はてなキーワード: 普通の女の子に戻りたいとは
長かったと思うし、実際信じられないくらい濃い時間だったのは事実だ。
仕事は嫌いじゃなかった。人間関係とか、上司とか、そっちが原因だった。
辞めてから約2週間が経とうとしている。ありがたいことに、辞めてからのここ数日間連日誘って誘われて時間を作っていただいては話をした。
昨日、1泊2日の小旅行を決行した。完全に自分の趣味のためだけだったのに、趣味の範囲だったのに、何故か見つめ返す時間になり、書いてみたくなった。
新卒でAという会社へ入社した。コミュニケーションは最低限しかとらないような少しわがままな女だったが、この時ばかりは先輩、上司に恵まれていた。
同期は30人くらいいた。本社と支店に分けて配属されており、私は本社で働いた。同じ課には6人の同期がいたが、私と同じチームに同期はいなかった。その時から、ずっと1人だった。
会社はブラックで、8時に出社して22時まで働くような上場しててもベンチャー企業。1人はとんでもなく言葉足らずで、何を意図しているか理解するのに苦労した先輩、もう1人は手取り足取り教えてくれる人で、バランスが取れていていい環境だった。2人とも仕事がめちゃくちゃできる先輩。大好き。仕事自体は合っていた。ちゃっかり表彰されたり、他部署と仲良くやっていたり。
でもそれは、2年目の途中までだった。
1年目の終わりかけに上司が変わった。新しい上司は華やかな仕事しか興味がなく、その他の雑務を全て下に押しつけて、私はちゃんと監督しています!悪いのは下の子たちです!と堂々と上司に報告するような人間だった。
仕事はできる。ただ、100やりました!90数字が間違ってます!という。誤った90の処理を私がひとりでする環境。仕事スピードに関しての相性はよかったが、気持ちの方は半年で限界がきて、別のチームに異動となった。2年目の10月の出来事だった。
別のチームでは、1年目でお世話になった言葉足らずな先輩の下についた。そんなことをいっても私は先輩が大好きだったし、慣れとは怖いもので、言葉を汲み取って仕事ができるようになっていた。
しかし異動して1ヶ月後に告げられたのは妊娠と産休だった。産休に入るまであと5ヶ月、頭が真っ白になった。1人の同期と5人の1年目を抱えたチームが、数ヶ月後には出来上がる。
それからの5ヶ月は繁忙期も含まれた。5ヶ月間で1億の売上を出して、粗利を計算して総利益を計算した。気づいたら私はリーダーだった。3年目の4月の出来事だった。
ここまでの社会人生活で私が身につけたものは、相手が何を意図しているか、どんな情報を欲しがっているかを感覚的にを汲み取ることができ、仕事の相手、上司が輝くためにはどんなサポートをすればいいのか、売上をあげるにはどうしたらいいかが本能的にわかる。異分子な社会人が出来上がっていた。
物腰が柔らかくて、人当たりが良さそうな人だった。最初は仲良くやっていた。これはわからないだろうな、という案件は手伝ってフォローしていた。部長はこういうのが好きだから、必ずこういう報告をしておいてほしい、あの仕事土台まで出来ているので見ておいてください。仕事のタスクが平均の倍以上に多い会社だと思う。すぐについてくるのは難しいと思っていたし、フォローするのが当たり前の環境だと私は思っていた。1年後のある日、デカい炎上案件が起きた。誰かがやらかしたわけではない、完全な外的要因。もちろんその場に上司もいた。チーム内で解決できないと判断した私は、まず他部署の上席に声をかけた。この後こういった案件で、私の上司から連絡があるから力になってほしい、と。
毎日催促をした。わかったといっていた。さすがに無理だと思った。限界。このままだと取引先との関係もダメになってしまう。
産休に入ってから、一人だけ私のチームを手伝ってくれていた、別部署の上席がいた。あくまでこちらのフォローをしてくれる、部署を任せられている人だった。
その人とは妙にウマがあって、ツーとカーで話が通じるよくわからないけれどいい人だった。
私はその人に助けを求めた。親身に聞いてくれ、私の上司はその人の影響でとりあえずは動いてくれた。逆に私は、そのまま少し病んだ。この上司を私が手伝う意味って何だろう。尽くす意味ってないのではないか?こうだったら助かるだろうな、なんてのは私の自分勝手な善意。私は、別に一度も見返りをくれなんて思ったことはなかったのに。部下が困っているときに助けてくれる上司ならよかった。私が求めたのはそれだけだ。ただそれだけでよかったのに、その関係はその日に幕を閉じた。
私には上司はいない。上司の席にいる男のことを、いないもの、として扱うことにした。チームのメンバーは責められることがないようにと、これは報告しておけ、と同じチームの同期やメンバーには強く言うようにしていた。私は自分のわがままで、上司として扱うことを辞めたのだ。他の人に被害を被らせるわけにはいかなかった。
部下の面倒をよく見ており、売上も好成績を維持しているチームを率いる上司。ハリボテで出来上がった評価される上司を作ったのは、紛れもなく私だった。
私はその置物と話をすることはなかった。情報提供も辞めた。代わりに仕事をすることも辞める。全部全部辞めた。この直後から1ヶ月にかけて、仕事の管理ができない、金の稼ぎ方を知らない、売上の管理も債権の管理もできない、部長職がほしい情報が上がってこない、部下の面倒すら見れない、使えない置物の評価を、私は作った。ある人はいった。気づいたら全員あなたの味方だった。怖くなった。
私は私を殺した人を、社内で殺したのだった。置物はすぐ、孤立した。私は私が正気なメンタルを取り戻し、正常な生活を送るために、クラッシャーになった。その後置物となった人は病んで、12月に退職した。
私はその人が残していった残務を、一人で片付けた。係長が残した不始末を、社員の私が片付けるなんてのは異端なのに、私の当たり前だった。
1月から、新しい人が着任した。面談でみた私の印象は、多分大事なときに部下を裏切りそうだなぁ、と思った。しかしこのとき、既に採用は決まっていた。私に合わせたとき、私がどんな感想を抱くかが部長陣は知りたがっていた。正直、あまりいい人ではないと思うと正直に伝えた。少し難しい顔をして、そうか、といっていたのを覚えている。
そしてこの予感は的中することになった。仕事をしていれば、自分がやったことではなくても対応することが多々あると思う。この案件はすぐ限界がくるな、とおもって上に相談した期日一週間前の出来事。部長への報告は期日3日前、怒り狂っっていた。それでもその仕事を終えた1ヶ月後、新しい上司から嘘の報告を受けることとなる。3月の出来事だった。全ての裏どりをして私が出した結論は、きちんと辞める準備をしよう、だった。予算管理は私がしていたから、仕事を遂行する中でも、5月で自分のチームの年間予算の達成は見えていた。決算は6月、そこで部長に、今月の数字は部の数字にそのままオンできる数字です、と伝えた。月次の数字は行く必要性を感じなかった。年間やって評価されないわけがないのだから。この時適当にやる分には許されていた。それ以降は、売上も考えない、ただの社員になろう。役職はもっていたが、たかが主任。本来、責任なんてない。
私の顧客は超大手の外資企業と、大手の子会社、グループ会社、上場企業と大きく振り分けると6社ほど。取引先には相当額のお金を投資してもらいながら楽しく仕事をしていた。もちろん壮大な迷惑はかけていたが、それでも信頼関係は築いていたのではないかと思う。仕事が続けられたのは、取引先のおかげだ。社内だけだったら、私はとっくに辞めていた。クラッシャーを極めた私は、8月末で辞めることを伝えた。
上司以外からは、止められた。どこの部署に行ってもいいから、残ってくれないか、と打診もされた。
でも、疲れたのだ。
自分が悪者になって解決するなら、それでいいと思っていた。幸いにも、チームの社員からは信頼もあった。最後には、一人の同期と上司を除いてだったが。
同期とのこともすこしだけ触れておきたい。仲がよかったはずだった。上司の嘘のすこし前から、避けられるようになり、私から声をかけることを辞めた。避けられたのにお昼に誘ったりしていた私のメンタルは褒めてほしいが、一週間で流石に悲しくなったため辞めた。それから、彼女は私を彼女の支配下におこうとあれやこれやと画策していた。上司のこともあったので、私は皆が苦しめばいいなぁと思いながら、水面下で人が苦しむために働いていた。その時はそれが精神を保つ安定剤になっていたし、なんなら私が手放して増えた仕事量に2人とも疲弊していて、筋書き通りに話が進んでいくことにつまらなさを感じていた。想定外なことほど面白いことはないのに、筋書き通りに死んでいく。楽しくなくなってった。
無事会社に辞めることを伝えた後も、転職サイトに登録せず、年内はアルバイトをして過ごそうとしていた。すると取引先2社から引き抜きがあった。絶対きてほしい、損はさせない。なんてありがたい話なのだろう。少なくとも年内は働きたくないことを伝えた。なら派遣やアルバイトでもいい、なんて条件ももらった。個人的に遊びの計画を入れていたため、10月中旬じゃないと無理ともいった。それでもいいよと、受け入れてくれた。すこしだけ、人を信じてみてもいいかもしれないと思った。
今、一人で東北へきて、ここまで書き殴って思った。やっぱり歪んでいる。会社を辞めるときに、普通の女の子に戻りたいと思った。会社から帰って、人に会って、結婚して、子どもを産んで育てて、旅行に行ったりしたいなって。
でも、ここまで歪んだ私に普通を求める価値はあるのだろうか。求めていいのだろうか。私は、私が求める普通に戻りたい。
今の願いはそれだけだ。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
https://twitter.com/ariyasu0315
https://www.instagram.com/ariyasu_momoka_official/
普通の女の子に戻りたいと言って辞めて、わずか2か月足らずで、
やりたいことがやれるタレントになりたいって言えばいいのに。
ワイ60歳。妻子持ちのサラリーマン。
彼女は元々、本番O.K.の女子大生デリヘル嬢として1年半浮名をならしたんヤ。
ワイはそこの客。
彼女がデリヘルを辞めた後は、本番無しで良ければ彼女が個人的に会ってもエエゆってくれたンで、それからワイの泊まるホテルで個人的に会うようになった。
しかし、去年の12月に彼女クリスマスデートに成功して彼氏ができたんヤ。
その後は彼女普通の女の子に戻りたいから言うてワイとホテルで合う時にスキンシップNGにされてしもうた。キスもNGヤデ。(どうしてエエかわからんので、毎回ワイの泊まるホテルまで来る交通費1000円だけ渡している。)
彼女大学3年になったら、教職の為の勉強に専念したいからユウテ、4月から来年の7月まで1年半はワイとは会わんゆうテンノヤ。
『1年半待て』なんや。
1年半の中で4月から9月はメル友の関係ヤ。10月から来年の7月まではメールも禁止ヤデ。
来年の7月になって就職が決まったらまた会ってくれるユウテル。
3月中に会えるのは後2回切りになってシモウタ。
この娘と付き合って感じるのヤガ、この娘は高校時代からJKリフレのバイトやってたし、デリヘル中は本番O.K.やったのに、
デリヘル辞めて彼氏が出来た途端、高い貞操概念を言い出すんヤ。
(もう普通の女の子に戻ったのだから、彼氏以外のワイとは本番もキスもしない。言いよるネン)
なんじゃそらって一瞬思ったけど
高校の帰り道友達と喋りながらたい焼き買い食いしたり、マックでポテトとシェイク買ってだらだら話してたり。
文化祭の出し物の準備で普段はいられないような暗くなる時間まで教室に残って、あんまり喋ったことのない子と案外仲良くなっちゃったり。
その中に好きな人がいて、こっそり見てたらちょっと目があったけどやっぱり話しかけられない!って下向いちゃったり。
なんかこんな普通の世界にいる女でも学生時代のそんな一瞬のきらきらした思い出を今でも大切にしているから、その時間をアイドルに費やした彼女は今からでもそんな普通のキラキラが欲しかったのかな。
普通に生活してたら絶対に体験できないような素敵な世界を彼女が見られるのは確かだけど、その逆も然りだよね。
今までお疲れ様でした。
あなたは昨年末「仮想通貨ビジネスに参入する」と発表してちょっとした話題を呼んだ某芸能人をご存知でしょうか。
ご存知でもご存知でなくてもこの後に続く話を読んでいただくのに特に支障はないかと思います。
私はそこそこ長い間、彼のファンでした。
ソロ活動始めてからしばらく経ってからだったので、古参とかそういう話をするなら
私より長く彼を応援している人だってそれはもうたくさんいるはずですが、
少なくとも15年以上は経ってるはずなのでまあそれなりに長い間と称していいんじゃないかなと思います。
けれどふとしたきっかけで彼の歌を聴いた時、一発で心をわしづかみにされたのです。
なんて綺麗な声で、なんて綺麗な曲を歌うんだろう!
なんて魅力的な歌を書くんだろう!
なんて素敵な世界観を生み出す人なんだろう!
音楽、映像、文章、美術、演劇といったありとあらゆるアプローチを行い、
本人のみならずバンドメンバーやスタッフまでその一部として役割を与えられるものでした。
一度、彼のファンでもなんでもない友人をライブに連れて行ったことがあるのですが
「演出や作り込みがすごいから特に事前情報を仕入れていなくても引き込まれたし楽しめた」
みたいな評価をしてもらえたので、本当に総合芸術としてよく出来ていたんだろうなあと思います。
そんな類いの作品に触れたことさえなかった私はもう夢中でした。
CDも雑誌もメディアもライブも、彼の発信するものは全て見聞きしたかった。
可能な限りそうしていたけれどまるで満足できなかった。
それがもどかしくも嬉しかった。
彼の語る言葉を読むたびに新しい価値観が自分の中に形成されていく気さえしていましたし、
この先どんなことが起ころうとも彼に憧れる自分のこの感情は決して変わることはないだろうと信じ込んでもいました。
そして、そんな彼のソロ活動20周年を間近に控えた2018年最初に齎されたイベント開催告知の内容は、
ファンクラブ会員向けの仮想通貨事業に関するトークイベントでした。
あっ、だめだ、と思ったのはその時でした。
なんか最近曲の系統が全部同じように聞こえるなとか、カバーアルバムとかコピーバンドとかが目立つなとか、
内輪向けイベント多いなとか、昔こういうことはやらないって言ってた内容の活動してるなとか。
だけど私は、彼には夢を見させる力があると知っていたしそれを信じていたかった。
今はたまたま私の好みではない展開を行っているだけで、彼が彼の世界観を表現していることは変わらないのだと。
いずれまた流れが変わって私が夢中になるような夢をまた見せてくれる日もきっと来ると信じていたかった。
事実、心が離れかけて今回で最後にしようかなと思いながら出向いたライブでまたドカンと衝撃受けて
魅了されて大泣きしてやっぱり私はこの人の作品が一生好きだ……と惚れ直させられたことだってありました。
惰性になっているのでは?と自問自答しながらもファンクラブの更新を切る気にもなれなかった。
でも、アーティストでなく実業家を名乗って、年齢も本名も公開して、そんな姿を見たら流石に
「ああ、きっと彼はもう夢を見せる仕事をするつもりがなくなってしまったんだな」
と理解せざるを得ませんでした。
ゼロから何かを創作するということには途方もない労力が必要でしょう。
それをエンターテイメントとして大衆に届けるためには、また更に大きなエネルギーや資本が必要になってくるでしょう。
それをずっと続けるというのはあまりに困難な道でしょう。
その道から逸れて違う歩き方を選ぶ人を責める権利は、この世の誰も持っていません。
まあ綺麗事ばっかり言っても仕方ないというかね。
ぶっちゃけその夢を見させるための土台のところでいろいろ大変なんだろうなあっていうのも
「やりたいのにやれない」みたいなことは絶対にあったと思うし
こっちも展開されたグッズとか毎回必ず買ってたかって言われるとゴメンナサイって感じなので
仮想通貨も私にはちょっと分からないけどある程度勝率とか将来の展開図とか見越したからこそ
あれだけ派手に打って出たんだろうし上手く軌道に乗るといいねえって思ってる。
間違っても彼に対して「裏切られた」みたいな感情を抱いているわけではないんです。
ただ私の神様はもういなくなってしまったんだなぁという実感を覚えてしまったことがひたすらにさみしくてかなしい。
アイドルを追いかけた経験はないけれど、推していたアイドルに「普通の女の子に戻りたい」って言われた時の
ショックや悲しさやそれらに交じる僅かな自責とこの感情は似ているのかもしれないと思う。
生きているあなたに偶像でいてくれなんて願うことがとんでもない傲慢だということは理解しているけれど、
それだけの話でした。ここまでお付き合いくださいましてどうもありがとうございました。
願わくば彼の進む道の先が彼にとって望ましいものでありますように。
でもあのファンミ案内はどこからどう見ても芸能人使った怪しい投資セミナー詐欺の勧誘にしか見えなかったからもうちょっとどうにかした方がいいと思う。