はてなキーワード: 次元とは
ワイ法学修士(増田ほどの専門性は無い下級戦士)より追加論点。
このため、会議室ひとつ借りるにも所有権者の許可が必要になる。
無いという増田の主張に加えて、
船内で政府の対策チームが活動することにも所有会社の全面協力が必要だった。例えば備品の機動的な借用や場合によっては損壊時の免責などであろう。
また、停泊中も基本的にはクルーズ船としてのサービスを絶やしていなかったが、理想を言えばこれは一旦全面停止してもらって、検疫という目標を最優先とし、最低限の衣食住の維持に絞ったサービス提供フローに組み直す必要があっただろう。
船会社も船長も日本政府側もこうしたイレギュラーな事態尽くしで、政府のハイレベルがリーダーシップを取って利害調整し、決裂しても検疫達成のためには船会社と乗客の私権を踏み倒し、現場は専門家に委ねるべきであったとワイは思ってる。
出てくる人物どいつもこいつもみんな物理屋。そしてみんな頭がおかしい。
主人公が物理屋ということで画面のそこかしこに数式が登場するのだけれどもこれがずいぶん凝っています。
以下6話まで視た感想です。
QCD(量子色力学)の漸近的自由性の証明です。2004年ノーベル物理学賞。
(6話より)
ホワイトボードに書いてある数式は QCD のベータ関数の計算です。
彼女が数式を修正した後は β<0 になっています。これはQCDが漸近的自由性を持つ理論であることを意味しています。ちなみに部屋の左隅にある小さなホワイトボードにはQCDの真空偏極による反遮蔽効果のイメージ図が描かれています。こちらも漸近的自由性に関する図です。
どうやらこの世界ではまだQCDの漸近的自由性が証明されていないようです。それではいったいいつ頃なのでしょうか?
何話か忘れましたが カビボ小林益川行列 がホワイトボードに描かれている回がありました。時系列順に並べてみましょう:
どうやらシェルドンたちがいるのは1973年の世界のようです。
史実によるともうすぐウィルチェック達が論文を出してしまうはずなのですが・・・?
ひも理論は一般の方向けの翻訳で、本来の訳は弦理論(げんりろん)です。 String Theory = 弦理論
さて、本題に入りましょう。シェルドンは弦理論屋なのでしょうか?
実は6話まで弦理論らしきものが出てきません。ずっと場の量子論を計算しているのです。
しかもこの時代は1973年です。この時代にいた弦理論屋とは何者なのでしょうか?
というのも、弦理論はもともとハドロンを記述する模型として研究されていたものだからです。現在のように弦理論が究極理論候補と考えられるようになったのは1984年の第一次ストリング革命以降の話です。時代背景を考えるとシェルドンは南部後藤の弦でハドロンを研究していると考えるとしっくりきます。彼がQCDを研究する理由も、ボスがハドロン8重項をホワイトボードに書いているのもこれで理解できます。彼の研究対象はハドロンなのです。
もっと直接的な証拠があります。第1話でこのような会話をしています: (https://www.youtube.com/watch?v=AF58gWwHOwY)
26次元と言っています。これは面白いですね。もし現代の弦理論屋さんに「この世界は何次元ですか?」と聞くと10次元、もしくは11次元と帰ってくるのではないでしょうか。
現在の弦理論屋さんが研究しているのは超弦理論(10次元)やM理論(11次元)、そしてシェルドンが研究しているのは南部後藤の弦(26次元)なのです。
この時代において世界は26次元だと言い切るのはなかなかヤバい人ではないでしょうか。
先ほど書いたように弦理論が脚光をあびるようになったのは1984年以降です。
1973年は弦理論の暗黒期だったはずです。当時は弦理論は欠陥があると考えられていました。
米谷さんやシュワルツの重力子の論文が1974年であることを考えてもシェルドンはぶっ飛んでいるように思います。
先ほど紹介したシーンでは「世界は26次元だ」と主張するシェルドンは頭がおかしいと思われているようです。一方で現代の視聴者は、別に彼はおかしなことは言っていないことを知っているのです(26かはともかく)。この辺りの捻れが面白さを生んでいるように思います。
頑張れシェルドン!早く論文出さないとウィルチェック達に先越されちゃうぞ!
なんとも味わい深いコメディです。
tvxqqqq 単純に変なラインを消してポスター作り直せばいいだけじゃん。ラブライブ自体を批判してる訳じゃないし、フェミだけが批判してる訳でもないし
あなたはこのラインを消すだけってのが、まー簡単なことだと思ってらっしゃる
ところがどっこいこの"ラインを消すだけ"の作業をやるとすると沢山の人手と時間がかかるのだ
君のボヤキを聞いて製品の仕様追加を思い付きで提案してくる悪いクライアント(まあ私の仕事ではクライアントなんて横文字は使わんが)を思い出してねー、いや追加費用というか追加の人件費請求しようかマジで、うん、できないけど
https://anond.hatelabo.jp/20200217222101
ラインとか意識してなかった開催者にとっては寝耳に水ってやつでございますな、次元の割れ目がいきなり現れてそこから出てきた腕が顔を掴んでくる感じ
まあ私もあのラインがよろしくないのでは?とか言われたら確かにそうですねーとは答えるがそれと同時に対応大変ですねとも思うわけで、それを"だけ"で済まされるとあの客に抱えていた怒りが再びふつふつと湧き上がるのさ
同性愛とBLは「全く別次元のセクシャリティであり、どちらもそれぞれに尊重されるべき。仮に部分的に関連があったとしてもそれは個別に語られるべき」でしかないのだが、ツイフェミ系の界隈を見ていると未だに「BLの排除は同性愛差別に繋がる」とか言ってて、「あーあ」って感じ。
悲しいので、簡単に
・宇崎ちゃんの胸は、現実でも似たような大きさの人いるよ!⇒だから多少オタク表現にもにょってもOKだと思った
・ラブライブのみかんコラボは、そんな鼠蹊部協調してるプリーツスカート履いてる人、AVパッケージ以外にいる???
・公共の場に掲示するコラボとしては、現実でもいる人とAVパッケージだとちょっと印象変わるんじゃない?(極端なたとえですが)
・とはいえアニメコラボなんてファン向けのコンテンツなので、外野がやいのやいの言うのは筋違いだよね
みたいな感想なんですが、ラブライブのイラストがアニメ的2次元的表現というのは分かったうえで、そういう表現方法が分からない人もいるから配慮しようね、って思います。
なんでもかんでもオタク文化が受け入れられて当然という風潮には疑問を感じます。
ラブライブのイラストがAVパッケージ、というのは極論というかいろいろ突っ込みを受けるだろうと思っていますが、そのくらいエロさを感じたということです。(この感覚には個人差があってしかるべきですが)
躍動感な表現である、という言説も見受けられますが、性的なラインを強調すれば躍動感が生まれるんでしょうか?
個人的には、女体のラインを不必要に強調したイラストに見えます。
そしてのその女体のラインを強調したイラスト手法の根底にあるのは、エロへの訴求だと思っています。(それが悪いことであるとは思いませんし、言っておりません)
こういう女体(当然ながら男体であっても)、肉体の性的部分を過度に強調されたイラストを見て、好ましいと思う人間と、嫌だなと思う人間がいることは想像に難くありません。
表現の自由は守られてしかるべきですが、今回のラブライブのイラストは、オタク文化に慣れたいち個人から見たとしても「同じ嗜好の人間の間だけで味わう良さ」を詰めた作品に思えます。
したがって、ゾーニングを考慮したうえ、一般人の目に触れる部分に関しては、自分たちの嗜好が「一般的」ではないという自覚をもって配慮すべきであったと思いますし、
「透けている」はちょっと認知能力的に疑問を覚えますが、そう見えた人もいるという事実を考慮して、批判者を嘲笑するのではなく、理性的に対処すべきかと思います。
(批判しているフェミニスト?の方たちの言いがかり的な暴論にも辟易しますが、
その批判者たちを馬鹿にして嘲笑し時には人格攻撃にまで発展しかねないオタクたちの態度も目に余るものがあって、
理解を得るには根気強いコミュニケーションしかないと思っているので相手がいくらあばれ馬であろうとも、徒労に終わろうとも、理性を失わないで欲しいなと思う次第です)
俺はどっちも問題ないと思っているけど、もしガイドライン制定担当者になったらどうするか?
第一弾 https://urbanlife.tokyo/post/22892/
第二弾 https://www.huffingtonpost.jp/entry/uzaki-chan_jp_5e366317c5b69a19a4b084b7
俺が見たかぎり、批判者が言いたいのは「表情」と「ピチピチの服」だろ。
1つめ、「表情」についてはかなり難しい。
批判者が第一弾の表情を「アヘ顔」と呼んでいるのを見たが、これは断じて「アヘ顔」ではない。
wikipediaによれば
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%98%E9%A1%94
アヘ顔とは「性行為の最中における架空のキャラクターの表情を表現した日本のポルノの用語」
なのだ。つまり、性行為というコンテクストがないと成立しない表現なワケだ。
宇崎ちゃんの顔は「先輩を煽るウザい顔」である、というコンテクストを理解していれば
全く性的表現では無いと言えるので、「アヘ顔」論者は「アヘ顔」の意味を誤解していないか
A. 批判者は、コンテクストを理解しないと批判してはいけないのか?
BについてはNO、ただし「明文化および規制はできない」だと考える。
まずAについて。
悪意なきコンテクストを理解しないことによる解釈の違いとは「勘違い」と言い換えることができる。
人間の感性は本当に様々で、勘違いが発生しない表現など不可能だ。
これを突き詰めると、女体の下半身に見える根菜を売っている八百屋は猥褻物陳列罪にあたるか?
という話にさえ及びかねない。
つまり、コンテクストを理解すれば問題無い表現に関しては、素直に矛を収めるべきだ。
Bについて。
「悪意なきコンテクスト」と書いたが、実際には脱法的ハイコンテクストを悪用している2次元作品も存在する。
例を挙げると、アンサイクロペディアにさえネタにされる「エロゲー登場人物18以上」問題だ。
(断っておくと、俺はそもそも非実在児童ポルノ規制には反対だが、分かりやすいので例示する)
これは18歳未満との性交を避ける業界自主規制に関するエクスキューズなのだが、
「ランドセルしょって成年です」はねぇよと思いつつ、設定次第でどうとでもなるので
かといって、見た目で判断となると「この絵は幼く見える」という絵柄魔女狩りが始まるのは目に見えているので規制すべきではない。
それでも、「悪意ある脱法」だと確信するなら、根拠を示して堂々と批判すべきだ。
極端な例として、エロ漫画のコマを寄せ集めた「アヘ顔Tシャツ」なるものがちょっと前に話題になった。
これを街中で着ていたら、紛うことなき環境型セクハラだと思うが、
着ている人に「別に裸が写っているわけじゃないし表情だけで判断できないよね?」と言われたら?
安心してほしいが、ネットを見る限りほとんどのオタクはこのTシャツにドン引きしてたし、
「エロ漫画家が描いたエロ漫画の1コマ」というコンテクストを考えれば客観的に批判の正統性が保たれる。
つまるところ、ハイコンテクストのコンテンツをガイドラインによって規制するのは困難であるが
本当に問題のある表現を赤十字のような公的組織が採用した場合は
その根拠も添えて批判すべきであり、根拠が正統ならオタク含めて大衆の批判に晒されるであろう、と俺は思う。
2つめ、「ピチピチの服」は理解できるし、まだシンプルだが基準を作るとなると話は別だ。
第一弾のイラストを見ると、確かに乳房付近は他の上半身部分に比べて
漫画のコンテクストを考えても胸の大きさがキャラクター性の1つとなっており
漫画と公共ポスターという性質の違いを考えると、確かに適切な表現は変わってくるだろう。
例えるなら、同じ巨乳の女性でもパーティと葬式では着る服が変わってくるようなものだ。
これでは曖昧すぎる。
これでは巨乳女性のファッションを社会通念的に制限することに繋がらないか。
まだ水着とかなら非日常的だし、「肌の露出度が」「局部の際どさが」と言えるだろうが
そもそも「ピチピチの服」=「性的」と定義して良いのか?個人の性癖では?という問題にさえいきつく。
これは俺個人の予想だが、カフェバイトのウェイトレスの制服である
と批判者は捉えているのではないだろうか。
興味深いことに、コンテクストを理解していない批判者がいる一方で、
「女性の胸部を過度に強調した表現を控える」とだけ書くだろう。
前述したように明確な基準を作るのは不可能なので、このように曖昧な表現をするしかない。
おそらくすぐに形骸化するだろうがやむを得ない。
また可能ならば「女性の体型自体は問題としない」と併記すべきだ。
「筋肉を強調した表現」と「マッチョ表現」を描きわける難しさを考えて欲しい。
いろいろ書き殴ったが、批判者の目線に立つとやはり「何か言いたいが曖昧に批判せざるを得ない」気持ちはわかる。
批判者、反論者双方とも、「こんな意見もある」と捉えてお互いの領分を犯さない程度で収めるべき問題だと感じた。
批判者はこれだけ反論が出るのは「セクハラに対する男性の不理解」だけが原因ではないと考え、安易に規制論に走るべきではないし
https://www.asahi.com/articles/ASMDM6HZPMDMUTFK02M.html
内閣府が今年10月に実施した外交に関する世論調査で、「韓国に親しみを感じない」と答えた人が昨年より13・5ポイント上がり、71・5%で1978年から同じ質問を始めて以来、過去最高になった。「親しみを感じる」という人も昨年よりも12・7ポイント下がり、26・7%で過去最低になった。
調査は全国の18歳以上の3千人を対象に個別面接方式で実施、1608人から回答を得た(回収率53・6%)。「日韓関係の発展が両国やアジア、太平洋地域にとって重要だと思うか」との質問に「重要だと思う」と答えた人が57・5%で、昨年から12・3ポイント下落。「重要だと思わない」は37・7%で前年より11・9ポイント増えた/b。
「ネット右翼(ネトウヨ)」という異常者の集団が日本社会から断絶した次元にポツンと存在しているわけではないのだよ
若い人には、あんな面白くもなんともないゲームが、なぜ当時エポックメイキングで、いまだにこれほど語られるのかがわからないと思う。
当時の鈴木裕という人は、バーチャファイターというその後の3D格闘ゲームに多大な影響を与えた人で
その人がバーチャファイターRPGをつくる、と言い出したことから始まった。
当時のRPGといえば、ドラクエ、FF、テイルズ、ポケモンなどであり、
ポリゴンをつくったRPGは生まれ始めていたが、2DRPGをただ3Dキャラクターにしただけという内容が多く、
本当の意味で3D空間を動けるRPGというものは生まれていなかった。
そこに、鈴木裕が殴り込む、ということは、今あるRPGを別の次元に上げる何かが生まれるのは?という期待があったのだ。
それこそ今で例えれば、スマブラの桜井さんが、これまで挑んでこなかったジャンルであるFPSに挑戦します、というものである。
「え?FPS?正直、もう枯れたジャンルであるFPSを桜井がつくるの?これは何か大変化が起こるかも!期待!」
誰もがそう思うのではないか。
その期待感と、異常な執着で生まれた怪作がシェンムーなのである。
全NPCに名前、自宅、行動パターンがあり、彼らは彼らの生活を送っていること、など
その要素によってゲームが面白くなるかどうかなど全く気にせず、
とにかくリアリティを高めることに異常な執着があるのがシェンムーの特徴である。
結果として、ゲームは面白くないのだが、多くのクリエイターに別のアイデアを生み出すことに成功した。
GTAなどのオープンワールドはシェンムーから着想を得たというクリエイターが多い(シェンムー自体はオープンワールドではない)
セガでは、ゲーム性を高めた龍が如くというシリーズが生まれた。
このあたりに影響されて。ちなみに順不同。
https://anond.hatelabo.jp/20200127132401
https://mizchi.hatenablog.com/entry/2020/01/27/172334
https://kirimin.hatenablog.com/entry/2020/01/27/204453
初めてガウル平原に出たときの感動を超える経験を、今後プレイしたRPGで、できるだろうか?
新しくRPGをプレイするときに、いつも比べてしまう存在。それがゼノブレイド。
リメイクも今年出るらしいが、リメイクゆえにあのときの感動を超えられないだろう。
ゼノブレイド2は面白いゲームだったけど、自分的には大傑作とは言えなかった。3を楽しみにしています。
なぜこれがここにあるのか?それは誰にもわからない。
しかし、我々がデジタルダンスミックス安室奈美恵を買ったときから、
CGモデルを舐めるように下から見るという行為が大切だと思って生きてきたはずだ。
最近はカメラが自由に動かせないゲームが多く、真下から見ることは難しい。
DOAX3はそんなことない。俺たちの自慢のモデルを舐めるように見てくれ、という熱い思いがあった。
仕事から帰ってきた後に、仕事のように単調な作業プレイをして、水着を集め、配る。
DLC(という名のガチャ。水着が直接売られていたら買ってただろう)は決して買わないという誓いのために、
アホみたいなプレイ時間を強いられる。当時の2chではプロデューサー早矢仕氏の悪口しか書かれていない。
ただ、スレではみんな一体となって、オートセーブを避けて、効率的に水着を集める方法を共有してたんだ。
こんなゲームがあるだろうか?ちなみにスカーレットはやってない。
ゲームは綺麗なCG表現だけではない、ということを明らかにしたゲームであり、
またインディーゲームからメジャーゲームに上り詰めたにもかかわらず、
コミュニティからも愛されている稀有なゲームである。それ以上の説明は不要。
このゲームのためだけにPSVRを買う価値がある。そういうゲーム。
なぜSIEはこのゲームを真面目に押さなかったのか、いまいちよくわからないが、
マリオのようなベタなキャラクターを持っていないSIEの欠点が出てしまったともいえる。
金でもバラまいてディズニーの有名キャラなり、マーベルのキャラなり使えばよかったのに、
だが、ゲームの出来とは無関係なので、アストロボットやってほしい。
よくオールタイムベストのゲーム選出でクロノ・トリガーが選ばれていて、
「実際、クロノ・トリガーそこまでのゲームじゃないだろ」という感想をよく見かける。
たしかにクロノ・トリガーはそこまでのゲームではないかもしれない。なら、なぜ選ばれるのだろうか?
それはクロノ・トリガーの演出が異常に記憶に残りやすく、記憶の中で美化されているからだと思う。
オープニング、ドラゴン戦車での横向きの戦闘、裁判、魔王決戦など。クロノ・トリガーらしいゲーム画面がいつでも思い出せる。
ニーアオートマタをプレイしながら、何も似ていないけど、これはクロノ・トリガーの後継者だなぁと感じた。
そうかもしれない。しかし、私は十年後も遊園地廃墟のシーンを覚えているだろう。
ある意味でストーリーを捨て、クエスト、サブクエストも大半を捨て、
続編ではおそらく別解が示されることだろう。今から楽しみだ。
撃ち合いを塗り合いと呼ぶ詭弁によって、新たな次元に昇華したゲーム。
徹夜してやったストーリー重視のゲームは、逆転裁判、ダンガンロンパ、レイジングループなど数あれど、
リアリティのあるフィクションの中で、続きが気になるストーリーを作り上げたのは、これか龍が如く0だけ。
龍が如く0はあくまで続編であり、桐生ちゃんと真島の兄さん人気を使っているが、これは完全新作。
その観点で、こっちを選んだ。ピエール瀧の代役だけが悲しい。彼が復帰したらピエール瀧をDLCで売ってほしい。
テン年代はCSにおけるFFの存在感がなくなった10年だと感じる (FF11, 14は除く)
JRPG (この言葉は好きではない)がいつのまにか蔑称となり、
「量より質」という言葉の対義語(?)に「量は質に転化する」という言葉がある。
JRPGの進化の一つの方向性に、この量質転化があるのではないかと思う。
FE風花雪月でも似たようなことを感じたし、
つまり、見た目のテクスチャに凝るよりも、膨大なテキスト(フレーバーテキストを含む)に凝った方が
ゲーム体験の質は高まるのではないかという仮説だ。ペルソナ5は確実に質に転化した新たなJRPGだ。
ある意味では上記のペルソナもそうかもしれない。(3で確変した)
いちゲーオタ中年男性のハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム」10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。
のっけから「特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。
でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。
個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外。ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現は絶対不可能。
本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。
でも、これだけは言わせてほしい。
本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。
その(一見)破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対。
ああ、すっきり。
では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます。
「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」
ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。
僕はかなり潔癖症だから、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。
けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVRの新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。
ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺で自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちがじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。
「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」
あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。
プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品である。アイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロ風ゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。
そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。
このゲームの印象を喩えて言うなら、
久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感と嫉妬と軽蔑と相いれなさのような感情を腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。
正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。
もし未プレイだったら、このゲームはできればPC(steam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリのコンシューマー勢なので、ゲームでPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利なナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。
作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二や糸井重里の系譜に連なる倭人的王道シナリオ(コピー)ライターと感じる。
確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。
2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域に確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。
その山の森の奥には古い洋館があった。
庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。
君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。
俺は黙って君を見つめていた。
君は俺に気づかない。
俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。
ああ、なんだかこのゲームやってると批評的目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。
本作は「VRで描かれた古典的AVG(アドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。
VRでしか描けない世界と情緒に対して、あまりに意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。
『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。
もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。
かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女がサイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。
しかしPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。
画を作っているサンタモニカ・スタジオ(ゴッド・オブ・ウォー、風ノ旅ビト他)の仕事はいつだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事は白眉と言える。
とにかく、思わず自分と少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつの世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。
そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界を日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」としか言い様のない儚い感情だ。
書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。
が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。
実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色。ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。
終盤の怒濤の展開と比類なき生命体描写のインパクトに心奪われるが、本作の真骨頂は木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔な心持ちを強く喚起させる。
俺にとって『INSIDE』とは、自己の内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分と世界との乖離を自覚するための尖った注射針であり、神なき世界の宗教である。
灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。
人の生には「もっとも幸福な時期」というものがたしかに存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。
俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっとも幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから。
そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったかを確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。
総プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。
が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。
その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。
ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっとも幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的な理由だ)。
ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。
3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である。
それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元に昇華された「理想的格ゲー」であった。
『スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。
そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的な「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。
やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアルの大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初で最後だろう。
余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新性であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。
「いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sports』ゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。
2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。
2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器をPS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間と自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在は可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。
AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが全宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後の体験だった。
これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。
そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。
『Rez infinite』からのまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。
あれだけ昔から『どうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか?
お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。
だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から「仮想世界」における、人間存在の理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。
一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中のゲームファンに「もうひとつの世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつの生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。
『どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。
が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。
それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARとVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズドな世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——
要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的で神秘的なアトモスフィアに由るものだ。
カフカ『城』や村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。
そういうわけで、本作を迷わずにテン年代1位に据えたいと思う。
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長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました。
余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。
でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分内重要度みたいなものがぼんやり浮かび上がってきたので。
異論提言はもちろん、よかったらあなたのテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。
産婦人科、婦人科でおまたパカーンするときは「お医者さんも看護師さんももうまんこ何千と見てきてるから見慣れとるやろ~性的に見るとかそういう次元やないやろ~だから別に恥ずかしくないもんね~」と思っていたが
55歳のベテランと思われる産婦人科医が30代妊婦さんにワイセツ行為してて草
それにしても55歳のおっさんがなぜ「先生のこと好きっていってごらん」って言ったのか 風俗嬢に言うのならまだわかるけど。素人の しかも妊婦に
旦那とセックスして妊娠しとるのになんで55歳のおっさんを好きになるのか
認知歪みすぎでしょ 医師免許とれるくらい勉強ができるのに頭悪すぎでしょうもしかして加齢でおかしくなったのかな??
産婦人科医でも美人のまんこ見れたら嬉しいって発想になるんだなやっぱり
あーヤダヤダ
数日前、毛に関することが話題になってたので、せっかくだし自分のヒゲ脱毛の経験について書く
ヒゲ剃りに苦しんでいる人や、脱毛を検討している人は参考にしてくれると嬉しい
■脱毛に至るまで
肌:クソ雑魚
ヒゲ(脱毛前):範囲は狭いが濃く剛毛、毎日(場合によっては一日複数回)剃る
指毛・腕毛:薄め、放置
(ヒゲ剃り前提の環境だと)ヒゲってのはムダ毛の中で最も厄介なものだと言える
何故ならヒゲは長袖で腕を隠すように常時隠して生活することが非常に難しいからだ
おまけにコンマ数ミリの差がその人の印象を大幅に左右するうえに毛の中でトップラスの強さとしぶとさを持っているのだ(同じ太さの針金と同程度の硬さらしい)
ヒゲ濃いマンかつ肌弱マンにとってはヒゲ剃りというのはもはや拷問に等しい
しかし、前述の通りコンマ数ミリの差が決定的になるのがヒゲなので、その拷問を毎朝やらねばならない
蒸しタオルやスキンケア等様々な工夫をこらしてもヒゲ剃り後無数の裂傷により顔面血まみれになってしまう
もはやヒゲ剃りに際してはスキンケアより傷薬のほうが必要なくらいである
脱毛して改めて思ったのはヒゲ剃りという行為は「顔面の皮膚を刃物で削る」非人道的な行為だということだ
他の身だしなみのような「めんどくさい」とかそういう次元ではないのだ(もちろん面倒くささも半端ないが)
しかも、これはヒゲに限らずムダ毛処理全般に言えることだが、ヒゲ剃りというのは「マイナスをゼロに近づける行為」であり、これだけの苦痛を伴うにも関わらず、髪型や化粧や服装と違い、いくら頑張ってもゼロを超えてプラスになることはないのだ
ともかくそんな苦しみに十年苦しんできた俺だが、たまたまクリニックの近くに引っ越したのをきっかけにヒゲ脱毛を始めることになった
多分脱毛を考えている人にはこれが一番気になるところではないかと思うけれど
俺の場合は口周りと顎と頬のレーザー脱毛で税込30万円はいかなかった
現状について詳しくは後述するが10回程度施術して抜群の効果は実感しているがまだ脱毛完了には至っていない(≒ヒゲ剃りから完全に解放されていない)
俺の通っているところは一度支払ったら回数無制限で追加料金がかからないので、回数制のところと比べると高く見えるかもしれないが、(どこまで脱毛したいかにもよるが)髭濃いマンだと10回じゃ足りないと思うのでそれを含めて費用検討した方がいい
あとレーザー10回やってもまだ生えてくるので、光脱毛は止めたほうがいいと思われる
■施術について
多分費用の次に気になるのは「痛み」だと思う
レーザー脱毛とはレーザーにより毛を毛根ごと焼き殺すものだが、俺は「その感覚」を明確に感じた
要は(そのまんまの例えで申し訳ないが)「照射範囲の毛のと同じ本数の熱した細い針」で刺されるような痛みである
それを一回の施術で数十回行う
俺は比較的痛みに強いほうだが、ヒゲ脱毛の施術後はあまりの苦痛に涙と脂汗でぐちゃぐちゃになる
俺は頬の部分はあまり毛が濃くないタイプだったからいいもののモミアゲまで青ひげになる広範囲ヒゲ濃いマンだったらと思うと恐ろしい
また、回数を重ねれば毛が薄くなり痛みは減っていくというが、結局レーザー出力もあがっていくので相変わらず痛い
施術前にロキソニンを飲んでいくなどの対策を講じてみたが焼け石に水だった
何故俺は高い金を払って貴重な休日を使いこんな酷い目にあわねばならんのだと怒りとも悲しみともつかない感情が湧いてくる
そんな地獄を乗り越えても翌日からは毛嚢炎と通称「泥棒ヒゲ」の地獄がまっている
おおよそ3日程度続く
後者については、燃え残った髭が焼け爛れることによって太く見え、施術前よりヒゲが濃く見える状態だ
施術直後に抜け落ちる毛は全体の2〜3割程度であり、残りはまだ顔面に残ったままになる
不思議なものでこいつらはまだ生きてるのだ。なので伸びる。つまりヒゲ剃りが必要なのである
しかしレーザーでボロボロの肌に生える焼けカスになった毛を剃るのはなかなか大変なので結果的に普段以上にヒゲ濃いマンになる
だいたいこれが二週間くらい続く
なので施術後二週間くらい、特に直後数日は大事な用事は入れないほうがいい
逆に2週間すると焼けカスたちがポロポロ抜け落ち、ヒゲ剃り不要のゴールデンタイムに入るので、大事な予定の2〜3週間前に施術するのもいいだろう
ちなみに次の施術の予約は毛の周期に応じてクリニックから「次回は○週間(施術回数を重ねるほど増える)後以降に来てください」と言われるのだが、なかなかこの期間が絶妙で、ちょうど○週間経つと髭が目立ってくる
■現状
脱毛のデメリットを多く語ってきたけれど結果的にはヒゲ脱毛して本当によかったと思う
カミソリで撫でるだけで綺麗になるので、ヒゲ剃りが毎朝の歯磨きや洗顔程度の行為になった
ヒゲの密度が圧倒的に減ったからだ(エヴァンゲリオンの加持リョウジのヒゲの生え方をそのまま実写にしたような密度だ)
どのくらいヒゲ剃りが楽になったかと言うと、「マイカミソリを持たずに旅行に行けた」くらいである
この行為がどれくらい凄いかはヒゲ濃いマンならすぐピンときたかと思うが
マイカミソリを持参せず旅行するということは、もはやただの凶器と呼ぶ方が適切な使い捨てのカミソリでヒゲを剃らねばならないのだ
また「めんどくさければ1,2日程度ヒゲ剃りをサボれる」程度にもなった
これもヒゲ濃いマン以外には「たった数日」と思われるかもしれないが、清潔感を保てるのが半日までのヒゲ濃いマンにとっては、風呂や洗濯が数日に一回で無臭になったくらいの衝撃なのである
とにもかくにも対応が悪い。合同ゲームにSideMが参加するしないとかの次元じゃない。
なんで一言「コンセプトの都合上SideMは入れなかった」が言えなかったんだ。
キャストに聞かれなかったらスルー決め込むつもりだった?って思うような態度で笑いにされなきゃいけないんだよ。
あの下りが打ち合わせの段階で決まってたとしても決まってなかったとしても最悪すぎるわ。もしかして笑いのネタにでもなると思った?笑えないでしょ。
シリーズ合同です!っていいながら1シリーズ完スルー決め込もうと思ったら「そこふれる~?」みたいな笑い。
ゲームには参加しないけど、他の15周年プロジェクトで盛り上げてもらいますと建前ででもいえばよかったのに。
たった一言運営側の口から「SideMは参加しない」って言ってたらここまでの事態にはなってないよな。
何で言えなかったんだろうな。