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はてなキーワード: 定期テストとは

2021-07-30

anond:20210730232258

小~高の間にハズレ担任多すぎて4月絶望したまんま1年過ぎての繰り返しだったからな

生徒に独裁強いる教師が多い あと公民教師公立なのに偏った思想持ってるとか(おかげで定期テスト常にブービー)

2021-07-07

anond:20210707063216

大学付属中高一貫に入りたい人生だった

一般受験というプロセスを踏まないことのメリットって定期テストかい短期記憶力のみでクリアできてしまシステム使ってやすやすと高い学歴を手に入れられる

日大中高一貫に通ってたやつが凄まじい短期記憶力を自慢してたり模試全国○位を自慢して「俺はどんな環境でも成功する!」と豪語していたのに結局指定校ではなく一般日大に入ったそうな

anond:20210707054850

でも、たとえば定期テストで2000語の長文読ませて英語で要旨説明しろ、みたいな問題出したら、単位取れるの1割くらいになるよね

一般教養外国語教育に力入れてる日本大学ゼロ校説

国家レベル外国語教育重要性を声高に訴えるくせに、全く実体を伴っていない

ご存知、東大などでもテキスト本文を順番に和訳していくだけみたいな地方公立高校レベルの授業しかしていない。定期テストは授業で使ったテストの穴埋めなど。決して安くない学費を納めてるんだから、もう少しやる気を出して欲しい

第二外国語言わずもがな。やる意味あるんかコレ

2021-06-28

「『ドラゴン桜』が書かない本当の日本底辺」ってブログ面白かった

http://blog.livedoor.jp/ganbare_zinrui/archives/12432896.html


かに、あの漫画で描かれてる底辺生徒たちの出だしの学力水準は、

首都圏偏差値62くらいの県立高校で高3夏まで部活ガチりながらも、定期テスト赤点取らないくらいには勉強もやってました

くらいの学力感だった。

2021-06-18

過去自分より進歩しても30点は30点

ドラえもんに、のび太ひみつ道具に頼ってテストを切り抜けようとしたか何かで、最終的に自力対処することにしたのか、ママに「30点も取れたの、よかったわね」と褒められておしまいというエピソードがあった。もう細部はだいぶ忘れたのでこんな書き方になってしまうが。

これはしばしば言われる「他人と比べるより過去自分と比べよう」を想起させる。他人、まあ当然のように100点取ってそうな出木杉あたりと比べりゃ30点なんぞハナクソみたいなもんだが、0点コレクターのび太にしてみりゃ自力で30点取ったのは大したものであろう、そりゃ。かくて彼の自己肯定感が育まれ

イヤ、でも。そうは言ってもお前30点だろ。親子してそんなんで喜んでる場合かよ。

俺はこのエピソードをそのようにしか受け取れない。中学受験のため小学校生活の後半を進学塾通いに費やし、成績が悪いと連帯責任クラス丸ごと正座で授業を受けさせられ、さらには講師から帝國海軍の甲板整列よろしくケツバットを頂戴仕り、苦労の甲斐あって入学した進学校にも学内の成績によって歴然たるカースト存在しており、定期テストで30点にも満たないような赤点を叩き出したりと底辺に甘んじた俺はやはりハナクソのような扱いを受け…という、曇りガラスの十代であった。常に他人との競争であり、成績上位の者が勝ち組で、最終的に東大地元旧帝大合格者こそが価値ある生徒だった。過去自分との比較などに甘んじる余裕はどこにもなかった。

まあそんな自分語りはどうでもいい。いくらね、当社比で成績向上したといってだ。常に他人比較「される」のだよのび太くん。自力で30点も取れたぞ、なんてのは自己満足もいいところなのだシャブ中が壁に向かって「俺かめはめ波撃てるぜぇ」とヘラヘラ笑ってるのと変わらんのだ。

せめて、80点90点取ってからデカい面することだ。さすれば下にも置かれまい。

2021-05-07

20年前に俺TUEEしてきもちよかった

自分レベルより少し下の高校に進学して定期テストで学年トップ

2021-03-05

長崎公立中高、下着「白」の校則について

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210305/k10012898081000.html

 

はてブ話題になっているようだったから書こうと思う。

自分中学高校長崎公立学校に通った。中学高校どちらも下着の色について「白」と指定されていた。白い制服シャツの下に、白以外の下着が透けるのが見苦しいという理由だ。

この下着とは、キャミソールことを差し、一応ブラジャーパンティ(増田表記)の色は自由だった。(しかし、派手な色の肩紐が襟元から見えていると注意された)

高校では、女子生徒は防寒のため、セーラー服の下にセーターやヒートテックシャツを着込むのが一般的だった。このときセーラー服の襟元や袖口から見える防寒具の色が黒以外である校則違反だった。また、セーターについては無地と決まっており、襟から見えずとも検査の時に柄物とバレると校則違反とされた。

 

 

こうした校則違反を取り締まるために、高校(県立だった)では月に一回、「容儀検査」とよばれる検査があった。

容儀検査では、髪、爪、眉、下着スカート丈、靴下検査項目だった。これは月一回程度、多くは定期テストの後に学年集会説教を聞かされた後、男女別々に体育館に一列に並び、順番に回ってくる名簿を持った3〜4名の教員に身嗜みを検査して貰うというシステムだった。

髪の検査では、教員の前でぐるりと一周回り、前髪の長さは適切か、ヘアゴムやヘアピンは派手でないか(黒や紺色の飾りのないものと定められていた)、おくれ毛はヘアピンで止められているかなどを検査された。男子生徒の場合、耳にかからない長さか、毛量は適切か(?)、ツーブロックなど変形カットではないか(?)などが検査されていたらしい。

また、爪や眉の検査では、爪は手を前に、眉は前髪を上げて教員に見せ検査スムーズに行うように言われていた。爪は長さが適切か、眉は手入れされていないか検査項目だった。

下着検査は、夏はセーラー服の下から、 キャミソールを引っ張り出して、教員に見せるようになっていた。冬は、袖口からセーターを引っ張り出し、爪の検査と同時に見せ、またセーラー服をめくってセーターを見せた。

スカートの長さは、膝が見えない丈と決まっており、教員が屈んで膝に目の高さを合わせ検査していた。

靴下は、統一感を出すため白のみ。長さも、くるぶしが隠れる長さと決まっていた。防寒のため、肌色ストッキングのみが許可されていた。黒のタイツ禁止理由は聞いたことがないが、おそらく統一感のためだと思われる。

容儀検査は、多くの場合男性教員男子生徒の検査を、女性教員女子生徒の検査をするように割り振られていたが、人出が足りないと男性教員スカート丈を検査することもあった。下着検査は流石になかったが、同じ体育館男子生徒や男性教員がいる状態で行っていた。

容儀検査が終わると、名簿を持った教員が集まって、学年で何人違反者が出たか集計し、多いと説教された。容儀検査違反者はクラス名前が張り出され、近日の昼休みに再検査合格するまで呼び出されるようになっていた。朝掃除などのペナルティがあることもあった。

クラス部活単位で、違反者が出るかどうかが教員の中で何故か重視されており、クラス担任からクラス違反ゼロを目指そう」などの呼びかけが度々あった。

テスト期間後に容儀検査があるのは、テスト期間で部活動が休みの間に散髪に行けという意図だったようだが、テスト期間には、授業がない午後の居残り自主学習、土日の自主学習強制されており、かえってテスト期間よりも散髪に行くような暇はなかった。

集会の後の容儀検査以外にも、朝から係の生徒と教員による持ち回りの挨拶運動があり、この時「指定鞄を携帯しているか、身嗜みは正しいか、防寒具は適切か」などのチェックがあり、違反者は注意されていた。

 

容儀の他にもを学校に持ってくることは禁止されていたが、「帰りが遅くなるときに連絡が必要」「部活帰りに迎えを頼むため」などの理由マナーモードにしてカバンの底に隠し持ってくる生徒もよくいた。駅などで教員が見回っており、このときスマホがバレるとかなり厳しい指導がなされた。

このようなスマホの校内への持ち込み原則禁止は、条例で定められていた。

2021-02-25

anond:20210225112304

内申のくだりで、中学ときどうしても苦手で定期テストも5教科の中でずば抜けて点数が低かった社会の内申を上げるため、ずっと県内御三家でもトップ公立高校第一志望だと偽ってたこと思い出した

内申確定して進路決定のギリギリで同じ御三家の三番手本来志望校に変えて無事合格したけど、3学期にもらった通知表では、社会は1、2学期は「5」で3学期は「3」だった(あと体育も「4」から「3」に下がってた)。

思った以上の恩情感謝したのは今でも忘れないが、当時の社会先生は数年前に突然亡くなってしまったんだよなぁ・・・・・・

2021-01-11

高校中退無職なんだが、辛いから慰めて欲しい。

俺は高校中退してから数年間ひきこもっている男だ。

毎日ネットサーフィン、5ch、youtubeゲーム時間を潰している。

ろくでもない毎日だな、と思いながら毎日ダラダラ暮らしているのだから、やはり俺はクズなのだろう。

まあでも「クズ」などと口では言いつつも、心の底では一向に変わるつもりは無いのだから、やはり俺は終わってるwwwwwwwwwww

書きながら、自分クズさとアホさに涙が止まらいねwwwwwwwwww

さて、今日自分語りをしたいと思う。

まず、俺が高校をやめた理由は4つある。

1つめ、睡眠不足

そのまま。俺は高校に入るまで「インターネット」というものにまるで興味がなく、携帯も持っていなかった。ところが、高校に入ってから携帯を持つようになり、それまで存在を知らなかった「5ch」「youtube」などをみたり、ネットサーフィンなどをして夜更かしをするようになった。そのため睡眠不足になり、正常な判断ができないようになったのだ。

2つめ、対人スキルの低さ。

10代にも関わらず、「youtube」を知らなかった事からも分かるように、俺は人と話すのが苦手だ。対人スキルの低さの為、結果的孤立してしまい、高校に行くのが苦痛になったのだ。

3つめ、自己肯定感の低さ

俺は不細工チビだ。俺は不細工チビな男に性的需要など存在しない事を知っているし、不細工チビで、無口で無愛想な男を友達にしたいと思う人間など、ほとんどいないことを知っている。

この自己肯定感の低さが、俺を萎縮させ、かつ俺のメンタルをズタズタにしたんだと思う。

4つめ、成績の悪さ

これまでの文章で分かったかもしれないが、俺は自分の事を頭が良いと思っている。

数年間無職をしている癖に未だに思っている。もう病気だよなwwwwwwwwwwwwwwwwwww

そんな俺のくだらないプライドを引き裂いたのが、入学直後のテストだった。

ほぼ全ての教科でほぼ学年最下位だったのだ。別に進学校では無い。偏差値55くらいの高校での話だ。

理由は明白で全く勉強していなかったからだ。中学三年生で、授業以外で椅子に座ったのは宿題の答えを写す時くらい。あとは読書するか、両親から買ってもらった家庭用ゲーム機で遊んでいた。

勉強しなければ成績が下がるのは当たり前なのに、中二病の俺は「俺様なら、本気になれば最低でも有名大学に入学できる」って思ってた。

定期テストの点数、どんどん悪くなってくばかりなのに、よくそんな勘違い出来たよな、昔の自分マジでアホ。まあ今もアホだけど。

上記の様な感じで、なんだかんだで俺は引きこもり、しばらくして出席日数が足りなくなり、留年が確定し、留年するよりはと、高校中退した。

あれから数年、一番上に書いた通り、毎日くだらない日々を過ごしている。最後に家から出たのはいつだろう?最後に散髪屋に行ったのはいうだろう?ぶっちゃけ覚えてないwwwwwwwwwwwwww

そして今でも「俺は頭が良い」「俺が本気になれば、明日から変われる」と信じている。そして自分大成功しているという非現実的妄想をする。

妄想の中での俺は、イケメン長身で雄弁で頭の回転が速く金を持っている。黙っていても大量の女が寄ってきて誰もかれもが俺に抱かれたがっている。

でも次の瞬間、ハッと気づく。俺は不細工チビ無職でアホで自分の事を客観視出来なくて、他人とまともにコミュニケーションが取れない、糞みたいな人間であるということを。

本当に虚しい。つらい気分だ。誰でも良いから慰めて欲しい。

P.S

推敲してみて思ったんだが、俺ってキモイよなwwwwwwwwwwwwww

ウジウジ悩んで、センチメンタルな気分に浸っている暇があったら、とっとと行動すれば良いのにな

まあそれができたら苦労しないんだが

後、自分でも思ったんだが、自分の事を悲劇主人公扱いしてる感もマジでキモイよな

俺そこそこ裕福な家庭に生まれているし、悲劇も糞も無いからね

だいだい俺の性格能力問題何だよなwwwwwwwwwwwwwwwwww、マジでアホ

まあ何かそんな感じで現実を見つめれば見つめるほど、自分のアホさが見えてくる、なんかそんな感じです。

ここまで読んで頂いてありがとうございます今日はもう寝ます明日から変われると信じて。(変われねーよ、バーカ)

2020-12-13

anond:20201213004943

小学校低学年の頃は「さんすうはかせ」とか呼ばれていたらしい()。でも他の科目は特にできるわけではなく特に国語ダメ漢字の書き取りテストでは0点を連発していた。実家特に学はなく教育意識文化資本も無い家だったのでそもそも勉強をするという概念自体理解してなかったな。

小学校いじめられまくって地元中学には通えそうになかったので私立中受験したけど、勉強してなかったのでショボイ学校に入った。中学でも勉強なにそれだったので成績は下から10%くらいだった。でもなんかある時勉強してみようかなという気になってやってみたら上から10%くらいの成績になった。

高校はそのままエスカレーターで進学して、その頃成績がどうだったか覚えてないけど別に目立ってもなかったような気がする。でもその頃には数学とか物理に興味があったのでその辺の授業が始まったらそれらの科目の成績は外れ値になって学校内の定期テスト偏差値が確か90とか異常な数字が出るようになってたと思う(周りができなさすぎただけ)。

でも受験勉強っていうか受験周辺の空気全般が嫌いであんまやってなかったので普通に地方旧帝大に行った。物理偏差値なら70くらいはあったんじゃないか。興味あまり無かったから覚えてないけど。

2020-12-10

そこら辺の学習塾に通わせてはいけない

さっきTwitterとある学習塾記事をみた。前にバイトをしたいた塾だった。記事を開くと生徒の集め方や合格者数の出し方に対する苦情を同業他社が出していて、内部告発もあるぞとかいう内容だった。


ふーん。


守秘義務とかなんとかあるけど内部告発ならええんか。


…………


…………してやるか。


でもやっぱり後で怒られるのは怖いから校舎名だけでなく予備校名前念の為伏せさせてもらう。

気になった人は適当にggれば出てくるかもしれない。

ということで以下その塾をXと呼ぶ。


それからバイトをやめた時期は明言しないがざっくり言うとコロナ前。

若干今と違うことがあるかもしれないが、当時はそうだった。


生徒の集め方

学習塾収入源は生徒から授業料である。よって生徒がいないと商売にならない。

門前出張して資料配布などは可愛いである。やってる職員しんどいかもしれないが生徒にとってほぼ害はない。

しかしXの主な生徒獲得手段はそれじゃない。

まず、外部生むけには無料授業招待とかいものをやってる。季節講習や、それが無い時期は月単位で初めての人が体験生として授業に参加できるというものだ。

ここにまず来させたいのが塾の考えらしい。


そのために「今いる生徒」に勧誘させる。


これだけではヤバさが伝わらない人にむけて説明する。

まず講師休み時間などに生徒に聞き取り調査をする。そこで「Xに入ってくれそうな子の名前」を聞き出す。

当然まだ個人情報の取扱もろくに分かってないガキはホイホイ名前を出す。

しか名前はいくらでも欲しいからエサを吊るしてある。塾内でのみ使える通貨とかそんなん。


名前を聞き出したら塾の資料を生徒に渡す。んで学校でそれを渡してもらう。

ここらで生徒は利用されてることに気づかないんかね。

その後もしつこくて、その生徒が登校(登塾)する度に「そういえばさ、あの子、どうなった?」とか聞き続ける。

そこらのナンパ師の方が粘着しない分まだマシだぞ。


そこで聞き出した情報を元に講師は「リスト」を作ってる。ちなみに毎日更新されてる。

出勤してきた講師はその日のスケジュール表とともに最新版リストを一部取ることになっている。

ミーティングでは「誰々君に誰々先生聞いてきてください」「誰々君は熱いです。何%」とか言われる。


お前それやってることマルチ商法と大差ないからな?

というかそれをガキンチョにやらせてるのめちゃくちゃタチ悪いぞ??


ちなみに今いる生徒は受験までずっといることも多いから同じ生徒に何度も名前を聞き出すことになる。

そうすると「前に言ったの以外もういないっす」みたいなこと言い出す奴がいる。

ここは宗教勧誘の断り方を覚えさせる塾だったのかもしれない。


なお、この入塾希望マルチ商法には校舎毎のノルマがある。

年賀状ノルマを抱えてる郵便局員の方がまだマシだ。

詐欺に手を染める前に自分で買うって選択肢があるからな。いやでも上司の指示で買わさせられることない分入塾者レースの方がマシかも。流石に子供作れとは言われないしな。


今季ノルマまで後何人。」「誰と誰が熱いからそこでノルマ達成できる。」とか言われる。

うちの校舎は割と毎回ノルマ達成してたけど1回だけかなり厳しい時があった。

これノルマ達成できなかったらどうなると思う??


常勤バイトに圧をかけ、バイトが生徒に名前を出すよう圧をかけ始めるんだぜ。


宗教勧誘だけじゃなくて会社の縮図まで生徒に叩き込む優良塾じゃん。

レベルな授業

さて運悪く蜘蛛の巣にひっかかった虫は蜘蛛に食べられる運命にある。

Xの、というか他所も大差ないだろうけど、大抵の場合蜘蛛の半分は大学生バイトである


適当バイト募集サイト塾講師バイト検索してみるといい。

そこで学生okとか書いてあるところには当然学生バイト君がいる。というか俺自身学生バイトとして授業してた。


が、生徒にはそのことは一切行ってはならない。

正確には自分大学生であることを言ってなならない。大卒入社した社会人のフリをしないといけない。

理由学生バイトだとバレたくないかららしい。


???


だったら学生okとか書くなよ。

と言うか親もちょっと手元のスマホで調べりゃ出てくるんだから騙されるなよ。

親がこれだから子供マルチ紛いな勧誘に参加させられるのか。それなら納得。


口が悪くなった。

かくしてこの間まで高校制服着てたような奴がスーツを来た社会人なりすまして授業をする。あ、ここのかくしては隠してって意味じゃないからな。

知ってると思うが塾の授業は「英語」「数学」「国語」「理科」「社会」の分け方になる。小学生英語がなかったり数学じゃなくて算数だったりするが大体こんなもん。

講師はこの中の複数の科目を担当する。お前、厨房中学社会の内容全部教えられるか?俺は無理だね。

大学生なんて大抵理科社会のうち一部しか覚えてない。

センター試験世界史地理を選んだあいつも国立2次で物理化学を選んだそいつも数年間やってない科目があるわけだ。

そんな奴が急に人様に金もらうレベルで授業なんてできるのか??


賭けてもいい


世の中の大半の大学生はそんなことできない。


というか受験で使った科目すら怪しい


だってからない分野はある。そういうのは教科書や解答解説音読しかしようがない。

そんなの一人でやれ。

できないなら夜ママ読み聞かせしてもらえ。


空いてる時間ちょっと同僚の授業を後ろから覗かせてもらったら耳疑ったからね。

「この三角形は明らかに二等辺三角形からこことここの角度は同じ」

俺もその問題を教えたことがあったけど、全然明らかじゃないし。辺の長さが同じことを証明できるから二等辺三角形だってわかるんだし。

それを受け入れてる生徒も生徒なんだけどさ。ちょっと講師の言うこと疑ってみろよ笑


レベルの低い授業は苦手分野だけに留まらない。

いわゆる「きはじ」みたいなやつ。

あれ、最近学校では解き方を習って塾で本質を学ぶ」みたいな言説見たけど嘘嘘。

絶対嘘。

塾が率先して教えてるんだもん。

これなら速さがm/sだって分かってなくても教えられるもんな。


でもこれには塾に同情できる点が1つだけある。

塾に来させられてるガキンチョ、あいつらはそもそも授業聞いてないし聞く気もないんだわ。

でも成績が上がらないと親に苦情を言われる。あれはかわいそうだわ。

テストの成績不振理由に居残らせて機械的に解く方法を叩き込む。それでやっと下の中くらいの成績になる。

一番かわいそうなのはきはじに付き合わさせられる優等生だけどな。

高得点を取らせる裏側

さっき下の下のやつの話は下が、それ以外のやつはちょっとは授業を聞いてるから学校だけで最低限の勉強はしてきてる。

んでも塾の授業は低レベルそいつらが塾にきて高得点を取れるようになるのは裏事情がある。


講師大学生だとか書いたけど、大学生勉強方法は有名である

サークルの先輩から過去問過去レポートを集めてきてそれだけやっておけばいいとか言われる。

正直これにも言いたいことはあるけど話がズレるのでやめておく。


これ、塾の生徒も同じじゃね?


特に定期テスト」がある中高生さんよ。あんたら、テスト終わったら問題塾に持ってきてくれない?

コピー機「ガーーー」

おう、テスト見せてくれてありがとよ。「無断転載禁止」?知らんがな。


よし、もうすぐお前らの中学定期テストだな?

うちの塾にはoo中学過去問がたくさんあるから印刷して配るぞ!

授業で演習やるから忘れんなよ

あとそうそう、これ、学校とか持っていくなよ。色々あってな。


頭良いのか悪いのか。これどう考えてもやってることまずいだろ。

もしこれを読んでる学校先生がいたら、過去問を塾にコピーされてることと思った方がいいぞ。

年度の途中で急に過去問と傾向変えてみろ。

それで成績ガクっと下がった奴は塾で配られた過去問に頼ってる。

ブラック職場

悲惨環境は生徒だけじゃない。講師にとってもクソみたいな職場だ。

みたいってのはクソじゃないってことか。

訂正。クソだ。


まずバイトの話。

これは塾毎に相違がありそうだから詳しくは書かないが、無給労働が発生する。

採用時の説明では「授業給」と「事務給」があると言ったが事務給が出るのはごく僅かな時間だけだ。

1h前くらいから授業準備だけでなく雑用までさせる癖に事務給出るのは授業の前後ちょっとだけ。

テストの再テストをさせてる間は無給労働

授業給が\2000 / hを超えてるかもしれないけど実際の給料最低賃金くらいだったりするからな。まあ最低賃金あれば違法じゃないかマルチ詐欺よりはマシか。


じゃあ正社員はどうか。

あいつらはもっと酷い。

基本的にXはケチな塾だ。人件費が足りない。

ので、校門前でチラシ配るあれ、全部授業してる講師から

あれ校舎に戻ってきたらそのまま授業してるから

じゃあ飯はどうするのかって?

食ってないor数分でかけこんでるよ。

季節講習の時期とか朝から晩まで授業と事務をこなしてるからさ、まじ16時くらいに5分でコンビニ弁当平げて授業しにいくのちょくちょく見るから


夜も酷いんだけどな。

俺たち学生バイトは22時台には帰れるけど、正社員が俺らと同時に帰るの見たことないからな。

噂によると終電間に合わないかバイクできてる人もいるらしい。

というか忙しい時期は夜2時とかまで作業してるらしい。

塾長作業してる手前俺も帰れないって言ってた新卒社員に同情したら、安い給料でこき使われるバイトにも同情された。

どっちもどっちだわ。


大手学習塾とて通わせてはいけない

ここまでで分かっただろ、そこら辺に生えてる雑草みたいな塾は例え大手でもクソだから

そんなん無い方が生徒も講師幸せから

じゃあどうやって勉強させればいいかって?まともな塾を探してくるか、さもなくば学校ちゃん勉強するんだな。

まあ中学受験考えてるなら学校だけじゃ無理だけどさ。そういう奴は大抵親が過保護からその過保護の方向を情報収集に使ってやればいい。


水素水飲んで血液クレンジングをしてるやつがいるんだ、結局この手のウンコ塾はなくならないだろうけどお前はリテラシをつけてそれを笑える立場になるべきだ。

俺はそう思うね。

anond:20201208155032

私立もいろいろだよねって思う。

小学校から私立で、そこは当時高校を持っていなかったので高校から私立公立国立を選ばないといけなかった。

県でも上位と言われた私立に進学した奴はそこそこいたが、いじめがめちゃくちゃひどいと有名だった。

ワイは公立に行ったけれど、元増田の言うような連中も通学しているんだろうなーと思う謎生徒指導が学年集会のたびにある以外はのびのびとやっていた。

国立定期テストが終わったその日に自習室に行くとみんな勉強していてそこまで熱心ではない人は息がつまるみたい。

ワイ思うに、どこの先生でも成績優秀者はそれなりに優遇して見てくれると思うんだ。

私立国立に行ったらワイもその他大勢の人々になっただろうけれど、公立に行って優秀者一覧にいつも名前が載っている人になるなら、そっちのコースも悪くないと思うんだよね。

私立とかはそれこそ生きるか生きるかの過酷競争を送ってたんだなーと大人になって生きるか生きるかの過酷競争をして分かった。

2020-11-29

片想いを拗らせている

わたし現在大学1年生の女です。高3から今に至るまでの恋愛の話を少しだけしようと思います

高校とき、ある男の子片想いをした。

同級生で、集会の時に学年代表でスピーチをしたり、所属している部活部長を務めたり、かなり優秀な人だったけど、他人にあまり関心がなかったわたしは、彼の存在を高3でクラスが一緒になるまで知らなかった。

遅すぎる出会いだったと思う。が、それより早く彼の存在を知っていたとしてもどうこう出来たとは思えないのも事実だ。

好きかも、と意識し始めたのは夏前で、夏休みに入る直前の席替えで席が前後になった。

受験勉強に明け暮れた夏休みが終わり、登校を再開し始めると、学校生活天国のようになった。彼はあまり喋らない人だったけど、わたしと成績が近かったこともあって、定期テスト模試の話なんかはよくした。

それからほどなくしてまた席替えがあり、彼とは喋ることも少なくなった。受験勉強が本格化したこともあり、互いに自分のことで精一杯だった。

卒業式を迎えても、彼とは一言も喋れなかったし、ましてや「写真を撮ろう」とも言えなかった。

彼もわたしも、進路は別だが地元に残って大学生になった。半年くらいは新生活が忙しく、彼への感情は忘れていた。

しかし、ある秋の日に友人と出かけていたところ、彼に似た人を街で見かけた。ほんの一瞬しか見れなかったので、本当に彼か確証がつかめず、それで久しぶりに彼に連絡した。

結果としては他人だったけれど、いいきっかけになった。今どきめずらしくインスタグラムアカウントを持っていなかった彼に、話の流れでアカウントを開設させることもできた(投稿ストーリーいいねもせず、フォロバしかしてくれないけど)。それで、今日までに3回ほどわたしから連絡を取った。

正直なところわたしはもう片想い感情を持つのがつらくなってきている。本当は告白したい。けれど自分に自信が持てずわたしは彼と釣り合ってないんじゃないかと思ったり、またしばらく会ってないのに突然「付き合ってほしい」などと言われても相手も困るだろう。その前のステップとして、「来月どこか空いてますか?久しぶりに会いたい」と言うことさえわたしにはとても出来そうにない。わたしの彼への好意が彼に剥き出しになることが怖いし、この誘いをたとえやんわり断られたとしてもわたしの心には人生最大の傷が残るだろう。それにもし本当に会えることになったとして、死ぬほど好きな人と1対1になって正気を保っていられるとも思えない。かといって彼はとても素敵な人なので、わたしがうじうじしている間に大学出会った女の子と付き合い始めてしまうかもしれない。

何を見ても、何をしていても彼の事が思い浮かぶほどわたしは彼に恋をしているけど、どうすることも出来ない。前回連絡したときから3週間が経つ。そろそろ彼不足で死にそうだ。

高校とき少しだけ話しただけのクラスメイトから月一ペースで連絡が来たら、嫌ですか?突然誘われたら驚きますか?わたしは、どうすればいいですか?助けてください。

2020-09-29

英語勉強してる意味

自分専用のSwitchをようやく手に入れられたので、本体言語設定を英語にして使っている。

英語は正直得意じゃない。でも、なんとなく勉強し続けている。

中学の時の英語は”This is a pen."で始まって、

中1の一学期中間からいきなり赤点を取り、そこからずっと高3まで30点を超えることは一度もなかった。

先生放課後に開いてくれた特別補習も必死に受けたし、定期テストの時はどの科目よりも時間をかけていた。

でも、良くて30点。

他の教科はそこそこ出来ていただけに、どうしても英語が出来ないのがつらくて、ずっと泣きながら勉強していた。

これで私大とは言え、大学合格できたのが未だに不思議だ。

そして、大学に入ってから英語は、

アメリカ小学校1年生の教科書を使った授業と、

著名人インタビュー集を使った授業だった。

”an apple" ”apples"

最初のページはリンゴの絵とこの2語が書かれているだけだった。

でも、私は「自分はこの英語がやりたかったんだ!」と、この時に初めて理解した。

当時は分からなかったけど、後になって考えると、

英語は使える!」と自分理解したのだと思う。

中学の時留学生が来たのだけど、英語先生のが英語相手に通じなかったし、

英語を使う中学生の言葉先生理解できなかった。

大人になってからなら、英語だって方言あるよね。と、先生擁護もできるけど、

あの時自分は「この英語勉強しても、ああなのか。意味がない」と、無意識学校英語を切り捨ててしまったのだろう。

それが大学の”an apple" でひっくり返った。

インタビュー記事も、授業に関係ないところまで頑張って読んだ。

当然、基礎が全くできていないので、誰よりも時間がかかったけど、それでも初めて英語楽しいと思った。

そこからは独学でちまちまと絵本児童書を読んだりしている。

就職して結婚して子供が出来て。

子供英会話やってみたい!というのに合わせて、英検も受け始めた。

5級から始めて、今準2級。

2級は会話がネックすぎて今は難しそうだけど、カメの歩みでも20年以上やればここまで至れるだという実感もある。

そしてSwitch英語

あつ森留学リングフィット留学である

ぶっちゃけストーリーが進まない。でも楽しい

準2級とはいえ、初歩的な単語が未だにちゃんとわかっていない。

そして、文法もわかっていないので、単語意味は全部わかるのに、つながると何を言ってるのか全く分からん!という、愉快な事態によく陥る。

スクショを山ほど撮って、暇なときノートに写し、スマホ単語検索して「なるほどねー」なんて言っていると、

子供が「そこまでして英語って勉強したいの?好きなの?」って聞いてきた。

好きではないのかもしれない。だって、好きだったらとっくに自分英語の文とか組み立てて話せるようになってる気がする。

そこまでではない。

でも、あつ森とリングフィット英語でやってみたいと思った。

あつ森のフータさんは、英語版の方が卑屈なところがなくて好き。

リングフィットはよく見かける、”Take it away,Tipp!”

の、Tippがどうしてもわからず悩んで、ミブリさんの英語名と知って崩れ落ちるとか、

自分物理で動いているせいで、台詞スクショできなくて悶えるとか、そんなのが多い。

んで、今は何回もノート見直しいるから無理やり訳しているけど、本来は訳す必要はないんだろうなぁと、

ゲーム留学をして感じている。

脳内で訳さずに意味が分かったら、とても楽しそうだし、テンポ良くゲームが進むんだろうな。

そして、あつ森の英語があらかたわかるようになったら、他の英語ゲームもやってみたい。

でも、あつ森は言い回しが難しい!

たった1行の文に15分以上悩むとかざらすぎる。

リングフィットは、言い回しはまだわかりやすいけど、日本語ダジャレ攻勢に慣れ過ぎて、

もしかして英語ダジャレが隠されているのか?と、変な悩み方をするのと筋肉まみれなので、

他のゲームをするときの礎にはなりにくいかなぁと、勝手に思ってる。

うん、ここまで書いていて思ったけど、子供に対するアンサーは、

英語楽しいよ!難しいけど!!」かな。

いいんだ。人生80年くらいあるなら、あと30年近くは出来るんだ。

体が弱って動けなくなったくらいに、英語古典が読めるようになってたら嬉しいな。

2020-09-02

人生

まれた時から4歳までは自分世界一可愛いと思ってた。

5歳から幼稚園に入った時もう格差はあった気がする。あの子可愛いからの子と仲良くしたいとか、名札につけてるシール可愛いとか、、それでも自分可愛いだって疑わなかった。

小学校はいから嫌いになったかからない。2年か3年の席替えの日、隣の男の子が泣き出した。私が隣なのが嫌だったらしい。この日から私はお呼びではないんだな、、と感じはじめた。6年の時は好きな男の子を見てたら、こっちみんな気持ち悪いって言われたなー でも、小学校もそこまでブスではないでしょ、くらいだった気が

中学は暗黒。初っ端からカッコつけて一人で本読んでたせいで孤立。ブスで小太りで目つきが悪いため嫌われる。私がペアになったり、話しかけようとすると避ける。バレーの授業で運悪く陽キャ軍団に入ってしまい、私の守ってるとこばっかり狙われ(当然取れない)負け続けさらに嫌われる。陰キャ友達にも私服馬鹿にされる。その他もろもろ

定期テストでいい結果を取り続け、勉強できると勘違いする。高校受験は失敗する。

高校

陽キャになりたすぎてイキッて奇跡的に上手く擬態するが、本性が次第にばれ半分不登校になる。体育祭文化祭サボる陽キャグループには入れたが、男の話ばっかでつまんなくてサボる陽キャ、男好きすぎでは??

大学は当然行ってない。短大名前書けば入れる。

中学同級生にばったり会い、私が中堅大学にははいったと思っていたらしく、引きつった笑みを返された。

陽キャはいいよね。人のこと虐げても虐げても、自分はうまくいくもん。何してもいいんだもんね。いじめてても上手くいくんだよ。でも虐められてきた人は歪むよ。もうまっすぐに歩けない。残りの人生楽しめねえよ。なんなの?なんで当然私達が強いって確信してんの?なんで私は当然弱いの?ずっと怯えながら生きていかなきゃだめなの?もう嫌だ。陽キャ死ねよ。しね。

ここまで読んでくれた人、ありがとう。早く死にたいですね。でも怖くて死なないですね。お互い一刻も早く死ねることを祈りましょう。アディオス

2020-08-13

プログラマーフリーになるのは難易度が高いのか

自分目標がなかったので取り敢えず法学部に進学した大学1年だが、ここ2ヶ月以上趣味HTMLCSS勉強してその後自分サイトを作っているがすごく楽しいプログラミングは中高では定期テスト勉強程度しかやってこなかったから今更気づいた。

ADHD特性なのか夏休みは1日中これをやっているが仕事にすることは可能だろうか?また自分女性なので、結婚をして子育てをしている期間中webデザインなどの仕事フリーで請けてやっていこうとまで考えているのだが、やっぱり難しいんだろうか。

2020-07-28

勉強センスがいいやつが一番きつい

長男の塾の面談に行った。

 

4月から通い始めたので、まだ結果にコミットする手前ではあるのだが、いちおう定期テストも終わったのでそのレビューも含めて。

長男中学受験失敗組ではあるが、まあ、狙っていたのが無茶言うなというところだったのでそこまで卑屈になってるわけではない。

うちの公立中、地域では有名なハイレベル公立中で「開成に落っこち海城受かったけど、高校開成に行きたいから、こっちに来た」みたいなやつが何人もいるようなところだったりする。

そのため、長男の成績は学年で30番前後くらい。まあ上の下くらいというところか。

苦手な教科で後15点積み増せれば、学年10位くらいになれるのだがというところなのだが、まあ、薄々感じていたが、そういう詰めがあまりできないタイプ

英語で言えばスペルミス文法ミス国語で言えば漢字ミスみたいな、もったいない詰めが甘いタイプ

先生も数か月のコミットでそれに気づいたらしく、開口一番「長男君は、理解センスがあるので、後はどうやって咀嚼するかですね」と言ってきた。

ああ、なるほど。センスってのはい言葉だ。

センスがあるので、先生の言ってることでわからないことはない。理解できないポイントってのはない。

だけど、理解はできてしまうので、基本問題サクサクっと解いてしまって、その先の応用もえいやっと解いて8,9割は解けるんだけど、その先発展問題とか複合問題みたいになるといきなりできなくなる。

理解大事とはよくいうけど、たぶん大事なのはさらにその先の体系化(先生咀嚼といってた)みたいなところで、その体系化をするにはどうすればいいんだろうね。

まあ、先生もその辺は考えてくれてるからちょっと頼ってみることにしよう。

2020-07-22

有言不実行な友人の話

ある友人に我慢できず、他の友達に話すのも気が引けるので筆を執ることにした。

私の自分語りを多分に含んだ愚痴のような物なので、肩の力を抜いて読んでいただければ幸いだ。

私はしがない字書きの大学生である中学生の頃には仲の良い友人二人と、自分たちを模したキャラクター架空世界の中活躍させる創作を交換ノートの中でやっていた。元々絵を描くことも好きだったが、どう足掻いても上手く描けないことに諦めを感じ、気付けば文章ばかりを書いていた。

高校に入ると文芸部に入った。入部届けを提出するまで、入ったことは親には黙っていた。シンプルにそれまでやっていた吹奏楽に嫌気が差しただけなのだが、高い楽器(丁度自分の貯めていたお年玉やらお小遣いやらの全額程度だった)を買ったというのに吹奏楽を続けなかったので、父親は後にも先にも無いほど激怒した。当時の私は相当にショックを受けたが、まあこれは関係の無い話なのでやめておく。

とにかく文芸部に入ったのだ。正直本当に楽しかった。気の合う友人もできた。文学という架け橋が無かったら話すことも無かったような、私とは系統の違った部員一冊の本を作るのは刺激的だった。空が白んできても何も浮かば空虚日の出を見たり、締切の為に定期テストそっちのけで徹夜をしてキーボードを叩いて編集をしたり、高校生なりの熱量部活を、書くことを、“創作”を、楽しんでいた。

恐らく想像がついている方もいらっしゃると思うが、私はオタクであるとはいえ二次創作イラスト等の投稿や閲覧が楽しめるSNS投稿を始めたのはつい最近で、それまでは内輪のオリキャラでの創作小説を書いたり、時には友人を主体にした夢小説を書くこともあった。

そんなこんなでここの所二次創作を楽しんでいる私であるが、どうにも腑に落ちないことがある。

端的に言ってしまうと、あまり好かない友人がいるのだ。彼女高校1年生の頃からの友人で、ありがちな書き方ではあるが彼女をAと呼ぼうと思う。(A以外にアルファベットは出てこないので、特に気に留めて置く必要はない。)

Aは自信家だった。帰国子女のAは英語を始めとして成績優秀で教員にも好かれる模範的な生徒だった。本人はそれを隠すこともなく、「私は天才から」「と言うより、努力型の秀才なんだけどね」と言ってのけていた。努力を惜しまない姿勢は素晴らしいし、怠惰な私は純粋尊敬したが、その努力をひけらかす行為はいただけなかった。受験期にはキーワードをページいっぱいに書き連ねたノートボロボロになった単語帳を常に持ち歩き、志望校赤本まで隠さず机の上に置いてあった。私は「落ちたら恥ずかしくないのかな」とぼんやり思っていたし、本番当日にもAは「Twitterしてる場合じゃないけど不安 報われなかったらどうしよう」だの「爆死」だの呟いていたが、最終的にAは無事合格し、その大学へと進学した。

思うに、Aはオープン性格なのだ。未だにTwitterの鍵垢同士で繋がっているのだが、課題の進捗やらをよく呟いている。「自称天才から(オンデマンド)授業明日の分全部受けてレポートまで書いた」「虚しいから労って(レポート画像)」などなど。活きの良い大学生である

さて、本題から離れてしまったが、私がお話たかったのはAの創作についての話である

実はAは高校在学中から一次創作を嗜んでいた。Aはもう一人の友人とタッグを組んで自作ゲームを作ろうとしているようだった。所謂ファンタジー物で、次々とキャラクターを生み出してはストーリーの核となる部分を練ったり、キャラクター自身の掘り下げをしていた。

なぜ私がそれを知っているのか。それは彼女が片っ端からTwitterに放流するからである。興味が無いので完全にスルーしていたが、AやAの周りの友人はいつもAの生み出したキャラクターの話をしていた。

彼女ゲームシナリオとなるその“創作”の本筋を書いて、もう一人の友人は立ち絵や背景を書いていた。

書籍化しないかな」

Aのそんな旨の呟きをよく見かけた。

そのうち、Aの周りにいる友人は、そのキャラクターイラストを描き出した。漫画にせよ小説にせよ映画にせよ、ストーリーを追ううちにキャラクター個性を見出す私にとっては、設定や性格が書き連ねられた一枚絵を見せられても特に何も思わなかったが、友人たちは違ったようだ。確かに毎日それらのキャラクターの話を聞いていれば興味を持つの自然だろう。

最初こそAは大いに喜んでいたが、そのうちさして大きなリアクションをとらなくなっていった。そのうち、「おまえらファンアート15溜まったら本編まじで進めるわ、ケツ叩いてもらわないと無理かも」といった旨をツイートしていた。

Aとタッグを組んでいた友人は、徐々にTwitterに浮上しなくなっていった。その代わり、Aは自分のことを“字書き”と自称することが増えて、ゲーム制作の話は一切しなくなっていった。

Aはよく産みの苦しみの類いのツイートをする。

「一話が上手くいかいから先に進めない」

「予定の字数より多くなっちゃったw」

キャラには自信あるけど文に自信ないから〜」

「(とある児童文学タイトル)の後釜狙ってます

そう言って一通り喚き散らした後、「やっぱり今日は書けないから寝よう」と言って日付の変わる前には就寝している。

なるほど、AもAなりに書くことを楽しんでいるようだ。いつか自分創作を完成させて、それが大々的に二次創作される日を夢見ているらしい。丁度今、絵の上手い他の友人に描いてもらっているように。

私は一言言いたかった。

四の五の言わずに書けよ。

一発当てたいなら本気で完成させろよ。

甘えてんのか。

もちろん私は今の文壇リードするような大作家でもなければ、新進気鋭の小説家でもなんでもない。しかし、Aよりも文字を書くことは数こなしてきた。適切な表現が思い浮かばなかったり、心苦しくても大部分を削除してエンディングを書き直したり、寝食を忘れて夢中になって書いていたこともある。もちろんそれが重要なことでないこともわかっている。

Aは昔、高校生だった頃に私にこう話したことがある。

わたし、○○(私の本名)ちゃんのことすごいと思うよ。文芸部に入ったら、締め切りとかそういう重圧で死んじゃいそうだもん。自分好きな物上手く書けなそうじゃない?」

私はこれに何と返したかは覚えていない。しかし、文芸部は私に書き終えることの大切さを教えてくれた。

オープン彼女は書いている最中の苦しみを漏らすことを抑えていられない。しかもそれをやたらと文学的に表現しようとする。浮かんでこない、降ってこない、突然書けなくなる……、そういったありきたりの表現で。Aはやたらと“創作”や“小説”という言葉を使いたがった。自分が今しているのは“創作”で、“小説”を書いている。その行為に酔っているように見えた。けれど言葉が固くなってはいけないと思っているのか、進捗状況が載ったスクリーンショットに映る文はなろう系を模したような劣化させたような文体なのである

「私の文幼稚なのはわかってるんだけど、かっこつけた描写はしたくないな。児童書目指してるし」

子供が読みやすい文、単純に砕けた文、そして口語ばかりで仮名遣いの怪しい文。難解な表現を使うことと、状況を説明するために上手く言葉を組み立てること。これらは明確に分けられていると思う。斜に構えた描写を、子供には解しがたいと思っているのだろうか。私は自身の素の書き方がかなり固いこともあり、まるで自分が“かっこつけた描写”をしているような気がしたこともあり、なんだか頭にきてしまった。

また、数日後にはこんなツイートもあった。

承認欲求足りな過ぎて手っ取り早く誰かに褒められたいけど、二次創作は書けないからなぁ」

この発言は私の逆鱗に触れた。

私は、自分の書いた二次創作を「承認欲求を得るための行動だ」と言われたように感じたのだ。書いた物を貶されるのは嫌だけれど、書く動機をAのようにあからさまに「誰かから評価されるため」にすり替えられるのが耐えられなかったのだ。ネットに公開している以上、何らかの反応があることはもちろん嬉しい。しかしそれ以上に、頭に浮かんできたシチュエーションを練ってひとつの話を作ることが楽しいのだ。

今思うとAはそこまで考えて発言したように思えない。恐らく私の考えすぎだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いし、何を言ったかより誰が言ったかが気になる質なのかもしれない。

SNS上でのAとの繋がりを消そうにも、そのアカウントには共通の友人が多く、彼女たちが気を利かせて私の転生後のアカウントをAに伝えてしまうことは想像に難くない。かと言って「繋げないでくれ」とあからさまに嫌う素振りを見せて友人関係にヒビを入れたくもないし、ログアウトしてしまうと他の友人の呟きまで見れなくなるのも寂しい。そういうわけで今でもAとはFF内で、表向きは仲良くやっているわけである

さほど苦ではない。しかし確実に自分ストレスを感じていることはわかるので、いつか縁を切ろうと思っている。

結局これはさして大きな問題ではなく、周りからチヤホヤされている人間を妬ましく思っている私の醜さが露呈しただけなような気がしたので、この辺で筆を置いておこう。自分の“創作”のスタンスに口を挟まれて気分を悪くするのは、私自身もそうだから

2020-07-20

何も与えられなかった私と、与えられた人間への恨み

幼少期に家に本があり、勉学をする環境が整えられ、何より食べることに困らなかった人間が憎い。

私はとある部落に産まれ落ちた。教養常識もない。最近になり人間は1歳ではなく0歳で産まれてくることを知ったほどだ。幼少期は食事にありつけないことも少なくなかった。

物心ついた頃には母親はおらず、父には毎日暴力を受けて育った。

就学前の教育は一切なく、小学生になってから部落まれ忌避された。給食費等は父が払ってくれなかったので教師からも疎まれていたように思う。とにかく周囲の人間はすべて敵だったように感じていた。

何も与えられなかったが、知能と運動能力は著しく高かったと思う。

程なくして才能を見出され、野球を始めた。能力は高かったので、私がいれば勝てるという理由で月会費をチーム内の父兄負担してくれた。父が野球をしている私を見に来ることはなかった。

ただ、なんとか野球を続けることができたおかげで、中学時代関東ではそこそこ知名度のある選手となり、県外の高校特待生として進学することができた。父は中学を出たら働き手として収入源にするつもりだったようで猛反対していた。

やっと親元から離れることができた。高校では寮に入り野球漬けの日々を過ごしていたが、勉学にも懸命に励み、スポーツ馬鹿偏差値の低い高校ではあったが、定期テストで学年1位を譲ったことはなかった。

野球の方でも一定成功をしたので特待生大学からスカウトもあったが、将来を考えて一般入試でのいわゆる高学歴、難関大への受験をした。父はもちろん怒り狂っていた。

このあたりで母親と再開した。記憶の上では初めて会う母は、貧しいにもかかわらず私の大学受験支援してくれた。

結果として受験はまずまずの結果で、当時偏差値70前後私立大学合格することができた。野球しかしてこなかった人間としては上々だろう。

もちろん私立大学学費など身内の誰も払うことはできないので、私は700万円の借金を背負い大学進学をした。大学では飲み、賭け、遊ぶ、模範的生活を送った。この頃から父の存在は頭から欠落している。

その後大学から言えば当然程度の大手企業就職し、働くようになった。

ここから社会に馴染めない私の人間性とそれを醸成した環境の劣悪さに気付き、同時に「マトモ」に育った人間への嫉妬憎悪が芽生え始める。殴られないように父の機嫌を取っていた卑屈さが、幼少期に教育を受けられなかったせいで常識マナーが欠如している点が、他者の反感を買い、実社会での孤立を招いている。

かい家庭で育てばこんなことにはならなかった。努力できるレールが敷かれていればもっと良い企業に入っていた。環境が憎い。豊かに育った人間が憎い。愛されていたかった。愛とはなんなのか。お前ばかりなぜ愛されるのか。というように、環境から自分へ、自分から他者への憎悪へ、姿を変えて何かを恨み続ける人生を送り始めている。

見かけだけは普通人間を演じている。怒りや憎しみを抱えながらも。

私はこのまま何かを憎み続けて生きていくのだろうか。

2020-07-08

ニートを抱える崩壊家族テンプレート

二ートを抱えた家族は、すぐに崩壊はせず、緩やかに壊死していく。

私の実家もその典型的な一例であるため、「ザ・ニート家族」はこのように形成されるということを、

兄と私の半生を交えながら紹介したいと思う。

幼少期~小学中学

2人兄弟末っ子として生まれた私は、兄と年齢が少し離れていたこともあり、両親、祖父母、親戚から可愛がられており、兄は必然的放置されがちだった。

からしてみれば、自分蔑ろにされている感覚からさぞ私を恨んでいたことだろう。

しかし、家族全体を通して見れば、多少ケンカをする2人兄弟の4人家族という一般的な家庭であった。

高校大学

このときから、母が兄を厳しく躾けるようになる。

定期テスト、塾、受験、進学に関して、成績が悪かった兄を強く叱るようになり、それに兄が反抗し更に勉強をしなくなるという、負のフィードバックループが起こっていた。

また、学業だけでなく、日常生活全般に関しても気に入らないことがあれば怒鳴り散らし、自分が思う「躾け」の型に兄をはめていった。

そんな中、高校卒業を間近に控えた兄は、今まで自分の進路や行動を母に縛られていたため、

全くもって自立的活動することができなくなっていた。

当初、大学に進学せずに働こうと考えていた兄だったが、やりたい仕事もなければ行きたい大学もなかった。

結果、ただ親に「今のご時世、大学には進学しておけ」と言われたから進学しただけの、Fラン大学生が誕生した。

それを見ていた自分は、当然兄を反面教師とする。

高校自由校風進学校に進んだ自分は、真面目に部活学業に打ち込み、上位の国立大学に進んだ。

大学社会人

決定的な転機が訪れたのはここである

今まで母は過干渉なぐらい兄につきまとっていたが、

就職という、人生の進路を決める大切な局面において、

兄に干渉判断を下すことを回避し始めたのだ。

今まで自分人生無頓着で、重要選択さえも母の干渉を受けていた兄は、

自分人生について主体的に考えることができなくなっていた。

「ただ今が楽であればいい」と考えるようになった兄は、

親がうるさく言ってこなくなったのをいいことに、大学卒業を間近に控えても就職活動をせず、ニートの道に進んでいった。

一方、兄への干渉を辞めた母は、幼少期ぶりに自分に接近するようになる。

しかし、今まで自分母親に悩みも相談したことが無ければ、進路や人生の指針を相談したこともなく、

自然と母から距離を取るようになっていった。

就職結婚も確定してからの事後報告であり、「親を喜ばせる」なんてことは一切頭になかった。

そしてこの物語には、父は一切出てこない。

父は仕事人間であり、躾けどころか子ども相談にも乗ろうとしなかった。

母が兄を怒鳴り散らしていた日々においても、その教育方針に口を挟むことはなく、黒子に徹し続けていた。

今まで教育母親に任せきりにしてきた父は、無職の兄に対し躾けをする権利も、家庭内での発言権も無くなっており、

そんな威厳の無い父親を、兄と母は敵扱いしていた。

まとめ

ニートによる家庭崩壊は、基本的にはこのパターンである

母→干渉癖があるくせに、大切な場面で育児から逃げる

父→普段から育児に加わらず、家庭が崩壊寸前でも何もしようとしない

子(ニート)→小さいころから主体性を奪われているため、一人では何もできない

子(非ニート)→実家から逃亡し、何を言われても他人で押し通す

これら過干渉不干渉の極端なバランスが、家族の形をいびつにしていく。

このパターンに当てはまる(緩やかな)崩壊家族日本結構あるんじゃなかろうか?

今後

兄が30後半に差し掛かり、両親も定年に入り収入が無くなった今、

家族は間違いなく崩壊の道を辿っている。

親が亡くなれば、家や土地を兄が継ぐのかもしれないが、後に残されうるのは主体性を失った兄であり、

そんな兄にいくら財産付与されようとも解決の道は開けないだろう。

そして東京に出て家庭を築いた私は、いずれ崩壊するであろう実家を見て見ぬふりしている。

結局、兄も私も、同じぐらい無責任で、同じぐらいクズ人間なのだ

2020-05-02

[]anond:20200502065319

14歳初体験が無色だった話

このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組歴代のヒットソングを流し続けている。

私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代うんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。

この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。

歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。

2005年のヒットソングレミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日ラブホテル天井だんだんと思い出させる。

中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。

私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。

中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校トイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園トイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。

一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園トイレでパコっていそうなのに、処女なのだ

私は心底情けなかった。親から毎日公園トイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggアニマルトークを読む日々が。

そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。

それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。

高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかったバカからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。

からといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。

そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点数学で叩き出した。

それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価オール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいしか高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである

そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。

選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OB受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校ギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。

しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。

その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。

私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。

私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。

いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験相手が改札の向こうから現れる。

周りの女の子たちには、インターネット出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。

振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。

すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。

道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。

それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルロビーに入ってからだった。

男は「どこでも良いよね」と言って光るボードボタンを押すと、小さなから鍵を受け取り、エレベーターボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。

部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。

男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。

その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生男の子告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。

タバコ匂いシャンプー香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテル天井を、私はぼんやりと見つめていた。

別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手からか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。

私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験感想は見つからず、モヤモヤした。

それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MV演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。

そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験感想としてしっくりくるものだったのだ。

揺れる長い髪やかすめた天井宮崎あおい最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。

聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ

天井ぼんやりと見つめている間に、音楽番組10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。

14歳初体験が無色だった話

このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組歴代のヒットソングを流し続けている。

私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代うんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。

この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。

歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。

2005年のヒットソングレミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日ラブホテル天井だんだんと思い出させる。

中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。

私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。

中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校トイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園トイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。

一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園トイレでパコっていそうなのに、処女なのだ

私は心底情けなかった。親から毎日公園トイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggアニマルトークを読む日々が。

そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。

それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。

高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかったバカからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。

からといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。

そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点数学で叩き出した。

それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価オール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいしか高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである

そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。

選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OB受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校ギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。

しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。

その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。

私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。

私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。

いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験相手が改札の向こうから現れる。

周りの女の子たちには、インターネット出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。

振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。

すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。

道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。

それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルロビーに入ってからだった。

男は「どこでも良いよね」と言って光るボードボタンを押すと、小さなから鍵を受け取り、エレベーターボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。

部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。

男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。

その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生男の子告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。

タバコ匂いシャンプー香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテル天井を、私はぼんやりと見つめていた。

別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手からか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。

私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験感想は見つからず、モヤモヤした。

それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MV演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。

そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験感想としてしっくりくるものだったのだ。

揺れる長い髪やかすめた天井宮崎あおい最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。

聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ

天井ぼんやりと見つめている間に、音楽番組10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。

2020-04-18

小学生の頃に自称神童だった奴の末路を言い当てるわ

この手の奴らは大抵中学挫折してるから

家庭で学習する習慣がない中途半端地頭の良さだけでやってきた自称神童くんは中学定期テストで塾通いのエリート達との圧倒的学力格差愕然としてしま

そしてネットアニメゲームに逃げて無事オタクになり地元のショボい高校に進学してその後ショボい大学に進学してショボい大人になる

どや?だいたい合ってるやろ?

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