はてなキーワード: 暴走とは
昔、と言っても大昔のことではなく9.11同時多発テロの記憶が生々しい頃だけど、「戦いよりも対話を」とか「処罰感情を満たすことよりも教育による更生と再犯防止を」とか「過度な自己責任論は止めて、社会的セーフティネットを」とか、そういったことをリベラルの人たちは言っていたと思う。
たとえ綺麗事とか理想論とか揶揄されても、あの頃は言っていたように記憶している。あくまでも、傍から見ていた者としての勝手な記憶だが。
私自身は自分のことをリベラルとは思わない(と言うか、己の思想的立場がいかなるものなのか、自分でもよく判らない)のだが、それでもリベラルの人たちからは学ぶことが多々有った(有る)と今でも思っている。人間、誰か一人だけが全て正しいという盲信を捨てれば、大多数の人間は誰でも大なり小なり正しい部分を持っており、したがって同様に学ぶべきところも有るものである。
しかし近年では、リベラルを自認する人たちの中に、自分と意見や思想が異なる人間に対して「あいつ(ら)は『あんな風』だから、口汚く罵られても構わない」「あいつ(ら)が『あんな風』なのはあいつ(ら)自身の責任だから、攻撃されても仕方がない」という態度や言動をあからさまに取る人が珍しくなくなってしまった。そういえば、まだ「ネトウヨなんかやっているのは、現実の生活が上手くいっていない人間が憂さ晴らしに暴れているだけ」という意見の方が主流だった頃、リベラルの人に「ネトウヨ的な人たちが暴走しないようにするためにも、社会的セーフティネットを構築する必要が有りますね」と提言したら「あんな奴らを救済する必要なんか無い!」と強い口調で言われて驚いたことがある。
他者との対話の可能性や、過ちを犯した人に対する教育による更生の可能性といった理想を、もはやリベラルの人たちは信じなくなった、或いは信じなくなりつつあるのだろうか?
リベラルの人たち自身が自ら掲げる理想を信じていないのだとしたら、これに非リベラルの人が耳を貸さないのも当然だろう。薬売り自身は「薬に効き目が無い」と思っているのに、それを売りつけてこようとしたら、売り込まれる側の人間は信用するだろうか?
コロナでどれだけ国民が余計に死んだと思ってるんだ、ってはてなーたちはいうけど。
後で「ああすべきだった、こうすべきだった」って言うのは簡単だ。
でも選択をする前に結果を知ることは当然出来ない。
コロナは一体どんなウイルスなのか。政府は何ができるのか。医学はどれだけこのウイルスを知っているのか。
でも時間は流れていく、止まってくれはしない。
便利で正しい言葉だ。
たとえコロナを克服できたとしても、死んだ感染者が戻ってくるわけではない。
だがそれで良いんじゃないか?
あらゆる事態を想定した結果、国民の命が危うくなっても、選ばなきゃいけない。
菅総理は選んだ。コロナの感染を抑えつつ、オリンピックを開催することを選んだ。
私は大して長く生きてもいないが、革新していることがある。
何かを変えることができる人間がいるとすれば、
その人は、
きっと、
人間性をも捨て去ることができる人のことだ。
何も捨てることができない人には、
何も変えることはできないだろう。
俺には「表」と「裏」の顔がある。
犯罪などは人生が詰むので絶対に犯さない。両親や友人や彼女に迷惑をかけてしまうからね。
将来は大企業などに就職して金持ちになろうとまでは一切考えてません。
良い家族に恵まれて最低限の暮らしが出来れば満足だよ、俺の人生
今は遊ぶ。やる時はやる時。
そう割りきって生きてるよ。
裏の顔、つまりネットでは自分で言うのもアレだがキチガイかもしれん
匿名で失う物が何もないからこんなアホな事を毎日飽きずに出来るんだろうな…
少し浮かれて暴走しちまったよ…悪いな…
冷静に社会的に考えたら大学生なんだし彼女とSEXするのもオフパコするのも普通な事
これで自慢とか我ながら痛い
自分より下の人間(ニートや童貞)に対して圧倒的な優越感に浸れる
そんな事もあり俺はうぬぼれていたんだ
いくらネット、そして増田とは言え俺みたいな平凡な人もいるし俺なんかより全然人生豊かな生活を満喫してる人だっている
正直匿名掲示板であり特定されない限り人生に影響はでず失う物が何もないからやらかしても恐怖感がない
全く何の問題もない
だが違う…
違うんだ…
いくら裏の顔…本来の俺ではないとしても嫌われるのは決して良い事ではない
憎まれるのは決して良い事ではない
変わろう。変わります。
今まで迷惑をかけすぎた
アンチの方々
君は学生時代から行動力があって、ちょっと傲慢で、自分の正しさを確信していて、「正しいこと正しい」と突っ走ることが多いゆえに、誤解も受けやすい人でした。
大学を卒業後、商社マン→経済紙記者→大阪での公募に応募しての中学校の校長と、目まぐるしくキャリアを変えていったらしいことは風の噂とネットの噂で知りました。
中学校の校長を辞めるにあたっては、色々なトラブルの報道も出て、遠くから少し気にはしていました。
その後、君が東南アジアに渡って記者の活動をしているらしいこともネットで知りました。
先程、テレビで記者会見をみていて、あー、とか、えー、とか挟みながら喋る癖は変わらないけれど、昔より声が低くなって、昔より周りの人への感謝とか素直に語れるようになったなあと感じました。
まあ、異常な体験の後でしょうから、これが今の君の本当の姿なのかはよく分かりませんが。
とにかく、無事に帰ってきてなにより。
君が見てきたことは、世界に伝えるに価値のあることだと思うので、今後の活動に期待しています。
とりいそぎ。
未だ法律で禁止になっていない、誰も知らないけど殺傷力のある武器を持っていて人をいたぶって虐待していると仮定しよう。
それがどのような残虐な行為か世間も知れば即座に法律を作り罰せられる可能性があるとする。
だが加害者はそんなものは無いという事にしていたいと考えるのは自然だろう。
世間が知れば法律もできて、自分の今までやっていた事が明らかになり、「何も悪い事はしていません」が通用しなくなるからである。
つまり未だ知られていない凶悪犯罪であっても、世の中にその存在を知らしめる機会さえあれば法律が即座に施行されうるという事だ。
トータルして集団ストーカー犯罪、テクノロジー犯罪というものが存在し、これはかなり凶悪な犯罪だという認識を世間が持つ事が必要なのだ。
昔暴走族を取り締まる法律が無くて、スピード違反、信号無視等で取り締まっていたのを、集団暴走行為として取り締まったように、
一つ一つの犯罪行為を一つ一つ罰していくのでは無く、集スト・テク犯もトータルで考え取り締まらないといけないし、法整備が必要。
(とはいえ集団暴走行為は分かりやすかったので簡単に法律が制定され、反対する人もいなかっただろう)
とはいえ集ストは分かりにくいし、分からないように行われる犯罪であり、多くの被害者が暴走族くらい被害状況を訴えたところで法整備は難しいというのが現実だろう。
自分は最初から東京オリンピックの誘致に反対だった。そもそも自分は体を動かすことがそんなに好きではないし、スポーツ観戦の習慣もない。もちろん世の中の大半の人間はスポーツ観戦を楽しめる人たちだということは知っている。世界的なスポーツ大会の開催はもちろん自由だ。でもそれなら観たい人のお金で開催すれば良いだろう。野球、サッカー、映画、演劇、F1、多少の補助金というのもあるだろうが、ほとんどの娯楽は観客の支払うお金でまかなわれているはずだ。それに引き換えオリンピックときたら莫大な国税と都税が投入されている。クソみたいなデザインの競技場(ねえ、本当に隈研吾のデザインって優れてると思う?)や広告代理店やぼったくり男爵やブラック・タイディングス(覚えてる?)の懐を潤すために自分の払った税金が浪費されていくのは本当に腹が立つ。金だけではない。街に醜悪なデザインの旗だの看板だのが並べられ、未曾有の伝染病に対する対策がぐだぐだになっている。それでも組織委員会だのIOCだのは「開催する」と強弁している。本当に狂っていると思う。正気じゃない。
でも、本音を言うと、自分はほんの少しだけ、このままオリンピックを強行してほしいと思いはじめている。崖に向かって全力疾走しているブレーキの壊れた暴走トラックについて想像してみる。危ない止まってほしい、でも、このまま止まらなかったら何が起こるのだろう、見てみたいという気持ちが少し湧いてきてしまっている。きっとオリンピックは大失敗するだろう。その破滅を見てみたい。もちろん組織委員会にもIOCにも、そして日本の政府にもメンツがある。あらゆる手を使って滞りなく開催されているように見えるよう粉飾するだろう。そしてきっとそれはそれなりに成功すると思う。色々苦しかったけどオリンピックは開催した。日本人アスリートたちもそれなりにメダルを取った。やっぱりやって良かった。でも、きっとその粉飾の隙間にどうしようもなく醜悪な実態が覗く瞬間が生まれるだろう。あるいは2,3年後、わずかにいる心ある人間はきっと2021年のこのオリンピックをいろいろな方法で振り返るだろう。それはジャーナリズムの形態を取るかもしれないし、あるいはアートの形態をとるかもしれない。もう税金は返ってこない。サンクコストと言うそうだ。それならば、1兆6000億円を投じた世界最大のインチキとその粉飾を、自分は見てみたい。
池江選手に対して五輪出場の辞退を促すようなSNS上の問題が取り沙汰されたり,
強硬開催がコンコルドと同じ轍を踏むことに当たるのか否かが議論されたりしているが,あまり本質的でない気がする.
アスリートに五輪開催に関する意図を問うことはお門違いに他ならないし,
かといってそういう論理を飛び越えたSNS上の暴走を非難したところで,もともと論理を飛び越えているんだから意味がない.
五輪のサンクコストを議論している人たちにしても,たしかに損切りした際のコストは見積もりが立つ.
しかし,継続した際の展望に関しては感染リスクや人命のみならまだしも,
国際的な信用,国民の医療に対する信頼感,医療従事者のモチベーションなど計上しがたい要素が多すぎて単純な比較もままならない.
こうやって議論が無遠慮に飛び火したり拡大したりしていくのは,開催するのかしないのかがいまだに不透明であるからで,問題の本質はそこ以外にないだろう.
一年延期してからの東京オリンピックは開催するにしろしないにしろ,血が流れることに違いはない.
ただ間違いなく言えることは,決断が遅いと流れる血が増えるということだ.
”多少国民を犠牲にしてでも開催による一部権益者への利益を優先する” とも
"自身の政治基盤や一部の権益との関係を損ねても,国民の命を優先する"とも表明しない.
メディア等に対する国民の一時的感情,有名人の意見表明や企業のアピール,そしてなにより開催日というある種の締め切りにより,
自身が主体的に決断することなく,国民全体の空気感で舵を切った形にするという,卑劣な責任逃れをしている.
間接民主制は代表者が代表者としての矜持と責任感をもって決断してこそ機能する.
愚策であろうと,裏で官僚が絵を描いていようと,決断することが代表者には枢要な職務だ.
そういった意味で,現在の政権,政治家は不健全と言わざるを得ないし,
問われるべきは,SNS上の倫理でも,アスリートの個人的な意見でも,コストバランスでもなく,政治制度を冒涜している代表者の怠慢だ.
とはいえ,じゃあ一国民としてはなにができるのか...それがわからない.
次の選挙に懸ければいいのか?
でも,五輪開催の決断には間に合わないだろうし,リーダーシップをとって俎上にのる人物がいるようにも思えない.
うーん.
結論から言うと、note筆者の「88cmと8kg」氏は、小さい頃から学校や街中など、あらゆる場面で女性に「キモい」と言われ続けたそうです。
フェミニストのみなさん、「キモい」は本当に本当に強烈な抑圧の言葉なんです|88cmと8kg|note
弱者男性だけどもうフェミニストをやめたい|88cmと8kg|note
仕方なく街を歩けば「キモい」「あいつはナシ」だの定期的に言われた。みんなこれが妄想に聞こえるそうだけど事実だ。男性だってそういうことを言われる。言ってきたのはすべて女性で、男性からは一言もない。今でも。
そして中学を出る頃には、こういう一部の男性は、「キモい」という言葉に強烈な苦手意識を持ちます。自分の名前が呼ばれる10倍以上「キモい」という言葉が飛んでくるような環境では、自分の名前よりもすぐに反応する言葉になります。
ゼミでも、学部でも少し喋れば「異様な雰囲気の怖いキモ男」だった。基本、女性にモテたい男性は、キモ男を、一緒にいると「格が落ちる」から無視するか、マウンティングの道具として利用しはじめる。結局俺はここでは男性からも孤立した。ホモソーシャルは最悪だ。でも知ってる。ああいうことをするのはモテるためで、一部の女性はそういう人を喜んで持ち上げてきた。ドラマやゲームで人気の男性キャラの特徴を思い出してみればわかる。
ここからは個人的な話になりますが、自分は今でも道を歩いていると女性に「キモい」と笑われることがあります。2か月に1度くらいの頻度です
「キモい」は、身近な人間から直接、何千回も投げかけられる言葉です。もう一度言いますが、多くの場合は自分の名前よりも多く投げかけられます
こういう経緯から、88cmと8kg氏は「キモい」という言葉に対して、極度の恐怖心と抑圧を感じています。
なので例えば、駅のホームで待っている時、女子高生たちが「キモい」という言葉を使って笑っている時は動悸がしますし、レストランで女性の友人と話している時相手が「キモい」という言葉で同級生を笑うとき、それが延々と続く場合は笑顔を作って席を外して心を落ち着けます
そして、一部男性に対する抑圧を象徴する端的な表現として「キモい」という言葉がある、という認識に到っています。
今の社会では女性は抑圧され、社会のあらゆるところに抑圧を象徴するものが転がっていますが、一部の男性にも似たような構造があります。そして数あるそれの中で、最も一般的で、最も象徴的な言葉が「キモい」なんです。
ここまではOKでしょうか。88cmと8kg氏は、主に女性に「キモい」と言われ続けてきて、そのことを強い抑圧と感じて苦しんできました。ここまでの話では、フェミニズム/フェミニストは出てきません。88cmと8kg氏の主張がフェミニズムとつながるのは、以下の文脈です。
フェミニストのみなさん、「キモい」は本当に本当に強烈な抑圧の言葉なんです|88cmと8kg|note
「女子高校生に「きもい」言われ立腹 傷害容疑で県立中央病院職員を逮捕|事件・事故|徳島ニュース|徳島新聞」
記事タイトルではまるで女子高生が見ず知らずの人にキモいと言って殴られたのように見えますが実際は全然違います。この記事によれば、
・突然あらわれた男が「家に来ないか」と声をかけ、
・「キモい」と言われ逆上し、逃げたところをしつこく追跡してきて、
という本当に酷い事件です。女性であるというだけで声をかけられ、断ると逆上され暴行されるという、ヘイトクライムそのものの事件です。 そして、こういった事件は現代では見逃されないし、勇気ある人たちは沈黙しません。「夜未成年がうろついてたから悪い」だとか、「キモいと言ったから暴力されても仕方ない」だとかいうセカンドレイプそのものの意見も、現代では正当化されず批判されます。自分はこの空気が救いです。強盗が起きて、強盗された側が悪いなんてことは決して絶対にありません。しかし、たくさんリツイートされたフェミニストのみなさんの意見の中にこういうものもあります。
として、以下の「フェミニストのみなさん」のツイートが挙げられます。
これに対して、88cmと8kg氏は、こう言います。
私はフェミニストでありたいと思っている男性です。弱者男性といったほうが多分すぐわかると思います。なので言いたいです。
今回の件は100%加害者の男性が悪いと言い切れます。しかし、「キモい」という言葉の致命的な力を絶対に忘れないでください。本当に強烈な抑圧の言葉なんです。汚い言葉を引用しますが、「ブス」とか「クソマンコ」や、「ニガー」などよりも強いかもしれません。なぜなら、一部の男性は、小学生くらいの幼少期から、女性の集団に1日何十回もその言葉をかけられ続けて尊厳を奪われているからです。それは一般的なことなんです。しかも、誰も真剣にそれをとらえません。こういったいじめが記事になったことが何度ありましたか?男性から女性はシャレになりませんが、逆は男性が「みっともない」からなんです。もしくは、自分が「キモい」から悪いんです。告発しても女性は無罪放免、怒った自分が先生に怒られるなんてことはよくあることです。席替えで「キモい」生徒の横に来た女子生徒が泣く行為が怒られた現場を見たことがありますか?
つまり、このnoteで88cmと8kg氏がフェミニストのみなさんに対して批判的なのは、
からです。だから、88cmと8kg氏はそうした「フェミニストのみなさん」に対して「「キモい」は、身近な人間から直接、何千回も投げかけられる言葉です。もう一度言いますが、多くの場合は自分の名前よりも多く投げかけられます。そして、多くのフェミニストはそれを正当化してしまうんです」「お願いなので、「キモい」という言葉を過度に正当化することはやめてください」と訴えています。「過度に正当化する」というところに含みがありますが、つまり、この言葉を何か/誰かを批判するときに普通に使うこと自体が、「キモい」という言葉とそれがもたらす差別を正当化しているんだ、という主張だと思います。
そして、このことが敷衍されて、弱者男性差別は存在するから知ってください、フェミニストはこれ以上差別しないでください|88cmと8kg|noteでの主張につながっていきます。
例えば「女は黙って朝飯作って帰りは正座で待ってくれてないと」のような差別的な言葉と「無職の男とか絶対無理キモい」のような差別的な言葉は同じくらい重い、そう言えます。特に後者の言葉は実際に人を殺せるヘイトスピーチなんです。
実際問題、自分はフェミニストのみなさんが入っているTLを見ると、自分に「有害な男性らしさ」が激しく発生していることに気づきます。それは「彼女も作れない人間はセクシストで、そのような人間の悲鳴はすべてミソジニー」というような意見をフェミニストが多くするのが原因です。男らしくならなければジェンダー平等を訴える人たちの間でさえ人間扱いされないどころか、セクシスト扱いされるのです。自分はミソジニストになるのを避けるために定期的に表アカウントからは離れています。だからインセルのようなろくでもない連中が、フェミニストが増えた後増える理由も正直わかります。いかれた差別主義者がわめくのは無視できますが、社会的正義の名のもとに差別を正当化される苦しみは無視できないのです。
嘘だと思うのなら、最も弱者男性が差別的なことを言っていて、かんたんに論破できるような「女をあてがえ理論」に対するフェミニストたちの反応を見てください。「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している。」、「その考えが差別的。特権意識から降りろ。」、その他諸々。なぜ、「女性が誰と結婚するかは個人の自由なので社会や国家が介入するな。」とだけ言えないんですか??なぜ、弱者男性をトランス女性とかアジア人のゲイとか入れ替えた時に、極めてグロテスクな差別発言になってしまうことぐらい差別を訴える人ならわかってくださいよ!「トランス女性とかキモい無理。男性の人権を侵害している。」「アジア人のゲイが他の人種と同程度に愛されたいと思うのは差別的」。そういう言葉なんですよ??「非処女とか汚い無理」とか森元総理でも言いませんよ?障害や貧困や差別で苦しんでいる中で、誰か一人にでも愛されたくても無理で絶望して今も首をを吊っていってる人たちに、無理とかキモいとかお前の孤独感さえ差別の証だだとか、それはもう加害欲求が暴走している、差別が楽しくてやめられない、としか言えないじゃないですか。おそらくは相手を人の言葉の通じないゴブリンか何かだと思っているのでしょう。ミソジニスト、ネトウヨ、白人至上主義者、その横に並ぶのが上の発言をした人たちです。最近も一緒になって車椅子の人の人権を訴えた人たちだったのに!!差別主義者の気持ちがわかった良い授業だったと思いますよ?
そもそも、ゲイも、トランスジェンダーも、在日コリアンも、ハーフも、黒人も、障害者も、相手を「キモい」と言って正義の名のもとに糾弾する光景をあまり見ないですが、フェミニストだけは例外です。先程もその光景を見ました。「キモい」なんて感情にしかよらない侮蔑語は、マジョリティの規範に依存する言葉です。上記の属性の人々を攻撃する最悪の矛として常用されているし、だからこそ理性による人権という盾で身を守ってきたのです。実際キモいからしょうがない、口をふさぐなと言うかもしれません。しかし、上記の人達は人権を訴える場所でその言葉は使いません。マジョリティにその言葉を使われる苦しみを知っているからです。性犯罪について裁判などで男性が同情されやすい特権があるのように、女性には差別しても批判されにくい特権があると言わざるを得ません。そして悲しいことに、差別と戦う人たちでさえそれを濫用してしまっているのです。
88cmと8kg氏にとっての弱者男性論の根幹は、長年にわたって女性から自分に投げかけられ、自分を傷つけてきた「キモい」という言葉への被抑圧感情と問題意識と、彼の観測するフェミニストのみなさん達が、女子高生暴行事件の犯人を批判するときや、その他の文脈(これについては直接の引用がないので、「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している」という発言が実際にあったかどうかはわかりませんが)で、「キモい」という言葉を普通に使っている、という認識にあります。その文脈で読めば、88cmと8kg氏の訴えがなぜ「女性とフェミニスト」に向かっているのか、より具体的に理解できると思います。
弱者男性差別は存在するから知ってください、フェミニストはこれ以上差別しないでください
https://note.com/mefimefiapple/n/n6b712e954db8
上記のnoteについて「何故女性やフェミニストに言うのか」「強者男性に言うべきでは」との意見がある様なので、何故なのか、読解してみようと思います。
予め断っておくとこれは女性やフェミニストへの攻撃の意図はありません、また件のnoteについても敵意は(受け止められている程には)大きくはないと判断しますが、それについても最後に触れます。
ではどのように読解すればいいでしょうか?いい方法があります。
以下の様に、国語のテストだと思って読解してみてはどうでしょうか?
このように国語のテストだと思えば、noteを読み込んで該当箇所を抽出するのも楽になる人も居る筈です。難しい問題や複雑な問題もゲームやテストだと思えば簡単に解けてしまう人はいるものです。
(これを「ゲーミフィケーション」という言葉に倣って「国語の期末テスティフィケーション」と呼ぶ(「国語の中間テスティフィケーション」でも可))
以下、幾つかのパートに分けて女性やフェミニストに向けられている理由と解釈できる箇所を抜き出します。
上記箇所の様に、このnoteでは女性も抑圧者・加害者になり得る事を繰り返し強調しています。
これがこのnoteの目的だとすると、明らかに女性に向けた方が効率的です。強者男性に向けて「実は女性も抑圧者になり得るんだ」と言っても「お、おう」と成るだけですし、むしろ告げ口に似てしまいます。だから女性本人に言う必要があると言えます。
また、男性が強者側に位置付けられたり、「抑圧者=男性」という図式が前提とされがちな現代では、そうでない側を殊更に強調する必要があり、そこに女性を対象にする必然性もあると言えます
(ただしその様な前提はテキストの外部から読み取る事なので、テキスト内で論理的に完結する必要のある国語のテストとしては回答に出せない部分になります)
上記箇所の様に、noteでは差別そのものに負けず劣らず、差別を否認し、正当化する事への非難に紙幅が割かれます。
例えば、
未婚男性の寿命の短さは無視される上男性の女性虐待の証拠になり、男性のメンタルの悪化と低すぎる幸福度は無意識化された特権意識のせいにされ、ホームレスと引きこもりさえも女性に厳しい差別的構造の例だとされます。
の様に、男性の差別的な境遇を問題化しようとしたときに、それが女性差別の問題へとすり替えられる様子が描かれます。
弱者男性差別そのものは強者男性・女性・フェミニスト共に加害者に成り得ますが、「弱者男性差別→女性差別」の様な差別の主題のスライドは、女性差別を取り沙汰したいフェミニストにしか動機がありません。
従ってこのような差別のスライドを問題にする限りでは、フェミニストの方々に向ける理由があるという事に成ります。
こうなるとフェミニストはもはや、「女性差別は気にするけど男性差別は気にしない」だけではなく、「女性差別は気にするけど男性差別は積極的に口を塞いで透明化する」というセクシストに見えます。
という箇所も同様でしょう。差別のスライドによって「男性差別は積極的に口を塞いで透明化する」という積極的な加害行動が問題化されます。
関連して、
フェミニストの方に考えてほしいのは、「男性差別はない」「あったとしても大きな声で言うのは女性の口をつぐむことだからいけない」という考えはこの時点でかなり人権軽視であったり、性差別的な言葉ということです
という箇所もありました。
ここについてもやはり、「男性差別はない」「あったとしても大きな声で言うのは女性の口をつぐむことだからいけない」といった発言をする動機が大きいのは女性やフェミニストです。対して強者男性にその様な発言をする動機は大してありません。
(例外としてフェミニストかつ強者男性の場合、女性フェミニストと同じ動機を持ち得ますが、当然その場合「フェミニスト」に重なっています)
似た箇所として、以下の部分も上げられます。
なぜ弱者男性が、ジェンダー平等を望む仲間のはずのフェミニストを攻撃してしまうのか、それは一部のフェミニストがジョージ・ワシントンだからということもあるでしょう。
ここでジョージ・ワシントンは「世界で最初の人権を宣言した憲法を書き上げながら、ネイティブ・アメリカンへの虐殺を差別だと認識できなかった」人物として言及されます。
この文意は「一部のフェミニスト」がジョージ・ワシントンと同様の構造(つまり、女性の人権を保護しながら、弱者男性への差別を認識できなかった)を持っている、だと解釈できます。その上で、
自分たちも白人も平等に殺す無法者より、人権を高らかに謳い上げるがお前たちは人間じゃないから殺されてOKと言う、ジョージ・ワシントンの方が憎く見えたでしょう。
という様に加害そのものより、差別の正当化や、「人権を謳い上げる」正義側に無視される事の苦痛が強調されます。
この点に着目した時、フェミニストは(時に露悪的な)強者男性よりも正義を僭称する機会が多く、正義側としての側面が濃い為、強者男性よりも対象にする動機が大きいと言えます。
この箇所では明確に、差別的な度合いが強者男性より女性全般のほうが大きい可能性を検討しています。
女性はこの差別の抑圧者として大きな存在です。上記の差別では明確に女性の影があります。私自身、街を歩いていて嫌悪や指をさして笑う行為、吐き気をするようなジェスチャー、そういったことを度々経験していましたが、すべて女性でした。
以上の様に、女性による直接的な差別や加害もnoteでは幾つか言及されます。
「彼女も作れない人間はセクシストで、そのような人間の悲鳴はすべてミソジニー」というような意見をフェミニストが多くするのが原因です。男らしくならなければジェンダー平等を訴える人たちの間でさえ人間扱いされないどころか、セクシスト扱いされるのです。
これに対して、女性は異性の「点数が低い人達(先程の結果からみると本来は平均的な人たち)」を排除したり、嫌がったり嘲ったりする形で攻撃します。
例えば「女は黙って朝飯作って帰りは正座で待ってくれてないと」のような差別的な言葉と「無職の男とか絶対無理キモい」のような差別的な言葉は同じくらい重い、そう言えます。
こうした直接的な加害は恐らく女性やフェミニストの方々の中でも一部の方がしている事で、女性やフェミニスト全体がしている事ではありません。
従って女性やフェミニスト全体へ向けてこれらの事を直接の告発として言うのは(丁度一部の男性が行った加害を男性全体に向けて非難するという、弱者男性問題の主要な問題の一つと同様)間違っていますが、
「ぶつかりおじさん」の様に、女性側からは見えにくい一部の女性の加害を知って貰う、という可視化としては意味を持ち得ます。
そしてこれらが女性側からは見えにくいのであれば、特に女性に向けて周知する意味があると言えます。
特にその中でも、
最も弱者男性が差別的なことを言っていて、かんたんに論破できるような「女をあてがえ理論」に対するフェミニストたちの反応を見てください。「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している。」、「その考えが差別的。特権意識から降りろ。」、その他諸々。なぜ、「女性が誰と結婚するかは個人の自由なので社会や国家が介入するな。」とだけ言えないんですか??
フェミニストが差別を糾弾する際、「キモい」「特権意識から降りろ」等の余計であったり部分的に適合しない侮蔑を含めてしまうケースが上げられています。
この箇所を「差別を糾弾する際に、別の差別意識が表面化し易い」という意味だと解釈すると、差別を糾弾する機会の多いフェミニストの方々に特に向ける意味があると言えます。
この貧しい家庭に生まれていじめで苦しむことも多い一生弱者男性(これは実際に統計的に全部正しいんです)は、下駄を脱げと言われても脱げる下駄がありません。むしろ、脱出できる可能性、助けてくれるまわりや、ケアしてくれる行政や団体の偏りを考えると、この層においては女性が下駄を履いていると言っても嘘になりません。この層に「下駄を脱げ」というのは、レイシストが「在日コリアンは特権を捨てろ、社会を牛耳ってる支配者のくせに弱者のフリをするな。孫正義を見てみろ。」というような最悪な言葉と大差ないのです。
この箇所はフェミニズムの文脈で男性に向けられがちな「下駄を脱げ」といった言説が、弱者男性の場合には適合せず(脱げる下駄が無い)、「在日特権」の様な存在しない特権の糾弾という、深刻な差別に成ってしまうケースが扱われています。
このようなフェミニズム言説への応答の箇所は、当然フェミニストへ向ける意味を持ちます。
また、
障害や貧困や差別で苦しんでいる中で、誰か一人にでも愛されたくても無理で絶望して今も首をを吊っていってる人たちに、無理とかキモいとかお前の孤独感さえ差別の証だだとか、それはもう加害欲求が暴走している、差別が楽しくてやめられない、としか言えないじゃないですか。
ゲイも、トランスジェンダーも、在日コリアンも、ハーフも、黒人も、障害者も、相手を「キモい」と言って正義の名のもとに糾弾する光景をあまり見ないですが、フェミニストだけは例外です。
の箇所の様に、フェミニズム的な批判に伴って加害欲求が暴走する可能性についても警告しています。ここもやはり強者男性に向ける意味はあまりなく、フェミニストへ向けて初めて意味がある箇所になります。
件のnoteを読み返しながら、国語のテストのつもりで関連しそうな箇所を抜き出してみましたが、結構あるものですね。
ただこれで全部ではないと思います。もしできれば、これを読んでいるあなたも国語のテストのつもりで挑んでみてはいかがでしょうか?
最後に、これまで追ってきたようにあのnoteは女性やフェミニストへ向けて書かれたものですが、「向ける」ということが「攻撃」や「批判」とイコールではない事は強調しておいた方が良さそうです。
現に彼自身、
だから、一部のフェミニストの方がしてしまったことも、不幸なすれ違いだと思うんです。「ただそんな人達がいると知らなかった」だけだと思うんです。なので、ジェンダーで苦しんでいる人間たちは一緒に戦っていける、そう思っています。理想主義的ですが、理想がないと進歩もありませんから。
と書いています。
この増田に付いても女性やフェミニストへの攻撃や批判の意図ではなく、あくまで彼の文章が女性やフェミニストへ「向け」られていた理由を読解する為に書いたものです。
もし彼のnoteやこの増田を読んで自分を責めている女性やフェミニストの方が居たら、自分を責め過ぎないようにしてください、責める事が目的なのではなく、知って貰う事が目的ですから。
彼のnoteは女性やフェミニストへ向けられていますが、それに応答するために女性やフェミニストの方がするべき事は、実はそれほど大きくはない、というのが私の解釈です。まずは「知る」「存在を認める」「積極的な加害はしない」ただそれだけの事で達成できる、ささやかなものなのです。(当然ですが、同様の事を私は女性差別に対しても行います)
そして私が言うまでも無く、彼のnoteへの反応の中で既にそれをしている女性が何人か居た事は知って居ます。そのような方々に尊敬と感謝を申し上げると共に、そうした方々が今後増える事を祈ります。
今回の主題からはズレますが、何故「弱者男性」を取り上げるのか?と疑問を抱いている方も居たので、ごく簡単にですが、ここにも読解を加えておきます。
私は「男性」という属性は、「ヘテロセクシャル」「健常者」といった単純に「強者」とみなしてもあまり問題が発生しないものではなく、特定の属性とつながるととても悪い影響をもたらす属性だと思っています。
「男性」に「障害者」、「貧困者」、「外見が悪い」などが付くと、「女性」にそれをつけた時より状態が悪化するということがあります。これが「弱者男性差別」です。
この箇所で言及されている通り、「障害者」、「貧困者」、「外見が悪い」等の弱者属性と「男性」が組み合わさった場合に特に悪化・深刻化するとすれば、
それは「弱者」単独でも「男性」単独でもなく、「弱者」+「男性」という組み合わせをわざわざ取り上げる強い動機を生む事になります。何故ならそのような悪化・深刻化は組み合わせないと発現せず、見えないからです。
20代前半から婚活サービスを利用し始め、途中彼女が出来たり別れたり、婚活市場を出たり入ったりと紆余曲折がありながらも、この度結婚に至ったため、振り返りがてら利用してきたサービスの感想を書いてみようと思う。
相席居酒屋、お見合いパーティー、街コン、結婚相談所、マッチングアプリと思いつく婚活サービスは一通り利用したことがある。
順番に感想を書いてみる。
正直言っておすすめしない。婚活でなく友達探しとしても効率悪すぎると思う。
女性は無料で飲み食いできるので、感覚として8割くらいが時間つぶしで来ている。
そういう場所だと割り切って安いキャバクラ代わりとして使うには良いんじゃないかな。イケメンやコミュ力高い人は楽しめると思う。
たまにぶっとんだ女性もいて、楽しいこともあるが、婚活として使うのはハードル高い。
お見合いパーティーにも種類があって、大きく分けて回転寿司型、合コン型、イベント型に分けられる。
・回転寿司型
メリット:開催頻度が高く、都内だと毎週末十数回は開催されてると思う
参加者の年齢層が指定されていたり、旅行好き、ゲーム好きなどテーマが指定されているため、ある程度ターゲットを絞り込むことは可能
男性は割高
まず回転寿司型だが、一般的にお見合いパーティーと聞いて想像されるのはこのパターンかな。
1人あたり5分程度の時間を区切って、順番に違う女性と話をするタイプのもの。時間になると男性が移動して、一つ隣の女性の席へ移るため、回転寿司タイプとはうまいこと言ったもんだ。
このシステムを体験するためだけに一度参加してみるのも面白いかもしれない。
基本的には事前に用意したプロフィールカードを見ながら会話するのだが、長くても1人10分程度しか会話できないため、自己紹介程度で時間切れになることが多い。
多くのパーティーで最後にカップリング発表があり、お互いにもう一度会いたいという意思が合致した場合、連絡先が交換できるシステムになっている。
逆にカップリングできないと連絡先も交換できないので非常に効率が悪い。何回かカップリング成立し、再度デートする機会もあったが、俺はその後発展することはなかった。
やっぱりもう少し会話する時間が欲しい。
・合コン型
メリット:回転寿司型と同様に年齢層やテーマが指定されているため、ある程度ターゲットを絞り込むことは可能
デメリット:グループを仕切れる位コミュ力がないと、好みの女性と会話をすることが難しい
次に合コン型
飲食店に集まる合コンのような形式。これも時間を区切って席替えがあるが、回転寿司型ほど短時間でもないし、同時に複数人の女性と会話が出来るので、回転寿司型よりしっかり相手を見ることが出来る。
但し男性側も複数人がグループになってまとめて席替えになるので、コミュ力が低いと気になる女性に話しかけられずに終わるパターンもあり、ある程度のコミュ力が求められる。
ダントツ可愛い子がいるとコミュ力高い男が独占することがままあって、最後まで話できない人がいる場合もある。
店を貸し切って行うタイプだと良いのだが、通常営業中の店舗を間借りしているタイプでは周囲の視線が結構恥ずかしい。
・イベント型
メリット:イベントによっては、趣味嗜好が近い異性と出会える可能性は高い
デメリット:拘束時間が長いため、参加者がイマイチな場合、時間が経つのが遅い
途中から自由行動になることが多く、リーダーシップ取れる人がグループに居ないと、グダグダになりがち
これは色んな種類があって、一緒にスポーツや謎解きを楽しむものから、バスツアー型のものもある。
趣味色の強いイベントだと、趣味が合う女性と出会いやすいと思う。
俺がお見合いパーティーで彼女が出来たのは全てイベント型だったので、成功率から言ってもわりとおススメできるタイプ。
合コン型とイベント型は連絡先交換自由なので、回転寿司よりも2回目以降につながる可能性が高いが、途中で主催者が居なくなることが多く、たまに暴走する男性が居たりする。
飲みすぎで腹を出して寝だす奴とか、寒いでしょう?と言いながら自分のコートを女性に押し付けようとする奴とか。嫌気がさした女性がイベント途中で帰ってしまうのも複数回見たことがある。
割とカオスだが、反面教師としては有効。絡まれてる女性を助け、その後デートにつながったこともあるので、スマートな振る舞いは身を助けることを思い知った。
お見合いパーティーは大手どころのIBJかエクシオ主催のパーティーに参加することが多かったけど、IBJの方がタブレットを使ったり、回転寿司会場も半個室になってたり、洗練された感じがして良かったな。
ただ、申込時に「女性満席です!」って書いてあったからワクワクして参加したら、実際は女性3人しか居なかったり、お前定員何人で設定してんだ?って問い詰めたくなるようなパーティーも複数回経験してる。
参加費用も女性は500円程度~に対して、男性側は5000円~と高額に設定されてるし、婚活男子舐めてるんだろうなと思う。ただ集客力のある代替イベントがあるわけでもなく、仕方なく参加させて頂いてた。
そこんとこ、ほんと何とかしてください。
実際行ってみないとどんな女性が参加してるか分からないのが最大の弱点かな。
イベント型や合コン型はとりあえず楽しんで帰ろうと思えるんだけど、ターゲットとしてる層の女性がそもそも参加してないと、特に回転寿司型は時間を無駄にしたって思いながら帰ったことも。。。
男性目線ではあまりデメリットと感じなかったが、参加条件に「年収●●万円以上~」「大卒以上~」と書かれているパーティーであっても、給与明細や卒業証明書などの提示は必要なく、自己申請のみでOKだった。
身分証明も免許証を提示すればOKだったので、既婚者が紛れ込んでても分からないだろうなと思った。
ある日、1日に2回お見合いパーティーに参加し、1回目で出会った女性と2回目で再会したことがあり、かなり気まずかったが今となれば笑い話だな。
ちなみにその女性は後日マッチングアプリでも見かけたので、最早運命じゃないかと思ったが、いずれもマッチングしなかった。
近隣の複数の居酒屋で同時に合コンをやっている感じ。合コンっていうよりも、どっちかというと立食パーティーに近いかな。
参加人数が多いイベントが多く、どうしても可愛い子と出会いたいという場合は確率的に悪くない選択肢だと思うが、参加人数が多すぎで訳わかんなくなることが多い。
あと、婚活パーティー型と違って指定席ではないので、可愛い子の周りには人だかりができてるが、そうでない子との差が激しすぎて、なんだかなぁ・・・と思うことも。
俺が参加したイベントがたまたまそういうタイプだったのかもしれないが、主催者はもうちょっと配慮してあげてほしい。
正直10年近く前に、2回しか参加したことないので、最近の事情はどうなってるか分からん。正直あまり詳しくない。すまん。
当時は街コンブームだったので、最近はいろいろ状況が変わってると思う。
メリット:プロフィールや写真である程度絞り込んでから出会えるので、効率は悪くない。
身元がしっかりしているので、ネットワークビジネスの勧誘やサクラに気を使わなくて良い
費用が他と比べてダントツに高いので、それなりにしっかりした女性が多いのかと思いきや、変な人、というか価値観の合わない人と出会う率は一番高かった。
ひたすら質問ばかりしてきてこちらの質問には全然答えてくれない人とか。どちらかと言うと受け身の女性が多い気がした。
最初から1対1で対面する時間が長いので、お互いの嫌なところも見えやすく、結果として価値観が合わないことが分かりやすかったのかな、とポジティブにも捉えらえると思う。
相談所婚活の流れとしては、プロフィールを見てお見合い申し込み⇒お見合い⇒仮交際⇒真剣交際⇒プロポーズ・成婚退会だが、俺の入っていた相談所は、仮交際までは何人と交際してもOKというルールになっていた。
お見合い後に仮交際が成立した場合、当日中に男性側から女性へ電話をかけるファーストコールというルールがあるんだが、これがまぁ繋がらない。
俺は退会するまでに5,6人と仮交際になったんだが、初日に電話が繋がったのは1人だけだった。酷い相手だと1週間音信不通のこともあった。
仮交際成立後も、LINEしても返事来るのが数日後、とかはざらにあった。
俺がたまたまそういう女性ばかり選んでしまってる見る目のない男なのかもしれないが、お互い社会人なんだから基本的なルールは守ろうぜ。
とはいえ、お見合いが成立した場合は、少なくとも1時間はじっくりと話す時間があるため、元ヤンから元アイドル、契約社員からバリキャリまで、普段出会えない色んな人の色んな話を聞けて面白かった。
相談所によっては親身にアドバイスをくれるところもあるらしいので、恋愛経験の少ない人には良いと思う。俺の入っていた相談所は質問に対して明後日な回答しか出てこなかったので、あまり頼らなかったが。
サポート重視の人は入会前に相談所をしっかり吟味した方が良い。
なんだかんだ退会前の肉体関係が禁止されてるのが地味につらい。俺は退会後いろいろあって結局婚約破棄になったのだが、体の相性の悪さも婚約解消の(一部だが)要因となったことは事実。
メリット:直接会う前にメッセージ交換が出来るので、ある程度人柄を推し量ることが出来る
費用は安い
デメリット:玉石混交。本気で出会いを求めている人も居れば、どう見ても情報商材屋だろうっていうプロフィールの人も居て、嘘を嘘と見抜けないとマッチングアプリは難しい。
なんだかんだで一番おすすめ。妻と出会ったのもマッチングアプリ。俺が婚活を始めた十数年前は、まだ出会い系のダークな印象が強かったけど、この5年ほどで一気に市民権を獲得して使いやすくなったのは大きい。
出会う前にアプリ上でメッセージをやりとりできるから、実際会ってみて「何こいつ?」ってなることは逆に相談所より少なかった(ゼロじゃないけど)。
マッチングしてうまくいくにはある程度コツは要る。俺自身はマッチングアプリも入退会繰り返してたけど結婚相談所辞めた後に再開したら思いの外うまくいった。相談所での経験が活きたんだと思う。
20代後半で初めてマッチングアプリに挑戦した時はなかなか好みの女性とマッチングできなかったが、30代中盤になって再挑戦したら意外と可愛い子とマッチングできる。(ただし相手も同年代な。若い子とのマッチングは無理)
たぶんライバルのイケメンたちが婚活市場から居なくなって、俺みたいなフツメン以下にも可愛い子が回ってきやすくなる年代なんだろう。
今モテなくて悶々としてる20代も、30中盤まで待てれば可愛い子と出会える確率は上がると思うよ。但し年齢分、外見の洗練と心の成長は必要だからな。待ってりゃ良いってもんでもないぞ。
結局結婚するまで8人の女性とお付き合いしたけど、実生活で出会ったのは2人だけで、あとは何らかのサービスを使ってた。
内訳は
相談所1人
アプリ1人
だった。特に30代になってからは身近な出会いが無くなったので重宝した。
振り返れば結婚に至るまでお見合いパーティーには40~50回は参加したし、マッチングアプリでも100人以上の女性にいいね!を送り続けた。
お見合いパーティーの自己紹介だけで終わった相手もカウントすれば、数百人の女性と出会い続けた十数年だった計算になる。
アプリやお見合いで数人出会っただけで上手くいかないと挫けている人がいたら、もっと断られ続けてた奴がいるぞと、励みになってもらえれば嬉しい。
出会いの数を増やすだけで上手くいくことはないし、トライ&エラーでファッションやトーク力も向上させる必要があるのは間違いない。
それでも諦めずに出会い続ければ、いつかは素敵な人と出会えると思う。
妻は同い年なので決して若くはないが、めちゃくちゃ可愛いし、精神的にも自立した素敵な女性だ(俺より学歴も年収も高い)。
婚活中はつらいことも一度や二度じゃなかったけど、こんな素敵な女性に出会えた自分は幸運だと思うし、諦めず出会い続けた自分を褒めてやりたい。
あくまで俺の経験則なので異論もあるだろうが、最後はノロケで終わらせてもらう。
・追記
思いの外伸びてるので驚いてる。
俺の表現が拙いせいで、相談所には変な人しかいないと誤解している人も居そうなので、少しだけ補足しておく。
俺個人としては相談所もマッチングアプリも、一定の割合で価値観の合わない人は居て、その上で、直接会う前にメッセージ交換できるのがアプリ最大のメリットだと思ってる。
例えばアプリのプロフィールに「旅行が好きです」と書いている人に対し、「今まで行った旅行先でどこが良かったですか?」とメッセージを送ると「沖縄です!」みたいな一言回答しか返信しない人、めちゃくちゃ多い。どうやってコミュニケーション取れっちゅうねん?あとは一発目のメッセージからタメ口で送ってくる人とか。
こういう人たちは申し訳ないが直ぐに切っていたので、直接会った人の3倍はメッセージだけで終わった人が居る。
相談所でのお見合い通過率も大体3分の1程度だったので、価値観が合わない人の割合はだいたい一緒じゃないかな。
相談所も事前にメッセージ交換できる機能を付ければ悲しいお見合いの数も減って良いと思うんだけど、お見合い料で稼いでるところもあるから難しいんだろうな。
アプリでは少なくとも見た目なりプロフィールなりに興味を持ってもらえた上でメッセージ交換をしているはずなので、いつもメッセージのやりとりばかりで直接会えないっていう人は、「いい人は会ってくれない」と嘆くより、自分の送ったメッセージを見返して改善できないか考える方が建設的だと思う。
(中にはいいね稼ぎ目的の男性もいるらしいから、あまり根を詰めると精神衛生上よくないと思うので、ほどほどに)
アプリが合う人、相談所が合う人、それぞれだと思うし、俺個人として相談所はあまり合わなかったという話でしかないです。相談所をディスってる訳ではないので、念のため。
あと、妻の年齢についてのブコメが伸びてるみたいだけど、トップブコメの人が言いたいことを補足して頂いてました。ありがとうございます。
一点追加すると、相談所のブログなどで聞きかじった知識では婚活男性の中には年下女性至上主義の人が結構居るらしくて、その人たちにも対して、同年代に目を向けても素敵な女性は居るよ、っていうメッセージを伝えたかったのです。それ以上の他意はありません。
・追記2
めぞん一刻では、一人旅に出た五代が響子以外の女性を相手に初体験を遂げるという筋書きを、作者の高橋留美子は考えたと聞いたことがある。結局のところ、五代は悪友に誘われてソープランドに行ったが。
当時、男性が主人公に据えられたラブコメ作品は、主人公にとってヒロインは最初で最後の女性であるという形式が主流だったと思う。しかし、めぞん一刻のヒロインである響子は、主人公以外の男性を知っているという意味では主流から外れていた。一人旅の旅先で初体験をするというアイデアも、物語の結末で最終的に結ばれる相手以外の異性を知っているという意味で、五代と響子を対等な関係にするという意図が有ったのだろう。
うる星やつらも、ヒロインのラムは主人公の諸星あたる以外の男を知っているので、この点は音無響子と同じである。しかも、おそらくラムが元彼のレイと付き合ったのは、単にレイがイケメンだった(※人間形態時)からである。その上、後から登場するテンの存在は、実際の作品上での設定はラムのイトコであるが、要するにコブ付きの結婚や男女交際のメタファーであることは想像に難くない。
絵柄がかわいいし、ほとんどの場面では虎縞ビキニ姿というセクシーな姿で描かれているから忘れがちであるが、そもそもラムは別に、男性にとっての理想的ヒロインではない。当初はヒロインとして三宅しのぶが予定されていたが、読者の反応が良かったからラムにヒロインの座が回ったという意味で言うのではない。
味覚の好みは異なるし、コブ付きだし、すぐ暴力を振るうし、元彼を選んだ理由は面食いだからだし、要するにラムは普通の、愚かな部分も併せ持つ女性なのである。これは別に悪口で言っているのではない。
うる星やつらもめぞん一刻も、そこで描かれる男女たちは均しく愚かである。現実世界の我々と変わらず、彼らは等身大の人間である。もちろんうる星やつらに登場するのは宇宙人だの幽霊だ大財閥の跡取りだの様々だが、私が言いたいことは分かってもらえるはずだ。
彼らは、人間の逃れ得ぬ本質として、欲望だって持っているし愚かだから、若さゆえに何となく見た目で相手を選んで交際に踏み切って、結果として失敗したりもする。音無響子が高校を卒業して間もなく、母校の教師だった惣一郎さんとの交際・結婚に至ったのだって、ある程度は響子の若さゆえの未熟さや愚かさに起因する暴走という側面が有ったであろうと思う。読者も大人になると、響子の父親が惣一郎さんとの結婚に反対だったことにも何となく共感できるようになる。卒業まで待ったとはいえ、教え子に手を出した形だし。しかし、人間は生きていれば色々有るものである。元カレや元カノがいたり、周囲から良く言われない交際や結婚をしたりするのも、よく有る、ありふれた話である。
話が少し逸れたが、男性作家・編集者が男性読者向けに作る作品で、ヒロインが主人公以外の男性経験が無いとか、逆に主人公が最終的に結ばれるヒロイン以外の女性を知らないように描かれることは、当時から既にウソ臭い描写になりつつあった。だからこそ高橋留美子は、ラムや音無響子のヒロイン設計に一癖を持たせたし、五代にも響子以外の女性との性体験を持たせようとしたのだろう。
作者である高橋留美子は、作品を通じて「それで良いのだ」と言っている。人間は、生きているかぎり失敗だってするものである。しかし、そんな愚かさも含めて、だからこそ、人間は愛おしい存在なのである、と。
高橋留美子作品のヒットを受けて雨後の筍のように、美少女や美女が大勢登場する後続漫画作品が多数生まれたが、このような人間の内面に対する理解や暖かい(しかし生温くはない)人間観までも見習うことができた後続漫画作品は少なかったと今でも思う。
ここではヒロインたちのことばかり書いてしまったが、もちろん男性キャラたちも平等に馬鹿な感じで描かれている。梅を口にして酔っ払ったラムが、教室で学校の制服を脱ぎ出したの見て、男子生徒たちが興奮で色めき立つと、それを見た女子生徒たちが「バカじゃないの?普段着姿(虎縞ビキニ)になっただけじゃん」と呆れる場面。水乃小路家の一人娘(トンちゃんの妹)との見合い話を渋る面倒終太郎に「もったいない。婚約して許婚になれば堂々とすけべえができるのに」と身も蓋もない誘惑の言葉を面倒の父親が言う場面。これらの場面やキャラを描きながら、しようがない困った奴らだなと作者は苦笑しつつも温かい眼差しを注いでいたのだろうと、ついつい想像してしまう。
オリンピック開催中にアフリカ系アメリカ人の一人から変異体のウィルスが発見された。そのウイルスはまたたく間に東京を覆い、その中から意識を通じる能力を獲得する者達が現れる。その頃米国のCIAは中国が秘密裏に開発していたコロナウィルスの変種が存在することを突き止めた。CIA諜報員□□は日本に発生したPSY体質の者達に接触する。
封鎖が続く日本にて、新たな国中国が誕生する。その生誕はまるで集団的な意思を持っているかのように思えた。しかし、神性民主主義共和国を掲げたその集団は客観的に見ても生産手段を持たなかった。
一方中国では、日本の中に発生させたナノマシンが暴走したことを懸念していた。それはコロナウイルスに偽装された形で持ち込まれ、爆発的に自己増殖するようにプログラムされていた。しかし、そこから新たな能力を獲得する人類が誕生することは想定外であった。
共和国の者達は世界中の情報という情報を収集し始め、その情報を輸出産業として切り売りし始める。この姿勢に世論は共和国への避難を強めたが、国家のコントロールを考える各国元首たちの耳には届かない。やがて共和国の狙いが、ナノマシンを主体としたナノ・グリッド・コンピューティングを形成することである、と言う事実が□□によって判明した。彼らは『バベルの塔』と呼ばれる巨大建築物を作り出し、すべてはナノマシンに支配され、同調すべきであるという指針を打ち出すのだった。
辛くも日本から逃げ延びた□□は、この凶行を前にして軍事的作戦に乗り出すよう米国の指示を仰ぐ。しかし上層部の足並みは揃わず、ナノマシンによる侵食は世界の半分を覆い、世界は2つに分断される。
補足:作り方によっては二部構成も作れる。
オリンピック開催してアスリート並びに関係者がコロナ広めた脳みそ筋肉の大罪人としてリストアップされるのを待ち望んでるからアスリートに辞退を求める人達の気持ちがわからない
原作だと高度なナノマシン技術があるから、それで実現不可能そうな色々なことが実現されているのではないだろうか
義体の全身の神経網はナノマシンで掘り進め?られて作られていたと思う
つまり、神経線維レベルの大きさのロボットが実現できていたと思う
(もっとも、病院のCTのような外部からの磁力で誘導しているような描写もあった気もする。似たような試みは現代にもありはするが
光学迷彩に関しては、東大などのプロジェクターなどを使う方法では当然実現不可能であり、
作者的には多分、物性とか素材の範疇で、CGの環境球みたいなものもそれで受け取れるし、
環境球の様な情報を元に発光するような微小な要素で衣服などが構成されているのではないかと私は考える
もちろん、そんなことは現在の科学技術では不可能ではあるが、SF的なありえない未来のナノマシン技術は便利な道具で、
例えば銃夢でもナノマシンでなんでも構成されていたりするため、かなり無茶苦茶なことができてしまっている
原子分子のレベルのロボットとか、カメラとか、発光する何かとか、漫画に比べれば不完全なものは実現できてるけど、
実現できたとしても、まだまだずっと先の話に思える。
それより、アップルシードのブリアレオスとかの方が攻殻機動隊よりも未来なのに実現できそうな気がする
というか、中国が台湾やフィリピンと小競り合いを始めて第三次世界大戦につながるのなら、
これから来たるべき世界は攻殻機動隊よりアップルシードのような世界かもしれない
ランドメイトが実現する意味があるかはよく分からんが、そんなもんより今熱いのはドローンである
無人の爆撃機は当然、これからは戦車や装甲車も無人になる日が来るかもしれない
AIやMLでボタンを押せば勝手に命中させるぐらいの精度になったり、
もっとも、自動運転の戦車や装甲車を実現するためにDARPAチャレンジが行われていたりもしたが、
余裕でアメリカ大陸横断を走破できるとは言い難い代物であり、今でも実現に難はあるだろう
しかし、戦場を走行するのと、そのへんの市街地を走行するのなら、
戦場なら狭い路地を丁寧に走行する必要もなく、人を轢き○して問題になることも減るかもしれない
人と共存する環境での走行を実現するのは難しいが、戦場なら問題なくなるかもしれない
(もっとも、現在のアメリカ軍では完全に自律したドローンの導入は否定的である。つまり、勝手に走行し、勝手に敵を撃つ、という人間の判断を挟まないロボット兵器には否定的であり、電子戦というか電波が妨害されて墜落、場合によっては乗っ取られるリスクがあっても、無線による遠隔操作を重視している。よって、人類初のAI爆撃機が空母を離着艦したあのニュースは例外的なものといえるかも知れない。あくまでそういう試みであって、ナイトライダーや映画に登場する人間と会話するステルス戦闘機みたいなものはまだまだ実現は難しく、できたとしてもロボットが暴走した場合などを想定する軍に導入は否定的であろう
考えてみれば、デュナン・ナッツの父親カールは、今のアメリカでいうところのプレッパー、
ミリシアみたいな人たちの中にいるとも考えられる
いわば第三次世界大戦を想定して、自分の娘を訓練し、鍛え上げたからである
実際、今のアメリカでは過激なミリシアやプレッパーが来たるべき戦争に備える名目で、