はてなキーワード: ワープロ専用機とは
契約書袋綴じを指示されて和書の袋綴じをして怒られたって棘がバズってるけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2205369
いや、元々契約書の綴じ方も和綴じの袋綴じをしていて今でもやる場合があるのだ。そして昭和の契約書やら判決文、戸籍謄本などの法的文書は和綴じの方の袋綴じがされている。
そもそも現代の契約書の綴じ方には「袋」になっているところがない。なのに袋綴じと言われるのは和綴じから変わったからなのだ。
なんで平成中期というか1990年代前半に替ったかというと、コンピュータの出力法が変わったせいなのだ。
契約書などには割り印をする。ページの差し替えをされない為だ。そして契約時点で書面の内容に異存なしという意味で双方のハンコをページにまたがる形で押す。また背表紙の封紙と表紙にも割り印をする。
ページの割り印の仕方は、上の余白で折って隣のページとまたがる様に押印する。
でもこれちょっと無理やりだと思わない?
実は1990年代までは今のように両面印刷して製本するのではなく、原稿用紙のような升目用紙(内容証明用紙のようなの)に手書きで書き、それを半分に折って重ね袋綴じしていた。綴じるのに使うのは布の「こより」で、千枚通しで穴を開けてから紐を通す。河野太郎が廃止させたやつだね。だから千枚通しはオフィス用品だったのだ。
そして袋綴じされた紙を膨らませて片側のページを山型に折ってそこに割り印をしていた。
「ワープロ」を使うようになっても同じ。片面印刷して袋綴じにして割り印をする。
なんでパソコンじゃなくてワープロなのか?これは後で説明する。
戸籍謄本などはやはり手書きで同じように袋綴じされて割り印され渡された。
そもそも「謄本」と云う言い方をするのは、昔はコピーが無かった(青焼きはあるがコストが高くナンセンス)ので手写しであり、書面の中身を全部写したのが謄本で、労力が大変なので必要な部分だけ写したのが「抄本」だった為だ。今でも閉鎖謄本/抄本を請求するとこの形式で出てくる(流石にコピーを使うが)。そして和綴じ式の袋綴じで割り印されている場合がある。
こより綴じの方は昭和後期には省略されてホチキスになり、これは市役所や弁護士が先行したようだ。だが契約書類はこよりorこより+封紙+割り印が使用されていた。
コンピュータで印刷するというのは今では当たり前で、印刷するのは白いオフィス用紙で、一枚ずつ印刷される。
だが嘗てはコンピュータで使われるプリンタはラインプリンタが主流だった。ページプリンタはDTPなど特殊分野でのみ使用され、一般的なOA機器メーカーはラインプリンタしか製造していなかった。
ラインプリンタの用紙というのは、両側に穴が沢山開いてて薄緑などで罫線が引かれていて、ミシン目が入ってて切り取りが出来る連続用紙の事である。
ラインプリンタの場合、印刷の区切りが一行づつになっていて、プリンタに印刷指示が送られるとそのテキストを印刷して改行の必要がある場合は改行しそこで終了する。ミシン目まで行送りするという事は無い。
だから票として一枚ずつ切り離す場合は、ミシン目が来るところまで行送りを行って停止するという印刷指示を組んでおく。
また、嘗ての標準出力の延長でもあるのでコマンドラインとの相性も良く、リダイレクトやパイプ(|)でデバイスファイル(lp、PRN)にテキストを流すとそれが印刷されるという簡単さであった。
ラインプリンタはページプリンタに押されて無くなったかに見えるが、実はPC POSで印刷されるレシートはラインプリンタの生き残りだ。
プリンタの印刷方法はインクをしみ込ませたインクリボンを活字で叩くというのが主流で、日本語圏だと沢山のピンを弾いて打つ、ドットマトリックス方式が主流だった。これだと一字のドット数が16*16くらいが限界なので、細かい漢字は打てない。
だからカタカナ+数字しか出力されない伝票などの使用が主で、ページプリンタは普及しなかった。
一方、ワープロ専用機は最初からサーマルプリンタを備えていてページプリントが前提であった。だから普段のオフィス業務はコンピュータ+ドットマトリクス、文書の清書はワープロというのが一般的だった。
これで法的文書もワープロで作成し、縦書きで出力して手書きと同じ袋綴じにするというのが増えてきた。
今でも弁護士の文書で表題に倍角文字が使われたりするのもこの名残だ。
これがWindows95が普及するとページプリンタの普及も進み、イントラネットに接続される複合機が普及するなどで印刷=ページプリントとなったのだ。そしてやがて法的書類も両面印刷して製本するという形になった。
その時に本来の袋が出来る袋綴じは過去のものとなって袋が無いのに袋綴じと言われるようになった。故に今の袋綴じ方が当たり前になったのは20年位かと思われる。
因みにワープロより早くから、またワープロと平行する形で和文タイプというのがあり、これで升目用紙に、または白紙に升目用紙と同じ字の間隔で印刷するという方法もあったのだが、和文タイプというのはとても時間が掛かった。
この人は流石に遅過ぎなのだが、タイプするのが超絶大変な代物で、行政書士、弁護士など気合が入った士業と法務局、裁判所など気合が入った役所、気合が入った大企業の契約書など、兎に角気合が相当入ってないと使われない清書用アイテムだった。ある意味、100kgぐらいの巨大複合機より気合がある。
というわけで袋の部分が無いのに袋綴じという謎かけみたいな名前の背景にはオフィス史とコンピュータのプリンター史が隠れていたのであります。
昭和日本ではオフィス用紙も法的文書も原稿用紙も、B5だった。ずっとA4より小さい。会社でも役所でも裁判所の判決文でも全てB5だ。
だが1990年頃に役所関係の書類をA4にするというお触れが出た。これは国際化の一環で、ISOに定めれているのはA列だけでB列は日本独自規格。困ったことに当時一番の貿易相手国だったアメリカはアメリカンレターサイズをN倍したANSIという独自規格なのだが(またですか)、まぁレターサイズはA4に近いしA4を標準化すれば万事うまくいくでしょとの見込みだ。
これに数年遅れで企業も倣ったのでB5というのはパージされることになった。
世の中全部B5からA4に変わったのに、大学ノートだけはB5が主流のままだ。あれは何でなんでしょね?小さいと使いにくいのに。
今はオフィス用紙として白くてある程度の厚みがあるものが使われているが、これはコンピュータ印刷が一般化するまではとても薄いペラペラでテカテカつるつるしている紙が使われ、これが「公的な場所で使う」紙だった。
先述の手書き&ワープロの升目用紙も全てこの極薄+つるつるの紙である。両面印刷して製本されなかったのもこれが理由の一つだろう。
これは「カレンダー紙」で、紙を押しつぶす鉄製のカレンダーロールの間を極圧で通して押しつぶし、薄くする。
トレーシングペーパーやクッキングペーパーと同じだ。
また、請求書類の封筒は中の請求書の名前住所が見えてあて名書きを省略してあるが、あの透けた部分が透明ビニルじゃなくて透けた紙である場合もある。この透ける紙もカレンダー紙だ。
公的書類でカレンダー紙が使わるようになった理由だが、増田は羊皮紙の代替ではないかと考えている。羊皮紙は中世の欧州から使われていた「紙」で、羊やその他の皮膚の薄い動物の皮を剥ぎ、石灰水で皮下脂肪を除去して薄く削いで引っ張り、紙のようにした。 https://w.wiki/7FnV
鞣しをしないのがポイント。これは高額なので貴族の手紙や証文、聖書の写本など「公的」な書面に使われた。
これの代替の紙としてカレンダー紙が使われ、それが「高級紙」として日本に輸入されて、ペラペラなカレンダー紙を契約書や判決文に使うようになったのではないか?と推測している。
こういう訳で、昔の契約書やら公的書類などはやたら薄いのが特徴だ。破れそうで怖いのだが、そっとめくるだけなら破れない。
なお、トレーシングペーパーやクッキングシートは長期間放置するとバラバラに崩壊してしまう。これは硫酸で晒しをする為に酸性になっているからで、昔のペラペラ重要書類はそうはならないので、硫酸晒しをやってないのではないかと考えられる。
いいなあ~、ほしいなあ~、父さんも大学行きたいよ。
いや、買えばいいじゃんって軽く言うけど、キミの母さんがさあ。「もってるじゃん」ってすぐ言うんだけど、これ、VAIOの505だよ。こんなの職場で誰も使ってないよ。
ま、それはいいや。
せっかくだから父さんの思い出話、聞いてくれよ。
PC286VSってヤツ。キミのMacとほぼ同じ、型落ちで20万円ちょっと切るくらいだった。秋葉原の九十九電機でね。今もあるかな。
そこは父さんが中学生のときに初めて8801mk2を買ってもらった思い出の店でね。ってこの話、100回くらいしてるっけ?
そう、SRが付いてない88。ってそこは触れちゃいけないって父さんいつも言ってるだろ!
いーんだよ、「三国志SR版」は動いたんだから。調子に乗って「信長の野望SR版」買ったらきっちり動かなくて泣いたけどな。
Windows?そんなものはもちろんないよ。286VSで使っていたのは「MS-DOS」だ。エムエスドスと読むんだよ。
「声に出して読みたい日本語」にも収録されると噂されるほどだから、ちょっと声出してみなよ。そうそう。
じゃ、今度は舞妓はんみたいに言ってみな。「エムエスドスどす~」って。ドスドスのところ最高!!
・・・なんだよ、そんな目で見るなよ。だって京都、行ったことないんだからしょうがないだろ。
マウスでクリック?そんなものは一部の金持ち、つまりKO大学のボンボンが「マッキントッシュ」なるパソコンでやっていたらしいが、父さん、全然うらやましくなんかなかったぞ。
カカカッとDOSのコマンドをタイプして、シパーンとエンターキーを押す、これが当時のナウなヤングのイケてる「パソコン仕草」だったんだよ。KOのヤツらにはマネしたくてもできなかったんだよ。
え?いーんだよ。「義塾」が抜けてますってすぐ言うんだよ、KOの人は。普通の人は義塾なんていちいち入れないんだよ。
いや、落ちたから言ってるんじゃないっての!そこも触れちゃいけないって父さんいつも言ってるだろ!
ちょっと待って。そうやってすぐにスマホ出してググるんじゃないよ。
あのね、Googleは当時のことは何にも知らないよ。まだインターネットなんてないし。せいぜいパソコン通信だし。知らんけど。
それにネットが出始めたときだって、誰もGoogleなんか使ってなかったよ。みんなYahoo!で検索してたんだよ。
私の場合はお金取ってるんじゃないんだから、曖昧なところも全部ひっくるめて、「歴史」を感じればいいんだよ。
あの当時、パソコン業界を支配していたはNECの「PC-9801」というパソコンでね。あ、私の無印88もNECのパソコンだよ。無印は余計だよ!
当然、NECも強気の価格設定で、学生はおいそれとは買えなかったんだ。ま、KOのヤツらはマッキントッシュと一緒に買ったかもしれないけどな。
そこにEPSONが「98のアプリが動く!」という「98互換機」を安く売り出したからさあ大変。
NECは「おのれ、EPSON!」と訴えたり、互換機が動作しないようアプリに細工したり、EPSONも負けじと細工を無効化するアプリを作ったりと、それはもうすったもんだしたみたい。詳しくはググっといて。
ま、結果的には、NECも廉価版の98を出すことになって、そのお陰で父さんも数年後、「やっぱNECだよねぇ」と言いながら9801BXを買ったから、EPSONには感謝しかないよ。だから今使っているこのプリンターも・・・あ、ブラザーだった。
しかしねぇ、まさに無双状態だったNEC98帝国が、その後、Windows帝国によって滅亡させられるとは、お釈迦様でも知らぬ仏のお富さん、だよね。
おごれる者も久しからず、ですよ。キミももう大学生なんだからそのあたりの教養もそれとなく身につけときなさいよ。KOの学生にディスられても知らないよ。
その286VSで私が愛用していたのは、まずは「一太郎」ね。バージョンは3.0。ワード?何それ?
まだまだ「書○」とか「○豪」とか漢字二文字の名前が付いたワープロ専用機を使っている人が多かった中で、「一太郎」だからね。
漢字一文字分、優越感に浸りながら、来る日も「ESC(エスケープ)キー」をシパーンシパーンって叩いていたもんよ。
そして表計算は、みんな大好きロータス1-2-3。エクセル?何それ?
今でも黒字に黄色の文字を見ると、父さん、テンション上がっちゃうんだよね。意味なく「/」を押したくなっちゃうんだよね。
さらに毎週レンタルソフト屋でゲームソフトを借りて***したりね。「おっちゃん、コレ、外せなかったよ!」とか文句言ってさ。何が外せなかったかはググっといて。
そんな時代があって、今、キミはM2のMacが使えるということを忘れてはいけないよ。
で、大学、どこに決まったんだっけ?
え、KO!?
スマートフォンが普及した昨今、TikTokやYoutubeショートなどの登場の影響もあって非常に縦撮りが増えた。
カメラ史上もっとも縦撮りされている時代だと言っても過言ではあるまい。
しかしガジェット好きとして、誕生から撮り続けていた息子(6歳)の写真(動画を含む)が3万枚を超えた父親として、子を持つ親の皆様へハッキリと申し上げなければならないことがあるッッッ!!!!!
様々な電子機器メーカーが「これからは縦撮りの時代だ」と多くの縦ディスプレイモニタ(ピボット機能付きディスプレイモニタ)をリリースしたが一向に縦ディスプレイモニタが主流化する兆しは無いのだ!!!
店頭のデジタルサイネージで見かけるか、「Webページって縦方向に推移するからディスプレイモニタは縦置きがマストなんだよね」とマニアがドヤるときくらいしか見ないんだよ!!!!!
ちょっと考えてみてよ?
もし子供が将来「小さい頃の写真や動画をまとめた動画作りたいんだよねデータちょうだい」って言われたら縦撮りだと困るだろ!!!!!!
それが結婚式披露宴だったらどうするよ?巨大なディスプレイモニタやプロジェクターで思い出を振り返るだろうけれど、そのディスプレイモニタやプロジェクターはおそらく将来に渡っても横だぞ??????
「過去にワープロメーカーがワープロ専用機は将来に渡って無くなりませんって言ってた」とかそういう事例はもちろん知ってるよ?
じゃあ何?あなたは映画を観に行きたいと思ってプラネタリウム映画を想像するんですか?と、360度映像の映画を想像するんですか?と、映画はVRゴーグルでの視聴を想像するんですか?と。
いやいや映画は横だろ!!!映画が360度になるのはまだしも映画が縦にはならんやろ!!!!!!!!!!!
いや将来、縦ディスプレイモニタが主流化するとしてさ?今からそれにBETしちゃうの??????
本当に確実に絶対に縦ディスプレイモニタが主流化すると今から確信できてんの?????????
理解したなら我が子を撮ろうと構えてるそのスマホ!今すぐ90度回せ!!!!!
たったそれだけだ!たったそれだけで将来の子供に格好つけられるんだぞ!!!!!!
「その言葉を持っていた・・・使いやすい素材を全力で提供してやろう」って言えるんだぞ!!!!!!
ちなみに360度カメラだとそのへん気にしなくて良いから楽だぞ!!!!!
あと本当に100番目くらいに大事なのかは知らん!!!!!
納得できないのではない、納得してやらんのだ。
北海道の人口100人にも満たない集落にある漁師の家に生まれ、将来は家を継いで世間知らずであり現金収入は少ないが食うのに困らない一生を過ごす。
そんな選択が俺にはあった。
だけれど、そんな人生に納得できなかった俺は中学卒業と共に実家を飛び出した。
小学校は同級生3人、自転車で2時間先にある中学校は何とか1学年2クラスを作れるという少子高齢が進む地域。
中学では腕っぷしの強くヤンチャな生徒、つまりは不良が幅を効かせているような文化圏、はてブで都会住みの連中がイメージするステレオタイプなド田舎と言って良い。
その当時の大人の世界では義務教育でパソコンを習わせたほうが良いという機運が高まり、各校へパソコンが配備されるようになってきた時代。
しかしながらド田舎の公立高校でそのような先進的な機械が活用されることはなく、暇を持て余したガキだった俺のオモチャへとなるのがせいぜいだった。
田舎には田舎のルールがある。
それは例えば「中学では後輩は先輩に喧嘩で勝ってはいけない」というのもルールの1つだが、クソ真面目にも早朝から起きて実家の漁を手伝い、授業が終われば部活動の野球へ日々精を出していた俺の身体能力は、年上であっても体育の授業をサボるような不良連中より劣っているわけもなかった。
ド田舎の古い価値観を持った父親のありがたい教育方針であった「男がナメられるんじゃねぇ」のもと、先輩たちが売ってきた喧嘩を買いまくり、不良の先輩たちを不登校へ追いやってしまった結果、晴れて俺は学校中からハブられ中学野球の試合にも出られなくなってしまった(野球部には所属してて毎日練習はしていた。先輩たちは卒業まで学校に来なかったが)。
ハブられてしまったため日々暇な時間を過ごすようになった俺が出会ったのが図書室の本と、前述したパソコンだった。
最初はプリインストールされていたソフトで遊んでいるだけだったが、教員も書類はワープロ専用機で作る時代だったのでパソコンの知識がなく管理がザルで、俺はそのパソコンがパソコン通信とインターネットへ接続できることに気が付いてしまった。
Yahooからリンクサイトを経由し、電子掲示板という存在を知った俺は日々電子掲示板サイトへアクセスし、誰とは知らない人たちと会話をして時間を潰した。
話題には事欠かなかったし、専門性の高い話題が出ると「ちょっと待ってね。ここ図書室なんだ」と言ってソレ関連の本を引っ張り出して、パソコンの先に居るお兄さんなのかお姉さんなのか知らないが、興味深い話を日々聴くことが出来た。
「増田クン、これからはPerlの時代だよ」
「いやボク最近やっと思い通りBASIC書けるようになってCの勉強中なんですけど」
「もちろんCは大事だよマイコンに使えるし。でもさサービスを提供するならPerlが向く。DoCoMoのiモードだって裏ではPerlだよ」
「ボクの住んでるとこピッチ圏外ばっかり、田舎だもん」
「iモードはピッチじゃないよ周波帯が違う」
特にコンピュータ関連の話は面白かった。
ゲームは自作できると教えて貰い、プログラミングを始めるようになり、BASICやC、Perl、PHP、Javaをよく触るようになった。
図書室が我が王国のようになり、問題児が図書室に籠もっていてくれているし、図書室通いの結果からか試験の成績も悪くないどころかトップクラスであり教員たちもずっと放置してくれた。
そんな生活の中で知れたのは学区に依存しない高校の存在だった。
寮もしくはアパートなどで一人暮らしをしつつ通える高校が世の中には存在することを知ったのだ。
これだと直感的に思った俺は親父へ直談判することにした。
俺の故郷に未来はないと薄々勘付いていて、正直なところ青二才だったため「じゃあ俺がいい大学入って故郷へ錦を飾れば良いじゃん」と出稼ぎ感覚でいた。
親父は俺の話を無言で最後まで聞いていた。
今思えば何をアホなこと話してるんだと思ったが、一応は国立高校だったため学費はそこまで高くなく、何だかんだで小さな頃から家業を手伝っていた俺がバイトしながら高校へ通うことに関しては古い価値観の「苦労は買ってでもしろ」的な面から了承されたのかなと思う。
おそらく一番困らせたのは高校入学祝いに当時の最新パソコンと引越し先でインターネット回線を引く費用を求めたことくらいだったのではないかと思う。
右も左もわからない状況から一人暮らしを始め、訛りのひどさにクラスでイジられ、バイト先に勤めている大学生の兄ちゃんたちに世話してもらいながらも毎日新しい体験をして過ごした。
世の中は広く世間の移り変わりは早い。着メロは和音が鳴るしディスプレイはカラー。携帯電話の電波は田舎にまで届く。
甲子園を目指したが強豪校はやっぱり強く負けてしまい、人生で初めて望んだ結果が得られないことを経験した。
しかしそれでも俺は何となくコレは真理なんじゃないかと思い始めていた。
そして国立大学へ合格したことを期にコレは真理だと確信したんだ。
今の俺は別に故郷へ錦を飾れたわけでない。
しかし俺は不良が風を肩で切るようなド田舎出身で脳筋な漁師の子だ。根本は変わってないと思っている。
それが今やG社に勤めているって言うんだから人一倍の努力は裏切らねぇなと。
自分が持ってないものが欲しいならば努力するしか方法がない。
学歴が欲しいならば年収が欲しいならば地位が欲しいならば努力するしかないんだよ。
誰もお前のために人生なんかかけてくれない。
お前の人生にかけてくれるのはお前自身しか居ないんだよ。
どこから書いたもんか。
あらかじめ言っとくけど、長い。
どのへんがターニングポイントになってんのかはよくわからんが、ここ10年以内のことではあると思う。簡単にいうと、利益を上げるための手段が、経営努力から人件費を削ることになった。まあ人件費削減がコスパでいうともっとも王道ってのは昔から変わらんのだけど、ほかの方法がいっさい通用しなくなった、というほうが正解かもしれない。ちなみに現在でも利益はかなり出ていて、その面から考えればコンビニをやめる理由はない。実際、やめられるもんでもない。
人件費を削るというのは、具体的にはどういうことか。レジに立ってりゃいいってことである。さらに昨今では削りたくなくても勝手に削れるという事態がけっこう頻出している。つまり、募集かけても人が集まらない。集まったとしてもこちらの希望の時間帯が集まるわけではないから、オーナーみずからが穴埋めをすることになる。生活リズムはガタガタだし、まとまった休みがない。
要約すると、オーナーの仕事はこうなる。1分でも長くレジに立ち、ひたすら接客を繰り返し、バイトのシフトの穴埋めをし、病欠があればかわりに埋めて、連休をとることもなく、てゆうか休みじたいがとれず、ただただ無限にレジに立っていればよい。それだけである。5年後も、契約を更新すれば10年後もひたすらレジに立っていればよい。
もちろんこれは極論だ。実際にはバイトにレジやらせてる時間だってかなりあるし、机に向かって仕事をしなきゃいけないこともある。品出しだってゴミの交換だって重要な仕事である。
あとそもそも現在でも成功の方程式はきっちりある。けど俺はその方程式が嫌いだったし、嫌いであったがゆえにこんな現状に追い込まれているというだけの話である。あれだ、つまり自己責任。
さて、なんでこんな事態になったのかなのだが、ひとつには本部のたゆまざる努力がある。コンビニ関連のホッテントリが出るたびに、本部は一方的に悪者になっているが、向こうだってチェーンが壊滅したら困るので、ちゃんと努力はしている。具体的には、可能な限り少ない人手で店を回せるように、さまざまなところが機械化され、電子化され、要するに店の運営のためにかける手間が飛躍的に減った。このへんは実感している関係者も多いのではないだろうか。よって、そのぶんバイトがを減らすことができる。そのぶんオーナーがレジに立てば人件費は浮く。
そしてすべての根源的な原因だが、人件費の高騰である。これもう、首締まってるオーナーかなり多いと思う。実際には、多少人件費が上がろうがなにしようが、余裕で払えるくらいのロイヤリティにしろよって話でもあるのだが、まあ向こうもそう簡単に下げられないだろう。なにせ数字になって跳ね返ってきて株価でも下がったら目もあてられない。
というわけで、俺は毎日のようにレジに立っている。レジも含め、基本的に複雑なところはあまり頭を使う必要がなくなった。だからレジに立っていればよい。本部の施策も進歩した。オーナーみずからがなんらかのコスト(主には人件費だが)払って、新たな努力をする必要もない。下手なことをするくらいなら、レジに立っていればよい。
毎日が単純作業である。そしてバイトが増える気配はない。明日も明後日も、たぶん5年後も同じ毎日だ。休みもない。金はまあまあふつうにあるが、どうせ家と店の往復以外にやれることがないので使う意味がない。せいぜいエロゲを買うくらいだが、そのエロゲもあまりやる時間がない。
こういう状況になると人間はどうなるかというと、なにもかもがどうでもよくなる。摩滅していく。人が足りなくなってさらにシフトがきつくなるのはわかっていても、もう募集をかける気すらしなくなる。なぜなら募集をするためにかけなければいけない手間、時間のことを考えると、家で寝てたほうがましだからだ。どうせ状況は悪化することはあっても好転することはない。むしろ死ねばレジやらなくて済むわけだから、うっかりシフト中に死ぬと楽である。
もちろん、そう簡単に死ぬわけにはいかない。どうせ待ってりゃあと数十年と経たずに死ねるわけなので、いま急いで死ななきゃいけない理由もない。そして俺には文章書きという無敵の趣味がある。金もかからない。最近はようやく小説を書けるような気がしてきた。人間諦めずにがんばってみるもんだなあとか思ってた。
しかし、気がついたらある日、すべてのテキストファイルを削除してた。
ストレス耐性には自信がある。体力も人並み以上にはあるほうだ。しかしやはり人間なので、高いストレスはどこかに悪影響が出る。俺の場合、それは物を壊すことにあらわれる。過去にもノートパソコンとかいろいろぶっ壊してきた。これは高価なものであるほど、自分にとってたいせつなものであるほどストレス軽減効果が高い。ひっとしたら紙幣とか燃やすとすっきりするかもしれない。
最近は年くってきたおかげなのか、そういう衝動的な行動はなくなってた。どうやらテキストやらアカウントやらを片っ端から削除したのは、その代償行為であるらしい。Dropboxからローカルやら、片っ端から丁寧にテキストを削除しているときは「これで楽になれる」くらいのことしか考えていないし、その作業に没頭している。
なんで俺はこんなことをしてるんだろう、と。
人生のほとんどの時間、なんらかの文章を書いてきた。ネット環境を入手してからはほぼ20年、なんらかのかたちでどこかには文章を公表してきた。そのすべてを削除するということは、俺という人間の少なくない部分を消してしまうにひとしい。
そこまで考えてようやく気づいた。
どうやら死にたかったらしい。
なるほど、ならば物を壊すにも高価なものほどよいこと、自分に近いものほどよいことも道理である。自分を消すことの代償行為なのだから。
そういえば思い当たる節がある。
実は最近、わりと派手に下血した。貧血でぶっ倒れるようなレベルのやつで、それじたいはまあ「運が悪かったっすね」程度のやつで、だれにでも起こりうる程度のものだったらしい。入院も1泊2日で済んで、つらかったことといえば大量の謎の味の下剤を飲まされたことくらいだ。
けどそれも、さんざん検査されたりアナルに指つっこまれてお尻アツゥゥゥイとなったあげく、やることなくてフルメタ1巻から読み直してテッサさんにも下剤飲ませておそろいになりたいなあ、てゆうより3日くらいお風呂に入れなかったテッサさんの頭皮のにおいすごいかぎたいなあなどと思っていた俺に、医者が「どってことねっす(要約)」と言ってくれたからわかったことで、実はそれまで大腸がんの可能性を疑っていた。わかってる。テッサさん特に必要ない。わかってる。
というのも、下血はこれが初めてではない。んで、下血で調べてみると、たいていの場合、まず大腸がんってのが挙がってくる。だからまあ、なんでもないよって言われたらほっとしていいようなものなんだけど、そのとき俺が最初に思ったのは、
「これでレジ打たなくて済むようになると思ったのに」
ということだった。
そのときには「そこまで仕事したくないのか俺」みたいなことしか考えてなかったんだけど、ここ数日の精神の動きを考えると、どうやら俺をして「死ぬ」という思考に進ませなかったのは、単に「俺がいなくなったらあちこち回らなくなる」という義務感だけだったらしい。まあでも、あんがいだれしもそんな部分はあるのかもしれない。空っぽになったDropboxのフォルダ、アカウントを消してしまったなろうのトップページをぼんやり見ながら俺は、これが無かーなるほどなーなどと思っていた。
自分がかなり追い込まれてやや病的な状態なのはわかるし、なんならブコメでプリントアウトして病院行けとか、睡眠運動瞑想野菜末路悲惨(最近あんますすめてるの見ないな)などと言われそうなこともわかっているのだが、かといって、俺は明日もレジだし明後日もレジだ。おまえは頭を使う必要はない。おまえはただの道具だ。そこに長時間束縛されていることだけがおまえの価値だ。そういう声を聞くともなく聞きながら俺はレジに立っている。なにをすればこの状況を脱出できるのか、どうすれば状況は好転するのか、そのすべてを理解しており、それを実行するだけのスキルを持ちながら、やる理由も意欲もまったくない。ただすべてが早く終わってくれと、それだけを願っている。
んで、これだけなら別に書く理由もなかったかもしれないのだが、実はここまでで前置きである。
アカウント消す系のやつはけっこう昔から頻繁にやってて、そのうちのかなりの比率はパスワード忘れた系のやつなのだが、そうでない場合は、今回と似たような軽めの自殺的な意味合いが強かったらしいことを理解した。昔からそうなのだが、読まれたいという気分は人一倍強いくせに、実際に読む人が出現すると、とつぜん逃げ出したくなる。その矛盾のなかで、それでも読まれるとうれしいというほうが強かったから、今日までいろいろ書いてきた。とはいえ、ここ数ヶ月は「だれかが自分の存在を知っている」と思うだけでもう無理、という気分が強い。この気分は強くなる一方で、改善する余地がまずなさそうである。反対に書いたものをだれかに読まれたいという欲望はどんどん薄くなる一方だ。人は結局スタート地点に戻るものなのか、だとしたら俺は、だれにも読ませるあてのなかった文章を大量にワープロ専用機に叩き込み、フロッピーディスクを何十枚となるためこんだ、あのころに戻るわけだ。いままで晒してきたぶんはどうしようもないとして、もうこれ以上、自分に由来するなにかをネット上には残したくない。そこに俺の刻印があろうとなかろうと、記名だろうと匿名だろうと、とにかく俺が存在している事実をだれにも検知されたくない。
なんでまあ、外向けの文章書きの臨終の地として増田を選んだわけだ。
というわけで、本題はお礼である。
ネットに文章を公表するようになってからは20年だが、それ以前から大量の文章を書いてきた。ネットに公表するようになってからは、ほんとうに読む人に恵まれてきた。いちいち名前を挙げていたらきりがないし、増田はそういう場所でもないだろう。ただまあ、お礼は言っておきたい。心当たりのある人は、だいたい心のなかで俺にお礼を言われているはずだ。これだけ癖の強い人間につきあってくれた人たちには頭が上がらない。特に、最後の数年間を過ごしたツイッターのタイムラインの方々には心からお礼を言いたい。あなたたちがいたからこの数年、俺はプライベートで退屈もしなけれは、いくらだるくてもなんとかやってこれた。深夜どころか朝方に近い時間帯に勃発するエロゲ談義、ほんとに楽しかったです。ネット上では、ことに長文ではまず使ったことのない言葉をここで使いたい。
あとつけくわえることがあるとすれば、ワールド・エレクションはクルルがやばいくらいかわいいという意味で隠れた名作だし、ココロネは菜砂が想像以上にやばいくらいかわいかったのでやったほうがいいです。乳圧は精神力で耐えるしかない。あとリールゥ意外にかわいいんですけどこれはどうしたら。
https://note.mu/fromdusktildawn/n/n5067707f07a7
自己顕示欲と承認欲求が肥大しまくって頭内側から割れそうなので、もう頭を下げて増田のみなさんに知恵を借りたい。
小説自体は子供の頃からもう何十年も書き続けて、最近はネットで公開してるのだが、誰にも読まれない。
ツマンナイとか言われる以前の問題として、そもそも読まれない。
なろうに置こうが、noteに書こうが、ツイッター(一応フォロワー1000以上)そもそも反応がない。アクセスもない。
昔家でワープロ専用機で書いて印刷して自己満足してた頃と何も変わってない。
こういうことを書くヤツに限ってURL貼らないんだよって言われたから増田に貼ってみたらわりと面白いって言われた。うれしかった。
でも増田で宣伝するのは規約違反らしいのでもう貼ることはできない。
今回も自信作をアップした。
だがアクセス1日7だぞ!
一桁だぞ!
だから文章力そのものが決定的に無い、というわけでもないだろう(と思いたい)。
自己顕示欲と承認欲求のオバケだから自分の作った作品は読まれたい。ほめられたい。
なろうで承認欲求満たすのがあたりまえみたいに言われてる人たちはどうやって読まれてれるんだ。