はてなキーワード: サテラビューとは
くらいかな
サテラビューは一応2000年までサービスが続いてたし、スーファミ本体とともにミニチュアが出るくらいだけど、64DDに関しては一切話題が触れられないしガチの黒歴史感がある。任天堂が率先してネタにしてるバーチャルボーイの黒歴史とはレベルが違う。
64DDは任天堂らしからぬクリエイティブなソフトが出てたり、メイドインワリオのプロトタイプみたいなゲームもあったから、それなりに話題にはしやすそうなのにな。
64DDには「キャベツ」だの「ウォール街」だのタイトルからして謎のソフトが発売予定リストにあったけど、結局何のゲームかわからんまま消えちゃったよ。
最高に面白かった。
前半の、野心と人間味に溢れて起業したマーク・ランドルフと大企業中間管理職ドロップアウロ組がオンラインのDVDレンタルサービスとしてのネットフリックスをなんとか立ち上げるものの、最初はエンジェル投資家気取ってた共同創業者のアルゴリズム冷酷超人リード・ヘイスティングスに追い出されるのは、「オッ!シリコンバレーやってるNE!」って感じ。
そこは退屈だったけれど、中盤でライバルのブロックバスターが出てきてからが最高におもろい。
っていうか、ブロックバスター・オンラインの奮戦っぷりにどんどん感情移入してしまうのだ。
ブロックバスターは、当時全米最高の店舗型のレンタルビデオショップなんだけど、MBA上がりの若い連中が店舗派や官僚的な組織と戦いオンライン化へ向けて戦う様が本当に良い。
例えるのであれば、関が原の石田三成、『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリー、横山三国の諸葛孔明みたいな感じ。
最初はネットフリックスのパチもんサイトから始まるもの、打倒ネットフリックス目指して改良に改良を重ねていく。
この戦いが本当に読んでてすっげー面白いのだ。
そのクライマックスが、後半戦の山場で出てくるブロックバスターオンラインの「トータルアクセス」というサービスのローンチ。
これは、店舗展開をしているブロックバスターの強みを活かし、返却も受け取りも店舗を使える上にそのまま店舗で次のレンタルが一本無料という、
まさに最近流行りの「OMO」(オンライン・マージ・オフライン。まあO2Oの焼き直しですね)っててやつ。
もちろん、最近のデジタルうんたらマンはきっと「そんなん当たり前じゃんプギャー」みたいな知ったかをするかもしれんけど、
これは2006年の話であり、それまでブロックバスターの店舗はインターネット網に繋がれたシステムはなく、衛星通信網をベースにしていた。
任天堂のサテラビュー(衛星通信でスーパーファミコンにコンテンツをダウンロードする超豪華システム。衛星打ち上げるのにすげー金かかっているのに全然売れなかった)かよって感じ。
まあ、2006年ってそんなに昔じゃないけれども。米国で店舗展開していたら糞インフラ事情と回線スピードはお察しでしょ。
そんな背景の中で店舗と連動するサービス作るって、地獄であり、その地獄を走り抜けて、イノベーションなサービスを作り上げたことに、俺は感動したのだ。
市場の新規加入者はほぼ全取りの上に、ネットフリックスの会員からも離脱者が相次ぎ、崩壊寸前!
アルゴリズム冷酷超人リード・ヘイスティングスもついに降伏の言葉を口にし始め、これでついに勝つる!
オンラインDVDレンタルサービス、そして、その先にあるビデオオンデマンドの王者はブロックバスターのもとにくるのか!
と思わせて………。
大変悲しいことがおきて、ブロックバスター・オンラインは大失速。
このシーンは、読んでてまじで、
『銀河英雄伝説』でいうところのバーミリオン星域会戦(ヤンがラインハルトを倒す一歩手前で停戦になるやつ)、
横山三国志でいうところの葫蘆谷の戦い(司馬仲達を谷に閉じ込めて爆殺しようとしたら雨降っちゃうやつ)を彷彿とさせ、
なんつーか、まあ本邦でも最近流行りの○○payに見られるような、ITとかWebとかそういうの知らないんだろうなーって感じのプロ経営者様は、米国にもいるんすねって話。
んで、まあブロックバスター・オンラインの中心人物たちは失意のうちにブロックバスターを去っていくんだけども、これもまた涙無しには読めず。
横山三国志でいうところの剣閣で剣を折る姜維というか、負けて捕まり縄目をおびて晒し者になる石田三成みたいな感じ。
終盤は、見事生き残り王者になったネットフリックス様であるが、アルゴリズム冷酷超人しかいない彼らにも陰りが見られ……みたいな感じで終わり。
ぶっちゃけ、作者は、ネットフリックスいやアルゴリズム冷酷超人リード・ヘイスティングスのこと大嫌いだろうと感じさせれくれるところが節々にあり、最高に面白かった。
もともとロイターの経済系ジャーナリストの処女作なのだけれど、徹底的に「人」に着目しているのが大変良い、
見せかけの経歴ではなく、徹底的に出自と人間関係を洗っており、大変おもろい。
この手のシリコンバレーテック企業本にありがちな、当事者たちの大本営発表や成功者談を鵜呑みにせず、第三者や反対した人々の意見まで丁寧に拾っている。
それこそ、リード・ヘイスティングスに関しては家系図を書くレベルの調査をしているし、主要人物は一緒に働いた上司の評価から家庭環境までこと細かに出てくるのだ。
おかげで、どの人物も単なる固有名詞を超えて、性格や生き様までリアルに描写されており、それがまた読んでいて楽しい。
本当に、ブロックバスター・オンライン側視点でドラマ化とかしたら、日本では絶対にウケると思う。
中盤は本当に山崎豊子の小説ばりの面白さで、ほんとあと一歩で、ブロックバスター・オンラインは、オンラインとオフラインの王者として君臨していたのではないか。
いまもその考えは変わりません。(ちなみに任天堂信者と思われたくないので書いておくと、私はPSVRも大絶賛していますし、発売日に購入しました)
しかし、大絶賛したのは、これがWii fitや昔のドラクエのように社会現象のように売れるだろうということではなく、
どちらかといえば、SFCにおけるマリオペイントだったり、サテラビューに似た意味で絶賛しました。
サテラビューは多くの人が商業的に失敗したと評価しているはずなので、
ニンテンドーラボが(サテラビューと同様に)商業的に失敗するだろうという予測をしていた方はその通りではないかと思います。
この意味で言えば、「商業的に失敗(=ハードを牽引するほどの成功ではない)」と「私が大絶賛した理由」は両立します。
私以外のはてなで大絶賛していた方々の考えはわかりませんが、私は次の3点でニンテンドーラボを大絶賛しました。
私が小学生のときにSFCでマリオペイントを購入しました。マリオペイントが現在どのように評価されているのかわかりませんが、
作品名があまり挙がらない時点で、忘れられた商品の一つだと思います。
しかし、マリオペイントで「初めてマウスを触った」という経験をした子どもたちは多いのではないかと思います。
少なくとも私の周りでは、マリオペイントを持っている子供の家で、ハエ叩きをしたり、お絵かきをしたりしていて子供は多かったです。
これが将来的に、デジタル絵描きを増やした要因であるとは言いませんが、新しい道具に子どもを慣れさせるきっかけを与えるということは
ニンテンドーラボは将来電子工作につながることを意図した工作を主体にした作品だと思っているため、
この作品は10年後、20年後に「ニンテンドーラボ、あったねー」という子どもたちを増やし、この原体験がなにか新しいものを生み出すと信じています。
現在、多くのゲーム機はあまり差別化できていない状況にあります。
Googleもゲームストリーミングに参入するという話もありますし、
ゲームがストリーミング時代に入ると、個別のハードウェアは無価値になりえます。
一方で、ニンテンドーラボは別のゲーム機に移植することができません。エミュもできなければ、PCで遊ぶこともできません。
これは「Nintendo switchらしさ」という個性を有しています。
もちろんこれは必ずしもメリットではありません。
Wii特有の操作によるゲームがその後リメイクや移植がされにくかったのと同様、
扱いづらいソフトとなる可能性はあります。しかし、(他では体験できないので)switchを買ってよかったという体験にもなるはずです。
この手の一過性をどう捉えるべきかというのはゲーム業界でも難しい問題ですが、
任天堂はあまり気にせずに果敢にチャレンジしているように見えます。
(3)新しい面白さを追求する
そもそも工作は面白いものです。それをゲーム機と組み合わせるという発想はとても面白いです。
そして、このような新しい面白さを追求することはゲーム業界では本当に難しくなっています。
和ゲー、洋ゲーともに発売されるタイトルがみな続編になっていることを思い出してください。
またはあるヒット作のフォロワーばかりになっていることを。
任天堂も同じでマリオ、ゼルダ、ポケモン、スマブラ、マリカ、どうぶつの森、(FE、カービィ、ドンキーなど)を
サイクルで発売するだけになってきています。
もちろんそこまでIPを大切に育ててきたということはものすごいことですが、
みなさん、ニンテンドーラボが売れない、売れないと言っていますが、
売ろうと思えば、マリオをキャラに使う、ポケモンをキャラに使う、マリカで使う、など
他のIPを混ぜれば、いくらでも売ろうとすることができたはずです。
でも、これはあくまで実験作だということを強調してのニンテンドーラボなのではないでしょうか。
このような3点で私はニンテンドーラボを絶賛し、また大爆死の声も気にせずに、4作目も出そうとしている任天堂に頭が下がります。
この4作目のVRが売れなかったとしても、5作目をきっと出すでしょう。
(ちなみにこの4作目のVRはハコスコという先行者がいたため、個人的に発表時にはあまり驚きはありませんでした。)
また、この(1)(2)(3)の三つの理由は実はPSVRにも概ね当てはまります。
PSVRもkinectもそうですが、このような新しいチャレンジはだいたい商業的には失敗します。
それはゲームユーザーが保守的であるというのも理由でしょうし、
追加で周辺機器を買わされるという経験はユーザーにとって、事実あまり面白いものではありません。
ですが、このような取り組みが、次の面白いゲームにきっと繋がると信じて、私はお布施をしています。
爆死だ、爆死だと評論家ぶるのも良いですが、爆死に付き合うのもなかなか良いですよ。
任天堂のひどい決算が出たにもかかわらず、はてなーって「任天堂は日本有数の優良企業だから大丈夫」「任天堂が苦境なんて言葉はどこから出てくるのか」みたいなことばっかり言ってて驚く。今の任天堂って明らかに危機だよね?1Qとか関係なくもう何年も売上の減少にブレーキが掛かってないし、下手したら今年は売上高が5000億を割る可能性すらある。NXが据置機だとすると、ソニーとMSがすでに数千万台規模で普及しちゃってるから対抗するのは難しいだろうし、携帯機ならばどう考えてもスマホに対抗できない。(3DSがそれなりに売れてる国内ならまだしも、海外だともう完全に無理だろう。)
普通に考えて「独自ハードを展開してその上で自社ソフトを売る&サードからロイヤリティを取る」っていうビジネスモデル自体が崩壊の危機にあるのに、なんでそれでも優良企業だと言い切れるのか、誰かきちんと説明して欲しい。いくら内部保留があっても、もう今までと同じフィールドで戦うのは難しいわけで、今の状況って「内部保留はたんまりあるけど社員もたくさん雇っちゃってる炭鉱企業がエネルギー革命に直面している」ようなもんだと思うんだけど。任天堂にはアイデア力があるから大丈夫って言う人もいるだろうけど、アイデア力が本当にあればWiiUはもっと売れてると思うんだよね。もう、一発逆転のアイデアに頼って商売ができる規模の会社じゃないと思う。
自分はファミコン時代から任天堂が大好きだし、サテラビューやバーチャルボーイ、64DDまで含めて全てのハードを買ってきたけど、もうこれまでのような企業規模や存在感を保ち続けるのは難しいんじゃないかと思っている。俺が心配性なだけなんだろうか。こんな危機的状況に対して「大丈夫っしょ」「心配してる奴は馬鹿」みたいなことを言っている人、ちゃんと説明して俺を安心させてくれませんか。
オレが支持してるからだよ。
ちょっと前までは共産党を少しかじった社会党を支持したこともありました。ですがその後二大政党とかそういう流れになっておかしくなった頃から、支持している理由がなくなって無党派に。その後、麻生太郎が就任した頃からいろいろ勘案して、民主党にはまだ政権を取らせるには時期尚早である、経済危機の最中につまらんことで政府を混乱させても意味がないという消極的な理由ではあるが、自民党支持者に。
とたんに支持率急降下。
思えばオレの人生はずっとそうだった。たとえばゲーム機一つとってもそうだ。
初めてふれたゲーム機は、ファミコンですらないゲーム機「スーパーカセットビジョン」で、おまけにさわったソフトが「ベーシック入門」のサンプルプログラムの、記憶は曖昧だが「pong」に似たようなゲームだったと記憶している。
その後、自分で初めて買ったゲーム機が、スーパーファミコンではなくメガドライブであった点ですでに間違っていた。なぜか?知るか。それはそのときのオレに聞いてくれ。その後、なぜかかたくなにスーパーファミコンを買わなかったオレが、なぜかサテラビューに心をひかれてスーファミに手を出したのが1995年。ただ、そのときにはすでにPSは発売されていて…。
その後遅ればせながらドラクエなどにはまり(そう、なぜかそのときまでやったことすらなかったのだ…)スーパーマリオRPGなどを通してすっかり妊娠となったオレが、次に選んだハードウエアはヴァーチャルボーイ。そしてNINTENDO 64。さらに最後期になってバイトができるようになって金ができた俺はドリームキャストに、ドラクエやりたさにPSを買い(すでにPS2の計画は明らかになってた)、その間にワンダースワンも試してる。もちろんクリスタルのほうだ。(ピピンアットマーク?それはさすがに無い。断じて自宅の押し入れなどにはない。3DOは欲しかったが金がなかった。飯野万歳)
そして今度こそ外れをひくまいとPS3を買ったがソフトがなく、XBOX360を買ってみてそれなりに満足している。ちなみにWiiは買う気はない。これはオレの些細なプライドだと思って欲しい。もはや意地だ。
ちなみに愛車はついこの間までマツダだったが、この間スバルに乗り換えた。携帯ははじめはドコモだったが、auに乗り換え、今はソフトバンクにしている。データ通信用にWillcomも使っている。
最近はトラックボールを入手するのが年々難しくなっているのを嘆いているし、個人ではずっとWindows MEのパソコンを使っていたが、WIndows Vista搭載機一斉発売の時にVista Home Basic搭載パソコンに乗り換えた。ちなみにガンダムよりザクや特にドムが大好きである。一番好きなガンダムはガンダムXだが、劇場版Zガンダムにはまって揺らいでいる。
そんなオレが自民党支持者だ。特に政策を比べると、積極的によくわないが、少なくとも今この時期をうまく乗り越えるためには、自民党を支持して、少なくともその大枠だけでも維持する方向にしないと、日本は持たないのではないかと考えるようになった。
従って、自民党は滅びる。なぜならオレが支持しているからだ。
インターネットとメールができてiPod使えたらそれでいいかななパソコンが買いたい時、いま市場に出回っているメジャーなPCはどれも完全にそのスペック(能力)を持て余している。その程度の使い方しかしない人で予算が10万程度の人は、大手電化製品店で8??10万ぐらいのよく聞いたことのあるメーカーのノートパソコンを買えば解決である。
しかし実はその程度のことをするPCは3??5万程度で買える。この価格で唯一買えないのは安心だ。
知り合いがパソコンを買うというのに今年は2回付き合い相談も何回か受けたが、みんなエンコードなどの作業すら知らない人だった。ひとりだけDVDをコピーしたいという要求があったけど、それも最近のDVDドライブの水準だと最初からクリアされている。
デジタル関係全般にあんまり詳しくない人はパソコンに対する漠然とした先入観でパソコン購入を難しいものと決め付けてしまっている感がある。その漠然とした先入観は10年ほど前実際にパソコンというものがとても複雑で敷居の高いものだったときに生まれたものだったと思う。
あの頃は実際パソコンにできることなんて限られていた。インターネット用とワードプロセッサー用で違うパソコンが紹介された。マックとウェインドウズの存在が大いに素人を混乱させていた。まだパソコンに詳しくなかった自分も「CDを聞くならマキントシュ」などという訳の分からない思い込みがあった。そういう感覚を正す出会いもなく今まで来ている人には今だパソコンというのはややこしいものだと思う。
これからの時代のパソコンは完全に力を持て余したまま先にすすむことになる。もうとっくにニーズを飛び越えてしまったのだ。パソコンでテレビをみるという生活スタイルを提案しているけど完全に苦肉の策だと思う。テレビ放送はテレビで見た方がいい。それは地上デジタル派放送が出てこようが何ら変わらないこと。これ以上いくら画質や景気が良くなろうとも消費者がテレビに使うお金はそこまで変わらないと思う。
どんな家電製品も一定の水準まで来てしまうと一番正しいのは使いやすさの研究をすること。
そういう意味でシャープや任天堂やアップルの新製品はいつもみててすげぇなと思う。使い勝手に直結するインターフェイスやソフトがどんどん成長していく。逆にソニーのPS3を見たとき画質に対して「なんぞこれ」と驚き、ソフトに対して「いらねーぞこれ」と漠然と思った。
時代の生む必然を知ることは情報さえ揃えれば案外難しくない。だけどその時代の人々が支持するものを作り出すのは容易じゃない。確固たる思想の先に運が手伝ってようやく生み出せるものだと思う。
自分なんか任天堂のスーパーファミコンを使ったサテラビュー(いまのネットゲームの先駆け)なんかは絶対に当たると思っていたし、同じくセガサターンのプレイステーションとのコンシュマー対決は絶対にセガが勝つと思っていた。セガサターンがVCDを再生できて尚且つムービーに強いハードだと思っていた。(結局サターンのムービー再生機能が強いというアドバンテージなんか、PSの環境で物を作ろうと考えた技術者たちの技術革新によって吹き飛ばされてしまうのだが)
とにかくいまの先端技術による表現力のインフレはすごいよねって話です。作る方も大変だこりゃ
というのをwii発表時期くらいに考えてたんだけど、結局まとまらなかった。ので、ドラフトという名の書き散らしをここに残す。
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公式発表されたwiiの演算性能はGameCubeの○割増し、みたいなもので、5年1周期で性能を倍倍にしていくことでユーザーの訴求力を得る、という路線からは完全に外れた。だが、それならわざわざwiiを出す必要すらないのではないか、という風にも考えられる。WiiがWiiである機能、BlueToothやネットワーク接続といった実際的なハード機能は、GameCubeのコントローラ端子や拡張ポートを用いればいくらでもできるのではないか。となれば、アドオンパックとしてwiiと同性能のものなんてのはわざわざ作るまでも無くすぐに出荷できたはずである。(何しろ目新しい「技術」はそこには何も無いのだから)
だがここに、任天堂がゲームハードにおいてどうしても乗り越えられなかった壁が立ちはだかる。それは、「元のハードに何かを差し込む、というコンセプトは絶対に成功しない、もしくは失敗する」というものである。*1(ex:ディスクシステム(成功はしなかった*2),サテラビュー(これも成功しなかった),64DD(失敗),バーチャルボーイ(顔を差し込むので失敗))。この壁を倒すか、それとも見なかったことにしてほかの道を探すか、という視線で見たとき、まさにwiiは後者を選んだのである。ハード性能でなんとかできる部分を捨て去り、既存の技術を「新世代のハード」というものに託して。だがこれは、数々の挑戦で得た、任天堂の「玩具屋」としての結論だったのだろう。「ユーザーはハードではなくソフトについてくる」という精神が、ハードウェアの敷居が思いきり低くないと成り立たない、という経験の具現として、新世代ハードを超性能ではなく新体験のために全力を注いだのである。
*1例外条項として、ゲームボーイ関連は安泰
*2「今後ソフトは全てディスクで供給する」という目標を達成できなかったという意味で。だから失敗とはいえない(ということにしておく。
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今読み返すと、ヌンチャクコントローラはすげーよとか「wiiがリビングにおいておける小型なマシンである」的なアプローチとかの視線がすっぽり抜け落ちてるのに気が付いた。「技術」「ハード」って言葉乱発してるし。後、これを書ききれなかったのは、「変な視点で見てるだけで、実際はこんなわけない」とかいうのが頭の隅にもたげていたからだと今は思っている。