私には三つ下の妹がいる。私が幼かった頃、妹はそれより三つ幼かった。
私はお姉ちゃんだったけど大切なおもちゃを妹に譲れなかった。お母さんのだっこの順番を譲れなかった。いつだって私はピンクや赤を選んだ。妹がいつも後ろをついて歩いてくるのが嫌だった。スーパーに行った時、いきなり走り出して妹を撒いたことだってある。
でも妹はしばらく私を追って見つけられないと分かれば私がお母さんの元に戻った時にはもう既にお母さんの横にぴっとりとくっつくようにしてそこに立っていた。
それでも妹は私を「お姉ちゃん」と呼び続けてくれた。
そんな妹が受験を終えて今年の春、とうとう高校生になった。三つ小さかった妹は幼い頃と変わらない顔つきで背だけが伸びた。
受験生だった頃の妹はコップ1杯分ほど飲み残したペットボトルを床に置き、脱いだ服を脱いだ形のまま床に捨て、また新しい炭酸飲料を開け、またコップ1杯分残したペットボトルを床に転がした。
真夜中でも日も昇らないような早朝でも時間を構わず家の中で鳴り続けるアラームの音は睡魔に負ける寸前でも再び起きて勉強をしようと妹が設定しているものだった。しかし、そのアラームの音が止められることはなかった。なぜなら起きないのだから。
可愛かったはずの妹を心の底から鬱陶しく感じた。
それでも妹は受験生だったからストレスもあるだろうと姉として妹の支える立場だと気を強く持ち、妹にとっても私にとっても残りわずかの辛抱と思い、耐えることにした。
そして待ちに待った3月。妹は志望校から一つランクを下げた高校に合格した。
合格発表の日、照れくさそうな晴れ晴れとした表情で受験番号の横に並ぶ妹を写真に収めながらこれで何もかも大丈夫になると思った。
ところがストレスから解放された妹はどこかに出かけたいあれを食べたいこれが欲しいと常に駄々をこねた。
私はそれでも妹にとって優しくて何でもできるすごいお姉ちゃんであり続けたくてアルバイトで稼いだなけなしのお金で妹を色々なところに連れていき、色々なものを食べさせた。
少しは欲しいものも買ってあげた。
私が「どう?」と聞くと妹は「おいしい」と答えた。時には「楽しい」と答えた。そのくらいだった。
それでもたまに遊びに行くのを断ると妹は不貞腐れた。
喜んでもらいたくて良かれと思ってやっていたことが妹の中では当たり前になっていた。連れて行ってもらって当たり前。買ってもらって当たり前。
真夜中に友達とギャーギャーと盛り上がりながらテレビ電話をする妹の声を聞いて、四六時中入学祝いとして買ってもらったスマホにかじりついて声を掛けても返事すらしなくなりただ液晶の光に煌々と照らされ続ける妹の顔を見ていたら、もう私の「かわいい妹」じゃないんだなって思った。
キッチンから食卓に運んだ箸やご飯茶碗や食器を配膳しようとしない。食べた後の食器はつぎの朝まで食べたまま。何度言っても直らない飲みかけの炭酸飲料を床に置く。最近はそれを私のせいにしようとしたりする。目覚ましを一度止めた後スヌーズにして1時間近くも10分間隔で鳴らし続ける。到着時間に家を出るくせに「遅刻したら怒られる」と車を運転する母を急かす。壊れた笛のような鼻歌を同じフレーズを繰り返して歌い続ける。自分が悪いときでも絶対に謝らない。謝るようにしつこく言った時でもお笑いコンビの響のような謝り方しかしない。他にも嫌いなところはもっとある。
正直今まで何か一つやってあげた分、一つ見返りを求めていたけどもう何もしてあげないし何も期待しないことにする。
そう言ったら「ゴメンネ」「これから頑張るから」と言われたけどその後、洗うように頼んだ皿が朝まで手付かずのままシンクに横たわっているのを見て「何がこれから頑張るだ」と妹が洗わなかった皿を代わりに洗いながらこれを最後にしよう。これから妹の使った食器は洗わないことにしよう、と自然と思えた。妹の分の食事も用意しないし、妹が返事をしないなら私だって返事をしない。私が妹にしてあげられることなんて何も無いんだから。
私が妹のお姉ちゃんじゃなくなったら私はただ妹より3年分多くご飯を食べているだけの人になるけどそれでもいいよ。
もう妹には何もしてあげない。
妹がいなかったらもっと楽だったのにな。
お姉ちゃん辞めたら私、何になろうかな。
うんち
お姉ちゃんがんばったね! 次は僕の奥さんになってください。
ナイスうんち返し
ワイになるとええで
絶縁して 薄給で貧困生活の個人になる
弱気お姉ちゃん部に入部したいんですが