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はてなキーワード: 孫引きとは

2018-10-18

anond:20181018103839

wikipediaでよくあるパターンで「俗説に〇〇と言われているが実際は〇〇しない」と書かれているような記述は9割方その「〇〇しない」の部分が偽。

適当空想科学読本みたいなオカルトもどきから孫引きだったりするのが殆どから、やっぱりそこはリアル統計とかから引っ張って来るしかない…

2018-10-17

anond:20181017213622

あれ全国規模でキャンペーンやって田舎店舗女の子が立ってたし、たぶんそんな事はそれ以前にセブンはやらなかっただろうし、コーヒーでわざわざそんな事するコンビニはないと思う。

あと、ウチの家族はあの機械が入る前からコンビニコーヒーセブン派なんだが、セブンは扱う商品が大体クォリティが違う。

そのクォリティ感の見せ方というか、中身の表現として、結果としてのデザインじゃないのかな?

出来上がったガワの見かけだけ評価して、考えた気になっちゃうんだろうが、そもそものコンセプトが問題であって本質だと思うよ。

あの機械になる前は、店舗には導入の自由があったけど、全店一斉導入になってるよ。全国どこででもセブンコーヒーを浸透させるっていうコンセプトがある。

あとは機能としてはバッサリ切り捨てるデザインってか、以前のセブンコーヒーではラテなんかができたのが廃止

セブンカフェ成功の裏にあった「30年戦争」 | コーヒーで読み解くビジネス戦略 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 ←ここでラテが浸透しなかったとか書いてるのが孫引きされてるけど、サービス単一化効果が大きいんじゃないだろうか。

2018-05-22

https://anond.hatelabo.jp/20180519135420

名著の引用教養のあるふりをしても、あなたがそれを名言から孫引きをしていることを私は知っています

2017-09-02

大正9年→大正12年で朝鮮人超増えてる

https://anond.hatelabo.jp/20170901172529

もしこの古賀議員の指摘や前提自体瑕疵があれば、

私よりずっとこのような事件に詳しい2氏ならば「6000人にはこんなにしっかりとした根拠がありますー! バーカバーカ!」と

嬉々としてソースを突きつけ本筋の反論をするはず。

が、それをせずに迂回した。

これはたしかにダセエ。ダセエのでブコメで端的に指摘しておいた(b:id:ss-vt)。で、ここでも書いてみる。

すでにBuzzfeedでも報じられているように、古賀議員都議会において、大正9年国勢調査をひいて関東地方朝鮮人人口の少なさを指摘している。

が、この当時朝鮮人内地への渡航は急増していたのである大正9年国勢調査では、内地朝鮮人の総人口は40,755人。いっぽう同年12月現在内務省警保局による調査統計では30,189人となっているが(多くの要因で数字に大きな差がある)、内務省統計を年次ごとに追うと大正10年38,651人、11年59,722人、震災の起きた大正12年末には80,415人に至っている。これには朝鮮植民地化に伴う小作農の貧窮化や、第一次世界大戦後の好況に伴う内地工業化都市化の進展、また大正11年末の渡航自由化大正8年以降、三・一独立運動の影響で朝鮮人内地渡航制限されていたが、企業日本人よりも安価労働力として朝鮮人を求めた)など、複数の要因が影響している。

さて古賀議員の挙げた大正9年国勢調査に立ち戻ろう。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  2,485人、

埼玉県  78人、

千葉県  40人、

神奈川県 782人、

合計3,385人。

震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/society/14990

から大正12年の数字引用して、古賀議員発言形式に合わせると、以下のようになる。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  8,567人、

埼玉県  311人、

千葉県  317人、

神奈川県 3,645人、

合計12,840人。

工業化都市化の進展」に伴って多くの朝鮮人労働力としてやってきたため、東京神奈川といった都市部工業地帯に集中しているわけだが(横浜での虐殺目撃証言の多さにも反映している)、少なくともこの時点で、

6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい

とは言えなくなる。

また自分が直接参照した一次資料として、国立国会図書館デジタルコレクションに所蔵されている『在京朝鮮人労働者の現状』(東京府学務部社会課、1929年http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445292 には、大正12年の「在京朝鮮人労働者」は5,347人と記されており(警視庁調べ)、アジア歴史資料センター所蔵の『在京朝鮮人状況』(朝鮮総督府警務局東京出張員、1924年5月http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03041602800 によれば、「八月末震災直前の見込綜数は八千人を超へ」ていたという。

繰り返しになるが、とりあえずこのあたりで「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えないことをご理解いただけるだろうか?

ちなみに6,000という数字の具体的な出所は、震災直後に在京朝鮮人迫害事実調査会が独自調査を行い、上海大韓民国臨時政府機関誌独立新聞』に12月5日付けで発表された数字6,661人。この調査10月末までの中間報告では2,613人という数字が出ていて(当時東京で催された経過報告会でも発表された)、その後さら神奈川県遺体発見できなかったおよそ1,800人などが追加されている。シノドス山田名誉教授は「追加合計数根拠今日解明することはできない」としていて、その点ではたしかに6,000人という数字根拠は薄いのだが、同時に帝国政府がマトモな調査を行わなかったことにより、これをデタラメであると断ずる根拠もまた乏しい(はからずも、秦郁彦が『当時ロクに調査せず公文書終戦時に焼きまくった以上、30万人に代わる数字日本から出すのは無理』と嘆いた南京事件と似ている)。少なくとも犠牲者数のもっとも大きな数として採用せざるを得ないわけである

内閣府ホームページで公開されている、災害教訓の継承に関する専門調査会による報告書 http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf

殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。

という書き方になっているのは、そうした事情によるだろう。

追記

b:id:y-wood 8500人のうち6000人殺せるのか、すげー。『「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えない』

揶揄のたぐいだとは思うけど念のため。

「6000人」というのは虐殺犠牲者の総数である東京府朝鮮人人口比較するのは不当。ついでに、古賀議員が何故か東京神奈川千葉埼玉限定しているのもいささか不当で(たとえば群馬でも、自警団警察署を襲撃して朝鮮人17人を殺害した藤岡事件などが起きている)、山田名誉教授シノドス記事によれば茨城群馬栃木を加えた関東地方1府6県の大正12朝鮮人人口は14,144人となっている。

また、山田名誉教授の著書内容の、内閣府報告書コラム殺害事件検証http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/22_column8.pdf から孫引きになるが、例の「6,661人」のベースとなった在京朝鮮人側の調査では、東京府犠牲者数はおよそ1,000〜1,400人。最終的に『独立新聞』に掲載された数は1,781人となっている。

y-wood氏の言葉を借りるなら

「8500人のうち1800人殺せるのか、すげー」

となるが、現実味は如何?

b:id:fu-wa 戦争知らないんだろうなあ。戦車でダーってやっても6000人殺すのってものすごく大変なんだよ。

ルワンダではそれこそカマとか棍棒とかのたぐいで、およそ100日で50万〜100万人が殺害されている。こうした事態と「戦争」を比較するのは不当。まして、繰り返しになるが「6000人」は関東地方1府6県の総数である。「戦争」を持ち出すなら、せめて戦域や作戦継続期間が同程度に及んだ戦闘でなければならない(それでも戦闘員vs戦闘員では不当だが)。

2017-06-29

はてなブックマーク - バニラ・エアに声をあげた障害者に「クレーマー」、広がるバッシングに疑問の声

id:(略)←無知公共交通機関提供している航空会社であれば、身体に障がいのある乗客に対し、身体の状況を事前に告知すべきことを要求することはできない」https://twitter.com/ktgohan/status/880081514070892544

はてなブックマーク - 車いすで飛行機に乗る時は | いすみ鉄道 社長ブログ

貴方敗訴します「公共交通機関提供している航空会社であれば、身体に障がいのある乗客に対し、身体の状況を事前に告知すべきことを要求することはできないところではある」https://twitter.com/ktgohan/status/880081514070892544


https://twitter.com/ktgohan/status/880081514070892544

あとになって見つけましたが、「公共交通機関提供している航空会社であれば、身体に障がいのある乗客に対し、身体の状況を事前に告知すべきことを要求することはできないところではある」(大阪高裁平19(ネ)2425、判例時報2024p20)との判例があり、本来原則こちらです。



これなん?

障害者情報を知らされず搭乗拒否控訴棄却のやつ。

身体障害者航空機搭乗についての一考察

http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170629092629.pdf?id=ART0009677741

判例の引き方を知らないか孫引きで長いから流し読みで略しまくりだけど。


(略)

⑵ 本件に至る経緯
①  原告は、平成15年7月30日から同年8月
4日までの日程でタイ王国バンコク)へ
の旅行計画した。

(略)

②  原告は、前記の予約に際して、両上肢及
び両下肢に障害があって車椅子使用する
こと、言語障害があること、同行者はなく
単独搭乗を予定していることを旅行会社に
伝えず、そのため、被告はこれらの情報を
当日まで知らなかった。

(略)

④  同日午前8時50分ころ、被告日本支社
関西国際空港支店空港カスタマーサービ
ス部長である E は、原告及び B らに対し、
原告は介助者の同行がなければ搭乗するこ
とができない旨告げるとともに、その理由
として、原告言語障害があり、意思の疎
通がスムースにできないこと、上肢及び下
肢に障害があることを挙げた。
   B らは E に対し、搭乗拒否理由につ
いて具体的な説明を求めるとともに、原告状態説明するなどして単独搭乗を認め
るよう要望したものの、E は原告単独搭
乗を認めず、結局、原告SQ973便に搭
乗することができなかった。

(略)

  神戸地裁尼崎支部平成19年8月9日で
は、航空会社である被告原告単独搭乗
を拒否したことについて、原告が、本件搭
乗拒否旅客運送契約上の債務不履行であ
り、かつ、公序良俗に反する不法行為であ
るとして、被告に対して慰謝料等を請求し
た事案において、原告には、身体を抱えて
移動させるとともに、緊急脱出を円滑に行
うという客室乗務員にとって対応困難な援
助が必要であるから原告身体状態は、
本件規定安全上の理由があることが認め
られ、被告原告のこのような身体状態
を知ったのは、本件飛行便の出発約2時間であるから被告において、原告身体状態考慮した人的、物的な対応を期待
するのも無理な状況であったと認定し、被
告従業員による留保解除権行使によって
原告単独搭乗を拒否したことは、本件規
定に基づく正当なものであるとして、原告請求棄却した。そこで原告は、一審判
決を不服として控訴した。

2  大阪高裁平成20年5月29日(控訴棄
却・確定)

(略)

⑴  被控訴人の債務不履行の有無について
   公共交通機関提供している航空会社
であれば、身体障害のある乗客に対し、
身体の状況を事前に告知すべきことを要求
することはできないところではあるけれど
も、前記認定控訴人の身体障害の状
態、動作の実情、これまで航空機に搭乗し
た経験等の諸事実に照らすと、時間的余裕
を持って上記の諸事実が被控訴人に知らさ
れていれば、控訴人が単独搭乗することに
ついて必要とされる介助や緊急時の援助態
勢に関する検討をすることは十分可能であ
り、それによって、被控訴人が控訴人の安
全確保に関する不安を払拭できたのではな
いかと推測することができる。
   しかし、E は、控訴人に対し、D からの
前記報告以外に、その情報を一切知らされ
ていなかったために、SQ973便の搭乗手
続直前の段階における D から情報に基
づいて、前記の検討をした結果、上記のと
おり控訴人に対する介助や緊急時における
控訴人に対する援助態勢について不安を持
ち、介助者の同行を求めるという極めて慎
重な態度をとったものであるが、限られた
情報時間的余裕のない中で、E の取った
対応が、航空会社として不合理に過ぎる判
断であったとまでは言い難いものである。
   以上の点を考え合わせるならば、身体障害のある人の積極的社会参加、そのた
めの移動の自由の確保及び旅客航空機の社
会的役割に着目し、客室乗務員乗客に対
し、これまでに述べた意味での適切な援助
を提供すべきであること等を考慮してもな
お、E が留保解約権を行使して、控訴人に
対する本件搭乗拒否に及んだことが、当該
時点において E が認識していた事実関係
のもとでは、不合理であったとまではいう
ことはできない。
   したがって、本件搭乗拒否が E の故意・
過失による違法判断に基づくものとし
て、被控訴人に対し、その債務不履行責任
を問うことまではできないと言わざるを得
ない。
⑵  本件搭乗拒否公序良俗に反するとして
被控訴人に不法行為責任が生じるか否か)
について
  上記の事案の概要等で摘示した本件搭乗
拒否に至った事情及び判断記載のとお
り、E は、控訴人の前記身体の状況や外観
によって控訴人を差別的に取扱い本件搭乗
拒否に及んだものではなく、控訴人につい
ての限られた情報時間的余裕のない中
で、控訴人には単独搭乗を拒否できる前記
特別の援助が必要との判断に基づき本件搭
乗拒否に及んだものであって、このことが
公序良俗に反するとまでは言えず、本件搭
乗拒否について、被控訴人に不法行為責任
を問うことはできない。
⑶  以上のとおりであるから、原判決結論
において相当であり、本件控訴理由がな
い。よって、主文のとおり判決する。

最初ツイートのは平成19年

後のほうのは控訴棄却平成20年。(事件の日は平成15年

これ同じやつかな。

⑴  被控訴人の債務不履行の有無について

   公共交通機関提供している航空会社

であれば、身体障害のある乗客に対し、

身体の状況を事前に告知すべきことを要求

することはできないところではあるけれど

も、前記認定控訴人の身体障害の状

態、動作の実情、これまで航空機に搭乗し

経験等の諸事実に照らすと、時間的余裕

を持って上記の諸事実が被控訴人に知らさ

れていれば、控訴人が単独搭乗することに

ついて必要とされる介助や緊急時の援助態

勢に関する検討をすることは十分可能であ

り、それによって、被控訴人が控訴人の安

全確保に関する不安を払拭できたのではな

いかと推測することができる。

https://twitter.com/ktgohan/status/880081514070892544

で言われてる原則のあとに「けれども」つってなんか色々続いてるけど。

相当な理由があれば障害の内容については要求可、絶対ダメとはならない感じ。

2017-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20170531172447

よく判らないんで、検索したら次の番組らしい。

http://yukashikisekai.com/?p=8739

COOL JAPAN~発掘!かっこいいニッポン

のどじまん ザ!ワールド

ネプ&イモト世界番付

世界一受けたい授業

世界の日本人妻は見た!

ホムカミ~ニッポン大好き外国人 世界の村に里帰り~

世界の村で発見!こんなところに日本人

Youは何しに日本へ?

和風総本家

未来世紀ジパング

世界行ってみたらホントはこんなトコだった!?

明らかにそれっぽいのは、1と強いていえば6?くらいがそれっぽいかなぁ?あとは認識の違いというか、相当広義に「日本すごい」番組をとらえているらしい。

世界が驚いたニッポン! スゴ~イデスネ!!視察団 ってのもあるらしい。これは切り口がそれっぽい。

「増えている」と批判している人も、意識の高い人らしく「普段はあまりテレビを見ない」とか言っていて具体的な番組名や内容とかには言及が少ない。

日本はスゴい!系テレビ番組の増加は何が原因か。ツイートまとめ

https://togetter.com/li/741872

とにかく日本すごいという切り口が許せないらしい。あとは日本に物申す系の外人タレント孫引きだったり、あんまり情報がある書き込みが少ない。

具体的な番組名や内容に触れてもらった方が話が展開すると思う。

2017-05-18

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170516141639

↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。

ついでに、最近話題ポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。

文章はいい加減だし、今日日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである

  

  

"自由"の抑圧こそが必要

たとえば、労働問題について考えてみよう。

過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?

私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。

  

過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。

人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しか労働問題においては、そういう権利適用するべきではない。

  

長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合ブラック労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである

女性労働するときハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。

  

「上から改革」が必要

明治時代日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化過程では必ず「上から改革」がある。

旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊排除することで、国民はようやく新時代適応できる。

  

たとえば女性差別がひどい国では、政府女子教育権利提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。

権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層田舎にまで女子教育を普及させるには、政府国民権利を与えるだけでは不十分であって、その権利行使することを国民義務付けなければならない。

  

重要なのは政府国民全員に強制することである

「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。

そして女子児童は、当人まだ子であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。

ここにおいて「多様な価値観尊重せよ」などという主張は有害だ。政府旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。

  

当然ながら現代日本で、後進国近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。

たとえば就活会社説明会服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令必要だ。

から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的手段なのだ

  

ポリティカル・コレクトネス必要

私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである

前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベート時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)

  

私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。

もし本物の極左ファシストであれば、プライベート時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である

  

近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。

そのときリベラル側の主張は、「女性蔑視表現政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレ配慮せよ」というものであった。

私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視であるからだ。

  

もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。

女性主体性尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ

しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性ハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別肯定するという現象からである

被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。

(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)

  

ミソジニー必要

私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。

そしてこれはあまり知られていないことだが、お上纏足強制していたわけではない。とりわけ清朝漢民族のこのバカらしい習俗忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。

女真族満州族)の建てた清朝纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命反革命行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。

Wikipedia纏足

孫引きになってしまうが、以下のような話もある。

当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑言葉を口にする。母親なかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間非難あびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである

ユン=チアン(張戒)/土屋京子訳『ワイルド・スワン』上 1993 講談社刊 p.19-20

http://www.y-history.net/appendix/wh1303-082.html

この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。

そして子供とき纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。

  

さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。

纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」

http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html

西洋女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。

これはまさしく、現代日本女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしま自家撞着するのと同じ心理だ。

ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性主体性尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。

無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足コルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別過酷ものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。

から我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしま女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである

なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。

この理論適用すれば、女がオシャレをする自由是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。

  

終わりに

twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。

リベラリズム本質的価値-自由平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。

スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より

https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995

前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。

しかし私は、どちらかと言えば多分「ラディカルな左派」寄りの立場から、まじめに女性差別撤廃せよと主張したつもりである

ジジェク言葉どおり、リベラルはここからの援護を受けなければ、その遺産を存続させることさえできないであろう。

2017-02-08

日本の一部の心理学者にはもう少しちゃんと研究をしてもらいたい。

過去の関連論文をちゃんと読んでいないくせに引用している人が多すぎる。

孫引きにつぐ孫引きが横行しているというような印象で、適当引用して適当な序論を書く人が本当に多い。

2016-06-08

カードの裏を確認するパズルについて、ちょっとだけ解説

こんにちは趣味パズル作家です。

カードの裏を確定させる最小枚数を求めるのって、あるあるネタなんだけど、

これを気にパズル作家が増えると良いなと思ったので、パズル的な解説しま

最近見た数学ネタ好意的だったけど、カード裏のネタ罵倒が並んでたので……)

カード裏のパズル

要は、コレのことね。(クッキーブロックしてると見えないかも)

これ、端的にいうと、条件が足りないか限定が変。だから不正解選択肢しか無い。

正解は、「D」と「F」と「3」をめくる。譲歩しても「D」だけをめくる、かな。

(あ、残念ながら「7」をめくる必要はない……)

変な限定もしくは足りない条件

表と裏に区別がある場合

表と裏に区別のあるカードなら、「D」だけめくれば良い。

例えば、カードの表面が赤色カードの裏面が青色だとする。

「Dの裏は7である」を確認するには、「D」をめくれば良い。

表と裏に区別があるなら、「表3で裏D」でも関係ない。

表と裏に区別が無い場合

問題文には裏表の限定なんか書いてないって?

そりゃそうだ。だからウラとオモテ区別はないと考える。

「Dの裏は7である」が違反するのは、次の3つのパターン

Dの裏側にフナッシーが描かれてても、別に前提条件とは矛盾しない。

単に『「Dの裏は7である」というルール』に違反しているだけだ。

同じように「Fの裏にDがある」場合は、困ったことになる。

これをつかってパズルを作る

「D」「F」「3」「7」のカードと、「Dの裏は7である」というルールに、

何を限定したら、ルール確認の為のめくり最小枚数を2枚にすることが出来るか?

というのをパズルとして出題したい。

(一番簡単なのは「裏と表を区別しない」&「英字と数字は必ずペア」。でも、それ以外にもあるよ)

さらさらパズルを作る

「D」「F」「3」「7」のカードと、

「Dの裏は7である」というルールに、

「Fの裏は9である」というルールを加えて

「全てのカードに裏表は無く、全てルールに従っている」と限定すると

「3」の裏は何になるだろうか?

ということを趣味パズル作家普段から考えています

例えば上の出題に『ただし「7」の裏が「D」とは限りませんと入れるべきか?』と日々悩むのが楽しいわけです。

ユニーク解(ただひとつの答え)になるような出題が美しいとは思うけど、別解があるか探すのも楽しみの一つ。

みんな、パズルを作るのって、他人パズルを解くのと同じくらい楽しいよ!

補足

ちょっとブコメもあって誤解を招くといけないので念の為補足。

パズルは、出題の穴を探すのもパズル(ワザと穴を作るのも技術ひとつ)」なので

「元々の問題はこうなので、出題者がダメ」という意味ではありません。

思い込みを利用するのもテクニックなので、出題者が暗黙の前提を強要したらダメ

それと、せっかくなので、ちゃんと元々の出題者の栄誉を称えておこう。

元々の問題(未改変版)

ピーター・ウェイソン(Peter Wason)の有名な4枚カード問題は、

(日本人には)ちょっと理解しづらいので、出回っているものは改変されたものが多いです。

元々は4枚のカードそれぞれが、片方は「a letter」で、もう片方は「a number」が載っていて、

"If a card has a vowel on one side, then it has an even number on the other side."

『もしカードの片側に母音があるなら、もう片側には偶数がある』

って、ルールに従ってるか確認するのに、E, K, 4, 7を見せたらどうする?って問題

(P. C. Wason, P. N. Johnson(1972) Psychology of Reasoning: Structure and Content (Cambridge,Massachusetts:Harvard University Press))

もう答えはわかるよね?

有名な方のWason selection task

で、アメリカで有名な"Wason selection task"と呼ばれてる論理パズルは、こんなの

  • 片方に数字が、もう一方には色が塗られたカードが、4枚ある
  • 「3」「8」「赤」「茶」が見えている
  • 偶数の裏側が赤」が真だと確認するには、何をめくる?

これも、もう答えられるよね?

さらに、社会的関係性で見せると正答率がぐっと上がるってのを証明するために使われたのが、以下の改変版。

  • 片方に年齢が、もう一方には飲んでいる飲み物が描かれたカードが、4枚ある
  • 「16」「25」「コークの絵」「ビールの絵」が見えている。
  • 飲酒して良いのは、18歳以上」が正しく運用されていると確認するには、何をめくる?

(Cosmides, L. & Tooby, J., (eds) (1992) The adapted mind: Evolutionary psychology and the generation of culture (New York: Oxford University Press))

からまあ、改変版も進化心理学者のLeda CosmidesさんとJohn Toobyさんの出題だったってのは、書き添えておくのがパズル作家義務になるかな。

(たぶんTwitterで出題してた人がタネ本孫引きしたときにはすでにわかんなくなってたんだと思うけど……原典にあたる人は少ないしね)

2016-02-21

CNNBBC報道も意外と適当だなということ

日本版を開設したりと最近何かと話題になったりする。

はてブにおいても上位に上がることが増えてきたようだ。


ただ、同時に(昔からそうだが)殆どニュースが深く突っ込んだ内容ではなく、大勢の人に伝えるために広く浅く報道するニュースが多いことがわかってきた。

捕鯨に関する問題や、同和差別関係ニュースもそうだったが、日本人には既知の問題が多く、そういうことがありますよということを広く伝えるためだけにあるわけだ。

基本的に多視点から捉えたニュースも無いし(つまり基本的西洋マイノリティ目線から記事である)、日本報道から孫引き等もかなり多い。


ここまで見てきて感じたのは、欧米メディア日本進出することで逆に海外メディアがどう考えているのかというのが国内でどんどん明白かつ、広く知れ渡るようになってきたということだ。

恐らくこれはCNNBBCに対するメディアイメージ国内で悪くなる方向に作用するのではないかと思っている。

日本版記事から英語の元記事にたどられることも増えるだろう。

その結果、調査の緩い部分がどんどん見えてくるようになると思われる。

2016-01-15

anond:20160115122215

パンフレットのことを書いた増田だけど、ごめん、うろ覚えで書いたのでソースとしては不確かかも。

帰ってきて家の中ひっくり返してみたけどパンフレット見つからなかった。

代わりに雑誌MOE2014年9月号のマーニー特集号が出てきたのだけど、

この中の米林監督インタビューでは、鈴木敏夫Pから日本で」という注文だったみたい。

宮崎駿監督瀬戸内舞台に、みたいな方向でイメージ案を出してきたとのこと。

あと、孫引きになるけど、

http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/arrietty/link07.htm というサイト(たぶん個人の?)に

Brutus2010年8月1日号の宮崎駿氏へのインタビュー記事によると、(現状では)原作通りイギリス舞台にしては描けなかったためとあります。すなわち、「泥臭い田舎臭い、100年以上前イギリス舞台にしても日本人ができっこない」ことに加え、「麻呂(米林監督)も何も知らない」からという要因を指摘しています中途半端勉強しても「ゲタ履いて畳の上を歩いているような映画」になってしまう恐れもあるので、とてもイギリス舞台には出来なかったというようです。また、宮崎駿氏は、「日本人の今の観客はもうヨーロッパ気持ちが向いていない」とも述べていて、日本の観客向けに作るのであれば、日本舞台にした方が良いという判断につながっているのではないかとも思われます

と書いてあった。

この記事記憶が残ってたのかもしれない。

2015-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20151205215336

わかる。

ちゃんと体系的に(なるべく実地に)学んで、自分の中で生きた知識になってないと、

本当は発言するのが恥ずかしいはずだと思うんだよね。

孫引き孫引きして、半端な知識をひけらかしてネットでドヤってるやつはほんと悪。

止める法律もないけども、手斧もって突っ込みたくなる。

2015-09-08

Wikipedia記事の質は低い」

とりあえずの情報源としては非常に有用だと思うのだが

未だにこういう解釈が多くあるように思える.

専門書の方がよっぽど誤字脱字誤りだらけだったりするし.

ただし,大抵の場合孫引きになるのでレポートの出典には使うなという指導はしている.


ちなみに日本語版Wikipediaにおいては多言語から

翻訳記事が多いので,何か変だなと思ったら翻訳が下手なだけという豆知識

2015-09-03

五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言


五輪エンブレム白紙に戻った。

この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授純丘曜彰である

反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。

エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で

純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。

筆者の感じた純丘氏への疑問とは、

「明らかなデマの流布」「度の過ぎた個人的感情の表出」

そして「独りよがりデザイン論」「デザインに関する知識不足である



明らかなデマの流布


東京オリンピックエンブレムはもう無理筋8月10日

http://www.insightnow.jp/article/8591


瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である

デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、

純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。

以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である


ニーチェの独文の警句英文引用して、名前綴りコピー元のままに間違っていたり

(page:2 より)


Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、

その最後名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、

すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。


このニーチェの脱字の件は、丸ごと事実誤認なのである

Pinterest綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。

ここで問題なのは佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。

事実誤認、それも2ちゃんねるが発信源である単純なデマを、

純丘氏はのまま引き写して記事構成しているのである


この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、

ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。

純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである

最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。


このような杜撰情報収集と決めつけで書かれた文章

大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。

論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが

こんなお粗末な方法文章を書いている人物が学生論文指導をしているのはいかがなものだろう。



度の過ぎた個人的感情の表出


オリンピックに潜り込んだゴキブリたち」8月20日

http://ironna.jp/article/1881


あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。


この記事の、黒い生き物の比喩を用いた執拗レトリック

およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。

まるでいやな気分にさせること自体目的ひとつにもなってしまっているようだ。

純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。

だがそれは個人的感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。

大学教授美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。

識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。

騒動の中、感情ほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。

これ以降、掲示板でもエンブレムゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。



独りよがりデザイン


佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」8月26日

http://www.insightnow.jp/article/8644


もはやリエージュロゴからの盗用かどうかは関係なく、

ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。

疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたもの

超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、

この他者制作物に対する容赦ない物言いは、おそらく氏の、

デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。

むろんそれ自体問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、

己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは

それこそ「無理筋」ではないか、と言葉を返しておきたい。


孤の中心がロゴの中心にある限り、この2つのパーツは、このロゴの四隅以外に配置することは不可能である

(1. 形態問題:パーツの寄せ集め より)


この一文の含まれ段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら

ぜひ翻訳してほしい(もちろん逐語的な理解はしている)。

「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデア否定するのが目的のようだが

なぜそこに「無理と矛盾」(純丘氏)があるのかわからない。

9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?

さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、

あのアニメーションのどこに無理と矛盾があるというのだろう。


黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス悪趣味

(2. 配色の問題ナチスフラッグ色 より)


ここは純丘氏お得意の表象である

解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。

エンブレムを仮に芸術ひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。

しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザインである

デザインとは、提示された課題を〝解決〟するものであって、

アートのように何ものからも束縛されない自由意志構成、配色したものではない。

見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレムであるという情報とともに接する、

そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。

解釈といっても常識的範囲がある。


佐野エンブレムスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。

が、「ナチスフラッグである、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは

エンブレム出自コンテクスト無視した悪意のあるミスリードしかない。

ゴキブリ画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがり解釈

強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。



デザインに関する知識不足


どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視RGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷YMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり

(上掲「佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」page:3 より)


デザイン生業としている人、その周辺に詳しい人で

この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。

この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを

結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである


CMYK を「YMCK」としているところはご愛敬だが、

純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。

発表されたエンブレムRGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、

色指定の要領を知らず、特色を用いてしまっているらしい、

佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、

あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……


RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり

CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である

RGBCMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである

RGB ベースでできている」もなにもない。

ウェブでの使用に向けてロゴを配布するならば RGB だし、

ポスタープログラム印刷するなら CMYKデータを用意する。

純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、

デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。


ここに、さら意味不明な特色のくだりが加わる。

特色というのは印刷インクの一種で、

通常のプロセスカラーCMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである

エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこから情報かわからないが

(筆者は見たことがないので、まずはそのソース問題である)、

それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。

RGBCMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用現場に応じて「自然に」決まるのであって

雑誌カラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである

媒体や場面によっては、予算や仕上がりを考慮した上で

金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。

もちろんそのために CI マニュアルのようなものがあり、

特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、

4色で表現する場合はこの CMYK 値、

そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。


・特色番号(印刷用)

CMYK 値(印刷用)

RGB 値(映像用)


純丘氏の言葉を再掲する。

以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナー想像できるだろうか。

すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定CMYK 値)のない、

そのような色指定が本当に存在するだろうか。

純丘氏の作為産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。

むろん常識的デザインの知識さえあれば、

このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも

デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。


RGBベースでできていて(略)「特色」の金銀が入っている



最後


大阪芸術大学教授純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。

佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど

エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、

このペダンティック解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、

エンブレム白紙化の力のひとつになったと考える。

芸術デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、

この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、

己の求める結論佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉作為的イメージを用いて

流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。


ここには、筆者の知る事実デザインとその周辺に携わる者なら誰でも知っているような知識から

明らかにおかしいと思われるものについてだけ論じた。

五輪エンブレム騒動の中で交わされた、デザインに関する言葉への理解一助となれば幸いである。

2015-01-22

学習」した結果、嫌な大人になってしまった

半年ROMれ、みたいな事はもはや死語なんだろうが、

ネット学習した結果、嫌な大人になってしまった気がする。

具体的に言うとだ、ケンカを売らなくなった。

揚げ足を取らなくなった。馬鹿にしなくなった。指摘すら最近はしない。

「それ文中に予想されて既に書かれてるじゃん」とか

性格言葉遣いしか批判するとこ無いのか」とか言うとこから

データ範囲恣意的に切ってるよな」とか

「ソレは因果じゃなくて相関だよな」とか言うレベルですらも。

ブコメにすら書かずに心の中で、

一生懸命自己紹介お疲れ様です」

とだけ呟いて、世の中には幼稚園児みたいな馬鹿が多いなーとスルーするようになった。

もう、感覚尺度(例えば気温)に棒グラフが使われてたり、

逆に比率尺度(例えば収入)がゼロ点じゃないとか観ても、

「ああ、マジで高等教育を受ける機会がなかったんだな」

とかしか感じられなくなった。

だってさ、まともに大学行ってりゃ、引用作法はみっちり叩き込まれるじゃん。

多少面倒でも孫引きせずに1次データないか観に行ったりさ、分野はどうあれ史料精査はするだろうしさ、

邪推して相手をくさしても良いこと無いとか、大人になったらある程度わかるじゃない。

ある程度のことはやってみる前に判って、その上でやってみるわけじゃない。大人なら。

んでさ、ネットには言葉が通じる理解力のある大人が多いと思うわけだよ。最初はさ。

触っちゃヤバイ人も居るけど、大抵は、まあ、勢いでつい書いちゃうとか、情報が足りないだけとか、思うじゃん。

聖人じゃないんだから、いきおい暴言も吐くだろうし、一旦振り上げた拳は降ろすの難しかろうし、恥もあるから間違いを認めたくないとかも判るよ。

からさ、炎上狙って書くのあざといな、コメントすんの止めとこ、みたいなのはまだ良いんだよ。判ってやってんだから

ワザと棒グラフの足下省略したな、みたいなのはヒデえな、とは思っても、意図したとおりなわけだよ。3D円グラフとか。

でもさ、わりと本気の馬鹿も多いじゃない。

ここで言う馬鹿は、悪い意味馬鹿ね。DPZには載らないタイプ馬鹿ジャッカスとも方向性の違う馬鹿

ああ、何言っても疲れだけが蓄積するんだろうな、みたいなやつ。

から、ちゃんと啓蒙みたいにデータ引っ張ってきて丁寧に論述してるのを見かけると、本当に尊敬する。

で、振り返って自分は何やってるかって言うと、何もしてない。

絡んでも何の特もないなと思ってスルーするだけ。

わざわざ非を指摘する熱量を持てなくなった。

情報曖昧ときに、コメントを残さなくなった。

嫌な大人になったな、と自分で思う。どうすれば良いだろうね?

リアルなら良識ある大人の態度なんだろうけど、ネットでそれだからさ。

変に嫌みを言わないだけ、マシなのかね。

2014-09-12

進撃の巨人元ネタネタばれ注意>

都市と星」アーサー・C・クラークなんですね。

あらすじ

遙か未来銀河帝国崩壊によって地球に帰還することを余儀なくされた人類は、誕生・死さえも完全管理する驚異の都市ダイスパーを建造、安住の地と定めた。住民都市の外に出ることを極度に恐れていたが、ただひとりアルヴィンだけは、未知の世界への憧れを抱きつづけていた。そして、ついに彼が都市の外へ、真実を求める扉を開いたとき世界は……。20世紀SF界の巨匠が遺した、『幼年期の終り』と並ぶ思弁SFの傑作、待望の完全新訳版。

http://www.amazon.co.jp/dp/4150117241



巨大な壁に囲まれ都市

都市の外への恐怖を人工的に埋め込まれた住人たち。

都市成立以前の過去歴史記憶から自然に断絶された異常な世界

外の世界へあこがれ閉ざされた街から脱出を企てる主人公

都市ダイスパーが極度に科学技術が発達した永遠都市であるというSF要素をひとまず脇に置いておけば

ほとんどそのままじゃないか、という印象すらあります

決定的な点がもう一つ「都市と星」の主人公名前、「アルヴィン」です。

この名前は「エルヴィン」と「アルミン」に分裂して進撃の登場人物に引き継がれていますから、作者にはこの二人に仮託した何かがあるんじゃないでしょうか。

考えてみればエルヴィンとアルミン、共通点が多いです。

  1. トリガー

作中で外の世界へ行きたい、という強い憧れと自分の欲望に周りの人間を引きずり込んだのが彼らです。

アルミンがいなければ、他の主要登場人物エレンミカサが外へ行く動機付けはなかったし、アニメにも出てきたあのシーンで外に出てきたりもしなかったでしょう。

エルヴィンに至ってはさもあらんや。調査兵団が何人彼に連れられて壁の外に行き文字通り帰らぬ人となったでしょう。

  1. 目的を達成するために人間性を捨てる

エルヴィンの一番の理解者はアルミンとまでは言いませんが、(解説役として)真っ先にエルヴィンの非人間性を見抜いたのはアルミンでした。

59話の童○卒業展開も含めてアルミンはどんどん成長してエルヴィンに近づいていく様子。

  1. 中央への反発

アルミンは憲兵団の主導で巨人侵攻の翌年に敢行された領土奪還作戦に従軍した両親が死んでおり、エルヴィンも父を中央憲兵に殺されているという共通点があります

実際のところ、二人とも他のキャラクターと違って敵は巨人ではなく中央政府だと初めから考えていた感があります



都市と星の主人公アルヴィンは故郷地球を遠く離れた銀河の中心で、自分の帰る場所はやはり地球である悟り自ら脱出した星に帰ってくるわけですが、

エルヴィンとアルミンは果たしてどういう結末にたどり着くのかどうか、というのが終盤にさしかかる進撃の巨人の注目ポイントではあるかも知れません。

個人的にはエルヴィンはどこかで死んでアルミンがその意思を継ぐ展開ではないかと思います

話的にはアルヴィン役が二人いたら片方死んでも問題ないですからね。

追記

巨人存在はその作品の何が該当するの?」

肝心なこと忘れてました。

都市と星には巨人は出てきません。

巨人に該当する存在としては「侵略者」というのが出てきます

都市と星」の都市ダイスパーでは「侵略者」は銀河系に進出した人類駆逐地球に追いやったということが伝説として言い伝えられており

その伝説によると、地球に逃げ帰った人間と「侵略者」は契約を結び、地球から出ないのなら人間を滅ぼしはしないという協定を結んだということになっています

そうであれば都市からでることは問題なさそうですが、侵略者への恐怖から都市の外を見ることさえ忌避しているというのがこの話の普通都市生活者です。

侵略者あくま伝説であり、その「侵略者」の正体が何だったのかというのもお話ポイントにはなってきます

個人的には「侵略者」は都市の外部へ行くことへの恐怖の象徴、として物語に配置されている印象があります

「他にも似たようなのたくさんあるのでは?」

個人的には「僕と君の間に鈴木 央とかを思い出してました、

「大きな壁の中と外」は読んだことがないです。面白そうですね。

ほか考えたんですけどあんまり思いつきません。

星真一とかが書いてそうだなあと思いますが、だとしても星真一が都市と星を知らないわけがないので、その元ネタということになります……

ていうか閉鎖系ユートピア(デストピア)物で「壁」に囲まれた街って設定って有名どころが全然思いつかないんですが、そういう設定のものって全部元ネタ都市と星」じゃないですかね。(宇宙船物で起源の失われたユートピア的な話は調べたらハインライン元ネタじゃないかと)


古典だと、必然的に似たとか孫引きってことも良くありますが、読んでみたらわかりますがこれについては「それはないです」

進撃の巨人元ネタガリバー旅行記だ」みたいなレベルじゃないということです。

ありきたりな設定がしかしいくつも一致しているということと、都市と星の主人公名前の類似した進撃の登場人物志向の一致と物語中の立ち位置の完全な一致。

少なくとも作者が参照していることは間違いないでしょう。

2014-07-12

ボアニメの1話

1話の中で主人公ロボットに乗って敵を倒すというのはかなりの難題で、理由付けにいろいろな方法がとられている、というのを御大インタビューで語ったというのをどっかで孫引き的に見てから、ロボアニメの1話を常にそういう視点で見るようになってしまった。

作り手的な視点で見ることは、新たな面白さを提供してくれる一方で、純粋視聴者として楽しむということを失わせるから複雑なきもち

2014-07-02

電車の中でイチャつくのはセクハラなのでやめて欲しい

お前らのセックスなんか見たくないんじゃ。ホテルに行ってから好きなだけヤれ。

…という嫌悪感もあるのだが、率直に言って、なんでそんなにベタつきたがるのかが理解できない。

路地の影や延々抱き合ってるカップルなど、完全に二人の世界で周りが見えていない。今生の別れか。一番笑えたのは駅のエレベーターの影で抱き合ってた奴ら。そのエレベーター透明だし、おばちゃんがそれを見て一瞬アッという表情になった後ワイドショー顔だし。

蛭子能収漫画で女を抱いても陶酔できず、バカバカしく思ってやめてしまう男の話があったが、その男に少し共感を覚える。今は手元にないのでネットから孫引きだが、

だめなんだよ

私は……

頭が良すぎて……

バカバカしいと思ったらやる気がしなくて

そして、女の隣の部屋(男女が○○をしている)を覗いて肩をすくめて一言・・・

しか

何も考えんで良く出来るな・・・

あーあ

私もバカになりたいよ」

この男ほどドライなわけじゃないが、付かず離れず、触れあわずとも確かめあえる、そんな関係がいっちゃん気持ちいいんじゃねーか。

少なくともふたり時間は誰にも邪魔されず、それなりにお金時間を使ってセッティングした上で過ごしたいものですな。

2014-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20140512235619

http://anond.hatelabo.jp/20140512235722

http://anond.hatelabo.jp/20140513010103

なるほど「言論のための引用」か.確かに今回のはその範疇におさまりそうではあるし,著作権訴訟だといっても誰得な感.

ただやっぱり発売されて即うpってのは,引用にしても行儀が悪いよなあ. しかも誰ぞが twitterうpした画像を参照するかたちでの,いわゆる「孫引き」っぽいものも多いみたいだし.

今回雁屋氏(と作画花咲氏)がそうしているように,漫画にのせて政治的科学的・統計的な主張をする人は,今後もっともっと増えると思う. となると他の作品引用したり,自分作品引用されたりという機会も増えるのは必然. そうなると引用にも一定作法があったほうが,する側・される側の双方に有益かと.

将来同じようなことがあって,今度こそ著作権にまで引っかかるようなことになるかもしれないし, 小学館としては「今後は控えてくださいね」ぐらいの小さめの釘を刺しつつ, 後に同業者と共同で,引用のお作法的なもの提示しておくのがいいんじゃないかと.漫画を言論のための一手法としたいならなおのこと.

2014-03-15

コピペ論文

私は早稲田法学系の出身だ。

まあ当たり前だが、論文コピペなんて許されるわけがなく、修論孫引き引用引用)をしただけでも教員に叱られた。

しかし当時を思い返してみれば、理系学生の話を聞いていたら、論文だとか研究だとかの感覚が、自分身の回りと違っていたな。早稲田理系っていうと、理工か教育か、あと人科とスポ科だったけどね。よく覚えてないけど、理工か教育学生がしていた話だったと思う。

そもそも、いわゆる理系文系では、研究論文のやりかたが根本的に違う気がする。法律学論文では、自分で書くのは当たり前で、コピペなんてしたらぶん殴られるかもしれないな。卒論レポートだとばれない可能性があるし、レポートときだと基本書からコピペする奴はいるだろうけど。

いわゆるコピペは、倫理違反だし、多くは著作権侵害だ。引用はしてよいし、論文なら引用を基礎にして成り立つものだといって過言ではない。だが、引用元を明示して、区別して記載しないといけない。

まして博論は、修論に比べても、独自性が高くないといけない。そうでないと学位が出ない。私の感覚からすると、博論コピペというのは信じがたい。

2013-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20130131092012

素晴らしい。売文業かくあるべしじゃないか

クオリティーの心配してるみたいだけど、読者にとっても面白い本三冊ぐらいのエッセンスを手軽に吸収できていいのでは?

読者というのは 「孫引き孫引きのようなうっすい入門書」 すら読まないものだよ。

とある評論家雑文増産方法

とある評論家は多数の媒体で連載している人間で、その業界内の信用も厚い。
講演数が大変に多くて全国を飛び回っているのに、各種媒体に多くの連載を抱えている。
なぜそれが可能なのか?
俺は彼のバイタリティーのせいだと思っていたが、実はそうじゃない。
事務所に入所して分かった。

彼の執筆方法パクリだ。
取材活動は一切しない。
ある共通のテーマを扱った他人の書いた面白い本を3冊もってきて(しかも、孫引き孫引きのようなうっすい入門書のようなもの)、その三冊に共通のテーマで、別々のエピソードがあれば、その部分を指定してパソコン事務所人間に手打ちさせる。
あるいはスキャナーをつかって読み込ませる。

行間を2行ほど開けた生原稿にして持ってこさせて、赤ペンで、加筆。
文末表現は徹底的に変え(その作業で30分)、エピソードの順番を変える(ここまでで15分)。
それを事務所人間に命じて、文字に起こさせるのだ。

最後に、適当偉人言葉を結論部分にくっつけて(これもタネ本があって、ある部分に付箋をつけて「この人のこの言葉をここに入力してね」と指定されるのだ)、いっちょ上がり。
簡単なものさ。
彼がすべての工程を終えるのに正味2時間からない。

マスコミ出る評論家は、有名になるまでが大変だが、いったん有名になれば、後は引退まで生き残るのはそうそう大変なことじゃない。
こんな奴らに騙されていた自分が嫌だね。
マスコミ御用達評論家の発言が糞なのは、やっていることが糞だから
そして日本には健全マスコミは育たず、日本の文化はいつまでも後進国のままだ。
腸が、煮えくり返る。

2012-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20120809011300

孫引きなっちゃうのでソースは不明だが

99: 名無し募集中。。。:2012/06/19(火) 04:53:21.35 ID:0

>>86

江戸時代皇族に謁見した欧米人日本人中東だって言ってたらしいか

顔立ちが渡来人系に変化したのは最近だろうね

(※via http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4223291.html )

で、写真を見て「日本人っぽい顔って何だ?」って思った。

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