はてなキーワード: コブ付きとは
すずめの戸締りを金ローでみた。
終始、震災を扱う手つきが雑で、物語のエモの舞台装置にされていて不快感があった。
以下、ネタバレ注意。
見てて気になったところ。
震災は「閉じ師」が封じられるという世界観なので、大震災が起きたところは「しくじった」とされる。
人間の及ばないところだからこそ納得せざるをえなかった生死が、震災を操作できるものにすることで、個人の責任に帰結してしまう。あまりに自然災害の本質とかけ離れている。
・「人の想いがその地を沈めてきた」というセリフ
じゃあ大震災の起こった土地はその想いが足りなかったんですか???と詰め寄りたくなってしまう
・おばとすずめの言い合いの言葉のえげつなさ、なのにテンプレートなところ
「あなたがいるせいで家に人も呼べず婚活も上手くいかない」「重いの!」という言い合いのなんかいきなり生々しくエゲつないとこ、でもリアリティがないとこ。
いや、なんか新海誠の思い描く「アラフォーの独身女の苦悩=コブ付きのせいで婚活上手くいかない」っていうテンプレ感というか、取ってつけた感。今までバリバリのキャリアウーマンで年下の同僚からの恋心にも気づかなかった叔母さんの人物像とかけ離れてね?
そんで言い合う叔母さんの顔に、今までなかったほうれい線が出現して醜くなる。
「ヒステリックってブスだよね〜」みたいな偏見があるのか?という穿った見方をしてしまう。なんでおばさん、いきなり老けた?
つーかこの言い合いは、新海誠曰く「前に進めるように、ダイジンの親切」らしいけど、ハア?? 自分で選びとった言葉じゃないなら何の意味があるんだよ、この会話。
叔母さんが必死に隠してきたことがあるとして、それをすずめに伝えるとして、それが彼女の意志でなければ前に進める訳ないだろ。
・ダイジンが震災孤児だという無神経さ、そして救われないのかよ
ダイジンはかつての震災孤児が要石として名乗りを上げたらしい。この設定、いや、絶句するんだが。悲しい過去!とか自己犠牲!とか、そういう泣きのために入れていい設定じゃないだろ。なんで震災孤児がそんな苦痛の自己犠牲の選択をして、解放されて誰かの子供になれるかと思ったら無理で、また自己犠牲に戻るなんて言うストーリーを安易に作るんだよ。本当に手つきが雑!震災は感動エモ泣きのための舞台装置じゃないが…?
・結局世界は何も変わらない
すずめがうっかり抜いた要石を元に戻した。起こった現象としてはそれだけだ。別につらい役目を担っていた要石のダイジンが解放されるわけでもなく、閉じ師の運命から草太が解放されるわけでもない。
世界は前には進まない。ただすずめが、「おばさんと本音を言いあえたし過去の自分を抱きしめられた」だけだ。
では感想(劇場から帰宅して勢いのままに書いてるのでパンフも絵本も小説も未見)。
めぞん一刻では、一人旅に出た五代が響子以外の女性を相手に初体験を遂げるという筋書きを、作者の高橋留美子は考えたと聞いたことがある。結局のところ、五代は悪友に誘われてソープランドに行ったが。
当時、男性が主人公に据えられたラブコメ作品は、主人公にとってヒロインは最初で最後の女性であるという形式が主流だったと思う。しかし、めぞん一刻のヒロインである響子は、主人公以外の男性を知っているという意味では主流から外れていた。一人旅の旅先で初体験をするというアイデアも、物語の結末で最終的に結ばれる相手以外の異性を知っているという意味で、五代と響子を対等な関係にするという意図が有ったのだろう。
うる星やつらも、ヒロインのラムは主人公の諸星あたる以外の男を知っているので、この点は音無響子と同じである。しかも、おそらくラムが元彼のレイと付き合ったのは、単にレイがイケメンだった(※人間形態時)からである。その上、後から登場するテンの存在は、実際の作品上での設定はラムのイトコであるが、要するにコブ付きの結婚や男女交際のメタファーであることは想像に難くない。
絵柄がかわいいし、ほとんどの場面では虎縞ビキニ姿というセクシーな姿で描かれているから忘れがちであるが、そもそもラムは別に、男性にとっての理想的ヒロインではない。当初はヒロインとして三宅しのぶが予定されていたが、読者の反応が良かったからラムにヒロインの座が回ったという意味で言うのではない。
味覚の好みは異なるし、コブ付きだし、すぐ暴力を振るうし、元彼を選んだ理由は面食いだからだし、要するにラムは普通の、愚かな部分も併せ持つ女性なのである。これは別に悪口で言っているのではない。
うる星やつらもめぞん一刻も、そこで描かれる男女たちは均しく愚かである。現実世界の我々と変わらず、彼らは等身大の人間である。もちろんうる星やつらに登場するのは宇宙人だの幽霊だ大財閥の跡取りだの様々だが、私が言いたいことは分かってもらえるはずだ。
彼らは、人間の逃れ得ぬ本質として、欲望だって持っているし愚かだから、若さゆえに何となく見た目で相手を選んで交際に踏み切って、結果として失敗したりもする。音無響子が高校を卒業して間もなく、母校の教師だった惣一郎さんとの交際・結婚に至ったのだって、ある程度は響子の若さゆえの未熟さや愚かさに起因する暴走という側面が有ったであろうと思う。読者も大人になると、響子の父親が惣一郎さんとの結婚に反対だったことにも何となく共感できるようになる。卒業まで待ったとはいえ、教え子に手を出した形だし。しかし、人間は生きていれば色々有るものである。元カレや元カノがいたり、周囲から良く言われない交際や結婚をしたりするのも、よく有る、ありふれた話である。
話が少し逸れたが、男性作家・編集者が男性読者向けに作る作品で、ヒロインが主人公以外の男性経験が無いとか、逆に主人公が最終的に結ばれるヒロイン以外の女性を知らないように描かれることは、当時から既にウソ臭い描写になりつつあった。だからこそ高橋留美子は、ラムや音無響子のヒロイン設計に一癖を持たせたし、五代にも響子以外の女性との性体験を持たせようとしたのだろう。
作者である高橋留美子は、作品を通じて「それで良いのだ」と言っている。人間は、生きているかぎり失敗だってするものである。しかし、そんな愚かさも含めて、だからこそ、人間は愛おしい存在なのである、と。
高橋留美子作品のヒットを受けて雨後の筍のように、美少女や美女が大勢登場する後続漫画作品が多数生まれたが、このような人間の内面に対する理解や暖かい(しかし生温くはない)人間観までも見習うことができた後続漫画作品は少なかったと今でも思う。
ここではヒロインたちのことばかり書いてしまったが、もちろん男性キャラたちも平等に馬鹿な感じで描かれている。梅を口にして酔っ払ったラムが、教室で学校の制服を脱ぎ出したの見て、男子生徒たちが興奮で色めき立つと、それを見た女子生徒たちが「バカじゃないの?普段着姿(虎縞ビキニ)になっただけじゃん」と呆れる場面。水乃小路家の一人娘(トンちゃんの妹)との見合い話を渋る面倒終太郎に「もったいない。婚約して許婚になれば堂々とすけべえができるのに」と身も蓋もない誘惑の言葉を面倒の父親が言う場面。これらの場面やキャラを描きながら、しようがない困った奴らだなと作者は苦笑しつつも温かい眼差しを注いでいたのだろうと、ついつい想像してしまう。
男のメンヘラって、議論されるときに暴力型が見過ごされてる気がする。
女のメンヘラといえば地雷メイクとかいうジャンルができるほど明確にパブリックイメージあるしそれは結構実像に近い気がするが、男のメンヘライメージって鬱で覇気のない死にそうな顔したのが精々じゃん?勿論それも病んでるが、所謂メンヘラ女に近いのって短絡的な暴力振るうタイプの奴だと思うんだよね。
よく子殺しヤンキーでも女に選ばれて~って文句言ってる奴いるけど、血も涙もないサイコ野郎だと仮定したって実際連れ子殺したり大けがさせて逮捕される奴なんて頭悪い以上に精神的に病んでるでしょ。自分の将来潰れると分かってても子供を殴るのをやめられないし、コブ付きのめんどくさい女なんか捨てときゃいいのに離れられず虐待。5歳の連れ子殺した学歴コンプ野郎だってただの粗暴野郎じゃなくて、歪んだ所有欲としか思えない言動。どう考えてもメンヘラだけど、単にクソ男で済まされる。
そして暴力型メンヘラ男は何故か異性に一定の需要がある。上述した連れ子殺し事件が起きている以上それは否めないし、女殴るヒモだって計算づくの奴はそこまでおらず彼らが泣いて縋る時はマジで反省しているつもりの情緒不安定なメンヘラである。
つまり、女メンヘラの「理解のある彼くん」に該当する存在は「殴られてもお金や子を産んでくれる懲りない幸薄い彼女」なのだ。無論薄幸彼女がメンヘラだったりメンヘラ化することもあるが、ぶっちゃけ「理解ある彼くん」もかいてないだけでアレなとこがある場合も多い(ど根性ガエルの娘しかり)ので結局男女問わず「モテるメンヘラ」と「モテないメンヘラ」がいるだけなのではないか。女は体に需要ある!っていう奴もいるが、一回だけやりすてされたり妊娠させられたり暴力で奴隷みたく扱われたりするリスクのぶん考えれば得かどうかは…
親のエゴは百も承知で、それでもここならそんな人がいるかもしれないなと思って書いてみる。
まだ0歳の子供はもう死ぬほど可愛い。超高齢出産で、生まれてきてくれてありがとうと感謝しかない。
自分が選んだ道だから自分は全く後悔がないけど、子供は自分で選んだわけじゃないから。
だけど、自分は結婚には全く向かない性質だってわかったし、もう結婚はいいやと思っている。
父親を作ってやりたいなら再婚すれば一番早いのはわかっているけれど、
現実、稼ぎも美貌もないコブ付き高齢ババアと誰が結婚したいか、いや無理だろって。
もういいって言う前に無理だろって流石にわきまえてる。
母親から離れたくなったときや、男親の存在が抑止力になるような場面や、
人生のアドバイスが欲しくなった時に、頼れる男性の存在はあったほうがいいと思う。
母親以外で、『自分を特別な存在として気にかけてくれる大人』は必要なんじゃないかって。
祖父母はいるけど、きっとそんなに長くは一緒にいられないから。
だから、誰か、『父親役』をやってみたい人がいないか、探している。
ただ、子供が求めた時に、『父親』を本気で演じてくれる男性が欲しいんだ。
職業も収入も問わないけど、子供にプレゼントを用意できるくらいの余裕はあってほしいかな。
年齢は、自分を棚に上げてなんだけど、できれば若ければ若いほうが嬉しい。子供と長くつきあってやってほしいから。
できれば一生、本気で、自分の子供として愛してくれると嬉しい。
ここに書くのは、特に面白い話はなく、ただただ自分に起こったことを何処かに吐き出したいだけの内容しか書いてない。
本当はTwitterとかに書きたいは書きたかったんだけど、内容的に知り合いに言いたいけど、
でもそれを言ってしまうと気を使わせてしまうし、使われてしまうのも嫌だけど、
でも誰かに聞いてほしい。聞いてほしいけど、何か返答をしてほしいわけじゃない。
ただただ吐き出しておきたいだけの話。
ここに書いてあるのは、そんな面白くも、楽しくも、何もない話。
ただのある日の日記なだけ。
これを読んでも何もいいことは起きないし、もしかしたら琴線に触れてしまうかもしれない。
そんなことしか書いてない。
構成もなにも考えてないし、ただただ手の動くままにしか書かれていない。
そんなある日の日記をここに書いておく。
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先日の話。
次の日の12時くらいに、家が少しだけ広くなった。
自分の家は5人で住んでいた。
本当ならこの表記は違うのだけれど、もしかしたら心当たりがある人もいるのかもしれないけど、それは別の話。
そんな状態で、なんだかんだあって、籍を入れることになったのだが、
籍を入れる前からお互いコブ付きというなかなかに、なかなかな状態だった。
自分と、相手と、男の子と女の子と女の子の5人で、一緒に暮らすことになった。
最初は心配していたのだけれど、案外お互い合わせてみたら、いい感じの距離を保ちながら生活していた。
たまにどったんばったん騒ぐことはあったけれども。
いやむしろもうちょっと警戒とかしたほうがいいんじゃないかって心配になるほどにすぐ慣れていた。
相手の女の子は、ちょっと気難しい子で、最初はちょっと近寄ると走って逃げられてしまうような感じだった。
男の子はまた少し違った感じで、初めて会ったときも、向こうから挨拶してくるような子だった。
でも、ちょっと怒りっぽくて、何か気に食わないとすぐ起こるし、噛み付いてくるような子だった。
きっと宇宙一好きだった。他人に推し量れるものでは無いかもしれないが、そうだろう。
そりゃあ男の子が生まれてから10年間ずっと一緒にいるような二人だ。
二人で一緒の布団に入ってうとうとしてると、必ずと言っていいほど布団に潜り込んでくる。
しかも間にだ。隙間なんか無いのに、むりやり頭を突っ込んできて、
間を開けないと不満そうな声を出して抗議してくるようなやつだった。
でもそのくせ、腕枕にする腕は自分の腕をつかったりする。
この子はすごい寂しがり屋だった。
家にいると、いつも近くにいるか、
それは、10年間ずっと一緒に寝ていたらしい。
たまに相手が家にいない時があり、
自分と3人で夜を明かすことがあったのだが、
その時は、自分の布団に潜って肩に頭を乗っけて寝ていた。とりあえず誰かにひっついて寝たいらしい。
そろりそろりと近くに居座ってたりもした。
どちらかというと膝の上に乗っかることのほうが多かったが。
自分から膝の上に来ておいて、せっかくなので頭をなでてやったりすると、
最初はいいのだが、あまり長く撫でてると怒られるというなんとも理不尽なやつだった。
そんな感じで相手がいないと近くに寄ってくるのだが、相手が帰ってくれば走って出迎えていた。
自分とその子だけだと、寂しいからか近くにはいるけども、すごくおとなしかった。
謎。
そんなお互い大好きな二人だったけど、爪を来られるのがすごい嫌いらしく、
自分も手伝うのだけれど、それでも大暴れだった。
そんな我儘で、寂しがり屋で、怒りっぽくて、
家にいるのが当たり前になっていた。
布団に潜り込んでくるのが当たり前だった。
機嫌を損ねれば噛みつかれるのが当然だった。
正直、原因自体ははっきりしているのだけれど、
それを回避できたのかどうかとか、こうすればよかったのかとかは、
考えれば考えるほど、ただただ辛い。
彼と最後に会うときに、まさかこんなに涙が出てくるとは思わなかった。
ただただ咽び泣くだけだった。
結局、自分も彼のことが大好きだった。
そんな彼とは、もう会うことはできなくなってしまった。
ただただゲームをしたり、海外ドラマをみたりして現実逃避をすることが精一杯だった。
ここに書くことで自分の中で整理ができるとは思っていないけれども、
面白くもないし、楽しくはないし、何もないけれど、
それでも何かしらをしたかった。
何かをしてあげたかった。
花を添えてあげることはしたけれど、それとは他に。
これだけ書いて思ったことが、やっぱりすごい大事な存在だったのだなと、改めて思った。
黒くて毛がもっさもさしてて、日に当たるとちょっと茶色くみえて、
そんな彼。
自分にできることはただこうやって文を重ねることしかできないけれど。
ただどうか、安らかに。
ロバート:吐血してたけど病気どうなった?カーソンよりロバート大丈夫か
コーラ:バリキャリモードでロバートいじけるも現場見た夫の理解を得て病院運営に携わることに
メアリー:レーサーの旦那が友人の事故でトラウマに陥り無職になるも復活でハッピーエンド
イーディス:恋人元鞘コブ付き承諾ハッピーエンド 義母とも悶着乗り越える 出版社も経営順調
ヴァイオレット:病院はコーラに任す 何だかんだでイザベルと良い感じの凸凹コンビ関係続く
イザベル:熟年再婚ハッピーエンド 旦那の病気は軽いものと判明 しかし義息子夫婦との関係は微妙
ローズ:なんか印象なかったけどとりあえずハッピーエンド 戦争と平和にも出てたな
カーソン:手の震えから執事引退もうあかんサヨナラ宣言もロバートの慰留を受けアドバイザーに就任
ヒューズ:カーソンと結婚し新婚旅行にもいく 最終回でカーソンをチャーリーと呼ぶ
バロー:自殺未遂を経て性格が軟化 ダウントンでカーソンが退いた執事の席に就くことに
トム:シビルの死を乗り越えメアリーの夫と中古車販売業を共に開業し夢いっぱい 子供も順調に育っている
ベイツ:警察からの嫌疑解消しアンナとのすれ違いも乗り越え子宝に恵まれハッピーハッピーエンド
アンナ:結婚後も終始Mr.Batesと呼び続けていたが最終回でついにジョンと呼ぶ
モールズリー:学識を認められ教師に採用され新たな住処も得る 最後には報われて良かった
バクスター:精神的な自立を獲得 モールズリーとは付かず離れずも良好な関係が続いてる
パットモア:宿屋始めて巻き込まれ波乱も乗り越えハッピー デイジーの義父となんか良い感じ
デイジー:アンディーとどう接すればいいか良く分からんけど少しずつ心開く 髪切ってドライヤー使う
アンディー:字が読めない劣等感で自暴自棄にもなったがバローのサポートなど受け徐々に自己肯定感を高めデイジーと距離縮める
クラークソン医師:微妙に重い責任のある微妙にストレスフルな立ち位置が続く イザベルとは友人関係のまま
たぶん俺の書き方が悪かったと思うのだが、あるいは問題の前提となる考えが俺と違うのかもしれない。
何故「年に一人」「十年に一人」などという有り得ない数値を例に出す?
別に「こんなに少ないんだから無視していいんだよ」という例を補強するために「年に一人」「十年に一人」と言っているわけではない。
どのくらいの人数だったら規制しなくてもいいと考えますか?0じゃなきゃダメですか?ってこと。
0じゃなきゃダメという考え方は、ナンセンスだと思うんだけどどうかな。
と、ここまで書いて気がついたが、この「年に一人」ってのは幼女レイプの被害者が年に一人、という主張ではないよ。ロリコンゲームが原因でレイプされた幼女が年に一人いたとして、という意味。俺の書き方が曖昧で誤解を招いたなら申し訳ない。
そりゃあるかもしれないし、ないかもしれない。俺は多分ないと思うけど。ロリコンゲームやってブヒブヒ喜んでるキモオタはコブ付きの女と結婚したりしないだろ。
だが、義理の父親の性的虐待を防ぐには、ロリコンゲームを規制するより性的虐待防止キャンペーンの方が効果があると思う。
要するに社会的リソースの使い方が間違ってるんだよ。幼女のレイプ被害を減らそう、って目的ならロリコンゲーム規制よりマシな方法がいくらでもあるだろ、ってこと。