はてなキーワード: うつ状態とは
糞みたいな上司の下で怒鳴られながら、この仕事は向いていないんじゃないかという思いを紛らわして、飲み込みながらなんとかこれまでやってきた。
そして先日、仕事終わりに過呼吸で倒れて、それから仕事に行けなくなった。
休みをもらった当初は、上司ぶっ殺すとか泣き叫んだり、ただボーっとしているだけで涙が流れてきたりしたけど、一週間も寝ているうちに完全に落ち着いた。
この数か月は仕事を頑張ろうという気持ちが自分の中にあって、モチベーションが高い状態で仕事をしてきたつもりだった。
結局、芯にはこの仕事が向いていないんじゃないという思いがあって、散々罵倒してきた上司の言葉を思い出すと仕事に戻る気力がどうにも湧いてこない。
他人事であれば綺麗なことはいくらでも言える、自分の可能性にチャレンジすればいいじゃないか、やりたいと思う方に進めばいいんだよ。
いっそのこと積み上げてきた全部をぶっ壊してしまいたくなる。
知り合いに片っ端から連絡して毎日おごりで飲み歩いて、毎日心配して連絡してくれる彼女をよそに元カノに連絡してみたり、三日後に海外に行く航空券をとってみたり。
仕事なんか辞めて、貯金も全部使い果たして、彼女のことも全部清算して。
そしたら楽になるんじゃないかなんて。
そんなわけないんだけど。
いっそ死んでしまった方が楽なんじゃないか、いっそ全部捨ててホームレスになった方が楽なんじゃないか、みたいな極限状態に陥った人が判断力を失った状態ってこんな感じだろうか。
今まで自分が積み上げてきたものを壊してしまうのは明らかな損失だ。
その損失と、元の生活に戻り我慢を続ける損失、どちらが大きいのか。
判断ができない。
いつ決めるのが最善なのかもわからない。
何かを決めてしまうのが怖いし、将来の展望なんてそんな簡単には見えてこない。
一度失った勤勉さはそう簡単にはまた手に入らない。
「一度怠けてスポンジみたいになった脳みそっていうのは、なかなか元には戻らないよ」大学の頃お世話になっていた教授の言葉を思い出す。
でも今いる状況っていうのはすごく楽で、抜け出したくないとも思ってしまう。
今はあんまり何の感情も無くって、不幸ぶってこんな風に自分語りをするのはダサいなあと思うけど、誰かに伝えたくなってこんなことを書いてしまった。
そんな気がする。
一緒に困った顔はしてくれるのだが。
そのうち仕事が手につかなくなってきた。
やるべきことが分からない。
分かるまでとても時間がかかる。
そうしてる自分を見た同僚に、
などと言われるようになってきた。
彼らなりの気遣いなのかもしれないが、からかわれているようでとてもつらい。
顔をクシャクシャにして泣いている。
誰もいないから遠慮がない。
それでも声は出さずにいる。
探す時間は作れるだろう。
なんて馬鹿な考えだ。
いつになったら英語ができるようになるかな。
30年生きてきて英語に触れてきてこんななのに今更そんな簡単にできるようになるわけ無いだろう。
仮にできるようになって、どうやって海外の企業にアプローチするつもりだ。
今まで日本にずっと腰を据えてきたくせに、お前を雇う外国の企業は一体何が目的だ。
今すぐ現状を改善する手立ては無さそうだ。
そろそろ耐えられそうにない。
死んだら全部終わりなことは分かっている。
いや分かってるならこんなことにはなってないのかもしれない。
脳細胞が死んでゆく。
行き場を失い死んでゆく。
知り合って9年、付き合い始めて8年、結婚して6年たちました。
私と近い価値観を持っているから話が合うし、興味があることも近く、何を一緒にしてもいつもとても楽しいと感じます。私があなたの好きなところは、私と近い価値観を持っていることでもあると同時に、あなたの私と違うところでもあって、私一人で考え込んでしまっているときも、あなたと話をするといつも目の前が明るくなります。
あなたは自分の興味のある目的に向けて頑張っています。出会ったときからあなたのそんな姿を見てきて、あなたに憧れのような気持ちも抱いています。
最近、私は仕事の方で自分の能力の足りなさ、仕事の出来なさからひどい自己嫌悪に陥っています。死んでしまいたいとか、小さくなって消えてしまいたい、そんなことを考えることが週に5日ほどあります。今までの人生の中でこんなことは初めてです。うつ状態であることは、朝、ベッドで叫んで自分を奮い立たせないと出社できないことからも明らかです。でも、今もしぶとく生きているのは、あなたがいるからです。
こんなにつらい気持ちになったことは初めてですが、どんなに辛い気持ちになっても、あなたのことを思うと生きながらえていられることに少し驚いてもいます。
私は1年の半分は仕事で出張しています。あなたはここ数年は海外で働いています。
結婚してから二人で一緒に生活できたのは、お互いの短い帰国の期間を合計すると1年ほどではないでしょうか。短い期間ですが、本当にとても楽しい時間でした。
私が今やっている仕事は、私が中学生の頃からなんとなく憧れていた仕事で、しかも社会に貢献できるというありがたい立場にいます。出張は長く生活環境も厳しいですが、自分の技能を必要としている人たちに提供し感謝され、十分なお金をいただくという恵まれた環境にいます。でも最近私は、私自身の幸せ、個人の幸せをもっと追求したいと考えるようになりました。もっとあなたと一緒にいたい。いつか二人は死んでしまいます。この一生の私にとっての一番をあなたにしたい。あなたも私と一緒に暮らしたいと言ってくれました。
私に足りないものは覚悟です。今の仕事を捨て、なりふり構わずあなたの側に行くことができないのは、外から見ると順風満帆に見られているこの仕事を手放し、手探りの状態になることで、私がどう見られるのかを怖れているからかもしれません。
でも、この手紙を書きながら、本当に恐れるべきは、あなたと暮らすために動き始めなかったことを後悔することだと気が付きました。これからは全てにおいて、あなたと一緒にいるという私の個人的な幸せを最優先します。
「完全な何か」「100%」を自分が納得するまで追い求めてしまう性格
自分が納得できる結果出せないと気が済まず、他の作業に移行できなかったり、1日中そのことばかり考えていたりする
・1つの作業に時間が掛かり、作業効率・生産性が悪化する(している)
・結局は独りよがりに自己満足を追い求めているだけ、悪く言えば幼稚
・自分で「完璧」「完全」「100%」と思っていても、どこかに穴がある場合が多い
・スピード優先の時代、「完璧」な成果など求められていない場合がほとんど
・もし「完璧」な成果を出したとしてもあまり褒められず、更なる高い要求が降りかかってくることが多い
・「成功か失敗か」「0か100か」で物事を考えやすく、ストレスをため込みやすい
・求める基準が高い場合、達成が困難な作業を行っていることがある そうなった場合、途中で投げ出すことになる
・投げ出すこと=失敗を繰り返すことにより、学習性無力感が形成され、無気力状態・うつ状態になる
・他人にも「完璧」を求めるので、人間関係が重苦しく窮屈なものになる
・もし「完璧でないと周囲から認められない」という思い込みを持っているなら、その思い込みを捨てる
・弱い自分を認める、心を開く
初めての医者は「鬱ではないと思う」と言ってパキシルを処方してくれた
「鬱ではないと思う」は「うつ病(の診断基準を満たすほど)ではないと思う」の意味で言ったんだと思うよ。
パキシル(パロキセチン)はSSRIという抗うつ薬、コンサータ(メチルフェニデート)は抗ADHD薬(中枢神経刺激薬)で、この2つは全然別のもんです。
つか精神障害者手帳なんて、特に3級は詐病メンヘラでも簡単に取れるうえに有効期限付きなので、「これは障害者の証なんだ!」とか落ち込むようなものではないですよ。
いや元増田の考えと認識はどうか知らないけど。私はそう思った。
こういう、発達障害とか鬱病とかアスペとかコミュ障とか言われる、精神的な問題って、共感されないし同情されないよね。
同じ様に(それこそ自殺を考える程に)苦しんでいるにも関わらず、被災者は共感され同情され、何より支援される。
かたや精神的問題は自己責任だと叩かれ、絡み辛いと遠巻きにされ、カウンセリングは(場合によるが)保険も効かない。
ここに不公平感がある。
つまり、元増田の怒りの対象は被災者ではなく、共感出来る不幸には物質的・精神的に救いを差し伸べるが、そうでない不幸には寧ろ石を投げる、世間・社会なんじゃないのか。
コミュ障や精神疾患は、周囲から叩かれ疎まれ、それにより更にコミュ障になり、更に叩かれる無限地獄。
かく言う私自身も、周りに居るそういう人を個人的に助ける事は出来ない。
同情はするし出来る範囲の事はしたいと思ってるが、家族や旧友でもなければ彼等を好きになれないし、積極的に関わるのには莫大なエネルギーが必要だからだ。
人に助けて貰う為には先ず好かれるか同情されなければならないが、そこで躓く。
ひと昔前は発達障害や鬱病という言葉も認識されて居なかったので、今よりも更に「怠け者」「性格が悪い」という認識をされ易かった。
そういう意味では今はマシにはなってるが、不十分だと思う。
秋葉原無差別殺人事件の加藤なんかは、そういう負のループから生まれた面も有ると思ってる。
彼が「社会」「世間」に攻撃したのはある意味当然の帰結ではないか。
その社会に彼が共感を持つ事は無いし、復讐心を抑えるブレーキは機能しない。
元増田はとりあえずカウンセリングとか精神科に行って、専門家に知見を求めるのが良いと思うが、社会っつーか我々の理解がもう少し進めば、こうした「救われない不幸」は減って行くんじゃないかと思う。
・自分の周りで精神科に通って投薬治療を続けて改善が見られた人があまりいない。
・投薬治療の改善データを精神科医に要求したが出してくれる人はいなかった。
・自分で両方実践して見て精神科の投薬治療が害悪であるとの結論に達した。
これでいい?
身内にここ数年ずっとニートしてるキチガイ弟いるけど、キチガイが身内にできると周りの人間がみんな病んでくるな。
役所にいったらいろんなサポートがあるのに、なんで行こうとしないんだろう?とくにあいつは子供もいるから自分から動けばいろいろ手当もらえるのに「分かった。今度行くよ」っていうだけで何もしない。その代わり両親には毎日にように言葉の暴力あびせてお金をせびろうとする。親も根負けしてお金渡しちゃうから余計タチが悪い。
「仕事探すのにパソコンが欲しいから貸して」っていうから俺の使わなくなったMacbook貸してたら数ヶ月でぶっ壊れた。回収して中開けてみたらEthernet Cable指す端子が外されてて、あとハードディスクつなぐケーブルが壊れたみたいでHD認識してくれない。あのーEthernet Cableがないとアップルストアいっても点検すらしてくれないんだけどなんで外すの?っていったら「ケーブルから変なデータが入ってハッキングされるから」とかイミフなこというし。
あいつ絶対精神病んでるんだけど、何回説得しても診察に行ってくれない。何回もいろんな精神病院に連絡しても暴力事件とかもっと深刻な自体にならないと強制入院なんてできないんだって。これ以上深刻な自体ってどんな状態よ。「変な電波が流れてる」っていって深夜いきなり家のブレーカー落として冷蔵庫とかの家電全部使えなくするような奴だぜ?一緒に住んでいる母なんてもう完全にうつ状態。
日本ってなんであんなに引きこもり大人が多いのか謎だったけど、身内にできるとわかるわ。一度もう人として引き返せない一線を超えちゃうともう開き直ってやりたい放題になるんだな。欧米の事例みたらあっちは家族同士でも虐待事例を証明できたら裁判所からeviction noticeっていう強制退去の許可がもらえるんだってね。日本では引きこもっているようなクズは欧米ではただのホームレスになっているわけか笑。いいなぁーーー日本でも家族同士の揉め事で強制退去させる方法ってないの?
メンヘラってめんどくさい。
めんどくさいけどなってしまうとなかなか苦しい。
わたしは希死念慮がある20代前半メンタルヘラヘラ人間(女)だ。
昨日はバイトでにこにこと接客をした。接客したお客さんたちからは病んでいる人間には見えなかったと思う。
しかし一昨日のわたしは電車を待つ際に最大限ホームから離れて、電車が来ても飛び込まないよう足を踏ん張りながら俯いて目を瞑っていた。
最近いろいろあった。
いろいろを一つ一つ説明して行くとまた長くなるので省略させていただくけれど、一言で言うと死に触れる機会が多かった。
何か明確なきっかけがあるわけではないけれど、気付いた時には自己否定しかできなかった。
何かトラブルがあった時、その時の精神状態にもよるけれど気持ちがもともと沈んでいる時にトラブルが起きるととにかく自分を責め、自己否定に自己否定を重ねていかないと逆に気持ちが落ち着かない。
先回りして自分を否定して最大限叩きのめさないと居ても立っても居られない。
自己肯定感の育ちには家庭環境が深く関わってくると言うが、家庭環境は良いほうだと思う。
この歳にしては仲も良く家族で出かけることもある。
わりとどんな話もしている。
唯一わたしがメンタルヘラヘラな件についてだけは話していないけど。
でも十分愛情を注いでくれているが故に、今話したとしてもわたしが望んでいない対応や反応をしてきそうなのでまだ当分話すつもりはない。
話が逸れたけれど、とにかく最近いろいろあった。
いろいろあったからなのか、最近希死念慮がどんどん強まってしまい困っている。
この「困っている」はチャンネルを変えたいのにテレビのリモコンが見当たらないから困っている程度の「困っている」なのでまあ言うほど困っていない。
けれどこのままだと本格的に困ることになりそうなのでどうにかしたい気持ちがある。
わたしは自分の顔も身体も性格も声も何もかもがコンプレックスだけど、何が1番コンプレックスかと聞かれると間違いなく人との関係を保つ能力の低さだと答えると思う。
人と話すのは好きだし人と関わることも嫌いではない。
というか人と関わる仕事に就くことが決まっているし好きな方なのだと思う。
が、その築いた関係を上手く継続して守り続けることができない。
仲良くなった人となんやかんやあって仲違いし、今まで築いて来た関係が壊れてしまう。
そんな経験をしたことがある人はいると思うし少ないわけでもないと思う。
長い人生の中で経験する可能性は大いにある、だからそこまで気にすることはないと言われたことがある。
確かにそうだけど、20数年生きて来てすでに何度もその経験があるとなると気にもなってくる。
だいたいはわたしの精神状態が不安定だったり、ひどい気持ちの落ち込みや悲観的な考え方が原因で、勝手に考えすぎて勝手に落ち込んで勝手に病んで離れるというまあめんどくさい形でそれまでの関係を壊してしまうことが多々あった。
相手の行動にイライラした時、疑問を感じた時、不安になった時。伝えるべきタイミングで自分の気持ちを伝えられず、伝えるべきでないタイミングで抑えきれなくなってだーっと伝えてしまう。
自分に自信がなく、人からどう思われているのかもマイナスにしか考えられない。
直接ではなくても、SNSで散々しんどいしにたいもう疲れたと鬱々としたツイートばかりしていて引かれて離れられてしまうこともある。
自分でもここまで書いていてなんてめんどくさい人間だろうと思う。
そりゃあ周囲の人も離れるだろう。
こんなわたしを…こんなカスを…と自己否定フィルターがかかって純粋に物事を捉えられないため、相手に友達だと言われていても堂々と友達ですと言い切れない。
信じてくれていないのかと言われると申し訳ないけれど、きっとどんなに深く心を通わせられたとしてもわたしは友達ですと真っ直ぐ前を向いて言えるようにはなれないと思う。
それはわたしがわたしを肯定できるようになれなければ無理なのだと思う。
何が言いたいのかわからなくなって来た。
文章が拙くて引いているけどもう吐き出したいだけだと思うので気にせず乱文を失礼したい。
何ってもう自己肯定感がないのだ。
自分では否定しかできないため人から肯定してもらえないと自分を保てない。
自分の友達のいなさに、いついつ会おうと約束できるほどの関係性をもっている相手がいないことに、メンタルがヘラヘラなわたしは絶望を感じている。
3月もきっと誰とも遊べないままインスタグラムで楽しそうに旅行の思い出を語る同級生を見なかまら過ごすことになるのだと、考えるだけでしにたくなる。
とてもめんどくさい。
メンヘラってめんどくさい。
だったら数少ない友人(あちらがそう言ってくれている)を誘えばいいのだけれど、毎日しにたいと騒ぐわたしに引いているだろうと思い踏み出せない。
かわいそうなわたしと遊んでと頼み込んでお情けでも遊んでもらえば少しは気持ちもマシになるのだと思うけれど、何よりその友人たちにはわたしより優先するべき人たちがいると思うと意地でも予定を合わせて遊んでもらうことは気がひける。
健全な精神を持つ人からしたらこの程度でと思うだろうがこんなことで毎日生きるのがしんどい。
自己肯定感はなくなるばかりで、そこに友達がいないという現実と誰にも必要とされていないという気持ちが相待って、ゆるやかに希死念慮が強まっていた中人身事故に遭遇した。
その瞬間は見ていないけれどそれ以来電車のホームであと一歩前に出れば終われると思うことが増え、座りたいがために最前列に並ぶタイプだったわたしは序盤に書いたように最大限ホームから離れた場所で電車を待つようになった。
ここで飛び込まないようにしている点で結局はしにたくないのではと考えたが、飛び込むことを防いでいるのは親に迷惑をかけたくないから電車でという方法は避けたいというだけの理由だった。
ここから飛んだら終わる、ここで一歩踏み出せば終わる、薬を買うお金はないからODはできない、ならどうすれば。
毎日こんなことばかり考えている。
確実なのはやはりホームに飛び込むことだけれど、人身ほど迷惑な死に方はないと言うし、あのマジかよ…というホーム全体の雰囲気とイライラをぶつけられる駅員を見てしまうとするべきではないと思う。
もしここまで読んでくださっている方がいたらわかると思うがわたしは死ぬことに対してこの程度の考え方だ。
しにたいけれど社会のことを考えて悩む。
だがめんどくさいことは確かだし、しにたい気持ちがあるのも確かだ。
けれどたぶんどこかでしぬよりも誰かがわたしを肯定してくれて、自分も自分を少しでも肯定できるようになればそのほうがいいだろうと思っている。
それは良いことなのか、しにたいと考える時点で良くないのか。
昼間から憂鬱な気持ちになったり、一日中憂鬱だったり、鬱々とした気持ちでいる時間は圧倒的に長くなっている。
うつ診断を試してみたらどの診断でも中程度のうつ状態だと出た。
ここで専門医に診断してもらうことが大事で、この時点での対応でこの先うつ病になるかならないかが左右されるらしい。
でもわたしよりしんどい人は世にたくさんいるだろうし、黙れファッションメンヘラと真のメンヘラの方々に怒られそうだし、結局はただのかまってちゃんなのだからそこまで大げさに捉えることはないと思っている。
メンヘラってめんどくさい。
メンヘラってくるしい。
もっと毎日元気に過ごせたら、友達とどこに行こうかと旅行の予定を立てられたら、人生がもっと楽しかったら。
たらればばかりだ。
でもそれは全てわたしが自己否定しかできないから、友達を信じきれないから、承認欲求が強すぎて拗らせてしまうから、結論自分のせいなのだ。
わたしが今仲良くしてくれている人の中でとくにこの人たちは好きだなあ、一緒にいると楽しいなあと思っていた人たちはその人たちだけで旅行に行くらしい。
一緒に行きたいとは言えない。
いいね楽しんできてねと言うと、○○も今度一緒に旅行行こうねと言われた。
そんな日は訪れないことは百も承知だけれど、そうだね一緒に行こうね、大阪とか楽しそうだなと返した。
くるしい。
しにたい。
ここまで読んで大多数の人はイライラするだろうけど、もし共感しかないという人がいたら友達になってほしい。
最近身に染みてそう考えることが多くなった。
書くべきものを書ききれずに結局逃げてしまったわけだけど、逃げたことが正解だったと自分では思う。
あの時はすごく追い詰められてたし故意的に事故にあう方法とかも考えてた。
追い詰められるほどに手につかなくなって悪循環に陥っていた状態。
逃げないでそのまま終わらせられればそれはそれで良いのは勿論なんだけどね(それは頭ではわかってる)
逃げないで心を病んで取り返しのつかないところまで行くのと比べたらマシだよね。
逃げないで終わらせていれば逃げないで良かったと思うだろうし、逃げることでなんとか心も病まず生きてこれたのはそれで良かったとも思える。
しがみついてた時期は「死なない程度に事故る方法」って検索したり自転車に細工をして車が通るタイミングでいい感じに自転車を壊す方法を妄想していた。
どっちが正解だったかは答えが出せない。
今回のことで逃げ癖が付かないようにだけは自戒したい。
どうすれば逃げずに済んだんだろうってよく考える。
福士蒼汰をフォトショでいじくって、南海キャンディーズの山ちゃんにし、「大好き!」と口にするのが女という生き物である。
分かりにくい例えかもしれないが、要するに女の理想は叶う率が低いから、妥協を繰り返し、少しずつストライクゾーンを広げてゆく作業が必須になるということだ。
言ってしまえば、あらかたの女は自分を騙くらかすことでしか、彼氏を獲得出来ないのである。
好きになればなるほど難易度が上昇する。
男は、「がっつく女、余裕のない女、重い女」を忌み嫌う。
だから女は、恋愛感情を故意に薄くして、無味乾燥に近づけ、死んだ魚になるよう努力しなくてはならない。
愛情の鮮度が高いと、男は女が提供する恋の食卓にはついてくれない。
恋心を生け贄にして、天から余裕を授かり、さりげなさを全面に出して男に媚びる。
好きなあの人への想いが最高潮に達した段階で付き合えたという、美しい運命を辿れた女など、ごくごく少数だ。
男は選ぶ側のため、「一番好きな女」と付き合える。
女なんていう生物は、歩く無料お試しキャンペーンみたいなものだ。
特段のブサイクや性格破綻者を除けば、男に求められて喜ばない女はいない。
男の恋愛は始まるまでに困難がなく、実はドラマチックさの欠片もない。
だからこそ、「あえて想いを伝えずに、この駆け引きを楽しんでいます」という余裕綽々の態度を取る者がいくらでも現れるのだ。
どれだけ誠実な女であろうと、全身全霊で恋に落ちてしまうと、意中のあの人にどん引きされ、物の見事にフラれてしまうものだ。
男目線だと、「そんなことないよー。純粋な気持ちが一番嬉しいよ☆」という真心第一みたいな結論に行き着く場合もある訳だが、これほど無責任な綺麗事は他にない。
どんな女であれ、「あの人を好きな気持ちだけは誰にも負けない。」という純情一本気な思いの丈を、胸に熱く秘めていた時代があるはずだ。
しかし悲しいかな、純情さだけでは、手応えゼロで全否定されて失恋してしまう。
どうしてかと言うと、この世を生きる女の大多数は、なんの才能にも美貌にも恵まれない無力な存在であるがゆえに、猫も杓子もが「媚び」という曖昧模糊としたものを唯一の武器にして戦おうとするから、供給過剰になってしまっているためだ。
男は空求人みたいなもので、常に誠実な人を大量募集していると見せ掛けて、「残念ながら、今回はご期待に添えない結果となりました」とお祈りを連発する。
そうして女は幾度もフラれ、ただ突っ込んでも事態は好転しないということを悟り、好きの感情に打算を組み込むようになる。
自然体で男と接するトレーニングをしたり、好きになり過ぎないようにセーブして、計算高く立ち回ったりし始める。
その結果、彼氏が出来たとしたら、開口一番こう切り出すだろう。
「なんだ、付き合うってこんなもんか」
そらそうだ。
恋心を肥大化させずに、落ち着き払って男を落としたに過ぎないのだから。
一向に心が満たされないから、幸福論でいうところの『幸福を追求する不幸』という状態に陥り、次から次に手頃な男子を求めるようになる。
精神科医のジャック・ラカンが、『欲望は他者の欲望』という言葉を残しているように、生きている中で誰かを好きになったとしたら、自分以外の人間もその子を好きだと考える方が良い。
金は金を呼ぶみたいに、愛される人はより愛されるのが、現状の人間界なのだ。
誰もが似たような流れで欲望を浮上させるから、自分が特定のあの人を好きになった感情フローを、他の多くの人々も体験している可能性が高い。
ゆえに奪い合いになる。
しかもイケメンは、可愛らしい子達が根こそぎ奪って行くため、反応に困るような人だけが少量、余っているだけになってしまう。
その中からなんとか好きになれる人を探すわけだが、好きになった頃には、他の女もその男を好きになっていたりするため、また争いが発生する。
こうやって殴り蹴られの決闘が延々と続くから、非モテは挫折したまま、半永久的に再起出来なくなってしまうのだ。
つまり無気力を学習するということであり、こうなってしまえば、「自分は最初から男に興味なんてないんで……」とオタク趣味に走ったりする。
女のほうが女としてのアイデンティティについて不安が大きく、自分がモテる女であることを証明したがる。
こうした傾向があるからこそ、男よりも女の方が、失恋からの立ち直りが遅い。
良く男は、「いい男なんて星の数ほどいるんだから、もう忘れなよー」と口から出任せをいう訳だが、これは的外れな助言である。
女が悶え苦しんでいるのは、好きなあの人を喪失した悲しみなんていう小さなものではなく、アイデンティティに深い傷が入ったためだ。
「自分の女らしさが通用しないのではないか?」と憂いを抱いているときに、それを否定されるような断られ方をすると、失意のどん底に落ちる。
そして、「私は終わってる」「私は一生一人だ」と憂鬱な感情を強化してしまうため、自発的な言葉によって、内部から心が壊れてゆく。
学習性無力感を引き起こす手続きは、うつ状態と同じような状態を作り出すと考えられるようになった。それは、学習性無力感が、うつ病のモデルとして妥当性を持つことの証明にもなった。
残念無念にフラれる連続の中で、「私なんて女としてダメだ……」という落ち込みの反復が起きて、自分の不甲斐なさについて学び続けてしまうと、精神が歪んでゆく。
それはそれは寂しくて、どこの誰でも良いから、この弱り切った瀕死の自分を認めてくれ、と切望するようになる。
こうなると最悪なことが起きる。
それは、男が最も嫌悪する、「がっつく女、余裕のない女、重い女」になってしまうということだ。
気付いたときには既に手遅れ。
プライドを削って、グレードの低い男に突撃したとしても、厄介なギトギトした女に成り下がっているため、近付いただけで逃げられる。
勇気を出して振り絞った、最後の女らしさ――アイデンティティの全てを砕かれてしまうということだ。
暗転。目の前が真っ暗になる。
「自分は誰にも必要とされていない」という絶望、悲劇、激痛を急速に学習してしまう。
明言しておくと、女が人生において一番に彼氏が欲しいときは、こういう誰一人に相手されない悲しい時代だ。
しかしながら、男も一回きりの貴重な人生を歩んでいるため、浮上確立が低いどん底の女を相手にしている暇などない。
http://pipipipipi-www.hatenablog.com/entry/2017/01/26/194617
下記書籍を読んだ。今後のために、得られたことを整理して文字列化した。発信したくなったから匿名ダイアリーに投稿。 高木 繁治 (監修),"脳のしくみ―脳の基本構造から記憶のあり方まで",主婦の友社,2010. 脳 人間の生命活動を総合的に制御する重要な器官 大きく分けて 大脳 人間の知的活動にとって最も重要な,思考・知覚・記憶・言語・運動などの働きを担う 小脳 身体各部の運動が正確に行われるよう調整するのが主な役割, 平衡感覚も 脳幹 呼吸、血液循環、体温調整、代謝など、生命活動の維持 神経細胞(ニューロン)、それらをつなぐ神経線維が多数 支持・栄養補給のグリア細胞 大脳 三層 古皮質 旧皮質 新皮質 古:爬虫類の脳, 旧:旧哺乳類の脳 本能的な情動にかかわる大脳辺縁系 運動にかかわる大脳基底核 新:最も人間的な部分 大脳辺縁系 細かく見ていく 短期記憶蓄積 海馬 好き嫌いや怒りなどの感情 偏桃体 意欲に関係深い 側坐核、透明中隔 快・不快で行動意欲につなげる 帯状回 各器官をつなぐ 脳弓 食欲や性欲などの生存本能 恐怖や好き嫌いなど人間の本能的な感情 偏桃体は「情動の中枢」、好き嫌い、快不快、原始的、動物的感情を生む 左脳、右脳 小脳 身体を使って覚えたことは小脳に記憶 反復練習で正確に 脳幹 命の座 大脳、小脳、延髄をつなぐ 器官 間脳(視床、視床下部) 中脳 橋 延髄 など 心拍、呼吸、血液循環、体温調整 大脳が意識的な活動の中枢であるのに対し、脳幹は無意識的な生命活動の中枢 視床下部にぶらさがる脳下垂体 視床下部の指示のもと、ホルモン分泌 前葉 成長ホルモン 甲状腺刺激ホルモン 副腎皮質刺激ホルモン 生殖腺刺激ホルモン プロラクチン 後葉 オキシトシン バゾプレッシン その他 利き手 男女の脳 脳梁 女性のほうが太い 前交連 視床間橋も 左脳と右脳両方を連携して話す, コミュ力高 など 神経細胞, グリア細胞 情報伝達 神経細胞 大脳に140億 小脳に1000億 脳全体 千数百億 情報ネットワークを形成 構成 樹状突起, 他の神経細胞から情報を受け取る 軸索 樹状突起の一番長いもの、他の神経細胞との連絡, 神経細胞同士が結びついて情報が伝達され、新たな結びつきができることで”記憶”として蓄えられる 細胞体 心臓部 グリア細胞 接着剤 サポート 最近の研究では、グリア細胞も情報伝達に加担? 神経細胞 情報伝達 電気信号 軸索 シナプス 神経伝達物質 電気信号の伝播 細胞膜 イオン チャンネル開閉 膜内と膜外とで電位差 電位差が隣に影響を与えそっちでも電位差 軸索を伝搬 軸索を髄鞘が覆っているかどうかで、伝搬速度も変化 情報伝達2 単一神経細胞内においては電気信号で伝達 神経細胞間のシナプス間隙では神経伝達物質で伝達 神経系 中枢神経 脳 脊髄 末梢神経 体性神経 感覚神経 運動神経 自律神経 相反する2種の拮抗でバランス ホメオスタシス 交感神経 興奮緊張 副交感神経 弛緩抑制 心 人間の心はどこにあるか 近代に入るまで:心臓 今:脳が重要 感情 人間だけがもつ特有のもの 親しみ 同情 憎しみ 羞恥心 動物的なもの 空腹が満たされたときの快感 睡眠不足の不快感 生命を脅かすものにあったときの恐怖、不安、闘争心 人間的な感情と区別して”情動”と呼ぶ 情動 視床下部 生物としての欲求、生存本能 食欲 睡眠欲 性欲 偏桃体 快 不快 怒り 恐れ 視床下部×偏桃体×海馬×外部からの情報=情動 怒りや恐れで生理的変化 交感 増 副交感 減 情動だけでは暴走してしまう。大脳の前頭連合野で理性的に制御 感情の情報を大脳に伝える 偏桃体が喜怒哀楽などの感情を判断すると、脳内ホルモンという神経伝達物質によって、大脳皮質まで伝達 脳内ホルモンの分泌コントロール:モノアミン系 神経細胞の集合 モノアミン系 A 1-7 ノルアドレナリン 8-12 ドーパミン 6は怒りの中枢 10は人間にしかない C アドレナリン B A,Cを抑える ホルモンが脳内に伝わって、緊張や興奮などの生理的変化を身体にもたらす 感情は脳内ホルモンによって引き起こされるといってもよい 役割 ドーパミン 快感、幸福感を増幅、意欲・運動調節・ホルモン調節 ノルアドレナリン 怒り、不安、恐怖の感情、覚醒、記憶 アドレナリン 恐怖 これらにたいして抑止的に作用する神経伝達物質 セロトニン 睡眠、体温調節、生理的機能、過剰な興奮や衝動・抑うつ感の軽減 不足するとうつ状態 片頭痛の発症にも関与? 幸福感の源 本能的な欲求が満たされたとき。動物全般にみられる ほめられる、試験合格、コンテスト優勝、新しい知識獲得 目標達成。小説が波乱万丈の末にハッピーエンド 快の感情を追求することが、まさに人間らしい幸福感であり、ひいては人類の進化につながる ドーパミンがその原動力 主な神経伝達物質 モノアミン ドーパミン ノルアドレナリン セロトニン βエンドルフィン アミノ酸 γ網の酪酸(ギャバ) グルタミン酸 アセチルコリン 神経ペプチド ストレス ホメオスタシス 病気やケガ、不快環境、トラブル、経済的不安といった原因(ストレッサー)から何らかの圧力を受けていると感じ、それに反応して心身が緊張している状態を指すのがストレス ストレスを感じると 脳内ホルモン分泌 → グルコース(身体のエネルギー源)の生成を促進 交感神経活性化 → 緊張が高まり、はたらきが活性化 ストレスから抜け出せず、長期間バランスを崩していると 睡眠障害、学習能力低下、集中力低下、感染症など 心拍数増加、血圧・血糖値の上昇、気管支拡張、思考力低下 ストレスの進行度 1. 警告期 ストレスに備えるべく活性化 2. 抵抗期 ストレスの原因と闘う時期 3. 疲労期 ストレスから抜け出せないと疲労期。糖質コルチコイドやアドレナリン、ノルアドレナリンなどが過剰に分泌されるために起こる。私たちがストレスを強く意識するのはこの時が多い ストレスは本来、外からの物理的、心理的圧力に備え、克服するための脳や身体の反応 ストレスが日常的にあっても不自然ではない ストレスのレベルが高すぎても低すぎても生産性は落ちることが証明済み 適度なストレス必要 定年後に燃え尽きてしまう人は、ストレスが少なすぎだからかも 必要なストレスでも、慢性化すると心身に変調 不安障害 強い恐怖感 動悸 息苦しさ めまい パニック障害 強迫観念へのとらわれ 強迫性障害 PTSD 人間が幸福を感じるとき、大脳辺縁系の帯状回にあるスピンドルニューロンという神経細胞が活性化し、細胞が伸長する いったん長くなると、不幸があっても縮まない 長い分だけ幸福感が持続する 幸福体験を重ねるほど伸び続ける ストレスに対しても強い抵抗力を持つ と言われている くよくよしないで前向きに考えることは脳を活性化し、免疫力を高め、病気を悪化させない効果につながる 恋愛 性欲 視床下部 第一性欲中枢 セックスを求める機能 第二性欲中枢 セックスを行うための機能 第一: 男 >> 女 第二(男):摂食中枢のそば。空腹で生命の危機だと性欲高 第二(女):満腹中枢のそば。失恋でやけ食いはこのため? 人間だけがもつ感情の一つに、恋愛に関する感情 恋愛感情を起こすのは主として性欲の情動だが、それだけではない 恋愛対象としてふさわしいかを総合的に判断するのは前頭葉にある前頭連合野 言語 すべての民族に備わっている 記憶 短期記憶 作業メモリ 長期記憶 ストレージ 陳述記憶 意味記憶 一般的な知識 エピソード記憶 出来事 非陳述記憶 手続き記憶 身体で習得する記憶 プライミング記憶 無意識のうちに思い起こす記憶 エピソード記憶は、意識すれば比較的容易に思い出せる、意味記憶はきっかけがないとなかなか思い出せない 頭の中に画像を描いたり、メロディをつけたり、音読したり、語呂合わせにしたり、物語にしたてる、五感を駆使するなどすれば、意味記憶も同様に定着が可能 睡眠 体と脳の休息 夢 睡眠中に脳内で起こる仮想体験 五感 略 脳の発達・進化・老化 系統樹 魚類 両生類 爬虫類 鳥類 哺乳類 人類 大脳の神経細胞数 受精後四か月=成人 誕生後に神経ネットワークを構築 20歳ころに完成 脳の老化は、神経細胞の変形と、脳内における密度の低下によるもの 大脳皮質の細胞数はあまり減少しない 脳幹の黒質では大きく減少、黒質は運動調節・ドーパミンを分泌、運動能力・意欲の低下 神経細胞同士をつなぐシナプスは増えることはあっても、減ることはない。記憶力や運動能力は衰えるが、思考力や判断力は衰えない 植物状態:大脳は機能停止。脳幹は機能 脳の病気 略 以上
すごく前の話
大学に入って初めて好きになった人がメンヘラっぽい人が好みと言っていた。
でもリスカしてるほどは嫌いって言ってた。
メンヘラ的要素を一切持っていなかった私は必死にメンヘラになる事にした。
とにかく精神的に悪いものをたくさん考えて自分の心を病ませるようにした。
昔の辛い出来事を思い出して夜寝れなくなったりした。
それをTwitterで呟いて見せつけたり日常会話で相談して距離を縮めていた。
私はそれでも物足りなさを感じた。物足りなさというか自分の負の引き出しに限界を感じ始めてきた。
そこで目をつけたのが、「自分が何か死に至る病気にかかってるんじゃないか」って不安になる事だった。
自覚はなかったけど、きっとそのとき、心のどこかで、病気が不安って事ならネタが尽きないって心の何処かで思っていたんだと思う。
実際かかってる人がいるのに、それなのに、死に至る病気が不安って騒いで相手してもらおうなんて最低なことをきっと心の何処かで考えていたんだと思う。
騒いだきっかけの9割は、その人に構ってもらうためだった。でも騒ぐうちに本当に自分は病気なんじゃないかって思い始めてきた。強い不安と共になんだかんだで自分は病気じゃないだろって自信の2つがあった。
実際に、検査をたくさんして病気には何1つひっかからなかった。
でも本格的な検査をして、たくさん緊張した。たくさん病気の知識が頭に入ってしまった。
どんどん混乱していった。
最初は構ってもらうために騒いだのに、日が経つごとに本当に病気が不安で仕方なくなっていた。
その後、その人に怒られることをして縁は切れた。
でもそのとき発症し始めた、病気不安が一年以上経った今も続いてる。
今は構ってもらうために不安になってるんじゃなくて、ただただ不安になってる。
まだ21歳なのに病気が怖くて仕方がない。毎日体を触って確かめてる。ちょっと何処か痛いだけで死ぬ病気に結びつける。
ネットでふと見たけど、これを心気症って言うらしい。私は心気症だと思う。
はたからみたら健康なのに騒いでて馬鹿みたいだから、誰も真面目に聞いてくれない。
内科に行っても血液検査で以上なしばかり。腹部エコーを撮って以上なしばかり。でもいつもどこかしら痛い、辛い、今はお腹が痛い。
医者すら信用出来なくなってきて、色んな病院へ行く。そしてたまに精神科に行けと言ってくる医者がいる。精神科に行ったら軽いうつ状態ですねって言われて精神安定剤を渡される。精神安定剤を飲んでも涙が止まらなく不安で仕方ない。
でもそれと同時に毎日自分が死ぬ病気なんじゃないかって不安で不安で仕方ない面もある。
早く寝なくちゃいけないのに、またネットで病気のことを調べてこんな時間になってしまった。大学入る前までは健康診断サボるくらいだったのにね。
最近夢は死ぬ病気の記事がずっと流れて行く夢を見る。毎日怖い。
助けてほしいけど、どうやったらここから抜け出せるか分からない。
誰かが酷いことをしてくるとかではなく、自分自身が悪いんだ。調べなきゃいいし少しの痛みなんて気にしなきゃいいんだ。全部頭では分かってるはずなのに心が動かない。
人生の夏休みのはずの大学生活がこんな形で辛くなるとは思っても見なかった。
病気が怖くない人達が羨ましくて仕方ない。ここから出してほしい。助けてほしい。終わりが見えない。幸せなはずなのに幸せじゃない。
どこにもこんなにたくさん書けないからここに書いた。
Yahoo!知恵袋を見ると私と同じ心配性が沢山いる。でも回答には不安を煽るか、検査した方が良いですよっていうのばかり。
検査しても、ネットで見た闘病ブログの医者の誤診の記事が頭の中にずっとあって、医者すら信じられない。
最近知り合いに言われたこと。
そんなに検査して、もし本当に検査が必要なときにお金が無くなってたらどうするの?
本当にその通りだ。でも、いつも本当に検査が必要って思って検査してるのも事実なんだ。
真っ暗の道をずっと歩いてる気がする。
夜更かしは体に悪いのに寝れなくて結局こんな時間になってしまった。今日も沢山泣いた。昔みたいに寝れるようになりたい。頑張って寝ます、お休みなさい。
なぜ人間は生きているのだろう と疑問に思ったことがある
生きる意味って何だ 何で生きているんだ 悲しかったりめんどくさかったりすることもある人間の営みはなぜ続くんだ? という具合にだ
最近流行りの星野源という歌手は、生きる意味なんかない と歌の中で言っている
そもそも、人間が理屈というものを発明してから、この疑問は出てきたのだと思う。 それ以前は意味という概念さえなかったのだ。 理屈という、言葉によってなされる概念から、その疑問は生まれたのだと思う。 言葉がない生物は、疑問さえも持ちにくい。言葉がなければ疑問という理屈はないからだ。
もともと、人間の歴史にも言葉がない時代があったはずだ。そんな時に生きる意味を考えた遠いご先祖はいたのだろうか。わからない。
というわけで、僕も生きる意味なんかないのだと思う。
その代わり、人には生きがいというものがある。
家にいる我が子の笑顔が生きがいの人もいれば、アイドルを追いかけまわして楽しむのが生きがいだったり、二次元にいるアニメキャラに萌えてそれを生きがいにする人だっている。それは人それぞれなのだ。
だけど、生きがいがない人間も世の中にはいる。 例えば今の僕だ。
前までは彼女と一緒にカフェだとかホテルだとかに行ってイチャついていることが、何よりも幸せだった。しかし、次第に愛は薄れ、さまざなプレッシャーやら不信感やら、無粋な感情に押しつぶされてしまえば、そんなものは息を潜めうやむやになってしまう。
生きがいを失った僕は、生きる意味について考えた。再びだ。
生きがいがなかった時代にはしばしば生きる意味について考え、彼女ができればそんなことも考えないようになり、別れた今 また考えているのだ。
要するに、生きる意味を考えるということ自体、生きている辛さからの逃避なのだと悟った。
理屈というものは、本質から遠ざかり、悩む人をより深い絶望感に誘うことだってある。自殺者がそのような気がする。
意味のないことを考え続け、ある日 そんなものはないと悟り、なら死んじゃおうぜ みたいな感じで。
絶望溢れる人は、生きる意味がないとニヒリズムに陥り、生きることをやめることもあるのかもしれないと最近思う。
しかし、生きがいがある人はそのようなことにはならないだろう。生きがいは理屈では本質を突けない。生きがいを理屈で説明しても、それはきっとただの後付けにしかならない。生きがいを感じながら生きるのが楽しいから、そこには理屈がない。理屈がないことで救われているのだ。
生きることを肯定した前提で書くけれど、やはり生きがいは持つべきだ。理屈にとらわれない動機。それが人を生かすのだと思う。
かくいう僕は、最近の生きがいは(一応)食べることだ。 食べると幸せだし、救われる気が一瞬する。それでも、胸が落ち込み動けなくなったら、筋トレをして体を痛めつける。筋肉痛になれば、ウジウジする余裕がないからだ。それでもうつ状態になってしまったりすれば、もうその鬱感に抵抗することはやめて、堕落した生活を過ごす。そうすれば少しは胸が楽になって、数日は生きていける。
端から見れば、僕は堕落したどうしようもない奴にしか見えないけれど、それでも生きる。 鬱感が僕の営みを妨害して絶望に陥れたりもするけれど、それでも生きる。生きていればいいこともあるだろうとどこかでわかっているからだ。
いろいろ書いたけど、鬱でどうしようもない僕を生かしているのはそんな希望なのだなぁ と。だから、今の僕の生きがいは希望なのかもしれない。
ASDと診断された、と言ってもうつ病の薬をこれ以上飲まないために検査を受けただけで、世間一般に言うほどめちゃくちゃ人間関係に困ってる、ということはない。
失感情が原因かもしれないが"生きづらさ"みたいなのはないし、子どもの頃から変な部分も「特性である」と理解してくれる友人に恵まれてイジメとかも受けたことがない。
学生時代はステージでの活動や時代錯誤な校則を変える活動なんかをしていて、実際に校則を変えたし、部活動でも優勝経験がある。
まず上の前提を読んで「IQ120とか自慢かよ」「結局自慢かよ」「ナルシストかよ」と思った人がいるかもしれない。
私は事実を脚色なく述べたまでであって「自慢をしよう」「他の人にマウントを取ってやろう」という気持ちで書いてるわけではない。
実際に指摘されたことがあるので、今は「ああ、これは自慢に見えるんだな」と思うことができる。
ASDや失体感・失感情をイベントを主催したりする上で障壁になるため、告白したところよく知らない人に「病気自慢かよ」と言われたこともある。
私も「コミュ二ケーション障害」と聞いて「普通に会話もできるし、一般的に"コミュ障"って言われてるようなことはないから、当てはまらないな」と思っていた。
でもそれだけじゃない。
こういう「これ書いたら自慢に見えるかな?」と思うことができない「他人から自分の発言がどう見えるか?」が分からないこともまたコミュ二ケーション障害らしい。
対面での会話時は逆に表情やジェスチャーが加わるので、誤解されることが少ないと思う。こちらもまた誤解することも少ない。
先の「それ取って」(http://anond.hatelabo.jp/20161104204321)なんかは日常生活では問題なく分かるし会話にも困らないけれど、私にはコミュニケーション障害がある。
一般に言う「コミュ障」はただの口下手であることが多いと思う。実際にはそれよりも広い意味があると理解してほしい。
「コミュ二ケーション障害」「コミュ障」は会話によるコミュ二ケーションが困難なこと、も含まれるがそれだけではないということ。
「私コミュ障でさー」とカジュアルに使われるほど一般的になっているけれど、そういう時に言う「コミュ障」と実際の「コミュ障」は別物であるということ。
先にも述べたようにだいたい「口下手」か「人見知り」に置き換えられると思う。それは「コミュニケーション障害」じゃない。
もし「いつも喋ってると言いたいことと違った風に解釈されて困る」っていうならコミュニケーション障害を疑ったほうがいい。
私のように自閉症特性は強めだけど、何も困っていない(実際は眠る時間がまちまちだったり、偏食があったり、感覚過敏があったり、前述の失体感で慢性の肩こりがあって突然倒れたりもするけど、まあ困ってない)人もいるんだし、もうちょっとカムアウトしやすい風潮になるといいな、と思った。
いつか自分のブログに載せたいな、と思っていたけど「病気自慢かよ」がネックになってアップできないでいたので、便乗してここに書いておく。
そういう心配なく、自由に「自分はこう思ってたんだけど、世間一般的にはこれが正しいらしい!」とか驚きを感じたことが書きたいなあ、と常に思ってるんだけど、元々趣味の方面で目立ってしまっているので、最近は自粛してる。
これもひとつの特性らしいけど、みんな仲良くしたほうが誰に取っても得だと思うので、誰かの特性を指差して笑ったり、さげすんだりせずにいてほしいなと思う。
最近特に思うけど自分の気に入らないことを見つけて「なんだとー!」って怒るのは、怒ってる方も疲れるんじゃないかな。
「自閉症特性は治すものではないので困ってないなら病院に来なくてもいいですよ」
困ってる人は病院へ行こう。
これも勘違いがあるけど、一般的に「コミュニケーションに問題がない」と言われているのは、自閉症スペクトラムの中でもアスペルガー症候群の人であるということ。当事者の人も勘違いしてることが多い。
なぜなら言語IQが高いのがアスペルガーの特徴で、動作IQが高いのが高機能自閉症の特徴だから。
これも広く知ってほしい。よって口下手な人や人見知りの人に向かって「アスペかよ」というのもまた違う。
(もちろん症状は様々なので、コミュニケーションに問題があるアスペルガーの人"も"いるとは思う)
個人的な意見だけど、実際に会ったことのあるアスペルガーと診断されてる人は外国語ペラペラだったり弁がたつ人が多い気がする。
困ってないカジュアルなASDは黙ってろっていう風潮もよくないと思う。同じASDなら仲良くしよう。
困ってるか困ってないかの分かれ目は、自己肯定感の有無だって聞くよ。
ASDはメンタルの病気じゃないので、メンタルヘルスを病まないように心がけよう。
ちなみに「対人関係で困らないように生活する努力」は子どもの頃からしてる。自分の場合は反発も多いけど、親の躾が厳しかったのも功を奏してる気がする。(就活や転職、アルバイトの面接でも落ちたことがない)
困ってないASDを見て「楽しやがって」って怒るのは違うと思う。それはうらやましいからだよ。
全然楽じゃないけど、何かを頑張って結果が出ると嬉しいから色々試行錯誤する。
うらやましいと思うなら頑張ろう。私は今困ってないのはその分頑張ったからだと思ってる。
「生きづらさ」がもし社会的エチケットに起因するものなら、頑張って身につけるべき。
アンガーコントロールだってできる。視覚過敏も聴覚過敏も対策できる。
それ以外は適当でも構わない。頑張りすぎるのが我々の特性でもあるんだから。
「IQが高い=頭が良い」というのも勘違い。世の中の「これが解けたらIQ○○以上!」っていうのに毒されすぎだと思う。
IQっていうのは器用さみたいなもんで、普通の人が普通にするようなことができないから、それを補うために上がってるらしい。
だから標準が最善と考える私にとってはIQが高いのは恥のような感覚がする。
学歴だけの話をすれば、数字が上手く記憶したりできないからめちゃくちゃ頭悪いよ。
普通に生活できるならそんなものは必要ないと思うし、何か恩恵を受けたこともない。
余談だけどIQを上げる塾、みたいなのも世の中にはあってIQだけ上げたいなら訓練すれば上がるらしい。同じようなテストを受けたことがあるかどうか聞かれるのはそのため。
あと全発達障害者や全ASDが人間関係に困ってないといけない、みたいなのやめよう。
(これを自分の中で「かわいそうマウント」と呼ぶことにしてる。かわいそう、かわいそう、と言いながら相手が困窮してる状態を望んでいる様。)
繰り返しになるけど、困ってるのなら病院に行くこと。
「生きづらい」と思うことがまず普通の状態でないということを知るべきだし、まずメンタルを治してから生活習慣を身につけたり何やりするべき。
自分の居心地のいい環境を作ることは普通の人と違う異常なことじゃなく、ASDにとっては「普通」と思うことが大事。
普通の人と同じことが出来なくても気にしない。
人に話しかけられたらニコッと挨拶するとか、行儀礼節をわきまえるとか最低限のマナーを守るぐらいでいい。
上に書いたみたいに、突然倒れたりすることがあるから特性を周りの人に知っておいてもらいたいのに、なまじ普通に見えるおかげか言ったところであまり正しく理解されない。
最近流行りのASDや発達障害の家族をコンテンツにした当事者以外の人によるイメージ操作もある気がする。(特別視しすぎ・失敗をネタにしすぎ)
もうちょっと発達障害者やASDに優しい世の中になってもいいんじゃないだろうか。
シロクマ先生の言葉を借りれば「よく発達した発達障害の人」といえるのかもしれない。
http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20161018/1476751839
IT企業だが、給与・福利厚生もよく、残業代も50時間分が自動的に支給される。50時間を超えたとしてもその分の残業代は出る。
残業代が50時間でるが、基本的に残業が嫌いなので、月5時間くらいしかしていない。
ノルマとかも特にない。勝手に成果を出してね、というスタイル。
所属している部署は7〜8人のところで、全体的に酒を飲まない+個人主義なので飲み会もなし、昼食も一緒に行かない。なので無理してコミュニケーションをとる必要もない。
もともと仕事=趣味みたいな人間だったので、プライベート、仕事問わず同じようなことをやっていた。
そうした結果、仕事の実力はなかなかついてきて、外部から講演依頼とか多々頂くことも出てきた。取材とかも受けた。
どんどん楽しんで仕事をして成果を残していたが、なぜか徐々に辛くなり始めてきた。
俺は人より少しだけ承認欲求が強かったので、早く認められるようにと努力してきた。
人から認められるためには、他の人がやってないことをいち早く、周りが期待するレベル以上の成果を出し続ければいい。
そのためには、自分の能力を限界まで使い、見せ方を工夫し、少し背伸びして成果を見せてあげることになる。
それを繰り返すと、周りから周知され、またすごいものを作ってくれるのでは、という周りの期待感を生み出すことができる。
そうすると、期待感を込めてその人が新たな機会をくれることがある。
そうしたら、その期待感を絶対に裏切らないように、次の成果をひたすら出すだけ。
多分どんな分野でも、これを繰り返せば、その業界で名の知れた人間になれると思う。
だけど、これを繰り返した結果、俺はうつになった。
始めは自分の好きな技術を使って、便利なもの、面白いものを作りたいと思って色々作り、楽しんでいたが
それが評価され始めて、認められてしまい、その評価されている自分を演じるのが辛くなった。
期待を超え続けることが辛くなった。
期待を超えるアウトプットを短期的に出そうとしてしまい、自分の技術や能力を磨くことができない。
その結果、見せ方やネタの質で補うばかりになってしまう。本質的に技術力がつかないのに、求められる期待だけ上がってしまって、とても辛い。
趣味で好きな技術を使って遊んでいた頃の純粋な気持ちはあまり残っていない。
世間は、労働環境のひどいブラック企業でのうつや自殺が問題になってるけど、うつは労働環境が恵まれていても起きる。
正直、こんな良い環境でうつになるとか、贅沢だなとか言われると思うけど、うつっていうのは、相対的なものじゃなく、どんな労働環境でも起きうる。
俺の場合は、大学の研究室の教授が話してくれた経験があったから、うつに対してちゃんと向き合うことができた。
その教授は、昔からちょっとうつになりがちなことがあったのだが、結構気軽に精神科や心療内科に相談に行っていた。
どうしても、精神科や診療内科へ相談に行くとなると、頭がおかしい奴みたいな印象があって行きづらいと思うんだが
こんな大学の教授になる成果を残してきた先生が、そんな体裁や体面を気にせず、ちょっと気分が悪いなと思ったら相談しに行くレベルで
やってきたと聞いて、ああ、そんな気張らなくてもいいんだな、と当時は思った。
だから、気軽に精神科に相談しに行ってたし、今回も「本当にムリ」ってなった時は、すぐ診断書を書いてくれた。
うつ状態の診断書ってすごいのな。会社の人事に持って行ったら、すぐに休職手続きを進めてくれた。あれを出されたらやっぱやばいのな。
電通でずっと週100時間以上残業させられた女性が苦痛のあまり自殺した。
担当上司から徹夜で作った広告をボロクソに言われたらしいと聞く。
私も似たような目にあって、心を壊されて病院通いにさせられた。
物書き、編集、企画という仕事なんてその時いた会社ではノウハウがなかったので、誰も教えてくれない。だから自分で探したり、売り込みに来て知り合った人の技を盗んで五年くらいかけてやっと自分なりの文章を書けるようになった。それを武器に人の紹介などで1〜2ページながら連載の企画を持たせてもらえるようになった。
ゆくゆくはフリーになりたかったから、会社の仕事以外にも外部のライティングからデザインまで寝る間もなく引き受けて納期は必ず守っていた。
するとどんどん欲が出てくるのは当然のことで、それら実績とオリジナリティで勉強のためにととある会社に所属することにした。
面接と作品を見た人は偉そうな態度で嫌な感じはしたが、仕事を覚えたたらやめるつもりだったので我慢して入社をすることにした。
「修行に専念することにするんでしばらく休業すると言って、それまで外注で受けてT仕事を休むことにした」
それまでに書けるだけ書いて、使ってくださいと納めた。
そして新しい日々が始まったんだが、面接の時の評価とは手のひらを返したように重箱の隅をつつくことから、来客の挨拶の仕方まで上司とその下にいた先輩は批判するようになった。
それは仕事まで及び、短文からマンガの原作に至るまでここはいけない、こうすべきだ。これっておかしい。などと徹底的に否定された、
5時間くらい残業して何日もかけて書いたものを上司に見せると、これおかしいから手を入れるからと原稿を受け取って「こうなるんだ、見比べてみろ」とアイディアだけ残った全然違うものにされて返された。
挙げ句の果てには短文の紹介文の文体が気に入らないのか、こんなのなんなのとヒステリックにまくし立てリテイクを何回もされた。それは写真のキャプションにも及んで「これと書いてあること違うじゃない」「見たとおりで膨らませるように書いただけです」と言っても全部ダメだし。
原作や創作文章もいくら時間をかけて書き上げても、上司からはボロクソに言われてダメだしやアイディアを盗まれたりした。挙句は一読して「あんたの頭の中はどうなってるの? これで伝わると思ってるのと文句しか返ってこない」こんな状態だから会社でもだんだん話す人がいなくなり孤立していく。
もう自分のスタイルも何もわからなくなって、何をどう書いたらいいかわからなくなっていた。
書けば「頭がおかしいんじゃないの?」など人格を否定するようなことまで言われるようになっていった。
思うに文章の書き方が、私の未熟さもあるが、そこの上司の統括する本に合わないから否定してぶち壊す。しかもそれまで私の書いてた文が、外部では評価されていたことが気に食わなかったのだろう。
だから徹底的に壊してそして上司と意地悪な先輩の考える「型」にはめ直そうとしたんだと思う。
これは「自己」を「破壊」して「新たに植え付ける」ある種の「洗脳」だ。
もうこの時にはPCに向かってもまったく文章が出てこないばかりか、頼みごとを同僚にしても何か文句を言われてるような気がして、ますます萎縮し会社にいるのが辛くなった。もう会社じゅう敵だらけのような気分だった。
もうできるものなら死んでもいいと思っていた。
その頃、ある本を読んで自分は「うつ状態」じゃないかと思って、メンタルクリニックを受診した。もちろん会社には内緒で。そこで処方された薬のおかげで少しは仕事ができる状態になった。でも毎回のイビリで精神が元に戻ることはなかった。
それでもなんとか死なずにしがみついて入られたのは、婚約者がいたからだった。彼女といる時が唯一の癒しだった。
しかし、いい加減イビリ倒してもブラックシープはホワイトにはならないと思ったのだろう。ある日上司に呼ばれて「もう今月で君には辞めてもらうから」と言われた。解雇通告だ。
ようやくこの地獄から解放されると思う反面、無職になるということである。私には婚約者がいる。
もう、休業期間が長引いて外部ライターをやってた時の担当はどこにいったかわからないし、わかっても仕事を頼めるほど力がなかった。
運よくその前後に、以前の会社の出入り業者がデザインやMACを使える人を探していた。その会社の副社長とは顔見知りだったので、電話してみたら一人くらいなら入れられるとのこと。
二つ返事でその話を受けて、面接をしてその会社へ転職することになったのは運がよかった。
新しいフィールドだったから教わることやミス、怒られたりもしたが、同じ部署の個性的な仲間がフレンドリーで居心地はよかった。