はてなキーワード: 恩情とは
高3の主人公がイケメン担任教師と恋愛するっていうBLとしては普通の展開ではじまる
でも次第におかしくなっていく
主人公(攻め)には担任(受け)が絶世の美男子に見えるが、友人にはそうではない
友人には担任は、歯は明らかに入れ歯で片目は義眼なのかどこを見ているかわからず皮膚があちこち引き攣れた不気味な障害者に見えている
授業の内容も他の教師と違ってひどく幼稚でみんな内職をしている
なにか訳アリの障害者を恩情採用しているのだろうけど迷惑だし気持ち悪い、というのが大抵の生徒が思っているところ
その高校があった辺りはかつて因習村で、選ばれた子供を痛めつけ、その子の苦しみが深いほどに村が神から得る見返りも多いみたいな信仰があった
先生はその因習が密かに残っているせいでボロボロにされた子供だったとか、大昔の因習で死んだ子供の霊だとかなんかそんな存在
主人公は先生に魅入られてしまったので永遠に高3のまま先生と恋をして、普通に卒業しておっさんになった友人は帰省した際に少年のままの主人公を見かける
ちょっとエグい過去を持つ先生を陽キャの主人公が支えるとかそういう程度のダーク要素かと思って読んだらグロかった
BL、「ヤクザの愛人だった」「借金のかたに男娼やってた」みたいな悲しき過去のキャラを扱ったものあるからそれぐらいはあるかなと
おっさんの下ネタに乗って下ネタを言う。周りは引いているし、苦痛に感じている人が多数。
パンツが見えている。気を遣う。
どう見てもギャルを到底客前に出せないので、ほかの人がやる。人手になってない。
敬語できないのでそこから指導。その他常識を知らないのでいたるところまで指導。一発ではできない。
給料への愚痴を大声で言う。正直給料基準にも満たしていない仕事ぶりだけど、今やめたら景気的に行くとこ無いので会社の恩情でここにいる。
性格はそこまで悪くない、と思いたいがよくよく考えて、努力もせず改めもせず人に迷惑をかけている時点で性格が悪いのではないかと考えてしまう。
人の心を荒ませていく天才。
http://alfalfalfa.com/articles/266060.html
16歳の高校生が車を購入した件について、は学校側がカギを取り上げて車の売却か退学かを選択するように迫ったとのことで、コメント欄では学校への批判が溢れている。
入学時に、在学中に車やバイクを所有しないこと、免許を取得しようとしないことを誓約書に記入させる学校が一定数ある。
私の勤務先の私立高校、卒業した出身の公立高校では同様の誓約書を新入生は提出することになる。
この学校も同様であれば、そもそもこの生徒に課せられる一番一般的な処分は退学である。
しかし現実的な対応として、車を手放すなどの覚悟を示すことによって謹慎・停学で済ませてあげよう、といった処分は大いにあり得る。今回のケースはこれの可能性がある。
そもそもアルバイト禁止の高校は全国的に非常に多い。見つかった場合は1~2週間程度の謹慎になることが多いだろうか。
どちらにせよ、学校側としてはかなりの恩情処分である可能性がある。
これは問題がある可能性があるが、良かったら詳しい人教えてください。
・1週間預かり、反省文を書かせて以下略。「没収」とは言わずに「預かる」という言い方をするのがミソ
まとめると・・・
この生徒は
2.がっつりその内容に違反して
4.車を売却することで謹慎に済ませようと「説得」したが
5.本人はその場の流れでよく分からず鍵を渡して、「退学」のワードが頭に残った結果
鍵を保護者に返却していないのであれば、リスク管理の甘い昔ながらの田舎の学校だなーというイメージはするが、
ネットで「ドクターストレッチ 回数券 返金」などと検索すると、同じようなモヤモヤを抱えている人が多いようなので書く。
今年の某日、都内にあるドクターストレッチに初めて行った。施術の内容は満足の行くもので、また通ってみたいと思わせる品質だったのだが、事後に待合室で回数券のセールスを猛烈に受け、断りきれずに買ってしまった。
しめて15,000円以上で、帰宅してすぐに猛烈に後悔をしたのだが、後日やはり納得がいかないと思いドクターストレッチのウェブサイトから本社に問い合わせたところ、無事に返金をしてもらった。ちなみに店舗はフュービックの直営ではなく、FC展開をしている某社の経営。
セールスを受けても断固として拒否できなかった私にも非はあるだろうが、そもそもこちらは体調不良を治してリラックスをするために行っているわけで、営業の交渉をしに行っているわけではない。リラックスモードのときに、それまで1時間談笑をしてお世話になった施術師にいきなり営業モードにチェンジされてセールスをされると、恩情も出るためなかなか断りづらいのも事実だろう(事後に高額な回数券を売りつける商法はエステ商法と言われ、消費者センターでもたびたび問題となっている営業手法に近い)。
というものだった。繰り返し書くが、私が頑として断ればよかったのだが、気が緩んでいるときに友好的だった相手からセールストークをされると断りづらいもの人間心理だろう。
まずドクターストレッチは、このような営業をやめて欲しい。私のように事後で返金しろとわめき出す人間は少数だろうから、このような人間が現れることを前提に、抗議をしない多くの人だけを相手にして回数券を売り、利益最大化を目指すという戦略なのかもしれないが、客はリラックスをしに行っているわけで、そこで突然発生する営業トークにも対応しろというのは客に無駄な負担をかけている。するのであれば、施術師とは別の人間が出てきて説明をするなり、「3ヶ月間毎週通って欲しい」「10回券を買って欲しい」などと誘導するのではなく、プランを複数示した上で客に選択肢を与えるべきだろう。施術の内容がよかっただけに非常に残念だ。
次に、ドクターストレッチに行く人は、このような営業トークを受ける可能性があるので、それなりに心の準備をしておいたほうがいいということ。調べたら整体などでも同じようなことをしてくる業者はあるらしく、業界に蔓延している手法なのかもしれないが、セールスをされるかもという事前の知識があるだけで、対応できる範囲は増える。
最後に回数券を買ってしまい後悔をしている人は、上記の手順で返金できる可能性があるので諦めないで欲しい。ドクターストレッチの業務はクーリングオフの「特定継続的役務提供」の要件には当てはまらないため、一方的なクーリングオフはできないはずだが、ウェブサイトから問い合わせればこのような対応を期待できる可能性はある。
母から怒られることに対して、私は「怒られると安心する」という共依存的な感情を抱いていた。私が怒られてしょんぼりしているのを見れば、母親は『安心』するのだ、そして私も母が安心してくれたことに対して『安心』するのだ、そういうものだ、母が怒るのは私の言動を正すことが目的ではなく、お互いがお互いを貶めあって、被害者同士になることを目指すための儀式のようなものだ。これが長い間、私と母との関係性だった。
私と母の関係性は、敵意を持ち、相手を傷つけるという感情や行動とは遠くかけ離れたものでありながら、お互いがお互いが損ないあうことにより保たれていた。毎日、うんざりしすぎてうんざりしなくなる程度に繰り返される儀式めいたコミュニケーションだった。母は驚くべき執着心と体力、精神力をもって加害者をこねくり回して嫌味を言い続け、「おまえは私の言うとおりにすべき存在である」というしくみを行動レベルから浸透させ、被害者と加害者の関係性を強化し続けた。
そういう状況であったから、私は何も考えないでいることが許され、私もそれに甘んじた。自分の行動のものさしは「母に決めてもらえばよかった」。自分が着るものも、ぬぐものも、髪の毛の形もあいさつの内容も、左右どちらの足を先に上げて歩き始めるかも全て「パターン学習」すれば良かったのだ。私は自分のものさしを放棄して親に自分の根幹となる主体性を差し出し、従順な態度を取り続けた。
一方で、親は私が主体的で明朗快活な人間になるべきだと考えていたし、私が何かを自分で考え、動き、生み出すことができるような人間になることを願っていた。矛盾、という一言で片付けるには語弊がありすぎるほど、そこらじゅうに爆弾が埋まっていた。
反面、私は何を言われても自分の判断を母に渡すべきではなかったと思う。私が母に甘えて自分の判断を渡すことを、自分に対して許してしまったことが、SADになった大きな要因のひとつだ。
自分で何かを決定せず、他人にすべてを任せておこぼれの結果を期待するというスタンスは、他人と接しているという点でコミュニケーションをしているに見えるが、実際には完全に他人と断絶している。コミュニケーションの基本は等価交換であり、貰ったものと等価の何かを返還できない場合に、尊敬や恩情、遠慮などが生じる。ただし、自分の意思という荷物を持っていない者は、価値を計ることができないので、他人から何かを貰っても適切な対価を返還することができない。よって、他人の思いやりようがないし、気遣うこともできない。相手としても、自分で何かを持っていない人間に対して、適切な手助けやアドバイスすることができない。よって、誰かに依存しがちな人間は他人とのコミュニケーションを断絶し、独りよがりの世界にこもるようになり、孤立する。口を動かして何かしゃべっていても、相手には何も伝わらない。考えることをやめるということは、人とのコミュニケーションをやめるということだ。私の場合、精神的に引きこもった時点でSADの元となる「他人とのコミュニケーションを苦手として断絶するが、他人からの評価を自分への報酬とし拠りどころとする性質」の下地はできていた。
愛を信じてるのに邪魔があるの
私はあなたを愛してるだけ
地獄を切り抜けて付き従う
一緒なら寧ろ死にたいじゃない
私の愛に果てなんかない
私は誓う とっても感謝するつもり
あなたは知らないどうして私の愛が泣いているのか
凝着したい過剰なくらい
永遠になりたい泣きたくない
あなた以外いらない 殺そう 殺そう
遮られずに遂げたい願い
とても素晴らしい
視界の汚物は原型を留めさせない
排除する容赦などない
誰より譲れぬ存在よ
暗闇の中であなたの目を視えない
暗い視えない 孤独は痛い
ともに居たい もう時間がない
窒息もう苦しいよ
帰ってきて強く抱きしめて
愛とは純情結晶 すべてを頂戴
あなたの愛が得られるなら
私たち二人以外に何があろうと構わない
狂う愛憎模様 正気に溶かして
すべての人を融合 焦燥さえも
あなたは知らないどうして私の愛に泣いているのか
凝着したい 過剰なくらい
永遠になりたい 泣きたくない
抱擁してよもっと
あなたの全てを頂戴
理由なんていらない ただ愛し愛されたい
あなた以外何もいらない
我慢できない 私の愛の為に罰を受けて
私は今想像する
邪魔があるの 壊しに行かないと…
タイトルに書いた通り英語が話せるようになって気付いた自分の障害疑惑。
自分に起きた事を書いていこうと思う。
前提の知能として
・その2や3も補習を受けたり個人的に質問に行ったりして恩情で貰ったもの
・それ以外の教科は8〜10
多分平均的な日本人以上に英語を遮断してきたし理解も出来なかったと思う。
rhythmなど独特なルールが読めないならまだしも中学生で習ったような単語も読めない。
(例えばappleならえーぴーぴーえるいー)
それでもまぁなんとか中高大と過ごせたし、
そんな自分が選んだのはひたすらに
「子供も耳から言葉を覚えると言うし、理解が一切出来ない状況は子供と一緒。
ならば子供が言葉を覚えるのと同じ様にすれば自分も英語が理解できるのでは?」
どうも頭を使わずに生きてきたせいか
何度も書いて覚えるという事もなく聞けばスペルを知らない単語も書けるようになった。
趣味に使用する範囲では充分過ぎる程に使えるようになっていたので
ここはひとつ腕試をとケンブリッジ英検の最上級であるCPEを受けた所結果はAグレードと
自分が思っていた以上に使えていることに驚いた。
ここでやっと冒頭の話になるのだが
英語の頭で見聞き話しているときに日本語が出てきても理解が出来ないのだ。
理解出来ないといっても5秒程考えれば反応は出来るのだが
日本語の頭で日本語を話しかけられる・英語の頭で英語を話しかけられる時のように
普通の反射的な反応が出来ない。
どうも英語と日本語がそれぞれ頭の中で独立しているようで翻訳・通訳の様な事が出来ないのだ。
日本語で「何が面白かったの?」と聞かれてもすぐに反応が出来ない
暫くしてどこが面白かったのか説明しようとしても英語ならすらすら説明できるのに
日本語ではたどたどしくなり説明が出来ない。
これは訓練を積めば他の人と同じ様に通訳・翻訳が出来るようになるのか
それともそれが出来ない脳なのか
どちらなんだろう。