はてなキーワード: SFとは
テッド・チャンの作品を初めて読んだのはもうだいぶ前になる。十数年前、おそらく大学生のころだ。自分は暇さえあれば本を読むといったタイプの人間で、そのころSFというジャンルにそこそこ興味がった。理系だったのもあって科学的な設定に興味をひかれたんだと思う。グレッグ・イーガンといった当時新しく出てきた作家に加え、アイザック・アシモフのシリーズやアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」、ジョージ・オーウェルの「1984」といった古典SFもすきだった。そんな中、ネットの記事でテッド・チャンという新人作家がいることを知った。まだ一冊しか本を出していないが、すこぶる評判がいいらしい。短編集ということで読みやすそうだとも思い、さっそくアマゾンで注文した。もうだいぶ前のことだし、大まかなストーリーも忘れてしまったが、確かにその本が面白かったことは心に残っていた。
時は変わって昨日、つまり2019年大晦日。年末年始は一人暮らしの自宅で過ごすことにしているのでありあまる時間があった。昔と違ってここしばらくは本をあまり読めないでいた。ネットサーフィンでとりとめもなく文字を追う行為が読書の代わりになっていたのかもしれない。そんな中、テッド・チャンの第二作目「息吹」が最近発売されたことを知った。十数年たってようやく新作が出たことに驚いたが、過去の作品にたいしていい印象を持っていたこともあり、Kindle版を購入してすぐに読み始めた。
前作と同様、「息吹」も短編集であり、9作品がおさめられている。ラフな感想をいうならどの作品も面白かったが、順番的には本の最後に位置する「不安は自由のめまい」について語りたい。量子論でいうところの観測による確率の揺らぎによる並行世界が存在し、その並行世界の自分と今いる自分とで会話ができる装置があるとしたらどうなるだろうか、という話だ。ただし、よくあるパラレルワールドものの話と違うのは、並行世界と今いる世界の差が限定されている点だ。「プリズム」という装置を介して並行世界と通信できるのだが、「プリズム」を初めて起動した瞬間に世界は分岐する。「プリズム」は最近普及してきたテクノロジーのため、長くても数年前に分岐した並行世界としか通信できない。量子的な効果はランダムノイズとして作用し現実世界と並行世界を異なるものにするが、数年間というのはノイズが大きな差異を生むにはあまりにも短く、基本的には細かなディテールが変わるのみとなる。では「プリズム」のご利益は何かというと、人は「プリズム」を介して過去の自分の決断を振り返ることができることだ。例えば、今後悔しているような決断を過去に行っていたとしたら「プリズム」で並行世界を眺めてみるといい。もしその決断がノイズ的なもの、つまり一時の気の迷いで行ってしまったものなら並行世界の自分はそのような決断はしておらず、したがって後悔もない可能性が高い。一方、その決断が運命的なものだった場合、つまり自分ひとりの力では変えることができなかったことの場合、並行世界でも同じように決断して同じように後悔しているか、あるいは違う決断をしたけれども結局は同じ結果に収束し、似たような後悔をしているかもしれない。
本作品はこのコンセプトをもとに、アウトサイダーな雰囲気をもつプリズム販売員ナットとプリズム中毒者の面倒をみるカウンセラーデイナの物語を描いている。ナットはもと薬物中毒者であり、恵まれない子供時代の経験があった。現在は堅気の職についているが上司の命令で犯罪に近い行為に関わってしまう。その過程でナットは自分が悪の道を運命づけられているのかと、悩みを持つようになる。一方デイナは誰からも信用を勝ち取るような立派な人で、充実した仕事生活を送っている。しかし、デイナにも後悔するような、トラウマチックな出来事があった。
最初二人の物語は独立して進んでいくが、あるところで相互作用しはじめる。ネタバレを防ぐため詳細はぼやかすが、ナットはデイナに影響されて運命を乗り越えようとし、またナットはその決意としてデイナに贈り物をする。
自分は、その贈り物がとても意外なものだったので驚いたが、読み進めてその意味が分かった時、心を大きく揺さぶられて、泣いた。体が震えながら、涙が何滴も流れた。本の登場人物であることを忘れて、ナットとデイナに心から感情移入した。前に本を読んで泣いたのはいつだろう。下手したら10年も前かもしれない。
本当はもっと語りたいのだが、未消化のため今はこれ以上のことは言語化できない。このような読書体験ができたことに感謝し、感想文を終えたい。
ラジオを聴きながら書こうと思ったけど、
なんかそっちに耳持って行かれちゃって書くのに集中出来ないというか。
ヒーコーを淹れてきたところだわ。
とにかく朝は寒くって広い事務所は暖房が効くまでもうしばらくかかりそう。
今日は一人なので自由に何でも片付けだとかひっそりと出来る感じがまたいいわね。
結局年賀状も書いてなくって、
ちょっと気が向いたら
年賀状考えなくっちゃとも思う、
今頃になるといつもそのネタにも困るのよね。
決まっていたらいつもの絵柄のローテーションでいいじゃないって思うけど
令和が発表される前のソワソワしていたカレンダー暦業界もきっとそんな思いだったんでしょうね。
とりあえず
早速印刷しちゃいたいところ。
なるべく自分で書くところが少なくなるような一面一杯一杯のデザインなんか大好きよ!
でもさ、
年賀状やり取りしてる人で、
この人誰だっけ?ってじっくり考えたらあとで思い出すんだけど、
そう言う人と買って何も接点ないから、
タダの惰性だというのかどうだか分からないけど、
きっと向こうもこの人誰だっけ?ってなってると思うのよね。
延々とベルトコンベアに乗せられて年賀状ファクトリーから送られてくるその年賀状はちょっとSFチックでもあり、
いったい本当に年賀状って機能してるのかしらって?あの元旦の挨拶の風習よね。
でも私の住所が変わったことはちゃんと更新されて新しい住所に届いたりしてるから、
生きとし生けるものとして、
誰に送るのかも分からないまま。
そう考えるとなんとも言えないけど、
でもさ、
結局頂いた年賀状ってどうしてる?
風水か水風か分からないけど年賀状をずっと持っておくのってよくないよって行ってて、
年賀状を保管する年賀状ホルダーを探していた彼氏に講釈をかましていたわ!
水風の考えでは古いものこそにパワーがあるっていう説もあり、
ああ、またこの手のあったらいいな説となくてもいい説のパラレルワールドで
あったらいいの方は小林製薬で充分よ!
でさ
また普通に疑問に思うんだけど
量子コンピュータのどちらでも0でもあり1でもありってところまでは、
なんとなく理解出来るじゃない。
それが演算器に入るときと入った後でのどちらが0だったのか1だったのか?って考えるとどうやってまた区別して戻すのかしらって?
年賀状どころの騒ぎではなくなってくるし、
こういう時何故かまた部屋の片付けが捗りマクリマクリスティーだったりするし、
やらなきゃ行けないと分かっていればいるほど
マンガが面白く読めちゃうという王道のあるある選手権ではもはや優勝出来ないほどのあるあるで、
でさ
いまなら電子書籍端末に65536冊ほど上限までパンパンに本いれられるじゃない
だからもう
物理本ならこの続きの巻どこにしまってたっけ?って探して見つからないときが、
それを失わさせるVR没頭感読書はすごい電脳館別館をも彷彿させる本館のラインナップだと思わない?
私も最近は電子書籍はと思いきや目に付いたときまだ電子書籍されてない本だったら
あれって
発売日も同時にして欲しいところ満載じゃない?
何故それ出来ないかはきっと大人のご都合主義の秘密大国なのかも知れないわ。
私住所録のデータどこにしまってたっけ?ってまた探すことになるわ。
ペーパーレスで紙は少なくなったな!ってもの凄い高いところから言ってるけど、
それ自分だけじゃーんって思うわ。
本当にみんな自分の都合のいいところの話しかしないから他人なんて他人なのよね!って当たり前のことを思っちゃうわ。
こっちも紙で進行表チェックする方がいいと思います!はい!はい!はい!って元気よく手を上げて提案したにも関わらずよ。
A4一枚に図で書かれて親交度合いが分かる様に終わったところにミシン目が入ってるからちぎって進捗箱にいれておけば
この作業はどこまですすんでる?って現物を見なくてもチェック出来る素晴らしいアイデアだと思ったんだけど、
もう今日のところはここでドロンさせて貰うわ!って言う人もいないし
いい加減締めてドロンしたいところ。
私漫才で一人は終わろうとしてるのに、
もう一人はまだ終わりません!ってやり取りしてる漫才って好きなのよね。
一人は帰りたがってるのに一人はまだネタ続けようとしているやつ。
ああいう繰り返しに弱いわ。
ロッチさんのステージのショートコントで何本か一気に見たとき何回車に轢かれるんだよ!ってじわじわその面白みにハマってしまうぐらいよ。
モナカやないんやないかい!モナカやないかい!ってモナカ相関図が最後出来たところで抱腹絶倒だったし
そろそろ年賀状作りに戻るわね。
今年は猪突猛進って言えたけど、
来年のは窮鼠猫を噛むって言っていいのかしら?
とりあえずそれを四文字熟語に仕立てたら来年の意気込みとして使えそうだから
うふふ。
饂飩の旨さには変わりないわ。
お昼や夜は混み合ってるのでこみ上げてくる思いとこらえながら、
朝行くうどんはまた格別よね。
美味しく頂けました。
ジンジャー削ってこれでいいんじゃないかーってぐらいたっぷり入れてもいいじゃない?
スライスでもいいし、
必要によってはよりによりを掛けて丁寧にスプーンですくったハチミツハニーをくわえてもいいわね。
粉末ジンジャーでもいいけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
前半より
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/post-12364.php
体罰の議論は悪く言えば物語的な説得に終始してしまうことが少なくないところ、この記事では体罰についての研究結果、それに基づいたアメリカ心理学会の声明、体罰に代わる指導教育方法の提示まであり、大変興味深く読みました。本発表の中から一つ読むならこれがおすすめです。
https://medium.com/@tumada/do-not-find-your-passion-a7b2f290b5a
「情熱を探そう」という指針への批判的検討を行い、「情熱ではなく、ちょっとした興味を見つけて、それを育もう」と呼びかけています。Web2.0時代への郷愁と共に読みました。続編の記事も良かったです。
iPhone等で使っているPocketアプリの読み上げ機能は未読処理の効率を大幅に改善してくれました。感謝。Pocketの同機能はiOSのそれよりも
・多数の記事を立て続けに読み上げてもらうことができる
・複数端末の連携が容易。スマホ、タブレット、パソコンから取り敢えずPocketにつっこめばいい
という点で優れています。
ただ、引用部分を2回読み上げる不具合(?)があり、治らないかなーと宙に念じています。
https://www.newsweekjapan.jp/yukawa/2019/02/50transtech-conference.php
悟りのような状態を「Persistent Non-Symbolic Experiences(PNSE、継続的非記号体験)」とし、その状態にあるという人たちに対してインタビューをした研究を大本とした記事です。通常の感覚と異なるPNSE状態の感覚の描写が興味深いです。さらにそれより考えさせられたのは、ブッダらの宗教家が仮にこの状態から教えを発したのだとして、その教えが常人とは異なる非人間的ともいえる程の感覚から出たものであることが知られないまま(PNSE状態の異質性の程度が認知されないまま)大衆に流布され、生きる指針とされているとしたら話が違ってくるんじゃないかという点です。そこに壮大なスケールのディスコミュニケーションがあるのではないか、とSF的な世界観の揺らぎを与えてくれたことに今年の大賞を授与したく存じます。
このホッテントリ対談記事で鳥嶋和彦らが語ってることだけど、ほんとそう思う。
『ドラゴンボール』と『ナルト』の元担当編集が語る「ジャンプ」の裏側 ― 絶対に敵わない『ワンピース』に勝つために『ナルト』が取った戦略とは【鳥嶋和彦×矢作康介×鵜之澤伸×松山洋】
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/191227f
鳥嶋氏:
というか、1話19ページを、ちゃんと次週も読みたくなるような引きで作っていないから。もっと言うと、雑誌にライブ感がない。
今の子どもたちは単行本は読むけど雑誌は読もうともしない、という話から始まっての、この発言だけど、ほんとそのとおりで、昔の漫画はファンタジーとかSFとかでなければ、正月には正月のエピソードを描き、2月にはバレンタインの話を描き、夏には海の話を描いたりしてた。しかし今の漫画は、季節ガン無視で、漫画内時間ばかりを優先するから、夏に冬の話を描き、冬に夏の話を描いたりしてしまってる。いくら温暖化でリアルに季節感がなくなってたとしても、これはないよ。だったら漫画内で季節イベントやらないほうがまし。
SFの人って妙に左派系が集まってるように見えるけどなんでなの。
政治的立ち位置や戦争への見方もそうだし、百合SFとかジェンダーSFはどんどんフェミニズム色濃くなるし。
こういうのを書くのは蛇足なのであまりよろしくないかもしれないけれど、「なんでこれが入ってないんだ!」という異論が出てきそうなので、ベスト10選出にあたって考慮した作品とベスト10から除外した理由を挙げて供養しておく。
足の作画にこだわった実にフェチい映像化であり、映像化不可能と言われていた歯磨きプレイを完璧に原作再現してみせたのはただただスタンディングオベーションするしかない感じだったのだが、自分の中で『化物語』(2009年)のファーストインパクトを超えるものではなかったので除外。シャフト時空と「君の知らない物語」の衝撃は10年経った今でも色褪せていないんだ……
2012年に1期が放映され、2019年に完結編となる5期が放映された、まさにテン年代を駆け抜けたアニメシリーズの第1作。「急に歌うよ~♪」に代表される外連味あふれる演出はほんと好きだし悠木碧も水樹奈々も良い仕事してるなって思うしひびみくは尊いし「Synchrogazer」ほんと名曲で大好きなのだけれど、他の作品が良すぎてベスト10入りは厳しかったみたいな感じ。
アニメとしてのクオリティは確かに良いし、熱血シーンも多かったし(「改変完了…!」が好きすぎて何度も聞いてしまう)、穏乃が最高に可愛かったのでそこだけ切り取ればベスト10でもよかったのかもしれないけれど、原作改変してレジェンドを無能キャラにしてるのは許されざる感じ。原作だとレジェンドは色々裏で手を打ってたわけだけどアニメ版では控室で解説聞いて「知らなかった」みたいに驚いてるシーン付け足されちゃったところが何箇所かあって、まあアニメだけ見てるとレジェンドが無能に見えてしまうよな……なんもかんも原作改変が悪い。あと千里山の関西弁もうちょいどうにかならんかったんか……
え? 実写化? やだなあ『咲-Saki-』は実写化なんてしてないですよ何言ってるんですか冗談が下手だなあHAHAHAHAHA。
なんとも評価に困る作品である(氷菓だけに)。確かにアニメとしてのクオリティは高かったし、原作を尊重もしていたと思う。でもやっぱりあちらこちらで「ええ~……」という感じになる改変箇所があった。キャラデザの段階で原作ファンをざわざわさせていたのだが、それはまあ解釈の問題なので別にいいとして、「わたし、気になります」の謎エフェクトはいったい何なの? 『クドリャフカの順番』回で奉太郎が真相を解き明かす場に里志がいたのは個人的には微妙。その場にすら居合わせられなかった辺りが福部里志なんじゃない? ただまあその辺は宥恕できる範囲だとして、ファーストシーズンのEDは本当に許せない。なんなのあれ? 〈古典部〉シリーズにああいうEDとか人を馬鹿にしてるのかと思う。セカンドシーズンのEDはまあ良かったけど反省したのかね。OPは完成度高かったのになあ……。そして数年後に『氷菓』が実写化したときに「京アニのイメージが台無し」とか「またアニメの実写化かよ」とか言い出す連中(末代まで祟ってやる)が出てきたのでやっぱりアニメ化しなかった方がよかったんじゃない? と思ってしまった。いや、アニメ化きっかけによねぽ作品全部揃えたとかいう友達もいるから安易に否定するのはよくないのだが、高校の図書室の片隅で読んでいた僕たちの〈古典部〉シリーズを横取りされた感はなんか強い。この辺のモヤモヤがあって手放しには褒められないので除外(ところで実写どんな感じでした? よねぽ作品初の映画化なのにまだ見てないというのは忸怩たる思いがあるのだけど、ちょっと見るのが怖い)。
最後に。細かい話になっちゃうけど、時代背景は原作発行当時にしてほしかった。作中でみんながスマホ使ってるのにチャットとかサイトとかあのへんの描写がすごいスマホ以前の時代の匂いを漂わせていて、なんというか違和感があったんだよね。だったら時代を2001年とかそのへんにしてキャラには一昔前のガラケー持たせればよかったんじゃない? と思う。スマホ以前の時代に中高生活を送った者として、同時代に読んでいた小説の空気感はそのままに一部の小道具だけ現代になってるのはやっぱりなんか変な感じがするんだよな。時代考証がちぐはぐというか。この点、出来はともかくちゃんと舞台を1990年代のままにしていた『この世の果てで恋を歌う少女YU-NO』(2019年)は賢明な判断だった。
文明崩壊後世界を原作通りに丁寧に、しかも我々の予想を超える形でアニメ化してくれてチョベリグだったのだが、競争相手が多すぎてベスト10に入れなかった格好。いやーほんとね、原作で描写された未来の異形の生物たちをあそこまで丁寧にアニメ化してくださったのは素晴らしいですよ。そして浪川大輔さんの演技が最高だった。『新世界より』で一番輝いてた声優は誰って言われたら浪川さんを挙げる。ほんとすき。
ただアニメオリジナルの大歓喜帝の即位シーンはどうかと思った。「大歓喜帝となられる!」っていう台詞があったけどあれは諡号なんだから生前そう呼ばれることはありえないと思う。もちろんそれは伝統的な王号の話であって未来に適用できないのでは、という議論もありうるけれど、慈光帝にしても大歓喜帝にしても生前のおこないを皮肉る形でつけられてるんだからやっぱり諡号なんじゃないかなぁ。まぁこれは些細な点で、これ以外はケチのつけようもなかった。良アニメ化の見本みたいな感じ。
単体で見れば良い出来なのかもしれないけど割と大胆に原作の時系列を改変していて微妙な気分になるので除外。龍之介とリタの関係とかさぁ……。
アニメを使ったCMの最高峰だと個人的に思うので最後までベスト10に入れるかどうか迷った。
映像としてのクオリティ、百合作品としての密度、キャラのかわいさ、どれを取っても高品質で良い作品なのだが、原作と描写違いすぎませんかね……? という理由で除外。だって原作で完璧超人なキャラがアニメ版で脳筋おバカキャラになってるのはちょっと擁護不能じゃないです? ゆうかのかえでへの思いが全然違うものになっちゃうじゃん……
良い作品なんだけどちょくちょく原作の描写変えてるんだよね。最大の問題はなぜ標準語にしたのかという点。原作では方言で喋っててかわいいし漫画版もそれを再現してるのに! あと『2』であすか先輩の実家がなんで豪邸になってたのかがわからん。あんな豪邸じゃああすか先輩が育ててくれた母親に恩を感じる理由が微塵もなくない? どう考えてもアニメ版であすか先輩がこれまで生きてこられた理由は実家パワーであって暴力をふるう親に感謝しなければいけない理由が見えてこないよあれじゃ。あすか先輩もひとりの高校生であり、特別な人間なんかじゃない、という意味が原作のつつましやかなお宅には込められていたと思うんだけど、そこ変えちゃうかー、という残念さはあるよね。夏紀先輩が大天使だっただけにこれをベスト10に入れないのは割と断腸の思いではあるが(でも夏紀先輩の描写も原作と違う……ぐぬぬ)。
ガルパンはいいぞ。……とだけ言って終わらせるのはあまりにアレだけど、実際にそうとしか言いようのない感じはあり。とにかく戦車アクションのキレが良く、それを映画の尺で濃密にやってくれたもんで大満足の出来だった。ベスト10に入れるつもりでいたけど気づいたら11作品くらい挙がってたので泣く泣く削った感じ。
俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がるなんて予想もできなかったが、流行るだけのことはある作品だった。新海誠が『天気の子』(2019年)とかぶるからバランスを気にして外した、以上の意味はなく、もちろんテン年代アニメ映画ベスト10に余裕で入る傑作である。これぞ新海誠という感じの映像美にこれぞ新海誠という感じのガバガバSF要素が加わりやっぱり新海誠じゃねーかとなる感じの恋愛模様を前面に出しつつも東宝とかいう拘束具を得た結果オタクだけでなく一般人からも支持される作品に仕上がったのは本当にアニメ史に残るサクセスストーリーではあるまいか。いやだって『言の葉の庭』の興収とは文字通り桁が違うというか……あのセカイ系がどうたらこうたらみたいな論を立てるめんどくさいオタクに大人気だった新海誠が国民的アニメ監督になる日が来るだなんて2010年の自分に言ったら失笑されるだろうと思う。
映像表現としては素晴らしいの一語に尽きるのだが、重要なところで謎の原作改変を複数していて微妙な気分になってしまうので除外。リンさん関係の省略で妊娠を疑うシーンが意味不明になってたのもそうだし(これはこないだ公開されたバージョンではちゃんとリンさんの出番あったらしいのでそっちに期待)、なんですずさんの慟哭シーンの台詞を改変したか未だに納得がいかない。そもそも原作では、「米軍の空襲という暴力には屈しない→自分たちも暴力で他人を従えていたのか→だから暴力に屈するのか」という一連の流れになっていたのに、映画では「米軍の空襲という暴力には屈しない→植民地の食べ物を食べて生きてきた→だから暴力に屈しなければならないのか」と改変されていて流れが途切れている感。もちろん真ん中の部分も自分たちが植民地支配という暴力を振るってきたんだと気づかせる意図ゆえの改変でだというのは理解するけれど(そしてそういう気づき方の方が一主婦であるすずさんの立場からは自然だという論にも一理ある)、やっぱり「暴力に屈するものかね」という台詞を踏まえると原作の台詞を維持すべきだったと思っちゃうんだよね。というか、原作そのままの台詞にも改変後の台詞にも一定の合理性がある以上、原作を変えるべきじゃないでしょう常識的に考えて……アニメ化は原作の婢ですよ……
すごーい! 君は下馬評の低さ、1話切りの嵐からソーシャルネットワークの勢いで覇権に上り詰めた2010年代を象徴するような流行り方のアニメなんだね! 最初はなんだこれって思ったけど、普通に面白くてびっくりしちゃった! 最終話を待ってた1週間はとーっても長かったんだ! ……ということでベスト10に入れても良かったのだが、多くの人を満足させて終わった放送終了後にとんでもない騒動が(コンテンツホルダー側の責任で)巻き起こったのを思うとベスト10に入れるのを躊躇われ、最終的に外してしまった。アニメ外の要因で評価するのは邪道だろうけれど許してほしい。
で、こういう話をするなら『けものフレンズ2』(2019年)についても語る必要があるだろうけれど、途中で切っちゃったんだよな。解釈違いというかちょっとそれはどうなのって思うところが多々あったので。ただその私がどうなのって思ったところも他の人の考察とかを読む限りでは最終的に「なるほどそういう問題意識に基づいていたのか~(私と立場は違うけどそういう立場に立脚するのは理解できる)」みたいな感じに落ち着いて終わったっぽいので、完走すりゃよかったかなとちょっと後悔している(某所の感想を読んで「つまり『けものフレンズ2』は『ソラリス』だった……?」というある種の納得を得た)。でも是非以前にクオリティの問題で見ててあんまり面白くなかったんだよ『けものフレンズ2』……
あと私もたつき監督の作風は好きだけど、吉崎観音がコンセプトデザイン(≒原作)であってたつきはあくまでアニメ版の監督に過ぎないっていう前提を忘れてまるで1期が原作であるかのように振る舞う2期批判派の人は生理的に無理。実際のところはどうだか知らないが、仮に吉崎観音とたつきが対立して前者が後者を追い出したというゴシップの内容がすべて正しかったのだとしても、原作者とアニメ版の監督が対立しているのなら普通は原作者の肩を持っておくのが良識だろうと思っていたのだが……?
単体で見ればとても良い出来なのだが希美とみぞれの関係性あるいは夏紀とみぞれの関係性に関し解釈違いというか原作と違う箇所があって微妙な気分になるので除外。原作の久美子が夏紀や優子に置き換わった結果関係性が変わっちゃってるんだよなぁ……。原作で希美が久美子に弱さをさらけ出すシーンを夏紀&優子相手に変えたら原作の夏紀先輩が見せた気遣いはどこに行ってしまったの? ってなるし、クライマックスの台詞にしても原作とはニュアンスが違ってきちゃうわけで……。そもそも希美先輩はなかよし川相手にあんな弱音を吐くキャラではなかろうし(あれは相手が久美子であったことに意味があるのであり)。あと夏紀先輩が謎にみぞれ先輩に優しいのはなんでだ。原作では割と冷ややかに見てたよね……? というか原作と明らかにクライマックス後のnzmzの距離感が違うじゃないですかァーーーーーッ!!!(いや短編集まで含めての話です。希美の誘いをきっぱり断ったみぞれ先輩はどこいっちゃったの?)公開直後に「のぞみぞ添い遂げて」とか言ってる人たちを見て、はぁお前らどこに目ン玉つけてんだいったい原作のどこに添い遂げる可能性を感じられるんだ、と思ってたけど、映画見てみたらそう言いたくなる気持ちもわかってしまった……ともかく関係性が原作と違う……
キャラデザも意見が分かれるところだろうと思う。個人的に傘木希美のキャラデザはTVアニメ版の方が好き。地に足が着いてる感じがする。リズ版は軽薄さが強調された感じに見えて傘木希美のモンペとしてはこう微妙な気分になってしまうのです(二次創作その他での傘木の扱いがあんまりにもあんまりすぎてモンペ化した。リズ青の傘木が! 無神経に! 見えるのは! 原作の気遣い描写を削ってたり! 余計な改変をしてたりするからです!)。逆に鎧塚みぞれはリズ版の方が良い味出してたと思う。みぞれの儚さを引き立たせるためのキャラデザなんだなと思えば納得(いや、原作とはそもそも髪型違うんだけどさ)。みぞれ先輩の視界むっちゃ狭いな! っていうあの演出は本当に傑出した映像表現であって素晴らしいなと思うところ。これで原作に忠実ならベスト10に入れてた。
今作、耳が孕みそうになるイケボのシェーンコップや立体機動装置を使ってそうなオーベルシュタインやヤンチャしてそうなキャゼルヌといった新しいキャラデザが輝いていたし、ショタハルトさまの破壊力すごすぎてキルヒアイスが人生狂わされたのも納得してしまったし、フレデリカが一部オタクの性癖を鋭角でえぐる見た目になっていてたいへん素敵だったのだが、MVPはなんといってもアンドリュー・フォーク准将だと思う。顔立ちは整っているが陰気、という原作の描写を完璧に再現してくださっている……! しかもCV神谷浩史の流れるような詭弁も聞けて本当に耳が幸せ。3,000万将兵の命を無謀な作戦に費やす勇気。俺たちの求めていたフォークはこれだよ感が素晴らしい。
ただキルヒアイスがことごとく解釈違いで……いや、流石にカストロプ動乱はあんまりにもあんまりというかキルヒアイスがああいう策を弄せるならオーベルシュタイン要らないじゃん感がすごくないです? 戦闘は得意だけど策とか謀略とかそういうのは不得手、というのがキルヒアイスの美点であり弱点でもあったと思うのだけれど。というかなんであんな鋭い目つきなの? もっと温和な感じじゃない? ただでさえラインハルトの目つきが鋭いんだから相方であるキルヒアイスはもっと穏やかな感じにしてくれた方がバランス取れない? 道原かつみ絵で産湯を使った人間なのでキルヒアイス描写は不満が多かったけど、キャラデザの部分に関しては単に解釈が違うという話で原作と違うという話ではないのでまあ許容範囲内ではある。でもやっぱりカストロプ動乱はおかしいと思うんですよ(しつこい)。
空戦シーンは文句なしに最高の出来なのだが、やっぱりキャラもそれで動かすのは微妙というか……いや本当に空戦シーンは素晴らしいんだよ……でもキャラの顔とかが……空戦シーンは2010年代で最高なんだが……
2010年代が終わるわけだが、2010年代のアニメベスト10を独断と偏見で決めてみたくなった。ので増田に放流。
見てない作品は語れないので見た作品だけ挙げる。見た作品の数が少なくラインナップが偏っている結果チョイスが偏った点については先に謝っておく。また、順番は順位ではなく放映順である。
長いゼロ年代の終わりを飾るというか10年代の始まりを告げるというか、とにかくエポックメイキングな作品だった。紛れもなく一時代を画すアニメであり、こんなに議論が盛り上がって人々の印象に残ったのってマジでエヴァ以来なのではという衝撃があった。
2010年代には『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』(2014/2015年)と『Fate/stay night [Heaven's Feel]』(2017, 2019年)がアニメ化され、さらにはFGOや『Fate/Apocrypha』に『ロード・エルメロイII世の事件簿』もアニメになり、いずれも素晴らしい出来だっただけにどれを入れようかすごい迷ったのだけれど、Fateシリーズに新しい客層を開拓したという点でZeroの存在感がなんだかんだで大きいかなと。切嗣の重要な台詞が微妙に原作改変でそれはどうなのかと思わなくもなかったがラストの桜ちゃんを原作ではなくボツになった原案通りに作ってくれて素晴らしかったですね。人間オルガンちゃんが再現されなかったのは残念だけど仕方ない。Heaven's Feelも本当に素晴らしかった……。何も言うことはない。俺たちの見たかった最高の桜ルートだ……。2010年代はFateアニメ化で盛り上がった10年だったと回顧できるだろう。セイバールートも作り直して。
一作くらいは細田守を入れておいてもいいんじゃないかと思って挙げてみた。細田守、はてなでは評判が微妙だが普通に『おおかみこども』は良い作品だと思うんだ。純粋に家族愛の物語として見ると違和感とかも出るのかもしれないけど、歪められた関係性も理想化された田舎も、すべては花の回想をもとにして雪が語ったことであって、花というある意味信頼できない語り手を通して見た世界なんだよね。加えて言うなら、花が雪より雨を構っていることに批判的な意見も多々見られ、それは雪から見ればそうなのだろうし実際にきょうだいより構われなかった思い出を持つ人にとっては良い気持ちはしないのだろうけれど、でも完璧な人間でないと母親になってはならないか、といったら違うわけでしょう。母親も欠点を持つひとりの人間だし、それでも母親なのだ、という話だと思いますよあれは。それらの偏愛や歪んだ世界像を卓越した映像美でくるんで提示してくるところに、細田守が色んなひとの神経をざわつかせる理由みたいなものがあるんじゃないのかな。
アニメ映画を1つだけ挙げろ、と言われたらこれを推す。名作名作アンド名作。何を語ってもネタバレになりそうなので最高のSFアニメ映画だという当たり障りのないことしか言えない。ボーイミーツガールSFの傑作。いいから何も言わずに見やがれください。
単純なアニメ業界の楽屋ネタに留まらず人間ドラマとしてしっかり作り込んでいてくれて良い作品だった。23話はみゃーもりにつられて泣いちゃうでしょ……。5人の歩く道は凸凹していて、正解はわからずに手探りで進んでいくしかなく、それでもアニメに関わりたいという意志を持って進んでいけば夢に手が届く。そういう話の筋としてはありふれた成長譚を細やかな人物造形と堅実な脚本で良いアニメにしてくれていた。「万策尽きたー!」「どんどんドーナツどーんといこう!」などのフレーズも印象に残る。ただアニメというフィルターを通してもなおアニメ業界のブラックさが滲み出ており「これは美談にしてはいけないやつでは」みたいな感もあって、アニメの放映スケジュールが狂うことがあちこちで頻発しているのを放映予定の変更とかで視聴者目線でも感じ取れるだけに複雑な気分である。
紛れもないジュヴナイルSFアニメの傑作。可愛らしい格好をした魔法少女たちが土星の輪に突入するとか太陽系外縁部を探査するとかブラックホールを反転させるとかのハードSFな冒険を繰り広げるギャップがすごいし、荒唐無稽なファンタジイとリアルな宇宙描写を融合させた映像美はアニメだからこそ実現できるものだろう。ちょっと宇宙が出てくる魔法少女ものだと思って見始めたわけだけど土星の輪に穴を開けてエンジンを探し始めた辺りでガチのSFをやろうとしてるんだと理解したし実際かなりSFだった。降着円盤の温度まで考察されてるのすごくない……? そして根底には傷つきやすい繊細な心と他者を思いやる優しさが流れていて、映像の美しさと相まってリリカルさに心が洗われるような気持ちになる。放映終了後の喪失感は半端なかった。『サカサマのパテマ』と並ぶ2010年代SFアニメの金字塔ですわ。これが星雲賞を獲るべきだったのでは。
アクションのキレの良さ、百合描写の濃密さ、黒星紅白キャラの可愛さ、音楽のテンポの良さ、細部の丁寧さ、どこをとっても娯楽アニメとして超一級の出来だったと言うほかない。特に5話の剣戟シーンはここ十年で一番の殺陣だと思う。梶浦由記のオサレ音楽をBGMに美少女たちが流れるような作画でチャンバラするの控えめに言って最高としか言えない。また「神は細部に宿る」を地で行くような作品であり、アンジェとプリンセスの手紙の遣り取りとか、脱出用の荷物に書かれた文字とか、さり気ない描写のひとつひとつに込められた情報量が半端なく、それによって世界観と百合に奥行きを持たせることに成功していた。アンプリ、いいよね……。劇場版むっちゃ楽しみ。
素晴らしい作品だった。2018年はTVアニメ豊作の年であり『ゾンビランドサガ』『SSSS.GRIDMAN』などオリジナルの良作が次々と放映されたわけだが、なかでも別格だと思うのが『よりもい』。毎話毎話が最終回のごとき余韻を残し話ごとのメリハリも利いていて軽くシネマっすねという感じだったし、「先に行けって言われて先に行く薄情にはなりたくない!」「友達ってたぶんひらがな1文字だ!」などの印象に残る名台詞の数々は記憶に焼き付いて離れない。花田! 神回しか作れずに恥ずかしくないのか? 視聴者を泣かせて食うメシは美味いか? なかでも特筆すべきは12話で、まさか受信メールフォルダを映し出した画面に泣かされるなんて思ってもみなかった。アニメ史に刻まれる名シーンですわ。
岡田麿里が本気を出してファンタジイをやったらなんかすごいのが出力されてきた。失ったものにいつまでも抱いてしまう妄執とか、恋と愛の区別があやふやになって煮えたぎる思いとか、無理やり連れ出されて見せられた世界の美しさとか、そういったドロドロした感情を叩き込んだ闇鍋から人は互いに織り上げあう物語であるというテーマを掬い上げて観客の前にどーんと呈示してくる素晴らしい映画作品。ただただ名作と言うほかない。15歳しか離れていない不老の種族の美少女なお母さんに育てられたいだけの人生だった……
『君の名は。』(2016年)で俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がってしまい、遠くに行っちゃったんだな……とゼロ年代に魂を囚われたオタクたちが訳知り顔でホロリとしていたところに投げ込まれた傑作。いや~原作PC版のクライマックスを忠実に再現してくれてましたね! 私は原作だと夏美ルートが好きで、彼女が晴れ渡った青空を見て浮かべる笑顔の爽やかさと、その青空の意味を後続のルートで種明かしされて味わうことになる切なさがめちゃくちゃ印象に残ってるんですよね。でもやっぱりあの長編エロゲから1ルートを取り出して劇場アニメにするとなったら陽菜ルートになるのも納得がいくわけで(甲高い早口)
……という感想を諸人こぞりて口にしはじめる辺り、完全にゼロ年代のエロゲだった。テン年代最後の年にゼロ年代を煮詰めたような要素てんこ盛りの作品を公開してしかもそこにセカイ系を力強く肯定するオチをつけるわけですよ。ゼロ年代の亡霊が昇華された感があり、なんというか新海誠すげえわ、一生ついてくわ。
俺の方が上手く書ける気がする、という思いつきでいきなりそこまで書いてしまった増田おそるべし。しかもすっごく評価されてるーーー眩しーーー!
眩しすぎて私浄化されて消えそう。
消える前に、私も今年は沢山小説を書いた(二次創作、オリジナル)ので、少ないけど知見を書いとこ。
なお、私が書いたのは今年前半期に女性オタクにとても流行ったアニメの二次創作と、ボーイズラブでオリジナルのSFもの(といってもあまり現実離れしていない日常系)
「おかんがなぁ。片腕に銃を仕込んでいる登場人物が居て、美人のお姉さんのサービスショットもあるSF漫画の名前を思い出されへんねんて。主人公は、最初、人型ロボットのヒロインと一緒で、過去の記憶を一部無くしているような漫画やねんて」
「ああ。そうかぁ。もっと特徴を教えてよ」
「確かぁ、タイトルはカタカナで三文字らしいねん。ほんで、主人公の男が普段は情けないんやけど。戦いになるとむちゃくちゃ強いねん」
「ええ?他には、何か思い出してなかったぁ」
「うーん。宇宙船みたいな大きな飛行機が出てくるっていうてたわぁ。それからぁ、海外が舞台のSFらしいわ。人型のロボットもたくさん出てくるらしいわぁ」
「それ、コブラやがなー。あと何か言うてたぁ?」
https://www.metacritic.com/game/wii-u/earthbound-beginnings/user-reviews
2週間前にこのゲームを手に入れました。誤解しないでください。このゲームは誰もが手に入れるべきだと思います。 地球を最初にプレイ!!!! 確かに地球に縛られる前編ですが、実際にはゲームプレイの仕組みがほぼ同じである2つの独立したフランチャイズのようなものを損なうことはありません。 前に言ったように、このゲームは本当にハードのようにハードであり、マザー体験を台無しにするかもしれないと信じていますが、それをプレイしてください。
誤解しないでください。このゲームは非常に創造的で、2つの伝説的な続編を生み出しました。 たとえば、Famicomのファイナルファンタジー3のようにグラインディングは面倒です。また、戦闘開始時に体力が十分にある場合でも、ゲーム開始時の最も弱い敵でもあなたを殺すことができます。 しかし、プラス面では、フランチャイズが有名な風変わりなユーモアはそのまま残っています。 私のように死ぬほど熱心なマザーファンにのみお勧めします。 開始する場合は、まずEarthbound / Mother 2またはMother 3をプレイします。
北米人がついにEarthbound Beginningsを体験できるのは素晴らしいことです。 このゲームは、ほぼすべてのNES RPGが苦しんでいるものに苦しんでいます。これはいくつかのペーシングの問題であり、ゲームは完全にハードですが、そうでなければ、マザーゲームの癖と魅力がすべてあります。 素晴らしい旅。
ノスタルジックで美しく、長続きする、古典的な戦闘システム、完全にオープンな世界、その時代をはるかに先取りし、当時の最高のサウンドトラックの1つを備えています。
私はマザーシリーズが大好きです! 最後に、アメリカでマザー1を獲得しました! このゲームが好きです。 ただし、ランダムに遭遇します。 それはまさにその冒険感覚と魅力を持ち、スタークラフトやスプラトゥーンのような他のゲームでは実現できないものです。 それはゲームではなく、芸術作品であり傑作です。
Earthbound Beginningsは、コンテキストで最もよく考えられるゲームです。ドラゴンクエストのSFパロディです。 NES RPGメカニックに忍耐力があれば、ゲームは非常に楽しいです。音楽は素晴らしく、文章はしゃれと愚かな参照でぎっしり詰まっています。とはいえ、Earthbound for SNESは単にすべての指標で優れたゲームであり、これをスキップしても何も見逃すことはありません。
いや衝撃だった、あのシーンは。
自分としては、今年観た映画の中で最も衝撃的なシーンだった。
原作小説や実写映画は未読・未見だったのもあってあまり期待せずに劇場に来て、
……というような感じで、元々低かった期待値は終盤になっても更新されることはなく、自分の中では「駄作」ではないけど、せいぜい「凡作」くらいの評価で終わるのかな…
と思っていた。終了15分前のあのシーンまでは。
作品がいよいよクライマックスに入ろうかというタイミングで、突然ある登場人物がとった行動。
(え、ちょっと待って、まさか……いや、でも深夜アニメならともかく、これは「そういう作品」ではないだろう…………え、嘘、マジで!!!!!?????)
それまでのあまりポジティブではない印象が全部吹っ飛んでしまった……。
しかしあまりにも唐突過ぎないだろうか……いや、確かにあとになって思うと「伏線」と言えなくもない描写はいくつかあった。(深読みすると、公式サイトのキャッチコピーも…)
でも、その登場人物が「そっちの選択肢」ではなく、無難な、というかありがちな選択肢を取ったとしてもなんらおかしくないくらいさりげなかったし……
いや、やっぱり取ってつけた感は否めないぞ…。それに、○○要素を入れるならもっと作品全編を通して描くべきでは?
…と思ったが、そうなると完全に○○作品になっちゃうよな…。特に思い入れがない自分としては大歓迎だが、原作や実写版のファンからすれば
「原作付きじゃなくてオリジナルでやれよ」ってことになるのかな…。だとすればこれがギリギリのラインだったのか…?
(ただ現状でも星雲賞のメディア部門やコミック部門に並ぶいくつかの作品が「SF作品」である以上には、この映画は「○○作品」だったとは言える)
でも、この作品に○○要素を持ち込む理由は…? チェーホフの銃の原則からすると、あの登場人物が○○である必然性はなかったのではないか…?
……いや、そもそもそんな「必然性」なんていらないのかもしれない。ダブル手帳氏がブログで
と書いていたように、○○も「何の理由もなくアニメに登場してもいい」のかもしれない。
実際「あのシーン」のあと、どの登場人物も茶化したり、嫌悪感を示したりすることなく、ごく当たり前のこととして受け入れていた。
これを「ありえない、非現実的だ」と思う人もいるかもしれないが、ダイバーシティの観点からすると極めて真っ当な描写なのかもしれない。
(だがその一方で××を笑いものにするシーンがあったりするので、脚本家の人そこまで考えてないのかもしれないが…)
SFかなんかですか
小説の書き出しを愛でる、という趣向がある。例えば、フランソワーズ・サガン『悲しみよこんにちは』の書き出し、
「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。 」
であれば、楽曲の歌い出しを愛でる風潮があってもいいじゃないか。というわけで、いくつかいろいろな意味で気に入っている歌い出しを挙げていく。
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。飛躍も飛躍。猛スピードで爆走するバスが聴き手を置いてけぼりにしている。行間を読む力が試される。
さらに難解なのは、次段である。「でもさ」と逆説になっている。そこにいるのは「運命の人」である。運命に対して逆説で語るかね。ちょっとした諦めみたいなものさえ感じられる。果たしてこれはラブソングなのか?
だいたいにして、歌詞の序盤で唐突に出てくる「運命の人」という重要且つ雑なフレーズについて、以降の歌詞で全く説明されない。繊細な歌詞を書くスピッツのことだから、これは意図的にやっているとしか思えないのだけれど、だとすればますます謎は深まるばかりだ。
スピッツ屈指のポップな名曲だが、歌い出しからしてわけがわからない。それを含めて名曲たる所以なのかもしれない。
「あたしの髪が伸びて驚くほど久しぶりになってしまわぬ様に
昨日より少しだけ多めにあたしのことを考えてほしい」
aikoは曲も素晴らしいが、歌詞も素晴らしい。一番好きなのがこの曲である。
歌い出しの部分、要するに「ずっと好きでいて」ということを言っている。西野カナならそのまま「ずっと好きでいて」と歌うか会いたくて震えるだろう。だが、aikoはたったそれだけのことを、これだけの文量で詩的に語っている。胸に迫る。
その続き、
「初めて逢った日にもう一度逢いに行って そしてまた同じ様に
ぎこちなく合った目の奥にいるあたしを愛して欲しい」
これは要するに「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」ということを言っている。実際に西野カナは「トリセツ」で「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」と歌っている。しかしaikoはたったそれだけのことについて、何でこんな奥行きのある言葉が思いつくのだろう。
ちなみに、私は西野カナのことが嫌いなわけではない。西野カナはメロディーにいい感じの歌詞を乗せる技術に関しては天才的だ。BGMとして心地よく聴ける。
「酒、飲ます」
アルバム『GO』の一曲目の歌い出しでいきなりこれである。聴きながら「おや、歌い出しが『酒、飲ます』って聞こえるな」と空耳かと思って歌詞カードを確認したところ、紛れもなく「酒、飲ます」であった。助走もなくいきなり飲んでる。
ついでに言えば歌詞の続きは「学校は最近どう?」であり、誰に酒を飲ませているんだ。
もう食べられるところはないんだ」
最近一番インパクトがあったのはこれである。爆笑した。巨大生物って何だね。メロウでバラードと言ってもいいほどの楽曲で、タイトルに「Confession」とか仰々しく付けられているにも関わらず、歌い出しでこれ。
ももすももすという人は、メランコリック写楽というバンドの元ボーカルももすのソロ名義である。メランコリック写楽時代を含めてほぼ全ての楽曲で作詞作曲編曲をこなしている。それにしたってメランコリック写楽とは何だ。ももすももすってなんだ。ロンゴロンゴかよ。
余談だが、相対性理論以降、ポップな楽曲にかわいい系のボーカルが意味不明な歌詞を乗せることを特徴とするアーティストが散見される。最近だとネクライトーキーとか。もしや遡れば椎名林檎「丸の内サディスティック」に行き着くのかもしれない。何だ歌い出しの「報酬は入社後」って。
こういうジャンルにそろそろ名前が欲しいと思うものの、名前をつけてしまったら陳腐だなとも思う。
You say stop and I say go go go.」
ポール・マッカートニーの作品である。甘くポップな曲調に、上記のような特に意味のないような平易な歌詞が乗せられる。
この曲に対してジョン・レノンが「君の曲には主義主張ってものがないからだめなんだ」みたいなことを言ったらしいけれど、個人的に、音楽は主義主張を抜きにしてポップであればあるほど好ましいと思っているので、この曲は私の中でポップ賛歌みたいな位置づけとなっている。
歌詞も気が抜けていていいじゃないか。ゴーゴーゴー。何も考えずに聴けて幸せになれる珠玉の一曲である。
※
この歌い出しが好き、意味わかんない、笑える、などあれば教えてほしいです。
もう10年ぐらい会っていない友達を思い出した。
ちなみにお互い男、ちなみにお互いホモではない。
相手は自分をどう思っていたのか分からないけど、自分は彼が人間的にとても好きだった。
その友人とはもうずっと連絡を取っていない。
あんなに好きだったはずなのにいつの間にか疎遠になってしまった。
その頃仲の良かったグループは、最終的にはニートや就職浪人だらけになる本当にどうしようもない奴らの集合体だった。
ふと学校に来なくなり、溜まり場のゲーセンにも部室にも来なくなり、飲み会に呼んでも来なくなった。
2年ほどしてふと憑き物が落ちたように社会に戻り、それから5年ほどしてその頃の友人の1人にたまたま街で会った。
その際、あの頃のグループは半分ほどが連絡が取れなくなっていて、自分もその1人であり、彼もまたその連絡の取れない1人であると聞いた。
それから今日まで5年ほど、偶然合流した自分は残っていたメンバー同士の集まりに時折顔を出している。
5年経っても彼の足取りは掴めない。
年に一度ほど彼の名前でググってみるが、年齢の違う同姓同名の人物しか出てこない。
モテなくて冴えなくて何も特技もないくせに、お手軽に特別な人間であるかのように振る舞いたかった当時の自分たちにとって、エロゲはとても都合が良かった。
友情や愛や人生の素晴らしさを謳った物語を毎日読み進めておきながら、その感想と共に「リア充死ね」「現実はクソ」と語り合った。
あの頃の毎日は本当に酷かった。
だけど、自分の気持ちをわかってくれる人がいるという気持ちを人生で一番強く感じていた時間だった。
モテなくて当然のクズ人間のために作られた心も身体もオナニー出来る物語の存在は自分の心を救った。
「僕はここにいてもいいんだ」の心境である。
自分たちをターゲットにした商品の存在、それを楽しんでいる人間が日本中、ネット中にいることに救われた。
当時一緒にダベりあったくだらない仲間たちだ。
その中でも彼とは本当に馬があった。
馬があうからこそ、お互いに世の中が嫌いでひねくれていて人間嫌いを拗らせていたからこそ、お互いに相手を引き止めきることが出来ないまま離れ離れになったのかも知れない。
彼は姉が好きで、自分は妹が好きだった。
彼はスレンダー系の後輩キャラが好きで、自分はロリ教師が好きだった。
彼はダダ甘の恋愛やストレートな陵辱を好み、自分はSF要素の強い作品と最終的にラブラブになる調教を好んだ。
それでも名作と言われるような作品群に関してはお互いに高い評価を出した。
何だかんだ自分達の頭では評価なんて出来てなくて、互いがよく行く評価サイトの言葉を鵜呑みにしていただけなのかも知れない。
エロゲソングの趣味も若干噛み合わなかったが、それでもやはり名曲や神曲の類はお互いに素晴らしいと認めては口ずさんでいた。
今思うととんでもない迷惑行為だ。
その頃歌っていた曲を久しぶりに聞いた。
少しずつエロゲに興味を失いエロゲソングも聞かなくなっていた為数年ぶりにその曲を聞いた事になる。
曲の歌詞が染み込んできた。
エロゲやキモヲタの集まりの中に篭っていた頃は響かなかった歌詞までが流れ込んできた。
遠くにいる誰かを思う詞、会えなくなった人を待つ詞、あの頃より強くなれた自分での再開を信じる詞、同じ気持ちでいることを願う詞、そういった歌詞を聞きながら今までの人生で色んな人に支えられてきた事が蘇っていった。
その思い出の中に彼はいた。
彼は今どこで何をしているのだろうか。
未だにネットやゲームでダラダラと暇をつぶしている自分と違って脱オタしてちゃんと家庭を持ったのだろうか、今でもニートをしているのだろうか、それとももうこの世界にいないのだろうか、自分とまた会いたいと思っているのだろうか、人生の汚点として二度と顔を合わせたくないと思っているのだろうか。
「今この瞬間、彼も自分と同じように、あの頃好きだったエロゲソングを聞いて、懐かしさを覚えていたりするんじゃないんだろうか」
そう思うと涙が出てきた。
『もしかしたら、そんな事になっている可能性も0ではない』という事が本当に嬉しかった。
自分と同じ気持ちを抱えて生きている誰かがこの世界のどこかにいるかも知れないというだけの事に、こんなにも心が震えるのかと自分でも驚いている。
そして、彼がそうであるのかも知れないのなら、どこかにいる自分とまだ出会っていない自分達と同じような人間が同じことをしている可能性もあって、この世界に60億も人間が居るのなら、自分と同じような生き方をしている人間もそれなりにいるのではないかと思うと、自分がここにいる事が何かの間違いなんかではなかったと信じられるような気がする。
彼は今どこで何をしているのだろうか、幸せに生きているならそれでいい。
ブラック企業で働いているとしても、彼が生きているならそれでいい。
たとえ死んでいても、彼がそれを望みその願いがかなったのならそれでいい。
たとえ事故で死んだとしても、彼がこのクソみたいな世界から抜け出して天国で楽しくやっているならそれでいい。
もしも彼が今でもニートをやっているとしても、それは俺たちの人生において普通にありうる可能性なんだからそれでいい。
もしも彼が今でもエロゲをやっているのならそれは素晴らしいことだ。
もしも彼が今でもエロゲソングを楽しく聞いているのならそれは嬉しいことだ。
『恋はデジャブ』って映画がすごく良かった
ちょっと陰険な感じのお天気リポーターが田舎の町での出張リポート中に謎のループ現象に巻き込まれて、雪に閉ざされた田舎町の1日を繰り返すうちにいろいろやっていく…って話 ループ現象の原因とかが一切明かされないのが逆によかった
ループものってけっこういろいろあるけど、だいたいループだけじゃないんだよな ループの原因は何なのかっていうのを話に組み込むとどうしても何か劇的なSF・ファンタジー要素を入れないといけなくなってくる
そういう劇的さが少ないループものってなんかないかなあ 普通の人が同じ一日を繰り返す中でなにかやる それ以上の奇妙なこと(宇宙人とのバトルとか)はない ってやつ