旋律どころか緩急も粗密もなくずーーっとブオブオ言ってるだけ
蜂の巣に近付いて一斉に威嚇してきたときああいう感じだ
ゲームの展開に対するどよめきや息遣い、歓声・悲鳴も全部土人の威嚇音で聴こえなくなってる
虫か
感動的なストーリーを持ってるからでしょ。
ストーリーがないものには見向きもしないのが大衆だから 逆に言えばストーリーがあればそれだけで話題になる
一般人の知事は話題にならなくても、芸能界出身でテレビである程度ストーリーを垂れ流してる芸人が知事になれば話題になるのと一緒。
ちなみに、もう終わったけどクイズミリオネアとかSASUKEはこの手法を最大限利用してる。ただの一般人にたくさんのストーリーをくっつけて視聴者に感情移入させようとしてる。
正論で現実が良い方向に変わると信じている人が想像以上に多くて驚いた。
そういう人は、正論を吐きたがるゆえに、あんまし現実を動かす力が無いから、気にしなくてもいいと思うんだ-。
うるさいけど、それは耳塞いでれば済む話。
それだいたい、
って発言単体で大爆発と言うか
アニオタに取っちゃ致命的だと思うんだけどね。
その方は漫画やアニメやのキャラに一切感情移入しないってことだろう?
過去のことは「撤回して自己批判」とまで言うなら目をつぶってやるとしても
今後一切アニメキャラの心情語ったり萌えたりしねーってことでしょ。
更にいえばその人はただのオタクじゃなく漫画とかアニメの評論ライターを仕事にするらしい。
どんなレベルか知らないけど、擬人化という思考手法・執筆手法を放棄して仕事が成り立つのか?
本当にそんなことできるのか興味を持って見守りたいぐらいだ。
誰かや何かを考えて理解しようとする時、人間はしばしば対象を擬人化して考える。
特に日本人はその程度が甚だしいらしいが、一切擬人化せずに考えるってほうが難しいだろ。
突然なんでそんな馬鹿なこと言い出すかって言うと
その人は政治的な話題のシーンで自分の左翼的な方向を守ろうとする時に
発言の知能が2段階ぐらい落ちるんだよね。これはもう見てて明らかに。
なんかその左翼、相当無理してやってるでしょ、とたまに見かけるたび思う。
2008年夏にストライクウィッチーズが起こした奇跡はまだ記憶に新しい。
ヤマトからガンダムそしてエヴァへと続いたSFアニメ、エヴァ以降に生まれ席巻した萌えアニメ、その両方を奇跡的なバランスで兼ね備えた名作である。
00年代末期にして生まれた00年代の代表作である事は誰もが疑わない事であろう。そのDVD第一巻の売上は推定累計15000本の大ヒット。
だが後の「けいおん!」の50000本、「化物語」の80000本と比べると見劣りしてしまう。
この2作品は実に特殊である。化物語の特徴的な演出は普遍性があるとは言いがたいし、けいおん!に至っては本放送当時、多数の同業者が首を傾げた事実がある。
そんな言わば傷物の作品が何故これほどまでの売上を誇る事が出来たのであろうか。
結論から言ってしまうと「女性アニメオタクにも配慮した結果」である。
化物語も個性あふれる多種多様なヒロインが登場する作品であるが、原作からして女性ファンが多く、アニメも人気男性声優を起用する事で
否応なしに女性を惹きつける事に成功している。
けいおん!は劇中に女性キャラしか登場させず、ヒロイン達も非常に媚びた言動をするキャラクターであり、一見男性向けのように感じるが
その実、女性の嫌がる性的要素を徹底的に排除してあり、加えて、京都アニメーションの高い演出力によるリアルな描写に反した
いかにもアニメ的な言動をするキャラの“ちぐはぐさ”が、逆に「これはフィクションなんだ」と無意識に訴えかけ、女性に抵抗を感じさせない。
そして決定的なのがキャラクターデザイン。いわゆる「萌え絵」と言うものが浸透した現代において明らかに異質な絵柄。何と言うか、非常に“ブサイク”
まるで平安美人のようである。この絵柄は近年の京都アニメーション作品の中に蔓延し「涼宮ハルヒの憂鬱」第二期の中にも見え隠れしている。
特に「らき☆すたin武道館」におけるこなた達を見れば、いかに“けいおん顔”がブサイクであるかは誰でも容易に一目瞭然である。
だがしかしこのブサイクさが重要なのである。「家庭教師ヒットマンREBORN!」におけるヒロインへの女性からのバッシングを代表するように
女性オタクは非常に嫉妬深い。アニメキャラクターへも容赦なく負の感情をぶつけてくる。
けいおん!はあえてキャラクターの外見をブサイクにする事でそれを回避する事に成功しているのである。
そういった様々な配慮により、女性の目にも耐えうる作品になっているのである。
こう言った要素の片鱗は08年秋から始まった「とある魔術の禁書目録」に感じられ、翌年の「とある科学の超電磁砲」に引き継がれる。
09年「けいおん!」から始まり「化物語」「とある科学の超電磁砲」と女性配慮アニメが台頭する中にあっては
男性主観の象徴である百合アニメ、そのブームの延長線である「咲-saki-」が失敗し、「大正野球娘。」が不発に終わったのも時代の必然だったのである。
時代。そう、ストライクウィッチーズ誕生の奇跡によってアニメは一つの限界を向かえ、新たな時代へと進まざるを得なかったのである。
そして10年代に突入した現在、女性配慮の意思を受け継いでるアニメがある。それが「WORKING!!」「Angel Beats!」である。
WORKING!!も「けいおん顔」のようなブサイクさを踏襲し、化物語のように男性キャラクターを兼ね備えている。EDで男性キャラクターを立たせているのは
「バカとテストと召還獣」でも見られた手法だ。そして「種島ぽぷら」のような扇情的な造形をし、女性の逆鱗に触れるようなキャラクターは不自然なまでに隅に追いやっている。
こういった細かい「配慮」で非常に少ない放送局でありながらDVD売上30000本に届こうかという勢いを叩き出している最中である。
そして「Angel Beats!」だ。このアニメも近年のアニメとしては男性キャラクターが多く、直井というキャラに緒方恵美を起用するなど女性に配慮しているアニメである。
しかしこの作品の真価は非常に特殊な設定で、00年代に流行った要素を意図的に詰め込んでる感があるのは誰もが思うところだろう。
真っ先に思いつくのが涼宮ハルヒ以外何者でもないヒロインのデザインと、SOS団を思い起こさせる「死んだ世界戦線」略して「SSS」だ。
意図せずにこうまで類似した設定を作るものだろうか? あえてやっているとしか思えないのである。
では何故そんな、ともすればバッシングの的になる事をあえてやるのか?
一つ思う。
00年代の要素すべてを一途に消費させ、新たな10年代のアニメを始まらせるためではないか。
そんな「架け橋」になろうとしているAngel Beats!が、「女性配慮」という00年代末期に「けいおん!」「化物語」が起こしたばかりの新時代の要素をも
内包している事に驚きを隠せない。……これは偶然だろうか?
古き時代と新しき時代を繋いだAngel Beats!、その終了によってアニメはようやく10年代のスタートを切る事が出来るのだろうか。
7月からは待望のストライクウィッチーズ第二期が開始される。
他にも「みつどもえ」や「侵略!イカ娘」「神のみぞ知るセカイ」そして「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のアニメ化が決定
話題作が目白押しだ。
それらの中から「10年代のストライクウィッチーズ」が現れる事を、ただひたすら祈ることしきりである。
しかし、自国の領土や財産に頓着する態度がなんで「右翼」なのかわからない
左サイドの人達は頓着しないの?
とあるように
彼は単に領土に頓着するだけで「右翼」にしたがる元増田みたいなうすらサヨに疑問を持ってるだけじゃん。
(そいつらの正体は俺が書いたとおり
http://anond.hatelabo.jp/201614225004)
元増田が領土気にするだけで「右翼」呼ばわりしてるから「左翼は違うの?」という疑問になってるだけ。
なんてことはどこにも書いてない。
じゃぁまず、なぜ同じだと思うか書いてみ?
私は普通の人で、私の言う「普通の人」はホゲホゲが分からないんだ、っていうのを相手に伝えるのがコミニュケーション力()笑なんじゃないの?
コミュニケーション力ないなー
左サイドの人だって、領土には頓着するぜ。
日本共産党なんて「四島だけじゃなく、千島列島全部返せ!」「自衛隊じゃなく、ちゃんとした軍隊作って自主防衛!」
「お花畑な人/現実を見てる人」がいるだけで、それは左右とは別の話だな。
前からこうだね。
受け入れられる耳障りのいい正論と、自分の内面が表に出るときと両極端。
18禁関連なんてその最たるもので、一応ありむーは3次ロリ規制反対派ってことらしい。
そういう主張をすることと同じ口が、陵辱の醜さを語り、嗜好の下劣さを語り、他人にも内省を強いる。
自分を省みてる俺カコイイ的な。
バーコード禿が進行して、一つの帯みたいになってる人がいた。
まるで黒いカチューシャをしてるようにみえてそれいらいバーコードryを見るたびにカチューシャにすればいいのにとか思ってしまうごめんなさい増田でしかこんなこといえないー!
領土侵略や圧迫に頓着しない態度は戦争呼び込む原因にもなるのにね。
まあ日本の左翼は左翼だのマルクスだのっていうより「ガキの粋がり」と呼んだ方がいいもので
中学生ぐらいで粋がる奴の中でも、喧嘩弱いうらなり瓢箪タイプの主張によく似てる。
ヒネてて攻撃的で自分は平均より頭いいと思いたいというだけだし、
戦争を憎んで平和を愛するというより「自分を許容してくれている大きいもの(保護者)」を攻撃したいだけ。
あいつらが日本の領土が侵略されたりすると嬉しそうな顔をするのは左翼の思想じゃ理屈が付かない。
日本やアメリカを頼もしい保護者だと思ってるから、それが毀損されるのを見ると歪んだ喜びが涌く。
また「毀損されてることに頓着しない俺」が彼らにとっては大事で、
という幼稚な意識を楽しんでるだけ。
うーむ
俺は無知だからちょっと質問させて欲しい
横行しているが、地方都市の衰退というのは「既存の社会インフラの利用率を下げる」一方で、
更なる一極集中は「首都圏での新規社会インフラ投資を必要とする」という愚策でしかない。
人口密度が低い地域のインフラってもともと凄く効率が悪いんじゃ?
また、「既存」と言ったって作りっぱなしのものじゃなく維持費がとっても高いよね?
地方のインフラって「人が住んでる以上公平に最低限の生活を保障…」という理由で
効率や採算を度外視した持ち出しで成り立ってるのが基本だと了解しているけど
そうするとその効率悪く巻き散ってる「わずかだけど人が住んでるゆえに要インフラ」地域が減り
都市部に集まってみんなで効率の良いインフラを使う、っていうのは
少なくとも論点であるインフラの投資効率的には悪くない自体なんじゃ?
以上どうなんでしょう
何故それの醸成が必要なの?