はてなキーワード: 権威とは
本質がわかってれば安いワインで十分!何ならジュースの方が美味しい!高いワインを飲んでるのは値札を見てるだけの馬鹿で鼻持ちならないスノッブ!みたいな酸っぱいぶどうブコメが多いだろう?
そんな中「ワイン検定シルバー」というなんかよくわからないけど権威っぽい奴がぶどうジュースの方が好きと言ってるのをみると
内容と経緯としてはこれを読んでる人はまぁみんな分かってると思う。
北海道で開催される予定のアニソンDJイベントで、男性は1600円、女性は50000円の入場料設定がされていて、参加者の一名が「女要らん」という趣旨のツイートを投稿。これを見た某19歳の女性がこれを男女差別と批判、Twitterで問題提起した結果、DJイベント界隈の中で反響を呼び現在に至る。
ざっくりと説明するとこんな感じ。
これを見て思ったことがあるけど、巻き込まれたくないのでここで書きたいと思う。というか件の19歳の方も「嫌われて悲しい」みたいな話をTwitterでするなら、最初の問題提起も匿名にすればよかったのではと思わないでもないけど。
ちなみに私はフロアシーンにもよく顔を出すけど、北海道民ではない。
件のイベントの方も悪ノリが過ぎたと思う。そこは反省すべき点のひとつだと思うし、真摯に対応して欲しいと思っています。
ただ、この問題の大きなポイントとして、19歳の方(以下Aさんとする)に行動の責任能力がなさすぎる。
まずはこれがめちゃくちゃ大きいと思う。男女差別容認と思われるのも嫌なので最初にハッキリとさせておくと私の主張としては、まず「女要らん」はマジで良くないと思ってる。
思ってるけど、このAさんの行動があまりにも良くなさ過ぎて、どっちもどっちやんというのが外から見た印象。
Twitterというものは不特定多数が見るもので、言ってしまえばこれをダシにして北海道のクラブのフロアシーンを壊すことで徳をする人が出てきてもおかしくないと思う。Aさんにも「変な宗教、フェミニストに絡まれる可能性」ももちろん出てくるし、いわゆるみんなが見える表垢でこんなことをすると、このイベントの関係者に嫌がらせを受けるかもしれないリスクもある。だから当人間で問題は解決されるべきで、解決が見込めない場合に全体周知をして、世間に意見を求めるという形をとる方が、後々自分も相手も傷が少なくて済む。これが基本的な問題解決に向けての考え方だと思う。
一方でAさんのとった行動は、本人は「フロアシーンを壊す気は無い」「開催するなとは言ってない」と再三言っているが、「おもんな!!」や「何が楽しいの?」と言う言葉を不特定多数が見える領域で使っている。
加えて、問題提起から数日経っても「イベント主催者がだんまり決め込んでる!イベント主催者としてどうなの?」や「姉が女要らん告知した人が、それを消したのダサイって言ってます」といった、言うなれば批判をする上でどう考えても必要以上の攻撃性を見せ続けている。言ってしまえば問題を再燃させようとしている。
傍目ではどう見ても自分を認めないイベントとフロアシーンを潰そうとしてるように見えてしまう。
その上でAさんは「嫌われただけで問題解決できなかったのは悲しい。」というスタンスのツイートをされている。
もうここでハッキリさせておくと、そりゃ嫌われるよな。というのが私の印象。
これは批判された側、されてない側関係なく、ここまで攻撃的にイベントを見てる人に目をつけられると自分のイベントやDJにAさんからみて嫌なところがあると「同じことされるんじゃないか」ということを考えてリスクヘッジしたら、避けたりするのは当然といえば当然。
ただ、Aさんの主張である「攻撃的なDMが札幌の方から次々届いている」というのが事実なら、やった人は札幌フロアシーンを何も考えてないと思う。ここまでやるAさんがそのDMを晒したら、その攻撃的DMを送った人の所属イベント、主催イベントはそういうことをする人がいるという印象がつく可能性が高い。少なくとも私もそんなことする人がいるイベントには行きたくはない。その時点で私なら名前隠さずに攻撃的DMしてきた人を晒す。だって悪意のある攻撃だからね。今Aさんがやらない理由がイマイチ分からないけれど。捨て垢とかからやられてるならそれが札幌の人かどうか分からないと思うし、どうやって札幌の人って特定してるんだろう。
それは置いておいて、Aさんが本当に「札幌の人達と仲良くしたい」なら、まずしたほうがいいこととして、件のツイートを全部消して、該当イベントの主催者とDMかサシで話すこと。相手が応じないならもうそのイベントの関係者とは関わらないこと。どうしても問題化したいなら、本人が話すのではなくて、信じられる大人の方を通すこと。
法律的にも責任能力があるとは言えない未成年が矢面に立つ現状は見栄えが良くないし、発言を見てると怒りと問題提起がごっちゃになってるように見えるので、一旦自分の発言にも悪いこと、やってはいけないことがあることを理解したほうがいいと思う。
ここからは私の感情論になるけど、自分の姉がこう言ってましたって趣旨のツイートをRTして「手が滑ったーーー」とかやってるのは本当に第三者として気分が悪い。男女差別を批判したいのならやる必要が本当にない。かつ自分の姉も問題に巻き込んで、危険に晒してることを微塵も理解してない。
もっというとスペースを開いて何人かの大人が話をしてる中一生聞こえてきたスプラトゥーンのプレイ音。
本当に男女差別という問題を真面目に考えてるのか?と思いました。自分が嫌なこと、不快に感じたことを感情で叩いて、反撃にあったら「皆にいじめられます」は子供の理論だよ。発言には責任が伴う。批判が伴う。それが大人になるってことだと思う。
そのあたりをまず1回ちゃんと考えて欲しい。
こんなことを続けてると、DJイベント界隈だけではなくて、どこに行っても嫌われたり叩かれたりする人になってしまうと思うし、誰からも信用されない人になってしまうと思う。
身内ノリや界隈、権威で良くないことが曖昧になってしまうクラブという場所でこれは良くないってちゃんと言えることは本当にすごいと思ってます。怖いと思うし、言いたくないと思う。
でも、もう少しこれをしたらどうなるかをする前に考えて行動した方がいいと思う。
信頼できる大人を味方につけて、言いたいことをちゃんと「大人の文章」にしてもらってから問題提起をした方がいいと思う。
本人に届くか分からないけど、届いたならこの文章に1回「ふざけんな」と思っても、一旦書いてあることをもう1回読んでみてほしいです。
きちんと読ませてもらって、私の糧にします。
デビット・ライス氏のブログはバランスの取れた議論と時折混ざる素直な感想が好きで、時々読んでいました。
『How to Not Die Alone』の書評とかは、あまり英語の文章を読めないものですから、とても有益で思わずメモを取ったほどです。
先日、私が好きな『責任という虚構』のブログを挙げてるなと思って読んでみて結構びっくりしました。
https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2022/10/04/155546
まず、全体的に内容に基づいた批判というよりも、文体や語り方の批判になっています。しかもかなり口汚くののしるような文体で、かなりショックを受けました。
普段、結構素直に感想を語っていらっしゃるなと思っていましたし、今回も個人の意見の範疇かなと思ったのですが、今回のは批判が結構ズレているし、主張の部分と著者の感想を取り違えているような気がしました。
一部(アンダーソンの手紙の部分)有益な情報はあったのですが、数度読み直してみても、全体的にズレているなと感じました。
普段ほとんど人の書評にケチをつけないですし、内容理解にひどい部分があったとしても特に反応もしませんし、私はあまりネットに名前を出して文章を書きたくないので、どうしようかとも思いましたが、はてな匿名ダイアリーはネットの片隅に残るようなので、少々ずるいかと思いますが、書いてみたいと思います。
気になったのは4つの点です。
一つ目。
書評の中では、ロールズについて書かれた箇所に出てくる「理想郷」という言葉から、理想と現実の対比を引き出して『責任という虚構』は理想論を模索する哲学者を非難しているとして、それに対する再批判を展開しています。
私が本書を読む限り、理想と現実の対比は大して重要な対比ではないです。
ライス氏は「理想的な基準や規範が存在することで、ようやく、「現状の財の配分のされかたは間違っている」と批判したり問題を提起したりすることができる。」と続け、それを理解しない小坂井氏を非難する文章を連ねてますが、この論点は本書の主張に対する批判になっていません。
著者の小坂井氏が言いたいのは、人の行動や社会の動きというのは、人の手を離れて自律運動して生み出されるもので、したがって人の意識や理性でコントロールできるものではないので、そもそもべき論とは雨乞いの踊りのように無意味なものだ、という主張だと思います。
規範について言い換えれば、現実の世界における規範は、論理的だったり理性的に構築されたものではなく、権威などによって根拠づけられていることで初めて人の心理的な抵抗を起こすことなく円滑に機能するので、理性によって規範を人工的に構築しようとしても、規範の生成のメカニズムが異なるのでどこかで無理が生じる、という主張です。
ロボットを作っても出来上がるメカニズムが違うので人間にはならない、というのと同種の主張です。
この主張に反論するならわかりますが、規範を否定しているのに規範論を行う著者は倫理的相対主義のジレンマに陥っているというのは、少なくとも本筋に対する批判ではありません。
実際、哲学者の山口尚氏もライス氏と同じく、小坂井氏の哲学者批判に反論されています。しかし、批判の直接の理由は価値相対主義のジレンマではありません。
https://note.com/free_will/n/n24feea05db99
二つ目。
「哲学者やリベラルやフェミニストなどが「ただしさ」を語ることは否定しながらも、「ただしさがもたらしている悪さ」や「ただしさを語っている連中の悪さ」をあれこれあげつらって非難することで「ただしさ」を語るという自分の行為だけは特権的に許容する」
ということをしていると書いています。ほかのネット論客の方の本を拝読したことがありませんので、それに対するコメントは控えますが、『責任という虚構』を読む限りこの批判はズレていると思います。
一つ目の内容で書きました通り、小坂井氏は、規範論で物事を理解しようとすると、どうしても現実に規範が機能しているメカニズムを無視することになりがちであると主張しています。
これは、政治に利用しようと思って進化を研究すると、進化の本来の仕組みを無視することになるのと同種の主張だと思います。規範が対象なので感情的な反発が起きやすい文章で(正直言えば小坂井氏もちょっとケンカを売っているような気もしますが)、ライス氏の言うようなものではないと思います。
三つ目。
ライス氏は、規範を論じる哲学者たちに小坂井氏が、「傲慢」「偽善」「おぞましい」などの価値判断を含む言葉を使いながら非難を浴びせかけていることについて批判的です。
実際、小坂井氏のほかの著作を読んでも、哲学者に傲慢や偽善、おぞましいと言える根拠はありません。あくまで小坂井氏の主張する範囲では言えば、哲学者は「苦しい言い訳」を捻りだしているだけであり、別にだからと言って哲学者が傲慢だとか偽善だとかおぞましいとかいう主張はできません。
ではこれは何かといえば、小坂井氏のただの感想なのだと思います。
ライス氏のブログで言えば、「好ましく思った」とか「イラっとした」みたいな文章に相当します。
私は小坂井氏にかなり共感していまして、こうした言葉に少し心を揺り動かされたりしますが、でもこれは小坂井氏の感想以上のものではないと思います。
こういう言葉が出てくるのは、小坂井氏にとって学問が、ある種の実存をかけた戦いだからなのでしょう。私はそういう学問観、正直すごい好きです。強く共感します。
でもこれは本筋ではないので、ここに関して批判するのは、好み以上のものではなく、論理的な主張になりえないと思います。
もしここに論理的な批判を加えるのであれば、上述した山口さんの批判文のように、主体を虚構と言っておきながら主体を前提とする「責め」を行っているではないか、というものになるのではないでしょうか。
(とはいえ、このような「責め」が著者によって行われること自体が、主体の"虚構"性を表しているとすら私は思いますので、別にこの本の価値は減じないと思っています。この本の中において、虚構は単なる嘘ではないのですから)
ちなみに、小坂井氏の言う相対主義は認識論的な相対主義のことで、善悪は単独では決まらず、枠組みに依存するという立場のことです。この立場に立てば、「小坂井氏という枠組み内では哲学者は偽善者だ」といっているにすぎないので、特に問題はないと私は感じました。ライス氏の言う「イラっとした」と同じです。枠組みを超えた正しさは主張できないだけで、言う分には問題ないと思います。
四つ目。
正直、上記3つだけであれば、この文章も書かなかったかもしれません。ライス氏の言うことも理解できなくはないですから。
しかし、これがあったので書こうと思いました。
端的に申し上げて、他人の著作の題名を加工するというのは、少々失礼ではないですか。
『責任という虚構』であって、『<責任>という虚構』ではありませんよね。
類似の名称の書籍『〈責任〉の生成』と混同したのかもしれませんが、ブログが書かれてから随分と経たれたのに直っていませんし、別のブログで批判的な言及をされた際にも同じ書き方をしていたので、もしかしたら、意図的なものかなとも思いました。
もし、ただの間違いなのであれば、訂正した方がいいと思います。どんな著作であれ、一生懸命書いたものだと思いますし、関わったのも著者だけではないのですから。
通常、公人に侮辱罪が適応されるハードルはめっちゃ高く、単なるスラップ訴訟だよ
スラップ訴訟とは単に比較弱者を提訴した場合を意味するのではなく、名誉毀損の免責法理である「真実性の法理・(真実)相当性の法理」に当てはまる、誹謗中傷ではない摘示事実であるのにも関わらず、訴訟した場合に使われる表現である。
そこで多数派や権威が「これはこうだ」と解釈したとして、実際にどうなのかというのはまた別の話なのだが、どういうわけかその都合の良い解釈情報を真と考えてしまう人も一定数
「こういう属性の人はこういう行動をする傾向がある」「こういう行動をする人は道徳的にダメだ」といった解釈はかなり注意して批判的に見たほうが良い
あのね、そもそも私はニューロセクシズムのような脳の問題とは言ってないの。よく読んで。
男女の振る舞いの差は、脳という物質単体で見ると巷で言われていることのほとんどは偏見の類と科学の権威も言っていて、それはそうだろうけど、現象としては男女で認知や行動の傾向の違いが生まれてくることは明らかな事実なの。その差が全体的な傾向としての向き不向きを規定できるのも事実。このレベルで言えば偏見や性差別じゃなくて、統計にだってあらわれること。
nature and nurtureって言葉を知ってるかな。人間ってのは、遺伝的な生まれ持った器質と、育ち、つまり後天的社会的に獲得するものとの複雑なミックスで性質が形成されるの。
つまり脳の物質的な男女差が仮にゼロだったとしても、私の言ったような違いが生まれてくることは考えられる。これは脳科学だけじゃなくて、認知科学や発達心理学、社会学まわりも含めたこと。自然人類学と文化人類学を統合した広範囲で見ていかないといけないことなの。
逆に、脳という単一の分野の一部の研究結果にとらわれて、広範で複雑なことを単純化して「それは差別だレッテルだ男女に差はないなんだ」って決めつけてしまうことこそ、非科学的で政治的すぎる態度なんだということをしっかり自覚してほしい。
ニューロセクシズムと言われていることは限られた範囲ではその通りなんだけど、スコープを広げて何にでも適用できるもんじゃない。科学を政治的主張のために都合よく利用している限り、それは悪辣な主張の代名詞になることだってありえる。
大変遅くなりました!!!
本当に今更ですが・・・ちょっと長くなりすぎたのでnoteに返信を書きました。
https://note.com/akanenbo/n/n377af3f862ce
もし良かったら返信も見てください。
心配や応援してくれた方、本当にありがとうございます
あなたがたの様な人が居るお陰で私や性違和がある人、もう少しいえば色んなマイノリティの人が救われていると思います
本当にありがとうございます
今回はもぐまでの話だからって事で省いちゃった
あと、トランス女性じゃなくなったみたいな表記で不快感を与えた方、ごめんなさい
どちらが正しいかは私にはわからないですが、デリケートな話を本質じゃない所でするのは良くなかったです
https://anond.hatelabo.jp/20230306124934
この記事へのアンサーです
記憶を頼りに書いたらので色々間違ってると思うので正確な内容は一次ソースあたって下さい
この間お兄ちゃんは子宮切除しなくて済むよ!って書いた増田です
ちなみに戸籍が女性になってるので厳密にはもうトランス女性じゃなくて女性カテゴリになってるけど悪しからず
今回は前みたいにマニアックじゃなく…なる予定でしたが色々書いてたら長くなっちゃった
まぁ高いっす
SRS(最適号化手術、ちんを切って女性化する手術、以下SRSどだけ)を受けるには国内、タイ、その他医療先進国、で受ける手段があります
理由はいくつかあるのですが、値段と技術と期間とアフターサポートとその他諸々含めて一番いいからですね
一般の皆様は国内で受ければ良いって思うんでしょうが、予約がめっちゃ先の…私の時は3年先とか?まで埋まってるから海外行きたくないって強い意志でもない限り選択肢から外れます
一応保険適用になったっぽいんですが(前にも書きましたが)ガイドラインにあるホルモン適用してたら保険適用外になるという不思議現象が起きていて殆ど使われてません
あと日本は残念ながらSRS技術の後進国なので、非常に質が悪く…女性器の形が良くならなく、ネイティブ女性のそれとかなり違い、かつ感度も良くないらしいとか
高すぎるので選択肢に入りません
質は良いと聞きます
そして、タイです
タイには名医と言われる先生が2人ほど居て、それぞれの先生の名前からガモンホスピタルとスポーンクリニックという病院があります
おそらく日本人含めたある程度お金あるSRSする人はこの二つの病院から選びます
ガモン先生はチンを再利用して周りの神経とかまで使って穴を作る権威
チンだけ先に切るとこの術式が使えなくて大腸使う方式になるんですよね
スポーン先生は…私は余り知らないですがスポーン式とかいう方法でまた権威の先生です
当時ガモンクリニックで70万円ぐらいでスポーンクリニックは+30万円ぐらいだったかな
これに交通費と3週間のホテル(病院指定)とあわせて130万円ぐらい
入るのは必須じゃないんですがタイでの書類を出すサポートとか1人の病室に来てくれたりとか、非常に手厚いらしいです
私はお金ギリギリだったのでアテンド会社頼みませんでしたがガイドとかではお勧めされてたりします
これで大体30万ぐらい上乗せですね
30歳?か35歳?以上になると確か追加でお金がかかりました、20%増しとかだったかな
そしてチンを使わない術式…これ、チンを切ってしまったとかでは無く、チンの長さが11センチ?以下とかでも使えないんですよね
そうなると穴を作るのに大腸の一部を切り取る必要があり、60万ぐらい追加料金になります
更に術後の経過次第で3週間では帰れない事もあるのでバッファの滞在費と交通費が必要です
長い間海外に行くわけなので荷物も何かと必要ですし合計350万ぐらいは計算した方がいいですね
昔は雑にSRSできたらしいのですが、それでバキバキ手術した人が死にまくったらしく日本人がSRSするにほガイドラインというものを通さないといけなくなりました
これも、かなり費用かさむのです
まず初めに染色体検査や血液検査や性器の検査、諸々で10万ぐらい
あとガイドラインが進むと週に一度ホルモン療法で5000円ぐらい、二月に一度血液検査で一万円ぐらい
さらに女装が好きな性癖じゃなくて女性になりたいんだよねって確認の為に精神鑑定
これを数年行わないと日本のお医者さんはSRS受けていいよって許可証を出してくれません
この許可証が無いと国内国外問わずある程度ちゃんとした病院ではチンを切る事も出来ないのです
さっき書いた許可証がとても大切で手に入れるのが非常に大変です
まず「私は小さい頃から心が女性でした、男性で苦しいです」って言うのをお医者さんに認めて貰わないといけません
そのため、物心ついてから今までどれだけ苦労してきたかを証明する必要があり、今までの人生を作文にします
さらに社会生活を女性として一年?以上過ごす事が必要となります
正攻法では通すためには、社会人としてトランス女性として一年ぐらい給料貰う必要があります
トランス女性雇う会社なんて普通ないんですよ(今は多少増えてたりするのかな)
私は水商売だから例外中の例外ですが、水商売しないでトランス女性で給料貰うってどうすれば良いんでしょうかね
トランス女性で社会生活送るなんて事が不要なら水商売してなかった…かなぁ
世の中にはお酒とかコミュニケーションとかそれ以外の事とか苦手な人も居るのに、それらの人がSRSするにはめちゃくちゃ難易度が高いんですよ
私は3年ぐらいで許可証出たのですが、それでもとても早く許可された方なんですよね
書いてて思いましたがこの間はどうしてもトランス女性としてトイレ行く必要がありますね
バレなければ問題にならない女性トイレか入った瞬間に時によっては怒鳴られたりもする男性トイレか…
私は容姿とかについては恵まれてる?方で元から銭湯に行って女子鍵渡されてたタイプなので(ここ自慢)まだ良かったのですが、それでもトイレ問題がおっくうで外に行く機会は減りました
容姿問題は残酷で。どんなに良い人でも男性にしか見えない人は現代日本ではトランス女性として生きて行くのは非常に大変なのです
そういうハードモードで、さらにSRSのお金貯めないといけないのです
マジで水商売するか石油王か芸能人以外の人はどうやってSRS要件満たすのかな
さらに手術をすると自由に動けるようになるまで最低半年かかります
私は完全復帰するまで5年とか掛かったのでその間は親にごめんなさいして住ませてもらいました
(ジェンダーの事で縁切られた後だったので5年ほど死んだように過ごしてました。それでも親には感謝しきれないです)
私は術後の経過最悪だったのと精神がやられたので特殊ですが、一年は収入途切れても大丈夫な人しかSRSは厳しい気がします
性病持ってると手術してくれません
皮膚病で手術できない事があります
18~59歳の間じゃないと手術してくれません
チンを切る話では無いですが、結婚してるとチンを切っても離婚しないと戸籍変更できません
描くの忘れてたよ!
手術するときには、死んでも何が起きても仕方ないですって書類にサインする必要があります
また、ソース忘れたのですがSRS終わっても術後一年で無くなる人も多いのだとか
女性になれた!…あ、もう人生思い残す事ないや。死のうって感じで自殺する人とかも多いらしいですね、今まで苦しかった分余計に
私も、かなりそういう風になりかけました
手術は前払い国際送金で「何かあってもこの日に手術出来なきゃ手術できませんお金は返せません」みたいな契約ありましたが、コロナ前にお金払ってた人はどうなるのかな…
あと最近(といっても私が手術した時)はLGBTみたいな運動が軽く出始めた時で手術する人が多く、一年ぐらいは手術待ちました
…と、言うわけで「私は男じゃない!」ってなった後すぐにチンを切ろうと思っても中々大変な訳です
ジェンダークリニックに行ってる人は結構多いんですが実際執刀までできたのはどれぐらいなのか
私も精神も病むしお金も無くなるしほんっとうに大変だったんですよね
ここまで調べるのも大変で、私には色々教えてくれる師匠みたいな人がいたから戸籍変更まで終えたのですが、1人だと無理だったでしょうね
ここでは書きませんが、手術もまぁー大変でした
だから…女性になるのって本当に大変なのでトランス女性に石投げる時は少し手心があると嬉しいです
昔の自分に石投げられてる感じがするので…
2019年の暮れ、中国武漢市で発見され、翌年客船経由で日本にて蔓延が始まり、2月より世界的大流行となった新型コロナウィルス感染症。
政府や医療系の有識者などからはマスク着用や自粛の要請がなされた。
一方で私は、ノーマスクandノー自粛で暮らしてきたが、まったく体調は崩していないし、他人に害を加えられたこともない。
そんな私が3年間で続けてきたことを3つピックアップして書いていきたい。
外に出てみると、誰も周りにいないというのにマスクをしている人ばかりだ。
本来マスクは感染対策として着用するものだが、そういうところでつけていても意味がない。
一方で、人と人との距離がどうしても近くなり、マスクの着用が効果的といわれる場面もある。
その最たる例が公共交通機関だ。
航空機(日系航空会社に限る)はマスク着用が強制で、未着用の場合客室乗務員に注意され、(その他指示含め)従わない場合搭乗拒否となる。奥野淳也(マスパセ)氏の一件が有名だ。
ちなみにあるTwitterユーザーによると、全日空はその理由を「不安がる客に配慮するため」としており、感染対策がおざなりになっている印象を受けた。
バスは会社による。筆者は西東京バス(八王子駅~サマーランド線)にノーマスクで乗車したとき、乗務員に注意されたことがある。
一方未着用者を追い出して行政処分を食らったところもある。
鉄道はほとんど強制してこない。一応マスク着用の呼びかけはしているが、「国土交通省からのお願い」とどこか他人事のようだ。
改札口をノーマスクで通過しても、すぐ目の前にいる駅員は何も言わない。こちらをしっかりと見ているはずなのに。
ホームに降りる。監視カメラで見えるし、なんなら構内放送で注意できるのに、やはり何も言わない。
そのまま電車に乗ったが、注意されることもない。
Twitterを見ると「ノーマスクを殴りたい」「控えめに言って死ね」などと物騒なことを言ってはいるが現実はそうでもない。
周りはこちらのことなど気にしないし、なんなら隣に座ってくる。
目立とうと思い、その場でデレステのMASTER+(かなり手を動かす)をプレイしてみたが一瞥だにされず。
もし殴りたいなら殴ればいい。穏便なやり方で済ませたいなら口で注意するなり、通話装置で乗務員にチクればいいはずなのに。
乗務員に通報すれば施設管理権で追い出すことができ、運が良ければ警察行きにすることもできます。
(車内の通話装置は非常停止ボタンではありません。乗務員と通話できるだけで運転見合わせにはなりません)
「ヤバい奴と分かっているから何もしないんだ」と言われるだろうが、これも怪しい。
ヤバい奴だと思うなら、それを避けることだってできる。別の車両に移ればいい。
乗務員へチクりるにしても、離れたところでやればこちらに知られることがないからリスクはさらに低い。
それすらもできないならできないでそっと離れればいいのに、なぜかそうしない。
いやホント、Twitterで愚痴を言うくらいなら勇気を出した方がいいですよ。
中には「顔に自信がないからマスクする」「マスクはマナー」と頓珍漢なことを言う人も出てきた。
当然法で定義されたものではない。調べても色々な人が全く異なること、下手すると正反対のことを言う。
どこを探しても各論的なものしか出ず、誰かが言うたびにその種類は無限に増えていく。
(最近は「マナー講師」とかいう、嘘をでっちあげるビジネスが横行しているそうだが)
「人を不快にしないのがマナー」としても、その基準は人によって大きく異なる。
その論理でいえば、無感情な人の前ではマナーは存在しないし、自分を嫌っている人の前ではどう策を講じてもマナーを履行できない。
結局のところ、「マナーを守れ」というのは「自分が気に入らない」ということなのだろうか。
しかし今ではその目的を見失い、マスクすることそのものが目的と化している。
おそらく周りの乗客もマスクの意義についてはよく理解していないか、薄々疑問を感じているのだろう。
しかし日本の文化上権威の申すことや周りと同じことをしないのは社会的デメリットが大きい。
だから嫌々ながらも、あるいは何にも考えずにマスクをしているのだろう。
…と思ってTwitterを見てみると、「私だって苦しいのに」「みんなやってるのに」という、仮説ドンピシャな投稿多数。
要は小学生が学校でよく言う「みんな苦しいけど頑張っているんだよ」「障害持ってるあの子もやってるんだよ」的な代物だ。
(後者は障害者を見下したうえで無理やりやらせている気がする点人権的にいただけないが、ここでは論じない)
大人になるとなまじ知識があるからこれをカムフラージュする言説を組み立てられるが、これは非常にわかりやすい。
それに匿名を前提としたインターネットのことだ、案外リアルでは影響がないのかもしれない。
過激な意見は目につきやすい(閲覧回数が増え、拡散されやすくなる)からどうしても検索上位に来る。
それはインターネットでは目立つが、実生活では無視できるくらい小さな意見なのだろう。
そういえば、インフルエンザのときはマスク着用者や感染者を見下していたくせに今となっては手のひらを返した小説家の医者がいたっけ。
世界的パンデミックとなった当初は世界各国が都市封鎖及び外国人渡航者の受け入れ停止をしていたため、海外旅行へは行けず。
日本国内でも外出や旅行の自粛要請、それを踏まえた各種イベントの中止などがなされた。
だが交通機関は普通に動いていた。航空路線は大幅減便があったが、それでも移動には影響しない。
従って旅行も自粛しなくてよいと判断し、感染拡大前と同様の行動をとった。
とはいえ1年目は、入国関係で支障をきたすことへの不安から海外旅行はできなかった。
そこで沖縄旅行にとどめることにした。当然ながら全行程ノーマスクである。
沖縄本島は高校の修学旅行で行ったので、ここは簡単に回る程度にし、主として離島を回ることにした。
初日、羽田を出てまずは沖縄本島へ向かった。ここを経由し粟国村で一泊。
次いで本島に戻り渡名喜村、その後は北大東村、最後に与那国島を観光。
航空機・船舶路線がないところ(ナガンヌ島、黒島、水納島など)に行けなかったのは残念だったが。
その後各国が入国者受け入れに寛容になったので、海外旅行もスタートした。
すでに5回渡航しているが、最近だと、数日かけてシチリア島からコペンハーゲンまで列車で縦断した。
成田からシンガポールを経由(ついでに空港のシャワーでひとっ風呂)し、早朝にミラノに到着。そのまま午前の便でパレルモへ飛んだ。
列車でパレルモ中央駅に出て、正午過ぎの寝台特急で24時間以上。今の日本にはない列車の船舶積載も体験した。
ミラノからは特急でヴェネツィアへ。これだけで1日が過ぎてしまったのでまた寝台特急。初めての国際寝台列車でシュトゥットガルトへ。
ハンブルクへ向かい、ミニチュア・ワンダーランド(模型遊園地)へ。
さすがに疲れたので、その日はここでホテルを取り、翌日電車でコペンハーゲンに到着。
で、SASの直行便にて2月半ばの金曜日に帰国した。そのまま土日で東京ドームにコンサートへも行った。
このときから政府の指針により声出しOKとなったうえ思いっきり「密」だったが、やはり健康そのものだ。
感染拡大当初はともかく、自分以外にも自粛などしなくてよいと考える仲間がいたのが心強い。
普通に外出をし、飲み会をし、と人生を楽しんでいるようで何よりだ。
ある日のサンシャイン通りは人でごった返す中、外出自粛を呼びかける豊島区役所職員の声がむなしく響いていたのが印象的だった。
(ちょっとかわいそうと思ったが、本人は職務上やらされているだけで本心はバカバカしいと思っていたりして)
ここでは、行動というより気の持ちようについて話したい。
タイトルの通り、「お願い」「要請」と「義務」「命令」は異なるものだ。
後者は守らない場合に何らかのペナルティが科せられるが、前者は無視しても問題ない。
日本政府は「自粛『要請』」「休業『要請』」などと、「要請」しかしておらず、受けるかどうかはこちらで決められる。
一応「強い要請」もあるが、「お願いします」が「しなさい」になった程度でやはり無視することができる点は変わらない。
言い換えると法的根拠がない以上ペナルティを持った法的拘束力はなく、すなわち自由にできるわけだ。
そもそも自粛したところで何の見返りがあるのか。ないのであればする意味はない。
「自粛と保障はセットだろ」といわれたが、国が何もしない以上こちらが義理を尽くす必要もない。
「お願い」=「義務」という言説があるが、きちんと文字と国語辞典を読めと言いたい。
どこをどう解釈したら「お願い」が「義務」に飛ぶのか。そんなことが書いてある辞書がどこにあるのか。論理を飛躍させるな。
お隣さんが言おうが政府が言おうがお願いはお願い以上ではない。守る義務はない。
いったいいつから「発熱外来は真面目に要請を守っている人だけのもの」になったんですか?なってませんよね?
どこにも「外出自粛していない人は当院の受診をお断りします」なんて貼り紙はないし、ましてやそういう法律もない。
よって、どうしていようが体調を崩したら病院を受診する権利は誰にでもある。
そもそも、政府の「お願い」レベルのことを聞かないだけでだ。いつまでたっても権利が来ない義務を守り続けないだけでだ。
そんなことで壊れる社会なのですか?
その程度で壊れる社会だったら壊れてしまった方が、そして各個人がもっと自由にふるまっても壊れない社会にした方がいいのでは?
ここまで私のノーマスクandノー自粛暮らしをつらつらと書いてきた。
当然ウィルスは見えないので、こちらが感染したかどうかはわからない。
しかし1つだけ言えるのは、感染して発症するかだとか、それでどうなるかは結局のところ運でしかないということだ。
家の中でもマスクして趣味をいくら我慢しようとも感染するときはする。体調が悪いときは悪い。死ぬときは死ぬ。
どちらも確実ではない。神のみぞ知る確率でどれかに行きつくだけだ。
(素人が適当に確率を言おうとしているものもあるが、大概不正確だ)
ちなみに、私はこれでも3年間一切体調を崩しておらず、毎月PCR検査を受けているが陽性判定が出たことはない。
というか、権威なんか関係なく噛みついて噛み切って相手の肉を削ぎ落としていくスタイルは正しい左翼の姿に思える。
増田ではいつまで経っても玉ねぎの皮にしかならんものをTwitterでやると相手の骨が剥き出しになった瞬間にガリガリガリガリ噛み付ける訳だし。
ビルボードに対して「権威」を求めてるんだけど、ビルボードの中の人が「権威」を持たないって表明してて笑う。
多分ビルボードとしての方針(ビルボードの中の人の考えが同じなら)はチャートを通じた音楽の紹介なんだと思ってて、そのためには多様性をもたせることが必要と考えているのなら、ファンの力で上位にできないようにすることは理屈が合うし、洋楽と邦楽をボーダーレスにするみたいな発言とも合う。
そこに「権威」を持ってしまうとそれこそレコ大の買収疑惑みたいなことも出てしまう。
それに対してチャートアナライザー氏は「権威」を持つべきだと言っていて、これはビルボードにグラミー賞のような「競争」する場、もしくは「表彰」の立場になってほしいということだと思う。
近いのは韓国の歌番組のようなものなのかもしれない。ファンダムや運営が頑張って推しを1位にさせるために施策や空回しを頑張る、そんなチャートになる。
政府や国が出産を奨励する施策は人権侵害で、頭数を揃えようという姿勢で、グロくて気持ち悪い、みたいな人増えてない?
今の日本の問題の多くは少子化に突き当たるんだし、少子化対策って、どうのこうの言ったって出産奨励じゃん。
「露骨にやらなくても皆の賃金を上げたり幼稚園保育園の充実をすれば」とか言うけど、現状の深刻さでは、それらだけでは動機づけとして弱すぎるんだから、もっと露骨な出産奨励もしなきゃいけないでしょうよ。
というかそもそも、出産や子育てという行いや人体機能自体が、目をそらしたいよくないもの、生々しくグロいものだと思ってる人が増えてないか?
「出産や子育てはグロテスク、あるいは自傷的行動であり、強く望んでやる人は止めないけど決して素敵な行動ではないし目をそらしておきたい世界にとっての消しきれない悪行みたいなものだから、子供を産むのは良いことみたいな文脈で扱いたくない、まして他人からやりましょうと言われるなんて耐えがたい」みたいな嫌悪感をインターネットの世論から感じる。
出産奨励されるぐらいなら清く正しく少子化が進んだ方がいい、って実質的に反出生になりつつある。
「ある行為をポジティブに扱うなら、しないことは相対的にネガティブに扱われる」ってのは、飛躍じゃなくて実際そうならざるをえないと思う。そんな単純な二択じゃないんだなんて理屈も世の中にはあるが、それは誤魔化しの建前である。
けど、中長期的に考えればそれは責められる事じゃないはずだ。
あらゆる論功行賞だってそうでしょ。表彰される生き方、賞金をもらえる努力が推奨されて、そうじゃない人生はネガティブに扱われることで、よりよい人材を増やそうとしている。それが回り回ってみんなの幸せに繋がる。
これまでは、個人の自由意思尊重の理念を語りつつ、実質的には価値のない生き方はやめましょうという干渉も両立させて回してきたけど、建前を建前じゃなく徹底させるべきってのを本気で信じる極論論者が増えて、持続性がヤバくなってる。
しかも、出産奨励に嫌悪感を持つ人って、個人の自由な生き方を大事にせよとは言うけど、そこで想定される個人の自由って、今から5年か10年程度の短いタイムスパンでしかなくないか?
なんなら5年どころか、今この一瞬における、妊娠出産への感情的な嫌悪感に駆られてないか?
現時点で出産奨励のメッセージや施策というある程度の干渉を受け入れることで、30年後でも個人の自由と幸福をある程度保てる、そういうもんだと思うよ少子化対策は。
一般人の立場でこういうことを言うと「ただの平社員なのに経営者目線かよ。権威と自分を同一視して気持ちいい?」みたいな揶揄もあるけど、民主主義では有権者である私たちが正に経営者なんだから、数年単位の個人規模というミクロな幸福論だけでなく、社会持続性みたいなデカくて長いマクロなことも考える必要がある。
個人レベルを超えて社会全体のためになることを考えるのは全体主義に繋がるから怖い、と拒絶していては、国家の主権者としてよくないのだ。
ああ、本当ならこういうのも匿名じゃなく主張したい。
でも友達付き合いしてるアカウントたちにグロテスク!って怒りと軽蔑むき出しにしてる人たちがかなりいて、ビビって理屈を語れないよ。
私は弱い奴だ。
特殊詐欺に遭ったお客様が来店。ちょうど私と優秀なの派遣の人とでシフトに入っていた時間帯で、この手のトラブルに強いAさんは出勤前だった。
対応は私がしたんだけれども、結果としてはこれはヤバいやつだと思った時には後のまつりとなってしまっていた。
詐欺の内容について。
お客様がパソコンを利用している最中に急に画面がフリーズして、「ウイルスに感染しました」というメッセージが表示されたという、典型的なやつ。信じてしまったお客様が、偽のサポートセンターに電話をしてしまい、オペレーターの指示通りにPOSAカードを4万円ぶん×3枚を「コンビニで」(←重要)買い求め、詐欺サイトにPOSAカード番号を入力するという形で、金を騙し取られるというもの。
私がお客様の会計を担当した時に、まず高齢者が同じPOSAカードを3枚持ってきて、各4万円ぶんで買いたいという時点で何で? と思ったものの、お客様があまりにもかくしゃくとした人なので、まあ大丈夫だろうか? とつい日和ってしまった。
「パソコンの修理にこれが必要だっていうんだよね。でも俺が何か間違えたのか、何度番号入れてもこれじゃ送れてませんってなって。そんで、何件もコンビニ回ってカード買い直しててさ。何度やってもなぜかダメなんだよね」
と言い出したのだ!!
数時間後に出勤してきたAさんに事のいきさつを説明した。すると、Aさんが言うには、その手の詐欺師がだまくらかすのは直接の被害者であるお客様だけではなく、お客様に応対する我々コンビニ店員の目も欺いているのだという。
というのも、Aさんは何度かその手の詐欺師に引っ掛けられたお客様を応対した事があるのだが、皆似たような特徴のある人だというのだ。
すなわち、高齢の男性で一見かくしゃくとして、明らかな認知症っぽくなくちゃんとしていそうな人。
我々コンビニ店員にとって、詐欺の被害者と判断し難い人物をわざわざピックアップして騙している。
「という訳なんですけど。そもそも増田さんは、何でおかしいと思いつつも、詐欺を阻止することが出来なかったと思いますか?」
そうAさんに問われた。それで考えたんだけれど、正直に言うと、
つまり、詐欺師が被害者にPOSAカードを購入する場所を敢えて「コンビニで」と指定してくるのは、小売店のなかで最もPOSAカードを見つけ易いからというだけではないのだ。
詐欺師は、コンビニ店員の心理もよく把握しており、コンビニ店員にとって歴代の糞客の面影に重なるような人物を、被害者として店に差し向けてくるということ。
高齢で、脳味噌が不明瞭そうには見えず、声が大きくて、怒り易く、コンビニ店員の事を女子供だと思って舐めくさっているタイプの、横柄な客。
そういう客に対して、コンビニ店員は恐ろしさを感じつつも情けを持たないという事を、詐欺師は見抜いているのだ。
とはなかなか言えない。なんなら、はよ帰れやと思っている。
Aさんが言うには、
「そんな客ほど恐れるに足らないです。高齢者がPOSAカードを持って来たら例外なく、余計な事を考えずに『お客様、それは詐欺ではありませんか?』と言っちゃっていい。何故なら、そんな下らない詐欺に引っ掛かってる時点でそいつの認知能力は地に墜ちているんです。そして、詐欺師にとって丸め込み易いって事は、我々にとっても丸め込み易いってことです。被害者は我々を若造だ女だと舐めくさって脅そうとしてきますが、だからって退く事はない。権威の力を借りましょう。『本部の指導で』『警察の指導により』POSAカードを購入するお客様全員に確認させて頂いてます。その程度の事で奴等は丸っと信用するから大丈夫です。認知能力の低下とはそういう事なので」
真面目な話。
ヨッピーや本しゃぶり氏などが求める返信機能も抜本的な改善には必要だと思っているが実装には時間がかかる。
もっと早く簡単に実現可能で確実に効果がある方法を提案したい。
現状の人気コメントは酷い。
明らかな間違いや誤読をしたコメントであってもひとたび人気コメントに躍り出れば後は先行者有利でどんどんスターがつく。
スターがついて「人気上位」になれば「権威」が与えられ人は自然とそれを信じてしまう。
出遅れたコメントに正しい情報があってもピックアップされる事はない。
ヨッピーも訴えてるように人気コメントは全体の流れを決定づける。
自分の頭で考えたつもりでも人は場に影響されている。
人気コメントが「こいつはダサい」「間違った事を言っている」「叩いていい奴だ」という流れを作れば人はそれに影響されてネガティブなコメントを残し、結果的にブコメは集団リンチのような様相を呈している。
政治、ジェンダー、表現の是非のような対立軸のある話題になると「自分と同じ意見を勝たせたい」という欲求からスターを使った人気コメント入らせ合戦が始まる。
双方に憎しみが生まれ、外野はうんざりして話題から離れ状況は悪化の一途を辿る。
このように現状は惨憺たるもの。「民度が低い」と言われるのも無理はない。
精査されてない数百ものコメントを読むのはハードルが高く、効率よく概要を掴んだり意見を参照するためのピックアップ自体は有用なはずだ。
じゃあどうすればいいか。
1スター以上ついたコメントから毎回ランダムに10個ピックアップして表示するのだ。
100スターのコメントが1スターのコメントより100倍優れているわけではない。
逆すらあり得る。
それならスターは「最低一人は評価していますよ」という指標として同列に扱い、数で順位をつけない方がいい。
無意味な順位づけをやめただけであり人気コメントという名前は変更する必要がない。
これで先に挙げた問題が全て解決とはいかないが、確実に良くはなる。
間違ったコメントがなくなるわけではないが、「人気上位」という権威がなくなれば鵜呑みにはされにくくなるだろう。
叩くコメントも勿論なくならないが、影響されて流れが決定づけられる事はなく各々がより多様なコメントを書けるだろう。
スター争いに関してはほぼ無くなるかもしれない。
それらが人気上位として固定表示されなくなれば対外的なはてなブックマークの印象も相当変わる。
しかも多くのコメントが人気コメントとして人目に触れる事で、これまで一部に集中していたスターが多くのユーザーに配られるようになる。
ユーザーの承認欲求を満たしサービスに好循環をもたらすのではないだろうか。
はてなブックマークはそれなりに優れたサービスだと思っている。
酷い人もいるが真摯な人も多い。
できればずっと続いてほしい。
先般はてな運営は人気コメントをより良くするためアルゴリズム改善を予定していると書いていた。
項目 | 上野千鶴子の入籍報道にキレている人 | 岡田奈々の熱愛報道にキレているオタク |
---|---|---|
理由 | 「結婚という制度がイヤ」と公言してきたフェミニストが密かに入籍していたことで、信頼や権威を失墜させたと感じる | アイドルグループ・AKB48のメンバーが2.5次元俳優と交際中であることで、恋愛禁止ルールやファンへの裏切り行為だと感じる |
対象者 | 社会学者、フェミニスト、おひとりさまビジネス関係者など | AKB48ファン、アイドルオタク、2.5次元俳優ファンなど |
表現方法 | SNSやメディアで批判や失望のコメントを投稿する | SNSやメディアで批判や罵倒のコメントを投稿する |
影響度 | 上野千鶴子氏本人や色川大吉氏の遺族に精神的なダメージを与える可能性がある。また、フェミニズムや女性学研究の分野にもマイナスイメージを与える可能性がある。 | 岡田奈々さんや猪野広樹さんに精神的なダメージを与える可能性がある。また、AKB48グループや2.5次元俳優界にもマイナスイメージを与える可能性がある。 |
反論点 | 上野千鶴子氏は結婚制度そのものではなく、その中で女性が抑圧されたり不利益を被ったりすることに反対してきた。また、彼女は自身の私生活については公表しない方針だった。したがって、彼女は自分の主張と行動に矛盾していないし、誰かに説明責任を負う必要もない。 | 岡田奈々さんはAKB48グループ内では恋愛禁止ルールは存在しないことを明言しており、また彼女は成人済みであり自分の恋愛は自由だ。したがって、彼女はルール違反や裏切り行為をしていないし、誰かに謝罪する必要もない。 |
対処法 | 上野千鶴子氏の主張や業績を客観的に評価し、彼女の私生活とは切り離して考える。また、彼女の人権やプライバシーを尊重し、ネット上での誹謗中傷や個人攻撃を控える。 | 岡田奈々さんの活動や実力を客観的に評価し、彼女の恋愛とは切り離して考える。また、彼女の人権やプライバシーを尊重し、ネット上での誹謗中傷や個人攻撃を控える。 |
代替案 | 上野千鶴子氏以外にもフェミニズムや女性学研究に貢献してきた多くの学者や活動家がいる。彼らの著作や発言にも目を向けてみると、より多様な視点や知識が得られるかもしれない。 | 岡田奈々さん以外にもAKB48グループ内には多くの魅力的なメンバーがいる。彼らのパフォーマンスや発言にも目を向けてみると、より多様な楽しみ方ができるかもしれない。 |
予防策 | 上野千鶴子氏が入籍したことは彼女自身の選択であり、それがフェミニズム運動にどう影響するかはまだ分からない。そのため、先走って批判することは不公平である。また、メディアが報じた内容だけで判断せず、より信頼できる情報源から確認することが大切である。 | 岡田奈々さんが交際していることは彼女自身の幸せであり、それがAKB48グループにどう影響するかはまだ分からない。そのため、先走って批判することは不公平である。また、メディアが報じた内容だけで判断せず、より信頼できる情報源から確認することが大切である。 |
共感点 | 上野千鶴子氏の入籍報道にキレている人も、岡田奈々さんの熱愛報道にキレているオタクも、自分が尊敬したり応援したりしてきた人物が自分の期待とは違う行動をとったことでショックを受けたり、裏切られたりしたと感じている。その気持ちは誰にでもある普通の感情であり、否定することはできない。 | |
相違点 | 上野千鶴子氏の入籍報道にキレている人は、彼女が社会的な影響力や権威を持つ学者であり、フェミニズム運動のリーダー的存在だったことから、彼女の行動が社会や歴史に与える影響を考えている。一方、岡田奈々さんの熱愛報道にキレているオタクは、彼女が自分の好きなアイドルであり、恋愛禁止ルールやファンサービスを重視するアイドル文化の一員だったことから、彼女の行動が自分や他のファンに与える影響を考えている。 | |
改善点 | 上野千鶴子氏の入籍報道にキレている人は、彼女が結婚制度そのものではなくその中で起こる不平等や抑圧に反対してきたことを理解しようとする努力をする。また、彼女が自身の私生活は公表しない方針だったことを尊重しようとする姿勢を示す。 | 岡田奈々さんの熱愛報道にキレているオタクは、彼女が恋愛禁止ルールは存在しなかったことを認めようとする努力をする。また、彼女が成人済みであり自分の恋愛は自由だったことを尊重しようとする姿勢を示す。 |
結論:やっぱり一緒だった
桜ういろうが討死にしてしまったので、その敵討ちとでも言わんばかりに、ナザレンコの過去のアレな発言を掘り返して晒しあげする運動が起きていて笑ったわ。
はてブでも昨日おととい辺りに人気記事としてナザレンコのツイートが上がっていたし。
いや、別にそれが悪いとは思わないけどね。
誰が言おうが、いつ言ったことだろうが、どんな文脈の話だろうが、正しいことは正しいし、間違っていることは間違っているわけで、もしも掘り返されて困るならそれはその発言をした人が悪いってもんだ。
それでいて、当人の悪性が公になれば多くの中立的な人達は離れていって社会的権威を剥ぎ取ることができるし、それなりに意味のある戦法でもあるとは思う。
ただ一つ懸念するなら、こういう悪い部分の広め合いみたいな戦いが泥沼になると、不利になるのは争いを左右で見た時に左側に応援されてるような陣営(面倒なので以下、おおざっぱに左派とする)だと思うんだよな。
いかんせん、左派はキャンセルカルチャーを推し進めてきてしまったせいで、自陣の人間が汚い存在だと判明したら切り捨てるか醜いダブスタを晒すかの二択を迫られる。
一方で、右派の方が問題のある存在でも存在丸ごとは否定せずに使える部分は使う傾向が強い。
こういう貶め合いで最大規模の盛り上がりを見せている暇空VS仁藤でも、暇空サイドは暇空の人間性はどうかと思うけど不正追及は応援するってスタンスの人はけっこういたし。
割り切りというか、開き直りというかな、左より右の方が上手いのは間違いない。
そう考えると貶め合いは確実に左派の方が不利なんだよ。
まあ、左派が問題発言の掘り返しをやめたところで、右派は変わらず対立陣営のうざったい論客のあら探しをやめないだろうし、一方的にやられるよりは一緒に泥沼に沈む方がマシではあるんだろうけど。