はてなキーワード: 幼なじみとは
秋と言えばスポーツの秋、睡眠の秋、読書の秋、そして食欲の秋。関東を離れはるばると馳せ参りますは福井県白町大学。本日9月2日は大原みちるトークショーin白麦祭の開催日でございますですよ奥様。開場の14時までかなり時間があったので構内を適当にうろついて時間潰し。焼きそばがうまい。
開場、まもなく満席。司会のたどたどしい挨拶とともに今をときめくスーパーキュートアイドル大原みちるが登場する。同時に割れんばかりの拍手。これにはパンドルもご満悦の様子であった。最初のコーナーはこれまでの経歴のおさらいだったが今更特筆すべきことは無いのでお辞儀がかわいかったとだけ記す。
続いて質問のコーナー。あらかじめ募集されていた質問からいくつかピックアップされたものを答える形式。うろ覚えなので箇条書き
・やってみたいゲーム→バーガーバーガー(PSがレトロゲー扱いされてたのが地味にショックだった)
・朝起きて最初にすること→スケジュールの確認(会場がどよめいたので不満ありげな表情に。かわいい)
つぎ。福井県の名物(らしい)軍隊堅パンを即興で食レポ。なんか色々言ってたけど幸せそうな表情を脳に焼き付けるのに忙しかったので内容はほぼ忘れた。コーヒーに浸して食べるのがオススメらしい。帰りに買った。
朗読のコーナー。執事役とか幼なじみ役とかやってた。近所のお姉さんキャラの殺傷能力が高かった。合い言葉は「今日は学校サボって、お姉さんと遊ぼっか!」。この辺から本格的に記憶が無い。どんどん雑になる。
覚えてないけどミニライブをやったらしい。言われてみれば腕が痛い。多分新曲。
そんなこんなでプレゼント企画のち終演。終わってみれば濃く短い60分だった。司会は100点満点とは言えないが、進行の妨げになるほど挙動不審ではなかったし、頑張っていたと思う。今回のイベントで味を占めて来年も招待してくれたらいいななんて。そのときは大学ごと首都圏に来てください。福井は遠すぎるので。どうか。
その前に行われるクラスの席替えは、とても重要なイベントだった。
席替えして近くになった人同士で班を作り、林間学校の最中は常にその班で行動することになるからだ。仲の良い友達や日頃気になっている子と一緒になれるかどうか、それが林間学校の楽しみを大きく左右していた。
席替えはくじを引いて決める。完全に運まかせだった。
みんな教室の前の箱に入ったくじを引いて自分の席に戻り、一喜一憂している。また同じ班だね と喜び合っている女子もいれば、離れ離れになってもずっと友達だぜ と大げさに別れを悲しんでいる男子もいた。
僕が引いたくじは良くも悪くもなかった。とりたてて仲の良い友達はいないけど、特に苦手な人もいない班。
「○○の席はどこだった?」
僕の後ろに座っていたコウキが訊ねてきた。僕は班の番号が書かれた紙を見せた。
「お前、4班かよ。良いなあ」
コウキは羨ましがった。どうしてだろう。
ふと教室を見回してみた。コウキの家の近くに住んでいる、彼の幼なじみのハルカが、「4班になったんだ」と友達と話している。
ははん。コウキはハルカと一緒の班になりたいんだな。普段はにぶい僕でも察することができた。
「お前こそ何班になったんだよ」
僕はコウキに訊ねた。彼の紙には「2班」と書かれていた。
ん、2班だと。僕はもう一度教室を見回す。
斜め前に座っていたサツキは、友達に2班になったと言っていた。サツキは一昨年に学区内に引っ越してきた転校生だった。今年になって初めて同じクラスになったものの、ほとんど会話したことがなかった。
今ならはっきりと言える。僕は彼女のことが気になっていた。好きだった。
「全員くじを引いたな。じゃあ席を移動して班を作ろう」
先生が言った。みんな机を持ち抱えて、指定された場所へと移動する。僕の学校の席替えは机ごと移動する仕組みだった。机を動かす音が教室内に響いた。
コウキは、僕のそんな気持ちを知ってか知らずか、こんな相談を持ちかけてきた。
「お前のくじと俺のくじ、交換しないか?」
みんな公正にくじを引いて席替えをしている。そんなことしちゃダメだ。だけどサツキと一緒の班になって、林間学校に行ってみたい……。
「うん、良いよ」
とっさに僕は言った。コウキも僕も、他の人に班の番号を教えていない。しかも席を移動している最中で騒がしい教室、ごまかしがきく。僕はコウキとくじをこっそり交換した。
「ありがとな」
そう言うと、コウキは廊下側の座席、4班の方へ移動した。僕は窓側の座席、2班の方へ移動した。
僕の隣の席にはサツキが座ることになった。
席替えを終えて、先生が授業を再開した。最初は抱えていた後ろめたい気持ちも、林間学校へ行くころにはすっかり消え失せていた。
席替えから二週間後。林間学校の行き先は、市の北部の山の中だった。
オリエンテーリングでは同じ班の女子のユウキが「もう歩きたくない」と言い出したのを班の全員で宥めたり、夕食作りでは料理が上手なナツハの貢献で美味しいカレーが出来上がったり。
そんなイベントの最中でも、サツキの姿は印象に残っていた。地域のスポーツクラブに入っていてしていて健康的に日焼けした素肌。お団子にしてまとめた黒髪。普段見慣れた制服とは違った、動きやすいジャージとピンク色のTシャツの私服。
でも結局、僕は同じ班のタクヤと話してばかりで、サツキとはほとんど話せていなかった。話すきっかけは何度もあったはずなのに、気恥ずかしさが先んじてしまった。
カレーを食べ終わったころには、すっかり日も暮れていた。とうとうキャンプファイヤーの時間がやって来た。
キャンプファイヤーでは、学年全員が中央の火を取り囲んで手をつないで歌う。同じ班の人は隣り合わせになる。僕はサツキと手をつなぐことになった。
僕はサツキの方に手を伸ばした。でも、サツキは僕の手をすぐに握ろうとしなかった。音楽がなり始めた。やっと手を握ることができた。
僕の手は緊張と焦りから、じんわりと湿っていた。彼女の手は乾いていた。
サツキは僕に対して悪態をついたり、露骨に嫌がった訳ではない。ただ、キャンプファイヤーで手をつなぐのが遅れただけ。そう自分に言い聞かせても、僕は薄々気づいていた。
彼女が僕を好きになることはないんだろう、と。
林間学校のキャンプファイヤーまでは、彼女のことを想うと胸が高鳴った。席替えをしてからの二週間は、学校へ行くのがちょっぴり楽しかった。
これまでほとんど接点のなかった転校生への恋心は、林間学校を境に少しずつしぼんでいった。
最近、小学生のころの親友と久しぶりに再開した。僕は小学校を卒業すると同時に引っ越していて、仲の良かった友達以外の同級生のその後についてはほとんど何も知らなかった。
誰々は今どこで何をしてる、アイツは悪さをして捕まった……。その会話の中で、結婚した同級生の話が出てきた。サツキもその一人だった。高校を卒業して間もなく結婚して、子供もいるらしい。
しばらく昔話に花を咲かせて、親友と別れた。サツキのフルネームを検索してみると、SNSのプロフィールが出てきた。
先に言っておくと、男女の対立を煽っている訳でもないし、ポリ是スティックをぶんぶんするつもりもないです。
そんな訳で、幼少時に性的被害者になった僕の個人的な話をしたいと思う。
小学校の時、近所の幼なじみのお姉ちゃん(当時高校生)によく面倒を見てもらっていた。
留守にしがちな両親の代わりに、彼女の家で飯を食べさせて貰ったりしていた。
ある日の土曜、学校を半ドンであがった後、彼女の家でお昼ごはんを食べていた。
高校生なので若干、僕より遅く帰ってきた彼女は「ご飯食べたら宿題を見てあげる」と言った。
雑談をしながら宿題をしている内、彼女は「ちょっとチンチン見せて」と言ってきた。
僕は「やだよ!」と言ったが、「いいから!」と声を荒げる彼女が怖く、ベッドでズボンを脱がされた。
恥ずかしいやら怖いやらで、何をされたか覚えていない。
家に帰っても恥ずかしいやら怖いやらで、両親にも何も言えない。
その日から、ちょこちょこ彼女に呼び出され、おもちゃにされた。
しばらくしてから、彼女と彼女の友人で僕をおもちゃにし始めた。
この頃にはもう「恐怖」しかなかったし、彼女の顔を見ると情けないけど足が震えた。
限界を迎えた僕は、両親にこの事を打ち明けた。
帰ってきた言葉は
「興味が湧く年頃なのはわかるが、そういう事はしてはいけない。」
だった。
そして最後に言われたのが「まさか〇〇ちゃんを襲ったりしてないだろうな?」だった。
両親の中に、「男が性被害者になる」と言う考えは一切なかった。
最終的に、彼女の家で下半身丸出しにされている所を彼女の親に見つかり、
「幼なじみが大人しい事をいい事に、チンチンをさわらせようとした」
というレッテルを貼られた。
僕の言い分は何一つ信じてもらえなかった。
両家とも「恥ずかしいので隠したい」という思いがあったのか、うやむやになり関係が途絶えて終わった。
それなりに酷い事をされた。
そんな感じでこれを体験した身として感じた事は
まず、被害にあった事を非常に言いにくい。そりゃもう言いにくい。
「自身の男としてのプライド」も邪魔するし、「馬鹿にされるんじゃないか」的な恐怖もある。
「イタズラされて、若干とは言えオティンロンが反応してしまった自分に対する敗北感」みたいのもある。
後は当時の年齢的なものもあるけど、言葉に出来ない思いが物凄くぐるぐるした。
「男が被害者」という発想が誰からも出てこない挙句、「女性は被害者」という妄信的な発想。
そりゃ僕の言い分なんか信じないわ…。
そんでまぁある程度、時間が経過して大人になり、仲良くなった人とかにこの経験を話すと
これはほんと男女関係ない。浴びせる言葉に「彼は被害者である」と言う意識は微塵も感じない。
もちろん悪意もない。
ちなみに、被害にあった女性に対し、「自分にも隙があったのでは?」みたいなトンチンカンな事言う馬鹿はいるが、
「ご褒美じゃん」
とか言うやつは聞いた事ない(ごく一部のチンパンジーが言ってるかもしれないけど)。
(※「だから男の方が辛い」とか言う意味じゃないぞ!「男性側はこういう事を言われるぞ!」と言う意味だぞ!)
そして自分が「性被害者である」事を必要以上アピールすると、もう「面倒な男」扱い。
笑い話にする以外には許してもらえないあの雰囲気。
過去に痴漢にあった女の子の話に対し、「痴漢死ね!」とみんなが怒りを覚える中、
自分の過去の経験に対しては、「俺もイタズラされたい!」「リアルおねショタで薄い本!」とかいう反応。
後、「男なんだからいいじゃん」とか「減るもんじゃないし」とか。
男だってイヤだし、心がすり減る。
いまだって思い出すだけでイヤだし、すり減った心はそのままだよ。
そして少数かもしれないが、
そうやって傷ついて救われない男性もいるのだと言う事だけでも、
心の隅に置いておいて頂けると、いつか誰かが救われるんじゃないかなと思う。
もうすぐ95巻だし途中参加可能(とりあえずゼロの執行人に追いつける程度)になるようなざっくりした「これまで」を書いてみようと思う。
なお勿論のこと現在1013話、既刊94巻。下に書いているのは大まかも良いところなので、気になった個所は原作読んでくれ。
めっちゃ頑張って書くよ。ネタバレ嫌な人は見んなよ。漫画読んだ方が面白いから、途中でこの記事読むのやめると良いぞ。間違ってたら随時訂正しようぜ。主に黒ずくめ中心になるぜ。
(山口勝平ボイス)
オレは高校生探偵、工藤新一。幼なじみで同級生の毛利蘭と遊園地に遊びに行って、 黒ずくめの男の怪しげな取り引き現場を目撃した。
取り引きを見るのに夢中になっていたオレは、背後から近付いて来る、もう一人の仲間に気付かなかった。オレはその男に毒薬を飲まされ、目が覚めたら
工藤新一が生きていると奴らにバレたら、また命を狙われ、まわりの人間にも危害が及ぶ。
阿笠博士の助言で正体を隠すことにしたオレは、蘭に名前を聞かれて、とっさに江戸川コナンと名のり、奴らの情報をつかむために、父親が探偵をやっている蘭の家に転がり込んだ。
オレは毛利のおっちゃんを名探偵に仕立てるべく、時計型麻酔銃でおっちゃんを眠らせ、蝶ネクタイ型変声機を使って、おっちゃんの声でかわりに事件を解いている。
この二つのメカは、阿笠博士の発明品だ!博士は他にも…ターボエンジン付きスケードボードや、犯人追跡メガネ、キック力増強シューズなど次々とユニークなメカを作り出してくれた!
蘭もおっちゃんも、オレの正体には気付いていない。
「たったひとつの真実見抜く、見た目は子供、頭脳は大人、その名は名探偵コナン!」
なお新一の両親は幼児化を知っている。工藤新一を勝手にライバル視していた服部平次も、コナンの正体を見抜いてしまい、今やコナンの協力者だ。
色々あって怪盗キッドもコナンの正体を知っている。ちなみにキッドの父に新一の母・有希子は弟子入りして変装術を習ってる。
★
ある日、毛利探偵事務所に父親を探してほしいという娘からの依頼がくる。発見するも父親は殺害されていた。
父親を殺害したとみられる男を突き止めるも、こちらも殺害されていた。
実は3人は巷を騒がせている『10億円強奪事件』の犯人。コナンは娘が残った一人と目星をつけ、後を追う。
最初の男の事件はただの仲間割れ。2人目に殺害された男に殺されていた。
では2人目を殺したのは誰なのか?コナンは娘と名乗った女に真相を聞こうとするも、寸前のところで彼女は黒ずくめの男に撃たれてしまう。
彼女はコナンに本名が「宮野明美」であること。黒ずくめの組織の末端であること。10億円の取引で組織から妹と共に足抜けする予定だったこと。10億円の在り処を告げ、コナンの目の前で死亡する。
★
黒ずくめの男二人を目撃するコナン。盗聴器を仕掛け彼らがそれぞれジンとウォッカというコードネームで呼ばれていることを知る。
さらにゲーム会社での事件で不運にも偶然死んだ男がテキーラと判明。テキーラは世界の有能なプログラマーリストを購入しようとしていた。
★
コナンのクラスに転校生がやってくる。「灰原哀」と名乗る少女は実はコードネーム「シェリー」。黒の組織の幹部で、コナンが飲んだ薬「APTX4869」の開発者。「宮野明美」の妹「宮野志保」であった。
組織の人体実験が嫌になり、反発し殺されそうになったところ、死ぬ覚悟で同じ薬を飲む。
幼児化した彼女は組織から脱走することに成功した。事前に組織の名簿の「工藤新一 不明」を「死亡」と書き換えている。
新一が生きていることに勘付いていた志保は、新一を頼って阿笠博士の家に転がり込み、灰原哀としてコナンと小学校に通うことになる。
★
すったもんだで、組織にシェリーが米花町に逃げたことがバレてしまう。その際、組織の一人ビスコ死亡。
ジン「バレたから移動しただろ」コナン「移動すると思うから逆にここに居ろ」と灰原は町に留まることに。
★
灰原、解毒薬の開発へ。まだ一時的なもの。(この後、持続時間が長くなっていく)コナンが調子に乗って新一に戻って文化祭出たり蘭に告白しようとしたりする。
誰も私の処女なんて興味無いと思うけど、酔ってるし書かせてください。オタク喪女のマウント妄想劇と思ったなら無視してください。
現在20代前半、これから新社会人の女です。今まで彼氏がいたことないです。
まあ当然の如く処女だし、今まで強烈に「誰かとセックスしたい」と思うことなんて無かった。
でも、私は腐女子だった。
(人によると思うけど)腐女子はだいたい好きなカップリングのエロいイラストやマンガ、小説を読む。興奮する。普通の人はこのまま終わると思うが、私は(ぶっちゃけこんな気持ちいいもんなのか?)という気持ちと好奇心が大きかった。性欲は多分普通です。
その疑問を抱えつつも自分も創作するようになり、エロいシーンを書くこともある。…体験したことないのに(笑いどころ)
興味はあるが、彼氏がいなければ好きな人もいない、援交ができるほどの勇気も無いし、スタイルも顔も良くない。だから今までそういう機会が全く無かった。(同性の友達にコソコソ体験談聞いたりはしてた姑息なオタク)
だが、そんな私に青天の霹靂が訪れた。
(元)バイト先の男の子だ。同い年の後輩で、人とすぐ仲良くなるような、立ち回りが上手い子だった。(デリカシーが無くて脳ミソちんこなことを抜いたらけっこういい人)
バイト先は人数が少ないこともあり私とその男の子(仮にAくんとする)はすぐ打ち解けた。
Aくんが務めだして一年半くらい経ったある日、Aくんと特段仲が良いバイトの子(Aくんと同時期に入ってきた男の子)から、「Aがお前のこと 顔は無理だけど体だけならイケる って言ってたよ」と言われた。どうやらその子は私のことを心配してくれたらしく、「初体験は好きな人としたほうがいいよ」という(私が今まで彼氏いないのは周知の事実)ロマンチックなことを言い残していった。初めてその言葉を聞いた時は「なにそれウケる、Aくんマジで脳ミソちんこじゃん」とか思ってたが、よくよく考えてみると、処女を軽めに捨てられるチャンスなんじゃないかと思えてきた。
その後、一人暮らしのAくんの家でサシ飲みをした際、上記のことを訊いてみた。すると「顔はタイプじゃないってだけ、一緒にいて楽だし付き合うなら付き合いたい」みたいな曖昧なことを言われた。
変な返答にハァ〜?みたいな気持ちになりつつ酔ったので寝ていると、横で寝ていたAくんがキスをしてきた。(ハァ?)と思いつつそのまま寝たフリして様子を伺っていたら、Aくんはどんどんエスカレートして私のおっぱいをメチャクチャ揉んできた。終いには私の手首を掴んでAくんのちんこを触らせようとしてきた(生で!)ので、必死に抵抗した。だが結局ちんこに触ってしまったし、想像よりも細長くてなんか嫌だった。
数日後、その日のことをAくんに問いただすと、素直な謝罪が返ってきた。その後、「別に付き合っても付き合わなくてもいいし、セフレでもいい。○○(私)の好きなようにすればいい」と言われた。なんだそれ。
話は戻り、最近、私をよく知る幼なじみにAくんについてのあれこれを相談してみた。(因みにあの後も2回目のサシ飲み後、おっぱいをメチャクチャ揉まれた)(しかも「寝ぼけてたから覚えてない」みたいな対応された)幼なじみは「いいんじゃない?そのまま捨てれば?」みたいな軽いこと言ってた。「まあでも、好きな人とするのが1番いいけど」とロマンチックなことも言ってた。
そうして、考えに考えた結果、来年の誕生日までに「私が処女である」ことと、「彼氏がいない、または好きな人がいない」状態だった場合、Aくんで処女を捨てさせてもらうことに決めた。(当然、この時にAくんに彼女がいたらとりあえず先送りにする)
私も自分の人生半ば自暴自棄になってるのでそれでもいっか〜ってなってるし、上のことを決めたからといって無理矢理好きな人を作ろうとも思わない。
結論は最終項「みんな家族になりたい」に書いているんで、各項の見出しだけを読んでから最終項を読むのが最短ルートだ。
もちろん、全部読んでくれることにこしたことはないけれど、どこのだれが書いたかわからない約6000字の論考もどきに付き合ってくれる人はまれだろうから全部読んでくれた人にはすごく感激しちゃうよマジで。
『エロマンガ先生』にはいくつも奇妙なところがある。中高生なのに小説家・イラストレーターとして第一線で活躍しているのが奇妙だというのではない。現代日本を舞台にした中高生のラブコメなのに「学校」がラブコメ発生装置として使われず、それどころか学校がほぼ出てこないのが奇妙な点のひとつだ。
『エロマンガ先生』は「家」が舞台の中心であり、方向性でもある。これは長編のラブコメとしてはめずらしい。
1~8話、12話は和泉家、9話10話はエルフ大先生の別荘(家の延長)が舞台になる。出版社はたまに出てくる程度なのでラブコメ発生装置として機能しているとはいえない。
つまりこれは、もう学校はいらないという宣言をしているということだ。
原作は小説家が小説家について書いている小説家小説だ。しかし『エロマンガ先生』は小説家小説として奇妙だ。
通常の小説家小説には、小説家あるある、小説への熱意・展望・愚痴、小説論、作者自身の体験談らしきもの、などが書かれるものなんだけれど、『エロマンガ先生』にはいっさいそういったことが出てこず、歯の浮くような理想論しか語られない(あんなことを本気で思っている小説家はいない)。また、さまざまなライトノベルが出てくるけれど、どれも超有名どころばかりだ。ふつう、もっと自分の好みを推したり、もっとマニアックな作品をあげたりするものだけれど、そういったことをいっさいやらない。
以上の二点から『エロマンガ先生』は、本来的な意味で小説家小説をやる気がないとわかる。
では、なんのために小説家小説の枠組みを利用しているのか。それは話を二層仕立てにするためだ。
まず、疎遠気味だった正宗と沙霧をつないでくれたのは「小説内小説」だ。正宗は、沙霧のために最高の妹萌えを目指して「小説」を書き、沙霧はその「小説」のためにイラストを描くという関係になっていく。
エルフ大先生、ムラマサ先輩とも「小説内小説」によって関係が構築されている。正宗がエルフ大先生の「小説」のファンだということでふたりは仲良くなるし、ムラマサ先輩にいたっては正宗の「小説」がこの世で一番おもしろいとまで言い、かなり積極的に正宗にアプローチをかけていく。
正宗が沙霧に告白するきっかけをつくったのも「小説内小説」だし、ラノベ天下一武道会なんていう「小説内小説」どうしの闘いがあったりするし、ムラマサ先輩が敵意を向けていたのは正宗本人ではなく正宗の新作「小説」だし、エルフ大先生の別荘で合宿をすることになるのも「小説内小説」が根っこにある。
ストーリーの起伏は「小説内小説」に依るところがとても大きい。
ふつうラブコメでは、主人公とヒロインとの関係性(恋愛要素)でストーリーの起伏をつくっていくため、ときには喧嘩をしたり、すれ違いがあったりとマイナス方向に話をもっていく必要もある。
エロマンガ先生の場合は「小説内小説」がストーリーの起伏を担当してくれるから恋愛要素で起伏をつくる必要がない。その結果、超ウェルメイドで、甘々な恋愛のみを抽出することに成功している。マイナス方向の恋愛要素がなにもないのにラブコメとして成立している。これはすごい。
男女間の摩擦のない恋愛描写は批判もあるだろうけど、こんなにうまく抽出できている長編作品の例はすくなくともおれは知らない。
ふつう、ラブコメのエロシーンというのはおまけ要素だ。風でスカートがめくれて女の子のパンツが見えて「ムフ」となったり(ラッキースケベ)、露天風呂でヒロインたちが「***ちゃんの胸大きい~」と会話していたり(サービスカット)、というものだ。
『エロマンガ先生』のエロシーンは格がちがう。『エロマンガ先生』の場合はエロシーンも「本編」であり、ストーリーの進行を補助していく。
たとえば、一話を思い返してほしい。エロマンガ先生の生配信を見ていた正宗はエロマンガ先生が妹であることに気づき、配信を切らずに着替えようとしているエロマンガ先生をドアを叩いて全力で止め、ネット上に妹の裸を晒すことなく済んだというシーンがあった。これはラッキースケベの応用で、一話でもっとも重要なシーンだ。
三話の冒頭では、となりの無人の洋館からピアノの音が聴こえてきて、もしかするとオバケかもしれないと怖がる沙霧の頼みで、正宗がとなりへようすを見にいくと知り合いの少女作家が裸でピアノを弾いていたというシーンがあった。これもラッキースケベだ。エルフ大先生の名誉のためにも念を押しておくと、あれはエロシーンだ。エロと同時に話もすすむ。
このように『エロマンガ先生』のエロシーンは、ハプニングというかたちでストーリーの展開を補助する役割を果たしている。これに加えサービスカットも豊富だ。というかエロシーン・サービスカットのない回がなく、ものすごいサービス精神でもって甘々な恋愛を強化していく。
学校――人間関係の発生―→恋愛要素(人間関係、ストーリー、サービス)←―サービスを強化――エロ
【第二層】恋愛要素(サービス)←――――――――サービスを強化―――┐
↑ │
サービスを強化 │
│ │
【第一層】小説内小説(人間関係、ストーリー)←―ストーリーを補助――エロ
あと、これはおまけ程度の話なんだけれど、この作品、学校のシーンはほぼないのにヒロインがわざわざ制服を着て、主人公に見せにくるという奇妙なシーンがある。それも二回も。
普段は見られない、エルフ大先生とムラマサ先輩の制服姿が拝めるのはいい。けれど、ふつうだったら学校帰りという設定にでもしておけばいいのに、ヒロインふたり共に「男って制服が好きなんでしょう?だから、あなたのために着てきてあげたんだよ」というふうなことを言わせる。
とても奇妙なシーンだけれど、つまりこれは、もう学校はいらないと宣言したけれど、学校生活の面倒くさいところを取り除いた女子の象徴としての「制服萌え」は残っている、ということだ。
でも、もうちょっとだけ、おれの話はつづくんだ……。
智恵という幼なじみのキャラがいる。この幼なじみ、ほとんど活躍しない。「お嫁さんになってもいいよ」みたいなことを言うけれど、目立った活躍はそれくらいで、あとは正宗とラノベ談義に花を咲かせているだけだ。
また、エルフ大先生にお隣さんの感じがないことも気になる。お隣さんの感じがない理由はさまざまだ。初登場時にお隣さんではないこと、お隣さんらしい活躍を見せるのが三話から五話前半までの短い期間だけだということ、お隣さんのテンプレートをこなしていないこと(たとえば、朝起こしにくるとか、両親公認の仲になっているとか、いっしょに登校するとか)などが挙げられる。
幼なじみもお隣さんもさほど有効につかわれない。つまり、「となり近所」という公的領域も重要ではないということだ。
「学校」「となり近所」といった公的領域は重要ではない。では、『エロマンガ先生』のキャラたちは、なにを支えに生きているのだろうか。みんな我が強いし、仕事で成功しているから、自分ひとりの力で自立しているように見える。けれどそうではない。ましてや恋愛至上主義者の集まりでもない。
第八話「夢見る紗霧と夏花火」の終盤、こういうやりとりがある。
沙霧「ふつう……」
正宗「この家にみんなが集まってくれてさ、みんなで同じもの食べていろんなこと話して、おれはすげえ楽しかった。その分みんなが帰ったらシンとしちまったな」
沙霧「兄さん、寂しかったの? あのときの電話、なんだかおかしかったから……」
正宗「そうかもしれない。おれはね、ひとりでいるのが怖いんだ。おれの実の母親な、おれがひとりで留守番してるときに事故にあって帰ってこなかった。だから新しい家族ができて嬉しかった。情けないよな」
(花火の上がる音)
沙霧「やっとわかった。兄さんは家族がほしいんだ」
沙霧「私は兄さんを家族だなんて思ってなかったし、兄さんの妹になんてなりたくない。でも、しょうがないから、ちょっとだけ妹のふりをしてあげる」
おれが『エロマンガ先生』のなかでいちばん好きなシーンだ。でも、いい話だというだけではなく、とても重要なことを言っている。
複雑な家庭事情の結果、一軒家にふたりきりになってしまった正宗と沙霧が、どうやって家族になるか。それは第四話「エロマンガ先生」の終盤で提示されている。
正宗「なあ紗霧、おれにも夢ができたぞ。おれはこの原稿を本にする。たくさんの人たちをおもしろがらせて、バンバン人気が出て、楽勝で自立できるくらいお金も稼いで、そんでもってアニメ化だ!」
沙霧「それが兄さんの夢?」
正宗「ちがうちがう、こんなのは前準備だ。うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ、おまえを部屋から連れ出して、ふたりでアニメを見るんだ。おれが原作で、おまえがイラストを描いた、おれたちのアニメだ」
正宗が熱心に語る「うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ[……]ふたりでアニメを見るんだ。」というのは幸せな家庭のイメージそのものだ。そして、「おまえ(沙霧)を部屋から連れ出して」というのは、沙霧の閉じこもり克服=ふたりが家族になるための第一歩目という具体的なイメージを正宗はもっていることを示している。
正宗と沙霧だけではなく、エルフ大先生やムラマサ先輩も家族の夢をもっている。
エルフ大先生は第九話で「結婚」を強調した愛の告白をする。両親がプロポーズをした場所で、両親の幸せな結婚生活のイメージを、自分と正宗が築くてあろう幸せな結婚生活のイメージに重ね合わせる。ただ、父親とは幼いころに死別しているため、その幸せのイメージは淡い。
ムラマサ先輩も七話で、正宗に「わたし専属の小説家になれ」「印税のすべてをあげてもいい」と言い、後に愛の告白もする。セリフからは「ヒモ」のようなイメージが浮かんでくるけれど、見方を変えれば、世帯主の女が男を養うという家族といえる。
ただし、正宗と沙霧が共有している「仕事 → 家族」というとても明確なヴィジョンに比べて、エルフ大先生とムラマサ先輩のもつヴィジョンは不完全だ。エルフ大先生のは曖昧すぎるし、ムラマサ先輩のは一方的すぎる(そもそも無自覚だ)。ついでにいっておくと、智恵(幼なじみ)は「お嫁さんになる」というフワ~ッとしたことしか言えてないので蚊帳の外だ。
ここまでの話で「仕事 → 家族」という考え方はおかしい。「仕事+恋愛 → 結婚 → 家族」と考えるのが常識なのではないかと思う人もいると思う。
率直にいうと、家族をつくるのに恋愛・結婚をする必要はかならずしもない。『エロマンガ先生』において恋愛はおまけにすぎない。
前述したとおり、『エロマンガ先生』は小説内小説=仕事さえあれば人間関係を構築できるし、ストーリーがすすむし、家族の夢に向かって前進することができる。恋愛はあくまでサービス要素にすぎず、あってもなくても、なにも影響しない。つまり、おまけだ。
『エロマンガ先生』における各要素の重要度は「恋愛 < エロ < 仕事 < 家族」というふうになる(学校、となり近所は除外)。
このなかで恋愛はおまけだから簡単に省ける。エロはストーリーの補助をしてくれるけれど省こうと思えば省ける。仕事(小説内小説)はストーリーや人間関係などさまざまに絡んでいるので必須だし、家族は最終目標だ。
家族をつくる=(常識で考えれば)結婚する、ということに恋愛はいらないんじゃないかとおれは思っているし、国や会社やとなり近所が直接的に手助けしてくれるわけでもない。会社がしてくれるのはあくまで金銭的な補助のみであり、仕事をしていないとその恩恵にあやかれない。国はほんとうになにもしてくれない。仕事こそが最重要だ。おれは会社に生かされている。そして日々の辛い業務から離脱すべく、おれはマンガやアニメに没頭する……(宗教? 芸術? 知らない子ですね……)。
『エロマンガ先生』はこういったおれの(おれたちの、おまえたちの)現実をしっかりと的確に描きつつ、荒唐無稽なエロバカアニメを全力でやっているところがすばらしいところだ。
※追記 指摘のあった箇所を修正
感動と興奮とが一気に押し寄せ、それと同時に無事滑り終えた安堵感が綯い交ぜになり、私は感極まってしまった。
彼のファンなら皆、彼の演技を祈るような気持ちで見ていただろう。
私もその一人だ。
ファンではあるけれども、フィギュアに詳しくない私はアクセルとフリップの違いもよくわからない。
そんな中途半端な私にも見終えた瞬間に「素晴らしかった」と思える演技だった。
表彰台に笑顔で上る彼を見ていて湧き上がるのは感動、興奮、安堵の感情。
そして、私はその裏にある自分のもう一つの感情に気づいてしまう。
彼はソチから4年間、絶対王者としての意地、国を背負うという重圧、様々な葛藤の中で選手としても、一人の人間としても大きく成長し、今日私たちを大きな感動に包んでくれた。
彼の4年間は間違いなく波乱に満ち、また誰よりも努力した濃厚な時間だったことは容易に想像できる。
私の4年間は。
あの頃大学生だった私は、今、「自分の夢を追う」という名目でフリーターという心細い身分を自ら選択し、人生の迷路に絶賛迷い中である。
人に誇れるものでもなく、かと言って破滅的というほどでもなく、惰性的に夢を追う若者にありがちな堕落した時間を送ってしまっている。
羽生くんの演技による興奮なのか、自分の不甲斐なさに対する憂鬱からなのか、私は真っ暗な布団の中で時計が深夜3:00を過ぎても眠ることが出来ずにいた。
眠れないまま布団の中にいると、脳内で走馬灯のように私の4年間のなかの少し印象的だった出来事や思い出なんかが駆け巡る。
大学進学とともに東京に出てきた私が、少し東京という街に慣れ始めた頃。
自分の大学とは違う、歴史的な校舎の作り等に感心しながらなんとなくお祭り気分を堪能していると、ふと見知った人の顔が目に入った。
Aくんだ。
高校一年生の春から夏へと季節が移り変わる頃、「ねえ、Aくん、増田のこと好きなんだってよ」と人づてにAくんの名前を初めて聞いたのを覚えている。
私はその時、Aくんの名前と顔も一致せず、「誰か知らないし、話したこともないし、なんかの間違いなんじゃない?」みたいな返事をしたのを微かに覚えている。
自分で「間違いなんじゃない?」なんて友達に言っておきながら、私はそのAくんの苗字を忘れられず(Aくんはちょっと珍しい苗字だった)、頭の片隅になんとなくその苗字が引っかかっている状態が続いた。
次にAくんの名前を聞いたのは、同じ高校に進学した幼なじみからだった。
一緒に文化祭の自由時間をのんびり過ごしていると「Aくんって知ってる?」と突然聞かれた。
名前だけしか知らないので、「知らない」と答えると、「ジャニーズの〇〇くんにちょっと似てるんだよ。あっ、ほら、あの人」と控えめに指さす。
指の先には確かにちょっとジャニーズの○○くんに似てると言えなくもない男の子が歩いている。
私自身、あまり惚れやすい性格でもないため「あの人かー」という感想以外特になかったのだが、それでもやっぱり高校生なのでちょっとドキドキしたりして、勘違いかもしれないのに馬鹿だなとか思ったりして――。
でも、なんとなくAくんも私を意識してるような気もして――。
なんだかんだ廊下ですれ違ったりするときに意識してしまったり、今考えても自分の単純さに呆れる。
国語のテストの成績上位者の紙で名前が前後に載ったり、何度か運命的な(?)出来事もあったりしたものだから余計彼を意識するようになってしまったのかもしれない。
ここまで読んでくれた人はこの後、高校時代、私とAくんが付き合う展開が待ってると思うかもしれないが、私とAくんはなんとその後、卒業まで一言も言葉を交わさなかった。
そんなAくんがたまたま行った大学の文化祭でギターを持って少し目の前を歩いている。
見間違いかと思ったが、向こうも私に気づいたようで、こちらを注視しており、私は謎の気まずさと恥ずかしさとで完全に見ない振り。
私とAくんが通っていた高校は東京とは縁もゆかりも無い田舎だった。
そんな田舎の高校でしか見たことがなかったAくんが目の前に、東京に、たまたま来た文化祭にいる。
私も相当に驚いたが、Aくんも相当驚いたのだろう。
それでも気付かないふり――。
深夜3:00、羽生くんによって開かれた記憶の扉によって、私は一つの衝動に駆られる。
「Aくんが今どうしてるか知りたい!!」
喋ったこともない相手の近況を知りたいなんて、私とストーカーの違いって果たしてなんだろうと一瞬踏みとどまるもやはり衝動はおさまらない。
「Aくんの下の名前ってなんだっけ?」
国語のテストの成績表で私の名前の上にフルネームで載っていたのに……。
なんだっけ……。
正攻法じゃわからないと考えた私は次に検索欄に Aくんの苗字+自分の母校+彼を見かけた大学名 を入力。
すると簡単にヒットした。
すると彼がバンドマンなこと。
音楽に詳しくない私でも知っている大きなフェスの小さなステージに出たこと。
そんな情報がポロポロと出てきて、「頑張ってるんだな」と笑みを漏らすとともに、湧き上がる一つの感情に気付く。
Aくんもまた、夢に向かって4年間駆け抜けてきたのだろう。
それに比べて私は――。
言ってしまうと、私も全く頑張っていなかったわけじゃない。
私の夢を叶えるべく、その道のプロとなんとかコネも作ったし、その人たちに評価されようといくつか作品も作った。
でも、プロにかけられた言葉は非難の嵐で、私はプロに評価される度に夢に対する熱意、情熱を失い、失速していった。
夢にほんの少し近づいて持った感情は希望なんかじゃなく、絶望だと気付いた時、私は精神のバランスを崩しやすくなり、自分の弱さにまた失望した。
ここ半年は作品を作ることもできず、ただただ漠然とした不安を単純作業の非正規労働で埋める毎日。
そんな自分が情けなかった。
そんな私には最近、昔好きだった、自分が憧れていた作品をもう一度見返す機会があった。
久々に心を揺さぶられた。
そういう気持ちがふつふつと湧いてきたのだ。
僅かな希望を胸に抱いたところで、私の人生のちっぽけさは変わらない。
金メダリストとは月とスッポンの差だし、駆け出しのバンドマンの足下にも及ばない。
皆それぞれ、人生をがむしゃらに走っている中で私が歩みを止めてしまった4年間。
その4年間を悔やむとともに、彼らの4年間を讃えたいと思うこの感情を色で表すと、きっと夜明け前のような仄暗く、それでいて深い青と紺を混ぜたような色なんじゃないかと思う。
それぞれの4年間に想いを馳せる夜。
そんなメランコリックな夜が今、明けようとしている。
まずはじめにいっておきたいのは『うらら迷路帖』をけなす目的でこの文章を書いているのではないということだ。おれは『うらら迷路帖』のファンではなく日常系アニメのファンで、だからこそ書いておきたいことがたくさんある。
ファンの人はたくさんいるだろうけれど、人気が出なかった作品であることはファンも認めざるを得ないと思う。なぜ商業的な失敗をしてしまったのかを可能なかぎり客観的に書くことがこの文章の目的だ。
『うらら迷路帖』は2017年の冬クールにアニメ化された作品で、原作はまんがタイムきららミラクに連載されていた四コマ漫画だ。
同じクールにやっていた『けものフレンズ』に話題をかっさらわれたばかりか、『この素晴らしい世界に祝福を! 2』『幼女戦記』といったなろう系の注目作、『ガウリールドロップアウト』『亜人ちゃんは語りたい』『小林さんちのメイドラゴン』といったファン層がかぶりそうな作品などが放映されており、それらの影に隠れてしまった感がある。
たくさんある。
キャラデザがかわいい。とくに小梅のキャラデザがおれは好きだ。
OPの曲がかわいい。脳内でくり返し再生される。OP映像もそれなりにいい(もうちょっとがんばれたとは思うが)。
大正ロマン風の舞台設定がいい。建物や内装はもちろん、ちょっとした小物にまで配慮がある。
占いの番付によって入られる場所が制限される設定もいい。番付が上がる→入られる場所が増える→自然に新キャラが出せる(既存キャラのリストラも自然にできる)というシステムになっているからだ。
なにがダメだったか明確にするために、日常系最大のヒット作である『けいおん』を中心に他のアニメ作品との比較で話をすすめていく。
『けいおん!』は軽音楽、『ばくおん!!』はバイク、『New Game!』はゲーム制作、『ヤマノススメ』は登山、『ゆるきゃん△』はキャンプなど男が関心をもつものを盛り込むのがふつうだ。
『ひだまりスケッチ』や『GA芸術科アートデザインクラス』のように芸術をテーマにすることがよくあるけれど、それは視聴者の関心というよりは、芸術制作によってキャラの個性を出しやすいのと、作者の漫画家としての経験をテーマに活かすことができるという利点があるから採用されるのだと思う。
ところが、うらら迷路帖の場合は「占い」だ。これはかなりの悪手だ。しかも、おまけ程度ではなくがっつりと話に絡んでくる。
男というのは占いにまったく興味がない。馬鹿にさえしている。占い好きの男もいることはいるだろうけど、同好の男友達を見つけようと思えばかなり苦労するはずだ。
ギターを弾いている女の子は三割増しでかわいく見えるし(=萌え)、バイクをさっそうと走らせる女の子はさまになる(=萌え)けれど、占いに興じている女の子をとくべつかわいく感じる男はあまりいないはずだ(≠萌え。いかんせん興味がないし馬鹿馬鹿しいと思っている)。
あと、占い師の番付が「十番占(見習い)」~「一番占(名人クラス?)」まである設定だけれど、たとえば五番占と一番占がどのくらい力がちがうのかがよくわからなかった。そういう少年漫画っぽいところは、せっかく設定を出したんだからもっと詰めるべきだ。
占い要素は、死に設定どころか死神設定になってしまっている。せめて似たような要素の「巫女」だったらまだよかったんじゃないかと個人的には思っている。巫女服という制服(萌え要素)があるし、エロ漫画やエロゲーで培われたオタク独自の巫女文化があるからだ。
ようするに関係性萌えができないということ。これが最大の失敗要因だとおれは睨んでいる。
メインキャラ四人は皆が初対面で、幼なじみだったり姉妹だったりするわけではないし、同じ占い学校の同期だから先輩後輩の関係性がない。だれとだれがとくべつ仲がいい設定なのかパッと見でよくわからない。あえていうなら、みんな均等に仲良し、あるいは千矢のハーレム?
このおれの意見にはこういう反論が来るんじゃないかと思う。「だれとだれが仲がいいかなんて最初からわからなくてもいいのではないか。話数がすすんでいくごとに徐々に関係性が構築されていく過程を楽しんでこその日常系だ」
たとえば、『けいおん!』。澪と律は幼なじみで仲が良く、軽音楽部の再立ち上げもこのふたりがはじめたことだ。担当楽器はベース(澪)とドラム(律)のリズム隊。唯は後輩の梓をとくに可愛がっており、梓はなんだか頼りない先輩である唯をどこか放っておけない(最高か!?)。担当楽器はふたりともギター。そして傍観者、紬。担当楽器のキーボードというのもまたそれっぽい。
たとえば、『ご注文はうさぎですか?』。ココアは、住み込みで働いている喫茶店の娘のチノを妹のように可愛がっており、チノは困惑しつつもココアを受け入れていく。ココアとリゼは同じ喫茶店のバイト仲間。ちがう喫茶店でバイトしているシャロは、学校の先輩のリゼに強く憧れていて、幼なじみの千夜によくからかわれている(からかいといってもかわいらしいものだけれど)。
ふたつ例にあげた関係性は、アニメを観た100人中100人が速攻で理解できる。そのキャラが出てきてから一話、長くても二話ほど観ればわかる。わかりやすいものであれば十秒でわかる。鼻クソほじりながら観てても簡単にわかる。
ようするに日常系というのは、関係性をはじめから色濃く匂わせていないといけないということだ。その点で『うらら迷路帖』で関係性がちゃんと構築できているのは、佐久隊長周辺だ。
佐久とニナは幼なじみで、ニナの妹のノノを昔から可愛がっている。部下ふたりは佐久に惚れこんでいる。
正直なところ、佐久隊長を主役にしたほうがよかったのかもしれない。
『うらら迷路帖』が日常系扱いされていることに違和感がある人もいると思う。なにせ、ストーリーがあるからだ。主人公の千矢が母親を探すために立派な占い師を目指すという大きなストーリーと、一話完結の小さなストーリーが組み合わさって作品ができている。
しかし『うらら迷路帖』はまんがタイムきらら系列の作品で、登場キャラは女しかおらず、日常系の雰囲気・印象がかなり強い。なので、このまま日常系ということで話をすすめていく。
日常系というのは身も蓋もない言い方をすれば、キャラ萌えさえできればそれでいいというジャンルだ。ストーリー性は萌え(女の子たちが仲良くしててかわいい)の邪魔になることが多いからできるかぎり薄くし、目的があっても自己実現(趣味的)であることがほとんどだ。
『うらら迷路帖』はストーリーがある。つまり、萌えが付加要素になってしまっている。付加要素はいいすぎかもしれないけれど、萌え(女の子たちが仲良くしててかわいい)よりもストーリーを展開させることを優先させてしまっているのは間違いない。
ストーリーがおもしろければ問題なかったのだけれど、ひいき目にみてもおもしろいものではなく、可もなく不可もないストーリーというのがおれの評価だ。
もう、出てくる人出てくる人、みんながきれいだ。清廉潔白。道徳的に正しい。メインキャラ四人はみんなまっすぐだし、人をからかったりしないし、目立った欠点もない。このやさしい世界には悪人がいないんじゃないかと思ってしまうほどだ(警備隊なんていらないんじゃないか)。
きれいなキャラ、きれいな世界は当然ストーリーにも影響する。きれいなストーリーほどつまらないものはない。なんでもいいから、おもしろいと思ったストーリーもののエンタメ作品を思い返してみてほしい。大きな障害があったり、殺人事件が起こったり、強大な悪人がいたり、世界そのものがおかしかったりすることがほとんどだと思う。
これはおまけ程度の難点だけれど、ネットで無料で観られるところが少なかったとおれは記憶している。すくなくともニコニコ動画では一週間無料期間がなく、一挙放送もなかった。萌えアニメにしてはめずらしく、ネット配信を拒んでいた印象がある(同期の仲間、ガウ・亜人・メイドラはそんなことなかったのに)。
ここまで読んでもらえば、なぜ『うらら迷路帖』の失敗について書きたかったのかがわかってもらえたと思う。ここまでハズしている日常系はそうない。
もちろん、男の興味を引く題材、関係性萌えの構築、ストーリーの希薄さ、ちょっとだけノイズのあるきれいなキャラたち、ネット配信に積極的、のすべてを満たしたところで人気が出るとは限らない。この文章に書いた『うらら迷路帖』の欠点もただのこじつけに過ぎないのかもしれない。でも、書きたかったんだもん、仕方ないじゃない。
それと、気になる反応があったら返信するつもりでいるんで、そこんとこよろしく。
※追記
ごちうさには、ちょっとしたからかい(ちょっとした毒)をしかけてくる千夜がいるし、青山ブルーマウンテンという駄目人間もいるため、キャラがきれいすぎることはない。
日常系というのは基本的にはストーリーを入れないジャンルだ。ただ最近はストーリー要素のある日常系も増えていて『New Game!』はその唯一の成功例。『New Game!』はいろいろとうまくやってるからストーリーを入れても大丈夫だったんだけれど、その「いろいろ」を語ると長~くなるので割愛。
そんなことはない。百合要素がほぼないのが『うらら迷路帖』で、百合要素たっぷりなほうが『このはな綺譚』。日常系ファンはちょっとした違いに敏感になる。
ka5me 自分は不必要な性的描写が多かったことだと思う。おなか見せられてまあ喜ぶんだけど日常系やライトな百合に求められている事じゃない。不必要なパンチラが単に下品と思われるのと同じ。
これは正論。でもおれ個人としてはもっとエロ推しでもよかった。後の方になるほどエロがなくなっていくんで、エロ要素も中途半端だったんだということにこの指摘のおかげで気づいた。やるなら徹底してエロくする、やらないなら一切やらない、という制作姿勢は大事。
いや、むしろきらら枠以外で『うらら迷路帖』を受け入れてくれる枠があるのかどうかが疑問。極端な話だけど、たとえばジャンプに連載されたとしたら確実に10週で終了だ。
好みに合わない理由というよりは、「日常系の型をこれだけハズしているよ。さすがに型なしになってるよ」ということを長々と述べさせていただいた。
shiju_kago ”ストーリーがある”が悪い理由というのもすごい話だが、一昔前のテンプレ以外やってはいけない時代劇がその位置にいたのかもしれない
ひと昔前の時代劇と日常系との共通項という発想がおもしろい。でもおれは時代劇のことがまったくわからないんで残念だ。
a-charin 私は女だからか占いも成長してくのもすごく楽しかったけど、あの唐突なエロが邪魔だったなあ。そういうのは個人でやるから表舞台では普通にしててくれ!やるならもうちょい自然にやってくれ!って毎回思ってた
女性向け日常系という道もあったのかもしれない、と思わせてくれる指摘。やっぱエロは余計なのかあ。
たまゆらはよかったよ。
dowhile 大成功した。話は以上だ
気もちはわかるけど(好きなアニメが人気が出なかった経験はアニメオタクならだれにでもある)、現実を見ようよ。
msdbkm "占いに興じている女の子をとくべつかわいく感じる男はあまりいないはずだ" シンデレラガールズに藤居朋というアイドルがいましてね
アイマスは765のキャラを知ってるくらいでほとんど詳しくないんだけれど、そのキャラは占い師属性以前にアイドルじゃないか。占いは副業(おまけ)、本職はアイドルって感じなんじゃないの?うらら迷路帖の彼女らは占いが本業なんだよ。
他人の作ったコンテンツを「失敗した」とか断じて論じようとする人は一切信用できない。これが長年ネットしてきて得た知見ですわ。[……]「自分の審美眼に適わないから失敗」と言い換えて個人的な好みとの差異を詳述しているだけでしょ。
個人的な好みというよりは、「日常系の型をこれだけハズしているよ」ということを書いただけであって、おれ個人の審美眼なんてなにも関係ない。むしろキャラデザはいいと思っている(本文中に書いているよ)。『うらら迷路帖』を三話まで観てもらえれば書いていることを理解はできるよ(賛否はあるだろうけど)。
あと「他人の作ったコンテンツを失敗したなんて言ってはいけない」というのは基本的にちがうと思っている。つまり、どんな作品であってもさまざまな人びとが関わっていて努力しているのだからの悪く言ってはいけない、批判もしてはいけないということなんだろうけど、そんなのは馬鹿げている(評論家は観た作品を全部褒めないといけないのか)。成功した作品の成功要因について話していいのに、失敗要因は話してはいけない?そんなことはない。
どんな作品にもクリエイターたちの想いがこめられている。そのすべてが成功してくれればいいんだけれど、成功するのはわずかで、残りぜんぶは失敗だったり、微妙な成果だったりする。それが当たり前だ。成功を語ることもあれば、失敗を語ることだってある。それも当たり前のことだとおれは思うよ。
つーか、長年ネットをしてきた(自称)くせに、観たことのないアニメ作品の批判文を読んで(全部を読んですらいないらしいけど)「個人的な好みでしょ?」とか憶測で書き込んでしまって、あげく人格否定まで書いちゃうあたりどうなのよ。長年って何年?二年くらい?まあ、あれだ、このチーズは二年くらい蔵に寝かせて熟成させてるんですよ~、とか言われたら、二年!へえ長いですねえ~って返事しちゃうもんなあ。二年って長い。おれが十年弱ネットを見てきて得た「雑学」のひとつに「ネットは人を賢くしない」というのがあるんで、あなたの「知見」のほんの隅っこほうにでも入れてやってください。あと差異とか審美眼みたいなちょっとむずかしい言葉をあなたは使わないほうがいいよ、弱く見えるから。「違い」「好み」でOK
「人に優しくしましょう」って言われて育ったけど、私自身けっこうヒドい扱いうけるよ?
従姉妹が結婚式挙げるので、はるばる遠くから出席した。それも一度離婚したんで2回。なのに私の結婚式には、「あっ、仕事あるから」とさっくり断られ、友達の結婚式も貧乏学生の身で頑張って参加した(交通費含めると10万)のに、私のときは「おめでとう」のひと言で終了。
幼なじみが研修でこっちへ来るというから、いろいろ観光案内したのに、年賀状や手紙を出しても返ってこず。
こんなことが何回も繰り返されると、「優しくするって意味あるけ?」って疑問になる。やればやるだけ徒労感。こうやって人は殻に閉じこもっていくんだろうな~。
ただ相手の要望を叶えるだけって、無駄な行為なんだね。みんなからの冷たい態度でよーく分かった。たぶんやり方を間違えてるんだ。
高校のクラスメートに、すごくみんなに大事にされてる子がいた。大したことしてないのに、めちゃめちゃお礼言われたり、誘いの声が絶えなかったり。あのときもっとその人の何が人を引き付けるのか、学べばよかった。ただうらやましがって、自己憐憫に浸るなんてアホだったよ。
なんかこのままいくと、ほんっと誰にも相手にされないまま終わる。
私の人生って、地下壕みたいにひっそりと暗い。
恥ずかしながら初プレイ。
攻略は見てない。
テンプレ感があるのは、いろんな人に影響を与えたからなんだなって。
幼なじみ属性が好きなのもあってキャラクターの中では一番好きかも。
朝弱いところとか過去のトラウマを抱えながらも祐一と関わり続ける健気さが心に突き刺さった。
ただキャラクターが魅力的だっただけに、ラストの畳み方が残念。
流石に露骨にフラグ立ててからの交通事故は無いよ…選択肢も簡単でEDまであっさりだったし。
もう少しグッドエンドに向かう難度を難しくしても良かったのでは?
FDがあるなら真っ先にやりたい筆頭。
メインヒロイン故に7年前の過去ともがっつり絡んでてやりごたえがあった。
純粋ゆえに名雪ルートに行くためにフラグ折るの時の悲しい顔が余りにも忍びなく、つい攻略してしまった。
展開がある程度予測できても感動できるのはKanonが名作である理由か。
いつぞやのNHKでやってた外人兄貴達と一緒にたい焼き食べたいですね。
あと三人は全部終わってから。
「ねぇ...あれ見てよ」アケミが指を向けた先に"村本"がいた。無論、本当の村本ではない。AI村本だ。
村本は幼稚園からの幼なじみだ。昔は勉強ができなかった筈だが、中1の春頃から急に成績が伸び始め、「頭いい高校.com」の国内ランキング上位に君臨するつくし大学附属に入った。私は最初、彼の"輝かしい躍進"に嫉妬し、不思議に思っていたが謎はすぐに解決した。彼の歩き方はASIMOそっくりなのだ。あの腰をなめらかに動かす歩き方は、もはや人間のそれとは思えない。東芝とソニーが共同で作り出した超精巧完全人間ロボットと化していたんどった。夏目漱石が受験生だった頃から、今までのもn...ビッグデータを解析し、次の年のセンター試験に対策する。そんな夢のようなことが彼の脳内では行われているのだろう。
村本は瞬きを5秒に1回、それも規則正しく。二口食べてはお茶を飲むことの繰り返し。彼はどんどんロボットに近づいていく、いや、ロボットが彼に近づいていっているのかもしれない。彼の飲み込んだ食料は、彼の肛門という排出口から出てくるのだろう。ボッコちゃんにこんな話が―
「あっ」