はてなキーワード: 遺跡とは
砂に埋もれてくしゃくしゃ
地は侘しく平らかに均された
跡なき力強い御手によって
遺跡に遊び
ポリ袋を叩いて鳴らした
勇敢なる男たちと女たちは神を敬愛し
朽ちた襤褸たちの知るところとなった
口ずさむ:私を愛していますか?
私をおぼえていますか?
私のうえに雪がつもる
幾重にも幾重にも層を成して:
これも神の掌のうちなのか
他の娘たちは埋葬される
無縁墓地*4の土のなかへ
日々を刻んで通りすぎる
二万の死者たちがあなたの歩みに寄り添うところ
気だるい鳥達のさえずりのなかで失われていった彼らの死因
彼らの残した記録はどうしたって謎めいている
すべては廃れて消えた
蛍光なしではね
私もがんばってきたんだよ でも
私の愛していたものを思い出して、私を抱きしめて、なんて言わない
なんどもなんども医者を呼んだ
そして絵の中に生きる
彼は言った:
「大丈夫」
「もう終わったよ」
そして飛行機に乗った
ベルトを締めずに
彼はとんでもない向こう見ずで有名で
“ぼうや”と呼ばれ
落下へと突き進んでいった*7
そして私たちは水準をあげる
狩人たちは
そして驚きをもって見つめて
私たちの髪をピンと逆立てると誓って
慈悲を! 神よ!
出て行って、狩人が石碑を解読するのを待って*9
この街の下に何が横たわり、去っていったのか
見よ、そして絶望せよ
見よ、そして絶望せよ
---
1 シェリーの詩『オジマンディアス』より。古代エジプトの「王のなかの王」オジマンディアスを詠った詩。このあと続く砂漠や遺跡のイメージはシェリーの詩に準じている。全体をつらぬくモチーフでもある。
3 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作の絵画についてのエピソード。この作品は長いあいだ、旧約聖書外典トビト記を下敷きにしたポピュラーな宗教画モチーフ「トビアスと大天使ラフェエル」の絵だと信じられてきたが、のちの研究でもともと「母親と子供」の図として描かれたものをティツィアーノの弟子が宗教画へ改変したものと判明した。
ちなみに「トビアスと大天使ラフェエル」はこんな話。ユダヤの盲人トビトの息子トビアスは、父親から昔貸した金を回収するように命じられてメディアの地まで旅をする。そのとき同行者として大天使ラファエルがトビアスについてくる。トビアスは旅から帰るまで、自分の同行者がラファエルだと気づかなかった。
4 歌詞では「potter’s field ポッターズフィールド」。無縁墓地を指す。語源は新約聖書のマタイの福音書。銀貨三十枚でキリストを売ったユダは自責の念からクビをつって自殺。ユダから押し付けられた銀貨のあつかいに困った祭司長たちは陶器職人(potter)の地所を購入し、行旅死亡人の墓地に定めた。
5 ワシントン・スクエア公園のこと。パリの凱旋門をモデルにしたワシントン・スクエア・アーチが建っている。もともとは貧困者用の無縁墓地で、今もその下には2万人以上の遺体が埋まっているという。
6 オーストラリア人画家アーサー・ストリートンの絵『Spring』の元ネタになった人物のこと。ストリートンの恋人だったらしい。
7 「ニューヨークの市長坊や」の異名を取ったジョン・パーロイ・ミッチェルは1914年から17年までの三年間、ニューヨーク市の市長を務めた人物。彼は当時ニューヨークを仕切っていた悪名高き集票マシーン(一種の政治団体)タマニー・ホールと激しく対立し、17年の選挙で落選するや第一次世界大戦に参加するため空軍へ入隊した。入隊の翌年、彼は飛行訓練中の事故で死亡。原因はシートベルトを締めなかったことによる落下事故だったという。
母親が要介護になり、独身の私は実家に帰ってきて仲のあまり良くなかった70代の父親と会話をするようになった。
他にかなり年の離れた兄が2人いるが、結婚した上で実家を出ている。
父親には20年程前から痴呆なのか認知症なのか分からない記憶の傾向があった(しかし数年前まで仕事は現役で立場もあった)。
幼少期、父は私に対し酒に酔って恒常的に虐待行為を行っていたが、翌日は知らぬ存ぜぬだった。
10代の中頃、父親の祖母にそれを申告する機会があり、そのときも同席していたが(途中バツが悪いのか一部席を外した)、
その場も知らぬ存ぜぬを通したものの、自分が場所・時期・内容を詳細に覚えている&記録していたこともあり、
祖母が私に謝罪したことで、その場はそれで収めた。私は祖母の謝罪など必要なかったし逆に申し訳なく感じたのだが、
当時は単純に酒に酔って記憶が無いor知らないふりだと思っていて、これで反省すると思ったからだ。
しかし現在、その虐待も、咎められたことも、自分の母親が子に謝罪したことも記憶にないという。
これについて、この話を私がその後一切出さなかったので、いつからか記憶に無いかは分からない。
それ以外にも、幼少期に兄弟の一人(サイコな上で恐らく何かしらの精神的な障害有)が私に恒常的に暴力(性的なものも含む)を振るい、
とりわけ、はんだゴテで皮膚を焼かれたり、洗剤をジュースを偽って飲まされたりした事件に関しても覚えていないらしい。
当時は、幼児の私を脅した上ではんだ焼き、ジュースだと勧めてきたにも関わらず、兄は故意を否定して勝手に私がやったと言ったので、
大変な口論になったし、事態が事態なので大騒ぎになったが、父親はどうやらそれも覚えていなかった。
ちなみに父親はそのときもそれを問題視しなかったので、善悪の判断が元々怪しい。
大人になった現在はその兄は遠くに住んでおり、自分が大人になったことで暴力を受ける可能性もほとんどないのだが、
当然一生顔も見たくないと思っているし、私は名前を聞くだけでも不快なので自分から接触することはない。
しかし被害妄想や異常行動が多く、職場で迫害されたり家庭も安泰ではないようで、実家は重要な安全地帯と見なされているようだ。
そのため、自分が数年置きに帰省した際は、電話口であからさまな詮索や牽制をする様子みられていた。
具体的には、急に夜中5時間かかる実家に来ると言い出すなどだ。
一時兄の異常行動が著しかったとき、父親には「日常的な性的暴力の過去を理由に兄とは一生関わりたくない」と伝えたが、
「家族は仲良くするのがいいことだ」などと言い出す始末だった。それで父が私の情報を兄に伝えた場合の異常行動の関連性を何度も説明して、
最終的に「私の名前を兄の前で一生出さないこと」を数回に渡って伝えたのだが、実際にはそれが全く守られなかったため、
電話の奥の壁に「名前を出さない」と書いてくれと伝えたところ、兄にその情報をすべて漏らし、異常行動が爆発する結果となった。
もちろん壁には何も書いてない。これに関しては父親のプライドが許さないのだろうし、どうにもならないのでここで諦めた。
しかし母親に注意して貰うことである程度収まっている(母は要介護になって動けなくなったことで認知症傾向が出てきたので今後は期待できない)。
また、こういった状況につき私は住んでいるマンションを家族に教えていなかったのだが(頻繁に情報を漏らされるので)、
それを不満に思ったのか嫌がらせを行うようになり、それで数回引っ越しを行い住所変更をかけずに分からぬようにしていたが、
どういう手段か突き止めてきて、管理会社に嫌がらせに近い電話攻撃を行ったことで、私に管理会社から解決して欲しいと電話が来るようになった。
また、自分の仕事先などを詮索する発言が多く出たことから、私は第三者への迷惑を回避するのが難しいと思い仕方なく退去し仕事も変え、
かなりの間友人宅に居候したり、知人の仕事場に泊まったり色々の半ホームレス状態で過ごす羽目になった。
これについても記憶に無いらしい。と言うかそもそも悪気もないのだろう。
その後、老化で行動力がなくなり、兄が家庭を持ってそれに協力する余裕がなくなった頃を見計らって、私は最低限普通の暮らしを回復した。
さて元の話に戻る。最近は他愛もない話も忘れていることが多いと感じていたが、年のせいだろうからと何度も同じ話に付き合っていた。
覚えておいて欲しいことについてはさりげなくメモをするように勧めていたが、メモをしたのを見たことはなかった。
改まって将来的な話をしたいというので話をしていたのだが(実質的には今後介護をさせたがっている)
数日前に何時間も話して結論の出た内容をまた1から話してきたので、「その話は数日前にしたのでは?」と言ったが、
「そうは言うけれども」と言いながら話を続けてきた。ただ返答に不満があるのかと思ったのだが、
ほとんど前回の話の内容が反映されていない議論をし始めたので、「覚えているのか」と聞いたら誤魔化された。
覚えていないならせめて「メモを取ってくれないか」と言ったら、「メモは取らない」という。
数時間に渡る議論を毎日させられても耐えられないので、「結論を導く話で覚えない、記録も取らないなら話のしようがない」と伝えると
「私は仕事をしているときは他の多くの人間はメモを取らないが私は良く取る人間だった」
「なぜわざわざ記録する必要があるのか、人間は話をしていれば分かり合えるものだ」
挙句には「将来残る記録など、聖書や遺跡の石版くらいのもので、こんな一般人の話を記録しても意味がないから書く必要はない」などと言い出した。
これについてあっさりと論破(そもそも噛み合ってないので論破なのか…)したら今度は、
「メモがない」(そこかしこにある)、「ペンがない」(目の前にある)、さらに「メモする場所がない(机テーブルが目の前にいくつもある)」
など馬鹿するような発言を繰り返してきた。私もいい加減に怒って、場所がないというならとそこら中に散らばった雑誌や楽譜(趣味で教室に通いだした)や
タブレットを捨てようとしたら「タブレットは捨てないで」とわめきだした(タブレットでもメモが取れることは父は当然知っている)。
そういう態度の発言を繰り返すようなら返却出来ない旨を伝えたところ、そして明らかに買い物メモにしか使う気のないノートの切れ端を持ってきて
「私はメモを取ります」とだけ書き始めた。「必要なことをメモしないなら話ができない」という目的から大きく外れて、
「メモ帳に何か書けばタブレットを返して貰える」に目的がシフトしてしまっているのに全く悪びれる様子もない。
この行動がおかしいとすら全く思っていないこと、「お前の話は私の知っている常識と違い理解に苦しむ」と言われることに非常に疲れる。
この穴を掘ってその穴を埋めるナチスの拷問みたいなやりとりに、自分が死にたくなってきて2時間位鬱々とした気持ちになっていたが、
何とか「どうして自分が悪いことがあろうか」という気持ちに持ち直してやり過ごした。
生まれて三十余年たって今やっと「このジイサン金だけ残してさっさと死んでくれないかな?」という気持ちに至ることが出来た気がするが、
病気で急激に衰えてもう長くは生きられない母親のことを考えると、とても複雑な気持ちになる。
他人から見れば、さっさとそんな無意味な繋がりを捨てて自由に生きれば?と思われるだろう。
結婚して自分の家庭を作ればわりとそういう判断がつきやすくなる気がするのだが、
隣県の海に行こうと誘われて喜んで了承したら、当日ミッションするとか言い出した。
お前。片道1500円だぞ。
せっかく遠出するのにゲームするのか。一緒にいる私に大して配慮はないのか。
お前旅行先で自分が景色見てるのに相手がずっとDSしてたらどうなんだよ。
って言ったら
「せっかく遠出するんだから俺だってIngressしたい、そっちが配慮するべきじゃないの?」
って真顔で言われてしまったよ。結局海は行かなかった。
ちなみに私は昔レジスタンス側でIngressをやっていて、一度だけ作戦に参加したことがある。
「××のポータルどうしますか?」って誰かが聞いても、知らんぷり。
その場に7人くらいいたんだけど、みんな必死にスマホ弄ってた。完全に無視。
100歩譲って出先でIngressはいいよ。ちょいちょい見つけたポータルハックしたり、ちょっと攻撃して色変えるくらいはいいよ。それぐらいならきっと楽しいよ。
でもIngressプレイヤーじゃない人と行って、出かける趣旨の50%以上がゲームなの、なんなの。完全に置いてけぼりなんですけど。
Ingressプレイヤー、外で現実を模したネトゲをやっているみたい。少なくとも彼らの意識は現実にはない。
神社仏閣や遺跡を回って、本人たちは「知識と自分の足を使いポータル散策する崇高なエージェント(笑)」
になっているみたいだけど、現実のコミュニケーションを怠ったAGはただのネトゲを必死にやってるゴミだ。
ゲーセンで音ゲーやってる彼氏をぽつんと見てる彼女みたいなのよく見るじゃん。アレと同レベル。
なんとなく青にしたけど、青のコミュニティは本当に気持ちが悪い。
ソロでやってる人が緑に多いと聞くし、同年代の若い人も緑に多いし、緑にすればこんなにIngress嫌いにならなかったんだろうか。
○朝食:出前一丁
○調子
就職活動を始めたことを伝え、応援してもらった。
その後、傷病手当金の申請書を書いた。
これももうすぐ一年たつのかあ、やっぱりそろそろ働かないとまずいね。
○テラバトル
今日もスタンバーイやフレンド招待を駆使して、協力プレイを楽しんだ。
その結果、見事クリアまで到達、やったぜ!
中々人が集まらないので、日本のXboxOne界隈でもっとも人が集まっていると言っても過言ではない
無事協力プレイのおかげでさくさくとクリアできて、楽しかった。
今度はストーリーを楽しむんじゃなくて、ゲームを楽しむために皆を誘ってみてもいいかも。
第九章。
まさかのライブラリアン登場。(ダイダクトの奥さんなんだ、始めて知った)
ハルゼイ博士にフォアランナーの遺跡全ての位置をマッピングした地図(鍵)を渡すライブラリアン。
第十章。
アーティファクトの影響で太陽に引きづりこまれるインフィニティはたしてどうなる!?
そしてなんやかんやあり、フォアランナーの遺産をマッピングした鍵は、
エリートたちとUNSCの2つに別れることに。
果たしてどうなるのか、5を待て! って感じかな。
総評。
4のオマケかと思って今までスルーしてたけど、中々面白かった。
ストーリーもHalo1ぐらいのボリュームはあったんじゃない?
それにしても、ハルゼイ博士の悪役っぽさはぱないね。(隻腕で怖い顔してた博士は本当怖かった)
5では普通に敵として出てきそうだ。
さあ、次はどんなゲームをやろうかなあ。
○朝食:なし
○夕食:マーボードン(MBD)
○調子
ちょっと高くなった代わりに、具が増えたのと、海鮮丼だけじゃなくて、お寿司が追加になった。
ただ、前職にもう一度勤めさせてお願い電話の結果がそろそろ帰ってくると思うと、
緊張して、落ち着かない。
○テラバトル
今日もスタンバーイやフレンド招待を駆使して、協力プレイを楽しんだ。
第七章。
ハルゼイ博士の謎技術によりAIノーランドが乗っ取られる、脱獄する博士。
どうやら、ハルゼイ博士にはマスターチーフが生きていたことを隠していたらしい。
そして、インフィニティに敵が襲ってきて、次回に続く。
第八章。Part2までクリア。
ところが、どうもUNUC的にはハルゼイ博士をもてあましているようで、
ハルゼイ博士の「知識こそ力よ」は皮肉が聞いていてたまらないね。
そして、エリートたちの発掘現場で見つけたフォランナーの遺跡に飛び込むハルゼイ博士。
うむうむ、王道な感じだね。
残り、13ステージか。
ボリューミーなようで、そうでもないかな。
このペースだと今週中には間違いなくクリアはできそうだ。
水島精二監督、映画本編を見ずに舞台挨拶に複数参加するファンに苦言 - Togetterまとめ
あなたは今,行きたくて行きたくて仕方なかった観光地にいる.ウィーン? パリ? ヴェネツィア? 何ならニューヨークやサンフランシスコでもいい,好きな観光地を代入してくれ.ちなみにわたしはどれにも行ったことがない.
あなたには見たいものがたくさんある.あそこのなんとか教会もかんとか美術館も,ひょっとしたら夏期限定ツアーとして運河をゴンドラで回れるかもしれない.悲しきニッポンの勤め人,旅程は往復の飛行機での何泊かを抜けばたったの3日しかない.さあ,どれから巡ろう? ここがロンドンならあなたは悲惨だ.3日間すべてを費やしたとしても大英博物館ひとつですら踏破し尽くすことはできないのだから.
観光シーズンだけあって現地は実に快適だ.日本のような蒸し暑さなどヨーロッパにはない.街角には日本では滅多に見ないオープンテラスのカフェが建ち並び,観光客たちがその疲れた身体を休めたり地元民がぺちゃくちゃと何を言っているのかはわからないがかしましいおしゃべりを繰り広げている.
あなたはそのうちのひとつのカフェに足を運ぶ.本場に来たのだから美味しいコーヒーを飲もう,いやいや地ビールで清涼感を味わうのもよい.やってきた店員に注文を告げ,深く腰を下ろして一息つくと,あなたは鞄を開け,日本から持ってきた『ハリー・ポッター』の単行本を取り出すと,一心不乱に読み耽る……
いや,それ今ここでする必要ないじゃん!
という話で.
もちろん,個々人の価値観は多様であり,そこに他人がケチをつけるのは野暮ではある.数少ない海外旅行の機会を,「海外の,日本にはないような雰囲気のカフェで読書をして過ごす」のが理想の旅行だというならわたしはその選択を尊重する.しかしわたしはそのように振る舞おうとは思わない.なるほど,確かにそのカフェは日本では入れないものであろう.気候や道幅の問題もあり,ヨーロッパではありふれたオープンテラスなど日本には滅多にないしあっても屋外に座る気にはなれない.どう考えても蒸し暑くて空気も悪い.せっかくヨーロッパに来ているのだからそういうカフェを堪能しようという気持ちはよくわかるし,わたしだって一度は足を運びたい.
しかし,別にハリポの読書なぞ日本でもできる.飛行機の時間は長いのだから往復を使えば賢者の石から死の秘宝まで全部読めてしまうだろう.だから,もう博物館も美術館も教会の拝観受付も全部閉まってしまってあとは寝て明日に備えるだけのホテルなりホステルなりのベッドの上での手慰みとして以外に,わたしは旅行先でハリポを読もうとは思わない(ハリポの聖地巡礼に来ているなら別だが).別にこれはハリポでなくとも指輪でも銀英伝でも何でもいい.もちろん,読んでいるひとの邪魔をするつもりはない.だがそれはわたしの目には「もったいない」と映る.おまえの目にどう映ろうが知ったことではないと言われたらそれまでだが.
と,ここまで書いたところで冒頭のリンクに戻るわけです.
わたしは舞台挨拶には一度しか行ったことがないし,その一度もちゃんと映画は最初から最後まで見た.しかしそれでも思ったことがある.上映される映画の内容は毎回同じだ.仮に劇場に足を運ばずとも余程のことがなければ円盤だって出る.だが舞台挨拶は毎回違う.内容どころか出演している俳優の組み合わせまで違うし,語っている内容もどうでもいい日常トークならともかく(それにも価値を感じるひとはいるのかもしれないが),演者の抱いた映画への感想とか舞台裏の小話とかそういった映画のファンにとっては是非とも聞きたいものばかりだ.
さて,ではこの状況において,MOTTAINAI精神の体現者たるわたしはどのように行動するのが最適だろうか?
あなたは旅行先でありふれた楽器屋に入ってどこででも買える楽器を買うだろうか? あなたの地元が楽器屋のひとつもないシャッター商店街なのであればそれも当然の行動かもしれないが,まずは「今・ここ」でしか見られないものを見てできない体験をしようとするのではないか? だとしたらそれは舞台挨拶も同じだ.演劇と違って映画が複製技術時代の芸術である以上上映している時期に上映している劇場に行けばいつでも見られるし,大スクリーンであの大迫力であることを諦めれば家で見ることだってできる.だが,舞台挨拶は,そこでしか聴けない.
繰り返すが,わたしはそのような行動を取ろうとは思わないし(そこまでのリソースを監督や演者の生語りに割く気力が湧かない),監督や演者が不愉快に思う気持ちもわからないでもない.だが,たとえば旅行に置き換えて考えれば,本編を見ずに舞台挨拶をハシゴする人びとの気持ちならばがよくわかるのではないか.彼らは旅行先でハリポを読んだりDSで遊んだりするのではなく教会や美術館や遺跡を巡りたいのである.つまりこれはモラルやマナーの問題ではなく,構造の問題だ.どのように振る舞うのがもっとも合理的かという話なのだ.
もちろん合理的であってもルール違反はよくない.いくら無理して始発で来るよりも会場前で夜を明かす方がレア同人誌を入手できる可能性があるからといって徹夜組はルール違反である.だが,一回チケットを買った者が,上映途中で眠りこけようが途中で帰ろうがそもそも見に来なかろうが,すべてルールの範疇ではあるまいか.それとも一度チケットを買ったが最後途中退席は断じて罷り成らんとでもいう風にルールを変えるか? 断言するが数ヶ月後にはその映画館には閑古鳥が鳴いている.
もしも本気でそのような客を厭うのなら,解決はふたつある.ひとつは映画を複製技術でなくしてしまうことだ.コメンタリとして要所要所に演者の生の発言を被せたり,「この上映回でしか見られないエフェクト」をつけるなりすればよい.もうひとつは舞台挨拶の方を複製技術にすることだ.すべての挨拶は後日Blu-rayの特典なり何なりとして収録し,会場限定のグッズなど一定期間が経ったら必ずどこぞのショップで売るようにすればいい.
こんな簡単な対策すら取らないなら,まあ,そりゃ,挨拶をハシゴするひとは増えるよね.でもって,そっちの方が損得勘定で得だと思ってるからそういう商売やってるんでしょ? だったら客のモラルに責任転嫁して愚痴るなよ,情けない.
炎が出ないのにお湯が沸く?
おねえさんどうしたの?
この水車に水を流すと…
うわぁ。電球が明るくなったぁ!
これが水力発電よね。水の落ちる力を水車と発電機で電気に変える。
そうだね。沸騰しているやかんの口のから出る湯気に水車を近づけても電球がつくよ。
ちょっとやってみるわね。
うわぁ。点いた点いた。
これが火力発電の原理なんだ。石炭や石油やガスを燃やして、お湯を沸かして水車を回す。
水でも火でもないものから電気ができるなんて、おねえさん、よくわからないわ。
いいわよ!
じゃいくよ!
ここは?
紀元前2000年ころのインダス文明の古代都市モヘンジョダロだよ。
どーん。
キャー、すごい光と爆発だ。
どうしたの?
これは、ラーマーヤナという古代インドの書物に書かれていた大気圏内核爆発の瞬間だよ。
ラーマーヤナの雷(いかずち)ともいわれているよ。
今、近づくのは危険だから4000年後のモヘンジョダロにいってみよう。
たいへんだ。たいへんだ。
あの人はだれ?
石がガラスに?!
ちょっと解説しよう。石や岩はとても高い温度になるとガラスのように溶け出すんだ。
でも、石が溶けるには、1000度から1500度の高温になる必要があるんだ。
現代でもこの温度を作り出すには、たくさんの燃料を燃やさなくてはならないのに古代にそんな大きなエネルギーを発生させる技術があったとは考えにくいことなんだ。
そうそう。その疑問を解決する答えは、核です。
モヘンジョダロは核で攻撃を受けたのです。核を使えば、一瞬にして高温を発生させることができる。
石をも融かしてしまうことができるのです。
へー。核の持つエネルギーってすごいのね。
そうなんだ。原子が分裂するときに発生するエネルギーは、とても大きく普通に火が燃えるときと比べて莫大なエネルギーを発生させることができるんだ。モヘンジョダロが核攻撃を受けたことは仮説のひとつなんだけどね。
へー、原子の持つ力ってすごいのね。でも、原子ってどーんと爆発したりして怖いわ。
黒い鉱石の中から新しい元素を見つけたぞ!最近見つかった新しい惑星の天王星(Uranus)にちなんでウランと名づけよう!
そうなんだ。このころは新しい元素を見つけるのが流行っていたんだ。
次行ってみよう。
ここは?
1896年のフランスだよ。あの人は、物理学者のベクレルさんだよ。
これはすごいウランには他からエネルギーを与えられなくても放射線を発生する能力(放射能)があるぞ!大発見だ!
あの女の人はだれ?
ウラン鉱石を手作業で砕いて、不純物を取り除いているところなんだ。
ウランを手で触ったりして危なくないの?
このころは、放射能についてよくわからなかったから、最先端の研究者といえど何の防備もなしに放射性物質を扱っていたんだ。今では考えられないことだね。
1903年にベクレルさんとキュリー夫妻は、放射能発見の業績によりノーベル物理学賞を受賞したんだ。
この世紀の大発見により、光り輝く放射性物質は、人類に幸せをもたらす魔法の物質として一気に研究が進んでいくだ。
ベクレルさんもキュリー婦人も、そのあとによくわからない原因の病気で亡くなってしまっているんだ。
扱い方を誤ると放射性物質は怖いのね。
ここはどこ?
ここはスウェーデン。あの人は、物理学者のシーベルトさんだよ。
放射線は人体に危険なのです。核エネルギーを人類の平和のために使うには放射線の危険性をきちんと理解しないといけません。
シーベルトさんは、放射線が人体に与える影響についての研究で有名なんだ。
研究が進んでいくと役に立つところと危ないところが徐々にわかってきたのね。
どーん。
キャー。また爆弾?
放射性物質は核分裂を起こすと莫大なエネルギーを生み出す。この力を戦争に使おうとする研究がさかんになっていったんだ。
やっぱり、原子力って怖いじゃない。
そうなんだ。太平洋戦争のときに使われたのは、この技術を応用した核爆弾だったんだ。アメリカは、核の力で日本の長崎と広島を一瞬にして消し去ってしまったんだ。
ここは?
あの人はだれ?
あっちの人は、だれ?
あの人は、アインシュタインさんだよ。
えー、あのアインシュタインさん!
でも、ぼくはとんでもないことをしてしまった。
こんな僕だけど、許してください。
ぜんぜん、役に立つ原子力じゃないじゃない。アインシュタインさんでさえ後悔しているわ。
それじゃあ、原子力発電の元になる原子炉をはじめて作った人のところにいってみよう。
一気に爆発せずに核分裂反応を一定にすることに成功したぞ!やったーやったー!
フェルミさんたちは、黒鉛のブロックを積み上げた中にウランを入れ、核分裂連鎖反応を起こすことに成功したんだ。カドミウムから作られた制御棒を使って、出力が一定になるように調整できるようにしたんだ。熱をコントロールできるだけで、電気はできなかったんだ。
でも、すごいじゃない!フェルミさん。
そして、ここは、1953年12月8日、ニューヨークの国連本部だよ。
あの人はだれ?
歴史の何ページかには、確かに『偉大な破壊者』の顔が時おり記録されてはいる。ただし、歴史書全体を見れば、そこには人類の果てしない平和の希求と、人類が神から与えられた創造の能力が示されている。
アメリカは、冷戦下、ソ連との軍拡競争の中で、核ミサイルを中心とした軍事向けの原子力と生活に役立つ発電に使う平和利用の原子力の2本立ての核開発を行っていったんだ。
その方針の下、同盟国の暮らしを豊かにするために原子力の技術を使った発電を広めていったんだ。
そのあと、1956年にイギリスで、1958年にはアメリカで実用化されたんだ。
日本では、1966年に茨城県の東海村で日本初の原子力発電所がスタートしたんだ。
戦争で原爆を落とされた日本国内では、原子力に対して強いアレルギーがあったんだ。
反対運動もすごかった。
原子力は、石油・石炭、電気に続く「第3の火」として平和で豊かな生活に役立つものとして宣伝されたんだ。
新聞では「ついに太陽をとらえた」という原子力の平和利用をアピールする記事も掲載され徐々に原子力への期待が高まっていったんだ。
それが今の日本の発展につながっているんだね。
ちょっと待って、原子力が電気に変わる秘密を教えてもらっていないわ。
おねえさん、ごめんごめん。
原子力発電所では、ウランの核分裂で発生した熱を利用して、お湯を沸かしてタービンと呼ばれる水車のおばけを回しているんだ。
あれれー。やっぱり水車が回って、発電機を回してエネルギーを電気に変えるのね。
でも、原子力のすごいところは、1グラムのウランから、石炭3t、石油2000リットル分の熱を取り出すことができるんだ。
これはとてもすごいことなんだけど、実際は取り出したエネルギーの3割が電気に変わって、残りの7割は廃熱として海に捨てているんだ。ちょっともったいないね。
ただいまっと!
なーんだ。核融合とかプラズマとかすごいことしているのかと思ったら、原子力もお湯を沸かして発電していたのね。ちょっとがっかりしちゃったなぁ。
この夜景は原子力の賜物なのね。やっぱり原子力ってすごいのね。おねえさん、ロマンチックな夜景を見て、原子力を見直しちゃった。
まず僕の立場から書いておくと、ちょっと差し障り(笑)があるからとりあえずは某大手(笑)外資の正社員(つまりある程度業界を牽引するエリート達を選ばなきゃならない立場ネ)を選定する現場のそこそこ偉い人ぐらいに思ってください。
で、最近僕が気になるのが、就活生の中でなんだかとにかく履歴書を手書きで書くのが偉いとか思ってるが多すぎ!て件。
あのさ、君たちさ、常識ってものを知っています?正気なの?ちょっと僕の世代からは考えられなかったなー。
ていうと君たちはこういう反論をしてくるんだよね?
なんでネットでエントリー完結しないといけないのかわかりまちぇん
ぼくちんはそんな冷たいことをしたくないんでちゅ
そんなことよりぼくちんの筆跡からあふれる熱意を見てくだちゃい
バブバブー……ウンウン、わかったから大人がいる会社じゃなくて幼稚園にエントリーシートだそうか(笑)
言うまでもないんだけど、本当にこれを言うと当たり前のことをドヤ顔で言うイタいひと呼ばわりされそうで困るんだけど、企業はそんな汚い手書きのエントリーを送ってよこすような、こっちのことを昭和の遺跡に思ってるような赤ちゃんは要らないんですよ。っていうかニートですかあんた(笑)もしかして引き篭もってたニートとかフリーターとかがいきなりウチを受けにくるようなパターンだったり(笑)
ネ、あのさ、これは真面目(笑)に言うんだけど、今どき全ての業種で IT が必須と考えてアナタが採用担当だったとして、履歴書をわざわざがんばってがんばって手書きをしてくれた人間と、最低限の PC スキルがある事を示せる人間と、どっちを採用しようと思います?
こちとら長い間(と今数秒だけあんな苦労もこんな苦労もしたナーと遠い目になってしまったんだけどそれを書くと長くなるのでやめましょう)就活生と向き合ってきたわけ。これはね、採用担当と就活生との真剣勝負なんだよ。その大人と大人の戦場に、子供がよちよちと歩いてくるなってんだよ!
履歴書っていうのは、変化の早い、IT への適応も避けられない今後の社会に向けて、自らの適性と、今後のキャリアプランを考えながら書く……そういう自分のスキルやキャリアをきちんと考えていることが伝わってくるから美しいし、だからこそこちらとしても「よし受け止めてやろう!」と真剣に向き合う気になるわけ。チョット格好つけすぎたかな(笑)
マア実際履歴書を手書きするような人間っていうのは、我々(僕なんかまだ下っ端で、実はガラケー手放せないとかまで読み取ってしまう猛者(笑)とか上にはいる)からすると数秒やり取りしただけでわかるんだけどまず間違いなく今後の社会において行かれる。そう、勘違いしてほしくないんだけど僕は「履歴書を手書きしたら落とす」と言っていないんだ、逆で「履歴書を手書きすることを良しとするような古い常識の奴は100%伸びない」と言ってるんだ。
現代に適応している姿を、見せろよ!雇ってもらいたい、会社に役に立ちたい、どんな会社に移ってもやっていけるスキルを身につけたいならさ!
とマア、最近になってもまだ手書きの履歴書がチラホラ目に付いたのをきっかけにこんなことを書いてみました(笑)
就活生のみんな、ちょっと僕が現実的(笑)なことを言ってしまってショックを受けてるかもしれない。でもこういう風に打ちのめされて甘えを捨てた人間こそ、本当に企業に目を向けてもらえるんだ。ファイト・ザ・パワーだぜ(笑)
★子供の社会科教科書を見ると、堂々と「吉野ヶ里遺跡」と「三内丸山遺跡」が載っていて、
激しく「ジェネレーションギャップ」を感じてしまった。
というのも、われわれ世代(40歳代)にとっては、吉野ヶ里や三内丸山は「ニュースの事象」であり、
吉野ヶ里の「発見」が1989、三内丸山の「発見」が1992。
当時自分は大学生ないし社会人で、これら遺跡は「ニュースで知った」ものであり、「教科書で知った」ものではない。
たぶん、今の40代より上の世代は、教科書でこの2つは習っていないはず。
なので、今の40代とか50代では、吉野ヶ里や三内丸山は「そもそも知らない」という人の方が多数派なんじゃないか?
これら世代で吉野ヶ里等を知っているのは、地元民または観光業界人または歴史マニア。
という訳で、
「遺跡が見つかるキッカケは、公共工事や商工業開発が多い」という「生きた授業」を子供相手に展開してやった。
★我々の世代は、せいぜい「登呂遺跡」を覚えておけば、事足りたと思う。
一方、今の子供の世代は、登呂遺跡以外にも吉野ヶ里とか三内丸山とか、覚えることが増えて大変だなあと同情してしまう。
吉野ヶ里とか、工業団地開発を計画しなかったら、遺跡は見つからなかった=教科書の記載も減ったわけでして。
・・・と書こうと思ったら、「登呂遺跡は、教科書によっては、記載を外しているケースもある」らしい。
子供の記憶容量は有限だから、教科書記載事項を巡る「競争」は激しく、スクラップ&ビルドも激しいらしい
・・・となると、おじいちゃんおばあちゃんが、孫を連れて静岡に行って、「これが有名な登呂遺跡だよ」と案内しても、
孫が「何それ?習ってないよ」という世代間すれ違いの悲劇が発生してしまう危険性がある。
※というか、実際静岡の人のブログを見ると「子供の教科書に載ってなくて会話すれ違い」報告有
★「一番歴史学習が大変だった」世代は、「1999頃に歴史を学習していた世代」じゃないか、という気がする。
あの頃は三内丸山も教科書に掲載されたうえ、旧石器時代の記載も「充実」していた。
→その後、毎日新聞のスクープで、旧石器時代の殆どが教科書から削除された
吉野ヶ里や三内丸山クラスの遺跡発掘のニュースが、この20年間聞こえてこない、
そのこと自体が「失われた20年」を象徴している。(公共工事激減と比例)
・・・或いはアベノミクスで、再び吉野ヶ里クラスのが見つかるか?
★登呂遺跡の件、もう少し調べてみたら、実は「登呂遺跡の教科書記載」そのものに「政治的な意義」があったらしい。
登呂遺跡発見の「政治的意義」とは、「日本書紀記載の年代以前に、東日本に稲作が伝わったこと」の立証。つまり「日本書紀の否定」
まあ、実際の学問レベルでは、日本書紀を否定する研究もされていたのかもしれないが、それが義務教育教科書に掲載されることがなかった。
義務教育には日本書紀や古事記が掲載され、子供は歴代天皇の暗記を強要された
つまり、「日本書紀・古事記・歴代天皇暗証の「偽歴史」を教育する」、そういうナンセンスな歴史教育は終了した、
そういう「歴史教育民主化・自由化」「もはや戦前ではない」のシンボルとして登呂遺跡が存在した。天皇の人間宣言と同趣旨
となると、直近の「登呂遺跡の教科書引退」の政治的意義は、歴史教育において「もはや戦後ではない」とアピールする効果。
登呂遺跡の「政治的役割」は、歴史的意義を終えた、ということなのかもしれない。
※GHQが必要以上に登呂遺跡の「意義」を強調するよう、教育介入したような気もする
★縄文時代、旧石器時代の存在は、日本書紀や古事記と真っ向対立。
多分、戦前の教育では縄文や旧石器時代は存在しないことになってた
だから、最大70万年前の旧石器時代の遺跡を発掘した「ゴッドハンド藤村某」などは、世が世なれば不敬罪になってたんじゃないかと心配する。
そもそも日本書紀や古事記の世界では、神がイザナギ・イザナミを作って、それから世界が出来た。
→多分、戦前は「恐竜の存在」は義務教育では認められなかったのではないか?
そう考えると、恐竜をモチーフとした「映画ゴジラ」は、イザナミ・イザナギの世界観を否定する恐竜をモチーフにした、ということで、極めて戦後的な気がする。
○朝食:ツナ缶
○夕食:ほか弁の海苔弁
○調子
寝すぎた。
なんとなくオープンワールドをふらふらしたい欲が出てきたので開始。あと2の発売日も決まったしね。
簡単にいうと、車で色々な所を走って時たまレースなんかしちゃったりするゲーム。
なんだけど、やっぱりあんまりレースゲームは性にあわないかなあ、と思いあれこれやっていたが、
FPS視点(っていうの?)にすると没入度が高まって楽しいことに気づいた。
一日に何時間も出来るゲームじゃないけど、地道に進めて行こうと思う。
○HaloWars
む、難しかったー。
決められた動きをする砲台を避けながら攻撃を加えるステージなんだけど、
この「避ける」という動作に気づくまで、だいぶ時間がかかり、三回ぐらいプレイした。
動作が一番機敏そうな「ワークホグ」を使い、左右に避けるよう動かしたら、なんなくクリア、やったね。
ドンと構えて、解かなきゃいけない事とか動かない謎とかミステリーとかそういう物を大前提にしてるのは昔のゲームで
解かなきゃいけない使命とか、調べてみたい時とか、最初から持っていて腰をすえて落ち着いて調べられる
一つの遺跡の謎を解こうと思って同じ場所を行ったり来たり往復して一つの謎を解こうとする事で話を進めるみたいな感じ
自分から到達しなければいけない謎とかは無いから、流れに身を任すだけって言うのは今のゲーム
話は垂れ流されるように一方通行で、その話内では一つの場所は通り過ぎると二度と戻らない
例)宝箱を取れといったら、宝箱を目指して洞窟かなんかを進むと途中にいる敵を倒しながら奥に進んで宝箱に付いたら引き返すだけ
作ってる人のやってみたい事がとても直線的な気がする
「こっちにいってみたい」「ここを調べてみたい」っと感じるような部分を持ってない
昔のは見た夢を再現ようなそんな想像力
例えば、穴が開いていたら、どこに通じるのか自分ではいって確かめてみる
テーブルの上に電話が置かれていると、今のゲームではただの装飾品だなとしか感じない
昔のゲームで電話がテーブルの上に置かれていたら、まずは調べてみるよね?
今のフリーゲームではこういう部分は強いよね
試してみたい、覗いてみたい、やってみたいでしょ?って部分が殆ど皆無
フィールドを隅々まで歩いてみたいよね?何か変った施設が見つかるかもしれない
今のオープンなフリーローミングなゲームではそういう感じがしないよね
何でだろう
何かないか?探しもらしは無いか?と探してる感じじゃない
フィールドを進んでいると知らない建物が見えて来るのは2Dも3Dも昔のゲームでは同じように楽しいよね?
3Dでは例えば、結構広めのマップを探索してると思いがけない場所に洞窟を発見したとか、その中には巨大なたこがいてとか
今って敢えてつまらないように作ってるのかね?
今のゲームでは同じように3Dで進んでいると遺跡みたいなのは出て来るんだけど
淡々とそこにそびえてるだけでだから何だって事は無いし、何か特別な発見をする訳でも無いし、何かいる訳でも起こる訳でもない
ここでこんな事をしたら遺跡が起動したりとかそういう事は無い
それとする事が全部テンプレどおりで
宝箱を取る、敵を倒す、って行動を取れるとしたら
ミッションを受けて、洞窟か何かに行ったら、どこに行っても後はそのテンプレどおり敵を倒すなり宝箱をとるなり
して帰って来るだけ
昔のゲームだと、怪しいスイッチを見つけて押してみるとトラップだったり
何かが起動したり
それか、レバーを上げると特定の扉だけが開いて、そうでない扉は閉じて
じゃどうやったら奥まで進めるか
ここをいじるとどうなるのか?ここを調べたら何が分かるのか?どうなるのか?
プレイヤーが何かする事でどういう変化が起きるのか?
で、ゴールとどう関係するのか?
そういう意味白さ
今のは何も無い
見たいなパターンと
ミッションが数珠繋ぎになっていて、何をとれ何をやっつけろと注文を聞いてるだけで
見たいなパターンか
とっちにしろ、プレイヤーが自らの興味でやってみたい事をやってみて
それで、何か発見するって訳じゃない
何か発見すれば、じゃここは何だろう?ここは?と発展するんだろうけど
今の人の作るゲームってこんな物理現象を再現してる「すごい」とかそこで生活してる人が現実の人間と同じように思考する「すごい」とか
そういう部分に目をつけている
でも、探究心をそそるような作り方は一切出来ない
この人は何が好きで、この人は何時にいつもジョギングしてて、とかそういう部分を細部まで作り出すのは上手
マップ的な意味合いで、こっちには城が、こっちには遺跡が、でもだからと言って特にそこにいっても調べても何も無いけど、細かな部分まで再現はしてる
でも、このまま、西に行ったら岬の先には洞窟の入り口、東に行ったら塔、南には砂漠地帯が広がっている、気になるでしょ?自由に探索してみて?洞窟はここに繋がっていて、塔は何の宝が眠っていて、砂漠地帯はどうで、さらには洞窟に入るには塔で見つけた物が必要だとか
とか、テーブルの上には電話が、これは何だろう?調べてみると何か発見する、では冷蔵庫は何?洗面器は何?シャンプーは何?気になるでしょ?触って調べてみる?
とか、知らない遺跡のようなものを見つけた、何か自分の興味から探索していじっていたら、起動して何か起こった、何が変ったの?他にいじるところは?どういじればいいの?何なの?
とか、そういうのはまるで無い
5月31日に鉄分の濃い有志11人で「大人の遠足」に出かけました。
写真ありきの記述になっているので、時折意味不明なのはご容赦を。
東京メトロの葛西駅集合ということで地下鉄東西線で行ったのですが、ほとんどの電車は水色のラインの電車なのに、偶然にも東葉高額、もとい高速鉄道の電車が。一般の人にはJR中央線に見えるのではないかと。
今日は5月31日。明日6月1日から都営地下鉄が消費税転嫁のため値上げとなります。4月に一斉に足並みを揃えられなかったので、東京メトロはじめ通しのきっぷ(連絡きっぷ)を販売する各社は二度手間を強いられました。
東京メトロの案内ポスター。下の方には各駅間の運賃が掲載されていますがポスターとは思えないフォントサイズ。視力5.0くらいなら読めるかも……
首尾よく集合して、まずは東京メトロが運営する地下鉄博物館へ。
入場券210円。少し前に来た時は自動販売機はPASMO非対応だったと思います。しかしこの自販機、使いづらかった。
スマホ(モバイルSuica)をタッチして、紙の切符を購入。その先には自動改札機が……やっていない。そしてさらに先には有人改札。なんだかよくわからないですが、切符を切ってもらうのはいいものです。
チョキン。
入るとまず出迎えてくれるのが、丸ノ内線の赤い電車です。側面には∞∞∞のような模様(正弦波:サインカーブ)がありますが、塗装ではなくステンレスなのです。ドアが開くところもちゃんと。
普通の電車は電気を天井上の架線から取りますが、丸ノ内線などはレールの横にあるもう一本のレール(第三軌条:サードレール)から電気を取ります。SがShoe(シュー:集電靴)、FはFuse(ヒューズ)だったかな?そして電線の部分以外は「木」!確かにここが金属だったら車内で感電しちゃいますね。こういうマニアックな部分が「大人の遠足」ならではです。
銀座線の集電靴。これは「木」とハッキリわかります。
銀座線の車内。電気が流れている第三軌条の切れ目では、昔車内が暗くなっていて、その時にこのランプが点いたそうです。
・ラインカラーがありません。
・溜池山王駅がありません。
丸ノ内線の車内。運転士側は箱に入っていますが、車掌側は開放的ですね。
日本で一番古い銀座線。開業時から「打子式ATS」という、赤信号を超えた時の緊急停止装置がありました。丸ノ内線では98年まで現役でした。
レールにくっついた白い打子が車体の弁のレバーに当たり、ブレーキ管の空気が吐き出されて非常ブレーキがかかります。
これはなんのためのものかよくわかりませんでした
副都心線開業時の記念PASMO。開業直後は毎日「!」でしたね。
メトロ3本目の日比谷線の開業パンフレット。丸ノ内線の新宿から先は「荻窪線」と言っていました。450億円というのは今のどれくらいにあたるのでしょうね。
東横線との直通は終わってしまいました。
お金を入れると通れる改札口です。実際に試せます(お金は戻ってきます)。
リコ式のつり革。RICO社なんですね。頭を打つと痛いです。
日本人が「たん」をはかなくなって随分たちます。「たばこ」ものめなくなりました。まどは開かないので「かほ」や「て」も出せません。
春場所の案内。当時は11日間だったのでしょうか。
マネキンに何か貼ってあります。固定資産使用シールです。そこに貼らなくても……同行者はべつの場所で、遺跡からの出土品に貼ってあるのを見たことがあると言っていました。
中央線の旧万世橋駅はリニューアルオープンしましたが、銀座線に「万世橋」があったのは知りませんでした。「時代の最尖端を行く雷門直営食堂」とはどのようなものだったのでしょう。
13号線(現副都心線)の工事中のポスター。新宿七丁目、新千駄ヶ谷という仮称でした。
輸送指令室のシミュレーションコーナー。駅でのトラブルにどう対応するか。正解は写真の後に。
正解は「ドアを開けたのち……」でした。お客様第一ではありますが、ダイヤも守らなければいけません。
こういうのを見ると、もともとなんと書いてあったのか「き」になります。
東京メトロでの車内冷房導入は極めて遅く、銀座線、丸ノ内線はスペース的な問題もあって、92年にようやく冷房車両が登場しました。長年、トンネル内の温度上昇を抑えるために、トンネルを冷房して、窓を開けるという形をとっていましたが、その点の展示は見つかりませんでした。
以前の案内表記。「国鉄線」というのが懐かしいです。
銀座線のルーツは、浅草~新橋の東京地下鉄道と、渋谷~新橋の東京高速鉄道です。こちらは東急の総帥、強盗、もとい五島慶太氏が率いる鉄道でした。地下鉄の父、早川徳次氏は経営権を奪われてしまいますが、営団、東京メトロはやはり早川氏や東京地下鉄道を誇りに感じているようです。しかし、百貨店と一体になった渋谷駅は、東京高速鉄道ならではのものではないでしょうか。電車は「三越前」まで直通してしまうのですが。
図書室に立ち寄ります。営団地下鉄の建設史は「東京地下鉄道○○線建設史」のような題名がついていました。年代が下るにつれて、東京の地下は複雑になり、半蔵門線大手町界隈の工事では各所と協定を結んだようです。
営団地下鉄は電車のスタイルや制服などでなかなかの洒落っ気があったのですが、一風変わった「マナーポスター」も有名です。図書室にはマナーポスターをまとめた本もあるので、是非ご一読を。先ほどの空調に関しては「窓を開けよう」というポスターが何度も作られているのがわかりました。
こちらで少し紹介されています。
http://jipangnet.blog.fc2.com/blog-entry-101.html
車体が動く本格的なシミュレーターもあります。写真撮影は自由だがビデオ撮影ご法度というのは、やはり警備対策なのでしょうか。
この「出口」は旧デザインですね。
さて、葛西駅から西葛西駅に移動します。またもや東葉車でした。通過待ちに一枚。
都バス「亀29」系統で亀戸までやってきました。駅は正面の白いのではなく右の茶色いビルでした(笑)。
東武亀戸線。東急世田谷線のようにメディアで取り上げられることも少ない、知る人ぞ知るローカル線です。駅番号は「TS44」東京、もといスカイツリーラインの支線扱いです。
次の目的地はここ。
8000系の電車が短い2両編成でやってきます。おでこに車体番号を書くのが東武流。
もちろん先頭に陣取ります(周囲の乗客の方、すみません)。
途中駅の「東あずま」。他の地名は無かったものか、と思うのは私だけでしょうか。まぁ、日暮里・舎人ライナーの「西新井大師西」駅よりはマシかもしれません。
「津覇車輌」東武にあまり馴染みがない私には、初めて見る銘版でした。
4駅目で終点の曳舟です。たった3.4キロしか走っていません。ここで乗り換えます。
福島県は会津田島駅まで向かう区間快速が通ります。このように、私鉄としては旅情を感じさせる列車が多いのも東武ならではです。
東向島(旧玉ノ井)駅です。この後昔の地図を見て、銘酒屋という言葉が出てくるのですが、そういう意味だったんですね。隣の駅の「鐘ヶ淵」は、For Beautiful Human Lifeのカネボウ、鐘淵紡績のルーツだそうです。
ドイツ有数の観光地、ローテンブルクの背後にそびえる東京スカイツリー(R)。
なんと、ここでは東武博物館名誉館長の花上嘉成氏から、説明を伺うことができました。写真はSL B1形です。
デハ1形5号電車。この斜めの支え棒?も見どころの一つだったそうなのですが、よく聞き取れず、すみません。
窓のブラインドは鎧戸。
上の小窓も開きます。
扉は手動。ゴロゴロと重々しく開閉します。
正面は五枚窓。側面には「草淺←→井新西」の案内がありました。
アルナ工機に保存されていた5700系5703号(前面部)です。搬出、搬入には相当苦労したようです。
戦後まもない1951年(昭和26年)の日光・鬼怒川向け特急、5700形5701号(ネコひげ)。後のデラックスロマンスカー(DRC)の先輩です。前頭部は搬入後に改めて当時の姿に戻したようです。
車内の様子。シートは前後に方向転換できます。あまりの人気に「補助席」も用意されました。デッキには売店も。昭和26年ですよ?
となりの小学校では運動会。土曜日に開催するんですね。実は中庭展示の車両は、小学校の校庭から搬入されたそうです。車両は重く、校庭を傷めてしまうため、校庭の改良工事があるわずかな期間で搬入しなければならなかったそうです。保存への熱意に頭が下がりました。
ロープウェイのゴンドラは生憎見られませんでしたが、搬入の様子が。
東武博物館は動かない車両の展示(静態保存)だけではなく、東武鉄道から車両を買い取って、動く状態での保存(動態保存)も行っています。この列車は貸し切りもできるそうです。6両編成の堂々たる電車の貸し切り!
参考:http://tusrail.seesaa.net/article/394766310.html
東武といえばDRC(デラックスロマンスカー)。カットされていますが、車内に入ることもできます。シート間の間隔が広いことにビックリ。新幹線に初めて乗った時に車両間のドアが自動だったことに驚いた人もいたでしょうが、実はこの自動ドアはDRCが日本初で、この車には「自動扉 AUTOMATIC DOOR」と書いてありましたが、宣伝文句は「○○○○ドア」だったそうです。
その後、博物館の奥の「ウォッチングプロムナード」。観察の小道とは?と思いながら階段を登って行くと、天井の低い、殺風景な、廊下とも部屋ともつかない場所へ。しかし右をみるとそこには窓が!
軽症「あ、スペーシアが通ったヽ(^。^)ノワーイ」
「いやぁわれわれ脚フェチにとっては実にたまらない場所ですなぁ」
模型のパノラマもありましたが、やっぱり東京スカイツリー(R)が……
東向島駅に戻り、東武浅草駅へ。後ろ2両のドアはホームがあるのに開きません。ホーム先端まで行くのは狭すぎるためです。
鉄道グッズをかけたクイズ大会が開かれましたが、難問ぞろいで、13問のクイズの1位は8問正解の方。
■オーソドックスな難問
■ひっかけ問題
「大手民鉄16社中、関東で一番営業キロが長いのは……」「東武!」「……ですが、では2位はどこでしょう?」
「西武」
「京成」
「正解は、東京メトロでした!」
東京メトロが大手民鉄というのを皆、見落としていたのですが、よくよく考えると営団時代から民鉄協に加盟していたわけで、酒が入っていたとはいえまだまだですね……
■マニアック問題
「日本で初めて貫通路に自動ドアを装備した東武DRC。その自動ドアの名称は?」
「マジックドア」
■無茶ぶり問題
「(私が利用する)井の頭線渋谷駅のアベニュー口の営業開始時間は?」
「……アベニュー口ってどこ?」
他にも、参加者の方の最近の武勇伝や懐かしい話を肴に、楽しい時間を過ごしました。
おつかれさまでした。
途中で犬食?の話になるのが、なんでだかわからない。
建築許可が出ないから、この谷の人々は、ビニールハウス仮設の建物に住んでいる。 表側は安物ですが、それでも備えるものはすべて備えている。 家に育てる犬がかなり多い。
なければGitのの子、サッと入らない。 その遺跡が抜け大邱寝転がっ区のキュウリ畑だ台無しノトネ。
畑に出て仕事を見ていた中江アジアンな奴が私たちをポンヒ見つめて自分の家に入った。
ここの犬は飼料ならないモノであり、古参入手して育ててウォー。 だから肉が多くて味が良く。 その子犬が小さく見えますが、伏してしまうと大きい。 時されると、あいつらもなくなりますよ。 今年もすでにかなり追いついた。 犬は1年2ヶ月のものが一番おいしい。 その子犬たちがすべて同じ船で出てきた連中なのにシバジがナムギョノトジ。 私ヌロンイイトジャンオ、珍島犬の雑種なのにあんな奴がいい内臓。 した三筋は出てくるものね。
犬を眺めるおじいちゃんの目が奥ゆかしくた。
数日あるが、安養の友人が食べオンデャ。 一匹倒さなければならものよ。 釜かけておいて一日中クルイミョ食べると楽しいイトジャンオ。 いくつかの場合は、レタスに青唐辛子の畑でおかずもたくさん出てきて、その番小屋に登って下見下ろしながら食べるとその良さができない。 私たちは、一匹に45万ウォン受ける感謝の意を5万ウォンより与えていく方もいて。 したマリミョン10人なんだ、二十皿頭食べ。 取ったのに行けば高価です。 100万ウォンも受けて200万ウォンも受ける農場条シネも高価になると思います。
この噴水は水がないマーラー。 梅雨になると水が多く出てもアング。 1983年に私がサムを一人で波をチェックアウトすごく苦労したよね<<