はてなキーワード: ベースとは
(Speculative fictionとsci-fiの対比)
1. 科学的な正確性
2. 技術的な詳細
に長じていることが特徴である。
思うに、増田は有象無象のファンタジーと区別された「ハードファンタジー」を求めているのではないだろうか。
以前「ハイ・ファンタジー」という語にその面影を求めた別の増田を見たが、全く違う意味なのでぼんやりしたまま終わった。
異世界や架空の世界で物語が進行するならば"ハイファンタジー"、現実世界に魔法的な要素がやってきた、というのならば"ローファンタジー"
検索してすぐ出てきた説明。これをベースにするなら、増田が求めているのはさしづめ「ハード・ハイ・ファンタジー」だろうか。
「ハード・ハイ・ファンタジー」にあたりそうなのはエターナル・チャンピオンシリーズ(エルリックとかコルムとかね)、王道の指輪物語、あとは獣の奏者みたいな作品?
うーん、なんか違うような気がしないでもない。
まあ……ナーロッパというか、その元のJRPG世界観(DQ寄り)を確実にベースにしとるな。
①DQのAltであるFFの②スピンオフである聖剣伝説シリーズ③の非ナンバリングタイトル
という出自から生まれて仏教を混ぜ込んだ奇跡的世界観なんだよな……ダナエすこ
今リバイバル上映中の映画「アイカツ!10th STORY~未来へのSTARWAY~」(以下、アイカツ10th)を見てきたんだけど、昨年公開時よりアイカツおじが減ってて、現役世代、つまりアニメ当時ガチ女児の現JKJD世代ばかりだった
公開当時からアイカツ10thのメッセージはおじたちには殺傷力高いなと思ってたが、、、
そもそも、アイカツのアニメ(以下アニメ版)は2012年10月放送開始で、主人公星宮いちごがトップアイドル神崎美月に憧れて、アイドル学校スターライト学園に入り、仲間たちと切磋琢磨し成長していく話だ
で、アイカツ10thはその約10年後(2023年1月)公開で、アニメ版でユニットを組んでいたメインキャラ3人のいちご・あおい・蘭を中心に、スターライト学園 高等部の卒業を前にした彼女ら18歳の年と、その4年後の22歳の年の、2つの時間軸が描かれる
という感じ
感想に入る前に背景として、アイカツシリーズ全体の根幹を成す概念に「SHINING LINE*」というものがある
これは、「憧れを道しるべに努力で描き、また次に憧れを繋いで紡いでいく軌跡」みたいなもので、
要は、美月に憧れてアイドルになったいちごが努力を重ねトップアイドルになる。さらに、そのいちごに憧れた大空あかり(アニメ版の次の主人公)もまたアイドルになり、努力しトップになる
俺たちアイカツおじは、アイカツ178話を通じて紆余曲折しつつも脈々と築かれてゆくSHINING LINE*に心を震わせ、奪われてきた
ところが、アイカツ10thでは作品を通じて「キミの人生もこのSHINING LINE*なんだよ」と訴えてきている
今の自分は、夢を抱いたころの過去の自分にとっては憧れの存在(スター)で、今は辛くて未来が不安でも、過去から今まで紡いできた軌跡(スターウェイ)は既にあって、これからも自分らしく努力して未来に繋いでいけば大丈夫だよ、それがあなたのSHINING LINE*になるんだよ
もちろん、これは現役世代向けのメッセージだってことは解っている
アニメ版放映当時10歳だった幼女先輩方は、アイカツ10th公開時で20歳になっている。きっとコロナ直撃の高校生活を経て、JDは就活を控えorただ中だったり、高卒就職勢も社会人としてシンドイ時期だろう
そういった子たちには響くと思うし、イチおじとしても頑張っていってほしいと思う(キモくてスマンな)
一方、我々おじたちは、「星宮いちごは俺が育てた」ばりにSHINING LINE*の外側からフアン目線で、なんならいちごちゃんたちの親目線で、彼女らの成長を見守っていたころから10年経った
我々はどう生きてきただろうか
もちろん、努力を積み重ね、10年前の自分に憧れられるような自分になっているおじもいるだろう
今の自分がさほど立派でなくても、着実に、自分なりに人生を歩んできた、自己肯定できるおじもいるだろう
まがりなりにもアイカツを見てきたんだから、いちごちゃんたちに感化され、努力し頑張ってきたアイカツおじはたくさんいると信じたい
でも俺もいい歳なので、そんな人ばかりではないことは知っている
思い通りいかずにクサったやつ、特にやりたいこともなく日々ダラダラ過ごすやつ、現状の文句ばかりで何も行動しないやつ、努力できる環境にもいなかったやつ、……
こんなおっさんらの中にもアイカツおじはいて、アイカツ10thを見た人もいるだろうと思うとツラい気持ちになる
劇場で、あの輝かしいSHINING LINE*をお気楽なフアン目線で久々に見れると思ってたら、「この10年頑張ってきたあなたの人生こそがSHINING LINE*なんだよ」と言われてしまうとは
いちごちゃんにこれまでの己の人生を突きつけられて、無事死亡したおじたちは結構いるのではなかろうか……
成仏してくれることを祈っている
と、昨年公開時に思ってたら、今やってるリバイバル上映ではあからさまにおじ率が低く(N=1だけど)、アイカツおじ達が生きてるか心配になって長文失礼しちゃいました
俺が行ったのがたまたまおじが少なくて、他の回や場所でおじ達が生きてればいいんだけどね
# 2022年に前半上映しとるがな、とか、いちごちゃん3/15生まれなんだから18歳ちゃうやろ、とか、美月さんの前にマスカレードやろがい、とか、あかりちゃんはスターライトクイーンにはなったがトップアイドルか?とか、ツッコミどころは勘弁してな
この文章は、バンド「GLAY」のメンバーの変遷を表しているように見えます。
ただし、平成22年と令和6年のメンバー表記は正確ではありません。GLAYは1988年に結成され、1994年にメジャーデビューしました。現在まで、TERAがボーカル、TAKUROがギター、JIROがベース、HISASHIがギターを担当しており、メンバーの変更はありません。
したがって、この文章はGLAYの実際のメンバー変遷を正しく反映しているわけではなく、何らかの誤りや意図的な表現が含まれていると考えられます。
公立中学校は選抜をしていないが故に、ボラティリティーが大きいからな。いいところもあれば荒れているところもある。つまり、俺の経験ではこうだった、がアテにならないわけだ。報告書等ベースで皆語るべき。
IBMはルールベースのAI開発をしてたから誤差逆伝搬方式のニューラルネットワークブームには乗り遅れたって印象なんだが合ってる?
https://www.sanrio.co.jp/characters/devilmintkiryu/
アニメで活躍したり声優和多田美咲さんのベース演奏パフォーマンスをモーキャプで反映したライブをしたりコンパスって対戦ゲームでビームを撃ってたりする個性も才能もつよつよのキャラだよ
Watsonは純粋に性能が微妙だったよ。ちょろっとコルセンに試験導入されたの見たけど、よくある質問の自動選択みたいな奴で、費用対効果に全然合ってなかった。
何を言っているのか自分でも混乱してる顧客とかの理解とか、滅多にないレアケースの認識とかは全然だめ。参照頻度ベースの昔からのシステムの方がマシだった。
少なくとも自分の画風に合ったものが出力されるから、それをベースに変な所とか修正しながら絵を描けば時短になりそう
こだわりの絵はともかく、カネの為に受けてる有象無象のイラスト仕事なんてぶっちゃけ作品とかクライアントに対する愛は無い訳だし。
コーンフレークじゃなくて、Haskellだとして、全体のネタを書き直してくださいっていう指示した結果
ボケ&ツッコミ「お願いしますー ありがとうございますー」
ツッコミ「あー ありがとうございますー ねっ 今Githubでスターをいただきましたけどもね」
ボケ&ツッコミ「ありがとうございますー」
ツッコミ「ねー 有り難いですよ ほんとにね」
ボケ「入れておきましょう」
ボケ「いきなりですけどね うちのオカンがね 好きなプログラミング言語があるらしいんやけど」
ツッコミ「プログラミング言語の名前忘れてもうて どうなってんねそれ」
ツッコミ「分からへんの? いや ほな俺がね おかんの好きなプログラミング言語 ちょっと一緒に考えてあげるから どんな特徴ゆうてたかってのを教えてみてよ」
ボケ「あのー関数型言語で、型システムが強力で、遅延評価するやつやって言うねんな」
ツッコミ「おー Haskellやないかい その特徴はもう完全にHaskellやがな」
ツッコミ「すぐ分かったやん こんなんもー」
ツッコミ「いやそうやろ?」
ボケ「オカンが言うには 将来の夢はそれで書かれたOSを使うことやって言うねんな」
ツッコミ「あー ほなHaskellと違うかぁ Haskell製のOSなんてまだ無いもんね」
ボケ「そやねん」
ツッコミ「HaskellはOSを作るのには向いてへんからなぁ」
ボケ「そやねんな」
ツッコミ「な? Haskell側もOS開発に任命されたら荷が重いよあれ」
ボケ「そやねんそやねん」
ツッコミ「Haskellってそういうもんやから ほなHaskellちゃうがなこれ」
ボケ「そやねん」
ツッコミ「あれほなもう一度詳しく教えてくれる?」
ツッコミ「Haskellやないかい モナドは確かに難しいねんHaskellの でも俺はね あれはHaskellの良いところやと思うねん 俺の目は騙されへんよ 俺騙したら大したもんや」
ボケ「まあねー」
ツッコミ「ほんであれよー いざ使ってみたらね モナドのおかげでコードがスッキリするねん 俺は何でもお見通しやねんから Haskellのモナドなんて」
ツッコミ「そうやろ」
ボケ「オカンが言うには プロダクションで使うにはまだ早いって言うねんな」
ツッコミ「ほなHaskellちゃうやないかい プロダクションでHaskell使ったら 上司がひっくり返すもんね Haskellはねー まだ研究段階やから実務では使いにくいねん」
ボケ「そやねんそやねん」
ツッコミ「な? Haskell使ってみたらだんだん罠が見えてくるから 最後ちょっとだけ避けてまうねんあれ」
ボケ「そやねんそやねん」
ボケ「そやねんな」
ツッコミ「Haskellちゃうがな ほな もうちょっとなんか言ってなかった?」
ボケ「学生の頃 なんでみんな憧れるんか分からんかったらしいねん」
ツッコミ「Haskellやないかい 学生の頃はHaskellとOCamlとLispに憧れるんやから あとSmalltalkも憧れたな Haskellそんなもんよ」
ツッコミ「そうやろ」
ボケ「オカンが言うには 関数型プログラミングの教科書に必ず載ってるっていうねん」
ツッコミ「ほなHaskellやないかい 教科書のサンプルコードにHaskellのコードが出てこんわけないやん」
ツッコミ「Haskellはね 関数型プログラミングの王道中の王道やねん」
ツッコミ「Haskellや絶対 ほな ほなもうちょっとなんかゆうてなかったか?」
ツッコミ「Haskellやないかい Yesodとかあるやろ な? RubyとかPythonの次はHaskellが来るって言われてるねん 俺はそう思うよマジで Haskellや絶対」
ツッコミ「そうやて」
ボケ「オカンが言うには ジャンルでいうたら数学やっていうねん」
ツッコミ「ほなHaskellやないかい ジャンルで数学言うたらHaskellしかあらへんやん な? Haskellは数学の理論がベースになってるんやで ラムダ計算とか圏論とかな」
ボケ「そやねんそやねん」
ツッコミ「ほなHaskellに決まりやないかい ほなもうちょっとなんかゆうてなかった?」
ツッコミ「Haskellやないかい Haskellは変数が不変やから 変数に感謝するのは当然やねん ね? 状態変更せんと安心して使えるからな」
ボケ「そやねんそやねん」
ツッコミ「Javaとかの変数は裏切るからアカンねん Haskellの変数は一生そばにおってくれるから最高やで」
ボケ「でも分かれへんねん」
ツッコミ「分からへんことない おかんの好きなプログラミング言語はHaskell もぉ」
ボケ「でもオカンが言うには Haskellではないって言うねん」
ツッコミ「ほなHaskellちゃうやないかい オカンがHaskellではないと言うんやから Haskellちゃうがな」
ボケ「そやねん」
ツッコミ「先ゆえよ 俺がラムダ計算の説明してる時どう思っててんお前」
ツッコミ「ホンマに分からへんがなこれ どうなってんねんもう」
ボケ「んでオトンが言うにはな」
ツッコミ「オトン?」
そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。
旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所や食べ物を入念にチェックする。
現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動、最近では、インバウンドで来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。
映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。
旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。
日常との差異の体験やよその世界とちょっとだけ繋がったりできたことの証明と自己顕示が欲しいのだ。
その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したことを証明するうえでとても重要。
このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、
現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。
さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、
東海道五十三次の時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。
日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。
ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。
そんな男性の立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。
それは、旅先で一時的に体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。
旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。
「おもいでぽろぽろ」というジブリの高畑勲監督の映画(1991)がある。
都会育ちのOL女性が田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、
この映画の場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、
いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをアジア、アフリカ、中南米でしばしばみてきた。
かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。
「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば
海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。
また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップの意向が高いのに対し、女性は男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。
男性は女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、
だが!しかし、、、、
果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。
それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。
まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本は男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。
突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。
瀬戸内海の小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。
「あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」
当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、
ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟が必要だった。
アウェイといえば、ドラマ「おしん」(1983年)。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。
そこでは、さらにもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイで過酷な人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつで小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性の共感を呼んだ作品だった。
孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。
アウェイな世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベースが敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)
「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じる女性のエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性に文化的に育まれたものなのかもしれない。
昨今では、結婚を就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。
一方で、男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界を渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリ、ホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなものを男性社会そのものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲でしか外に出歩かないのだ。ふるさとの家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。逆に成功を収めれば、故郷側が自分をほめてくれる。【故郷に錦を飾る】というのは男性的な価値観だ。
女性はというと、嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界。
「嫁ぐ」という習慣、因習、宿命から生まれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。
山崎ハコの「望郷」で歌われる故郷は、帰る家もない、戻るに戻れない場所としてうたわれた。これは失敗すれば帰って慰めてくれ、成功すれば褒めてくれる男性の故郷観とは対照的だ。これはなかなかパラドックスだと思った。
翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイな世界に飛び込むという意味で
かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟が必要だということだ。
若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命が現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分の覚悟や能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。
嫁ぎ先である日本社会、日本人男性に漠然と失望している場合、希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイな世界で生きる宿命ならば、
いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚が深層心理にあるのではないかと妄想する。
一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というものが概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。
かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。
「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」
この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイな世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。
なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームから温かい視線を旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテンの寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。
そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。
民俗学者の宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人を考察した文章のなかで、そうした旅人が
地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域の活性化に寄与する機能を果たしていたことを、
世間師という言葉で表現した。フーテンの寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。
世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。
嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会でリーダーシップをとっていかなければならない男性の潜在的な意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。
かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。
男の旅というのは、ちまちましたもので火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからあまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルのマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。
しかし、この四半世紀、女性の社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性が模索する時代になった。
テレビドラマも、90年代以降、女性の社会進出を反映して、トレンディドラマに代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストランで食事する、みたいなシーンが増えた。
東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマの世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。
しかし、現実の女性の社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性の役割が押し付けられていたのが現実だ。その現実を90年代のドラマ「ショムニ」でよく表現されていたように思う。
しかし、さらに時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公の少女時代(1970年代)は、都会の夏休みのラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと=田舎をそもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。
中長期的には東京一極集中のトレンドは変わらないものの、それは不動産価格のトレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省が必要な人というのは減っているのではないか。首都圏の人は首都圏で世代を重ねるし、地方の人は地方で価値を見出し、仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方(ふるさと、ホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。
そうなると、都会の人間が地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。
その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア)女性の理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。
一昨年のドラマ「ファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業をテーマに女性の自画像を模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。
「ファーストペンギン」のように地方移住をテーマにした作品は、アウェイな環境で女性のポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。
そんなことをおもった。そもそもの旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性の人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。
とりとめもないメモです。
上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。
旅行好きの女性の特徴と男女差
旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。
歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境や文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性が自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。
一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験を故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性が社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。
故郷と都会の関係性の変化
現代の日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。
この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域で価値を見出し、生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性が旅行を通じて自己実現や自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。
旅行は、日常からの一時的な脱却を提供し、新しい環境や文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行が自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。
新聞記者が障害者が助けられても感謝を言う必要が無い理由を、店員が客に担々麺を掛けた例で説明、「意味不明」との反応が集まる
いわく“社会は健常者用にできていて障害者は不当に割りを食ってるんだから、健常者が障害者に手助けするのは被害回復でありそこに感謝はいらない”
これが意味不明だと言われてるのだそうだが何も難しくはないだろう。むしろその逆で幼児の頭で考えたような単純な理屈だ。もちろんクソの役にも立たない。
こんにちアメリカの大分断を生んでいるのはひとえにMAGAトランピストのキチガイぶりによる、わけではない。争いには相手がいる。一方の「リベラル」勢力が依拠するのがこの原罪思考である。インディアンを駆逐して国土を簒奪した移民の子孫が、ニューカマーを「不法移民」と断じる権利はないという価値観。
エンジニア的な、問題解決型の思考と行動様式である。うるわしき伝統を崇めるより自分の手で不断に社会を改善していく。選挙以外にも多様な機会・手段を捉えて。ただし安易な暴力的手段に流れず。
それでなにか理想の社会を実現しようというのではない。そこまでやってやっと平常運転が保ち得るという諦観がベースにある。
そこにおいて障害者を助けるというのは贖罪なんかではない、単なるチームプレーの一環である。お互い助け合う集団のほうがトータルで強いに決まってるからそうするのだ。
罪深き我々と哀れな犠牲者という(実はめちゃくちゃ上から目線の)関係でなく、対等なマイトシップの発露以外の何ものでもない。
どんなに超絶技巧プレイだったのとしても俺は注目されないだろう
というか、俺でなくても、超絶技巧プレイヤーはまったく注目されてない
俺はチェックしてるけど、多分、ほとんどの人は、なんかすごいね、で素通りしてしまっているのだろう
それより、初心者記事とかが強い、ギタースクールの講師とか、スタジオミュージシャンのうんちく語りとか、楽器屋店員の雑談の方が見られてる
あと、エッチなかっこのお姉さんが演奏した方が爆発的に注目される
ぼっちざろっく!でぼっちちゃんに水着でプレイしてもらおうという話はあながち間違っていない
際どいコスプレでピアノを弾くのと、普通のオッサンがピアノを弾くのと、どちらもレベルが同じだったら、みんなはどちらを見るのか?
つまり、デブでキモイ童貞で中年の俺ではギターヒーローどころか、視聴者を不快にさせたと運営に通報される方が近い
なるほど、となると音楽理論のうんちく、というか、俺はちゃんとした教育受けてないから偉そうなこと言えないし、間違ってる可能性もあるけど、
あの有名な曲は、こういう仕組みで作られていて、つまり、作者はこういうことを伝えたいという意図があると考えられる、
耳コピをすることで、作曲者の意図を推察することができる、みたいな話を書けばいいのだろうか
でも、それもそんなネタないしなあ
はなわはベースだったけど、イングヴェイやインペリテリがお笑いやったら面白いだろうか?
いや、それも違うか…
妹の誕生日にどこかに食べに行こうかという話になったのだが、私はその選択肢に食べ放題を挙げることに賛同し難い。食べ放題というシステムが個人的に嫌っているというわけではない。むしろ自分の好きな料理だけ、自由にたらふく食べられるし、欲望に塗れた和洋中と料理のサラダボウル(アメリカ?)と化した自他の皿を見ながら食事にできることが長所だなあ考えている。お祝い事というのは会話などのコミュニケーションで会食ベースな雰囲気であることでお祝い事の機会となるのではないか 会席料理だとかフランス料理は、(私はまだ人生で数えられるほどしか経験したことがないけれど)、皆が同じペースで食事を進めていく丁寧さ、献立に料理長の名前が書かれるのが小説作品に作者の名前が書かれるようなストーリー性と感情を帯びていて、こういう機会にぴったりの選択肢ではないかなあと考える。結局のところ私個人が食べ物に研究的になって嘆美を見出すことに楽しさを感じているだけだなあと 食事ってその人のバックグラウンドとかでその人ごとの普通の基準があるから面白いね〜
世の中の作品には二種類ある。
具体例を出す。
例えばトールキン。
エルフやドワーフといった種族の設定は今広く日本の創作で使われている。
クトゥルフもそうだ。
まるで聖典のようにこれを原作にした作品がたくさん生み出されている。
エルフも、クトゥルフも、妖怪もいずれも特定の作者による著作物だ。
無料だから、伝承だから、著作権のないフリー素材だからという理由で使われているわけではない。
世にある多くの作品にも、魅力的な世界観や種族などの設定は存在する。
作品の設定がベースとして使われるか使われないか、違いはなんなのか?
あくまで俺の見解だから,偏見でしかないし,まぁたぶん俺がズレてるんだと思うんだけど,みんなの意見が聞きたい
当然のようにアイドルマスターとかウマ娘とかやってること公言するやついるけど,普通に気持ち悪い.そういった類の作品好きって公言するのって,「僕は美少女が大好きです.でも現実だと相手にされないので、諦めて2次元で欲望満たしてます」って公言してるようなもんだよなって思ってるんだけど .男同士で「実は…」みたいな感じで言うのならまだ分かるけど、それを女性の前で堂々と言うのって流石に気持ち悪すぎないかと思ってる。
2.アイドル
アイドルの曲とか歌詞とかって,一部を除き,ため息が出るくらい浅はかで凡庸なもの(「頑張れ!君が大好きだ!」みたいな感じ)が多いし,アイドル好きな人って同じ曲をオッサンが歌ってても多分聞かないだろ.
アイドル好きってのは,「細かいことはよくわからないけど,美少女が笑顔で歌ったり踊ったりすると元気もらえるんです!」っていう事と同義だと思うんだけど,自分が浅はかで恥ずかしくならないのかなって思ってる.
企業や芸能人やアーティストが宣伝目的でやる分には良いと思うけど,個人が投稿しているのはまじで意味不明.
たとえば学校や会社にみんなが自由に掲示できる掲示板があったとして,自分の自撮り写真とか,自分が食った飯の写真とか貼ってるやつがいたら,間違いなく「なんだこいつ気持ち悪い」ってなると思うんだけど,なんでSNSだと当たり前に許容されるのか.
「今日髪切ってきてめっちゃいい感じ」「エアコン壊れてまじ暑い」とか,だれの得にならないつぶやきを「だれか反応してくれないかな(チラッチラッ」みたいな感じで投稿しているの気持ち悪くないか..?
現実で同じ感じでひとりごと言ってるやついたらめっちゃ気持ち悪いと思うんだけど,なんでSNSだと許容されるんだろうと不思議でしょうがない.
ちなみに、リアルタイムで市民権を獲得しつつあるもので、未だ気持ち悪いなと思ってるのが、なろう系というか「異世界転生」 もの。久々に本屋の漫画コーナー見てたら、異世界転生コーナーみたいのがめちゃめちゃ広くなっててビックリした。あれ系ばかり好む人の根本には「異世界に転生して活躍する主人公に自分を照らし合わせることで、その時だけ全能感をえたり欲求不満を解消して、現実の冴えない自分を忘れられる」という、現実逃避のなんとも情けない思考がベースにあると思うんだけど 、 5年後くらいには「趣味は異世界転生系のアニメや漫画を見ることです」なんて恥ずかしげもなく言う時代がくるんだろうなぁと思っている。 そうなっても俺は内心、こいつ情けないなって思い続けると思う。
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも次の選挙で市民の支持を得られず落選。
イオンモールを待望した市民は、官僚出身の新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家や学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市は事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端なイオンが開店した。
さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センターを建設。土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。
その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。
車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
街の顔である中心市街地は、税金や補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。
古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターのサンデー、ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、市民は屋内一体型モールのイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターやボーリング場や、未来屋書店や、東京のアパレルテナント、東京で話題のある飲食店のフードコートが欲しかった。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントはイトーヨーカドー、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2009年 臨海部の八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画。
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターがあちこちにできた。
中心市街地は市営の観光施設や屋内広場、箱物と、市営書店ができて大変モダンな空間になった。
地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンとファミマが合計6店舗できた。モスとドトールしかなかった街中にタリーズができた。
しかし、市経済の低迷も相まって中心街へ商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモールを建設してもよかってのではないか。
結果、GMSは衰退し臨海部のヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民は1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部のシンフォニープラザ、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、市民は1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。
中心市街地の地権者はコンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化的施設の建設に資金が投入され続けている。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離でイオンモールに遊びに行けただろう。