2012-08-18

自分にとってのトラウマは、他人にとってはとってもいい思い出だったりするんだよね。

高校2年の時の修学旅行が未だにトラウマ

というか、高校2年の時の記憶全て、思い出したくもない。

それまでは、それなりに仲良くなれる人がクラスに必ず数人いた。

だけど、その年だけは違った。

ギャルっぽいノリのねーちゃんたちの中に、内気な女子(オタク)が混ざったと書けば、

ある程度その悲惨さが想像できるのではないかと思う。

仲いい友人はみんな文系コース。自分だけ理系。そりゃークラスが違って当然だ。

仲いい友人はみんな放送部。自分だけ演劇部部活での接触だってない。

クラス替えの発表のときは泣きに泣いた。

(ただ、進路選択も部活も、自分の選択を後悔したことはありません。やりたいことはやったので)

実際のクラスに行ってみなきゃ分からない!と思って始業式に臨んだけど、見事に波長が合わない人ばかりでまた泣いた。

「元2年2組はとっても仲が良かったって聞いたよ!毎年同窓会してるんでしょ?」

一度も呼ばれたことねーよ。

最後クラス冊子を作ったけど、本当に書くことないか呪い言葉を一行だけ書いて出した。

このクラスでいいことなんて一度もなかったって書いてさ。

こんな自分でも冊子をもらったけど、中身を見たら、妬ましくて憎くて仕方なくなって、その日のうちにばらばらに切り裂いて捨てた。

そんな自分が、唯一救われると思い込んでた、修学旅行

青い海の沖縄へ、3泊4日の旅。

クラスの垣根を越えてグループを作ることが出来た。

1年生のときにさ、仲いい友達数人と約束してたんだよ。同じグループになろうねってさ。何度も確認したんだよ。

結局駄目だったけど。

実際はただ忘れていたんだと思う。裏切りとかではないと思う。

自分が考えていたよりも、クラスの垣根は高かったんだね。

仲良しの友人らは、新しいクラスの友人らと一緒にグループを組んでいて、私の入る隙間なんてなかった。

どこのクラスにも、イマイチ雰囲気に馴染めない「余り物」っていうのが存在する。

私の修学旅行グループは、余り物の寄せ集めだった。

自分たちがどことも馴染めない、どこから必要とされていない存在だっていうのが悔しくて

(必要とされていない、は言い過ぎかもしれない)

余り物でもめっちゃくちゃ旅行楽しんでやるぜー!って感じで張り切った。頑張った。

力の差ゆえの理不尽な要求は呑まざるを得なかったけど、

(ギャルなねーちゃんに部屋の交換のことを言われたらNoとは言えなかった……)

それ以外ではもう吹っ切れて行動した。さすがに旅行前の下準備+3泊4日の間、行動を共にしていると、

今までそんなに顔を合わせたことのない面々もめっちゃくちゃ仲良くなった。

余り物ってシンパシーがあったからでもあるだろう。

3日目の夜は最高に楽しかった。「私たちが一番楽しんでるよね!」とか言い合ったりした。

ここで終われば、いいお話だったね、で終わるだろう。

ここまでは敢えていいお話風に書いたさ。ほぼ事実だけど。

いつまでも引き摺る自分が女々しさこそ憎むべきだし、無くすべきだと思う。

最近、高校のときの友人(1年のときの仲良しな友人ら)とよく食事をする。

修学旅行の話はよくする。最高に楽しかったねって。

その度に、もやもやが広がっていく。そうだね、君たちは、何も気にすることなくただ楽しんだよね、きっと。

この前、「増田も同じ班だったよね、いやー、最高だったよね!」なんてことを言われたから、思わず

「違うから!私にとって修学旅行トラウマから!」と言って、話題そのものを断ち切ってしまった。

私にだって楽しい思い出がたくさんあったのに、トラウマなんてことはないのに。

それと同時に、そんなに楽しかった思い出が、友人らの脳内では大変都合よく改変されていて、

なんといいますか、楽しければ記憶って曖昧になるんだなと思った次第でございます

忘れたいのに未だに忘れられないトラウマと、忘れたくないのに忘れていく楽しい思い出。

逆だったら良かったのにね。本当に。

  • こっちも2年で沖縄の修学旅行あったし1年の頃は仲良しの友達がいて似たような境遇だなあと思った でもこっちはクラスぐるみで修学旅行来るなって言われて結局行けなかったよ 剥き出...

  • これ読んでもどのあたりがトラウマなのかさっぱりわからん

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん