いや衝撃だった、あのシーンは。
自分としては、今年観た映画の中で最も衝撃的なシーンだった。
原作小説や実写映画は未読・未見だったのもあってあまり期待せずに劇場に来て、
……というような感じで、元々低かった期待値は終盤になっても更新されることはなく、自分の中では「駄作」ではないけど、せいぜい「凡作」くらいの評価で終わるのかな…
と思っていた。終了15分前のあのシーンまでは。
作品がいよいよクライマックスに入ろうかというタイミングで、突然ある登場人物がとった行動。
(え、ちょっと待って、まさか……いや、でも深夜アニメならともかく、これは「そういう作品」ではないだろう…………え、嘘、マジで!!!!!?????)
それまでのあまりポジティブではない印象が全部吹っ飛んでしまった……。
しかしあまりにも唐突過ぎないだろうか……いや、確かにあとになって思うと「伏線」と言えなくもない描写はいくつかあった。(深読みすると、公式サイトのキャッチコピーも…)
でも、その登場人物が「そっちの選択肢」ではなく、無難な、というかありがちな選択肢を取ったとしてもなんらおかしくないくらいさりげなかったし……
いや、やっぱり取ってつけた感は否めないぞ…。それに、○○要素を入れるならもっと作品全編を通して描くべきでは?
…と思ったが、そうなると完全に○○作品になっちゃうよな…。特に思い入れがない自分としては大歓迎だが、原作や実写版のファンからすれば
「原作付きじゃなくてオリジナルでやれよ」ってことになるのかな…。だとすればこれがギリギリのラインだったのか…?
(ただ現状でも星雲賞のメディア部門やコミック部門に並ぶいくつかの作品が「SF作品」である以上には、この映画は「○○作品」だったとは言える)
でも、この作品に○○要素を持ち込む理由は…? チェーホフの銃の原則からすると、あの登場人物が○○である必然性はなかったのではないか…?
……いや、そもそもそんな「必然性」なんていらないのかもしれない。ダブル手帳氏がブログで
と書いていたように、○○も「何の理由もなくアニメに登場してもいい」のかもしれない。
実際「あのシーン」のあと、どの登場人物も茶化したり、嫌悪感を示したりすることなく、ごく当たり前のこととして受け入れていた。
これを「ありえない、非現実的だ」と思う人もいるかもしれないが、ダイバーシティの観点からすると極めて真っ当な描写なのかもしれない。
(だがその一方で××を笑いものにするシーンがあったりするので、脚本家の人そこまで考えてないのかもしれないが…)
自殺でもするの?
さっき見てきたのに何言ってるかわからねーわ
○○は「LGBT」 作品テーマとしては「本当の自分で付き合える世界を」みたいな感じで集まった子どもたちがそれぞれ秘密や葛藤、コンプレックスを抱えていてLGBT自体が全体のテーマで...