はてなキーワード: 卒業論文とは
増田にしろ、ブログにしろ、twitter にしろ、文章を書くのがうまい人がいる。
文章をうまい具合にまとめて物語のように書ける人とか、まとまってないのになぜか熱量を感じる文章とか、いい感じに余韻を残せる文章とかを、普通の人が普通に書けているのはなんでなんだろうか。
僕は昔から作文とか感想文の類が本当に苦手で、ぜんぜん筆が進まない少年だった。
少年が青年になっても同じで卒業論文なんてひどく、めちゃくちゃ時間かけた割には30ページぐらいしか書けなかった。
よく卒業させてもらえたものだと、この場を借りて当時の担当教官には感謝を述べさせていただきます。ありがとうございます。
青年が中年になってもやっぱり同じで、例えば会社で必ず出さなければいけない週報は何を書いていいのかわからなくて出したことがない。
とくに激しく怒られたこともないから、必ず出さなければいけないわけではないのかもしれない。
でも出せるものなら出したいものなのだけれども、なにせ文章を書くのがへたくそだから、やっぱり出せない。
書いていて気づいたのだけど、なぜうまい文章を書ける人がこんなにいるのか、という疑問はつまり、なぜ僕は文章を書くのがへたくそなのかということだ。
文章を書くことが下手くそなだけじゃなく、御多分に洩れず話をするのもめちゃくちゃへたくそだ。
よく話をしていて、「ちょっと話が脱線してしまいましたが」という人にすごくあこがれる。
しかもその脱線したと言っていた話が、話の最後にはうまい具合に繋がってたりする。
さらに難しい用語とかトレンドワードなんかをちりばめて、「今僕かっこいいこと言ってますよ」感をまったくださないで話せていたりする。
なんて天才的なんだろう。
今こうやって文章を書いていて、やっぱりすごくへたくそだなと思う。
志明館便り
・2016/6/13 橋田代表、山口副代表、八尋副代表の三者鼎談
・2016/6/27 谷井宗像市長の思い
「宗像市は古くから教育のまち」「高い教育理念を掲げる志明館小中学校の開設に最適の地」「今後、地元や議会の理解を得ながらできる限り協力したい」
・2016/6末 寄付金総額3088万円
・建築分科会報告。建築設計をシーラカンスK&Hに決定。工藤和美代表は国家戦略特区WG委員。ほか、宗像市都市計画課、清水建設(造成)交え協議中。
・スクールカラーを山桜の色「志紅色」に決定。桜は武士道の象徴。
・ホームページ開設。
・独自設定科目「国学」を設定。日本人四要素である「和、誠、礼、勇」を身につけ、新しいものと伝統の共存を目指す。
・2・3・3・1制の9年制
・3-5年生 オーストラリア教育使節。皇居清掃。英語GTEC GRAED(※)2、漢字検定3級を必取得。
・6-8年生 希望制で部活開始。寄宿教育スタート。英語GTEC GRAED(※)3を必取得。
・9年生 卒業論文、自主研修計画書作成。英語GTEC GRAED(※)4を必取得。
・校舎レイアウト
子供達の「知 徳 体 志」を育む。宗像市河東に拡がる悠久の森。
瞑想の部屋(国学室):落ち着いた部屋で、暗転するなどICT等に対応した国学の部屋。
・寄付金・財務分科会報告。橋田代表、両副代表が、東京電力数土会長や数学者の弘中平祐氏、伊藤哲郎元警視総監らと東京で面談。
・2016/9末 寄付金総額3704万円
【平成29年春 第3号(2017/4)】
A4裏表カラー
・幹事会副代表の八尋氏が開設準備室室長として陣頭指揮を執る。
・「志明会」を創設し、賛同者の拡大を図る。
・武田薬品会長長谷川氏、フォーバル会長大久保氏、九州国際大学学長西川氏、イメージプラン代表取締役田口氏、中村学園教授占部氏の応援メッセージ。
・2017/3末 寄付金総額4144万円
【平成30年新春 第4号(2018/1)】
A4裏表カラー
・2017/12 費用見積もりが見込みを大きく上回るため、開校予定地を宗像市市有地から変更し、宗像市・福津市周辺の用地を調査中。2022年4月開校を目指す。
・2017/12 東京志明会発足。共同代表の石原JR九州相談役が開会挨拶。
・台湾志明会の結成準備。
フリーランスをやってる大学4年生だ。ものづくりを仕事としているんだが、最近クライアントから品質が落ちているとクレームがつくことが増えた。「あの時とは全然違う、どうしちまったんだ」と心配される程度にはだ。
数ヶ月まえに冴えない自分を変えたくて仕事始めたってのもあり、まだまだ食えるほど稼げてないんで、同時に就活もやってるがこっちも上手くいかない。面接の度に今後のご活躍を祈られてばかりだ。
つい先日大学生最期の1年も始まった。卒業論文が卒業の必須条件になってるもんだからこっちも色々と準備しなくちゃあならない。
もうなにすりゃいいかわかんない。
せっかく始めた仕事を止めたくもないが今後食っていける保証も、もしもの時の蓄えも逃げ場もない。
このままの状況でいれば仕事先もこちらとの契約を切るだろう。そうなる前に自分から切ったほうがいいのだろうか。
就活も上手くいかない。個人で仕事取ってきてやってますとアピールすりゃ「ウチは副業禁止」だの「そういう気質の人はウチには合わない」とか言われてしまう。
挙句の果てには「そんな稼ぎじゃアルバイトと変わらないじゃないか」。事実だが、悔しい。事実故にひたすらに悔しい。
そのせいで話すことと言えば無難なサークルやらボランティアでの取り組みに終わる。結果お祈りだからどうしようもない。
勉強も大変だ。卒業がかかってるし、下手な卒論提出するわけにもいかない。
元々ADHDの気質があり、並行作業が苦手な自覚があった。ただそれだけじゃないと思う。
シンプルに俺には能力が無いのだろう。無能なのだ。どれもこれも上手くやれるほど能力があるわけもなく、特筆すべき才能もない。かといって後から復帰すりゃいいじゃんというめぐり合わせもない。
レールにも乗れず、かといってレールを外れた先で生きていけるような能力も無い。
辛い、ただひたすらに辛い。何もかも上手くいかない。将来に、人生に希望が持てない。くそっ、くそっ。
もう何もかも放り投げて消えたい。何も考えたくない。もうやだ。もういやだ。
4年生の2月。あと1か月後には卒業を控えているこの時期に卒業延期が決まったらしい。
どうにも私の彼氏はツメの甘いところがあるので、なんとなくまずい予感はしていた。
聞くところによると専門科目の授業内テストを落としたらしい。
内定は下りているが辞退になる。もったいないな、というのが一番の気持ち。
公務員をずっと志願していて、公務員一本で就活して受かったのであった。
4月から公務員なのであれば、このまま上手いこといくなら3年内に同棲して結婚~なんてことをぼんやりと考えていた。
だけども実際はこれである。
試験はおそらく受けなおしとなる。
激しく落ち込む彼氏の横で能天気に笑いとばしているものの。実際好ましくはない。
けどまぁ仕方ないよなぁ。
無理だとわかったその足でわたしに 別れてもいい、とくるのだから、なんとなく放っておけない。
卒業延期のお金はわたしの財布からでないし、彼氏の親がそこそこ裕福なことも知っている。
わたしは奨学金を借りているけども彼氏は推薦で入って学費も半額に抑えられている。
自分で学費を出せ、と言われたらしいので身内からお金を借りて半年間バイトしながら通うことになるのだろう。
わたしだって全然優秀でないし、単位も卒業論文もギリギリだし、発表のパワーポイントは目下作成中だ。
卒業できない、とわかった彼氏は落ち込んでいて、最悪高卒で適当な会社で、なんてことを呟いていたので怒ってしまった。
怒るというか、悲しくなるというか。
夢だったくせにそんなことを言うもんじゃないだろうと思った。
頑張ってくれ、彼氏。
妹に自業自得だと笑われても、親ががっかりしても、祖父母が落ち込んでも。
私は他人なので。
今は能天気でいようと思う。
頑張れ彼氏。
資格とか取って、少しなら美味しいものも食べれるくらいには稼ぐよ。
小保方氏がSTAP細胞に関する論文でやらかしてから4年、博士号取り消しの処分が決定してから2年以上の歳月が流れた。
小保方氏がメディアを悪い意味で騒がせていたちょうどその頃、僕は東京大学を受験したものの点数が足りず、合格を貰っていた早稲田大学の某理系学科への進学が確定的となっていた。
世間とマスコミは小保方氏と早稲田をぶっ叩きまくっていた。ガバガバ博士論文を通した早稲田はクソ、コピペ改ざんの小保方氏はクソ、STAP細胞は存在しない!( ー`дー´)キリッみたいな感じで、受験に失敗した結果早稲田への入学が決定していた僕にとっては追い打ち、死体蹴りでなかなかの真顔案件だった。
「うるせぇ有象無象共!このまま早稲田が叩かれまくって僕が就職するときに『ええ?あの小保方さんの早稲田?』みたいなこと言われて不利になったりしたらテメェら責任取れるのかクソが!!」と大いに荒れていたことを今も覚えている。
話の本流からは逸れてしまうが、バッシングの果てに尊い人命が失われているし、人権侵害級の話もあったのでそのあたりについては壁に手をついて俯いた猿のごとく反省して頂きたいとは思う。とはいえどうせ反省を促してもマスコミは絶対に反省しないで今後も似たようなことを繰り返すし、叩いた民衆は自分が叩いた自覚を持って無くて全く反省しないだろうから無意味だとは思うが。炎上している誰かを叩いているとき、それはそれはきっと気持ちがいいのだろう。大義名分も自分にあり、多数のうちの一人であって責任はほとんどない。さぞ楽しかろう。そういう奴が無自覚に人を殺し、人生を壊したりする。
話を本筋に戻そうと思う。
あれから4年間を早稲田大学で過ごしたが、小保方氏の事件はまあそれなりに早稲田に反省を促したように感じた。
いつ頃だったかは忘れたが、小保方氏の学部時代の所属学科である応用化学科の実験レポートで剽窃が発見され、かなりの人数が罰則を受けたと噂で聞いた。
理系における実験の重要度は他の講義の比ではなく、実験の単位を1つ落としてしまえばその他全ての単位をきっちりと取っていても5年生コース(早稲田では4年生を2回というようなことは無く、『留年』すると5年生とか6年生になる)が余裕で見えてくる。剽窃発覚だと半期の単位取り消しと停学がセットでひっついてくるので、ほぼ確実に留年である。
応用化学科は小保方氏以来、随分とそのあたりが厳しくなったという話だったが、それを裏付けるように大量BANの話が出てきたのでなるほどなぁと思った。
卒業論文を提出する段階で知ったことだが、早稲田大学では過去の早稲田内のレポートや様々な論文と類似度を数値化し、ちゃんと自分の手で書いたレポートかをチェックするシステムが稼働しており、インターネット越しの提出窓口から提出すると自動でそのチェックがかかることになっている。このシステムに引っかかってしまうと随分まずいことになるらしいが、実際どうなるのかは分からない。ただ研究室の教授が相当めんどくさそうに言っていたので、まあそれなりにやばいことになるんだろうなと思う。早稲田なりの再発防止策、なのかもしれない。実際いつ頃から稼働してるシステムなのか知らないので断定はできないが、今の早稲田では剽窃はなかなかにハードルが高い状態になってると思う。
データじゃなければなら余裕で剽窃できるという話はあるが、実際に応用化学科の実験レポート(基本紙で提出)で剽窃が発覚してる例もあるし、その後も似たような話をちらほら聞いているので、抱えるリスクと得られるリターンをまともに考える頭があれば剽窃はしないという結論に至るような状況だとは思う。
コピペで博論通った件も、「科学における論文」というのが多分に性善説的に構築されているところがありその穴を突かれた感じなので、今のように定期的な見せしめBANと性悪説的なシステムを稼働させて威圧するというのは効果的だと一学生としては感じている。
ただまあ、学生の間では過去レポが出回っていることは事実だしそれを参考にして文言や順序を大きく変えて要旨を保つという方法ならシステムには引っかからないようなので、もう何かNARUTOの中忍試験編であった「カンニングするならバレないようにやれ」の試験みたいになってきている感じがしないでもない。こういうのはもう原理的に防ぎようが無い。早稲田に限らず慶応だろうと京大だろうと東大だろうとムリだ。まあ自分の言葉で再構築できる程度に理解してるならOK感がしないでもないし、難しいところだと思う。
今はもう存在しない器具名をレポートに入れてしまう、文言が同じ、データが完全に同一、誤字脱字のタイミングが同じ。そういう頭湧いてるレベルのアホみたいなことをやる奴は少なくとも排除されて、それなりに労力をかけた人が馬鹿を見るような状況ではないので、まあ良いのかなと個人的には思う次第。
早稲田は随分と頑張ったと思う。
コメントを見て、大事なことを書き忘れていたことに気付いたので追記を。
あの事件を受けて学生が剽窃パージに怯えつつ暗く沈んだ学生生活を送ったかというと全くそんなことはなく、この事件を時折ネタにしつつたくましく生きていた。
狩野英孝の「スタッフ~~~~!」のネタになぞらえて「スタップ~~~~!」と叫んだり。
明治大のサークルで愚か者が酒に薬を入れてやらかした件や東大で愚か者が女性に下劣な暴行を働いた件などの折、「さーて、どこまでマスコミで騒がれるでしょうか!!目指せSTAP超え!!」などと騒いでみたり。
論文を読んで英語で発表するという課題で、STAP細胞やその後の懸賞論文を持ち出してきて発表してみたり。
STAP細胞のコスプレをした者も居ると聞いた。上記の若干寒い内輪ネタの数々ならまだ理解できるが、こればかりはあまりにも意味不明過ぎて首をかしげたことを覚えている。
「小保る」等という謎の単語が生じていたが、どうも意味は「剽窃がバレて大学から罰則を食らう」という意味らしい。
その他にも、話の流れの中で自虐ネタとして使われたりもしていた。
かのスーパーフリー事件、早大生「あー・・終わったー・・」捜査官「終わってねぇよ」で有名な早大生による大麻栽培摘発などと並び、早稲田の恥ずかしい歴史に名を連ねてしまったこの論文不正事件だが、『きちんと真面目に剽窃などせずレポートを書いている学生』にとっては話のネタ程度のもので終わりそうだ。
早稲田の大学当局は反省した。しかし学生は反省していない。当たり前である。一部を除き大多数の学生は丸ごと剽窃等というアホみたいなことはしないから関係のないことだ。僕に限れば、自分がしたことではなくかつて同じ学び舎に居た誰かと大学が過去にしでかした件のせいで、大学以外の帰属コミュニティで多かれ少なかれ色々言われたことで、薄いながらもむしろ反感のような感情すら持っていた。「は? 僕関係ないんだが。自分が入学した時点でとっくに卒業していた奴の話なんか知らんがな」という感じである。現在に至っては特に何の感情も伴っていない。「そんなことあったね」と微笑みつつ日本酒を飲むだけだ。
帰属する組織やそのかつての構成員のうち何人かが何かをしでかしたことで、組織のみならずその組織の人員までもが色々と悪様に言われたりする事例は枚挙に暇ない。
「そういう人間を育てた大学なんだから、お前もそういう風に見られて当然」と言う人が居る。
恐るべき暴論である。つまり早大生は全員スピリタスで女性を酔わせ強姦し大麻を栽培し革マル派に属し論文はコピペで提出する人間として見られることを受け入れろということである。他の大学も同様に、例えば東大生は全員所属組織の講堂を実力で占拠し全員女性の局部にドライヤーをあてる人間として見られることを受け入れろということであるし、慶大生は集団で女性を強姦し父親を刺殺する人間として見られることを受け入れろということである。名大生はもっと凄い。同級生にタリウムを盛り女性を斧で殺害する人間として見られることを受け入れろということである。頑張れ名大生。
悪質な組織に所属しているからその構成員が悪影響を受けるというのは、一部は正しい。暴力団やブラック企業というのはまさしくその典型であろうし、もっと卑近な例で言えば毒親が居る家庭というのもその1つだろう。
大学はどうか。日がな一日遊び倒すような人間が育ったり一部のアホ共が増長する程度には大学名による謎の権威があることは否定できない。だからこの面で大学の悪影響というのは認めるところである。しかし、全員がそうではない。
暴力団を辞めて反省し必死で正業で生きていく者が居る。ブラック企業を辞め、新たなブラック企業を生み出しかねない染まりきったブラック企業的思考を改めて新しい環境で邁進する人が居る。毒親を反面教師として良い親であろうと心がける人が居る。
大学も同じことで、愚か者がテレビを騒がせる一方、真面目に勉強して真面目に研究して、世界に通用する成果を生み出す人や、大きな企業に就職して働いて社会に貢献する人や、新しいサービスを考え出して会社を起こし、新たな価値と雇用を創造する人が居る。
当たり前のことではあるのだが、人や組織が何かをしたとき、それだけがその人や組織の全てではない。良い面も悪い面も持ち、多面性を持つものだ。
かつて何かしらやらかして早大の名に傷を付けた人も居るが、長期的な目で見るとそんなことを歯牙にも掛けない程に早大の名に(結果として)箔を付けてくれた先人達が居て、今の早稲田がある。
早大生は今日も元気に学んで研究して、アルバイトして税金を払って、遊んで色んなところでお金を使って経済に小さいながらも貢献し、そして高田馬場でゲロを吐いて地域のネズミと鳩をせっせと育てるのである。
卒業論文を提出したら「これでは単位を認められない」と指導教官(教授)に言われた。
わたしは哲学を専攻していたが、学ぶうちに「おもしろいけど意味あるんかなー」みたいな疑問が湧いてきた。
そのうち2年になり3年からのゼミと研究テーマも決める必要がでてきた。
わたしは少し考えて一番世の中に役立っていないと思われる研究をしている先生を指導教官に選んだ。
特定されそうだが、その先生は中世イタリアオペラの美学みたいな、
「それ日本人が研究する必要ある?」みたいな誰もが疑問に思うテーマを研究していた。
4年生になり、自分の卒論テーマを「日本にやってきたオペラと大衆芸能との関連性」とし、
あとは推敲、校正して出すだけでよい段になり、ふとこんな無意味なことをやってていいのかな
という当初の疑問をもっていたことを思い出した。
年末年始の間に、「いかに日本人がイタリア文化を研究することに無駄が多いか」
そこで1行目にもどることになる。
話し合っても、認めない教授には、
「ここでわたしの卒論を認めないと、2年間のあなたの指導が役に立たなかった証明になりますよ」
と言ってやった。無言だった。
修論締切直前の深夜にこんな駄文を書いているのは現実逃避以外の何物でもない.
私が3年間の研究室生活の中で自分自身や周囲の人間を観察していて気づいたことは,「指導教員の言うことを素直に聞く」人間は安定して成果を出しているということだ.
私は物事を批判的に捉える傾向があり,他人の言説に対してまず疑ってかかるきらいがある.そしてさらにたちの悪いことに,私は自分のしていることに一度でも疑問を感じてしまうと,その疑問が解決するまで手が止まってしまう悪い癖を持っている.かつてこの性格が原因で4回生のときの卒業研究を失敗した経験がある.
学部4回生の研究では,指導教員が適切なレベルの問題とそれに対するアプローチを提示して,学生はそれを黙々と実践し結果を得る中で,手習いのごとく研究の方法論を身につけていくものだと思っている.
当然私にも指導教員から卒業論文のテーマが与えられた.しかし私は論文をサーベイし研究を進めていく中で,「そもそもの問題設定に誤謬があるのではないか?」という疑問を持ってしまったのである.(当時の私が抱いた疑問はどうやら見当ハズレというわけでもなかったらしく,後になって隣接する他分野で私の疑問に答えるようなアプローチが研究されていることを知った)
私は指導教員に自分の気づいた問題点について相談したのだが,私のコミュニケーションが拙いことや,指導教員自身がそのテーマに関して専門外であることもあり,その時は指導教員からどうしても納得が得られるアドバイスが得られなかった.そして私が「この研究には価値があるのか?他に良い問題設定はないのだろうか?」と悩んでいる間に,周囲の同期は順調に研究成果のようなものを出しはじめ,私は彼らへの劣等感から研究室に行くのが辛くなって家に引きこもるようになった.最終的には何とか卒論を提出し卒業はできたものの,私の卒業研究は見事に失敗してしまった.
この時の経験を反省し,修士2回生のとき((修士1回生の間は国外逃亡してた))に取り組んだ新たなテーマでは,私は指導教員の言うことに疑問を抱くことを極力やめて唯々諾々と言われるままの作業をすることにした.すると結果3ヶ月余りで成果のようなものを錬成することに成功し,(レベルは高くないが)国際会議に論文投稿することができた.
何のアウトプットも出せないことに比べると「国際会議に論文投稿した」というのは紛れもない進捗である.指導教員の指示を素直に首肯できず,かといって自分で新たなテーマを打ち立てるほどのサーベイ力も発想力もない私のような人間は,やはり教員の指示に従って黙々と研究を進めるのが正解なのだ.私の失敗は文字通り「下手の考え休むに似たり」だったのだ.
でもその時に出した成果はまさに重箱の隅を突くような,問題設定や手法としての新規性が皆無に等しい研究だった.レベルが低い国際会議だから通ったものの,僕が査読者なら間違いなく落としていただろう.この研究でもやはり私は指導教員に与えられた研究テーマ(というよりも問題設定)にずっと納得していなかった.それには私なりの合理的な理由があったのだが,今振り返ってもその理由は間違っていなかったと思う.この時,指導教員にきちんと反論し,自分の頭で考え抜いて研究に取り組んでいれば,もっと満足のいく成果が出せたのだろうか?
少なくとも自分が研究者に向いていないのは明らかである.就職という選択肢を選んで正解であった.
私は自分のアウトプットと人格を切り離して考えられない人間なので,修論原稿を1字書き進めるたびに自分の修士研究の不出来さ,ひいては自分という人間の不出来さを再確認させられ,物凄いストレスを感じてしまう・・・.
卒論というものを書き終えた。苦難の連続だったことは言うまでもない。
「こんなの、完成するわけないだろ?!」って思った回数はもう数えきれないくらい。
でも、絶対書き終えられると内心は確信していたので、最後まであせることなく全力を注ぐことができたのだと思う。
おめでとう自分、ありがとう協力してくれた皆さん。そして、難産となったこの
これでも俺はクリエイターの端くれで、試行錯誤の末に生まれたものがどれくらい尊いかということもわかっているつもりで、卒論、お前がなかなかの難産であった
ことも、よくわかっているつもりだ。
きっと何年か後に見返したら、その稚拙さに破り捨てたくなること間違いなし。
就職活動が終わった。それなのに、心が晴れない。
俺は大学4年生で、いわゆる18卒学生として就職活動を行った。そして、8月に入ったところで、ようやく内定を手に入れた。
学部の単位なども概ね問題なく取得しており、卒業論文だって道筋は見えている。
つまり、今の俺は客観的に見て、何の問題もなくライフステージを進めているように思える。就職活動を終えた学部4年生の夏休みなど、この世の春と言ってもいいだろう。夏なのだが。
しかし、今の俺の心には、とてもそれに見合った開放感などというものは存在していない。
この心理的なモヤモヤした何か、胸のつっかえともいえるものは、どこから出てきたのだろうか。
何かを後悔しているのだろうか?例えば、内定先に満足していないとか?いや、そうではない。
8月までNNTだった俺は、何の因果かはたまたラッキーパンチか、そのような就活弱者には全く見合わないような優良企業の内定を得ることができたのだ。
学部で学んできたことが活かされるものでは決してないにせよ、十分な研修を受け、全うな待遇の下で働けることはおそらく保証されていると言っていい。
恐らくそれはきっと、就職活動を通じ、「自分は何者でもない」ということを、大学の4年間の中で密かに気づきつつも目を逸らし続けたその事実を、まざまざと見せつけられてしまったからであると思う。
端的に言えば、「おつむがよろしくて真面目で一生懸命で人格者で才能溢れててみんなから未来を嘱望される完成された存在であるところのボクちゃんが、実際にはゴミクズ未満の存在に過ぎない」ということが、就職活動により明白になってしまったからである。
もう少し具体的に言えば、上記のような自分が、8月になるまで内定を得ることができなかった、そのことが未だに自分を縛り続けているということである。
お前は社会から積極的に求められる存在ではない。寝っ転がってチ○ポをおっ勃てているだけでは、社会は跨っては来ないのである。それほどの魅力がある存在ではない。十把一絡げ・一山いくらの畜群の一部に過ぎないどころか、その平均にすら追いつかない無価値・無能力の極みであるような存在、それがお前、俺である。
極めて陳腐な話だと思う。大学生活の中で何者かになれる人間など、そう多くはないだろう。
大学生は大抵の場合、自分は何者かである、きっと特別で何か人から称賛されるような正の属性、あるいは才能のようなものを自分は持っていると考えながら大学に入るのではないだろうか。少なくとも俺はそうだった。
日本でその名を知らない人間はそうは居ないであろう大学に入学できた自分は、きっと特別な存在なのだろうと思っていた。ヴェルタースオリジナル状態であった。
今の自分自身にその「何者か」問題が分からなくとも、時間が経てばいずれ明らかになるであろうし、そしてそれは自明に周囲から評価されるものであると、図々しくもそう措定してしまっていたのであった。
自分よりも劣るとみなしていたような相手が、次々と内定を取っていく。自分は見下していた相手よりも実際には下の存在だったのだ。その事実そのものもまあまあ辛いが、それ以上に事実を認識できていなかった自分の不明が憎い。
僕は人間じゃないんです。
本当にごめんなさい。
そっくりにできてるもんで、
よく間違われるのです。
まわりは普通にみんないいひとばかりです。
絵を描くことと工作だけは大好きで、
発明クラブに入りました。
いっぱい賞をとりました。
本当に本当に楽しかったです。
けれどいつもひとりぼっちでした。
中学でも高校でもそんな感じでした。
挨拶、返事、愛想笑い、そんな当たり前のことができませんでした。
うわべだけの付き合いがどうしても無理でした。
おもしろい返しができませんでした。
どうやって自分は生きていけばよいのだろうか。
なんのために生まれてきたのだろうか。
何になるのだろうか。
そんなことを考えながら本を読んでいるうちに、気がつくと高校を卒業していました。
高校を出て予備校に通いました。
いっさい勉強に身が入らず、集中できず、予備校に行かずに本屋に通っていました。
そのうち家に引きこもって勉強するようになりました。
気がつくと二度目の受験がやってきて、全く勉強してない僕はもちろんどこにも受かりませんでした。
そうして、僕はニートになりました。
本当に、本当に、孤独になりました。
求人情報誌を買っては電話をかけ、ことごとく面接で落ちました。
なんとか決まったネットカフェでのアルバイトは1ヶ月半で退職しました。
そうして、またニートになって、いてもたってもいられなくなって家を出ました。
北海道の片田舎から東京に出て、本当に、本当に、本当に孤独になりました。
「ネットカフェ難民なんて甘ったれた奴ら。山谷にいけば仕事も寝床もあるのに。甘えるな。」
甘ったれた僕は家に戻りました。
甘ったれた僕は一回2万円の家庭教師についてもらいました。親の金で。
甘ったれた僕はその家庭教師に2ヶ月でやめてもらいました。金がもったいなくなって。
甘ったれた僕は親にそのことは言わずに参考書を買いあさりました。けど全然勉強してない。
甘ったれた僕はセンター試験で昨年と変わらない点数をとりました。
甘ったれた僕は国立なんか鼻から行く気もないのに国立に向けて数学とか勉強してて私立対策は一切してませんでした。私立目指すのは家の経済事情的にはありえない選択。
甘ったれた僕は親に全ての金を払ってもらい私立を受けまくり早稲田大学に30万円お布施しました。
甘ったれた僕はたまたまなんとなく運が良くて慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に受かりました。お布施はしてないのに。
甘ったれた僕は甘ったれて大学に入りました。すべて親の金で。母がコンビニでパートして働いて稼いでくれた金で。
僕は2年間の孤独を取り戻そうと、必死に必死に友達を作ろうとしました。
でも、僕の顔はやつれていました。
20歳なのに30歳くらいの顔になってました。
ああ、人は人と関わらないと人を遠ざけるような顔になるのです。
友達はできたけど、すぐ離れていきました。
好きな人はできたけど、すごく嫌われました。
バイトははじめても、すぐに辞めることになりました。
自分では普通に挨拶してるつもりなのに、感じ悪いとか無視してるとか言われるようになりました。
そうやって言ってくれる友人も、次第にいなくなりました。
すべてを悪いほう、悪いほうに考えるようになりました。
僕は実家に帰りました。
精神科をぐるぐるぐるぐる回りました。
反響を呼び、年間35位くらいになりました。
ひとは、ひとの不幸が好きです。
自分を切り売りしてやっと私は誰かの価値になりました。
「普通の人」より「変な人」のほうが価値はあると思っていました。
いろんなバイトをやりいろんな研究室に入りいろんなことを学ぼうとしました
けれども全く集中できない、続かない。
あーやっぱり俺はそういう「タイプ」の「人間」なのかな。信じたくないけど、そうなのかな。
そんなことを考えてときどき鬱になりました。
頭の中での口癖でした。
けれども、行動しなきゃ始まらない。
けれども、行動しようと思って1日が過ぎ、1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、4年が過ぎました。
ホリエモンに憧れて
全然起業できませんでした。
金も人も僕には集まりませんでした。
一つのサービスを作る能力を身につける集中力すら、ありませんでした。
芸人養成所に入りました。
バイトも長く続かなくて金のない僕は、
その他もろもろの器用さが一つもありませんでした。
なにもありませんでした。
プログラミングをさもバリバリしていたように(本当はprocessingで講義で出た課題を適当にいじるぐらいしかできません。)
アルバイトをたくさんやったのは人生経験を積むためのように(本当は続かなかったりクビになったり)
芸人養成所では確固たる実績を残して卒業したように(解散した後、年明けから行かなくなりました。)
ESでは適当に嘘を並べました。
大学4年間で頑張ったことなんか何一つないので「考えること」を頑張りました、とか書きました。
コミュ力なんて一切ないのに芸人をやってたとうそぶいてコミュ力アピールをしました。
するとどの企業もいい感じのとこまで行きました。
ゲームなんて一切やらないのに任天堂やスクエニは最終面接まで行きました。
本なんてほとんど読めないのに文芸春秋社や3大出版社も3次面接くらいまでは行きました。
一切興味もないのにドコモも最終面接まで行きました。
でも結局落ちました。
当たり前です。
僕はサラリーマンになりたくなかったし、なれるような人ではなかったし、なるべきじゃなかったから。
ゲームを作りたいんじゃなくて、ゲーム会社の社長になりたかった。
(小学校の卒業文集にそう書いてた。それをESに書いたら任天堂の人が会社員になることは社長になることと真逆だとか言ってって僕は萎えた。)
編集者になりたいんじゃなくて小説家になりたかった。漫画家になりたかった。
そもそも就活なんてするつもりもなかったし、したくなかった。
してはいけないと思っていた。
でも起業も芸人も自分で稼ぐことができず、金もなかった僕はするしかなかった。
だから、適当にした。なめてた。OB訪問もしなかった。そもそも僕は人間じゃないから人間の話を聞いても参考にならないと思っていた。
だから、たくさん落ちた。
そして、いくつか受かった。
誰にも負けないことはなんですか、と聞かれ、
「体力」と「コミュ力」です、と答えた。
やりたいことはなんですかと聞かれて、
「人の心を動かすものをつくりたいです」と言った。
本心だった。
「それはちがう。そもそも根本から間違っている、我々は人の心じゃなくてクライアントの要望を叶えるためにやってるんだ。・・・・」と言われた。
5分くらい説教をされた。
受かった。
そうして内定を抱えて僕は大学生活を終えた。
ちなみに卒業論文は書いていない。
白紙で出した。
中退するつもりで出した。
ただ少し皮肉として「大学は意味がなかった(僕にとって)」と書いた。
なぜか認められた。
認められたくなかったので、大学ともめた。
僕は卒業した。
何も修了していないのに「学士」になった。
当然のごとくトラブった。
全てをぶち壊し、いろんな人を不幸にし、迷惑をかけ、去った。
また僕は引きこもりになった。
そうして僕は、また、また、孤独になった。
研修でまたトラブった。
でも、まあいいや、そう思った。
僕は5年前、死のうと思った。
周りに迷惑をかけ続けるぐらいなら、そうしたほうがいいと思った。
でも、自分は悪くないと思った。
自分の伝え方は誤解をうむ。それは間違いないだろう。
けれど、本当の本当は自分は悪くないと思っている。
だから、僕はこうして今まで生きてる。
ジョブズもホリエモンも一サラリーマンならすごく、迷惑な奴だと思う。
でも、彼らは能力がある。
僕はたぶん、ない。(客観的に見て)
僕は人間だから。(僕は人間じゃないんですということにしている、人間だから。)
明日には、1ヶ月後には、1年後には
すべてが報われるような気がして、生きている。
でも会社辞めたら死んじゃう。どうしよ、詰んだ。藤井4段もびっくりの詰将棋だ。
あった期間が1度もない。
せめていま500万あれば。だれか援助してくれないかな。
ま、たぶんどう頑張ったって変わらない(と言われるだろう。)
だってあなたは人間じゃないんですから。(と思われるだろう。)
人間じゃないことを、アドバンテージに生きるしかないじゃない。
ちなみにやりたいことはたくさんあるし、なりたいものもたくさんある。
俺はもうやりたいことしかやらない。
金があったらね。
金の呪縛に縛られてるだけ。
ただそんだけ。
大学で受けた授業で一番感動したのは、ホリエモンだよ、本当に。
この匿名ダイアリーが反響をよんだら、誰か連絡してくれないかな。
それで何かが変わらないかな。
結局人まかせだな、俺は。
だれかの何かに残れば、それでいいと思う。
そんなことでもいいと思ってしまう。
僕は人間じゃないんです。
本当にごめんなさい。
そっくりにできてるもんで
バッタもんのわりにですが
何度も諦めたつもりでも
人間でありたいのです
追記
はてブって返信できないのね。
これこそdisコミュニケーションな気がするのだが。
ご指摘いろいろあるので誤解ないように書くと、
思考の中心にそれはない。
友人が欲しいとかそういう悩みはプライオリティ的には低い。
そもそもいわゆるマスコミ業界に就職している時点でうわっつらのコミュ力はある。
今悩んでいるのはずばり、金だ。
やりたいことをやらず、いままでと同じような人生を歩むのであれば、
一体何の価値があるのか。
金というのは信用の対価なわけで、
信用は人間に付随する。
人間でない(とされている)僕は、金がない。
姓名判断でも一生金に縁がないとされている。
福沢諭吉の大学出たのにね、まあそのせいで金がないとも言える。
そしてやりたいことについてだけど、
コメントにもあった通り、
「やりたいこと」が本当にやりたいこととは限らない。
実のところやりたいことが絞りきれてない時点で、その通りだと思う。
今まで金を言い訳に、やりたいことをやる前に考え、何もしてこなかった。
実に無駄に過ごした時間だった。
それでいて、やりきっていないと一生やりたいことに対する執着は消えないのだと思う。
だから、僕は全部やるしかないと思った。
金をある程度得たあとにやりたいことは、それこそやりたいことではない。
やりたいことを全部やってみて、違うと言い切れるまでは、この呪縛、堂々巡りから逃れられない。
それを金のせいで諦めるのは、非常に辛い。死んだほうがましだ。
けれど、サラリーマンをしていたところで、手取り17万の現状、
日々金と引き換えに若き人生の時間を消費している。
この悶々とした日々が、あまりにも苦しく、つらい。
ふつうのひとはある程度割り切るのかもしれないが、
それができない僕はやはりふつうではないのかもしれない。
600万の起業資金を彼女の親に出してもらうような麻雀がプロ並みの東大生ではない。
どうすればいいのか、それをこの5年ずっと悩み続けていた。
けれど、答えは出ないまま、卒業した。
だから今僕は刑務所にいるような気分で、これを塀の中から書いている。
今すぐ脱走したい。
脱走する気力がなくなれば、結末はいわずもがな。
僕は人間じゃないんです。これは特別な人間という意味ではない。
だから、諦めて並み以下の生活を送りましょうって言われましても、
僕はそれを望んでいません。
参考URL
勉強に気が進まないなら、気晴らしを兼ねて読書はいかが。物事の観方と読解力が両方手に入って、大学受験の気晴らしには一石二鳥。
何を読むかだけど、増田の状況であれば、自分で自分自身を理解するのと自分の考えを整理するのに役立つ本がいい。
・仏教は心の科学 アルボムッレ・スマナサーラ(仏教僧)
■生き方の参考にする
・素人のように考え、玄人として実行する 金出武雄(工学博士)
■考えを整理して計画し実行する
・ストレスフリーの整理術 デビッド・アレン(経営コンサルタント)
全部ほんとうにおすすめ。ざっくり順を追って読むといいけど、もし一冊だけ手に取るなら「森田療法」を勧めるよ。
後は、ペースづくりのために相談に乗ってくれる相手をつくること。例えば、メンタルクリニックやジョブカフェで相性良い人を探すといい。こちらが現状を打ち明けるのを批判せずに聞いてくれて、一緒に考えてくれるけど、最終的にどうしたいかはこちらにゆだねてくれる人(いわゆるコーチ的な振る舞いをしてくれる人)がいると心強いね。
トラックバック見てくれているかな。
学費、生活費で年単位、月単位、その日単位でストックがなくて運転資金がそもそもない状態で辛いし、 まわりは「普通だよ」っていいながら恵まれた家庭環境や潤沢な資本があってうっかり辛さを口に出しても 「頑張れば大丈夫」って全く悪意なくはげまされたりするのも辛かった。
大学生アルバイトっていうと有名国立なら家庭教師があるでしょって言われるけど 少子化の波で塾は個別指導塾(自習室有)にシフトしているし、 塾・予備校と契約して行くとので準備や移動含めて時給換算するとそれほど割のいいバイトでもない。 (学校ないし自宅近辺でコンビニや飲食店のアルバイトの方が移動やシフトの手間が少ない)
webで検索できる範囲は大学生OKのサポート・コールセンター(受電系)や事務はどうだろう。 都心部とは離れた場所のキャンパスや自宅でも事務センターは存外あるので移動時間食わなくて済む。 あとシネコンがあるならシネコンのバイトや施設管理もお勧め。
ただ、面倒なのはシネコンは施設の掲示板に募集が貼られているのだけど それ以外は派遣会社経由の仕事なので何社か登録しに行かなくてはいけないこと。 ただ、登録した派遣会社が大学生程度のテスト作成やサンプリングを受託していると 2時間程度のテスト(学力テストからほぼアンケートまで色々)の受験で 謝礼扱いで5千円以上とかざらにある。(あくまで5千円は保証。難関国立なら倍はある)
個人的には市町村の図書館にない資料で大学のみにある資料(有名人の卒業論文や卒業制作)で 1)地元の図書館へ大学に複写の可否・閲覧の可否の確認を依頼 2)大学からの回答を図書館から申請者に連絡 3)申請者が図書館に行って複写の依頼 とかなり面倒かつ時間もかかるので代行をやってくれるとありがたい。 ちなみに他大学でも学生なら在籍している大学図書館の申請書があれば直接行けたりします。>
学部卒業から修士課程中退のおおよそ2年間、その大部分を私は怠惰に過ごした。
まともな研究もせずに卒業論文に突入し、指導教員にひたすらダメ出しをされてほとんどお情けみたいな形で卒業はした。進学後、これからはちゃんとしなくてはと思ったのとは真逆に、授業や研究に出ることは減っていった。
家の中(一人暮らし)ではただただ焦燥感が募っていった。授業に出なくては。研究しなくては。なにかしなくては。しかし数日間着替えてないし風呂にも入ってない。しなければいけないことばかり積み重なって後回しにして、ずるずると時間だけが過ぎていった。自己嫌悪と自己肯定が頭の中をぐるぐる回っていた。同級生が生存確認してくるようになったので、コンビニや図書館で時間を潰すこともした。家族や親しい人には、事態が決定的になるまで話さなかった。
中退後は今の会社に拾ってもらって、故郷も大学からも離れた街で社会人ヅラして生きている。多分、根本的な問題は直ってないし、死ぬまで解決しない。ただ、絶望して死んだり生活できなくならないために、反省しないようになった。悩みすぎて苦しむこともなければ劇的に改善されることもない。安全装置の如く、ある程度まで感情が進んだらそれ以上深くならないイメージ。
家から出られなくなることがなくなった分、しわ寄せは周りに行く。責任感だけはあると思っていた自分が、責任を他人に押しつけていることに気付く。家族からはビョーキ呼ばわりだの親不孝者扱いされ、彼女からは本気で死んで欲しいと懇願される。それでもケロッとしているのは、やはりどこかおかしくなったのか。思い悩んでも寝て起きたら出勤して適度に仕事する。そんな日々。
夢を目指して始めた就職活動。
とは言っても呑気なもので、4月の半ばにスーツを買いに行ったら店員のお姉さんに笑われた。
好きな会社の情報しか見ていなかったから、就活が3月から始まることなんて知らなかった。
それから行きたい会社の説明会を回ったりエントリーシートを書いて送ったりした。
結局受けた企業は10社もなく、ある1つの会社を除いてエントリーシートは全て落ちた。
エントリーシートの書き方も知らず、バカ正直に自分の書きたいことばかり書いていた。
就職活動の場において「やる気と熱意」というのはあまりにも無力だった。
たった1つだけ最終面接に漕ぎ着けた会社があった。大本命だった。
夜行バスの中で眠り興奮して眠れずにシュミレートした、たくさんの喋りたいこと。
何一つ喋ることはできなかった。
そもそも面接官が聞きたいことはそんなことではなかったのだろう。
あまりにもトンチンカンなことばかり言うからきっと面接官も困っていたはずだ。
なにより、
ゼミのための予習と
結果は言うまでもなく「お祈り」だった。
持ち駒がなくなったが、なんとか志望の業界に近い仕事を探しだし、
説明会でエントリーシートを提出するためだけに再び東京へ向かった。
藁にもすがる思いだった。
やっぱり落ちた。
この辺りで心が折れた。
7月だった。
自分にはやりたいことををやる資格がないことがとても悔しかった。
そうして夏休みを迎えた。
就職活動と卒論があるからと週1に減らしてもらったバイトへ身体を引きずる以外、
時々起きて求人サイトを見るが、やりたい仕事は見つからず、さらに泣いた。
手付かずの卒論に心は焦る。でも焦るだけで、なにもできなかった。
前期の授業料を払った口座の残高を見て肝が冷えた。
12万。これから半年間毎月奨学金が振り込まれるにしても、あまりに心もとない金額だった。
そうして本当に何もしないまま2ヶ月が経とうとしていた。
内定も絶対に無理なことではないのだろう。秋をすぎて内定先を得た先輩たちをよく知っていた。
卒業もできないことはないだろう。うんこみたいな卒論を書くことになるが。
でも自分にはそれに立ち向かっていく勇気はなく、これ以上に心が潰れていくことが怖かった。
せっかくやりたいと思うテーマを見つけた卒業論文をてきとうに済ませてしまうのも、
嫌だった。
あとは自分の心を立て直すこと、メンタルをしっかりとコントロールすることに費やした。
そう安心した矢先、家庭やバイト先、人間関係などプライベート面で信じられないほどのトラブルにも見まわれたが、
残った単位をしっかり取り、卒業論文も進め、心も立て直し、新たな気持ちで3月を迎えることができた。
就職活動の流れようなものも理解して、しっかりその波に乗っかることができた。
去年の反省から違った業界を覗くようにもなった。他にもやってみたい仕事を見つけることができた。
エントリーシートや面接の乗り越え方もなんとなく理解し、選考を進んでいくことができた。
面接に落ちることはあっても割り切り上手にもなった。
なんども行き慣れた東京でも時間の使い方なんかも上手くなってきた。
それでもやはり就職活動の大変さに驚く。
完全に学校に縛られることはなくなったはずだが、暇ができたような感じは全くしない。
やっぱり工夫はしていてもお金はどんどん減っていく。
去年失敗したのはしょうがないことだなと思えた。
ところがどっこい、6月の頭にまた持ち駒を失った。
面接ではどこでもそれなりにしゃべれていた。
落ちていくのは「合わないな」と思った会社だったので気にしなかった。
片方ではヘマをしていまった。片方はサラッと落ちた。
ヘマをしてしまったのは惜しいことをしたが、
受けていたところはどこも狭き門だったのでそれこそ「ご縁」がなかったのだろう。
持ち駒を失った時、自分が体力的に疲れ始めているのを感じたし、
資金の消耗も激しく、交通費などでクレジットカードの支払いがかさんでいた。
少し休んでまた始めればいいや、そう思って就職活動を2ヶ月ほど一度休むことにした。
説明会にいっても心は沸き立たず、
面接にいってもどこか身が入らない。
そのうちに求人を見ていても興味が湧かなくなった。
このままでは拉致があかないと思い、いわゆる求人紹介会社を利用してみる。
あまり話も聞いてもらえないままにとにかくIT企業を紹介される。
いつまでも駄々をコネてられない、何も見ずに判断するのも良くないだろう、
そう思ってとりあえず紹介された会社の選考でスケジュールを埋めてみる。
やはりちっとも興味を持てなかった。
イヤイヤ選考に足を運ぶ日々が続いた。
ただただ怒っていた。そして、至極もっともなアドバイスをくれた。
「しっかり目的意識をもって行動できるはずの人なのに、全然うちに入りたいという意識が感じられなかった。
本当に入りたいの?違うんじゃない」
「本当はやりたいことがあります。」
「そう思います。
多分自分は取り繕いきれません。」
「ちゃんとやりたいと思える仕事探した方がいいよ」
「はい……」
この1年で何も成長しなかった。
この期に及んで自分のやりたいことしかやりたいと言えない、わがままで不器用なクズだ。
どこかでちゃんと覚悟を決めなきゃと思いながら、ずっと心はイヤイヤ言っている。
でも、どうしても自分の心にふたをすることができないのだ。
半端な気持ちで面接に言っても「ははっ、やりたいっすね~w」みたいな舐めた態度に見える。
じゃあこんなクズは素直に卒業してアルバイト扱いからでも行きたい業界に潜り込むか。
でも、今から全てを投げ打ってでもそういう努力ができない自分は結局クズなんだよな。
時々ある行きたい業界の二次募集や小さい零細会社の求人に手を出す勇気がない。
いつのまにか「やりたいです!」と言う気力さえ失ってしまった。
あれも嫌、これも嫌。
結局自分はなにをやりたいんだろう。
ああ、そうなんだろうな。
毎年多くの人が入社し、それと同じくらい多くの人たちが辞めていく、そんな会社だった。
そんな中で自分のような同期や後輩たちがくたびれて辞めていくのを目にしていたのだろう。
やりたいと思える仕事を見つけたい。
でも、少し疲れてすぎてしまったし、
なんだか見つけられる気がしないんだ。
この記事を書いているのは法学部卒の人事畑なので、他の学問分野の学生に当てはまるかわからないけれど、殴り書きの私見。
仕事柄、学生が大学の課題をネットなどから盗用して単位取り消し、内定取り消しにあったという事例を直接的・間接的に目にする。
「大学での勉強の成果です!」と自主的にレポートの類を添付してくる学生もいるが、企業としては、文系学部の新卒採用内定者のレポート類の中身の良し悪しや学問的意義にあまり関心を持っていない。
たとえば、法学部では卒業論文が必修でないことも多いが、ゼミ論などで先行研究や根拠などを適切に要約して、現代的な課題に従来の理論で対応可能かを自説として検討してると採用側として好感が持てる。他学部の学問でも同様だ。
しかし仮に自説に学問的・実務的な意義が見出せなくても、既出の情報を専門外の人間にもわかるように的確に要約しているだけでも情報処理能力の評価材料になる。
ところが、情報の出自が二次ソース・三次ソースだと学生・将来の社員候補の将来が不安になる。ソースWikipediaはもう見慣れたが、虚構新聞のようなネタサイトをソースにしているのには頭を抱える。しかもそれなりの大学なのに。。。
あと、実際問題、サークルで役職についていましたとかごく短期間の海外滞在などのアピールは聞き飽きた。学業以外のアピールポイントで面接官を唸らせるアピールができるのは本物の才能の持ち主だし、そういう人たちはおのずから成績もいい傾向にある。
さて前置きが長くなったけど、大学の課題で書くレポートのたぐいは「Wikipediaに載せても恥ずかしくないもの」を目標に書いて、教授らのチェックを通したのちに実際にWikipediaに記事として掲載してはどうだろうか。
「専門知を一般向けに過不足なくわかりやすく紹介する」というのは企業においても重要なことだと思うし、大学で得た学問的知見・教養を社会に還元するという意義もあると思う。
何はともあれ、大学生は学業が本業でそれ以外はプラスアルファであって、各企業の方針の違いはあれ、学業を重視する風潮が増えてきたように思える。
大学で少なくとも4年間学業に励んできたなら、Wikipediaに掲載して恥ずかしくない文章を書けるようにはなってほしいものだ。そしてそれは社会人になっても役に立つと私は思う。
一つ一つ製本され、図書室に所蔵される。
今日も私は図書室に向かった。
どうせ学部4年生程度の論文じゃ誰も読まないし、毎日通っている私は端から見たらヘンな人かもしれない。
でも、そこにはあの人の卒論が眠っている。
私と彼は出身が同じで、入学当初はローカルな話題ができるのがお互い嬉しくて、すぐに仲良くなった。
でも、彼は私と違って、友人が多くスポーツも万能で、そのくせ成績は学科でもトップクラス。
入学当初はともかく、夏休み前くらいになると、自分がいるべきカーストというものを皆が認識し出すようになる。
私と彼も例外ではなく互いに疎遠になってしまったけど、私は今でも片想いを続けている。
この50数ページの文章を、彼がどれだけ頑張って書いたのか想像すると、不謹慎ながら興奮してしまう。
少し罪悪感というか、恥ずかしさを感じながらも、やっぱり彼の卒論を手に取ってしまうのをやめられない。
一文字一文字を彼がどれだけ悩んで、苦しみ、考え抜いて書いたのか。
そういうことを考えると、もう死語かもしれないけど「ラブレター」なんかよりもずっと胸が高鳴ってしまう。
この一冊がまるで私のためだけに書かれたような気がして、今すぐにでも持って帰りたいくらいだ。
でも、所詮は紙切れ。
いいかげん、この生活から抜け出して、卒業式までに想いを伝えたいけど、なかなか勇気が出ない。
誰かに背中を押してほしい。