はてなキーワード: ストロングとは
ストロングじゃないとは頑張ったな
EVが向いているのは
・自宅充電できる(普通充電3kW)
・近距離を頻繁に使う(1日50km以内が目安。通勤、通院、お買い物)
だよ。
仮に一日30kmとしよう。大体のEVの電費は7km/kWぐらいだ。つまり4kWぐらい。
急速充電じゃない普通充電でも1~2時間で完了する。家に帰って充電器に繋げば次の日には余裕で満充電だ。
ガソリン車に対するアドバンテージとして「摩擦機構が極端に少ない」だ。
ブレーキパッドもほとんど回生だから減らないし、エアコンや油圧ポンプを駆動するベルトもない。エンジンの温度を上げる必要もない。オイルポンプもほぼない(ブレーキ油圧も電動だし)
ちょい乗りには理想的な条件といえる。これはプリウスのようなストロングハイブリッド(3世代目で補機ベルトがなくなった)でもかなり近いがEVならもとからないのだからさらに良い。
逆にレジャーで使うにはあまりに不便なことが多い。それならPHEVぐらいのほうがいい。自宅充電もできるし、長距離もこなし、超高性能なガソリン発電機にもなる。
ほとんど遠出しないので通勤と買い物で自宅充電だけでプリウスPHEVを1年給油したことがないってツワモノもいる。いちおう2年ぐらいは(タンク内のガソリンは)大丈夫だそうだ。
かつては大学生だった。今から約20年前のことだ。地元の公立高校で必死に勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部に合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。
40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置にはいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。
これから、大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。
入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑
でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツ系からは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。
文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代はバリボーをやっていたが、大学の部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。
それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家は美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。
アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。
そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都の学生有志で集まる大学間サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都の音楽を発信しよう、みたいな団体だった。
チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。
いろんな大学の学生が集まる、しかもライブイベントのスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校も中学も高校も、文化祭でリーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。
数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風のプロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはすが現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場の下働きだった。
それで、みやこ音楽産業みたいな名前の団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近のカフェで面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。
若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学の看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。
まあ、そうじゃないと、第1回目からくるりや向井秀徳や矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。
もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。
いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。
思えば僕は、アニメや漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーはほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。
僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前の大学の女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。
そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分は臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。
それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室の座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。
ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学の学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都の方言は標準語に直している。
「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」
「高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」
「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」
(3/21追記)コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。
こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学の学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。
「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」
「法学部なんですね!! すごーい」
「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」
今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ、自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。
で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバーが乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。
……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間がモテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって、京都大学に合格した時は、中学校や高校の先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。
でも、違うのだ。大学が保証する個人の能力というのは、実社会で必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。
結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行に内定した。しかし、自分という存在に確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。
銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。
掻い摘んで話すと、社会人一年目から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品の営業がまったくできなかった。
営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子や女の子ですらそうだった。
同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都の山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。
三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。
まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大だからな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。
結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベルの会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。
それからは坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所の会計年度任用職員をクビになった。現業の仕事をするポジション(剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。
書類選考が通って、市役所の役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事未経験の自分でも内定を取ることができた。
もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。
「すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」
「事務職はもうパートさんがおるさかい。あんたには任せれへん」
「すんません」
会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。
これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニでストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。
最後に知っておいてほしい。学歴は仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカの研究で学歴と仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまり、ほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。
そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさんの愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。
――ああ! 誰かがあの肉體からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!
未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99
3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分の言葉じゃなくて申し訳ありません。
もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴と仕事能力は関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。
前回
おかげさまで無事生まれまして、母子ともにすこぶる健康、父はリスキリングで料理の腕を上げました。
大して乗っておらず、1,000km行ってないぐらい
関東近郊で2回くらい遠出はしている
減速は回生ブレーキがよく効いていると思っていたが、実は大して充電していなかった。
取説にも減速時に充電としか書いておらず、実際幹線道路を流してるとよく充電している。
そしてあっという間に満充電メモリになっているのであった。
減速はいい感じな気がするんだが、回生ブレーキは大して働いていないので、なんかエンジン制御をうまくやってるんだろう。それか気のせい。
乗りやすいとは感じるのでいいっちゃいいんだが……。
まぁモーターアシストのおかげか高速の合流とかでも遅!ってことはなく、エンジンはわりと静かだし全体的には快適で悪くないと感じる。
で、そんな事を考えていたらストロングハイブリッドが出ていた。
CMは前のほうがよかったな。
この前すげーどうでもいい事に気づいたんだが、スズキ車のCMって走行シーン全然ないんだよな。
ストロングハイブリッドですが、5段変速でパドルシフトがあるのがちょっと羨ましい。
ともあれACCが40km/hで切れるのが厳しい。それなら中古のフリードにすると思う。
そのACCについても思うところがある。まさかメーカーによってここまで差があるとは……。
今までトヨタ車を借りることが多かったため、いざソリオで使うと減速制御があまりにも下手くそで驚いてしまった。減速が遅く急。
まぁ定速で前の車についていくだけであれば十分なんだけど。
止まってて揺れるのはまだいいが、高速で直進安定性に影響ある気がしてちょっとつらい。慣れたけど。
スズキ……。
あと風切り音、風が強かっただけかもしれないがかなり気になった。
エンジン音はうるさくないし、アイドリングストップ周りは全然気にならずかなり良い印象なんだが。
エンジン周り以外は結構うるさいというか、雑な感じがしてしまう。
光触媒スプレーを使ったり窓を全開にして乗ったりやってるが、未だに乗り込む時空気が悪い。なんとかならんかね。
新車は環境性能割も高かったし、次は中古車を積極的に狙っていきたい。
乗り出して気づいたのは、ドアの横についているボタンがめっちゃ便利なこと。
めっちゃ気が利くし最高だな〜って思ってたんだが、最近の車種だとわりと普通なんだな。
カーシェアで借りたソリオはサイドミラーの開閉も手動だったぐらいなので、雲泥の差ですよ。
全方位カメラ、実際便利なんだが、駐車が下手くそだとかえって良くないことに気づいた。
結局従来どおりサイドミラーとかでやった方が感覚がつかみやすい。
ビューモニタは最後の方だけ見るようにしたら、最近はわりとシュッと入れられるようになってきた。
幅寄せとかには便利だし、安心感もあるので今後も絶対欲しい機能ではある。
現状結局bluetoothで繋いでおり使わなくなってしまった。
なぜか。車載ナビ付いてるのでとりあえず使っており、NaviConっていうナビ連携アプリを使いたいためだ。
NaviConは有線かbluetoothで繋ぐ必要があり、Carplayはwifiでつなぐので共存できない。
今はmagsafe充電使ってるのでケーブルを差すのはつらい。
余談だが車にはType-Aのポートがいくつかあるが、どれも充電がクソ遅い。
magsafeはシガーソケットからType-Cのカーチャージャー使って12Vで給電させ、7.5wで動いていてわりと快適に過ごせている。
そもそも車載ナビ使わなければいい気もするが、あれでもHUDに矢印出たり嬉しい点はある。
個人的にNaviConのシンプルさが気に入っているのもあるんだよな。あらかじめ経由地を決めてルートを作っておいて送れるのが良い。
Googleマップのナビもいいんだろうが、経由地ありのルート入力とか一瞬でやるの面倒な気がする。他はもっとめんどそう。
じゃあ地図もまだ新しいし、更新ライセンスもあるし、当面車載ナビでいっかなーと。
だが、スズキのナビの更新はすげー面倒で地図も年一回しか更新しない。うーん……。
自分ではあまり使ってないので実感はないが、妻が使っているのを見るに広い気がする。
この前旅行に行ったが、そこそこ大きい荷物を足元に置いて不自由ない。
授乳やおむつ替えもできたし。子どもが小さいうちはかなり有用かも。
うちのベイビーの顔に日差しがかかっているらしく笑ってしまった。
1歳までの後ろ向きのチャイルドシートなので影響あるが、普通に使う分にはまぁいいのでは。
とはいえ後席サンシェード付いてる車も条件として考えていたので、思わぬ盲点があったものだなと。
YoutubeにDIY動画もあるし、自力でやってみたら意外といけた。
という事で、計 999,972 点で最高の買い物となりました。
やったぜ!
点数は主観的な気分です。
早速次に何を乗ろうか考えている。
メーターも最初薄くて違和感があったが、乗ってみるとしっくりくる。
ステアリングや電動シフトなんかも印象良く、実にしっくりくる車と感じてしまったのだ。
後になって知ったのだが、ロードノイズの大きさに合わせてエンジンを制御してるんだってね。
エンジンは発電に使ってモーターで動くって、微妙な先入観があったし実際燃費は悪いんだろうが
でも実際に乗ってしまうと、シリーズハイブリッドいいじゃんってなっちゃったなー。
しかもそのノートの上位版のオーラがあるんだって!? 次はこれっきゃねぇ!
1. 最低地上高が低い
オーラでも130mm、ノートだと更に低く120mm。大丈夫なのか?
まぁソリオも140mmで一切困ってないし、あぜ道みたいなところに突っ込む気もないので多分大丈夫なのでしょう。
大丈夫なんだろうか……。
なんで!?
ミラー型ドラレコにしたのも、横浜で日産車見て良さげだったからなのに。
最近のトヨタ車は普通にオプションでドラレコ連動ミラー付けられるのに!?
なまじ採用が早かっただけに、古い製品を使い続けないとダメになってしまってるんだろうか。
純正前後ドラレコ付けても前後別にカメラをつけることになる。そしてこのドラレコは評判が悪い。
じゃあまた自前でドラレコ付ける事になるが……。
助手席前のワイパー範囲が結構狭く、フロントのカメラボックスの際を通っていくらしい。
うーんまぁ運転席側のミラーの裏あたりに付けれれば別にそれでいいんだけど
ここ最近の状況の変化でどう転ぶか。格付け落とされて資金確保大変なんじゃないかって話もあるが。
ノート系も直近で50万くらい値上げしてたし、買おうと思ったときには400万円台みたいな事になってないだろうか。
micro2とかいう低背とミニ平型の中間みたいなやつらしい。
なので一般に出回っている製品があんまりなく、調達が若干面倒そう。
グローブボックスを外すのにT20トルクスネジを外す必要があり、このドライバーもいる。
3A出力で15Wでるから十分そうだが、スマホやアクセサリがそれで受けれるだろうか。
結局シガーソケットから取ることになると思われる。せっかくなのでヒューズボックスから取ろうかな。
メーカーに言いたいのは、いまいちなUSBポート付けるくらいならいっそなくてよいという事です。
あの電動シフトの下にスペースがある形、使いやすいんだろうか。慣れるかな。
あとソリオもそうなんだが、ドリンクホルダーは中央にあったほうが使いやすいと思う。ウォークスルーだと仕方ないが。
上質をまとったコンパクト、とは言うが、つまりどういう事なんだろうか。
外装内装は特に気にしてないんだよな。好きでも嫌いでもないというか。
フロントのツイード装飾とかは邪魔くさいとすら思ってる。magsafe充電台どこに付けようか。
BOSEのスピーカーも、正直そこまで上等な音楽聞いてないし。あったら嬉しいだろうがあんまり重要じゃない。
個人的に求めてるのは静粛性や乗り心地。
モータージャーナリストやYoutubeでのレビューに影響を受けている。
E13ノートでもわりと良かったのにさらに静かなんて! 最高!
と思っていたんだが、はたしてどうだろう。本当にそんな変わるだろうか?
だいたい、オーラの公式HPでその辺あんまり触れてないんだよね。
なんだったら新型シエンタにも高遮音ガラス入ってるし、そっちの方が前面にアピールしてる。
オーラは上質な走りとは言うが、サスはノートと共通でリアはトーションビームなんだよな。
実は、内外装を豪華にした映え重視のノートなのではないか。そのコンセプトには合わない。
上質な走り……車格とは……うーん……。
わかりました。それはクラウンです。いつかはクラウン。クラウンに乗れば全部解決だッ!!!
中古の安い220系クラウンならギリッギリ手が届きそうな気がしなくもない!
ソリオから乗り換える時の先代クラウンってもう何年物になってるかわからんが気にしない!
行ける! ウオーッ!!!
実は現行型のハリアーはカーシェアでソリオと同じくらい乗ってたのだ。
3泊4日の旅行で走行距離700km弱。高速に峠に色々駆け回った。
ちなみに費用は距離料金込みで4.4万ほど!やはりカーシェアは安い。
現行型のハリアーはすごい良かったんですよ。
特にステアリングの感覚が良かった。軽くていい感じに動かせる。本皮巻の手触りや馴染みも良かった。
エンジンもうるさくなく、安定感もあり、高速でもすごいリラックスして運転できた気がする。
今見たらSグレードだと遮音ガラス入ってなかったのか……いや、十分静かだった気がする。
あと峠道をマニュアルモードで走りまくったのが楽しかったんだよな。
CVTなのに多段変速っておかしいだろと思うだろうが、これがなかなか面白い。
高回転のエンジン音を聞きながら、正直ガソリン車結構楽しいなと思ってしまった。
e-POWERにはそれがなく残念だが、回生ブレーキとモーターのトルクでどう走れるかやってみたいという気も……。
まぁそんな感じだが、個人的に信頼と実績のある現行の80系ハリアーでどうか。
せっかくなので4WD。ノートの電動4WDほどではないが、ハリアーのE-Fourも結構出力あるリアモーターを積んでる。
SUVの割高感はあるが、5年落ちの車が出てくるあたりでどうなる。なんとか手が届いてくれ……!
待てよ、ハリアー行けるなら新型エクストレイルも行けるんじゃないのか?
うーんエクストレイルはさすがに手が届かなさそうなんだよな。
無限ループに入ったのでここらへんで冷静になって考えたい。
e-POWERが良かったって出発点から、いつのまにかまたハリアーに乗りたいって話になってるのか。
ソリオ、実用車としては素晴らしいと思うのだが、乗ってて所有欲が満たされることはない。
まぁハリアー乗ってたらそれはそれで、はぁ〜BMW乗りたいとか言ってると思うけど。
全くしょうもないと思われるだろうが、物欲の塊なので仕方なくうまく付き合っていくしかない。
それは置いておいても、やっぱり長距離でもっと楽な車が良いという気持ちはある。
e-POWER 良かった気がするんだが記憶が薄れてきたので、横浜まで試乗しに行きたい気持ち。
そんなわけで、子どもが多少スライドドアなしでも行けるようになりそうな
5年後、いや7年後……
7年後に300万くらいの中古車を買うとして
月に直すと4万弱の積立を……
そんな かねは ない
ママ(要するに店長)と普通に話したことがある程度には顔馴染みで、ママから新しい子が入ったからどうよと営業メール来たんで行ってみた。
40ちょい過ぎくらいの中華な人でややぽちゃのだらしない体形だったが、マッサージもフェラも上手かったのでチャイエス嬢としては良の部類である。
すごいどうでもいいが最近若くて美人な子相手だとなんか微妙に勃ちが悪いのにどうしてチャイエス嬢だとビミョーな見た目でも勃つのだろうか。
自分がオッサンになって若い子だと精神的に気後れするのか、それとも単に同年代くらいの人に性欲を感じるのだろうか、日本でこんな出稼ぎしてる境遇に何か優越感を感じるのか。
などと考えつつ色々あって最終的にバックでいたしていたところ明らかに反応違うポイントがあって、嬢が角度変えて腰を逃がそうとしたので、がっちりホールドしてそこをガン突きしていたら嬢がまあガックガクになったのよね。
結局トータルで20分くらい入れてたと思うんだけど、それで良い感じに射精した事後処理をしてくれていた嬢が、満面の笑みとともに親指をグッと立てて
と言ってきたわけ。こちとら英語力皆無やぞ。しかしせっかく褒めてくれているようなので聞いてみよう。
「わっと?」
中学生以下である。嬢はやはり満面の笑みで俺の愚息を指さしつつ、
お互い拙い英語力で会話してみたところ、要するに日本に来てここ数か月でお相手した男の中で一番太くて長持ちで大変良いセックスであったとのこと。
その後ママが顔出して、ちょうど飯作ったからどうよとお誘い受けたのでありがたく食いつつ、そんなことあったのよねと雑談していたら、
「絶対にナンバーワンかって言われるとわからないけど、あなたのアレは実際にトップクラスだったしセックスの触り方も優しいから、嘘ではないと思う」
まあ接客トークの一環ではあるが、正直悪い気はしないものである。一応プロの嬢にも素人の子にも割とお褒めいただくことが多いので、自分ではわからんがそれなりに良いセックスを提供できるらしい。
チャイエスにはチャイエスのこういう良さがあるよなあと飯を食いつつ考えた土曜日でした。
ちなみに同じママの店で、入れてから3分経過したら痛いからもう抜け、あとは手でやると言ってきたタイの子にも遭遇したこともある。チャイエスは博打である。
豚肉ってどうやってもまあまあうまいけど、牛に比べて一歩及ばない感が自分の中であった。トンカツは直球でうまいけど、調理の妙というよりはいい肉はうまいだけ感がある。
この前、冷蔵庫に豚ロースのかたまり肉があったのでちょい大きめのサイコロに切って塩コショウで揉んでオリーブオイルでしっかりめに炒めてから30分ほど煮込んだ。
その他の具は大きく切ったじゃがいも、にんじん、玉ねぎ、ほうれん草。ホウレン草以外はやはり表面をよく炒めてから煮込んだ。
味付けは牛乳を適当にぶち込んで、それと塩コショウだけ。ジャガイモが軽く煮崩れてとろみがつくので小麦粉とかはいらない。油っ気はすでに十分なのでバターも足さない。
シンプルな、シチューのような何かができた。これがすげえうまかった。
で、きのうは牛スジ肉で同じようなシンプルシチューを作った。違いはホウレン草→舞茸になったのと煮込み時間が2時間。
牛スジシチューならふだんは牛乳とか入れずに塩コショウのみなのだが、対照の意味で条件揃えてみた。
旨味に厚みがある。コンソメ少々でドーピングとかする必要はまったくなかった。
豚肉のストロングポイントってそこ(煮込まれて出てくる旨味)なんじゃないか? と思った。
スジといえば牛ばかりのイメージだったが、豚スジというのもあるそうな。
こんど豚スジシチュー作ってみよう。
辺りは既に暗くなった仕事の帰り道、道端からピポポポポといった音が聞こえたので何事かと目を向けた。
ちょうど電柱の隣。そこにはダンボールがあり、まだ幼いであろう小さなゼットンがつぶらな瞳をこちらに向けて鳴いていた。
そのとき俺は小学生のときのことを思い出し、捨てゼットンを拾って家に持って帰ったものの親に見つかり泣く泣く元の場所へと戻しに行った記憶が脳裏に浮かんでいた。
最近では捨てゼットンが社会問題となり、野生のゼットンが増えているといったこともニュースで見たことがある。
人間は身勝手だ。最初は可愛くて飼っていても、成長して世話が面倒になるとすぐに放り出す。
だからといって人間は悪だといいきれるほど俺は立派な人間ではないし、人の役に立つことをしてきたと胸を張っていえるほどの根拠も自信もない。
下請け会社に安月給で勤め、今日だってスーパーで半額弁当とストロングを買っての帰り道だった。
俺は捨てゼットンに歩み寄った。ダンボールは雨に濡れたのか萎れていて、捨てゼットンはまだ小さく体長は30センチほどに見えた。
俺のことを見上げ、ピポポ…? と鳴く。
頭を撫でてやると気持ちよさそうに目元を細める。
ごめんな、いい人に拾われろよ。
後ろは見ないと決めて。見たら駄目だ。一度決心したことを改めてはいけない。
弱みを見せれば、そこに付け入る悪意の塊というものは確実に存在する。
片田舎の農村で牧歌的に育った俺は、就職と共に都会へと出て、それを嫌になるほど実感した。
俺は振り返らない。
目を下ろすと、俺の脚にさっきの捨てゼットンが抱きついていた。
目が合う。捨てゼットンはさびしそうな目を俺に向け、ピポポポ…と悲しそうに鳴いた。
俺は足を止めた。ぽつ、ぽつと雨が振り出すのが分かった。予報どおりだった。
だから足早に帰ろうとしていたのだけど、それでも動けずに居た。
雨はすぐに本降りとなって、俺と捨てゼットンを激しく濡らした。
それでもゼットンは俺の脚から離れず、顔を上げてずっと俺のことを見つめ続けていた。
そんな目で見るなよ、なあ、頼むよ。
心の中でそんなことを思いながらも、脚を払って捨てゼットンを放り出すようなことはできなかった。
しばらく雨に濡れ続けた。あーあ、スーツびしょびしょだよ。明日どうしよう。
そんなことを頭の片隅で思いながらも、頭のもう片方で俺は過去の自分を、小学生のときの自分を見ていた。
飼えないと分かって捨てゼットンを元のダンボールのところに戻しに行った、あの日のことを。
捨てゼットンは俺に抱きかかえながらキョトンとしていて、それでも抱き抱えられていることを嬉しそうにしていたっけな。
ああ、そうだ。あの日もこんな雨だった。小学生の俺は捨てゼットンをダンボールに戻すと、そのあと一度も振り返らず走って帰った。
頬を伝わる涙は、雨が隠してくれていた。
気付けば俺は捨てゼットンを抱き上げていた。
仕方ない、か。
俺はそのまま、雨に打たれながらアパートへ向けて再び歩みだした。
まあ、なんとかなるだろう。
既にびちょびちょになった革靴で歩きながら、そんなことを考えていた。
あのさー
私も見習わなくちゃーって思ったことがあって、
昨日先日コンビニに朝行った際、
レジ列並んでて前のお姉さんが
氷結500ミリリットル缶に揚げ物のハッツスナック一緒に買ってたの。
朝一によ、
まあこの際ストロングとかどっちでもどうでもいいんだけど。
ちなみに、
私はストロングを飲んだらもの凄く頭が痛くなるのであれなんでなのだから飲まないのー!
その朝一から
氷結500ミリリットル缶に揚げ物のハッツスナックをキメているそのロックさたるや!
私も見習わなくちゃー!って
でも私もお休みの時のお昼は事務所に居つつもお昼ランチでいつもと違って日頃行けない町中華へ
台湾のどちらかと言うと
そこでルービーにビャンビャン麺定食など炭水化物アンド炭水化物、
それを昼一番からご機嫌さんにキメるんだけど、
さすがに朝一は見習わなくちゃって。
でも朝一から仕上がっちゃったら、
それで1日終わっちゃうまだ半日以上あるのにもうそこで寝てしまっては試合終了というか、
1日がもったいないというか。
全うに清く正しく生きているの。
早くからルービーキメちゃうと1日半分眠たくなっちゃって寝ちゃうのよ!ってだけの話し。
そんでね、
その昨年の流行語大賞で言うところの
いつものビャンビャン麺定食や調子良かったらから揚げ定食をもキメるんだけど
他の人たちはランチと一緒に普通にルービーとかキメてないサラリーマンとかも多いので、
逆に私もロックに見られて見習わなければならない対象とされているのかもしれない!
そう思うと案外それロックなのかも知れないわ。
アラビアンナイトか千夜一夜か的なお話に出てくる伝説の鳥!羽ばたいたら戻らないと言ってー!のロック鳥のロックでもないし、
18世紀のブルボン朝後期におけるフランスの文化芸術の表現形式のロック調のことでもないし、
アメリカ西海岸を中心に流行したヒッピームーブメントを背景に登場し開放的な雰囲気を特徴とするウェストコーストロックのことでもないの。
かと言って
布の端がほつれないようするかがり縫いや伸縮性のあるニット素材の縫い合わせが得意な普通のミシンと種類が違うロックミシンのことでもないし、
まあその朝あったレジ前のお姉さんは
想像だけど夜の夜勤明けとか朝方までやってるお仕事の人かも知れないし、
さすがに出勤前に氷結500ミリリットル缶をキメているのではないだろうけど、
ほんとロックだわー!
でもさ
スタッズみや鋲みのある斜めに切った断面がトゲトゲに見えるロックそのものな「ちくわぶ」ぐらいかしら?
そうなると私の地域性の特性でおでんの具にはロック的なちくわぶに馴染みがなく
いやもとい
断面がトゲトゲになっているちくわぶはその調理法すら分からない
それでいいってことなのかしら?
ちくわぶをうどんとして扱うほどロックなことは無いかも知れないわ。
私のこの今絶賛育て中のおでんの鍋のベーナーのルーシーの美味しい出汁の出た中にはちくわぶは一度も入ったことがなかったし、
それが正直なところよ。
そのまま囓るのがロックなのかも知れないし、
街で歩きながら片手で持ち食べ歩くニューヨークスタイルのロックでもあるわね。
かと言って
今さら得意ではない、
得意ではないと言うより馴染みが無いから食べ方が分からないちくわぶ。
あれを食べてこそがロックなのかも知れないわ。
きっと氷結500ミリリットル缶をキメながらアテにちくわぶをダイレクトに囓るのが一番ロックかも知れない!
ロックって何だろう?って
氷結500ミリリットル缶に揚げ物のハッツスナックを買ったお姉さんは自転車に乗ってその自転車でウィリー走行をキメながら颯爽に走り去って行ったわ。
人に足りないのはきっと実はウィリーなのよ。
お姉さんの姿が遠く見えなくなるまでそう思ったわ。
足りないのはウィリー!
きっとそうよ!
うふふ。
ヒーコーのみにしました。
今日の朝の今朝の一杯よ。
起きて寒く今朝なんか超絶寒くない?
もーキッチンとか寒くて
お湯が少ないと固い葛湯になるので、
適量より多めの若干しゃばしゃば目の調整具合よ。
その方がさらりと飲めるのよね。
まあ温まるわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
90kgから頑張って20kg痩せて70kgになったらいろいろ良くなった
揚げ物、ラーメン(二郎)、ファーストフード(マック)、スナック菓子、ジュース大好きマンの末路(酒は下戸なので全く飲まなかった)
転勤したら仕事が忙しくなった
1.保険に入ろうとしたら健康診断の数字が悪すぎたせいで(脂肪肝で要治療)落とされショックを受けた
2.風呂上がりのだらしない腹を見て自己嫌悪が過去最高になった
3.久しぶりにあった知り合いに太りすぎて気づいてもらえなかった(前にあったときは65kgぐらい)
08月1日 81.5kg
項目(基準値) | 2020年 | 2021年 | 2022年 |
---|---|---|---|
【体重】 | 81.2kg | 84.8kg | 72.3kg |
【血圧】(基準値100~139/~89) | 123/82 | 119/67 | 115/67 |
【肝機能】AST[GOT](0~42U/I) | 52 | 62 | 17 |
【肝機能】ALT[GPT](0~40U/I) | 113 | 151 | 17 |
【肝機能】γ-GTP(0~70U/I) | 77 | 101 | 19 |
【脂肪】中性脂肪(45~149mg/dl) | 131 | 163 | 60 |
【脂肪】HDLコレステロール(40~79mg/dl) | 44 | 45 | 38 |
【脂肪】LDLコレステロール(70~129mg/dl) | 142 | 156 | 107 |
・エアロバイク【FITBOX】を購入。テレビでアニメとNHKニュースを見る時に1日30分は漕ぐように努めた。スペック上は連続90分まで漕げるそうだがおしりが痛くなるので60分が限界だった
・スクワットを1日30回必ずするようにした。
・朝はコーヒーだけ昼は普通の分量を食べる。夜は糖質を抜いておかずだけ
・お菓子と間食をやめる
・ジュースが大好きなのはやめられず(ほぼ)ゼロカロリー飲料に切り替え人工甘味料はあまり気にならなかった
・間食の代わりにひたすら海苔をそのまま食べた
・ただし土日は1日一食だけにして好きなものを食べるようにした(二郎マック唐揚げが多かった)
・体がめっちゃ軽く寝付きが良くなった
・自己肯定感がついた
・最初の2週間が一番きつかったが過ぎたら慣れた
・起床後就寝前に体重を測り記録する習慣のおかげでモチベーションが保てた
・イオンのカロリーライトシリーズ(サイダー・ジンジャエール・コーラ)
・ミツカン黒酢 カロリーゼロシリーズ(ブルーベリー・ヨーグルト・りんご)
ゼロカルピスが個人的には革命的に美味しかった。今回の成功のMVPは間違いなくこれ
ダイエットって体に良い悪いやり方いろいろ言われてるけど
具体的には「新聞記事上で当然のように多用される独特のターム」の解説が充実しているものを探している。
国同士がする約束事だというのは記事を読んでなんとなくわかるのだが、「法的拘束力があるのかどうか(あるとしたら根拠となる法律や制度が何なのか)」とか「合意を無視した国はどうなるのか」とか、そういったことまでは記事上で言及されていないので全く腹落ちしない。
参加資格を現職議員に制限した結社?で政策推進や業界連帯を目的とする、とかはググれば出てくるが、志があるといえどこの任意参加のサークルのようなものが、具体的にどのようにして利権に食い込むことができるのかまでは調べてもわからないし、やはり新聞記事上で解説されていない。
他にも、『清和会』というものはなぜ自民党という政治結社のなかでわざわざ存在しているのか(サークルのなかにサークルがあるような違和感がある)、どのような制度を根拠に、どのような手続きで発足・存続することができ、何の後ろ盾のもと自民党の外でも動けているのか、とか。
二階が「俺は『二階派』という集まりを〇月〇日に結成する!メンバー来たれ」みたいにあるとき募集を開始してできたものなのか、『永田町ストロングファイターズ』みたいに自由に派閥名をつけてはいけないのか、議員一年生のときの杉村太蔵が早々に『杉村派』を結成してもよかったのかどうか、そもそも派閥に団体規約とか細かい手続事項みたいなものがあるのかどうかとか。
とにかく、新聞記事1つ読んでみるだけで、謎のタームが続出しており、しかも別の記事・別の日にも幾度となく登場するので、全くニュースを理解できた気がしない。
自分自身、大学受験のときに政治経済を勉強し、社会学部に進み一応丸山眞男やウェーバーなどの洗礼を一通り受けてきたつもりなのだが、そうした経験をしても上述の疑問を解消する手助けには遂にならなかった。
生まれつきアトピーで、高校生まではちゃんと通院治療していたが、大学に入って一人暮らしを始めて病院から足が遠のき、ついでになんとなく寛解してしまったので20年ほど皮膚科に通院していなかった。
先週謎の蕁麻疹が出て20年ぶりくらいに皮膚科に行って、抗ヒスタミン剤の内服とステロイド(ベリーストロング)の外用を処方されて一週間
「あんまり良くなってないですね。掻き壊しちゃってるから、デュピクセントしませんか? 今申し込んで来週打てますよ」
と2回目の診察で皮膚科医に言われたのだが、そんなカジュアルに打っちゃっていいものなのだろうか。
新薬だから昔は条件が厳しかったけど、最近はもうちょっとアトピーなら打っちゃっていいの???
美容皮膚科併設だと余計怪しく見える……大丈夫なのかこの皮膚科医……蕁麻疹は原因不明で言及がない……血液検査で20年前とアレルギー項目に変化がないことは確認済みだが……
いわゆる「ストロングマン(怪力男)」として列車を引っ張るなどのショーを行い、またプロレスラーとしても活動を始める。
1961年に初来日し、日本プロレスが開催する第3回ワールドリーグ戦に参加、力道山などとも試合を行ったが、単なるイロモノであり実力は無かった。
しかし試合前には子供たちで満員の大型バス4台を引っ張るなどのデモンストレーションを行い、毛むくじゃらの顔、太い鎖、獣のような奇声などといった風貌と合わせて大人気となった。
その人気で増長したのか、ギャラのアップを訴えたり、「俺のおかげで力道山は儲けている」と言いふらしたりするなど、業界の掟を破るような行いが目立ったので、カール・ゴッチらに制裁されてしまった。
1977年に再来日、全盛期のアントニオ猪木と「アントニオ対決」で試合をするが、そこで猪木はブチ切れてプロレスを忘れ、アントニオを一方的に叩きのめしてしまった。
一説によると、アントニオの傍若無人な態度もさりながら、彼は非常に体臭がキツかったので、潔癖症の猪木が激怒したのだ、などとも言う。
二度目の来日も失敗し、そこでアントニオはプロレスラーを廃業した。
金も学もなかったアントニオは、晩年にはカナダのモントリオールでホームレスとなったが、その奇矯な言動が愛されて地元では人気者だったらしい。
2003年に77歳で亡くなった。