2024-03-20

原罪」を課す思考

新聞記者障害者が助けられても感謝を言う必要が無い理由を、店員が客に担々麺を掛けた例で説明、「意味不明」との反応が集まる

https://togetter.com/li/2334871

いわく“社会は健常者用にできていて障害者は不当に割りを食ってるんだから、健常者が障害者に手助けするのは被害回復でありそこに感謝はいらない”

これが意味不明だと言われてるのだそうだが何も難しくはないだろう。むしろその逆で幼児の頭で考えたような単純な理屈だ。もちろんクソの役にも立たない。

しかし幼稚ではあるがナメてはいけない。

こんにちアメリカ大分断を生んでいるのはひとえにMAGAトランピストキチガイぶりによる、わけではない。争いには相手がいる。一方の「リベラル勢力依拠するのがこの原罪思考であるインディアン駆逐して国土簒奪した移民の子孫が、ニューカマーを「不法移民」と断じる権利はないという価値観

本来リベラルとはそんな宗教じみた図式的なものではない。

エンジニア的な、問題解決型の思考行動様式である。うるわしき伝統を崇めるより自分の手で不断社会改善していく。選挙以外にも多様な機会・手段を捉えて。ただし安易暴力的手段に流れず。

それでなにか理想社会を実現しようというのではない。そこまでやってやっと平常運転が保ち得るという諦観ベースにある。

そこにおいて障害者を助けるというのは贖罪なんかではない、単なるチームプレーの一環である。お互い助け合う集団のほうがトータルで強いに決まってるからそうするのだ。

罪深き我々と哀れな犠牲者という(実はめちゃくちゃ上から目線の)関係でなく、対等なマイトシップの発露以外の何ものでもない。

特権意識ベースになんでも善悪ストーリーに押し込めてしま自称リベラルほどリベラルから程遠いものはないのだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん