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はてなキーワード: 卒業論文とは

2016-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20160106235943

始める前に自分で達成できる程度の目標にしなかったのが悪いんでしょ?

調子に乗って誰もまだ見たことがないような場所を目指すなんてたか大学の4年生に出来るはずがない。

いざとなったらどっからか丸々似たものコピーしてきて少し単語を変えればいいようなテーマにしておかない要領の悪さが敗因。

お前さ、ちょっと考えてご覧よ。

4年前までチャート式必死こいて丸暗記しようとしていたような奴らがたった4年、その期間も半分以上はゼミにも行かず遊び呆けていただけの奴らがまだ見ぬ大発見なんて出来ると思うか?

まして期間は1年で内容は咄嗟の思いつき、しかもやってる最中はシューカツ()と掛け持ちだってんだから無理無理かたつむり

まともなアプローチじゃ何やっても今までの研究かぶる

ならばとそこで無理なアプローチをするのは実に無能という他ないね

「誰もやったことがない物は既に誰かがやったが失敗したので無かったことにした物だ」なんて言うがまさにそれだよ。

何とか学問深淵に手を伸ばしてようやくオリジナリティのあるテーマを掴んだつもりなのかも知れないけどそりゃ今までさんざん手垢にまみれその度に先人が恥を隠さんとその手垢を拭いてきた代物なのだよ。

それを君、たか大学生が今度こそはと挑戦しても上手くいくはずがないだろう。

そしてそんなの誰も助けようがない。

それをいつまでも私のテーマ選びが間違っていました今から残りの期間で終わるようなオリジナリティの欠片もなく糞つまらない卒論テーマはありますかと頭を下げられずにいた君が悪いんだ。

教授だって本当はその言葉を待っていただろうにいつまでも意地を張ったのか全く進んでないはずの今までの成果()を惜しんだのかいつまでも急須の裏の茶渋みたいにこびりついちゃってまあ。

あのね。

研究テーマの選び方を間違えたことに気づいて引き返すのも卒業論文の内なの。

そしてそれはまさに君にしか出来ない仕事であり、その決断を他の誰がしてもいけないの。

なぜなら君が自分でそれを諦めないかぎり君はいつまでもそのテーマを引きずったままになるから

そしたら卒業したなんてとても言えないでしょ?違う?

2016-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20160106212251

嘘ついちゃいかんよ。

これまで助けてくれなかった教員最後まで「でもそれは君が頑張ることだから」と「じゃあ卒論テーマから変える?」しか言ってくれないぞ。

助けてくれる人はピンチになり始めた頃には助けてくれる。

一度も助けてくれなくて何度そこを何とかと言っても何もしてくれなかった人はずっとそのまま。

卒業論文ぐらい自力で書けない奴が私の教え子として卒業するなんて汚点は絶対に残さんって謎のプライド持っちゃってる人ばっかだぞ。

2015-11-14

作品改悪された。

卒業して数年経った。

卒業論文で作ったプログラムを後輩になぜか、改悪されて発表された。

論文テーマが同じなので友人からメールで判明。

しかも、機能もなぜか何段階か下げられてしかオリジナルである私の名前はどこにもない。

プログラム上算出した結果を画像グラフなど)で表すのに、なぜか文字で表示されてる。

作成した後輩の名前も聞いたことはあるが、面識はない。

なぜ、指導教授から一言もないんだろうか。

それにしても出来が悪すぎ、機能を大幅に下げてる。

しかも、研究室公式サイトに載っている。ああ、嫌だ。

2015-11-03

C欄大学卒業論文

文系のC欄大学4年生。現在卒業論文執筆中だ。

C欄だからか、それともどこの大学でもそうなのかは知らないが、卒業論文執筆に際しては結構いい加減な指導を受けている(と感じる)。

が、別にいい加減な指導糾弾するつもりはない。むしろありがたいと思ってこの話を書いている。

「どうせ学生の書く論文だし、思い切った仮説を立てて実証を試みてもいいと思う」というのが担当教員の口癖。

学会で発表するとトンデモ学説だとして怒号が飛びそうな気はするけど、学士学位授与には差し支えないレベルから」ということで何とか研究をさせてもらえている。

もちろん、トンデモ学説にならないように丁寧に実証を試みていくつもりではある。

思い切ったアイディアを膨らませて研究ができるという意味では、形式にとらわれないゆるい指導のもとに身を置けてよかったと思っている。

ただ、それとともに学士学位ってほんと意味ないよなーと思う。学会で発表すると怒号が飛ぶような内容の論文書きさえすれば貰えるって、よく考えなくてもおかしいよね。

2015-10-01

大学ゼミの話

 私は経済学部に在籍し、地域経済学についてのゼミに参加している。しかし、どうにもゼミのやり方がよくわからないのだ。特に盛り上がらず作業のようにこなされるため、どうも私は為になっているのかわからず、やる気が出ない。もともとそんなに偏差値の高い学部でなく、熱心な学生が集まる学風ではない。そのためか教授の中にも講義淡々とこなすタイプが多いように感じる。ゼミでも同様な雰囲気を感じている。ゼミは主に、大学のある地域地域経済について自由考察し、1回のゼミで2,3人がまとめたものを順にを発表する。1人終わる度に学生同士で質疑応答、話し合い、教授説明を挟んでいくスタイルであるゼミの前日に教授へ発表内容をメールで送信するため、余程とんちんかんな内容でない限り教授の補足で学生はそれなりに理解することができる。

 と、文章でまとめてみたが、ゼミのやり方は問題ではないかもしれない。やはり、ゼミに対して感じる納得のいかなさ、意欲を持って向き合えない理由学生の側にあるだろう。私を含む学生考察内容は殆どゴミみたいなものだ。酷い人は一晩でまとめたかのような書籍引用の羅列をしてくる人もいる。ゼミ内で漂う低まった雰囲気も、熱意を感じられない教授も、レベルが低すぎる我々によるものならば当然だろう。

 どうしたものか。正直、私はゼミに対して期待していた。同じ分野に興味を持った学生同士で勉強をしていくという環境を楽しみに思っていた。実際はうまくいかなかったが。実は私が分野について理解を深めたいのではなく、学生同士の慣れ合いを望んでいたのならば仕方ないだろうが、やはりそうなのだろうか。卒業論文を書くのを楽しみにしていたが、すっかりやる気も無くなってしまった。

2015-09-02

中退した時の話

過去を整理する。

10年以上前の話だ。

今ではそこそこブラックすぎない会社に拾われて人生まらないなりにあまり苦しくなく生きられている。

まり苦しくない人生というものに、それなりに満足できているのは一度それなりに苦しんだからだろう。

ストレス耐性のある人間からすれば全然余裕だったんだろうが、生まれつき精神構造が弱かった自分にとっては十分に苦しい時間を過ごした。


あの頃自分精神状態は人生のどん底にあった。

あれより下もきっとあるんだろうが自分が知ってる中で一番下があれだ。

あれより下がきっとあるだろうから必死にそこから逃げ出そうとして、その結果中退の道を選んだとも言えるだろう。

大学2年生の後半ぐらいから自分は駄目になり始めていた。

周りとも噛み合わないし勉強趣味も駄目だった。

ろくにやってなかった。

緩やかに限界に近づいていた。

あの頃の自分実験レポートが書けない事で頭が一杯だった。

毎週やってくるレポート提出日におびえていた。

土日に図書館に行ってレポートを書くための資料を集めて、それでちゃんと準備をしているのに全く進まないレポートに苛立っていた。

何を書けばいいのか本当に分からなかった。

今思えば当たり前の事を書けばよかったんだと思う。

自分は出来の悪い学生だと認めて凄く基本的な事、誤差の計算の話とか実験教科書に既に書いてあることの焼き直しとか、装置もっとかい説明を百科事典から丸写ししていればよかったのだろう。

呆れられるだろうが、何もしないよりはマシだ。

それか、他人レポートを借りて少しだけ言葉計算を変えて丸写しするかだ。

あの頃の自分阿呆な癖にプライドだけは高く、そういう事はできなかった。

それでいて自分の出来の悪さには半分気づいていたので、その後ろめたさから教授相談することも出来ないでいた。

ただ完成しないレポートとにらみ合いながら、そのままでいると無力感で気が狂いそうだからラジオを聞いたり横目にテレビを見ながら部屋の周りをぐるぐるしてばかりいた。

朝の6時までそんなことを続けてから12時間眠って夕方の6時に起きて、5分ほど布団の上であぐらをかいから大学をサボってしまったことにふと気づいたりしていた。

そもそも大学に行くからから自分は駄目だった。

小学校の頃勉強しなくても勉強ができる人間だった。

実際は友達が少ないからと昼休みになるたび図書館に行って学習まんがを読んで過ごしているうちに無意識勉強をしていたんだと思う。

それでも勉強が人より出来るのは間違いがなかったので親は自分に妙な期待をしたらしく私立中学に行くことを勧めてきた。

その頃の自分は「いい子」だったので親がそう言った以上は逆らうこともなく、素直に塾に通い、素直に人より多く勉強をして、気づいたらそこそこの私立に入っていた。

あくまでそこそこである

地区で一番の学校には入れなかった。

今覚えばこの時点で覚悟を決めておくべきだったんだろう。

自分運動も出来なければコミュニケーションも上手く取れなくて、それでいて賢くもないと。

それから自分は中高の6年間をダラダラと過ごした。

ダラダラと過ごすうちに最初中間だった成績は下の下まで落ちていった。

今思えば、自分小学校の頃にちゃんと勉強をする癖を付けそこねたんだろう。

勉強暇つぶし範囲しかしなかったし、テストの大部分は学習まんがで覚えた知識を応用してどうにかしていた。

嫌々ながらも机に向かって問題を熱心に解くことは少なく、宿題も面倒になると適当に埋めて終わらせていた。

算数問題(今覚えば公務員試験の数的処理によくにていた)を解くのはパズルみたいで好きだった。

だけど単純計算は嫌いで、よくケアレスミスをするのは知っていたのに全然トレーニングをしようとはしなかった。

理由は面倒くさいからだ。

そうして面倒くさがって勉強しない癖を付けたままダラダラと中学高校時代を過ごし、大学受験シーズンを迎えた。

からないことが多すぎた。

英語の基礎はなっちゃいないし、数学積分問題を解いているのに微分がそもそもろくに理解できていなかった。

社会化の知識は小学校で止まっていたし、かろうじて理科はどうにかなると思ったらこれも中学校で止まっていた。

自分勉強しなくても勉強が出来るはずだという感覚を未だに捨てきれなかった自分は混乱した。

から手を付ければいいのか分からなくてとりあえず周りに合わせて受験生がやるような問題を解こうとした。

手も足も出なかった。

中間テスト前に毎回丸暗記して何とか赤点回避していた知識は反復不足でほぼ全てが抜け落ちていた。

高校1年の問題どころか、中学2年程度のレベルでも怪しい所が無数に合った。

まず何をすればいいのか。

それを誰に相談すればいいのか。

その答えも出せないまま刻々と時はすぎて、気づけば滑り止めも受からないまま高校時代は終わった。

塾には行っていた気がするのだが、基本的な部分で躓きまくっているのをどうすればいいのかが分からなくなり、誰に相談するでもなく自主休講を繰り返していた事だけは覚えている。

相談すれば真摯対応してくれていたのかも知れないが、あの頃の自分プライド疑心暗鬼が心の中で手を組んでこんな奴らに相談しても馬鹿にされた挙句にはぐらかされるだけだぞと完全に思い込んでいた。

浪人生になった春。

新しい塾に入ることにした。

そこは前に通っていた塾よりもレベルが低く、自分が通っていた高校名前を出したらすぐに上のクラスに入れてもらえた。

自分の今の実力は非常に低いから不安なので一応テストを受けたいと申し出た。

恐ろしいほどに基本的な内容しか書いてなかった。

いくらもう1年時間があって同級生には高校3年生もいるとはいえ、こんな問題も解けない奴はヤバいだろうと感じた。

今思えばここで油断したのかも知れない。

勉強をしない生活が基本となっていた自分は、隙あらばサボろうとしていたのをよく覚えている。

最初のうちは授業にはちゃんと出ていたが、いつの間にか加速度的にレベルの高くなる内容に振り落とされ、気づけば足が遠のいた。

どこであんなに差がついたのかとその頃の自分は悩んでいたが、答えは明白である

日々の反復学習だ。

予習も復讐もロクにせずに授業に出るだけでは大学受験レベル問題が解けるようにはならないおつむの作りをしていると高校時代に散々味合わされたはずなのに、半年もしないうちにそれを忘れてしまっていたらしい。

そうして勉強をする癖を付けることが出来ないまま、二回目の大学受験を迎えた。

滑り止めには受かった。

だけどそれは浪人してから新たに加えた滑り止めだった。

「こんな所行ったら終わり」だとすら思わず「こんな所に行く自分想像できない」滑り止めだった。

他の試験会場で味合わされた絶望感がそこの試験の時だけなかったのを覚えている。

魔法みたいにスラスラと問題が解けた。

同時に「こんなに簡単ならきっと逆に競争が熾烈化してギリギリの戦いになるだろう」なんて考えていた。

後で考えればそれだけレベルを下げた受験先だっただけである

そうして勉強する癖も、自分イメージする大学生にふさわしい知識も、自分イメージする大学生にふさわしい学習環境も、何一つ手にすることがないままに大学生編が始まるのであった。

もう一年浪人して心を入れ替えておけばよかったのかも知れないと今は思う。

二浪したら人生の終わりの始まりだとその頃の自分や両親は思っていたが、その程度で終わるなら大学中退したらどうなってしまうと思っていたんだろうか。

大学に入った頃の自分はまだ自分がそこの学生である事を実感できないでいた。

結局一度も心の中で認めていなかったのかも知れない。

周りの学生教師も皆馬鹿に思えたし、そんな連中とつるまなきゃいけない自分自身馬鹿さ加減にも日々絶望していた。

心の半分ぐらいがずっと灰色だった。

浪人時代に失敗したか大学に入ったらちゃんと勉強を頑張ろう!

そう思って友達付き合いやサークル活動を控えて勉強に打ち込もうとした。

駄目だった。

勉強のやり方が分からなかった。

ただ予習・復讐忘却曲線に合わせてやるだけの事が出来なかった。

自分コントロールする術を身につけていなかった。

から勉強もできないしサークルにも入ってないし友達もいない救いようのない学生が出来た。

そうしてその救いようのないクズは日々レポートに苦しみながらクズ故のプライドの高さと自己肯定感の低さから来る多方面への遠慮から誰にも頼れずにいた。

そうして自分大学2年の後半辺りから少しずつおかしくなり始め、就活シーズンの頃にはすっかり頭が駄目になっていた。

から自分必要とされないだろうという不安から就職活動に踏み切ることも出来ず、だからといってなにもしないのも不安からとか公務員試験勉強を始めた。

公務員試験勉強と、普段の授業と、実験レポートと、卒業論文、その4つにグルグル毎日追われていた。

授業の実験はなくなったが研究室に妙なやる気があったのでそれに似たことをよくやらされた。

他の研究室もっとずっとユルい活動をしていた気がする。

何かをすると他の何かが頭をよぎった。

勉強もしなくちゃいけないし、レポートも書かなくちゃいけない、卒業論文も進める必要がある、面接の準備もしておいた方がいいのだろう、授業の宿題もちゃんとやらなければ……

パニックだった。

計画を立てて物事を実行に移す。

スケジュールを組み立てて目の前にある仕事を1つに絞る。

自分にかけていたのはその習慣だったのだ。

今にして見ると簡単な事だ。

だけど自分はまだそのことに気づいていなかった。

から机に向かって何かに取り組んでは、すぐ別の何かが気になってフラフラしては精神をすり減らしていた。

気晴らしのために遊ぼうとしても色々な事が気になって遊べなかった。

から疲れた時は寝て過ごした。

眠ることは生理的必要不可欠なのでこれなら許される気がした。

悪い夢を見ることが多かったけれどもそれが一番疲れが取れた。

寝ている間の半分は夢すら見ていないからだろう。

実験レポートの内容は相変わらず酷いもので、教授にチェックを受けるたびに皆の前で叱られた。

あるときには呼び出しを受けて教授から2時間にわたり叱責を受けたこともあった。

回りでパソコンに向かっていた同級生・上級生が憐れむような、何か理解できない生き物を見るかのような目でこちらを見ていたのを覚えている。

そうして気づけば研究室へ行くのが嫌になり、卒業論文も進まなくなった。

将来への不安から勉強にも身が入らず単位も不足し、文句なし留年でその年は終わった。

公務員試験は筆記が受かったが面接で落ちた。

入る前から死にかけている生きの悪い学生なんてどこも取るはずがないだろうなと今でも思う。

次の年度が始まっても、院生に上がった元同級生や下級生、そしてあの教授たちと顔を合わせると思うと研究室には行く気になれなかった。

研究室を変えたらどうだという話もあったが、どうせたらい回しにされた人間しかやってこないようなもっと酷い研究室に送られるのだと思い拒否した。

今覚えば分が悪くとも賭けに出た方がマシだったろう。

ギリギリ精神を「もうすぐこの状態から抜け出せる」という希望で何とか繋いでいたのが逃亡から留年という形で切れてしまったこともあり、次の年度は完全に駄目だった。

日々の多くを家に引きこもって過ごしていた。

毎日死ぬことばかり考えていしたし、もうすぐ死ぬのなら今頑張っても無駄だなとふて寝ばかりしていた。

何かを頑張る気にもならなかったし、かといって遊ぶ気にもならなかった。

ただ毎日を死んだ目で寝て過ごした。

段々寝ようとしても寝れなくなっていったが、グルグルと頭のなかで過去妄想を反芻しながら布団の中で目を閉じている方が起きて何かやるよりかはマシなので眠りもせずに布団の中で過ごした。

そしてその日々の中で、こんなことを続けていたもどうにもならないと思い、自分中退を決意した。

決意の方向が間違っていたような気もするし、実際もうあの頃の自分はどうやっても大学卒業できなかった気もする。

生活見直し人生見直し、行動を見直し、とにかく気持ちがどうこうよりも前に日々をどう生きるかを前向きに組み立てなおしていれば可能性はあったのかも知れない。

だけどあの頃の自分は1人でそれが出来る状態にはなく、それを助けてくれる人間も周りには居なかった。

両親は自分人生で忙しかったし、大学は腐ったみかんの相手なんてする気はなかった。

大学をやめて少しすると、精神が少しずつ回復に向かった。

明らかに状況は悪化したのに気持ちは楽になるなんて神経を抜いた歯みたいだなとその時思った事を覚えている。

そこから先はまあ色々と行き当たりばったりを繰り返していたらいつの間に人生がそこそこマシな所まで戻った。

2015-01-28

だんだん人と話せなくなる

当方理工系大学4年生・女。いま、卒業論文研究執筆が追い込みの時期で、授業もないために研究室と家の往復だ。

私は在学途中に諸事情(後ろ暗いことではない)で休学したため、親しい友人は昨年の春に大学を去った。だからプライベートで仲良く遊ぶ友人もいない。

バイト先は、自営業者のところに私一人しかアルバイトに行っていないので、同世代の友人もいない。

部活動は、私が一番大切にしているコミュニティだ。でも、研究室が忙しくなったので行けなくなってしまった。

彼氏は朝から夜遅くまで毎日研究室に行っているので、かまってもらえない。でも、彼が家に帰ってくるとずっと一緒に家にいたりおしゃべりをする。彼は、私のへんな甘え方(苦しいことがあるとずっと黙っていたり、へんなギャグを言ったりすること)にとてもじょうずに対応してくれるから、ついつい甘えてしまう。

こうやって毎日彼氏とだけしゃべっていると、一般的に甘えてもいいラインはどこまでで、そもそも一般的な甘え方はどういうのだっけ?と思って、しゃべれなくなってくる。それに加えて、私はかねてから失言が多いため、失言して嫌われたらいやだな、と思うとだんだん息苦しくなって、人と話せなくなってくる。いざしゃべろう、とか行動しよう、と思うと、ささいなひっかかりーーたとえば、友人が「ばいばい」と手を降ってくれたとき、私は手を振り返さずに「おつかれ」と会釈だけで済ませてしまったりすることーーが、また私の頭を悩ませる。どうしようどうしようと。

来春からお給金をもらって働く身となるわけだけれど、こんなに些末なことを気に病んだり、周りにそれを悟られて面倒な奴だと思われたら、とても迷惑をかける。どうにか在学中にこれを直さないといけない。直したい。

2014-05-15

今の人生における悩みを書き出してみる

  • 大学5年生(就職浪人
  • もう五月も中盤になるのにまだ内定が決まらない
  • 卒業のために一年間かけて大して好きでもない研究会で大して興味のない研究をしなきゃいけなくてしかもそれが結構エグそう
  • 祖母が今すぐにも死にそうで、両親が仕事を交代で休みながら介護をしていてそれが本当に大変そう。(手伝いたくても『お前は就活中だからやめろ』と言われる)
  • 22にもなるのにまともな恋愛をしたことがない童貞



どっかに内定が決まり、なんとか卒業論文を提出し、祖母が安らかに召され、恋人が出来れば多分他に何もいらない。

そんなはずはないと頭ではわかっているのに自分世界で一番価値の無い人間なんじゃないかと思えてくる。

2014-04-01

卒論で一番身につくのはバカバカしさに付き合う気持ち

STAP細胞に関するニュースを見ているとつくづく「研究世界ってのは馬鹿馬鹿しい所があるな」と思う。

自分の都合のいいようにデータを切り貼りする事を露骨にやってしまたか彼女は叩かれたが、

あいった恣意的データ弄りは程度の差ややり方に違いはあれどレポートの基本だ。

そういった「自分に都合がいいデータを作って凄いことをしたように見せる」というのははっきり言ってバカバカしい。

でも、今の世の中でそれをやらないと頑なに決めてしまったら物凄く生きにくくなるだろう。

自分卒業論文をやっているとき最初のうちは「恣意的研究なんてしない」と思ったり、

「新しい所に自分の力でたどり着く」なんて身の程知らずにもホドがあることを考えていた。

だけどそれだとすぐに壁にぶつかり、やがて壁にぶつかり続けて折れてしまった。

しかしそれで良かったのだと今は感じている。折れて正解、不相応なプライド高望みは捨てて正解だった。

卒論をやっていなかったら、今でも会社で「ズルはしない」なんて言いながら要領の悪い事ばかりしていただろう。

多分日本の多くの企業大卒を求めるのは、こういった卒論レポートで心が折れた経験のある人間や、

最初から余計なプライドを持たず素直に周りがやってるような少し卑怯方法をとれる人間と一緒に仕事がしたいからなのだろう。

2014-03-21

学部卒論必修が間違いの始まりなのでは

はじめに:論文の質がどうだのコピペだのといった話が最近よくなされているがそれらは学部卒論必修文化に端を発しているのではと私は考える。

日本において研究者学生が初めて論文製作に当たるのは多くの場合、というかほぼ10割が学部における卒業論文だろう。

そして、その大多数ほどが「必修だからやるしかないな」で卒業論文に当たるわけだ。

そうすると自然と今まで過去問に頼ってきた学生達はコピペ的な論文を量産する。

それを大学講師陣は「しょうがないよね。これが彼らの限界だし大卒じゃないと就職難しいし卒業させてあげなきゃだよね」とそのコピペ卒論を通していく。

そうして大学研究室には「コピペみたいな卒論しょうがないよね」という空気が流れ、

その空気に当たりながら学部生は育ち、やがて院生になり、その空気を脱しきれるかどうか怪しい状態で院も卒業していく。

以上はあくまでも自分イメージである自分が通っていた大学レベルが低いからこういったイメージを持ったのかも知れない。

しかし、日本にある大学の何割かは実際にこうなのではないかと私は推察する。

この状態を止めるには学部における卒論の必修化をなくすべきなのだろうと私は考えている。

研究をして論文を書くべき学生と、そんな事させずにとっとと社会に出してしまった方が良い学生を同じ境遇に置くのは、

腐った蜜柑と新鮮な蜜柑を一緒くたに樽に入れておくような物なのではないだろうか。

PS:そうだよ……俺は学生時代卒論で苦労した恨みを増田にぶつけてるだけだよ……。笑いたければ笑うがいいさ。でも最近ニュースを見てるとこの考えもあながち間違えとは思えないんだよな。

2014-03-18

ブラック研究室

小保方晴子さんのニュースを見て、心が痛む毎日です。


STAP細胞論文小保方晴子氏の博士論文から写真流用 理研認める】

http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/14/riken-stap-conference_n_4961849.html


倫理を再確認せざるを得ないことは残念に思う」というコメントがありましたが、論文を書く上で必要となる倫理を学べない学科研究室が多いのも事実です。

いわゆるブラック研究室では、そのような風潮がある気がする気がします。(小保方さんの居た研究室がそのような研究室かどうかは定かでは無いですが。)


自分が属していた研究室は、放置ブラック研究室でした。教授が得意とする研究分野から少しでも外れた研究を進めると、見事に放置される人も。

いい意味では自分のペースで進める事ができますが、悪い意味ではゼミ発表の時ですら「私の専門外なのでよくわかりません。」というコメントしかないこともざらにありました。

卒業論文修士論文添削をするといって提出させた論文に対しても、学生の前で平然と「私はあなた論文を見ていないので、何をしてるかわかりません」と言う場面も。

余談ですが、その適当さ故に被った被害として、教授から言い渡された助成金の申請に手違いがあったせいで、十数万のお金を失ったこともありました。

「そういう事もよく有りますよ」といって他人顔するだけで、さすがに怒りを覚えました。あなたの指示で出した申請なのに、その対応はないでしょ…。

研究者としては尊敬しますが、人としては大嫌いでした。まあもう二度会うこともないだろうからいいんですが。お金戻ってこないかな…。


自分研究室以外にも、(さすがにお金絡みの事例は少ないだろうが)ブラック研究室は多く存在します。

教授の方々にも、自らの成果を研究として残したり、生計を立てたりと事情があるのはわかりますが、もう少し、学生と向き合ってくれてもいいんじゃないかなって思います

そういう小さな問題でも解決されれば、もっといい環境が出来ていくんじゃないかなぁと思うばかりです。


まあ、マンモス校じゃ無理だと思いますが。

2014-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20140316182554

えー?じゃあそれで卒業論文でも書いてんでしょ?

それあれば相手も有無を言えないだろうよね?

単に無視されて仕方なかったって?へー?

2014-03-15

トンコツラーメン論文イントロ書いてみた

トンコツラーメンの例が分かりやすかったので、ついお腹が空いてやりました。

もっとお腹が空きました。

そんなことよりおうどんたべたい

http://anond.hatelabo.jp/20140314233406

***

Introduction

 トンコツラーメンは多くの日本人に親しまれ、日本国内だけで毎年75億食が消費されている(厚生労働省2010年統計)。すでに過去研究によって、日本では種々のトンコツラーメンが作られている(Reviewed by Ohkuma et al. 1999)。従来、最も至高とされるつけあわせは高菜とされ、よく高菜が入れられている(Reviewed by Ohkuma et al. 1999)。ただし、そこにホウレンソウを入れた人はいない(Reviewed by Ohkuma et al. 1999)。

 早稲田大学・超先進理工学部ラーメン学科トンコツラーメン学研究室(以下 当研究室)では、トンコツラーメンに合う至高の葉野菜の解明に向けて、市販の主要な葉野菜研究材料に探索が行われてきた。高菜に加え、すでに当研究室では、チンゲン菜(加藤 卒業論文 2008・修士論文2010)・キャベツ佐藤 卒業論文2009)・タンポポ内藤 卒業論文2010)・トリカブト武藤 未公開)の研究があり、詳細な検討が行われている。

 ホウレンソウは、高菜および他の葉野菜と比べ、鉄分マグネシウムなどの栄養素に優れる(Noyori et al. 2002)。また、流通量は2012年国内で5億トンに及び、葉野菜の中で上位10位に入り、手に入れやすい(農林水産省2013年統計)。ホウレンソウ有用な葉野菜であると言える。もし、トンコツラーメンホウレンソウが至高の組み合わせであれば、新たなブレークスルーになると考えられる。そこで私はホウレンソウをいれた。

 当研究室での先行研究加藤 2008, 佐藤2009, 加藤2010, 内藤2010, 武藤 未公開)にならい、トンコツラーメンとの組み合わせ作用を定量評価するため、GC/MSならびにNMRによる成分分析を行った。従来の方法に加えて、ホウレンソウ材料特性にあわせた評価が必要であると考えられたため、味噌ラーメン学分野で急速に発展を遂げている海原-山岡方法(Kaibara and Yamaoka 2013)を改良し、トンコツラーメン学研究に適用できる新たな官能評価法を開発した。本論文では、これについても述べる。

Ohkuma et al. (1999) Tonkotsu ra-men ha oishi desuyo. Nature Reviews Nutritional Research vol. 3 p.72

Noyori et al. (2002) Motto horenso tabero. Cell Vegetables Cell vol. 7, p. 64

Kaibara and Yamaoka (2013) Proceeding of Miso ra-men. Oishinbo vol. 1, p. 1

加藤 (2008) チンゲン菜のトンコツラーメン学的解析

佐藤 (2009) トンコツラーメンにつけあわせたキャベツのもたらす作用の定量評価

加藤 (2010) チンゲン菜のトンコツラーメン学的解析

内藤 (2010) タンポポトンコツラーメン学的解析

武藤 (未公開) トリカブトを用いた挑戦的トンコツラーメン新規開発

***

先輩の卒論修論積極的に参考にすべき(例えばOhkuma論文研究室で代々引用されているでしょう)。

しかし、おおかた貼子さんのアレは、このくらいの最低限の様式さえ、守れていない(もちろんそういう人はほかにもいるかも)。

コピペと、引用は違う。

***

追記

リバネスさんで、紹介されてしまった。

http://rceer.com/2014/07/20/tonkotsu-ramen-intro/

http://anond.hatelabo.jp/20140315000807

学士に関して言えば、総代の選出方法は大別すると以下の三種類。

1.最優秀卒業論文教員会議などにより選出

2.最優秀学業成績、優科目比率などにより選出

3.研究室持ち回り、担当研究室の独自基準により選出

まさにその名の通りの「首席」は存在しないが、1と2は事実上首席に該当するだろうし、

これらが明示されていない場合でも成績が決定されている以上、2に相当する順位上の首席存在する(往々にして教員経由で噂が広まる)。

何にせよ制度上は存在しないものなので、自称ちゃうのはカッコ悪い。

2014-03-14

早稲田大学理工系におけるコピペ文化について

早稲田大学コピペ文化が話題になっているので、早稲田の理工ではコピペに対してどのような教育がなされているのかの現状を書きたい。ちなみに、私は早稲田大学の理工を5年ほど前に卒業し、某国立大学大学院に進学し、いまはふつう社畜である

今になってはとても反省しているが、早稲田理系コピペで成り立っているといっても過言ではなかったと思う。もちろん全ての学生がそうというわけではないが。

早稲田の理工に入ると、1年生の実験が始まる。週1回の実験で、レポートや試問が課され、それをまとめる必要がある。また、2年生になると学科別の専門的な実験が始まりレポートの量も増え、求められるものも増える。レポートダメなところがあると再提出になる。ひとつでもレポートが提出期限を守れていないと即留年である規則は厳しい。

そこで、そのとてつもない量のレポートを量産するため、学生たちは必死コピペを行う。先輩たちから大量に受け継がれてきた「過去レポ」をもらい、それを切り貼りして組み合わせるのである。切り貼りする手間がないときは、一字一句同じレポートが作られる。写経である

教授陣はコピペを容認している。学生コピペを多用するのを知っていているため、私のいたときレポートはすべて手書きでないと認められなかった。つまり、こういうことだ。どうせ殆ど学生コピペをするのだから、それをパソコン上でやっては何も身につかないので、せめて手書きで丸写しをさせて覚えさせよう、と。実際に何人かの先生たちはそれを公に口にしていた。写経ならまだ意味があると。こうなると、どうやって大量の過去レポを得るかが重要である実験の成績は、コミュニケーション能力を測っているともいえる。つまり、どれだけ過去レポを集める能力があるか、だ。

国立大学にいってびっくりしたのだが、国立大学理系早稲田のような私立大学理系では学ぶ環境が全く違う。私の進学した大学院では、教授ひとりにつき1学年あたり学生は3人までしか認められていなかった。しかも、研究室には実験を手伝ってくれる技術の人がだいたい雇われている。

一方早稲田理系は、お金がないからなのか学生先生比率おかしい。研究室基本的に1人しか教授がおらず、そこに多いときは1学年12人配属になる。典型的な年では1学年7〜8人くらいだろうか。つまり学部4年・修士課程1年、修士課程2年だけだとしても学生20〜30人いる。そんなにたくさんの学生がいて、教授の目が行き届くはずがない。先ほどの1年生や2年生のレポートも、教授が見るには多すぎるので、ほとんどは修士課程学生が採点を行う。そのため、かつて自分たちが行ってきたコピペを批判するケースはない。コピペでも必ずレポートは通過する。

1年生,2年生,3年生と学年が上がるにつれてひたすらコピペを繰り返してきた学生は、卒業論文でもコピペを行って卒業する。もちろん自分で書く人もいるが(私の研究テーマ研究室ではじめての分野だったため、卒論コピペするにもその対象がなかった)、ほとんどの人は先輩の修論卒論コピペする。研究をやったといっても、学部研究レベルといえば、次のようなものだ。「すでに過去研究によって、日本ではトンコツラーメンが作られている。そこにはよく高菜が入れられている。ただし、そこにほうれん草を入れた人はいない。そこで私はほうれん草をいれた」というようなレベルだ。少なくとも、高菜までの話はすべてコピペだ。

そうやってコピペされてできあがった卒論修論は、教授にはほぼ見てもらえない。できあがった卒論修論を一番読むのは、それをコピペする次の学生である。そして、一番の問題は、こうやって育っていった学生には、次のように思う人が出てくる可能性があることだ。「レポートとは、コピペをすることであり、それは普通方法である」と。学生にとって論文を書くこととコピペは表裏一体なのだ博士課程にいったからといって、それがいきなり変わるかというと難しいと思う。もちろん変わらなければならないが。

早稲田理系がここまで低いレベルなのは、私立ならではの教授の数が少ないことに加え、附属高校から上がってくるボンクラ学生がいることもある。もちろん附属から来た学生がみんなひどいわけではないが、スクリーニングされていないので下限がない。私が在籍していた研究室には、三角関数sin理解していない大学4年生がいた。彼はまともに実験もできなかったが、やはりコピペにより卒業していった。

このように、早稲田理系コピペで成り立っているといっても過言ではないケースがある。そのため、今回話題になっていることも、早稲田出身から言わせれば、なんら違和感はないのではないだろうか。私もコピペ突破してきたので、何も批判できない。

2014-03-12

小保方さんの博士論文、参考文献リストコピペ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140312-00000017-asahi-soci

これさ、もはや小保方さん一人のレベルじゃ到底無いと思うんだけど。

早稲田全体とは言わないけど、少なくともこの専攻の博士論文いくつかひっぱってきたら

同じようなコピペ論文沢山見つかるんじゃね?

少なくとも、同じ主査の人の論文持ってくりゃ同じ程度のものが見つかるだろう。

参考文献が意味不明論文なんて卒業論文ですら「馬鹿野郎!」って言われるレベルだろ。

誰か小保方さんと同じ専攻、同じ主査博士論文いくつか調べてくれないかなぁ

2013-11-24

月一ペースで彼女うんこを食わせてる

やっとここまでこれた。

五年前から地道に彼女調教してきたのだけれど、ようやくここまでこれた。

あの日「うんこ食べろ」と言ったとき彼女の普段のセックス中には絶対見せない「あきれ顔」をみて、

俺は「よし、こいつに日常的にうんこを食わせる習慣を作ってから結婚しよう」と誓ったのだ。

そう、この話は、俺がようやく(彼女はもう三十路だ)、大学生の頃から付き合ってきた彼女プロポーズできるという話なのだ

俺が、なぜ彼女うんこを食わせるようになったのか、それは大学の頃にインターネットで見つけた調教サークルがキッカケだった。

その調教サークル大阪で活動していて、インターネット写真アップロードしたりしている、ちなみに今でも活動中。

実は最初調教してもらうつもりで、サークルチャットに参加したのだが、そこの面々が思いの外軟弱、というか女に対して姿勢が低かった。

(もちろん、今思うと、サドマゾ関係チャットのそれは別物であり、彼らは大人としてちゃんとしていた、という話で、俺が子供だった)

からイジメる側に回る事が多かった俺は、大学でもその鼻を叩きおられておらず、

「こんなエグいことやってるオッサンもこんなもんか」と完全に舐めきっていた。

そして当然、そんなオッサンの意味からない命令を聞く女たちのことは、俺の思い通りになって当然だ。

そう感じていた。

俺はその調教サークルチャットで、ガキながらもぐいぐい参加して、周りを引っ張っていた。(というか、振り回した)

そこではメール調教なんかもやってたんだが、リアリティに欠けるというか、文字を読んでもしょうがねえ、と思っていた。

から、早くオフ会に参加したかった、けどそんな今思うと空気の読めてないガキを大人の集まりに誘ってくれるわけもなく、

チャットで女やオッサンたちに上から目線で指摘してばかりいた。

「そんなの生温い、俺なら小学校辺りで脱がせる」だの「24時間箱に詰めるだけが何が面白いんだ」だの「時計を飲み込ませる? 意味わからん、どうせ飲ませるなら薬とかにしようぜ」だのだ。

今思うと恥ずかしい。

そうこうしているうちに、気づくと俺は社会人になっていた。

高校の頃から女と半年以上続く事のなかった俺だが、今の彼女とは合コンで知り合って、なんとなくセックスをして

なんとなく付き合うことになり、なんとなく切れることなく続いていた。

それは、ちょうど就活で忙しく、文系特有の過去の引き出しの文章を右左するだけの卒業論文があったりと、まあそれなりに俺らしく他毎に集中していたからかもしれない。

調教サークルの面々とのチャットはすっかり日常的になっており、

その頃には俺の上から目線もなくなってきて、さらに言うとチャットCGIそれから、外部に漏れることのないIRCチャットに移行したことで、

逆にそういう「調教」というものに興味を抱かなくなっていった。

そんなある日、調教サークルの面々に、ヤフーブログでやっているある日記を紹介してもらった。

そのブログは、女子高生食糞をしようとがんばる日記だった。

調教ブログ等とは違い、ご主人様は登場せず、その女子高生一人だけの淡々とした日記

その中でその女子高生は、必死になったうんこを食べようとするのだ。

だが、食べられず出してしまう、時には嘔吐してしまう。

そんなブログだった。

今思い直しても、本当にそんなブログがあったのだろうか? とわけがからなくなるのだが、本当にあった

釣りかどうかは、よくわからないし、どうでもいい。中身はおっさんだろ? とか当時は言われていたと思う)

ほんの数週間の間更新して、あっというまにヤフーに消されていた。(当たり前だと思う)

だったが、俺はその「自発的」に「うんこ」を「食べる」という行為に、完全に心を奪われていた。

今まで、大概のイジメというか調教はやってきたつもりだった。

けれど、その女子高生のように「自発的」に「うんこ」を「食べる」というのは、もう完全に俺の思考の外にいた。

だって全く持って意味がわからない。

なんで命令もされてないし、無理矢理つっこまされたわけでもないのに、うんこを食べるんだ?

それから、俺の彼女への本格的な調教が始まった。

イブだの、露出だの、縄だのじゃない、本物の意味での調教だ。

彼女価値観を変える、彼女うんこを食べたいと心の底から思うように改造する。

その一心で、まずは調教サークルメンバーや、他の調教ブログを読みふけり、色々と研究をした。

結果わかったのは、生まれながらに頭のネジが外れたキチガイみたいな奴が少なからずいて、ブログ更新していた女子高生もおそらくそれだと言う事だ。

まり俺は、彼女の頭を支えているネジを外してやらないといけなかった。

最初のその結婚を決意させた呆れ顔の日は、無理矢理口を開かせ、口の中に押し込み飲み込ませた。

それから半年ぐらいは、基本的に暴力だった。

ライターであぶられたくなかったら食え」や「針を通されたくなかったら食え」といった、痛みよりはうんこを食べる方がましだと、彼女の頭に思い込ませたかった。

だが、半年たって気づいた。

こうじゃないだろ? と。

この先に待っているのは、ただ暴力におびえて俺の言う事を何でも聞く女だ。

そんなものはこれっぽっちもいらない。

俺が欲しいのは「自発的」に「うんこ」を「食べる」彼女だ。

それもあの呆れ顔のままで。

そう気づいてからは「幸せうんこサンドイッチ」を実行した。

これは彼女にとって幸せなこと(些細なことでいい)があったときは、うんこを食べさせるという方法だった。

本当に些細なことでよかった、彼女花とゆめという漫画雑誌を買っていたので、毎月5日と20日に雑誌を買って帰ってきたら、うんこを食べさせた。

(この頃はまだ無理矢理だ)

他にも、外食彼女の好物である鶏皮を食べたときや、彼女の好きなお笑い芸人爆笑オンエアーバトルを勝ち抜いてオンエアーされた日、

そんな彼女の中の些細な幸せを徹底して、うんこを食べることと結びつけてやった。

そうしている内に、だんだん彼女精神的に参っていった。

やたらとテンションが高い日が続いたと思えば、うっとうしく泣いてばかりいる日が続いたりしていた。

から俺は、泣いているときは徹底して優しくしてやった。

だが、少しでもそうに傾いたら、うんこを食わせた。

そうしていたら、うんこを出さなければ、食べなくてすむと勘違いしたらしく、

身体が便秘症になっていった。

浣腸してやってもよかったのだが、その態度がムカついたので、俺のうんこを食べさせてやったり、

一晩中公衆便所を一緒に回り、うんこの落とし物を見つけて食べさせてやった。

(あるときは、車で奈良まで探しにいった)

こんな生活を三年ほど続けていたら、彼女もすっかり変わった。

普段の生活の中で、俺に対して厳しくなったのだ。

そう、俺のスイッチが入るタイミングが分かってきたのだろう、そして

うんこを食べる」ときと「うんこ食べない」ときで、スイッチ意識的に切り替えるようになったのだろう。

俺はそんな彼女の浅ましい態度にムカついた。

とにかく、俺は彼女が「自発的」に「うんこ」を「食べる」人間にしたかったのだ、

うんこ食べるモードに切り替えるのではなく、自発的に自分の力で食べて欲しかった。

からそれから無視するようにした。

幸せうんこサンドイッチ作戦のとき以外、彼女には一切話しかけなかった。

結果としては、これが正解だった。

ある日彼女の方から今日はお昼の日替わりランチ天津飯だったので、うんこを食べます」と宣言したのだ。

それが、一年前の夏だった。


それ以来、彼女は最低でも月に一回は、自分からそう宣言するようになった。

俺は彼女の中に、うんこを食べることが根付いたことが嬉しかった。

ようやく、結婚できる。

長かった、苦しかった。

でも、すべてが報われたような、晴れ晴れとした気持ちだ。

明日指輪を渡そうと思う。

そうしたら彼女はきっと「あなた結婚できて嬉しいから、うんこを食べます」と言うに違いないのだ。

2013-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20130914200932

世の中大学すら行けないやつ(学力的にも諸事情的にも)が大半なんだが…

大学まで入れりゃそりゃ修士が一番楽だよ。大学4年間フルモラトリアム

大学院ロンダ大学院の間は就職活動に専念。修士論文なんて下手すりゃその辺の卒業論文よりひどくても落としても仕方ないから受かってしまう。

2013-06-30

大学生卒業論文って意味ないと思う

今時の学生が散々研究されて手垢のついた分野を浅く調べて報告って…

学生視点を入れる事に価値がある、なんてのは体の良い納得のさせ方に過ぎないだろ?

やる気しないわ

2013-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20130619210703

大きく違うわけがなかろう?

ろくに勉強しなくて何を学べるってのさ?

から働いてから給与などが違うのは、元々今は優秀な人間大学に行くのが当たり前、

っていう風潮で、単に優秀(この場合受験で、になっちゃうけど、少なくとも高校までの

勉強をした(出来た)量が上)な人が大学出の方が多いし、

その上、企業側も大学出を何も考えずに好待遇にするんだから当たり前でしょ?

卒業論文10000文字なんて小学生の作文レベルなんてざら。

んで、その何事かを知っている、って言うのは別に授業で、では無いよね?

授業で学んだことがあるなら、それは意味あるよ?でも単に単位取るためだけの授業なんて誰も内容覚えてないっての。

んで、もし仮に、その中で覚えてる事があったとしても、それは単にちょっとした経験として得たもので、

普段の生活でこういことがあったから学びました、ってのと何ら変わらない。

専門学校でその仕事のことだけ学んでたとしたって他のことを学ぶ事はあるし、その機会は

そういった単位だけ大学生に比べて別に変わらない。

http://anond.hatelabo.jp/20130619204033

文系学部について、

大学就職予備校化なんて言うけどさ。

大学に行くのと、高卒になるのと、専門学校に行くのと、大きく違うと思う。

働いてから給与かいう金銭面以外でも。

文系大学生がろくに勉強していなかったとして、それでも、ほんの少しは何かを知っているはず。

卒業論文10,000字だろうと何だろうと、高等学校とは違う教育に触れている。

その何事かを知っている、耳にしたことがあるというのが大切な事だったりするんじゃないかと思う。

中にはすっからかんなんて学生もいそうだけど…

子育て大学在学中にするとこうなる。追記有

最近子育てに関してのエントリーをよく見かけるので、レアケースだと思われる私の経験シェアしておきたい。

どちらかが働き、もう一方は大学生という子育て

私には6歳年上の妻がおり、結婚したのは19歳、第一子をもうけたのが20歳の時でした。(一浪

教育学部に在籍。みんなが盛んに単位を取りまくっている間、私は細々と単位を取りました。

講義を休んだ理由として「子どもが生まれたので休みました」というとウソつけ!と一蹴されましたが、さほど気にしておりません。(ウソつけ。

一年目と二年目。

大学1年から2年にかけては、とにかく子どもがよく熱を出す(6ヶ月から近くの保育園に預けた)し、

突発性発疹などにかかると一週間休むとか当たり前にあったのですが、何せ大学生です。簡単に休めます

自主休講、同じ学科の友だちにノートを見せてもらう、先輩から情報を得るといった技術遺憾なく発揮することで、最低限の単位はそろえました。

2年間でそろえた単位は50単位程。128が卒業要件だったのでバッチリですね。ダメですね。

3年目から急激に楽になった…が。

さすがに子どもが2歳を超えると、熱を出さなくなったり、出す兆候にこちらがすぐに気づいて先回りし予定立案ができたりするので、安定して大学に通えるようになります

1・2年と出席が足りずに再履修になった講義も多く、勝手知ったる感じもありました。後輩たちとも仲良くなりました。

単位が足りないので、夜間の経済学部講義を受けることもありましたが、ほとんど休みませんでした。

3年目が終わり、85単位。これはいける。

無事に卒業

単位が足りなかったので、教育実習は4年目に2回行きました。

4年目の後期ですら私の時間割表はきちきちに入っておりましたが、無事に終えました。卒業です。

結論として

大学に通いながら子育てすることは不可能では無い。自由が利く分むしろいかも。働く頃には子どもは熱を出しづらくなっているので休むことはあまり無い。

困ったこと

サークル?なにそれ?

見学すら行かず。

飲み会?なにそれ?

片手で足りるほどしか出てません。

愚痴?どこに?

周りは子育てはおろか、結婚視野に入っていない。

大学設備が貧弱。

当たり前だけど。文化祭に連れてきた時困った。おむつ交換する台とかない。

親の助けは無かった。

親は海外駐在してた。妻の親は片道1時間以上。助けは得られない。

レアケースの理由

妻の働きすごすぎ

手取り30万超えてくる26歳。夜勤もしてたから。私はおかげで子どものこと一切私がみるスキルが身についた。

イクメンって言葉流行りだしたとき、「なにこれ。いつものことなんだけど。」って思った位には子育てしてました。

奨学金バイトでつなぐ(私の必要経費など)

バイトは月8万くらい。3年から授業に出るので奨学金に切り替え。ありがたかった。返済まだ10年続きます。ありがたいことです。

就活いらない

教育学部教員コース。試験対策だけ。

合格しなくても臨時任用として引く手あまたなので職には困らない。

次の4月からは無事に教員として働いてます

と言うわけで、子育てが大変だと思ったことは無く。

確かに自由な時間はほぼないですが、40過ぎたら子どもも成人なのでそこから自由です。

就職1年目に第2子ができました。なにもかも分かりきってるので、素早い対応がとれます

私がちゃんと稼ぐようになったので、奥さんもパートになれ、何かあったら奥さんが休めるようになりました。(トータルの収入は減りましたが

と言うわけで、大学在学中に子育てするとこうなるというケースでした。

追記

なんだか多くのブックマークトラックバックを頂き恐縮です。

朝に書いたので淡々とした語り口になっておりますが、もうちょっと山あり谷ありではありました。

はてブコメントや、トラックバックのいくつかにお答えする形で追記したいと思います

浮かれておりますので、もしかしたら少し淡々とした語り口から外れているかも知れません。ご容赦ください。

なぜ増田に?

ブログあるのですが、iPhoneネタばっかり書いているか教育に関して書いているので、書く場所が見当たらず増田に。これだけ注目されると逆に名乗り出づらいものですね。(Twitterではバラしてますが)

免許状の種類は?

小学校1種と中学校2種(英語)です。なので2回の実習は小学校に4週間、中学校に2週間行きました。

バイトで8万も稼げるの?

家庭教師マックを掛け持ちしてました。18-20時で家庭教師。小休憩をはさみ、22時から1時までマックといった感じです。(その頃働いていた店は12時まで営業だった。)

夜泣きほとんどしないか、きっちり2時間おきに起きる、とってもいい子だったので、夜はちゃんと眠れました。

学費は?

すみません、これは親のすねかじりました。ここまでは親も出してくれると言ってくれたので。ちなみに国立大でした。

保育園入れるの?

6ヶ月から預けたのは無認可の所です。月5万。延長は15分単位でとられるので必死にお迎え行きました。

次年度より認可保育園へ。普通に審査通りましたね。私の収入が安すぎるので保育料もぐぐっと下がって2万8千円だった気がします。

朝7時半から夜7時まで預かってくれる素晴らしい保育園です。

大学で何学んだの?人生経験浅くない?

教職についての考え方が多岐にわたるので、一概には言えないのですが、大学講義で扱う教職科目よりも、就職してから経験したことや学んだことの方が圧倒的に大きいです。

というか、教育実習に行くまでは完全に机上の空論状態で聴講しますので、頭に入ってない。教育実習行ってからの内容はかなり血肉となったと思います

ちょっと愚痴になりますが、今、子どもとの時間があるため休日に開かれる自主的な研修会に出られないのは非常に残念です。

その分本を読んだり、実践を積み重ねたりと、勉強はしているつもりではいますが…。やっぱり勉強したいっていうのは思います若いうちしか勉強できない(先輩にストレートに聞けない)ので。

また、大学1年の時に友だちと起業したり(登記されると公務員になれないのでサブ役でしたが)、ゼミでお世話になった准教授が近々立ち上げるNPO理事に誘われるくらいにはコネクションや経験はあると思ってます

卒業論文は、FlashMediaServerを用いたオンラインポートフォリオ研究です。実際にLAMP+FMS環境大学教室内にセッティングし、小学生の子どもたちがどのようにポートフォリオを構築するのか研究しました。

子育てよりも、大学時代しかできないことはあったはずだ。

その通りだと思います私自身も思います大学生には大学生しかできないことがあります

でも、それを放棄しても、子育てって、プラスになってます

まずもって、就職一年から「子を持つ親」として保護者と接することができるのはデカイです。

一生ものの友だちは高校時代にたくさんできました。今でも年1度はみんなで集まる企画が立ちます

奥さん看護師

ビンゴです。笑

夜勤をすると、夜勤明けの午後+翌日休みという長い時間がとれるため、その間にバイト入れてました。どっちかが見ているときはどっちかが稼ぐというスタイルです。

さらに、産婦人科夜勤中に出産があると手当がつきます。一晩で5万以上手当のみで稼いでくることもあり、パートと言えども手取り20万超えます。何なんですか。

結局奥さんの稼ぎが今回のケースは全てだな

はい。そうでしたね。やっぱり先立つものが保障されているって大きいです。なのでレアケースです。

できちゃったのか

既定事項です。

どうやって出会ったのか

禁則事項です。

長い追記まで読んでくださり、ありがとうございました。

2012-09-23

ちきりん出身大学一橋大学法学部

ちきりんID:Chikirin)は個人情報ほとんど出さないことで有名で、その正体はいまだ謎に包まれていますが、東京都内国立大学法学部出身ということは、自ら明らかにしています

しかし、東京都内国立大学法学部は(ア)東京大学法学部と(イ)一橋大学法学部の2つしかありません。

そして、関西出身ちきりん一橋に行くことは考えにくいので、一部では、東大法学部)卒ではないか、という憶測が流れていますhttp://anond.hatelabo.jp/20111126194612http://anond.hatelabo.jp/20111126194612など)


しかし、ちきりん一橋大学法学部卒です。

ちきりんは、医師の父に関心を持ってもらうために、「医療過誤刑事責任」という卒論を書いたそうです(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110210

法学部というのは、一般的に、卒業論文が必修ではありません。東大法学部卒論は必修ではありません。

数少ない、卒論が必修の法学部が、一橋大学法学部です。

もちろん、東大法学部でも、自主的に卒論を書くことはできますが、わざわざそんな面倒なことをする人はほとんどいません。


さらに、ちきりんが表明する一橋大学への見方は、常にバカにしたものです。

(例1)東大京大一流企業並の時価総額並の価値があるし、慶應にはブランドがあるが、東工大一橋は大した値段はつかない(四大学連合東工大とばっちりを受けている)(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100318

(例2)「国立大学の統廃合私案」として、一橋大は民営化するか、慶應に身売りするのも悪くないと提案(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090303

(例3)一橋大学は知名度が低いから、東京にあることをわかりやすくするため“東京一橋大学"に改名しかねない(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080906


しかし、普通東大出身者は、一橋大学を表立ってバカにしたりしません。

もちろん、東大出身者の中には、内心、東大以外の大学出身者をバカにしている人が、結構割合でいるのは事実ですが、ちきりんが「許される方向、許されない方向」(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120827)でいうように、「世の中には(もしくは私たちの深層意識には)、対象物のどちらが上でどちらが下かというヒエラルキー意識があり、下が上を馬鹿にするのは“許される”が、上が下を馬鹿にするのは“許されない”と考えている人が多い」ため、そのような言動はタブーになっているのです。

ちきりんブログリアル知人も読んでいるそうですが、日本証券会社を経て、外資系会社で働いていたちきりんの知人の中には当然一橋出身者もいることでしょう。

そのような知人も見ているブログで、一橋大をバカにすることができるのは、一橋出身者だけです。自虐は許されるのです。逆に、東大出身者が一橋をバカにすることは許されないことです。

2011-10-02

大学栄養学科について語りたくなったので語る。

から見て分かるとおり、http://anond.hatelabo.jp/20110929232831パクリです(書き終えてみれば、パクったのは題名だけですが)。

栄養学科です。それほどメジャー学科ではないと思う。管理栄養士になりたい人が行くところと捉えて頂ければ十分です

そもそも、栄養士という職(資格)を知っていても、具体的にどんなことをするのか分からない方も多くいらっしゃると思います

悲しいけれど、「給食のオバちゃんのボス」という言葉がしっくり来る現状です

仕事は多岐に渡るのだけど、後にさらりと触れるので、ここでは省きます

 

筆者は栄養学科に行きはしたが、結局は別の道を選んだ脱落者です

これから書く内容は、現状には即していないかもしれませんが、恐らくそう外れたことでもないでしょう。

筆者がなぜ栄養士として働かなかったのか、ということについても後程述べます

 

栄養士を夢見る女学生の方や、栄養系の学科ってどんなことやるの?と思う方、その他お暇な方向けです

長い序文となりました。本文も長くなりますが、お付き合い頂ければ幸いです

大学というよりは、4年制の専門学校という方が正しいか

他の学部学科ならば、大学生活は割りと時間に余裕があるのではないでしょうか。人生夏休みとも言われるほどですし。

空きコマがあるのは当たり前、丸々休みの日もある、というのが私のイメージです(他の学科について正直よく分かりませんが)。

栄養学科場合、たまに空きコマがあっても、休みの日なんてありません。時間割がみっちり詰まっています月曜日の朝から金曜日の夕方まで何かしらあります

取りたい資格が少なければ、少しは余裕が生まれますが、逆にひとつでも多く資格を取りたい!となると遊ぶ時間が消えます

衛生の資格に加え、栄養教諭資格も取得した友人は、1年生から4年生の間まで、ずっと忙しそうでした。死にそうな顔していました。

また、実験や実習も多くあるので、それらがある日は時間割通りに行かないことも少なくはなく。

管理栄養士になるために必要な科目が必修科目になり、その量が膨大……とまでは行かなくとも(膨大なんて言ったら医師看護師に失礼だわな)、

かなり多い部類には入るので、他の学科のように単位選択に困るわー、取得に困るわー、なんてことはありません。ここは利点かな……?

1,2年生まではみっちり勉強そして実習、3年生になると時間割の上では余裕が出来ますが、臨地実習に行かなくてはなりません。

給食施設実習(ここでの給食施設とは、保育所学校、及び老人福祉施設などを指す)、臨床栄養実習(病院)、公衆栄養実習(保健所)の3箇所全て。

準備、臨地実習本番、報告書作成、報告会準備などに追われ、ひとつ終わったと思ったら次の実習が始まるので、3年生は結構忙しい。夏休みは半分くらい潰れました。

4年生になれば、授業ほっとんどねーや解放されたぜイヤッホゥゥ!!だが世の中そんなに甘くない。就職活動卒業論文実験)が待っている。

授業もそこそこそれなりにあって、臨地実習もある3年生が恐らく一番忙しい学年です。そんなだからまともな就職活動が出来るのは2月くらいからかな。

ちなみに栄養教諭を目指す人は、そのための実習があるので、さらに遅れます

管理栄養士になりたくない、って人は実習等も適当に乗り切って、時間が出来る12月くらいから始めます。それでも遅いんだろうけどさ。

結構色んなことをやります

さて、栄養学科文系に属するのでしょうか、理系なのでしょうか。

理系の知識がなければまずやっていけませんが(化学生物特に化学については高校でしっかり学んでおく必要がある)、

まるっきり理系というわけでもなく、文系のような?こともやります

管理栄養士は、食事を作ることだけが仕事ではなく、人の相談に乗ったり(カウンセリング)、教育したりなどもします。そのための技術も必要です

保育所学校栄養士場合最近児童生徒等に対し、食の知識について教えることが多くなりました(いわゆる食育、何度か出てきている栄養教諭食育専門の教諭)。

自治体栄養士になれば、管轄地域の住民全体の健康について考えなければなりません。収集したデータをどのように統計し、解釈し、どんな計画を立てるか。

また、給食を作ると言ったって、タダで出来るわけじゃないから、経営についての知識も必要となる。あとは福祉についても少しだけやったかなあ。

在学中は、色んなことをやるんだなあ、と思ったものです

前述のとおり、実験や実習も多くあります実験理系学科であれば大抵やっていると思うので省きます

食品栄養について学ぶ学科なので、調理実習はたくさんあります。1年次はただ指定されたものを作るだけ(それはそれで楽しいしラク)ですが、

2年次から自分献立を考えて作らなくてはならなかったり(たとえば、腎臓病の方向けの食事の場合、低蛋白カロリー献立を実際に考えて作らなくてはならない)、

実際の給食施設のように大量調理し、客(に見立て学生)に配膳、アンケートを取る実習があったり、一筋縄では行かないものばかりです

調理ではない実習もあります。たとえば低学年の児童を対象にした栄養教育を計画書から作って(児童見立て学生に)実演してみたりとか、カウンセリングの実習であるとか。

リーフレット作ったり、商品開発の実習をしたり、パソコンの実習もありました。

 

前の項と合わせて、必修の課目が多いし、分野も広い。期末はレポートの山に囲まれ、レポート作成と並行してテスト対策もしなければならないので、大混乱です

レポートの期日が重なるなんて当たり前。テストは持ち込み不可のことが多い。劣等生は追試の山……。

ちなみに、実習の際はグループ行動が多く、グループ分けも大概教授が指示するので、ひとりぼっちになることはありません。

そういう機会に知り合いや友人が出来るので、他県から一人だけで入学したという場合も、孤立することはまずないかと。

結構キツいことも言われます

栄養士になった人がキツくなるのか、それともキツい人が栄養士になるのかは分かりませんが、授業中にキツいことを言われることもしばしば。厳しい方が多い。

あなたたちは即戦力となるために~」なんてのは耳にタコが出来るほど言われます

実際、管理栄養士として就職したならば、初めての社会人経験であっても管理職として扱われます

その時にまったく戦力にならないのでは困る、ということ。

調理員のオバちゃんをこらしめる方法を教わったときはどうしようかと思いました。

献立ダメ出しくらうの当たり前、授業中の雑談が思いの外キツいことだったりすることも当たり前(患者さんが亡くなってしまった話とか、派閥の話とか)。

むしろ、こういうことを耳にして、覚悟完了できるかできないかが、栄養士として働くか働かないかの分かれ目である

筆者は覚悟完了出来ませんでした。これから下記に書く実情もあり。

で、管理栄養士の実際は

ここまで栄養学科の話を書いてきましたが、どのように感じたでしょうか。

大学生にしてはずいぶん忙しそうだな、とか、こんなヌルい内容でキツいだなんて笑わせてくれるなど、様々な意見があるかと思います

私も当時の思い出を振り返りながら書いているので、昔の自分であればキツいと感じたことも、今であれば当たり前と感じるのかもしれません。

それはそれで置いておいて、管理栄養士が実際に管理栄養士として働くと、

  • 朝早く(AM7:00より前)から夜遅く(PM7:00以降)までの勤務は当たり前、ほとんど全ての時間立ちっ放しということもある
  • 食事は毎日ものなので、基本的に休めない
  • 業務は多岐に渡るが、基本的に全て一人でこなさなければならない(献立作成、発注、検品、調理、清掃、その他事務)
    • 同じ職の仲間はいない、いても1,2人
  • 調理員との人間関係微妙、年上の人でも管理職なので注意しなければならない
  • 管理職なので、手当ては出るが残業代は出ない、

他の医療資格よろしく(管理栄養士コメディカルと見ない人もいるが)、常に求人はあり、その意味では困らず、食っていくに困りません。

だけど、食っていくことしか出来ません。自分時間が取れない。食べて寝て仕事して寝て食べての繰り返し、というのが管理栄養士として就職した友人の生活。

ただ、管理栄養士やりがいがあります。そして責任があります。誰かがやらなければならない、いのちの基本、食事に関わる職業です

そのことにやりがいを感じ、そのために生きていける人ならば、きっとやっていけるでしょう。

それか、何でも要領よくこなせる人とか、切り替えが早い人とか。

私はそのいずれにも該当しなかったし、あとは早い段階で(ただ入学した後の話でしたが)2ch等を見て、栄養士は基本的にブラック職業だと判断し、事務職に就きました。

やりがいだけで生きてはいけないよ。

その他もろもろのお話

 

何が言いたかたかというと、栄養士を夢見るお嬢さん高校生以下)、理想現実はかなり違うから、考え直すならば今のうちだぜ、ということです

それから栄養士労働環境を知ってほしかった。他の方も様々な場所で腐るほど語っています

テレビに出る栄養士なんて雲上の人、1000人に1人いるかいないかの超好待遇の人なので、管理栄養士が全員そうだとは間違っても思わないでくださいませ。

それではここまで読んでくださってありがとうございました。

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