はてなキーワード: 演劇部とは
日本のミュージカルは、宝塚の人気演目とかでないとチケットがなかなか売れないんだ。日本ミュージカル界のスターみたいな人が出ててもね。
それでどうするかっていうと、広く知名度があったり固定ファンついてる人をキャスティングするのよ。暇な芸能人とか売れないアイドルとかね。声優の平野綾とか、松田聖子の娘の神田沙也加とか、イケメン若手俳優ね(本人の希望もあるのかも知らんけど)
そりゃべらぼうに歌うまいとか、バレエやダンスうまいなど技術があるならそういう道に進んで最終的にオーディション受けることで実力でミュージカル女優になれる。けど、今の日本じゃ、よほどの技術があってもそれだけで客を呼べるかわからない。たぶん呼べないだろうと思う。技術のあるやつより、少しでも知名度のあるやつ。キャスティング側がほしいのはそういう人材。悲しいけどなんかそうなっちゃってるんだ。
だから、ミュージカル女優になるのに地下アイドルってのはいい線いってると思うよ。歌やダンスが見ていてしんどいレベルなら難しいかもだけど、そこそこできるなら増田有華のようにチャンスがやってくる。増田有華だってAKB入ってなきゃ歌だけでミュージカルに出られたか?というと無理だろうからね。彼女めちゃくちゃ歌上手いけどね。そういうもん。ブロードウェイはまた違う
今回はガンガンオンライン
でも人情まで非難したなら、それに関しては言いすぎってことになる。
ましてや、読者目線でいえば自身の立場を理解していることによる、当てつけに近い言動だから、なおいっそう印象が悪いなあ。
言動理由の根幹を隠したままコミニケーションの帳尻を合わせようとするから、こういう無意味な諍いが起きるんだよね。
まあ、ある意味で今まで必死に現状維持していただけで、いつかは壊れる危うい関係であったことが今回明らかになったといえる。
とまあ長々と感想書いているけれど、あんまり好みの作品ではなかったりする。
メインキャラのほとんどが面倒くさい上に読者に共感されにくい人格なんだもん。
いや、理解はできるんだけれども、それを踏まえた上で不愉快な要素が多すぎる。
一応、ストーリー構成自体は興味があるから読み続けているけれども、今後もこれ以上の難解かつ不愉快な言動をメインキャラがし続けるなら、私は読むのをやめるべきなんだろうなあ。
なまじ悪い人ではないから、余計にこういうデリカシーのなさが空回りしているのに、本人が無自覚っていうのがもうね。
陽菜のもこっちに対する絡み方はちょっと不可解だが、友達には話せないちょっとした本音を吐露できる相手でもあるんだろうね。
というか意味もなくマラソンで競い合ったりして、自分でもなぜそんな対抗心を燃やすのか分からなかったり。
今作でも、かなり複雑な心情を持っているキャラかもしれない。
通常とは違う劇的なことをやろうとすると、後に禍根を残しやすいからねえ。
序盤の即興演劇による無茶振り相手が入れ替わっていく展開は好きだな。
そこからやたらとオチで登場人物を殺したがる演劇部員と、雑誌のときに載る編集の一言コメントを4コマのオチに持ってくる天丼ネタもツボだ。
不良っぽさの象徴として着けているマスクを外さない理由で「これがないと俺じゃなくなる」といって、佐々間が中二病だと勘違いするネタがあるが、実際間違ってはいないよね。
中二病って邪気眼的な言動のことを指していることが多いけれども、ああいうのも広義的には中二病だろうし。
元木サイドは言葉が足りないせいで勘違いされる展開だが、「拳で手助け」の部分はほぼ同じ解釈というオチはちょっとツボだった。
それにしても、同じモドキであっても周りに割と不良だと思われている六条に対して、元木のほうは優等生とは全く思われていないという差は興味深いね。
劇場通いしてるわけでもないし、自分が演劇をやってたわけでもないど素人ですが。
虚構の世界を本物のように作り上げようとする芸術が素敵だと思います。
手塚治虫先生の『七色いんこ』、今話題の松浦だるま先生による『累』など、演劇を扱っている漫画も好きで読んでます。
高校の時も文化祭の時演劇部の舞台を自分のシフトの合間に見に行ったりしました。
演技はプロではないけど、普段授業で使っている教室に、現実から切り離された舞台の空間が展開されているのにどきどきしました。
実は演じることにも興味はあったんだけど、勇気がなくて結局そのままきてしまった。
気が向いたとき、お風呂につかりながらで「マクベス」とかの戯曲の台詞を一人で読んでいます。結構楽しい。
おすすめとかあったらだれか教えてほしいです。
ピーマンだって山岡さんに相談して一週間待てば食べられるようになるし、ゲイだってきっと阿部さんと一週間も暮らせば平気になるさ。
http://anond.hatelabo.jp/20160806224841
上の記事で「何で相談する必要があるの」みたいなブコメがあったから、我慢せずに書く。
当方、結婚適齢期くらいの男だが、ゲイはやっぱり気持ち悪いと感じる。
正確にはゲイの人が気持ち悪いというよりは、男同士が絡んでいるのがダメ。
男同士がキスしている写真とか見ると、冗談抜きで吐き気がする。
これはもう、「虫が苦手」だとか「牧場の匂いがどうしても駄目」とか「子供の頃からピーマンが食べれない」とかと同じで、なんかもう生理的にどうしても受け付けない。
性同一性障害とかで悩んでいる人がいるのは理解できているつもりだし、ゲイの人が迫害・差別されるべきではないと思っているし(自分が今書いていることは棚に置くが)、普段ブコメとかでもLGBT擁護側のコメントつけている。
でも、もし自分の友人がゲイをカミングアウトして、自分に好意があり、恋愛もしくは性的対象として見ているとか言ってきたのを想像したら……想像するだけですげー悩んだ。
これを誰にも相談しないとか俺には無理そう。
一人で抱えているのに耐えられず、絶対誰か(おそらく友人と共通の知り合い)に相談して、今後その友人とどう接するべきか考えると思う。
(今回の件は、「相談する」というより、仲間内に迂闊にLINEで吹聴した点が責められるべきところだと思っている。)
改めて、自分の関係ない所なら何とでも言えるけど、いざ自分の周りにゲイがいたらやっぱ自分は拒絶反応示すんだなと再認識した。
でも百合は平気なんだよなぁ。あと、彼女がBL本とか読んでても特に気にならない。
何でこんなにゲイが苦手なのか自分で考えてみたけど、有力なのは子供の頃読んだボンボン坂高校演劇部の影響。あれでゲイが苦手なのが刷り込まれたんだと思う。
一般に会話における人間の口語というのは文章に起こすには堪えない程ひどい。
だが、応募してくる新卒たちの面接での発言はそれに輪をかけて酷い
俺「学生時代に取り組んだ事を教えてください」
学生「私は大学時代は演劇部に所属していて、それで友達と一緒に頑張って部のみんなをまとめようといっぱい頑張ってえっと大学の学祭イベントがあったのでそれに合わせて部で目標を作って力を合わせて頑張っていこうってみんなの前で立って話した時に私はこうやってみんなと力を合わせるのが好きだなと思ってそれでいつも思っているんですがこの業界で私が頑張れると思うのが…(後略)」
この文章、文字に起こされるとあまりにバカっぽく見えるがほとんどの学生がこれぐらいのレベルの受け答えをしてくる。長い。長すぎる。
返答が長いというだけならまだしも、頭の出来の悪い学生かつ喋れる学生というのは大体例外なく文章に稀にしか「。」が入らない。
そして最終的に主語動詞目的語が何だったのか聞いている側の頭からこぼれ落ちるような文章が生成される。
1. 発言を止めるとそこでアピールタイムが終わってしまうと思い込んでいる。
頼むから黙って欲しい。
人間同士で話しているのだから間をもたせるぐらいの会話はこちらだってするし、間が持たないぐらいで学生を落とすなんてもったいない事はしない。
面接の時間はずっとその学生のアピールタイムなのだから一文を長くすることに大した意味はない。むしろ長文過ぎると耳からこぼれ落ちて思い出せない。
2. 発言している間にもっと良いアピールが頭に浮かんでしまってそちらに話を持って行こうとする
学生の顔を見ているとこのパターンが一番多い気がしている。確かに、口を動かしている間により良い主張を閃く事は俺にもある。
だがそうやって自分が普段できるアピールの120%の素晴らしいアピールをすれば受かる、と思い込んでいるのなら甘いと言わざるを得ない。
面接官は学生の人となりを見ているのであって、剣道部の主将だろうが下っ端だろうが帰宅部だろうが大した違いはない。
聞いている側が疲れるような長文をマシンガンのように吐き出しきれば好感触だと思っているのであれば、そんなのは「女なんてデカチンで高速ピストンすればみんなメロメロさ」等と思い込んでる童貞と同レベルである。
こういう挙動は端的に言うと、頭の悪さが前面に露呈してしまう。事実頭が悪いというパターンもあるだろう。
一緒に働く事を考えた場合、例えば会議や打ち合わせでそういう頭の悪い長文を垂れ流されるとそれは周りの人間全員の損失になる。
確実に周りの足を引っ張る存在となるので最優先で落としている。
余談だが面接でこの学生はダメだなと思って書類を確認するとやはり所謂無名私立大だという割合が高い。
高学歴な学生は、やはり地頭が良いためか受け答えもしっかりしている事が多い。もちろんどちらにもいくらでも例外は居るのだが。
△対策
上に書いたダメな学生の姿勢は癖として染み付いているところもあるので一朝一夕では治らないと思う。
ダメな自覚のある学生は次から面接では以下の事に気をつけて欲しい。
1. 口を開く前にこれから話す内容の「。」の位置をどこに付けるか頭に描く。
下手な長文を口語で流し込まれるよりは、口を開く前に3秒待たされる方がマシだし知性を感じる。
ついでに言うと考えている間に「あー…」とか「えーっと」とか言わない方が良い。
2. 面接官との会話の往復数を増やすにはどうすべきか、を評価軸として自分の受け答えを見直す。
温泉卓球では隙を見つけて最強のスマッシュを打ち込む事よりも、ワイワイとラリーを続ける事の方が優先される。
数ヶ月前の事は、やたらと鮮明に思い出せる。
友人がお手洗いに立ったのを見て、スマートフォンでツイッターとはてブを緩く見回っていた時に、見つけたのだ。正直眼を疑うような記事見出しだった。本文を見てからは思わず驚愕して叫んでしまったほど。(というよりも、「あ…ああ…」と狼狽した声が行き場を失いながらも出てきてしまったような形なので、端から見たら知人の訃報が入ったか身代金でも揺すられてるかのように見えたと思う)
お手洗いから帰ってくる友人に助けを求めるかのごとく話を振ろうとしたら、彼の方からも話を振ってきた。多分、彼も同じように記事を見たのだ。2人でほとんど声を合わせるように、私たちは同じことを口にした。
と、ここまで来て頭の中で3代目J soul brothers from EXILE TRIVEのストームライダーを頭に浮かべている人はちょっと一度冷静になって、東京ディズニーシーの方のストームライダーを思い出して欲しい。
そう!そうそう!それ!う、うん、そうね、「緑のチカチカチェックするやつ!!」って間違っちゃいないんだけどそれしかないアトラクションみたいな思い出し方はやめなさいね、その後、仮にもストーム消してるんだから。
「空を斬り走るやつねー」って、え?あ、まあ間違ってはいないけども随分とポエミーな表現ね…
「疾風迅雷 蒼の魂」ってだからそれは3代目の方のストームライダーだろうが。
そんなこんなで、今日はTDSストームライダーのラストフライトの日である。こんなにアトラクションクローズでここまで衝撃なのはミクロアドベンチャー!やビジョナリアムに個人的には並ぶ。ツイッターによればあの人気のトイマニ、タワテラをぶち抜いて今日はストームライダーが最大の待ち時間のようである。センターオブジアースやレイジングですら待ち時間緩いのにストームライダーが120越えってもうなんだか異常気象を発見したかのような気分である。それこそ台風のような。個人的には、ストームライダー60分越えはシンドバッド15分待ちに並ぶ混雑のバロメーターだったのだけどなぁ。
今日はそれほどまでに、ストームライダーを愛する人がいる事を確認する日になる。ここまでくると宗教に近いかもしれない。ストームライダーという儀式を執り行うために長蛇の列をなす信者たち。ポートディスカバリーは聖地。
私ももし舞浜に行けるならそのお姿を拝みにポートディスカバリーへと足を運んでいただろうし、もし入園できなくてもベイサイドステーションからゆるゆると海岸線を回り、最もポートディスカバリーに近い地点からストームライダーに向かって祈りを捧げるくらいのことをしていただろう。エルサレム。
どうかしてると言われそうだが、今私はiPhoneのコンパス機能を始めてフルに生かし割り出したディズニーシーの方角に向かって文を書いている。
ストームライダーの何処がそれほどまでに私を魅了したのか。というと本当に答えになっていないのだけども「どの点においても優秀であった」というのが正直な答えである。
オープン当初としては驚きの、かなり精巧なフライトシミュレーター系でスタツアとの出来の違いにまず驚いた。
動き細やか!窓の外も見れるし!
まさかストームディフューザー刺さると思わなかったし。アトラクションのそういった出来が本当に段違いだった。
キャラクターたちも良い。デイビスのお茶目だけどイケメンな雰囲気(ホラーなら最初におどけて殺されてるタイプ)をよく声優は表現したと思う。ストームを目の当たりにした時のセリフは、その声色だけで息を飲んでいるのがありありとわかる。スコットとベースもいい味を出している。「司令室に来なさい!今すぐ!」の声は今も幻聴のように思い出せる。
バックグラウンドストーリーは、オープン当初はストームライダーがかなり大きなバックグラウンドストーリーを持っていた。だって、ポートディスカバリーの設定がストームライダー計画成功のお祭りって設定なのだから。あのポートディスカバリーの雰囲気も好きだったので、その真髄を味わえる、という点でもストームライダーは価値があった。CWC Center for Weather Controlのロゴなどもリアリティがあった。そういった、ディズニーならでは作り込みを感じ取りやすいのもストームライダーの良いところだった。
アメフロのSSコロンビア処女航海設定がタートルトークやオーバーザウェイブ、セイリングの看板の入れ替えなどでしれっと消えてるあたり、ポートディスカバリーの設定もふわっと変わってしまうのだろうなぁ、と思うと少し切ない。
音楽は言わずもがな、TDS、いやTDR、もっと言えばディズニー最高峰の楽曲だろう。
出来ればCDにはストームライダー組曲だけでなく、搭乗前の部屋で流れるイントロリピートのやつも何処かで収録をして欲しい。
あの名曲が、演奏される場所を失うのは本当に惜しい。ミクロアドベンチャー!の素晴らしいテーマ曲が今はTDLエントランスの一部になっているように、ポートディスカバリーのエリアミュージックとして生まれ変わってくれることに期待をしたい。
そして私が最もストームライダーを愛してやまない理由をあげたい。
なんじゃそりゃ、って人に説明すると、ストームライダーではキャビンに搭乗する直前に、気象コントロールセンター研究員であるキャストさんが実演でミッション内容を説明してくれるのである。
私はこれが本当に好きだった!!
今でこそタートルトークにタワーオブテラーとキャストが説明をしてくれるアトラクションは増えたものの、昔は無かったのだ。
もう、カヌーかジャングルで体育会系なノリしか無かったわけです。
もっとさかのぼればシンデレラ城ミステリーツアーがあったけれども、シーではストームライダーくらいしか無かった。2つのシアターでも説明はあるけど本当に説明くらいなので、ストームライダーが1番エンタメ性があったのだ。
初めて見たときはベースとの掛け合いなどももしやここにいるのか?と思ってしまったほど。
最近では「今の…100万倍くらいですかね?」
はすべり芸としての地位を築いてしまったけども、話口調や映像を使ったパフォーマンスは、本当に素晴らしかった。
東京ディズニーシーはオープン当初は全体的にキャラに頼らない、生身の人間が見せるパフォーマンスを重視していた節がある。アンコール!やミスティックリズムはその最もたるものだけれども、アトラクションで初期のシーが標榜していたライブパフォーマンスのエッセンスを取り入れていたのは今思えばこのストームライダーだけだった。
そこまで難しいことは考えずとも、初めて乗ったとき、あの説明を受けたとき、「これが、これからのTDRのアトラクションなんだ…」と衝撃を受けた。
そう、思い起こせばオープン当初のシーの人気アトラクションの中で、「原作がないアトラクション」はストームライダーだけなのである。
今のファストパス対応アトラクションの中でもレイジングスピリッツとストームライダー、タワーオブテラーだけだ。(タワテラはトワイライトゾーンとはもはや無関係なので)
鑑みればあのあたりのオリエンタルランドはディズニー脱却をコンセプトにしていたのか、イクスピアリにオリジナルキャラを作ったり(何処に行ったんだネポス…)前述の通りアンコール!などのキャラ無しのショーが多かったり、シーではグリ施設は無かったり、かなりストイック、というかランドとの方向性の違いを明確に出そう、という気概があった。自分たちで新しいものを作るんだぞ!という。そんな中で作られたこのストームライダー、力が入らないわけが無いし、面白く無いわけが無いのである。
そう、シンドバッドが友愛のストーリーに書き換えられたり、グリ施設が4つもできたり、キャラ無しのショーは全部廃止された、オープン当初のコンセプトもへったくれも無い今のシーの中で、唯一、ストームライダーはあの頃の雰囲気を持っていた。ある意味では、ストームライダーはオープン当初のシーの遺跡なのである。
そして個人的なことを言えば、プレフライトクルーになりたかった。
たくさんの人の前で、ご案内をする姿が眩しかった。子供ながらに憧れて、いつしかあの案内はすべて諳んじれるようになっていた。
その影響もあってか、演劇部に入ったこともある。今の仕事でも司会業を少し受け持っている。
あのプレフライトクルーへの憧れ、ストームライダーへの憧れが、こっそりと私の人生に種をまいていてくれたのだと思っている。
ストームライダーは、思い出であり、人生の起点であり、唯一無二のアトラクションだった。
明日からは、ポートディスカバリーにストームライダーはいない。
それに伴い、14年に渡るストームライダーによるストーム消滅ツアーは廃止となる。
同センターによると、今後の学術研究へ注力するための選択だそうだ。
本日の閉鎖を持って、センターに勤務の全職員は新事務所へ移ることになる。
そしてたくさんのプレフライトクルーは明日も、新しい場所ながらも変わらずにストームや異常気象と戦う日々が続くのだろう。
もう二度と、凄まじい破壊力を持つストームの中になんか入れない。
もう二度と、100万倍くらいの小粋なジョークにクスリと笑うこともできない。
もう二度と、緑のチカチカの部分だけ決めゼリフのように声を被せる高校生の集団も見れない。
おやつのピーナッツのチェックも、雨に驚くゲストの姿も、エンジンがやたらと故障する機体にも、会えない。
そして、外へ出たときにより美しく感じる空と海のきらめきと潮の香りにも。
ストームライダーはなくなっても、乗った記憶、そしてそこに確かにあったという記憶は誰もの心に、残る。
だからこそこの寂しさは抑えて、大きな舵を切るオリエンタルランドを応援したい。
ここまで記憶に残るものを作ってくれたのだから、きっとそれを超えてくれるだろうと期待をしつつ。
本当に、ありがとう。
ポートディスカバリーは、今日も、晴れている。
私には好きな人がいた。それは中学と高校という多感な時期を一緒に過ごした同級生だった。
私と彼女は中高一貫の女子校で出会った。こう書くと百合だと思われるだろうが、あくまで私の性癖はヘテロであり、好きの感情は友情の域を超えないのだが、確かに私は彼女に憧れていたし、好きだった。
初めて彼女に出会ったのは中学一年で、彼女は隣のクラスだった。同じ部活動の子を経て知り合った。彼女はすらりとした身長で、絵と文章が上手な少女だった。文科系の遊びが好きだった私はすぐに友達になりたいと思った。しかし、人見知りで内気な彼女は話しかけてもろくに反応がなく、あまり接する機会もないまま学年が一つ上がった。
中学2年になって、私は彼女と同じクラスになった。驚いた。まさかこんな奇跡が起こるなんて思ってもみなかった。しかも、彼女と仲のよかった子は全員別のクラスで、彼女は一人で昼食を食べていた。
チャンスだと思った。
私も親しい友人が全員別のクラスになってしまったため、一人で昼食を食べていた。私は彼女に声をかけようか悩んだ。中学一年の時一度話しかけた時にすげない反応をされたことが怖くてなかなか声をかけることができなかったのだ。それでも私はある日勇気を振り絞って言った。一緒にお昼を食べませんか、と。震える声で言った。私の不安をよそに、彼女はあっさり承諾してくれた。それから彼女と一緒に昼食を食べるようになり、どんどん彼女と親しくなり、ついには放課後の習い事まで一緒に通うようになった。
彼女は演劇部の花形で先輩後輩問わず大勢からファンレターをたくさんもらっていた。そのころ流行っていた文章投稿サイトでは常にランキングの上位にいた。出会い系に電話してのこのこやってきた男を眺めるといった衝撃的な遊びをやったりもしていた。まさに、私にできないことを平然とやってのけるッ、そこにシビれるあこがれるゥ!といった感じだった。
それに反して私は実に平凡だった。何のとりえもない、誰にも顧みられることのない地味な存在。満たされない承認欲求を持て余した私には彼女はあまりにも私の欲しいものをすべて持っていた。純粋に彼女が羨ましかった。彼女は常に求められていた。輝いていた。本当に平凡だった私はそんな彼女に一番近しい存在になれたようで有頂天になった。
しかし、だんだん私は物足りなくなっていった。私の彼女に対する感情と、彼女の私に対する感情がイコールでないことに気付いてしまったのだ。
というのも彼女は常に孤独感に苛まれており、さびしい、とか、どうせ私は一人なんだ、とかそんなことばかりを言い、私からしてみれば一緒にいる私はなんなんだ!?という思いにならざるを得なかったのだ。私からみれば彼女の周りは常に彼女を気にする人で溢れていたし彼女は確かに私を含め大勢の人から愛されていた。しかし孤独感なんてものはとどのつまり本人の感じ方次第で、客観視にはなんの価値もないということを解するには当時の私はあまりにも幼く、彼女の状況に寄り添ってあげられず彼女に対する感情をどんどんこじらせていってしまった。
とにかくネガティブな発言をし続ける彼女を否定し、私の望む彼女を彼女に押し付けた。押し付け続けた。まるで彼女の管理者であるかのように傍若無人に振舞った。さびしいだと言えば、何を馬鹿なことをあなたの周りにはこんなに人がいるのに甘えるなと言い、孤独だと言えば、あなたより孤独な人なんていくらでもいる被害者ぶるなと言った。ある時などは、彼女がひどく品のない替え歌を歌ったことがあった。私はそんな歌を彼女に歌ってほしくなかった。再三歌うのを止めてくれと彼女に言ったが彼女はやめなかった。私はついに彼女を平手打ちした。彼女の眼鏡が飛んだ。その後どうして関係を修復したのかまったく記憶にない。だが、飛んで行った眼鏡のことは今でも鮮烈に覚えている。
高校に進学し彼女が学校を嫌がり登校日数ぎりぎりになった時も、私は彼女にとにかく頑張れと言い続けた。あなたには才能があるのだからもっと努力すべきだと。気の持ちようだと。疎外感なんてものは気のせいだ、無力感なんて欺瞞だ、あなたは恵まれているのだからと。
私の言葉が届かないのは彼女のなかで私の価値が低いからだと思った。なんとか私の中の彼女の存在くらいに、彼女の中での私の存在感を持たせたかった。彼女に私を認めて欲しかった。私がいるということを認めてほしかった。しかし中身のないハリボテをいくら繕おうとも全くの無駄で、結局私の想いは報われることはなくそのまま高校卒業となり私と彼女は別々の県に進学した。
遠い地に離れ離れになったが彼女と疎遠になるのが嫌で、私はなんとか彼女との接点を持ち続けようとした。そのころはまだSNSなどはなく、当時彼女がやっていたHPサイトの掲示板に時折書き込んだりメールしたりするだけだったが、とにかく頑張った。連絡すれば無視されることはなく返事はあった。一年に一度会うか会わないかだったが何とか連絡がつく状態を保ち続けた。彼女の住んでいるところの近くに住んでいた友人を紹介してより彼女の情報が入ってくる状況を作ったりもした。なりふりなど構っていられなかった。
そうしているうちにSNSが台頭してきた。もともと熱心にHPの更新を行っていた彼女はSNSでは非常に饒舌で、SNSさえあれば彼女の日々の暮らしや考えていることなどが詳細に知ることができた。
しかしSNSでの彼女はあくまでも昔のままで、いつも自分の不幸を嘆いていた。世間に毒を吐いていた。だんだん周りが結婚し、子供ができ始めた。彼女はずっと結婚願望があり、何人も彼氏が変わったが結婚には至らなかった。
そんなある日彼女がフェイスブックで幸せそうな同級生の投稿に嘲笑われている気がして辛いと言った。日々の生活に行き詰まりを感じていた私はそんな彼女に自分を重ね、そんなに自分を追い込まなくてもいいじゃないかと言いたくなった。ずっと彼女に辛辣なことしか言えなかったが、いまこそ辛さを分かち合えるかもしれないと思ったのだ。
確かに彼女たちは幸せそうで、あなたの望む幸せを持っているかもしれない。私はあなたの欲しがる幸せを幸せとは思わないので彼女たちをなんとも思わないけど、私の望む幸せを彼女たちが持っていたら妬ましいと思うだろう。でも、私の望む幸せはあなたにとってはどうでもいいことだから私の妬みなんて的外れだと思うでしょう。それとおなじで、誰もあなたを馬鹿になんてしていないよ、元気を出して、と。
彼女は怒った。
励ましが欲しいんじゃない。こんなものはチラ裏なんだからいちいち構うな。放っておけと。
壊滅的なすれ違い。私の言葉は一切彼女に届かない、この関係はすでに手遅れだ。そう悟った。いや、ずっと気付いていたけど見ない振りをしていた。彼女の感情に寄り添えない自分勝手な私は彼女にとって彼女の大切な人ではないということに。挽回はもう不可能だった。
彼女はSNS上では他の人には会いたいと頻繁に言っているのに、私に会いたいと言ったことはない。連絡するのは常に私から。誕生日にメッセージを送るのは私だけ。
正直疲れたのだと思う。私の努力なしには継続しない関係に。あまりにも些細なつながりにしがみつき、これは友情だと妄信していた。しかし、こんな関係は友情とは言えない。友情ではないことをずっと認めたくなかったが、私はついに諦めた。
私は怒った彼女にごめんと一言だけ言って彼女をフォローすることを止めた。見ているとやっぱりなにか言いたくなってしまうから。彼女も翌日私がフォロー解除したことに気付き私のフォローを解除した。解除後私について一言だけ、もう会うこともないから別にいい、とのエアリプがあった。完全に彼女との18年にも渡る縁が断たれた瞬間だった。
長い、本当に長い片思いだった。震える指先でフォロー解除ボタンを押したとき、ちょっと私が泣いたなんてきっと彼女は思いもしないだろう。
ただ、いま久しぶりにフォロー解除前後のやり取りを見直そうと彼女のアカウントをのぞいたらなんとブロックされていた。
フォロー解除後はしばらくブロックされていなかったし(未練がましくちょっとの間フォロー外から眺めていた)、フォロー解除後も特に彼女に対するエアリプをしたわけでもないので、少なくともどこかのタイミングで私に対して何かを思うタイミングがありそしてアクションを起こしたのだ。どうでもいい存在であればブロックなんてする必要などないのだから、私という存在が彼女に何かしらの瑕疵を与えることができたのかもしれないことを少しだけ喜んでしまった私は、本当に救いようがない。
2008刊 時雨沢恵一
主人公セロン ロクシェ首都にある第4上級学校の3年生 寮生 マクスウェル冷凍食品会社社長(母40)の子。母子家庭 妹がいる
7/4 終業式 夜行列車
5 実家 家族と会う ラリーから演劇部合宿の手伝いに誘われる
ニコラス 遅れてやって来た助っ人 長髪男
ラリーとナタリアが幼馴染だったという事が発覚し一緒にランチ。
校庭の隅にある古い倉庫 地下の採光窓 の奥に 人影が
隠し事があるかの様な怪しさを感じ
奥へ行く道と
人が住んでいる気配のある小部屋に
老人(男)を見つけた スーベーイルの言葉も話す
道の奥から 誰かの ソイツらを殺せ という命令口調の声が飛んできた
老人は声に従って 殴りかかってくるのが 留める
取り押さえられたと知り逃げる 足音
タレコミでスーベーイル人がこの学校倉庫の地下に隔離されていると聞かされて、調査に偽装身分で学校へ潜入していたそうだ。
終戦後に帰るに帰れずスーベーイルに住み続けていたところ、
兄であるマードックに見付けられ地下室に隔離されて過ごしていたという。
http://anond.hatelabo.jp/20160117091941
自信だけ満々の奴がいて、専門用語を間違って使ってるのに気づかんとか、
後輩にも煙たがられてるのに、予定調べて練習に顔を出して「俺やで?」みたいな雰囲気を出してきたり、
クラスの文化祭でいっちょ仕切ったろうとして、でも人望が薄くて
空中分解させて、温厚な担任にすら見放されて軽く拒否になったり、
Twitterで有名演劇人と絡んでるのを人脈自慢したり、光と闇の世界が闘う「オリジナルの」脚本を書いて
周囲に感想を強要してたりっていうのが、確かにいくつでも思い浮かぶけど、
嘘だと思ったら、映画「幕が上がる」を是非見てみてください。
中学生の時、「漫画家になるために絵の勉強がしたい!美術系の高校に行く!」と宣言。親、激怒。
見返すために漫画を一作仕上げ雑誌に投稿。結果、選外の最下位クラス。
漫研もなく美術部も名前だけしか存在しない高校だったため、漫画の次に興味があった演劇部に入部。
そこそこ楽しいハイスクールライフを送るも、中盤で「やっぱり絵に関わることがしたい」と美術系大学への進学を考える。
大学及び予備校の資料を集め、足を運び、大学卒業後のことも視野に入れ情報を集めるも、家庭の経済事情により断念。
大学では漫研と美術部を行ったり来たりするも、大学サークルの雰囲気に馴染めずドロップアウト。
演劇とサブカルの間をうろうろしながら、のろのろと漫画を描き上げ、数作投稿。結果、選外。
二次創作も含めウェブでの作品発表をぽつぽつと行うも、底辺の描き手から抜け出すことはなかった。
この鈍くささは創作活動以外にもおよび、わりときちんと就活に勤しむも無い内定のまま大学卒業。
そのまままた一年就活に駆けずり回り、文学にも演劇にも漫画にも関係ない所に就職。
仕事のストレスによる胃痛を抱えながら漫画を描いて投稿。結果はもちろん選外。
そうこうしてるうちに初投稿から10年あまりが経過し、同世代はおろかデビューするのは年下ばかりになってきた。
上京して必死に持ち込みしたり、アシスタントをしながら頑張ってたりするガチの志望者にGペンでぶっ刺されそうなぬるい経歴である。
そんな身で言うのもなんだが、やはり全てが足りなかったのだと思う。努力も、才能も、覚悟も。
全てをぶったぎって漫画一筋に懸けりゃあよかったんじゃねえの?という思いも無きにしもあらずだが、そこまで自分の才能を信じることもできなかった。
遅咲きデビューの売れっ子作家もいるよ、と励まされたこともあるが
そういう人は、たまたま漫画を描き始めるのが遅かった天才か、美大出てたり同人活動で実績があったりという人で
なんやかんやで20代前半までにきっちりとした土台を築いている人なので、自分のような人間と並べても意味がない。
それでもまだ、仕事を終えると家で漫画を描いている。ネタを思いつくとネタ帳に書き連ね、手が空けばクロッキーなどをしている。
最近自分の絵を見ていて「やっぱりちゃんと絵の勉強したかったなぁ…」という気持ちが湧いてきて、社会人の経済力()を活かして画塾に通うことにした。
同世代が婚活だキャリアアップだと息巻いてるなか、画塾。我ながらアホじゃないかと思う。
これは自分への投資などではなく、ただ世の自己承認欲求に付け込んだ商売に絡め取られているだけなんじゃないか。
まぁもうお金払っちゃったんだけど。
漫画を描いていることは中学生以降人には黙ってたのだが、最近恋人にカミングアウトしてみた。
なにやってんの、いい年して夢ばっかり見て、現実見なさいよ、と叱り飛ばされることを期待したのに
「いいんじゃないの、社会人なんだし自分のお金で好きなことしたら。夢があるって素敵だよ。
芸術ってさ、いつ評価されるかわかんないじゃん。死んだ後に価値が上がるとかザラにあるんだからさ」
と励まされた。恋人以外の人もわりとこんな感じの返事だった。
漫画は死後に価値が上がるような芸術ではないし、自分が万が一デビューするようなことがあっても漫画で食べていくことは不可能だろう。
なんで止めないんだろう。人に引導を渡すのは嫌だからだろうか。
そしてここまでのことを理解しておいてなお、なぜ自分は漫画を描いているのだろうか。
漫画を描いていることがこれからの人生でプラスになることがあるのだろうか。
安西先生、諦めとはなんでしょうか。
死にたいのに、なかなか踏み込めないときってどうすれば良いんでしょうか。
私、今日帰って来るときに少し大きめな道路で、何回も車を恨めしげに見ながら見送ってしまいました。
この間は、母に言われて洗い物をしていたときに、近くにあった包丁を持って手首に当ててみたけど切ることができなかった。
嫌なんです。全部。
演劇部なんですが、丸一年やってようやく、自分には才能がないって気付きました。
絵を描くのも好きですが、とっくの昔に下手くそだってことには気づいたんです。
気づいたから、自己紹介で素直に、「漫画家になりたい」って言えなかった。
そんな私が生きててなんの価値があるんでしょうかね。
なんで父と母は私を生んだんでしょう。
誰か助けてください。
そこで二人の先輩がいた。
一人がいつも真面目で努力を怠らない先輩で、もう一人がいつもサボってばかりいる先輩だった。
真面目な先輩が練習している横でもう一人の先輩は私たち後輩と馬鹿話ばかりしていた。
「練習してよ!」といつも叱られていたことをかすかに覚えている。
けれど人気キャラを演じていたのは何故かサボっていた先輩ばかりだった。
その人気キャラは真面目な先輩が演じたがっていたキャラで、毎回演じたいキャラをサボっていた先輩に取られてしまうと嘆いていた。
その上、劇で注目を浴びていたのはサボっていた先輩ばかりで、真面目な先輩はおまけ程度にしか扱われていなかった。
才能と言うには大げさではあるけど、当時の私は努力ではどうしようもないのだろうな、と感づいていた。
そんな私は大人になって、どれだけ努力したって才能ある人に敵うことはないと断言できる。
「努力しなきゃ!」と言う人に限って成果が出せないし、遊び感覚で取り組んでいる人のほうが結果が出ている。
そもそも、努力しなくちゃと口を酸っぱく言う人は才能がない人が多い気がする、少なくとも私の周りに努力アピールをして結果が出た人はいない。
主人公の蒲生大海はフリーダイバーでCWTの元日本記録保持者蒲生洋海の息子。
彼自身も将来の活躍を期待されていたが、5歳の時に海難事故に遭い、父親を喪う。
そして10年後。事故をきっかけに水恐怖症となった大海は、父から受け継いだ強靱な肺活量と体力をもてあましながら腐れていた。
いろいろなスポーツに挑戦してみるが、ダイビングほどの充実感はない。
高校に進学した大海は、ひょんなことから不良に絡まれている少女を救う。
「何をしてるんだ」の一括に怯み、退散する不良達。大海は声が無駄にでかかった。
「あなた、良い声しているわね。よし、君に決めた! うちの部に入らない?」どうせ自分を満足させる部活などない、と判断しついて行く大海。
声が大事な部活って何だ? 合唱部? 放送部? 演劇部? はたまた落研?
連れて行かれた先は校舎の隅にある数学準備室。内部には怪しげなカーペットや曼荼羅、謎の像などが並べられていて……
登場人物
主人公。強靱な肺活量で無限のキャント(カバディの連呼)を行える。
激しく動きながらの無酸素運動という、フリーダイビングとの大きな違いに戸惑いながらも、レイダーとしての実力を伸ばしていく。
自由が丘高校の褐色ロリ顔数学教師。ヒロイン。父親が帰化インド人、母親が日本人の日印ハーフ。
カバディに情熱をかけ、カバディ部をつくるも部員不足で試合に出られない、という状況に陥っていた時に大海と出会う。
ちなみに同じ主人公設定、前振りで考えた吹奏楽漫画(なげやり)
吹奏楽部の2年生だという彼女に一目惚れした大海は、楽譜どころかガの字も読めない状態で吹奏楽部に入部。
はじめのうちは「音が出ない」ことに驚いたり悔しがったりしていたが、次第に吹奏楽の魅力に気付いていく。
自分にとってのトラウマは、他人にとってはとってもいい思い出だったりするんだよね。
というか、高校2年の時の記憶全て、思い出したくもない。
それまでは、それなりに仲良くなれる人がクラスに必ず数人いた。
だけど、その年だけは違った。
ギャルっぽいノリのねーちゃんたちの中に、内気な女子(オタク)が混ざったと書けば、
仲いい友人はみんな文系コース。自分だけ理系。そりゃークラスが違って当然だ。
仲いい友人はみんな放送部。自分だけ演劇部。部活での接触だってない。
(ただ、進路選択も部活も、自分の選択を後悔したことはありません。やりたいことはやったので)
実際のクラスに行ってみなきゃ分からない!と思って始業式に臨んだけど、見事に波長が合わない人ばかりでまた泣いた。
「元2年2組はとっても仲が良かったって聞いたよ!毎年同窓会してるんでしょ?」
一度も呼ばれたことねーよ。
最後にクラス冊子を作ったけど、本当に書くことないから呪いの言葉を一行だけ書いて出した。
このクラスでいいことなんて一度もなかったって書いてさ。
こんな自分でも冊子をもらったけど、中身を見たら、妬ましくて憎くて仕方なくなって、その日のうちにばらばらに切り裂いて捨てた。
青い海の沖縄へ、3泊4日の旅。
1年生のときにさ、仲いい友達数人と約束してたんだよ。同じグループになろうねってさ。何度も確認したんだよ。
結局駄目だったけど。
実際はただ忘れていたんだと思う。裏切りとかではないと思う。
仲良しの友人らは、新しいクラスの友人らと一緒にグループを組んでいて、私の入る隙間なんてなかった。
どこのクラスにも、イマイチ雰囲気に馴染めない「余り物」っていうのが存在する。
自分たちがどことも馴染めない、どこからも必要とされていない存在だっていうのが悔しくて
(必要とされていない、は言い過ぎかもしれない)
余り物でもめっちゃくちゃ旅行楽しんでやるぜー!って感じで張り切った。頑張った。
力の差ゆえの理不尽な要求は呑まざるを得なかったけど、
(ギャルなねーちゃんに部屋の交換のことを言われたらNoとは言えなかった……)
それ以外ではもう吹っ切れて行動した。さすがに旅行前の下準備+3泊4日の間、行動を共にしていると、
今までそんなに顔を合わせたことのない面々もめっちゃくちゃ仲良くなった。
3日目の夜は最高に楽しかった。「私たちが一番楽しんでるよね!」とか言い合ったりした。
ここで終われば、いいお話だったね、で終わるだろう。
いつまでも引き摺る自分が女々しさこそ憎むべきだし、無くすべきだと思う。
最近、高校のときの友人(1年のときの仲良しな友人ら)とよく食事をする。
その度に、もやもやが広がっていく。そうだね、君たちは、何も気にすることなくただ楽しんだよね、きっと。
この前、「増田も同じ班だったよね、いやー、最高だったよね!」なんてことを言われたから、思わず
「違うから!私にとって修学旅行はトラウマだから!」と言って、話題そのものを断ち切ってしまった。
私にだって、楽しい思い出がたくさんあったのに、トラウマなんてことはないのに。
それと同時に、そんなに楽しかった思い出が、友人らの脳内では大変都合よく改変されていて、
なんといいますか、楽しければ記憶って曖昧になるんだなと思った次第でございます。
忘れたいのに未だに忘れられないトラウマと、忘れたくないのに忘れていく楽しい思い出。
逆だったら良かったのにね。本当に。
補論の補論のそのまた補論みたいな発言になってしまうが。
"体育会系"というネーミングを再考するべきかも、と思う。
あなたが言いたい"その種の人たち"を指し示すのに、長年使われているし、
なにより、おそらく他のどのネーミングよりも適切なイメージが沸くので、もったいないけど、
"体育会系"という言葉から、短絡的にバスケ、野球、サッカーを厳しくやっている集団の出身者、と
受け取る(あるいは、カラむために意図的に曲解する)人も居ると思う。
ひたすら良いパフォーマンスを追及している本当のスポーツマンは、プロ/アマ問わず、
もっと内省的だったり、オープンマインドだったり、個人主義者だったりする。
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ちなみに、演劇部とか吹奏楽部のクズ系クラブは、体育会系クズそのものだし、
あろうことかオタ系サークルでも、「俺たちは馴れ合いクラブじゃない!」とか
マジで標榜していて、イベントとか創作活動の段取りの良し悪しにダメ出しをして、
驚いたのは、MMORPGで、「仕事があるからログアウトしたい? 甘ったれんな!!!!!」
なんて発言が飛んでるって聞いたとき。
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集団主義。精神主義。上下関係の押し付け。不合理な文化の固守。シゴキが大好き。
だからこそ序列を這い上がろうとして他人を蹴落とそうとする。
序列が下の人間を確保して囲っておこうとする。
自分なら、そうだな。"軍隊式"、"スパルタ式"、"旧日本軍式"とか。
どれもしっくりこないな。
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あと、ここまで飛び交った社会人の類型は体育会系、文系、理系の3つだけど、
群れる、シゴく、ハブる、侮辱する、みたいなコミュニケーション的な意味で迷惑。
文系が策謀をめぐらせる下で、その手先として体育会系が下士官というか鬼軍曹をやってる感じ。
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嫌がらせをしてくる感じ。
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ちなみに自分は理系のクズで、ただし最低限のルールというかモラルとして、
「理屈並べてねぇで、黙ってやれってんだよ!」とかドヤされたら、
「それをやると機械が止まりますけど、いいですか」とか注意を喚起しないで、実施しちゃう。
結果として大トラブルになったら、「ご指示に従ったまでですが、何か?」とか。
ヘルプ用アドレスにメールをよこさないで、「俺がやれってんだから、今すぐやれよ!」とか
椅子を蹴飛ばされたら、超最低限の応急処置だけして、問題がおきたら、
「いや、自分が何をしたか記録が残ってないんです。メールのやり取りがログを兼ねてるもので、
どんなレガシーシステムがあろうと、ブラックボックスがあろうと、
使い捨てのスクリプトが山ほどあろうとも、要求されただけの引継ぎだけして、
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……というわけで、最終的に何が言いたいかというと、
1)社会人だったら誰でも、1人の中に文系、理系、体育会系の要素が混在していて、
ただ、大抵はどれかが突出して表面に出ている。
2)どの系にもクズは居る。
クズと非クズの境界線は"対話の拒否"と"多様性を受け入れることの拒否"である。
3)そして、まことに残念なことに、部活動の段階からして、体育会系には
クズを育成、量産するシステムが制度として出来上がってしまっている。
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こんなところかな。
2011年10月25日、スクエアエニックス(=SE)から新雑誌「増刊ビッグガンガン」(=BG)が刊行された。
元々は、SEから刊行されている青年誌「ヤングガンガン」(=YG)の増刊号である「増刊ヤングガンガン」。それを連載作品を増やし、雑誌の綴じ方も、中綴じから平綴じに変えて2011年にリニューアルされた「増刊ヤングガンガンビッグ」(=YGB)が前身となる。連載陣も増刊ヤングガンガンビッグからの移籍連載が多い。従って、雑誌の特色も増刊ヤングガンガンビッグを引き継いでいる。
月刊ビッグガンガンの特色に他社での活躍が目立つ作家が多い事が挙げられるだろう。
創刊号の表紙を飾った『群青』(原作:坂本虹)の作画を担当する桐原いづみは、先日『アキラとひより』をSEから刊行したが、他に高校の演劇部を舞台にした『ひとひら』(双葉社)、異世界から来たお姫様との冒険譚『白雪ぱにみくす!』(マッグガーデン社)など他社での活躍が目立つ。
他にも、別冊少年マガジンで『浪漫三重奏』(講談社刊)を連載しているあわ箱、『でろでろ』(講談社刊)で人気を博した押切蓮介や、週刊少年サンデーで連載していた経歴を持つ『射~sya~』の大塚志郎など、他社で活躍していた作家を増刊ヤングガンガンビッグ時代から多く起用している。
今回新しく連載が始まった『学園革命伝ミツルギ なかよし』(原作:河田雄志 作画:行徒)は月刊コミックラッシュ(ジャイブ刊)からの移籍連載。『雛見沢停留所~ひぐらしのなく頃に原典~』(原作・監修:竜騎士07)の作画を担当するともぞも電撃大王GENESISで連載を持つ『外部組』だ。
一方でSE内での作家の起用も『シスターハニービスケット』のおみおみは月刊Gファンタジーで活躍していた。『西悠々記』の忍はガンガンJOKERで連載を持っている。
さらに、漫画製作ソフト「コミPo!」を使用する異色の漫画家ダ・ヴィンチ・恐山の『くーろんず』『4コマくーろんず』はガンガンONLINEでも掲載されており『4コマくーろんず』は10/27からガンガンONLINEと並行しての連載が開始する。
読切作品でも、ガンガンJOKERで連載中の『黄昏乙女×アムネジアン』(めいびぃ著)の特別編が掲載。
ヤングガンガンの増刊ながら雑誌の枠にこだわらない人選が目立った。
もちろん、ヤングガンガンからも実力作家がやって来ている。先日、円満終了した『はなまる幼稚園』の勇人が描く、シスコンの兄と3人の妹が織りなすコメディ『シスプラス』、アニメ2期が好評放送中の『WORKING!!』の高津カリノのお役所4コマ『サーバント×サービス』、小林立麻雀漫画『咲-saki-』をパロディにして描く木吉紗の4コマ『咲日和』はヤングガンガンですでに連載されていたが、今回より本紙とYGとの同時並行での連載となった。
YG連載陣からは、前述の『WORKING!!』を始め、『死がふたりを分かつまで』(原作:たかしげ宙 作画:DOUBLE-S)、『天体戦士サンレッド』(くぼたまこと)、『オシエシラバス』(高尾じんぐ)の特別読み切りが掲載された。
また『魍魎の揺りかご』の三部けいはオリジナルのダークヒーロー読み切り『DARK RABBIT』を掲載した。
メディアミックスも盛んだ。
これまでSEの各紙で竜騎士07氏の作品をコミカライズして来たSEだが、今回も竜騎士07氏が原作・監修を担当するコミカライズ作品が2本連載している。
前述の『雛見沢停留所~ひぐらしのなく頃に原典~』は大ヒット同人ゲーム『ひぐらしのなく頃に』のプロトバージョンとでもいうような作品で、雛見沢を舞台にしつつも、登場人物の年齢や、役回りが微妙に変わっている。新人の伊東フミが作画を担当する『うみねこのなく頃に翼』は『うみねこのなく頃に』のパロディ漫画。原作のキャラクターをかわいく、そして面白く描いている。
現在、SEがガンガンJOKER、YGでコミカライズを行っている裕時悠示の『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』(GA文庫/ソフトバンククリエイティブ刊)も、稲瀬信也が作画を担当する『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる+H』(キャラクター原案 るろお)として新連載が始まった。
加えて、2012年に放送が予定されているアニメ『輪廻のラグランジェ』も同タイトルでの連載が始まった。Production I.Gの原作を新人作家のIsII(いしー)が漫画化した。
メディアミック作品ではやはり、伊東フミ、稲瀬信也、IsIIなどの新人作家の起用が目立っが、オリジナルの連載作品でも新人の登用にも意欲的だ。
読切では、『きっと可愛い女の子だから』のミハルは主にweb漫画で活躍している作家だが、かつてはガンガンパワードにも作品を掲載した事がある。コミックギアでは九品そういん名義で活動していた、星野蒼一朗の『なんだかんだでたのしい』もYGBに続き2作目の掲載。
連載作品でも、YGBからの移籍組の一人『化けてりあ』のたかはし慶行は増刊ヤングガンガン時代から読み切りを掲載していた。『極道チェリー』未須あゆみもかつてSE刊行のドラゴンクエスト4コマの他、YGに読み切りを掲載した事がある。YGBで掲載された藤村歩実『春になるとウズウズしちゃう』は今回の新創刊に合わせ連載化、香の『Behavior』は『彼女と彼女のBehavior』に改題して短期連載が決まった。
他に、3人の偉人と2人の父娘がおりなすドタバタコメディ『教育。』の蔵人健吾、男性には分からない"禁断(?)の女子ワールド"を女性漫画家キャンディーサトウと、担当の女性編集が探索するルポ漫画『男子の知らない"○○女子"の世界』などがある。
また、今回の新創刊に合わせて、ビッグガンガン漫画賞を設立。第1回の締め切りは2011年12月31日(土)当日消印有効。2012年2月25日(土)発売のBG2012vol.03にて発表される。
雑誌の枠を超えて様々な作者を起用する一方で、新人の育成にも力を入れる新雑誌「月刊ビッグガンガン」の今後の展望が期待される。
中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。
彼女の言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないで欲しいと思った。知るのが怖かったのだ。
教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタートと悪魔がせせら笑った気がした。
私はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子も男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。
昨日まで楽しかった学校が拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。
私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期の少年少女にありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。
無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校は勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。
2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものではない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。
私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。
血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界からの情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。
無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活だけが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。
オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このときの絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。
家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。
「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した。
私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から「牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。
突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度も登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。
恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日の目標ができて私は嬉しかった。
それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通のことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。
3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイトは不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。
3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間に勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後は先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。
年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーだからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。
合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生と報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。
私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情のダムは決壊した。
気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。
その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子が牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。
卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式は合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトはアルバムに寄せ書きをしたり写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。
下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした。
「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後の最後で味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした。
帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい。