はてなキーワード: 二等辺三角形とは
今日息子と一緒に考えたテーマは「無理数に覆われた世界」です。
高さと底辺をそれぞれ1とする直角二等辺三角形を作図することで数直線上に√2をとることができます。
またそのようなことをしなくても有理数である1と1.1の間に無数の無理数を見出すことができます。
息子はショックを受けましたが、半日間一生懸命うんうんと色々考えていました。
デデキント切断を知らない息子がそのメソッドを捉えるか捉えないかのところで一生懸命考える様子に、子供の無限の可能性を見出すことができました。
これまでの数に対する認識を改める良いきっかけになったと感じています。
中学受験を終え、息子の友人や同級生は中学校の数学と英語を1日でも早く終えようと息巻いていますが、私の場合、息子には「当たり前」と思っている物事に対して常に「なぜ?」を持ち、考える習慣を身につけて欲しいと思っています。
閉じた世界でよろしくやってるのに外からの指摘はやめて欲しい、外部から指導内容を監査されても困るって気持ちは良く分かる。けど、保護者も当然児童の学習と成長に関わる当事者なので、教科指導・生活指導と関係ない迷惑ないちゃもんなのか、正当な関心・懸念・指摘なのかをきちんと区別できるようであるべきで、正当な指摘には耳を傾けなきゃダメよね
良く聞く話としては、基準がブレブレだから「これは保護者の意見として真摯に向き合う課題なのでは」「いや、これは単なる異常者だから無視もしくは実害あるようならエスカレしましょう」みたいな不毛な話になる認識
例えば、以下みたいな指導に対する「間違っているのでは」って指摘は、訂正を指示されて当然の明確な間違いに対する指摘であって、もしこういう指摘が保護者からあったら是正すべきと思うよね。そういう善良な保護者からの当たり前の指摘と、異常者からのクソとを区別できないのは、その学校の機能に問題があると思う
書き換えたブコメと内容被るので身元ばれるだろうけどかなり感動した。大学受験のみならず、大学に入ってからもある種の積分をやるのにt=tanαとおいて置換するとうまくいくって習った人多いと思う。通常はピタゴラスの定理から出るcos^2θ+sin^2θ=1を用いてcos2α=(1-t^2)/(1+t^2)、sin2α=2t/(1+t^2)を証明するんだけど、今回の若い人たちは逆にこうなること(cos2α、sin2αがtを用いて書けること)を別口で証明して、あとは単に計算すりゃ確かにcos^2+sin^2=1ですなあ、でQ.E.D.ってお話。なお、誰でも気づくと思うが、この証明法は元が直角二等辺三角形の場合破綻するので、それから逆に従来の方法とは異なる、と推測できる。なお、無限級数の和は1+r+r^2+...=xと置けば1+rx=xからxが求められることと同じになり、それを図形で表せば単なる相似問題に帰着するのでこれが美しくないと思う人はそうするだけでよい。
引用のサイトの図でいうAがその結果2tc/(1-t^2)(この段階では分母が1-t^2なのがまた憎い)であることが純粋な相似図形による比例計算(この部分が無限級数バイパス)から示せ、C=tA=2t^2c/(1-t^2)がわかる。証明者に従ってC+1を計算する(!!!)と、C+1=(1+t^2)c/(1-t^2)、よってsin2α=A/(1+C)=2t/(1+t^2)、cos2α=c/(1+C)=(1-t^2)/(1+t^2)、と懐かしい形に。ちょうびっくり!!!!!!!!
私は数学愛好家であって生まれ持ったセンスがあるわけではない(悲しいけど)ので、今回の証明法がそれなりに新しい発展をもたらすのかどうかは全然わからないが、素直にビビるほど感動した。
さっきTwitterでとある学習塾の記事をみた。前にバイトをしたいた塾だった。記事を開くと生徒の集め方や合格者数の出し方に対する苦情を同業他社が出していて、内部告発もあるぞとかいう内容だった。
ふーん。
…………
…………してやるか。
でもやっぱり後で怒られるのは怖いから校舎名だけでなく予備校の名前も念の為伏せさせてもらう。
気になった人は適当にggれば出てくるかもしれない。
ということで以下その塾をXと呼ぶ。
それからバイトをやめた時期は明言しないがざっくり言うとコロナ前。
若干今と違うことがあるかもしれないが、当時はそうだった。
学習塾の収入源は生徒からの授業料である。よって生徒がいないと商売にならない。
校門前に出張して資料配布などは可愛い方である。やってる職員はしんどいかもしれないが生徒にとってほぼ害はない。
まず、外部生むけには無料授業招待とかいうものをやってる。季節講習や、それが無い時期は月単位で初めての人が体験生として授業に参加できるというものだ。
ここにまず来させたいのが塾の考えらしい。
そのために「今いる生徒」に勧誘させる。
これだけではヤバさが伝わらない人にむけて説明する。
まず講師は休み時間などに生徒に聞き取り調査をする。そこで「Xに入ってくれそうな子の名前」を聞き出す。
当然まだ個人情報の取扱もろくに分かってないガキはホイホイ名前を出す。
しかも名前はいくらでも欲しいからエサを吊るしてある。塾内でのみ使える通貨とかそんなん。
名前を聞き出したら塾の資料を生徒に渡す。んで学校でそれを渡してもらう。
ここらで生徒は利用されてることに気づかないんかね。
その後もしつこくて、その生徒が登校(登塾)する度に「そういえばさ、あの子、どうなった?」とか聞き続ける。
そこで聞き出した情報を元に講師は「リスト」を作ってる。ちなみに毎日更新されてる。
出勤してきた講師はその日のスケジュール表とともに最新版のリストを一部取ることになっている。
ミーティングでは「誰々君に誰々先生聞いてきてください」「誰々君は熱いです。何%」とか言われる。
というかそれをガキンチョにやらせてるのめちゃくちゃタチ悪いぞ??
ちなみに今いる生徒は受験までずっといることも多いから同じ生徒に何度も名前を聞き出すことになる。
そうすると「前に言ったの以外もういないっす」みたいなこと言い出す奴がいる。
詐欺に手を染める前に自分で買うって選択肢があるからな。いやでも上司の指示で買わさせられることない分入塾者レースの方がマシかも。流石に子供作れとは言われないしな。
「今季はノルマまで後何人。」「誰と誰が熱いからそこでノルマ達成できる。」とか言われる。
うちの校舎は割と毎回ノルマ達成してたけど1回だけかなり厳しい時があった。
これノルマ達成できなかったらどうなると思う??
常勤がバイトに圧をかけ、バイトが生徒に名前を出すよう圧をかけ始めるんだぜ。
宗教勧誘だけじゃなくて会社の縮図まで生徒に叩き込む優良塾じゃん。
さて運悪く蜘蛛の巣にひっかかった虫は蜘蛛に食べられる運命にある。
Xの、というか他所も大差ないだろうけど、大抵の場合蜘蛛の半分は大学生バイトである。
そこで学生okとか書いてあるところには当然学生バイト君がいる。というか俺自身も学生バイトとして授業してた。
が、生徒にはそのことは一切行ってはならない。
正確には自分が大学生であることを言ってなならない。大卒で入社した社会人のフリをしないといけない。
は???
と言うか親もちょっと手元のスマホで調べりゃ出てくるんだから騙されるなよ。
親がこれだから子供もマルチ紛いな勧誘に参加させられるのか。それなら納得。
口が悪くなった。
かくしてこの間まで高校の制服着てたような奴がスーツを来た社会人になりすまして授業をする。あ、ここのかくしては隠してって意味じゃないからな。
知ってると思うが塾の授業は「英語」「数学」「国語」「理科」「社会」の分け方になる。小学生は英語がなかったり数学じゃなくて算数だったりするが大体こんなもん。
講師はこの中の複数の科目を担当する。お前、厨房に中学の社会の内容全部教えられるか?俺は無理だね。
センター試験で世界史と地理を選んだあいつも国立2次で物理と化学を選んだそいつも数年間やってない科目があるわけだ。
そんな奴が急に人様に金もらうレベルで授業なんてできるのか??
賭けてもいい
世の中の大半の大学生はそんなことできない。
というか受験で使った科目すら怪しい
俺だってわからない分野はある。そういうのは教科書や解答解説の音読しかしようがない。
そんなの一人でやれ。
空いてる時間にちょっと同僚の授業を後ろから覗かせてもらったら耳疑ったからね。
「この三角形は明らかに二等辺三角形だからこことここの角度は同じ」
俺もその問題を教えたことがあったけど、全然明らかじゃないし。辺の長さが同じことを証明できるから二等辺三角形だってわかるんだし。
それを受け入れてる生徒も生徒なんだけどさ。ちょっとは講師の言うこと疑ってみろよ笑
いわゆる「きはじ」みたいなやつ。
あれ、最近「学校では解き方を習って塾で本質を学ぶ」みたいな言説見たけど嘘嘘。
絶対嘘。
塾が率先して教えてるんだもん。
これなら速さがm/sだって分かってなくても教えられるもんな。
でもこれには塾に同情できる点が1つだけある。
塾に来させられてるガキンチョ、あいつらはそもそも授業聞いてないし聞く気もないんだわ。
でも成績が上がらないと親に苦情を言われる。あれはかわいそうだわ。
小テストの成績不振を理由に居残らせて機械的に解く方法を叩き込む。それでやっと下の中くらいの成績になる。
一番かわいそうなのはきはじに付き合わさせられる優等生だけどな。
さっき下の下のやつの話は下が、それ以外のやつはちょっとは授業を聞いてるから学校だけで最低限の勉強はしてきてる。
んでも塾の授業は低レベル。そいつらが塾にきて高得点を取れるようになるのは裏事情がある。
講師が大学生だとか書いたけど、大学生の勉強方法は有名である。
サークルの先輩から過去問や過去レポートを集めてきてそれだけやっておけばいいとか言われる。
正直これにも言いたいことはあるけど話がズレるのでやめておく。
これ、塾の生徒も同じじゃね?
特に「定期テスト」がある中高生さんよ。あんたら、テスト終わったら問題塾に持ってきてくれない?
コピー機「ガーーー」
おう、テスト見せてくれてありがとよ。「無断転載禁止」?知らんがな。
うちの塾にはoo中学の過去問がたくさんあるから印刷して配るぞ!
授業で演習やるから忘れんなよ
頭良いのか悪いのか。これどう考えてもやってることまずいだろ。
もしこれを読んでる学校の先生がいたら、過去問を塾にコピーされてることと思った方がいいぞ。
年度の途中で急に過去問と傾向変えてみろ。
それで成績ガクっと下がった奴は塾で配られた過去問に頼ってる。
悲惨な環境は生徒だけじゃない。講師にとってもクソみたいな職場だ。
みたいってのはクソじゃないってことか。
訂正。クソだ。
まずバイトの話。
これは塾毎に相違がありそうだから詳しくは書かないが、無給労働が発生する。
採用時の説明では「授業給」と「事務給」があると言ったが事務給が出るのはごく僅かな時間だけだ。
1h前くらいから授業準備だけでなく雑用までさせる癖に事務給出るのは授業の前後のちょっとだけ。
授業給が\2000 / hを超えてるかもしれないけど実際の給料は最低賃金くらいだったりするからな。まあ最低賃金あれば違法じゃないからマルチ詐欺よりはマシか。
じゃあ正社員はどうか。
あれ校舎に戻ってきたらそのまま授業してるから。
じゃあ飯はどうするのかって?
食ってないor数分でかけこんでるよ。
季節講習の時期とか朝から晩まで授業と事務をこなしてるからさ、まじ16時くらいに5分でコンビニ弁当平げて授業しにいくのちょくちょく見るから。
夜も酷いんだけどな。
俺たち学生バイトは22時台には帰れるけど、正社員が俺らと同時に帰るの見たことないからな。
噂によると終電間に合わないからバイクできてる人もいるらしい。
というか忙しい時期は夜2時とかまで作業してるらしい。
塾長が作業してる手前俺も帰れないって言ってた新卒社員に同情したら、安い給料でこき使われるバイトにも同情された。
どっちもどっちだわ。
ここまでで分かっただろ、そこら辺に生えてる雑草みたいな塾は例え大手でもクソだから。
じゃあどうやって勉強させればいいかって?まともな塾を探してくるか、さもなくば学校でちゃんと勉強するんだな。
まあ中学受験考えてるなら学校だけじゃ無理だけどさ。そういう奴は大抵親が過保護だからその過保護の方向を情報収集に使ってやればいい。
水素水飲んで血液クレンジングをしてるやつがいるんだ、結局この手のウンコ塾はなくならないだろうけどお前はリテラシをつけてそれを笑える立場になるべきだ。
俺はそう思うね。
なんて書くと格好良い気がする。でも残念ながらそんなに高尚なことではない。今から書くのは私の短い人生の中での経験とそれに伴う思考なのでオナニーにすぎない増田を書くよ。長いよ。忠告したから「長い」は書かないでね。長くてもいいよってやつだけ20代女のオナニー見てくれ。出来れば助言をくれると嬉しい。
長いのは読むの面倒!でも助言はしてやる!みたいな奇怪な人がいるなら、ラスト1画面分くらいのところまで飛ばしてくれてもいい。その助けようとしてくれたのが有り難い。
あと、これを読んで(あいつか?)と思った私の友人はそっと見なかったことにしてくれると嬉しいな。
オナニー開始
私が死を感じたのは小学生低学年くらいの時。いつからか自分は長く生きられないと思った。それは(最初はたぶん違ったけれど)具体的には18で死ぬと思ってた。誰かの死に触れたとかのようなきっかけも特になく、ただ漫然とそう思って、確信していた。私は18に左側から来た車に追突されて死ぬ。
死ぬのは怖かった。幼稚園くらいの私は『お母さん』になって、こどもが3人いて、休みの日はみんなでゲームをするような家族に憧れたけれど、流石に18ではそんなこと出来ないから少し悲しかった。でも生き物はいつかは死ぬものだからと次第に諦めて、今を楽しむことを決めた。
それからは色々なことをやった。何も知らずに死ぬのは嫌だったから本を沢山読んだ。具体的には小学校の図書館にある絵本や漫画じゃない本で、「未来」に役に立つもの以外の思想系や哲学系の本はほぼ全部読んだ。あとは「やりたい」と思ったことが出来たら積極的にやるようになった。
中学生になるとますますその『死』に近づいたから今のうちに!という意識は加速した。ちなみに中学校の隣に図書館があったからものすごく沢山の本を読んだ。それに伴って自分で文字を書くようにもなった。とても拙いものではあったが、楽しかった。
恋愛をしたかった。小学校では気になる子はいたけれど、彼は人気者だったし、ただ話しているだけで楽しかったから告白はしなかった。それをすごく後悔した。だから中学校では恋をしようと思った。
彼女に想いを寄せたのは中学1年生。入学式直後のクラスで、一番初めの自己紹介をするときに自分の好きなものを周りから引かれるくらい話している彼女が楽しそうで、キラキラしているように見えて、興味を持った。
はじめは小学校が違うし、彼女の好きなものは私の知らないものだったからなかなか話せなかった。私は踏み込めるタイプではなかったのだが、席が近くて小学校は違ったけれど話が合って一緒に帰っていたAちゃんは彼女と好きなものが一致していたようで、Aちゃんを媒介して彼女とも少しずつ話すようになった。
彼女は絵がとても上手くて暇があればすぐ絵を描いていたからそれをずっと眺めていた。私は練習したが絵が全く描けないので目を輝かせながら鉛筆を動かし続ける彼女がうらやましかった。彼女は、「何も知らない」私に彼女の好きなものをたくさん教えてくれた。そうして、両親が共働きな彼女の家に行って彼女の好きなものを見せてもらうことを沢山していた。彼女の好きなものを見せてもらって、それを元に文字を作ったりもした。
それは本当に楽しくて、また彼女も私が沢山知ろうとするのが嬉しかったのか段々と彼女の家に行く頻度も増えた。彼女の家と私の家、また学校までは地図上で鈍角二等辺三角形くらいの逆方面ではあったのだが、私は毎日のように通っていた。
偶然休みだった彼女の母親にも会ったときには挨拶して、彼女の父親とも少し気まずいながらも挨拶をして、彼女とはどんどん楽しく話すようになっていった。
ここから私の『恋』が始まるのだが、想いが無駄に多くて無駄に長いので読むのが面倒な人は●●●●●まで飛ばしてほしい。
そして、夏休みにはなんの因果か彼女とはキスをした。しかも舌を絡めるやつ。はじめてがべろちゅーな中学生だった。
前述の通り彼女の両親は共働きで家にはいつもいなかったのでその日から(正確には次の日から)彼女とのちょっぴりえっちな関係が始まった。彼女の耳を舐めた。首を舐めた。キスをして、抱きしめて、顔がくっつきそうな距離感でくすくす笑っていた。
その後学校が始まってからもそのえっちな関係は続いていた。彼女の家の方に行って、彼女の家か彼女の家の裏でキスをして、彼女の太ももを撫でた。
どちらかが告白して「お付き合い」したわけではなかったので私の方からある日好きを伝えた。心臓が飛び出そうなくらい緊張したが、彼女は泣きながら笑っていたのをよく覚えている。
その告白のあとから彼女とはこっそり教室で愛を囁いたりして、みんなにバレないようにいちゃつくのが楽しかった。
二学期終業式の日に初めて彼女の性器を舐めた。ものすごく善がっていて家に帰ってからお風呂で初めてオナニーをした。生憎私は絶頂しなかったけれど、人体の神秘と思いながら自分でやってみて問題ないとわかったことを彼女にもした。
彼女の中に初めて指を2本入れた日の翌日、一時間目の移動教室で彼女がこちらに歩いてきて、顔を赤く染めながら小さな声で「2本一気にいれるのはきつい」と耳打ちしてきた時は一瞬意味がわからなかったが、理解してあまりにも彼女が可愛くて、危うくクラスメイトの前でキスをしそうにもなった。
彼女と一緒にいて、とても楽しかった。自らに来る(と信じている)死も彼女といれば忘れられた。正しくは1回あまりにも幸せだったから『今』死のうかと思って彼女に告げたことはあった。泣いて止められたので二人で抱き合って泣いたのをよく覚えている。
話は少し変わるのだが、私には悪い癖があった。自分で自己催眠のようなものをかけていたのだ。それでありもしない『過去』を話したり、存在しない『昔の友達』の話を自分に刷り込んで、自分に自信を持たせて、死を感じたりしない元気な少女を演じていたのだが、小学6年生くらいの時から人格が出来始めた。別に多重人格というわけではなく、いわばイマジナリーフレンドのようなものなわけだが、数が多かった。男や女は勿論犬や猫、アンドロイドなど様々なものを生み出して、自らの支えにしていたし、その中でも特に優秀な人格を『兄』や『姉』のように扱った。また、『兄』や『姉』に自分が成りきることで『私』には出来ないことをやってのけたりしていた。それを彼女の前でも出してしまっていたのだ。私の口からそれは説明しなかったので、彼女は最初は混乱していたが次第に受け入れてくれていたように思う。
『兄』のときは彼女をどうしても手荒に抱いてしまっていた。『狼』のときは彼女の至るところに噛みつかないと気がすまなかった。『猫』のときは沢山撫でてほしかった。
迷惑をかけているのはわかっていた。けれど、私は自分ではない自分も受け入れてほしかったのだと思う。彼女はよくやってくれた。『私』を愛しているから、と彼女が言ってくれたときは私は自分のすべてを彼女のために使ってもいいと思えるくらい嬉しかったのをよく覚えている。
しかし、いつからか彼女は私と距離を置くようになった。理由は分からない。彼女は理由を教えてはくれなかった。だからきっと私になにか落ち度があったのだろうと思っている。そうして彼女との蜜月関係は終わってしまった。
学年が上がり彼女とクラスがわかれたことで話すことすら叶わなくなって『自然消滅』のようになった。そうすると忘れていた死が襲ってきた。やはり死ぬのは怖かった。でもその傍らで死んだら彼女は私を見てくれるのだろうと期待した。
3年になり、彼女は本当に私と話さなくなった。おそらく私が死んでも見てくれないのだろうと思うほどに彼女は私と目を合わせようともしなかった。
『兄』は彼女に一番執着していたので「やり直したい」と言った。沢山アドバイスもくれた。『猫』は『兄』に賛同した。それでも、私は行動にはうつせなかった。だって、今は『自然消滅』だが、『兄』の言うようにすると明確に終わってしまう。私は、終わらせたくなかった。1ミリも希望はないのはわかっていたが、それを見たくなくて現実から逃げた。
可愛い女の子といちゃついて、ABC全部した。楽しかったです。
でも女の子によって自然消滅させられた。悲しくてずっと引きずってる。
私は高校に進んだ。彼女とは違うところだったので彼女と私の繋がりはなくなった。私は彼女を想いながらも、死までの日々を送った。
その頃になるともう「死ぬ前にやっておこう」という感情が強すぎて、いろいろなことをやった。好きな漫画をすべて揃えた。文字を書くのが(現実逃避として)楽しかったから暇があればペンを動かしていた。毎日何かしらを作って、自らの生を感じていた。
そして、18歳になった。明日死ぬかもしれないと思いながら日々を過ごした。でも、『今日』は生きてるのでやりたいことを積極的にやる日々は続いていた。
立派な同人オタクにもなっていたので同人誌も沢山買った。高校生でも18は18だから買えたのは嬉しかった。でも、沢山物は買うが、そろそろ死ぬと思ったので処分先は一覧にしていた。
同人誌はISBNついてなくてブックオフに売れないので池袋の○○というお店に売ってください。電話番号→○○○○○○○
のように1円でもお金にして還元できるようにしていた。部屋は定期的に片付けをしていた。気持ちとしては片づけというより身辺整理だったが。
大学受験はどうせ死ぬのに必要かわからなくて、やる気が出なかった。しかし、18のいつ死ぬかわからないから『大学生』になるのもいいかと思って、とりあえず受けた。勉強の意志が無かったので落ちまくってfランにすら入れなかった。
そしてとりあえず大学生になった。人生も終わりだから沢山遊んだ。遊んで遊んで、遊びまくった。具体的には奨学金もほぼ全て使い込んだ。4年分の学費を払わなくていいから今死んで返済が親に行っても家計に負担はかけないと思ったからだった。
その頃になるともう死は怖くなかった。この時点で人生の半分はもうすぐ来る死を考えて生きてきたのだ。流石に向き合えるようになっている。
そして、19歳になった。
正直驚いた。まさか迎えるとは思っていなかった19回目の誕生日はなんだか不思議な気持ちだった。それでも、10年も前からの予言?が少しズレるのは仕方のないことだと思ったので、後悔しないように生きようと思った。
そして、成人した。
こうなってくると混乱するのだ。人生の半分以上の芯が歪んでいるのだから当然だろう。流石にオーバーランが過ぎるのではないか。
また、今まで『余剰分』と思っていたものが想像以上に多かったことにも気がついた。そうして、私は一気にやる気を失った。だって今まではゴールテープがあったからそこまで頑張って走っていたのだ。マラソン大会でゴールと思ったらまだグラウンド1周あった!はまだ頑張れる。しかし2周は流石にやる気をなくす。まだあるの?となってしまったのだ。
そして気がついたら学ぶ意欲もなくしていた。だから大学をやめた。とりあえず働くことにした。
しかし、今まで『後悔しないために』お金は余すことなく使い続けてきたのだ。だから貯金がない。でも、今までの生き方は変えられないからあったらある分だけ使ってしまう。
そして学生時代より多くの収入を得たが、扶養ではなくなったことから出費も増え、でもその生き方が変えられなくて、この間遂にプ○ミスに手を出した。良くないとはわかっているけれど、お金が無いと生きていけないのだ。現実は世知辛い。そもそも仕事探しにも本気になれなくて派遣を渡り歩くだけだから悪いのだけれど。
あと欲に逆らわない生活をやめられないので1年で20キロほど太っている。明日死ぬかもしれないから食べたいものを食べる!を続けている。若いときは代謝があるが、段々と衰えることで脂肪に変わるのはわかっているが、やめられない。
オナニー終わり。
ここからが相談。クソ長い私の人生のおさらいオナニーを見てくれてありがとう。
生きるモチベーションが無い。
死んだあとのことはずっと考えている。本を売る場所リストは未だに存在しているし、保険証の裏面の臓器提供欄はすべて提供するに○がついている。若い体だから使えるなら使ってほしい。生きたいと願う人間の役に立てるなら本望だ。血も臓器も皮膚もすべて提供してもいいと思っている。それで誰かが救われるなら生きていた意味があったと喜べる。
もう前みたいに好きな文章で自分の中の好き!を表現する気力も体力もない。未だに人生のオーバーランの気持ちが拭いされないから、未来に希望も持てない。年金は払っているけれど、18で死ぬと信じていた人間に75までの想像はできない。なんなら30の想像もできない。こどもを産むどころか彼氏彼女すら作ろうと思えない。未だに『彼女』は私の心に居る。あの楽しかった、キラキラした思い出を抱きしめて死にたい。死ぬはずだったのに、死に損なった。
そうやって毎日毎日死に損ないが生きている。どうしたらこの『死に損なった』のはなくなるのだろう。「今の若者は未来に希望が持てない」なんて言うのを聞くが、私の希望の無さはベクトルが違う。誰とも分かり合えない。
いっそのこと隕石が降ってきて殺してほしい。通り魔に刺されて死にたい。ホームで人混みに押されてバランスを崩してしまいたい。青信号で渡っていたら老人の暴走車に轢かれたい。車に轢かれる死を思っていたから自殺は怖くて出来ない。でも死にたい。そんな思いを抱えながら生きることに意味はあるのか。
一気に打ち込んだので誤字脱字してそうだし、読みにくい表現もあると思う。ここまで読んでくれてありがとう。書いておいて、しかも読め!とか言っておいてなんだけど、こんなものを読ませてしまって申し訳なく思う。ごめんね。
死に損ないはあと1ヶ月でまた1つ年を取る。
なんて書くと格好良い気がする。でも残念ながらそんなに高尚なことではない。今から書くのは私の短い人生の中での経験とそれに伴う思考なのでオナニーにすぎない増田を書くよ。長いよ。忠告したから「長い」は書かないでね。長くてもいいよってやつだけ20代女のオナニー見てくれ。出来れば助言をくれると嬉しい。
長いのは読むの面倒!でも助言はしてやる!みたいな奇怪な人がいるなら、ラスト1画面分くらいのところまで飛ばしてくれてもいい。その助けようとしてくれたのが有り難い。
あと、これを読んで(あいつか?)と思った私の友人はそっと見なかったことにしてくれると嬉しいな。
オナニー開始
私が死を感じたのは小学生低学年くらいの時。いつからか自分は長く生きられないと思った。それは(最初はたぶん違ったけれど)具体的には18で死ぬと思ってた。誰かの死に触れたとかのようなきっかけも特になく、ただ漫然とそう思って、確信していた。私は18に左側から来た車に追突されて死ぬ。
死ぬのは怖かった。幼稚園くらいの私は『お母さん』になって、こどもが3人いて、休みの日はみんなでゲームをするような家族に憧れたけれど、流石に18ではそんなこと出来ないから少し悲しかった。でも生き物はいつかは死ぬものだからと次第に諦めて、今を楽しむことを決めた。
それからは色々なことをやった。何も知らずに死ぬのは嫌だったから本を沢山読んだ。具体的には小学校の図書館にある絵本や漫画じゃない本で、「未来」に役に立つもの以外の思想系や哲学系の本はほぼ全部読んだ。あとは「やりたい」と思ったことが出来たら積極的にやるようになった。
中学生になるとますますその『死』に近づいたから今のうちに!という意識は加速した。ちなみに中学校の隣に図書館があったからものすごく沢山の本を読んだ。それに伴って自分で文字を書くようにもなった。とても拙いものではあったが、楽しかった。
恋愛をしたかった。小学校では気になる子はいたけれど、彼は人気者だったし、ただ話しているだけで楽しかったから告白はしなかった。それをすごく後悔した。だから中学校では恋をしようと思った。
彼女に想いを寄せたのは中学1年生。入学式直後のクラスで、一番初めの自己紹介をするときに自分の好きなものを周りから引かれるくらい話している彼女が楽しそうで、キラキラしているように見えて、興味を持った。
はじめは小学校が違うし、彼女の好きなものは私の知らないものだったからなかなか話せなかった。私は踏み込めるタイプではなかったのだが、席が近くて小学校は違ったけれど話が合って一緒に帰っていたAちゃんは彼女と好きなものが一致していたようで、Aちゃんを媒介して彼女とも少しずつ話すようになった。
彼女は絵がとても上手くて暇があればすぐ絵を描いていたからそれをずっと眺めていた。私は練習したが絵が全く描けないので目を輝かせながら鉛筆を動かし続ける彼女がうらやましかった。彼女は、「何も知らない」私に彼女の好きなものをたくさん教えてくれた。そうして、両親が共働きな彼女の家に行って彼女の好きなものを見せてもらうことを沢山していた。彼女の好きなものを見せてもらって、それを元に文字を作ったりもした。
それは本当に楽しくて、また彼女も私が沢山知ろうとするのが嬉しかったのか段々と彼女の家に行く頻度も増えた。彼女の家と私の家、また学校までは地図上で鈍角二等辺三角形くらいの逆方面ではあったのだが、私は毎日のように通っていた。
偶然休みだった彼女の母親にも会ったときには挨拶して、彼女の父親とも少し気まずいながらも挨拶をして、彼女とはどんどん楽しく話すようになっていった。
ここから私の『恋』が始まるのだが、想いが無駄に多くて無駄に長いので読むのが面倒な人は●●●●●まで飛ばしてほしい。
そして、夏休みにはなんの因果か彼女とはキスをした。しかも舌を絡めるやつ。はじめてがべろちゅーな中学生だった。
前述の通り彼女の両親は共働きで家にはいつもいなかったのでその日から(正確には次の日から)彼女とのちょっぴりえっちな関係が始まった。彼女の耳を舐めた。首を舐めた。キスをして、抱きしめて、顔がくっつきそうな距離感でくすくす笑っていた。
その後学校が始まってからもそのえっちな関係は続いていた。彼女の家の方に行って、彼女の家か彼女の家の裏でキスをして、彼女の太ももを撫でた。
どちらかが告白して「お付き合い」したわけではなかったので私の方からある日好きを伝えた。心臓が飛び出そうなくらい緊張したが、彼女は泣きながら笑っていたのをよく覚えている。
その告白のあとから彼女とはこっそり教室で愛を囁いたりして、みんなにバレないようにいちゃつくのが楽しかった。
二学期終業式の日に初めて彼女の性器を舐めた。ものすごく善がっていて家に帰ってからお風呂で初めてオナニーをした。生憎私は絶頂しなかったけれど、人体の神秘と思いながら自分でやってみて問題ないとわかったことを彼女にもした。
彼女の中に初めて指を2本入れた日の翌日、一時間目の移動教室で彼女がこちらに歩いてきて、顔を赤く染めながら小さな声で「2本一気にいれるのはきつい」と耳打ちしてきた時は一瞬意味がわからなかったが、理解してあまりにも彼女が可愛くて、危うくクラスメイトの前でキスをしそうにもなった。
彼女と一緒にいて、とても楽しかった。自らに来る(と信じている)死も彼女といれば忘れられた。正しくは1回あまりにも幸せだったから『今』死のうかと思って彼女に告げたことはあった。泣いて止められたので二人で抱き合って泣いたのをよく覚えている。
話は少し変わるのだが、私には悪い癖があった。自分で自己催眠のようなものをかけていたのだ。それでありもしない『過去』を話したり、存在しない『昔の友達』の話を自分に刷り込んで、自分に自信を持たせて、死を感じたりしない元気な少女を演じていたのだが、小学6年生くらいの時から人格が出来始めた。別に多重人格というわけではなく、いわばイマジナリーフレンドのようなものなわけだが、数が多かった。男や女は勿論犬や猫、アンドロイドなど様々なものを生み出して、自らの支えにしていたし、その中でも特に優秀な人格を『兄』や『姉』のように扱った。また、『兄』や『姉』に自分が成りきることで『私』には出来ないことをやってのけたりしていた。それを彼女の前でも出してしまっていたのだ。私の口からそれは説明しなかったので、彼女は最初は混乱していたが次第に受け入れてくれていたように思う。
『兄』のときは彼女をどうしても手荒に抱いてしまっていた。『狼』のときは彼女の至るところに噛みつかないと気がすまなかった。『猫』のときは沢山撫でてほしかった。
迷惑をかけているのはわかっていた。けれど、私は自分ではない自分も受け入れてほしかったのだと思う。彼女はよくやってくれた。『私』を愛しているから、と彼女が言ってくれたときは私は自分のすべてを彼女のために使ってもいいと思えるくらい嬉しかったのをよく覚えている。
しかし、いつからか彼女は私と距離を置くようになった。理由は分からない。彼女は理由を教えてはくれなかった。だからきっと私になにか落ち度があったのだろうと思っている。そうして彼女との蜜月関係は終わってしまった。
学年が上がり彼女とクラスがわかれたことで話すことすら叶わなくなって『自然消滅』のようになった。そうすると忘れていた死が襲ってきた。やはり死ぬのは怖かった。でもその傍らで死んだら彼女は私を見てくれるのだろうと期待した。
3年になり、彼女は本当に私と話さなくなった。おそらく私が死んでも見てくれないのだろうと思うほどに彼女は私と目を合わせようともしなかった。
『兄』は彼女に一番執着していたので「やり直したい」と言った。沢山アドバイスもくれた。『猫』は『兄』に賛同した。それでも、私は行動にはうつせなかった。だって、今は『自然消滅』だが、『兄』の言うようにすると明確に終わってしまう。私は、終わらせたくなかった。1ミリも希望はないのはわかっていたが、それを見たくなくて現実から逃げた。
可愛い女の子といちゃついて、ABC全部した。楽しかったです。
でも女の子によって自然消滅させられた。悲しくてずっと引きずってる。
私は高校に進んだ。彼女とは違うところだったので彼女と私の繋がりはなくなった。私は彼女を想いながらも、死までの日々を送った。
その頃になるともう「死ぬ前にやっておこう」という感情が強すぎて、いろいろなことをやった。好きな漫画をすべて揃えた。文字を書くのが(現実逃避として)楽しかったから暇があればペンを動かしていた。毎日何かしらを作って、自らの生を感じていた。
そして、18歳になった。明日死ぬかもしれないと思いながら日々を過ごした。でも、『今日』は生きてるのでやりたいことを積極的にやる日々は続いていた。
立派な同人オタクにもなっていたので同人誌も沢山買った。高校生でも18は18だから買えたのは嬉しかった。でも、沢山物は買うが、そろそろ死ぬと思ったので処分先は一覧にしていた。
同人誌はISBNついてなくてブックオフに売れないので池袋の○○というお店に売ってください。電話番号→○○○○○○○
のように1円でもお金にして還元できるようにしていた。部屋は定期的に片付けをしていた。気持ちとしては片づけというより身辺整理だったが。
大学受験はどうせ死ぬのに必要かわからなくて、やる気が出なかった。しかし、18のいつ死ぬかわからないから『大学生』になるのもいいかと思って、とりあえず受けた。勉強の意志が無かったので落ちまくってfランにすら入れなかった。
そしてとりあえず大学生になった。人生も終わりだから沢山遊んだ。遊んで遊んで、遊びまくった。具体的には奨学金もほぼ全て使い込んだ。4年分の学費を払わなくていいから今死んで返済が親に行っても家計に負担はかけないと思ったからだった。
その頃になるともう死は怖くなかった。この時点で人生の半分はもうすぐ来る死を考えて生きてきたのだ。流石に向き合えるようになっている。
そして、19歳になった。
正直驚いた。まさか迎えるとは思っていなかった19回目の誕生日はなんだか不思議な気持ちだった。それでも、10年も前からの予言?が少しズレるのは仕方のないことだと思ったので、後悔しないように生きようと思った。
そして、成人した。
こうなってくると混乱するのだ。人生の半分以上の芯が歪んでいるのだから当然だろう。流石にオーバーランが過ぎるのではないか。
また、今まで『余剰分』と思っていたものが想像以上に多かったことにも気がついた。そうして、私は一気にやる気を失った。だって今まではゴールテープがあったからそこまで頑張って走っていたのだ。マラソン大会でゴールと思ったらまだグラウンド1周あった!はまだ頑張れる。しかし2周は流石にやる気をなくす。まだあるの?となってしまったのだ。
そして気がついたら学ぶ意欲もなくしていた。だから大学をやめた。とりあえず働くことにした。
しかし、今まで『後悔しないために』お金は余すことなく使い続けてきたのだ。だから貯金がない。でも、今までの生き方は変えられないからあったらある分だけ使ってしまう。
そして学生時代より多くの収入を得たが、扶養ではなくなったことから出費も増え、でもその生き方が変えられなくて、この間遂にプ○ミスに手を出した。良くないとはわかっているけれど、お金が無いと生きていけないのだ。現実は世知辛い。そもそも仕事探しにも本気になれなくて派遣を渡り歩くだけだから悪いのだけれど。
あと欲に逆らわない生活をやめられないので1年で20キロほど太っている。明日死ぬかもしれないから食べたいものを食べる!を続けている。若いときは代謝があるが、段々と衰えることで脂肪に変わるのはわかっているが、やめられない。
オナニー終わり。
ここからが相談。クソ長い私の人生のおさらいオナニーを見てくれてありがとう。
生きるモチベーションが無い。
死んだあとのことはずっと考えている。本を売る場所リストは未だに存在しているし、保険証の裏面の臓器提供欄はすべて提供するに○がついている。若い体だから使えるなら使ってほしい。生きたいと願う人間の役に立てるなら本望だ。血も臓器も皮膚もすべて提供してもいいと思っている。それで誰かが救われるなら生きていた意味があったと喜べる。
もう前みたいに好きな文章で自分の中の好き!を表現する気力も体力もない。未だに人生のオーバーランの気持ちが拭いされないから、未来に希望も持てない。年金は払っているけれど、18で死ぬと信じていた人間に75までの想像はできない。なんなら30の想像もできない。こどもを産むどころか彼氏彼女すら作ろうと思えない。未だに『彼女』は私の心に居る。あの楽しかった、キラキラした思い出を抱きしめて死にたい。死ぬはずだったのに、死に損なった。
そうやって毎日毎日死に損ないが生きている。どうしたらこの『死に損なった』のはなくなるのだろう。「今の若者は未来に希望が持てない」なんて言うのを聞くが、私の希望の無さはベクトルが違う。誰とも分かり合えない。
いっそのこと隕石が降ってきて殺してほしい。通り魔に刺されて死にたい。ホームで人混みに押されてバランスを崩してしまいたい。青信号で渡っていたら老人の暴走車に轢かれたい。車に轢かれる死を思っていたから自殺は怖くて出来ない。でも死にたい。そんな思いを抱えながら生きることに意味はあるのか。
一気に打ち込んだので誤字脱字してそうだし、読みにくい表現もあると思う。ここまで読んでくれてありがとう。書いておいて、しかも読め!とか言っておいてなんだけど、こんなものを読ませてしまって申し訳なく思う。ごめんね。
死に損ないはあと1ヶ月でまた1つ年を取る。
https://twitter.com/mathmatsuri
問2
この問題はオイラー線の性質を知らないと厳しい。何もないところからオイラー線の存在を示せるほどの頭脳の持ち主は、おそらくオイラー線の存在は知っているだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E7%B7%9A
H, G, Oがこの順で同一直線状に並び、かつHG:GO=2:1なのでLもDも同一直線状にありHG:GO:OL:LD=2:1:3:4n/(m-n)とわかる。特にGO:GD=1:4m/(m-n)である。 …①
オイラー線の性質を利用せずに解きほぐすなら座標系を利用するのがよいだろう。Oは外心なので∠AOC=2∠ABC=π/2。ということで外心Oを原点、外接円の半径をrとしてC(r,0), A(0,r), B(-r/√2,r/√2)とおくのが一例。HとLは原点に関して対称で、形を眺めればH, G, O, L, Dが同一直線状に並ぶことに気付けるだろう。ちゃんと計算したよ。
必要な点だけ残して図を描くとBCを底辺としてA, G, O, L, Dの高さの比を計算していけばよいとわかる。
https://twitter.com/totsuration/status/1300788313414971393
あと△ABC:△OBCを求めればほぼ答えは出たようなもの。Oは外心なので∠AOC=2∠ABC=π/2, AO=COより△AOCは直角二等辺三角形。∠ACB=π/8なのでBCは∠ACOを二等分する。
https://twitter.com/totsuration/status/1300788363784605699
よってBCはAOをAC:COつまり√2:1に分ける。これは△ABC:△OBCに等しい。 …③
①②③から△ABC:S=△ABC:(□BGCD+△ABC*2/3)
=△ABC:((△GBC+△OBC)*4m/(m-n)+△ABC*2/3)
=△ABC:((△ABC/3+△ABC/√2)*4m/(m-n)+△ABC*2/3)
=1:(2(√2+1)m-2n/3)/(m-n)
△ABC=AB*BC*sin(π/4)/2=(中略)=3(√2-1)/√2なので
S=(3√2m-(2-√2)n)/(m-n)
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野球に詳しい皆さんに教えてほしいのですが、
それとも直角二等辺三角形に描くべきなのでしょうか?
実は、寝ている間になぜかやったこともない野球をやらなければいけなくなり、人数が足りないので三角ベースでやろうということになりました。
ところが、一塁ファウルラインと三塁ファウルラインの間の角度をどうすればいいのか、わからなくなって、目が覚めてしまいました。
ふつう、ファウルラインの間の角度は90度だと思うのですが、それだと一塁と三塁の間の距離が本塁と他のベースとの距離に比べておよそ1.41421356倍となってしまいます。
塁間距離を等しくするためには正三角形にすべきと思うのですが、そうするとヒットゾーンが狭くなってしまい、初心者はファウルばかりになってしまいます。
考え始めると、眠れなくなってしまいました。
外心と内心と重心が一致するケースって、正三角形じゃん
ーーー
あー、一直線か
二等辺三角形は結べそうな気がするけど
a = b ≠ c
だから条件外か...
後で考えるわ
●×●=256が解ける子解けない子の差
http://president.jp/articles/-/23368
Q:AD=CD、BC=10cm、四角形ABCDの面積が64平方cmのとき、辺ABの長さは何cmですか。
辺ABをx(cm)とおく。
この四角形は∠ABCと∠CDAの対角の和が180°なので、円に内接する。この円の中心点をO、半径をrとする。
また、ACに対角線を引いておく。
∠CDAは、弧ACに対する円周角で90°なので、ACは円の直径になり、中心点OはAC上にある。
二等辺三角形DACの頂角Dから底辺ACに垂線を下すと、垂線は底辺ACと直角に交わり、底辺ACを二等分する。
S1 = 1/2 × 2r × r
S1 = r2
S2 = 5x
四角形ABCDの面積は
r2 + 5x = 64
r2 = 64 - 5x ...(1)
(2r)2 = x2 + 102
4r2 = x2 + 100 ...(2)
(1)と(2)の連立方程式を解く。
(2)に(1)を代入
4(64 - 5x) = x2 + 100
256 - 20x = x2 + 100
x2 + 20x - 156 = 0
(x + 26)(x - 6) = 0
x > 0より x = 6
よって、6 cm
「なぜ数学を勉強しなければならないのか」と訊かれたら、「論理的思考力を身に付けるため」と答えることにしている。
論理的思考力とは、小さなロジックを積み重ねることでひとつの大きな結論を導き出す力のことだ。物事を筋道立てて考える能力、と言い換えてもいい。
たとえば以下の問題を考えてみる。
これは東大の入試で実際に出題された問題だ。そう聞くとすさまじい難問のように思うかもしれないが、実際は「円に内接する正多角形の周の長さよりも円周のほうが必ず長い」という気付きさえあれば、驚くほど簡単に解けてしまう。
Ⅰ.「直径×円周率=円周の長さ」なので、円周率とは直径が1の円周の長さに等しい。
Ⅱ.直径が1の円に内接する正八角形の周の長さは、円周(=円周率)より小さい。
Ⅲ.正八角形は頂角が45°の二等辺三角形8個に切り分けることができる。
Ⅳ.頂角が45°かつその左右の辺の長さが1の二等辺三角形は、底辺の長さを計算で求めることができる。
ここまで来れば、あとは余弦定理を使ってルートの計算をすれば良い。高一レベルの内容だ。
ここで重要なのは解法そのものではない。解体したひとつひとつの項目が、どれも基礎的で容易なものであるという事実だ。高校数学の簡単な知識のいくつかを正しい順序で組み合わせるだけで、円周率が(およそ3などではなく)3.05以上であるという大きな命題を証明できるのだ。とすればつまり、数学の本質は「正しい順序で組み合わせる」というその一点にこそ存在している。
教育における数学は、「正しい順序で組み合わせる」方法を身につけるために行われるものだと私は考えている。それがすなわち論理的思考力であり、その絶大な威力が発揮される分野はもちろん数学にとどまらない。たとえばプログラミングなどはまさしくロジックを重ねる力が直接的に影響するし、機械製品を開発する際にもスムーズな設計ができるだろう。
そして最も密接に論理的思考力と関わっているものこそが、文章力なのだ。
文法はあっているはずなのに、どこか読みにくい、意味のよくわからない文章になっている。そんな場合、理由の大半はロジックの繋がりが崩壊していることにある。先ほどの証明問題で、解答文にⅡの要素が抜けていたらどうだろう。「どうしていきなり正八角形が出てくるんだ?」と誰もが思うはずだ。それと同様の事態が、文章内にも発生している。しかし論理的思考力がなければ、それに気づくことすらできない。
というわけで、文章が上手くなりたいのであれば数学を勉強すると良い。まあこれは流石に強引な結論かもしれないが、実際、論理的思考力は社会でのあらゆる場面で直接的・間接的に役に立つ万能の能力なので身に付けておくと非常に便利である。私など、それだけで生き抜いているような気さえする。
http://quelle-on.hatenadiary.jp/entry/2015/08/24/225130
私はジャンルも時代も問わず、かなり満遍なく本は読んでいる方だと思うけれどミステリーだけが苦手だ。湊かなえと恩田陸だけは好きなんだけど、東野圭吾もダメだし貴志裕介もなんか受け付けなかった
他の人に比べてめっちゃたくさんマンガ読んでるという自負が在る割にラインナップがショボすぎる。読み手にわかるようにしたかったのかもしれないが、その後の文章を読む限りたいしたものは読んでいないという印象をうける。まるで、俺ジャンプマンガにめっちゃ詳しいんだけど、スラムダンクとかワンピースは受け付けないわー、俺マンガにうるさいからNARUTOとかDEATH NOTEとかじゃないと認められないわーと言ってしまうようなものだ。
それは――単に経験が乏しいだけではないだろうか。
ただ、ミサワ的文章を書いてしまう人は「自分が知らないだけで、世の中には自分の知らないものがあるのではないか」という発想があまりできない。それが冒頭の「私はジャンルも時代も問わず、かなり満遍なく本は読んでいる方だと思う」にあらわれている。
私がミステリーを苦手な理由は、ひとえに頭が文系だからだと思っている。
高校時代、数学は偏差値28~35を漂っていた私だ。しかし国語は勉強しなくても70は越してた。ド文系である。ゆえに、ミステリーが苦手である。
多様な原因が考えられるはずなのに、軸が1つしか思いつかないというのがまず怖い。その一つを思いついた瞬間に他のすべての可能性について考えることをやめてしまい、その一つの理由だけで全てをゴリ押ししようとする、惚れ惚れするような我田引水ぶりである。後の例で上げられている恋愛小説とミステリーの違いも、全く納得できるものではない。
この人がミステリが嫌いなのは、このあたりの一本道思考の方がよほど原因として納得できるくらいだ。
この手のしゃべり方をする人間にありがちなのは「僕はこういう人間だ」という思い込みが非常に強いということである。なぜそういうことをするのかわからないが、あらかじめ自分の枠を自分で決めてしまっているのだ。だからなのか、自分の基準にに当てはまるか当てはまらないか、ということを非常に重視するようだ。
解決に向けて、条件を当てはめてその理由と方法を証明していく作業。たまにひっかけが出てきたりして。なんていうか、二等辺三角形の証明とかみたいに思えてきてしまう。
と書いているにもかかわらず、自らが極めて機械的に己の好き嫌い判定を処理していく。これは実に皮肉なことであり人間というものの奥深さを感じさせる。
本人が意識しているのかしていないのかわからないが、ラスト一文は釣り文句である。これは好きな人をいらだたせるのに最も有効なテンプレートの一つである。何が人をいらだたせるかというとその話題について興味が無いけれど語ってます、ということがビンビンに伝わってくることだ。
つまり、この人は自分の問題であるはずなのに、本心では他人事のようにとらえているか、そもそも問題だと思っていない。本当に自分ごとの問題として捉えている人はこういう悩み方はしないだろう。ミステリが苦手だと思い込んでいて、それについて「自分以外の」理由付けができればなんでもいい人だけがこういうことを書く。本当は理由などどうでもよく、自分が読まない理由としてそれらしいものがでっち上げられさえすれば良い。悩んでいるように語っているが、要は興味が無いということではないだろうか。
好き嫌いにいちいち理由が必要だと思っている。最大の問題は、いちいち好き嫌いに理由が必要だと思っていることである。本当はいちいち好き嫌いに理由など必要ない。自分にあうか合わないか、だけなのだから。とくに他人に説明できるような理由は。なのにいちいちそれを説明せずにはおれないところに、自信のなさが現れている。
とりあえず1,4が楽勝なのでまずはそこから。次は5が簡単かな。その後3にチャレンジ。2,7,9,10は手を出すべきじゃない。
必ずXXであるか?という質問と少なくともXXであるか?という質問は数学上別物だろ。
この場合は、その三角形はといっているから、正三角形の場合、他の角を頂角とする二等辺三角形も内包しているだろ。内包しているんだから、
そうではない可能性と、そうである可能性を双方内包しているんだから問題が矛盾している。
厳密性を問うのならば、少なくとも角Aを頂角とする2等辺三角形である。というべきだし
逆に、必ず角Aを頂角とする2等辺三角形という質問に関しては角Bを頂角と辺ACを底辺と指定することが可能なので☓だ。
また、正三角形に頂角は存在しないと考えても☓だ。内包すると考えても、内包しないと考えてもいずれにしろ☓になる。
また、数学の学問の範囲を一般的な認識の範囲に限らないのなら、曲面における図形の性質を持ちだして☓にすることができるだろ。
いずれに寄せて考えるとしても、設題が不明確すぎて解答が絞れない。その上で、両方の解答が同時に成立できるなら、両方共正解にできるが
うーん、中学生に「間違った事を教える」んではなくて、まだ定義すると混乱しちゃうから置いておく、後で、と言う感じだと思うんだけど
それも駄目なのかな?
ま、今の教育がどうなってるか知らないけど。自分の時は二等辺三角形は正三角形の一部だったし。
「頂角」と言った場合、単純に三角形書いてその上側に書かれた角を指すこともあるし、
二等辺三角形の等辺に囲まれた角を指すこともあるわけで、
その辺、「二等辺三角形の頂角」を定義するときに取り敢えず正三角形を置いておく事は別に悪く無いと思うけど。
そりゃそこで気付く人は気づくけど、無理やり正三角形持ち出してきてもそれだけで混乱する子は居るし。
中学くらいまでは如何に「落とさない」様に教えることが大事だと思うけどね。
後、
うーん、現代数学が「集合ベース」というならいいが、「集合論ベース」ってのは思いっきり間違ってるんだが。
そんな嘘教えていいの?
その辺りの大学レベルの話は「落とさない」んじゃなくて自分でちゃんと勉強して理解しろよ、ってレベルだから、増田はちゃんと勉強しないで
今も意味不明のママ「ぼくはすうがくつかってる」って話か?使ってるって言ったってて計算してるわけじゃなくてパソコンに打ち込んでるだけだろうし別に増田が数学理解してるわけじゃないんだから
仕事で使ってるし、とかカッコつけて言われても。。。