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はてなキーワード: 早乙女とは

2019-01-22

anond:20190122101235

今まで何を聞いてたんだ。ゲッター線と早乙女博士ゲッターロボが融合して初めて神だゆうとるやろが。

2019-01-17

ブギーポップQ&A2

我慢できずについ続きを書いてしまった。

アニメ放送開始前の前回はこちら)

https://anond.hatelabo.jp/20181223175220

原作未読者向け及び共通話題アニメ3話まで視聴済み前提)

早く続きが見たい!

無料配信ではAbemaビデオいちばん早いです。

クールやるの?

円盤リリース情報によると、全18話になるようです。中途半端な話数ですが、どういう放送形態になるのかは不明

竹田君がブギーポップを強く引き止めた理由ってなに?

原作での、竹田ブギーポップの会話の多くが省略されたせいで、竹田が徐々に心を許していく過程が見えづらくなっています。とにかく、竹田ブギーポップが好きなのです。

早乙女君とエコーズってどうなったの?

エコーズ自分身体情報に変えて報告ビーム(仮)を撃ち、そのビームからマンティコアかばって早乙女君は消滅しました(人型の灰のようなものが地面に残っている)

エコーズの正体やエコーズを捕えてた組織?の実態や、ブギーポップが何者なのか等についての説明がぜんぜん無いんだけど?

エコーズの正体については、『笑わない』原作どころか少なくともブギーポップシリーズ内でははっきりとは語られません。一作目にもかかわらずあの「宇宙人」がらみの話はシリーズの中でだいぶイレギュラーなので、忘れてもらってほぼ問題ありません。

組織」はこれからバンバン出てきます

ブギーポップが何者か?こっちが聞きたいぐらいです。

○○(登場人物)すこ♥これからどんな活躍をするのかなあ((o(´∀`)o))ワクワク

4話からは、ごく一部を除いて登場人物一新した新エピソードが始まります。主な舞台は深陽学園ではありません。すこ♥なキャラが続投するかどうかは祈っててください。

話が異常にややこしくて理解しづらいんだけど?

アニメ原作構成をだいたい踏襲しているものの、時間の移動や他視点の混入が増えて省略もかなり多いので、意図的に分かりにくくしているフシすらあります特に2話)

分かりにくいのは原作通り!という自称原作読者は、うろ覚えでいい加減なことを言う大嘘つき野郎だと思っていいです。

原作ラノベ、読んだ方がいい?

アニメのみで十分楽しめているなら無理に読むこともないですが、話を把握するためだけにアニメを何度もリピートするぐらいなら、原作を読んだ方が効率がいいでしょう。原作は、(エコーズの設定や組織ブギーポップの謎などはともかく)マンティコア事件で何が起こったのかに関しては、読めば普通に理解できる内容になっている、と思います

また、原作ひとつの章(早乙女編)と細かい部分を除いて、視点人物一人称で書かれており、各キャラの心情も詳しく知ることができますアニメではモノローグがほぼ全カットでした)

原作、なんか色々あるけどどれから読めばいいの?

現在カクヨムにて期間限定で(いつまでかは不明)『笑わない』が全文無料公開中なので、これがいちばん手っ取り早いです。以後の初期巻も(アニメの進行に合わせて?)公開予定。

ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

購入するなら、オリジナルである文庫版及びその電子版が手ごろ。電子版には、新規の「後書き」が追加されています

今月出たばかりの新装版は、B6単行本価格もそれなりですが、表紙と挿絵新規の描き下ろしで、中身にも書き下ろしの「補記」があるそうです。

前回も書きましたが、上下巻になっている『笑わない』は、原作イラストレーター本人による「コミカライズ」の新装版なので、そこは気をつけてください。

いま雑誌ネットで連載してる漫画版?ってなんなの?予習になる?

アニメ4話から始まる原作2作目の「VSイマジネーター」と、アニメ化予定は不明可能性は濃厚)な5作目の「夜明けのブギーポップ」のコミカライズです。

どちらも単行本1巻が既に発売されており、また、一部無料公開もしています

ブギーポップは笑わない VSイマジネーター 無料漫画詳細 - 無料コミック ComicWalker

夜明けのブギーポップ 無料漫画詳細 - 無料コミック ComicWalker

キャラクターデザインが原作寄りだったり、エピソードの順序が原作から変更されていたりして(アニメイマジネーターの最初原作に近い構成になりそう)、アニメから入った人はかえって戸惑うところもあるかもしれませんが、気軽に読んでみてもいいのではないでしょうか。


原作読者向けの話題

ブギーポップ笑っとる(笑)

第一話 浪漫の騎士 3 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

 ブギーポップは奇妙な顔つきをした。目深に被った帽子の下で左眼を細めて、口元の右側を吊り上げた。藤花では絶対にしない左右非対称の表情だった。

 後で思うと、あの表情は苦笑いだったのかも知れないと気づいたが、そのときはわからなかった。ただ、妙に皮肉っぽい、悪魔的な感じのする表情だなと思っただけだ。

 僕は結局、こいつの笑顔というのを最後まで見なかったのだ。

なので、口角上げてるのは原作通りではありますね。竹田君的にというか作品的に「苦笑い」が「笑顔」カウントされないというだけで。まあ、始終この表情をしているわけではないだろうとは思いますが。

ブギーポップもっと感情のない淡々とした喋り方をしてるイメージだったんだけど?

第一話 浪漫の騎士 1 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「君たちは、泣いている人を見ても何とも思わないのかね! あきれたものだ。これが文明社会ってわけか! 都市生活弱者を見殺しにするところからはじまるってことかい、は!」

 急に大きな声で怒鳴った

公務と名乗るのなら、しかるべき義務果たしてからしろ。苦しむ人々を助けるのが君らの仕事だろう。押さえつけるのは本末転倒もいいところだ」

 と黒帽子演説調に喋っている間に、

第一話 浪漫の騎士 3 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「なんでなんだろうね……ぼくも、それが知りたいよ」

 ブギーポップは頭上に広がる空を見上げながら嘆くように言った。

「うん、まあね。でもぼくはほら、出ているのは少しだからさ」

 中途半端な慰めで怒るかと思ったのに、彼はしみじみと返事するのだった。

なので、少なくとも『笑わない』では、完全に無感情な喋り方とか棒読みってことはないですね。

本当の「人を喰うもの」の話がカットされてる!٩(๑`^´๑)۶

それ、もともと『笑わない』で出てくる話じゃありませんよね?

なんで校門の自動改札(風の何か)ないの?

そこまで要るか?アレ?

まあ、凪がハッキングで登下校のデータを盗み見る話はなくなったけど、別によくない?

なんで口笛ないの?

なんででしょうね。

一応、こういう解釈もあるようです。

https://twitter.com/sakranized0007/status/1083755868963753985

https://twitter.com/sakranized0007/status/1083756620440514561

2019-01-12

ブギーポップは口笛を吹かない」あるいは「木村明雄の消失

アニメブギーポップは笑わない」1〜3話および原作ライトノベルブギーポップは笑わない』の内容に触れています

TVアニメブギーポップは笑わない」が放送中だ。ほぼ20年前にスタートしたラノベ原作であり、アニメ自体は二作目だが、原作の内容に沿ったアニメ化は今回が初めてとなる。

さて、そんなアニメブギーポップの「ブギーポップは笑わない」(原作シリーズ一作目)編が、最新の第三話で完結となった。平均的なラノベアニメ化としては、原作1巻を3話で消化というのは、極端に速いペースというわけでもない。それでも、もともとが5話で構成された原作を3話に再構成する上で、大小さまざまな省略・変更が発生することは避けられなかった。

そのうち、特に目についた二つの変更点について、思うところを少し書いてみる。

「君と星空を」&木村明雄

上で述べたように、原作ブギーポップは笑わない』は5つのエピソード構成された物語となっている。一話にそれぞれ主人公視点人物)が設定されており、一つの事件複数人間の目から見ることで立体的な世界が立ち上がってくる、といったような、今となっては(当時でも?)さほど珍しくはない仕掛けだ。

原作構成及び各話の主人公はこうなっている。

ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム


これがアニメでは、

ねこういう形に変換されている。話数単位で大雑把に見れば、各パートの分量はともかく原作の流れを大枠では引き継いだ構成と言えるだろう。

ただひとつ原作第四話がその主人公存在ごと抜け落ちている点を除いて。

原作第四話は、木村明雄という男子高校卒業後(事件から二年後)に、当時「失踪」した紙木城直子と過ごした日々のことを回想する、という内容になっている。

木村は、紙木城の交際相手の一人(アニメでははっきりと描かれないが原作の紙木城は木村田中を含めて複数の男と付き合っている)であり、事件にはあくま彼女を通して間接的にしか関与していない。紙木城から保護したエコーズについての話も聞くことになるが、何かのたとえ話だとばかり思っていた。

紙木城の失踪後、色々あったもの普通高校卒業普通大学生として普通生活していた彼の元に一通の手紙が届くことで高校時代記憶が蘇り……という、1話竹田と同じかそれ以上に青春小説的な色合いが濃く、いわゆる「一般人」の目線から見た章となっている。

アニメ化にあたって、章はともかく仮にも原作主人公の一人を丸ごとカットするのはあまり乱暴に思えるが、ここには一応それなりに納得できる理由がある。

第一に、事件の真の姿あるいはその存在すら知らないまま全てが終わってしまっていた、という木村明雄の立場は、程度の違いこそあれ竹田啓司(一話)や末真和子(二話)と重複している。一人一人に見える現実には限りがあるというテーマを示すためには、この二話だけで既に必要最低限のノルマは達成していると言えなくもない。

第二に、竹田と末真は以後の巻でも登場している(末真は準レギュラーに近い)が、二人と違って木村明雄は今のところ少なくともブギーポップシリーズ内では再登場しておらず、カットしても今後の展開に特に影響がない。

第三。エコーズの素性に関する情報は、原作では第四話で木村が紙木城から話を聞くという形で最初に明かされる。物語の本筋との関係においては四話の存在価値と言ってもよい部分だが、アニメでは2話後半、紙木城と凪の会話でほぼ同じ内容が補完されている。これは、原作でもそのようなやり取りがあったと事件後に凪の口から語られていたものであり(木村自分にだけ話してくれたと思い込んでいたが)、オリジナル展開というより変則的原作再現に近い。木村カットしてもそういう軽度の改変で済む部分なのだ

驚くべきことに原作『笑わない』には、凪と紙木城が親友であるという情報こそあるが、二人が直接会話するシーンは存在しない。にもかかわらず、読者にはちゃん彼女らが親友同士に感じられていたというのは小説マジックというほかないが、ともあれ、今アニメで凪と紙木城の会話が追加されたこ自体ファンにとって喜ばしくさえある。

これらの理由から、『笑わない』をTVアニメ3話分に収めるために章と主人公をどうしても一つ削らなければならないとすれば、やはり第四話と木村妥当ということになるだろう。アニメスタッフ判断は間違っていない。

間違ってはいないのだが。

口笛

原作において、ブギーポップというキャラクターはいくつかの記号によって構成されている(もちろんその全てが記号還元され得るというわけではない)

都市伝説死神世界の敵の敵、黒い帽子と黒いマントと黒いルージュ、ワイヤー、そして口笛。

ブギーポップは、常にというわけではないが誰かの前に姿を現す時、特に世界の敵と向かい合う瞬間には、なぜか「ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲を口笛で吹きながら登場する、ということになっている。

過去メディア展開でも、多くの場合はこの口笛が再現されてきた。

実写映画はあらすじの時点で「口笛を吹く死神」と紹介されているし、旧アニメファントム)ではブギーポップ登場時の口笛はもちろん、次回予告のBGMとしてオリジナルアレンジマイスタージンガーが毎回使われ、最終回ではテルミンバージョン???)すら流れるという充実ぶり。

メインの使用キャラクターではなくサポートキャラとしての出演に過ぎない、格闘ゲーム電撃文庫 FIGHTING CLIMAX」でさえ、ブギーポップはやはり口笛を吹いて登場している(実際にプレイしているわけではないので又聞きだが、そのせいで攻撃判定の発生が遅いとかなんとか)

このように、「マイスタージンガー」「口笛」はこれまで原作の内外で、ブギーポップというキャラクター作品象徴する、代名詞と言ってもいい扱いをされてきた。

原作『笑わない』では、ブギーポップは二度口笛を吹いている。一度目は、一話の竹田屋上で会話をしている時。

第一話 浪漫の騎士 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

ブギーポップが口笛を吹き始めた。明るく、アップテンポな曲で、しかも呼吸に緩急があってすっごく上手だったが、しかし口笛なので、やっぱりそれはどこか寂しげだった。

 そして、藤花は口笛が吹けないことを思い出した。

うまいんだな。なんて曲だい?」

「〝ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲さ」

「なんだいそれ」

ワーグナーって大昔のやかましロマンチストがつくった、一番派手な曲だよ」

二度目は五話終盤、早乙女を失って荒れ狂うマンティコアに追われる新刻の前に姿を現す時。

第五話 ハートブレイカー 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

 恐怖のあまり、私はついにおかしくなった、と思った。

 幻聴が聞こえだしたのだ。

 現実にはあり得ないほど不自然な曲が、目の前の並木の植え込みから聞こえてきたのだ。

 それは口笛であった。

 しかも、口笛にはまるで似合わない曲、ワーグナーの〝ニュルンベルクのマイスタージンガーなのだった。

いずれも、古くからの読者には印象深いシーンだろう。

しかし、今アニメの「笑わない」編ではこれらの口笛演奏存在しない。ブギーポップは、一度も口笛を吹かなかったのだ。

これも木村同様に尺の都合なのだろうか?

マイスタージンガーといえば、あの、ふぁーふぁーふぁふぁーという力強いイントロが印象的な曲だ。口笛でいうと、ぴーひょーろろーとなる。最低限この、ぴーひょーろろーさえ吹いてくれれば、少なくとも原作読者には「あの口笛」だと一発で分かるし、初見視聴者にも、ブギーポップというのは口笛を吹くキャラらしいということだけはなんとなく伝わっていただろう。

前回のアニメや電撃FC使用された口笛バージョンマイスタージンガーで、ぴーひょーろろーの部分の所要時間確認してみると、せいぜい2〜3秒というところだった。2、3秒。もちろん1秒24コマで動くアニメ世界での2、3秒は、日常的な感覚のそれよりも遥かに長い時間ではあるのだろう。だが本当に、今回のアニメ「笑わない」編は、ぴーひょーろろーを挿入するだけの余裕が一切存在しないほどに緊密な内容だったのだろうか。

どうしても時間が足りないなら、いっそセリフを喋りながら同時に口笛を吹かせてもよかったのではないかブギーポップというのは、そのぐらいの物理法則を超えた無茶も読者視聴者笑って許してもらえるような、良くも悪くも異質なキャラだったはずなのだが。口笛のためにそこまで冒険するほどの価値はない、と判断されたのか。

これが、今回のアニメではブギーポップは口笛を吹かない存在として設定されているということなのか、それともあくまで「笑わない」編だけの変更なのかはまだ分からない。次回からの「VSイマジネーター」編ではしれっとぴーひょろ吹き始めたりする可能性もある。しかし仮にそうなるとしても、「笑わない」で口笛を吹かなかったという事実は、もはや取り返しがつかないのだ。

原作未読者の中には、口笛が無いとなにか物語の展開に支障が出るのか?という疑問を持った人もいるかもしれない。たしかに、どうしても口笛が無ければ成立しないという場面は、原作にもほとんどない。もちろん口笛自体に、特殊振動波か何かで敵の脳に直接揺さぶりをかける、などという実用的な効果存在するわけもない。はっきり言ってしまえば、口笛は基本的雰囲気づくりの賑やかしでしかないということになる。

その意味では、削る必要はないが削ったところでどうということはない要素だったのだ、とも言える。

言えるのだが。

昔語り+α

ここで唐突に昔の話をする。

ブギーポップがちょうど一度目のアニメ化や実写映画化をしていた頃のこと。とある個人サイトにて、「実写映画になるっていうから読んでみたけど単なる化け物退治の話だった」というような『笑わない』の感想を見かけた。当時の自分シリーズ純粋ファンだったので、そのあまりにも大雑把なまとめ方に、大雑把にまとめてんじゃねーわよ!と素朴に憤慨したものだ。

しかし、今にして思えばあの感想示唆である複数視点による眩惑を取り払った一本の話として『笑わない』の本筋だけを眺めてみれば、それはたしかに「単なる化け物退治」の話でしかないのだ。

では、自分を含めた多くの読者に『笑わない』を「単なる化け物退治」ではないと感じさせた、「本筋」以外の部分とはなんだったのか。それは、自分の進路について語る竹田とそれを半ば無責任肯定してくれるブギーポップであり、

第一話 浪漫の騎士 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「へえ、君は受験しないのかい

「うん。親父の知り合いでデザイン事務所をやってる人がいて、ずっとバイトしてたんだけど、その人が〝おまえは見込みがある。センスを感じる〟とか褒めてくれてさ、大学なんか行かずに俺のところに来いって言うんで」

「すごいじゃないか親方に見込まれ職人ってヤツだな」

“対決”を望んで走る末真であり、

第二話 炎の魔女、帰る 3 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

(そうよ──中途半端はもううんざりよ!)

 霧間凪はほんとうに魔女なのかも知れない。でも、それこそ望むところだった。

「No One Lives Forever」を口ずさむ早乙女であり、

第三話 世に永遠に生くる者なし 5 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「……誰も、誰も、誰も、誰も、誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も………」

新刻の意志の強さを賞賛するブギーポップであり、

第五話 ハートブレイカー 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

しかし、新刻敬──君の意志の強さは見事だ。君のような人がいるから、世界はかろうじてマシなレベルを保っている。世界に代わって感謝するよ」

そして、木村であり口笛であり、そういった一見取るに足りない枝葉こそが作品の印象を形成していたのではないか

枝葉とは言うものの、ひたすら枝と葉を切り落として純化していった先にあるのは、ただ一本の幹だけがまっすぐ天を突く寒々しい樹の姿だ。口笛や木村が本筋に不必要だというなら、ブギーポップあんな格好をしている必要別にない。『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女存在していなかったともいうし、この巻に限って言えばブギーポップだって無くても成立しそうな内容だ(シリーズ全体で見てもブギーポップ世界設定の中で異物として浮き続けていている)。必要不要物差し物語を測れば究極的には、そもそもアニメ化する“必要”とは……?原作が書かれる“必要”はあったのか……?という不毛なところにまで踏み込みかねない。

ブギーポップというシリーズは、ことに『笑わない』は、この「剪定」の影響を大きく受けやす作品であるように思う。本筋に関わらない細部が、作品本質とは思いがけなく深く結びついてるかもしれない、という面倒くささがある。アニメ側にとっては、原作の味を再現するためにどこを切ってどこを残すべきなのか、という判断が非常に難しい題材だったのではないか

いや、ブギーポップに限らずどんな作品であっても、ファンアニメ化や映画化などのメディア展開のたびに、アレがないと○○本来の良さが失われてしまう!と感じてはいるのだろうけど。

まとめ

木村明雄の省略に関しては、大きな変更ではあるし非常に残念ではあるが、三話という尺を考えれば致し方ない(そもそも『笑わない』を三話でというタイト過ぎる構成の是非はともかく)

口笛に関しては、小さい部分かもしれないが逆にそんな小さいところを敢えて削る意味が分からないし、監督でもシリーズ構成でもプロデューサーでもいいので早めに誰かに何らかの説明をしてもらいたい。

ということになる。

原作から変えること自体は、いい。メディアの違いに加えて、予算時間など様々な制約もある以上、どうしたって変えざるを得ないところは出てくるだろう。だが、その変更に意図というか大げさに言うと「思想」があまり感じられないのはちょっと困る。原作から変えてまで実現したかたこととは何なのか。

前回のアニメ、「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」は、初アニメ化にもかかわらず『笑わない』のオリジナル後日談という暴挙とすら言える内容となっており、それだけにとどまらず「霧間凪一人称が『オレ』じゃない」など、原作からの変更点がいくつか存在した。当然、原作ファンから評価も当時はあまり良くないものが多かった。

しかし、ファントムというアニメからは、これが作りたい、こうした方が面白いはずだ、という意志は強く感じられた。原作からの変更点自体に納得できるかどうかはともかく、そういう姿勢を打ち出されればこちらも、へぇ……あなた達はこういう画面も話も異常に暗いアニメがカッコイイと思ってるんだ?「オレ」女はリアルじゃないって?へーえええええ……?と正面から受けて立つことができるというものだ(こめかみに血管浮き上がらせつつ)

今のところ、今回のアニメブギーポップは、原作読者の目から見ても決して悪い出来ではない。悪くはないのだが、どうも、どこに芯があるのか分かりにくいアニメ化となっているように見える。

公式が「アクションファンタジー」と銘打っているということは、「笑わない」編では終盤に集中して存在する程度だったアクション部分が徐々に増えていく、これからエピソードが本番ということなのかもしれない。たしかに、最初に公開されたPVでもアクション描写はひときわ光っていた。

次の4話からは、原作では上下巻の大がかりなエピソード「VSイマジネーター」編が始まる。そこでは、このアニメと思いきりVSできることを願っている。

追記

”『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女が存在していなかったともいうし” へえ  それどこ情報? - maturiのコメント / はてなブックマーク

”『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女存在していなかったともいうし” へえ  それどこ情報

電子版『笑わない』新規書き下ろし「後書き」。プロト版のタイトルは、「エコーズ──人喰いの谺」だって

2018-12-11

早乙女姉妹漫画のためならがジャンプ本誌に載ってたけど

早乙女姉妹じゃなくて担当編集の人が一番プッシュされてなかった?

2018-08-08

特殊訓読みが好き

生。生憎(あいにく)、生一本(きいっぽん)、生業(なりわい)。最多の読みを持つ漢字にふさわしい複雑さが良い。

早苗早乙女早稲田の早も良い。

強。強か(したたか)、強請(ゆすり)。字面通りに意味が強くて良い。

外。外郎の「うい」がかわいい。外はほかに外連味とか外様とかユニークで良い。

長。長押(なげし)、長閑(のどか)、地味に難しくて良い。

漢数字も良い。二合半(こなから)、三和土(たたき)。もちろん定番五月雨十六夜百日紅も好き。

地味ながら面白いのは「微」。微風(そよかぜ)、微笑み、微酔い(ほろよい)、微睡む(まどろむ)、微温湯(ぬるまゆ)、多様な読みが嬉しい。

増田はどんな訓読みが好き?

2018-03-02

13歳のときに描いた漫画勇気をだして読み返してみた

20ちょっと漫画を描いてご飯を食べています

wikiにはデビューは9×年とありますが、実際はその前に漫画雑誌に載ったことがある。

自分が13歳のときです。

13歳のときに描いて某少年誌に送った漫画が何故だか賞にはいり、全ページ掲載されたのです。

この作品については検索しても出てこない。あまりに大昔のことすぎて。

絵もとにかくどヘタで、自分のなかでも黒歴史化してるので、とっくの昔に掲載誌も捨てた。

原稿だけはどこかに保管してあるけど、目に触れないような奥底にしまってある。

でもネタとして、時々自分ブログ漫画でチラチラ遠まわしに「中学生の頃に雑誌にどヘタな漫画が載った」ということを書いたりしていた。

そうしたらあるときは長年のファンの人が、その少ない情報を元に、見事にその掲載誌古本で見つけ出し、あるときイベントでそれをコピー製本したものを持ってきてくれたのです。

めちゃくちゃびっくりした…。よくわかったなと感動しました。

それはそれととして、何十年ぶりかに自分黒歴史と再開を果たしてしまった。

しかし、時間が多少脳内でそれを美化していたところもあり、これも自分も出発点だしな…と思いそれを読み返してみた。

自分の思っていた以上にひどかった!

お話小学校漫研舞台。そこに転校生がやってきて入部したいと言い出す。彼が持参した原稿を見るとメッチャ上手くて他の部員はびびりまくる。

それでも普通に彼を歓迎する部員たち。

ちなみに主人公はその漫研部長女の子です。

で、漫研といっても、そいつらの活動本屋に行って店員の目を盗みながら立ち読みしたり、河原遊んだりしてるだけなんです。

まりこいつらは別に漫画家を目指して切磋琢磨してるわけでなく、ただの漫画好きの小学生ってだけなんですよね…。

そしてひょんなことから転校生父親漫画家であることがわかる。しか松本零士名前杉本に変えてるけど!

そこで初めて自分たち転校生の圧倒的な差異気づき(原稿見た時点で気づけ)転校生によそよそしくなる。

それを部長である主人公がとりなし、最終的には和解するって話なんですけど、これ漫研舞台にしてるだけの小学生同士のいざこざの話なんですよね…。

和解方法も学級会みたいだったし…。

13歳の私の世界はそこが限界だったんです。

10代の頃の私は何故か漫画を描くとき主人公自分より2歳年下にする」というわけのわからないルールを制定していました。

年代や年上を描くより、多少に俯瞰できるぶん客観的に描けると思っていた気がする。

実際は客観性なんてゼロでしたが。

それはともかく。

おめーよー!と読みながらツッコミが止まらないマイ処女作でしたが(スケットダンス早乙女ロマンの描いた漫画ツッコミを入れるヒメコの気分を味わえました)これは13歳の自分しか描けないなあ…としみじみ思った。

いまの自分が描くならまず設定を小学生にしない…。

最低でも中学生にすると思う。

漫研舞台にした傑作に「ヨイコのミライ!」があります主人公たちは高校生で、創作の苦悩より自己愛や、承認欲求所属欲求が勝ってしまう年頃特有のこじれ感が見事に描かれています

これがもっとキャラ大人になれば創作の苦悩のほうに重点が置かれますし、つまり小学生にはそのどっちもないんですよね。

だらまあ本当に私の描いたその漫画は、テーマ選びから躓いてる感があるんだけど。

でも、描いた本人の贔屓目かもしれないけど…あまりにも13歳が丸出しになってるその作品が、黒歴史から一周してなんだか愛しい気持ちになったような…気もする。

13歳の私の漫画は、もう二度と描かれることはない。13歳の私はいないんだから

いまの私にしか描けない漫画もあるし、それもまた先々には変化していくんだろう。

作品というのは自分なんだなということを改めて認識しました。(とってつけたようなシメ)

2016-05-13

早乙女あこを百合にしたい人たち

アニメキャラ百合を好む人が「百合に男を混ぜるのはクソ」とか「同性愛者を異性愛者に矯正しようとするのはクソ」という発言をしてるのをよく見かける。

でもその一方で異性愛者を同性愛者に矯正しようとすることについては喜んで奨励するんだなあって

アイカツスターズ早乙女あこに対する反応をTwitterで見てて思った。



早乙女あこはいわゆるノンケで、男性アイドルであるところの結城すばるが大好きなキャラクターだってことがはっきりと描かれていた。

なのにその事実をことごとく歪めて無理やり同性愛者、レズビアンに仕立て上げようとする感想妄想が多数を占めていて正直引いた。

あこの恋路を応援しよう、あこの人となりを素直に肯定しようなんて感想はほぼ見かけなかった。

結局この人たちキャラクターなんてどうでもよくて百合っていう記号が好きなだけなんだなと思った。



まあ早乙女あこがバイセクシャルだって可能性もゼロではない妄想するのはもちろん自由なんだけど。

あなたのその早乙女あこに対する発言って、あなたがいつも嫌ってる百合男根で引き裂く行為とどこが違うの?と思った。


※追記・返信

別に二次創作性的志向勝手に曲げるのが正道だとか言ってない。やることについては否定しないしやりたいなら謙虚姿勢でいるべきだとは私も思っている。

・一緒なのがわかってて同時に自分にとって嫌な表現存在も認められるなら良いと思う。

・断言してることで言及してる百合好き達と同列視されるのはちょっと、かなり不服だな。そもそも6話を見た時点でわかりやすく手に取れる事実を書いたに過ぎない。

すばるが好き→恋愛対象男の子ってごく自然に考えられることだと思うんだけど、そんなに狭量な考え方だろうか?

そんな考え方をするやつは前時代的な性差別者だとか言われるようなら謝る。

まだ人となりがほとんどわからないのはその通り。だから女の子を好きになるような可能性もゼロではないとも書いたはず。



百合好きの人たちはみんなそうだと決めつけるようなきらいがあったかもしれない。それは悪かったと思う。

2011-12-31

2011年内に出版されたワンピース関連書籍

商学部やら文学部学生が、卒業論文とかサークルの出し物でワンピースを取り上げればそのまんま本になるくらいの勢い。

この手の本を買うときは「書き手のプロフィール」をよく確認してから読むようにしたい。

逆に言えば、一生に一度くらいは本を出したいと思っている人は今がチャンスです。ワンピースコラボしてなにか本を出せないか企画を考えてみよう。

個人的に最も面白かったのは・・・モンキー・D・ルフィの「D」はドラッカーだった」 阿部美穂 <ドラッカー学会会員 

次点高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! (野球指導書編集委員会) といい、

ドラッカーバブルに乗り遅れた方々が必死に次の寄s・・・コラボ相手を求めてさまよっている様がとても微笑ましいですね。


ワンピースビジネス

漫画ワンピースは、これから時代ビジネスバイブルだ! 徳永 秦  <Amaozn書評が全員身内褒めでかなり気持ち悪い

ルフィの仲間力  『ONE PIECE』流、周りの人を味方に変える法 安田雪 <「社会ネットワーク分析」が専門の教授

ワンピースに学ぶ勝利の交際術 平居謙              <詩人空手家

ワンピース」はなぜ人の心をつかむのか―「ONE PIECE」はなぜ売れるのか (ベストセレクト) 富田 英太 <ワンピース新世代の司馬遼太郎とかねーわ


ワンピース人生

ワンピース』に生きる力を学ぼう! 平居謙             <2冊目。この人どんだけワンピース好きやねん

ワンピース言葉 遠越 段   

  <1万冊を超える読書によって培われた膨大な知識をもとに、独自の研究を重ね、難解とされる古典を現代漫画をもとに読み解いていく手法確立って・・・ブログとかあるのかな?

ワンピース言葉が教えてくれること (ルフィと仲間たちに学ぶ生き方」の教科書) 方喰 正彰 <プロフィールなし

ONE PIECE STRONG WORDS 上下巻  尾田 栄一郎、 内田 樹 <内田樹ワンピース論は結構面白かった

ワンピース「世代」>

ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱 鈴木貴博 :注目株。そういえば「ガンダム」程読者の顔が見えないのだよね。不思議


<なぞのコラボ

高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! 野球指導書編集委員会

モンキー・D・ルフィの「D」はドラッカーだった  阿部美穂

ワンピース最強恋愛 ワンピわくわく研究会

ONE PIECE 海賊キャラ弁BOOK (FLOWER&BEE BOOK)


考察系多すぎワロタ ワンピファンで48作ればいいのに>

ワンピースルフィの謎   ONE PIECE考察

ワンピース』の教科書 ONEPIECE考察

ワンピース』王下七武海の謎  ONEPIECE考察

ワンピース研究ノート ONEPIECE考察

ワンピース』読解D ONE PIECE考察

ワンピースマル秘解体全書 (青春文庫) 海洋冒険調査団

ワンピースマル秘解体全書 (青春文庫) 海洋冒険調査団

ワンピース快読団 ワンピース世界研究所

ワンピース愛読団 ワンピース世界研究所

ワンピース最強読解 (ワンピース最強シリーズ) ワンピわくわく研究会

ワンピース最強読本 ワンピわくわく研究会

ワンピース究極解読 マニアックス解読委員会

ワンピース最強考察プラス ワンピ漫研

超読解 ワンピースが教えてくれた人生大切なこと自分の“宝”を守るために必要なもの 海賊行動学研究会

ワンピース最終研究海賊王の血脈と古代文明の謎 (サクラ新書) ワンピ考古学研究会

空想科学読本8 (空想科学文庫) 柳田理科雄近藤たか



やおい系の本が出てるけどこれどういう仕組み?

ジールアンドスウィート21 (ほくこみ同人アンソロジー)

海賊ゲーム外伝ゾロ×サンジ ラブディスカバリー」 (POE BACKS)

同人作家コレクション114 光葉 (POE BACKS) 光葉

同人作家コレクション103早乙女神楽 (POE BACKS) 早乙女 神楽

今田まことおまめ (K-Book Comics) 今田 まこと

エースタイル (ほくこみ同人アンソロジー)

同人作家コレクション99ケチャップ (POE BACKS) ケチャップ

海賊ゲームエース外伝2 (POE BACKS)



しかし、考察系が無駄に多いのを除けば、もっともっとたくさん出てもいいのにまだまだ少ないと思う。(ドラッカー関連本はこの3倍くらいある) http://uwasano3.web.fc2.com/druckertyo.html

ワンピバブルは2012年が本番になりそうですな。

2009-07-03

日本中に実物大ガンダムを立てよう

いや、別にガンダムでなくても良いんだけど。

お台場ガンダムに続いて、兵庫県では鉄人28号が立つらしいですよ。

ガンダムの方は判らないけど、鉄人28号は総工費1.3億円。

土地代とかは別に掛かるにしても、47都道府県に1体づつ立てても100億あれば充分おつりが来るよね。

アニメの殿堂なんかよりよっぽど観光客受けすると思うんだよね。

地方地域活性化にもなるんじゃないかなぁ。

富士山麓にマジンガーZとか!

箱根ヱヴァンゲリヲンとか!

浅間高原ゲッターロボとか!

和歌山県田辺市日高郡龍神村に龍神丸とか!

沖縄ガンバスターとかとかとか!!!!!

全国巡礼したくならね? 俺、したい。

アニメの殿堂とか言ってるけど、博物館って最低でも半日は楽しめる様なものでないと見ても面白くないんだよね。

でも、半日も博物館で過ごしたら、更に周辺廻るなんて実質無理じゃね?

食事だって博物館の中か、せいぜいその直近だけ。

その点、実物大ロボットは見るだけなら金かからないし、幾ら観たって1時間も居れば飽きるから、その分周辺観光が潤うよ。

大仏とかと一緒。

維持費だってたかが知れてるし、検討段階から赤字前提で国の援助(=税金)が必要とか議論になってる様なものよりよっぽど投資効率良くね?

何より、飛行機日本見ると、日本中にロボット立ってるんだぜ!

機内アナウンス楽しいぞ!

「皆様、右手に富士山が見えてまいりました。その麓には早乙女研究所と鉄の城マジンガーZがそびえております」とか

「当機はまもなく那覇空港に到着致します。右手に仁王立ちするガンバスターから放たれるバスタービームは灯台として活躍しております」とか

SUGEEEEE! CRAZYYYYYY! JAP! BANZAI!

と、外人さんも大喜びですよ。

間違いなく、アニメの殿堂よりもメディア芸術の発展に貢献すると思うんだけどね。

どうすかね?

2008-06-20

みーんな疎外中。

 長いので、興味ない人は1行くらいでスルーしてください。

疎外論」批判というのが一部でちょっと盛り上がっていたみたいですが。

 なぜ「疎外論」という発想が生まれたのかと言えば、それはたぶん、他人を説得する時にそういう方法しか思いつかなかったからじゃないかと思います。「本来の人間の姿」と「本来的じゃない現在人間の姿」とを対比させて、その差異を見せ付けることで「ほら、現在はこのような問題があるんだから」と問題のありかを指し示すというのは、他人に自分の意見を示す上でも非常にわかりやすくなりますし。

 じゃあ逆に、疎外論抜きで「私は社会に対してこのような問題意識を持っている」ことを指し示すとしたら、どうなるでしょうか。

「見ろ、このような社会のあり方は問題だ」

「なんで? 人間の生活はあるようにある、ただそれだけじゃん」

「なんでだよ、こんな社会のあり方は人間にとって生き難いだろうに」

「生き難いって、何と比べて言ってるのよ」

「そりゃあもちろん……いけね、“あるべき仮想的な理念像”はここでは使えないんだっけ。えーっと、それじゃあ社会の上層のあの人や中層のあの人と比べてだね」

「おいおい、そうやって万人を万人といちいち一対一マッチングさせる気か。地球シミュレータをフル回転させても無理だと思うぞ」

「いやだから、技術的な問題じゃなくて社会構築の原理的な問題をだね」

「そうやってすぐ空想的な原理原則を持ち出す、君は本当にどうしようもないほど形而上的だな」

「うがー。目の前で死にかかっているこんなに人がいるのに放っておく気か」

「その人を手当てすりゃいいじゃん」

 ……話はどこまでも噛み合わないまま終わりそうですが。

「あるべき理想的な人間像」とか「あるべき理想的な社会像」の提示(による疎外論の提唱)をどこまでも徹底的に否定していくと、実は現行の国家行政機構の役割が限りなくゼロに近づいていったりするんですな。

 例えば教育。そもそも公教育制度って、政治社会活動(経済活動を含む)に参加する上で必要最低限の知識を万人に保証するために行うものですから、教育の意義そのものが「あるべき“教育された国民像”」と「教育されていない国民像」との差分に基づいて、まさに疎外論的に「あるべき理想像国民保証する」ことにあるわけです。

 だから、指を折って数えられる以上の数字を知らなかったり漢数字以外の漢字が読めない国民がいたって、それを「あるべき“教育された国民像”から疎外された、非本来的な国民のあり方」と捉えることは出来ないのです。そもそも「“教育された人間”の本来的な姿」が棄却されているわけですから。その人については、それはそういうものとして「まあそんな人もいるよね」と受け取っておくしかありません。学力比較がしたければ、無理に一般的な学力基準を作らなくたって、めいめいが勝手に「あいつ俺より頭よさそうだなー」「奴は俺よりバカだ」とかって思っておけばいいんです。

 警察組織も必要なくなりますよね。別に治安がいいことをもって「社会の本来的なあるべき姿」とする必要は無いんですから、もし199X年に地球が核の炎に包まれた後のような暴力の時代が到来しても、またそこで弱者を救う世紀末救世主みたいなのが出現しなくても、「これは人間が生きていく本来の社会のあり方じゃない」と嘆くことは出来ないのです。それはそういうものなのですから。

 他にも、現状を維持したり向上させたりする政策を立案・実施するためには、そもそもの発想の根源に、現状がそのまま維持された延長線上に想定される未来像や現状から何らかの意味改善された未来像が、「本来そうあるべき像」として時系列未来投影されていなければなりません。もしそうしなければ、「本来あるべき未来」と、「現在」ないしは「メンテナンスを何も行わないという条件下で現在からの延長線上に出現しうる未来」との差分を検出することが、まったく不可能になってしまうからです。比較対照としての「あるべき像」が無いのに何と比較しろってのさ。

 だから、さっきの199X年に、ミスミじいさんが種モミを必死に抱え込んで「明日がー明日がー」と叫んでいるところに割り込んで、明日の収穫のためではなく今日の俺の腹の足しのために種モミを食ってしまっても、何の問題もありません。そもそも比較すべき「明日=あるべき社会像」が存在しないんですから。「明日の収穫」なんてものは、勝手に「本来あるべき社会像」を未来投影してこしらえた幻影なのです。その幻影と現在とを比較して「人間は本来的にあるべき“明日の収穫”から疎外されている」などというのは形而上学もいいとこです。厳然として存在するのは、目の前の「種モミ」だけなんですから。これがやがて稲穂の波へと弁証法的に発展していくなんてまだ見ぬ未来を夢想するのはヘーゲルマルクスの読みすぎというものです。さあ、種モミなんて食ってしまいましょう。え、将来の人間が飢えてしまう? 何言ってるんですか、将来の人間なんてここにはいないじゃないですか。いたら今すぐここに連れてきて「飢えた人の発生」を実証してくださいよ。だいたい飢えたところでせいぜい死んで人口がちょっとばかり減るだけですから、むしろ上手い具合に人口の調節が図れていいんじゃないですか。それとも何ですか、まさかあなた、年がら年中腕に止まった蚊を叩き潰したり肉を食ったりして他の生物をどんどん殺しているくせに、ホモ・サピエンスは他の生物種とは異なって神に祝福された特別な存在だから常に生き残る価値があるだなんて、今のご時世に信じていたりするんですか?

 いやー、しっかしそう考えると、なんでよど号ハイジャック犯が『あしたのジョー』を引き合いに出したのかがよく判るなー。あれってきっと、連中にとっては「擬人化された疎外論」だったんですよ。ほら、「あしたのために」とか「泪橋を逆に渡る」とか、本来性の掛け声がビシバシ響いてるじゃないですか。ジョーの本来あるべき姿って、段平オヤジにとっては「ボクシングチャンピオン」、ジョー自身にとっては「憎いあんちくしょうリング上で叩きのめしている自分」なのであって、そうじゃない現状のジョーはあるべき理想的ジョー像から「疎外」されているわけですよ。だからこそ段平はあるべき姿の「あした」を目指して、「あしたのために その1・フォイエルバッハテーゼ」「あしたのために その2・資本論」「あしたのために その3・共産党宣言」とかってのをせっせと書き綴るし、ジョーはジョーで欠かさずトレーニングして「内臓をえぐるように(カラシニコフを)撃つべし!撃つべし!」なんてやってるし。こんなふうに「あるべき姿」を必死に目指したって碌なことにならないのは、「ジョーをバンタム級リングの上でぶちのめす自分」を「あるべき自己像」に据えて、「だめだ、この体重では俺はバンタム級リングから疎外されたままだ」とばかりにむちゃくちゃな減量を行った力石徹が、自らの死をもって示しているのにねえ。

 だから、庵野監督大月Pも角川の偉い人も、エヴァンゲリオンテレビ版の最終回でさっさと終わらせておけば、「僕はここにいてもいいんだ」→「おめでとう」パチパチパチで「そのままの姿でここにいる自分の全肯定」として話がきれいに収まったんですよ。それをよしゃあいいのに、劇場版(97年の)なんか作って「あるべきコミュニケーションのあり方」に話を膨らませちゃったりするから、「あれ、本当はこんなコミュニケーションのあり方はいけないんじゃないかな? 本来のコミュニケーションのあり方ってどんなのかな? 今の僕たちは本来のコミュニケーションのあり方から疎外されてるんじゃないかな?」みたいな方向に考えを向かせる契機を作っちゃうわけで。もう「そのままの自分まるごと全肯定」でいいじゃん。マルクス先生が「宗教はアヘンだ」って言ってるってことは、マルクスが失効した時代には文化的アヘンで疎外感を麻痺させて心の安寧を得ることもOKってわけですよ。アヘン超OK、全能感超OK!(ちょっと古いか。)

 なに、そんなのはまやかしだって? おいおい、「現実」に目を見開いて「本来のあり方から疎外されたこの社会を何とかしなくっちゃ」なんて操作主義的な観点に目覚めた人がこれ以上増えたら、一億総ポルポト化ですよ。日本全国隅から隅まで「ドキッ!ポルポトだらけの粛清大会 ──(頭蓋骨ゴロリもあるよ!」になっちゃいますよー。

 ポルポト文化大革命を呼び込みたくなければ、そんな疎外論チックな発想はさっさと捨てちゃって、身の回りの小さなことに幸せを見つけていきましょう。そうすればほら、きっと水さんだってきれいな結晶を作ってあなたの心の美しさを祝福してくれますよ。おっと、非科学的だなんてツッコミは無しですよ。「科学的に正しい世界観を持った国民」というのだってやっぱり“本来的なあるべき像”なんですから、そんなものを持ち出したら途端に「君の世界観はあるべき科学世界観から“疎外”されている、再教育しなければ!」なんてことになってポルポト化ですよー。

 ……結局のところ、何かしら広義の「啓蒙」的なこと、つまり人々の精神知的要素が無知蒙昧の「闇」に閉ざされているところへ「光」をもたらそうという時系列進歩の考え方は、どうしても「光」の比較対照物として「闇」を必要とするし、また「闇」の比較対照物として「光」を必要とします。社会のよりよき状態を想定するところでは、その対照物として「よりよくない現在=闇」が、「光から疎外された状態」として持ち出されますし、現状を批判する場合には、それの比較対照物として仮定された「よりよき未来=光」が、一種のイデアとして持ち出されるわけです。「啓蒙」と「疎外」は、そういう意味でコインの裏表のように、切っても切り離せない関係にあります。

疎外論」を完全に回避しようとすれば、結局のところはよりよき方向への変化という考えを完全に捨てて、「あるべき姿など無い、世はただあるがままにある」という考えに徹するしかないのでしょう。税制改正の提言は「よりよき税制度から人々が疎外されている」という現状認識の現われだし、著作権を巡る議論は「よりよき(ry」だし、そういうのを全部回避するとしたらもう、時系列的に制度などが変化した部分については「ああそう、変わったのね、まあそんなもんでしょ」、変化しない部分については「ああそう、変わらないのね、まあそんなもんでしょ」と等閑視するくらいしか手はなくなります。スピノザあたりがそんなことを言っていたような気がしますが。ニーチェ運命愛もちょっと似てるかも。

 ……でもこれって、

「“人はあるべき姿から疎外されている”なんてことを考えて現実を直視しようとしない連中世界観は、人が本来的に持つべき物の見方から疎外されている!」

という主張にはならないのかな? それとも、「“あるべき姿”の主張がマルクスの論点に基づいていればそれは疎外論でありポルポトだが、マルクスに基づいていなければ疎外論ポルポトではない」という前提でもあるのかな。もしそうだとしたら、悪の大魔王マルクスの「悪のカリスマ」性の長命ぶりには驚くべきものがありますな。それとも、冷戦終結によって魔王バラモス(=マルクス)が死んだと思ったら、その背後で真の黒幕である大魔王ゾーマ(=真・マルクス)はしっかり生きていたという、ドラクエ3型のオチなのかしら。早乙女ジジイ

 ……この「反疎外論シリーズ、いろいろ応用がききそうだな。

 例えば、

「やい臨獣殿! “強い者が世界を統べることこそ本来の姿、その本来の姿から疎外されたこの世界を変えてやる”なんて言って人々を苦しめるなんて、このゾワゾワのポロポロ野郎!」

「なーに言ってるのよ、あんたたちこそ“本来の獣拳は正義の拳、いまはそこから疎外されている状態だから臨獣殿を倒してあるべき姿に戻す”なんて言って、力ずく正義押し通すポルポトじゃないの。文句があるなら実力であたしたちをねじ伏せてみなさい、このカクシターズ!」

とか、

「おばあちゃんが言っていた、俺は天の道を往き総てを司るってな」

「天の道という“本来あるべき道”のイデアを前提して、万人をそこから疎外された者として見下すとは、君も愚かな男だな。社会においてもっとも重要なこと、それはパーフェクトハーモニー……完全調和だ」

「そう言いながら俺をつけ狙うのも、おまえの言う中和だか調和だかのうちか」

ライダーは二人も要らない」

「一人のライダーに率いられた組織の完全調和……そこからはみ出した俺は疎外された存在ということか。おばあちゃん、いやポルポトは言っていた、そういう存在は完全調和のイデア世界には不要だとな」

貴様、俺を疎外論者に仕立て上げるつもりか……だが俺は貴様を倒す。そうしなければ、俺が俺でなくなってしまう!」

「やはり“本来の俺”か……おまえは天の道を外れた」

(去っていくザビーゼクター

「!……待ってくれザビーゼクター、戻れ、戻れ……戻れぇーーーー!」

(半年後)

「もう疎外論も物象化論もないんだよ。影山、俺と一緒に転向しよう……。天道、おまえはいいよなあ、どうせ俺なんか」

とか。

 
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