はてなキーワード: 職人とは
Twitterで募集する→フォロワーがほとんどBOTとかアフィ野郎しかいないので難しい
Twitterでタグつけて募集する→タグ付けてつぶやいてもいいねもRTもないし、エゴサしても何故か検索に表示されない。これも難しい。
出会い系サイトで募集する→無料で利用できる出会い系サイトを使ったことがあるけど一切連絡こなかった。
出会い系サイトでひたすら声掛ける→長文の定型文を20〜30代の全ての女性に送りつけてみたけど返信0件。
よく考えてみると俺が悪いんじゃないことに気付いた。
建築業界に限定せずすべての職種でも同じことがいえるかもしれない。
「きつい」「きたない」「危険」なんて言われているが 実際には少し変わって「きつい」「帰れない」「厳しい」なんて言われていたりする。
何が厳しいか?
「知識の共有ができないこと」が現代社会 全世界すべてで起きている問題だと思う。
教える人が「知識不足で教えることができないこと」
教える人が「教育を分かっておらず教え方が下手なこと」
教える人が「俺はもう定年だからなんでもいいんだ、あとは勝手にやってくれ」と責任を放棄すること。
教える人が「せっかく教えてもすぐに辞めるから教える気がない」
同じ仕事なのに「知識の専門化が進みすぎて、全ての知識を把握できないために起こる教育不良」
すべての業種で言えること。
各分野の専門化が進みすぎて覚えることが増えすぎたこと。
特化しすぎた分野が分かれてしまい分野が異なり、隣の畑を見ても何が何だかわからないこと。
情報量が多く技術取得前の事前学習に費やす時間が多すぎること。
底辺の仕事であれば技術も知識も必要最低限あれば事足りるけど。
高校生ぐらいには仕事を何にするか確定していなければ技術職を選べなくなるみたいなことが起こりえてしまうのかも。
専攻している学習知識上「私は歯科医」「このルートしかない。」みたいなことが起こりえてしまう。
仕事上だけで得られる知識には限界があり、自身で進んで学習する必要もある。
得た知識が更新されて、まったく違う技術になり変っていて。0から違う工法を覚えたり。
かと思えば、解体時には30年前にはこうやって作られていて図面は残っていないからなど。
昔の知識を持つ人が必要だったり。古い知識が要らないとも限らない。
便利なものを作った代償として、今までの知識の共有が生きていく人類に必要になることがある。
すべての知識が必要なかったとしても問題が起きた時に何もできず棒立ちするしかない。
原子炉が危険という概念は持っていても何が危険で、何かが起きた時にどうしたらいいか?
ほとんどの人が知らなかったことだと思う。
ほかの動物と違い。本能を無視したり抑制したり、考えて行動できる人として生れ。
便利なものを使用する側の人間も、作った人間に何らかの融資をして作らせたことになる。
知識はより高度になり濃縮される。
人として生れた以上は、その便利さを知り学ぶ義務があるし。
そこからおしえなきゃないの…
https://anond.hatelabo.jp/20170722215114
はすごく小さな問題のようで実は大小にかかわらずどの仕事の分野でも起きていること。
書類の出し方とか、定型文とかそんな文化を作ったのも人類だし、
それをしないで今の文化にしがみつくなら教えることの方が義務だと思う。
「知ってて当たり前」は「ゆとり世代」より甘い考えだと老害は自覚するべき。
見ているだけで覚えられるような職人の時代は一部終わりを迎えつつある。
倫理問題が解決して脳が記憶媒体に置き換えられたりでもしない限り、
ある一定の知識量を容易に記憶する技術をまだ持たない、もしくは技術的にはできても倫理的にできないとか。
(人としての限界:サイボーグ化やゲノム構成の改良など手術や人体改造を伴うこと)
人として生れ、便利なものを使う使わないにかかわらず、
やはりお掃除業界にとって超強力というキャッチフレーズは必要不可欠なのか。
その答えは誰も知る由もないがただひたすらそのキャッチフレーズによる「吸えそう感」は正直でかい。
このキャッチではまた「あらゆるものをお掃除します」と書かれているこれもまた不特定多数のモノを認識させ
「あんなものまで吸えてしまうのか?!」という想像力に訴えかけた副産物まで生んでいるのではないか。
エレファントジャパンの掃除機を使った事はないが、ここまで来たら商品を見てみようではないかと感じた。
と、まんまとキャチなキャッチフレーズ、否、キャッチコピーにやられサイトを開いているユーザーもいるのではないか。
エレファントジャパンの掃除機はこのキャッチコピー、否、キャッチフレーズに相当するものなのかと。
と、ここまできて早々に気づいた。
【エレファントジャパンは掃除機売ってる会社じゃないじゃないか!!!!】ここ大事
まんまとあのキャッチコピーに、否、キャッチフレーズ(もはやこのくだりもどうでも良いが)やられてしまった。
だが時すでに遅し、私はまんまとエレファントジャパンさんのHPをすでに閲覧している。
ここですでにキャッチされているというのは抗えない事実であり私はまんまとその術中にはまっているのかもしれないが
それは一つ騙されたという気持ちもなければいわゆる一つの間違いを犯してしまった。はたまた無駄な時間を過ごしてしまったなんて
到底考えも及ばない、否、及ばせない絶対領域のようなそれはいわゆる自然に検索してたらたまたまキャッチなフレーズに目が止まって
なんだろうこのサイトはただただ自然にのぞいた事と同義にはまるようなこれは摂理的な行為であり全くキャッチなフレーズによって
誘導されてしまった愚かな愚民に成り下がってしまった行為とは程遠い高尚かつ神秘的な現象なのである。
そもそもキャッチなフレーズとは何なのか突然だが考察してみようではないか。エレファントジャパンさん。
キャッチとは
そうそれは掴む事である。いや、Google的にはとらえること、捕まえることらしいが。
ではそこでキャッチーとは!
キャッチーとは
人にうけそうなさま、人の注意を引きそうなさま、音楽で言えば旋律が覚えやすいさま
うむ、「ー」伸ばしが付くだけでここまで表現が違う。
そもそも「さま」とはなんぞや。
はたまたキャッチの話をしているにも関わらず音楽で言えば旋律が覚えやすいさまとな。
※ここであえて電子辞書アンチであるストーリーは徹夜になるので割愛させて頂く。
一つのキャッチフレーズでここまで欲望を様々駆り立てる事が出来るなんて
いや、私が勝手に色々妄想のキャパシティー全てを使って全く至極共感を得難い事をしているのは
誰が見ても笑止千万誰にも止められぬ情熱を感じさせるエナジー。
エナジードリンクと言えば今はレッドブルの一強ではなく、現在では何を飲む事が正解なのか
分からず何となく応援したいファン的な気持ちでモンスターを買ってしまったりCDをジャケ買いするがごとく
なんの成分が入っていてどこがあれとこれとどう違うのかなんて全く興味を示さずこの目がアイキャッチした情報に
ひたすら忠実にそれはもう忠犬がごとく誠実な思いとなんの脈絡も戦略もない買い物をただ魔が差しましたと
理由を述べるしかないような趣で繰り返す社会に埋もれた社畜のように繰り返すのです。
また話が脱線しましたが、結局はキャッチなフレーズにはそれだけの
妄想性と秘めれられており、人一人の人生を変え得る魔力も時には兼ね備え
「あっ今日で会社辞めます」なんて突然言い出して南の国までドラムバック一つと一枚のアロハシャツで出かける感覚で
旅行に行く感覚で移り住んじゃう的なノリで動き出してしまうのが人間なんです。
まぁ話を戻しますとエレファントジャパンさんは某〇そんのような掃除機を販売しているのではなく
国内最大を誇る能力を持つパワープロベスターをはじめ大風量の車輛を取り揃え、粉粒、液体など長距離もなんのそので
主に沈殿ピット分理想などの汚泥回収や清掃・タンク内のクリーニングをしてくれるメンテナンス工事部があります。
あまり聞きなれない方のためにエレファントジャパンさんが脅威の吸引力で掃除をしてくれる沈殿ピットや分離槽とは?!
あまりにもキャッチな言葉に引かれて掃除機を探しに来た私ですが、私の日常生活では全く知る事がなかった世界に飛び込んでしまいました。
排水設備の配管の途中に設けられていたりする、下水道のどうしても出てしまうまたは劣化による悪臭、硫化水素などのガスを遮断し、屋内へ侵入するのを防ぐ器具や装置の事をいい
また、害虫やネズミなどが屋内に誤って入ってきたりを防ぐためにあるトラップの働きもする。
沈殿ピットについてはパッと情報が出てきませんでしたので類似で出てきた情報を無作為に投稿してやりましたよ!
まぁいわゆる一つに見えない所でこの社会を支える仕事をしてくれている職人的な立ち位置のお仕事である事はなんとなく伝わってくれれば嬉しい限りですね。
マンションなどの集合住宅とかの屋上にあるアレ的なものだと勝手に推測しています。
ただ、あの頃僕たちは立ち入り禁止というだけどうしても立ち入ってしまいたくなるそんな十代の初めての過ちをしてみたい衝動
はたまたあの子と学校の中で唯一2人きりになれるんじゃないかと良くない妄想を頭フル回転で考えて結局甘酸っぱい感じに終わる事が分かっていながら
でも止められない今日この頃的な事を言って、この時は人生あの時こうしていればなんてことを昔話で一度はしちゃう。
はたまたそんな事出来ないよって優等生ぶってみたばっかりにあの時ただビビりで踏み出せなかっただけなので不良カッコ悪いよなんて面して
実はビビッてる事を隠してイキった事であの子の気を引きたいけど結局学生時代のかわいい子たちは悪いやつが好きなんだと言って勝手に勝負しない
本当のくそビッチチキン野郎の自分が変われる舞台になるんじゃないか。
一人でそんな事を考えながらただ空を眺めて毎日が過ぎていく事にそれなりにいいかもって感じている自分もいたな。
そう屋上です。
そんな屋上にある丸っこいあれですね。あれをあーしてこーして、すごい機会ありとあらゆる手段で吸っちゃうというそんなパーティーみたいなあれです。
エレファントジャパンさんのHPには象のモチーフがありましたが
やはり直訳すると日本象?エレファントにジャパンエレファントジャパンさんそんな吸引力と日本技術力を融合させて
いえ、すみません分かりません。
上記はただの妄想なので取材で裏どりされている情報でもなんでもありませんのでご容赦を。
ところでそんなキャッチなフレーズってだけでここまで話に花が咲いちゃうってのもとてもすごい事だと思います。
エレファントジャパンさんと小生には全く縁もゆかりもない事ではございますが
このキャッチなフレーズによりエレファントジャパンさんの存在を知り
自分の知らない世の中の縁の下の力持ちの存在を知る事が出来る。
なんて素敵な事なんでしょうか。
世の中広いんだぞ、って事を改めて認識させ子供のころ大きくなったら何になりたいの?
って聞かれたと圧倒的に多いスポーツ選手。
このクラスみんなの夢が叶ったらみんな日本代表になっちゃうねってそんなマンガみたいな世の中になって
エースは顔もイケメンでどんな大会でも結局得点王とかMVPになっちゃって試合後にはかわいいマネージャーと
甘酸っぱい事になっちゃたりしたりしなかったりでこれまた読者がいろいろな妄想をしてそれが同人誌で
妄想が形に変わったけどこれそういうマンガじゃないのになって考えながらもでもこれはこれでありなんて
自分を納得させながら結局ヒロインのあの子と主人公が果てしない行為をしている事に対して一つの夢が叶ったのではないか
マンガ家だったらみんなこういうの描いちゃうんだろうなイラストすら描けない愚弟がモノ申している事だろう。
そもそも世の中には知らない事が多すぎるけどもそれを知ったからなんなのって事でやっぱカッコつけて
お父さんの仕事カッコよくないじゃん菅田将暉の方がかっこいいじゃんって娘に悪態を突かれたお父さんもいれば
どっかのCMみたいにおやじの背中大きいぜなんて憧れて男は背中で語るもんよなんてつい便乗して調子こいちゃうお父さんもいるこんな世の中で
このエレファントジャパンさんのキャッチなフレーズでこのパワープロベスターっつうでっかいトラクターのようなもののおかげで
今夜も安心して便意を催したり出来るのかと思うと偶然とも必然とも捉えられるし、やっぱ愛しさと切なさと心強さとって感じにも思える。
ちなみに今更なんだけどパワープロベスターって吸引車はほこ×たてっていう番組でも取り上げられていたんだなー
どちらかというと私はぽこたてにばかり興味がいってしまってこんな日本の誇る技術力を右から左へ受け流して
絶対にいかない女VS絶対にいかせる電マ男になぜか男のロマンを投影してなんとなくこの怠惰な生活に類似した
異世界だけれでもお隣さんくらいの親近感が沸く絶妙なバランスでくだらなさも加味されたこの企画を
早送りする事なくただ漏れているあのころ夜中に布団に包まって大きな音を出し過ぎないように気配を押し殺して聞いた
深夜ラジオがごとく各々の思いにふけりながらただの映像としてその行為を見るんだなーという人があまりにも多いであろうと
推測されるこんな閉鎖的排他的なネット社会に鉄槌が下るべくこんな地上波では放送出来ないというレベルの内容を今では
PCやスマホの画面から閲覧できる自由な世の中でそれでも自由すぎる投稿にはBANというペナルティがあってやはり18禁の抜け穴というのは
目につくところではまだ開放的に楽しむ事が出来ないこんな世の中で出会ったという事はそれなりに意味があって
もしかしたらここに就職しちゃうのかななんて考えながらそれでも業界未経験だと書類で落ちちゃうのかな
こんなに入りたい人間を会わずに落とすなんてひどいとまだ履歴書すら持ち合わせていないでコンビニに行く事すら億劫に感じる今日この頃
この小さな四角い箱の中で俺の才能はこんなもんじゃないと心の中だけ強気で結局チキンである事はあのころと変わらない僕が
むしろあの頃の方がなかずんば良かったのではないかと自虐的な事をひたすら重ね重ね考えながらPC画面に映るエレファントジャパンさんキャッチな
フレーズに出会った事について未だに布団から出る事もなく家の中からお届けし、そろそろ眠たくなってきたから寝るのか
いやでもこんな文章でもまだ読みたいって思ってくれる暴君がいるんじゃないかってかすかに期待していたりいなかったり
そんな文章をずらずら並べながらやっぱり家から出る事はないなこんな世の中だからって
結局ドアの前に置かれたご飯を自分の食べたい順に食べたいものだけ食べて今日を終えようとしている頃
世の中の人はこれから始まる一日に精を出す表情をこの爽やかな朝の陽ざしを遮るためにあるカーテンごしから眺め
さぁて寝るかと勝ち誇ったように眠る僕です。
なんていうか、流れ作業リーマンと職人とのせめぎあいという感じもするな。
いい素材があったから、それをテキトーな形で大きな媒体で扱かって宣伝いっぱいすれば儲かるんだ!って流れ作業リーマンがあまりに増えすぎてる。
ましてや、気遣いばかりで本当に意味があるものが何か?も考えず、みんなでうえーいやって角立てずに作れば儲かるのができるよね!みたいなの。
注意しないとならないのは儲かるんだ!であって、いい作品ができるんだ!ではない。
でも、心の琴線に触れるような作品、媒体というのは、やはりとことん考えぬかれて細部まで作りこまれたようなもの。どこまで言っても職人芸。
そこの本質を踏まえず適当に表面つら真似ても意味はない。色んな所でボロがでてる。
無論、大きなものをつくろうと思えばマネジメントも必要だけども、そちらはそちらで「自由にやったらいいんだ!」みたいなものでめちゃくちゃになりつつある。
けど、大組織が絡むと、どうしても流れ作業リーマン+最近のプアマネジメントに流される。
そうすると、職人の丹精込めた味である比較的低レイヤーの小説本、せめて漫画ぐらいでいいものを見つけるぐらいのほうがいいのかもしれない。
誉めたらいかんか?ファミレスクラスでは斬新でいいだろ。「俺はこんなことでは誉めないスゲー」自慢?
サイゼのポタージュリエがモンテしてると君は思うの?そんな細かい仕事セントラルキッチン(CKって言うのか?)でやると思う?
レストランの仕事ではそうかもしれないけど、そういう目線からみたらサイゼのレビューじゃ感じ悪い料理人の「俺ってすごいだろ」自慢になっちゃうと思わないの?
トマトソースのコメントも?業界の1番中庸なのがサイゼリアぐらいの酸味を残したトマトソース、個人の感性はともかく昭和の日本のコックのような酸味飛ばしきったトマトソースが出るイタリアンレストランは日本に今無いでしょう
ああこれは自分の仕事が古い可能性はある。伝統的な仕事を好んだしね。でも中途半端な火の入り方をしたトマトをうまいと君は思うのかい?
玉ねぎのにおいもCKで調理真空して店舗で仕上げるという業態上非常に避けづらいものだがそれに対する代案もなし、10年選手のコメントではない
雑な感想を書くのにいちいち代案挙げなきゃならんのか?何年選手か知らんが、君が問題点についての代案出してやれよ。
基本的に料理人は自分の専門の料理の料理用語を守るものだが仏語伊語英語が無秩序にちゃんぽん、読み手のことを考えて平たくしてるのかなとも思うが普通イタリア料理人としてイタリアレストラン語るなら伊語で統一するものだ、
全部原語で書いたら誰も読まないし嫌味にしかならないだろ。だからカタカナで表記したんだよ。
バジリック(仏語)はバジル(英語)・バジリコ(伊語)のことだが本気で聞いてる?
サルサディポモドーロと書けばよかったのか?サルサベシャメッラと書けば満足したのか?
自分も街場(赤坂・神宮前・表参道・西麻布)の他ホテル(赤坂見附付近とだけ)もいたことがある。ホテルではホールだったけどね。ホール時代は経験年数にいれてない。
あれがブールコンポゼと思うのか?バターじゃないだろ?あれオリーブ油と野菜ソースだろ?ここでもオーリオディオリーヴァとでもいえばいいのかい?
レベルが高ければ生クリームや酒使うとか無いから。業界人ならサイゼリアの料理考えてる人のレベル知らないわけが無い、一流料理人が監修してるに決まってるだろ
レベルが高ければ生クリームや酒使うなんて書いてないだろ。変なレッテル貼らないでほしい。
誰が監修してるかしらないけど、(それを一流料理人と言っていいのか微妙だが)職人然とした人材は向かないだろう。料理人というか商品開発を専門にしている人材だと思うけど
書いててあほくさくなってきた、ベシャメルうんぬんとかもベシャメルとか仕事で普通やんねーよ、レベルが高い低いもねえわ。パスタとかもそうだが何か技術的に言葉が必要なところはなんともいえんとか非常にあいまいな言葉でにごしている、それ言う必要ある?料理人だよ?
ベシャメルやらないのか。普通やんねーのか?君はどんな店で仕事してるの?
自分は前置きしたように中級店の経験しかないしフレンチ一筋でもない証拠にイタリアンをちょっとやったという経歴。高級店の仕事は知らない。会話の全部を仏語や伊語で行ったわけでもない。
現地(仏・伊)での修行経験もない。用語は料理人だったころの実際に使用していたものをそのままカタカナ表記で使ったんだけど、自分がいたところはそんなものだったよ。君のところは「Oui Chef!」とでも返事してたの?
別にサイゼの料理顧問でもない(元)でしかない現役の感覚もない一個人が雑な感想を書くのにいちいち技術的なところを指摘して改善策まで提示するわけないだろ。いくらなんでもあほらしすぎる。
最後に行ったのは数年前の夏前か、関東ITソフトウェア保険組合の福利厚生の一環で安くディズニーに行けたので毎年行っていた。
今は転職しているので、それ以来行っていなかった。
自分は東京出身東京育ちなので、物心ついた頃からよく家族でディズニーに行っていた。初めて彼女が出来た時に行ったのもディズニーだった。
そんなわけでディズニーはランドもシーも両方それなりに行ってきたのでアトラクションは制覇していると思っていたが、唯一シーで行っていない場所があった。リトルマーメイドをテーマにした『マーメイドラグーン』の『アンダー・ザ・シー』である。
屋内に色んな小型アトラクションが入っていて、まるで海の底のような演出がされている。
いつも、立ち寄って「ふーん」という程度に思ってそのまま他のところに行っていたのだが、
「そういえば、マーメイドラグーンシアターとかいうのあるよね?あれって行ったこと無いんだけど」と言って
「じゃあぜひ行くべきだ」と言われたので並んで参加してみた。
3Dメガネとかかけてリトルマーメイドのキャラクターとかが踊ったりするんだろうかと思っていたが、そういうものは渡されず、スクリーンも無くかなり広く、天井がものすごく高い円柱型のホールになっていた。
上演が始まった時、リトルマーメイドの2匹のキャラクターがやってきた。皆が知ってる黄色い魚のフレンズとカニのフレンズ。フランダーとセバスチャン……のパペットである。
映像かなにかかと思いきや、人形を持った黒子が走ってやってきて、喋りに合わせて人形の手足を動かしている。イメージとしては阿波の人形浄瑠璃が近い。
「本番なのにアリエルが居ない、やべえ」的なことを騒いでいる。正確にはセバスチャンのパペットが。
「なめとんのか」素直にそのときそう思った。
そしてアリエルがやってきた。曲が始まる。
海底を模した場所なので、自分の頭上でワイヤーに吊るされて文字通りホール内を縦横無尽に魚のように舞い、回転し、歌っている。さすがに歌と音声は別撮りだが。
随分精巧なオーディオアニマトロニクスだなと思い、こっちに飛んできたアリエルを見て気がついた。
違う、生身の人間だ。
生身の人間がワイヤーに下がって魚のように勢い良く縦横無尽に飛び回っている。
人魚なので両足ではなくヒレを使い、自由自在に宙返りもしている。
そう、自分が想像していたのは映像の中でキャラクターが動き回るようなものだと思っていたが、これは最初から最後まで生身の人間によるショーなのである(一部を除く)
そう、フランダーもセバスチャンも、下の人(中の人)が必死になりきっている。いやなりきってるのではない、もう完全に魚とカニである。下の人も歌ってるし。捕獲すれば下の人も一緒に食えるだろう。
それがわかった瞬間、自分に電撃が走った。ディズニーのアトラクションでここまで衝撃を受けたのは初めてだ。
この人達はものすごい熟練者だ。自分たちはとんでもない熟練職人の技を目の前で見せつけられている。
皆は手を振ったりしているが、自分はそのあまりにすごいプロフェッショナルぶりに心からのリスペクトでもってひれ伏したくなるぐらいだった。このショーだけ別料金でいいんじゃないのか。そう思った。
歌っている間、俺は
「きっとアリエルは良いものを見せたいという思いでものすごい血の滲むような練習とトレーニングを重ねてきてるんだろうな、土日も頑張ってるんだろうな、高所作業手当とか出るのかな、ちゃんとご飯食べてるかな、寝れてるかな」と考えていた。
そう考えている中、誰もが知ってる曲「アンダー・ザ・シー」に乗ってアリエルが飛んできた。
飛んできたアリエルから2,3メートルぐらい真下で座っていた俺の目が合った。
俺はその瞬間、アリエルに恋をした。
俺はただ、控えめに照れ気味に手を振ることしかできなかった。
終わった後、本当に凄いものを見た時や、美味しいものを食べた後のなんとも言葉には表せられない圧倒された気持ちと、
なぜ今までこのアトラクションを敬遠してきたのかという後悔の念や、
ただ手を振ることしかできなかったという一種の敗北感というか失恋に似た気持ちになりつつ、一緒に居た友達に
「すごかった。次はおひねり投げたい。ダメだろうか、ダメだよね」と言うことしかできなかった。
俺達はその後、ファストパスの時間が来たセンター・オブ・ジ・アースに向かった。
センター・オブ・ジ・アースはシステム調整だった。
荷揚げ屋という職業をご存知だろうか。
石膏ボード、PB、ベニヤ、鉄筋や木材など、建設現場で使う重量物を指定の場所までひたすら運ぶだけのお仕事である。
あらゆる下請けのそのまた下請けという、これ以上無いだろうというくらい弱い立場だが、その弱い立場を微塵も感じさせない屈強でイケイケな男たちが腕を奮って仕事に励んでいた。
どれくらいイケイケかと言うと、サブロク(畳一畳の大きさ)12mm厚の石膏ボード6枚(大体80kg)を横に抱えて走って運んで涼しい顔してるくらいのイケイケっぷりである。
石膏ボード運びはその需要の高さと、見た目の華やかさもあって荷揚げ屋の花形であった。YouTubeで動画がたくさん上がっているので、参考にして欲しい。
それはさておき、私は数年前、そのイケイケ集団の中に混じって一年ほど荷揚げ屋をしていた。
色々事情が重なってまとまった金が必要だが、確たるスキルも無い私にとって、身一つで稼げる荷揚げ屋は天職の様に見えた。実際、昼夜無く働いて月70万稼いだこともあった。
私が荷揚げ屋を始めてちょうど一年経った頃、東京五輪の開催が決まった。
建設現場はその話題で持ちきりだった。やれこれからは景気が良くなるだの、都内にマンションがたくさん建つだの。
少なくともその頃は、現場でネガティヴな意見はあまり聞かなかったように記憶している。
しかし、私は東京での五輪開催に、当時から否定的な立場だった。それは別に斜に構えてるとか、厭世家的な気取りでもなんでもなく、荷揚げ屋をやりながら、建設現場の実情を目にしていたからだ。
まず、職人さんに若い人が本当に少なかった。60代70代を超えたような歯ボロボロのお爺ちゃんが、5000万程度の中産階級向けマンションの建設現場の職長を平気でやっている。特に左官系に顕著であった。
次に、建設現場の労働環境も酷かった。週休1日は当たり前で、元請けが発する工期短縮の音頭のもと、終盤には一月丸々休みなしというのもしばしばあった。
狭い土地に高い建物を短い納期で建てる都合上、どうしても休憩スペースや仮設トイレ、仮設水道などの管理がおざなりになり、形容のし難い濁り方をした水が地面を流れてるわ、副流煙で視界は真っ白だわ、歯抜け爺は固まったモルタル缶やらグラスウールやらを平気で近場の可燃ゴミのカゴに放り込むわ、はっきり言ってカオスだった。
また、たまに若い人がいるなと思ったらアジア系の外国人労働者で、現地語のラジオを大音量で鳴らしながら作業をしていたりする。これは内装屋に多かった。
中層マンションの現場でそれなりに高い給料を貰えているのは元請けの現場監督と、エレベータの設置作業員くらいなものだ。後はほとんどが日給で、たくさん稼ぐにはとにかくたくさん働くしかない。
私は荷揚げ屋という仕事は嫌いではなかったのだが(身体も鍛えられるし、色んな地域に出かけられるし、女の子にもモテたから)、建設現場がどこも上述の様な雰囲気で、東京五輪を前にしながらどの元請けもそんな現状を変える気がさらさらなさそうなのが気に食わなくて、辞めてしまった。
もう数年経つが、今の建設現場はどんな感じなのだろう?やっぱり歯抜け爺や、外国人労働者や、現場内不法投棄が蔓延ってるのだろうか?
ちょっと気になる。
あれをリツイートしてる連中も全員もギベ。俺が本当の職業を書いてやる
剣=職業ライダー。就職先は1話で壊滅したけど給料はもらってた。最終回で旅に出たので無職
響鬼=鬼。猛士に所属する立派な職業。ちゃんとローテーションもある
W=探偵
その1、休暇
しかもその10日から夏冬の大型休暇の歯抜けを捻出しないといけないとかあり得んでしょ。
大企業だとちゃんと9連休が有給の外で設定されてんのにだよ。何じゃそりゃ。
その2、ツール
誰かはLTだったり、課長が2009使ってたり、共通PCに2007のmechanical入ってたり、
新人は最新版使ってたり。そんで新人が最新機能を使いこなして作業短縮すると
一番古いのに合わせるわけだからモジュール化が一切進んでない。1図面に何でも収めちゃう。馬鹿か。
LT以前の知識しかないからマクロ=LISP。それLTじゃ動かねえんだけど。一体何を考えているのか。
まぁよくありそうな話なので割愛
書き出してみるとけっこうあるなー
みんな好き
書き終わってから足りないの気づくんだよな
年とともに新しい仕事を覚える柔軟性、慣れのスピードを若い人と比較して劣り実感している。
服のゆるいオフィスワークでPCを触る仕事で、できれば1つの仕事に専念できる職を従事が希望している。
事務などは優先順位の変動と臨機応変、人の空気を読みがきついなら、専門知識やスキルをつくったほうがいいが
50代以降を考えると、介護もあるかもしれなくて、今すがりついてもいつか仕事を諦める境界線が出てくると思うと今の仕事を選ぶ将来設計ができない。
自分は1つの仕事に定年まで勤めて長い年月でカンを鋭く磨き上げ、カンと経験で若者と一線を画しながら、
1つ1つ良いものを作り、提供した客の満足する顔を見て、自分のしてきた仕事上の財産は若者に育てて託し、ほそぼそと生きる職人が向いている。
ほんとどうしよ。
つくづく思う。日本の敗因はハッカーが育たなかったところだってな。
日本にはハッカーがいない。受注体質の職業エンジニアしかいない。なんでこうなってしまったんだろう。
アメリカではハッカーがサービスを作り、そこにお金が集まり、成功するなんてことが少なくない。FacebookもTumblrもSnapchatもそうだ。日本はどうだ? ぜんぜんいないじゃないか。
リクルートやサイバーエージェント周辺にいるじゃないかって? SHOWROOMやDelyはどうなんだって? あんなもん、ハッカーでもなんでもない。昔ながらの青年実業家じゃないか。海外市場を研究し、コピーして、若さと体力で乗り切る。こんなのはハッカーでもなんでもない。ただの若者だ。
日本にも一瞬だけ、ハッカーが育つんじゃないかと思われた時期があった。90年代後半だ。あやしいわーるどや2ちゃんねるはハッカー的な精神で作られていた。カオスで新しい価値観を生み出していた。だが、これらの創設者はマーク・ザッカーバーグのようにはなっていない。なんでだ? 芝さんなんてどこで何をしているかもわからない。
問題はひろゆきだ。こいつが一番ザッカーバーグになる可能性があった。でも、なれなかった。一時期はドワンゴに関わっていたり、実業方面に行きそうだったけどな。でも、2chの広告収入で隠居するほうを選んだようだ。フランスでやるゲームがそんなに面白いのか? 4chanのmootは今Googleにいるんだぞ? お前は何をしているんだ? ホリエモンと雑所得を稼いでいる場合か?
清水亮はどうだって? あんなもんビジネスの話となると、金策のことしか喋らない典型的な中小企業の社長じゃないか。
川上量生なんてのもいたな。ニコニコ動画には可能性を感じたよ。でも、時期が悪かった。スマホ対応ができず、マネタイズも上手くできず、それゆえコンテンツも集まらず、YouTubeに大きく差をつけられてしまった。一時期はYouTubeなんて優等生的でつまらない、ニコニコ動画のほうがエキサイティングだ、っていう空気もあったのにな。
ホリエモン? ホラレモン? こいつもただの青年実業家だな。こいつが逮捕されなかった世界を見てみたかったとは思うが、まあリクルートみたいな会社になっていただろうな。今じゃ知名度商売で稼ぐしかない姿は、見ていて悲しいぞ。「多動力」とか言っているが、お前どれも中途半端じゃねえか。1つぐらい世間を驚かすようなもの作ってみろよ。
夏野剛、お前は単なるマネージャーだ。ハッカーでも何でもないし、アントレプレナーでもない。大企業で会社と会社の折衝に生きていたらもっと大きな功績が残せただろうに、何を勘違いしたのか独立したのが間違いだったな。お前が輝けるのは大企業で役員を説得することだったんだよ。ハッカーじゃないのにハッカーを気取って、残念だよ。
一気に書いたので喉が渇いた。ちょっとお茶を飲んでくる。おっと、そういえば「はてな」っていう会社もあったな。お前は……(ブコメにつづく)。
トラバやブコメをいただいたので、勝手ながら浮世絵を勧めてみる。
変な話だが、鑑賞と制作だったら、制作から入ったほうが鑑賞も楽しくなるように思う。
例えば、葛飾北斎の富嶽三十六景の、有名なところで赤富士と言われる夜明けに朝日で赤く染まった富士山、凱風快晴。
あれを見て、思うのだ。
それは、制作を齧ってみるとひしひしと感じとれること。
知っての通り、オリジナルの浮世絵には原画というものが残っていない。
それを版元、つまり出版社の企画担当に渡して、それを板木屋、彫師という職人に渡り、板に張り付けられてしまう。
板に貼りついた絵ごと、彫ってしまうので、原画は木屑と共にこの世から消えてしまってるわけ。
絵師というか、画工っていうイラストレータの地位というのはそれほど高くなくて、彫師が勝手にアレンジすることだってある。
そもそも、芸術家として心から沸き起こるものを表現するんじゃなくて、売れるものを描くのが至上命題。
彫り終わると、それがすなわち線画のコピーが出来るわけで、そこから「ここを赤、ここを青」って具合で、絵師の指示が入る。
具体的な色を塗るとかでなく、文字で書き入れる程度。
そんで、また色の版が出来上がって、今度は摺り師と呼ばれる職人の手に渡る。
そして、絵師立ち合いで、色合わせを行って、微調整されたら出版、という流れ。
で、その手の浮世絵の解説書なんてのだと、初摺りは手がかかってるけど、そのあとの後摺りは手抜きで改変されてるとかって書いてあり、実際初期ロットと後期ロットは色が違うってんだけど、いざ制作してみるとそれだけじゃないように思う。
明らかに自己主張がある。
摺り師の「俺上手いだろ?真似できないだろ?」
っていう自己主張をビンビン感じる。
いざ木版画を始めてみると、100人中99人はそれを目指す、ある種の技術、方向性というのがあって、それが超絶レベルで、過剰なまでにそれに拘ってるのがよくわかる。
彫師と摺り師の自己主張だけじゃない。
時代の流行、ある意味で街の声さえも作品に取り込まれてるのが、ありありとわかる。
彫師のエゴを、摺師のエゴを、江戸の流行りを、それを引き算してやる。
北斎という人はいい歳して「自分が一番!」と天狗になったり、「バカにされるのは嫌だ!」忙しくぐるぐる同じところを回っていて、とてもかわいい。
少なくとも、自分にはそう感じられる。
ちょっと大胆すぎる実験的な試みも、「褒められたい!」という意識が見え隠れする。
それを差っ引いてあげて、初めて、あの絵の本当のコンセプトが見えてくる。
あるいは、摺師、彫師、版元、江戸の空気と北斎とのジャズセッションがあの作品だったとしたら、今度は自分と北斎のセッションが出来る。
なんて楽しいことだろう。
技術が追い付いたら、いつかそれをやりたい。
前置きが長くなってしまったが、そろそろどうやって浮世絵制作を学ぶか書いてみる。
いざ木版画を学ぼうとしても、浮世絵方式の木版画を教える教室はほとんどない。
なにをもって浮世絵方式というのか難しいけれども、木版画においてかつてスタンダードだった、世界で最も優れてた技術体系と断言できる。
その答えはわからない。
俺も知りたい。
で、そもそもその技術を継承した人というのが少なく、浮世絵の職人がやってる版画教室、あるいはその流れを汲むとする版画家の版画教室は知りうる限りで以下の通り。
現役彫師が教える版画教室。
当然ながら彫りに詳しい。
第七回 朝香伝統木版画教室作品展 2017年6月26日~7月2日
摺師が教える版画教室。京都だが、関西を中心に出張講座や通信講座もやっている。
五所菊雄という版画家で、摺師の内川又四郎氏(ポールジャクレーの作品を摺ってた人)から学んでる。
NHK文化センター 川越教室・木版画講座・作品展 2017年8月21日~8月27日
入学すれば学べるんじゃないかなと思うけども、ちょっとハードルが高すぎる。
野田哲也の師にあたる小野忠重の著書は浮世絵の技法を知るうえでお勧め。
いったん情報収集を始めると、先に沈んだ先輩とつながれるので、芋づる式にオタと出会える。
有名なところだと、独学で浮世絵制作者に転身して、大学や企業との共同研究までしてた元ジャズマン(最近亡くなられた)。
職もビザもなく、浮世絵への情熱だけで日本にきて、浮世絵で飯食って浮世絵で家建てて浮世絵で子供育てたカナダ人。
そのへんは浮世絵バカ一代の二代巨頭で、ほかにもごろごろ、まあいるわいるわ。
みんな平気で仕事を捨て、家族を捨て、学歴を捨て、浮世絵制作沼へ沈んでいく。
自分なんか、趣味の範囲で、まだ片足だけだが、いつか完全に沈みそうな気がして怖い。
コピー機がある今だとありがたみがないが、同じものが何回もつくれるというのは、楽しい。
いまだって、コンビニでカラープリントが80円ってのに、当時はかけそば一杯の値段だったっていうから、江戸時代の印刷技術スゲーって思う。
小学校でやるようなローラーで油性インクを塗る油性木版と違って、水性の絵具で摺りあげるのだが、特徴をいくつか。
まるで、フォトショでみたいにね。
うん、フォトショみたいにね。
赤の上に青を重ねると紫になる。フォトショでレイヤーを乗算モードにしたのと同じ。
前段のほうで書いた、誰しもが目指す技術というのは、きれいなベタ、滑らかなグラデーション、計算されつくした重なり、つまり、フォトショやイラレ。
そういうことなら、原画だって、フォトショやイラレでつくったほうが、出来上がりイメージはしやすいだろう。
今日はここまで。
本格的に、道具の用意、構図の学び方等々の話に入れずに力尽きてしまった。
大手ゼネコンでさえ、リストラが横行し、組織の大小、あるいは官民を問わず一斉に採用の門戸を閉じた。
これは、職人不足とも重なっているのだけど、少し違う。
職人の暗黒期は五年遅く始まって、五年遅く終わった。今は空前の職人不足である。
土木技術者とはつまり現場監督であって、職人とは作業員である。
この二つの暗黒期が重なった五年間に日本の土木は大きく衰退し、回復の兆しを見せない。
職人不足に対しては自動で動く土木機械の導入などで場当たり的に対応しているのであるが、各種の法律に従って作成する書類の量が官民ともに膨大なものになっているため、土木の現場代理人や官の土木職員は疲弊している。
典型的な斜陽産業の傾向で、農林業もヤクザも土木も、抱える問題は似ている。
僕だって長く土木の隅っこで飯を食っているから、暗黒期に培った技術が半端に金になるので今更やめづらいのだけど、人生をやり直せるなら土木には入らないと思う。それくらいの閉塞感が土木業界の隅々まで蔓延している。
浮世絵は絵師という原画を作る職人、彫師という版を彫る職人、摺師という版木から摺取る職人の分業なのだけど、現在浮世絵の絵師と呼ばれる人はいない。
職人を目指すなら、彫師か摺師となる。
昔は、木版印刷というのは、いわゆる印刷所だったわけで、美術品だけでなくて、本の表紙や酒のラベル等々、易しいしごとがわんさあった。
その修業期間が終われば、下手くそだろうと、個人事業主として泣いても笑っても腕一つ、まずは易しい仕事で数をこなして、腕を磨いてより単価の高い仕事、というわけだったのだけど、そんなのは昭和初期までで。
今は、ほぼ無給の修業期間が終わったら、限りなく薄給の食えない期間がずっと続き、美術品を作れるくらいになるまで生活がままならない。
といいつつも、重要なことは、どんな人でも、ある程度のスパンみっちりやれば、そこそこのことが出来るようになるということ。
芸術家が心が赴くままに作る版画と違って、浮世絵というのは、産業として成り立っていたくらいなので、
こういうときはこうする、こうやればこういう失敗はしない、こうしておけば怪我をしない、こうすれば効率がいい、というノウハウがしっかりあって、どんな不器用でも、そこそこのレベル(絵の通りに彫れる、100枚摺ったら100枚同じものを摺れる)には到達する。
もちろん、残酷なくらいに才能の差はでる。
同じことを最初から出来る人もいれば、長いトレーニングの末に出来るようになる人もいる。
ご興味があれば、レスしてください。
追記
個人ブログを開設してみた。
市之倉さかづき美術館に行ってまいりましたわ。
市之倉は盃が特産品なのですわ。
多数展示されていますの。
重輔銘のアサガオを連想させる形と色合いの盃は注ぐ液体のpHで
色が変わりそうな気がしました。
有田焼のエビ柄の盃は、イカ娘さんにプレゼントしたいでゲソわ。
特別な区画で紹介されている加藤五輔さまの(本名:五助)の説明文に
わたくし言葉がありませんでしたわ。
江戸時代生まれの方ですし、たんなる表記のぶれではありませんの?
加藤五輔(本名:五助)さまの経歴が、銅賞や三等ばかり取られていて、
書かれているのは最高でも二等であることも印象的でした。
切ないですわ。
イランの酒器が多いのは、イラン陶器の復元を研究されていた加藤卓男さまの縁でしょうね。
中国戦国時代の鳥尊という酒器の表面にはびっしり文様が描かれていて、
よくみると「雷文」も確認できました。紀元前三世紀にはすでに雷文があったのですわね。
あと「可盃」は、はてなのみなさんに顰蹙を買いそうですわ。
これは器に最初から穴があいていて、指で穴を押さえてお酒を注いでもらい、
そのままでは机に置けないので必ず飲み干さなければいけないという
代物ですの。
それはともかく、小さな焼き物ですからこそ、職人が技術の粋をこらした
姿に感心することができましたの。