせず、バイトも塾講師のような割のいいただ稼ぐことを目的にしたものしかできず、出会いもなく、友達も作ることができず、日々無為な時間を過ごすのみ。大学まで来て、何もできていない。誰にも相手にされず、ただただ空気となるだけ。サークルに入っていれば、出会いのあるバイトをしていれば、もっと学部の人に積極的に話しかけていれば、高校の頃に友達付き合いを密にしていれば、そういった後悔を毎日している。でも、もう取り返しがつかない所まで来てしまった。3年になり、もうすぐ研究が始まるし、新しい関係を気づくには時間がおそすぎる。何にも本気になれずこの学年まできてしまった。将来なりたいものがあるわけでもない。みんなが普通にしている普通の人生を味わってみたかった。でも、普通のはずの行動が、自分にはまったく当てはまらない。どうしてそんなに簡単に普通が手に入るのだろう。大体の人は、勉強、恋愛、バイト、遊びなんでもそつなくこなしていく。自分より劣っているところが何もない。どうしてそんなに当たり前のように行動できるのだろう。羨ましくて、妬ましくてしょうがない。このまま進んでいって、人生楽しいのだろうか。一番楽しいはずの大学生活がまったく楽しめず、これから先の長い長い人生を過ごしていけるのだろうか。年をとるにつれ、経験が当たり前になる。いまだに小学生から進歩のない自分がそのギャップに耐えきれるのだろうか。後悔してもしょうがないことはわかっているが、友人と恋人は欲しかった。かまってほしいし、承認してほしかった。最近、こうしたことをずっと考えている。一ヶ月ほど、夜なかなか眠れず、鬱々とした気分で自分の人生がいかにつまらないものかを実感し続けている。これは鬱なのだろうか、どうにかなるのだろうか、どうすればいいのだろうか。本当に死んでしまいたいが、自殺する勇気すらわかないのだから、どうしようもない。
延々と考え続けてしまう。思ったことを書いただけで、支離滅裂だ。文章すらまともに書けない。
どうしても誰かに聞いてほしくて書いたが、たぶんツイッターでの自分と同じくほとんど相手にされないんだろうと思うと悲しくて仕方がない。
あなたには何万人も
フォロワーがいるの
わたしはそのうちのただひとり
あなを初めて知ったのは偶然に見た数秒の動画
それからまいにち
こんなことをしてもなにも変わらないけど
もしかしたら名前を知ってもらえるかもしれないとリプを送り続けた
私はなんの特徴もない道端の写真
今週末もなんとなく
タイムラインをみるのを避けてた
ネクタイ姿が流れて来るかもしれなくて
私は1人家で
十年前に描いていたようには何一つ成長してないのよ
実は一度だけ
その店に行くために
私が持っている中で一番高い服
3回目の席替えを楽しみに
レモンサワーを飲んでみたけれど
青い帯のホームページに
みんな行ってしまった
働くようになった
以前とは変わってしまったわ
こころの中で何回も
「おめでとう」っていったのに
押せるいいねは一度だけ
くよくよねんてしてられない
私は新しい世界へ
旅立つの
中学の時、朝練が急きょなくなりいつもより早めに教室に入ったら、隣の席の女の子が何人かでエロ本を読んでいた。
「何やってんだよ・・・」ってクールな感じで切り抜けたけど、「絶対言わないでよ」って言われてから、その子からのボディタッチが日に日に多くなった。
ある日の帰り道、方向が一緒だったので一緒に帰っていたらエロ本の話になって「ウチくる?」って話になり生まれて初めて女の子の家に行くことになった。
部屋に入るまでは特に思わなかったけど二人きりになった途端、なんだか急に恥ずかしくなってドキドキして無口になった。
親は仕事でいないらしく童貞の俺でもこの状況はやれると確信できる空気だったのだけど、無言の空間に怖気付いて「用事思い出した」って言って帰った。
あれから席替えやらクラス替えがあったけど、あんまり話さず高校も別々になった。
そんなクラスメートの女の子から突然Facebookで友達申請&メッセージが来て飲みに行くことになった。仕事で上京しに来たらしい。
もう30近いし中学のころからさすがに老けてたけど、笑顔の素敵な巨乳の女性に成長していた。
仕事の話、高校や大学の話、どこかに旅行行った話など他愛もない話で盛り上がって楽しかった。
2件目を出てそろそろお開きかなと思い「品川駅まで送ってくよ」と言ったら「泊まっていい?」と言われて、あの日の思い出がよみがえった。
女の子の部屋の匂い、キスしそうな空気の中で逃げ出したこと、置き去りにした俺の青春が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。俺はもう子供じゃない!
一呼吸置いて「おう、いいよ」と返事をしたら「増田はいくじなしだからやっぱやめとこ」って笑顔でそう言って、その子は本当に新幹線に乗って帰ってしまった。
これ、やれましたかね?
俺はこの文章を、これからエントリーシートや、OB訪問や、面接に挑む就活生が、一人でも読んでくれればと思って書く。
俺は昨年、とある企業に新卒で入社した。社会人1年目がもうすぐ終わる。
その間に、俺の友人たちは多くが退職し、転職し、また心を病んだ。
それを眺めながら、俺は多くのことを学んだ。それを、少しでも誰かが役立ててくれればいいと思って書く。
君が会社に入社して、働き始める。そこで何か致命的な不都合が起こる。そういうときに君は仕事を辞めるとか、違う仕事を見つけるとか、休職するとか、そういうことになる。
俺の知る、ブラック企業に入社して、転職したやつらは、みんな楽しそうにやっている。それは良いことだ。転職は悪いことではない。
そしてやつらは、「2度目だから、社会人を一瞬でも経験したから、良い仕事に就けた」と言う。それは一理あることだ、というか当然のことだ。
それでも、退職や転職はものすごくパワーと時間を要する。そしてそこに前の職場で過ごした時間をプラス、とんでもなく無駄な時間だ。
(前職を無駄だとは思わない!というような転職の話は今回したい話ではない)
できれば、その会社に1度で入れるにこしたことはない。
これから書くのは、「どんな職場が生きやすいか」ということについて、一年見聞きしてきたことの感想だ。
身も蓋もない話だが、これを知っていたからといって、やばい状況を確実に避けられるというわけではない。
ただ、少しでもリスク回避ができるかもしれないとか、泥沼を泥沼と判断できるのが早くなるかもしれないとかそういう話だ。
家で一人で過ごすのは苦にならないし、あまり喋るのは得意ではない。パリピの対極に存在する。
というわけで、俺は大卒の中でも、どちらかと言えば同類の方のことを考えて話をしようと思う。パリピは頑張って生きて欲しい。君たちは大丈夫だ。
そんな、大勢でわいわい、体育会系のノリにはついていけない、という人間が、就活サイトとにらめっこをしながらどんな条件の場所で働きたいかを考えたとする。
「転職がない」
こういう文句に、君は惹かれるかもしれない。
趣味に時間を使いたい。大企業で大勢の中に溶け込むのはしんどい。体育会系の上下関係は苦手。できれば同じところでずっと働けた方が楽。それはその通りだ。
「この条件さえ揃っていれば、どんな仕事でも暮らしていけるだろう。私の生きがいは趣味にあるから、仕事人間になる気はないし」
そういうふうに考える人もいるだろう。
まず1つめの「土日祝休み、残業なし」。そもそもこれはけっこうな会社が条件に挙げている。しかし、本当にこれが徹底されている企業は多くはないと俺は思う。
「残業めっちゃあります!土日も仕事してもらうぜ!」と看板にかかげる会社は普通ない。(ぼかしてそう書くところはある)
職種によるところはあっても、完璧に条件通り、ということはないと思っていたほうがいい。
1つめの砦は早々に崩れるものだと思おう。そんな時、「それさえあれば、あとはなんとかなる」という発想で仕事を選んだ者は簡単に折れる。
二兎を追えないからと一兎を追おうとしたのに、その一兎すら捕まえられないのだ。
君がそのために生きようとしていた趣味は、もはや君を支えてくれるかどうかも危うい。
これは間違いなく危険だ。気をつけたほうがいい。
君は同じ職場の人とうまく人間関係を築けるだろうか。うまくいけば何の問題もない。
これは別に周囲の全員と、という話ではない。
1人、どうしてもうまくいかない人がいたとしよう。または、君をめちゃくちゃにいじめてくる先輩がいたとしよう。
前述したような場所で、誰かに相談をするのはそう簡単ではない。
上司がひどいことをしてくるなら、別の部署の上司でもいい、とりあえずたくさんいる同期にでもいい、どこかしらに逃げ場がある。
また、序列がはっきりしているなら、先輩がヤバイ人ならもっと偉い人に、もっと偉い人がヤバイなら同じランクの偉い人に、など、相談先の道ができる。
「小規模でアットホーム」な職場と言われて、極端に言えば銀魂の万事屋みたいなのを想像する、これが悲劇の始まりなのだ。
そういう場所がないわけではないと思うが、まず新卒では入れないだろう。
大きい会社の場合、何か問題を抱えた人間がいると、一旦別の部署へ異動させたり、本人や問題の人物を支社へとばしたりする。
そういう選択肢が、選べないということだ。
仕事内容ならなんとか対応できても、人間関係などに病巣があると、やめるか続けるか、0か1か、みたいなことになる。
たぶん、これらのことを忘れがちになるのは、俺たちがその人生のほとんどを学校で過ごしてきているからだと思う。
隣の席の人とうまくいかない、それでも半年もすれば席替えがあるだろう。
クラスでちょっとなじめなかった、1年待てばクラスは変わるだろう。
別に仲良くする必要なんてない。やることだけやってれば文句はないだろう。
本当にそれをあと30年以上続けられると思っているのか?
こんな後ろ向きの話をするのもどうかと思うが、逃げ道というものを考えて、就職活動をしてもらいたい。
とは言っても、なかなかに難しい。入ってみないとわからないことも多いし、別に前述したような企業が悪いわけでもない。
ただ言えるのは
「これさえあればいいから」
今のこの日本では、人生の多くの時間を仕事をして過ごす事になる。
それを、ただ金がもらえさえすれば(しかももらえないかもしれないのがこの時代だ)という気分だけで過ごすのはあまりにもったいない。
考えろ、サボるな、欲張れ。
「金」「やりがい」「得意分野」「人間関係」「休暇」「仕事量」「社会的ステ」
保険をできるかぎり多く持て。万が一どっかが欠けても、とりあえずいきなり心を折らないだけの支えを持て。
俺が言いたいのは理想論かもしれない。
けれど、頭のどこかに置いておいてくれたら嬉しい。
来年の俺が同じことを言えるか、それはまだわからない。けれど、自分自身のための保険として、こう言いたい。
良い結果が出ることを祈っている。
PS.ついでなので、そこそこ元気に社会人してる俺が、どういう点で生き延びられているかを簡単に書いておく。参考になるかはわからない。
・前述したような逃げ場がある会社だということ
実際に別の場所でしんどい目にあって、異動して別の仕事を楽しそうにしている人を見ると、まぁ生きてはいけるかなという気がしてくる。この余裕はでかい。
・上司が強い
社長が世襲じゃない感じの、そこそこのサイズの会社なので、偉い人はそこそこすごい人。当たり前のようだけれど、案外人の話を聞くとそうでもないのだ。
護廷十三隊を想像して欲しい。偉い人はなんとなく偉いのではなく、間違いなく強いのである。それを時々見て、うおお!卍解だ!強ぇえ!ってなるのはテンションがあがる。
ついでにちょっと他の部分で難があっても、まぁでもこの人卍解使えるしな……ってなるのでこころが穏やかになる。
クッソ疲れて帰ってきても部屋が寒いし夕飯もない。それはつらいかもしれない。しかし、自由だ。俺が稼いだ金は俺のものなのだ。俺が捻出した時間は俺のものなのだ。
というか正直、家族関係に仕事で磨り減ったなけなしの精神強度を更に持って行かれている社会人をよく見る。そこそこの年齢の大人が狭いところに集まっていたら問題がおこるのは当然のことだぞ。家を出ろ家を。
以上。幸運を祈る。
思えばずっと甘やかされて育ってきた。
以下、かなり長い自分語りが続くので注意。
先に今現在の話をしておく。
現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身である。クズと言っても差し支えないだろう。実家が田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額を仕送りとして貰っていた。
私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。
特に母は本当に私に優しく接してくれた。
私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。
当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。
母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。
私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかごちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である。
関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトのスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達はほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである。母親に泣きついたりしていた。
母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園を卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲームが人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。
そんな小学校低学年を送った。
中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独な生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。
悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。
高学年になると、県内の進学校目指して中学受験の勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的に勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強は苦痛だったが我慢してやれていた。
この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。
小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ。矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである。友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…
そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種のいじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。
無事志望校に合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベや漫画を読むのではあるが、一つの作品やキャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。
相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。
この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiでパラパラマンガ的アニメーションを作れるソフトが配信されていたのだか、これが使いこなすと結構なクオリティの物が作れる。これをインターネットに投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモは一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立である。クオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。
あまりにやめようとしなかったので、ついにそのDSiは永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。
一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。
中2のときに初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかいう根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。
そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活は女子の方が多いのだが、部のほかの男子は女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。
こういう学校のことは、親にはあまり話さなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。
高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的に勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ち悪いからだ。
まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である。部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。
ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。
そういえば中高生のときは携帯やスマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEとかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。
親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である。自炊などもってのほか。仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである。友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。
少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、
着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす
偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう
風呂入る順番と時間に文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)
などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。
あまりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである。喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。
最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。
ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である。過去が孤独だからだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心と尊大な羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。
さて、どうしようか。