はてなキーワード: ミュージシャンとは
MステにBack Numberが登場した時、タモリとトークするBack Numerの後ろの席に、マッキーと平井堅が居た。
マッキーはBack Numerの作詞作曲をしている清水依与吏をべた褒めで、「今後は清水氏に(Jpopの)「切なさ(だったと思う)」の部分はまかせるから」って言ったという話をしていて、その瞬間、平井堅の表情が一瞬曇った気がした。
平井堅さんには「切なさ」なら俺っていう自負があったのかなって、その時、思った。
ボーカルとパフォーマンスを含めてトータルでは悪くないんだけど。
さて、作曲家としての才能は、好き嫌いはあるにしても、世間一般の評価・認識はだいたい同じになると思う。
以下、私の評価だけど、皆さん、どーでしょうか?
<特Aクラス>
「誰もが認めるその才能。メロディは多彩に富むがどの曲を聴いてもその人が作曲したとわかる。長年に渡って第一線で活躍する。ヒット曲多数。」
桑田佳祐、松任谷由実、桜井和寿、スガシカオ、山下達郎、槇原敬之、椎名林檎、藤原基央、菅野よう子、澤野弘之
<Aクラス>
「複数のヒット曲。その後の活躍によっては、特Aクラスへ移行する可能性あり。ややメロディの多彩性に欠ける。」
奥田民生、キリンジ、スキマスイッチ、中田ヤスタカ、宇多田ヒカル、久保田利伸、絢香、中島みゆき、矢野顕子、飛鳥
<Bクラス>
「悪くないんだけど、どこか物足りない。大ヒットを飛ばしたが、その後、出す曲がいまいち。ファン層が限局的で、メジャーになかなかならない。Aクラスより更にメロディの多彩性に欠け、出すシングル曲がどれも似て聴こえる。」
平井堅、やくしまるえつこ、ゴールデンボンバー、いきものがかり、小室哲哉、斉藤和義、福山雅治、西野カナ、SEKAI NO OWARI、ゆず、miwa、アンジェラ・アキ、コブクロ、浅倉大介、長渕剛、オレンジレンジ、L'Arc~en~Ciel、
<Cクラス>
「これくらいの曲なら俺でも作れるなあって思ってしまう。」
氣志團、浜崎あゆみ、B'z、神田沙也加、ナオト・インティライミ、加藤ミリヤ、レディ・ガガ
異論は、大いに認める。
「プロデビュー前にいちどでもニコ動に投稿してた奴」くらいの緩い条件で教えてくれ。
追記。あ、売上にはこだわらなくていいよ。「音楽性が凄い!」みたいなのでOK。
我が家のしきたりでは、高校を卒業し18歳の春をむかえると、子供は家を出て各自の裁量で生活することになっていた。
もし進学したければ、学費は出してもらえたが、それ以外の生活費は基本的に自分で出さなければいけなかった。
俺はというと、地方の国公立大学に進学を決めていたので、大学近くの安い学生寮に入ることにした。
学生寮といっても住んでいる連中は、大学や専門学校生はもちろん、ミュージシャンの卵やフリーターなどおおよそ金のない若者の見本市のようだった。
ミユは、白磁器のようなすべすべとした肌で、墨でひいたような黒髪を鎖骨まで伸ばし、前髪は切れ長の目の上で揃えていて、一見クールな印象だったが
それでいてあまり高くない鼻と薄く小さい口に幼さが残り、ちょうど子供から大人へ移り変わるところといった顔立ちをしていた。
冬場はいつも暖かそうなクリーム色のとっくりセーターと黒いタイツを身につけていて、そのふっくらとした女性的な体の線に心乱された男も少なくなかった。
容姿は目立つのに、自分から目立とうとはせず、ひとりのときは絵を描いていて、みんなといるときはバカな話をニコニコと聞いているような子だった。
つづくかも?
表情や話し方でも印象操作は可能、そこらへんを金出して磨く連中もいる
容姿がすべてというなら、どうして美形でもない芸人やミュージシャンがモテるんだ
容姿はたしかに大きなファクターだが、他の要素でカバーが不可能なほど絶対的なものでもない
家に金があるというなら、金でできる努力をすりゃーいいじゃないか
おとといだったか、この男が実はとんでもないクズ野郎であったことをニュースで知り、ネットで炎上しているのを見ながら、これは当然の報いだと思った。
仕事始めのつらい気持ちを解消するメシの美味いニュースだった。
ところが今日、この出来事についてテレビで流れているのを見てたら、この男のことが少し哀れに思えてきた。
~
ゲスの極み乙女といえば、2015年に爆発的にブレイクしたバンドである。街とかCMで頻繁に曲が流れているのを聴いた。
日本の音楽に飽きてきた俺も、なかなかシャレた音楽だなと思った。
この俺にさえもわずかな興味を持たせることができたバンドであるから、最大級の成功を収めたといって良いだろう。
川谷絵音含むバンドメンバー達は、2015年をこの上ない絶頂感と共に過ごしたに違いない。
~
俺は想像する。
無名アマチュア時代から、どれほどの女性ファンをあのハイセンスな音楽で魅了してきたのだろうと。
金も女も全て自分の才能で獲得できることを実感したときの全能感は想像を超える気持ちよさであるはずだ。
これまでテレビの向こう側にいたあのベッキーが、自分に言い寄ってくる・・・信じられない!きっと本物はテレビで見るよりずっと可愛いのだろう。
~
ベッキーからの好意という悪魔の囁きを振り切ることができる男が、一体どこにいるというのだろう?
しがないミュージシャンだった男が、圧倒的成功を収めたのち大女優に言い寄られ、正常な判断力を保てるはずがない。
・・・はじめは、羨望や嫉妬の気持ちからこの男を批難していたが、この男の歩んできた軌跡を考えると、俺と同じ弱き男なのだなと思い、可哀想に思えてきた。
知らないうちに「ギタ女」ブーム、「ガールズバンド」ブームがきているらしい。
それでデビュー3年未満くらいの女性アーティストの音楽をいくつか聴いてみた。
その中に、メンバー全員女の子(17~20歳くらい)であるにもかかわらずアレンジに80年代ロックを髣髴とさせる知ってる人には思わずニヤリのフレーズがあったりして最初は「よく勉強してるな」くらいに思ってた。
しかし詳しく調べてみるとそういうバンドのほとんどは実際に曲作りをしているのは元ミュージシャン崩れのおっさんプロデューサーであることがわかった。
ど演歌全盛期の時代には不倫や道ならぬ恋を歌う歌は氾濫しており
ベッキーとゲスの極み乙女の川谷絵音氏の不倫騒動が話題になっている。
聞きたいのはミュージシャンが不倫したらミュージシャンとしてだめになるかどうかということ…というよりそのミュージシャンのファンがそのままファンでいることはだめなのかということ。
例えば、大工が不倫をしたからといってその大工が作る家に影響が出るだろうか。いや、その大工の持っている技術も、作る家の品質も変わらないだろう。
ましてその家に住む人なんて何も悪くない。
しかしこれがミュージシャンとなると少し違ってくるだろうか。不倫をしたミュージシャンが書く曲には影響が出てくるかもしれない。曲というのは書く人のその時の心情が反映されそうだ。それがラブソングならなおさら。(私は実際曲を書いたことはないけれど)
この件で、ゲスの極みから離れるファンは大勢いるだろう。しかし、川谷絵音が不倫していようがいるまいが川谷絵音の書く曲が好きだからファンを続けるというファンもまたいると思う。
不倫を肯定しているわけではなく、純粋に川谷絵音の書く曲が好きだからその曲を聴いているという人は、世間から「不倫男の曲を聴いている悪い奴」として批判されるのだろうか。
純粋にゲスの極みの音楽のファンだからライブに行く人は、世間から「不倫男のライブに行っている頭のおかしい奴」として見られるのだろうか。
私はゲスの極みの熱烈なファンとまではいかないが、リリースされる新曲を毎回楽しみにしていたし、来週発売されるアルバムも、1/17の代々木公園でのフリーライブや3月からのツアーも楽しみにしていた。
しかしこの件が起きてから、正直どんな顔をしてこの人の曲を聴けばいいかわからなくなってきた。ライブもどんな顔をして楽しめばいいかわからないし、行こうかどうか悩んでいる。
はてなのみなさんは不倫したミュージシャンの書く曲を聴いたり、ライブに行ったりする人のことをどう思いますか?いろんな人の意見が聞けると嬉しいです。
ベッキーが不倫報道で会見し、謝罪を繰り返したとのニュース。会見自体は見ていないけど、こういうケースでベッキーは誰に謝ってるの?川谷氏の奥さん?分かる。広告スポンサー?分かる。世間には?本来謝る必要なし。そもそも謝る理由が分からない。それでも世間に取り敢えず謝っておこう(日本だけなのかは知らないが枕詞のように謝っておいたほうが無難)というベッキー側の判断はまだ理解できる。ヤフコメ。ベッキーをボロクソ批判している。意味が分からない。何の道理があって無関係者が批判するのか。ワイドショーのコメンテーターも自覚がどうとか。何の自覚だよ。そもそもお前誰だよ。有名人の不倫発覚案件のたびに毎度不思議に思う。
婚姻も不倫も私人間の契約(登録という意味で国家も絡んでいるが)と違反であり、違反には違約金が課される。賠償額の実務も確立している。そこまでのことだよね。犯罪ではない。繰り返す。犯罪ではないのだ。何故無関係者が批判する道理があろう。
タレント芸能人はそれも含めて世間の話題の俎上となるのが仕事だという見方はあろう。ならばミュージシャンは?キャスターは?政治家は?大学教授は?会社員は?公人とか関係ないよねこの議論には。
http://b.hatena.ne.jp/entry/matome.naver.jp/odai/2145171876196466501とかの件。
古市のことを「差別的だ」とか「差別主義者だ」とか言ってる人らが実にウザい。なんなのあれ。
確かにこの発言は「ハーフ(言い方はダブルでもミックスでも混血でも何でもいい)差別」と考えられるが、「ハーフ差別」としか考えないのは問題の著しい矮小化である。
古市発言の背景に以下2つの価値観が隠れていることを読み取ってしかるべきだ。
・(たとえば若いハーフの人のように)「美しい」ことは素晴らしい
・「老化=劣化」はしないほうが素晴らしい
広く一般に浸透した価値観だ。
若い美男や若い美女が放射する強烈な魅力を簡単に否定しうる独自の価値観をもった人など少数派に過ぎない。
私は、君らが日頃からアイドルやミュージシャンやキャラクターなどの若くてカッコイイ男やカワイイ女を異常なほどに偏愛していることを知っている。その美しさを「おおっぴらに」に語り、消費行動を通じて「若い美男美女は素晴らしい」という価値観をさらに補強していることも知っている。「ハーフ顔になるメイク」が確立されていることも知っている。
(若いハーフを含む)美男美女を愛でる君は、所詮はルッキズムとエイジズムの奴隷だ。つまりは差別主義者だ。
君らは「ハーフに対する差別主義者」であるより前に、れっきとした「人間に対する差別主義者」だ。
人間全体を差別する奴が偉そうに「差別だ!」とほざく。なんと偽善的で、なんと気色の悪い光景だろうか。
「私も古市と同じ差別主義者ではないか」という内省の思考がまったく働いていないのが気色悪い。
古市に何か一言言いたいならば、「差別だ」ではなく「ハーフの人に失礼だから言わないほうがいい」程度にとどめるべき。
追記
たとえば、障害者差別を批判することはある意味簡単だ。「障害者を差別してはいけない」という(少なくとも建前上の)社会的合意が既に存在するため、仮に自分が内心において障害者を差別していたとしても、社会的合意を根拠として障害者差別を批判することができる。社会的合意という立派な盾があるので、「差別主義者のお前が言うな」という反論をかわすことができる。
これに対し、ルッキズムやエイジズムをしっかり否定する足場(社会的合意)を持たない我々は古市発言を簡単に否定することができない。「差別主義者のお前が言うな」と言われてお終いだ。
これは 退学 Advent Calendar 2015 12/18 の記事です。
勢いで登録したものの1週間近く過ぎてしまったこと自体が、2回も退学するような人間であることをよく表しています。
てきとうなブログスペースがないのでここに書き殴ります。なるだけ時系列順で。
物心ついたときからなぜか勉強ができたというか、テストの点数だけは良かった。
小学生時代は(客観的に本当にそうだったのかわからないが)イジメられるような人間で、
それがイヤになって公立の中学を避けて、中学受験をして私立の学校に進学した。
ここがいわゆる進学校的なところで、中高一貫校の利点を活かして中学のうちから高校の授業をするようなところだった。
模試なんかも1学年上の模試を受けさせられたりしていて、自分にはそのような先取りの学習スタイルが合っており、
中学を卒業する頃には高校の理科系の科目については教科書の内容を終えていた。
中1からギターを始め、まわりの友達に楽器を教えてバンドを組んで、
自分たちで企画してライブハウスを借りて同級生を集めてライブイベントを開いたりしていた。
音楽にドップリはまって、東京に行ってミュージシャンになりたいと思い始めた。
また、当時流行していたモーニング娘。にも衝撃を受けて、後藤真希に激ハマリ。
「自分は上京して音楽家として売れて後藤真希と結婚するのだ」と強く思い込むようになった。
すでに高校の学習内容を終えていた自分にとって、学校はひどくつまらなかった。
拘束のキツい進学校で、朝課外・夜課外というものが必須で組み込まれており、
7:30-18:00 という長時間、わかりきった授業を受けるのが耐えられなくなった。
こうなることはだいたい予想できていたので、別の高校の受験も検討していたが、
その学校には「他の高校を受験してはいけない」という規則があったため叶わなかった。
そのうち学校に行かなくなって、自宅で将来を空想して過ごすことが多くなった。
この頃インターネットにハマって、アイドルのファンページや 2ch を見始めた。
「スムーズに上京してミュージシャンになるにはどうしたらいいか」を考えた結果、
アルバイトをして音楽機材を買い、東京大学に合格して上京しようと思い始めた。
しかしながら、いくら試験の点数が良くても授業に出なければ卒業はできない。
(が、もともと通学できてないのだ。新聞配達をして寝るようになった。)
周囲の大人にだいぶ迷惑をかけた。
「今辞めたら大検を2回受けられる」というのを切り札にして退学した。
(が、大検会場が田舎でめちゃめちゃ遠かったので、結局1日目しか行かなかった)
「音楽機材を買い集めること」と「東京大学に合格すること」だった。
平日深夜はコンビニ、土日昼は結婚式のアルバイトという具合で、
昼夜も逆転しているため勉強どころではなかった。
当時一番つらかったことは、「実は高校を中退していない」という悪夢を繰り返し見続けることだった。
この時点で自分はただの中卒のフリーター。大学に合格しなければただのドロップアウト。未来はないだろう。
それが自分には受け入れられなかった。もともと「高校を辞めたい」と思って辞めたわけじゃない。
「つまらない教育制度が悪い」と思って辞めた。より高等な学問を勉強したかった。
「自分で勉強すればいい」には「つまらない授業のために教室にいられない」と答えるし(学費も私立なので高い)、
「海外で飛び級すればいい」には「そこまでの度胸はない」と答えていた。
(アイドルにハマっていたというのも大きいが)
このように、「本来の自分(と思っているもの)」と「現実の自分」とのギャップの大きさに耐え切れず、
「本当は高校中退してないよ、お前はマトモだよ」という甘い夢を見続けることになる。
(現実は甘くない。そしてこの夢は大学に入ってからも数年続いた)
バイトに通う道すがら、制服を着た学生を見かけると思わず身を隠すぐらいこわかった。
ろくに1、2年勉強しなかったのでさすがにハードルを上げすぎたなと後悔した。
しかし、努力が長続きするタイプでもないし、勉強机に何時間も向き合える性格でもない。
当時は枕元にバイトで買った Mac のディスプレイを置いて大学受験板、大学生活板、モー娘。板などを見ながら
寝そべった体勢で受験勉強していた。
直前の模試では良い結果は出なかった。
「これはヤバイ」「人生終わったか?」と不安になったが、実際にはなんとか現役で合格できた。
(合格発表の現場に行く勇気はなかったため、インターネットで番号を見つけて喜んだ)
このとき一番うれしかったのは何といっても「憧れの東京で一人暮らしできる」ということだった。
とにかく何でもできる気がしていた。今まで辛い思いをした分、ここからはバラ色の人生をつかむのだ。
大学なんてどうとでもなるだろう、問題はどうやって人気者になって成功するかだ。本気でそう考えていた。
今思うとまったく甘い考えであるが、結果、大きな挫折にぶちあたることになった。
まず、朝起きれない。武道館で行われる大学の入学式に遅刻した。(入場できたかどうか覚えてない)
親が記念に購入したアルバムに自分が写っておらず、ひどくガッカリさせてしまった。
(また、自分が在学していた証拠が残らないという結果にもなった)
どこに行けば授業が受けられるのかすらわからない。
いつのまにか試験の時期が来たが、試験の受け方もやはりわからない。
結局何もわからないまま、2年が経過した。
単位は1つも取れず、それどころか1点も取ったことはない。
(この頃も「高校辞めてないよ、大学行けてるよ」という悪夢を見続けて辛かった)
入学させてくれた親との折り合いも付かず、往生際も悪く、結局5年も在籍して、1度も進級できなかった。
つまり、タイムアップである。(8年在籍できるが、もう卒業の見込みがない)
通常であればここで実家へ戻るのであろうが、
上京前からのインターネットの知り合いから仕事を紹介してもらって、
なんとか東京に残りたいと説得した。
しかし、それも束の間。
アルバイトのような仕事を転々とした後、家賃を滞納して強制退去。親に泣きつくことになる。
ルームシェアしていた友人の家に転がり込んだ。
いろいろあって25才くらいだったと思うが、当時は自分が正社員になることなんて絶対に無理だと思っていたので、
今でも、どうにかこうにか東京にいることができている。
10代のあの頃、自分がこんな人生を送るとはまったく想像していなかった。
ひとえに、まわりの大人・先輩方のおかげとしかいいようがない。
(ちなみに大学の友人は一人もいない)
うっかり長文になってしまった。
振り返って思うのは、(よく誤解されるのだけど)僕は退学したいと思って退学したわけではない。
なんとかまわりの人に助けていただいたということが大きい。
とはいえ、もう1度人生をやり直せたとしても、自分は退学することしかできなかっただろうなと思う。
今は、N高等学校 のような取り組みもあるし、
今後も、自分のような平均的でない人間であっても苦しまなくていいような柔軟な教育体制になっていってほしいと心から思っている。
このアルバムはすごい名盤だってものすごく語りたいです。音楽にうるさい方々にも積極的に聴いていただきたいなと思う次第です。
でも、こういうのをあまりべた褒めするのって結構怖いですね。音楽の好みは人それぞれですし。
自分が最高!って思ってても世間的には全くそんなことないなんてことは本当によくあります。妙に褒めると反発をくらいかねないです。
実際、音楽雑誌とかの「2015年ベストアルバム特集」をぱらぱら読んでみても全然話題に出てなかったので。まあそんなもんです。自分の視野が狭いだけです。
とはいえ、それなりに注目されて評価されてるのかなってのはなんとなく勝手に思っていたので、年間ベストに入ってなくてちょっとがっかりしました。
だから自分で語ろうかな、と思い至るわけですが、やっぱり、ハマってしまったあまりに冷静さを失った文章になる気がするので、書いて叩かれるのが少し怖いところはあります。
花澤香菜とは、声優です。人気若手女性声優です。名前くらいは聞いたことがある人が多いと思いますし、検索したほうが理解は早いです。
声優の中ではアニメの出演数がトップクラスに多いです。1年間に何十本も出ていたりします。最近は少し落ち着いてきましたけどね。
特徴は、ウィスパーボイスというか、天使のようにかわいらしい声ですね。ヒロインボイスです。個人的には少し荒げた演技も好きですが。
声に含まれる倍音成分がものすごく豊富らしいです。科学的に実証されてるらしいです。
声優なので、当然ソロで歌手デビューする前からキャラソンとか歌っていました。化物語の「恋愛サーキュレーション」という曲がレジェンド級に有名です。
あと、セキレイという作品のライブで歌った時の歌い方がネタにされてて、わりと音痴っぽい扱いを受けてました。
そして、2012年に満を持してソロ歌手デビューをするわけですが、みんな歌の方は割と心配してました。
私も深夜アニメはよく見ていて花澤香菜さんのことは当然知っていましたが、当時は特別好きというわけでもありませんでした。
しかし、プロデュースするのがROUND TABLEの北川勝利だというニュースを聞いてにわかに興味が湧いたのを覚えています。
ROUND TABLE、及びfeaturing Ninoは好きで聴いていましたし、声質との相性も良さそうだということで、けっこう期待していました。
その後2013年に1stアルバム「claire」がリリースされたのですが、確かに名盤でした。
北川さんをはじめ、中塚武、神前暁、カジヒデキ、宮川弾、矢野博康、沖井礼二などなど、渋谷系の流れを汲むポップス好きにとってはたまらない作家陣で、花澤さんにぴったりの歌を作ってくれました。
花澤さんも声優らしく表現力豊かに歌いこなしていて素晴らしかった。「マダダーレモー」とはなんだったのか。たぶん自分の歌い方ってのを少しずつわかっていったんでしょうね。
1年後の2014年には25歳の誕生日を迎えることにちなんで25曲入りのアルバム「25」をリリースしました。ものすごいハイペースです。
この2ndアルバムでは岩里祐穂さんを作詞に迎え、花澤さんと意見を交わしつつパーソナルな部分を反映させた曲作りをしています。
そのうえで、25曲という多さを生かして幅広いジャンルの曲に挑戦していきました。
そんなこんなで、アニメやらレコーディングやらライブやらで多忙を極めた後に迎えたソロ活動3rdシーズンの集大成が「Blue avenue」になるわけです。
Blue Avenueがリリースされるまでに、3つの先行シングルが発売されました。
しかし、この3曲を聴いて「このアルバムってこんな感じか」と思ってはいけません。
むしろ、この3曲がアルバムの中で最もコンセプトから外れている曲といっても過言ではないでしょう。
では、このアルバムはどんなコンセプトで制作されたのでしょうか?
「Blue Avenue」のコンセプトは一言でいえば「ニューヨーク」です。
テーマがニューヨークになった経緯はインタビューで話されています。
──今作のテーマは「ニューヨーク」とのことですが、なぜこのテーマを?
ニューヨークはわりと後付けなんです。アコースティックライブの「かなまつり」みたいな少人数でのライブを何度か経験して、少ない音と声で作り上げる空気感っていいなと思っていて。
3rdアルバムの方向性を考えているときに、「あの自由に音楽を楽しむ感じを生かすなら、ジャズをやってみるのもいいんじゃない?」って意見が上がったんです。
その中でニューヨークというキーワードが浮かび上がって。ジャズの街でもあるし、ほかの新しい音楽に挑戦するのにも「ニューヨーク」をテーマにすれば統一感のある作品になるんじゃない?って。
ジャズ、AOR、フュージョン、レゲエなど、これまでのアルバムと比べると「大人」な雰囲気を持った曲が多めのアルバムになっています。
そして、ニューヨークといっても70~80年代くらいのニューヨークのイメージという感じがします。
それはSwing Out Sisterが参加してるのもあるかもしれませんね。
詳しい方ならば、楽曲のクレジットを見ればこのアルバムがどういったアルバムなのかがわかるかもしれませんね。
ということで曲目・スタッフリストを載せたいのですが、長いので記事の末尾に載せました。
こういうのをあまり主張するのもどうかと思うんですが、参加しているミュージシャンが豪華です。
クレジットを見ていただければわかるように、今までのアルバムでおなじみの作家陣に加え、シングル曲ではSTUDIO APARTMENTややくしまるえつこがサウンドプロデュースをしたり、2つのニューヨークレコーディング曲においてウィル・リーやスティーヴ・ジョーダンなどの海外のスタジオミュージシャンの参加、80年代から活躍するイギリスのユニット・スウィングアウトシスター提供曲など、一流の人たちがたくさん参加しています。
まあ、極端な話、名前は知らなくてもいいと思うんですけどね。聴けばわかりますから。「I ♥ NEY DAY!」「Nobody Knows」での軽快なドラムが気持ち良いなあとか、「Dream A Dream」の洋楽っぽい感じがすごい良いとか。ここでいう洋楽っぽいってのは英語圏の歌っぽいなあっていう意味ですね。洋楽の日本語カバーみたいな雰囲気がありますね。それもまた味。そして、セリフのパートがあって、もしかして本業が声優であることを意識して作ってくれたのかなとか想像してみたり。
おなじみの作家陣もすごい良い仕事をしてくれています。というかキレキレです。特に矢野博康作曲「We Are So in Love」が光ってますね。4つ打ちのフュージョンで、イントロからもうたまらないです。シンバルズの頃から思っていたんですが、矢野さんは王道のポップソングもいいんですけど少し趣味に走った感じの曲を書くと時々とんでもない名曲を生み出しますね。
一つだけ主張しておきたいのは、みんな決して無駄遣いではないということですね。すべてが良い方向に結びついています。
「ニューヨーク」というコンセプトがあって非常に統一感があるのが素晴らしいです。
最初に「シングル曲がコンセプトから外れている=ニューヨークっぽくない」と言っておいてなんなんだ、と思われるかもしれませんが、このアルバムの面白いところは3つのシングル曲が違和感なく自然に収まっているところなんですね。
バラードの「君がいなくちゃだめなんだ」が終盤に入ることでアルバムがよりドラマチックになっています。そこから最後の曲「Blue Avenueを探して」に続くのがもう最高ですね。西寺郷太さんの歌詞がいいんですよ。
クラブミュージックの「ほほ笑みモード」ややくしまるえつこさんの個性が色濃く出ている「こきゅうとす」も、意外なくらい自然に入ってるんですよね。それは曲順が考えられているのもあるんですが、「ほほ笑みモード」がアルバム用ミックスになっていたりなど、音づくりにこだわっているからというのもあるのでしょう。後述しますが、このアルバムは音が良いです。
アルバムとして非常によくまとまっていて、通して聴いた後の余韻が良い感じです。
NYで録音した2曲は際立って音が良いんですけど、それに劣らず全体的に非常に高いクオリティの音づくりがされています。花澤さんのアルバムは1stの頃から一貫してソニーの茅根裕司氏がマスタリングエンジニアを務めていて、常にクオリティが高かったんですが、今回は最高の出来栄えなのではないでしょうか。オーディオに詳しいわけではないので断言はできないですけど。
シングル曲が違和感なく収まっているのもマスタリングによるところが大きいのでしょうか。詳しくはわかりませんが、ぜひ良いヘッドホンでじっくり聴いてほしいと思えるくらい良い音です。
ニューヨークっぽいということでAORとかフュージョンを取り入れた、と聞いても正直ピンとこない人が多いんじゃないかと思います。AORってどんな音楽かを説明できる人って実はそんなに多くないのではないかと。結構マニアックなところを突いてきてると思います(そんなことないよ、常識だよとお思いの方もいるでしょうが)。
でも、そういうジャンルとか全く分からなくても「良いな」と思えるようなアルバムになっているのではないかと思うのです。それは曲自体がそう作られているというのもあるかもしれないんですけど、やはり花澤香菜が歌うということでポップスとして完成されるというか、そこに花澤さんの歌のすごさがあるのではないかと思っています。
3rdアルバムを出すまでの3年間で60曲以上のオリジナル楽曲を歌い、ライブも精力的にこなしてきたからこそその次元に達しているというか、こういう曲を楽しみながらポップスとして歌える筋力がついたのではないかなと思うのです。それこそ「25」あたりの頃の怒涛のスケジュールが千本ノックのように効いてるのかもしれないですね。
1stの頃は作家の作る曲を最大限に活かすために歌うという感じ、それこそ声優としてディレクションに応えるような感じで歌っていたように思うのですが、「Blue Avenue」ではコンセプトの発端が花澤さんの意見であることからも、ちゃんと歌手になってきてるのだなと感じます。
当然ですが、豪華なメンツに霞むこともなく、曲に負けているだとか歌わされてるだとかいう印象を全く受けません。むしろ北川さんも他の作家さんも花澤さんをプロデュースすることで新しい扉を開けているような感じさえします。インスピレーションを与える「ミューズ」なのかもしれませんね。
私が花澤さんのアルバムの中で際立ってこれを好きなのは、花澤さんと作家陣が一緒になって制作している感じを受けるからなのかもしれません。化学反応が起きているのをひしひしと感じます。
また、花澤さんは1stの頃から自作詞曲を歌っているのですが、今回も2曲作詞していて、ちょっと詞もこなれてきたというか、アーティストとしての一面が出てきたような感じがします。
「タップダンスの音が聴こえてきたら」では音楽に身を委ねることの喜びをシンプルに書いていて、歌を楽しめている感じが伝わってきます。
タップダンスの音が 聴こえてきたら
軽やかなそのリズムに 身をまかせて踊るの
今はいらない ふみならそう 夢中になるだけさ
一方、「プール」では暗い部分を歌っている感じで、こういうのがあるとなんというか、深みが増しますよね。
花澤さんは詞を書くと少し重たい感じになってしまうみたいで、それもまた個性というか、人気声優としてバリバリ活躍している彼女の影の部分が垣間見れるようで、イイですよね。
どうやって喋ってたかな
ねえ どうやって眠ってたかな
どうやって歩いてたかな
ねえ どうやって 笑ってたのかな
わからない 思い出せないの
もしかしたらここまで惚れ込んでいる理由はライブを見たからなのかもしれません。花澤香菜の歌の魅力の真骨頂はライブにあるのかもしれません。
武道館公演の映像を収録した「Live Avenue Kana Hanazawa in Budokan」というBDが発売されているのですが、アコースティックライブの映像も収録されていまして、他にも素晴らしい映像特典もありまして、とても素晴らしい商品です。
花澤さんの歌って生演奏にすごく合うんですよね。地上波で「こきゅうとす」を披露したこともあるんですけど、それとは全然違いますね。ライブの「こきゅうとす」すごく良いです。
武道館ライブではバックバンドの通称「ディスティネーションズ」にホーンも加わって、とても豪華なものになっています。
一番の見どころはジェームス・ブラウンの「Get Up (Sex Machine)」(ゲロッパ)に合わせて花澤さんが好きなパンの名前を叫ぶというパフォーマンス(メロンパン!メロメロ!)。冷静に考えるとすごくくだらないシャレなんですが、演奏がガチであることと、みんなすごく楽しげな様子が印象的で、とても幸せな空間が出来上がってるなあと感じました。
あと、花澤さんのパフォーマンスがいちいちかわいらしいんですよね。「Merry Go Round」の振り付けとか。
そして、アコースティックライブが素晴らしいんです。花澤さんの生歌ってこんなに良いものなのか、とため息が出ますよ。本当に、歌がヘタであるような扱いをされていたのが嘘みたいです。声量は確かにそんなにないのですが、歌の細かい表情付けがたまらなく上手いです。ピアノとギターだけの少ない音だと余計に際立ちますね。
誰にと言われれば万人に、と言いたくもなるんですけども。
最近、星野源やらceroやらで、ブラックミュージックとかシティポップとかそういう言葉がよく聞かれるようになったんですけど、このアルバムもそれと同じ文脈で語ることができるのではと思います。
「シティポップ」ってもはや言葉が独り歩きしだしてよく分からない感じなんですけど、街のことを歌うのがシティポップだとするなら「Blue Avenue」も十分当てはまりますよね。
また、北川勝利さんをはじめとした作家陣は、最近再評価の流れがある気がする「渋谷系」や、最近流行り気味の新しい「シティポップ」の世代の狭間にいる人たちなんですよね。どちらも独り歩きしてあやふやな状態にある言葉ですけど。
良質な音楽を作ってきながらも長らく日の目を見なかった人たちがこうやって素晴らしいものを作り上げてくれている、というのも感慨深いものはありますね。
そして、70~80年代のニューヨークイメージってことで、けっこうオッサン向けなのかもしれません。……年間ベストに入らなかったのは革新性がないと思われたからなのかも。私は花澤香菜さんが歌うだけで十分新しいと思うんですけど。
というわけで、以上、Blue Avenueについてでした。
花澤香菜「Blue Avenue」インタビュー - 音楽ナタリー Power Push
http://natalie.mu/music/news/111594
花澤香菜×北川勝利が明かす、“極上のポップソング”の作り方「人生と音楽がより密接になってきた」|Real Sound|リアルサウンド
http://realsound.jp/2015/04/post-3000.html
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : 北川勝利 ホーンアレンジ : 村田陽一
Bass : Will Lee
Drums : Steve Jordan
Electric Guitar : David Spinozza
Piano, Organ : Rob Mounsey
Trumpet : Jeff Kievit
Trombone : Mike Davis
Saxophone : Andy Snitzer
Conga, Tambourine : 三沢またろう
Electric Guitar : 山之内俊夫(流線形)
Wind Chime, Chorus : 北川勝利(ROUND TABLE)
Chorus : acane_madder
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : STUDIO APARTMENT
Guitar : 堀越雄輔
Vocal Direction : 北川勝利(ROUND TABLE)
Sound produced by STUDIO APARTMENT
作詞 : 岩里祐穂 作曲 : 北川勝利 編曲 : 北園みなみ、北川勝利
Bass : Will Lee
Drums : Steve Jordan
Electric Guitar : David Spinozza
Piano, Organ : Rob Mounsey
Trumpet : Jeff Kievit
Trombone : Mike Davis
Saxophone : Andy Snitzer
Conga, Tambourine : 三沢またろう
Wuritzer, Claviniet, Analog Synthesizer : 北園みなみ
appears courtesy of Polystar Co.,Ltd.)
Wind Chime, Shaker : 北川勝利(ROUND TABLE)
Chorus : acane_madder
作詞・作曲・編曲 : 宮川弾
Programming, Clarinet, Saxophone, Chorus : 宮川弾
Guitar : 後藤秀人
Chorus : acane_madder
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : mito
Drums : 千住宗臣
Guitar : Saigenji Permalink | 記事への反応(0) | 15:20
オッサンになると涙もろくなる。
(多少だが)苦労していると、「この人は真実を語っているな」ということは大体分かるし。
ネットの世界では凄そうな人がいるんだけども、身近な凄い人は案外そういうのと無縁で生きている。
少なくとも、四六時中ネットのリアルタイムの話題にリソースを割くなんて馬鹿な真似はしない。
「ネットはいきなり頂点の人が可視化されるので自信を無くす」という話はよく聞くが、
自分の体験からすると頂点らしいネットの凄い人も身近な凄い人も能力的にはあまり変わらない気がする。
要は「本人がやりたいかどうか(いや、「やるかどうか」)」が問題なだけであって、煌びやかさに惑わされて
能力が無いと思っている人も続けていれば勝手に能力はつく。連戦連敗でも「何割かは勝ち」の場合もある。
それを次につなげれば、逆境であるほどレバレッジがかかって能力が上がる。
ある時、凄く出来る女性プログラマーがいて「どうやればそんなに出来るんですか?」と聞いたことがある。
答えは、「デスマーチをくぐっていけばこれくらいの実力はつく」だった。
だから、能力が無いと嘆く若者も(オッサンも、あるいは女性も)絶望する必要は無いと思った。
単に守りの姿勢、ポジションが安定したので、後は受け身で人生守りに入ろう、となった瞬間に思考が硬直化
するだけの話であって。
とまあ、増田で書いた所で寝言なのだが、「ネットの人がそれほど凄くもない」ということは、
例えば、はてブで上がってくる書籍関係の記事はほとんどフィクション系でノンフィクション系が少ない。
いつだかの村上春樹のネット相談で、「小説をバカにする夫が許せない」みたいな話題があったが、
実際は逆じゃないかな?と思う。「ビジネス書を読んでいる人は意識が高い」と揶揄されるのが
本当のところではないのか。
しかも下らないライフハック系の記事はホットエントリになったりして、Kindleのセールで買えよと思う訳だが、
そんなことを言っても聞き流されるのがオチだと言うことも分かる。
それはともかくとして、最初の話に戻ると、真実を語っている人に弱い。
今日、ようやく仕事に区切りがついたので、ダラダラとネットを見ていたが、久々に再読してフリーでもいい文章が
落ちているものだと思った。上に書いたワイ氏の駄文の何千倍も役に立つ文章が落ちている。
リンクを貼っても読まれないと思うので、抜粋しながら以下に転載したい。
「ハッカーと画家」のポール・グレアムの抜粋だ。ハッカー以外にも役に立つと思う。
転載元:
http://practical-scheme.net/trans/hs-j.html
<版権表示>
本和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。
(「この版権表示」には上の文も含まれます。すなわち、再配布を禁止してはいけません)。
Copyright 2005 by Paul Graham
原文: http://www.paulgraham.com/hs.html
日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)
<版権表示終り>
(「知っておきたかったこと」より)
だから、卒業演説はこんなふうになるだろう。 「きみと同じ能力を持つ誰かができることなら、きみにもできる。
そして自分の能力を過小評価しちゃいけない。」 でも、よくあることだけれど、真実に近付こうとするほど
多くの言葉を費さなくちゃならなくなる。 かっこよく決まっている、でも正しくないスローガンを、 泥を
かき混ぜるみたいにいじってみたわけだが、 これじゃあまり良いスピーチにはならなさそうだ。 それに、
これじゃ何をすべきかってこともよくわからない。 「きみと同じ能力」って? 自分の能力って何だろう?
風上
この問題の解法は、反対側からやってみることだ。 ゴールを最初に決めてそこから逆算するんじゃなく、
より良さそうな状況に向けて少しづつ前に進んでゆくんだ。 成功した人の多くは実際にはそうやって成功したんだ。
卒業演説方式では、きみはまず20年後にどうなりたいかを決めて、 次にそこに至るには今何をすればいい、と考える。
ぼくが提案するのは逆に、将来のことは一切決めないでおいて、 今ある選択肢を見て、良さそうな選択肢がより
時間を無駄にしてない限り、実際に何をするかってことはあまり問題じゃない。 面白いと思えて、選択肢が
増えるものなら何でもいい。増えた選択肢のどれを 選ぶかなんて後で考えればいいんだ。
たとえば、君が大学の1年生で、数学と経済学のどっちを専攻しようかと 迷っているとする。この場合はね、
数学の方が選択肢がひろがるんだ。 数学からはほとんどどの分野へも進むことができる。数学を専攻していたら、
経済学の大学院へ進むのは簡単だろう。でも経済学を専攻して、 数学の大学院へ進むのは難しい。
グライダーを考えてみるといい。グライダーはエンジンを持っていないから、 風上に向かって進もうとすると
高度を大きく失うことになる。 着陸に適した地点よりずっと風下に行っちゃったら、打てる手はひどく
限られるものになるだろう。風上にいるべきなんだ。 だからぼくは「夢をあきらめるな」のかわりにこう言おう。
「風上をめざせ」。
でも、どうすればいい? 数学が経済学の風上だったとして、 高校生はそんなことを知っていなくちゃならないんだろうか。
もちろん知らないだろう。だから、風上を自分で見つけ出さなくちゃならない。 風上を知る方法のヒントを
いくつかあげよう。 賢い人々と、難しい問題を探すことだ。賢い人々は自分達で固まりがちだ。
そういう集団を見つけたら、たぶんそれに参加する価値はある。 但し、そういう集団を見つけることは簡単じゃない。
大学生になったばかりのときには、大学のどの学部もだいたい似たように見える。 教授たちはみんな
手の届かない知性の壇上にいて、凡人には理解不能な論文を 発表している。でもね、確かに難しい考えが
いっぱい詰まっているせいで 理解できないような論文もあるけれど、何か重要なことを言っているように
見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。 こんなふうに言うと中傷に
聞こえるかもしれないけれど、 これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャル・テクスト』事件だ。
ある物理学者が、人文科学者の論文には、 知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないものが
しばしばあると考えた。 そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、
一番良い防御は、常に難しい問題に取り組むようにすることだ。 小説を書くことは難しい。
小説を読むことは簡単だ。 難しいということは、不安を感じるということだ。 自分が作っているものが
上手くいかないかもしれないとか、 自分が勉強していることが理解出来ないんじゃないかという不安を
感じていないなら、それは難しくない問題だ。 ドキドキするスリルがなくちゃ。
ちょっと厳しすぎる見方じゃないかって思うかい。 不安を感じなくちゃダメだなんて。 そうだね。
でもこれはそんなに悪いことじゃない。 不安を乗り越えれば歓喜が待っている。 金メダルを
勝ち取った人の顔は幸福に満ちているだろう。 どうしてそんなに幸福なのかわかるかい。安心したからさ。
幸福になる方法がこれしかないと言っているんじゃないよ。 ただ、不安の中にも、
そんなに悪くないものがあるって言いたいんだ。
野望
「風上をめざせ」というのは、現実には「難しい問題に取り組め」という ことだった。そして、
君は今日からそれを始めることができる。 ぼくも、このことに高校にいる時に気付いていたらなと思うよ。
たいていの人は、自分がやってることを上手くできるようになりたいと 思う。いわゆる現実社会では、
この要求はとても強い力なんだ。 しかし高校では、上手くできたからっていいことはあまりない。
やらされていることが偽物だからだ。 ぼくが高校生だった時は、高校生であることが自分の
仕事なんだって思ってた。 だから、上手くやれるようになる必要があることっていうのは、
学校でいい成績をあげることだと思ってた。
その時のぼくに、高校生と大人の違いは何かと聞いたなら、 たぶん大人は生活のために
稼がなくちゃならない、と答えていただろう。 間違いだ。ほんとうの違いは、大人は
自分自身に責任を持つということだ。 生活費を稼ぐのはそのほんの小さな一部にすぎない。
もしもう一回高校をやりなおさせられるとしたら、ぼくは学校を 昼間の仕事のようにあしらうだろう。
学校でなまけるということじゃないよ。 昼間の仕事のようにやる、っていうのは、
それを下手にやるってことじゃない。 その意味は、それによって自分を規定されないようにするってことだ。
たとえば昼間の仕事としてウェイターをやっているミュージシャンは、 自分をウェイターだとは思わないだろう。
同じように、ぼくも、自分を高校生だとは思わないだろうね。 そして昼間の仕事が済めば、本当の仕事を始めるだろう。
高校時代を思い出して一番後悔することは何かって尋ねると、 たいていみんな同じ答えを返す。時間を大いに
無駄にしたってね。 君が、今こんなことをしてて将来後悔することになるだろうなと 思っているなら、
きっと後悔することになるよ。
これは仕方ないと言う人もいる。高校生はまだ何もきちんと出来ないからってね。 ぼくはそうは思わない。
高校生が退屈しているというのがその証拠だ。 8歳の子供は退屈しない。8歳の時には「ぶらつく」かわりに
「遊んで」いたはずだ。 やってることは同じなのにね。そして8歳の時、ぼくは退屈することがほとんど
無かった。裏庭と数人の友達がいれば、一日中遊んでいることができた。
今振り返ってみれば、中学高校でこれがつまらなくなった理由は、 ぼくが他の何かをする準備が出来たからだった。
友達とぶらついちゃだめだなんて言ってないよ。 誰ともつき合わなかったら、仕事しかしないむっつりした小さな
ロボットに なるしかない。友達と出かけるのは、チョコレートケーキみたいなもんだ。 時々食べるからおいしい。
毎食チョコレートケーキを食べていたら、 たとえどんなに好きだとしても、3食目には吐き気がしてくるだろう。
良い成績を取る以上に何かしなくちゃならないと聞いたら、 『課外活動』のことだと思うかもしれない。
でも君はもう、ほとんどの『課外活動』がどんなにばかげたものかを知っているよね。 チャリティの
寄付集めは称賛されるべきことかもしれないが、 それは難しいことじゃない。 何かを成し遂げるってこと
じゃないからだ。 何かを成し遂げるっていうのは、たとえば上手く文章を書けるようになるとか、
コンピュータをプログラムできるようになるとか、 工業化以前の社会の生活が実際どんなものだったかを知るとか、
モデルを使って人間の顔を書くことを学ぶとか、そういうことだ。 この手の活動は、大学入試願書に一行で
書けるようなものにはなかなかならない。
堕落
大学に入ることを人生の目標にするのは危険なことだ。 大学に入るために自分の能力を見せなくちゃならない
相手っていうのは、 概して鋭いセンスを欠いている。多くの大学では、 きみの合否を決めるのは教授じゃなくて
入学管理者で、 彼らは全然賢くない。知的社会の中では彼らは下士官だ。 きみがどれだけ賢いかなんて
彼らに分かりはしない。 私立の進学校が存在することが、その証明になっている。
入試に受かる見込みが上がらないのに多額の金を学校に払う親はほとんどいない。 私立の進学校は、入試に
受かるための学校であることを明示している。 でも立ち止まって考えてみたまえ。同じくらいの子供が、
ただ地域の公立高校だけに行くより私立の進学校に行った方が入試に受かりやすくなるってことは、
君達の多くは、今人生でやるべきことは大学入試に受かるように なることだと思っているだろうね。
でもそれは、自分の人生を空っぽの プロセス、それを堕落させるためだけで一つの業界が存在しているほどの
プロセスに押し込めていることになる。 シニカルになるのも無理ないよ。 君が感じている不快感は、
リアリティTVのプロデューサーや タバコ会社の重役が感じているものと同種のものだ。 君の場合は給料を
もらっているわけでもないのにね。
じゃあどうしようかね。 ひとつ、やっちゃいけないのは反抗だ。 ぼくは反抗した。それは間違いだった。
ぼくは、自分達の置かれた状況をはっきり認識していなかったけど、 なにか臭いものを感じていた。
だから全部投げ出したんだ。 世界がクソなら、どうなろうと知ったことか、ってね。
教師の一人が試験対策のアンチョコを使っているのを見つけた時に、 ぼくはこれでおあいこだと思った。
そんな授業でいい点数をもらって どんな意味があるっていうんだ。
今、振り返ってみれば、ぼくは馬鹿だったと思うよ。 これはまるで、サッカーで相手にファウルされて、
おまえ反則しただろ、 ルール違反だ!と怒ってグランドから立ち去るようなものだ。 反則はどうしたって
起きる。そうなった時に、冷静さを失わないことが重要だ。 ただゲームを続けるんだ。
きみをこんな状況に押し込めたのは、社会がきみに反則したからだ。 そう、きみが思っているように、
授業で習うほとんどのことはクソだ。 そう、きみが思っているように、大学入試は茶番だ。 でも、
反則の多くと同じように、悪意があってそうなったわけじゃない。 だから、ただゲームを続けるんだ。
反抗は服従と同じくらいばかげたことだ。 どちらにしてもきみは他人に言われたことに縛られている。
一番良いのは、直角の方向に足を踏み出すことだ。 言われたからただやる、でもなく、
言われたからやらない、でもない。 かわりに、学校を昼間の仕事にするんだ。昼間の仕事だと
考えれば 学校なんて楽勝だよ。3時には終わるんだし、なんなら自分のやりたいことを 内職しててもいい。
好奇心
じゃあ、本当の仕事は何になるんだろう。 きみがモーツァルトでない限り、やるべきことはまずそれを
探し出すことだ。 やりがいのあることって何だろう。すごい発想をする人達はどこにいるだろう。
そして一番重要なこと:自分は何に興味があるだろう。 「適性」という単語はちょっと誤解を招きやすい。
元から備わった性質のように思われるからね。 最も強い種類の適性とは、ある種の問題に対する
どん欲な興味だけれど、 そういう興味は後天的に獲得するものが多い。
この考えの変化したものは、現代の文化においては「熱意」という言葉で 呼ばれている。
最近、ウェイター募集の広告で「サービスに対する熱意」を 持った人を求めている、というのを見た。
本物の熱意は、ウェイターくらいじゃおさまらないものだ。 それに熱意という単語も良くない。
むしろそれは好奇心と呼ぶのがいい。
子供は好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心は 子供のとはちょっと違う。
子供の好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。
多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。
だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、
好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。
好奇心を持っていると、努力が遊びになる。 アインシュタインにとっては、相対性理論は試験のために
勉強しなくちゃならない 難しい式の詰まった本ではなかったはずだ。 それは解き明かしたい神秘に
見えていただろう。 だからたぶん、彼にとって相対性理論を見出すことは、 今の学生が授業で
それを学ぶことほど、努力とは感じられなかったんじゃないかな。
学校で植え付けられる幻想の一番危険なものは、 素晴らしいことを為すには自分に厳しくなければ
ならないというものだ。 多くの科目はあまりに退屈に教えられるから、 自律心が無いと全部に
出席することなんてできやしない。 大学に入ってすぐに、ぼくはヴィドゲンシュタインの言葉を読んで
びっくりした。彼は自律心が無くて、たかが一杯のコーヒーであろうと 欲しくなったら我慢することが
できなかったというんだ。
今、ぼくは素晴らしい仕事をした人を何人も知っているけれど、 みんな同じなんだ。自分を律すると
いうことをほとんどしない。 延ばせることはぐずぐず先に延ばすし、興味のないことをやらせようと
しても全くの無駄だ。そのうちの一人ときたら、自分の結婚式に 出席してくれた人へのお礼の手紙を
出してない。 結婚して4年経つのに。もう一人は、メールボックスに26000通のメールをため込んでる。
自律心が全くのゼロだったら困るよ。走りに行こうかなと思うくらいの 自律心は必要だ。ぼくも時々、
走るのが面倒だなあと思うけれど、 一度走り出せばあとは楽しめる。そして何日か走らないと具合が
悪くなる。 素晴らしい仕事をする人にとっても同じことなんだ。 仕事をしてないと具合が悪くなるし、
仕事を始めるだけの自律心は 持っている。ひとたび仕事を始めれば、興味の方に圧倒されて、
自律心は必要なくなるんだ。
シェークスピアは偉大な文学を産み出そうと歯を食いしばって 勤勉に努力したって思うかい。
そんなわけないさ。 きっと楽しんでいたはずだ。だから素晴らしい作品が書けたんだ。
いい仕事をしたいなら、必要なのは見込みのある問題に対する 大きな好奇心だ。アインシュタインに
とっての一番大事な瞬間は、 マクスウェルの方程式を眺めて、これはどうなっているんだろうと
自問したところにあった。
生産的な問題に照準を合わせるのには長い時間がかかる。 本当の問題は何なのかを見つけるだけで
何年もかかるかもしれないからね。 極端な例を言えば、たとえば数学だ。数学を嫌う人は多い。
でも学校で「数学」の名前でやらされていたことは、 実際に数学者がやっていることとはほど遠いんだ。
偉大な数学者のG. H. ハーディは、高校の時は数学が嫌いだったと 言っている。ただ他の生徒より
高い点数をとれたから選択しただけだったと。 後になって、彼は数学が面白いということに気づいた。
質問に正しく答えることのかわりに、自分で問題を見つけるようになってからね。
ぼくの友達の一人は、学校で提出するレポートに苦しんでいると 母親が「それを楽しむ方法を見付ければいいのよ」
っていうんだとぼやいていた。 でもそれが、やるべきことなんだ。世界を面白くする問いを見つけ出すんだ。
素晴らしい仕事をした人は、ぼくらと違った世界を見ていたわけじゃない。 ただこの世界の中の、
ほんのちょっとした、でも不思議なことがらに気づいただけなんだ。
これは学問だけの話じゃない。
「車はどうして贅沢品じゃなきゃいけないんだ? 車が日用品になったらどうなるだろう?」
これがヘンリー・フォードの発した 偉大な問いだった。フランツ・ベッケンバウアーの問いはこうだった。
30過ぎたのに非正規の職しか付いたことないし年収は300万を超えたことが無いでござるよ
単純作業も沢山やったでござる
もう酒の勢いで自殺するか、ホームレスになるか、精神病院の閉鎖病棟に一生閉じ込められるか刑務所送りか単純作業で一生過ごすかの五択しかないでござるよ
まあ40くらいまでは体力もあるし、どうにかなるとは思っているでござる
にんにん
勉強ばっかりしてると拙者の様になるでござるよ
にんにん
のう、勉強しなかった元増田の提言と、勉強しまくった拙者の提言、どちらが信頼に足るか、よく考えるでござる
にんにん
バカなコメントをされても黙っていようと思ったが流石に後輩(らしい)からこう言われると黙っておれんでござる
まず一つ目、これはコミュ能力と勉強どちらが大事かという議論に何か関係のある情報でござるか?
「中退になってる人」が、就職できていなかったら、勉強は大事だ、ということになるかもしれぬが、そのような言及もない
ついで、能力が足りなかったから就職できなかった、働くのは嫌いだ、それでも何とか働いて生計を立てている人間に
もしかしてこれが”人の話をきちんと聞く”という勉強が出来なかった人間でござるかな
だとすると、やはり(就職というものに対する)勉強のプライオリティーは駄々下がりでござるな
ああ、こんなのが後輩とは、なさけないなさけない
おっといやいや、きちんと就職しているだけ立派でござる
京都大学も、拙者か彼かどちらが卒業生としてふさわしいかと問われれば、彼を選ぶでござろう
バカかもしれないが立派でござる
拙者自分のプライドが高い(+性格が悪い)のは否定しないでござるよ
でもそこを上手く隠して人付き合いできるのが、コミュ力だと思ってござるよ~にんにん
(というかブコメの君たちは、自分はプライドもとりたてて高くないし、性格も良いと思ってござるか・・・?)
角増殿なら、増田殿はうぃざーどりぃというゲームを御存じでござるか?
と書き始めるでござるな
death6coin 単純作業で一生過ごせよ。趣味があれば生きていける(はず)。自分が一番きつかった単純作業は10キロの髪の毛の中から白髪とフケだけを分けて黒髪を残すような作業を一週間かな・・・・・・もうやりたくないでござる
命令すんなでござる
お呼びでないでござる
皆「ちゃんと就職するにはどうすればよいか」という話をしているのでござろう・・・
そこに「ちゃんと就職しなけりゃそりゃダメだろうな」とは・・・
まあこんな頭の悪いブコメをする輩でもちゃんと就職できている(であろう)だけ立派でござる
これも拙者の説を補強するものでござろうな
baikoku_sensei 何がござるだ。そのふざけた物言いをやめろ
命令すんなでござる
にんにん
penguaholic 勉強って、本当は人の話をきちんと聞く力が必要なのに、バカ真面目に反復練習することが勉強だと思い込んでる人がたまにいて、そういう人はいい学校に入れてもそれで終わりだったりするね
人の話をきちんと聞くのと反復練習は受け身と言う点で大差ないと思うでござるよ・・・
ikanosuke 派遣→正社員で職歴ロンダリングしてもだめなのかな。テレオペやってたときは、ミュージシャンや格闘家の夢やぶれた人が、就職の足がかりにしてたけど。
職歴というより面接が決定的に駄目なんでござるな
というか、ぶっちゃけ
これにてオチでござるよ
にんにん
◆綺麗にオチたと思ったのに、何でござるかこの頭の悪いブコメ共は
akikonian 増田で律儀にレスしたり反論してる辺りに空気の読めなさというか、TPOのわきまえなさを感じる。面接で落とされる要因はそこかと。
それがコミュ力というものでござろう・・・だからコミュ力が重要と何度言えば良いのでござるか
NemuiNemui プライドがすごく高そう。自分より頭が悪そうで学歴が下の人が実際にはうまくやってるたりするのをみて悶々としてる。もう開き直るしかないのでは
プライドが高くなったのはなまじ学歴が高くなったであろう故、もしそうなら勉強はプラスになってないでござるな
mohno 京大卒なんて、そりゃ大いに働きに期待されそうな気がするけど、企業だって「働きたくない」という人を雇いたくないだろうよ。面接で互いの意思の疎通ができてるってことじゃないか?
他のブコメを見るでござる「働きたくないのに生きるために働いている」人間は多くいるでござろう?
つまりは就職時点、もしくは就職してからも「働きたくない」を上手く隠して働けているのでござろう
それはコミュ力のなせる業ではござらんか
要するにこれは拙者の説を補強するものでござるな
40とはこの人は誰に何を言っているでござるか・・・30過ぎたと言っているのだから30代前半だということくらい読み取って欲しいでござる・・・
また、下にいる「働きたくない」と言っている人たちにも同じように言ってやるでござるよ・・・
京大に入って無ければもっといい人生がなどとは言ってないでござる
(プライドが高いので就職できないという意見の人もいるようだが、あまりそうは思わないでござる)
勉強のリソースをもう少しコミュ能力向上に向ければと言っているのでござる
誰と戦ってござるか
勝手に資格や専門技術が無い人間扱いしないで欲しいでござる・・・
結論として思ったのは
刺身タンポポより拙者が不快にならないためにお前らはもっと勉強すべきでござる
呆れて苦笑しか出てこないでござる
つまるところ、ベースラインの知力や学力はよりよい社会を作っていくうえで必要でござろうね
「刺身タンポポ屋になりたくないならもっと勉強しろ」と脅すのも、一つの方法かも知れんでござる
他
sofa220 恋愛やセックスしても別にコミュ力なんて伸びませんが・・・。自分のコミュ力に問題があると思う人が向かうべきはセックスじゃなくて、病院。専門医のカウンセリングと投薬を受けてください
これは「セックスしたってコミュ力なんてつかないだろう!」→「いやいや、セックスはコミュニケーション。エロい人がそう言っていた」
というやり取りを想定した多重ギャグでござるな
申し訳なく候
拙者正常位派ゆえ・・・
大学の勉強は受験勉強より面白いから、早く入学すると良いでござるよ
では
これにて本当にドロン
今29なんだけど、大学在学中から夢を追ってて卒業後はフリーターしながら活動してたら、
中途半端に夢が叶っちゃったもんだから、いろいろと問題が出てくる。
声優で言うなら年に片手で数えられるほどの準レギュラーがあるくらい?
漫画家だとデビューしてちょくちょく載ってるけど、単行本は出ていないくらい?
ラノベ作家はよく知らないけど、賞は取って本を数冊出してるけど、まだ人気になってないくらい?
ミュージシャンだとメジャー契約してシングル何枚か出したくらい?
いわゆるプロデューサー的な立場の人からは、「もう少しで上に行ける」って感じで、
今働いてるバイト先が経営悪化で潰れそうだから新しいバイト先を探してるんだけど、
どうにも「年齢の壁」というのを感じるようになった。
Pharoah Sanders - Africa - You've Got to Have Freedom
https://www.youtube.com/watch?v=bV5ObaaQCV0
歪んだ音で突き抜けたブロウを繰り返すテーマをもつファラオの超有名曲。Journey To The One に入ってる方より この africa に入ってるほうが断然ハイテンション。ただ、この曲は他のアルバム収録もあるらしい。おれはファラオオタじゃないので、Journey~ と africa のバージョンしか知らない。ゴメン。突き抜けたテーマに対して、ジョン・ヒックスのピアノが負けてないところが素晴らしい。
いまさらこんな超有名曲を取り上げなくてもと思ったんだけど、クラブジャズのキラーチューンとしてこの曲が持ち上げられたのもだいぶ過去の話になりつつあり、良い曲は何度でも取り上げられて良いと思うので。
https://www.youtube.com/watch?v=8VdtC9WhnCg
人類史上最も進化した個体ブライアン・ブレイドのジョシュアの曲におけるソロ。
もう、何度見ても笑う(ほめてます)。おかしいだろ(ほめてます)。あり得ない(ほめてます)。
この人は基本的にかなり内向的なドラムを叩く人だと思うんだけど、その内向きのエネルギーが積みあがって行ってあふれ出た時に、誰も見たことのない新しい世界が創出されたのがこのソロなんだろうと思う。
曲の本編はこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=1ICJUFOJa2g
OCEANUS - RALPH TOWNER(SOLISTICE) Saxophone: JAN GARBAREΚ.
https://www.youtube.com/watch?v=AG5zs4Xd_kg
テンション高いと一言で言っても、外向きにガーっと行く高さと、張り詰めた静的なテンションの高さがあると思うんだけど、この曲は後者。ecm の重鎮、ラルフ・タウナーの74年(75?)の作品、SOLISTICE のオープニングとなった曲。
このアルバムは名盤中の名盤なので、上記の曲以外もぜひ聴いてほしいです。
この曲はヨン・クリステンセンのドラムが主役。張り詰めたリズムを刻み続けるライドと、その合間に散文的に入るキック、スネアにドキドキします。これだけ人をつかんで離さないドラムはなかなか無いと思う。12弦に続いてライドがフェイドインしてくるところで胸をつかんでうずくまりたい感覚になります。曲は上がったり下がったりしますが、張り詰めたドラムが最初から最後まで貫かれていて、その集中力というかひたむきな在り様に胸を打たれます。ドラム以外の楽器の素晴らしさも言うまでもなく。
13th International Henryk Wieniawski Violin Competition - 2006 - Gala Concert
https://www.youtube.com/watch?v=RPb1X6Rqd40#t=54m
まさかのクラシック。日本人ヴァイオリニスト、鈴木愛理の 2006 のコンクールでの演奏(と言っても評価後のエキシビジョンらしい)。
尋常じゃない集中力と熱量。オーバークロックにオーバークロックを重ねた CPU みたいな状態(機械的って意味じゃないよ!)。
クラシックを全然知らないおれ(この曲が誰の曲なのかもわからない)が、最初の1フレーズでつかまれて最後まで目(耳)を離せなかった。何度見てもドキドキします。
クラシックを見に行ったことが無いんだけど、10回行って1回このレベルの演奏が聴けるならクラシックのコンサートに通うのも良いなあ。
ノーベル賞を取りもしない物理学者とかなんの成果もなしに無意味に一生を過ごして恥ずかしくないの?とか思う人もいるかも
それぞれ知らない世界があって知らないところで知らない価値が生まれて知らない生活があるものじゃないかな
意味がわからないものを気持ち悪いと思ったり嫌いだと思うことはみんなある
それはわからないことに挑戦するってことは結果がわからないから結果というところにつくまでは不安の連続
不安と緊張みたいな息苦しい生活をするよりはわかっていて安心できる平穏な毎日がいいよね
それでも不安や緊張に耐えてでも結果を探したい人もいたりするんだ
不安や緊張をしてでも得られる結果を期待している人もいるんだ
そんな理解できない気持ち悪いひとやものにであってしまったとき
どうしようか
あなたはここで理解できずに不安のもとになることにであってしまったのだけど
それを理解できていない状態とあなたにとってそれがいい影響でないことを言ってしまった
もしこれがなにかのビジネスにつかえることだとしたらおそろしい
ミュージシャンから遠ざけてくれるサービスを有料でうりつけてくる業者がでてくるかも
気持ち悪くない音楽にふれることができる機会をあたえてくれる業者がでてくるかも
それは気持ち悪くないんだよと教えてくれる人や
なににしてもその気持ちのわるいミュージシャンの話題を中心にあなたの世界はまわりはじめてしまう
とてもきもちわるいよね
そんなことにならないようにもし気持ちの悪い理解できない人やものにであったとき
とるべき行動はだれにも言わず考えず忘れてふれないようにして遠ざかる
これじゃないかな
あなたが気持ちのわるいそれを口にするたびあなたは口からその気持ちの悪いものを垂れ流すことになるわけだし
あなた自身がいつかきもちのわるいものになってしまうのではないかと不安になってしまうよ
きもちのわるいものやきたないものに接する機会があったときみんなどうしてるかな
「世界レベルから見たら屑みたいな曲」って具体的にどの曲とどの曲を比べているのか、またどのような観点から見て屑なのか。その評価軸は。その評価方法に正当性があるという根拠は。
「自分達で作った曲を自分達で歌うのは公開オナニー」というのなら、この世界にある大抵の表現やそれに付随する仕事が公開オナニーになってしまうのだが、他の表現が恥ずかしくなくてミュージシャンだけが恥ずかしい、とするのはなぜか。上記の評価方法の正当性が仮に政治的に承認されたとして、その評価の中で下位になってしまった人が己を恥じなければならない理由とは何か。