はてなキーワード: 精神障害者保健福祉手帳とは
ある人気漫画家が「障がい者ネタツイート」をした後、妹が自◯しました。
そのツイートはコロナ禍より前に投稿され、自◯はその数年後の出来事です。
4つ歳の離れた妹は「境界知能」でした。
いわゆるグレーゾーン。
本当にざっくりではあるのですが、『初恋、ざらり』や『君と宇宙を歩くために』の子たちをイメージして頂けると分かりやすいかと思います。
妹は成績面で不安はあれど生活面ではさほど問題がなく、進学も本人の努力と周りのサポートで上手く行き、周りも妹自身もあまり困難を感じていなかったため療育手帳を取得したのは高校卒業後でした。
進路や就職などで彼女自身が困難を感じ始め、医師や支援センター等に相談し、今後の人生を考えての判断でした。
取得の際、過去の発達傾向の証明が大変だったり、精神障害者保健福祉手帳の方が良いのでは?と悩んだりなど色々ありましたが、ここでは割愛いたします。
妹は最初、いわゆる「手帳持ち」になることに対して悩んでいました。
バイト先で複雑なことが出来なかったり、会話中に何を話しているか分からなかったりなど本人も自覚している部分はあったため、「今後のために必要なもの」と自分でも希望しつつも、心がついていかない状態でした。
友達にも変に気を使われたり、また「手帳持ちだ」というだけで心無い言葉を投げてくる者もこの世にはいます。
妹の辛さ生きづらさを理解して、私は彼女にしっかり寄り添って行こうと誓いました。
とは言っても何か特別なことをするわけでもなく、妹が心無いことを言われた際には「うわ最悪だったね」と一緒に愚痴を言い合ったり、気分転換に一緒にテーマパークへ行ったり、お店で見つけた美味しいものを一緒に食べたり、そんなふうにとにかく「普通の姉妹の日常」を大事に過ごしていました。
「寄り添う」というのはそれで十分なことだと思っていたのです。
「犯人の気持ちも分かる」「障がい者には生産性がない」「手帳持ちは寄生虫」などなど、世間に心無い言葉が溢れました。
もちろんほとんどの人が事件をあってはならない悲劇として捉え、そして心無い言葉を咎めてくれたかと思います。
妹は塞ぎ込みました。急に世間がみんな敵のように思えたとのことです。
また、「自分と◯された人たちは全然違うから大丈夫」と差別的に考えてしてしまう自分自身にも嫌気が差したようです。
真っ直ぐで優しい子です。本当に。
ところで言い忘れてましたが、妹は私や親の影響で結構オタクでした。
妹は事件からしばらく経った後、当時スタートした女性向けのとあるコンテンツにハマり「推し」を作ることで回復しました。
具体的なコンテンツ名は明記しませんが、女性向けですので見た目と声が良くて個性的な男たちがたくさん登場するやつです。
私も妹と一緒にハマって、CDを購入したりイベントに参加したりと楽しくオタ活をしていました。
世間の心無い声も、夢中になれるものがあれば聞こえてこないぞ!とでも言うかのように、妹はみるみる元気になりました。
そしてファンの方々の二次創作品も拝見させて頂いておりました。皆様その節は、素敵な作品をありがとうございました。
二次創作といえば性的なものもあるかと思いますが、障がいがあるからといって妹をそこから遠ざけることはしませんでした。
むしろ姉妹でオープンにすることで、何か間違いなんかが起こりそうな時に助けになれると思っていましたので。
よくいるオタクで腐女子な(便宜上そう書きますが、この言い方も最近は良くないんですよね。ごめんなさい。)姉妹だと思ってください。
そんな感じで、妹は幅広くAくんの魅力的なファンアートを描かれている方々をフォローしており、その中に「ある漫画家」さんもおりました。
ところがある日、その「ある漫画家」さんが、
「交通機関内でテンション上がって騒いだCくんが障がい者割引にされちゃった話」
といった感じのネタツイートを、フォロワー多数のツイッター上に放ったのです。
Cくんは、元気で明るいウェイ系のキャラクター。(心の内にはトラウマを抱えている等の裏もありますが、ここでは割愛します)
「その明るさゆえの異様なテンションが知的障がい者と間違えられちゃった。面白いねw」という意図の投稿のようでした。
バリアフリーの一環である割引制度を揶揄するだけでなく、障がい者への偏見を助長する投稿だと私は感じました。
もちろん、こういったブラックジョークを言ってしまうことというのは誰でもあり得るとは思いますし、この発言だけで差別主義者だとかは思いません。
実際、その漫画家さんご本人も所属されてる出版社もファンの方々も、その発言をあまり重くは捉えていなかったと思いますし、悲しいけれどそういうものなのだと思います。
しかしこれは、妹がやまゆり園の事件で受けた心の傷がまだ癒えていない時。
妹の心の拠り所となっているコンテンツのファンコミュニティで。
タイミングも状況も何もかもが最悪だったのです。
妹は限界でした。
バイト先での失敗を「◯ちゃんの真似~」と笑われながら真似されたこと。
要領を得ない会話をしてしまったときに、「お前ガ◯ジだなw」と言われたこと。
「自分と◯された人たちは違う」と考えようとしてしまったこと。
そういった辛い記憶が一気に押し寄せました。
楽しく好きな世界で過ごしていても、そんな気持ちに陥ってしまう。
妹は自分の存在に耐えられなくなり、「消えたい」と言いました。
そこから私たちは大好きだったコンテンツから離れ、心の防波堤を築くことに注力しました。
一緒にゲームを楽しみました。お家で映画も見ました。これまで通り姉妹で過ごす日常を大事にしました。
映画館やテーマパークは「障がい者割引」のことを思い出すから(また、コロナ禍もありましたし)断られてしまいましたが、そうでないものは妹も進んで楽しもうとしていました。
この世には楽しいことはたくさんあるし、無神経な言葉なんて無視すればいい。
しかしその数年後、その「ある漫画家」さんの作品がアニメ化されたのです。
それまでの間も全く視界に入れないことは難しくはあったのですが、映像化による世間への影響力は大きく、また、文字や絵ではなく映像で視界に入った際の精神への影響は大きいものでした。
「またあんなことを言われたらどうしよう」「心の内ではみんなに馬鹿にされていたらどうしよう」
「私みたいなのがAくんやコンテンツを好きになったのが良くなかった。」
「昔のことをずっと引き摺っていてごめんなさい。お姉にもオタ活辞めさせてごめんなさい。」
以前のように塞ぎ込みながら、そんなことを言っていました。
コップに熱湯が一気に注がれたような状況でした。
湯が溢れ出るだけでなく、熱でガラスが割れてしまいそうな緊張感。
申し込んでいたカウンセリングの予約日がもうすぐだという時に、妹は自○を図りました。
当時は医師や看護師の方々へも「救えなかった」という憎しみが向いてしまっていましたが、今思い返すと、まだコロナ禍の真っ最中に皆さん頑張ってくださっていたと思います。ありがとうございます。
とにかく、このようにして、妹は帰らぬ人となりました。
フラッシュバックより前はまだ、姉妹と友人でゲームだってやってたんですよ。
当時はまだスプラ2。あの子はマニューバー系をよく使っていて、そして上手でした。
『嫌な出来事を払拭し、自分の人生を明るいものにするために。』
つまり私がすべきだったのは、やまゆり園の事件の時、心無い言葉に向けて怒ることだったのかもしれません。
そしてあのツイートが投稿された時、「ある漫画家」さんに怒りの声を上げることだったのかもしれません。
五月蝿いお気持ち女と揶揄されても、厄介クレーマーだと嗤われても、その言葉で傷つく人がおり、一生引き摺ってしまうものだと声を上げ、妹と、妹のような子が、「え~そんなに怒らなくても~そんな気にしてないし」って逆に引いてしまうくらい、私が怒るべきだったのかもしれません。
いえ多分そうすべきだったんです。妹の嫌いなものが「世界」ではなく、「私」だったら彼女はまだ生きていたかもしれませんので。
温厚でいることで妹を笑顔に出来ると思っていました。
今は、ただただ、後悔があります。
どうか妹が天国か生まれ変わりか、笑顔で幸せでありますようにと無責任に願いながら、こうして今更何にもならない文章を残すことしか私には出来ません。
※こちらの投稿は「ある漫画家」さんに責任や謝罪を求めるものではありません。原因や責任は第三者にあるのではなく、きちんと対応出来なかった自分達にあると自覚しております。
すみませんついうっかり少し目にしてしまったのですが、現在その「ある漫画家」さんは作中でマイノリティの悩みを描いたりと、人権派なことをされているそうです。さすがに驚いてしまったので追記します。ブラックジョークを言う芸風を貫いていらっしゃるならまだ腑に落ちるのですが…もちろん誰が何をするのも自由ですし、極端な例ですが「元いじめっ子だったけど今は慈善活動をする良い人になっている」というケースも現実にはありますよね。でもどうしても、多様性とかポリティカルコレクトネスとかを謳う漫画家に不信感が湧いてしまいました。
だって、冒頭でタイトルを出させて頂いた『初恋、ざらり』や『君と宇宙を歩くために』のように、妹のような障がい当事者の目線を拾い上げようとしてくれる漫画家さんも、『スキップとローファー』のように、災害被害への支援など慈善活動をされている漫画家さんも、『作りたい女と食べたい女』のように、プライドフラッグを掲げてレズビアンやトランスジェンダーの権利を訴える漫画家さんも、『とんがり帽子のアトリエ』のように、世界で起こる虐殺や差別にNOを言う漫画家さんも、影では「交通機関内でテンション上がって騒いだ人が障がい者割引にされちゃった話」とか平気で言ってる可能性もあるってことですよね。
https://anond.hatelabo.jp/20240218153231
https://anond.hatelabo.jp/20231228164428
https://anond.hatelabo.jp/20231112111528
https://anond.hatelabo.jp/20230818125323
https://anond.hatelabo.jp/20230617063736
https://anond.hatelabo.jp/20230102192858
https://anond.hatelabo.jp/20220919175614
せんせー、手帳を取る場合、療育手帳と精神障害者保健福祉手帳のどっちがいいんですかー?
増田の常駐しているある人に顕著なんだが
ちょっと尋常じゃなく文章が読めない(推察出来ない因果が読めない前提知識が無さすぎる)人がいる
やっぱそういう人は障がい者手帳取れるなら取っておいた方が良いと思いますわ
ただ、リアルでやるのは慎重にな
発達障害・知的障害で『精神障害者保健福祉手帳』『療育手帳(愛の手帳)』を取る(軽度知的障害と認定される)ことによって
むしろさまざまな支援が受けられるようになる。だからプロ弱者は診断ガチャ回しまくる
なにがそんなに理解が難しいのかわからん。今度はまた何にかぶれたの?
責めるなら、『精神障害者でほぼほぼ判断能力に問題あるやろ』って本音では思っていても、
それを表で実名やID付きで口にしちゃアカンでしょって言う一点のみだよ。フツーは我が身可愛くて出来ない
精神障害者として判定されていない人を精神障害者として扱ってはいけないし、
精神障害者であっても自己決定は尊重されるべきだし、どこまでの手助けがいるのかは専門機関が個別に判断することだ
発達障害(特にASD)のマジョリティとかけ離れたセックス意識をキモヲタは空気読めで片付けない
日本には、不幸なことになる前に、セックスについて家庭で話し合っていこう、理解を深めようという取り組みがない。
それどころか、日本は性的に露骨な表現に非常に寛容なため、発達障害が間違った理解のまま大人になってしまう。
非常にセクシュアルな作品や表現を見たときに『・・・ふぅ』と書いたりする。
元ネタは2ちゃんねる(現5ch)やニコニコ動画などのやり取りで発生したいわゆる下ネタである。
下ネタの解釈を文字起こしするのもなんだかなぁって思うが、アスペは空気読めで片付けないために解釈のひとつを書いておくと、
この作品は 抜ける(性的興奮を高め射精する事ができる) → ふぅと息をついて賢者タイムなるほど、あなたの作品・表現はセクシーだったという、
下ネタを持ち込むことで話を茶化すという目的でも使われるが、大抵はポジティブな賞賛として使われる。
アスペルガーの特性がある人でもここまではニアンスを理解出来ている事が多いが、問題はここから先である。
この表現は、下ネタであり、スラングであり、表現のニュアンスを理解し許容している人のあいだでしか使ってはいけないということを
誰かが明示的に説明しないとわからないままアスペルガーの特性がある人は過ごすのである。
なので、どんな場面でも『・・・ふぅ』だの『おっきした』だの書いたり、
『素晴らしく性的(な表現が出来ている)』と賞賛を伝えたのに何故喜ばないのか?何故怒られるのか?(ハテナ)となってしまうのである。
これを明示的に説明し教える義務を負うのは、どう考えてもオタクコミュニティーではなく親のはずだが、冒頭に書いた通り、何故か日本の親は社会に丸投げ(ネグレクト)なのである。
親も子と同じ特性持っていてツッコミ不在(違和感に気付かない)だったの???みたいな
残念ながら日本語では女性に重点を置いた発達障害(特にASD)の性にまつわる書籍しか見つからなかったが、
Sex Education for Teens With Autism とかで検索するといろんな資料が出てくると思うよ。
彼らは、親からも兄弟姉妹からも先輩や友人からも先生や牧師からも自然にセックス意識を学ぶことはできないとして、
様々な親向けの資料、当事者向けの学習資料があるよ。
エロ漫画模倣した性犯罪者が既に出てるし、クジラックス先生も警察に事情聴取受けてるし。何故、レーティングがあるかをちゃんと考えた方がいい
ご本人のツイートをご覧くださいまし↓
https://twitter.com/i/events/874829028212916224?s=20
子どもへの性加害経験のある患者の95%以上が、子どものわいせつな写真や動画のみならず、マンガやアニメなども含め、なんらかの児童ポルノを自慰行為に使用したことがあるそうです。
一方で、児童ポルノにあたるようなものを買い集め、実際の加害も繰り返してきた。自身を小児性愛障害だと自覚したきっかけは何だったのか。
「きっかけは大学時代に読んだ児童ポルノコミックです。ただ、当時は、小児性愛者としての自覚はなく、少年愛というかたちで自分の性の枠組みを正当化していました」(加藤孝さん)
相手も気持ちいいだろうとか、大したことないだろうとか、軽く捉えていました。
https://withnews.jp/article/f0210824001qq000000000000000W0fp10101qq000023477A
私が物事を判断する基準は、自分が誰かを傷つけるかどうか、または相手に傷つけられるかどうかということです。
しかし、セックスに関して言えば、傷つけられるどころか気持ちがよくなり、快感を得られるなど、私の判断基準からすると、悪いことにはならないのです。
ですから、なぜ家族や先生とセックスをしてはいけないのか、なぜ会ったばかりのよく知らない人とセックスをすることが悪いとされているのか、理解できずにいました。
▼彼や夫以外とセックスをしてはいけない理由は? アスピーガール、そして「ノー」と言えない女性のための「アスピーガールの心と体を守る性のルール」
知的障害・発達障害ほか現実とフィクションの境が生まれつき曖昧な人、社会通念ガン無視でセックスしちゃう人の存在を無視し過ぎ
増田の常駐しているある人に顕著なんだが
ちょっと尋常じゃなく文章が読めない(推察出来ない因果が読めない前提知識が無さすぎる)人がいる
やっぱそういう人は障がい者手帳取れるなら取っておいた方が良いと思いますわ
ただ、リアルでやるのは慎重にな
発達障害・知的障害で『精神障害者保健福祉手帳』『療育手帳(愛の手帳)』を取る(軽度知的障害と認定される)ことによって
むしろさまざまな支援が受けられるようになる。だからプロ弱者は診断ガチャ回しまくる
なにがそんなに理解が難しいのかわからん。今度はまた何にかぶれたの?
責めるなら、『精神障害者でほぼほぼ判断能力に問題あるやろ』って本音では思っていても、
それを表で実名やID付きで口にしちゃアカンでしょって言う一点のみだよ。フツーは我が身可愛くて出来ない
精神障害者として判定されていない人を精神障害者として扱ってはいけないし、
精神障害者であっても自己決定は尊重されるべきだし、どこまでの手助けがいるのかは専門機関が個別に判断することだ
無から有は生じない。「ゲーム障害」も、そうすることで効用が生じる人たちが主張する。
引きこもりが「ゲーム障害」であれば、それは精神科への受診という形で「しょっぴく」理由になるし、
精神障害者保健福祉手帳をもらって障害基礎年金を受給できる立場だと分かれば、今後の生活も(一応は)心配いらないためである。
少なからぬ引きこもりは発達障害であり、発達障害はすでに精神障害者保健福祉手帳を貰えるのだから、
しかし、私自身引きこもり当事者だからわかるのだが、引きこもりは基本「しょっぴかれるような真似」はしない。
発達障害の疑いがあるから精神科を受診しようと言われれば、それにはあたらないと言って拒否する。
家庭内暴力も、「本人も反省していますし」「ご家族で話し合って」という言質を引き出せる程度の、警察にしょっぴかれない範囲で行う。
引きこもりによって生じる膨大な余暇の依存先も、アルコールや薬(未成年ならタバコも)や非行にはいかない。
アルコール依存症や薬物中毒の当事者会へ「しょっぴかれるような真似」はしない。
引きこもりがゲームに依存しがちなのは、引きこもりを安全に継続する上で都合が良いからである。
もしこれが「ゲーム障害」となれば、いよいよ観念するしかない。
だが、それは引きこもりにとっては救いなのかもしれない。
要するに、この状態を抜け出すだけのきっかけを得て、今後の生活の心配を取り除きたいのである。
精神障害者保健福祉手帳2級所持者として、これを釣りと断定せず真面目に答えたいと思う。
この元増田の記事はヘイトに該当すると思う。よってあなたの書いたこの記事を通報させてもらう。
精神障害者関連コミュニティにいるとよく分かるんだけど、鉄オタ入ってる発達障害者が多い影響なのかは知らないが、鉄道運賃の割引が身体や知的には適用されても精神には適用されないことを異常に問題視して抗議運動してる人がめちゃくちゃ多い。
それを知っての釣りならなかなか高度だ。
私は都内在住だが鉄道なんて通院時にしか乗らんし、都営交通無料券があるだけで十分であり、私鉄に割引なんて求めてない。
自立支援(精神通院)といい、手帳提示による割引制度といい、精神障害者は経済的に保護されてるのを実感するし、ありがたいと思ってる。
●結論
精神科に行って薬出してもらって3ヶ月様子見ろ
●本論
まず初めに言っておくと俺は「うつ病」認定されて精神障害者保健福祉手帳持ってる(3級)
昔の仕事関係でうつ病発症してから2年くらいニートしてたけど、貯金がヤバくなったから派遣バイトから始めて今は契約社員で年収200万代だけど働いてる。
通ってる病院の医者からは「お前は労務不能状態だから仕事すんの無理。市役所にもお前の診断書送って『生活保護受けられるように段取りしておいて』って伝えてあるからすぐ市役所行け」って言われた。
(生活保護だけは嫌だったから申請取り消しのための書類とか書いた。国は生活保護者減らそうとしてるんじゃないの?なんで俺が預かり知らないところで申請通ってるの?とは思う)
・気分が落ち込んでるからといって何もしない
・人によっては仕事する時間帯は気分が落ちるけど終業後は元気(非定型うつ)
大体この3つのうち1〜3点に当てはまる。(俺調べ)
俺も出勤前にドアの開け方が分からなくなって欠勤した経験とか、スマホや小説の文字が滑って読めない、文字が浮き上がって部屋中に飛んでいった経験もあるし。
でも程度にもよるけど、うつ病患者って365日24時間うつなわけじゃないんだ。
わりと体動かせる日もあるんだ。
周りの自称うつ病の話聞いてると「こいつ頭湧いてんのか」って何回も思った事ある。
整形外科とか行くよな。
39℃の熱が出たらどうする?
内科行って解熱剤とか諸々薬貰ってくるよな。
「精神病扱いされたくない」「精神科行くのが恥ずかしい」「プライドがあるから俺は行きたくない」とかなんかしら理由をつけて行かない。
もちろん診察を受けようとして電話した人も中には居た。
でも今って精神科の受診者が多いから「新規の人は2週間〜1ヶ月後になりますね」って言われて、そこで心折られて諦めちゃう人もいる。
でも何とか初診の予約が出来て予約日に病院行って診てもらって薬まで出してもらった人も居るんだ。
「もっと自分がどれだけ辛い思いをしたかっていう話を聞いて欲しかったのに全然聞いてくれない」
「薬だけ出して薬漬けにしようとしてくる」
みたいな文句つけて2回目から精神科に行かないし貰った薬も飲まない。
これは知識として
という事を知らない人が多すぎるせいだと思う。
「自分がどれだけ苦しい思いをして来たか」っていうのを聞いてくれる(いわゆるカウンセリング)のはカウンセラーとかが居る病院だったり施設だったりするわけだ。
何故なら精神病は「本人の自己申告」に対して「医者がどの精神疾患なのかを推察」して薬を出してるからで、躁うつ病の人にうつ病の薬出す事もあるから。
しかも抗うつ薬なんかはたくさんの種類があって、その中から自分に効果のある薬を見つけないといけないから。
そして2回目の診断で薬が効いたか、前に比べて落ち着きを取り戻したかなんかを判断してまた薬を変えたり量を増減して投薬するわけだ。
「精神科まで行って薬も飲んだのに良くならない、つまり俺はもう治らないんだ」
そんでTwitterで薬の写真載せて「俺は薬漬けにされて苦しんでる」とか呟く。
筋トレで例えると1日30回腹筋した翌日、鏡を見て
って言ってるようなもん。馬鹿か?
自分に合った精神科医と薬を見つけて、最低3ヶ月は様子を見ないと効果は出ない。
ただTwitterでは鍵をかけたりつけたり裏アカ作ってその事仄めかしてしんどいアピールしてる。
今お前が手に持ってるもんは何のためにあるのかマジで考えて欲しい。
自分自身の中だけでやっていけるやつは一生自称うつ病やっててもいいけど、そいつらは人に構ってもらおうとする。
例え相手が仕事中の時間でもそんなの関係無しでLINEやらメール送ってくる。
そして10〜20分返信がないと不安になってまたうつツイートやらリストカットする。
頼むからマジで「あれ、最近不安な気持ちが晴れないな」って思ったらすぐに精神科行ってくれ。
足をしたたかにぶつけてドス黒く変色してる、骨が飛び出てるような奴で「最近なんだか足が痛いんだよな〜」とか言って普通に仕事してるやつが居るか?
そしてお前らみたいなのが居るから、俺のような「うつ病である事を認識し、一生付き合う覚悟をして社会に出てる」人間が割を食う羽目になるんだ。
お前だけが辛いんじゃない。
面接会がどんなものか気になる人もいるかと思うので備忘録的に書いておく。
0. 前提
私は30代女性、発達障害(自閉症スペクトラム)で障害者手帳(精神障害者保健福祉手帳三級)を取得している。今はパートとして一般就労で働いているが、収入面と将来性から転職を検討中だ。ただ、通院の必要性や体調(心理面含む)への不安から、正社員になるなら障害者枠だな、と思っていた。そこでハローワークに行ったところ、面接会のことを教えられ、参加を決めた。
1. 準備
まず、今回の面接会に参加するためには「ハローワークの紹介状」を発行してもらう必要があった。
面接会に来られる企業リストから、面接を受けたい企業を決めて、ハローワークの職員さんに伝えることで、紹介状の発行と同時に面接の時間枠をとってもらう。
私は気になっていた一社のみ参加希望を出したのだが、枠をずらすことで複数企業への応募も可能だ(実際にふた枠連続で別企業の面接を受けている参加者もいた)。
あとは履歴書を準備し(求人によっては職務経歴書を求められることもあるかもしれない)、面接会当日を迎えた。
2. 会場の雰囲気
当日、面接開始時刻の2〜30分前に会場入り。交通アクセスの良い会場が設定されていることが多いと思う。ハローワークの職員の人が大勢いた。
前の枠の面接が終わるまで待機。
他の参加者を見てみると、基本的に皆スーツである(いわゆる就活服)。ただし、私は(年齢的にも)バリバリのリクルートスーツじゃなくても良くない?と思ったので、ジャケットと襟なしブラウスにスカートで参加した。とりあえずビジネスっぽい服装をしていればいいんだと思う。
あくまでも「障害者」就職面接会なので、参加者の障害は様々のようだ。「支援者」の腕章をつけた人と一緒に参加している人も結構いた。おそらく就労支援施設のスタッフだろう。会場の椅子も、二人分が用意されていた。
3. 面接内容
私が面接を受けたのは、小売業会社のバックオフィス部門。話を聞いた感じだと、法定雇用率の問題から障害者雇用を進めていきたいものの、未だ社内での制度整備が進んでおらず手探り状態での募集のようだった。
主な質問内容は以下の通り。
・当社のことを知っていたか
・障害を「発症」した経緯(正確には先天性障害は「発症」するものではないが、とりあえず診断に至った経緯を説明した)
・働く中で、障害があることでどのような困りごとが起こりうるか、どのような配慮が必要か(採用のためというよりは純粋に「障害に対する知識を得たい」という視点を感じた)
質問としてはこんな感じで、後は各問について掘り下げる会話となった。
面接会という形態の特性上、面接一回あたりの制限時間というものが設定されており、それがかなりタイトだと感じた。まだ話せていないことがたくさんある段階で「残り5分です」のアナウンスが聞こえてびっくりした。
結局、障害に関する話だけでほぼ時間を使い切る形となった。志望動機や業務内容など、いわゆる「面接で聞かれるor聞く話」に関しては、(もし今回の面接に通ったら)二次面接ですることになるのかもしれない。
4. 感想など
一つのフロアに数多くのブースが設置され、そこで一斉に面接が行われるというシチュエーションは、なかなか新鮮だった(どうしてもガヤガヤするので、聞き取りが苦手な人は要対策)。私は一社のみの応募だったが、何社も応募する人にとっては、とても効率の良い形式だろう。
募集職種としては、いわゆる軽作業系が多いのは確かだが、割と幅広い求人が出ていたと思う(都会の方の面接会ならさらに選択肢が多いはず)。ハローワークの職員さんによく話を聞くといいかもしれない。
また、当事者として生きていると気づかないが、「普通」の人たちは意識して知ろうとしない限り、障害とは何か、どのようなものか、どんな配慮が必要か、といった「知識」を持っていない(どんなに優しくて親切な人でも)。だからこそ、よく言われるように「自分の障害を深く理解し説明する力」が、障害者雇用面接の場面では重要になるのだろう。
以上、私が参加したハローワーク主催の障害者就職面接会の概要を述べた。
何かの参考になれば幸いである。
これから加齢によって生じるオタク趣味…娯楽の消費に関する食指の動かなさから感じた人生の正しいライフステージと、筆者自身が抱えている発達障害との関係性、そして現代の世の中について乱文をしたためていく。
ご覧の通り、主語が大きくやや誇張しているような表現を多く含むが、個人的にかなり深刻な問題なのでわざとオーバーに書いている。ご容赦願いたい。
また、とにかく書きたいことを書いたため本文中の出典に関しては省略している。必要があればタイミングを見て追加するかもしれない。
まずはじめに、私はそろそろアラサーに差し掛かりそうな20代半ばの年代だ。
新卒時にちょうどコロナ禍が始まり、業界に対する打撃で案件が来ずロクな仕事を与えられないまま転職、人間関係の不和でひと月経たずに退職し、しばらくして職業訓練で茶を濁しながら10ヶ月ほどの無職期間を経て、今年4月に障害者枠で総務として勤務を始めた。一応今現在まで仕事はなんとか続いているが、障害者枠なので周りが残業していても基本定時で帰してもらえるし、電話応対もない。
そう、私自身が発達障害者だ。ASD(自閉スペクトラム症)で診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得している。
ひたすらコミュニケーションが苦手で、変化に適応できなくて、その時関心を持ったものにしか興味が持てず、短期記憶が著しく弱く、どうでもいい長期記憶が異常に強く、反復脳死作業しかできることがなく、言葉や文字そのままでしか解釈できず、自分の世界で全てを判断するような性質がある。そして自分が慣れているもの以外の刺激に対して非常に弱い。
そしてプライベートではイラストや漫画、アニメ、ゲーム、動画など、所謂オタク趣味を謳歌している。毎クールごとに気になったアニメをチェックだけし、流行っているソシャゲや動画配信には手を出し、好きなジャンルの二次創作を逐一チェックし、商業同人問わず漫画を購読し、絵に描いたようなオタクライフを満喫しているわけではない。
実際のところはこんな感じだ。
・その割にツイ廃だと思われたくなくて反応は控えめ
・据え置きゲームも中盤あたりで詰み、最後までクリアできたためしがない
・絵は月一で描くという自分ルールを設けたが、毎回月末になって慌てて描いている
・新しい漫画やアニメ、ソシャゲは刺激されて疲れるのが嫌でWikipediaと公式サイトの文を読んで満足
・4つある自ジャンル(いずれも旬ではない)の情報だけはしっかり追っている。ただしコンテンツそのものよりも運営や民度のことばかり気にしてる
・音楽に対するフットワークは軽いと思っていたが、最近のTikTok文化には全くついていけない。ノリも苦手
・そもそも新しいジャンルにハマる元気がない。ずっと広く追わなきゃならないVtuberは全般的に苦手。
・頭の中では常に一次創作の設定のことを考えていて、そのための資料集めのために生きている。なお創作の本編には手を付けられてない
・特に時間がないわけではないが、とにかく疲れてTL巡回以外何もできない
・盛り上がっているオタクを見ると羨ましい
・そのくせに現実(仕事、結婚、育児、介護など)としっかり向き合っている周囲の人を見ると不安になって焦る
趣味を楽しみたい欲望だけ募らせて「疲れた」を理由に何もせず、同時に現実を見て生きている人たちにも劣等感を抱くという、オタクにも一般人にもなれないモンスターと化してしまった。
これは自分でもまずいと思うが、どうにも意識してコントロールできることでもないようだ。
このように気力不足で何もできず劣等感だけ募らせている私が、普段何ならできているのかを列挙する。
・盛り上がっているオタクの観察
・一応惰性で見ているアニメの実況
・オタクや推し絵師やリアル知人の生存確認(唐突にいろんな人物が頭に浮かび大抵更新が止まっててショックを受ける。発達障害あるあるだと思う)
・自ジャンルのアフィブログの愚痴記事のコメント欄や5ちゃんねるの愚痴スレをひたすら監視(界隈やコンテンツの問題点も踏まえて正しく把握するため)
・Twitterのトレンドから社会問題に関する考察(という名の悲観的な被害妄想)
・数年前の一番楽しかった頃に描いた絵や当時やり取りしていた旧友(今はほとんど疎遠)とのメッセージを見返して心を痛める
・自分の脳内にある情報だけで一次創作の世界観の設定を練りまくる。どう頑張っても中学生の黒歴史ノートレベルのクオリティにしかならない
一通り書いてみたが、本当に精神衛生上良くないものばかりなことに気付かされる。ただ、脳汁が出てやめられないのだ。
こんなことをしている暇があるのなら勉強するなり作品鑑賞をするなりすればいいのに、前述の通り興味関心が向かなかったり趣味にかまけることに罪悪感があったりで何もしない癖にTwitterや5ちゃんやアフィのコメ欄やまとめブログばかり見て心を傷つけている。こうやっていつも言い訳しかしない。
私がこうなったのも、世の中の流れや身の回りの人間の変化も少なからず影響している。
これがかなり大きい。一応私も社会人3年生で、周りの友人もバリバリ働いている。
当時一緒にオタクして楽しんでた友人たちもだ。彼ら彼女らは私以上に見る影もなく、家を会社を往復するだけの虚無な人生(本人談)を歩んでいるそうだ。時間を犠牲に金だけを生み出し、その半分ほどを税金や必要経費で持ってかれているので貯金も満足にできないらしい。
問題なのは仕事に対して楽しんでいるわけでもなく、常に辞めたい辛いなど愚痴を吐きながらなんとか繋ぎ止めている状態なのである。転職を勧めても、もう一度就職活動する方が苦痛だから今のままでいいという派が圧倒的だった。
なんなら社会に出た途端SNSから手を引き、音信不通になった人もたくさんいる。久しぶりに話せたかと思えば、仕事以外は何もできてないとのことである。
会社の手となり足となる人生以外の選択肢を潰したのだろう。きっとそれは正しいことだ。
正直、私から見れば友人らは圧倒的につまらない人間になった。いや、社会がそういう人間を望んでいるのかもしれない。
自分の好きなことのために生きているオタクこそ、社会にとっては癌なのだ。強い自我は社会の歯車を回すにあたっては邪魔なだけだ。
つまり社会に出れば社畜化することの方が求められていて、あたかもそれが正しいことのように錯覚している。
そして、こういう人生の話と切り離せないのが結婚出産だが、私の身の回りに既婚者は2,3人ほどしか確認できていない。みんなとっとと結婚して親を安心させるのかなと思えば社畜街道まっしぐらな方向性を選んだ人の方が多かったようだ。
その既婚者たちも、子どもができれば家庭優先になるのは当たり前である。趣味を謳歌する余裕などない。
ただ、それが正しいのだ。いつまでも好きなことをしてるクソガキであろうとする私が間違っている。そういう人たちを見ると、なおさらそう思う。
たまに話もするが、仲良く絡んでたときとは価値観が打って変わってしまった。いや、私が変わらなすぎるのかもしれない。
私はこのように、世の中に求められている使命をしっかり果たしている人たちの足元にも及ばないのが悔しくて仕方ない。人間不信も相まって生まれてこの方恋愛したことないのに、どこで挽回できようか。
だからオタクみたいなことを続けるのに抵抗が生じてしまうのだ。
身の回りのオタク友人だけじゃない。ネットにいる二次創作絵師やフォロワーも例外ではない。
2020年あたりを境に、Twitterの更新が止まったりアカウントを削除したり、動いてはいるものの低浮上になったりしている作家やフォロワーがたくさん増えてきた。
それは、コロナ前の同人誌即売会で購入した作者の現在を調べて初めて判明する事実だったりする。こういうことを慢性的にやってしまう。
何が何であれ、別れというものには耐えられない。いや、慣れてないだけなのかもしれない。
なんせ一方的に観察してるだけなので、少しでも顔を見せないと生存そのものが心配になってしまう。
理由について推測する。
コロナ禍では巣ごもりが奨励されており、創作は流行るだろうと思っていたが現実は真逆だった。本の印刷という明確な納期がなくなったことによりモチベーションが著しく減退したサークルが多く確認されている。今回控えているC100もサークル数は前回比で減っており、同人需要すら落ちているようだ。
「オンライン推奨なんだからWebオンリーとかコミッションとかが主流になったのでは?」とツッコまれそうだが、私が言いたいのは”ネットに顔すら出さなくなったクリエイターが爆増している”ということである。これは正直巣ごもり関係なく、何らかのタイミングで起きていると思われる。何故コロナのタイミングで、とは思うが人手不足の穴埋めをさせられたり、単純に業務量が上記を逸していたりするのだろう。基本的に観測できる範囲には真面目な人ばかりだ。
私が新卒で入社した会社はコロナで仕事がなくなった業種だが、逆に多忙を極めている業種もある。オタクの本業とは一体何なのか…もし医者やSEといった仕事が主流なら、私はまた(人生スペックに対する)嫉妬に狂ってしまう。みんなちゃんと仕事しているし、会社に殺されてこき使われてるのだ。
そもそも想像力が乏しいので、人間はみんな四六時中SNSを見ていて当たり前だと思っているフシがある。全員がそうとは限らないだろうが。
私みたいに、常にネットから得た知識でこれから起こることに対して悲観的な妄想をしたり、目の前のことをかなぐり捨てて現実逃避しているわけがないのだ。
ネットのオタクからも「現実をちゃんと生きているのに」という劣等感は強く感じる。普通に中の人は人間なのだから。社会を回して当然だ
だが、ここまで仕事に忙殺させてもなお終わらない無茶なタスク振りや、いくら働いてもまともに暮らせない賃金体系にも問題があるのではないのか?
こうなると社会そのものへの愚痴になるのでこのあたりで留めておく。
ここまでつらつらと書いてきたが、私自身も趣味に対して食指が動かなくなったわりにオタク気質だけは残ったままになっている。”キモオタ”から”オタ”を取った”キモ”状態だ。
現にアニメ・マンガ・ゲームとかに触れずとも、Twitterの逐一巡回やアフィなどの監視を惰性でやって時間を浪費している奴をまともと呼ぶわけがないだろう。
何故楽しかったあの頃より熱が冷め、エアプマンになったのか分析していこうと思う。
まぁこれに尽きる。正式に言うと「ネガポジ問わず刺激によって疲れる」のが嫌になった。フィジカルもあるが、メンタルの話だ。
人が一度に受けられる刺激には限度があると思う。これを超えると心身に悪影響を及ぼしかねない。そしてその容量は年齢に反比例している。
仕事は当然神経をすり減らして責任を持って取り組まなければならない。その時点で一日に受けられる刺激量はとっくに超えている。そんな状態じゃコンテンツを摂取することで何らかの感情をかき乱すなんて疲れるだけだというようになり、いつしか避けるようになる。
長い文章が読めなくなるのもこれだ。重く激しい展開を忌み嫌うのもこれだ。
私はアニメやゲームを実況することが生きがいだ。初見の感想を記録し、未来の自分の役に立てたいという気持ちが強い。
ただ、半ばそれが義務や使命と化していて正直かなり疲れている。ASDは自分のタスクを輪に組み込んでしまえば永久的に続けられる性質があるが、それは「何も考えずにできること」限定であり、実況や考察など自分の言葉を紡ぐ行為はかなり消耗する。この文章だって3時間かけて執筆している。
作品に触れているのだから、何らかの感想を残さねばという自分自身に課した強迫観念のようなものが私には存在する。
そんなことを思いながらも、基本的に自分の頭のデータベースに情報を一気に突っ込めなくなり、処理もできなくなっていってる。
旬コンテンツに触れないと置いていかれる観念もこれだ。名前を出してしまうと、「100日後に死ぬワニ」や「モルカー」や「タコピーの原罪」などが一斉に流行りだすと、未履修の人間はツイッターランドにおける非国民であるような気持ちになる。
Twitterのトレンドが特定のコンテンツで一色になっているのも、同調圧力を感じて疲れてしまう。追えてないことに残念な気持ちになるが、追う元気もない。
そんな感じで、うっすらとした気質だけ抜けられないまま、置いていかれないように上澄みだけ啜っているのが今である。
何度も述べている通りである。大人になるとは、社会を回すために責任を持って使命を遂行することである。
その使命を放棄し、自分の好きなことばかりに現を抜かすなど、人間としてあってはならない。そんなことが許されるのは大学生までだ。
人間には、生物として繁殖しなくてはいけない義務がある。日本国憲法においては、教育・労働・納税の義務がある。
つまり、仕事や育児から逃げるのは罪なのだ。その逃げとは、趣味のことである。
普通の人間は社会に出れば「個人」をやめ、「社員」なり「役職」なり、はたまた「親」なりの肩書を持つ。名前なんて呼ばれなくなるだろう。必要なくなるだろう。
オタクは「個人」のままできるが、それは大人になった瞬間捨てなければならない。肩書にふさわしい義務を果たさなくてはならない。
私は、20代も後半に差し掛かるというのにこれらの義務を果たせる予兆がまるでない。仕事も、同年代と比べると誰でもできるようなことしかしてないしはっきり言ってぬるい。
結婚だって、恋愛を嫌がっているのだから当然できるわけがない。人間との共存に本気で虫酸が走る。
そんな奴が適齢期になっても責務から逃げ、いつまでもガキ臭いことをする道理が見当たらない。その結果、打開策が見えず将来を憂いているだけで何もできない生き物になってしまった。
何度も言うが、逃げとは責任の放棄であり罪だ、そしてその逃避こそが趣味なのだ。
こんな経験はないだろうか。「作品よりもスタッフや運営に注目するようになった」と。
コンテンツにゴリゴリに入り込んで感情移入するのは、幼い子のやり方だ。夢女子がそれとも言われるが、傍から見れば虚構と現実の区別がついてないように見える。
それをいい歳こいた大人がやれば、立派な精神異常者だ。作品の世界に入り込むなど、これこそ先程から罪だと言っている現実逃避にほかならないだろう。
そして、ある程度読解力が育ってくれば作中のモチーフや描写、張られた伏線などから「考察」というものをするようになる。この段階でやっと観客になれるのだ。その考察も、ガキの魂胆で行えばただの妄想に成り下がるが。
では、そのようなコンテンツの見方に慣れると作品をどのように見るようになるのか?
答えは「構造批判」である。作品の評価をファンの民度やスタッフの質、運営の対応などで行うようになる。特にお金の話と絡めたがる。
作品同士を「このジャンル、ファンがクソガキしかいない」「なろうテンプレだなこれは」「お涙頂戴ねはいはい」「運営のおっさんはこれが儲かると思ってんだなぁ」と比較や批判するようになる。Twitter民にも心当たりはあるだろう。
こういう考えはコンテンツ研究する立場においては大いにアリだが、普通に楽しむにあたってはノイズになりかねない。なんなら「構造批判」するために作品に触れる(たまに触れてすらいない)ようになり、叩くのが目的になる。
そうすれば、何を見ても昔のような楽しさは感じられないだろう。
現代は情報化社会だ。誰もがクリエイターになれるし、どんなものもスマホひとつで手軽に大量消費できる。
そうなれば必然的にコンテンツで溢れかえる。取捨選択が難しくなる。
これらの流れをくんで、最近ではAIが閲覧傾向を読んで勝手にレコメンドしてくれる。口を開ければ合うものを放り込まれる。そしてなんとなく偏っている。
ただ、なるべく偏らせないで色々見たい人は、とりあえず全部手にとって味見する。その絶対数は一生に捌ききれないほど多い。
本人は事故でケガをしたという認識はあるが、自身の能力に障害を負ったとは思っておらず、病識がない。
しかしながら実際はボロボロで、事務はほぼできない。でも権利・人権の主張は一人前だとかなんとか。
本人にフォローを与えたことがある人たちは、エピソードの披露に余念がない(ほぼ悪口としか思えないが)。
私は勤務している事業所が違うので、そんな状況をただ聞いているだけなのだが、それでもいたたまれない気分になる。
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本当なら、事故後にちゃんと観察して、そこから検査と診断を経て、本人にきちんと病識を持たせて、自立訓練など受けさせ、リハビリののちにゆっくりした社会復帰の方法を検討すべきだったと思う。
事故のときは見過ごされたのか、直後は軽度すぎたのか、近年悪化したのか、はたまた本人や親族が認めたがらなかった(病識を持たせるのに失敗した)のかはわからない。
親族は、事故のとき何もしなかったのだろうか。今はどうなのか。
関係者の勧めで過去に精神障害者保健福祉手帳の交付を受けたことはあったらしい。勤務する上での助言もなされたとか。しかし手帳交付の2年後、本人は手帳の更新を拒否したという(精神の手帳は2年更新)。
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上層部は、本人が自己退職するように仕向けているといううわさを聞いた。
本当にいたたまれない。
『お前の知能で考えたことはまともじゃないので従いなさい』って公然とリアルで言うのイカンでしょってだけです
増田自身もリアルじゃ言わないって認めたでしょ、現実で頑張っている人間には言えるわきゃねぇのです、
ダブスタなんかじゃない当たり前のことだね。ただそれだけで、以上でも以下でもないです
『お前の知能で考えたことはまともじゃないので従いなさい』と言うのがイカンって話やで
文明人なら我が身可愛くてとてもとても表では言えません
発達障害・知的障害で『精神障害者保健福祉手帳』『療育手帳(愛の手帳)』を取る(軽度知的障害と認定される)ことによって
むしろさまざまな支援が受けられるようになる。なにがそんなに理解が難しいのかわからん
今度はまた何にかぶれたの?
責めるなら、『精神障害者でほぼほぼ判断能力に問題あるやろ』って本音では思っていても、
それを表で実名やID付きで口にしちゃアカンでしょって言う一点のみだよ。フツーは我が身可愛くて出来ない
精神障害者として判定されていない人を精神障害者として扱ってはいけないし、
精神障害者であっても自己決定は尊重されるべきだし、どこまでの手助けがいるのかは専門機関が個別に判断することだ
ぶっちゃけ『ほぼほぼ判断能力に問題があるのでノーカンでいいよ。黙って従っておけ』とは誰もが本音では思ってるけど
良いか悪いかについてはここでは言及しないが手帳取得支援とかもあったりするよ
「うつ」などの二次障害がないと受け入れられないことが過去にはあったものの、国の方針が明確になった2010年ごろから二次障害がなくても発達障害の方の障害者手帳取得が急激に増えています。(最近では手帳を申請して断られることはほとんどありません。)
手帳の種類は知的障害のある場合は「療育手帳」であり、大人になって発達障害がわかった場合の多くは「精神障害者保健福祉手帳」となります。
手帳は「障害者枠」での就職を目的に申請されるケースが一般的です。
発達障害は2000年以降に診断が増えてきた「第4の障害」です。
このため、発達障害者への障害者手帳はすでにある3障害(身体・知的・精神)の支援制度に後から組み込まれる形になりました。つまり発達障害”専用”の障害者手帳はありません。
ただし、知的に遅れがない場合は「精神障害者保健福祉手帳」を、知的に遅れのある発達障害の人は「療育手帳」を取得できます。
「申請しても発行されないのではないか」と不安がる人が多いですが、原則申請すれば取得できます。
実際2010年に障害者自立支援法が改正され、精神障害者の中に発達障害者が含まれると明記されたことも大きいでしょう。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/jiritsukaiseihou/
あと、増田のいう"まともに食えない"とは?
まったく別のトピックだし、
発達障害・知的障害で『精神障害者保健福祉手帳』『療育手帳(愛の手帳)』を取る(軽度知的障害と認定される)ことによって
むしろさまざまな支援が受けられるようになる。なにがそんなに理解が難しいのかわからん
今度はまた何にかぶれたの?
責めるなら、『精神障害者でほぼほぼ判断能力に問題あるやろ』って本音では思っていても、
それを表で実名やID付きで口にしちゃアカンでしょって言う一点のみだよ。フツーは我が身可愛くて出来ない
精神障害者として判定されていない人を精神障害者として扱ってはいけないし、
精神障害者であっても自己決定は尊重されるべきだし、どこまでの手助けがいるのかは専門機関が個別に判断することだ
いいえ、単純なTPOの話です。TPOが理解出来ているので本音を使い分けるんです
何度でも繰り返すけど、
深刻な人は、障害者手帳>精神障害者保健福祉手帳ではなく、
療育手帳(愛の手帳)、知的障害があると判定された方に交付される手帳が出る
なので単なる事実ってヤツです。そして単なる事実に基づく区別です
あと、『本音では保護者が必要な人だと思ってる』って開き直ってるのは、
『人間の尊厳と自立の在り方』もしくは『アイデンティティの尊重と人間の尊厳』の話なので
人間に向き合い常に心砕いている徳の高い人を前にしたら時なら、自分が恥ずかしくて黙るかもね
あるいは言い訳をするかも
衝撃的だった。国会が動いたんだから。一人の母親の叫びは国を動かした。今でも凄いと思う。
話は変わって、てんかんがメディアに取り上げられる時は大体悪印象を持たれる。なぜなら死者が出るから。
車を運転していて、意識を失ってハンドル操作を誤った…なんていうのがよく見るものだと思う。ヤフーニュースのコメント欄には「てんかんの奴は運転するな」とか書かれている。他にはてんかん患者の意見があるが、大半は前者のコメントで占められる。まあ、実際てんかん患者は自動車は勿論、バイクの運転免許の取得が出来ない。条件として、発作が2年以上起きていないこと、薬の副作用が運転に支障がない(眠気などがないこと)などがある。医師の診断をクリアして初めて教習所に行くことができる。人によっては一生車を運転出来ない人もいる。そういう人たちの移動手段は公共交通機関が主流だ。でもこういう事故が起きるのは、社会福祉の制度に問題があるからと思う。「てんかんって障害者手帳取れるんでしょ?それ使えばいいじゃん」と考える人もいるでしょう。確かにてんかんは障害者手帳の取得が出来る。でも、多くの人の交通の足であるJRの割引は適用されない。なぜなら、てんかんは精神障害者保健福祉手帳の対象疾患だからだ。
高校2年生の時、発作が起きてその9日後にまた起きた。それを踏まえて、病院で自転車に乗ることを止められた。自転車を漕いでいる時に発作が起きて意識を失って転んだり、車とぶつかったりしたら、命に関わるからだ。学校までたった一駅の距離を電車で通学することになった。定期代もかなりかかった。ちなみに、自転車に乗れるようになったのは、半年経ってから。乗ってもいいとは言われたけど、あまり良い顔はされなかった。今でも教習所には行けないので、移動手段は限られている。
学割が効いて安くはなったけど、ふと思った。もし私が社会人だったら?会社が交通費を負担してくれるというのはさておき。バスやタクシーは、割引してくれるところはたまにあるけど、JRはない。定期代、バカにならない金額になるのでは?自転車に乗れない上に、車も運転出来ない。事故が起きて誰かが死ぬよりも、国が社会保障関係費にお金を回す方が良いんじゃないの?それに、てんかんは精神疾患じゃない。神経だよ。なんで「精神障害者保健福祉手帳」の対象なんだよ。症状が軽くなって要らなくなる可能性があるから?なんでなんだ。もしこれを政治家の方が見ていたらちょっと頭に置いてください。
精神障害者保健福祉手帳に、JRの割引を加えてください。悲惨な事故を一件でも減らす為に必要なことであると思います。
これで国が動くとは思えない。でもこれに賛同してくれる人が沢山いれば、動くのかもしれない思っている。