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2021-02-18

anond:20210218233634

そういう問題もあるなぁ

親戚の子を偶に構ってた程度の経験で小さい子好きだしお世話なら楽勝〜って軽く保育科に進んでピアノが弾けないだの実習でクソガキに当たったりモンペ雑務の多さに辟易して保育士を諦めるやつが……

高校までに希望職についてちゃんと調べもせずに進路決めちゃうやつって男女関係なくどうしても一定数いるんだよな

1年半ずっとATMとして働き続けたときの話

こう書くと妻にATM扱いされた夫の話だと思われるかもしれないがそうではない

読んで字のごとく、自分ATM中の人として働いたときの話である

から20年ほど前、某金融機関入社した私は適当な集合研修を受けたのち、とある支店に配属された

そこで私に割り当てられた仕事ATM担当である

今では多くの金融機関ATM管理現金装填を警備会社アウトソーシングしている ただ当時はそういった雑務も全て職員仕事であった

郊外支店であれば比較平和だったのかもしれないが、私の支店繁華街のど真ん中にあり、周囲は飲み屋パチンコ屋、場外馬券売り場などに囲まれていた

そうなると客層は当然悪い 

紙幣しか入らない投入口硬貨を投入しATMを壊そうとするおっさん(口座残高が800円だったので200円入れて1000円にして引き出してパチンコに行きたかったらしい)

UWF銀行に振込したいのに画面に出てこない」と怒鳴るおっさん(どこの格闘技団体だよ)

紙幣ゴムをつけたまま入金しようとするおっさん(面倒でもゴム自分ではずせ) などなど

そしてそういったATMトラブル以外にもう一つやっかいだった仕事ATM現金検査である

これは抜き打ちで行われ、朝出社すると上司から増田君、今日3号機と5号機の検査ね」と通告される

土日にATM現金が足りなくなっては一大事なので、金曜の夜にはATMに相応の現金を装填する

これを悪用して金曜の夜にATMから1000万円ほど抜き取り土日の競馬単勝1.1倍の銀行レースぶち込み1100万円に増やして1000万円は月曜朝に元通りに返却

そういった手口で着服していた職員過去に居たらしく、抜き打ち検査は週明けを中心に徹底的に行われていた

ATMを利用停止状態にしたうえで、現金精査ボタンを押すと10分程度でATM内の現金残高が表示される

そののち、中のお金を抜き取り全部数えたうえで上司立ち合いのもとでチェックを行う これだけで1台あたり40~50分はかかってしま

その間もおっさん客たちはあの手この手ATM破壊しようとするので、私は朝から晩までATMメンテナンスに追われていた

しかし2~3ヶ月もすると私はATM保守プロとなっていた

最初のころはいくらやってもエラーから復旧せず業者を呼んでいたのだが、自費でピンセットやエアースプレー等を購入した成果もあり、いかなるエラーでもすぐに復旧出来る腕前となっていた

週末の現金装填についても、当初は適当にやっていたので現金不足や現金入れ過ぎになっていたが、支店周辺の情報収集を隈なく行い、

明日は隣のパチンコ屋で北斗イベントなので装填額普段の2割増し」「日曜は宝塚記念なので現金目一杯いれて帰ろう」などしっかりした予測が立てられるようになっていた

ATM担当となり半年が経過し、本来ならジョブローテーションで私はもう一人の新入社員職務を入れ替わる予定だったのだが、そいつ休日フットサルをやっていてアキレス腱を断裂するという

とんでもないことをやらかしたせいでさすがにATM担当は無理という話となり、これまで同様にそいつ融資事務見習い、私は引き続きATM担当を続けることとなった

当初は重労働だったATM担当も慣れてしまえばなんのことはない 鼻くそをほじりながらでもエラー復旧が出来るようになった私は適当仕事さぼりはじめた

ATMの裏は個室となっており客からも他の職員からも見えない そのうえ空調も万全なので居心地もよい 私はこっそり持ち込んだ文庫本を読んで暇を潰していた

そんな私にとんでもない天敵が現れた 今では誰も見ることもなく手にすることもない、そう幻の二千円札の登場である

ATMメーカー二千円札に対して必要最小限の改修で対応した 「二千円札は入金可能だが出金は出来ない」というシステム変更である

通常のATM千円札一万円札は循環(他の顧客が預け入れた紙幣を、別の顧客の支払に充てる)させているが、五千円札二千円札はその他紙幣用のボックス収納する仕組としている

通常であればその「その他ボックス」に入るのは五千円札使用に耐えないくらい損傷した紙幣だけ なのでその他ボックスはかなり小さめに作ってある

そこに二千円札が入るようになってしまったのでその他ボックス満タンになるというエラーが発生するようになってしまった その都度ボックスから現金を抜き取る作業に追われる私

「まあ二千円札も目新しさでみんな使ってるだけで、すぐに流通しなくなるだろう」そう考えていたところ、二千円札の不人気ぶりに業を煮やした日本銀行はとんでもない手を打ってきた

日本銀行の金庫に山のように積まれ二千円札をどうにかして市中に出すため、各金融機関に対して二千円札使用義務化してきたのである

金融機関新札必要ときには、日本銀行から必要な分だけ都度引き出す

その引き出しの際に「必ず一定割合二千円札を引き出すこと」という頭のおかしい通知が出され、日本銀行内に山積みされていた二千円札が市中の金融機関の金庫へと運び込まれていった

しかしながら窓口で二千円札を引き出そうとする顧客はほぼいない 仕方ないので職員に対して「給料支給日には二千円札現金を引き出して持ち帰ること」という社内通達が出されてしまった

職員はとりあえずは二千円札を持ち帰るが当然使い切れるわけもないので、適当な頃合いを見てこっそりATMで入金する

「窓口で二千円札を引き出して持ち帰る」⇒「使い切れないのでこっそりATMで入金する」⇒「二千円札が大量に入金されてATMエラー発生」というコンボが完成し、私はエラー対応に追われた

入社2年目の四月、私は1つ下の新入社員ATM担当を引き継ぐはずであった

しかし残念なことに、当支店に配属される予定であった新入社員入社後の集合研修中に退職するという面白イベントが発生し、私は更に続投することとなった

9回を投げ終えてベンチ裏でアイシングしていたところで、「ごめん、明日以降に備えてリリーフ陣を温存しておきたいんで延長も投げて」と告げられた先発投手の気分を味わいながら私は引き続きATMを直し続けた

そしてある日、「自分入社したのは日立でも富士通でも沖電気でもねえぞ なんで俺は年中ATMメンテしてるんだ」ということに気付いた私は会社を辞めることにした

金融機関何気に離職率が高いので2~3年目の職員が辞めることは別に珍しい話ではない

一応形式的に引き留められはしたが、私の退職意思が固いことが分かるとその後は事務的な手続きが進められ、申出の翌月末には退職することが出来た

出社最終日、業務終了後に挨拶を終えると支店長と職員一同からそれぞれ餞別を頂いた

「1年ちょいで辞めた自分にもわざわざ餞別を渡すのか」と思いながら受け取ったが、帰宅後に封筒を開けると中には二千円札が数枚

その瞬間私の感傷的な思いは一気に吹っ飛び、「ふざけんなよ!このクソ紙幣のせいで会社辞めることになったんだろうが!」とブチ切れてしまった

自室の机の引き出しを開けると、引き出したあとで使い切れなかった二千円札10枚程度あった

自分身の回りからすぐにでも二千円札を消し去らなければと考えた私は手許の二千円札を全て財布に入れ、夜の街へと出かけた

数万円程度のまとまったお金を一晩で使い果たせる場所はどこだろう、色々と考えた私は繁華街にあるラブホテルへ入りそしてデリヘル電話をかけた

30分ほどして、ドアがノックされ若くて綺麗な女の子が入ってきた

シャワーを浴びベッドで色々と楽しんだのち、女の子の方からOKを出してきたので私たちは二身合体を果たすことが出来た

出すものを出し終わってずるりとちんちんを抜くと何もついていない 「えっ、はずれちゃったの」と慌てる女の子

私は笑いながらこう答えた 「大丈夫だよ ゴムまりエラー対処はお手の物だから

先発投手のくだりがおかし表現となっていたので修正しました。ブコメでの指摘ありがとうございます

2021-01-24

カーストの成立の瞬間とそこから引きずり降ろされそうになった話

スクールカーストとか主婦カーストとかネットでは聞いていたけど自分にほ関係ないなーって思ってた。ら、カースト下層が現れてカーストが成立した話を書くよ。しかもそのカースト下層から足を引っ張られた話も。

私は社会人サークルの創設メンバーだ。仲良しが集まっていろいろやってるうちに知名度もでてきて人も増えた。

私の役割事務系。会計とか書類管理とか、その他発生する事務雑務諸々。

もともと気心の知れた仲間内でのことだったから、それぞれが得意なことが自然役割分担ができましま

愛嬌があってお話しが得意な人はイベントの司会運行とか、パフォーマンスが得意な人は看板パフォーマーに、私は堅実派だったのでお金管理文章作成を任されたのがキッカケだった。

ただ楽しくてやってたんだけど、いつの間に人気がでて、大きなサークルになって仲間が増えて良かったねって思ってた。古いメンバー新人もみんな仲間って思ってた。

ところが。

ある新人運営の手伝いをしたいと言ってきた。2軍の子だったけど真面目でテキパキ動いてくれてみんなから信頼された頃、事件は起こったのです。

打ち上げで私をdisりはじめたの。冗談かなってスルーしてたら、そのうち他の創設メンバーあげをしてきた。彼女曰く、司会担当者看板パフォーマーキラキラしてて憧れなんだって。でも私は事務とか地味系で冴えないってことらしい。

実はその子は前々からそういう雰囲気を匂わせてた、あれっ?って思うことがあったから本性がでたなって思った。けど、他の創設メンバービックリしちゃってさ、「こいつ何いってんの???ハァーーー???」って。

そもそもの子自体が垢抜けなくて地味で…もちろんパフォーマンス的なことも未熟の2軍だったから、びっくりよね。

そんなこと考えてたの?って。

とにかくいままでがむしゃらにやってきて、カーストとかまーーーったく考えたことがなかった。そもそも仲良しグループの集まりだったからね、そんな意識なかったわけよ。それぞれ役割をきちんとこなしたかイベント成功したね、って意識だったし、黒字が大きかったときは皆んなで騒いでさ。そこに新人カースト持ち出してきてビックリしたわけよ。

で、私をズルズル引きずり降ろそうとしたってわけ。

この時気付いたのが、「もしや私って上位カーストだった??上位カーストゆえヒエラルキーがあるなんて知らんかだあんやろか」ということだ。

国のおエライさんが貧困想像できないように、わたしも別の立場存在に気づけていなかったのだろうか。

心理的に「引きずり降ろされる」という感覚がぴったりで、無意識わたし彼女を「下」として接していたのだろう。

反省したけどね。

けど、サークル自体自分が築いてきたものだしなぁ、と複雑。

2021-01-23

👍新型コロナの濃厚接触者っぽいけど無症状でも即入院する方法👍

簡単です。主治医に連絡を取り、入院したい意思を告げることです。あとは医者が良しなに対応してくれます保健所関連雑務医者任せでOK🙆OK

え?主治医って何?連絡ってどうするの?無視された??ですって。。。!?

あーーー。

残念!!

あなたは下級国民です!!!(/ω\)

2021-01-18

リボ人生絶望して発狂しそう

約30年間自分無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我精神がとうとう崩壊した。

現在どうしていいかからない状態なので吐き出させてほしい。

俺と同じようなタイプの人がいるかからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。


俺には少し年の離れた兄がいた。

その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。

両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。

それは所謂普通人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、

自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。

でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、

人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。

自分勉強運動もできる、天才特別人間である勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は

人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。


中学高校では、吹奏楽部に入った。

当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、

今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。

吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性身体的なアドバンテージや、

大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。

勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルキープし、そこそこの大学に入れた。

テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的タイプだったし、

志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。


当時もまだ自分特別人間だという自負は変わらず、

ハンカチ王子まーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。

運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。

兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。

ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。

俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。


大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。

高校までの自分理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。

学校勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。

大学勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。

そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。

交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。


そのうちに、ストリートアートの才能がある人物出会って、イベントをやる事になった。

結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。

実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。

あげく、彼とはイベント打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。

絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、

自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。

同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。

彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。


二十歳を過ぎてから六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。

知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。

そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランク人達馬鹿にしてた。

でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。

今日〇〇の社長キャバクラから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。

その人達ですら、自分事業を作り上げて必死改善して、本来尊敬すべき人だった。


まりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローン借金してインドで1ヶ月ワーホリした。

俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。

一浪した就活では、人材大手のRから内定を得ることができた。

面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。

そういうところだけ器用な自分気持ち悪かった。

今思えば入社前のこのタイミング軌道修正する最後タイミングだったように思う。


入社したRでは、退社した人材起業したり有名企業要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。

自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。

だが、現実は甘く無かった。俺の営業成績はすごく悪かった。

そもそも自分理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりもつまらなかった。

転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。

当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。

そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから職種全然違うし。

同期たちは努力ホスピタリティーやら自分長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。


今まで努力反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。

自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、

何の成長性もなく、ただただ自分現実と向き合ってないだけだった。

みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、

中途半端な器用さと自尊心と恐怖心から自分は逃げ続けた。

自分限界に挑戦しないか自分能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。

周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない

より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。


アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事とあるクリエイター出会った。

大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。

その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才ノブレス・オブリージュみたいだなと思った。

IQゆえの他者社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才証明だったのだ。

天才友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間から

自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。

話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆人生だった。

自分コミュ力友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。


意を決して、精神科を訪ね、IQ検査を受けた。IQ120弱くらいだった。

天才メンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。

天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。

だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。

天才特別だと言い張っていたのに、そうでない人生今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。

IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。

検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。

本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、

何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。

会社から逃げるように独立起業する事にした。


人材系のビジネスをやろうと思った。

幸い、人材系のエージェント採用代行は独立ハードルが非常に低かった。

仕事上の取引先ではあるが、コネクションもある。

同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、

それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。

本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。

勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。

賭けに負けても死だが、勝負しなくても死だったから。

特別人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者馬鹿にし、虚構優越感に浸り、

両親の呪詛成就させ、なんとか生きてきた。

生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。


独立はうまくいかなかった。

あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。

大手看板が外れて、だれにも相手にされなくなった。

経営関連の庶務雑務の多さも想定以上だった。

元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。

余裕の無さが更に成功を遠ざける。

うまくいくはずが無かった。

更にコロナ拍車をかけた。

どんどん追い詰められていった。


その頃兄はフリーランスエンジニアとして生計をたてていた。

兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミング勉強をして実力をつけていた。

いくつかの現場経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。

子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。

兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。

情けなさと申し訳なさが加わり、更に精神的にはキツかったが、

金銭的にはどん底から少し這い上がれるかと思った。

でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。


求職者企業面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。

目から鱗だった。考えた人は紛れもない天才だと思った。

人材業界ビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。

既存人材紹介業は、求職者入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。

年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。

求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。

人材系のエージェント採用代行は独立ハードルが低いというのは、それが由縁だ。

中小企業や、スタートアップベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。

加えて、エージェントはとにかく求職者入社すれば高額な手数料が得られるので、

求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要人材か」を無視して、

内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。

まりエージェントが売上を追求すると、求職者企業利益を損なうケースが出てくるのだ。


3万円もらえるという転職サービスでは、企業面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。

企業エージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。

これは、既存転職市場人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。

このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。

転職市場人材業界パイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊イノベーション

最初は思わずネガキャンした。悔しかたから。でもどうしようもなく憧れた。

どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。

自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。

仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブ感情無限ループしている。


一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。

それでも、特別人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、

という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。

ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。

自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする

このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・

という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。

2021-01-17

anond:20210116190357

ジョブチェンジ年収が2倍変わった者です。

絶対にその選択はやめなさい。

給料安いと、理不尽なことに耐えられなくなるよ。

「こんなことさせられてるんのに、給料も安いのかよ…!」って怒りが湧いてくる。

転職したい先だってきっと業務100%全てやりたいことではないでしょう。

まらない雑務もあるだろうし、上司や同僚が最悪だったり折りが合わないかもしれない。

そういう時に心を支えてくれるものがなくなる。

理不尽な扱い&安月給のコンボって、人間としての尊厳を軽んじられてる気がするからね、

やりたい仕事やってるからってそのプライドを傷つけられる気持ちはなくならない。あなたほどの年齢になってくると特にね。

2020-12-04

anond:20201204231623

そこで簿記2級みたいな発想になるのがまたなんとも…という気がするんだよなあ。経理だの総務だのは雑務何でも屋さんみたいな立ち位置になるから、それだったらぶっちゃけ面倒なこと考えずに何でもお願いしやすい健常者の方がいいってなる気がしない?

2020-11-19

現場チームが忙しくてみんな疲弊しながら業務こなしてるの見ると

大変そうだなと思うので、みんなが現場出て動けない時の先方への申請書送付や

着払い荷物代わりに受け取ったりだとか、書類コピーホワイトボードへの予定書きだとか会議室予約だとか

ご飯の買い出しだとか本当なら現場チームの下っ端がやらないといけないような雑務

代わりにお願いされたらやってあげたりちょっとしたお菓子差し入れしたり愚痴を聞いたり、

提出書類の不備なども本来ならそのチームの責任者責任もって先方へ確認取るなりしてやらないといけないもの

丸投げされて代わりに全部やってあげたり(やってあげないとこちらの作業も滞る)

そうやって気付くとこちらの作業も増え、残業したり昼ご飯時間削ったりして。

でも現場チームのリーダーや副リーダーが「お前ら頑張ってるからな~!ありがとな~!」

現場チームの人たちにスタバ奢ったり、管理職会議で「現場大変だけどAやBが頑張ってくれてるから何とかできてる」と

現場チームのスタッフを名指しで褒めたり、案件片付いて「打ち上げだ~!美味いもん食おうぜ~!」と

現場チームの人たちが盛り上がってるの見ると、自分時間お金気持ち使って手伝ったのにそういうのは

仲間として認識してもらえないんだなぁ。こっちの頑張りは見てくれないんだなぁとやるせない気持ちになる。

かに現場には行かずに事務所内での作業に限ってしか手伝えてないからその一番大変な時間

共有できてないので仲間としては認識されないんだろうなぁとは思うが。

そういう雑務しても認識されてないか現場チームからうちの上司へ話もいかないし

うちの上司もそういうのは見えてないか評価されないし給料に反映されるわけでもないし。

でもむなしい思いするだけだしなぁと雑務を断ったら断ったで(あい現場チームより全然暇なのに楽しやがって)とか

思われたりするんだろうなぁ、(やってあげた事よりやってくれなかった事の方が印象に残りやすいから)

打ち上げの席でグチられたりするんだろうなぁとも思い。

何より現場が忙しいときは本当に見返り関係なく手伝ってあげたいと思うからやってしまうし…

その時々ではちゃんと「ありがとな!ほんと助かったよ!」と言われるからそれ以上求めるのも贅沢なんだろうとは思うけども

でもやっぱり後から「あの時は本当に現場チーム頑張ったよな~」と語る時に自分はその頑張った人の中には

入れてもらえないんだよなぁというのが毎回毎回毎回毎回引っかかってしまってどうしようもない

2020-11-16

anond:20201115125745

プログラマ35歳定年説は、体力的なもの、新しいスキルを学び続ける事、SEPM等へのシフトアップ必要な事から言われていますが、

私は、「その年になるまでPGなんてしてられるか」とか「その年までにはSE等のシフトアップ必要でしょ」みたいな感じでした。

匿名さんは、コーディング限界が来て辞めるのではなく、人との絡みに嫌気がさして辞めているようにも感じます

システム開発は、企業の都合で開発責任者が決められてしまうために、その人材により、下の者は苦労します。

プロジェクト国家のようなもので、酷い政治家(PMSE)の国で暮らす(開発する)のはしんどいと思います

システム開発するうえで、一番効率が良いのは1人で作り上げる事だと思っています。つまり、35才定年説なんてありません。

1人で作り上げる理由は、人が言葉文書だけでコミュを取って意思疎通するのには限界があるからで、

今では相当なモジュールが完成されているために1人で開発する環境は昔ほど悪くはないと思います

規模がどんなに大きくなっても、根幹部分や仕組みは1人が仕様決定してコーディングしておき、

その他はテストメンテが容易になるようなコーディング規則と、

出来る限り単純な仕組みを作って他のプログラマに守りやすいようにして複数で開発することがいいと思います

サブシステム毎にSEがいて、同時開発していけば、似たような機能を持つ関数・メンバが大量に別名で作られてしまい非効率になってしまますので、

そのあたりをまとめるための雑務的なSE配備必須です。

この雑務SE重要ポジションで、意図目的が明確になっていて中でどのように動くかが明確でなければ、

それが不具合となり匿名さんのような苦悩を味わいます

あと、人が増えれば意思疎通のミーティング必要になり、冗長的になってしまますので、その効率化も求められます

話しを定年説に戻しますが、

【年と共に覚えられる記憶量に限界が来る事】

という体力的な面について、日々感じている事を書きます

20代では、携わるシステム関数・メンバ・変数等は、約数千個程度は記憶出来ていますが、

30代では、それが半分程度になります40代では更にその半分程度になり、50代ではせいぜい数百が限界になってきます

それを補うための開発環境進化と、コーディング内のコメントの充実で、逆に不具合の少ないシステム構築が出来るので、

20代では一気に開発が出来ますが、デバッグ時間がかかり、50代では開発は時間がかかりますが、デバッグには時間がかからないという傾向にあります

それでも数百程度を越えて来ると翌日には忘れていく部分があるため、日々、忘れている部分を確認して思い出す時間だけ開発にオーバーヘッドがかかります

そのため、常に忘れては思い出してを繰り返す事になり、自身記憶容量の限界を痛感する日々になってしまます

【人との絡みで限界を感じているのでしたら】

限界だと感じた時が、定年なのかもしれませんが、システム構築をする事が楽しいのであれば、いつでも現場復帰していいんではないでしょうか?

技術は日々、新しくなって行きますので、頭に入れるのは大変かとは思いますが、根幹はそんなに変化ありません。

私自身も、必要かられて自分マルチタスクスクリプト言語を開発していましたが、

量子コンピュータにならなければ、どれも似たような構造しかありません。

また開発したいと思ったりクライアントがいて需要があるなら、1人で出来る範囲を開発して、足りない部分は誰かに委託してみてはどうかなあと思います

2020-11-15

anond:20201115033125

雑務をおしつけられて面倒だから怒るっていうより、こう世界コントロール力が手足の先まで行き渡っている人からすると、ろくにコントロールできてない人の愚鈍っぷりが嘆かわしくて「もっと世界を操れる漢になれよ!」と義憤に駆られてるのかもしれんだろ?

2020-11-13

コメダ

夜、コメダに行った

所用のために外に出て、その帰りの道すがらに寄ったので店内に入ったのは21:00頃になる

年末調整の提出書類や今年も駆け込んだふるさと納税申請書、生命保険契約内容確認積読本などが溜まっていたのでそろそろどこかで片付けたいと思ったからだ。

正直ここのコーヒーは美味しいと思わない。

この時間にあのハイカロリー食事も摂ろうとはいささか思えない。

ただ自宅では捗らないのは自明であるためどこか作業場所が欲しかった。

ここは地方都市だ、夜遅くまで営業している店の多くは居酒屋チェーン店になる。

ファミレスはもとより検討外だった、田舎にとってファミレスはその名の通り『ファミリー向けのレストラン』であって、一人で訪れる場所ではない。この時間でも家族連れの顔見知りに会う可能性は充分にある。

いなかの世間はせまいのだ。どちらも田舎暮らしの宿命だ。

からコメダを選んだ、コメダはこの近辺に何店舗かあるのだけれど、車社会のこの土地で立地と駐車場にやや不便さを感じるこの店は恐らく知り合いと遭遇する可能性は低いと踏んだからだ、とても消極的選択だった。

それでもまだ21時台なので、きっと店内は賑やかなのだろうなと想像していたのだけれど入り口をくぐると店の中は驚くほど静かだった。

店内に客はいるのだけど、タブレット読書をするサラリーマン参考書を広げる女子学生、会話もそこそこに眠たそうに寛ぐ部屋着の男女、みな静かに自分時間を過ごしているようだった。

店の一番奥の2人がけの席に座った、壁を隔てた向こう側ではイヤホンをした女性が何やら書き物をしている。しばらくすると穏やかなそうな女性店員がお冷を運んで来てくれた。

メニューを開く、前言撤回をして珈琲を飲みたかったのだけど、この時間にそれを飲めばカフェインに弱い私は確実に眠れなくなるのでホットミルクを頼んだ。

(正直なところ私は珈琲の味なんてわからないのだ)


以前東京を訪れた際、夜遅くまで営業しているカフェに入ったことがある。薄暗い店内に間接照明洒落内装、店内中央に置かれた一枚板のカウンターハンドドリップで淹れる珈琲

ひとり観劇の余韻に浸るには整いすぎた空間だった。珈琲一杯の値段にとても驚いたのだけど、この空間を買ったと思えば決して高くはない。嘘だ、ちょっと格好つけた。伝票の値段を見た時、田舎者の来る場所ではなかったのだと思った。入り口でこの値段を見ていたらきっと私は気後れしてこの店には入れなかっただろう。

とはいえ、こんな場所地元にもあれば良いのにと都会の街をとても羨ましく思ったのだ。

しかしそれを超えるものがあった

木の温もりがある内装、程よい固さのソファー、音量を最小限に絞ったBGM、穏やかな店員、手元の良く見える明るい店内、他人に興味を示さず思い思いの時間を楽しむ見知らぬ人々、何もかも完璧だった。ここのドリンクも決して安くはないけれど、あの三茶カフェに比べれば破格だ。あそこでは深煎りコーヒーを頼んだのだけど、正直味は覚えていない。

(やはり私には珈琲の味の良し悪しなんてわからないのだ)

しばらくすると注文したドリンクと一緒に小さな袋が小皿に乗って運ばれてきた。セットの豆だと店員は言う。そうだ、コメダは久しぶりで忘れていた。

マグカップの横に置かれたちいさなホスピタリティに少し目頭が熱くなった。思えば最近仕事忙殺され一人暮らしの私の生活は荒れていた。こんな心遣いを受けるのは久々だ。この値段でこれ程素晴らしいおもてなしを受けられることに感動した。

豆をつまみながら飲むホットミルクは格別に美味しかった。暖かさを保ったままのマグカップを両手で持ち背もたれに寄りかかる。今私はこの時間を買っているのだと思った。

コメダは最高だ、この静かな感動を書き留めたくて机の脇に置かれた紙ナプキンを一枚取り出しボールペン文字を綴った。こんなことするのは学生以来かもしれない。紙のスペースが足りなくなったので、こんどはここに文章を打った。おかげで雑務は全く捗らなかった。

このまま朝までここにいたいのだけど閉店時間が近づいてきたので会計を済ませ店を後にした。

 

店の外にでると冷たい風が肌を撫でた

23時を過ぎたこはいつもより暗い。

大きく息を吸った。静かだ、完璧すぎる夜だ。

夜の街は眠る田舎暮らしの素晴らしき利点だ。

暗闇の中で少し寂しそうな車が私を待っていた。

どこに停めたかすっかり忘れていた、私は真逆の方向に向かおうとしていたらしい。

次こそは珈琲を頼もう、デザートも食べちゃおう。

なんてことを考えながら車の待つ方へ私は踵を返すのだった。

追記ブコメありがとう、それです

2020-10-30

首都圏から目線が最悪だ

何でもかんでも首都圏から目線

正直、もううんざりしている。あまりにも上から目線過ぎて。

全国放送でも東京のことばっかり。なんでも東京のことばかり。

首都圏の『意識高い人々』が地方を『可哀そうだ』と見下しているようにしか見えない。

自分たちマジョリティだと勘違いしてないか

地方の僻みだと思ってくれても構わない。

こちらは田んぼと川に囲まれ暮らしてきた。

特に表現に関して『今は価値観アップデートされたんだからこの表現は許されない』という意見をよく見る。

この意見については馬鹿馬鹿しいと言わざるを得ない。

それは都会にいるかアップデートされたつもりになっているだけだ。

それなりに大学もあって、図書館もあって、文化的遺産もある。

これはそういう地方のある地域の話の一例として、頭の隅にとどめてほしい。

「カ〇ワ」「メ〇ラ」「ツ〇ボ」このあたりの表現が当たり前のように口から飛び出してくる。

信心深いし、人を貶めるために言った言葉ではない。

言っちゃダメなのはわかってるが、代替用語がすんなり出てこないのである

それを学がないだけで切り捨てていいのか?

結婚しなければ男は出世できない。

〇〇当番などの雑務女性がやって当然(女性から出てくる意見)。

これらの意見が主流としてある社会

首都圏意識高い皆さん、自分たちだけ価値観アップデートされたのを勘違いしてないか

中央政治については自分たちには難しくてわからない」

「それより明日の天気が心配

私の知る彼らは兼業農家が多く、生活に手いっぱいで、政治リソースを割く余裕がない。

それを考えるリソースの余りある首都圏意識高い層は知らないだろう。

首都圏から目線が最悪だ。

まれ立場で、地方が恵まれないと決めつけて哀れんでいる。

そのくせ自分たち行政サービスについて優先されてしかるべきと思っている。

首都圏から目線が大嫌いだ。

2020-09-28

自粛期間を経て研究ができなくなった

理系大学院生にとって実験というのは食べて寝て呼吸をするのと同じくらい当たり前にするものである

人間ってどうして呼吸するの?なんて日々考えてる人がいないように、毎日研究室に行って論文を読み先生と先輩の研究雑務をし自分研究も進めて後輩の面倒をみるのに疑問なんか持ってなかった。

でも自粛期間を経て一回立ち止まってみたら、当たり前にしていた研究室生活ができなくなっていた。自主自粛期間が6ヶ月を超えて修了出来るかも怪しくなってきたM2の、心と生活の変化を記録してみる。

コロナ

コロナ前は月-土で8時には家を出て研究室に行き、9時過ぎに帰って、日曜日は一日中バイトしてたから、毎日疲れてて自分のことも必要最低限しかできていなかった。夜でも日曜でも先生からメールは来るし、後輩から添削お願いしまメールがくる。結局は自由時間研究室業務をしていたから、本当にメール確認せず過ごせるのはなんとか時間を作って高校友達ご飯を食べに行く時だけだった(同じ大学友達はみんな同じ境遇から、一緒に何かしてても研究室関連の連絡が来たら即対応してた)。でも、連絡にはすぐ対応しないと先生から色々言われるし、特に先輩は嫌な感じでストレスだったから、すぐ対応できるよう携帯が手元にないと不安だったし、友達トイレ行ってる間とかに新着をいつも確認してた。とにかく時間がないから付き合える人間が限られてくるし彼氏ができてもわたしは週7で労働してるようなものから続くわけもない。

3月末〜

3月末、大学研究自粛となり、バイト先も休業し就活も終わっていたから、大学生になってから初めてなんの予定もない1週間ができた。うちは実験室に行って手を動かさないと基本何もできないタイプ研究室から、本当にやることがない。(この時はデータ大学から持ち出せなかった)。みんなすことないから誰からメールがこない。携帯が手元になくても、不安にならない。思い切って1日電源を切ってみたけど、次の日つけてもメールが一通もなかった。幸せを感じた。

久しぶりに2時間とかかけて料理してみたり、道具と材料揃えていろいろなお菓子作ってみたり、夜になったらYouTubeみながら毎日45分運動してみた。どうぶつの森を買って一日何時間Switchと向き合ったり、録画して観る時間がなかったドラマをみたり(やっと逃げ恥みれた)、Netflixに入ってずっとみたいと思ってた作品を一気に観た。1時間くらい散歩したり、zoom高校の友人と久しぶりに話した。夜も時間あるからパックしたりストレッチしてみた。メイクも、集めてても結局考えたくなくて同じものばっかり使ってたけど、毎日いろいろな組み合わせを試した。髪も巻く時間たっぷりあるし、実験しないから好きな洋服毎日着れる。食べる量とかは変わってないけど、生活習慣が格段に良くなったおかげでニキビとかも無くなったし、体重も減った。何より毎日肩が軽くて快適だった。

そして現在

そんな日々が1週間を超え3ヶ月が過ぎ研究が解禁された頃、研究ができない体になってた。研究室に行ってた時も、全く自分時間がなかったわけじゃないけど、気力が起きなくてせっかく1時間あってもずっと横になりながら意味なくSNSを眺めてて終わってた。もうそんな日々に戻れなかった。

研究室に行かないと人生がこんなに楽しいのに、なんで年間50万円の学費を払ってあんなことしなきゃいけないんだろう。っていうかなんで50万円払って先生研究の手伝いと後輩の指導してたんだろう時給マイナスじゃん。マイナスなのにストレスまで多くてなにこれ。あーもう無理無理。明日こそ行こうって毎日思って寝るけど全然から出れない。買い物とかには行けるのに、研究室に行こうと思うと家から出れなくなる。

今思えば、ブラック企業みたいなものだった。もしこれが会社だったらみんな辞めて転職しろって言ってくるやつでしょ。会社はいいね、やめて次踏み出せるから。てか辛くても長時間でもお金もらえるからいいな。研究室ってね、入ったら合わなくてもストレート卒業たかったら耐えるしかない。やめたら就職に不利だし、他大学に移動できるタイミングも限られてるし、仮面浪人なんて莫大なお金かかるし。学科パワハラ相談室とかあるけど、有名な教授よりどうせ卒業する生徒を切り捨てるから何の役にも立たないし。

本当なら7月から大学行けてたけど行かないでもう9月も終わって自主自粛期間6ヶ月になっちゃった

3ヶ月の空白分を実験するのも大変なのに6ヶ月ってやばいよね。だってから実感してデータまとめて考察して修論書くの?無理無理。

何より今更先輩と先生と顔合わせたらなに言われるか分からなくて無理。同期からは気にかけてるよって連絡くるけど、2人きりになったらわからないじゃん。

でもせっかく就職先決まったし、今週内定式もあるのに就職できないのは嫌だな。推薦じゃないか迷惑はかけないかどもう就活したくないし…。

あーもうどうしたらいいんだろう。明日こそは研究室行けるかな。

2020-09-16

1つ下の新入社員に何から何までフォローされ続けた話

私の勤務先では四半期毎に社内報が作られており、今日私の手許にも社内報2020年夏号が届いた

そこには「2019年度優秀社員表彰」という記事掲載されており、1年だけ同じ部署で勤務した彼が表彰状を手にしていた

私は入社してからかなり仕事の覚えが悪い駄目社員として周囲から認識されていた

どの部署でも入社1~2年目は駆け出しなので、仕事があまり出来ないのは仕方がない ただ、私は若手社員に求められる社内行事飲み会段取りも大の苦手としていた

部内での飲み会の出欠確認・店の手配・支払などとにかく私は何から何まで手際が悪かった

部署からは店についてああしろこうしろと色々な要望が出ていたが、どうせ対応は出来ないので全て無視 出欠確認もいつも漏れがあり、狭い席に無理やり座ってもらったこともあった

増田ー、食べ物いからすぐに頼んでよ」「わかりました、すいませんほっけを人数分下さい」「なんでほっけを人数分頼むんだよ(呆れ)、店員さん2つでいいです」

というようなやり取りはほぼ毎回繰り広げられていた

そして、私が2年目を迎えた4月、我が部署新入社員の戸折君が配属されてきた

戸折君は仕事の覚えも早く、雑用完璧に熟した そして私が苦手としていた店の手配ではパーフェクトな対応を見せた

これまで私が無視していた「別料金払うから良い日本酒呑ませて」「腰が痛いから座敷じゃなくて掘りごたつで」「男性陣の足が臭いから靴を脱がない椅子のところがいい」

などといった各部員の要望を全て充たし、かつ予算もお手頃な店を次から次へと発掘してくるのである

増田ときは毎回同じ店だったけど戸折君はいい店見つけるセンスあるね」など女性陣が本当に喜んでいたのをよく覚えている

事件が起きたのはその年の忘年会のあとだった

忘年会の手筈も全て戸折君に任せ無事終了 二次会も終わり、最後に私と戸折君の二人で呑んでいるとき、「僕は増田さんのことが好きなんですよ」と急に告白された

「好きというのは社会人として?」「いえ、一個人としてです」

まりの予想外の展開に私は雷に打たれたように思い切り固まってしまった

「そうですよね、増田さんはこっち側の人じゃないですもんね 分かってましたけど」

そのようなことがあり、年明け出社時はとても気まずかったのだが、戸折君はこれまでと何も変わらない態度で仕事をしていた

その後少しして、時期外れの異動で戸折君は他の支社へ移っていった 新入社員最初部署に4~5年在籍するのが通常なので極めて異例の異動であった

これは私の想像であるが、カミングアウトしたあとで同じ部署で働くのは嫌だろうと戸折君が私に配慮し、上司なり人事なりへ掛け合った結果なのだろうと思う

部署内でも異動時には「なんでこのタイミングで」という話になったが、理由誰も知らないようなので弊社なりにLGBTへの最低限の配慮が出来ているということだろうか

戸折君が居なくなったあと、私はまた部内で一番の下っ端へと戻ったわけだが、飲み会の店の手配は戸折君が残してくれたマニュアルを元にまともに熟せるようになった

元々私の部内での評価はかなり低く若手の中では最低レベルに近かったが、色々な雑務が出来るようになり仕事もどうにかこなせるようになったことで評価も中の下くらいまで上がった

本来こちらが指導すべき新入社員フォローされっ放しというのは情けなかったが、彼のおかげでそれなりに仕事が出来るようになったのも事実

私は社内報掲載された彼の社員を見ながら改めてこう思った 「ゲイに身を助けられたということか…」

2020-08-30

仕事を辞めた。

新卒で入った会社を約4年半働いて、先日やめた。

長かったと思うし、実際信じられないくらい濃い時間だったのは事実だ。

仕事は嫌いじゃなかった。人間関係とか、上司とか、そっちが原因だった。

辞めてから約2週間が経とうとしている。ありがたいことに、辞めてからのここ数日間連日誘って誘われて時間を作っていただいては話をした。

昨日、1泊2日の小旅行を決行した。完全に自分趣味のためだけだったのに、趣味範囲だったのに、何故か見つめ返す時間になり、書いてみたくなった。

新卒でAという会社入社した。コミュニケーションは最低限しかとらないような少しわがままな女だったが、この時ばかりは先輩、上司に恵まれていた。

同期は30人くらいいた。本社支店に分けて配属されており、私は本社で働いた。同じ課には6人の同期がいたが、私と同じチームに同期はいなかった。その時から、ずっと1人だった。

会社ブラックで、8時に出社して22時まで働くような上場しててもベンチャー企業。1人はとんでもなく言葉足らずで、何を意図しているか理解するのに苦労した先輩、もう1人は手取り足取り教えてくれる人で、バランスが取れていていい環境だった。2人とも仕事がめちゃくちゃできる先輩。大好き。仕事自体は合っていた。ちゃっかり表彰されたり、他部署と仲良くやっていたり。

でもそれは、2年目の途中までだった。

1年目の終わりかけに上司が変わった。新しい上司は華やかな仕事しか興味がなく、その他の雑務を全て下に押しつけて、私はちゃん監督しています!悪いのは下の子たちです!と堂々と上司に報告するような人間だった。

仕事はできる。ただ、100やりました!90数字が間違ってます!という。誤った90の処理を私がひとりでする環境仕事スピードに関しての相性はよかったが、気持ちの方は半年限界がきて、別のチームに異動となった。2年目の10月出来事だった。

別のチームでは、1年目でお世話になった言葉足らずな先輩の下についた。そんなことをいっても私は先輩が大好きだったし、慣れとは怖いもので、言葉を汲み取って仕事ができるようになっていた。

しかし異動して1ヶ月後に告げられたのは妊娠産休だった。産休に入るまであと5ヶ月、頭が真っ白になった。1人の同期と5人の1年目を抱えたチームが、数ヶ月後には出来上がる。

それからの5ヶ月は繁忙期も含まれた。5ヶ月間で1億の売上を出して、粗利計算して総利益計算した。気づいたら私はリーダーだった。3年目の4月出来事だった。

ここまでの社会人生活で私が身につけたものは、相手が何を意図しているか、どんな情報を欲しがっているか感覚的にを汲み取ることができ、仕事相手上司が輝くためにはどんなサポートをすればいいのか、売上をあげるにはどうしたらいいか本能にわかる。異分子社会人が出来上がっていた。

4ヶ月後、中途で新しく係長クラスの人が上司についた。

物腰が柔らかくて、人当たりが良さそうな人だった。最初は仲良くやっていた。これはわからないだろうな、という案件は手伝ってフォローしていた。部長はこういうのが好きだから、必ずこういう報告をしておいてほしい、あの仕事土台まで出来ているので見ておいてください。仕事タスクが平均の倍以上に多い会社だと思う。すぐについてくるのは難しいと思っていたし、フォローするのが当たり前の環境だと私は思っていた。1年後のある日、デカ炎上案件が起きた。誰かがやらかしたわけではない、完全な外的要因。もちろんその場に上司もいた。チーム内で解決できないと判断した私は、まず他部署の上席に声をかけた。この後こういった案件で、私の上司から連絡があるから力になってほしい、と。

二つ返事で了承してくれた他部署の上席には感謝しかなかった。

しかし私の上司は2週間、その問題放置した。

毎日催促をした。わかったといっていた。さすがに無理だと思った。限界。このままだと取引先との関係ダメになってしまう。

産休に入ってから、一人だけ私のチームを手伝ってくれていた、別部署の上席がいた。あくまこちらのフォローをしてくれる、部署を任せられている人だった。

その人とは妙にウマがあって、ツーとカーで話が通じるよくわからないけれどいい人だった。

私はその人に助けを求めた。親身に聞いてくれ、私の上司はその人の影響でとりあえずは動いてくれた。逆に私は、そのまま少し病んだ。この上司を私が手伝う意味って何だろう。尽くす意味ってないのではないか?こうだったら助かるだろうな、なんてのは私の自分勝手な善意。私は、別に一度も見返りをくれなんて思ったことはなかったのに。部下が困っているときに助けてくれる上司ならよかった。私が求めたのはそれだけだ。ただそれだけでよかったのに、その関係はその日に幕を閉じた。

私には上司はいない。上司の席にいる男のことを、いないもの、として扱うことにした。チームのメンバーは責められることがないようにと、これは報告しておけ、と同じチームの同期やメンバーには強く言うようにしていた。私は自分わがままで、上司として扱うことを辞めたのだ。他の人に被害を被らせるわけにはいかなかった。

部下の面倒をよく見ており、売上も好成績を維持しているチームを率いる上司。ハリボテで出来上がった評価される上司を作ったのは、紛れもなく私だった。

私はその置物と話をすることはなかった。情報提供も辞めた。代わりに仕事をすることも辞める。全部全部辞めた。この直後から1ヶ月にかけて、仕事管理ができない、金の稼ぎ方を知らない、売上の管理債権管理もできない、部長職がほしい情報が上がってこない、部下の面倒すら見れない、使えない置物の評価を、私は作った。ある人はいった。気づいたら全員あなたの味方だった。怖くなった。

私は私を殺した人を、社内で殺したのだった。置物はすぐ、孤立した。私は私が正気メンタルを取り戻し、正常な生活を送るために、クラッシャーになった。その後置物となった人は病んで、12月退職した。

私はその人が残していった残務を、一人で片付けた。係長が残した不始末を、社員の私が片付けるなんてのは異端なのに、私の当たり前だった。

1月から、新しい人が着任した。面談でみた私の印象は、多分大事ときに部下を裏切りそうだなぁ、と思った。しかしこのとき、既に採用は決まっていた。私に合わせたとき、私がどんな感想を抱くかが部長陣は知りたがっていた。正直、あまりいい人ではないと思うと正直に伝えた。少し難しい顔をして、そうか、といっていたのを覚えている。

そしてこの予感は的中することになった。仕事をしていれば、自分がやったことではなくても対応することが多々あると思う。この案件はすぐ限界がくるな、とおもって上に相談した期日一週間前の出来事部長への報告は期日3日前、怒り狂っっていた。それでもその仕事を終えた1ヶ月後、新しい上司から嘘の報告を受けることとなる。3月出来事だった。全ての裏どりをして私が出した結論は、きちんと辞める準備をしよう、だった。予算管理は私がしていたから、仕事遂行する中でも、5月自分のチームの年間予算の達成は見えていた。決算6月、そこで部長に、今月の数字は部の数字にそのままオンできる数字です、と伝えた。月次の数字は行く必要性を感じなかった。年間やって評価されないわけがないのだから。この時適当にやる分には許されていた。それ以降は、売上も考えない、ただの社員になろう。役職はもっていたが、たか主任本来責任なんてない。

私の顧客は超大手外資企業と、大手の子会社グループ会社上場企業と大きく振り分けると6社ほど。取引先には相当額のお金投資してもらいながら楽しく仕事をしていた。もちろん壮大な迷惑はかけていたが、それでも信頼関係は築いていたのではないかと思う。仕事が続けられたのは、取引先のおかげだ。社内だけだったら、私はとっくに辞めていた。クラッシャーを極めた私は、8月末で辞めることを伝えた。

上司以外からは、止められた。どこの部署に行ってもいいから、残ってくれないか、と打診もされた。

でも、疲れたのだ。

自分悪者になって解決するなら、それでいいと思っていた。幸いにも、チームの社員からは信頼もあった。最後には、一人の同期と上司を除いてだったが。

同期とのこともすこしだけ触れておきたい。仲がよかったはずだった。上司の嘘のすこし前から、避けられるようになり、私から声をかけることを辞めた。避けられたのにお昼に誘ったりしていた私のメンタルは褒めてほしいが、一週間で流石に悲しくなったため辞めた。それから彼女は私を彼女支配下におこうとあれやこれやと画策していた。上司のこともあったので、私は皆が苦しめばいいなぁと思いながら、水面下で人が苦しむために働いていた。その時はそれが精神を保つ安定剤になっていたし、なんなら私が手放して増えた仕事量に2人とも疲弊していて、筋書き通りに話が進んでいくことにつまらなさを感じていた。想定外なことほど面白いことはないのに、筋書き通りに死んでいく。楽しくなくなってった。

無事会社に辞めることを伝えた後も、転職サイト登録せず、年内はアルバイトをして過ごそうとしていた。すると取引先2社から引き抜きがあった。絶対きてほしい、損はさせない。なんてありがたい話なのだろう。少なくとも年内は働きたくないことを伝えた。なら派遣アルバイトでもいい、なんて条件ももらった。個人的に遊びの計画を入れていたため、10月中旬じゃないと無理ともいった。それでもいいよと、受け入れてくれた。すこしだけ、人を信じてみてもいいかもしれないと思った。

今、一人で東北へきて、ここまで書き殴って思った。やっぱり歪んでいる。会社を辞めるときに、普通の女の子に戻りたいと思った。会社から帰って、人に会って、結婚して、子どもを産んで育てて、旅行に行ったりしたいなって。

でも、ここまで歪んだ私に普通を求める価値はあるのだろうか。求めていいのだろうか。私は、私が求める普通に戻りたい。

今の願いはそれだけだ。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

2020-08-29

コロナ禍のおかげでプログラミングめっちゃ捗ると思ったら全くそうではなかった

余計な雑務横槍差し込みがなくなって、リモートワークだとプログラミング業務めっちゃ捗る、と思ったがそうではなかった。

Slackで飛んでくるmentionを常に意識していなくてはならない。

mentionに一定の早さで反応しないと叱責される。

ときにmentionでない場合でもあるからさらに大変である

Slackの内容に逐一神経をとがらせながらするプログラミング環境は、コロナ禍前よりも悪いものになった。

2020-08-27

大学先生やっているんだ

大学教員になってはみたもの

教員ってさ、なるまえはすごくやってみたいけど、やってみると意外となんでもないもんだな

教育、授業は義務としてやっているけど、やらずに済むなら辞めたい

特に実験は準備+実験当日の残業レポート採点とシャドウワークが増えるのでコスパ悪い

教授に騙されて当てられちったんだ(てへ)

研究室は楽しくないね学生との溝を感じる

研究室運営憂鬱で、日に日に学生のやる気が腐っていくのが辛い

自分能力不足を感じる

好きなはずの研究愚痴を言う相手もいないので、辛い

計算して、合わなくて、実験して、合わなくて

重ならないグラフを見つめ続けて寝れなくなる

研究が好きだったはずなのに、ひたすら論文を書かされるという無間地獄に落とされた気分だ

大学運営意味を見出せない

時間を食う、精神をすり減らす、それでいて何も得られる感じがしない

書類を作る、意見を集める、すり合わせる、ひっくり返される


なんか、こんなに終わりのない仕事休みなしで続けながら、みんなそれほど辛そうじゃない

僕にはポリシーがない

場当たり的ですべてが雑務になっている

いったいどこで、仕事矜持なんて見出せるのだろう

anond:20200827161802

同分担するなら保育園とかから子供が熱出したので迎えに来てください」って言われたら2回に1回は仕事抜けて迎えにいかなきゃいかんわけだし、今それやってたら重要プロジェクト重要ポスト外されるし、新しいプロジェクトにはアサインされなくなる。

ういうい女性が抱えてるハンデを無視して「男と同じ仕事できんのか」ってクソダサい配偶者居ないのに偉そうなこと言ってるアホか相手が見えてないどうしようもない男のどっちかって感じだな。

 

個人的には男女平等は無理だと思ってるし、自分能力的に細々とした雑務忙殺されたら精神的に死ぬから、やってくれる彼女尊重しつつうまくいろんなことに折り合いつけていくのが良いと思う。

anond:20200827160246

マジでそれも大きなポイントよな

子供が出来た場合にやらなきゃならんこととかも含めて、膨大な量の「雑務」があるみたいだし

女性がいまの男性と同じように働くのが男女平等なの。

とか言ってるけど、いまの仕事量にプラスして膨大な雑務の内半分もやらないといけないって考えるとマジでしんどい

の子供の準備やら料理やら片付けやら、学校の諸々細々、列挙したらきりが無いだろ、忙殺されるわ。

2020-08-26

テレワーク、やっぱり続けたい

https://www.orangeitems.com/entry/2020/08/25/111954

https://anond.hatelabo.jp/20200825185628

どちらも細かい点でそうかもね、と思う点はなくはないのだけど、あまりももったいないというか

身近にも1人知ってるけど、リモワをやめたい人ってあまりにも時間の使い方が下手なんだと思う

例えばどちらも書いてる点として通勤時に色々していたとの事だけど、ここは自分通勤してた頃同じような感じだった。

今はその同じ時間電車ではない場所で過ごしてるがずっと快適に読書などできてる。通勤がなくなってできた時間は確実に有効活用できるよ。

運良くリモワできた人は、自身生活を見直すとてもよいチャンスでもある。

それも周りに流されす自分でしっかり仕事プライベートを切り分けて生活設計できる絶好のチャンスだ。

最も興味深いのはリモワで太っていく人と健康になっていく人の差だ。

自分は明らかにリモワ前より食事に気を使うようになり、運動量もそれなりに気を使うことでどんどん健康的になっている実感がある。

一時期少し中だるみはしものの、プライベート時間が増えたことにより生活習慣を見直すことができたのだ。

一方でリモワやめたい人は生活が自堕落になっていく傾向があるようだ。

通勤職場で人に見られる事で張り合いを感じるというのはわからないでもない。休みの日を別にすれば人に見られる時間ってそれくらいだから

自分も含めてだが、正直言って会社、というか職場中心の生活依存しすぎていたんではないかと思う。これはほんとにもったいない話だ。

リモワ生活がだらしなくなってしまうかどうかはほんと自分次第なのだ


あとチャット通話を利用することでコミュニケーション煩雑になるという指摘は、職場や業種によっては確かに起こりそうだ。

自分職場でもしばらくの間はいわば「コミュニケーション過多」と言ってもよいようなやり取りが増える傾向があった。

しかし徐々にそれぞれタイミングを見計らうようになったり、通話しろテキストチャットしろ簡潔に伝え合おうとする意識が生まれた。

これは対面で会話してる時にはなかなか意識できなかったことだ。

また管理的な業務は当初は雑務が増えていく傾向だったが、今ではあらゆる業務ログが拾いやす効率よく回せるようになっている。

ここらへんは業種、業務内容によって違いが出るとは思うので、色々だなとは思う。

ただ増田が書いてるような遅い時間仕事の連絡してくるとか、そういうのは論外というか、新しいルールを作ればいいのにとしか思えないんだよな。

どちらかというと反論のほうが多くなりそうだから、できるだけリモワやめたい側の立場に立って考えてもみたが

やはりどの理由も結局仕事、というか職場への依存が高そうだなという感想

個人的には周りに人がいないとそんな事もできないのかという気づきも多々あったし、

メリットデメリットで言えばデメリットほとんどが自分次第なんだなと思ったので

そこを頑張れないなら仕事への依存が高すぎると考えるようになった。

まあそれでも、仕事があるから長い人生時間を生きていけてるんだなとも思うけど。

2020-08-21

anond:20200821140910

社内で完結するような雑務は、気付いた人がやればよく、またそうあるべきである

が「雑務に気が付いたら上司に連絡しよう」って意味だったって?

もっとマシな嘘つきなよ~

社内業務はすべて「お前がやれ」でいい

社内で完結するような雑務は、気付いた人がやればよく、またそうあるべきである

そういうことが出来ない、当事者意識主体性業務遂行能力の欠ける人は、会社に要らない。

他人仕事フィードバックなどと称して文句をつけたがる奴は、それが必要だと思うなら自分がやればよいのである

こういう奴は一人いるだけでも、主体的に動ける社員モチベーションを著しく下げる。組織の癌である

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