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はてなキーワード: 視聴者層とは

2017-10-22

anond:20171020223313

まずはてなーアニメを語る時に見落としがちなのが、ターゲット視聴者層レベルな。

深夜アニメなんだから子供が見るわけじゃないだろーとか考えてるのは甘い。

 

んで、アニメガタリズで言うと「元ネタわかったー俺すごーい」って満足してるのが一定数おるねん。

https://www.anikore.jp/anime_review/11224/

 

キッズウンコチンコネタ爆笑してるのを批評してるようなもんじゃぜ?

2017-09-23

anond:20170923113509

テレビを見る層の学歴に合わせてデザインされてるだけ。

翻って、テレビが育ててきた視聴者層がそういう学歴に収まっているという話でもある

2017-08-08

テレビ新聞情弱を騙せれば良いから質がどんどん下がっていく

テレビ新聞の主な購読者視聴者高齢者DQNなので、広告ターゲット高齢者DQN

新聞を読むことが教養の一部で、NHKスペシャルテレビニュース報道番組を見れば教養が身につくと信じている一部の人々だ。

高齢者DQNターゲットなのは広告を見ていればわかる。

インターネットで物を売れないが金を持っている高齢情弱企業テレビ新聞をありがたがって広告を出すのだ。

からテレビ新聞高齢者DQN向けの番組を作ったり記事を書いたりしている。

高齢者スマホを使わないし、使っていても有効な使い方ができい。DQNスマホゲームしかしない。

かくして視聴者層に合わせてテレビ新聞の質はどんどん下がっているのだ!

嘆かわしい。

2017-04-25

貴族探偵視聴率について

タイムリーネタをぶっこんできたり、小ネタがあって面白いところもあるとは思うんだけど、

つの大きなポイントが致命的かと。

その1

テレビ東京深夜かテレビ朝日の深夜でやってるドラマっぽいキャスティング

もうね、生瀬勝久刑事な時点で「トリック」か「警部補矢部謙三」じゃないかと。

あのクセの強さはもうトリックしか見えない。 その内、ズラネタぶっこんでくるんじゃないかな?とも思ってしまう。

Siri役、あれは仲間由紀恵無駄遣い…

他にも松重豊は今クール孤独のグルメの主役と掛け持ちであっちの印象が強いし、

滝藤賢一は俺のダンディズムで主演しているのも「テレ東感」が強い。

その2

月9放送である必要性が無い感じ。小ネタぶっこむドラマだったら、別に月曜9時にする必要性があったのか?

と思う。これは土曜深夜の枠だったら高評価だったと思う。

あとは他のニュース記事にも書いている通り、ヒロイン役にもう少し格上をキャスティングしてほしかった。

武井咲だと、「はつかーさんじゅにちぃーーごぱーせんとおっふーー」 って言いそうな雰囲気だし。

中山美穂は良い味出しているとは思う。武井咲役は石原さとみ綾瀬はるかガッキー上戸彩クラスキャスティングしてほしかった。

視聴率上げるにはどうするか?

1)小ネタもっとぶち込む。 出演者が出てた他のドラマのパクりネタを入れるとか。 狙った視聴者層では無い人には人気が出ると思う。

2)出演者の強化。 1話完結ものなのだから、毎回犯人役として大物俳優女優)をキャスティングする。

 ここ半年以内のドラマで主演張ってたクラスとか。 嵐のメンバー出演はマストでしょうな。

2017-04-09

けものフレンズのヒットは世相を反映してる説

見た目に騙されがちなので、まずCGという要素を取り除いて考えてみたい

 

するとこのアニメの要素は

 

・旅、出会い友情

世界の謎

・ほのぼの

・ゆるい笑い

・ゆるいバトル

美少女動物園

 

あたりだ

 

無い要素としては

 

恋愛要素

人間関係的なシリアス(いわゆるドラマ

・流血レベルの戦い

・技名が出てくるようなバトル

学校のような舞台

・年齢の概念(先輩、後輩)

家族概念

 

などなど

 

簡単に言えば、これらの「無い要素」は中高生向けに作る際によく盛り込む要素で

それを一切排除した、「非中高生向け」に振り切った作品が盛り上がるというのは、今のアニメ視聴者層(世相)を反映していると思う

 

最近は、中高生向けなんだけど、メイン視聴者20代以上というよくわからん状況になっていて

舞台や要素は中高生向けなんだけど、ターゲット大人みたいな「股裂き現象」が起きていたのではないかと思う

おっさん中高生に戻ったつもりで作品を楽しむ必要があり、海外からは「何で日本アニメは皆17才なの?」なんて言われる始末

 

それを、完全に中高生ターゲットを絞ったのが「君の名は。

中高生要素を排除したのが「けものフレンズ」という風にカテゴライズはできるのではと思う

 

 

もう一点

何故中高生向けの皮を被った作品がこれだけ多いのか? だが

今は個別主義時代に入ってしまっていて、共通概念学校程度しかないのではないかと思う

共通概念が無いと、作品が作りづらいし共感も得にくい、それで仕方なく学校・あるいは学校的な作品が多くなる

 

翻ってけものフレンズを見てみると

テーマにしているのは「人間」「友情」「動物」「気候」など、視聴者層共通概念限界まで絞り込んだ物となっている

驚くのが、「年齢」「性差」「家族関係」「個体の大きさ」などもほとんど排除しているところだ

排除しきった上で、作中では余った差(例えば「得手不得手」)さえ積極的に許容するストーリーになっている

 

それらのおかげで、例えば視聴者家族関係がどうであれ、共通概念を作りやす構成になっており

話そのものに集中できるようになっている

 

もちろん、こういう作りは一般向けを目指す際によく使われる手法であり

作者の自力が完全に問われるため、普通は手を出さな領域

 

こういった分析をすると、今後のアニメで起こりそうな流れとしてありそうなのが

 

友情メインの作品が増える

キャラが男のみ、女のみ、あるいは性が無いような作品が更に増える(中高生向け要素を排除やすいという理由で)

 

があると思う。

以上です。

 

 

ところで、おそ松さんも同じカテゴリな気がするんだけどどうなんだろう(全部みてないんだよね)

2016-12-01

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である

**************

君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。

さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

**************

さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

**************

 

さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

2016-11-22

今度公開される某映画について、

うそう、あれあれ。こんど公開される予定のあの作品ですよ、あれだよあれ。寝る前にあれのこと書きたくなった。

あれさ、予告を見る限り、細田守ファンタジー作品みたいなストーリーを匂わせつつ

岡田麿里作品のような思春期ローティーンの悩みや心の揺れ動きを描くような作りになっているように感じたんだけど、

今のところいったい誰がこの作品を見に映画館へ足を運ぶんだろうかと、すごく心配になるんだよね。

まず映画館一般の人が予告を観たとしても、”よくわからないオタク向け萌えアニメ”というカテゴライズがされる気がしてて

勝手な印象だけど、一般人萌えアニメへの拒絶反応萌え絵への不気味の谷のようなもの)に対していま流してる予告の絵面と内容では、

不気味の谷を超えてでも見に行きたい何かを提供していないように思えるんだよ。なので予告やCMを目にした一般の人に認知されて

その人達映画館に見に来るという状況にならないんじゃないかと感じるわけですよ。

次に、プリキュア的なプロットや必修化されたダンスなんかを作中要素に入れてるみたいなので小学校高学年くらいまでの女の子への

フックが効くように作ってるとは思うんだけど、どうしても上に書いたような萌え絵問題のせいでその子達のママさんの足は重いんじゃないだろうかと思うんだよね。

(今年のクリスマスの思い出にと、劇場萌えアニメを見せにいく母親がどれほどいるだろうか?)

あとさすがに女子中高生はJCJKにもなればプリキュア卒業してるだろうからいくらアニメ映画流行ってるからといって

わざわざ冬休み彼氏友達と連れ立ってプリキュアみのある作品を見に来ることは考えづらいと思うし、あてもなく映画館へ来た子や見たい作品が満員だった子たちがいたとしても

このアニメ作品を見るくらいなら公開終了が近そうな君の名は。か、この世界の片隅に へ流れてしまうんじゃないだろうかと思うわけですよ。

となると残るは我々男性オタクアニメ視聴者層となるのだが、これも心許ないんじゃないかな?

いかんせんオリジナル劇場アニメから深夜作品ゲームのように熱心な層の地盤もなくて

さらに今期の美少女動物園作品惨状を見るに、さすがの萌豚さんたちも食傷気味なんではないだろうかと思ってしまう。

尚且つ、XX周年記念作品だと銘打っているけどこの制作会社の記念作品からという理由リピート鑑賞するような

熱狂的な信者がいるのかも疑わしい気がするし...。

というわけで君の名は。聲の形この世界の片隅にと、好調な波が来ているさなかここは何としても

ひと山当てたいこととお察ししますが、個人的には2.5億と予想を立ててみました。

あと一ヶ月あるので広報さん、プロデューサーさん頑張ってください。

それじゃ、おやすみ

2016-11-18

NHKのせいでTVが見れない。公共TVを返して。

最初に要旨をまとめると

貧困家庭では娯楽のためだけのコストとしてNHK代は受け入れがたい

貧困家庭でもスマホ必要なので、最低限必要情報はそちらから入手できる。

相対的TV価値が下がる

NHK存在公共TVを潰している。災害時の連絡網としてのTVを潰している

NHKがなければ、もしくはスクランブル化すれば、民放貧困家庭に対し、通信量のかからない高画質動画メディアとしてアピール可能NHK民放から顧客を奪っている

どうも、貧困家庭です。

自活できないほどではないけどギリギリ生活をしています

こんな生活だと、削れるものは削ることになります

娯楽に、仕事必要スマホは月1000円のプランです。

近頃はLINEで連絡事項を伝えるというイカれた動きや、

派遣の一部では、日々の勤怠連絡にスマホ必須という社会になってますので欠かせません。

底辺であろうと維持しないといけない必要経費なんですね。

携帯電話だけでいいとこはほんと稀になってしまいました。

仕事選択肢を広げるためにも、娯楽にも使えるスマホが月1000円。

TVを買うだけならランニングコストはそう高いものじゃないんですが、月1000円以上のNHK代は重くのしかかる金額です。

それに見たいのはNHKじゃなくてどこの曲でもいいのでニュース音楽番組、旅番組なんです。

1日の間でTVを見るのはわずかな時間しかも娯楽としてのみ。スマホ情報取得はそれなりにできる、となると貧困の中での取捨選択としては、TV優先順位を下げざるを得ません。

月1000円。そんなのがあればすき家の混ぜのっけ定食が3回食べれる、温泉に2回入れる、くりかえし読める本が買える。貧乏人としてはけっこう贅沢できます

最近職場TVを見る度に、ああ、TVがほしいなあと思っていますがその度に、NHK代がかかるから…と諦めている状況です。

公共放送自称するNHKのせいで、公共放送であるTVの視聴を阻害されるなんておかしな話だと思いませんか?

NHK契約者のみのスクランブルにしてくれれば、私はTVが見れるんです。

NHK災害時の放送を引き合いに出して、スクランブル化を拒んでいたと記憶していますが、

NHKのせいでTVをあきらめ、災害時にTVを見れない家庭は増えている現実はどう見ているのでしょうか?

NHK存在しなければ、スクランブル化してくれれば、災害時に民放を見ることが出来ます

NHKが嫌でTVを捨てた、諦めた人々という機会損失放送業界はどのよううに考えているのでしょうか?

NHKのせいで、民放各社は大きな機会損失を被っているのではないでしょうか?

NHK存在しなければ、民放無料TVは、Youtubeなどに対し、無料で見れる、通信料のかからない高画質な動画娯楽としてのアドバンテージを発揮出来るはずです。

一人暮らしスマホだけで暮らすような若者にはとてもありがたいメディアになるのではないでしょうか?動画を見るとあっという間に通信量がパンクしますので…

そんなわけで、民放各社でNHK圧力をかけ、スクランブル化をするか、NHK民放化してしまえば、インターネットに対しTVというメディアの少しの復権と、マスの獲得が見込めるかと思います

貧乏人といえど、数が集まれ社会の流れになります広告収入の元になります最近トランプ現象TVの、メディア凋落が叫ばれていますが、私はそんなことより、TVがみたいなと思ってますTVが見たいと思ってる貧乏大衆世論コントロールのためにも広告収入のためにも活用してみようとは思いませんか?そのために障害となるのがNHKです。

公共TVが取り戻されることを祈っています

無理なら今後もネット我慢ですね…

ただ、民放視聴者を増やし、世論ブームを作り、広告収入を増やすのが仕事ですから、いずれは放送業界のガンであるNHKをどうにかしない限り、今後も視聴者層は狭まっていくと思います

無料なら喜んで見たいという私のような人、結構いると思いますよ。

民放無料放送してんのにNHKのせいでTVという存在が有料になってる問題。真に公共放送を取り戻すためにもどうにかしてほしいものです

2016-09-25

聲の形」見たのでおすすめする

はじめに

公式の書き方や、巷で燃えてる情報だとどんなところが魅力なのか分かりづらいなと思ったので

見るかどうか迷ってる人に向けて

どういうところが面白かったかなど書きます

 

ある程度あらすじを書かないと正直何も言えないので

導入部分だけネタバレします(いじめあたり)

 

もちろん大事な部分はネタバレしませんが

情報ゼロで見たい人は読まないようにしてください

 

ちなみに原作は読んでいません、あと私はおっさんです

  

全体的な感想ネタバレ無し)

正直予想を遥かに超える良い作品でした

Key作品を手掛けていたときのような京アニ彷彿とさせます

キャラの繊細な心理描写が、鼻に付かない程度に上手く表現されていて

一冊の小説を読んだかのような読了感を覚えました

 

テーマも非常に面白いです

一般的物語というのは人と人の関係によって生じるものが多いですが

この作品は「いじめっ子いじめられっ子障害者)」です

このような加害者被害者という関係性の作品は無いこともないですが、ここまで真正から

アプローチして面白くできていることに驚きました

まるで新しい味のラーメンを食べたときのような、「なんだこれ、旨いな」感がありました

 

原作シナリオ大分改良を重ねられているらしく、映画もできすぎているくらいによくできています

特に登場人物の心の変遷が面白いです

 

おすすめできる視聴者層ネタバレ無し)

この話は、もし小説だったなら学校図書室に置いてありそうな話です

なので、老若男女問わずおすすめできると思います

 

もちろん、もっとハチャメチャな展開を希望する人にはおすすめできませんし

小学生には難しいかもしれません

 

導入部分のあらすじ(ネタバレ

物語主人公石田将也が自殺を図る意味深なシーンからまり

そもそもなぜそうなったか小学校時代に遡ります

 

石田は小6の頃、元々粗暴なガキ大将タイプ少年でした。

どのクラスにも一人はいるような悪ガキですが、割りとクラスに溶け込んでいました。

 

そのクラス聴覚障害者西宮硝子が転校してきます

障害を持った児童普通学級に入ることはままありますが、様々な要因により、このクラスではうまく行きませんでした。

やる気のない教師。陰口を叩く女子。やがてそれはエスカレートしていき、明確にいじめに発展していきます

 

石田も、何を考えているかからないような彼女に対して「気持ち悪い」と思うようになり

途中からはいじめ筆頭として直接手を下すような存在となっていきました。

 

しかし、補聴器を何個も紛失させるなど度が過ぎたため、ほどなくしていじめがバレます

そしてクラスメイトはその罪を全て石田に負わせました。

それどころか、今度は仲の良かったクラスメイト石田いじめターゲットとするようになります

 

母親にもバレ、大金を弁償するという苦い思いをする石田

その石田に、いじめられていた西宮けが優しくしようとします。

しかしその行為理解できず、石田さら西宮に辛くあたるのでした。

 

そのまま何も解決せず、西宮は転校してしまます

 

石田は小6から高3まで「いじめっ子から近づかない方がいい」という理由いじめられます

それによってか、西宮硝子に対して行った罪の重さを自覚し、結果すっかり自己否定人間不信のような鬱屈した人間と変貌します。

人の顔すらまともに見れなくなった石田は耐えられなくなり、母親が払った弁償金をバイトで稼ぎ、そのまま死ぬつもりでいました。

 

そんな中、石田は通っていた手話教室で5年ぶりに西宮硝子と再開します。

果たして2人はどうなってしまうのか!

 

※ここまでが導入部分で、こっからスタートだと思います

おさえておきたいポイント

要点

 

疑問

これらが分かったとき、私は「いい作品だ」と思いました

その後の展開は?

 

石田西宮クラスメイトを中心に展開しま

 

個人的面白いと思った点

 

石田とともに罪悪感を覚える

最初石田○ねとしか思いませんが、いつの間にか感情移入していきます

すると西宮とどうなろうが、必ず罪悪感がつきまとい、優しい行動にすら違和感を覚えていきます

「俺なんかが話していいのか」「嫌がっていないか」「喜んでもらうにはどうすればいいのか」

そんな感情ラブストーリーで感じるものに少し似ていますが、罪の意識が強い分、別の何かです

喩えるならヤマアラシジレンマでしょうか(エヴァネタ

このモヤモヤ感は是非味わってほしいです

 

登場人物の変遷が面白い

西宮という存在によって、登場人物が思い悩みます

そして西宮自身も思い悩みます

 

そのどうしようもない中で、状況だけが変わっていきます

その登場人物の心情や状況がどんどん変遷していく過程面白いです

  

小学校時代西宮登場前と後、高校時代西宮登場前と後と、フェーズが多く

その上家族まで関わってくるため、なかなかに層の厚い話に仕上がっています

 

登場人物の配置

周りの登場人物が、いじめ筆頭から部外者まで連綿と配置されているところも面白いです

現実でも問題の中心に近い人だけが存在するわけではありません

西宮と他の者、石田と他の者の距離感一定ではないのですが、そのことで良いテイストが出ていると思います

  

加害者被害者

加害者被害者というテーマは実際のところ非常に難しいです

バランスを欠くとどちらかにご都合的になったり、ダレたり、気持ち悪さが残ります

でもこの作品はそういう灰汁が出てないんですよね

 

永束くん

永束くん

 

おわりに

聲の形はいいぞ

 

2016-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20160629010749

結構前の投稿だけど知らない間に、予想以上のブコメトラバがついていて驚いた。

フィクション全般否定しているように誤解されたのは俺の書き方が悪かったので反省

まあどっちかというと、そういう作品マンセーしてるやつが気持ち悪いってことなんだけど。

さざえさん等と誤解を招かないように、萌え系かつ日常系アニメって前提で話をすると

気持ち悪いと感じた要因の一つが、視聴者層が異常に現実を恐れていそうで怖いという点。

一部の奴の声が目立つだけかもしれないが、シリアスな展開が出てきただけで過剰に脚本否定したり、

キャラの登場や、存在を匂わすセリフ全否定したり、自分の見る幻想破壊されることを異常に恐れている感じがする。

アイドルタレント恋人がいることを嫌がる層も、幻想破壊を過剰に恐れていて、破壊された時御門違いの怒り方をするという点で似てる。

それこそフィクション偶像なのだから、都合の良さも悪さもまあフィクションだしな、と受容して楽しむ方法を見つければいいのにと思う。

から覚める瞬間の寂しさや名残惜しさ、作品によっては後味の悪さなんかも楽しむのがフィクションだろ。

2016-07-07

真夏の夜の淫夢ロンドンパンクは同じだ

緒言

 ついさっき、こんなエントリーを見かけた。

私は淫夢を憎んでいる - はてな匿名ダイアリー

http://anond.hatelabo.jp/20141116192322

 これは1年半ほど前に書かれた文章で、当時はまだ淫夢コンテンツが隆盛の頃である。それが今更になってTwitterで密かな話題となっていた。この文章を見た瞬間に「俺も持論を展開したい!」と子供染みた高揚感に襲われたので、一つ、書いてみる事にした。

 その持論とはパンクロック淫夢根底では同じ現象であるというものだ。ただ、それを解説する為には、まず淫夢というコンテンツのものについて考えなければならない。

淫夢というコンテンツ

 ここで指すところの“真夏の夜の淫夢(以下、淫夢呼称)”とは、2001年コートコーポレーションから発売された「BABYLON STAGE34 真夏の夜の淫夢」とその他関連したゲイポルノビデオの内容を大手インターネット動画サイトニコニコ動画」に転載した一連のコンテンツである。そもそもは、プロ野球選手多田野数人氏がこのビデオに出演したとされるスキャンダル2002年の夏頃に週刊誌インターネット等で報じられ、それを面白がった2ちゃんねるユーザーがこれを「ネタ」とした事に始まる。要するに、このコンテンツはかなり息の長いものであり、その歴史は14年にも及ぶ事になる。

 一方で、淫夢日本に於けるインターネット文化メインストリームに飛び出してきたのはごく最近である。例えば、ニコニコ動画流行を発生される端緒となったMAD動画である霊夢 so クッキー☆」が投稿されたのが2010年10月30日のことだ。流行の原因はひとえに萌え文化に食い込んだ事にある。当時流行していた東方Projectに乗っかり、馬鹿にするような形で、淫夢は知名度を上げた。そしてこの動画淫夢要素として登場したのが通称野獣先輩(役名:田所浩二)」である最初にこの動画を見ると恐怖と嫌悪感を覚えることだろう。最初アニメキャラのMADなのに、動画後半でガタイの良い野性的な男が突然喘ぎだすのだ。インパクトは大きいが、初めてこの動画淫夢に触れた人間は到底笑う事ができないだろう。

 そう、冒頭のエントリーでも言われていたように、淫夢コンテンツは「人を遠ざけること」を以て成立していた。そして、同時に人気のコンテンツに対して「喧嘩を売る」ことも淫夢を支える原動力となっていた。ところで、冒頭のエントリーでは「理解されることを嫌う」という部分に主軸が置かれていたが、「風評被害」などの全方位爆撃と言われるような無差別迷惑行為が行われる原因には余り言及されていない。そもそも、意味もなく「風評被害」を撒き散らしてコンテンツ占領する事は、淫夢の大きな特徴の一つであるしかしこれを単に「定型文を楽しみたいがため」であると考えるのは早計である。このような無差別破壊行為を行う危険分子には一つ記憶がある。それは1970年代後半のロンドンパンクである

ロンドンパンク淫夢

 パンクロックと言われて皆さんは何を想像するだろうか。まずもってハードコアロック想像する人が大多数であると思う。次にセックスピストルズ連想する人が多いだろう。ここでイギー・ポップ想像された方は私と趣味が合うので、酒でも飲み交わしたいところだ。それはさておき、パンクロックというのは至極曖昧な分類である結論を言えばハードメタルロック特にパンクではない。パンクロックとは、超絶技巧進化しすぎたロックに対する反骨として、若者たち楽器を取って破壊的な演奏をしたことに始まる。パンクロックは常に若者と共にあった。その中でもロンドンパンクセックスピストルズパンク代名詞的に語られる事が多い。そして、今回淫夢ムーブメントと対比して語るのも、ロンドンパンクであり、セックスピストルズである

 パンクロックの特徴の一つとして、演奏適当で、歌も酷く、歌詞過激、という部分がある。最早そこに芸術性などなく、ただ単調な破壊行為のみが残る。そういう音楽である。そして、ロンドンパンク全盛期(のみならずパンクの曲)の歌詞を聞けば分かるが、その内容は全方位爆撃という言葉に等しい。そしてそれが流行した背景には当時の社会情勢があった。1960年代以降のイギリスと言えば「英国病(もしくは"Sick man of Europe")」と呼ばれる長い停滞の時代にあった。特に1970年代後半は労組賃上げ交渉のために社会機能が混乱に陥り、それが更に深刻な影響をイギリス全体に与えていた。

 淫夢流行の端緒となったのは「霊夢 so クッキー☆」であるとの持論を先程展開したが、それでも淫夢アングラ文化である事に変わりは無かった。淫夢一般的にも受け入れられるようになったのは2013年2014年ごろの事である2014年の冬には女子中高生流行語として「微レ存」(“微粒子レベル存在している”という内容の淫夢用語)が取り上げられているなど、ある程度社会に影響を及ぼす立場淫夢というコンテンツが進展している事が分かる。

参考:「Ameba」が2014年「JCJK流行語ランキング」発表 流行語1位は「ダメよ~ダメダメ」、「かまちょ」「KS」など新しいJCJK語も上位に 流行っていたモノ・コト1位は「壁ドン

https://www.cyberagent.co.jp/news/press/detail/id=9551&season=2014&category=ameba

 さて、2010年から2014年の間に何があったかと言えば、2010年ごろから尖閣諸島問題が表面化し、更にGDPでは日中順位が逆転、対中関係政治的にも国民感情的にも急激な悪化の一途を辿った。2011年には東日本大震災とそれに伴う原発事故が起こり、それ以来日本社会に大きな影を落とした。2011年から2012年に掛けては円高が続き、日本経済は大きな不況に陥った。そもそもバブル崩壊以後の日本経済は停滞を続け、災害リスク政治不信など、社会情勢はとても良好とは言えなかった。要するに、日本英国病と何ら変わらない状況に陥っていた。(もしくは今も陥っている。)

 当たり前だが、人間はそういう状況で不満を溜め込むものである淫夢はそういった不満の捌け口となる「パンク的」なコンテンツとして、この頃から急激に勢力を伸ばしていった。淫夢というコンテンツが「人を遠ざける」事を絶対の掟とするのは、この攻撃的な性質と表裏一体である。そして、今度は「攻撃する事」そのもの淫夢価値として利用されるようになった。

 ニコニコ動画に於ける淫夢というコンテンツの裏にはニコニコ動画運営に対する反骨精神が常に見え隠れしている。例えば「ニコニコ本社爆破シリーズ」や「ニコファーレ」を淫夢動画占領するなどといった行為にそれは顕著であるニコニコ動画では卑猥動画は削除されるようになっている。淫夢を題材にした動画もそういった理由で削除される事が多く、「ホモコースト」と呼称されている。ここでのニコニコ動画運営ある意味既得権益層として扱われている。そして、淫夢というコンテンツに集った人間抑制する「大人」として常に反骨の対象となっている。この構造ロンドンパンクでも同じだった。有名なセックスピストルズ契約を中途破棄した大手レコードレーベルEMIに対して中傷を加えるような楽曲EMI』を制作し発売している。

 かつては純粋同性愛者に対する侮蔑意味から成り立っていたコンテンツも、近年では方向性が変わり、日本社会全体に対する皮肉や激しい中傷が込められたものとなっている。

ロンドンパンク終焉淫夢の衰退

 ロンドンパンクは一瞬にして終焉を迎えた事で知られている。例えばセックスピストルズアメリカツアー中に解散し、それからロンドンパンクブームは急激に終息へと向かった。結局はバンドメンバー喧嘩別れなのだが、一般的には「セックスピストルズ時代に果たした役割は終わっていたから」と解説される事が多い。これは何を示すのか。

 淫夢に目を移してみよう。2010年頃、ニコニコ動画淫夢流行りだしたとき流入してきたのは所謂「はぐれ者」のような人間だった。彼らは「人に理解されない」という事を自覚している。そこでそれを逆手に取って、「絶対理解されないコンテンツ」で活動する事にしたのだ。淫夢が隆盛すると、淫夢という荒削りだったコンテンツにも多くの優秀なクリエイターが参入してきた。彼らもまた社会のはぐれ者だったが、その技術力によって淫夢というコンテンツニコニコ動画の中で確実に育っていった。そしてすぐにも一般的人間にも受け入れられるコンテンツへと淫夢は成長した。

 近年のアニメ文化にも同じ現象が見られる。元々深夜帯のアニメは「はぐれ者」の為のコンテンツだった。しかし、深夜アニメコンテンツとしての成長とともに、十分一般大衆に受け入れられるようになってきた。しかし一方でそれは“古参”のオタクと新たにアニメを視聴し始めた人間の間に溝を生む事になった。近頃では、社会的弱者というよりは立場の強い者でもアニメを見るようになったので、そういった人間の行動がオタクの内輪で問題になる事も多くなってきた。(ラブライブに関する騒動など。)

 淫夢でもこれと同じ事が、より急激なスピードで起こった。淫夢大衆化が進み過ぎて、比較的容易に理解されるコンテンツとなってしまった。動画コメントにも「掟」を破るようなものが出てくる。また、淫夢動画自体攻撃する側からされる側へと変化していった。そうなると、過激作品を作る意味もなくなっていく。淫夢に関連する動画を作っていたユーザーは更に先鋭化した動画へと転向するか、もしくは全く違うコンテンツに乗り換える事を余儀なくされた。もちろん、動画を作る人間が残されたユーザーに居なかった訳ではないが、理解しがたい価値からまれる笑いを作り上げる事は難しくなった。現在淫夢では、無意味誹謗中傷を繰り返すタイプコンテンツと、「現場監督」などの更に理解しがたいコンテンツへと興味が進展している。一方でコアな視聴者層流出も止まらず、最盛期にはニコニコランキングのその他カテゴリ10位以内を常に占拠していたが、今では半分にも満たないことが多くなった。

 セックスピストルズの解散理由であるところの「役割が終わった」とは、言い換えれば過激な事をしても面白くなくなったということである自分自身メインストリームに近づいてしまった事により、メインストリームに対する攻撃を加える事が最早できなくなった時点で、ロンドンパンク現在淫夢というコンテンツ終焉や衰退へと向かう事は規定路線であったということである

淫夢日本社会に残したもの、これから果たす役割

 攻撃的で人間を遠ざけるようなコンテンツは何も淫夢だけではない。2ちゃんねるの「なんでも実況板J」発のコンテンツには類似した攻撃性、特殊性を持ったコンテンツが多く存在している。一つは野球選手を題材としたカッスレなどの誹謗中傷を行うコンテンツである。もう一つは聞いた人も多いと思うが唐澤貴洋弁護士に対する一連の誹謗中傷である。どちらも淫夢より更に先鋭的であり、社会に与える影響もコンテンツの規模に比して大きい。後者特に爆破予告やGoogleMapの書き換え騒動などで、社会に対して影響を与え始めている。

 そしていずれも淫夢コンテンツに集っていた人間ユーザー層が被っているという事が重要である。そして、これから淫夢と同様に勃興していく可能性を秘めている。それはつまり淫夢というコンテンツはもしかするとこれから起こる日本社会全体に対する反抗的ムーブメントの始まりに過ぎないかもしれないということだ。淫夢というコンテンツは「因縁を付けて他のコンテンツ占領する」という重要特性を発現し、それが日本アングラインターネット文化に与えた影響は大きい。

 パンクロックが「タブー無視した過激表現」という点で後の様々なコンテンツに影響を与えたように、もはや淫夢というコンテンツ日本の文化に与える影響は無視できないものとなっている。冒頭の記事で「ニコニコ動画を滅亡させるもの」として記述されていた淫夢は、果ては日本一種意味で「壊す」コンテンツとしての役割を担う可能性がある。淫夢ニコニコ動画であり、日本でもあるのだ。つまるところ、今起きている淫夢というコンテンツ拡散はこのコンテンツ特有事象ではなく、もっと巨大な社会的情勢の要請から来るものであるという事だ。

 では、我々は次に何をすべきか。社会を食い潰しながら、次々と勃興しては衰退する攻撃的なコンテンツを前に、それをどうするべきか。淫夢風評被害を広める人間が悪い訳ではない。唐澤貴洋に殺害予告をする人間が悪い訳でもない。そしてパンクロック演奏した人間が悪い訳でもなかった。彼らに対して批判を加える前に、彼らに対して何ができるのかを考えてみてほしい。

2015-08-30

Netflix vs Hulu日本では Hulu が勝つだろうなあ

テレビを観てる世代の大半は「昔の面白いコンテンツをまた観たい」という願望が強い

8時だよ全員集合、めちゃイケ、おかげでした、ガキの使い・・etc

Hulu日本テレビコンテンツに力を入れ始めている

そんななかでフジテレビ視聴率が底をつき、いよいよテレビ企業として倒産に追い込まれている

もし、先でフジテレビコンテンツ提供するようなことがあれば

テレビ視聴者層はどっと押し寄せてくるだろう

その可能性があるのは Hulu しかない

そして個人的にはギルガメッシュナイトが観たい・・

2015-06-04

フェミニスト大家非モテ芸人

爆笑問題のニッポンの教養 動画 「女と男仁義なき戦い上野千鶴子女性学)」 

http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-10689.html

番組開始して10分すぎても、上野さんがおもしろいことを言わない。

爆笑問題の2人は番組ホスト役だから聞き役となって、ゲスト上野に好きにしゃべらせている。テレビ番組としてだんだん困ってきたという感じになってきた。主役の上野自分テーマ提示として冒頭は好きに話していて、爆笑問題太田田中も相づちを打つような感じであるにも関わらず、とくにおもしろいことを言わない。男はもろいよねえ、とか、男どうしの張り合いはムダだよねえ、とか、その程度の話に終始していた。

これが日本フェミニスト大家なのか、という脱力感だった。というのは、自分は今まで本らしい本を読んだことがなく、ここ3~4年で社会評論の本を読むようになって、誰がスター選手なのかをだんだん把握しはじめているところだった。上野の本も何冊か読み、重要ポジションにあることを知るようになった。上野は、紅白に出る北島三郎和田アキ子みたいなランクにある。それを知ってから上野に絡むネット情報で、この番組存在を知った。実際に放送されてから数年経って見たことになる。

10分過ぎたところで上野は、秋葉原事件の例をあげ、ネットコミュニケーション否定してみせた。秋葉原事件犯人は、自分には恋人がいない、恋人がほしいということをネット掲示板で訴えてた。それはダメである上野は言った。

ここに太田はやっとというか、反論する場面を得たような感じで、ネットの会話が何が悪いのかと言う。

ネット書き込みダメだと言うのは、明らかに時代錯誤である。ここが上野のつまづきだった。単に古い人間だったことが露呈してしまったのだ。ブログもいいし掲示板もいいけど、LINEダメだというような、新しいものを怖がる素朴な大人のひとりに大幅にランクダウンしてしまった感じになった。

自分は、『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』という本を読んだことがある。http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%99%BA%E5%A4%A7%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%B2%B3%E5%BF%97/dp/4022617667

加藤智大は、実生活での友人もおり、女友達もいた。また、男女関係ではないが、女友達の家に泊まったこともある。風俗にも行っていた。ゲームネットもやる。非モテではあるが、引きこもりではないし、それほど不利な立場にいたわけではない。異常な母子関係問題の核で、ネット問題二次的なものだと映った。

爆笑問題ふたりは、どちらもかなりの元非モテで、それが上野のとって相性が悪かったようにも思える。

上野は、男のここがダメだ、あそこがダメだ、ネットダメだ、男は変わるべきだ、男は生身の女と会話しろ(直接の声掛けとか電話とかになるのか)というばかりだった。論理を言わない。論理を聞きたいのに。

ここに、田中がついに反論してしまった。太田が吠える役なのに。男に変われと要求しているが、ジャニーズ事務所にキャーキャー言う女の子を見ても、女の子のほうだって何十年も何も変わっていない。フォーリーブスからたのきんトリオから光GENJIのように。田中は、自分の背が低いことをコンプレックスに思って育ってきて、モテる男性女性が寄っていくという場面をみただけで傷つくという主張をした。これに対して、上野説得力のある話を展開できなかった。

上野は、自分は弱いとカミングアウトしている男性には、歯がたたないということだったのか。強がっている男を叩くことには長けていても。

爆笑問題テレビ番組に出るということは、視聴者層がだいぶ違う。文化人にとって、実質的テレビデビューに近いと思う。文化人しか出ないの討論のテレビ番組視聴率が低く、何十年もテレビに出ていても認知度が大したことがないと思う。ここでコケたのは、ダメージは大きかったのではないか。

番組ロケ場所は、秋葉原メイド喫茶だった。そこに上野は、AKBみたいなミニスカート衣装を来て登場した。メイド喫茶で喜ぶ男はダメだということも言った。自分が嫌いなものをただ並べているだけで、これではマズイ。秋葉原メイド喫茶で、秋葉原事件の話を持ちだしたのだからロケ場所指定上野も関わっていたと思われる。自分の読者以外の視聴者意識して、媚びてしまったのではないか。

『ためらいの倫理学』(2001年http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9F%E3%82%81%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AD%A6%E2%80%95%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%83%BB%E6%80%A7%E3%83%BB%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4043707010 という本で、上野10年以上前から強烈に批判されていることを知った。

上野は、『マルクス主義フェミニズム』という流派であるらしい。他にも流派はあるらしく、アメリカ前衛派は、黒人差別男女差別を同列に扱い、その派生として、トイレも男女いっしょになるのかという極論もあったらしい。黒人は、レストランバストイレも、席が別だったという理由で。日本にも、脱・上野路線みたいなものがあるらしく、フェミニストどうしでも批判しあっているそうだ。

はてな記法がわからない。

2015-05-12

大人の遊び場はいつも子供に潰されてる

ネットがつまらなくなったのは子供大勢でつまらない情報を発信するようになったからだ

動画サイトがくだらないコメントで溢れかえるのは子供のちょうどいい暇つぶし場所になってしまたからだ

アニメの主役が高校生ばかりで表現の幅が狭くなったのはそれくらいの年代視聴者層ばかりになったか感情移入やすくするためだ

アニメに限らずエログロ規制を入れなきゃいけないのは子供も見るようになったからだ

子供情報発信して大人にプラスになることは何一つない

子供が発信する情報なんて何の役にも立たないし面白くもない

子供は大人が整えた場所を好きなだけメチャクチャにして去っていく

いや去っていくならまだよかった、そのまま居座る

居るだけならまだいい、しょんべん撒き散らして後始末は大人の仕事

「(面白い|価値のある)場所」が「(つまらない|無価値な)場所」になるのはいつも子供のせいだ

精神的な意味も含めて

2015-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20150104153111

「わかっている」というのは君の思い込み

人口の大半を占める地方人間には、そういったことは明確ではない。

いわゆるテレビの主要視聴者層である、「高卒で50歳の専業主婦」以下の人間でも分かるような形にしておかなければマスとしての影響力はないだろ。

2014-11-21

アニメBDが売れない理由について

視聴者層が現役ニート

まり入力がないのが大半を占めてるため。

ネットで大絶賛されていてもそれが売上げに反映されないのも当然である

2014-09-02

はてぶの人気エントリーカテゴリSF」がニコニコランキングの「ニコニコインディーズ」化している件

たぶん両方のサイトを見ている人なら理解できると思う。

この1カ月ランキングの変動がほとんどない。

ニコニコでは

ボカロとNNIでは元の再生数・視聴者層の数に差がありすぎて、ボカロP制作したボカロ不使用のオリジナル作品などが延々とランキングに残っている状態。

わざわざNNIを検索して探す人が少なく、ランキングからたどる人が圧倒的に多いためこうなっていると思われる。

おそらくはてぶでは

アニメゲームと内容が被るSFタグのついたブクマと、ホットエントリーに表示され続けているブクマさらブクマが集まる

新たに独自にSFタグをつける人が少ないのが原因なのではないかと思う。

2014-08-06

萌えアニメと腐アニメ共通点

ホームページキャラクター紹介の所を比較すれば分かるけど、

まず萌えアニメキャラクター紹介では女の子比較的可愛く男の子比較適当に描かれる。

但し男の娘属性とやらで中性的男の子は可愛く描かれやすい。

次に腐アニメキャラクター紹介では男の子比較的格好良く男性的な路線を往く中女の子比較的地味に描かれる。

但し最近は女主人公など特定キャラクターは見栄えが良くなってる。

結果、双方見る層に合わせたキャラクター設定にされがち。

まり両方共視聴者層が偏る傾向にあるのは原作からスタッフまで意図してやってるから仕方のない事。

2014-08-02

アイドルオタクばかりでつらい

生まれてこの方、アイドルに興味を持ったことがなく、そういう趣味はあったとしても、20歳までには卒業するべきだと思って生きてきた。

しかし、ネットとかを見ていると、あまりおっさんアイドル話題で盛り上がるのがつらい。

アイドルテレビに出れば実況でツイッタートレンドが埋まるし、アイドル好きを公言する野球選手とかも現れるし、

あげくのはてに、政府までも、アイドル日本の文化として海外積極的に売り出そうとか言い出す始末。

こいつら本当に頭大丈夫かと思う。

まり言いたくないけど、最近日本社会が幼稚に見えるのは、アイドルとかに影響をうけすぎているからなのではないか。

(そして凶悪犯罪者の家からAKBポスター発見されると、「AKB関係ないだろ!」と言って顔を真っ赤にして怒るし。)

そもそも子どものものであるべきアイドルを、子どもは寝ていなければならない夜中にやること自体、間違っている。

おっさんターゲットにして、本来視聴者層である子どもたちを完全無視したマーケティングって、ありなの?

いい歳をした大人ならば、もっと他にたしなむべき趣味はあるはずで、

アイドルうつつを抜かすことが恥ずかしいことだということを、いい加減気付いてほしい。

http://anond.hatelabo.jp/20140802002012

アニメオタクばかりでつらい

生まれてこの方、漫画アニメに興味を持ったことがなく、そういう趣味はあったとしても、小学校卒業するころには卒業するべきだと思って生きてきた。

しかし、ネットとかを見ていると、あまりに「大きなお友達」がアニメ話題で盛り上がるのがつらい。

日曜日の朝にはアニメの実況でツイッタートレンドが埋まるし、アニメ好きを公言するアイドルとかも現れるし、

あげくのはてに、政府までも、アニメ日本の文化として海外積極的に売り出そうとか言い出す始末。

こいつら本当に頭大丈夫かと思う。

まり言いたくないけど、最近日本社会が幼稚に見えるのは、アニメとかに影響をうけすぎているからなのではないか。

(そして凶悪犯罪者の家からアニメポスター発見されると、「アニメ関係ないだろ!」と言って顔を真っ赤にして怒るし。)

そもそも子どものものであるべきアニメを、子どもは寝ていなければならない夜中にやること自体、間違っている。

大きなお友達」をターゲットにして、本来視聴者層である子どもたちを完全無視したマーケティングって、ありなの?

いい歳をした大人ならば、もっと他にたしなむべき趣味はあるはずで、

アニメ漫画ゲームうつつを抜かすことが恥ずかしいことだということを、いい加減気付いてほしい。

2014-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20140712190000

話通じてるかな

ネットに女叩きより男叩きが多い場所存在しないのは

そもそも「叩き」が多い場所の住人が男だらけだからだ、という話なんだけど

 

ネットでの叩き行為」全般の大半が男なら、

ネット上で「男による女叩き」が「女による男叩き」を上回るのは当たり前でしょ

 

テレビの主要視聴者層主婦から男を叩く番組のほうが女を叩く番組より圧倒的に多いのと同じ

2014-05-12

マイルドヤンキーに思うこと1(視聴率が欲しければマイルドヤンキー

今日ネットNHKマイルドヤンキーを扱っていたとニュースを読んでいくつかマイルドヤンキーについて思ったことを書きたくなった。

まずはじめに視聴率が欲しければマイルドヤンキーを狙えということ

笑っていいともが終わり正午の視聴率競争が激化した昨今

ヒルナンデス番組が始まった頃の大方の予想を裏切って視聴率が良いという話を聞いた。

なのでヒルナンデスをちゃんと見てみることにした。

この時、最も思ったのは日テレ製作陣はなかなかおもしろいところに目をつけたなあと言うこと

もっと簡単にいえば最近話題になっているマイルドヤンキーという層が必要とするような情報

具体的にはしまむらユニクロアウトレットモール芸能人がコーディネート対決をしたり

車で行けるような郊外型のレジャーを中心に扱うといった感じの日常の延長線上に有るよな内容をメインとして扱っている気がした

何がいいたいかといえばいわゆるマイルドヤンキーと言われる層が好みそうな内容という事

確かに地方マイルドヤンキーからすればその性質から東京芸能界など全く興味が無いわけで

そう言った人たちからすれば東京情報芸能界内輪ネタなど全く見る気がしないのは分からないでもない

その辺りの視聴者需要を上手く汲み取って番組を作っているヒルナンデスにはなかなか優秀だと思った。


そしてそういった目線からTVを見てみると、面白いことに近年比較数字の稼げると言われている番組

具体的には全国チェーンの飲食店タイアップしたような番組だったり日頃目にする食品工場を取材したような番組

あとは日本を称える系の番組サッカー国際試合だったりは

いかにもマイルドヤンキー層の日常の延長線上だったり好みそうな内容である事に気がついた。


この目線で見ると少し前の事になるのだが

あの低視聴率であえぐフジテレビで一時期ヘキサゴンものすごく視聴率が良かったのも番組を作っている島田紳助元ヤンキーでそう言った層と好みが重なったからなんじゃないかと思う

具体的には仲間・絆・何かをみんなでつくり上げる番組構成が正にマイルドヤンキーが好みそうなヨサコイソーランを彷彿とさせる

話しが飛んだので元に戻すと

そう考えるとこの手の内容はテレ朝テレ東が得意とするジャンルで近年視聴率が良いと言うのもうなずけるしその逆でこの手の番組づくりが下手なフジなどは視聴率が低下するというのも納得がいく

ではフジの何がいけないのか?

フジというのはバブル期に持て囃された東京至上主義・世の中は業界人(言い換えると高学歴エリート)に皆憧れそれを目指しているという前提に立った内輪ネタなど明らかにマイルドヤンキーから嫌われる要素しか無いからだと思う

まりこの違いがテレ朝テレ東フジテレビとの視聴率の明暗を分けているのだと思う

まりこれからの低視聴率時代である度数字を稼ぎたいと思ったら

これらの層が好みそうな番組作りをすれば数字が稼ぎやすいということが言えるのだと思う。

ではなぜマイルドヤンキーの好み=視聴率が良いのだろうか?

その理由はインターネットの発達と労働時間の長時間化に伴い最後TVを見る層として残ったのがマイルドヤンキーと言われる層だからではないかと思う

従来のTVを見ていた視聴者層のうちマイルドヤンキーではない層

例えばネット親和性の高い層(簡単に言えばオタク)はネットへ移っていったし

都市部ホワイトカラー地方ブルーカラーに比べて労働時間が守られにくく残業時間通勤時間TVを見る隙がない

更に言えば昼間家でTVを見れる層と言うのも結婚して子供がいるような家庭の主婦層がほとんどだと思う

そしてそう言った層の多くはこのマイルドヤンキー家庭に属する

そう考えるとこれからTV番組作りはどういった人たちを対象にすればよいかは自ずと見えてくる気がする

長くなったがマイルドヤンキーニュースを見て思ったので書いてみた

2014-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20140420000938

想定してるのは民放だと思うんだけど、そういう内容ならテレビ情報リーチする相手を考えようという話。

ニッチな内容だけを取り上げる番組は、視聴者層を考えれば需要は少ない。

CS放送や専門誌、Webサイトが適しているよね。

科学リテラシーの話はどこかが取り上げても良いだろとは思うけど。

2014-04-13

コンビニ店長氏を増田で批判していた人物について

日常雑感系ブログというジャンル自体が糞なんだよ。
トップにいたコンビニ店長がそもそもつまらなかったし、
まつたけコウモリ、ズイショあたりは、
いわばコンビニのことを語らないコンビニ店長であり、
もう目も当てられないつまらなさだ。
日常雑感系ブロガーは早く絶滅しろ

はじめに言っておくが、俺はブログを読むのは好きだよ。
毎日色んな人のブログを読んでる。
趣味仕事の話って、人の温かさを感じられて楽しいからね。
 
でもはてなブロガーは駄目だよ。
 
コンビニ店長 まつたけ コウモリ ズイショetc
 
この手の奴らな。
はてなで有名になりたくて、ライフハックや文章術やブログ論といった
はてな自意識文化に染まりきった卑しい文章を書いてる奴らだよ。
はてなブロガーという無能集団

これらの増田を書いたのは恐らくはid:change_k=id:Haruo_M氏である(なお、この2つのidが同一人物なのは例えば、 d:id:Haruo_M小春チェン児(MIDI箱作)が自アンの出来事を記録するブログと書かれており、http://d.hatena.ne.jp/Haruo_M/20100626ようするに、アクアリウムDTMミステリ趣味とするchange_kと、元・小春チェン児の自アン民:深山春生は、まったくの赤の他人として活動していくことになる。といった記載があること等からわかる。以下氏のことを小春チェン児氏とする)。更に、以前コンビニ店長ことid:nakamurabashi=id:lkhjkljkljdkljl氏現在はどちらのidも消滅。以下店長氏とする)を長きに亘り増田で批判していた(「つまらない人気者は悪なんだよ」が最後かな? もっとあったかも)のも同様の人物だと思う。

根拠は例えばこの辺等。

はてなブロガーまつたけ氏がブログをやめるそうだ。
度重なるアンチの攻撃に疲れたのが主な理由とのこと。
そのニュースを聞いて初めて読んでみたが、なんだか某コンビニ店長
思い出させる文章で、正直うわぁ……となった。
ブログのおもしろさについて - 夏男ノートid:change_kのはてなブログ

コウモリ氏とズイショ氏は似ている。どちらも無駄な文が多くてだるくて読めない。似た者同士仲良くすればいいのに。
はてなブックマーク - change_k のブックマーク - 2014年2月20日

他に、こういう細部も一致している。

私は学生時代パチンコにはまっていた。
暇さえあればパチンコ屋に行き、ろくに勉強しなかったし、両親にも経済的迷惑をかけてしまった。
同じ大学パチンコ仲間だった友人とは今でも付き合いがあるが、今の私達はパチンコ反対派であり、
どうすれば日本からパチンコを無くせるだろうか、という話をよくする。
「自戒を込めて」はコンビニ店長案件

大学時代にパチにはまっていた経験から言えば、記事の主張に同意。パチは時間の浪費に加えて、気性、生活リズム、金銭感覚、車の運転に確実に悪影響が出る。人生を狂わせる力がある。
はてなブックマーク - change_k のブックマーク - 2014年2月1日

又、小春チェン児氏は(元?)自アン民のようだが、d:id:Haruo_Mを見ると、特定自アン民(主にナトリ=id:natori氏と、 id:matakimika氏)を批判する記事が多く、その点でも店長氏をずっと批判していた匿名ダイアリー書き手と共通する雰囲気を感じる。

アラフォーニートのナトリが、同世代普通に自立して暮らしているヤマカン氏に対して、
些細な国語ミスを指摘して得意気になっている様子がすでに哀れだが、
その指摘内容が間違っているときては、みじめすぎて目も当てられない。
ヤマカン氏に迷惑をかけるナトリ - 小春チェン児

天才品川さんが嫌われるワケ
 
・無節操文化人ぶるから → 本物志向に嫌われる
・イッチョカミだから → パイオニアに嫌われる
・無教養でかつ自覚がないから → 知的層に嫌われる
・ニセヤンキーから → DQNに嫌われる
・あらゆる分野のニワカだから → ヲタクに嫌われる
面白くないから → お笑いファンに嫌われる
イヤミ性格が悪いから → 同僚・後輩に嫌われる
・人を見下すから → スタッフから嫌われる
・体を張ったギャグがないから → 子供無視される

 
2ちゃんで見たコピペ
上に挙げられている項目を見て、すぐにmatakimikaのことが頭に浮かんだ。
節操文化人ぶる、無教養でかつ自覚がない、あらゆる分野のニワカ、面白くない、人を見下す……
これらはまさしくmatakimikaの特徴である
 
品川祐とmatakimika matakimikaと東浩紀 - 小春チェン児


とりあえず両名への批判記事を一つずつ部分的引用したが、他にも沢山の批判記事がある。d:id:Haruo_Mから「ナトリ」「matakimika」で検索をかけてみればわかる(が、「ナトリ」に関してはカテゴリに既に「ナトリ」というのがあるくらいなので、そこを見ればわかる)。個人的にとりわけ衝撃を受けた記事は、id:matakimika氏を批判する歌詞歌詞内では名前こそ出していないが後の文章から察するにそうなのだろう)の自作曲を紹介しているものだった。

我ながらずいぶんと馬鹿げたものを作ってしまったけど、よかったら聴いてみてください。
 
自作曲「人文ワナビー」 - ニコニコ動画:GINZA引用者註 ニコニコ動画へのサムネイルが埋め込まれていたがそのまま引用できないのでリンクに変更した)
人文ワナビー
 
作詞作曲 深山春生
 
 
どこへも行けず 誰にもなれず 30過ぎて 40過ぎて
頑張る人を笑っていても 信じる言葉は見つからいね
 
Uh 観念的さbaby Uh 根拠も無いさ
Uh 値札のついた新事実 みんなに知らせたい
 
人文ワナビー また君か 人文ワナビー ため息ひとつ
斜に構えて一夜漬け プライドけが膨らんでく
人文ワナビー うぬぼれに 人文ワナビー 飲み込まれたら
ふもとの町でキャンプして 山の怖さを語りあかそう
人文ワナビー
 
 
読書のツボは 著者のキャラクター ファンの学歴 帯のキャッチコピー
見えない服を見た気になって 見た事実だけをはてダに書いた
 
Uh 抽象的さ全部 Uh 結論ばかり
Uh マイナーメジャーを見かけたら とりあえず舌を巻け
 
人文ワナビー また君か 人文ワナビー ウンザリするぜ
インテリ作家インテリア 新書の棚が膨らんでく
人文ワナビー よしなごと 人文ワナビー つれづれつづれ
子供プールに飛び込んで 海の広さに思い馳せよう
人文ワナビー
・それにしてもmatakimikaのブログはみっともない
 
http://d.hatena.ne.jp/matakimika/
ブログの内容としては、ちょっとした身辺雑記や、わざわざ文章にして説明する必要もないほど平易でありふれた
抽象論や観念的な見解さらには、思考実験という賢そうな営みにあこがれて、無理やり無駄なことについて
考察を試みたとしか思えないような意見を、学術的な響きを持った単語レトリックによって装飾するというもの
その単語レトリックの例を挙げると、「ジャーゴン」「クラスタ」「コンテキスト」等の横文字や、
テキ屋さんの生態系」「言説の生み出した重力運動圏」などの比喩表現がある。
もとの主張が中身に乏しいところへ、世間にそれほど馴染みの無い単語レトリックにわか仕込みで盛り込むものから
もったいぶった語り口と平易な内容との調和がとれず、羊頭狗肉のれんに腕押しな感触の不格好な文章ができあがってしまう。
いくら専門的な言葉を多用したところで、matakimikaが日ごろ書きつづっているのは、客観的な資料や積み重ねた実践経験等を
根拠に用いながら結論の妥当性を証明する類の文章ではなく、短絡的な感想を結論として並べただけの、いわば散文記にすぎない。
散文記ならば散文記なりの言葉を選んだほうが格好がつくし、読者にも内容が伝わりやすいのではないだろうか。
自作曲「人文ワナビー」 - 小春チェン児

色々と凄い。

尚、以前の店長氏を批判していた匿名ダイアリーについては、実は当時既に少なくとも3人の方が小春チェン児氏が書いたものかもしれないと感づいていたようなので、参考として紹介しておく。(なお、3名とも自アンに居る、又は居たことがある方のよう。自アンでは氏はそれなりに名が知られているのだろうか)

id:natori氏

http://twilog.org/natori/date-130501 (ナトリ氏のtwitter log

自動アンケートはてな検索したら小春チェン児が俺を叩いていたー! http://d.hatena.ne.jp/Haruo_M/2013045/p1…

アラフォーニートのナトリが、同世代普通に自立して暮らしているヤマカン氏に対して←うーん増田はてな特定のやつ叩いてるのコイツじゃねえかなあ アラフォーって単語好きすぎる所とか

相手の発言から「natoriはオーストラリア長野岩手旅行している」と収集した後になんの脈絡もなく「でもニートから絶対親につれてもらって旅行してる」とかわけわからんロジックなのが似てるのよなー http://d.hatena.ne.jp/Haruo_M/20121110

>何年か前にも、私が自アンで、自作組曲が完成したらニコニコ動画で公開する予定だと話したとき、ナトリから「某所の組曲だと他者による良曲選集みたいなもんなのに自分で作っちゃう所がお前らしいな」と冷やかされたことがある。

すんげえな 俺が全然覚えてない事をちゃんと覚えている

組曲意味すら知らないクソナトリ」というdisポイントなんだろうけど そういう組曲意味すら知らない視聴者層の土壌にオリジナル組曲作って発表しようとするのマジ小春らしいなって思う気持ちは今でも変わらないよ…

つーか監視してるんなら俺も増田粘着デビューさせろや小春 自アン追い出してはてなに逃げた奴を使うのは禁じ手に近いが構わん

id:miruna氏

miruna MIDIサイトをやっている
はてなブックマーク - 有名人が書いたつまらない記事

miruna MIDIサイトを(略
はてなブックマーク - コンビニ店長の何が求められているのか

miruna MIDIサ(略
はてなブックマーク - これでもコンビニ店長を支持しますか?

※私は自アン民でないので文脈がよくわからないのだが、どうやら「MIDIサイトをやっている」といえば小春チェン児氏のことを指すっぽい。d:id:natori何件か言及があるがよくわからなかった。小春チェン児氏は確かにd:id:change_k自作曲を公開しているようだが、氏が過去に「MIDIサイトをやっている」と発言したということなのかな?

id:carl_b氏

carl_b "創作系のサイトをやっている"で小春チェン児みたいだなーと思ったら、俺だけでなかったみたいなので安心した
はてなブックマーク - 有名人が書いたつまらない記事


以上。もし事実誤認があればブックマークコメント等で指摘を頂ければ訂正する。

※ここから蛇足。私は店長氏本人についてはよく知らないので特に何とも言えないのだが、氏をTwitterで批判していた人がアカウント凍結を食らっていたのを見た経験から、氏のファンの一部に対する印象は悪い。(無論、批判の所為で凍結されたという確証はないが。)余計なことかも知れないが、一部の過激なファンにこの記事が利用されるのは私の本意ではないので、お断りしておく。ついでに、上で名前を出したid:miruna氏は店長氏に対してはこの下衆とあの増田の間にどれほどの差があったのと真面目な感想を書いときますね。と書いているように、可也批判的な立ち位置だったということも、念の為誤解の無いよう記しておく。

2013-08-17

半沢直樹に心躍らせる人々の虚しさ

半沢直樹おもしろい。普段ドラマなんて滅多に視聴しないのだけれど、これは不毛地帯以来なように思う。

半沢直樹を観ていて自分が感じた違和感というのは、おおよそ金融日記:ドラマ『半沢直樹』の感想 ―銀行員たちは何を賭けて戦っているのか?で指摘されている部分と概ね等しいと思っている。

要するに半沢直樹は、社畜社畜による社畜のための英雄譚なんじゃないかと。

半沢直樹にワクワクする視聴者層と、リッチマン、プアウーマン、多分厳密には、ソーシャル・ネットワークにワクワクする視聴者層は、きれいに分かれているんじゃないだろうか?

両者の違いは、登場する主人公ヒーローの背景だけじゃないかな。

もちろん主人公の設定はストーリー全体に影響を及ぼす重要な要素なんだが、この設定が、半沢直樹ソーシャル・ネットワークでは真逆なわけだ。

まり社畜か?起業家か?

自分は一応、起業家もとい経営者の身なので、ソーシャル・ネットワークは本当に楽しめた。120分程度のボリューム程度の映画なので、10話完結のドラマとは楽しみ方が違うとは思うけど。

金融日記:ドラマ『半沢直樹』の感想 ―銀行員たちは何を賭けて戦っているのか?で指摘されている『出向』に関してだが、コメントでも色々と賛否があるようだけれど、賛否の大部分の問題は、『出向』すると給料が下がるのか否か?みたいな話らしい。

個人的な考えだが、正直どっちでも関係ないと思っている。

だって給料は出るんだろ?じゃあ別にいいじゃないか

というのが個人的な感想プライドを賭けるってのも分からない話じゃないが、プライド定義が狭すぎる。

社畜自尊心最終防衛ラインみたいな趣を感じる。

ただ社畜主人公な時点でつまらない。起業家主人公だとおもしろい。って話でもなくって、

例えば半沢直樹物語の中では、工場経営している社長経営者が頭を下げて、時には涙を流して銀行員にすがりつく、もしくは感謝するシーンもある。

実際IT界隈のベンチャー企業では銀行員が相手ではないかもしれないが、VCだったりには、まぁ概ね同じような気構えでお会いしたりするわけで。

なんというか、結局のところ、起業家経営者だってドロドロとした面倒な問題や、先方に頭下げまくったり、競合に出し抜かれたりは当然あるんだけど

社畜だって、そりゃぁもう、同じかそれ以上にドロドロした世界が広がっているんでしょう。

それが視聴者の胸を打つというか、「倍返しだ!」とか言ってみてぇwww とかそういうアレなんだろう。

それについてはホンモノの銀行員から見たドラマ『半沢直樹』の感想が興味深い - NAVER まとめが興味深い。

最近企業務めの友人と会うと半ば必然的半沢直樹が話題に上がるんだけど、そこで感じたことは、

楽しみ方の方向がソーシャル・ネットワークだけじゃなくって、不毛地帯とも違う。


みんな楽しみ方があるあるネタ漫才と同じっていう共通項があるらしい。

うそう、俺達の世界はこういうドロドロとした苦しみ、耐えねばならぬ世界があるわけよ。みたいな。

ソーシャル・ネットワーク不毛地帯も、視点経営者視点なんだよね。

物語のものの絵としてはは、そりゃ現場しこしこ工場おっさん相手に根回しするよりは、豪華な料亭談合する方が映えるだろう。クラブで女を侍らせながら、世界をひっくり返す野望を語る方がよりセンセーショナルだろう。

でもそういうのって、直感的にそれがリアルものには感じられないんだよね。それが例え、あり得る現実世界のものだとしても。

結局なにが言いたいかって、きっと自分主人公の設定がひっくり返るだけで、同じように胸を打ち、同じようにあるあるネタを肴に酒を呑むんだろう。

それはわかっているんだけど、なんだろう、この虚しさは。

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