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はてなキーワード: カウンセラーとは

2018-01-17

母親の話

母親が好きだった。たぶん小学生くらいまではいい人だった。彼女のことをひとりの女性として「ムリ」と感じた話。最近この時のことがフラッシュバックしてきて眠れないので、いっそどこかに吐き出してしまったほうが楽だと思った。大した話じゃない。

3年くらい前だったと思う。当時精神的に参っていて、私は仕事をしていなかった。平日家にいた母親祖母宅に行くというので、車に乗ってとりとめもない話をしていた。ちょうどラジオから結婚CMが流れてきて、子どもの話になった。子どもは好きだが、自分で産む気はほとんどない。でも母親は、私が当然のように結婚して、当然のように子どもを産むものだと考えている人だった。そんな母がなにげなく言った。

子どもを産むなら、ひとりにしておきなさいね。手間もお金も段違いなんだから

マジかと思った。愕然とした。うんともすんとも言えなかった。

私は2人姉妹である。妹はとても優秀だった。国立大に行き、就職大手。母の機嫌を取るのがうまい子だった。どんな喧嘩をしても真っ先に母に告げに行き、いかに私が悪いことをしたのかを強かに告げていたことを思い出した。私は抓られ、怒鳴られ、部屋に閉じ込められ、外に出された。いかに辛いしんどいと訴えても、「お前は甘いから」と繰り返された。熱を出したとき病院へ連れて行ってくれ、ポカリを買ってきてくれたのはいつも父だった。

合点がいった。この母は、優秀な妹しか産みたくなかったんだと、単純に絶望した。

自分でも被害妄想じみていると思う。その時は心も随分弱っていたこともある。しかし今でも「じゃあ私はひとりしか産まないね」とは言えない。子どもを産む産まないの話になるたび、この出来事を思い返しては泣きそうになる。

それ以降、母親に関して様々な「いやなところ」が目につくようになってしまった。そして今では何の期待も抱いていない。一度意見を口にしたとき飲食店内だったにも関わらず、大声で「黙れ」と罵られたからだ。これは反面教師にして生きていこうと思う出来事だった。

とある親戚のうちに遊びにいくと、なぜかそこのお母様にいたく気に入られていて、「あら○○ちゃん!元気?」と体を抱きしめられる。私より背の低いお母様が、私の背中に手を回して、ぎゅーっとしてくれる。それだけで涙が出そうになる。私の母親も以前はこんなことをしてくれていたのだろうか。今では「いい歳こいて夫婦で手をつなぐなんて」と嘲る母親だ。それでも大好きだった。大好きだった。


■追記

またちょっとつらい時期がきたので戻ってきた。そしたらほとんど書き逃げした文章に反応があったことに驚いている。

残念ながら母親やその関係はあまり変わっていない。相変わらず自己中心的な人だと日々感じている。相変わらず子どもを早く産めというので、もう結婚する気持ちも失せてきた。

優しい反応をたくさんいただいている。こんないっとき感情だけで書いたよくわからない文章に。ありがとう

特に親に何を求めているのか、親離れしなさいという言葉。とてもありがたい。まったくその通りだと思う。

これを書いて以降、母親とは自分から話をすることはなくなったし、仕事の話も一切していない。でも、それなりにしんどいことはあって、不眠はまだつづいている。

というわけで上記やその他もろもろについて会社上司相談したら、心の拠り所をつくりなさいという話をもらった。(この上司ともあまり折り合いがあわなくなってきたので、本格的に私が悪なのかもしれない。)

この心の拠り所というのがよくわからない。宗教に興味はないし、友人に親の話はとてもじゃないができない。

心理カウンセラーとか、家族問題に特化した機関とか、そういったもの相談するには少しためらわれる。

ずっともやもやとしていて、無気力だ。ずっとデスクに座っていられない。心療内科ですべて吐いたほうが楽になるだろうか。でも、それでもしよくならなかったら?またマイスリーのお世話になると思う。そんなことをずーっと、仕事中もぐるぐる考えている。

全然関係ない、とりとめのない追記になってしまった。

2018-01-15

私の苦痛に向き合ってくれ

嫌悪だの異性嫌悪だのって説教されても私のこの嫌悪は治らないわけ。

その原因になった相手文句言ったって無駄だし(そもそも連絡取れない相手も多い)。

あとカウンセラーや投薬は受けてるけどろくすっぽよくならない。

理屈はいいから私の苦痛に向き合って手助けしてくれ。

本音を言えば社会運動政治運動平等もどうでもいいんだ、私を助けてくれ。

2018-01-09

anond:20180109204712

事実だとするなら、病院に行きな。ここじゃなくちゃんとしたカウンセラーに吐き出しな。

2018-01-06

まれて初めて占い屋に行った話

占い屋に通う人達って、洗脳されているみたいで怖いとずっと思っていた。そんな自分が気まぐれに占い師にみてもらったのは、昨年の秋。その日はやたらと陽射しが眩しかった。

通りですれ違うカップルや呼び込みの笑い声が鬱陶しくて、溢れ出す疎外感を振り払うように「占い」と書かれた看板に足を向けた。雑居ビルに入ると外の喧騒が嘘のようで、冷んやりとした空気に一瞬ひるんだ。奥のほうにはもうひとつ占い」の案内が出ており、ドアを開けると、ビル管理人の休憩所のような一室に、落ち着いた色の服を着た老婦人が座っていた。

「あらいらっしゃい、どうぞお座りになって。」

軽く会釈して席につく。

一呼吸置いたあと、老婦人がじっと私を見て言う。

「嘘はだめよ、あなたが損する。どうせ面談は今回一回切りかもしれない。とは言えそれなりの金はかかるのだから正直になさい。いいわね?」

これは手練れだ。彼女が長包丁を構える板前に見える。我が身の虚飾がバサバサと切り落とされていく予感がする。

「今から最低限のことを聞いていくから正直に言って。ただ、言いたく無いことは言わなくていい。出来るだけ言ってくれたほうがあなたにとって良い、それだけ。いい?」

相手のペースに任せ、コクリとうなずく。自分の表情がぎごちなく弛緩していくのが分かる。

婦人質問は、本当に最低限のことだった。氏名、生年月日と、相談したい悩みの大まかなジャンルジャンル仕事恋愛結婚などいくつか示されたが、悩みが具体的に思い浮かばず、選ぶことができなかった。中年なのに独身で周りからは浮いている。しかし、有難くも趣味定職があり、取り急ぎは食べられている。実際ここに飛び込んだ理由は、表通りが眩しかたから。それ以外無かった。答えに窮していると、それなら「お悩み全般」でみるわね?と促された。

占いはいろいろな種類があるらしい。この老婦人は、九星気学というものを専門にしており、先ほどの質問に対する回答を方位盤というシートに当てはめて、今後の運勢とそれに対する心構えをサバサバ説明していく。

しかして内容は、非常に雑駁な言い方をすると、今後暫くは辛い時期が続くが辛抱しろ、周りの人間関係を大切に努力を続けろ、そうすれば大波を越えた後、勢いに乗れる、というものだった。

それ以外の細かい生活態度についてもいくつかアドバイスをもらい、五千円強を支払った。

文字にしてまとめると、本当に味気ないものに見える。しかし、人生というものが持ちえる波に対してどう備えるか、という視点は、今現在の状況や周りの体裁にばかりとらわれていた私には新鮮だった。

思春期の頃、カウンセリングに通ったことがある。そのとき私が受けたカウンセリングでは、カウンセラーに話すことで「自分なかに既にあって自覚されていない答えに気づく」ことにポイントが置かれていたと思う。実際、そこで得た答えは、その後動き出すための支えになった。人生に迷った時に戻る原点、と言えば伝わるだろうか。

それに対して、占いにおいては、答えは自分の外にあった。鑑定師から示されたのは、大げさに言えばこれから人生地図だった。それもサーフィンに例えて説明してくださったことで、どの時点で用心し、どの時点で肩の力を抜くかという、今後の気構えに関するヒントを得ることができたと思う。

占いなんてカウンセリング一種だよ」という一般論があるが、実感としては別物だった。

愚痴ればいろいろアドバイスをくれる友人はいる。上司もいる。しかし、身近な人から耳の痛いことを言われると、ときプライド邪魔をして素直になれないのも事実だった。それが、自分過去を全く知らない、かつ「鑑定師」というポジションの人からの指摘には、不思議と素直になった。

加えて、目の前の出来事に偏りがちな視点を変える機会を持つことで、視野を少し遠くに持つことができた。鑑定料金は決して安くはなかったが、同額の飲み会で同僚に愚痴って憂さを晴らすだけでは得られないものを得られたと思う。

それきり占いには行っていない。しかし、貰った名刺だけはしっかり取ってある。いずれまた機会があればみてもらうかもしれない、というぐらいには占いハードルが下がっているのが現在のところ。

anond:20180106220314

お気の毒すぎる。

なるほど、干渉することが愛情だとお母さんは考えているが、干渉されることは実際は治療の妨げになっているとあなたは感じているのだよね。。

医師第三者から話してもらったとしても、納得してくれるかは、疑問だよね。

ソーシャルワーカーカウンセラーのいる病院に転院して、専門家から話して貰うのがいいか

第三者に任せるか、親戚に頼むのがいいんだろうが。私も、数年前に似たような悩みで家族向けに医者診断書書いてくれて頼んだのだが、家族問題に対しては医師は介入できないと、話していたな。

まだまだ、日本には理解がある人が少ないか負担は大きいだろうね。。

  

2018-01-05

なぜ女性は安い職業に走るのか

小6 なりたい職業

 

男の子

スポーツ選手  高い(低確率

研究者     並

ゲームクリエイター   並

医師      高い(低確率

教員      並

エンジニア   並

建築家     並

公務員     並

大工職人   低い

 

女の子

教員      並

保育士     低い

医師      高い(低確率

看護師     並

動物園遊園地 低い

パティシエ・パン屋 低い

薬剤師     並

獣医師     高い(低確率

漫画家・イラスト  低い(低確率

芸能人歌手モデル 並(低確率

 

なんでだろうなあ

 

男の子のなりたいものって「そんなのなれるわけ無いでしょ(難しいから)」

だけど

女の子のなりたいものって「そんなのなれるわけ無いでしょ(低賃金過ぎて)」

っていうイメージ

から金持ちマダムとかが割りとやってたりする

 

__

 

いくら稼げるかはもちろん男の子勘定に入ってないと思う

女性が好みそうな職種が安くなりがち現象って、割りと無視できないと思うんだけどな

 

__

 

なんか伸びたからもうちょいちゃんと見てみる

参考資料

http://berd.benesse.jp/berd/center/open/report/kodomoseikatu_data/2009/hon4_2_04.html

 

保育士薬剤師栄養士カウンセラー飼育員、理容師デザイナーファッション漫画家イラストレーターパティシエペットショップ

 

差分はここらへんかな

うーん

かに女性が多い現場→自ずと非正規が多くなる→低賃金化 みたいなことはあるのかもなあ

でもそれ以前に、飲食理容師デザイン・保育・アパレルなど、業界構造的に低賃金化しやす職業を好んでる気が

これらに何か共通点があるのか?

例えば「コンシューマー向け」「組織力より個人技能」「生活の身近にある」「参入障壁が低い」「学歴があまり関係ない」とか?

もちろん女性のなりたい職業全体で見れば、医師とか獣医とかそういうのもあるけどね

2018-01-04

老人がバイト薄給従業員に多くを望むのは、その方が都合が良いかである

彼らは愚かな訳ではない。道理を知らない訳でもない。ただただ老獪なのだ。そして我々は、その老獪さの前に転がされるばかりである

https://forbesjapan.com/articles/detail/19130

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12180-639526/

これらの記事を読んで、「ただの従業員に多くを望み過ぎ」という意見が出るのは正しい。従業員エスパーではなく、アルバイトカウンセラーではなく、それら働きをするに十分な給与を受け取ってもいない。全くその通りだ。

ただ、老人たちはそんなことは承知で、「それではいけない」と言っている。「そんなことでは駄目だ、もっと高くを目指すべきだ」と言っている。勿論、それで給与が上がる訳ではないということなど百も承知だ。

老人たちは二度とバイトなどしない。薄給で売り場に立つこともない。それらバイト従業員ハードルが上がるデメリットが、彼らにとってあるだろうか?

ゼロだ。全くない。一つもない。実際のところ、ハードルが上がったからといって、バイト従業員の職につく者が減る心配すらないのだ。底辺労働者の代わりなど幾らでもいる。

一方で、それらハードルを上げることによって、「ああ、もっと頑張らないとな」と接客に力を入れ、エスパーたらんと志し、何かあれば自分を責めるバカ正直な若者が一人でもいれば、彼らの言説は十分ペイするのである

若者よ、もっと接客力を鍛えよ。

おもてなし力を身につけよ。

そしてわれらをおもてなせ。

今の給与、今の待遇で満足せよ。

つの時代も、老人たちは若者底辺労働者に向かってそう語りかけてきた。ただ、それが現在でも継続しているだけのことに過ぎない。

そして、ネットで多少の人数のブックマーカーが騒ごうと、彼らはなんの痛痒も感じないのだ。

うつ病とうまくやっていく、たったひとつの冴えたやり方。

ハサミの使い方を忘れました。

■ちゃんとハサミを使えたボクの話。

それまでのボクは、ケータイサイトを作るベンチャー会社でちゃんと働いていました。

その会社社長とボクとボクの友達で作った小さな会社

2000年誕生し、2007年には株式上場最初は4人だった社員も今では150人強に。そんな中でちゃんとした給料をもらい、取締役という役職ももらい、ちゃんと仕事をしていました。

かに、朝9時30分に出勤し家に帰るのは午前1時とか2時とかだったり、土日も出勤してたりもしましたが、「ベンチャー企業なんてそんなもんだよね。」と人からも言われ自分にもそう言い聞かせて働いてました。普通に

逆にそんな風に頑張っている自分が誇りだったし、「最近寝る暇も無い位忙しい」ってことが自分にとっては「美談」でした。

気づいていただけましたか??すべて過去形です。

そうボクがちゃんと普通に「ハサミ」を使えてた頃の話。

ここで一度考えてみてください。

あなたの「ちゃんと」って、本当にちゃんとしてますか?

あなたの「普通」って、本当に普通ですか?

■ハサミの使い方を忘れました。

意外と自分自身の事って自分ではわかりません。

「ボクってカッコいいのかなぁ?」とか「ワタシってかわいいのかなぁ?」ってのは、「誰か」と自分を見比べて、鏡の前で悩めばわかるかもしれません。

自分って健康なのかな?」ってのは、健康診断を受ければ解決します。

ただ、「もしかして、ボクって精神的におかしくなってきたのかも?」っていうのは案外自分では気づかないものかもしれません。

幸いにも(?)ボクには兆候がありました。

ある日突然「ハサミの使い方」を忘れたんです。

ハサミを見て「あ、これはハサミだ。」ってことはわかるんです。でも「何に使うものなのか?」ってことが分からないんです・・・

「何かの道具」だって事は覚えてるんです・・・

でも、「何のための道具なのか?」って事が思い出せないんです。

他にも「会社資料を作っているときに誤字脱字が増えてきた」「会社会議などスケジュールを覚えていなかった」「机の上に置いてあるお茶が、いつ注いだものかわからなかった」など、いろんな兆候がありました。

でも、なにより会社に行きたくなかった。社長に会いたくもなかった。

部下にも会いたくなかった。

この時期、会社でボクの身に何があったのかというと上司取締役が変わったことくらい・・・

その方は他社から転職してきた方で、もともとは凄くボクとも仲良くしてくれていました。

冗談を言いあったり、喫煙室で長い時間話をしたり・・・

ところが、直属の仲間になった途端そんな関係は造り物だったことに気付きます

喫煙室で顔を合わせると、不機嫌な顔をされ一言も口を聞くことはありませんでした。仕事相談すると「今忙しい。それくらい自分で考えろ。」と一蹴され、取引先に向かう電車の中で「あんたってこの会社に8 年間もいて今までどんな実績上げてきたの?何も無いんじゃない?あったら私の耳にも入ってくるけど。本当は社長あなたの事なんて要らないと思ってるんじゃない?」なんて事も言われました。

さすがにきつかったので他部署のAさんBさんに相談しました。

なんとなくですが、「社長が僕自身を鍛え上げるために、この取締役にそう言ってあるのかな?」なんてポジティブに思ってた事もあって。

今までの同僚としての距離感ではなく、取締役としての距離感で接してくれているから、こんな冷たい態度なのかな?って思ったか・・・

その数日後。その人に会議室に呼び出されました。

あなた、AさんとBさんに何か相談したらしいじゃない?」

その一言で目の前が真っ暗になりました。

信じていたAさんBさんもボクの味方では無かったんだ・・・

その真っ暗な目の前を真っ白にしてくれる一言がやってきます

「そんな事くらいで他人相談するし、仕事もできないし、あんたなんて生きてる価値ないんじゃない?」

『ボクはこの会社必要とされてない役立たずなんだ。』

『もうこの会社に居たくない。』

そんな気持ちがボクの心のすべてを満たしていきました。

家族にも相談し、近所の心療内科のドアを叩きました。

でもそれは、自分兆候(症状)を相談解決してもらう為じゃなく、会社に行かなくてよくなるように「診断書」を書いてもらうためでした。

そう。ハサミの使い方を忘れてしまったボクは、もう一度ハサミを使えるなるようになることよりも、いまの現状(会社から逃げ出したかったんです。

もう一度ハサミを使えるようになりたいなんて気持ちはこれっぽっちもありませんでした。

■ハサミの使い方を思い出した今のボク。

最初に今のボクの生活をご報告します。

1年2ヶ月という長い休職期間を経て、この度元の会社復職いたしました。

精神的にも安定しています。まだまだ薬は飲み続けています・・・

でも、逆に薬さえ飲んでいれば普通に生活できるわけで、何てことはありません。

今だから思うこと・・・

うつ病になる前の自分生活には、絶対戻りたくないと思っています

あんなに仕事人間だったボクが、会社と上手く距離をおいて物事を考えています

趣味カメラを持って出歩いたりしています

今でも人混みは苦手です。

でも、そんな所に行かなくても生きていけるので不自由はありません。

そう。

今までのボクは会社100%依存していたんです。

特に趣味もなく、会社評価されること・会社仕事をこなすことだけが、ボクの生きがいであり、ボクの存在必要としてくれる居場所だったんです。

そりゃぁ、その会社からあんたなんて必要ない。」って言われれば、自分の居場所が無くなるんだからうつ病にもなりますよ。

今のボクは、趣味であったり、美味しい食事であったり、大好きな自然だったり、友達だったり、ブログだったり、いろんなところに居場所があります

から会社で辛いことがあろうが平気です。

逆に今の会社で無くてもいいやってくらいに思ってます

不思議と楽なんです。会社以外に帰れる居場所があるから

ライフワークって言葉があります

今までのボクは仕事ライフワークにしていました。

今のボクは仕事会社を「ライスワーク」と考えています

御飯食べるための仕事。要するに飯の種って事です。

それくらいに割り切ったお付き合いを会社人間関係に置いてみると、多少嫌なことも我慢できるのかもしれません。上司にガミガミ言われても、新しいカメラレンズを買うためなら・・・って。

では、ボクがここまで変わることが出来た経緯をご紹介します。

休職できた。

休職」ってボクの中では重病(骨折とか入院とか)の方しかできないと思っていました。

よく勘違いする人が多いのですが「うつ病心の風邪」って言う人がいます

うちの会社の総務の人も「うつ病心の風邪からちょっと休めば治りますよ。」なんて、気休めを言ってくれました。

ボク自身がまずは「うつ病は脳の病気」だと意識を変えました。

しかも外傷も見当たらない「脳の重病」だと。

だって、食欲もない・眠れない・何もする気が起きない・・・これって心(気持ち)でどうにかなるものでしょうか?

「心」なんて自分の体のどの臓器かもわからないのに、「心の病気」とか「心の風邪」って言われることが本当に怖かったんです。

だって自分じゃ治しようも無いわけですから

心療内科先生カウンセリング先生からうつ病は脳の病気です。」って聞いて、本当に安心しました。自分おかしなっちゃったのは「心(気持ち)」がおかしくなったんじゃなくて、脳がちょっと壊れちゃったんだなと。

しかも、ちゃんと薬があるのであれば、怖くもなんともない。何となく「心の病気」って言われると、自分自身おかしくなったように思っちゃって怖かったんです。もう元に戻らないような気がして。

ボクは胸をはって休職することにしました。

当然の権利だと思いました。会社ストレスで脳に病気を持ったわけですから。だから休職することに何の抵抗もありませんし、恥ずかしくもありませんでした。

最初診断書で「3ヶ月の休職期間を必要とする。」と記載してあったので、会社からは3ヶ月の休職期間をいただきました。

3ヶ月で治るんだと思っていましたが、治りませんでした。

そして、会社休職期間の限度である「6ヶ月間」に休職期間を延長してもらいました。

多分、6ヶ月で治りますうつ病になる前の仕事人間自分には。

ちょうど休職期間が終わる6ヶ月後の頃、会社面談を行ないました。

その時の総務の方の対応に疑問を覚えました。

毎回「調子はどうですか?」と聞かれ、ボクは「たまに、メマイとかします。人の多いところとかだと。」と答えます事実、今でもそうですが・・・

それを「明確な復帰の意思、どこに復帰したいか意思表示がありません。」と言うふうに社長や他の取締役に報告していたようなのです。

人混みでメマイやパニック障害を起こしている状況で「はい!もう大丈夫です!元の取締役として働かせてください!」なんて言える人はいないと思います

そして、そもそも根本的な疑問を持ったんです。

「あれ?ボクはなんでうつ病になったんだろう・・・。」って。

この時、自分の持っているすべての感情会社にぶつけました。

だって会社うつ病にさせられた」と思ったから。

もう、休職期間も終り自然退職自己退社)になるんだから、言いたいことは全部言ってやれ!って気持ちでした。

休職期間に入るとき社長から伝言で「休職は認めるけど、戻ってきたら取締役解任ね。」って言葉を頂戴してました。

それ以外他にも例の人から言われたことの全てを総務の人に報告し、「パワハラではないか?」と詰め寄りました。

そもそも、総務の人は現場で何が起こっているのかを知りません。

レベルで「こんな事いわれたらしい。」と言うことは聞いていても、他の取締役本人の口から伝えなきゃわかってくれません。

から言いました。

スッキリしました。

本当に。

今までのストレスを全部吐き出したんです。

今思えば、抗うつ剤副作用だったのかもしれません。

抗うつ剤の服用者が暴れたり言動が荒くなったりってニュースを見たことがありました。

今思えば、この頃のボクはそんな状態だったのかもしれません。

でも、今のボクは当時のボクを責めたりはしません。

自己嫌悪もしていません。

薬の力を借りていたとしても、自分の気持を汚い言葉罵声であれ会社に伝えられた自分を褒めてあげたいと思っています

だって、それだけストレス溜まってたんですもん。たまったストレスを吐き出させてくださいよ・・・

今までいっぱい我慢してきたんだから

今思えば、休職してすぐにストレート会社気持ちをぶつければよかったなぁとも思います。でも、そんな気力も余裕もなかったんですよ。

自分の気持を整理して、相手の言うことを理解し、自分の気持と照らし合わせ、思いを伝える気力と余裕を持つまでに半年掛かったってことです。

その半年間のことは正直よく覚えていません。

ひたすら寝て、きちんと薬を飲み、食べられるものを食べる。

人間として何とか生きている感じ。

でもきっと、気力を貯めこむ期間として必要半年間だったんだと思います

おかげで気持ち会社へ伝わり、会社の規程が「病気場合での休職は1年間とする」と変更されました。

ただこれに素直に感謝できるまであと半年かかりました。当時は当たり前だろって位に思ってました。

今思えば、ここからが本当の「闘病生活」の始まりでした。

■本当に自分と向き合った半年間。

一気にストレスを吐き出したボクは、やっと何かを吸収する余裕ができました。

からアドバイス聞いたり、本を読んでみたり、ちょっと難しいテレビを見てみたり、Twitterを始めてみたり・・・

やっぱり自分気持ち(想い)が自分の中に溜まっていると、人から何を言われても「そうは言うけど、ボクはうつ病だし・・・。」みたいな感じで聞く耳を持てなかったりします。

想いを全て会社に吐き出して、やっと「何か」をしてみようという気持ちになれました。

この想いの吐き出し方や吐き出し先は人それぞれだと思います

ボクの場合は「会社のせいだ」と思ってしまっていたから、会社にぶつけたまでで。

まずは何故自分うつ病になったのかをきちんと主治医カウンセラー相談し、答えを見つけることが必要なのかもしれません。

余裕が出てきたところでやっと気付きます

「うちの会社うつ病でこれだけ長く苦しんでいるのは自分が初めてだ。」と。そして、相手を思う余裕も出てきます

「もしかしたら、会社の総務人事の人達社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?だから、ああ言う対応しかできなかった。」と。

そこで1つの結論自分の中で出ます

「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と。

簡単に言っちゃいましたが、「そりゃぁ、仕方ないよね。」って考え方は、ボクの中に初めて生まれた考え方でした。

仕事人間だったボクは「何にでも白黒付ける」事を求められ、必ず答えを出さなければいけなかった。「仕方ないよね。」とか「どうしようもないよね。」で片付けることなんて出来なかった。

全てにおいて私生活でも白黒付けて生きてきました。

「この世にはどうしようもないことがある。」

それに気付き納得できたことは、これからのボクの闘病生活を大きく左右する出来事でした。

会社人達社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?」から「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と思ったボクは、「うつ病」について知ってもらおうと思いました。

せっかくなので会社の人だけでなく、全国の人にも。

うつ病を楽しんでみる。

ボクは写真が好きでブログTwitterをやっていました。

まずはブログTwitterで「自分うつ病であること」「うつ病の人ってこんな人」ってことをセキララに語ってしまおうと思いました。

本名会社名を明かした上で。

当然、ブログで「ボクはうつ病です。こんな生活を送ってます。」なんて記事を書こうと思ったら、自分生活で「あれ?」と思ったことを記録しなきゃいけません。

・ あれ?ボクは何でこんな事してるんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事を考えたんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事が出来ないんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事が出来なくなったんだろう。

この4つを思いついたときメモするようになりました。

そうすると何だか自分自分のことが面白くなってきたんです。

例えば、ある日「冷蔵庫サランラップ仕舞っている」事がありました。

朝、冷蔵庫を開けたら冷蔵庫サランラップが入っていたんです。

・・・あれ?ボクはなんで冷蔵庫サランラップ入れたんだろう?って思いました。

それをうつ病のせいにしてブログに書いてみたんです。

サランラップ冷蔵庫に入っていました・・・うつ病って凄い。」って。

そうしたらいろんな人からコメントを貰いました。

「あー!私もよくあるから大丈夫だよ!」

「疲れてるだけだよ!」

「冷たいサランラップって気持よさそう!」

などなど。

あれ?と思いました。

自分の変な行動をみんなが面白がってくれてる。

ちょっとでも人を笑わせる事ができるってことは、凄いことなんじゃないか

急に目の前が明るくなった感じがしました。

それから毎日その繰り返しです。

そこであることに気付きました。

自分の中で「変な行動や変な考えを全てうつ病のせい」にするのって意外と楽だって事に。

だって病気がボクをそうさせてるだけで、ボク自身おかしいわけではないんじゃないか?きちんと病気と向き合って対処すればいいだけじゃないか

これに気づいたときに本当に楽になりました。

今まで無かった「目標」ができたんです。

そして、このメモ主治医カウンセラー相談するときにも役立つんです。

この発見は本当に大きな出来事でした。

それからのボクは、「うつ病を楽しむ」生活に切り替わりました。

うつ病が恥ずかしいなんて気持ちはいっさいありませんでした。

「ありがとう」って言われたくなる。

そんな日々を繰り返していると、Twitterメッセージを貰いました。

ブログを拝見しました。ご想像の通り、ボクも若干うつなのです。薬も服用しています。でも、まだ公表できていません。ブログを読んで気持ちが楽になりました。ありがとうございました。ただ、それがいいたくて。」

別に誰かを幸せにしたいとか何も考えずに書いているブログに、「気持ちが楽になりました」って言ってもらえるなんて思ってもいませんでした。本当に嬉しかった。

ボクにだってかに勇気を与えることができるんだ。

こんなボクに「ありがとう」って言ってくれる人がいるんだ。

本当に嬉しくて、夜中に涙を流しながら母親電話しました。

「生きてて良かった。」って泣きながら母親に話をしたことを今でも覚えています

それから他人から「ありがとう」って言われることをすれば、自分存在理由を見つけることができるのかもしれないと思うようになりました。

同時に、きちんと自分から「ありがとう」と言える人になりたいと思いました。例え、コンビニ店員さんであっても「ありがとう」って言うようになりました。外食したときお金を払って店を出る前に「ごちそうさまでした」って言って帰るようになりました。

しかすると、その事自体別に褒められることではないのかもしれません。

人間として当たり前のこと。

だとすると、なおさら「今までやってこなかった自分」を恥じるようになってきました。

そう「仕事人間で余裕が無く他人に『ありがとう』とも言えなかった自分」が恥ずかしくてしょうがなかったんです。

普段探してみると「ありがとう」って言う機会は思った以上に転がっています

それに気づかなかった過去自分おかしいんじゃないか?って思ったんです。

それが自信から確信に変わったときにハッキリと目が覚めました。

そして「うつ病になる以前の仕事人間自分になんて戻りたくない。」と。

自分に自信が無くなったときは。

はいえ、自分って何故こうなんだろうって、自信を無くす時はあります

そんな時ボクは、あまり褒められる事ではないのですが、見知らぬ誰かと自分を比べるということをしています

例えば、街でタバコポイ捨てしている人を見かけたら、「自分ポイ捨てしないなぁ。」って思えれば、その人よりも自分のほうが生きてる価値があるのかもしれません。

まりいい事ではありませんが、自信を持つことは出来ます

2018-01-03

新春、友人と厄神さんへ行ってきた。二人とも男の本厄、昭和52年生まれ独身である

めし時に、彼もうつで、共通の友人もうつで一時期休職したという話を聞いた。

とかく、私の世代(1977前後)はうつになるやつが多い。そういう気質なのだろうか、時代なのだろうか。

彼も私も同じことを医者やらカウンセラーから言われたのでシェアがてら書いておく。

主語が大きな話はしない。それがうつの一因。理想現実のずれが大きすぎる。理想もっと下げなさい。

 (社会が、日本が、世界情勢が、経済が、会社が、地域が、宇宙が、というのは全部自分の効力が及ばないところ。空中戦になると人間に勝ち目はない。

 難しい大きい話はそれぞれのプロ政治家学者経営者etc)に任せておいて、あなたあなたができることをやりなさい。

 あなたができないことはスルーしなさい。

 ※そう考えると政治家経営者にはもっと気張ってもらわんといかん。

人生なんて「そんなもん」です。うまくはいかないし、思い通りにはいきません。

 うまく行ったとすれば、それは無意識回避してたか、うまく立ち回っていたか

 いずれにしても、うまくいかない、トラブルがあるのは物事を動かしている(つまりちゃんとやれている)証拠です。

・結果を気にするな。

 失敗は経験値が上ることであるドラクエでも何でも、経験値が上がるとできなかった魔法ができるようになったりするでしょ。

 (わしはファミコンをしなかった人なので詳しくはわからんが、さすがにそれくらいはわかる。)

 失敗はすべて経験値が上がること。経験値積みと思ってください。

・やったことに対してフォーカスする。

 京都から大阪に行くのに、JRで行こうが阪急で行こうが京阪で行こうが歩こうが車に便乗しようが自転車だろうが新幹線だろうが、いければ良い。

 それを昼得回数券のばら売りで最安で行こうとする、お金がないのに新幹線で最速で行こうとするからおかしくなる。

 行けたことをまずは評価したらどうか。切符買って来た電車に乗ってついたらそれでええやないですか。

 一番まずいのはいろいろ考えた末にいつまでも大阪にたどり着かないことですよ。

他にもあるのだが書いたらきりがない。

幸い、今のところは給与は安いが、定時できっちり終わるし、上司理解してくれている。まぁ、不満は多いが不満が噴き出すときは大概自分調子おかしい。

そういう時はカラオケするか、誰かに電話するか、河原で走ってくるか。よどんだエネルギーを発散してくる。

そんなわけで、いまのところでのらりくらりやりながら、ぼちぼちやっていければと思っている。

どうしょうもなくなったら田舎に引っ込んで農地耕すわ。そのほうが案外楽しいかもしれん。田舎人間関係クズやけど。

あしたか仕事初め適当にやっておまん適当に食べます

あ、でもメシはめっちゃ大事からしっかり食べる。肉魚、卵、チーズ、良質の油(バターとか)。これは気を付けるようになって治ってきた感があるしなぁ。

糖質制限はしてないけど、食事に占める比率としての糖質は下がってると思う。

はよ寝て、明日に備えよう

anond:20160717151649

わかる。

わしも結局共依存だった。実家出たのに26でうつとされて(実際には単なる過敏)、うつ双極性障害2型~再発症~40にして発達の偏りあり(障害ほどではない)ってことになった。

今は契約社員で何とかやってる。

この国の精神科医師の一部(大部分?)は本当にダメなんだけど、そいつら呪ったところで仕方ないしな。

実家を出なよ。

俺もこのままだと親を殺すか自分自殺するかになりかねんとおもって、カウンセラーにも相談してアパート借りた。

お金は厳しいけどなんとかなってる。

あおれと、あちこちに話すること。友達とか理解がありそうな職場とか、恩師とか。家関係以外で。

最終、親の人生は親の人生自分人生自分人生自分ができること、自分楽しいと思うことをやって、仕事しんどいこともあるけど、そういうもんと割り切って。

自殺してしまいたいのはわかる。本当は自殺したくないのになぜか死にたくなる。そういう時はしんどいのだkし、とにかく誰かに話して、適当さぼりんさい(さぼりなさい:思わず広島弁

命あってなんぼやし、それで首になるのならその程度の会社だよ。

とにかく、よく寝て、お風呂の湯舟でしっかりあったまって、肉(安い鶏肉OK)と6Pチーズと卵(1日3コ)をガンガン食って、パンにもバターたっぷり塗って食べて脳みそ栄養送って、その辺適当散歩して(人目が気になるなら適当タクシーで1メータ分移動して)それから自殺の件は考えよう。

anond:20180103100706

今時知能指数を測るテストを受ける機会なんて

精神科カウンセリングルームの門を叩いた時ぐらいなんだよな。

ロザン宇治原みたいな変わり者を除けばさ。

精神科医カウンセラーのお世話になるのって、

学校職場で深刻な孤立状態に陥ったことがあるか

もしくは罪を犯して少年院に送られたことがあるかぐらいなんだよね。

俺もメンサレベルの数値でて喜んでたけど

よほどの社会不適合者か暇な変人じゃない限りそもそもIQテストを受けることはないというこの事実に気がついて愕然としたね。

あ、でも国立大学付属の小中学校なら生徒に受けさせたりするのかな、そう考えると私立校お受験とかでもなくはなさそうな気がしてきた

まあ、大人になっても幼年期の成績を持ち出してくる人なんていないよね

2017-12-31

ゲスの極みなオレは20歳の子に恋をして

今日2017年最後の日。

はじめてますだに投稿するけど、なんだか吐き出したくて仕方ない。

文才がないことだけははじめに伝えておく。

3年前に同じ会社婚約者がいた。

お付き合いして2年だったけど、残り1年は中身ある付き合いとは言い切れない。

おれは今まで亭主関白なところがあって、自分の考えを押し付けるところがあり相手聞く耳もつことがなかった。

これじゃまずいと思って、次付き合う人は「相手を立てて、その人を尊重しよう」って思い意識を変えた。

それが元婚約者だ。

はじめの1年はとにかく楽しかった。お互いケンカもなく、笑い合いながら楽しんだ。

1年たった後、元婚約者異変が起きた。会社内で元婚約者批判する投書が上司に知れ渡り状況が一変した。

おれは彼女を支えるべく、ずっと励ましをして彼女の言いたいことを常に優先してきた。

しかしそれがダメだった。

結果として彼女精神病み、おれ自身うつ病になって、結婚どころじゃなかった。

会社カウンセラーからは「お互いの心が正常に戻った時に話し合って前に進めたらいい」と助言を受け、オレはそれに従った。

半年が経ち、元婚約者からは「好きな人ができた」と告げられた。

おれはどうしようもない絶望感に襲われて、今までおれはなにをしてきたのか訳が分からなくなった。

婚約をしていたので、裁判を起こした。

これが2年かかった。長いのか短いのか分からないけど、オレにはどうしようもない怒りと悲しみに襲われていた。

最終的には和解という形にはなったが、実質勝訴みたいなものだ。

すべてを終えたおれは心が軽くなり、久々に1人の時間満喫するようになった。

婚約者と過ごした2年+裁判で2年、失われた時間を埋めるかのようにとにかく動きまくった。

特に関係がひどい。

はじめは大学時代元カノ

の子はとにかく恋愛体質が強く、自分を好きになってくれる人を好きになるタイプ

おれはその子とは身体関係も含めて、相性は良かった。

しかし重い。

相手のことを思いすぎて、オレの時間など気にせずLINEしまくってくる。

オレは元婚約者との関係は異質なものと観ていたので、自分時間大事にしたいし、相手相手自分大事にしてほしかった。

分かりやすく言えば、「趣味彼氏」みたいな子だ。

これじゃ未来を描くことはできないと思い、オレから別れを告げた。

今その元カノは別の男性できちゃった婚をしたと風のウワサで聞いた。

次は同じ会社の別の女と身体関係をもった。

その人はバツイチだったので、特に後腐れもないと思っていたが、一回身体関係もつと面倒なことになった。

焦っているのかどうか分からないが、とにかくオレへのアピールがすごすぎる。

その気がないことが伝わるまでかなりの時間を要したが、今では普通に接している。

ただハッキリ言えるのは同じ会社の人と恋愛または関係を持つのはコレっきりにしようと決めた。

2016年の春

会社新卒女の子入社してきた。高卒の18歳。その子藤田ニコルみたいなので「ニコるん」とする。

若い子はまるっきり興味はなかったんだけど、ニコるんは余り積極的自分から話すことはなく、こちから声をかけていくうちに気になり始めた。

あぁ〜おじさんがキャバクラにのめり込む心理が分かったような気がする。

おれの話を屈託のない笑顔で応えてくれるんだよ。そう自分肯定されている錯覚に陥る感覚

15歳も離れている子を気になり始めるって、自分でも信じられなかった。

の子に恋をするってのはある意味で面倒だし、ましてや同じ会社

じゃあ同じ恋をするなら、年が近くて別の世界に属している人がいいんじゃね?って思い、出会い系を使うことにした。

出会い系はいわゆるペアーズやomiaiなどのアプリを利用した。

プロフ作成とかメッセージのやりとりは正直面倒だったが、きちんと出会えた。

はじめは3つ下のバツイチ。同じ読書趣味で盛り上がってとても楽しかった。

けど2回目のデートとき日帰り旅行南紀白浜に行ったんだけど、どうも相手は楽しくなかったみたい。

相手曰く「コミュニケーションがちゃんと成り立っていない」「わたしには時間がないのでここで切りたい」

そう言われて落ち込んだ自分がいた。

とても虚しい気持ちになり、ついニコるんにLINEをした。ただ話し相手になってほしくて呼んだに過ぎない。

ニコるんは何事もなくオレに接してくれて、会社の話や趣味の話などをして少しずつ気持ちが少し落ち着いてきた。

同時に出会い系出会った女のことも話し、なんとか笑い話になった。

その時、ニコるんはオレのことを恋愛対象として観てるかはわからん

本人は15歳離れても全然OKだとさ。それ聞くと意識はせざるを得ないけど、社交辞令として受け取った。

オレから観るニコるはいつも妹中心に考えていて、男は二の次という印象。

なので、ニコるんの心にオレは入ることないだろうなって思った。

最初出会い系を使って2ヶ月後、別の女性出会い系で知り合った。

その人は5つ下の29歳。秀才タイプで真面目系。

性格的に面白いんだけど、酒飲みだった。

最初デートカフェで楽しくおしゃべりしていたけど、2回目からはぐいぐいビールを飲む。

おれはお酒は好きだけど、付き合いぐらいしか飲まない。

その点は気にしないようにして、いつしか身体関係もつようになった。

けど、相性は微妙だった。何よりも口臭がきつい。

明らかに酒の匂いがして、興奮しない。

女として見れないと思い、連絡は減らすようにフェードアウト

2016年はこんな感じの女関係

結婚意識した上での恋愛をしていたつもりなんだけど、相性が合わないと結婚生活は上手く送れない。

そんな信念で恋愛をしていた。

2017年

気持ちを新たに切り替えて、ある小料理屋を通うようになった。

そこの女将は29歳でとても若い

料理も上手で話も上手。何よりも禁煙なのが良かった。

この店を通うようになってから、他の常連客とも仲良くなりとても楽しいひとときを過ごすようになった。

ちなみにその女将は既婚者で、恋をするとか全く考えていない。

ただシンプル自分に癒やされる空間で美味しいお酒食事をすることを堪能した。

料理屋に通い始めて3ヶ月後

同時期に女性3人と付き合い始めた。

こうやって聞くと3股なんだけど、ただオレは相手の話を聞いて頷いて女性を立てていたにすぎない。

1人目

高校時代元カノ同級生バツイチ子持ち。

そいつとは高校の時に色々あったけど、年を取った今、大人の会話ができている。

経験値というのだろうか、話が意外にも合う。共通趣味とはないけど、腐れ縁的なところもあるな。

流れにのってヤッてしまった部分はあるけど、まあ大人関係だ。それ以上もそれ以下もない。

シンプルに言えば、セフレみたいなんだけど時々飲みに行く間柄である

2人目

会社の元同僚。2つ上で既婚者子なし。

最初趣味友という関係意識も何もしなかったんだけど、9月になぜか二人っきりで旅行行くことになった。

ただ野球観戦をするだけのためにすべて相手ホテルの手配や飛行機の予約を任せていたんだけど、部屋は別室と思っていたら同室。

これって明らかに誘ってるパターン

どう考えても不倫になるので、自分の中では「ダメ」だと思いつつも好奇心旺盛が強く、流れでヤッてしまった。

ヤッたのはこの旅行最初最後

旅行自体は楽しかったんだけど、終わった後の罪悪感なものを感じてとても気持ちが複雑になっていた。

3人目

大学同級生。未婚。

ずっと友人関係が続いていて、恋愛はおろか身体関係もない。

事の始めは相手恋愛相談から始まったんだけど、結局ダメになった。

なぜか話しの流れで「私達付き合わない?」と言われ正直戸惑った。

おれは結婚を前提に恋愛するつもりでいたんだけど、付き合っていくうちに気持ちが変わるかもしれないと思い、

一応付き合い始めた。

しかし、4ヶ月経ったのに身体関係がなく、ただいつもどおりの友人関係

オレが考える恋愛とは全く違う。

3人同時進行は、オレの中で初めての経験自分でもモテてることに意外に思えた。

この流れは後にも先にもないだろうと思い、死ぬまでにはしてみたいことだったので前向きに捉えるようにした。

もちろん3人にはオレが3股であることは伝えていない。

しかしだ。この関係12月に入ってから終わろうとしている。

まず1人目。

こいつについては、まあ来年関係は続くだろうけど結婚はまずないだろう。

何よりもオレ中心ではなく自分中心で生きたいというスタンスなので、コレ以上も何もない。

気心知れているけど、恋愛対象としてないオレがいる。

2人目

お互い不倫という負い目があるからなのか、あれ以来音沙汰なし。

先のことを考えたら、お互いのためにも会わない方がいいかもしれない。

3人目

つい2週間前、ヤッた。

相手大学以来久々だったとのこと、

雰囲気はとても良くて、何かとラブラブでとても良い心地。

1回目はゴム付きでやったんだけど、ホテルの中のゴムは1個しか無いので、2回戦は不可。

しか相手が誘ってきたので、生でやった。もちろん合意の上で。

つい気持ちよくなってつい相手の中に出したんだけど、ここで事件が起こる。

「なんで中に出したのよ!!!!!」

めちゃスゴイ剣幕で怒りが込み上がっている様子の中、オレは出した直後なので果てている。

何が起きたのか訳がわからない。

生でやったことは合意の上、なのに中で出すのはご法度

外で出してほしかったみたいだけど、生でヤッた時点でいつできてもおかしくないんだ。

確率上、中のほうが高いのは言うまでもないけど、ラブラブムードが一気に吹き飛んだ。

4ヶ月間楽しくデートもして友人関係のままだったけど、この日に初めてヤッて気持ちよかったのに。

たった1回のセックスでおれはこの瞬間、「この女と切りたい」という気持ちになった。

しばらくしてお互い落ち着いて、少し話す機会を設けたところ

相手から「しばらく距離を起きたい」と言われる。

言われなくてもオレもそのつもりだった。

アフターピルを飲んで、次の生理が来たのは昨日のこと。

相手からは「やっぱり別れる」と告げられて、おれは安堵した。

この状態で付き合ってもオレも相手幸せにはなれないだろう。

こんな感じで3人の女のとの関係が終わった。

ここでおれのゲスなところを伝えておく。

ニコるである

11月たまたまニコるんと出張へ行くことになり、急接近し始めた。

出張帰りにデザートを買ったり、一緒に食事にいくようになった。

恋愛として対象に観ていたかどうかと言われたら、難しいけど恋しているんだろう。

新卒入社してそろそろ2年経とうとしている20歳女の子

そう彼女は二十歳になっていた。

成人している年齢なので気軽にお酒を誘えるようになった。

なんでこんなオッサンについてくるのか疑問だったけど、気分は悪くない。

けど妹のことになれば、おれのことはどうでも良くなる。

そんな子だ。

おれは3人の女との関係を持ちつつも、ニコるんのことは片隅にあった。

それは会社の先輩としてなのか男としてなのか分からない。

いや男としてなんだろうな。

先週、おれはニコるんにあるお願いをした。

「来週の土日、引越し先のために車を使いたいから買い物に付き合ってほしい」

ニコるんは笑顔で「いいですよ〜!車はアルファードがいいですか?!」

こんな風に快諾してくれてオレは嬉しい気持ちになった。

そして昨日、待ちに待った約束の日。

ニコるから「すいません!妹がインフルエンザにかかったみたいで」

おれは「いいよ〜気にするな。また明日あるしな。妹さんお大事に〜」

かなりガッカリしたけど、気にしないようにした。

けど尾を引いた。やっぱ妹優先なんだろうな。

今朝、改めて妹の様子を確認と同時にニコるんにLINEした。

「妹の体調はどない?無理なら無理で大丈夫からな〜」

しかし、夕方になっても返信はこない。

未読のままだ。

何かあっただろうと思いつつも、きっと妹のことを優先しているんだな。

もう虚しい気持ちしか残らなくなった。

しょせん35のオッサン相手しんどいんだろうな。

不相応に同年代の方がいいんだろうか。

それ以前に、相手を選り好みするオレはゲスだ。

そんな心構えだからこそ、まともな恋愛ができない。

何にでもはっちゃけすぎた。

こんな2017年最後を迎えるっていい結末だ。

いい思いも悪い思いもして人間らしいストーリーを堪能してる。

そう思うようにしとこう。

こうやって、ますだを書いてる最中ニコるからやっと連絡きた。

「いつもお世話になっていますニコるんの妹です。姉が昨夜緊急入院して今も目が覚めておりません。こうやって予定を合わせられなくて申し分ないです」

まさかの妹からまさか入院

事実なのかどうか訳がわからなくなった。

虚しさ以前、ニコるんに踊らされてるような錯覚に陥る。

そもそもニコるんの携帯指紋認証がついてるiPhone8だ。

妹が勝手に使ってるって邪推してしまう。予定の埋め合わせができなくてこうやって嘘のストーリーを作ってるんかな?

あれこれ考えてしまうけど、どうでも良くなってきた。

冷静に考えてたかが15下の小娘だ。子どもに踊らされてるオレがアホなだけと思っとこう。

ニコるんの妹への返信は、そのまま額面どおりに受け取ってフォローしておこう。

そして極力かかわらないでいこう。

そのほうがいいな。

2017-12-29

あの記事の続き

anond:20170413064206 を4月に書いた。匿名ダイアリーで書いた日記としては、反響をいっぱい頂いた。耳に痛い意見もあったし、励ましや慰め、感謝言葉も頂いた。

今年の仕事も終わったので、あの記事が結局どうなったのかはまとめておこうと思う。

1. SIerへの思い

元の日記へのコメントでは発注者側の無知二次三次請を地獄に落とすことについて指摘があったので、それも併せて。

人月など意味がないことについて自分の中で割り切ったので、社内への説明では適当人月でっちあげることにした

社内で通りそうな人月単価はもうわかった。だから、うちの希望納期が通るかどうかだけ聞いておいて、通りそうな単価で割り算するだけにした。

そんなに人数必要か? と突っ込まれた時には「必要でしょうね。だってあなただったらプログラムからテストまで、一人でできますか?」と言い返すことにした。

これを続けた結果、人月について突っ込まれることはなくなった。

納期についてはメーカ意見を最大限採用している(これは前からだが)

納期遅れだけはまずいな、と思っていたか可能納期については昔からメーカから提示採用してきた。最近は3か月くらいはプラスしておくことにしている。

「短くならないの?」という問いについては「無理ですね。そもそもこの機能必要なら、もっと早く相談するべきだったでしょう?」と返している。

これを続けた結果、逆にこっちでスケジュールを作れるようになった。

また、納期プラス3か月することで人月計算に余裕があるから、通りそうな単価に近づけられるようにもなった。もっと早くにやっておけばよかった。

保守費の値下げについてはこれから交渉

交渉するけど、基本的には保守費を下げてもらえる条件などほとんどない。さてどうするかはこれから考えようと思う。実の支払金額を下げろと言われたけど、下がらなかったら仕方ないよね、と割り切っている。そもそも保守費をけずるのは私の本意ではない。

2. 偉い人への思い

・どうでもええわ、の精神

4月13日あの日記の後、上期・下期の人事評価がなされた。評価は大してあがりもしなかった。どちらも6段階評価の3。

昇格の条件で考えれば、2年間・4回の人事評価コンスタントに4を取り続け、上期評価後に部門長に審査されなければならない。

まり、この先2年は昇格しないことがわかっている。この4年ずっとそうだったから、もう昇進・昇格は期待していない。

どれだけ頑張っても評価など上りもしないのだから、社内の意向を気にすることもやめた。

何もかもどうでもええわ、それよりは自分のやりやす方法をとろう、と決めた。

システム開発における工数単価の比較バカへの説明に楽なので、使い続けている。

上でも書いたけど、工数単価をコントロールしているか理解のできない上司や偉い人への説明に苦労することは少なくなった。機能面を理解させるのも一苦労だが、バカにもわかるように擬人化させて説明することが増えた。

例:このデータをなげないと、システム側は「データが来ていなくて処理できませーん」って言うんですよー。

システム機能追加や保守ができるのは、そのメーカだけだよ→でも、似たような機能自分らで作るよ。

システムについて理解できない偉い人らに連れられて、メーカの人を何度も呼んで打合せするかわりに、こっちが作った仕様説明実装するのにいくらかかるのか? を問うだけの打合せを一度だけすることにした。あとは全部私とやりとりしてもらっている。

また、金額に折り合いがつかないから、別のメーカ代替機能をつくってもらうことにしたものもある。

ソースコートは開示できない。だから、代わりに私が必要となる機能仕様実装手前まで作って、コーディングをお願いする手口をとることにした。

上でも書いたが、どうでもええわと割り切っているので、多少問題があってもいい。実装手前までの仕様策定を私がやったのだから、それに従ったメーカは私が守るだけのこと。

場合によっては自分でも作ることにした。その代わり残業時間が増えたけど(後述)。

・「実際そういうやり口で、うちの仕事を受けてくれなくなった業者があったと聞くぞ。又それを繰り返すのか?」

繰り返している。前はそうならないように配慮していた。しかし、下っ端の私らが配慮しても、開発・工事現場担当たことがない者(大概は課長以上)の行動で業者を困らせつづけた。

もうリカバリーできない。業者からは不平不満がでており、この案件が終ったら、二度とうちの案件はうけないと言う会社もあるようだ。

バカ役職を与えたのは会社なのだから、そのツケは会社が払うしかない。

稟議を引き戻した件については完了した。

から思えば、嫌がらせにちかい理由だと理解している。

金銭面というよりも、ある種の機材を技術面/運用面/コストから否定した結果、その機材を使うことで微々たるイメージアップができると思っていた偉い人にとって不満だったようだ。2ヶ月遅れたが、引き戻しをさせられた稟議案件は完工した。

その機材は別の工事担当者案件で導入することになった。すでに私が指摘していた問題点が露呈している。

偉い人にとっては何のダメージもないだろうけど、導入させられた部署の不満は高まっている。バカの下で働くのは大変だな、と思っている。

3.個人的な話。

評価もされない

上でも書いたとおり、評価されないのはもう諦めたのでいい。理解できないもの評価できるわけもないし、そもそも理解しようという気もないのだろう。

ユーザからは「使いにくい」と文句を言われて、上からは「よく考えたのか」と怒られる。誰がそんな仕事に喜びを感じる?

未だに喜びは感じていない。しかし、辛いと思わなくてもいいように働く方法がわかってきた。

使いにくい、と文句をいわれても「どうせシステムなど、お金を生まないと思われていて、予算がでないかしかたないよね」と答えている。

その上で改善検討はするが、お金がでないのだからできることには限りがある。

自作ソフトでなんとかできそうなところはそれでカバーすることにした。

・内作を許容することにした。

ここまでで、予算が通らない分で小規模なもの自作することにした、と書いてきた。

以前ならば、自分退職するまえに死んだりしたら内作したソフトメンテができるひとが居なくなるので、極力メーカに作ってもらおうとしてきた。

そもそも、内作のメンテが大変なこと、開発者が死んだり会社に来られなくなったとき対応を考えておかないとならないことはずっと説明してきたし、退職者が好き勝手につくったソフトメンテで苦しんでいる部署が社内にある。だからメーカに任せましょうという説明をしてきた。

内作を提案したときメンテ担当者をふやすことも依頼したが特に増やされる様子もない。

それは会社の考えかたなので、どうでもいいと割り切った。私が死んだ後のことなど知ったことではない。

・新しい技術も身に付かない→残業しながら勉強してやれ

一番大きく変ったのはここだと思う。残念ながらかかわっている案件全体が炎上しつつあり、残業時間がそのまま勉強時間にはなっていないが、内作をしつつ興味のある言語勉強をすることにした。

それについて「家で勉強するべきではないか?」などとのツッコミはない。どうせ理解できていないのだろう。

もし文句をつけられたとしても、こっちには「内作で数百~数千万を浮かすんだから、内作に必要学習時間業務として認めろ」といいきる度胸がついた。

それで上司評価が厳しくなっても「どうでもええわ」、もとより評価されていなかったのだから

ちなみに残業時間がどんどこ増えた。体はだるいし、ストレスチェックの結果2年連続産業医カウンセラーとの面談を推奨する手紙をもらった。36協定上の制限時間などもブッチすることがあるが、それについて文句をいわれても「どうせ人がいないのだから仕方ないだろう? 文句あるなら仕様策定もできるような人材を確保するか、メーカに頼んで数千万はらえ」と言い切った。

開き直ると楽だとわかった。

・今の部署を離れるか、システム以外の仕事をするために勉強することにした。

実は法律に興味がでてきた。そこで行政書士試験をうけた。新しい分野を勉強するのはたのしい、合格していればうれしい。

また、本社システム担当者に「本社システムやらせてほしい」とお願いした。今の部署から離れられるなら嬉しい。バカ上司の下はもううんざりである

4. 日記コメントをくださった方々へ

一杯ブコメをいただいた。皆様ありがとう特に気になったコメントは次のとおり。

id:luccafort これに少しだけ似た経験若い頃にさせてもらった。その時言われたことが「なんでそんなに彼らの肩を持つの?」だったので根本の考え方や感じ方に断絶を感じて絶望した。増田はすごいよ。」

→私も言われました。「なんで業者の味方するんだよ」と。あー、そういう風におもってるんだ、と理解した瞬間にもうええわ、と切り変わりました。そこから上記のとおりです。

id:celaeno_w インフラのありがたさは、一回サーバー落ちて、保守費用なんかと桁が違う損害出すと分かるんだけれどな。こういうのは、「格安バスツアー」とか、「格安海外旅行」と一緒よ。後悔した時には遅い。 」

→そうですね。ですから保守稟議にはそういう話を書いてきました。停止からの復旧時間、その間に指図できなかったロット機会損失などなど。1日とまれ保守費など比較にならん損失がでるよ、と。

でもそれでもけちりたいようなので、もういいのです。一回地獄をみればいいんですよ。

id:otihateten3510評価もされない、新しい技術も身につかない。ユーザからは「使いにくい」と文句を言われて、上からは「よく考えたのか」と怒られる。誰がそんな仕事に喜びを感じる?” 至言問題はなぜ全員辞めないのかという点 」

id:su_zu_ki_1010 転職おすすめされても、その方の年齢とかスキル(新しい技術も身につかないとぼやいておられる)もあるので難しい場合もありそう。部署異動で無縁のところに行くのを希望するという手もあるのではないか。 」

無職が怖い、この一言です。部署移動はこの6年間、評価毎に話ししています希望は通りませんでした。今は他部署から是非貰いしてもらえるようにアピールしています

2017-12-26

この生きづらさをなんとかしたい

今まで何かと生きづらさを感じてきた。

私自身どうもわがままで、

面白さを感じられなかったり、意味を感じられないと

すぐにやる気がなくなってしまう。

今はなんとかやる気はなくても、迷惑をかけないように

自尊心を削りながら、生きている。

一人暮らしの間は何もないむなしさを感じてきた。

家族がいたらいたで自分の思い通りにならない苛立ちを感じる。

自分人生コントロールできれば、

私の人生を生きられる感覚が得られるのではないかと思っている。

この認識自体問題があるのかなあ。

どこに行けば、こういう思いと折り合いをつけられるようになるだろう。

コーチングキャリアカウンセリング心理カウンセラー?MBA?不動産セミナー宗教マルチ

起業とかすると、少しは自分人生を生きている感じがするのかと思い、

希望を感じたりするけど、どうなんだろう?

自分の生きづらさをなんとかしたいし、

生きづらさを感じなくて済む人が多い社会になればいいと思う。

2017-12-25

引きこもり支援と同じものはてなに感じる件

カウンセラーとして引きこもり支援に携わってたんだけど

引きこもりの人たちにはある特徴がある

カウンセリンググループワークの場に来て社会復帰の為の話し合いをすると必ずといっていいほど

政治や国を引き合いに出して批判が始まるということだ

この根底にあるのは、現状の不遇は社会や国のせいだという被害者意識

しかし、実際は多くの人が学生時代につまづき社会に出たことのない人たちばかりなんだ

なんで社会に出たことのないひとが社会や国の被害者だと思うのかを遠回しに聞くと言葉につまるばかりだ

まり彼らは単に自責感というものを一切持てないから、自分に何か原因があるということを自覚できないんだよ

突き詰めて話をしていくと結局のところ、社会に出て行きたくない働きたくないというのが本音

それを正当化する為に借りてきた反権力的な正義攻撃的になるというのがステレオタイプ引きこもり支援問題

これを如何に自覚させるかに骨を折るわけだけど

はてなでの左巻きの言葉の数々を読むようになって、自分支援活動と重なってしかない

ちょっとたらここにいる多くの人が引きこもりとまでは行かないもの

社会から孤立して疎外感を正当化する為に、頭の良い人たちの借りてきた社会正義武器にして

人を攻撃しているんじゃないかと思えてならない

2017-12-17

ハローワークに行くのは時間無駄

以前、転職活動をしていたときハローワーク若者向け)に通っていた。そのとき無料相談と銘打ってカウンセラーなる人が30分くらい話をしてくれるのだが、これがまあひどかった。

まず毎回担当者が違う。そして引き継ぎの書面などもない。あるのは私のプロフィールが書いてある書面のみ。それを使いまわして、おそらくそときに初めてその書面を見て「相談」をしているのだろう。

とある担当者に当たった時、私が理系大学出身であることから弁理士」になることを勧めてきた。私はその道について全く考えておらず、試験のための勉強時間も取れないし、それに合格するという保証は全くない。たとえ合格したとしても、それまでにどれぐらいの時間がかかるのか。それまでに私の待遇はどうなるのか。収入はどうなるのか。

それに疑問を挟まなかった私も明らかに問題だったが(早く転職たかったし、まだ若すぎた)、そのカウンセラーハロワ求人の中から弁理士事務職をどんどん抽出し、私に応募させた。

結果、書類ガンガン落ちたし、運良く面接まで行けたところでも、面接中に不合格と分かるぐらいひどい内容だった。その後、普通に自分から気になるところにネット経由で応募し、現職と相成った。

このご時世、就職転職サポートという点でハローワーク存在意義はあるのだろうか。

2017-12-15

anond:20171215195734

カウンセリングに行く意味ない。

占い師祈祷師に話すのとたいして変わらん。

金と時間無駄

考えてもみろ。もしカウンセリングが病んだ精神を治す力があるなら、とっくのとうに保険適用されとるやろ。

まりカウンセリングには医学エビデンスなんてないんだよ。

しかカウンセラーになりたがる人間は本人が病んでることが多く、無駄なだけでなく有害

一般人よりパーソナリティ障害有病率も高い。

お前は今、カウンセリングという代替療法カモネギにされる寸前であることを自覚しろ

2017-12-14

かつてものすごい医者不信だった

 学生生活も終わろうという頃、たまたまではあるが上手くいかないことが重なってひどい不眠や精神の衰弱に陥った。学内カウンセラーのすすめでメンタルクリニックに通うことになったのだが、自分の悩みや症状を訴えてもとりなしてもらえず、結局学校に行くことすらできなくなるまでに体調は悪化した。

 あわせて健康だった歯も、起き上がることすら出来ないような日が繰り返された結果さすがに虫歯が出来てしまい、痛みもするため、気持ちが戻ってきた頃に歯医者Aに行った。治療の際、知らん間に親知らずも生えていることを教えられ、せっかくなので抜歯して欲しいと伝え、手術の日取りまで決めたが、当日になり、やはり健康なら別に抜く必要はないと言われ、プロが言うならと素直に従い、取りやめに。

 しかしどうも噛み合わせの感じや歯に違和感があり、別の歯医者Bに行ったところ親知らずが横に伸びて歯並びを押し変えてしまっているという。比較的自信があった歯並びも失ってしまったショックもあったが、こうなった以上抜歯を決める。

 だがその歯医者Bがとにかく下手だった。さまざまな不手際があったが、中でも麻酔が切れていると訴えても「もうすぐ終わるし、効いてないはずはないから」と意に介さず手術を続行されたことが一番だった。20も後半に差し掛かっているにも関わらず、恐怖と痛みで本気で泣いた。

 最終的に遠くの大きな病院できちんと抜歯は行ってもらったのだが、とにかく結果的に上手くいったこと以上にさまざまな不都合を俺に与えた(と当時は解釈した)病院への怒りと絶望と不信が募り、すっかり医者自体を色眼鏡で見るようになってしまった。セカンドオピニオン選択肢があるほど、田舎には病院がなかったことも災いしたと言える。

 その後、年と共に、自分意思に関わらず、外科内科関係なく病院のお世話になることがなし崩し的に増え、自然病院への不信も氷解したのだが、それでも相変わらず心療内科歯科にかかろうという気は全く起きない。いまだにメンタルには問題を抱えているし、歯並びは治っていないのだが、成熟されたヘドロのような心の淀みと向き合う気力がもう沸かない年になってしまった。かつて医者不信だったなどといいつつ一部の医者への個人的偏見は一生消えないようだ。

 医者は正しい診断や治療は出来て当然、誤診や医療ミス憎悪対象になる、難儀な職業という点について一定の理解はあるつもりなのだが、俺がそうであるように、ムカついた記憶が早々風化しない事を鑑みると、どこかでいわれなくワリを食っている医者も数多いのだろう。だが個人感傷としてどうしても超えられないラインが生まれしまっている。むしろその事で損するのは俺の方だとは思うが。

2017-12-13

つらい思いを気軽に話せるskypeベースカウンセラー懺悔室ないかな(VRならなおよし)。

2017-11-30

涙が止まらない

一度泣き出してしまうと、しばらく泣き止むことができない。今も泣いてる。部屋のドアを閉めて声押し殺して泣いている。画面は見づらいけど涙がこぼれ落ちるたびに視界が良くなるのが車のワイパーみたいで少し面白い

から学校が苦手だった。友達は少ないし、授業はどうでもいいし、宿題が嫌で嫌でたまらなかった。実質ボイコット状態。当然(得意な2,3教科以外は)成績が悪くて、その得意な教科でもテストで点が取れただけで授業態度は決して良くはなかった。先生達との関係も悪かった。常にクラスから疎外されているような気分で、これはわたし被害妄想かもしれないが、"かわいそうな子を見る目"で見られていたような気がする。2-3年に一度は親が呼び出されたりわたしカウンセラーに連れていかれたりしていた。

母は、わたし教育にたいへん力を入れていたように思える。詳細は割愛するが(実はもう何度かアノニマスダイヤリーに書いた)、現時点で彼女わたしのことを非常に軽蔑していて、ストレスの捌け口なのかわたしのことを"躾けて"いるのかは分からないが毎日罵倒してくる。唯一得意な美術で何を成し遂げても上には上がいる話を聞かされたりその時間を何故勉強に使わなかったのか問い詰められたりする。

わたし学生生活11年間ずっと、自分が得意なこと、好きなことが美術しか無いと思い込んでいた。これはもう絵描きになるしかないとたかをくくっていたところに、何気なくスケジュールに入れた心理学犯罪学と法医学に恋に落ちてしまった。進路の話をするとぜったい長くなるから今はしないがまあ要するに慣れない「学校」をとても頑張る教科が今年は3つほどできた。成績のためじゃなくて知識のために授業も課題もできるだけ真面目に取り組んだ。

そして、今日から電話が来た。わたし国語経済学を落第しそうだと、落第したら卒業できないということを聞いてわたし先生電話をかけて話をしたそうだ。恥ずかしいがわたしもきっと父にとって恥ずかしい娘なのでまあイーブンだと思って話を聞いた。説教は頭を素通りしたがなぜか父はわたし心理学犯罪学の先生とも話をしてわたしがうまくやっていることを聞いたそうだ。「真面目にやっていて授業態度も成績もいい。」「いい生徒だ」と。これを聞いた瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。嗚咽はなんとか堪えた。父との残りの会話はなるべく涙声にならないように頑張ってあまり喋らないようにした。

本題に戻る。わたし自分尊敬しているひとやただ単に自分より立場が"上"のひとに能力肯定してもらうと涙が止まらなくなってしまう。現時点でもう30分は泣いている。だいぶ落ち着いたが目は腫れているし鼻と耳はなんだか変な感じだ。今回もそうだし、カウンセラーに慰めの言葉をかけられると涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。正直困る。笑ってお礼を言いたい場面で相手を困らせてしまうのは嫌だ。

どうすればいいんだろうか。性格と言われればどうしようもないのだけれども、いっそのこと、原因を追求するためのセラピーでも行ってみたいような気もする。最近よく褒められるから、逆に辛い。

anond:20171130102241

自分が無神経で空気が読めないって自覚してるなら心療内科にでも行ってカウンセラー紹介してもらえ

生来性格カウンセリング受けないと矯正出来ないよ

通信制だけど全日学校

自分学校は全校生徒70人程度の小規模な高校だ。

だが、自分の学年には担任7月から病欠で居ない。全体のカウンセラーもいない。

教員は入って来ないし、入っても辞めていくほうが多い。

生徒は出席率悪く全体的にモチベも低い。教室では毎日小競り合い。

おまけに教室雰囲気を良くしろ毎日のように言われる。

日直は7:45に学校に居なければいけない。自分より家の近い奴らがいつも遅れる。そのことで何故か自分学校トップに怒られる。

土曜日受験に向けた個別指導をとっているが、個別指導を受けているからという理由で8:30から掃除などの手伝いをしろと言われる。予定があれば指導後帰ることもできるが、基本的には3時まで残れと言われる。

服装自由なはずなのに、手伝いは制服。ここまでしないと怒られる。

なんでこんなことを言ってるかというと、9月に入った先生体育会系の鬱陶しい先生で、ある同級生毎日しつこく電話をかけているそうだ。

内容はクラスをまとめろなど、無理難題押し付けてるらしい。

そんな彼だが、いよいよクラスのまとまりも悪くなってしまい、担任代理が欲しいと言っていて、今日先生意見するが、うまくいかなければ学校を辞めると他の同級生に話していたらしい。

ヤンチャな彼だが、正義感が強く、いつもクラスをまとめようと頑張っていた。そんな彼が辞めたいと言っているのが辛くて、自分と彼の事を誰かに見て欲しい、という気持ちで書いた。

※一応フィクションだと言うことにしたい。ここまで書くと判る人には誰が書いたか迄判ってしまう。

2017-11-25

プロフィール自殺願望ありますって書くのはなぜ?

おまけに2児の母ですとも書いてる

色々おかしいと思うのは俺だけ?

自殺願望があるけど、ちゃんと付き合って結婚して子供を2人作るって筋が通ってなくない?

そもそも自殺願望があることは良いとして、なんでそれをプロフィールに書くの?

相談すべきは医者だったりカウンセラーサポートしてくれる家族じゃないとダメじゃない?

本人の状況を把握できないネットでの繋がりだと、無闇に周りの人が動くことになる。つらいって意味での死にたいなのか、これから正に死んでしまおうなのか区別が付かないでしょ?

本当に助けが必要な人にリーチできなくなるじゃん

死にたいと言うより、死にたいってことを誰かに分かって貰いたいってのが本心なんじゃないの?

承認欲求を満たす為の自己ブランディングと全く一緒の行動。違う?

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