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2024-03-07

旅行顛末記(備忘録)

3月6日

秋田駅、3006M乗車。

定刻で発車。

一ノ関くりこま高原走行中、JR東日本ChatBotより東北新幹線運転見合わせ、再開見込み立たずの報を受報。

JR東日本アプリで列車走行位置確認、この先くりこま高原で抑止かな?と思ったところで急減速、まさかの駅間停車。車掌さんも状況把握に時間がかかっており、この間にYahoo!ニュース郡山オーバーランの件を知る。

当該が下り列車なので上りは再開するかと思いきや、まずは駅間からくりこま高原までは運転再開したものの、下りが詰まっており東京で折り返せないようでくりこま高原でしばらく再抑止。航空機を半ば諦めた頃運転再開仙台駅に46分延で到着。その後3006Mは仙台駅で再抑止とのことだった。

仙台駅、1318M乗車。

ほぼ定刻で運転

当初は1314Mで早めに入り仙台空港で朝食と思ったけれど、かなわず

から持ってきた薄皮たまごパンコーヒーで凌ぐ。

仙台空港、IBX012便搭乗。

定刻で離陸。搭乗間に合ってよかった。オンラインチェックインは神。かなり揺れる。外は雪と雲で真っ白、雲の上に出るまでほとんど何も見えず。着陸時、福岡空港の混雑によりしばらく福岡沖で旋回し着陸を待った。

福岡空港12時44分発姪浜行乗車。

定刻で運転

博多駅、554A乗車。

さくら554号、N700系。定刻で運転

当初は32Aに乗ろうとしたけど空腹が限界。1本落として博多駅豚骨ラーメンをいただく。駅構内がとても暑い(秋田人間にしたら当たり前)。小倉に無事到着(無事?)。

北九州市観光

いい街でした。

平和通駅17時14分発小倉行乗車。

定刻で運転。多分初めてモノレールに乗った。

小倉駅、561A乗車。

さくら561号、N700系。定刻で運転

当初は35Aに乗ろうとしたけど10分遅れ。N700S乗りたかったな。

今日はこんなのばかり。

博多駅、18時27分発福岡空港行乗車。

定刻で運転

18時27分発は多分合ってる。もう記録を取る余裕がなくなりはじめている。博多駅お土産を買った。

福岡空港、IBX019便搭乗。

福岡空港で夕食(カレー)をかきこむ。

折返し便遅れで搭乗開始が10分遅延、その後ドアを閉めてからも離陸待ちにより15分ほど待機。離陸後は往路に比べたら揺れは安定。

当初仙台空港着が21時15分頃と見込まれ、乗継失敗仙台泊を覚悟したが、何とか21時07分に駐機場に到着。リムジンバスから下車後猛ダッシュして駅へ向かう。

仙台空港、1379M乗車。

ほぼ定刻で運転。3045Mに接続する最終。よく間に合った。

預け入れ手荷物があったら詰み。リュックサックお土産をまとめていた自分を褒めたい。

仙台駅、3045M乗車。

上り列車の折返し便遅れにより10分延で発車。秋田駅には6分延くらいで着。

我ながらアホな旅行

2024-01-08

ライブ】20230107仙台

ライブ感想全て消えてた

 ライブというかクラブのノリに合わなくて侘びしかったけどこのアーティストライブ行くの人生でやりたい事リストの1つだったからできてよかった

・毎回の事ながらアーティスト現実にいることにビビる リック・アンド・モーティ

BGMがすこぶるいい ノリアキとミュージックラバーズカバーすこ プレイリスト作った

アーティストの顔が会社の人に似ててちょいちょいちらついた

陰キャばっかかと思ったらサブカル男女多し

おまいらクラブで酒のんピザ食ってだべるという時間の過ごし方が過ごせるなら最初からそう言ってくれや!!!

コール&レスポンスの完成度が高いアイドルライブだった  

本当に200曲位出してるのに全曲歌詞コール完璧レスなの強火精鋭集ってた

最後の歌にかなり好き曲歌ってくれて嬉しかった

結構過去の歌もやってくれて助かった

・前から2列目でみれた

・思ったより早く着いたか

 予想より異世界転生感は少なめ

殺生丸いると思ったら今日成人式

地下鉄の元気な赤子

仙台駅出たら一瞬雪降っておお東北ってなった

牛タン普通に美味しいが塩 塩がほしい

商店街キッズに追いかけられ鳩と鳩のホバリング

Googleマップで北一番丁通りに牛たん屋さん沢山あるしみんな4つ星以上だから最寄りのお店に入ろうとしたら3件連続営業時間外で4件目でやっとありつけた 牛タン、美味しいけど塩がほしい 店員さんに言ったら「ないです」って言われてそんなこと無いやろ!と思ったけど言えなかった…

チェーン店でなく観光客地元の人も集う歴史のありそうな個人店って感じで雰囲気はよかったあと店員さんの人口密度が高い

自分が入ったあと列ができ始めてゆっくり食べるのが申し訳なくて忙しなかった

一回の食事お腹に入る量が少ないから食道楽の才能が無い 自分の金払って注文した料理残すの嫌

観光の才能…無さすぎ…?!

でも仙台観光ノルマ達成した感あるからヨシ!

追記→そうか…仙台牛タンを初めて出した誉れ高き名店か…偶然巡り会えてラッキーやったわそりゃ名店で塩くれって言われたら…怒る…ヨネ…ゴメン…ネ

いやでもあの言い方は…いやでも…

名古屋仙台両方でテールスープ飲めた

日本テールスープでも牛の骨入ってるんやね

牛たん屋さん捜索中に商店街脇道で生演奏ジャズバー中野ブロードウェイみたいなホビーショップがあって「良ッ」ってなった

しかし薄々気付いていたがジャズって人好きでないと合わない趣味だな‥?

街路樹の種類が地元とちがくて雰囲気ある

あとでっかい5メートルくらいない?枝の分かれ方がオサレ 街並みもなんか上品に洗練されてる感じある

・正直一昨日見た別のアーティストライブが良すぎて今日ライブを楽しめるか不安

先日の方は今日前座位の気持ちだったんだけど理想の倍以上いいライブを見させて貰ったから尚更今日のが「わざわざ遠くから遠征したのにこれ?」ってなったら自分が辛い

インディーズプロとか動いてるお金の規模とか

漫画で言うならコミティア同人誌サンデーマガジンくらい違うから比べるもんではないと思ってたし「チケ取れたから両方行くか」のノリできたけど立て続けて見ると比べてしまう〜

あと遠征立て続いてるからシンプル今日体力が不安

あとこのアーティスト、好きだけどハマったのコロナ直前で今に至るまでの期間で曲の雰囲気とか変わったからそこも不安

あと「アーティストファン何だかんだ言って異性が多い説」が浮上したので「ギャグラップ女性ファン多いのって昔のニコ動歌い手みたいでキッツいな」と思ってしまい行く前から仮想ファン層で若干沈んでる アラサーの男女半々であってくれ…!

あとシンプルに疲れてる時にアップテンポの曲だと自分で金払って見に来たのに「うるっせぇな」と思ってしまいそうで不安

でもライブハウスは「死ぬまでに一回こういう店に行ってみたい」って感じのオサレ小規模?ライブハウスなので確実に楽しみ

あとアーティストコロナ後開催2回目ライブなので今回行かなかったらさら時間が経ち曲調が好みから外れてかつての「この人のライブには絶対行きたい」という気持ちが遠ざかってくのが予想されるので直近の今の内に行くしかねえ! latestなのじゃ

商店街にいる鳩が地元個体よりみんな丸くて可愛い もちもちしとる

・次の日朝雪で東北って感じがしてよかった

仙台、ひいては宮城県に…駿河屋は…ない…

らしんばんはある!

寿司うまままままま

 マグロが噛まなくても腔内で溶ける

脂が腔内の温度で溶けていく…

 仙台来て良かった〜!と素直に思えた本当にありがとう 回らないお寿司初めて

 気仙沼名物サメ心臓初めて食べたうまいタレもうまい

 脳が優しくパキるという初めての体験

 将太の寿司ありがとう 待ち時間に読んでなかったらお寿司食べるという発想はなかった

オタクショップは全国どこでも実家のような安心感を与えてくれる カ、カップリングがごちゃ混ぜじゃねーか!

ずんだ餅あんまり口に合わないかもと心配してたが美味しいHAPPY

 ・仙台東京の時にBLUE GIANTのImpressions聞けてHAPPY 東京仙台の時に我慢たかいありけり

仙台ライブというよりクラブはノリに乗れなかったけど街路樹が並ぶ街頭に雪が降る様子とか異世界感あった+寿司ずんだ餅とか食べ物美味しかったしお金かけて行ったかいがあった

2024-01-04

とある宮城県民が考察する羽生結弦離婚騒動

羽生結弦氏の離婚騒動について正月実家帰省中コタツで親類と世間話をしていて考察した話。

からなんの根拠もない話だしオバサンの井戸端会議レベルだけど 文春の報道なんかよりはしっくりくるかな〜くらいの話。

私は羽生結弦と同世代で同じ宮城県民。

から羽生くんはスケートで注目され始めた時からテレビなんかでちょいちょい見てた。

卓球福原愛とか、歌舞伎役者の子供なんかと同じで、テレビを通して子役から知ってる有名人みたいな感じ。昔はたまに地元テレビ局が学生羽生くんに密着取材とか特番でやってたし。

ンで、宮城なんて田舎から羽生くんちがどんな家かみたいな話もみんな知ってる。

まあこれらソースなんかない噂話なんだけど。

お父さんは公立学校先生で(退職前は校長先生やってたなんて話も聞く)お母さんが羽生くんのスケートに関して面倒見てて、遠征費用とか工面がすごく大変で、衣装なんかもお母さんが手づくり。(ちなみに衣装が飾ってあるの仙台市内で見たことある。コレ手作りなんだ?!てびっくりするレベル)

いやもちろん外部コーチとかスタッフかいると思うけど、率先して面倒見てるのはお母さんてイメージ

そもそも羽生くんは小さい頃、虚弱体質で食べ物アレルギーとか色々あって、スケート衣装とかもチクチクするやつはダメとか、とかくお母さんが色々面倒みないとアカンみたいな。(偏食って話も聞いたことある)

もちろん本人の才能や資質デカいけど、

小さい頃体の弱かった羽生くんがスケート大成できたのはお母さんの支えのおかげみたいな、そんな認識は昔からなんとなくあった。とにかくそんな話はよく聞いてた。

まあこれらソースなんかない噂話なんだけど。(2回目)

で、現在まで。

羽生くんは世界ですごい実績残してきたし、宮城県民的にもスーパースターである

でも羽生結弦という選手をずっと支えてきたのは間違いなくお母さんだし、家族一丸で支えてきた事は変わらないんじゃないかと思う。

たぶんだけど羽生くんのお母さんや家族の全力のサポートが無ければこんなスーパースターにはなれなかったと思う。

でも考えてみれば羽生くんちは元々普通家庭なんだよな。ましてやお父さんは公立学校教員だし。お母さん、羽生くんがスケートやってなかったら専業主婦とかだったかもしれないし。

から羽生結弦」が選手として大成するために 一般家庭にとっては想像出来ないほどの羽生結弦への沢山の投資犠牲があったには違いないと思うのよ。だってスポーツアスリート一族ってわけでもないだろうし。

(まあスケートでの賞金とかスポンサーとか色々ついてんのかは知らんけど)

それでもスポーツ選手一般人の生活の違いはまあ想像できるし。食事やらレッスンやら遠征費用やら衣装やら、色々。お金は桁違いでかかるだろうし。

で、お母さんはいわば羽生くんのそれらの難題を全速力で駆け抜けて解決してきた 公私共マネージャーみたいな感じかな?てイメージ

当然お母さんは小さい頃からずっと生活全般を全力でサポートしてるわけで。羽生くんが現在まで心身ともに何もかもお母さんを始め家族に支えられて社会生活送ってても不思議では無いというか。

いわば羽生結弦一般家庭生まれなんだけど「特別」な「スケート王子様」みたいなもんじゃいかと。

貴方特別存在なんだからスケートに集中して!!!という具合にスケートをする以外のことは他の人がみんなやってくれる環境なのかもしれないなと。

(てかそうじゃないとスケート選手生活なんかとてもじゃないが維持できないのかもなと)

から羽生結弦スマホを持ったことがないって話が一部報道で出てたのを見たけど

アレも全然不思議じゃない。

羽生結弦という存在日本にとっての宝みたいな側面あるし、それを支える家族側にも精神的・金銭的な影響はデカいだろうし

個人的羽生結弦は「スケートをするための人」つまりスケート以外はした事がない、てイメージだし。(まあアスリートなら当たり前かと)

で、羽生結弦天下人になった現在

おそらく羽生家は今や「羽生結弦」っていうブランドを維持する芸能プロダクションみたいな感じなんじゃないかなと。

いわば家族経営町工場みたいな。

家族みんなで支えていかないと回らない会社みたいな。

羽生結弦って大物タレントが1人

マネージャーのお母さん

で、サポートに入ってるお姉さん

元々会社経済基礎を支えてたお父さん

みたいな。

しかバリバリマネージャーだったお母さん、私の母親世代だったら ぼちぼち60歳も近いはず。体力的にもキツくなってくるだろうよ。

もう全力で息子と一緒に世界を駆け巡る年齢じゃなくなってきてる可能性は高い。

今は実のお姉さんがマネージャーにサブで入ってもらってゆくゆくは姉と弟二人三脚、みたいな構想が両親の中であっても自然だと思う。お姉さんも家族として嫌でも母親と弟の姿をずっと見てきただろうし。

そうやって「羽生結弦」というブランド運営する側は役割が完結してたんじゃないか

で、めでたく羽生くん現役引退

段落してこれからスタート

運営側の家族も再スタート!(だったとしよう)

でも羽生くん本人に更なる転機がやってくる。そう、「結婚である

で、問題結婚相手

羽生結弦という王子様はお嫁さんに「本物のプリンセス」を連れてきてしまったんじゃないだろうか。

(報道で見る限りプリンセスでしたけど噂になってる人がホント羽生くんのお相手ならですがね)

まあただの一般庶民て感じではないだろう。

これも想像だけど、家族経営ギリギリ回している所に 王子様とプリンセスが増えた。

で、これもマジで想像だけど

今まで王子様1人の身の回りサポート家族がいっぱいいっぱいだった所にプリンセスが更に1人増えたらどうなるか?

まあ普通に考えたらキャパオーバーになるんじゃねえか?????????

話は逸れるけど

例えば歌舞伎役者とか相撲取りの嫁になった場合、色々役回りとか大変なこととか 素人でもうっすら認識できるかと思う(それこそ密着取材とかあるしね)

でもそれは伝統文化として色々確立してるからであって

例えば元々一般家庭で母親を中心に家族一丸となって支えられてきたフィギュアスケーターの妻ってのがどんなもの

必要役割必要スキルマッチした人物像とかそんなものは明確には確立されてないんじゃないかと思う。

で、話は戻って羽生くんは自分最愛の人を連れてきた。

(これは仮だけど)その相手フィギュアスケートとは全く畑違いの人だった。

羽生結弦」というブランドを維持しなければならない母親を始めとした家族にとってそれはだいぶ「クソデカ問題」が持ち込まれたかもしれない。

何せ相手プリンセス(仮)である

経歴はフィギュアスケート、もといスポーツ選手とは全く関係がない人生を送ってきた人物像だったとする。

フィギュアスケーターを続ける羽生結弦を支える「家族企業」の歯車果たして組み込める人材か?という問題が浮上したかもしれない。

もしこれが企業従業員面接だったら

「熱意はわかるけど貴方スキルだとウチの会社には合ってないかも…」

で断れたかもしれない。

でもこれはそうじゃない。

最愛の息子・羽生結弦が連れてきた結婚したい彼女

なのである

クソ忙しい少人数の経理部で増員で1人増えたけど全く関係ない分野の学校出てる未経験新卒だったみたいなダメージを想像している。いやせめて簿記くらい知っててくれよ…………(なんて言えないね☆)みたいなのを想像してる。

でも今回経歴やスキル関係ない。だって当人同士は好きで愛し合っているんだもの

だって当人同士の希望なら添わせてあげたい。

でも「羽生結弦」というブランドイメージ的に「結婚」は様々なリスクが生じてくるだろう。もしかしたらバッシングやらアンチファン報道陣が押しかけてくることも容易に想像出来ただろう。

(もはやファンにとって羽生結弦神格化された存在だったようだし)

で、問題を整理すると

フィギュアスケート界隈に詳しくない

てかアスリートを支えるスキルがない

例えばマネジメント経験とかな

スキル的に羽生結弦を支えるための家族経営歯車には組み込みにくい人材の妻(仮定)が「羽生結弦家族企業に参加する問題

・「結婚」によって生じる「羽生結弦」のイメージに対するダメージ(予想)と苛烈報道陣の取材が予想される問題

・でも当人同士の結婚への決意は固い問題(説得は難しい)

これらを踏まえて苦渋の決断の末に選んだ選択

結婚はさせてあげる。

・でも嫁はフィギュアスケーターマネジメント業は無理そう。しか家族も忙しいか業務を教える余裕がない。

⇒今まで通りサポート家族がやる。

報道対策仙台駅前のセキュリティがしっかりした億ション2部屋購入。

・嫁は何もしなくて良い代わりに基本外出禁止(報道陣に見つかったらフォローめんどくさい)

だったのではないか

いわゆる臭いものには蓋 みたいなやり方ではありますが。

この条件でも愛を貫いて結婚相手仙台へやってきた。まあ外出禁止後出しかもしらんけど。

ちなみに仙台駅前に億ションなんてものはない。インターネット上で予想されてる億ション候補、だいぶ駅からスケートリンクからも遠いからな。地方都市をナメんなよ。東京基準で考えるな。

で、その候補は確かに街中だけど近くにあるスーパーなんかダイエー(旧ジャスコ)だったりヨークベニマルだったり。

まあ要するに宮城からすれば確かに仙台は都会だけど、仙台駅からちょっと離れたら何も無いぞ。東京から駅前イメージ引きずった来た人がそこに住んだら何も無さすぎて発狂するんじゃないかと。

で、結果限界は来た。スピード離婚

というか家族経営会社に「妻」て役職就職したけど、仕事教えて貰えないし外出れないし「家族」という職場孤立した。で、肝心の旦那は大体遠征で不在。耐えられなくて退職(離婚)。

みたいなのが近いんじゃね?と思う。

まあこの筋書きなら当たり前かなってかんじですが。

からまあ「守ってあげられなかった」発言相手反論するのもまあ 予想できるし

からまあ転職とかでもよくあるミスマッチみたいなのが起きたんちゃうか?知らんけど

長くなったけど恋愛結婚は違うし もし羽生結弦の嫁になりたいと切望しているならアスリートを支える仕事就職するつもりくらいにならないと無理なんやろな…

という考察でした。

コタツみかん食いながら話してたヤツだから現実がどうかは知りません。

2023-10-10

増田ニュースを知る機会が増えた

鳥島から津波仙台駅の液体もハマスの爆撃も増田で初めて知った

もうはてなニュース要らないな

2023-08-10

羽生結弦の思い出/感情の整理/記録(私用)

羽生結弦 結婚

初めて。

初めて推し結婚を心の底から喜べなかった。

Twitterでは祝福の声で溢れ、誰が見てもめでたいことはわかってた。

けれども、本当に「おめでとう」と言えなかった。

別にガチ恋勢とかそういうわけでもない。

でもなんで素直におめでとうと思えなかったんだろうと、色々思っていたけどこれまで吐き出していなかった感情を一旦全部整理しようと思ってコレを書いている。

明確な答えを出せるとは思ってないけど取り急ぎ感情の波が収まる前に書きつけておかないと多分忘れちゃう

しまた思い出したら追加で書いたりするかも。

追加:羽生さんのこと基本全部フルネーム表記してますが、ほぼ彼が「羽生結弦」という概念になってると思ってるので敢えてこの表記にしてます

報告の当日から何日もかけて、ちまちま思い出したことからぶつ切りで書いてるから話の前後やその時の情緒も語気も滅茶苦茶。

読み手のことを考えてる文章じゃないからかなり読みにくいが、同じように心の底から喜べずに悲しんでる人へ向けて「世の中に少なくとも1人、私がおるで」というための日記

から祝えない中、無理に喜ぶフリすると後から反動呪い言葉吐いてしまいそうだったか真剣に落ち込んでみた。

ちなみに、私はスケートという概念結婚したと思って正気を保っているので、ここから先はレディーガガの「marry the night」をお勧めします。是非聞いてね。

10年。

20ちょっと生きてる人間にとっての10年なんて人生の半分なんよねぇ。

あいいや。

初めて見たのはアイスショーで踊ってたツィゴイネルワイゼンだった。

元々親がスケート好きでたまにショーを見に行ってた事もあり、自分も連れて行ってもらったのが始まりだったと思う。

当時は荒川さんや浅田さんの影響も大きく、女子花形競技って感じで。男子はそんなに目立った感じじゃなかった。

(幼稚園生の時よくイナバウワーして遊んでたのでスケートといえば男子<女子だった)

小学生自分にとって、それまで見たことないタイプ名前電光掲示板に出ていたのは新鮮で「なんて読むねん」と思いながらぼんやりと見ていた。

なにより今では想像できない踊りで。

まぁ簡潔にいうと「何をしてるんだ…?」と聞きたくなるくらいすっ転びまくっていた。

(何年のやつか思い出せないけど知ってる方も多いと思う)

そんなアイスショーから数年。

羽生くん金メダルだって!」と。

中学の冬の朝、母親に叩き起こされたことを今でも覚えている。

え?「あの」羽生くん?と何度も確認して。

自分私生活が忙しくて少し離れてる間にすっ転びまくっていた少年五輪メダリストに変化していた。

何度も何度もソチ五輪映像を反芻して、居ても立っても居られなくなった私と母はそのまま3月のワールドに行った。

(このワールドsp、滑り出しの直前に「ゆづ〜!愛してるゥ〜!」という複数人による謎の掛け声があり会場全体が変な空気になったんだよな、カスゴミ客は◯んでくれ。)

その後はとんとん拍子で転がり落ちるように沼にハマりファンになった。

全部は長いから書けんけど、常に「羽生結弦」という男は自分にとって輝ける一等星というか。

第一印象がすっ転びワイゼンだったことも大きく、自分がまだ中学生でこれからなんでもできるという時期だったこともあって「彼のように努力すればここまで上り詰めることができるんだ」というある種の指標になっていたんだと思う。

羨望とかそういうのひっくるめて、こんなに頑張ってる人がいるのに、自分体たらくはなんなんだろうかと考えるそういう感じ。

中学高校私生活勉強で色々両立することがあって大きな変化はなかったけど、やっぱり「羽生結弦はいつも生活の側にあった。

普通に肩こり酷い人間だったから、黒と青のファイテン常に付けてた。これ可愛いよね。

高校入ってからかな。

母の彼への入れ込み方が激しくなってきたことがあって、若干嫌悪感を持つ時期があった。

詳細は省くけども、

ひねもす掲示板に張り付いて有る事無い事、噂やファン同士の諍い…望んでもないのに大量の情報を聞かされ、注入される感覚はあまりにも不快で気がついたら「憧れ」から「実の娘である私よりも母の気を引く邪魔存在」にもなっていた。

中国杯の後に増えたファン民度の悪さとかに嫌気が差していたり、自分勉強の方とかで精神的に追い詰められていた部分もあったから単純な話ではないのだけれど。

その頃自分大学受験に際して、部活のように取り組んでいた習い事を辞めていた。

スケート完璧勉強もできる「羽生結弦」を横目に「ああ自分は彼のようにはなれんのだなぁ」と失望してた。

また当時自分は家庭環境が最悪になっており家を出ることが目標だった。

家を出るためには親が納得するき足るだけの学力とそれだけの大学でないと説得できないと思ったこと、羽生結弦という男が育った街が知りたくて仙台大学を選んだ。

他に行きたい場所もなかったから、仙台に行くと決めてからはわりとすんなりと勉強ができた覚え。

羽生結弦過去ananの表紙を飾っていたが、意味わからんクソナガ茶マフラーを巻いてるポスターを机の前に飾ってた。

今なおよくわからん長ェマフラーをしてたのかは謎(調べると画像が出てくるから暇だったら見て)

どう考えても勉強する環境ではないが、サボろうとしても前向けばあの眼光から監視してもらう感じで。

話がズレたな。

平昌五輪差し迫り、母は現地で見たいと切望したものの、それまでの家事を疎かにする姿を見ていて誰がそれを応援しようと思ったか

当然家族全員反対した。

今思えば行っておいでと言えば良かったかもしれないが、私からしてみれば娘の受験よりも「羽生結弦」が優先なんだ、へぇ(笑)って感じだったし。

そんなこんなしてるうちに羽生結弦はサラリと2連覇。そこからまたファンが増え、シーズンオフアイスショーでも変なファンが増えたことでさらに嫌気が差していた。

どこかのアイスショーだったか忘れたんだけど、トイレ行ってる間にババアが「ゆづパンツが」とか会話で盛り上がってるの聞いて気分良いわけないからな。

あとアレな、アイリンの奥にある待合室の椅子全部、一つ一つに座っていたババア。この手のファン自称してる変な人たちも気持ちいから消えて欲しい。

無事進学が決まったことで家を出て、一人暮らしと同時に意識的スケート界隈を視界に入れないようにし始めた。

ここで一回離れたのが良かったのか悪かったのか。国際センター仙台駅の本屋仙台地下鉄ポスター

競技を追わずとも、さまざまなところで羽生結弦という男を目にして、その度にこの男を見て自分はこの土地までやってきたんだと思い出していた。

また話ズレるけど仙台大好き。

故郷よりも好き。

都会なのに緑が多くて気持ちがいいんよね。

就職を契機に都内へきてしまたか仙台を離れてしまったけど、はよ仙台戻りたい。

私は川が大好きなので死後、私の遺骨は広瀬川に撒いてくれと常日頃言ってます

大好きだ仙台

話を戻そう。

とはいえTwitterでこれ見よがしに呟いてるファンは正直気持ち悪かったし、自分も同じようになりたくなかったかTwitterでは鍵開けて呟くこともしなかった。そもそも羽生sageがひどい中、どれだけ擁護しようとも「羽生ファンガー」「ユヅリスト笑」と言われるんだから俺たちにできんのは「沈黙」だけだろ。

(ここでクラピカの顔が出てきたやつはツイカスかハンターオタだから前者はツイカであること自覚して生きような)

TwitterじゃなくてX?

うるせぇ、俺たちが共通センターと呼ぶのとおなじや。

そんなこんなでたまに目にしたり、アイショー見たりとかするくらいまではしてもシーズン中全部追うみたいな生活を2.3年せずにいたら北京五輪になってた。

数年まともに追っかけていなかった間に、さらスケーティング技術が向上してる様を見てやっぱり努力の人で憧れなんだよなと再認識した。

FPの朝。

雪がしんしんと降り積もる中、大崎八幡宮に4A祈願へ向かった。

FP前日に事実無根記事が大量に出回っているのを見て「4年経ってもこんな記事を書いて彼を貶めようと必死なんだ」と辛い思いしたな。

何年経っても彼を取り巻く環境は良くなるところか酷くなる一方なんだなぁと。

タイミング忘れちゃったんだけど、いつかのシーズンで本人が死のうと考えたみたいなこと言ってたのを時折思い出して。

それを考えると結婚したいと思える人と出会たことはなんて素晴らしいことなんだろうと素直に言えるんだけども。

そんなこんなしてたらあれよあれよと時間が過ぎて、引退かと思ったらプロ転向へ。

前々から引退したらどうしようと思っていたところ、最高の「答え」をお出しされて悲しむことも落ち込むこともなくて嬉しかった。

男子スケートにハマった理由に、彼らが命を燃やして戦うあの会場の空気が好きだったこともあって、その覇気がなくなったのは些か寂しい気持ちもあったけど。

まだこれからも彼のスケートが見られるんだなって嬉しかった。

ここまで色々自分の話をまとめてしまったけれど、ここからプロ転向後の個人的にモヤった点をいくつかまとめておく。

プロローグの八戸だっけな。

みんなのライト投票して踊るプログラムを決めるってやつでさ、

最初の方はみんな悲愴が多かった覚え(多分水色と青色が似ててそう見えただけの部分もある)なんだけど選ばず他のプロ踊って。

数日間ある中でも最後の日に、悲愴思い入れがあるからと踊って。

じゃあ最初からリクエスト選択肢から悲愴外してよかったんじゃね?になったけど。

あともう一個個人的に許せなかったのが阿修羅ちゃんだっけ、adoの曲使ったやつ。

adoなんて過去ネット活動してた人をアンチ自殺未遂まで追い込んでたわけじゃん。

そんないじめていた側の人間音楽を使うという事実を受け止められなかったんですわ。

giftとか、お礼に〜って内容なのにそこで使うのが「あの」「ado」ですか(笑)っていう。

いつまでも過去の話を蒸し返すなと言われるかもしれないけど、散々sage記事アンチに酷い目に遭わされてた羽生結弦がソイツの楽曲使うってグロくない?

この辺から自分の思ってた羽生結弦から乖離が起きてるのを感じていた。

まぁ自分が合わなくなっていっただけだけど。

あとまたこれは違う愚痴

notte stellata3/11に現地参加してたんだけど、中国ファンか知らんが明らかに場にそぐわない掛け声すんのやめてほしい。

こちとら鎮魂なり祈り、そこから希望とか再生意味するショーだと思っているのにそこで「あいしてる」なんてでかい掛け声は耳障りなだけなんよ。

最近見なくなったけど貞子みたいなストーカーも、アイスショー千秋楽必ずセンター1列目の変な女も邪魔

そもそもフィギュアスケートというスポーツのあり方自体も異質だよね。

プロではなくてアマチュアの方が技量が上、大会などに出場して集客してと見せ物のようになるのがアマチュアの方なん。

ただそのスポーツが好きというだけで始めた人間が、上手くなればなるほどよく分からない人たちの目に晒される環境にあって、

アスリートなのにアイドルのような消費の仕方/され方してるのがな…高校野球だけ謎に神聖視されてるのと似てる?

アイドル最初からそういう売り出し方をするからいいが、スポーツは違うじゃん。

好きで始めただけなの晒されて人格に難癖つけられてとかね。

世知辛いわね〜

まぁそんなこんなで、勝手理想像を求めてる俺みたいな人間は鈴の言葉でも反芻して生きような↓

すごい、馬鹿みたい。

勝手に期待して、勝手失望して。

ほんと馬鹿みたい。

でも王様ってそんなものなのね。

みんな勝手に期待して、陽子自体ことなんて考えてもみないで。

勝手失望していくの。

(アニメ十二国記』より)

Twitterとか世間では祝福の言葉ばかり目について、悲しむような人を見つけられなかった。

その様子を目の当たりにして、素直に喜べなかった自分の心の醜さに打ちひしがれてしまったし、周りのその「潔白」な態度に吐き気を催した。

だってさ…

今まで彼が「スケートを想って滑ってる」と思いながら見てた演技が「誰か特定の人に対しての感情を含みながら滑っていた」とかだったら悲しくない?

悲しくない?そう…俺が捻くれてるだけやね。

まぁそら遠くからお金落としてるだけのファンと、近くで辛い時支えてくれた人ならそっち好きになるのは当然だしね。

羽生結弦ファンであるなら、ファンもどこまでも清く、正しく、美しくあるべきところ私はそうできなかった。

私と同じように思っていても、表向き発信してない人が多くいると思うし。

私みたいな人も同じようにいるんだと知って、1人でも救われれば良いなと思って今回ここまでちゃん自分気持ちを書いた。

これは関係ない話だけど、Twitterで「羽生結弦結婚したのは俺?!俺!ole!」言うてる人の見て元気出たよ、ありがとう

どんなに切望しても普通には得ることが叶わない、スケートの神に愛された男が、スケート以外に愛する存在を見つけてしまった事実が悲しかった。

ただ、ただ、悲しかったんだと思う。

でもそれが神様でもなんでもない、人間としての羽生結弦で。

踏みつけても立ち上がるたんぽぽのように。

泥の中から咲かせる蓮の花のように

どんな場所でも美しく在る男の姿が。

そんな1人の男が好きだったな。

報道翌日に体を引き摺りながら仙台へ行って七夕祭り楽しんできたけど、また今度仙台行ってご祝儀代わりにお金落としてくるわ。

次はヒカペ目標で。

じゃ。


追記:

報告直後におめでとうと言ってた周りの人ほど今更落ち込んでる。最初に落ち込んでた俺の方がいま元気なの見るに、やっぱり無理するの良くねぇンだな〜に。

Twitter羽生関係を全部ミュートにしててしばらく見てないけど、羽生結弦に限らずオタクは全員キモいから自覚して生きような。

羽生結弦の思い出/感情の整理/記録(私用)

羽生結弦 結婚

初めて。

初めて推し結婚を心の底から喜べなかった。

Twitterでは祝福の声で溢れ、誰が見てもめでたいことはわかってた。

けれども、本当に「おめでとう」と言えなかった。

別にガチ恋勢とかそういうわけでもない。

でもなんで素直におめでとうと思えなかったんだろうと、色々思っていたけどこれまで吐き出していなかった感情を一旦全部整理しようと思ってコレを書いている。

明確な答えを出せるとは思ってないけど取り急ぎ感情の波が収まる前に書きつけておかないと多分忘れちゃう

しまた思い出したら追加で書いたりするかも。

報告の当日から何日もかけて、ちまちま思い出したことからぶつ切りで書いてるから話の前後やその時の情緒も語気も滅茶苦茶。

読み手のことを考えてる文章じゃないからかなり読みにくいが、同じように心の底から喜べずに悲しんでる人へ向けて「世の中に少なくとも1人、私がおるで」というための日記

から祝えない中、無理に喜ぶフリすると後から反動呪い言葉吐いてしまいそうだったか真剣に落ち込んでみた。

ちなみに、私はスケートという概念結婚したと思って正気を保っているので、ここから先はレディーガガの「marry the night」をお勧めします。是非聞いてね。

10年。

20ちょっと生きてる人間にとっての10年なんて人生の半分なんよねぇ。

あいいや。

初めて見たのはアイスショーで踊ってたツィゴイネルワイゼンだった。

元々親がスケート好きでたまにショーを見に行ってた事もあり、自分も連れて行ってもらったのが始まりだったと思う。

当時は荒川さんや浅田さんの影響も大きく、女子花形競技って感じで。男子はそんなに目立った感じじゃなかった。

(幼稚園生の時よくイナバウワーして遊んでたのでスケートといえば男子<女子だった)

小学生自分にとって、それまで見たことないタイプ名前電光掲示板に出ていたのは新鮮で「なんで読むねん」と思いながらぼんやりと見ていた。

なにより今では想像できない踊りで。

まぁ簡潔にいうと「何をしてるんだ…?」と聞きたくなるくらいすっ転びまくっていた。

(何年のやつか思い出せないけど知ってる方も多いと思う)

そんなアイスショーから数年。

羽生くん金メダルだって!」と。

中学の冬の朝、母親に叩き起こされたことを今でも覚えている。

え?「あの」羽生くん?と何度も確認して。

自分私生活が忙しくて少し離れてる間にすっ転びまくっていた少年五輪メダリストに変化していた。

何度も何度もソチ五輪映像を反芻して、居ても立っても居られなくなった私と母はそのまま3月のワールドに行った。

(このワールドsp、滑り出しの直前に「ゆづ〜!愛してるゥ〜!」という複数人による謎の掛け声があり会場全体が変な空気になったんだよな、カスゴミ客は死んでくれ。)

その後はとんとん拍子で転がり落ちるように沼にハマりファンになった。

全部は長いから書けんけど、常に「羽生結弦」という男は自分にとって輝ける一等星というか。

第一印象がすっ転びワイゼンだったことも大きく、自分がまだ中学生でこれからなんでもできるという時期だったこともあって「彼のように努力すればここまで上り詰めることができるんだ」というある種の指標になっていたんだと思う。

羨望とかそういうのひっくるめて、こんなに頑張ってる人がいるのに、自分体たらくはなんなんだろうかと考えるそういう感じ。

中学高校私生活勉強で色々両立することがあって大きな変化はなかったけど、やっぱり「羽生結弦はいつも生活の側にあった。

普通に肩こり酷い人間だったから、黒と青のファイテン常に付けてた。これ可愛いよね。

高校入ってからかな。

母の彼への入れ込み方が激しくなってきたことがあって、若干嫌悪感を持つ時期があった。

詳細は省くけども、

ひねもす掲示板に張り付いて有る事無い事、噂やファン同士の諍い…望んでもないのに大量の情報を聞かされ、注入される感覚はあまりにも不快で気がついたら「憧れ」から「実の娘である私よりも母の気を引く邪魔存在」にもなっていた。

中国杯の後に増えたファン民度の悪さとかに嫌気が差していたり、自分勉強の方とかで精神的に追い詰められていた部分もあったから単純な話ではないのだけれど。

その頃自分大学受験に際して、部活のように取り組んでいた習い事を辞めていた。

スケート完璧勉強もできる「羽生結弦」を横目に「ああ自分は彼のようにはなれんのだなぁ」と失望してた。

また当時自分は家庭環境が最悪になっており家を出ることが目標だった。

家を出るためには親が納得するき足るだけの学力とそれだけの大学でないと説得できないと思ったこと、羽生結弦という男が育った街が知りたくて東北大を選んだ。

他に行きたい場所もなかったから、仙台に行くと決めてからはわりとすんなりと勉強ができた覚え。

羽生結弦過去ananの表紙を飾っていたが、意味わからんクソナガ茶マフラーを巻いてるポスターを机の前に飾ってた。

今なおよくわからん長ェマフラーをしてたのかは謎(調べると画像が出てくるから暇だったら見て)

どう考えても勉強する環境ではないが、サボろうとしても前向けばあの眼光から監視してもらう感じで。

話がズレたな。

平昌五輪差し迫り、母は現地で見たいと切望したものの、それまでの家事を疎かにする姿を見ていて誰がそれを応援しようと思ったか

当然家族全員反対した。

今思えば行っておいでと言えば良かったかもしれないが、私からしてみれば娘の受験よりも「羽生結弦」が優先なんだ、へぇ(笑)って感じだったし。

そんなこんなしてるうちに羽生結弦はサラリと2連覇。そこからまたファンが増え、シーズンオフアイスショーでも変なファンが増えたことでさらに嫌気が差していた。

どこかのアイスショーだったか忘れたんだけど、トイレ行ってる間にババアが「ゆづパンツが」とか会話で盛り上がってるの聞いて気分良いわけないからな。

あとアレな、アイリンの奥にある待合室の椅子全部、一つ一つに座っていたババア。この手のファン自称してる変な人たちも気持ちいから消えて欲しい。

無事進学が決まったことで家を出て、一人暮らしと同時に意識的スケート界隈を視界に入れないようにし始めた。

ここで一回離れたのが良かったのか悪かったのか。国際センター仙台駅の本屋仙台地下鉄ポスター

競技を追わずとも、さまざまなところで羽生結弦という男を目にして、その度にこの男を見て自分はこの土地までやってきたんだと思い出していた。

また話ズレるけど仙台大好き。

故郷よりも好き。

都会なのに緑が多くて気持ちがいいんよね。

就職を契機に都内へきてしまたか仙台を離れてしまったけど、はよ仙台戻りたい。

私は川が大好きなので死後、私の遺骨は広瀬川に撒いてくれと常日頃言ってます

大好きだ仙台

話を戻そう。

とはいえTwitterでこれ見よがしに呟いてるファンは正直気持ち悪かったし、自分も同じようになりたくなかったかTwitterでは鍵開けて呟くこともしなかった。そもそも羽生sageがひどい中、どれだけ擁護しようとも「羽生ファンガー」「ユヅリスト笑」と言われるんだから俺たちにできんのは「沈黙」だけだろ。

(ここでクラピカの顔が出てきたやつはツイカスかハンターオタだから前者はツイカであること自覚して生きような)

TwitterじゃなくてX?

うるせぇ、俺たちが共通センターと呼ぶのとおなじや。

そんなこんなでたまに目にしたり、アイショー見たりとかするくらいまではしてもシーズン中全部追うみたいな生活を2.3年せずにいたら北京五輪になってた。

数年まともに追っかけていなかった間に、さらスケーティング技術が向上してる様を見てやっぱり努力の人で憧れなんだよなと再認識した。

FPの朝。

雪がしんしんと降り積もる中、大崎八幡宮に4A祈願へ向かった。

FP前日に事実無根記事が大量に出回っているのを見て「4年経ってもこんな記事を書いて彼を貶めようと必死なんだ」と辛い思いしたな。

何年経っても彼を取り巻く環境は良くなるところか酷くなる一方なんだなぁと。

タイミング忘れちゃったんだけど、いつかのシーズンで本人が死のうと考えたみたいなこと言ってたのを時折思い出して。

それを考えると結婚したいと思える人と出会たことはなんて素晴らしいことなんだろうと素直に言えるんだけども。

そんなこんなしてたらあれよあれよと時間が過ぎて、引退かと思ったらプロ転向へ。

前々から引退したらどうしようと思っていたところ、最高の「答え」をお出しされて悲しむことも落ち込むこともなくて嬉しかった。

男子スケートにハマった理由に、彼らが命を燃やして戦うあの会場の空気が好きだったこともあって、その覇気がなくなったのは些か寂しい気持ちもあったけど。

まだこれからも彼のスケートが見られるんだなって嬉しかった。

ここまで色々自分の話をまとめてしまったけれど、ここからプロ転向後の個人的にモヤった点をいくつかまとめておく。

プロローグの八戸だっけな。

みんなのライト投票して踊るプログラムを決めるってやつでさ、

最初の方はみんな悲愴が多かった覚え(多分水色と青色が似ててそう見えただけの部分もある)なんだけど選ばず他のプロ踊って。

数日間ある中でも最後の日に、悲愴思い入れがあるからと踊って。

じゃあ最初からリクエスト選択肢から悲愴外してよかったんじゃね?になったけど。

あともう一個個人的に許せなかったのが阿修羅ちゃんだっけ、adoの曲使ったやつ。

adoなんて過去ネット活動してた人をアンチ自殺未遂まで追い込んでたわけじゃん。

そんないじめていた側の人間音楽を使うという事実を受け止められなかったんですわ。

giftとか、お礼に〜って内容なのにそこで使うのが「あの」「ado」ですか(笑)っていう。

いつまでも過去の話を蒸し返すなと言われるかもしれないけど、散々sage記事アンチに酷い目に遭わされてた羽生結弦がソイツの楽曲使うってグロくない?

この辺から自分の思ってた羽生結弦から乖離が起きてるのを感じていた。

まぁ自分が合わなくなっていっただけだけど。

あとまたこれは違う愚痴

notte stellata3/11に現地参加してたんだけど、中国ファンか知らんが明らかに場にそぐわない掛け声すんのやめてほしい。

こちとら鎮魂なり祈り、そこから希望とか再生意味するショーだと思っているのにそこで「あいしてる」なんてでかい掛け声は耳障りなだけなんよ。

最近見なくなったけど貞子みたいなストーカーも、アイスショー千秋楽必ずセンター1列目の変な女も邪魔

そもそもフィギュアスケートというスポーツのあり方自体も異質だよね。

プロではなくてアマチュアの方が技量が上、大会などに出場して集客してと見せ物のようになるのがアマチュアの方なん。

ただそのスポーツが好きというだけで始めた人間が、上手くなればなるほどよく分からない人たちの目に晒される環境にあって、

アスリートなのにアイドルのような消費の仕方/され方してるのがな…高校野球だけ謎に神聖視されてるのと似てる?

アイドル最初からそういう売り出し方をするからいいが、スポーツは違うじゃん。

好きで始めただけなの晒されて人格に難癖つけられてとかね。

世知辛いわね〜

まぁそんなこんなで、勝手理想像を求めてる俺みたいな人間は鈴の言葉でも反芻して生きような↓

すごい、馬鹿みたい。

勝手に期待して、勝手失望して。

ほんと馬鹿みたい。

でも王様ってそんなものなのね。

みんな勝手に期待して、陽子自体ことなんて考えてもみないで。

勝手失望していくの。

(アニメ十二国記』より)

Twitterとか世間では祝福の言葉ばかり目について、悲しむような人を見つけられなかった。

その様子を目の当たりにして、素直に喜べなかった自分の心の醜さに打ちひしがれてしまったし、周りのその「潔白」な態度に吐き気を催した。

だってさ…

今まで彼が「スケートを想って滑ってる」と思いながら見てた演技が「誰か特定の人に対しての感情を含みながら滑っていた」とかだったら悲しくない?

悲しくない?そう…俺が捻くれてるだけやね。

まぁそら遠くからお金落としてるだけのファンと、近くで辛い時支えてくれた人ならそっち好きになるのは当然だしね。

羽生結弦ファンであるなら、ファンもどこまでも清く、正しく、美しくあるべきところ私はそうできなかった。

私と同じように思っていても、表向き発信してない人が多くいると思うし。

私みたいな人も同じようにいるんだと知って、1人でも救われれば良いなと思って今回ここまでちゃん自分気持ちを書いた。

これは関係ない話だけど、Twitterで「羽生結弦結婚したのは俺?!俺!ole!」言うてる人の見て元気出たよ、ありがとう

どんなに切望しても普通には得ることが叶わない、スケートの神に愛された男が、スケート以外に愛する存在を見つけてしまった事実が悲しかった。

ただ、ただ、悲しかったんだと思う。

でもそれが神様でもなんでもない、人間としての羽生結弦で。

踏みつけても立ち上がるたんぽぽのように。

泥の中から咲かせる蓮の花のように

どんな場所でも美しく在る男の姿が。

そんな1人の男が好きだったな。

報道翌日に体を引き摺りながら仙台へ行って七夕祭り楽しんできたけど、また今度仙台行ってご祝儀代わりにお金落としてくるわ。

次はヒカペ目標で。

じゃ。

2023-04-05

anond:20230405163423

Perfumeじゃないけど某二次元コンテンツライブで行った時、仙台駅からシャトルバス出たけど遠いわ、土砂降りで靴の中まで濡れるわ、大変な目にあったのでお気をつけてー

2023-03-22

anond:20230322195428

地方バスターミナルあるような大きい駅から徒歩3分のとこに戸建て立てられる土地売ってるもんなんや

俺1回仙台駅徒歩5分以内で戸建て探したけどそもそも売りに出てる建売も土地なかった。

2023-03-19

(2023/3/18更新)みんなの考える全国の「中堅以上の回転寿司」②【東海近畿中国四国九州沖縄

北海道・東北・関東甲信・北陸はこちら

更新履歴


くら寿司で甘えびの尻尾食べてた増田です。

記事への反応ブコメで集まった、皆さんの考える「中堅以上の回転寿司」が旅先でとても参考になるので、自分用にまとめようと思う。

  1. 地方別にコメントの多い順に掲載否定的コメントは除いた)。複数地方に出店しているチェーンは本拠地っぽい所に分類した。/以降は本拠地以外の地方の出店。★はその地方複数の都府県に出店している場合、重点的に展開しているところ(道内市町村)。
  2. ブランド名が違っていても系列店で中身の違いがあまりなさそうなところはまとめて計上した。同じ名前回転寿司以外の業態を取っている店がある場合ブランド名に「回転寿司」等を付記した。
  3. 回らないお寿司についてもコメントをいただいてありがたいが、基本的回転寿司オンリー特急レーンやネタは回っていない店含む)で掲載する。その割に回らないお寿司紛れ込んでたらすみません
  4. 食べログ」列は「回転寿司+店の名前」で食べログ検索した時に、標準の並び順で一番上に来た店舗とその点数・口コミ人数(PR店舗がなければ一番評点の高い店舗)。参考:食べログ「点数・ランキングについて」
  5. かいところはフィーリングなのでご容赦ください。参考になれば幸いです。

東海

コメント店名食べログ出店地域一言コメント
9沼津魚がし鮨3.37/214人
沼津店)
静岡千葉東京神奈川注文した寿司が席まで流れてくる「流れ鮨」発祥の店らしい。でかネタ
6にぎりの徳兵衛3.21/82人
仙台駅前店)
福井山梨岐阜★、静岡愛知
宮城三重京都大阪
5魚魚丸3.07/30人
豊橋店)
岐阜静岡愛知読み方は「ととまる」。マグロ解体や藁焼きショーが楽しめる
3回転割烹 寿司御殿3.47/99人
有松店)
愛知系列に回らない店もある
2まぐろや石亭3.41/97人
瑞穂本店
愛知もりもり寿しと同じ会社マグロ推し
1沼津すし之助3.46/142人
沼津本店
静岡東京神奈川「こぼれ寿司」が登録商標
1魚磯3.48/331人
伊東店)
静岡
1魚どんや3.49/247人静岡チェーン店
1海転寿司丸忠・
回転寿司丸忠
3.30/63人
サンロード店)
岐阜愛知★、セントレア
長野三重奈良
1大漁3.39/37人
西尾店)
愛知

近畿

コメント店名食べログ出店地域一言コメント
9にぎり長次郎3.10/11
平針店)
滋賀京都大阪兵庫奈良和歌山
埼玉東京愛知
9大起水産3.30/147人
(堺店)
京都大阪兵庫奈良
3寿しのむさし3.46/169人
京都八条口店)
京都
3弥一3.44/84人
(宮街道店)
大阪和歌山甘味おすすめ
3力丸3.16/37人
JR姫路駅店)
兵庫関係ないけどウェブサイトURLの「俺が回転寿司だ」感がすごい
2北海素材3.55/18人
イオンモール和歌山店)
大阪★、兵庫和歌山
2函館市場3.06/39人
京阪宇治店)
滋賀京都大阪兵庫岡山函館の朝市とは無関係です
2金太郎3.52/45人
城南店)
兵庫淡路島
1すし道場3.56/160人
桑名店)
三重
1廻鮮寿司 海座3.35/39人
近江八幡店)
滋賀福井系列に回らない店もある
1流れ鮨三代目おとわ3.41/47人
池田本店
京都大阪兵庫
1京・朱雀すし市場3.33/67人京都チェーン店
1回転寿司 がんこ3.47/148人
エキマルシェ大阪店)
大阪和食などの飲食メインの会社系列
1喜十郎3.20/41人大阪チェーン店

中国

コメント店名食べログ出店地域一言コメント
10北海道3.65/115人
(皆生店)
鳥取島根社長北海道での修行経験名前の由来らしい
6すし丸3.23/26人
潮見店)
岡山広島東京徳島
3しまなみ3.44/56人
(曙店)
岡山広島
2すし鮮・すし辰3.44/143人
(すし辰ekie店)
広島
2たかくら3.49/252人山口チェーン店遊漁船もやってる魚屋さんの店
1大漁3.46/105人
(みなとさかい店)
鳥取
1海都3.07/36人
岡山駅前店)
岡山★、広島山口福岡佐賀
1すし遊館3.23/87人
唐戸店)
岡山★、広島★、山口香川
1のん太鮨3.14/30人
紙屋町店)
広島山口系列に回らない店もある

四国

コメント店名食べログ出店地域一言コメント
7すしえもん3.39/73人
宇和島本店
愛媛東京兵庫福岡メジャーリーガー岩村明憲選手の兄が経営
5寿し一貫3.29/16人
太田店)
徳島香川愛媛高知
4ここも・びんび三昧
天天丸・てんてん丸
3.50/12
(ここも志度店)
香川★、愛媛高知同一グループ複数ブランド名
2廻る寿し 祭り3.00/4人
脇町店)
徳島京都
2しんせんや3.54/57人愛媛チェーン店
1太助寿司3.27/20
米沢店)
愛媛チェーン店
1お寿し通り3.33/26人
古川本店
愛媛チェーン店

九州

コメント店名食べログ出店地域一言コメント
5寿司3.58/52人
都城店)
熊本宮崎鹿児島
5めっけもん3.58/47人
国分店)
熊本鹿児島「文春オンライン 全日本ローカル回転寿司 西日本編」第1位
4寿司まどか3.04/37人
アミュプラザおおいた店)
熊本宮崎大分鹿児島
3水天3.51/182人
別府店)
福岡熊本大分
2竹丸3.30/28
藤沢店)
福岡長崎★/神奈川
2亀正くるくる寿司3.59/435人大分チェーン店
1すし大臣3.21/26人
鳥栖本店
福岡佐賀
1玄海3.24/62人
天神店)
福岡
1海鮮寿司 海人3.48/163人福岡系列に回らない店もある
1ひょうたん回転寿司3.54/339人福岡系列に回らない店もある。回るほうも回らないほうも大行列
1一太郎3.47/76人福岡チェーン店
1寿司じじや3.25/23
諸岡店)
福岡熊本★、宮崎鹿児島

沖縄

コメント店名食べログ出店地域一言コメント
2海來3.48/321那覇空港チェーン店
1鮨人3.31/40人石垣島日本南端回転寿司系列に回らない店もある

完走した感想

(おまけ)回転寿司まとめツール

テキストエディタMery

エクセルで集計したデータの整形に使った。非プログラマーに優しいシンプルテキストエディタ。ずっと使ってます

RPAツールPower Automate」

食べログ検索して点数と店名引っこ抜く作業で使った。AIと違って命令したことだけを忠実に実行する。

ちなみにBing AI回転寿司店の名前一覧を渡して「それぞれの公式サイトURLひろってきて」って言ったら見つからないもの捏造してきた。


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2022-08-21

もしも昭和アイドル田村ゆかり全国ツアーがあったら(という鉄

プロローグ

もうすぐ神楽坂ゆか生誕祭である昭和アイドルっぽさを感じさせる彼女は、もともとは「田村ゆかり」という名前デビューしたと記憶している。

ところで、たまたま先日購入した1978年10月「ゴーサントオ」の時刻表復刻版がある。

https://jtbpublishing.co.jp/topics/CL000461好評の「時刻表復刻版」第6弾 特急時代の幕開け!「ごお・さん・とお」(1978年10月号)ダイヤ改正号 『時刻表復刻版 1978年10月号』 2022年5月23日(月)発売 | 株式会社JTBパブリッシング

https://www.amazon.co.jp/dp/4533149782/

この年は音楽番組ザ・ベストテン」の放送開始の年でもあり、「レッツゴーヤング」「トップテン」「ヒットスジオ」といった番組ゴールデンタイムを彩った時期でもある。キャンディーズ解散し、レコード大賞ピンクレディーが獲得し、山口百恵活躍していた。

いま挙げたようなレジェンドともいうべき女性アイドルたちが全国ツアーを開催していたかどうかは定かではないが、もしもそんな昭和時代に我らが田村ゆかり全国ツアーがあったなら、皆どういう感じで移動していたのだろうか…などと、時刻表を見ていてふと考えてしまったのが懐古鉄オタの性というもの

そんなわけで「もしも昭和トップアイドル田村ゆかり全国ツアーをやっていたら王国民はどうやって民族大移動したのだろうか?」というテーマこそ壮大ながら実際は老眼に抗って縮刷版の時刻表にらめっこして連敗した駄文をそっと放流したいと思った所存。

今年もツアーはあったが、過去最大25公演を誇る2021年の*Airy-Fairy Twintail*の開催地からいくつか選んで当時の時刻表に沿った旅程を考えてみたい。

なお毎日運転ではない季節列車臨時列車は極力排した。仕方ないね

1

初日大宮公演だった。

当時はソニックシティはまだなく、大宮商工会館なる施設が同じ場所にあったらしい。1979年にはサザンオールスターズが公演しているらしいので、昭和トップアイドルもひょっとしたらステージに立っていたかもしれない。

https://www.livefans.jp/venues/1204

この頃は上野東京ライン湘南新宿ラインも、埼京線さえも存在しなかった。国電京浜東北線103系東北本線高崎線115系で到着した大宮駅の片隅には首都圏色の川越線気動車が、反対側には東武野田線の吊り掛け駆動車が見られたはずだ。

2

鉄道旅行的に見せ場になるのが金沢松本公演。

北陸新幹線のないこの時代東京から金沢に向かうメインルート信越本線だった。

上野発916の特急白山1号」に乗れば、長野経由でおよそ7時間後の1611には金沢駅に着き、前の年に落成したばかりの本多の森ホールにどうにか開演時刻ギリギリに間に合う計算だ。少し余裕を持ちたいなら上野819発の特急はくたか1号」で1504金沢着。こちらは長岡経由である

翌朝、今度は金沢から松本に向かう。筆者はAFTでは北陸新幹線長野まで乗り、そこから特急「しなの」に乗り換えて松本に向かったが、この時代は乗り換えなしの列車がある。それが金沢949発、おそらくキハ58の、時刻表ピンクのページによれば堂々10両編成の急行列車。後ろ3両が松本行き急行白馬」、中ほど4両は秋田まりで前寄り5両は青森までロングランする急行しらゆき」だ。間違わずに後寄り3両に乗れば、途中の糸魚川青森秋田行き「しらゆきから切り離され、進行方向を変えて大糸線に入って1435松本着だから公演には余裕を持って臨むことができる。編成分割をする糸魚川では正午を挟んで8分停車するからえびめしなど駅弁を買う余裕もあっただろう。

ただ、逆にいうとそれしか手段はない。ましてキハ58はいわゆる「直角椅子」のクロスシートでリクライニングも方向転換もできない。7時間近くも乗っていたらそれだけで相当疲れてしまう。

さら松本公演が終わった日曜の夜。筆者はAFTのときは最終「しなの」で長野に出て一泊し、翌朝の北陸新幹線で出勤した。しかしこの時代なら松本2056の普通列車新宿行きがある。423に新宿駅に着くから一度帰宅してシャワーを浴びて着替えて出勤する余裕は十分にある。ただしこれもまた「直角椅子」どころかおそらくセミクロス115系だったろうから、少しでも居住性を求めたければ2359発の急行アルプス18号」のグリーン車に乗れば良い。新宿着は500だから余裕を持って出勤できるのは言うまでもない(出勤した後のことは例によって保証できない)。

3

新幹線はすでに博多まで開通していたし、熊本空港には全日空の3発ジェットトライスター東亜国内航空DC-9が就航していたが、鉄道好きとしては1645東京1058熊本着の西鹿児島行き「はやぶさ」か、1700東京発1123熊本着の「みずほ」を推したい。食堂車で夕食・朝食の2食をいただくのんびりとした旅である

ただ、昨今の「サンライズ」などとは違って当時の寝台特急にはシャワー室はなかった。「はやぶさ」「みずほ」には個室もなければ女性専用車もなかったから、今や全国民の1/4に迫らんとする女性王国民の遠征には不向きだったかもしれない。まして当時の長距離列車喫煙可能が当たり前で各ボックスシートの窓際に灰皿が標準装備されていた。

しかしもう少し前の1970年頃に青春時代を過ごした我が母親によれば、当時のスキー列車はいつも満席で男女問わず通路デッキ新聞紙を敷いて座り込んだというから、たくましい遠征女子も実は相当数いたかもしれない。

4

新潟仙台は帰り道がポイントになる。

東北上越どちらも新幹線はこの時代は絶賛工事中。開通は4年後の1982年だ。しか上越線には「とき」東北本線には「ひばり」というエル特急が毎時1本ペースで運転されていたから往路はどうにでもなる。

新潟の帰路、私は最終新幹線に飛び乗れたが、この当時なら2300新潟発の急行佐渡8号」で506上野着か、横になりたければ2312の秋田から来る急行天の川」で555上野着。新津まで普通列車で出ておいて040発の急行鳥海」で642上野着でもいい。

仙台からは公演後だと2320発の急行「新星」がおすすめだ。仙台駅には早々と入線しており2130から発車前の寝台を利用できるのが嬉しい。上野到着は536だから一度帰って身支度を整える余裕もありそうだ。このほか、仙台2257→上野519の青森常磐線経由の急行十和田2号」や、座席車なら仙台2336→上野542の急行「いわて4号」も便利であろう。なお急行十和田」はこのあとも4号・6号が仙台に停車するし、特急ゆうづる」2号・4号も利用できる。

そうして考えてみると、まだまだ高速道路網が未熟だったこの頃、寝ている間に移動できる安価手段鉄道しかなかったのだということを改めて感じさせられる。1970年代でも長距離バス運行されていたが、都内新潟高速道路でつながったのは1985年仙台は87年。歴史でいえば線路の方がはるかに長い。

なおこの当時、上野仙台特急ひばり」で4時間以上かかっていたので、羽田空港から仙台空港への航空便全日空により1日4往復運航されていた。

5

ならばその先はどうか? 札幌公演に行くにはこの当時でも飛行機が当たり前の選択になってきていた。筆者は81年の夏に北海道の親戚を訪ねる旅に出たが、祖父母に連れられて上野から青函連絡船を経て親戚の住む苫小牧まで20時間ぐらいかかったように記憶している。まだ青函トンネルは開通していなかった。

それでは札幌公演に陸路海路で挑むとすればどうなったであろうか?余裕を持って開演に間に合わせるならこのルートである

2140上野特急ゆうづる5号]705青森or2221上野特急はくつる]711青森

青函連絡船5便 730青森→1120函館

1140函館特急おおぞら5号釧路行き]1550札幌or1145函館特急おおとり網走行き]1558札幌

急行自由席に乗れる周遊券を利用するなら上野1908→青森617の「八甲田」や函館1150→札幌1630の稚内行き「宗谷」も良い選択肢であろう。

やはり北海道は遠い。時間に余裕のない向きは素直に飛行機を利用すべきであろうが、千歳空港国鉄の駅が接続されるのは2年後の1980年のこと。この時刻表の時点では札幌駅前からバスに乗るのが普通手段であった。

6

そして福島公演はエクストリーム出勤の宝庫であった。終演後の福島駅発上野行きを見てみると、

2350 急行「あづま4号」437

025 急行出羽」502

043 急行「新星」536(寝台あり)

056 急行「いわて4号」542

155 急行津軽2号」605着(寝台あり)

このほかに夏休みシーズンだけに季節列車臨時列車運転されていたと思われるので、かなりの席数が利用可能であったと推察される。

座席車特急はいわゆる「直角椅子であるが、寝台車連結の急行列車では短時間でも横になって移動できる利点がある。これは現代夜行高速バスでも(実際に運行されてはいるが)まだまだ一般的ではない。バス鉄道車両よりも小さくて何両も連ねて運転されるわけもないから、寝台は不可能ではなくても困難が多いのであろう。

7

国鉄監修時刻表を見る限りでは、東名阪バス国鉄ハイウェイバスしか掲載されていない。関西公演からの帰り道は2240大阪駅→815東京駅の「ドリーム2号」か2200京都駅→643東京駅の「ドリーム4号」しか見当たらない。

鉄道ならば京都2237の特急出雲2号」、同015発の「出雲4号」なら700には、大阪2358の特急瀬戸」や同005の特急あさかぜ2号」でも730には東京駅に着けるからエクストリーム出勤勢の強い味方になり得たと思われる。なんなら関西勢と感想を語り合いつつ酌み交わす余裕は十分にある。しかもこれらは当然寝台車であるから、予約さえ取れれば会場内外で充実至福のひと時を過ごしたのちに千鳥足でベッドに潜り込んで目覚めれば東京駅も間近に迫り、どうかすればまだ夢見心地のまま出勤せざるを得ないベストコンディションを通り越した邪悪な何かを感じずにはいられない有様である

なぜ新幹線ではなく在来線を推すのかと問われれば、その当時の東京行き最終「ひかり116号」は新大阪2034発であるからフェスティバルホール(当時は改築前)から終演後直ちに最寄りの四つ橋線肥後橋駅に走ったとしてもけっこうタイトな時刻設定であることが第一に挙げられる。梅田の地下に慣れない関東勢四つ橋線西梅田を出て乗り換えに手間取ると、最終の新幹線は慈悲もなく出発してしまう…それは正直恐ろしい。

エピローグ

筆者は鉄道好きで鈍行やら夜行やら多少は乗ってきた経験ノスタルジーがあるので満更でもない旅行だなとほくそ笑みつつこ文章を書きつけてはいるが、冷静に考えてみれば当時は今よりずっと不便で居住環境は悪かったように思う。なりふり構わぬ男性特に体力に自信のある若者にはなんということはない行程だったと思うが、女性にはあまり優しくない環境だったし、筆者も若い頃は大きな鞄を抱えて夜行連泊するような旅をしてきたけれど今この歳になってふたたび体験するのは懐古趣味差し引いてもためらいが多めに残る。

とはいえ不便で時間のかかる旅を楽しみたい向きが今もなお大勢いるのは承知している。そんな黒鉄の人々に机上タイムトラベル提供できたら幸いかなと。ただそれだけ。

本文に田村ゆかりは出てこずに時刻表を読み解くだけだったが、10月横浜で公演があるのでよければバス飛行機よりも鉄道を乗り継いで参加して紀行文と公演感想文を読ませてくだされば筆者はDouble Fascinationになれる。

それはともかくできる限り多くの客席を埋めて盛況の公演としたいので、関心のある方は下記から申し込みいただければ幸甚に存じます

https://l-tike.com/concert/mevent/?mid=282963

2022-07-02

anond:20220702145931

古くからの中心地が別にあって(名古屋では栄町仙台では一番町)、ここ20年ほどの間に中心駅周辺の開発が進んだという事情は同様なのに、仙台駅には愛称らしいものが無いのは言われてみれば不思議だな

2022-05-19

19日午後1時半ごろ、仙台市青葉区中央3丁目のJR仙台駅付近路上で、「刃物ようのものを持った男を見た」と10女性から110番通報があった。多くの警察官現場急行して駅周辺は一時騒然となったものの、「刃物ようのもの」は「ガラケー」との見間違いと分かった。

 仙台中央署によると、通報した女性2人組の元に警察官が駆けつけたところ、通報者ではないもう1人の女性は「ガラケーだった。いじってるように見えた」と話したという。

 署はその後、防犯カメラを解析するなどして周辺の捜索を続け、通報された男性特定。持ち物検査をしたところ、実際に所持していたのはガラケーで、刃物は見つからなかったという。署は通報者の見間違いで事件性はないと判断している。

2021-10-02

仙台市バスは、仙台駅への一極集中を辞めた方がよいと思う

仙台市バスは、ほとんど(半分以上)の路線仙台駅発着なので、JRとめちゃくちゃ競合してる。

しかし、仙台は競合するほどの都市規模でもないので、JR市バスも客の少ない非効率運用とならざるをえない。

その証拠に、JR市バスも年々便数を減らしている。

からJRは今さら路線を変えられないので、市バスの方が、例えば都心部のように、途中駅での発着便主体に切り替えるべきだと思う。

というか、地下鉄東西線開業に伴って路線再編できたのだから、できないはずがない。

仙山線愛子駅仙石線小鶴新田駅などを発着駅として路線の再編を進めることが赤字体質改善特効薬になると思う。

2021-07-01

おかえりモネ 28話 忘備録

宮城県登米市米麻町北上 385

一般財団法人 気象業務支援センター 実在

住所も同じ

TEL 03-5281-366 (試験部) 最後の桁がないだけ

高速バス 仙台駅前 ←東北自動車道→ 若柳 登米

佐々木課長から田中さん意志確認のために喫茶店を向かう

ように頼まれていた

田中さんはなぜ大きなテーブルを注文したのか が29話へのひっぱり

2021-06-23

おかえりモネ 28話 忘備録

宮城県登米市米麻町北上 385

一般財団法人 気象業務支援センター 実在

住所も同じ

TEL 03-5281-366 (試験部) 最後の桁がないだけ

高速バス 仙台駅前 ←東北自動車道→ 若柳 登米

佐々木課長から田中さん意志確認のために喫茶店を向かう

ように頼まれていた

田中さんはなぜ大きなテーブルを注文したのか が29話へのひっぱり

2021-03-24

仙台駅駅ナカ飲食店に入ると出張トンキンが帰りに宴席開いてコロナ撒き散らして帰っていく様子がみられるよ

2021-02-07

変な設定の夢を見たので書いておく

なぜか会社の全員が仙台に異動することになり、電車ものすごい地下に到着したので壊れかけたエレベーターで地上に昇った

(※実際は仙台に何度も行っているので、仙台駅がそうでないことは知っている)

遅れて新オフィスに到着し、新しい制服をもらったところまでは良かったけれど、全員芸人みたいな派手な衣装に着替えて多くの部屋に分かれて即興劇をしており(研修の一環らしい)自分の課がどこだかわからない

いったん制服や持ち物を置いて歩き回り、ようやく自分の課の部屋を探し当てたがそこで昼休みになってしまった

売店では牛タン弁当をメインに販売していたが、制服や持ち物を入れていた袋は中身が空になっておりお弁当すら買えず、仕方なく外に出て警察に行くことになった


というところで目が覚めた。

この前日にも財布を盗まれる夢を見ているので正夢にならないか心配

2020-10-01

ネタバレ注意】『ラッシュライフ』の章題「最高時速240キロ場所から物語が始まる」考察

※※ご注意!※※

伊坂幸太郎著『ラッシュライフ』(新潮社刊)の伏線考察であり、トリック的な部分に深く触れています。未読の方はこの記事を閲覧しないことをお薦めします。

作家伊坂幸太郎さんの人気作『ラッシュライフ』。

画商と画家プロ泥棒新興宗教信者精神科医サッカー選手失業した男・・・つのストーリーが併走する、巧緻な群像劇ミステリーで、とても好きな作品である

先日、書店に行ったところ、作家生活20周年を迎えた伊坂さんのフェアがスタートしていて、伊坂さんのインタビューが載った特別記念冊子も置かれていた。このインタビューの中で「二十周年だから明かせる、作品に関する秘密」はあるかと質問された伊坂さんは、『ラッシュライフ』について興味深い発言をされていた。

ここに引用してみる。

ラッシュライフ』の冒頭の章扉に、「最高時速240キロ場所から~」と書いてまして、ある機会に一度話したことがあるんですが、あれって物語構成示唆している伏線なんですよね。その分野に詳しい人が、「あれ?」と違和感を覚えて、読み終えた後に、「そういうことだったのか!」と喜んでくれるんじゃないか、と期待していたんです。ただ、意外にそういった声は聞こえてこなくて、独りよがりだったかなあ、と少し反省しています(笑)。当時、最初の一行目にヒントがある、というのをやってみたかったのかな。


この「物語構成示唆している伏線」というのが気になってしまった。

引用文では「最高時速240キロ場所から~」と省略されているが、正しくは「最高時速240キロ場所から物語が始まる」。伊坂さんが話しているように、章扉に書かれている一文なので「章題」と呼ぶべきものだろう。

自分は『ラッシュライフ』は複数回読んでいるが、そういえば、この章題をさほど気に留めたことはなかった。

章扉の次ページからラッシュライフ』の本文になる訳だが、その始まりは「画商と画家」のパートだ。画商の戸田画家の志奈子は得意先回りのために「のぞみ500系」に乗車している。

から当然、「最高時速240キロ場所」とは、この「のぞみ500系」のことだろう。今まで単純にそう思いながら読んでいた。

これの何が「伏線なのだろうか?

1人でただ考えていても見当がつかず、何か手掛かりはないかと「のぞみ500系」でネット検索してみた。

すると、あれっ?と思う結果が出たのだ。

のぞみ500系」は2010年に引退し今は走ってはいないが、運行していた時の最高時速は「300キロ」だというのである

「240キロ」ではない。

では、この章題は、間違っている・・・

まさか「間違っていること」が「伏線」なのか?

やはり考えても分からなかったので、さらに『ラッシュライフ』の再読を進めることにした。

すぐに、あることに気づいた。

のぞみ500系」ではない、新幹線名前が登場するのだ。

文庫版(初版)だとp.21、ここから新興宗教信者」のパートが始まる。仙台駅近くの喫茶店で、信者河原崎がコーヒーを飲んでいるシーンだ。

河原崎がぼんやりと窓から眺めているのが、ホームに入ってくる「MaxやまびこE4系である

そこで、「MaxやまびこE4系」も検索してみた。

この車両2012年に引退しているそうだが、それはともかく。

その最高時速。

「240キロ」だった。

これはいったい、どういうことなのか。

重大なネタバラシをしてしまうと、『ラッシュライフ』は数日間の物語だが、時間的に古いエピソードから順に書かれている訳ではない。作者は5つのパート時系列を崩して配置しているのだ。その配置によって、異なるパート登場人物たちが接近しているように見えたり、時間を隔てたエピソード連続して起きているように見えたりする。そう見えることがさらに謎を生み、ストーリー錯綜しているように読者は錯覚してしまう。本書の読みどころは、その「騙し絵」のごとき、巧みな構成だ。

具体的に言えば、前述の戸田と志奈子の「のぞみ500系」乗車シーンは、冒頭ではあるが、実は物語の「いちばん古いエピソード」ではない。

では、時系列としての「ファースト・シーン」はどこなのか。

それがはっきり分かるのが、p.450からの本文。仙台駅前に白人女性が立っている。彼女スケッチブックを手にし、街行く人に声をかけて「好きな日本語」を書き込んでもらっている。登場人物たちがスケッチブックに書き込んだ順番がここで明かされることで、物語の正しい時系列が判明するのだ(本書には、このスケッチブックエピソード以外にも、読者が正しい時系列を把握するための描写が随所に散りばめられている)。

さて、スケッチブック最初に書いたのは、誰だっただろう。

それは「新興宗教信者」の河原崎だった。

時間的には、『ラッシュライフ』は河原崎のパートからスタートするのである

河原崎は喫茶店から、最高時速240キロの「MaxやまびこE4系」を眺めている。

最高時速240キロ場所から物語が始まる――

この章題は、「間違い」などではない。 

これは「MaxやまびこE4系描写されているシーンから物語が始まる」という意味だ。

物語の真のスタート地点」を暗に示した「伏線」だったのだ。

伊坂さんはインタビューで正解を語っていないので断定はできないのだが、「物語構成示唆している」とは、こういうことだろうと推測する。

インタビュー中の「その分野に詳しい人」とは、鉄道マニアのことだろう。

かに鉄道に詳しくないと、自力でここが「伏線」だと発見するのはかなり難しい。

鉄道が話の筋にに大きく関わる訳でもないのに、「500系」「E4系」と車両形式まで書かれていることにまず疑問を持つべきだったのだが、残念ながら今までまったく気にせずに読んでいた(戸田と志奈子は「のぞみ500系」を降りた後、東京食事をし、仙台へ向かうためにまた新幹線に乗るのだが、その場面では、ただ「東北新幹線」と書かれているだけ。愛称車両形式も記されていない。問題伏線とは関係ない新幹線なので描写する必要がなかったのだろう)。

それでも、伊坂さんからのヒントによって、こうして『ラッシュライフ』に秘められた、伊坂さんの洒落っ気、遊び心を知ることができて嬉しい。この作品がより好きになった。

最後に、『ラッシュライフ』の5つのパート構成については、『文藝別冊 総特集 伊坂幸太郎』(河出書房新社刊)に、詳細な「時間事件相関図」が掲載されているので参照するといい。

2020-09-08

秋田県出身者が総理大臣になること

今回の総裁選では菅さん勝利ほぼほぼ確定しているけど、皆菅さん総理大臣になることの大きな意味をまだわかっていない。

菅さん秋田県雄勝郡雄勝町まれである

雄勝郡とは秋田県南側奥羽山脈のふもとに広がっている農村地帯であり、まあ一言で言えば陸の孤島である

鉄道ファンにとっては、山形新幹線新庄秋田新幹線大曲の間に取り残された在来線区間沿い、と言えば分かりやすいだろうか。

日本近現代史を調べてみると、秋田県という場所は常に貧乏クジを引かされ続けてきた経緯がある。

戊辰戦争時には新政府に寝返ったにもかかわらず、明治時代以降は太平洋側の宮城岩手と比べて冷遇され続けた。

そして未だに仙台から裏切り者」呼ばわりされている。

国道4号線や東北自動車道JR東北本線東北新幹線は全部、福島宮城岩手太平洋側を通っていて、秋田山形は「裏東北」として無視され続けてきた。

つの間にか秋田県自殺者数日本ワースト高齢化日本ワーストネットでも秋田人の陰湿さは常に批判され続けている。

同じ東北地方なのに、仙台駅前の大都会風景と比べると、秋田駅前はシャッター商店街になっているんだよね。

このように衰退一直線の秋田県だけど、ここにきてまさか秋田県出身者の総理大臣誕生である

東北地方出身者の総理大臣は今まで2名いたけど、どちらも岩手出身者だった。

原敬平民宰相と呼ばれ、鈴木善幸東北地方のインフラ整備に尽力したが、菅さんはどんな実績を残すのだろうか。

はっきり言って、今回の菅さんは本当に幸運だったと思う。

岸田さんでは選挙の顔になれないし、石破さんはチー牛顔で総理に向いてないし、敵失の面もあるが菅さんにとっては7年間頑張って来たおかげで「東北地方の日本海側」初の首相になれることを喜びたい。

2019-12-09

anond:20191209160712

100円の回転寿司とかだとおいしくないやつが多いよね。

仙台駅で見かけた、あんきも味噌漬けは美味しかったのでおすすめ

試食できることもある。

2019-10-25

仙台牛タンは薄切りを食え

anond:20190813123238

何やら仙台グルメの話が盛り上がっているが、

個人的ひとつ言いたいのは、厚切り牛タン絶対にNOということだ。

仙台の名店と言われる店の多くが厚切りで牛タンを出してくるが、はっきり言ってありえない。

牛タン素人調理しているんじゃないかとすら思う。

厚い牛タンなんてゴムみたいな食感で、あごは疲れるし味はボヤけるしすぐに飽きるし、全然牛タンとしての旨みを活かせていない。

サクサクと噛みきれる厚切りは、それはそれで不気味だ。肉としての威厳が無い。

あんものを店で食うなら、土産用の薄切り味噌漬けを家で焼いて食ったほうが100倍美味いと、俺は思う。

こう思うにいたったきっかけは、20年ほど前、仙台出張した際に地元の人に連れられて入った牛タンである

夏の日だった。

地理には疎いが、仙台駅の西口から10分ほど離れたところだったと思う。ビルが並ぶ通りから少し裏道に入った場所だった。

さな食堂風の店構えで、知る人ぞ知るという雰囲気である

ここで出された牛タンが薄切りで、その完成された味に驚いたのだ。

メニュー定食

焼き魚を乗せるような長方形の皿に、飾り気無く盛られた牛タン。薄切りとは書いたが、普通の薄切りよりは厚めだ。だが厚切りではない。そして一口が小さい。

同じ皿には、意外なほど大量に添えられた漬物がある。

そしてサイコロ状の肉が一個と、白髪ネギが浮いたテールスープ

麦飯。トロロ。(案内してくれた人にこれは後半に食べろといわれた)

まあ、牛タンだし普通に美味いんだろ程度に思いながら肉を口に運び、そして打ちのめされた。

小さく薄切りにされた肉の一枚一枚に、牛タンの味が凝縮されていた。

見事なまでに旨みだけがコンパクトに封じ込められている。

肉は硬すぎず、適度な噛み応えがある。

噛むとジュワっと肉汁が噴き出す。

厚切りになどしたら下品間抜けな味になるところを、美味さが一口にまとまるように絶妙バランス計算された分量だった。

今までの人生で食べてきた牛タンのコクがすべてここに集結したかのような味である。よく出来たアニメ最終回と同じ感動だ。

試しに二、三口分をいっぺんに食べてみたらこれはもう方程式が狂ってしまい、途端に「違う」と感じた。

やはり意味があっての薄切りなのだ

この店は牛タンだけでなく定食としての完成度も恐るべきクオリティだった。

薄い一切れの味が濃厚で、一口食べるごとに「牛タンを食べた!」と満足できる旨みの強さなので、他の食材にも箸が進む。

まずは当然麦飯。

塩加減が強い牛タンと一緒に食べると、少しパサパサめの麦飯が、まるで砂漠で飲む水のように喉を通過していく。

気づけば食事開始3分で茶碗は空であり、当然おかわりを注文する。

そして名前がわからない手作り漬物と、よくダシの取れたテールスープ、ここまで温存しておいたトロロ。

以前の俺は漬物が嫌いだった。しかしこの定食を食べた時から漬物を愛するようになってしまった。食前に残したらどうしようなどと思っていた自分馬鹿らしい。

一口分の漬物牛タンで巻いて口に運び、麦飯とともに十分に咀嚼する。

牛タンの旨みと野菜の瑞々しさが絡み合い、絶妙に美味い。

笑いたくなるほど麦飯が進む。

夢中でほおばった勢いで軽くむせそうになりながら、それをあっさり味のテールスープをすすって流し込めば、ピリリと効いたコショウで食欲がさらに増進される。

これを何度も繰り返す。

牛タンの旨みを常に新鮮に味わい続けることができる、黄金食事だ。

まりクーラーの効いていない店内がかえって食欲を煽る。

汗をかき喉が渇くが水を飲んでいる暇などない。

至福である

さらにおかわりを注文する。店のオバサンがニヤリと笑う。

すでに麦飯を二杯平らげているので腹もそれなりに膨れかけているはずだが、ここでトロロを投入だ。

この手順をはじめて聞いた時は、牛タンの美味さと余韻をトロロが壊すのではないかと恐れた。しか杞憂だ。

刻み海苔が添えられ甘めのダシで味付けされた冷たいトロロは、牛タンの油と旨みでギトギトになった口と食道に、これまた清涼剤のように染み渡る。

例えるなら、大学時代サークル仲間と一緒に行った海水浴だ。小学校友達プールの帰り道に飲んだラムネだ。

晴れ渡った青空ギラギラと照る太陽イメージ脳裏に広がる。

夏だ!! 俺は今夏を味わい尽くしている!! そう心から確信した。

行儀など気にする余裕もなく、とにかく目の前の牛タン定食を味わい尽くすので精一杯だった。

冗談抜きに、俺と牛タン定食だけの空間だった。

まりの美味さに食事中はほとんど口も聞かず(案内してくれた人は食べる順番などを細かく指示してくれた。はじめは鬱陶しかったがあとから本気で感謝した)ガツガツ定食をむさぼり、店を出てからはひたすらに美味かった、本当に美味かっためちゃくちゃ美味かった、と連呼することしかできなかった。

案内してくれた彼は、特に言葉を返さずに、しかし心から笑顔で静かに頷いていた。

夢のような牛タン体験であった。

それ以来、牛タンは薄切り派になった。

何年か経ち、また仙台に行く機会があったので当然のごとく牛タン屋に向かった。

一人だったので、とりあえず有名店なら外さないだろうと思って適当店舗に入った。

しかし、出てきたのは厚切りのブサイク牛タンで、タン特有の味や匂いぼんやりと口中を漂うだけで美味くもなんとも無く、噛みきれない肉にイライラするだけであった。

テールスープもギトギトしているだけでアブラ水を飲んでいるようだった。

漬物だけの方がよっぽど食が進んだ。

しかし、これが有名店であり、地元民や観光客などから歓迎されているという事実に、さら絶望した。

あれから何件か牛タン屋をめぐっているが、どこも厚切りのものばかりで、あの奇跡のような薄切り牛タンにはめぐり合えていない。

どうやら牛タン界隈では、薄切り派に居場所は無いらしい。

俺は少し牛タンを嫌いになった。

できることなら、あの店、あの奇跡牛タン定食を出す店に、もう一度行きたい。

もう一度あの薄切りの牛タンを堪能したい。

そしてみんなにも行ってほしい。

ご存知の方がいたら、どうか店名を教えてほしい。

しか20年も前だ。

店はもう残っていないのかもしれない。

ぶっちゃけただの個人的な思い出話であり、厚切りか薄切りかは別にどうでもいい。

どちらにしろあの牛タンは恐らくもう食べられないのだ。

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