はてなキーワード: ドリームキャストとは
えっ、ソニコンとかが出してるじゃん。なんで?
追記。なんか、真面目そうだしゲーム業界の未来を知ってそうなので聞きたいことがある。昔のゲームソフトは、時間生成の乱数のアルゴリズムがゲーム機の OS でなくて、起動時間を根拠にした乱数とかになっているのだけど、これが事実だとするとドリームキャスト以降のゲーム機は「Windows のような OS に依存したソフト」になっていると思うのよな。何が問題かというと、ある時期以降になるとゲームソフト自体が起動できなくなるような気がするのよ。根拠は暗号化プロテクトやら、DirectX とかにゲーム開発者自体が依存しているから。それは 3D や CG といったものにコストがかかる以上は、仕方ないので諦めてくれ。あと、ディスクメディアも寿命あるから、カセット系よりも寿命は短いと思うのよな。アルミの酸化皮膜を高速回転させるから、接着剤の劣化でこれは絶対に起こると思う。(MO 技術のPSP は寿命が長いと思うけど、関係ないか。)たぶん、初期のプレステソフトは読めなくなってきているはず。つまりは、カセットメディアのようなゲームの楽しみ方は、今のゲーム機はできないと思う。その現状で、君はどう思うかい?何もできないけど、率直にどう思う?
やあ、かつて初心会についての記事を書いた増田だよ。いろいろ本を買い足して読みなおしては新規の古い知識を突っ込んでるよ。新作はまだもうちょっと時間がかかるから待っててね。
息抜きとして今まで読んだ業界本を簡単にレビューしていくよ。当時のことを調べたい人は参考にしてくれるとうれしいな。
ある種のバイブル的存在。スーパーファミコン登場時の任天堂やゲーム業界周りのことを非常に詳細に書いている。任天堂のことを持ち上げつつも当時から流通網の矛盾、ロイヤリティビジネスのおかしさを指摘していて非常にハイレベル。是非読んで欲しい。ただ後日山内社長は「300万台買うからリコーのCPUを安くしてくれ、なんて言ってない」と否定してる。(後年の社長が訊くではリコーの工場の稼働率が非常に悪いことが上げられていた。だから任天堂の無茶振りにリコーが応えたのかな?)
PS1立ち上げに関しての裏事情を綴った本で、流通やソフト会社呼び寄せるにあたってのアプローチが詳細に書かれている。またこの本では「任天堂がふざけた契約違反をしたからソニーが激怒してゲーム機突っ込んできた」説を取っていて、任天堂との会談をまるで見てきたかのように書かれているが、久多良木健氏は別に恨みをベースにやっていなかったんじゃないか、とは丸山茂雄氏の談。それはさておき、最初に任天堂に久多良木氏が接近した話なども載っていて面白い。FM音源(ディスクシステム音源?)と、PCM音源(スーファミ音源)との聞き比べ対決をして久多良木氏は任天堂に音源チップの売り込みにいったんだと。
「セガ・ゲームの王国」が改題された文庫。セガがメガドライブでどんどん任天堂を追いつき追い抜く(米国にて)様を持ち上げたもの。セガの歴史を学びたい人にはうってつけ。ただ今読むと苦笑してしまう持ち上げっぷりなのはご愛嬌。
スーパーファミコン全盛期に書かれたものだが、上の「スーパーファミコン 任天堂の陰謀」などを読んでそのまま書き足した記述があちらこちらにあってげんなり。作者自身で取材した様子はなく、今の時代わざわざ読む価値はないと思う。ちなみに同作者は同時期「ソニーが任天堂に食われる日」「セガにおびえる任天堂」、後年には「ソニー・プレステが消える日」なんて本を出している。一応全部読んだけれど、わざわざ読まなくていいレベルの本。唯一評価できるポイントはソニーがスーパーファミコン一体型CD-ROM機について「スーパーディスク」と銘打ち、ソニーだけの独自規格と広告したのを任天堂が危機感持ったのでは、と指摘したことくらいでは。
PS1立ち上げの話をいろんな人にインタビューして記事にしたもの。CPU、流通、本体機構、サードのサポート、コントローラーのグリップ、値下げ合戦と、セガと任天堂に負けるなという気概でどのようなことをしてきたのか、どう決めてきたのかわかる一級品の資料となっている。PS1発売が12月3日に決まったものの、8月の時点でまだ生産台数が決まっていなかったなど、当時のどたばた状況が伝わってくるインタビューが載っている。あと最初のほうの開発機材でCD-Rに10枚焼いてもまともに読み込みできるのは3枚だけだった、などなど。
タイトルはプレイステーションだが、内容は任天堂、セガ、松下にもバランスよく触れていて、いかにしてソニーが任天堂を打ち倒すべく思案してきたかが書かれている。洗練された流通で、問屋を利用する任天堂よりもきめ細かい制御ができるソニーだから勝利した、という内容なのだが、最終章に「このままいけばこの流通も破綻するのではないか?」という記述があって驚く。革命は起こした時よりも、その後のほうが大事だという至極最もな結論に至ってる良書。
当時のゲーム流通をうまくまとめてある本。セガ、任天堂、ソニーの三社をそれぞれ解説している。特にこれと際だってすぐれたものはないが、初心会流通の任天堂、独自のソニー、バンダイと提携するかもしれないセガの立場をそれぞれかみ砕いている。
8.売られた喧嘩 買ってます 任天堂勝利の青写真(1996年)
とてもアレな題名だが中身は大真面目。「王者任天堂に勝つのはセガでは無理だ。ソニーでしかあり得ない」という視点で、挑戦者ソニーを解説している。よほど念入りに取材をしたようで、初心会幹部へセガが引き抜き工作をした話などが載っていて驚いた。面白い本だから是非みんな読んで欲しい。
9.セガvs任天堂 新市場で勝つのはどっちだ!?(1994年)
任天堂山内、セガ中山の社長同士の経営理念や過去を対比させて現状を解説していく本だが、とにかく取材がすごい。任天堂の労働争議の話や、メガドライブ以前のセガのコンシューマ機が問屋から嫌がられていた話(1ケースがでかくて重い!)など、他の本ではでてこない話がバンバンでてくる。わざわざアメリカにいって各地の小売店でゲーム売り場の様子まで確認しにいく取材力は感嘆する。著者の国友隆一氏はゲーム関連の本をこれ一冊しか出していないのだが、残念でならない。是非今のゲーム業界を取材して本を書いて欲しい。そう思える良書。
「セガのドリームキャストは日立製のパワーVR2というCPUを採用している」や「入出力にはUBSホストコントローラー」といった腰砕けになる記述がある。お察しください。
3DプリンタやARが目立つようになった時、初音ミクが出た時、ドリームキャストが出た時、パソコンが出た時、パソコンが有名になった時、バザールでござーる。
いつだって元年、今でも元年。
だって人間の意思はいろんなことで折れるから、それを繋ぐ熱意は表通りの冷たい雨で冷やされている。
たかだかVTuberが思った以上の動きをしなかったことなんて、VR機材がオタク達の家に届く世の中になったことに比べたらまだまだ屁のかっぱ。
本気でVRMMOが始まって、RMTやらがスムーズに行われて家に電話一つで欲しい商品が送られてくる時代に比べたら、こんなもんまだはじまってすらもいない。
すっかり「コロナ」と呼ぶのが定着しちゃったよなーと
前々から世間や大衆向けマスコミでは「コロナ」呼びが定着してたけど、最近では比較的公的な場でも「コロナ」と呼称されてる
今流行ってるウイルスは「コロナウイルス」という普通名詞に含まれるものの一種なんだよね?
「コロナ」はファミコン、プレイステーション、ドリームキャスト、ニンテンドースイッチ等全てを含む「ゲーム機」に相当する単語で
「新型コロナウィルス」や「COVID-19」は「次世代機」や「プレイステーション5」に相当する単語だと解釈してる
だからなんとなく「COVID-19」のことを「コロナ」と言っているのを聞くと気持ち悪い
ブラウザ(IE)のことを「インターネット」と呼んでいる人を見たときと似たような居心地の悪さを感じる
はてなは割と「コロナ」と呼ぶことに抵抗がある人が多い印象だったんだけど、ここ一週間くらいで多くの人が「コロナ」と言うようになった
[B! 高輪ゲートウェイ] 高輪ゲートウェイのAIが男女で絵柄が違いすぎて炎上。女キャラはアニメ絵柄で髪の毛をさわる仕草をし彼氏の有無を語る、男キャラはリアル調で名前もなく事務的対応 - Togetter
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1482285
molmolmine あーーこればダメだ燃える。男性も2次元にして、変な質問に答える機能無くせばいいと思う。普通仕事中に彼氏の有無聞かれたら警戒ゲージMAX振り切れるぞ。
2020/03/17
samu_i 女性の顔出しはリスクが高く、お金で解決できるのが絵だったとか(顔出しの男性のほうが絵より安い説。その他の機能面については考えてないです
2020/03/17
srjspirits 男AIもイケメン二次元キャラにしして「いつもお疲れ様」とか「今日も頑張ったね」とか言わせるようにすればバランス取れてたはずなのになぜ中途半端にやるのか。やるなら本気でやりきれよ
2020/03/17
aminisi 確かにバランスが悪くは見えるけれど新規性追求しつつアニメに不慣れな高齢者などの存在も考えると時点ではある程度は仕方がない気もする。実写かアニメか、男性か女性かで4パターンあれば理想的だけど予算的問題か
2020/03/17
いやいや、よく見ましょう。
男性駅員はフォトリアルな、女性駅員はアニメ寄りな志向なだけで共に3Dです。
https://pbs.twimg.com/media/ETBbrXVU4AAYrL-.jpg
https://pbs.twimg.com/media/ETBbrZTU4AAIMb1.jpg
はてブは孫がプレイしてるNFL2K(1999年、ドリームキャスト、発売:セガ、開発:Visual Concepts)や劇空間プロ野球(2000年、PlayStation 2、発売・開発:スクウェア)を見て実写映像と勘違いするようなお爺ちゃんお婆ちゃんユーザーしかいないのかな?
https://anond.hatelabo.jp/20200211202529
さて、続きだ。ゲーム業界の流通において初心会がやってきたこととその最後を述べてきたが、今回は初心会を葬った旧SCE、ソニー流通を中心に街のゲーム屋的な小売店視点で色々語ろうと思う。しかしこの期間は非常に起きた出来事が多くかつ入り組んでいるので、あえて細かな要素をオミットして正確さよりもわかりやすさを重視することにする。それにデジキューブの銃撃事件の真相なんざわからないからな。
時代はプレイステーション参入前。任天堂エンタテインメントが行き止まりに行きつつある頃だ。そのことについては前回語ったが、さて、任天堂以外の、NEC(PCエンジン)やセガ(メガドライブ)あたりはどうだったのだろうか? 初心会が横暴なら、こちらのほうに注力するという手段もあったのでは?
ぶっちゃけこっちはもっと酷かった。ソフトが売れないというわけではない。10万本売れるソフトはあった。あったのだが問題はプラットフォーマーが用意した他の大量のソフトだ。
当時、任天堂に対抗するためにNECやセガは自社プラットフォームの発売カレンダーの空白をなんとか埋めようと躍起になっていた。サードが自主的にソフトを作ってくれるのならそれに越したことはないが、そうではない場合は自分たちで用意する必要もあった。自分たちがパブリッシャーとなり開発会社に委託してゲームを作らせる。さらにはサードに対しても「ウチの流通に乗せますので○万本は絶対に売れますだから作ってください」みたいなアプローチも行った。そうして「とりあえず」カレンダーを埋めることができたソフトは、「とりあえず」問屋が頑張って小売に売った。在庫になっても不良在庫になるだけなのがわかっているので大バーゲンで売った。小売はもともとの卸値が安いため、最初から値引きして売る。売れ残ったら損だから博打みたいなものだ。そうしたソフトが並ぶと小売価格そのままのソフトは見向きもされなくなるのであわせて値引きされる。PCエンジン末期、餓狼伝説2(クソゲーではないのだけど)が100円で棚に50本くらい並んでいるのを見たことがあったが、あれは問屋の不良在庫を捨て値で小売が拾ってきたんだな。
どこかで見た状況と思わないか? そう、アタリショックだ。ゲームの在庫が問屋にも小売にも溢れわけがわからない状態になっていた。価格が崩壊し定価が意味をなさなくなっていた。
任天堂は初心会が横暴、セガとNECは頼りにならない。こんな状況の市場に次世代機の波と共に救世主がやってきた。ソニーだ。ソニーが直接小売店と契約するというのだ。
衝撃は大きかった。CD流通の流用で、「リピートを早く」「小売価格の大幅な値下げと小売店に対するマージンの確保」「掛け率は大量に取ろうが少量だろうが同じ」という特徴をもち、かつ「中古売買の禁止」「値引き販売の禁止」という成約があったが、それでも多数の小売店からは好意的な反応を得た。そもそも初心会でも値引き販売は原則としては禁止だったのだから。
そして何よりプレイステーションが小売店に好まれたのは、ゲーム機本体の卸値が安く、プレイステーション1本体だけを売っていても結構な利幅があったこともあげられる。これはかなり珍しいことで、通常は卸値と小売価格はほとんど変わらない。Xbox360の発売当初は二次問屋の都合一部の小売店において卸値が小売価格を超えたという珍事すらあったという。プレイステーションとサターンは発売時期がほとんど一緒で、スタート時点ではサターンのほうが優勢だった。しかしこれがじわじわと小売店をプレイステーション派に偏らせていった。プレイステーションは小売店にハードでもソフトでも確かな利益を確立してくれた。
そうしてFF7が、DQ7がプレイステーションで出るという流れが生まれ一気にプレイステーションが圧倒的な優勢を保持するようになるわけだが、この流れのなかでゲーム屋は何かが違うと確信した。プレイステーションが救世主になってくれたはずだった。しかしFF7を発売するスクウェア(当時はエニックスとの合併前だった)が打ち出したデジキューブは、既存のゲーム屋にツバを吐きかけるようなものだった。なにせ目玉タイトルのFF7の出荷本数の半分をコンビニに任せるというのだから。これではゲーム屋はやっていけない。いくら本体を売れば儲けになるといっても一人にせいぜいが一台が限界だ。ソフトをたくさん売れなければしかたない。
そしてソニーの態度もなにかおかしくなりはじめていく。元々の小売店への説明会では「返品はNG」ということになっていた。なっていたのだが、個別の対応としてソニーの担当者が返品を受け付ける旨を話していた。そのため小売店のなかでは安心して在庫を抱える店もあったわけだが、返品したいと言い出すと担当者の態度がころりと変わる。前に言っていたことと違うことを言い出す。ようやく返品受付をしてもらうも半額返金……。そのような事例が発生した。結局ソニーとしては二度返品を「特例」として受け入れるのみにおわり、いよいよもって「返品NG」が周知徹底されることになった。
頼りにするミリオンソフトは入荷しない、個別対応で約束していた返品制度はなくなった。このような状況下でもなおソニーは「中古取り扱い禁止」「値引き販売禁止」を打ち出していた。中古を取り扱った店や値引き販売した店は、不思議なことに”配送事故”が発生してソフトの入荷が遅れるようになった。
FF7発売の頃にはすでに任天堂は初心会を解散させていた。ニンテンドウ64を発売し、ポケモンを大ブームにさせた任天堂ならこの頃のゲーム屋の救世主なり得ただろうか? 残念ながらこの頃の任天堂(正確には任天堂系列の問屋だが)は「小売価格を下げつつ小売店への卸値を上げる」という暴挙に及んでいる。それでもポケモンが死ぬほど売れたのだから恐ろしい。
ソニーが信用できず、任天堂はあてにならない。そうした状況で頼りになるのはセガ……ではなかった。セガはメガドライブの反省を活かしおもちゃ卸問屋をまとめてセガ・ユナイテッドという流通会社を立ち上げる。大手のゲーム屋には直接卸し、小さな街のゲーム屋には二次問屋を使って卸す、ちょうど初心会とソニー流通の間のようなハイブリット流通機構を作り上げた。在庫管理とコストダウン両方の面でなかなか上手くいったはずだが、いかんせんプレイステーションの圧倒的ソフトラインナップには敵わなかった。自社でなんとかできる力はあるのだが、セガにはポケモンがなかった。しかしメガドライブ末期の状況からここまで着実に改革を進められたのは称賛に値する。NECは途中で死んだのに。
そしてついに中古裁判が勃発する。1998年1月には公正取引委員会がソニー流通の「値引き販売禁止」「中古売買禁止」が問題視され排除勧告を受けた。しかしこれで下がらずソニーは他メーカーを巻き込んで中古禁止裁判を起こす。ゲームメーカーvs小売の裁判だ。その一方で株式会社上昇(ようするにカメレオンクラブだ)がエニックスを訴える。「新作ソフトは扱わない」「ロイヤリティとして中古売上の7%を支払う」といった提案を出したものの実際にエニックスからソフトの出荷停止を食らってしまったがゆえの反撃だ。なおこの頃にはソニーがスクウェア(デジキューブ)だけを優遇することが問題視されて、各社サードメーカーも自社流通で小売店に卸すようになっている。
2つの裁判が同時に起きて別々の判決が生まれて、ここらへんは非常にややこしい。ややこしいが小売店は公然と中古を売るようになった。値引きもするようになった。自社流通に切り替わった各社ゲームメーカーも忌々しく思っていたが裁判と流通とは別との判断だったのか、おおっぴらに”配送事故”が起きることはなくなっていく。
ちなみにこの頃、セガはドリームキャストに向けさらなる流通改革を行い、セガユナイテッドをセガミューズへと編成しなおす。これは老舗おもちゃ問屋ムーミンがセガユナイテッドに合流した形だ。ムーミンはメガドライブ(もしかしたらもっと前?)の頃からセガと共闘しているお得意様だった。なお、ソニーを学んだのか「値引き販売禁止」「中古売買禁止」を小売店に押し付け、同じく公正取引委員会より立ち入り審査を受けるはめになる(もっともこれは後日小売店と契約しなおしをすることによって審査は打ち切られた)。小売店の救世主はなかなかいない。
中古裁判は最高裁にまでもつれ込んだが、ようやく結論は出た。中古販売は合法だった。小売店は大手を振って中古売買ができるようになった。値引き販売をしてもお咎めはなくなった。小売の完全勝利だ。「ファミコンショップ」はPS2の時代にまでいたりようやく安心できるようになったかのようにみえた。
そうではなかった。むしろゲーム屋地獄はここからが本番だった。
まず大店法の改正があった。巨大店舗の小売店が各地に出来上がる。そして家電屋の店舗の巨大化がどんどんと進む。巨大化した店舗で何を扱うか。ゲームも扱うようになった。ゲームは美味しい商材だと思われた。そして今までグレーゾーンだった中古に合法判決が出た。取り扱わない理由がなくなった。
そのため大手販売店は客寄せのために新作ソフトを大きく値引きする。これが卸値と同価でも構わない。とりあえず客が来て、他の家電もついでに買ってくれれば儲けものだからだ。そして中古も多数取り扱う。ゲームの利益の確保はこっちだ。そこそこの価格で引取りそこそこの価格で販売する。これも回転が早ければ利益が稼げる。ビデオレンタルのゲオとツタヤが入ってきたのも大きかった。街のゲーム屋さんにできることは限られていた。大手資本に真正面から戦って敵うわけはなかった。中古販売という最高の武器を手に入れたかわりに、同じ武器をもった最強の敵が現れたのだ。多数のプレイヤーがそちらに流れた。売っているものが同一なら、安いところで買うのが当たり前だからだ。
その後まったく救いがなかったわけではない。DSの大フィーバーがこの後起きた。ゲームに触れたことがない新規層でも直感的なタッチパネルを備えたデバイスはゲーム市場を一気に活性化させた。誰もがみなDLライトを買い求めてゲーム屋と家電屋を往復した。飛ぶようにDSライト本体と脳トレとどうぶつの森が売れた
しかしここでも任天堂流通が小売の前に立ちふさがる。任天堂は小売店から受けた仕打ちを忘れていなかった。64よりもPS1,ゲームキューブよりもPS2を優先させた街のゲーム屋に、引く手あまたのDLライトを多く卸す理由がなかった。DSライトは任天堂流通のお得意様、デパートのゲームコーナー、おもちゃ系統の販路を優先して入荷していった。今まで子供向けのプレゼント用途にゲームキューブ、ポケモン関連をしっかり取っていた「実績」のおかげだった。街のゲーム屋が本当に一息ついたのはおそらくさらに後のモンハンポータブルの大ヒットあたりからだろう。
こんな流れがあり、地方から今現在ほとんどの「ファミコンショップ」が姿を消している。初心会を中心とした問屋は、成熟したゲーム業界がメーカーの自主流通を実現させたことでその役目を終えて消えていった。となれば、地方のゲーム屋もまた、成熟したゲーム業界によって役目を終えた存在としてみなされてしまったのだろうか? おそらくはそうだろう。そして将来的にはゲームを販売する大型店舗すらいなくなるかもしれない。ダウンロード販売をメーカーは推進しているからだ。
そんな流れのなか、この令和の時代に意地でも自前の店舗でゲームを販売している「ゲーム屋」を見かけることがある。業界の厳しい荒波に揉まれそれでも生き延びている人たちだ。私は彼らに尊敬の念を抱かずにはいられない。
彼らに幸あらんことを。
音楽がとにかくよい。ファミコンは特にベースがかっこよいマシン。あと大人になって気がついたけどボタンを押して「ふっふっふふふふっ」って上昇する感じはピンボールっぽい。
2.ジーザス(PC88)
今思うと紙芝居なんだけど各キャラのバックグラウンドの多様さやへんてこなミニゲームとかめちゃくちゃ楽しかった。あとパソコン用モニタは緻密でテレビゲームとは全く違った質感があった。
3.街(やったのはプレイステーション)
なんつーかそのままあのときの渋谷がパックされてる。モナコもうない。
普通にたんたんとクリアしてたんだけどエンディングで泣いた。ゲーム自体けっこう難しくて「プレーヤーがうまくなる」=「画面の奥の少年・少女が心の壁を乗り越える」になってるってクリアして気がついた。
なんてことないギャルゲーだけど関東大震災や災害のニュースを聞くとあやめさんを思い出す。
はじめてゲーセンてクリアしたシューティング、1年くらいかかった。どんだけ下手な人でもパターンを組めば2週目にいけると思う。あんまりに下手なもんで「わざと死ぬ」パターンを作った。
自分にとっては難しかったので半年くらいかかった、下手な人間にとってつらいのは攻略法が通用しないところだ。エスプガルーダ2は「こんなに困難な思いをさせた兄妹にまた戦いをさせるのか」と思ってしまって何回か触ったけどやる気がなくなった。これも誰もがクリアできるやつ。
これまでロックをメインに聞いてた人間がR&BやHIP-HOPに流れさせた。視界にぐらんぐらんするエフェクトが常にかかっていて美しい。これも「街」のように時代をパックしてる。サンアンドレアスはマップが広すぎ(で海に落ちても死なない)、それ以降はいろんな動きがもっさりしすぎ、なにより音楽が3分くらいで終わってしまいラジオ局が増えたぶん同じ曲に遭遇しすぎでドライブに向かなすぎ、でいまいち。
未だに謎なのだがなんでパッドでドリフトしたときのグリップ感が伝わるのか、ほんと不思議だ。
これも一年くらいかかった。クリアするために安全策をとるとスコアが稼げない、稼ぐとエクステンドが入るので死ねる、ということで必然的に稼ぐ。自分はこつこつ下手用パターンを作ってクリアした、、、のだけどすぐにyoutubeのハイスコアパターンをコピーしたひとに抜かれた。このゲームはハイスコアが記録され続けるので悲しい。
以上です。
私は新作発表されたSという某ゲームが好きだった
新作が発表されて、めちゃくちゃモヤモヤしたのでここに書き留めることにした。
Sはハードも変わっているものの、1〜5までナンバリングされている。
OVAだったりドラマCDだったり舞台、Sのグッズが販売されている専門店だったりと、20年前の作品にしては多種多様なジャンル展開がされていたと思う。
私が通ったものとすれば、
ドリームキャストが1〜4
ゲームだけでは語られないOVAで、キャラたちの過去だったり、設定だったりが知れたりして、子どもの頃は本当にその作品に冠するものしか見ていなかったかもしれない。
気付けばずっとやりこんでいた。
誰が一番好きかと聞かれれば、1に出てくる主人公のお姉さん的立ち位置の人だ。
いろいろあって、敵の女になってしまう。所謂、悪堕ちお姉さんなのだが。
その格好がめちゃくちゃエロい。闇堕ちお姉さんが性癖かと聞かれれば、そうかもしれない。
でも、闇堕ちにもちゃんと理由があるし、単純に敵の男が好きだったからなんていう理由だけじゃない。
Sと私の人生はほとんど一緒だったと言っても過言ではないと思う。
グッズ専門店には幼少期によく連れて行ってもらって、マスコットキャラのネコのぬいぐるみも買ってもらった。
閉店した時はめちゃくちゃ泣いた。大人になって一人で跡地に行った時もちょっと泣いた。
グッズ専門店に併設されていたコンセプトカフェのノベルティも今でも持ってる。
劇場版も映画館に連れて行ってもらって、パンフレットや映画館限定グッズも家にある。
サウンドトラックを聞いてある程度のシーンまでも分かるぐらいにはやり込んだと思う。
Sとコラボした桜色のドリームキャストだって動かないけど、ずっと持ってる。
新作とまではいかないけれど、移植版が出て同じハードで遊べるようになればいいな、というのが願いだった。
ちゃんと情報を追ってみると、事実だったので仕事の昼休みに泣いた。
あれだけ待ちわびていた新作だ!!!!!
ソシャゲじゃないといいな、なんて不安もPS4となった瞬間に吹っ飛んだ。
けれど、キャラデザもプロデューサーも全然違う人。唯一同じなのは音楽の人だけ。
本当にSという作品なの?と思ったけど、完全新作なんだし、仕方ない。コンセプトは同じなんだし、何よりSというタイトルを背負ってる以上、やらないという選択肢はなかった。
絵柄の統一性のなさ
え?なんで?どういうことなの?
本当に今までのシリーズを通して遊んだことがある人が作ったものなの?と疑わざるをえなかった。
絵柄の統一性のなさは昨今のソシャゲによくあるような流れだったから、まだ受け入れられた。
でも、前作メインヒロインの闇堕ちの可能性だけは信じたくなかった。
ゲーム、OVA、劇場版と通して見てきたメインヒロインを裏切られたような気持ちだった。
そんな簡単に闇堕ちなんかしないし、父親も闇堕ちした設定だったから、連続で同じようなことする?
あの時、流した涙ってなんだったの?
いろいろなキャラから託されたメインヒロインが闇堕ちの可能性で?しかも中の人も同じで?
そんなのシャア・アズナブルとフル・フロンタルみたいなものだとしても納得いかない。
新キャラageのための要員だったとしたら、意味も薄っぺらい闇堕ちだとしたら…。
ここで一気に不信感が増してきた。
設定も取ってつけたような設定だらけで、前作のこと知ってる?って聞きたくなるようなことばかりだ。
タイトルだけ間借りしてるんじゃないの?
私が待っていた新作ってこれだったんだ。
正直、こんなことなら完全新作なんていらなかったのかもしれない。
人生と一緒に見てきた作品がぶち壊された気分で、正直やる気が出ない。
でも割と周りは好意的な意見だから、こんなこと言えないけど、移植だけで良かったんじゃないのかな。
でも離れることは出来ない。
ナンバリングされている以上、どれだけモヤモヤしても、やってみないことにはなんとも言えない。
分かってはいるけど、闇堕ちの可能性があるメインヒロインを出してきた時点で、この作品に期待は全くなくなってしまったのだ。
それでもまだまだ私はSファンとは言い切れない。
12月に新作が発売される。
正直、メインヒロインの闇堕ちだったとしたら、私はディスクをフリスビー代わりにしてぶん投げるかもしれない。
あるいは新作をなかったことにするかもしれない。
私が初めて遊んだTVゲームは『テレビゲーム15』なんだけど、当時ボールとバーというシンプルデザインで正直面白いかどうかというと微妙だった。
それから『ファミコン』を購入したのだが、これがとても面白かった。
何が面白いかったのかというととにかく『ポパイ』『ドンキーコング』が遊べた事だった。
シンプルで、当時はゲームグルメではないので舌が肥えておらず、単純でわかりやすいゲームとしてはキャラの魅力などから、『神ゲー』みたいな感じだったのだ。
その後、スーパーカセットビジョンなんかも遊んでみたが、ファミコンには勝てず『スーパーマリオブラザーズ』の登場でさらに加熱した。
そして『ドラゴンクエスト』と『ウィザードリィ』でファンタジー物語にハマっていった。
ディスクシステムなんかも買ってみたんだが面白かったのは『ゼルダの伝説』と『ファミコン探偵倶楽部』あれは名作だった。個人的には『ナゾラーランド』なんかも好きだった。
それからスーパーファミコンが発売されたが、私は購入せず、メガドライブとPCエンジンに夢中になった。
メガドライブはナムコ系のゲームが面白く、PCエンジンはハドソンが制作したゲームにハマっていた。
時代は変わってPSやSSが発売された中、私はPC-FXを購入した。のちに購入した事を激しく後悔したが、正直あれは売り方の問題が悪かった事とハードを活かしきれないメーカーに問題があると感じた。
ちなみに公開した後にPSとSSを購入した。PSはやるゲームがなかったのだがノリで購入し、SSはバーチャファイターのために購入した。10年早いんだよ!
そしてドリームキャストを購入する。ほぼPSO専用になる。何も語ることなくPSOサイコー。
PS2が発売された頃になると、もうゲーム自体にグルメになりすぎて一時期面白さを感じなくなる。グラフィックが良いなどと色々変わったが、純粋に楽しいと思っていたファミコンの頃と違って、どこかに難癖や粗探しをしてしまう自分が居た。
XBOXも買ってみたのだが、気がつけば音楽再生機だった。たしかハードディスクだかに記録できた気がする。ほとんど憶えてない。
ゲームキューブは購入して3日後に嫁がれていった。
PS3が販売されて、またゲームへの情熱が蘇る。蘇らせたのはデモンズソウルだった。発売日に購入して心を折りまくった。
こんなマゾゲー初めてだった。ファミコンの理不尽な難しさよりも繰り返すことで確実に上手くなりクリアという達成感も感じられる難しさの心地よいことよ。
DARK SOULSも当然発売日購入だった。マゾに目覚めたのだ。
ゲーム歴は長く、プレステ時代のキングスフィールドから知ってます
でも、自分はセガサターンしか持ってなかったので、キングスフィールドシリーズはやらなかったんですね
アーマードコアも周りの友達がハマってたので、うらやましいなぁと眺めてました
自分がはじめてやったのはドリームキャストで出たフレームグライドというゲームで
おそらくアーマードコアに近いゲームのはずです。アーマードコアが好きな友人にドリキャス持ってないのでうらやましいと言われたので。
予約して発売日に購入したんです。
当時からゲームオタだったので、大抵のゲームは楽しめる素養を持っていましたし、
クソゲーならともかく、まさか今までやってみたかったフロム・ソフトウェアのゲームがこんなに自分に合わないとはと驚きました
当時は未成年だったのでソフトを売り飛ばすこともできず、おそらく実家のどこかで眠っています
フロムは自分に合わないだろうと思って、そこから避けてきました。
あの大ブーム、というか現在のフロム・ソフトウェアの立ち位置を明確にした
デモンズソウル、ダークソウルシリーズ、もちろんSEKIROもやりたいけど怖くてやっていません。
新作のElden Ringも楽しみですね。
自分がフロム・ソフトウェアのゲームが合わないのか、それともたまたまフレームグライドが合わなかったのか、
フロム・ソフトウェア好きの人、判定してください