はてなキーワード: 研究対象とは
上の記事などの今回の論文にまつわる意見を読んでいて気になった論点や意見を列挙します。何か思いついたりおもしろいのを見かけたら追記します
pixivの小説の文章を論文に載せている点とpixivの小説を研究対象として解析している点は別の問題点だという意見があるので、それらは別に扱います
有害指定については自分が勝手に脳内で付け加えてしまったのかもしれないけれども、
なんの説明もなく「有害」という言葉を使われると有害指定の話かと危惧してしまったのは今回のpixiv ユーザー側の反応も同じじゃないのかな
大学側がそういう相手を研究対象に選んでしまったのだということも踏まえてもらえるとありがたい
の違いが説明されなくても理解できるコミュニティであればこんなに問題にはならなかった
問題になってしまったのはpixivユーザーが悪かったのかもしれないが、そのpixivユーザーを相手に選んでしまったのは大学側でしょう
バカを相手に選んでおいて、そのバカが騒いだからといってバカをバカだと罵っても、そのバカを相手に選んだのは大学側でしょう
上にも書いたように「有害指定されること」を恐れている気持ちがあるからこその自主規制でしょう
自主規制でゾーニングしている範囲内であれば、「有害」であっても存在自体は認めてもらえていると思っている
ゾーニングもせずに公にして有害指定されてしまったら存在自体が認められなくなるのではないかという恐怖がある
書店やコンビニでもゾーニングしていれば成年向けを置くことができているけれども有害指定されてしまえば置けなくなってしまうのと近い感覚とでもいえばいいのかな
公表された(と見なすべき)作品を自由に利用できるかどうか、そして作者に不快な感情を抱かせる利用形態についてどう対処すべきか、実用的な面から考えてみたい。
http://hibi.hatenadiary.jp/entry/2017/05/28/130000
上記の記事では、「公開」「半公開」というカテゴリを作り、後者の「ネット上にあって、閲覧資格を制御することによって、公開のあり方に制限がかかっている」場合には配慮が必要だとしているけど、ポイントはそこではなく、「個人のコンテンツ作成者が公開状態を自由に制御できる」という点ではないだろうか。「公開」「非公開」を自由に制御できるというウェブサイトのあり方は、学術の世界の中ではあまり想定されていなかったことで、現時点で有効な対処が出来ているとはいいがたい。
例えば、
http://anond.hatelabo.jp/20170525145352
NHKウェブ版の記事を引用するときとか、政治家の人のホームページを引用するときとか、めちゃくちゃ大切な情報が書かれている個人ブログを引用するときとか、くっそ面白いウェブ小説を文学作品として研究するときとか、Wikipediaにデタラメが書かれているから批判したいときとか、そういう個々のコンテンツそれ自体に価値があって第何版を見たのかが大事なときにはURLは必須だし閲覧日も載せるべきです。
これは至極真っ当だし大抵のガイドラインにもそう書かれていると思うけど、Wikipediaみたいに過去の版にアクセス可能なウェブサイトでもない限り(=ほとんどのウェブサイトにとっては)、意味が無い。過去にどういう情報が掲載されていたとか実質的には検証不可能だからね(魚拓を取って魚拓のURLを載せるとか、著作権法的に大丈夫なんだろうか)。個人が個人の責任において公開するコンテンツにおいては、「気持ち次第」で公開を取りやめてしまうケースだって考えられるわけでしょ(もちろん企業のウェブサイトにおいても考えられるが、ここでは取り扱わない)。だから、研究に使用することによって「非公開」(=利用不可)とならないように許可を取るべきではないだろうか。
このような考えは、例えば「腐女子にとって二次創作小説は著作者の人格と切り離せない云々」という説明よりは遥かに納得しやすいと思う。(もちろん、腐女子に限らず(今回のケースでも全ての作品がBLではなかったように)個々の作者の事情を理解する/理解してもらうことは必要かもしれないけど、納得してもらうのにはかなりハードルが高い。)そして、今後想定されうるであろう、「Webで公開された二次創作小説を文学的研究対象としてガチで研究する」ケースにも対処できるんじゃないだろうか。
ちなみにだけど、「ものごとをうまくまわすための配慮」なんてのは古典に限らず近代でも現代でもやってる。遠巻きに「研究」するのなら著作者を怒らせようが何しようが構わないんだろうけど、例えば著作者や遺族から、作品の成立にまつわる資料を得ようとする場合、彼らとうまくやっていく必要があるわけなんだよね。
ただし難しいのは、「私の配慮」が「相手にとっての無礼」と受け止められるケースがあるわけで・・・。そうなってしまった場合、「配慮してますよね!」「この無礼者が!」と延々と殴り合わないようにじっくり話し合ってくださいね(無理な場合もありますけどね(体験談))
まず腐女子にもいろいろと派閥というか考え方というか立ち位置があってそれぞれで主義主張は違うことは理解して頂きたい。
ネットにそれなりに詳しくて無断引用禁止とかアイタタなこと言ってる腐を苦く思ってる腐はそれはそれで一定数いる。
というかクソみたいに沸きあがってる人もいるけど、むしろ多くの人達は「現実を正しく理解している」からこそ引用は防げないとか法的に問題ないものから逃げるためにマイピクにしたり非公開にしたりサービス移行を検討したりしていると思ってる。
その上で、別に私は丁寧に扱ってくれるなら別に自分の作品を無断で引用しようが研究に使おうがそれが適法ならどうぞどうぞって思ってるのでPixivから移動するつもりはない。
でもあんなクソみたいな雑な扱い方されたら法的には問題ないですけどこっちとしてはこんなんでも色々とない頭でひねりだした作品なんで考えて下さいませんかねぇって愚痴は零すし必要なら声をあげる。
その結果私の主張が受け入れられるかどうかはまた別の話。受け入れられないならまあそれはそれ。そのかわり明日逃げてても文句は言うなよっていうだけの話。
で、それはそれとしていくつか言われていることについてそれはどーなのと個人的に思ってる話をする。あくまで個人的に思ってる話を。別に全腐女子の代表面したいわけじゃなくて私が考えた(正当性があるかは知らん)話を。
―――――ここから元増田の話とは無関係に今回の事件への数々の反応に対して思ったこと―――――
腐女子のネットリテラシーが低いんじゃなくてネットリテラシーが低い人でもネットが使えるようになって、その中には当然腐女子もそれなりの数いるってだけの話で、腐はバカとか腐は法律が理解できてないとかそういう話じゃないと思う。
そもそも今回論文に出てきた作品にはNL(異性での恋愛を取り扱った作品)もあったわけで。
機械とかそういうの好きな人の割合ってやっぱり男性の方が多いかな、とは思うので「男性より女性の方がネットリテラシーが低い人が多いのでは?」という話についてはまあそうかもしれない(統計取ってるわけじゃなく自分の周囲を見ての感覚)とは思うけど公を閉じた空間と勘違いしてやらかした例なんてそれこそいくらでもあって、だからこそバカッターとか言われたりとかあったりするわけで。
考えるべきは腐女子のネットリテラシーの低さじゃなくて、ネットリテラシーが低くてもネットが扱えてしまうこの状況でどうやって教養の平均値を上げていけばいいかとかそんなことを考えた方がいいと思う。
これも別に腐女子がどうという話でなく法律に関して一般人が疎すぎるという話だとは思うけど、ただ、二次創作という法律に密接に関わってくる活動をしておきながら別にそういう活動をしてない人と同程度の理解度なのはどうなん?って言われると仰る通りです。
とは言えこのあたりは技術の進化のスピードが早過ぎていろいろと整備がおいついてないという話でもあると思う。昔は自分の作品を発表するってすごくハードルが高くて色々と調べないとできなかったけど、今は別に深く調べなくても手軽に作品を発表できるし、そもそも色々なネットサービスが「手軽にあなたの作品を発表できますよ!」って手軽さをウリにして顧客獲得しようとしてるところだってある。
で、企業は勧誘してくるけど別に法律については教えてくれない。個人的にはもうちょっと企業だって社会貢献していいんでねぇのと思うけどまあそれを言ってもどうしようもない。
というか二次創作の中に腐作品があるだけで二次創作全部腐ってわけでもなくて、著作権を知らずに作品を公表してしまうことの危うさはそれこそ社会全体に通じる問題なのでは。
もっとこう、やさしい著作権入門みたいなそういうサイトがあったらいいんだろうなあと思うし昔はそういう話を取り扱っていた個人サイトさんとかあったりしたんだけど、そんな個人の善意に頼んだものだといつか限界が来て終わるだけなのでこのへんはもうそういう組織的な何かをつくらないと難しいのかなあと思ったりする。
「そんな無茶な」としか言えない。腐女子っていうのはあくまでその人の属性でしかなくて、その属性の人が皆同じコミュニティに所属してるわけじゃない。
というか腐女子コミュニティなぞ幻想だと思う。同じ腐女子の間ですら「隠れるべき」という人と「そもそも隠れる必要はない」という主張の人がいたりするわけでして。私は割と「隠れる必要はない派」に近い。
腐女子同士が一定の大きさのコミュニティを作ったり、コミュニティ同士にゆるく繋がりがあったりはするけど男オタクだって別に男オタクコミュニティってでっかいコミュがあってそこに男オタクみんな所属してるわけじゃないじゃん。
もちろん同じ属性を持つ者同士だから集団としての特徴とかはあると思うし、そういったものを研究するのは楽しいと思うし有用だろう。
けど、普通わたしたちが説明できるのは「わたしたちの周囲の極めて小さな集団について」なのだ。
今回仮に私がそれをしたとすると、私の周囲の腐女子コミュニティって元増田の例で言えばだいたいBの考えを持っている人達ばかりなので今沸きあがってる人達がなんで沸きあがってるかって言われても「知らんがな」としか答えられない。
慣習の可視化をするには間違いなく「研究」が必要になる。オタクコミュニティ出身者の方が比較的理解度が高いという観点から腐女子の人に研究者になってほしいなチラチラッ っていう話なら理解はできる。
私はそんなものをしたことはない。「むやみやたらに騒ぎ立てません」とは思っているけれど。
このあたり前述の隠れるべきか隠れる必要はないかという話になってくるのだけれど、二次創作にも公式のガイドラインに沿って作られた真っ白なものと特にガイド出てないのに作られたグレーのものと公式からやめてくれって通達のきちゃった真っ黒なやつと、色々ある。
で、公式が黙認してくれてるタイプのグレーゾーンの二次をやるときは(別に公式ガイドラインに沿って活動してても同じだけどグレーの時はとくに)公式が嫌だなって思ったときには止めてくださいって言えるようにしておくのが公式への一つの礼儀かと考えている私にとっては公式の目に触れないように隠れることについては「ガチで探すことができないくらいに完璧に隠れるならいいけど中途半端に尻尾はみでてる奴はただ自分が可愛いだけなんじゃないの」って思ってる過激派(別にだからってそういう人達を晒したりはしませんよ、もちろん)なので。
もちろんだからって作品が何も知らない人の前にいきなり飛び出てくるような環境はもちろんよろしくないと思う。だからこそPixivという「超大型で探そうと思えばすぐに見つけて探せる場所に、でもゆるーくゾーニングされていてきちんと使えばいきなり何も知らない人の前に公式だと誤解を与えるような形で作品を表示するようなことはないシステム」を有り難く利用させてもらっている。
R18設定は単にするべきゾーニングはするべきってだけの話で「ひっそりやってる」んじゃない。むしろPixivというサイトを「適度にオープンだから」使っている。
が、腐女子の中には確かに「ひっそりやってますという主張のつもりでR18とつけている」人もいるらしい。正直この感覚はさっぱりわからない。分からないけど事実としているようなので仕方ない。
そもそも私はそうは思わない。今回の論文の人が派手にやらかしたのは事実だし、それを足がかりに倫理について研究が進めば皆ハッピーになれるよね、って思うけど、それはあくまで「この人がやらかしたこと」。
だからこそ私は今後もし私の文章を使って何か研究したいって人がいたら別に無断で使うことに文句は言わない。でも雑に扱われたら文句は言う。
というか自分の作品を研究に使われてどう思うかなんて個々人で感覚の違うことに「腐女子内ルールを明文化して下さい」っていうのがそもそもえーっていう。
じゃあ一人一人「私は気にしません」「私は気にします」「腐女子全体ではNGですが私はOKです」とかやるの? 無理でしょ。
私は「配慮して下さい!」なんて言わない。でも雑な扱いに対して怒る自由はある。そして怒った結果受け入れられるかは別の問題。それでおしまい。
それこそが言論の自由ってやつなんじゃないんです?違うの?
今後されるか分からない研究のために予め自分の作品を研究に使うためにはどうしたらいいかガイドラインを作れって言われてもそれこそこっちにそんな労力押しつけられても知らんよ、としか。
そんなクソ面倒なことしないですむように折角法律が引用のルール作ってくれてるのにさあ。
ガイドラインぺっとはっときゃ「これ見て下さい。その上で分からないことがあれば質問して下さい」と言えば説明の手間が省けるからである。
つまり、「ガイドラインがあれば便利だよね」と思えるなら作ろうという動きになるし、「別にそうでもないよね」と思えばそんなものは作らない。
で、今回ガイドライン作ったら面倒が解消されるの?って言われたら、現時点では私はそう思ってない。なぜなら腐女子というなんか大雑把で実態がどこにあるのかよくわからんコミュニティの中に明文化できるほどのルールがあるとは思えず、かと言ってある程度明文化できるくらいの集団に小分けにしたらガイドラインの量が膨大になって作る労力に見合ったリターンがあるとは思えないからである。
「いやそんな大層なもの作っていらんからこれについてだけ教えて貰ったらいいんですよ」って言うならその「これ」っていうのをはっきり教えてもらえたら私ならまあ考える余地はあるかなと思う。
「ガイドラインが存在しないのでもっと大きなルール(法律とか)に従って対処しますね」っていうならそれでいいと思う。
「あなたの作品を研究対象にしてもいいですか?」って聞かれたら何に使いたいか聞いてOKだと思えばOKって言うしNGだと思えばやめてほしいって言う。
断っておくけれど私は間違いなく腐女子だしまあとても大雑把な分け方をすれば腐女子コミュニティに所属すると思うけど、私の考え方が腐女子の平均だとは露ほども思ってない。というか私みたいなやつばっかりだったら今回みたいな騒ぎ起きてませんから。
(でも今回の騒ぎについてはいらんことしてくれたおかげであっちこっち騒ぎは起こるわ筆を折る人も出るわ迷惑なことしてくれたなこの野郎(ビックパンテラおこサンシャインヴィーナスバベルキレキレマスター)くらいには思ってる。思ってるけどそれは私が勝手に怒ってるだけで死人に鞭打つような可愛そうなことはやめとこうと思ってる)
かと言ってこの膨大な腐女子という集団の中には私みたいな奴もそれなりにいるはず(母数が多ければ割合が少なくても数は増える)なので「こういう私みたいな奴もいるんだけどどうやって腐女子のオキテを明文化すりゃいいのよ?」っていう話である。
トラバのアドバイスに従って1項目追記しました。ありがとうございます。
トラバの指摘に従って1項目追記しました。また、ブコメの疑問に応えて1項目追記しました。
ごめんなさい、その文はTakamoriTarouさんの指摘(「追記」で書いてある「ブコメの疑問」)を受けて書き加えたものです。きちんとどこを追記したか書いていなかった私の落ち度です、すみません。
ブコメで指摘された1点(作家のHNを出す必要性)につき追記し、それに伴って本文を並べ替えました。また、「卒論を堂々とウェブに晒せる者だけが石を投げなさい」という文章は「ご自分の卒論を思い返して胸に手を当ててみましょう」と訂正しました。当たり前のことですが、たとえ卒論を書いたことがなくとも、もしくはレベルの低い卒論しか書いていない人であっても、本件論文については存分に批判その他をすることが言論の自由として保障されています。また、「好きな作家さんの作品が読めなくなった」「違法か合法かなんて最初から論点じゃない」「分析だから引用じゃない!」という3項目を追記しました。
「全文を機械分析するなんて引用の範囲を超えている!」「会員制なのに公表してるってみなされるのおかしくない?」「社会調査で研究対象のコミュニティを破壊するのはどうなの?」「「有害」と「猥褻」は違うの?」「じゃあ確実に名誉毀損では?」「あの論文に影響力ってあるの?」「他人の作品が消えてるのに責任とらなくていいの?」「著作権法って個人でやってる創作に過酷すぎない?」「素人が法律に詳しくないのは仕方ないでしょ!」「それで食べてるプロの作家と素人を一緒にしないで!」「こんな強弁をするようでは研究者を信頼できない」「自分の方が法的には強いと相手に言う時点で恫喝じゃね?」「自分はちゃんと理解してる。理解してないオタクの責任なんて取れない」「研究者はオタクの心がわからないのか?」「ファッション乙」の15項目を追記しました。また、「無断で引用していいの?」「pixivは会員しか見れないけど?」の項目の回答の文言を変更しました。
トラバのご指摘を受けて、「不特定多数」を「不特定の誰か1人以上」に変更しました。ご指摘ありがとうございます。また「なんでも引用していいって研究者の傲慢じゃない?」「黒歴史ノートも引用されちゃうの?」を追加し、「研究者が研究のガイドラインをきちっと作成するよう粘り強く要求を続けます!」の回答の文言を変更しました。「猥褻」について、まあ私も名誉毀損にあたらないとは思うのですが、あたらないと自信を持って言い切ることができないので、この文面にしました。判例などがあればご教示いただけると幸いです。
トラバのご指摘を受けて、「判例はあるの?」という項を追加しました。ご指摘くださりありがとうございます。この事件は知らなかったので勉強になりました。
「引用が自由なら消すのも自由でしょ?」「論文の形にすれば何でも許されるの?」「引用して批判するってひどくない?」の3項目を追記し、「素人が法律に詳しくないのは仕方ないでしょ!」「ひょっとして黒歴史ノートも引用されちゃうの?」「身の危険を感じる!」「こんな強弁をするようでは研究者を信頼できない」の項目の文言を変更し、著作権に関連する項目の位置を変更、並べ替えを行いました。また、ひとつ上の追記を削除しました。
遅まきながら。私は理性的に「まあ法的には問題ないよね」という話をしていた女性オタクがたくさんいたことを見てきていますし、感情的に「違法だ! 無断引用だ!」とわめいていた男性オタクが大勢いたことも知っています。もちろん、感情的な女性、理性的な男性もいっぱいいました。なので「女叩き」のような意図は(私の主観では)持っていません。ただ、それはそれとして私の筆致が「冷静な俺様が感情的な女を諭してやる」という文脈に回収されかねない、とか、そのように読める、という指摘は、受け止めたいと思います。
流石に、この立命館pixiv事件が起きた直後に、すぐにやらかす奴は居ないだろう。(居ないよな?)
事件を知らずに、同じことをやろうとする人が居たら、知ってる人が慌てて止めてくれるだろう。(止めてくれるよな?)
引用だから良いじゃん、何が問題なの、俺のルールにお前らが合わせろよこれが世界のルールだ派の人も、あえてこの面倒な界隈に突っ込んでいく気も無いだろう?
仮に、気にせず同様の研究をしようとしても、配慮が無い場合、外部から結構叩かれてしまうだろうな。
やりづらそうだ。
問題が再度起きづらい状況にはなっている。
でも、創作側の人たちが自分の作品をクローズドにしてしまったり、新規の作品作成に萎縮してしまった問題が解決していない。
インターネットの世界では世界に公開したら、世界中から参照されてしまう。
それは確かだが、研究対象側は今はまだ受け入れ準備が整っていない。
時間を待つか、
インターネットに公開する時の心構えを持つように啓蒙していくか。
問題を起こした方々、
pixivR18小説を学習データに使った論文が炎上という形で話題になっているが、
大学時代に全く同様の研究に携わったことのある立場からチラ裏したい。
まず
"ドメインにより意味が変化する単語に着目した猥褻な表現のフィルタリング"
https://kaigi.org/jsai/webprogram/2017/paper-15.html
この手の論文に関してだが、R18サイトと健全なサイトを見分ける分類器を作成するのが目的となる。
子供のさわるPCやスマートデバイスなどに導入するフィルタリングソフトが主な利用箇所だ。
(この辺勘違いしている人もいるようだが、決してpixiv民が研究対象ではない。
そんなものに研究価値はないので自意識過剰もいいところである。)
研究内容や論文自体が法的に問題ないのは既に指摘されまくっているので割愛。
「有害」という言葉に過剰反応している人がいるが、この言葉は論文を書く上での通例、決まり文句のようなものだ。
単純に「フィルタリング対象」くらいの意味しかないのであまり気にしない方が良い。
で、フィルタリング対象は当然研究者が勝手に定義して良いし、その価値を判断するのは研究の利用者だ。
例えば同じR18小説でもBLだけ弾きたい、ってニーズがあればそれにも使えるではないか。
(そうでないとしてもR18指定しておいて「無害」を主張するのってどうなの?自分の子供に見せられるの?)
引用(決して転載ではない)のプライバシー侵害という主張、恥ずかしいのは分からないでもないが、
大衆の目に触れる覚悟もなく公開するってインターネットを何だと思っているのか。ネットリテラシー低すぎて呆れる。
サンプリングについてもランキング上位で悪意のある選抜とも言えない。
サンプル数が少なすぎるのは確かに気になるが、仮に学習データが少なくて同精度の結果が得られるなら優秀な手法と言える。
こういう研究だと利用サイトを記載しても、個別のコンテンツ名や作者を記載することは少ない。
理由としては作者不明とか、数が多すぎて現実的じゃない場合が殆どで、今回はそれらに当たらない。
もちろんちゃんと許可を取って根回しするのが理想的だが、必須ではない。
スパムメールフィルタリングの研究者はスパムメールの作者全てに許可を取っているか?言うまでもない。
完全に私の推測だが、今回のケースはサイトや作者に対するリスペクトもあったのではないかと思う。
そうでないとクソ面倒な論文執筆で余計な情報を書こうとは思わない。あくまでも良心からの記載だと私は信じる。
確信を持って、私は味方だと主張したい。
まず情報系学生なんて9割オタクだし(要出典)、業界自主規制のような安全装置としての役目がある。
フィルタリングで子供の触れるコンテンツをコントロールするのは重要で、
いかに「私は18歳以上です」のようなゾーニングを施しても、そんなものに正直に答える子供はいない。
また、子供に有害だからコンテンツ削除しろってモンペは本当に存在する。
実際問題、研究を叩いているうちにコンテンツ自体をネット上に載せられなくなる時代が来るかもしれない。
なんというか他人を思いやれない人たちが居る。
彼らときたら、
無許可での引用により、研究対象に迷惑をかけても一切気にせず、
「問題ない」
「公開しているじゃん」
「出典を示すためなら仕方ない」と繰り返すばかり。
その結果として、
書くのを辞めた人がでたり、
公開されていたものが非公開になったり、
論文で取り上げられなかった、他の人も非公開にしはじめたりしても
今後参入する人が非公開デフォルトになって、新しい作品に会いづらくなっても
全く気にしていない。
彼らのせいで。
わかった。
彼らが問題がないからやって良いというなら、問題にしようじゃないか。
規制するように働きかけよう。
SNSから無許可で引用しようとしていたら、クレームをあげよう。
信頼できる相手だけだ。
戦わねばならない。
彼らは問題の再発を止める気がないのだ。
その一部の人のファンにとっては、代わりが効かないというのにな!
そうしなければ、彼らは野原を焼き尽くす。
それ以外で止める方法は無いのだ。
周りが止めろ止めろ言ってるだけでは止まらないのは、
似たような事例を見たことがあるはずだ。
関連:
件の論文の著者のうち1名とは知り合いではあり、今回もご挨拶ぐらいはした関係である。
件の論文の話が大きくなり、文系研究者の方の記事も何件か出てきた。
https://srad.jp/~yasuoka/journal/612256/
http://mistclast.hatenablog.com/entry/2017/05/26/203043
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20170526/1495783027
前置きするが、件の論文を正当化する意図は毛頭ない。とにかく、件の論文が不適切であった事は確かだと思う。
私は、家族に文系研究者がいるので、ある程度文系領域についても分かっているつもりである。
文系研究者の皆さんが、大きく勘違いしていると思われる点がひとつだけあるので、指摘しておきたい。
文系では、テクストそのものを研究対象とすることが通例であるので、今回挙げられた小説を「分析対象」や「研究対象」と思ってしまう傾向があるようだ。
しかし、工学の観点からは、今回挙げられた小説は、分析対象でも研究対象でもない。
工学は手法を論じる方法論であるので、分析や研究、そして評価の対象となるのは、あくまで、手法である。
小説の内容自体は、研究・分析・評価の対象ではない。小説の内容については評価しない。
極端に言えば、小説を単なるデータとしてみて、データの中にある文字列が含まれている場合に、手法がどのような振る舞いをするのかを観察しているだけである。
研究対象・分析対象・評価対象は手法である。小説は単なるデータだ。小説の内容については評価しない。
ただし、世の中には色々なテキストがあるので、そのような小説に書かれている表現が入力として与えられる可能性はある。
そういう場合に、「手法が」どのような振る舞いをするのかを観察し、「手法を」評価するのが、工学研究だ。
このように言うと、おそらく、「しかし、有害、という言葉を使っている時点で、小説に対して評価を下しているではないか」という反論が返って来そうだ。
私が、今回の件で、非常に不適切であると思っているのは、まさに、このポイントだ。「有害」というような、内容を評価しているかのような表現は用いるべきではない。
例えば、「性的」といったような、内容に対する評価を含まない表現に置き換えるべきであったろう。
あるいは、有害図書の基準などの参考文献を引っ張ってきて、「その基準に照らせば有害に分類されるデータ」という体で小説を扱い、評価しているのは論文著者たちではないという事を明確にするべきであった。
繰り返しになるが、工学研究では、通常、研究対象は手法であり、今回の論文も、明らかにこのタイプの研究であると思う。
この論文は、「この小説がなぜ書かれたのか」「この小説が社会の中でどう位置づけられるか」といったような、小説自体を対象とする研究ではない。
追記:
「「わいせつ」といったような、内容に対する評価を含まない表現」に引っかかってる人が多いみたい。「わいせつ」自体が「有害」同様に、評価を含んだ言葉だという点は、確かにそうかもしれない。上記の論旨とズレていて申し訳なかった。
まぁ、件の表現が「わいせつではない」と判断するのは、社会通念上難しいと思うが…?
まぁ、「わいせつ」という言葉が問題なのだとしても、論旨は同じ。私の言いたいことは、件の表現をクラス分けする工学的手法が主たる関心なのだから、別に、「表現001」でも何でも、クラスにテキトーな名前をつけて、クラス分けすることが主たる関心であると分かるように書くべきであったということ。
どういう名前でクラス分けしようと、自動的にクラス分けしたい場合がある事そのものは否定できないと思いますよ。
「自動的にクラス分けしたい場合があると著者たちが思っていること」そのものが意見である、という見方もできるとは思いますが、今回のケースについては、類似研究がたくさんあるので、自動的にクラス分けしたいニーズの存在は否定することが難しいのでは。
とりあえず、当該表現は「わいせつ」ではなく、ブコメにあった「性的」としておきますね。小説に出てきたような表現が性的であることは明らかだと思いますので(そうではないという反論もあると思いますけど)。
あと、これ。 id:aoi-sora 「人工知能研究者は、事実と意見の区別すらできないのか。」まぁ、当該小説の表現が「わいせつ」には該当するだろうと思ってしまったのは私の落ち度だったけど、それ1つを持って、人工知能研究者全体を語られるのは困るなぁ。あなたこそ、そんな過度な一般化をして、事実と意見の峻別が出来ないのか…と思います。木下是雄の当該本も読んでいますよ。
id:type-100 環境の話とは話が違うんじゃないですかね。そもそも、今回の論文は、pixivという環境については何も直接の介入は行っていないわけですし。これが、研究のために、例えば、「意図的にpixivに作品を批判するようなコメントを書いて作者の様子を見た」みたいな話だったら、おっしゃるような問題と類似するケースになると思いますけど。
研究対象に敬意を払うなんて文化人類学のローカルルール、おしつけるなとかいわれてるの
別な村の話に移った途端綺麗さっぱり忘れてんじゃん
ネットの戯言など所詮考えなしに考えてる風を装った井戸端or居酒屋意見だから別にいいけど
ある程度の一貫性くらい見せてくれよ
https://togetter.com/li/1113766
https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601
この問題、確かに出典を明記するべきではなかったし配慮が足りなかったとは思うけど、
それぞれの論点については疑問な点も多い。各論点についてどこが問題でどこが問題でないのか個人的な整理をしておく。
・「未成年が見れないようにしてあるのに、引っ張り出してきて有害呼ばわりする」について
ここで言う「有害」あるいは「有害情報」というのは一種の専門用語で、
「主に青少年がその情報に接することによって健全な発達・育成を阻害する恐れが有ると考えられているコンテンツの総称」とある。
Wikipediaが信用ならないなら、「有害情報」「有害表現」で検索すれば、その意味で用いられている文章がたくさん見つかる。
つまり、「有害な」=「未成年に見せるのには不健全な」という意味が、特に情報フィルタリングの研究においては比較的一般に用いられてる。
そしてこの定義によれば、pixivに投稿されているR-18の小説やイラストは全て「有害表現」ということになるし、
別にこの文章は酷い、害だ、と揶揄する意味で有害だと言っているわけではない。
「ログインしなければ見れないような場所に置いてあるものを引っ張り出してきて有害呼ばわりする」ではなくて、
「"有害表現"だからログインしなければ見れないような場所に置いてある」。順序が逆。
誤解。
論文中にある通り、ランキングのTOP10を拾ったら8件がBLだったというだけで、残り2件はヘテロカプ。
BLを排除すべきだったとも思わないし、BLから選ぶべきだったとも思わない。
(じゃあなんでわざわざ「8件がBLで2件がNL」だなんて書いたのかという話ではあるが)
少しズレている。
たとえば文化人類学や民俗学のような研究であれば、研究対象の文化を破壊してしまうのは「鯨を研究していたら鯨を絶滅させてしまった」ようなもので、
ただ、この論文においてpixiv小説文化は「研究対象」というよりは「データセット」でしかない。
その場合でも倫理的に問題はあるだろうけど、民俗学のような特別な慎重さが求められるような分野と一緒にして考えるべきではない。
このように目立たせることがタブーな界隈であることが想定できた/すべきだった、とまで言うのは難しいように思う。
・「二次創作はグレーゾーンだから隠れてるのに、わざわざ目立たせるようなことをしたのは問題」について
これって「お前がチクんなかったらバレなかったのによー」って言ってるのと何が違うんですか。
一応公共の場に置かれている以上、十分に匿名化されていれば許諾は必要ないと思う。
たとえばchainerでイラストを自動着色するシステムがあるけど、あれの学習に使うデータ全部に許諾が必要かというとそうは思わない。
それは言い過ぎ。
その理屈で言えば肖像権なんてものはない。「仮面付けないで街を歩いている方が悪い」みたいな話になる。
いくらネットに投稿していると言っても、それが朝の全国ニュースで勝手に紹介されることまで想定しているわけではない。
・「再現性のために出典を明示するのは当然」について
そんなことはない。
これは別に素材Aに触媒Bを反応させたら素材Cができた、というような話ではない。
たとえば100人にアンケートを取ったとして、その100人の個人情報全部を載せる必要があるかと言えば、「必要はない」し「プライバシーの観点からも止めるべき」。
ある意味、一昔前にあった「研究者は異民族の神聖な儀式を見てもいいか」問題の現代版なのかも。
ほらあるじゃん、余所者には見せられないと言われてる神聖な儀式だけど、研究のためにどうしても見たい……! みたいな。
たぶん今の人類学では、外の人間が、異文化の人が大事にしてる儀式にズカズカ入っていっちゃ駄目ですよ、ということになってるんだと思う。
ただ厄介なのは、その異文化の神聖な儀式、昔は山奥とか孤島とかでやってたんだけど、今ワールドワイドウェブで全世界から見れるんだよね。
おたくとか腐女子とかの文化、本人たちにとってはすごい大事なもので、外から踏み込んできてほしくないし、自分たちの文化の尊厳を尊重してほしいと思ってるし、ついでに言うと昔偏見にさらされてきたという過去もある。だからすごいセンシティブな存在、ああ見えても。
外部から見たら、そりゃウェブで公開されてる二次創作小説も文芸誌に載ってる小説も同じに見えますよ。実際「自分で読まれたくて公開してる」作品だもの。そういう意味では同じですよ。後者は引用して分析してあれこれ論評していいものとされているんだから、そりゃ前者に対してもそうしていいと思いますよ。
後者への論評なり分析なりは、「トンチンカンな批評言いやがって! くやしい! ころす!」みたいな反応を呼び起こすかもしれないけど、「学者がおれの小説を分析するなんてゆるせん!」「身の危険を感じる!」みたいなことはあまりない。でも前者への批評はそう言われてしまう。これ、その文化を全然知らない外部の人から見たら理不尽なことなんじゃないかな。でもやっぱり、調査対象から嫌悪・拒絶されるような分析は、やっちゃだめだよね。
研究者の扱える対象は増えているけれど、〈外からはそう見えないだけで実は地雷〉な研究対象も増えていて、そういう対象とどう向き合うか、というテーマなのかなあと思いました(こなみかん)
hachi09 でもその異民族にも普通アポイントとるもんでないの? 今回はそれすらないし知らぬ間に素材として調理されたことも踏まえておこなんじゃないのかな…
そりゃ異民族側がメアドさえあれば誰でも見られる場所で誰でも見られるように神聖な儀式やってるんだから、アポなしでも見ていいんじゃね? と思っちゃうのは仕方ないのでは。
結論:場合による
https://togetter.com/li/1113766
https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601
この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)
「分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから。
たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかいう単語も容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。
文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフの研究では、英語版とロシア語版を照らし合わせて登場人物の名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。
それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。
現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは、
という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手の二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。
しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石の作品中における接続詞の使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法の分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現のフィルタリングのため」という目的で用法を研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかね。ふつうそういう研究なら、「○○新聞のデータベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivのデイリーランキング上位20作品を平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組を分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリングを情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……
「pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。
一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイトも自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。
しかし、ここで問題になってくるのは
ということだ。
それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivのアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。
※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトにアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者(創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します。
たとえそれが個人的な談話であっても、社会学や文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活の愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学や文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言を研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。
だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学や文化人類学の研究なら普通は発言者をボカす。社会運動の指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。
仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代の図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔で記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会は激おこだった)。
これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞の投書欄を分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄に実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。
ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係の史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。
インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿を分析し発言者を特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象が著名人であるとかなら別だけど(twitterで右寄りの発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想を研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだから(レイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。
それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性は全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者が特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。
=何が言いたいかというと、確かにあの論文は研究倫理に反するけど、それは同人小説を研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。
何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表のプロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答でボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会の判断とかで弾こうぜ。
あとこれ多分M1の学生の研究に助教と准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。
社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳が拡散されてる。
http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758
マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?
いちおう言っておくと、
ってこれ全部別の話だからね。
正直、腐女子が研究者や研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子を面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。
研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。
文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後にリストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リストが必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。
これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。
いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会の研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。
こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。
ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。
お医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。
こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。
でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的に関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館で雑誌のバックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスをポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。
医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑かからず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん。
カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。
会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?
少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!
(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌に掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)
研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。
二次創作が研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。
前例はあります。
今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象を研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道の聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究はもっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬の分析とかもやってるし、そこまでおかしな事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。
まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。
あとこれ言うと揚げ足取りになっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品だから引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします。明治文学研究とかルール違反の百貨店や~。
これ発表してから2ヶ月近く経って、いろいろ考えましたが、やっぱり私は研究倫理には反してないと思いますね。人に不愉快な思いをさせることがすべての局面において研究倫理に反するわけではないし、やっぱり引用の権利は厳然としてあるので、そこを突っぱねるのは筋悪かな、と。
東大医学部の面会交流論文が、話題となっている。http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
DVを行ったとされる父親との面会交流を行っている子どものほうが、行っていない子どもよりも、ひきこもりや抑うつなど、精神的問題、行動上の問題を抱えやすい、という論文である。
この論文は、フローレンス・駒崎弘樹氏が3月末にそのブログで、面会交流によって子どもの心が壊される、という彼の主張を裏付ける「エビデンス」として紹介したことを皮切りに http://blogos.com/article/215491/ 、4月末に行われた「当事者の声を国会へ」と題する衆議院第一会館での院内集会や、「「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会」による「第20回学習会 ハーグ条約と親子断絶防止法案」 http://jinkenkankokujitsugen.blogspot.jp 等でも取り上げられたようであり、さらに5月5日には産経新聞にも紹介された。
つまり、これは、現在、国会議員らによって提出が検討されている「親子断絶防止法」の策定を左右しうる重要論文である。
日本では、別居親と子どもの面会交流は、家庭裁判所が間にはいる場合、月1〜2回、4時間程度できれば良い方で、高葛藤や面会拒否が強い場合は月1回に2時間未満のことが多いと思われる (参考: http://oyakonet.org/documents/report_h2308.pdf )。DVがあったとされる父親であれば、その頻度・時間はさらに減少するだろうし、FPICのような第三者機関の補助を得て行うことがほとんどで、面会交流時にDVあるいはそれに近いような行為をすることは稀であると考えられる。父親も子どもを愛おしく思い会うでのあるから、短い時間の中ではその子どもを喜ばせようとすることが多いであろう。そのような状況で父親に会うだけで、本当に子どものひきこもりや抑うつの危険性が高まるというような因果関係が本当にあり得るのだろうか?
そこで、研究論文を読むことのできる有識者にこの論文を読んで学術的に評価してもらった。そうしたところ、この論文は、きちんとした学術研究のレベルに達していないひどい代物であるようだ、ということがわかってきた。
研究対象としている母親の数がわずか38名、面会交流を行っている子どもの数が19名、面会交流を行っていない子どもの数が30名と、この種の簡易なアンケート形式の研究としてはNが圧倒的に少ない。混交要因の統制が全くなされていないどころか、群毎の基礎的統計の記載すらない。各群の基礎的な数値(Demographic characteristics)が両群でまとめて書かれてしまっていて、分けて記載されていないのである。つまり、母親の学歴・収入、精神疾患罹患の統計値、離婚の有無、別居からの経過年数、子どもへのDVの有無・程度などが、各群で分けて記載されていない。加えて、両親間の葛藤の強さ、裁判・調停・審判などの有無、なども混交要因として示されるべきであろう。これらの混交要因候補の指標のうちいくつかについては、この程度の少ないNであれば、各群で偏りが出てしまうことのほうがむしろ普通である。本来、これらは分けて記載すべきなのに分けてないということは、これらのどれかで差が存在してしまっているので、それを意図的に隠蔽している可能性もかなりあると推定される。対象の被験者集団は非常にヘテロな集団で、僅かなサンプル数しか取得していないにも関わらず、これらの指標について群ごとに示していないようなものは、まともな調査研究と言えるレベルのものではない。
「面会交流を行っている子ども」が父親と面会交流を行っている頻度の平均が、なんと僅か平均2.2回/年。Nもたったの19名。そのSDが2.2でレンジが0.5回~6.5回/年。年間2.2回というのは半年に一回しか会わないということであり、年間0.5回の面会交流というのは2年で一回しか会わなかったということ。しかも、この研究では、DVをしていたとされる父親との引き離しからの平均年数が6.9年も経っているのである。仮になんらかのDVがあったとして、引き離し後に7年もたったあとの、そのような僅かな回数の面会交流が、引きこもりや抑うつのリスクを統計的に有意に上げることは、常識的に極めて考えにくい。
この研究は、質問紙を使ったアンケート形式のもの。回答を行ったのは子ども本人ではなく、DVを受けたと称している母親。最近のことであるので、当然、親子断絶防止法のことも知っている母親が多いであろう。回答者が研究の(政治的な)目的を知った上でバイアスのかかった回答をしている可能性があり、そのような可能性を排除するような工夫が全くなされていない。
方法によると、リクルートされた69名の母親のうち、8名が「精神疾患に罹患している」という理由で除外されている。除外されていない回答者の中にも精神に問題がある人がいるようであるが、除外の明確な基準は何か?都合の良い恣意的な除外なのでは?また、回答した60人のうち、22人が、「質問に全部回答できていなかった」という理由で除外されている。合わせると実に35%もの被験者が除外されているのである。このような被験者数がごく僅かの調査において、全ての質問に回答しなかった、という理由のみで除外することが許容されるのか?この研究では、各質問について統計解析を行っているのみで、それらの統計を行う上で、「質問に全部回答する」ということは全く必要とは言えない。つまり、除外する必要がない人を多数除外しているのである。これは、後付で、そのように除外することによって「有意差」が得られるからではないのか?
このジャーナルを出している出版社はいわゆるpredatory open access publisherに分類されている。以前、過去にどこかで発表された論文をたくさん集めて無断で掲載していたことをNature誌に報道されたこともあったり、意図的にでたらめな論文を作成し投稿された論文を掲載してしまったり、無断で研究者を編集長として掲載していたり、という前歴のある「ならずもの出版社」の一つ。 https://en.wikipedia.org/wiki/Scientific_Research_Publishing 当該の論文を掲載しているOpen Journal of Nursingも編集長を調べると、教育しか行っていないような大学教員であり、責任著者としてはこの10年で1報しか論文を出していないような人である。このジャーナルは、医学生物学文献の権威あるデータベースPubMedにも、もちろん掲載されていない。この出版社のジャーナルではまともな査読がなされていない可能性がかなりあり、筆者らの所属大学を筆頭とする多くの日本の大学が、この出版社をうまく利用してしまっている事実が指摘されている。https://science.srad.jp/story/15/12/07/0554222/
上記の各ポイントは他の標準的査読が行われている科学雑誌では指摘されるのが当然であり、普通はこのままでは受理はされない。であるからこそ、このような出版社のジャーナルから発表している可能性が高い。
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以上のような深刻な問題を抱えている論文であるため、その有識者は、この論文の著者にデータの開示や、群毎の基礎的統計の提示を求めるなどの連絡を責任著者に対し行った。当初、責任著者からは何の返事も得られず、そのため、その責任著者の所属の学科長にも連絡を行った。それでも何の返事も得られなかったため、所属大学の「科学研究における行動規範に係る不正行為に関する窓口(本部)」に通報を行った。
文部科学省の「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/__icsFiles/afieldfile/2014/08/26/1351568_02_1.pdf
「研究者に対して一定期間研究データを保存し、必要な場合に開示することを義務付ける規程を整備し、その適切かつ実効的な運用を行うこと」
を義務付けている。
「国立大学法人東京大学における研究活動上の不正行為の防止に関する規則」
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_honbun/au07410491.html
には
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とある。
当該論文は、国の立法に影響を及ぼすことを目的として各所で用いられているのであり、データとその解釈に科学的に正当な疑義が提出されており、また開示しない特別な理由もない以上、データ開示の必要性があるのは疑いがないところであろう。
つまり、この定義によると、再三のデータ開示の求めにも応じず拒否し続ける責任著者らが、この規則に違反しているとみなすこともできるであろう。つまり、この規則によれば、この論文の著者らは、ある種の不正行為を行っている可能性があることになるのである。
この通報後、窓口担当者らは、本件について医学部長らと議論し、その結果、この論文の責任著者はその有識者に回答のメールを送付した。しかしながら、その回答には、
・倫理委員会で承認された研究手続きを逸脱することになるのでデータは開示できない、
・混交要因の候補の変数について両群で比較した結果、有意差はなかった(実際の統計値の提示は全く無し)、
・その他は、科学者コミュニティーでオープンに議論すべきなので、当該Journalにletters to the editorとして質問せよ、
との主旨の内容があるのみで、リクエストや指摘の重要ポイントについては、実質的な回答は全く得られなかった。
その有識者は、4月26日にその論文のウェブサイト上のコメント欄に上記ポイントについて書き込みをした上、議論を行うよう著者にメールにて依頼を行ったが、著者らからは、5月9日現在、何の返事や回答も得られていないとのこと。
http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
著者らの誠実な回答と、著者らの所属大学による速やかで適切な対応が期待される。
その有識者は、こんなことを言っていた。
「科学の基本は「エビデンス」ではないのか?そしてその「エビデンス」とは、データそのもののことではないのか?そのデータがなぜ有識者にすら提示できないのか?連結不可能匿名化されたデータであれば提示はできるであろうし、すくなくとも重要な混交要因候補について各群ごとの統計数値のテーブルくらいは提示すべきではないのか?
データ不在で第三者による検証ができないような「科学」は、もはや「科学」とはいえないのではないか。それは控えめに言って疑似科学、さらに言えば、科学の名を借りたカルトである。そんなものに、国の立法が影響を受けること、そして多くの人々の生活が影響されることがあってはならない。」
・・・・・
以下、5月15日追記。
「ブログの文章を読む限り、分析の妥当性をめぐる疑問のように思われました。そういうことを、「不正」などと言ってはいけないと思います。」
との指摘をツイッター上でいただいた。
しかし、このブログで指摘した不正の可能性は「分析の妥当性」についてではない。指摘したのは、リクエストに応じてデータを開示しないことについての不正の可能性である。
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とあり、これに違反しているのではないか、という指摘である。この点、ご留意いただきたい。
・・・・・
以下、5月29日追記。
「東京大学大学院の研究グループが面会交流による子どもへの影響などを初めて調査した結果だ。」
「面会交流は子どもにとって良いことだと言われるが、DVがあった別居親との面会では、こどもたちは長期にわたり悪影響を受けている。」
などと、面会交流が子どもに悪影響を与えたと因果関係として紹介されている。
しかしながら、当該研究は単なる相関を調べた調査であり、しかも上記のように混交要因についてきちんと吟味されておらず、(仮にデータそのものが正しかった場合でも)因果関係については主張することは極めて不適切である。相関と因果関係の区別をしないという、基本的な誤りをおかしているといえる。
以下、6月28日追記。
春名氏による当該の論文サイト上での回答を受け、親⼦ネット、中部共同親権法制化運動の会、親⼦断絶防⽌法全国連絡会などが連名で、東京大学の窓口に不正疑惑の申立を正式に行った。
「全国連絡会は構成団体及び杉山弁護士、石垣臨床心理士と連名で「春名めぐみ 東京大学大学院医学系研究科准教授」の論文に対する下記申し立てを同⼤学科学研究⾏動規範委員会に対して行いました。」
今年も残すところ十日程度。
実験のし過ぎで大脳の壊れたメンヘルとなってしまったので、日本語の下手さについては多めに見てください。
自分は卒業研究をやっていても一つの結果から多くの可能性を考えることが出来る実験手法が好きで、可能な限り一度に多くの組み合わせについて検討してきた。
そこで、自分が考えた推論をボスに報告すると、結構高い確率で何を言っているのか分からないと言われる。
先生からしてみれば、学生はただの結果出力装置でしかないわけで、余計なことをごちゃごちゃと言われても迷惑なだけだろうとは思う。
しかし、駒なりにも苦労してデータ取ってきて考えて新しいモデルを考えたのだ。せめて間違ってるならちゃんと間違っていると指導して欲しい。
そんなやり取りを繰り返している内に、僕は先生とディスカッションをすることが嫌になってしまった。
研究対象自体はニッチな割に重要かつ複雑で面白いとは思うが、とにかく先生と話をしたくない。
平日も休日もなく、朝も夜もなく実験に取り組んできたが、もう何でも良くなってしまった。
なるべくがんばらないで実験数をこなして卒業出来たらいいな、と思うようになった。
そうこうしている内に、どうやら自分は「わけの分からないことをごちゃごちゃ言う」「指示に従わない」「実験をしない」「研究が進んでいるように見せかけられている」学生のレッテルを気分で貼られてしまったようで、ラボ内の進捗報告会で発言しても無視されるようになった。
研究者向きではないが言われたことは全く反論せずただ淡々とやっているだけの同期(結果は出ていないが)は親密に指導してもらっているようだ。羨ましくはない。
体裁上修士論文に関する指導はしてもらっているが、卒業した瞬間データは信用されなくなって、もしも論文になったとしても助教か後輩が第一著者になるだろうなあ。
今まで論文出せそう出せそう、っていう状況で頑張って来たけど、その時とは内容も大分変わってしまったから、まだ全然形にならないだろうな。