2015-07-14

認知症サイコパス傾向の父親との戦いの記録

母親が要介護になり、独身の私は実家に帰ってきて仲のあまり良くなかった70代の父親と会話をするようになった。

他にかなり年の離れた兄が2人いるが、結婚した上で実家を出ている。

  

父親には20年程前から痴呆なのか認知症なのか分からない記憶の傾向があった(しかし数年前まで仕事は現役で立場もあった)。

幼少期、父は私に対し酒に酔って恒常的に虐待行為を行っていたが、翌日は知らぬ存ぜぬだった。

10代の中頃、父親の祖母にそれを申告する機会があり、そのときも同席していたが(途中バツが悪いのか一部席を外した)、

その場も知らぬ存ぜぬを通したものの、自分場所・時期・内容を詳細に覚えている&記録していたこともあり、

祖母が私に謝罪したことで、その場はそれで収めた。私は祖母の謝罪など必要なかったし逆に申し訳なく感じたのだが、

当時は単純に酒に酔って記憶が無いor知らないふりだと思っていて、これで反省すると思ったからだ。

  

しか現在、その虐待も、咎められたことも、自分母親が子に謝罪したことも記憶にないという。

これについて、この話を私がその後一切出さなかったので、いつから記憶に無いかは分からない。

  

それ以外にも、幼少期に兄弟の一人(サイコな上で恐らく何かしらの精神的な障害有)が私に恒常的に暴力(性的ものも含む)を振るい、

とりわけ、はんだゴテで皮膚を焼かれたり、洗剤をジュースを偽って飲まされたりした事件に関しても覚えていないらしい。

当時は、幼児の私を脅した上ではんだ焼き、ジュースだと勧めてきたにも関わらず、兄は故意否定して勝手に私がやったと言ったので、

大変な口論になったし、事態事態なので大騒ぎになったが、父親はどうやらそれも覚えていなかった。

ちなみに父親はそのときもそれを問題視しなかったので、善悪判断が元々怪しい。

  

大人になった現在はその兄は遠くに住んでおり、自分が大人になったことで暴力を受ける可能性もほとんどないのだが、

当然一生顔も見たくないと思っているし、私は名前を聞くだけでも不快なので自分から接触することはない。

しか被害妄想や異常行動が多く、職場迫害されたり家庭も安泰ではないようで、実家重要安全地帯と見なされているようだ。

そのため、自分が数年置きに帰省した際は、電話口であからさまな詮索や牽制をする様子みられていた。

具体的には、急に夜中5時間かかる実家に来ると言い出すなどだ。

  

一時兄の異常行動が著しかったとき、父親には「日常的な性的暴力過去理由に兄とは一生関わりたくない」と伝えたが、

家族は仲良くするのがいいことだ」などと言い出す始末だった。それで父が私の情報を兄に伝えた場合の異常行動の関連性を何度も説明して、

最終的に「私の名前を兄の前で一生出さないこと」を数回に渡って伝えたのだが、実際にはそれが全く守られなかったため、

電話の奥の壁に「名前を出さない」と書いてくれと伝えたところ、兄にその情報をすべて漏らし、異常行動が爆発する結果となった。

もちろん壁には何も書いてない。これに関しては父親のプライドが許さないのだろうし、どうにもならないのでここで諦めた。

しか母親に注意して貰うことである程度収まっている(母は要介護になって動けなくなったことで認知症傾向が出てきたので今後は期待できない)。

  

また、こういった状況につき私は住んでいるマンション家族に教えていなかったのだが(頻繁に情報を漏らされるので)、

それを不満に思ったのか嫌がらせを行うようになり、それで数回引っ越しを行い住所変更をかけずに分からぬようにしていたが、

どういう手段か突き止めてきて、管理会社嫌がらせに近い電話攻撃を行ったことで、私に管理会社から解決して欲しいと電話が来るようになった。

また、自分仕事先などを詮索する発言が多く出たことから、私は第三者への迷惑回避するのが難しいと思い仕方なく退去し仕事も変え、

かなりの間友人宅に居候したり、知人の仕事場に泊まったり色々の半ホームレス状態で過ごす羽目になった。

これについても記憶に無いらしい。と言うかそもそも悪気もないのだろう。

その後、老化で行動力がなくなり、兄が家庭を持ってそれに協力する余裕がなくなった頃を見計らって、私は最低限普通暮らし回復した。

  

さて元の話に戻る。最近他愛もない話も忘れていることが多いと感じていたが、年のせいだろうからと何度も同じ話に付き合っていた。

覚えておいて欲しいことについてはさりげなくメモをするように勧めていたが、メモをしたのを見たことはなかった。

  

改まって将来的な話をしたいというので話をしていたのだが(実質的には今後介護をさせたがっている)

数日前に何時間も話して結論の出た内容をまた1から話してきたので、「その話は数日前にしたのでは?」と言ったが、

「そうは言うけれども」と言いながら話を続けてきた。ただ返答に不満があるのかと思ったのだが、

ほとんど前回の話の内容が反映されていない議論をし始めたので、「覚えているのか」と聞いたら誤魔化された。

覚えていないならせめて「メモを取ってくれないか」と言ったら、「メモは取らない」という。

  

時間に渡る議論毎日させられても耐えられないので、「結論を導く話で覚えない、記録も取らないなら話のしようがない」と伝えると

「私は仕事をしているときは他の多くの人間メモを取らないが私は良く取る人間だった」

「なぜわざわざ記録する必要があるのか、人間は話をしていれば分かり合えるものだ」

挙句には「将来残る記録など、聖書遺跡の石版くらいのもので、こんな一般人の話を記録しても意味がないから書く必要はない」などと言い出した。

これについてあっさりと論破(そもそも噛み合ってないので論破なのか…)したら今度は、

メモがない」(そこかしこにある)、「ペンがない」(目の前にある)、さらに「メモする場所がない(机テーブルが目の前にいくつもある)」

など馬鹿するような発言を繰り返してきた。私もいい加減に怒って、場所がないというならとそこら中に散らばった雑誌楽譜(趣味教室に通いだした)や

タブレットを捨てようとしたら「タブレットは捨てないで」とわめきだした(タブレットでもメモが取れることは父は当然知っている)。

  

そういう態度の発言を繰り返すようなら返却出来ない旨を伝えたところ、そして明らかに買い物メモしか使う気のないノートの切れ端を持ってきて

「私はメモを取ります」とだけ書き始めた。「必要なことをメモしないなら話ができない」という目的から大きく外れて、

メモ帳に何か書けばタブレットを返して貰える」に目的シフトしてしまっているのに全く悪びれる様子もない。

この行動がおかしいとすら全く思っていないこと、「お前の話は私の知っている常識と違い理解に苦しむ」と言われることに非常に疲れる。

  

この穴を掘ってその穴を埋めるナチス拷問みたいなやりとりに、自分が死にたくなってきて2時間位鬱々とした気持ちになっていたが、

何とか「どうして自分が悪いことがあろうか」という気持ちに持ち直してやり過ごした。

まれて三十余年たって今やっと「このジイサン金だけ残してさっさと死んでくれないかな?」という気持ちに至ることが出来た気がするが、

病気で急激に衰えてもう長くは生きられない母親のことを考えると、とても複雑な気持ちになる。

  

他人から見れば、さっさとそんな無意味な繋がりを捨てて自由に生きれば?と思われるだろう。

結婚して自分の家庭を作ればわりとそういう判断がつきやすくなる気がするのだが、

こういう家庭事情な上に実質要介護のオマケが2人もついた状態で、自分の経歴自体も良好ではないので、

好きな相手ほど結婚して欲しいとは思えなくなるんだよな。なかなかの負のスパイラルだ。

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