はてなキーワード: 安定的とは
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54304 を読んで
生物進化の観点で考えると、少子高齢化は増えすぎた生物種を絶滅においやる自然の摂理と感じられる。
生物は両性具有から、役割を分担した方が種の保存の観点から効率的であったので”性別”を手に入れた。
主に運動性能を向上させた性と、新しい個体を生み出すことができる性である。
しかし、人間社会は成熟し、肉体労働の割合が減少するにしたがって、
ホワイトカラーであれば、女性は男性と同じパフォーマンスを発揮できるのだ。
新しい個体を生み出す機会(これは産む産まないの1か0かではなく、産む”機会”の話)を損失して、
社会に出て働くことを選択した女性のパフォーマンスは男性と同じでは意味がない。
あくまで種の効率性の観点では、男性と同じパフォーマンスなら男性がやればいい。男性には子供が産めないのだから。
(女性の皆さんは「そんなの派遣社員にやらせればいい」というおじさん上司の口調で読んでいただきたい。)
ホワイトカラーの観点で、本当に女性と男性の知性が全体として同等のレベルにあるならば
(男性の権益を守るには、肉体的疲労を伴う仕事を増やすしかない。AI化なんてもってのほかである。
究極は戦争。いろんな意味でマッチョにいくしか男性の権益は守られない。)
イスラム圏や発展途上国に残る女性差別は、人間という生物的プラットフォームの仕様に
ユーザー側が忠実に合わせている状態なので、種の繁栄という観点では効率的である。
ホワイトカラーの仕事が増えようが、組織的に女性の選択肢を絞り、男性の選択肢の数と等しくする。
女性から見ると、女性は男性に働かせ、自分たちにしかできないことに専念する。
そうすることで安定的に個体数を増やし、勢力を拡大することができる。
つまり、今までの進化で得てきた生物的プラットフォームを壊そうとしていると言える。
次は「新しい個体を産む」役割分担を平等化することが不可欠だ。
男性もできるようにするのは役割分担以上の効率化とは言えないだろう。
しかも、今あるような体外受精のあと子宮内に戻すような方式ではない。
大半の人が人気付き。スーパー研究者だけが妻を養える安定した生活を手に入れられる。
研究者が子供の写真ベタベタ貼ってたりするのは、俺は安定したポストを得られたスーパー研究者だぞっている、他の不安定なポストで苦しんでる研究者に対するマウンティングなんですよ。
反発はあろうが、現実、研究者業界は優秀で安定的なポストを取れた人だけが子孫を残し、更に優秀な次世代を残す進化論みたいな状況になってる。
スーパー研究者(男性)は、複数妻を持って何人も子供作らせた方がこの国のためだと思いますよ。
俺は安定したポストを持っていないので、優秀じゃなかったということで国が私の子作りを禁止するべきなんですよ、本当は。
私個人は東京の大学に通っていますが、成人式は、高校卒業までを過ごしたいわゆる「普通の地方都市」のものに出席しました。成人式自体は非常に平凡かつ平和なものでした。近くに住んでいたというだけで同じ校舎にぶちこまれていたかつての級友たちとの再会を楽しみ、今は東京に戻っています。
さて、出席して改めて思うのは、成人式は「中学の最後の学校行事」だということです。主催は地方自治体と、その対応する教育委員会ですし、会場の治安維持には当時の先生方が駆り出されていました。(平和ではありましたが、「荒れる新成人」対策はがっつりされていました。以前大変なことになったことがあるようです。)そして、学校行事である以上、その場にはあの頃と同じ「スクールカースト」の力場が保存されていました。あの頃の教室の雰囲気を思い出すのにそれほど時間はかかりませんでした(!)が、あの独特のサル山リバイバル感が無理で成人式に出席しない、という選択をする人たちの気持ちは十分に分かりました。私自身は、あの頃にいい思い出はないもののそれなりに神経が太いので気になりませんでした。(「地元」というコミュニティからある程度離れてしまっているのもあると思います。)
ただ、あの頃の学校行事と異なり、成人式にあっては、その当時のスクールカーストに加えて(成人式では一時的に不可視であるように振る舞うことが求められているものの)社会的な役割分担(階層)がある程度見えています。これら2つの「構造」の比較検討は、フィールドワークの考察としてはかなり面白いと思ったので、とりあえず雑に考えてみます。(レポートじゃないのでテキトーです。許してね)
改めてスクールカーストを俯瞰的に見てみると、以下のようなマトリクスで整理することができるはずです。どこかのブログ記事かなにかの受け売りで、スクールカースト一般の問題を語るのに適切かどうかはわかりませんが、今回は便利なので使ってしまいます。
\ | 学業成績が優秀(教員に従順) | 学業成績が不振(教員に反抗的) |
---|---|---|
コミュニケーションが比較的得意 | 「リア充」タイプ | 「不良」タイプ |
コミュニケーションが比較的苦手 | 「優等生」タイプ | 「オタク」タイプ |
以下、成人式時点での社会階層(の萌芽)との対応を述べていきます。
ほとんどが大学に進学。東京圏の地方都市であることも要因としては大きいだろうが、東京の私立大に通っている割合がきわめて高いことが特筆すべき点。背景として考えられるのは、彼ら/彼女らの家庭が比較的安定していたこと、自分自身の容量の良さから「楽かつ評価される」選択肢を選び取ったことなどか。就職先として地元という選択肢はかなり薄めのよう。
当時から「不良」タイプとの関係性が良好であり、アルコールにも慣れていることから、同窓会後の2次会でも中心的な役回り。男性の中でも血気盛んな層は「不良」タイプの女性とワンナイトラブをキメたよう。
高卒もしくは専門学校に進学。いわゆる「地元」コミュニティの中心をなしているようで、そのコミュニティの関係性を悪化させてしまっていた「元」不良たちはそもそも成人式に出席していなかった。家庭環境がさまざまだが、比較的早い段階で家計を支えることが期待されており、当時のような「ヤンキー」的振る舞いはほとんどなかった。それでも様々な着飾り方、騒ぎ方で成人式の夜を賑わしていたが……。一方で大学進学者も一定数いて、多くは高校からの推薦で、地方の大学に在籍しているよう(就職を意識してか、比較的理工系が多めであるように感じた。)
「つっぱり方」を基軸とした当時の力関係が希薄になるにつれ、地元自営業者の息子/娘もこの層と仲良くしていたのはおもろいかな。
大学進学者が中心であることは「リア充」タイプと共通しているが、比較的国立大学進学者が多め。(女性を中心に)典型的には地元大学の学生だが、理工系を中心に東京圏の中堅私大にも分散していた。地元との関係性は一番希薄であるものの、地元就職を視野にいれた就職活動を行うよう。大学入試偏差値や就職を考えた場合、在籍中の大学の「レベル」はリア充タイプと拮抗しており、今となっては絶滅寸前の浪人経験者もこの層に集中。(余談だが、イキリオタクの如くこの文章を書いている私もこの層に属していると言える。)
一部は大学での経験をもとに「リア充」タイプへの順応を見せているか。
大学もしくは専門学校進学者がほとんど。コミュニティとしての「地元」には所属していないものの、実際は地元に残っている場合が多い。なぜか分からないが、男性ではスーツの着こなしが一番微妙だった。当時と比較して「優等生」タイプとのコミュニケーションを志向している様子が見て取れ、同窓会ではアルコールも控えめい、かなりおとなしく過ごしていた。高校卒業後フリーターをしている層はここに集中しており、このご時世にあってコミュニケーション能力の果たす役割の大きさを感じずにはいられなかった。
当時のスクールカーストに対して学歴で復讐、みたいな素敵なことはなく、社会の荒波と言われるようなものは(少なくとも自分の地元では)スクールカーストとなんとなく連続している。ただ、東京の大学に進学することは、「提示されている選択肢の多さ」という点で大きなメリットであり、また、終わりつつある「普通の地方都市」という機構から脱するためのいちばん有効な手段。
もちろん家庭環境は当時のカーストから現在の状況までを形作る通奏低音であるものの、社会全体の成長という神話が終わってしまった自分たちの世代にあって、ふたたび地方における「構造」として安定的であるかどうかは疑問。「不良」タイプの家庭の再生産は現在の就職環境にあっては以前より難しいし、「優等生」タイプに提供される地元の就職先の選択肢は縮小しつづけている。「オタク」タイプは「結婚しない/できない」問題の中心にあるし、今後の私の街はどうしようもなく不安定な何かしらになってしまう気がする。
ここ10年とは言わないまでも、7,8年ずっと見てきたつもりではあるニコニコ動画。
いつの間にか、ゴテゴテ(後手後手)のサイトに成り果てていたと思われている。
2011年に開始されたクリエイター奨励プログラムは、Youtubeよりも早く、当時は画期的だった。
当時がニコニコの最盛期であろう。
先日の新バージョン(く)の発表以前から、投稿される動画も減りユーザーも離れていったことは、事実である。
プレミアム会員が当たり前だった頃から、プレミアム会員が馬鹿にされるようになったのも、ここ最近のことである。
ニコニコが、没落するまでの間やっていたことといえば、個人チャンネルの強化やニコニコ広告の機能追加、マルチメディアプラットフォーム化(=複数の媒体への対応や、政治・芸能・音楽・ニュース・ラノベ・漫画との連携強化)が主であったように思う。
親会社の意向(威光)が強いのか、船頭が多いのか、二兎も三兎も追いかけたことで、本流の動画、生放送を放置した。
さらには、ユーザが見たいものよりも、運営に都合の良い、運営が見せたいモノを見せるようになった。
これらの施策は、収益の多角化と売上の増加を狙ったと思われるが、現状を見る限り、見事に失敗している。
とすると、はやりプレミアム会員の大半は、生放送と動画を見にニコニコにやってきたのではないだろうか。
Youtubeはこの間、広告収入のシステム導入、動画配信システムの強化、生放送への対応と、本流のサービスを強化し、コンテンツ(動画や配信)はユーザに任せる形式にこだわった。
やはり、長期的・安定的に課金をしてくれるシステム・ユーザが、利益を上げる上で非常に重要であると教えてくれる。
何が言いたいかというと、売上と短期利益の至上主義は古くなり、長期の契約を結び、お互いが安定して利用できるものが生き残るじゃないかと思う。
女性の代替コンテンツが良質になれば、男性は現実の面倒な現実の女性に金を使わなくなる。
女性は安定的な生活を望む( 自分の失業リスクは絶えずある男女、二人のうち、どちらかが働いていればリスクヘッジできる )ため、
恋愛に積極的にならざる得ない。結果、流動的な婚活市場への女性の参入が促される。
http://cough.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/2428-dccd.html
アニメの規模は拡大してる。『婚活』という言葉が生まれたのは2007年11月あたり
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%A9%9A%E6%B4%BB%E5%8B%95
男性は女性に積極的にならない方が、むしろ女性の自主的行動が促される。
男性からのアプローチはセクハラなど政治的に正しくない行為につながりやすいので望ましくない。あと面倒。
という訳で素敵なヒロインが出てくるサンプルをまずくれよ。アスナかわいい。
それと結婚する人間の数を増やすことが少子化改善につながるのは、合計特殊出生率の変動より、結婚する男女の減少率の方が大きく非婚化が少子化に大きく寄与している事から分かる。
とある農村のさらに郊外。地元の人々すらも近づかない山奥の一角に、その施設は存在していた。
ここで過去300日以上に渡り極秘裏に進められてきた、ある革新的な理論の実証実験は、今まさに最終段階を迎えようとしていた。
「主任! AIスピーカー現象における藤井フィーバーの忖度は、現在35億前後で安定的に推移しています」
「結構。ユーチューバーの刀剣乱舞を監視しつつ、線状降水帯を抜けるまでは睡眠負債の超過にも十分注意を払っておきたまえ」
「ワ、ワンオペ育児ファースト!? しかし、それでは共謀罪に……」
「人生100年時代の常識から言えばその通りだ。しかし我々はポスト真実のためには炎上ひふみんすらも辞さない。そう働き方改革したはずではないか」
「わ、分かりました。確かにこの研究が完成すれば、空前絶後のプレミアムフライデーがインスタ映えすることは間違いありません。人類は飛躍的にアウフヘーベンするでしょう」
「そうだ。この研究が人類をアウフヘーベンするのであれば、我々はたとえ人々から、けものフレンズと呼ばれようとも……」
「ちょっと待って下さい! 主任、ユーチューバーの刀剣乱舞に異常が発生!」
「主任! うんこ漢字ドリルのハンドスピナーが、間もなく9.98(10秒の壁)を突破します!」
「無理です! GINZASIXはすでにワンオペ育児ファーストに設定されています」
「な、なんてことをしてくれたんだ!」
「主任の指示です!」
「この、うつヌケ!」
「ちーがーうーだーろー!」
「だって……」
「ちーがーうーだーろー!」
「だって……」
「」
…………。
翌朝。地方新聞の片隅に掲載された「無人の山中に大型隕石落下」のフェイクニュースは、大きな話題を生むこともなく、やがて人々の脳裏からも完全に消失した。
人類のアウフヘーベンを目指し、志半ばで炎上ひふみんした幾人かの者たちの挑戦とその失敗を。
彼らの志は後世の人々へと受け継がれ、やがて人類はアウフヘーベンへと至るべきなのだ。
研究は続く。いつの日か、人類が真にアウフヘーベンを果たすその日まで。
その日まで……。その日まで……。
止まるんじゃねえぞ……。
おまけ(去年の)
作画が完璧で、非常に可愛かった。ズラ丸最高。また、作画について言えば、全体的に幼くなってた印象で、例えば果南とか最初もっとキツかった感じがしたけど、目元とか丸くなって可愛らしさがアップしたと思う。
シナリオが粗い。1期最終回から1年間という期間は短かったため、手始めのシナリオは急ごしらえになってしまったのだとしたら、これはマネジメントの責任だが、1期最終回の評判の悪さを知っててなおこれだとしたら絶望的。
ネットのまとめサイトではまた廃校ネタ持ち出すの、といった感想があったが全くその通りで、一つのアニメの第1話の展開としてあまりにも盛り上がりに欠けるのではないか。そして、輝きたい!とか超抽象的なワードの連呼、これはaqoursのテーマになってるのかもしれないけど、どこらへんを指して、または具体的に何をすることが輝く、ということなのか観ていて分からない。だから全体的にふわっとした印象になる。μ'sなら廃校阻止、次にラブライブ制覇という明確な目標があったけど、aqoursの目標ってなによっていうのが分からない。これからどういう流れで話が広がっていくのか掴めない、だから観ていて不安になる。キャッチーな楽曲を出すでもなく、新たな展開を見せるだけでもなく、1話からこれか〜って感じがしたのは私だけではないんじゃないか。
aqoursのいいところは都会と地方の比較という点において、地方の緩やかで落ち着いた雰囲気であると思う。μ'sもお嬢様学校という特殊な環境ではあるが、秋葉とか都会の真ん中にあるので多少雑然とした感じがあるし、中央ゆえ、A-RISEとかライバル校に常に脅かされているような描写から緊張感も多少あった。
沼津は田舎でありかつ景観もいい、ライバルも今のところ2人組の戦闘力が高いのか低いのかよくわからないユニット位しか意識しないから(忘れているだけかもしれないが)、安定的な環境の中、学園の廃校とか問題はあるけど、こまけぇこたぁいいんだよ的な感じで、キャラクターの成長を安心して見ていられる。それはそれで萌えキャラアニメ(死語?)としては良いことだと思う。もはやズラ丸が可愛いアニメとして見続けるだろう。
先程触れた緊張感だが、μ'sとの違いについては、アニメ化されるまでの期間も考えておきたい。つまり、私はこのあたり不勉強だけど、アプリ先行で、アニメ化するまで色々な試行錯誤があったとのことで、PVとか見ているとアニメとは明らかにキャラクターとか世界観の設定が違っていたり、3Dモデルのカクカク具合が見ていて不安になる辺りなど、アニメから入った組としては、まだ未完成である印象が強い。アニメでも最初の頃は3Dモデルはもうちょっとなんとかならないか、と思ったことは少なくはない。
何が言いたいかというと、μ'sには、廃校阻止という明確なミッションがあり、かつ中央にあるがゆえの競争的環境にあり、更にコンテンツ的にも発展途中であった、キャラクターのアイデンティティー含め不安定な要素があったため、常に緊張感を見るものに与えた。そして、3年生の卒業というテーマは、ラブライブの総括的な位置づけにもなったため、アニメ以前のPVとかの歴史をある程度知っている人間にとっては、それなりのカタルシスだったのではないだろうか。
そして、aqoursにはそれがない。環境の緊張感もなければ歴史もなく、単なる二番煎じ。非常に不利だし、ズラ丸が可愛そうである。
この二番煎じという点は、想像するに、μ'sの成功体験を前提とした企画段階において、保守的な意見が勝ったのではないか。そうでなければこんなシナリオは書きようがない。
これはもしかしたら海外展開の観点から、そうせざるを得なかったのかもしれない、知らんけど。
もしμ'sと差別化しよう、という観点があったとすれば、例えば町おこし、とか、もしくはラブライブ出場ではなくもっとヒューマンドラマ的な展開に焦点を当てるとか、こういったテーマは過去にやってるだろうから、なんかのドラマをパクるとかやりようがあるだろう。その場合楽曲もμ'sより少なくなるかもしれないが、明らかにμ'sより楽曲の質が変わっているので、それはそれでありなのでは無いだろうか。とにかく下手したら劣化μ’sの烙印を押されかねないこの展開をなんとかして避けてほしいのである。まあ言ってももう遅いだろうけど。
楽曲について触れたのでそれについても言わせていただくと、今回をきっかけに、改めて昔のPVやら曲やらを見た次第である。すると明らかにμ'sとaqoursの曲の質が違う。まあこんなことは私のようなニワカ者ではなく、ファンの方々で話し尽くされているだろうから細かくは語らないけれども、一言で言うとパンチが足りない。
これはμ'sの初期設定が割と普通の高校生っぽい感じで描かれており、青春というテーマを直接的に感じさせるためかもしれない。つまり、言い表すのが難しいけれど、青春といった普遍的かつ情緒的なテーマで訴えかけてくるため、私は女子高生ではないけれど、ちょっと感情移入するのだ。古今東西やられてきたこのテーマだが、短い青春、一瞬で過ぎてしまう今を精一杯楽しみたいという、切なさである。そこでキャラクター性がそこまで確立していないPV、そして畑亜貴のキャッチーな曲は、感情にバッチリ訴えかけてくるのだ。
一方aqoursについては、まあアニメが始まるまでの期間はあるにしても、μ'sの前提知識がある状態で見ており、展開が読める。そして、まあ正直に言うと曲もちょっとトーンダウンしている。恋アクとかはμ'sに負けず劣らずだと思うけど…
だから、印象がμ'sに比べてどうしても薄くなってしまう。非常に不利だし、ズラ丸が可愛そうである。
述べたことは、そんなこと続編であれば普遍的に言えることと、と言われるだろう。aqoursが劣化μ'sとしての誹りを免れないだろうと諦めてはいる。
それでも頑張って欲しいのはひとえにズラ丸が可愛いからである。ズラ丸だけではない、ダイヤ、ルビィ、果南など、お嫁さんにしたいキャラは実はμ'sよりaquasのが多い。地方という部分も好きだ。だから、いいかげんμ's、μ's言うのはやめて、aquasらしい活躍をしてほしいのです。μ'sのプロットを改悪して乗り切ることはしないでほしいのです。
私の友人はある政治家を支持していて頻繁にその政治家の良さを主張してくるんだけど、その政治家の手法を私が「でもそれポピュリズムでしょ?」と言っても上手く伝わらないというか、ポピュリズムって何が悪いの?という感じで伝え方に悩む。
私が言いたいのは「短期的な人気取りを実現する政策と、長期安定的な成長を実現する政策は違う、あなたの支持する政治家は前者に偏重していて支持できない」という意味なんだけど、それがパッと伝わる言葉って何か無いものなんだろうか。
補助金の交付とかは「バラマキ」っていうマスコミが浸透させた単語があるから、ポピュリズムの中でもバラマキをやっている場合は「でもそれバラマキだよね?」と言えば、バラマキの何が悪いか認識を持っている人が多くて一発で意図が伝わる。
でも、バラマキ以外の手法、例えば実現不可能なことを公言するとか、重大な問題への言及を避けて耳障りの良い、相対的に重要性のかなり小さい話をするとか、そういうことに「バラマキ」並みのわかりやすい単語が無いので一言で説明できない。
本当は「ポピュリズムでしょ?」で伝わるのが一番早いと思うんだけど、それぐらいの単純さで(長々政治的な主張をすることなく)意図を伝える方法って無いのだろうか。
利益を得るために雇っているのに、その利益を目減りするようなことを言うから気分が悪いのだろう。
起業家界隈ではとりあえずやってみて、ダメなら謝ればいいってのが最近の流れだけど、
それをやっていい分野とやっていけない分野もあるし、博打の要素も大きい。
「これって○○じゃないですか?大丈夫ですか?」
と聞けば、具体的に何がダメなのか言え。言えないくせにしゃしゃるな。
なんて返ってくる。
それを気づくことができるのが末端のアルバイトだったりすると、
調べる手間が給料に見合わなくなるので黙り込む。
おまけに「みんなやってるから」「業界では常識だから」なんて魔法の言葉で
これが世間だ、これが社会だとなぜか一般社会の代表者のような立場でモノを言う。
社員にしても、
「利益を減らす提言をするなら、減った分を補う案はあるんだろうな」
と詰められるのが怖いし、評価にマイナスしかないのでなかなか言い出せない。
減ったんじゃなくて、今まで不当に利益を得ていたという発想がなく、
むしろ自分はスマートだなんて思っているから目も当てられない。
営利団体なんだから当然だろ?むしろ営利団体らしからぬことをするお前はどうかしてる。
従業員を精神論で洗脳して、法律より自分の作ったルールの方が上級だって思い込んで罰金を課す。
裏では罰金や搾取した金にあだ名をつけ、飲み屋で他の経営者と酒の肴にする。
そんで、大きなしっぺ返しに遭った後でようやく後悔する。(だが、反省はしない。)
あの時アドバイスした従業員の意見を聞いていれば、今頃は安定的に利益を得れただろうに、
目先の数万円、ひどいときには数百円を懐に入れるために痛い目を見る。
はてなブックマーク - 経産相「いきなり電気自動車にいけるわけでもない」 | NHKニュース
まともなブコメまとめていくが、これ否定できるならやってみろよ。
どうせ経産省批判する流れが出来てからなんとなく乗っかかって物言ってるだけの思考停止したバカはてな民。
gokkie 30kWhリーフ買って一月半で2500km乗ったけど、今のトコ不満はない。先行者特権でフリーライダーになれるのは限られた期間やろし、格安で買った車でガンガンフリーライドしまくるで
600以上ブクマついてるのに実際に電気自動車を買って乗る人が二人しかいないはてな民wwww
fusionstar 欧州の EV 推進は原子力発電前提なんだけど乗っかっていいのかなあ
u-chan ただの腰巾着かと思ったら、まともなこと言ってる。これで「電気自動車ダー!!」なんて言ったら、後、新設の原発何基作る気なんだ?? だしね
raitu 短い航続距離(最大でも600km)および長い充電時間(40分)をすぐどうにか出来るわけでもないから、そんなに変なことは言ってない
mur2 いきなり電気自動車にしろという人はリチウムやネオジムを筆頭とした大量のレアメタルをどうやって安定的に調達する気なんだろうか。エンジン関連パーツ、燃料系統を作ってる下請けも死ぬぞ。
otihateten3510 英仏中がやってるのはあくまで政治だと思う。技術置き去りの政治に良い印象はない。支援はわかるが規制に便乗するのはおかしいだろ? どちみちメーカーは対応しなきゃならないわけで、経産省の立場はこれでいい
Earth_f1 EVに関して過度に期待しすぎるのもどうかと思う。HV/PHEV/水素/にだってモーターとバッテリーの技術はあるわけだし悲観しすぎでしょ。あとガラパゴスで言ってる人は日本メーカーの海外売上比率を見てみてはどうですか?
ukidousan LNG以外の火力発電所を潰すまではHV優位かなあ https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170913-00010007-msportcom-moto
moegi_yg トヨタが水素押し、EVにしなきゃ乗り遅れる、ガラパゴス、云々全部的外れ。中印蘭以外はHV, PHVも可、電動化の肝はバッテリー。日系はそこは進んでるし、スバル/マツダですらロードマップに数年後に導入
Dicer あれ?トヨタもEV用の高性能電池を開発中じゃなかったの??→ http://jp.techcrunch.com/2017/07/26/20170725toyotas-new-solid-state-battery-could-make-its-way-to-cars-by-2020/
poko_pen インフラ整備が不要なプリウスなどHVが20年掛けてやっとシェア30%(世界ではもっと低い)。充電スポットや新規発電所建設などインフラ整備が必要不可欠な電気自動車がどれだけハードル高いか理解して欲しい
dannier インドフランスはEV縛り宣言したけど、ドイツは同じ問題抱えてるから実はEV宣言はしてないんだよね。まあ研究開発と充電設備に巨額の投資はしてるけど。あと中国もいつ急に降りるかわからん、という感じなのだろ
ryokujya 日産のノートeパワーを見ましょう。リーフを出した日産がエンジンを発電に使うノートを出した意味を。今はハイブリッドが適している
もちろん私だって別にEVを否定してるわけじゃないぜ。政治的にもアドバンテージを取らないといけない部分があるのはその通りです。
インフラ整備や普及のための補助金、標準規格競争など、適切なタイミングを見て国が参加する必要はあります。はてブもそのあたりわかってる人をちゃんとフォローしたいですわ。
awkad いかにも日本だ。作る側が神と思ってる。決めるのは需要側なんだよ。中国とアメリカがEVだっていったらEVだ。日本は需要で負けてるんだから決定権なんてない
mamezou_plus2 充電スタンド規格「CHAdeMO」と別規格を欧米に作られ日本外し。EVが普及すると充電負荷が高すぎるのでスマート電力のシステムとかサービスとか。内燃車とは特性が違うから交通などデザインし直さなきゃいけない
giyo381 電気自動車の時代って言ってる人の中でwell to wheel知ってる人どんくらいいんだろ。石油が連産品とか、発電効率とか知ってるのかしら
石谷久(東京大学教授)による「Well to Wheel」でのCO2排出量( 2005 )/ ガソリン車:193 / ガソリンハイブリッド車:123 / 燃料電池自動車:86 / 電池電気自動車:47 / https://blogs.yahoo.co.jp/zaqwsx_29/18278184.html
お前らみたいなアホが、燃料電池の時も同じことを言ってて、
燃料電池がだめになったらその時応援してたことも忘れて手のひらクルーするわけよ。
おまえらどうせEVについても、EVにさっさと乗ろうとしない政府は無能とか言っておきながら、
いざ上手く行かなかったら、「誰だよEVに一足飛びに行こうとしたやつは」とかいい出すわけよ。
2040年になった時、さすがにお前らもはてなをやってないとは思うが、
このブックマークページのコメントは保存しておいて「ほーら20年前にこういうバカなことを言ってる人たちがいたんだよ」って晒してやるから覚悟しとけよ。
まず財務省の権力の源泉は、もちろん各省との予算折衝を通じた資金配分の裁量権にあるけど、
この裁量権を最大限に活かして優良な天下り先を開拓しようとすると、安定財源が望ましい。
税金が減る度に消滅するような天下り先は、優良な天下り先とはいえない。
安定した財源に裏打ちされた、安定的な雇用・人事ポストを提供する天下り法人が優秀な税金泥棒と言える。
で、所得税や法人税は景気の波の影響を大きく受けるので、財源として安定しない。
言うまでもないけど失業者や赤字企業は、所得もないからほとんど税金を払ってくれない。
だからこれら2税を財源とする資金配分は。一時的なもので終わる部分が大きい。
一方で消費税であれば、どんな失業者や赤字企業でも最低限の消費・仕入れはするし、
一度上げた生活水準は下げづらいので、安定した財源として期待できる。
だから消費税を財源とすればほぼ全てを安定した財源として確保できる。
それともう一点、所得税や法人税は景気の波によって納税額が変わると言ったけど、
これは予算を作るサイドからすると、不況時には何もしないうちに勝手に減税、
すなわち景気対策を執行されるに等しく、せっかくの裁量権を発揮するチャンスを逸してしまう。
裁量権こそ官僚の権力の源泉だから、これは天下り先開拓への多大な障害となる。
よってやはり安定財源たる消費税が好ましい。
まあ実は安定財源として消費税以上に優秀な税に、人頭税というものがあるんだけど
本来キモオタが社会的地位向上を目指すためには「表現規制の撤廃」「貧困格差の解消」「最低賃金の上昇」などリベラルな主張をするべきであるのだから、思想が左翼よりになるのが自然なんだよな。
ところがキモオタの大半は平和ボケというか権利ボケしてるせいで、主張の方向が時代錯誤な「家長制度復活」に向いてしまっている。
戦前のような家長制度が復活すれば男性の権利が向上して結婚相手や安定的な収入が得られるとでも思っているのか知らないが。
増田用語である「和製フェミニスト」(全く認識が間違っているのであまり使いたくないのだが)とやらも、そうしたアホなキモオタの反動として発生しているような気がしないでもない。
いや、逆にメディアで目立ちやすい「商売フェミニスト」のような過激な言論で注目を受けて金儲けをしようとする連中に引きずられてネトウヨ化しているのかもしれない。
いずれにしても近視眼的な欲求を都合の良い歴史認識で解決しようという愚かさに気づかない限りは今後も同じような構図が続いていくだろう。
三十六億の土地無償でもらってそれ担保に金借りるとかガチの錬金術やん
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/201643?pc=true
ていうかそれいいの?
市が抵当権設定してもええよって言ってるから、「当事者がええんやったら…」とは思うけど
大学が資金調達のための担保設定は認めるのかについてでございます。新設獣医学
部は国際レベルの非常に高い水準の教育環境を整備することとしており、最新の設備機器を順
次更新していくためにも安定的な資金調達が必要と考えており、ひいては今治市内への継続的
http://gikai.city.imabari.ehime.jp/topics/2017/2/sokuho-1.pdf?4
でもアカンくなった場合、土地は返してもらうってことになってるんやけど
http://www.city.imabari.ehime.jp/kikaku/kokkasenryaku_tokku/gakuentoshi_siryo.pdf
いやまあ当事者がいいならいいけど、ほんまにいいのそれ?
2017.4.28
探しても出てくるはずの無い答えを探し続けている。将来のことだ。絶対に失いたく無いものは何か。何も持っていないはずなのに、踏み切れず、勉学に励めば何とかなるだろうという安定的・楽天的思考の現実。それに対し非営利法人で働き、国連という最高峰に登り詰める偶像が時を経る毎に乖離していく。現実を見つめれば見つめる程、答えのない解が遠ざかっていく、答えなどないのに。自分の主義が徐々に侵食されるのが分かる。枠の中でもがけばもがくほど、その早さは増す。後戻りはできない。明日という積み重ねが恐怖になる。考えない事が唯一の解なのであろうか。踏み出すしか希望の路は無い。私は非確定的な将来を極度に恐れ、安定的思考に走る典型的な人間であるから迷う。自分は俗世に塗れた汚い人間という事が今証明された。主義が曖昧な人間にとって挑戦とは恐怖であり、安定的思考に走るという”慣れ”が人を幸せにするのであろう。永遠に自分には分からないであろう不幸という慣れを幸せに感じて生きる。人生とは妥協であろうか。真の幸福な人生とは成功者の特権であろうか。あゝ結果論哉。迷いが決断を鈍らせる。永遠のジレンマの深淵を覗き続ける。未来が絶望的だ。
もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく。— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2017年4月13日
「もしミサイルが打ち込まれて私の家族が死ねば、テロ組織を作って国内の敵を潰す」という私のツイートが物議を醸しているようだが、「国内の敵」というのは、売国議員と売国文化人である。— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2017年4月14日
実際に半島狂乱状態になれば、日本も被害を受けずにはいられないでしょう。大勢の罪のない日本人が死ぬことになります。その時、パヨクが無事でいられるなど思っていないでしょうね?生き残ったパヨクは復讐と怒りに燃える日本人たちのパヨク狩りの餌食になるだけです。パヨクに逃げ場はない。— 桜井誠 (@Doronpa01) 2017年4月14日
言うまでもなく異常で、危険だ。
国内における暴力を国家に一括して預けるからこそ、我々は国内における私人間でのやりとりにおいて、互いの暴力の可能性に怯えずに暮らすことが出来る。
もしその原則を捨てれば、私闘・私刑の横行するヒャッハー状態を経たのち、互いに身を守ろうとする人々毎の武装勢力が国内に林立することになる。
ゆえに、安定した国家はその様な私闘・私刑を決して許容は出来ない。
江戸時代の仇討ですら、免状がなければ単なる殺人として処罰された。
こんなことは歴史上何回も繰り返されてきた基本中の基本であり、右とか左とかは基本的に関係がない。
あるのだが。
一部本当に暴走するのであれば、おそらく警察なりのお世話になり、一時的に社会から排除されるだろう。
このような主張が(少数派であろうとも)一定の支持を得るという事自体、わたしたちの今の社会には何かが決定的に壊れ欠けてしまっているのだという事のあらわれなのではないのだろうか?
北を許せない、報復したい、報復しなければならない、というのは、賛否こそあろうが自然感情として理にかなっている。
だがそこで報復の対象が"国内の敵"への私的制裁に向かうということは、なにか、国民国家というのもののどこかの回路が決定的に壊れてしまっているということのように思えてならない。
正統的で健全なナショナリズムなり、安定的で包摂的なコミュニティの存在なりなんなりで、
広く国家や社会への信頼といった従来の回路を回復せずに、安定した国家を運営する事はできるのだろうか?