はてなキーワード: 入学祝いとは
いいなあ~、ほしいなあ~、父さんも大学行きたいよ。
いや、買えばいいじゃんって軽く言うけど、キミの母さんがさあ。「もってるじゃん」ってすぐ言うんだけど、これ、VAIOの505だよ。こんなの職場で誰も使ってないよ。
ま、それはいいや。
せっかくだから父さんの思い出話、聞いてくれよ。
PC286VSってヤツ。キミのMacとほぼ同じ、型落ちで20万円ちょっと切るくらいだった。秋葉原の九十九電機でね。今もあるかな。
そこは父さんが中学生のときに初めて8801mk2を買ってもらった思い出の店でね。ってこの話、100回くらいしてるっけ?
そう、SRが付いてない88。ってそこは触れちゃいけないって父さんいつも言ってるだろ!
いーんだよ、「三国志SR版」は動いたんだから。調子に乗って「信長の野望SR版」買ったらきっちり動かなくて泣いたけどな。
Windows?そんなものはもちろんないよ。286VSで使っていたのは「MS-DOS」だ。エムエスドスと読むんだよ。
「声に出して読みたい日本語」にも収録されると噂されるほどだから、ちょっと声出してみなよ。そうそう。
じゃ、今度は舞妓はんみたいに言ってみな。「エムエスドスどす~」って。ドスドスのところ最高!!
・・・なんだよ、そんな目で見るなよ。だって京都、行ったことないんだからしょうがないだろ。
マウスでクリック?そんなものは一部の金持ち、つまりKO大学のボンボンが「マッキントッシュ」なるパソコンでやっていたらしいが、父さん、全然うらやましくなんかなかったぞ。
カカカッとDOSのコマンドをタイプして、シパーンとエンターキーを押す、これが当時のナウなヤングのイケてる「パソコン仕草」だったんだよ。KOのヤツらにはマネしたくてもできなかったんだよ。
え?いーんだよ。「義塾」が抜けてますってすぐ言うんだよ、KOの人は。普通の人は義塾なんていちいち入れないんだよ。
いや、落ちたから言ってるんじゃないっての!そこも触れちゃいけないって父さんいつも言ってるだろ!
ちょっと待って。そうやってすぐにスマホ出してググるんじゃないよ。
あのね、Googleは当時のことは何にも知らないよ。まだインターネットなんてないし。せいぜいパソコン通信だし。知らんけど。
それにネットが出始めたときだって、誰もGoogleなんか使ってなかったよ。みんなYahoo!で検索してたんだよ。
私の場合はお金取ってるんじゃないんだから、曖昧なところも全部ひっくるめて、「歴史」を感じればいいんだよ。
あの当時、パソコン業界を支配していたはNECの「PC-9801」というパソコンでね。あ、私の無印88もNECのパソコンだよ。無印は余計だよ!
当然、NECも強気の価格設定で、学生はおいそれとは買えなかったんだ。ま、KOのヤツらはマッキントッシュと一緒に買ったかもしれないけどな。
そこにEPSONが「98のアプリが動く!」という「98互換機」を安く売り出したからさあ大変。
NECは「おのれ、EPSON!」と訴えたり、互換機が動作しないようアプリに細工したり、EPSONも負けじと細工を無効化するアプリを作ったりと、それはもうすったもんだしたみたい。詳しくはググっといて。
ま、結果的には、NECも廉価版の98を出すことになって、そのお陰で父さんも数年後、「やっぱNECだよねぇ」と言いながら9801BXを買ったから、EPSONには感謝しかないよ。だから今使っているこのプリンターも・・・あ、ブラザーだった。
しかしねぇ、まさに無双状態だったNEC98帝国が、その後、Windows帝国によって滅亡させられるとは、お釈迦様でも知らぬ仏のお富さん、だよね。
おごれる者も久しからず、ですよ。キミももう大学生なんだからそのあたりの教養もそれとなく身につけときなさいよ。KOの学生にディスられても知らないよ。
その286VSで私が愛用していたのは、まずは「一太郎」ね。バージョンは3.0。ワード?何それ?
まだまだ「書○」とか「○豪」とか漢字二文字の名前が付いたワープロ専用機を使っている人が多かった中で、「一太郎」だからね。
漢字一文字分、優越感に浸りながら、来る日も「ESC(エスケープ)キー」をシパーンシパーンって叩いていたもんよ。
そして表計算は、みんな大好きロータス1-2-3。エクセル?何それ?
今でも黒字に黄色の文字を見ると、父さん、テンション上がっちゃうんだよね。意味なく「/」を押したくなっちゃうんだよね。
さらに毎週レンタルソフト屋でゲームソフトを借りて***したりね。「おっちゃん、コレ、外せなかったよ!」とか文句言ってさ。何が外せなかったかはググっといて。
そんな時代があって、今、キミはM2のMacが使えるということを忘れてはいけないよ。
で、大学、どこに決まったんだっけ?
え、KO!?
https://anond.hatelabo.jp/20230209200124
昔の俺は多分元増田みたいな感じだった。
うちの会社は1年目はそれはもう詰められ、怒られ、怒鳴られ、「お前の親はどういう教育をしてきたんだ」とかなら優しい方で、
生まれた地域、祖母、祖父、通っていた学校、教師、あらゆる生まれ、人格を否定され、見た目が太っていればデブ、痩せていればガリがあだ名になる。大体見た目で弄るよね。
それでいて女の子や派遣の方には優しいという、どこにでもある昭和的体質の企業だ。(ちなみに業績はクソいいのでやりたい放題である)
入社時の恒例行事は「親や祖母に買ってもらった就職祝いや入学祝いを会社の近くの川に投げ捨てさせる」というもの。
俺も、今は死んだ祖父ちゃんに買ってもらった10万くらいの時計を不法投棄させられたものだ。懐かしい。
あとは当然上司のケツに入れたプ●ッツを「ポッ●ー」にして食ったこともあるし、なんなら俺は普通の童貞オタクだったのだが、ファーストキスは会社の汚らしいおじさんである。悲しいね。
他にも上司に陰毛を燃やされた時は、人間の毛って燃やすとこんなに臭いんだな、ってのがよくわかったなーとか、そういうエピソードは倫理的にここに書けないようなやつが山ほどある。
(ちなみに、陰毛を三人くらいで燃やしながら『チューチュートレイン』をするのがうちの部署の接待の必殺技の一つである)
そんな会社に入社し、俺は普通に好きな声優は「車の人」とかのエロゲオタクだったので、一発で頭がおかしくなった。
所謂2ちゃんねらーとかの「飲み会なんてだっせーよな」みたいな価値観だったからね。
仕事もそりゃミスりまくりよ。ていうか、自分が何をやってるのかわからなかったし、ほとんど記憶がない。
家に帰ったら炊事も洗濯も出来なくて、部屋は荒れ放題、1週間風呂にも入らず選択もせず顔も洗わずで出社するなんてしょっちゅうだった。
気分によっては、赤信号の道路とか、普通に突っ込んでたから良く死ななかったなーってレベルだった。本当。
それで、「いやお前のパワハラ体質企業の話と俺の話は全然違うよ」って思うかもしれんけど、実はそうでもなくて、
●仕事する時
・最初の上司→とにかく『書類や案件を持って良くタイミングが重要』。機嫌が悪い時に持って行くと書類をぶん投げられたり、持っていたペンで身体を刺されたリ、目の前で書類を破り捨てられる。
機嫌が良ければ、話を聞いて貰える。
・次の上司→書類を破かない。人を刺さない。基本的に仕事は案件の内容で判断してくれる。
●ミス
・最初の上司→みんなの前で人格、育ち、親や生まれを否定。飲みの席で暴力。(柔道有段者なので折らない程度だったが)
●質問
・最初の上司→『質問をするタイミングが重要』。機嫌がよければ「普通このくらい聞かなくてもわかる。センスねえな」くらいで済む。
・次の上司→「お前何年目だよ」とか「どこ大卒だよ」くらいの笑い話で答えてくれる
みたいな感じでね。いや、この会社頭おかしいな改めて。それはそれとして、最初の上司に比べて次の上司はめちゃくちゃ優しかったという話。
で、今は実は俺が上司なんだけれども。
元増田みたいなルートを踏んでるやつがいるから、『最初の上司』の社歴が肯定されることに何故気づかないんだろうって。
トラバにもあったけど、元増田の『クソ上司にあたったけど上の人が変わったから活躍できた』というストーリーは
『最初にクソ上司にあたったけど我慢したから今がある』という話に容易に変換できるよね?
すると
『最初に根性を鍛えたおかげで今活躍できてるんだな』って話にすり替わるのも当然、想像がつくと思う。
会社ってのは、基本的に役員や上役の玩具だ。俺達の最初の上司も、当然その玩具を使うサイドの人間なのはわかるよな?
上に立った人は理解しやすいと思うけど、本当に個人個人の働き方とか、幸せとか、どうでもよくなるよね。出世すると。視座が変わって来る。
数字を出せば個人なんてどうでもよくなるフェイズ、その次は数字すらどうでもよくて権威が重要になるフェイズだ。
儲かっていて、結果を出している会社ほど数字なんか割とどうでもよくなってくるのは、マネタイズ出来てる会社の人ならわかると思う。
だから、みんなが思い描くような『部下を上手く使える上司が出世する!』なんてのは夢物語中の夢物語だ。
上役からしたら元増田の暗黒時代は今を支える屋台骨だし、その屋台骨を作った最初の上司は偉い!って認識にしかならないよね。
俺は嫌いだよ。今すぐ潰れればいいと思っている。
「あの時の苦労があったから今があるんだろ」なんて死んでも言って欲しくないね。元増田はどうなんだろう。
実際、元増田が成果をあげればあげるほど最初の上司の業績が間接的に認められるのは日本企業の力学を考えると当然だと思うけど。
何が言いたいのかというと。
過去はいつまでもまとわりつくし、同じ会社の中で環境が変わったから成功した!みんなも耐えてればいいことあるよ!
やられて嫌だったことは、やらないようにしよう!なんて話は問題の本質から目を逸らす行為だよ。
じゃあどうしたらいいかなんて簡単だよね。辞めるか、会社に損害を与え続けるか、とにかく間違っているということを証明し続けるしかない。
(自殺ってのも、まあいい手だとは思うけど、結局電通さんとかの自殺も話題になったけどほとんど改善されてないし、難しいよね)
なんかウダウダ書いちまって申し訳ないけど、
・話を必ず最後まで聞いてくれる。
・怒鳴らない
「これが出来るようになったのって、最初の上司に逆のことをやられて、嫌だと思った。その経験があったからだよね????」と言われたくないよね?ってだけの単純な話。
最初に怒鳴られたリ、ミスをこすられたリしたからこそ、今、改善「してしまっている」のが元増田の文章の問題点なんだよ。
パワハラ上司は、のうのうと生き続ける。元増田が稼いだ金で、ボーナスをもらい続ける。役員たちは「最初の上司に増田君をつけたのは正解だったなあ」なんて思いながら引退していく。
誰が悪いか?
パワハラ上司のケツを拭いてしまった、「次の上司」と「今の元増田」だよ。
パワハラがあったからこそ、今、業績があがっている。パワハラがあったからこそ、人に優しくできている。そういう話にしかなってないんだよね。
辛かった日々に、意味があったと思いたいのが人間の心理なんだろうが。
断言するけど、無意味だ。そんな経験はしなくていいもので、なんら業績とは関係ないものだよ。
俺も最初の方に、滔々とうちのブラックっぷりを書いたじゃん?そのブラック行為に意味があると思うか?あったと思うか?
一切ないね。
そういう経験をしたから、強くなれたとか、部下には優しくしようと思ったとか、一ミリもないよ。
じゃあどうしたらいいか?
簡単だよね。
改善しないことだよ。
クビにならない程度の短期的成績は出しつつ、長期的に会社に損害を与え続け、信用を失わせつづけ、部下や上司にダメージを与え続け、いつか会社を崩壊に導くことだけが正解だよ。
だからこそ、同じ傷を持つ人間たちが大量に必要なのもわかるよね?同志を増やすためにはどうしたらいいか。自分も、企業体質改善に寄与しないことだよ。
元増田はなんでいい上司になってしまっているの?そんなことしたら会社が改善されてしまうよ?
会社が改善されるというのは、過去元増田が受けた痛みが、正しい工程であったことの証明だよ?
だから、君は部下に『自分がやられて嫌だったこと』をしていくべきなんだよ。あるいは、自分以外の上司にそれをさせるべきなんだよ。
会社への恨みを持つ人間を、どんどん増やすことだよ。そうして、爆弾を抱え込ませつづけ、いつか大爆発を引き起こさないと、君の受けた人生の痛みは正しかったものになってしまうよ?
テンプレートがあったので書いたぜ
共働きだが妻の収入は知らない、妻は安定した職業なので年収400万ぐらいだろうか?
少し他との違いがあるとすれば子供が3人と現代では多いほうなことぐらい。
年収ほど贅沢はしていない、というか贅沢出来るような年収でもない。
子供が大きくなったら部屋の数が足りないことが気がかりだが、今のところ何不自由ない住環境だ。
貯蓄は子供用の10年積立の学資保険300万をそれぞれに入っている。
児童手当は全額各人の貯蓄にまわしているので、一人あたり500万は確保出来る予定だ。
学資保険は10年積立なので子供が10歳になるころには積立が終わって税金の控除が受けられなくなる場合がある(計算してない)ので、積立が終わってもまた別の学資保険積立をする予定でいる。
500万では理系や芸術系の学費には足りないので妥当な計画ではないだろうか?
子供がいることによる臨時収入(出産、節句、入学祝いなど)も貯蓄にまわしているのでこれらも含めると+50万ぐらいになるかもしれない(家計簿にはつけているけど、具体的な数字は記憶していない)
小学校4,5年生あたりになったら学習塾に通わせるぐらいが子供にしてあげられる課金ブーストだと考えている。
中学、高校は公立を考えているが子供がどうしても私立に行きたいという要望を出してきたら副業でもするかーと雑に考えている。
子供用の貯蓄とは別で以下の貯蓄もしている。
・積立NISA 3万/月
・iDeco 2.5万/月
・投資 1万/月
財布は妻とは完全に別で運用していて、
俺は固定費(家賃、保険、水道光熱費)やイベント事の出費を出すことが多い。
子供が金のかかりそうな遊び(キャンプとか)がしたいときは祖父母にそれとなく言うと喜んで支援してくれるのでそのあたりで助かっている面はある。
それなりに貯蓄しながら、生活に特に不自由を感じることなく、ハーゲンダッツを買うと贅沢だなと思いながら躊躇することなく買うことは出来るというのが年収600万のリアルだ。
俺は裕福層ではない、まぁ当然だが。
年収1000~のリアルを読んでいると、年収によって持ち得る知識が異なってきているように見える、
年収1000万ならそれに見合った節税方法なんかを覚えたり、子供の進学に合わせて課金方法が変わったり。。。
年収の違いは多分自分の周囲に対してかける金額に変動があるのであって自身が感じる生活レベル自体は600~1000万だとそこまで変わらないんじゃないかと思うのだけどどうだろうか?
年収の違いで争うことはやめよう。
中卒の両親の元に生まれた末っ子の私は、学費はもちろんの事、大学の受験料すら自分で払えと言われ、おまけに宗教一家の三世だか四世のため宗教絡みもダルダルで、親ガチャ当たりとは到底言えない人生だったと思う。
両親と同じように10代でデキ婚するだろうと思われていた私は、両親の期待外れに真面目に育ってしまった。
無駄に進学校に行きたがり、大学に行きたがり、学費がかかって迷惑極まりない子供だったんだろう。
さっさと子供を作り家を出てってくれたら親孝行になっただろう。
楽観的なものの見方が出来ず、常に何かを疑い、批判的にものを見る私は、後先考えずに行動する家族に毎日いらついていた。
子供に払う金もないのに犬猫は飼いたがる両親の金銭感覚にはほとほと呆れ絶望していた。
生きてるだけで金がかかるし、自分に莫大な金をかける価値も無いんじゃないかと思うと、生きていることすらバカバカしくなって死にたいと思った。
でも、自分の力でここから抜け出すために、幸せになるために頑張ろうと思った。
私だって学費も、留学費用も、通学代も、全部出してくれる親の元に生まれたかった。
入学祝いにブランドのバッグを買ってくれて、20歳の成人祝いには花束とブランドのアクセサリーをプレゼントしてくれるような親の元に生まれたかった。
でもここが私の人生だし、仕方ない。
ほんとにきつくなったらまあ死ねばいいかとライトな希死念慮はずっとあった。
25歳まで実家で暮らして貯金をしてから家を出て良い人がいたら結婚して、そんな将来が来たらいいなと夢を見た。
そんな矢先、姉が実家に舞い戻ってきた。
姉のせいで家は崩壊した。
私も疲弊した。
家の手伝いも何もせず、何を言っても言い訳ばかりの姉に、存在しているだけで腹が立って仕方なかった。
朝ごはんもお弁当も作って貰って、部屋をゴミ屋敷のように散らかしては掃除も親に任せていた。
もうただの怠けた豚にしか見えなかった。
友達も彼氏もいない、職場でも散々な態度をとってる姉はどこに居ても孤独で、それを発散するかのように自宅でYouTubeを大音量で流して大爆笑し、耳障りで仕方なかった。
それを申し訳ないとも思わず他人に迷惑をかけっぱなしで、自分がこうなったのは、親のせいだと他責思考で居続けた。
幼少期にまともな環境で育たないと愛着障害で精神的に不安定になりやすいのだと主張し、自分の現状をただ親のせいにして何も反省しなかった。
そうやって親のせいにしてたら楽だろうな、自分は何も悪くないって思えるから。
同じ親の元に生まれた私は、朝ごはんもお弁当も自分で作って、職場の人間関係も良好で、友達もいて 、彼氏もいる。違いはなんだ?
親のせいにして自暴自棄になってたって、そこから生まれるものがないってわかってるから。現状を良くしたいなら頑張るしかないのにそうやってずっとずっと親のせいにして1ミリも成長してないなんて恥ずかしすぎるから。
迷惑をかけてない私が、なぜ?
出ていくべきはお前のはずなのになぜ私が責められないといけないのか分からなかった。
妹にナマケモノのように扱われ、疎まれ、妹のように上手く行かないことが辛かったんだろう。
わたしは今は一人暮らしの費用のために、仕事を終えてからパパ活をしている。
夜遅くに帰れば姉と接触する時間も減らせるし、お金も貯まるから。
けれど、どれだけ疲れていようと、遅くに帰ってきても、翌日も早起きで仕事をこなさなければいけないのはさすがに疲れてきた。
どうして、私だけがこんな思いをしなければならないのだろうか。
だらけた姉が家で母の作った夜ご飯を食べている時に、どうして私はおじさんとご飯を食べていないといけないのだろう。
早く幸せになりたい。
納得できないのではない、納得してやらんのだ。
北海道の人口100人にも満たない集落にある漁師の家に生まれ、将来は家を継いで世間知らずであり現金収入は少ないが食うのに困らない一生を過ごす。
そんな選択が俺にはあった。
だけれど、そんな人生に納得できなかった俺は中学卒業と共に実家を飛び出した。
小学校は同級生3人、自転車で2時間先にある中学校は何とか1学年2クラスを作れるという少子高齢が進む地域。
中学では腕っぷしの強くヤンチャな生徒、つまりは不良が幅を効かせているような文化圏、はてブで都会住みの連中がイメージするステレオタイプなド田舎と言って良い。
その当時の大人の世界では義務教育でパソコンを習わせたほうが良いという機運が高まり、各校へパソコンが配備されるようになってきた時代。
しかしながらド田舎の公立高校でそのような先進的な機械が活用されることはなく、暇を持て余したガキだった俺のオモチャへとなるのがせいぜいだった。
田舎には田舎のルールがある。
それは例えば「中学では後輩は先輩に喧嘩で勝ってはいけない」というのもルールの1つだが、クソ真面目にも早朝から起きて実家の漁を手伝い、授業が終われば部活動の野球へ日々精を出していた俺の身体能力は、年上であっても体育の授業をサボるような不良連中より劣っているわけもなかった。
ド田舎の古い価値観を持った父親のありがたい教育方針であった「男がナメられるんじゃねぇ」のもと、先輩たちが売ってきた喧嘩を買いまくり、不良の先輩たちを不登校へ追いやってしまった結果、晴れて俺は学校中からハブられ中学野球の試合にも出られなくなってしまった(野球部には所属してて毎日練習はしていた。先輩たちは卒業まで学校に来なかったが)。
ハブられてしまったため日々暇な時間を過ごすようになった俺が出会ったのが図書室の本と、前述したパソコンだった。
最初はプリインストールされていたソフトで遊んでいるだけだったが、教員も書類はワープロ専用機で作る時代だったのでパソコンの知識がなく管理がザルで、俺はそのパソコンがパソコン通信とインターネットへ接続できることに気が付いてしまった。
Yahooからリンクサイトを経由し、電子掲示板という存在を知った俺は日々電子掲示板サイトへアクセスし、誰とは知らない人たちと会話をして時間を潰した。
話題には事欠かなかったし、専門性の高い話題が出ると「ちょっと待ってね。ここ図書室なんだ」と言ってソレ関連の本を引っ張り出して、パソコンの先に居るお兄さんなのかお姉さんなのか知らないが、興味深い話を日々聴くことが出来た。
「増田クン、これからはPerlの時代だよ」
「いやボク最近やっと思い通りBASIC書けるようになってCの勉強中なんですけど」
「もちろんCは大事だよマイコンに使えるし。でもさサービスを提供するならPerlが向く。DoCoMoのiモードだって裏ではPerlだよ」
「ボクの住んでるとこピッチ圏外ばっかり、田舎だもん」
「iモードはピッチじゃないよ周波帯が違う」
特にコンピュータ関連の話は面白かった。
ゲームは自作できると教えて貰い、プログラミングを始めるようになり、BASICやC、Perl、PHP、Javaをよく触るようになった。
図書室が我が王国のようになり、問題児が図書室に籠もっていてくれているし、図書室通いの結果からか試験の成績も悪くないどころかトップクラスであり教員たちもずっと放置してくれた。
そんな生活の中で知れたのは学区に依存しない高校の存在だった。
寮もしくはアパートなどで一人暮らしをしつつ通える高校が世の中には存在することを知ったのだ。
これだと直感的に思った俺は親父へ直談判することにした。
俺の故郷に未来はないと薄々勘付いていて、正直なところ青二才だったため「じゃあ俺がいい大学入って故郷へ錦を飾れば良いじゃん」と出稼ぎ感覚でいた。
親父は俺の話を無言で最後まで聞いていた。
今思えば何をアホなこと話してるんだと思ったが、一応は国立高校だったため学費はそこまで高くなく、何だかんだで小さな頃から家業を手伝っていた俺がバイトしながら高校へ通うことに関しては古い価値観の「苦労は買ってでもしろ」的な面から了承されたのかなと思う。
おそらく一番困らせたのは高校入学祝いに当時の最新パソコンと引越し先でインターネット回線を引く費用を求めたことくらいだったのではないかと思う。
右も左もわからない状況から一人暮らしを始め、訛りのひどさにクラスでイジられ、バイト先に勤めている大学生の兄ちゃんたちに世話してもらいながらも毎日新しい体験をして過ごした。
世の中は広く世間の移り変わりは早い。着メロは和音が鳴るしディスプレイはカラー。携帯電話の電波は田舎にまで届く。
甲子園を目指したが強豪校はやっぱり強く負けてしまい、人生で初めて望んだ結果が得られないことを経験した。
しかしそれでも俺は何となくコレは真理なんじゃないかと思い始めていた。
そして国立大学へ合格したことを期にコレは真理だと確信したんだ。
今の俺は別に故郷へ錦を飾れたわけでない。
しかし俺は不良が風を肩で切るようなド田舎出身で脳筋な漁師の子だ。根本は変わってないと思っている。
それが今やG社に勤めているって言うんだから人一倍の努力は裏切らねぇなと。
自分が持ってないものが欲しいならば努力するしか方法がない。
学歴が欲しいならば年収が欲しいならば地位が欲しいならば努力するしかないんだよ。
誰もお前のために人生なんかかけてくれない。
お前の人生にかけてくれるのはお前自身しか居ないんだよ。
親とも兄弟とももう7~8年会っていない。兄弟の子供も、幼稚園くらいからあっていない。
メールを見たときの気持ちは、なぜそんなことを勝手にするのだろうという怒りだ。
まあ小学校の入学祝いは親から連絡があって買ったが面倒くさくて送らなかったからこうなったんだと思うが。
そしてみじめだった。ただ自分には1万を快く出してあげる気にはならない。生活が苦しいからだ。
手取りが20万ない。それでも貯金はあるが出したくない。5000円がせいぜいだ。
ただあったこともわからん親族から5000円もらってもね。そして相手方の親族は裕福だからもっと出すだろうし。
親としては、祝いたい気持ちはあるだろうが、金は出せないだろうから出しといてあげようという、
兄弟は怒るような人ではない。ただ仲が良いわけではない。
自分は中学高校と鉄道研究部に所属し、自他ともに認める「鉄オタ」だった。
入学祝いに買ってもらったEOS Kissで近場の跨線橋や踏切、駅に写真を撮りに行ったり、北は北海道、南は鹿児島まで、日本全国に撮影旅行にも行った。使ったのはもちろん青春18きっぷ。
同じ趣味の仲間と普段は見れない車両の写真を喜んで撮ったり、北斗星の最終運行を撮りに朝4時から大宮駅に行ったり、部で貸切列車の運行をしたこともある。
だが今は、自分がかつて鉄オタだったという過去すら消したいと思っている。
最近、有名ポイントでのやまぐち号の撮影に関して津和野町からマナー啓発が行われたことに対する撮り鉄の反応が話題になっている。
「二度と行かない」「もう撮らない」はどうでも良い。勝手にしろ。で済む話だが、あろうことか「強行撮影する」「放火する」という過激な意見まで飛び出している。
どうせやらないだろ、で済むならいいんだが、撮り鉄にはたくさんの「前科」がある。
邪魔な草を引っこ抜く、草どころか鉄道会社の設備である柵を引っこ抜く、敷地に立ち入って列車を緊急停車させる。
ワケわからん。お前らが撮りたいのは何なんだ?
F1レースを撮りに来た人は柵を乗り越えてコースに入ったりしないし、航空祭の会場でコーンバーを乗り越えて滑走路まで撮りにいく奴はいない。
何故鉄オタだけなんだ?
撮り鉄の悪いイメージばかりがどんどん大きくなっているせいで、最近では駅でカメラをぶら下げて歩くこと、鉄道車両にカメラを向けることすら恥ずかしい。そういう奴等と同類に見られるのは死んでもゴメンだ。
そう思って撮り鉄をやめたんだが、今にして思えば昔の自分もそこまで行かないにしろ同類だったのかもしれない。
部活の旅行でも、ボックスシートで大声で話しながら菓子を食べ散らかし、無理な乗り換えでコンコースをバカみたいに走ったり、当時の自分がしていたことを客観視してみたらどうかと思う行為ばかりだった。
2020年における先進的な女性の卵子凍結・代理母に対する率直な考えが現れている非常に重要な対談だと思うので記録のため引用する。
*VERY2020年4月号「卵子凍結事業も始めるスプツニ子!さんに訊きました シンマイさんと学ぶVERY世代と卵子凍結」
https://veryweb.jp/life/106461/
https://web.archive.org/web/20200817141554/https://veryweb.jp/life/106461/
以下引用:
海外(欧米)ではもはやメジャーでカジュアルな「卵子凍結」。自然分娩や母乳育児が尊ばれる日本ではまだまだSF感の漂うマイナーな分野。でも、女性だけにタイムリミットがあり、仕事もノッてる時期に、伴侶を探し、結婚・妊娠しろ、ってどうよ。と立ち上がったのが、自ら26個の卵子を採取したアーティスト・スプツニ子!さん。結婚前に凍結を検討していたシンマイこと申 真衣さんと意気投合!
※この対談はVERY2020年4月号掲載時(取材は2月)のものです。申 真衣さんは、同年7月に第2子妊娠を公表しました。
申 実際にカウンセリングに行ったこともあるんです。もうすぐ30歳だな、と思っていた頃にちょうど未受精卵子の凍結が日本でもできるようになって(*注1)興味が湧いて。結婚願望はなかったのですが子どもは欲しいと思っていたので選択肢のひとつとして話を聞いてみようと思ったんです。でも、当時はまだアングラな雰囲気で……。躊躇しているうちに結婚したので凍結までは至りませんでしたが。
スプツニ子!(以下ス) 私は33歳の時に初めて卵子凍結のカウンセリングを受けました。結婚もしていないしパートナーもいない。仕事もめちゃくちゃ楽しい、でも子どもが欲しかったらそろそろ考えないといけないのかな。じゃあどうする? と思った時に、日本の価値観では出産の前に結婚しないといけないらしいし、結婚するには恋愛しないといけない。やらなくちゃいけないこと多すぎない?と思って、じゃあまず卵子を凍結しようと。昨年2回採卵して26個凍結しました。
ス 自分でやってみたら気持ちが変わったのを実感して。凍結卵子による妊娠は100%ではないから保険みたいなものではあるけど、すごく解放された感じがあった。あぁ、これで私はもっと自由に生きられるんだって。女の人は意識していなくてもbiological clock(出産可能年齢)という枷がある。子どもを産みたかったら何歳までに○○しなくちゃ、と。日本では凍結した卵子を使えるのが45歳未満までだから、あと10年くらいの猶予がある。それだけでもこれだけ明るい気持ちで仕事に取り組めるんだ、と思い、この経験をもっと多くの女性にシェアしたいと思いました。
申 米国だと福利厚生として導入している会社(*注2)もありますね。
ス 2018年には米国の大企業の17%が導入しています。過去3年で3倍になっているから、今年は30%くらいに増えているかも。米国で有名な卵子凍結クリニックはNYの5番街にあって内装もオシャレ、女性が自分の人生の選択肢を広げるために訪れるポジティブな空間。英国では、採卵した卵子の半数を提供するならほぼ無料で卵子凍結ができます。でも、日本ではまだ広まっていないし、中国やシンガポールでは社会的適応による卵子凍結がまだ認められていない。それってもったいない!
申 私も自分が興味を持った時にリサーチしたことがあって。日本でも潜在的な需要は高いはず。それなのに供給はなされてない。これって事業になるんじゃないのかな?と思ったんです。
ス 実は今年、卵子凍結バンク「Cradle」をオープンします。興味はあるけれどよく分からないから手が出せない、そんな空気を変えたかったので情報もクリアにしてもっとハードルを低くしていく予定。いくつか報告はあるのですが、35歳以下の卵子を凍結しておけば子どもができる確率は10個でおよそ50~70パーセント、15個採ると70~80%。この数字を高いと見るか低いと見るかは人それぞれですが、ブランドバッグや海外旅行とそう変わらない金額で人生の選択肢を増やせることを知ってもらいたい。
ス もともと私は女性とテクノロジーに関連するアート作品を作ってきました。テクノロジーって人類にとって平等に進化しているように思われるけど、実は男性中心に動いてきてしまった歴史がある。例えば避妊用ピルは日本では承認にものすごい時間がかかっていて米国から30年以上遅れていて、国連加盟国の中で最後まで承認されなかったのは日本と北朝鮮だけ。承認前も「女性の性生活が乱れる」みたいな論争が起きて。でもバイアグラが出てきたら、多数の死亡例もあったのに、たったの半年で日本の議会は承認したんですね。
ス It’s a Men’s world なんですよ。残念ですがこれまで男性目線で科学が進歩してしまった。ハタチの時にそれに気づいてしまって、人類は月に行ったのに私はまだ毎月生理になっているし、妊娠・出産も原始時代から変わらない。周りは「女だから・そういうものだから仕方ないよ」って受け入れているけど、私は『なんでだろう、おかしいな』と思っていた。だから、卵子凍結という選択肢が出てきた時に、これは人類にとってすごく大事な第一歩だと思ったんです。
ス 社会で活躍する女性が増えているのに、仕事がいちばん楽しい時期と子どもを産まなくちゃいけないとされている時期がドンピシャっておかしい。どれだけ女の人の活躍が進んでも、最後のガラスの天井が肉体のタイムリミット=妊娠・出産。卵子凍結はまだ新しい技術だけど、怖がったりタブーにしておくのはもったいないと思います。
申 私は入籍から1年、31歳で妊娠。このタイミングはタイムリミットから逆算してそれしかないという感じでした。子どもは欲しいと思っていたし、娘のことはかわいくてたまらないので後悔はもちろんないのですが、妊娠のタイミングがキャリア的に最適だったかというと難しい……。昇進の時期を控えての産休だったので、復職後に頑張りすぎてバーンアウトしかけたり、と余裕のない状況にはなってしまいました。少子化に問題意識を持つ男性と話すと、早く結婚しろ・早く子どもを産め、という話になりがちですが「相手もいないのにどうやって」と思います。そして、結婚すると今度は生殖可能年齢のタイムリミットが迫っているのでせっせと妊活に励まなければ、となる……。
――2人目・3人目を望むのであれば猶予がない状況も。
申 晩婚・晩産化で初産が遅れていて(*注3)、1人目が1歳になった瞬間から、『2人目は!?』というプレッシャーを自分自身にかけなければいけないし、仕事もある。忙しすぎです……。子どもの年齢はできるだけ離した方が子育て的にはずっと楽だと思うのですが、生殖可能年齢のタイムリミットがそれを許さない。
ス 30代の間にAMH(*注4)は大きく変化するから、針の穴に糸を通すような感覚ですよね。今の生き方と生殖のバイオロジーが嚙み合っていない。だからこそ、卵子や受精卵の凍結はもっと知られるべきだと思います。すでにパートナーがいるVERY世代であれば受精卵の凍結もアリ。個人的には多様な可能性を残すために未受精卵も凍結することをオススメしますが!
申 日本は不妊大国。体外受精で生まれる子どもは16人に1人の割合でいるはずなのにオープンにしている人は少ないですね。自然に授かることを良しとして生殖医療の話題は触れにくい風潮も。
ス でも、『#MeToo』運動もあって女性の性や生理に対する意識もやっと変わってきてる。その流れで、生殖医療に対する意識も変わってほしいと思う。もっと、自由に産む時期を決める権利があることに気づいてもらいたいです。
ス 卵子凍結をしても自分で産むにはリミットがあるから、その流れは必ず来ますね。
申 日本だと向井亜紀さんが代理母出産(*注5)して話題になっていたけれど、米国ではサラ・ジェシカ・パーカーやキム・カーダシアンのように代理母で出産するセレブがいますね。費用的にはなかなか手軽にはならないのだと思いますが、選択肢が増えることは良いことだと思います。
ス そもそも男性って女性のパートナーに代理で産んでもらって、親として認められているのに、女性だけが自分で産まないと認められない、なんておかしいですよね。大事なのは子どもに愛を注ぐことではないでしょうか。
申 憧れの女性の先輩が精子提供を受けてシングルで子どもを産んだんです。もちろんシングルマザーにはそれなりの大変さもあるかもしれませんが、仕事でも成功を収めていて人間的にも素晴らしい人なのでその決断にはかっこいいという言葉しか見つからなくて。きっとお子さんはたくさんの愛を受けて幸せに育つだろうと思います。
ス 女の人だって仕事があって自立していれば、子どもを産むために結婚する必要はない。恋愛や結婚と関係なく、望んだタイミングで子どもを産める自由がある。夫というパートナーがいなくても、現にアメリカやヨーロッパでは充実した社会的支援のもと精子提供を受けて生まれた子どもがすくすく育っているから、家族という形式にこだわりすぎなくていいと思います。
申 国や社会は家族の在り方や女性の生き方を枠にはめようとしますが、子どもを持つというのは本来すごく個人的な選択。その人らしい選択をできるようになればいいと思います。そのためにはまず選択肢が増えていかないと。卵子が冷凍されていて子宮も借りられるとなると、何歳になっても子どもが持てる。子育てに要する体力的な問題はありますが人生100年時代のこの先、50代、60 代になってから育児をするなんて選択肢があってもいいのでは、と思います。
ス 私たちが当たり前に思っている家族の在り方――何歳くらいでママになって子育ては何歳くらいまで――というのがこれからどんどん変わっていくはず。好きに生きて、好きなだけ仕事して、好きな人に出会えたらラッキーだし、そうじゃなくても「精子バンクで子ども産むもん!」って思えたら楽しいと思う。私はそっち派です (笑)。
申 私はもっと早く知っていれば20代のうちに卵子を凍結していただろうなと思います。娘には本人はその時は必要性を感じていなかったとしても卵子凍結を勧めたいと思っています。免許取得を大学入学祝いにプレゼントするのと同じ感覚ですね。大学生の時間に余裕があるうちなら採卵もしやすい。それに結婚を考えるパートナーがいないうちなら意思をすり合わせる必要もなく、誰かの合意が必要ないから。スプツニ子!さんみたいに爽やかな方が卵子凍結を勧めれば、ポジティブなものだと広まりそう。
ス 私もそうしたいと思っています。20代なら数も採れるし質もいいから、成人式の振り袖より卵子凍結をプレゼントする方がずっといい(笑)。申さんには卵子凍結のアンバサダーになってほしいです!
申 ぜひやりたいです(笑)。
1985年生まれ。東京藝術大学デザイン科准教授。ロンドン大学インペリアル・カレッジ数学部を卒業後、英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で修士課程を修了。マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教、2017年東京大学特任准教授を経て現職。「東京減点女子医大」(2019年)などジェンダーに関する作品も多数。今年、病院と提携する凍結卵子保管バンク「Cradle」(https://www.cradle.care)をオープンする予定。※サイトは5月ローンチ。
1984年生まれ。東京大学卒業後、外資証券会社に約10年勤務したのち、現在はベンチャー企業の取締役を務める。2019年6月号でVERY初登場、効率を重視するワーママらしいロジカルなファッションやライフスタイルが注目を集めVERY世代のオピニオンリーダーに。2020年3月号からVERYモデル。30歳で結婚、31歳で長女を出産。(2020年7月現在、第2子妊娠中)
ジンギスカンが恋しい
ただただ、ジンギスカンが恋しい
タレは子供の頃からベルだった。だからベルがいい。まあ味付きを食べるから最近は使わないけど
場所は外だ。庭先だ。河川敷でも公園でも許可が取れるところならどこでもいい。各種ビール園もいい。円山公園もいい。
一緒にやるのは家族でもいい、友人でもいい、ご近所さん、町内会、会社の先輩同僚後輩なんでもいい
宴会でもいい、新人歓迎パーティーでもいい、子供のお誕生会でもいい
お花見、観楓会、成人お祝い、入学祝い、卒業祝い、目出度い事があったらなんでもジンギスカンだ
そしてただ肉を焼けばいい
まあるいジンギスカン鍋に、じゅうっとお肉を焼き付ける
もくもくと上がる煙
肉の油で炒められたこいつらもまたうまかった
そして白むすび
ジンギスカンをほおばりながらの白むすび
あとはもうなんでもいい、おのおの好きなものを焼け
2020年における先進的な女性の卵子凍結・代理母に対する率直な考えが現れている非常に重要な対談だと思うので記録のため引用する。
*VERY2020年4月号「卵子凍結事業も始めるスプツニ子!さんに訊きました シンマイさんと学ぶVERY世代と卵子凍結」
https://veryweb.jp/life/106461/
https://web.archive.org/web/20200817141554/https://veryweb.jp/life/106461/
以下引用:
海外(欧米)ではもはやメジャーでカジュアルな「卵子凍結」。自然分娩や母乳育児が尊ばれる日本ではまだまだSF感の漂うマイナーな分野。でも、女性だけにタイムリミットがあり、仕事もノッてる時期に、伴侶を探し、結婚・妊娠しろ、ってどうよ。と立ち上がったのが、自ら26個の卵子を採取したアーティスト・スプツニ子!さん。結婚前に凍結を検討していたシンマイこと申 真衣さんと意気投合!
※この対談はVERY2020年4月号掲載時(取材は2月)のものです。申 真衣さんは、同年7月に第2子妊娠を公表しました。
申 実際にカウンセリングに行ったこともあるんです。もうすぐ30歳だな、と思っていた頃にちょうど未受精卵子の凍結が日本でもできるようになって(*注1)興味が湧いて。結婚願望はなかったのですが子どもは欲しいと思っていたので選択肢のひとつとして話を聞いてみようと思ったんです。でも、当時はまだアングラな雰囲気で……。躊躇しているうちに結婚したので凍結までは至りませんでしたが。
スプツニ子!(以下ス) 私は33歳の時に初めて卵子凍結のカウンセリングを受けました。結婚もしていないしパートナーもいない。仕事もめちゃくちゃ楽しい、でも子どもが欲しかったらそろそろ考えないといけないのかな。じゃあどうする? と思った時に、日本の価値観では出産の前に結婚しないといけないらしいし、結婚するには恋愛しないといけない。やらなくちゃいけないこと多すぎない?と思って、じゃあまず卵子を凍結しようと。昨年2回採卵して26個凍結しました。
ス 自分でやってみたら気持ちが変わったのを実感して。凍結卵子による妊娠は100%ではないから保険みたいなものではあるけど、すごく解放された感じがあった。あぁ、これで私はもっと自由に生きられるんだって。女の人は意識していなくてもbiological clock(出産可能年齢)という枷がある。子どもを産みたかったら何歳までに○○しなくちゃ、と。日本では凍結した卵子を使えるのが45歳未満までだから、あと10年くらいの猶予がある。それだけでもこれだけ明るい気持ちで仕事に取り組めるんだ、と思い、この経験をもっと多くの女性にシェアしたいと思いました。
申 米国だと福利厚生として導入している会社(*注2)もありますね。
ス 2018年には米国の大企業の17%が導入しています。過去3年で3倍になっているから、今年は30%くらいに増えているかも。米国で有名な卵子凍結クリニックはNYの5番街にあって内装もオシャレ、女性が自分の人生の選択肢を広げるために訪れるポジティブな空間。英国では、採卵した卵子の半数を提供するならほぼ無料で卵子凍結ができます。でも、日本ではまだ広まっていないし、中国やシンガポールでは社会的適応による卵子凍結がまだ認められていない。それってもったいない!
申 私も自分が興味を持った時にリサーチしたことがあって。日本でも潜在的な需要は高いはず。それなのに供給はなされてない。これって事業になるんじゃないのかな?と思ったんです。
ス 実は今年、卵子凍結バンク「Cradle」をオープンします。興味はあるけれどよく分からないから手が出せない、そんな空気を変えたかったので情報もクリアにしてもっとハードルを低くしていく予定。いくつか報告はあるのですが、35歳以下の卵子を凍結しておけば子どもができる確率は10個でおよそ50~70パーセント、15個採ると70~80%。この数字を高いと見るか低いと見るかは人それぞれですが、ブランドバッグや海外旅行とそう変わらない金額で人生の選択肢を増やせることを知ってもらいたい。
ス もともと私は女性とテクノロジーに関連するアート作品を作ってきました。テクノロジーって人類にとって平等に進化しているように思われるけど、実は男性中心に動いてきてしまった歴史がある。例えば避妊用ピルは日本では承認にものすごい時間がかかっていて米国から30年以上遅れていて、国連加盟国の中で最後まで承認されなかったのは日本と北朝鮮だけ。承認前も「女性の性生活が乱れる」みたいな論争が起きて。でもバイアグラが出てきたら、多数の死亡例もあったのに、たったの半年で日本の議会は承認したんですね。
ス It’s a Men’s world なんですよ。残念ですがこれまで男性目線で科学が進歩してしまった。ハタチの時にそれに気づいてしまって、人類は月に行ったのに私はまだ毎月生理になっているし、妊娠・出産も原始時代から変わらない。周りは「女だから・そういうものだから仕方ないよ」って受け入れているけど、私は『なんでだろう、おかしいな』と思っていた。だから、卵子凍結という選択肢が出てきた時に、これは人類にとってすごく大事な第一歩だと思ったんです。
ス 社会で活躍する女性が増えているのに、仕事がいちばん楽しい時期と子どもを産まなくちゃいけないとされている時期がドンピシャっておかしい。どれだけ女の人の活躍が進んでも、最後のガラスの天井が肉体のタイムリミット=妊娠・出産。卵子凍結はまだ新しい技術だけど、怖がったりタブーにしておくのはもったいないと思います。
申 私は入籍から1年、31歳で妊娠。このタイミングはタイムリミットから逆算してそれしかないという感じでした。子どもは欲しいと思っていたし、娘のことはかわいくてたまらないので後悔はもちろんないのですが、妊娠のタイミングがキャリア的に最適だったかというと難しい……。昇進の時期を控えての産休だったので、復職後に頑張りすぎてバーンアウトしかけたり、と余裕のない状況にはなってしまいました。少子化に問題意識を持つ男性と話すと、早く結婚しろ・早く子どもを産め、という話になりがちですが「相手もいないのにどうやって」と思います。そして、結婚すると今度は生殖可能年齢のタイムリミットが迫っているのでせっせと妊活に励まなければ、となる……。
――2人目・3人目を望むのであれば猶予がない状況も。
申 晩婚・晩産化で初産が遅れていて(*注3)、1人目が1歳になった瞬間から、『2人目は!?』というプレッシャーを自分自身にかけなければいけないし、仕事もある。忙しすぎです……。子どもの年齢はできるだけ離した方が子育て的にはずっと楽だと思うのですが、生殖可能年齢のタイムリミットがそれを許さない。
ス 30代の間にAMH(*注4)は大きく変化するから、針の穴に糸を通すような感覚ですよね。今の生き方と生殖のバイオロジーが嚙み合っていない。だからこそ、卵子や受精卵の凍結はもっと知られるべきだと思います。すでにパートナーがいるVERY世代であれば受精卵の凍結もアリ。個人的には多様な可能性を残すために未受精卵も凍結することをオススメしますが!
申 日本は不妊大国。体外受精で生まれる子どもは16人に1人の割合でいるはずなのにオープンにしている人は少ないですね。自然に授かることを良しとして生殖医療の話題は触れにくい風潮も。
ス でも、『#MeToo』運動もあって女性の性や生理に対する意識もやっと変わってきてる。その流れで、生殖医療に対する意識も変わってほしいと思う。もっと、自由に産む時期を決める権利があることに気づいてもらいたいです。
ス 卵子凍結をしても自分で産むにはリミットがあるから、その流れは必ず来ますね。
申 日本だと向井亜紀さんが代理母出産(*注5)して話題になっていたけれど、米国ではサラ・ジェシカ・パーカーやキム・カーダシアンのように代理母で出産するセレブがいますね。費用的にはなかなか手軽にはならないのだと思いますが、選択肢が増えることは良いことだと思います。
ス そもそも男性って女性のパートナーに代理で産んでもらって、親として認められているのに、女性だけが自分で産まないと認められない、なんておかしいですよね。大事なのは子どもに愛を注ぐことではないでしょうか。
申 憧れの女性の先輩が精子提供を受けてシングルで子どもを産んだんです。もちろんシングルマザーにはそれなりの大変さもあるかもしれませんが、仕事でも成功を収めていて人間的にも素晴らしい人なのでその決断にはかっこいいという言葉しか見つからなくて。きっとお子さんはたくさんの愛を受けて幸せに育つだろうと思います。
ス 女の人だって仕事があって自立していれば、子どもを産むために結婚する必要はない。恋愛や結婚と関係なく、望んだタイミングで子どもを産める自由がある。夫というパートナーがいなくても、現にアメリカやヨーロッパでは充実した社会的支援のもと精子提供を受けて生まれた子どもがすくすく育っているから、家族という形式にこだわりすぎなくていいと思います。
申 国や社会は家族の在り方や女性の生き方を枠にはめようとしますが、子どもを持つというのは本来すごく個人的な選択。その人らしい選択をできるようになればいいと思います。そのためにはまず選択肢が増えていかないと。卵子が冷凍されていて子宮も借りられるとなると、何歳になっても子どもが持てる。子育てに要する体力的な問題はありますが人生100年時代のこの先、50代、60 代になってから育児をするなんて選択肢があってもいいのでは、と思います。
ス 私たちが当たり前に思っている家族の在り方――何歳くらいでママになって子育ては何歳くらいまで――というのがこれからどんどん変わっていくはず。好きに生きて、好きなだけ仕事して、好きな人に出会えたらラッキーだし、そうじゃなくても「精子バンクで子ども産むもん!」って思えたら楽しいと思う。私はそっち派です (笑)。
申 私はもっと早く知っていれば20代のうちに卵子を凍結していただろうなと思います。娘には本人はその時は必要性を感じていなかったとしても卵子凍結を勧めたいと思っています。免許取得を大学入学祝いにプレゼントするのと同じ感覚ですね。大学生の時間に余裕があるうちなら採卵もしやすい。それに結婚を考えるパートナーがいないうちなら意思をすり合わせる必要もなく、誰かの合意が必要ないから。スプツニ子!さんみたいに爽やかな方が卵子凍結を勧めれば、ポジティブなものだと広まりそう。
ス 私もそうしたいと思っています。20代なら数も採れるし質もいいから、成人式の振り袖より卵子凍結をプレゼントする方がずっといい(笑)。申さんには卵子凍結のアンバサダーになってほしいです!
申 ぜひやりたいです(笑)。
1985年生まれ。東京藝術大学デザイン科准教授。ロンドン大学インペリアル・カレッジ数学部を卒業後、英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で修士課程を修了。マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教、2017年東京大学特任准教授を経て現職。「東京減点女子医大」(2019年)などジェンダーに関する作品も多数。今年、病院と提携する凍結卵子保管バンク「Cradle」(https://www.cradle.care)をオープンする予定。※サイトは5月ローンチ。
1984年生まれ。東京大学卒業後、外資証券会社に約10年勤務したのち、現在はベンチャー企業の取締役を務める。2019年6月号でVERY初登場、効率を重視するワーママらしいロジカルなファッションやライフスタイルが注目を集めVERY世代のオピニオンリーダーに。2020年3月号からVERYモデル。30歳で結婚、31歳で長女を出産。(2020年7月現在、第2子妊娠中)
私には三つ下の妹がいる。私が幼かった頃、妹はそれより三つ幼かった。
私はお姉ちゃんだったけど大切なおもちゃを妹に譲れなかった。お母さんのだっこの順番を譲れなかった。いつだって私はピンクや赤を選んだ。妹がいつも後ろをついて歩いてくるのが嫌だった。スーパーに行った時、いきなり走り出して妹を撒いたことだってある。
でも妹はしばらく私を追って見つけられないと分かれば私がお母さんの元に戻った時にはもう既にお母さんの横にぴっとりとくっつくようにしてそこに立っていた。
それでも妹は私を「お姉ちゃん」と呼び続けてくれた。
そんな妹が受験を終えて今年の春、とうとう高校生になった。三つ小さかった妹は幼い頃と変わらない顔つきで背だけが伸びた。
受験生だった頃の妹はコップ1杯分ほど飲み残したペットボトルを床に置き、脱いだ服を脱いだ形のまま床に捨て、また新しい炭酸飲料を開け、またコップ1杯分残したペットボトルを床に転がした。
真夜中でも日も昇らないような早朝でも時間を構わず家の中で鳴り続けるアラームの音は睡魔に負ける寸前でも再び起きて勉強をしようと妹が設定しているものだった。しかし、そのアラームの音が止められることはなかった。なぜなら起きないのだから。
可愛かったはずの妹を心の底から鬱陶しく感じた。
それでも妹は受験生だったからストレスもあるだろうと姉として妹の支える立場だと気を強く持ち、妹にとっても私にとっても残りわずかの辛抱と思い、耐えることにした。
そして待ちに待った3月。妹は志望校から一つランクを下げた高校に合格した。
合格発表の日、照れくさそうな晴れ晴れとした表情で受験番号の横に並ぶ妹を写真に収めながらこれで何もかも大丈夫になると思った。
ところがストレスから解放された妹はどこかに出かけたいあれを食べたいこれが欲しいと常に駄々をこねた。
私はそれでも妹にとって優しくて何でもできるすごいお姉ちゃんであり続けたくてアルバイトで稼いだなけなしのお金で妹を色々なところに連れていき、色々なものを食べさせた。
少しは欲しいものも買ってあげた。
私が「どう?」と聞くと妹は「おいしい」と答えた。時には「楽しい」と答えた。そのくらいだった。
それでもたまに遊びに行くのを断ると妹は不貞腐れた。
喜んでもらいたくて良かれと思ってやっていたことが妹の中では当たり前になっていた。連れて行ってもらって当たり前。買ってもらって当たり前。
真夜中に友達とギャーギャーと盛り上がりながらテレビ電話をする妹の声を聞いて、四六時中入学祝いとして買ってもらったスマホにかじりついて声を掛けても返事すらしなくなりただ液晶の光に煌々と照らされ続ける妹の顔を見ていたら、もう私の「かわいい妹」じゃないんだなって思った。
キッチンから食卓に運んだ箸やご飯茶碗や食器を配膳しようとしない。食べた後の食器はつぎの朝まで食べたまま。何度言っても直らない飲みかけの炭酸飲料を床に置く。最近はそれを私のせいにしようとしたりする。目覚ましを一度止めた後スヌーズにして1時間近くも10分間隔で鳴らし続ける。到着時間に家を出るくせに「遅刻したら怒られる」と車を運転する母を急かす。壊れた笛のような鼻歌を同じフレーズを繰り返して歌い続ける。自分が悪いときでも絶対に謝らない。謝るようにしつこく言った時でもお笑いコンビの響のような謝り方しかしない。他にも嫌いなところはもっとある。
正直今まで何か一つやってあげた分、一つ見返りを求めていたけどもう何もしてあげないし何も期待しないことにする。
そう言ったら「ゴメンネ」「これから頑張るから」と言われたけどその後、洗うように頼んだ皿が朝まで手付かずのままシンクに横たわっているのを見て「何がこれから頑張るだ」と妹が洗わなかった皿を代わりに洗いながらこれを最後にしよう。これから妹の使った食器は洗わないことにしよう、と自然と思えた。妹の分の食事も用意しないし、妹が返事をしないなら私だって返事をしない。私が妹にしてあげられることなんて何も無いんだから。
私が妹のお姉ちゃんじゃなくなったら私はただ妹より3年分多くご飯を食べているだけの人になるけどそれでもいいよ。
もう妹には何もしてあげない。
妹がいなかったらもっと楽だったのにな。
お姉ちゃん辞めたら私、何になろうかな。
それを有り難く頂いた後に母親が「そのお金を預かっておくから2年後のスーツ買う時に使おう」という提案をしてきたので
「いやいや、もう子供じゃないんだから、20超えてるんやぞ、スーツ買うときには働いているんだからこんくらいの金はすぐ出せるわ」
などと言って死守したのだが、何気なく口に出したこの論は真理を突いているのでは?と気付いた。
子供の頃、お年玉や入学祝いなどでお金を頂いたとき我が親は「ランドセルに使うから」「学生服買うために使うから」と言った理由でお金を回収していった。
当時の私はそういうものなのだなと考え、残念には思いながらお金を渡していたが、今思えば非常に勿体ないチャンスを逃していたのだと思う。
「身の丈にあったお金の使い方をしなさい」
しかし、それが重要になるのは、身の丈が極端に変わらない大人になってからだ。
親戚から貰えるお金は、往々にしてその年代には少々大きい額になることがある、だが10代の少年少女が使うお金の額はたった数年で一桁ずつ上がっていくため、数年後には有り難みのない額になってしまう。
言い換えれば、数少ない「身の丈を超えた、しかし数年後には身の丈に合うお金を使う経験」を得られることができるローリスクハイリターンなチャンスなのだ。
ローリスクというのは、「親が不要なお金を渡すことはない」という立場を取れることである。
「あまり会わない親戚から、祝い事の時だけ貰えるお金」ということを子供が認識していれば、身の丈を超えたお金を日常的に使えるものだと思うことは少ないだろう。
ハイリターンというのは、各々具体的な例を考えれば理解してもらえると思う。
自分は小学生の頃にカラオケやボウリングなどのレジャースポットを知っていれば、中学・高校生の時は物怖じせずに遊びに行けただろうなと思うし、中学・高校生の頃から服や化粧品を買うことができていれば、大学生大人になった今もう少し身嗜みに苦労することはなかったと思う。
ここで言いたいのは、分不相応という言葉も子供の頃なら悪いことではなく、大人になろうと背伸びをして初めて背が伸びていくのである、ということだ。
もし将来自分が結婚できて子供が産まれ、お祝い事でお金をもらった時には一緒にお金の使い方を考えたい。
まぁ自分が無理でも兄は恋人もいるしそのうち結婚して子供できると思うのでその時は甥っ子姪っ子に良い経験をさせてやりたいものだ。