はてなキーワード: イコールとは
「エムポックス クレード1」と聞いてグレード1かと思ってしまった。ウイルス毒性とか感染力とか総合的な危険度とかで等級をつけているのかと。最強のグレードが出たのか、あるいはここからグレード2,3とパワーアップしていくのかと。
ググると「クレード」は系統樹の一つの枝の意味で、同祖の一群ということだ。
じゃあ新型コロナで聞いた「株」「変異株」と何が違うのか?生物全般に言うかどうかの違いはあるが、この場合指し示している内容は同じに見えるので使い分けの理由がわからない。
そもそも「変異型」の意味で「変異株」というのもなんかちょっと変だ。
デルタ株とかオミクロン株とかいう言い方もよくわからない。同株由来のデルタ型、オミクロン型なのでは?
「Mpox」は「monkeypox」の(おそらく)ニュートラルな略称だったが “誤解を生じさせないように” とWHOがMpoxの方をメイン呼称にするよう推奨し、本邦の感染症法上の名称もそれに準じるかたちでサル痘からエムポックスに変更した。
monkeypoxはサルから見つかったpox virusが起こす病気である。
poxという単語は漢字の「痘」とイコールである。痘は読んで字のごとく、豆粒みたいな水疱がたくさんできる病気/症状だ。
天然痘はsmall poxである。天然痘の何が天然なのか?は定かではないが、おおもとは天から降ったような謎の災厄っぷりに由来するようだ。
ところで新型コロナウイルスのことを最初は武漢ウイルスとか呼んでいた。WHOがCOVID−19という名称を出すとそれが正式ということになり、武漢を冠するのはなんかいけないことのようになった。
そもそものそもそもはナイル熱とかエボラ出血熱、日本脳炎みたいに、疾病名として初発地や流行地の地名を冠する呼び方はふつうになされていた。
しかし差別や風評被害等を惹起する可能性があり、またおそらくは学術的な正確性や意義が乏しいということで、地名をウォッシュした命名法をWHOが採用するようになった。
それはWHOが公式名称としてそれを採用するというだけのことであり、「病気や病原体の名前に地名を冠してはならない」という決まりが制定されたのではない。
「こびどないん…」が言いにくいから武漢ウイルスと通称するのも、中国政府の隠蔽体質に告発の意図を込めてそう呼ぶのも、別にめいめい勝手次第である。
「チャイナ」を「シナ」と呼ぶのは差別だ!という話と似ている。もともとシナは差別語ではない。ジャパン/ハポンと同じだ。でも「そう呼ぶのが差別だと言うなら、そう呼んでやろうじゃないか。俺は中国人を差別したいんだ」というものも出てくる。そんな意図は何もなく歴史的文脈で歴史的呼称を用いただけなのに害意ありと見なされることもある。
他人の言葉づかいをコントロールしたければ公明正大な議論と丁寧な合意形成が必要なはずだが、そこをまるごとすっとばしがちなのがポリコレの危ないところだ。
国はお金を発行できる
無限に発行できる
こういう話が出てきて、ここで思考が停止するのが多いと思うけど
「発行したあとのその金は、どうなるか」
って考えたりする?
発行したらしっぱなしだと思う?
回収できる分しか発行しちゃいけないよ
「売り物を持ってる人間」は売り物1個をもってる
「買いたい人」は交換品を1個もってる
「その交換を保障するお金を発行する」、つまりこれは物と物との間の約束で「物自体はない」
交換が完了して、その交換にまつわる国の仕事分の支払いも徴収して、お金の役割は終わる
100円と100円の交換と、その安全と正確性と記録を保障する作業を1円で何人かで行って、80円の実質交換と20円の税収で100円の交換を完了するの
手数料だけ数字だけだし徴収を40にして、実質交換は80円キープにして、発行量だけ多くしてやろうとすると20円の「存在しない価値」が出てくる
空白に値段をつけるバブルだね
できるよ
100円のものを10000円で売ってみたまえ、それが価値の創造だみたいな話だよ
9900円の回収が、お金を使ったり使われたりする範囲内ではあたりまえにできるけど
発行元がそれを回収するには、そのお金を使ったり使われたりする範囲内で消費する交換をしてもらわないと回収できないの
交換の取次作業に税としてお金を回収するのとあわせて、使った事自体に税を課すと回収もはかどってその分発行もできる
お金の発行量っていうのは借金で、交換する物の数だって言ったよね
日本は牛丼が安すぎるみたいな話があるけど、交換する価値が2個なら2円で済むわけ
おおきい、ちいさい、うまい、はやい、豪華、簡素、トッピング、味変、と選択肢が増えていくたびに、交換の条件や作業が増えていくたび、選択肢の数だけ交換条件つまりお金の出番がでてくる
それを準備すると選択肢が3なら3円、4なら4円となっていく
どこからの仕入れで選択肢が10、調理方法が5で、作業員が4で、とかさなっていって、結局牛丼500円とかになる
これを給料倍にしたいから1000円にして、発行量を倍にしたらお金ふえていいじゃんってなるよね
じゃあ倍になった500円の交換って何に保障するのって話
つかえないお金がたまってたまって「使えませんね」って言われるまでたまって
「あーこの通貨、つかえませんね」で結局二回もバブル崩壊体験してるわけじゃん
そこで500円の使い道を、チャージやチップとして流動性を追加したり転売とか借金みたいな利用促進をしたり、消費税として「1行動につき支払うお金を割り増しにする」という方法を使うわけ
国がさすがに商店の営業方法をひとつひとつ言ってられないから、なにか「あまったお金のつかいかた」を用意してあげないと、お金は発行できない
そこで「投資をしよう!」になるよね
みんなは働いた分のお金をもらって、働かせる分と交換の分で支出をする、そこにアイドルの推しや趣味なんかにもたくさん出費があって市場にはお金があふれてるけど
さらに「投資をする」って作業をみんなの生活に追加して消費をしてもらいたいわけ
そうすると「投資をする・しない」といういままで縁のなかった消費の選択肢が国民の数分だけふえてくれる
投資自体に非課税枠をつくって入金させたら、銀行が企業に「税収を見込める商品」として貸付ができる選択肢が増えるから
それってイコール「日本人は無限に残業ができるぞ!」と同じだと思うよ
「日本人は無限に価値創造ができるクリエイターだ!」でもいいんだけど
たぶんほとんどの人間って、与えられた仕事をその水準ぎりぎりかちょっと下をこなして「1%の人間が考えてコントロールしてる仕事」の一部をわけてもらってる状態だと思うの
そこに選択肢を増やそうっていうのはちょっと無理があると思うんだよね
「公共事業」って創造性を持ってるわけだからそれを価値に変えることもできる
かつての日本は高速道路やインフラを張り巡らせようという計画でめちゃくちゃな経済成長があったよね
今はそれもなしに「銀行がお金をまわせばまわした分だけ税がとれるから、それって経済成長じゃない?」ってところにおちこんじゃってる
風邪がはやってヤバいって危機感が蔓延してるニュースがあるから「公共投資をワクチン接種にぶちこもう」とか簡単に思えちゃう
1日ずーっと出かけることなく家にいたら
今日何やったっけ?って
何かをやっているんだけど何も思い出せない1日になってしまっていて、
ここは大黒摩季さんかな?って懐かしい香りがしたすみれの花時計って
そんなことも思い出せない1日になってしまいそうで、
確かにこれ話だすといつものスプラトゥーン3の話になって終わってしまいそうだけど、
そうねその話ならずーっと出来るんだけどさ。
でも夏休みスペシャルなので何か気の利いたことでも書いてみようかしら?とも思うけど出かけないとそんなネタの種なのか種のネタなのか、
そういうのをゲットする機会を失っているのよ。
こんなでも
何かをしなくちゃ!って切迫感に追われたら、
なんのお休みなのかしら?って
別に何もしなくてもいい夏休みだっていいじゃないって結論に至ったのよね。
何かを成し遂げなければならない夏!を自分に課しすぎなのよ。
でも本当にこの夏のお休みの目標はしっかり寝て英気を養いまくりまくりすてぃーで
もうあれよ20時に寝て5時に起きるという早寝早起きを絵に描いたような感じに実行しているのよ。
テレビを偶然にチャンネルをつけたら何かわからない競技をやっていてぼーっとみる夜中のそんなシーズンもう終わっちゃったじゃない。
あれいいと思わない?
知らない競技の知らない選手をルールも良くわからないのにみるの。
でも私1発で見て一瞬で覚えた高飛び込みの選手がいて名前がサラ・ベーコンってものすごく朝食感のあるジューシーな焼き立てカリカリのベーコンを想像しちゃって、
そして、
何位だったのかどんな技を決めたのかとか全部忘れちゃってるし。
でも何気に不意に出会って見るオリンピックの思い出ってそんなものでしょ?
たぶん日本で一番「サラ・ベーコン」って入力して書いてる人って私だけだと思う。
そのぐらい夏なのよ、
これが私の夏の思い出、
懐かしい香りがしたカリカリ焼きたてのベーコンのブレックファースト!
無理やり大黒摩季さんの文法に収めてしまいそうなぐらいら・ら・らなの!
あれやってみようかなーって
いつも目玉焼きを作る時はノーマルの卵をダイレクトに熱せられたフライパンに落として焼き固めるんだけど、
今はこの時期時間があるので、
ベーコン目玉焼きやっちゃおうかしら!ってもうサラ・ベーコン影響大!
あれためしてガッテンとか発掘あるある大辞典とかでそのサラ・ベーコン選手の活躍が取り上げられたら
でもその番組はもう今はないのが不幸中の幸い。
私が思い立ったら吉日!って思って焼きたいと思う
今日はベーコン目玉焼きを美味しく作ります!ってまるで割烹着を着た小保方さんをも彷彿させるようなことは、
さすがにもうみんな小保方さんのことは忘れてあげたいと思うけれど、
どうしても割烹着イコール小保方さんという方式が世間に植え付けられているのよね。
割烹着といえばって、
でもそんな話より私はサラ・ベーコンさんの腕前を見習って高飛び込みを決めるのよ!
もちろん、
もちろんマーケットに卵とベーコンを買いに行く時入店する際の飛び込み前転は忘れないわ!
もうあと
さらには何をかけて食べる論争について平和の祭典なのでみんな争わないでほしいの!
なにをかけて食べたって美味しいじゃない!
もう私のために争うのはやめて!
きっとみんなににっこり金メダルよ!
ベーコン目玉焼きメダルは私が拵えて優勝を決めた選手にかけてあげるわ!
そう
うふふ。
じ、実は月替わりのサンドイッチもあってそれも楽しみなのよね。
8月はオイルサーディンマヨネーズ味サラダたっぷりトーストサンド!
和食も楽しみだけど、
多分今日のランダム焼き魚朝定食はどーせ鯖でしょ?って思ったので
もちろん鯖も美味しいのよ。
なので月替わりのサンドにしたわ。
夏に欠かせない1杯よ。
ごくごく飲むわ。
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
水泳 → 水路から侵入するなら酸素ボンベとスイムスーツ着用するので、パンイチで息継ぎしながらの水泳技術は無駄
剣術 → 徒手格闘ならともかくフェンシングは意味不明。せめてナイフでしょ。
ラン → 3000mを手ぶらかつ徒歩で?!せめて20kgの重りぐらい背負ったら?
ガン → 唯一マシな競技。でもピストルよりライフルの方が良いと思う。
100m → 標的の確保、および逃げ切りに有効。瞬発力勝負。
400m → 同じく有効。これぐらいの距離でシッカリ差をつけられたらもう見つけられない。
1500m → お互いの力が拮抗している時のスタミナ勝負。大前提は100と400で負けないこと。
高跳び → とっさに高い柵をジャンプ出来る
砲丸投げ → 石投げは実戦でも有効。火炎瓶・カラーボールなど応用が効く。
やり投げ → 形が球形でないものを投げる技術。ライフルやロケット砲を手渡すのにも使える。
オタク野郎がくせーのは運動しないからだぜ。みたいなのをたまに見る。
ついでに調子こいて道徳の説教までしてたりもする。怠惰で他人に気を配れない生き方丸出しだぜ、的なの。
それで言ったら運動部の中高生はどうなんだよ。電車に現れるくせー奴の遭遇率で言ったらそっちの方が多いだろ。
ダサいオタク野郎は服を買い替えないし、定期的に煮詰めたりの処理もしないからくせーんだ。っていう。
服に無頓着な人間とオタク共がイコールであるかと言ったら、別にそんな事はねーだろって思うけどね。全体の一部を構成する傾向はあるかもしれんけど。
体臭に関しては食生活が結構デカい気がする。ワキガみたいに遺伝もあんだろうけど。
健康的な飯が好きなそれと一致してる人間なら別に良いんだろうけど、そうでなかったら原則的につまらん飯を食い続けるなんて苦行でしかない。
そうなったらもう迷惑教のコミュニタリアン共にガタガタ抜かされようが好きなもん食ってた方が良いよなって思う。
くせー奴に出くわしたら普通に死ねって思うし、死ねと思われようが好きな飯食って服のケアに気を遣わないのも別に勝手だろとも思う。
ちょっと前なら、欧米から干されるイコール、経済的にも軍事的にも孤立だったわけだ。
欧米が決めたことがルールになった。従っておいたほうが得だからみんな従った。
でも、今はそうでもない。
制裁されてるロシアやイランみればわかるとおり、GDP2位の中国とGDP4位のインドと貿易できればなんとでもなる。
「ガソリン車禁止な?」「ファーウェイ禁止な?」と言ったところで「なんで従わんとならんの?」
としかならない。
「資源も工場もうちらが支えてんのに、上前はねるのと金融しか脳がないアンタらに大嫌いだわ。中国に宗主国変えるわ」
となる。
ウクライナをロシアにぶつけて、コスパよく国力削げてラッキーみたいな鬼畜。
「おい、お前いってこいよ」
って脅してくるのは見えてる。
Vファンは転生前の話題を出していい、って考えてるのかが個人的には気になる。
は結構色んな所で言われてるけど。
キュウリは身体を冷やすのか身をもって研究中である私なんだけど、
昨日も帰り道にマーケットでキュウリを買って寄るお風呂上がりに囓ってみたところ
やっぱり寒くなったので、
極寒とは言わないけれど
他にも身体を冷やす作用の夏野菜って例えばなにかしら検索したら出てくると思うんだけど、
これってその夏野菜でカレーとか作ったら反町隆史さんがシーエムやってるでお馴染みのジャワカレーの反ワクで
私が反ワク反ワク!って言うと
ネット陰謀論を鵜呑みにしている人みたいに思われるかも知れないけど
私がここで言う反ワクは反町隆史ワクワクディナーショーの略なのよ。
理に適っているリンゴとハチミツが恋をするをも凌ぐほどの理に適いまくりまくりすてぃーなのよね。
キャンプには夏なのか!
夏だからカレーなのか!って思わざるは山の如しのタニコーの五徳の如しなの。
なるほどねー
ホッツな作用と相まってそれを打ち消して、
プラマイゼロの食べても熱くなく寒くなくってのが夏カレーの理に適った形なのかも存在理由ね。
でも夏カレーの具にはキュウリが入らないのはきっと冷えすぎるから問題もあるかも?
おもったけど、
思ったけど凄いこと!
それならキュウリのスムージー作って飲んだらそれだけで夏は爽快になるんじゃない?
うわ!
私気が付かなかったわ。
私いままでキュウリなんて世の中にあってもなくても変わらないと思っていたけれど、
今シーズンもう私キュウリ単体を今までの人生で買ったことなかったのをこの夏のシーズンで256本は買ってるので
だってもうお風呂上がりのキュウリ囓ると一気にクールダウンするの!
キュウリ一番囓り!って売り出してキュウリ売ったら爆売れ間違いなしキュウリだと思うわ。
騙されたと思って夏のキュウリを囓ってみてよ。
って私はそう言いたいの。
それでさ、
キュウリって買っても刻まなければサラダに使ってはいけないと思っていたけど
面倒だからそのまま丸ごと囓ればいいのよね!
それにも気付いただけ収穫がある夏だわ!
キュウリだけに!って
うふふ。
今朝もチェック!
追加で投入して冷やし忘れないようにしているわよ。
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
チー牛という言葉、ネットミームは、私も一応知っている。知っているといっても、あの有名な画像と、牛丼店でチーズ牛丼を頼みそうな性格・人格、という、何か表面的なことだけだが。
結局、誰もがチー牛という言葉についてこのレベルの認識でしかないだろ。
なんかよくわからないけど気に入らない言葉でしかないのに、それがいつの間にか「この言葉を使うことは社会的に正しくない」にまで飛躍してしまっている。
チー牛という言葉を否定したいのならば、誰よりもその言葉について考えて、具体的に説明できなければいけないのに、フワッとしたままなんとなく全否定している。
自分の好き嫌いと社会規範がイコールだと思い込んでしまってるんだろ?
こんなもん、アニメの美少女イラストが描かれているポスターを見た瞬間「差別だ!人権侵害だ!」って怒り出す人達と一緒じゃん。
ああいう人達も、アニメのイラストがどのように描かれているか詳しくは知らないけど気に入らないってだけなのに、いつの間にか社会的に正しくないに飛躍してしまっているから訳が分からないんだよ。
何の根拠もないけど自分は正しいと考えている人間と会話なんか成立しないから。
それが出来ないんだったら、嫌いなものは嫌いで終わり。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌「ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。
東のゼロ年代はゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムがゼロになる」という意味らしい(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか。
3 ゲンロン
ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観で編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。
ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズは2010年4月6日に創業された。2009年の秋の飲み会でアイデアが出たそうである。宇野常寛、濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜(空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズの代表に就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表に就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかったかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。
「一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月号から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿は2010年代に書かれたのですが、出版は震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代のパラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもので民意をくみ上げようというものである。ゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代とゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。
「サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画は2ちゃんねるの動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSにネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。
「一般意志2.0」の次の主著は「観光客の哲学」(2017年)であるが、サブカルチャーを批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれてから、アニメやゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客の哲学 増補版」第2章によると、観光客は二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタクは原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客も住民の暮らしなどお構いなしに無責任に観光地をつまみ食いしていく。このように観光客は現実を二次創作しているそうである。
「福島第一原発観光地化計画(思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発で事故があり、ダークツーリズムの対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズムは二次創作への抵抗である(「観光客の哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地に観光に出かけると、普通の場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである(二次創作への抵抗)。
社会学者の開沼博は福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞のウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故のイメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客の哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府の戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年に東京大学大学院情報学環准教授に就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣「脱原発の哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラーは佐藤の博論(「権力と抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤はバトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラーの著作の邦訳を担っている)。「脱原発の哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤の博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。
「観光客の哲学」はネグリ・ハート「帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学的であるとして、郵便的マルチチュードとしての観光客を対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというもの、リベラルはマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客の哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二やこたつぬこ(木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判的である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実「革命的なあまりに革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命が成功していることになるのか」(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。
東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である。経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうである。ブレイディみかこ・松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルがマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田は2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員の代表を務めている。
「観光客の哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学」である。こちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢が大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念の意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能性なのだという(森脇「東浩紀の批評的アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。
こうして現在(2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身の気質を自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事を自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体と境界侵犯の欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀・桜坂洋「キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からぬものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。
宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客が結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利を宇野が要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である(映画の原作なのだろう)が、宇野のウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代の論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代の批評をふり返った本の終章なのだから、2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代の論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。
濱野智史は「アーキテクチャの生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised:情報社会の倫理と設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドルが流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年、アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史(社会学者)が経験したアイドルプロデュースの真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。
千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰と東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベントで千葉はゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀と何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生を全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。
大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。
福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談「現代日本の批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。
津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田は2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督に就任し、東は2017年10月、企画アドバイザーに就任する。しかし、企画展「表現の不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルからも顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(13) | 17:44
まあそれはそうなんだけどね。
じゃあ今幸せじゃない人はどうすりゃいいんだろうね、という。
そもそも所属コミュニティが多い人は幸福度が高い的な話があるよね。
じゃあそれ以外は…?
それで孤独耐性が強くて一人の趣味を謳歌できればいいけど、弱男とか喪女とかでもそんな人は少数派と感じてる。
社会性の生き物である以上、そりゃそうだよなと思う。体感でしかないが。
そして困ったことに、コミュ強はコミュ強であるからコミュ強なのよな。
自分もコミュニケーションはある程度とれるけど、楽しい話とかはできないし、コミュ強の人たちすげー^q^となってばかり。
自分がコミュ力に自信ないから友人は逆に相手してくれるコミュ強が多いのだけど、みんなだいたい結婚しちゃうんだよなあ。
あと女性より男性のほうが優しい気がしてる。自分が男性だからかなあ。
怖いというのもあるのかも知れないけど、付き合いそこそこあってもそんな感じの印象。