はてなキーワード: 結果的とは
男女格差は出産が大きな壁になっているらしい。女性が出産・育児で長期間休んでいるため機会損失が大きく
男性が育児休暇をとらずに仕事をして賃金が上がることで結果的に男女格差が生まれてきてしまうという話を読んだ。
男女格差を無くすためには出産・育児に関する社会的な認識を正して新しい制度を設ける必要がある。
つまり男性が育児休暇を取って子育ての役割を担うことで女性の機会損失を減らしていこうという話だ。
ここまでは理解した。
つまりこれは男性が育児休暇を取りやすいように法整備するとともに
「女性の産休・育休を無くす」というのが意味わからないと思うから自分が考えていることを説明する。
まず現行制度では女性が産休・育休合わせて約1年3ヶ月取れることになっている。
出産前に6週間、出産後に8週間、その後、子供が1歳になるまでの育休期間の合計がこれ。
実際には保育園の問題などで育休期間が終わっても仕事復帰できない人がいるらしい。
この問題を解消するために制度(法律)を整備して企業へ男性の育休取得にプレッシャーをかけて
つまり、男も育休取れるようになったので女性は産後1週間で職場復帰して仕事をしながら男性と分担して子供を育ててくださいね。
それができないなら出産前の地位で会社には戻ってこれられません、ということになると思うんだよね。
出産直前は健康面でも問題があるので休暇は必要だろうが、出産後は育児を理由に女性が現行の1年以上の休暇を取ることはできない。
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「女性が育休を取れない」というのは誤解を招く言い方だった。
https://twitter.com/terrakei07/status/1364124022720454657?s=20
「最近になってようやく確定申告について詳しくなり「賢い人」「情報源が豊富な人」「教えてくれる人脈や環境に恵まれている人」がいかに有利なクソゲーであるかを痛感しました」
まあ、お年寄りで収入が多くないのに住民税が課税されていて、なんでやねんと追いかけたら寡婦控除がついてなかったとか、奥さんを扶養に入れてなかったとか。そういうのもありがちだわねぇ。
もーちょっとシンプルな制度にできなかったのかとも思うけど、みんなが賢くなったらなったで、また対策されるだろうからなぁ。
バカな為政者に投票した覚えはないが、結果的に私らが選んだことになるんだよなぁ。そのバカしか出馬させられなかった(そのバカの出馬を止められなかった・もっとマシな人を送り込めなかった)のも、あとからでもバカを罷免しようとしなかったのも、私らだから…
そうなんだよな
肉のたべすぎはよくない、っていう共通観念があるのにスルーされてる実態がある
お里が知れるとはこのことよのお。
喫煙者は喫煙という形で休み時間が取り放題だが、表面上は働いていることになる。
そして喫煙者であるがゆえに残業代の申請に対して「いやお前ヤニ食ってたからそのぶん働けよ」と言われ、結果的にサビ残が増える。
サビ残が増えるとそれだけ周りは「いつも働いてるしサビ残だし偉いぞ」と評価し、サビ残喫煙者は出世する。
そうして産まれるのが仕事は遅いのに出世は早くいつもタバコを吸っていてサビ残ばかりの上司だ。
サビ残上司の下にいる職員は上司がサビ残しているため残業代を申請しにくく、しかし上司がすぐにタバコを吸いに行くから仕事が滞るので残業は増える。
結果として無賃労働を繰り返した果てに有能なやつから辞めていき残った無能に仕事が押し付けられ精神崩壊を起こす。
つまり、ヤニ食ってる奴の残業自慢はそれ自体がパワハラなんだよ。
ヤニ食うのやめるか残業自慢やめるか選べや。
前々からおかしいと思いつつしかたないで済ませてきたけど、でも、悪いけどやっぱりおかしいから声にします。
交通違反はけしからんです。実にけしからん。ドライバーは人の命を預かる人間としての節度が問われます。
資料調べたら平成30年の1年間で820,678件も発生してるんですよ。交通違反だけで。
なんと1日で2248.4件。なんてけしからん。
交通違反といえば無免許、酒気帯び、携帯電話、スピード違反あたりが事故に直結する危険な違反。
意図的でなければ起こらない違反でもある。そういう違反をする人間は本当に免許を取り上げてほしい。
・無免許 1,068件
・酒酔い 35件
・及び酒気帯び(0.15mg/l以上、0.25mg/l以上含む) 780件
・携帯電話 64,825件
・速度超過 62,958件
携帯電話と速度超過は流石に多いなって印象ですが、それでもどちらも10%以下。
酒酔い、酒気帯びに関しては合計しても0.1%にしかなりませんでした。
あれ?なんか思ってたのと違うな。
通行禁止違反とは、車両進入禁止の標識のある道路に進入してしまうこと。
主に一方通行の逆走などですが、これ以外に、時間帯によって右折や直線などが禁止されている交差点で誤って禁止されている方向に進んでしまうことも含まれます。
よく見ると8-20は直線左折のみといった内容の標識が道路脇にぽつん立っていたりするやつです。
幹線道路に交差する細道からの直進が、8時から12時まで禁止されているというものでした。
たまに通るときは夕方だったので、昼の間に直進できないとは知りませんでした。
違反したのは自分が悪いです。でも、そこにずっといたなら直進が危険だと知らせるべきじゃないですか?
言われてぴんとくる人もいると思いますが、多いんです。取締が。
そりゃ現行犯(?)が基本の取締ですからそうせざるを得ないこともわかります。でも、他の明らかに危険な違反と比べて多すぎやしませんか?
ついで一時不停止が135,143件。その後に信号無視が118,602件と続き、こちらもとても多くの件数が取締されています。
この二つはわからなくないですが、それでも場所によっては分かりづらい場所も多く、そういうところに限って取締が多いのも事実です。
更に続くのが、進路変更違反83,446件。指定通行区分違反が63,572件となっています。
進路変更違反は黄色い車線をまたいで車線変更をしてしまった場合、指定通行区分違反は左折・直進・右折などが指定されている車線から指定を守らないで進行してしまった場合などです。
昭和通り沿い、上野駅近く大きな歩道橋下なんて、3回通れば1回は違反取締を見るくらいの頻度です。
この道なんて特にそうで、走ったことのある人はわかると思いますが、昭和通り3車線のうち路駐で左側一車線が潰れているところから黄色車線が断続的に続いている上に突然右車線が浅草通り方面への右折車線に限定されてしまうので、知らないと勝手に別の道路に連れて行かれそうになります。
しかも知っている人は交差点手前から真ん中の車線にいるので、右側車線だけが場合によっては御徒町を越えたくらいからガラガラだったりして、気付いたら右折車線の直前まで進入してしまっていて判断の時間が極端に短くなるなんてことも重なったりします。
運転は免許制ですので、ハンドルを握り続ける以上は常に知識と意識をアップデートして安全運転に務めることが求められます。
だから、知らなかった。わからなかった。ですまされないものだということも理解できます。
ただ、この道路に限って言えば、昭和通りの路駐が交差点手前からしばらくの間だけでもなくなっていれば、結果的に中央車線の通りが良くなってほぼ解決する問題でもあります。
それって、本来取り締まるべきものが逆転してしまっていませんか?
お前ら黄色いライン超える車ばっかり睨みつけてないで、手前の道路の駐車違反を一掃してこいよ!と。
通行禁止違反、指定通行区分違反、進路変更違反だけで、年間293,842件という取締数は異常だろ。
取締数だけでそれだけということは、実際の数は更に数倍に膨れ上がるわけですが、本当にそれだけの件数のドライバー、意図的に違反を行おうとしているのでしょうか。
さて。
話は変わりますがここで違反金について考えてみたいと思います。
普通自動車の場合、通行禁止違反が7,000円、指定通行区分、進路変更で6,000円の違反金を支払う必要があります。
これをそれぞれの件数で掛け合わせてみると、この3つの違反だけでも、都内だけで年間19億円の違反金が警視庁に支払われている計算です。
一時不停止、信号無視についても、個人的にはとても判断が難しい道路などがあるので全てをドライバーの責任だとは言いたくありませんが、それを除いたとしてもこれだけの金額が違反金として支払われている状況なのですが、これって異常だと思いませんか。
道路上の安全を守るべきが警察の職務であるのに、年間にそれだけの件数の違反が発生する交差点や道路上の問題を放置しているのは職務怠慢であり、もしそれが違反金欲しさに放置されていたとしたならば、重大な責任問題さえ発生しかねないくらいの大きな問題だと言えます。
いくらなんでもこれではもはや事実上の通行税。そんなのが許されるならマジで日本は死んでくれ。
もちろん交通事故はなくなってほしいです。
そのために取締が強化されることは致し方ないことだと思いつつ、道路上の危険が放置されているとも言える状況で、取締数と違反金だけが増えていくのは果たして正しいことなのか疑問でしかありません。
平成30年の違反件数で45,582件はそれだけでもかなりの数ですが、それでも携帯電話の64,825件、速度超過の62,958件に比べれば少ないです。
何も路上駐車の全てを取り締まれとはいいません。特に物流に関するものについてはルールを定めた上で緩和されるべきだと思います。
ただ、特にタクシーによる駐停車禁止区域(主に交差点内とその端から5m以内、横断歩道から前後5m以内、車線変更禁止ラインのある右左折レーン)での客の乗せおろしは、歩行者を巻き込む事故に容易につながる本当にけしからん問題なので取締を強化すべきです。
曲がりなりにもプロを名乗る人たちが目先の売上を優先して堂々と違反行為を繰り返しているのが見逃されているのに、道路側の問題とも言える違反によって普通のドライバーばかりが取締されるのはどう考えてもおかしいです。
最後に、自動車の販売台数が下がっていく一方らしいですが、標識や交通ルールの分かりづらい場所に限って取締を強化しているような道路なんて走りたくないっていう気持ちが、そこにとどめを刺しにいっているような気がするので車メーカーさんも何かしらの働きかけが必要な時期にきているのかなって思いました。
自分は必要に迫られてハンドルを握ってるだけで、こんな道路、普通に考えて走りたいなんて思わないよ。これじゃ日本死ぬよ。警察に殺されかけてます。
参考資料
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/jokyo_tokei/tokei/k_tokei30.files/ktd020.pdf
留学先で女性を妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしまう自分がいて、実はこれ、レトリックや文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分のおすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフ「ロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい。
余談だが、鴎外自身は東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなたの写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りがうまいよな。
古風な文体で挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文がいるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋に実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。
「舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソードは結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。
僧侶が山間で美しい妖怪と出会う話。文庫のちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズは日本の近現代文学作家のベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。
話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書を読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。
とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分のリズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想の世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。
我輩を吾輩に修正。
ここ最近は漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米の文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会の文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本の近代文学の開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。
で、肝心の内容だが。基本的におっさんがおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。
余談だが漱石の留学時代の日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。
素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。
被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域の実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。
女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的にダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまったか。
で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。
読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日ノ日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。
読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテないからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。
ちなみに、自分が初めて関係を持った女性は貧乳だった。だがそれがいい。
お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である「清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐犯視点の「児を盗む話」もよかった。
大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品や日記もあって、そうした印象ばかり残っている。
関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分。あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。
めんどくさいファンがいることで有名な作家。全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。
思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。
知り合いにいつもぬいぐるみのキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫の全集でだった。
狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫の場合は表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人が夜逃げする「時間」と、ナポレオンがヨーロッパの征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。
実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青・秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分の人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女に気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章のリズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中の生活が爆弾が実際に降ってくるまでは震災やコロナでただよう自粛の雰囲気とそっくりだったこととよくわかる。
ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロインの名前が母と同じだったのですっかり萎えてしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。
高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生に川端康成のエロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコンを発症させたことくらいだろう。
太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇やパーソナリティの偏りや性的虐待の疑惑に求める説は多いが、そういう心理は普遍的なものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限は原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。
もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。
天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学を卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれた文章のせいかもしれない。
極限状況下でのカニバリズムをテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニークな小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲の第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。
人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?
祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカの父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカが男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。
未読。不条理な陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分は戦争ものの小説・漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。
これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。
大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。
「燃え上がる緑の木」は新興宗教や原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリックの宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。
大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現がひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである。
祖父が学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。
子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論(西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。
読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白い記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句を乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。
「ローマ字日記」しか読んだことがない。たぶん日本で最初にフィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。
堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇と天武天皇の家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。
求人系サイトで希望年収 1500 〜 2000 万と書いてあるのに。
『高収入エンジニアで年収 600 万〜 800万』の高収入で残業も少ないです!
ってスカウト送ってくる企業は自己紹介の何をみて送ってきたのか気になってしまう。
※ 恐らく見てない。
面接官が候補者を見るように、候補者も面接官から会社を見てる。
どういう人がほしいかにもちろんよるけど本当に人がほしいなら人にもっと向き合った方が良いのではと思うケースがままある。
採用大変なので、一旦契約社員で様子見とかいうと候補者からの『ではいいです…』とかを気にして面接だけで採用とかしてたりするけど、
ドキュメント審査もその人が優秀かどうか + 社風にあうかどうかもきっちり話していき、その上で一旦短期間仕事してみよう!とかをこなしている企業の方が結果的に良い人が集まってると思う。
首相の長男の接待疑惑の件で官僚が使った詭弁なんだけど結構多用されているので注意しよう。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/87043
もともとは衛星放送についての話はしていないし、利害関係者だとも認識していなかったと言っていたが、文春から会食時の録音が出てくると一転して衛星放送の話をしていたのだろう、と認めた。
この時点で、「衛星放送の話はしていない」と主張するのは諦めて、争点のラインが引き下げられ、「衛星放送の話はしていたが、前回国会で聞かれたときは記憶になかった」というところまで前線が引き下げられている。
なぜかというと、前回の国会で嘘を言っていたということを認めると、偽証罪になってしまうからこんな強弁をしているわけだ。罪にならないように白痴のふりをするのが本邦の高級官僚のやり方らしい。恥知らずもいいところだ。
https://bunshun.jp/articles/-/43584
これも似たような話で、誰も首相とその長男が同一人格だなんて主張してないのに、「別人格ですからね」と主張している。だれもそんなこと言っていない。
別人格だろうと、親の威光を使って贈収賄を行ったのだとしたら親にだって責任はあるだろうという話だろう。
そこまでひどくはないが、似たような光景ははてぶでも見られる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210221012059
やはり何でも反ワクチン認定する輩が出てきたな。「アストラゼネカのワクチンについて65歳未満に限って推奨としたのはフランス、ドイツ」「有効性は南ア変異株に対しては22%に低下」
そうかワクチンについて少しでもdisると反ワクチン勢力に入れられるのか!スゲー偏見だな。悪いけど私はワクチン接種に反対していません。あと陰謀論は信じていませんので勝手にJアノンとかレッテル貼りも止めてね。
これらに共通して特徴的なのはやはり、「何でも」「少しでも」というようなフレーズだろう。
これらのコメントでは、相手の論理が「全く寛容でない」とわざと誤謬しつつ、限定的な反論を与えることで自らの反論を正当化しようとしている。
しかし、元増田をちゃんと読んでみれば基本的には「明らかな嘘」「思い込み」を指摘しているのであって少しでもワクチンをdisるのを否定したわけでもなければ何でも反ワクチン扱いしたわけでも無かろう。
つまりここでは意図的に前線が引き下げられている。引き下げられた論点は結果的に以下のようなものである。
「なんでも反ワクチン扱いするのはよくない」「アストラゼネカのワクチンがファイザーよりも評価が低いことを指摘したからって反ワクチン扱いするのはよくない」
これらの主張は常識的なところまで引き下げられているので、単独では納得できるものである。もちろんなんでも反ワクチン扱いはよくないよね、というふうに。
しかし反論である以上含意として「元増田はなんでも反ワクチン扱いしている」という意味になっており、それは全く間違っているのである。
こういうのをなんて呼ぶべきだろうか、「悪意ある誤謬」とでもいうべきか。
やりたがらなくても結局は男がやっているなら
どうも。皆様はじめまして。
具体的にはWEB、紙雑誌でライティングの仕事、たまーに版下記事を丸っと任せていただき、DTPの真似事や簡単なデザイン関係のお仕事もしています。
簡単に言うと、記事ライターというやつです。特定されないよう文体を変えているので、文章に変なところがあってもご容赦を。(金とるわけでもない文ですし)
「憎悪クリエイター」って何やねん?と思われたでしょうが、先日増田で見かけた単語がいいなあ、と思ったので使わせてもらいました。
簡単に言うと、今回タイトル文に使った「遊郭編のタイトル炎上」だとか、「LGBT問題」だとか、「男女差別問題」だとか、「政治屋への批判」だとか、ジャンル問わず、『分断と憎しみを煽る記事』を作っています。
ちょっとジャンキーな言い換えをすると、「レスバトルの火種になる記事」のクリエイターです。人と人の憎しみを増幅させることで昼飯を食べています。
私を含めた、そういう人達のことを、私は勝手に憎悪クリエイターと定義させていただきました。
(まあ、皆様なんとなーく、我々の存在を感じ取っていたとは思うのですが…)
貴方がイラっとした記事や、ジェンダー問題や環境問題とか、正解がないのにも関わらずSNS上での議論が紛糾した問題を思い浮かべてください。
簡単に言うと、情報をある程度恣意的に切り取り、意図的にSNSで炎上するように仕向けた記事を沢山書いて出荷しています。
その方が金がいいから…ではありません。
己の政治主張を通すため…でもありません。
私は元々、ペットのお役立ち情報とか、ネコやインコの記事をメインに書くためにこの副業を始めました。
しかし、いつの間にかネコちゃんやインコが可愛い!という記事よりも、
「アイツがやらかした」だとか「こういう差別が問題になっている!」という記事の方の仕事をいただくことが多くなり、段々そちらがメインになりました。
以上です。
私は過去、妊婦の問題や貧困問題なんかを、さぞ苦しんでいる人々がいるように書きました。
しかしながら、別に私自身は子育てに苦しんでいる人を救済したいとかないですし、逆に苦しめばいいとかもありません。
「AT運転はダサいという声が」といった記事を書けば、勝手にSNSで議論になって盛り上がる、と言えばわかりやすいでしょうか。
炎上したら、しめたものです。閲覧数の多い記事が書ければ、次のお仕事につながるからです。
あと、謝ります。
遊郭編についての記事は書いてません。単に興味がある人が多いだろうから適当に使わせていただきました。悪しからず。
まあ遊郭編についても同じことです。自分もああいうタイプの記事を作ります。動機は需要があるからです。
元の漫画だとか、子供の教育をこうしたい、とかはありません。結果は求めていません。
例えば我々憎悪クリエイターが「ネトウヨやブサヨのここがおかしい!」などという記事を書いたとして、実際に政治主張が左向きや右向きかと言われると違います。
つまり、閲覧数そのものが目的なのです。どんな記事だろうと、読んでもらえなければ意味がありません。
別に炎上の結果企業が叩かれようが、世界が正しい方向に向かおうが、政治家が引退しようが、関係ありません。
人が記事を引用してリアクションすると、勝手に拡散してくれて結果的に第一目標の「閲覧数を増やす」というのが達成される確率が高い。
それだけの話です。リアクションの内容はどうでもいい。賛同でも、否定でもいい。
では何故、「憎悪クリエイト」が多く行われるのか?需要があるからです。
win-winなのです。
どうせ、多くの人は記事の中身まで読みません。勝手にタイトルから「こういうことを言おう!」と決めてくれます。
あります。
憎悪クリエイトを行う時に重要なのは、「なにが嫌なのか理解すること」です。
だからこそ私のような人間は多くのコミュニティに参加しています。
漫画だのアニメだのゲームだの作品の感想を楽しく言う場所だとか、ガールズがちゃんねるしている場所だとか、他にも海外の掲示板だとか。一例ですが。
皆様が何を楽しみ、何にイラっとするのか。わからないと正しく憎しみを煽れないので、ちゃんとコミュニティに合わせた感性を忘れないようにしています。
我々が皆様にわざと勘違いさせていることなのですが、メディアは貴方達ユーザーと同じようにメディアを閲覧することができ、同じ感情を持つことができます。
なにが好きなのかわからないと、その好きなものをけなせない。勘所がわからないのです。
論理を破綻させ、倫理を捻じ曲げる。上手くそれをやることが憎悪クリエイターの腕の見せ所です。
・最強のA案
「見ない、反応しない」
これが答えです。
憎悪を煽るような記事は見ない、そして「取り上げている対象」を叩かない、「記事そのもの」も叩かない。
例えば森氏の失言問題においては、森氏の記事そのものを見ない、森氏の家族を陰湿に叩くメディアを見ないということです。
貴方たちが見た時点で我々の実績になります。アクセス数が伸びれば、当然ながら同じような記事を書きます。
メディアは人の心がないから加害者の家族を追うのではなく、人の心がわかるからこそ加害者の家族を追跡するのだということを認識するべきです。
政治は税金が絡むので市民が監視者になる必要があるというお題目がありますが、そういうお題目を最大限利用するのが我々憎悪クリエイターです。政治だろうが芸能だろうが教育だろうが、同じことです。
閲覧とリアクション。それを得られるならば、できることはやります。
例えば児童が読むものに遊郭編とつけるのはいかがなものか、とか。
倫理や正義、正しさなどというものは我々にとって利用価値の高い道具です。
とはいえ、皆様には何かを叩く権利があります。義務ではありませんが。
犯罪行為や反倫理的行為を叩く行為は、運営や警察がカバーしきれないネットワークにおいては必要な暴力機能でしょう。
100日後に死ぬ爬虫類の叩きについては、某社のアレとかでご理解されているように、我々職業的な憎悪クリエイターからは離れた案件になります。
つまり、「感情面と経済的合理性から叩く意味がないもの」を叩く行為を行えば、それは我々憎悪クリエイターの手から離れた叩き行為です。
ネット上でものすごく愛されているものを叩いてみてはどうでしょうか?
利害関係的に誰もが損をする。そういう対象を叩けば、最初のうちは我々の意表をつく行為です。叩く対象がなんでもよいのであれば、そちらを推奨します。
憎悪クリエイターの利用者は多くの場合、怒りをぶつける相手が欲しいだけです。
憎悪そのものが目的であり、その結果としての改善を望んでいる人などほとんどいません。
貴方達が議論している「すぐに解決しない問題」は我々の昼飯代程度の金のために作られた問題だということです。
色んな記事を書いてきました。
女性差別を失くそうという記事、フェミニストがウザいという記事、ヴィーガンになろうという記事、ヴィーガンがウザいという記事。ナチスは正しいという記事。ナチスにならないためにはどうしたらいいのかという記事。
アニメや漫画の規制を促す記事。漫画やアニメーターの保護を訴える記事。弱者を守るための記事。弱者を利用する記事。
全て、憎悪を煽るためです。憎悪は構造上、金を産みやすいのです。
巨悪がいて、情報を統制している、などというファンタジー世界は存在しません。
貴方達の需要に応え、私達憎悪クリエイターによって安い金で作られているのが貴方達が社会問題や命題だと思っていることです。
(あ、でも某広告代理店が「年金受給者」と「若者」の対立を煽ろうとしていたのはガチです。長期目的は知りませんが、かなりの予算が動いていました)
何故憎悪クリエイターが生まれるのか?需要があるからです。貴方達が私達を産んでいるのです。
貴方達は自分のスタンスやポリシーに理解がない人間を叩くことを常に望んでいます。
論理の破綻を見つけるのが嬉しくてたまらない、知識をひけらしたくてたまらないのが貴方達です。
我々を消す方法は、「見ない、反応しない」です。そして皆様にそれができないのは、私達が一番知っています。
私は、少し疲れました。私の言いたいことが皆様に伝わり、この記事が誰にもリアクションされず、誰にも見られなければ私の勝利でしょう。
しかし、私はきっと勝てないでしょう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210220/k10012877561000.html
gowithyou アストラゼネカのワクチンはフランスで65歳以上は効果ないとして切り捨てられものだよね?日本だけ突き進んで大丈夫なんか?
bocbqcmn この国って、どうしていつも、ババを引いてしまうん?(アストラゼネカ製ワクチンの評判は各自で調べてね!)
tach ファイザーやモデルナのワクチンとは仕組みが根本的に異なり有効性も低く特に高齢者には効かず副作用も出やすいアストラゼネカのワクチンを日本で作っていただくというありがたい話。誰が貰った袖の下?後進国。
ほんっっっとしょうもない。
いいな?
公式見解がこれだ。まずはこれを読め。
https://www.ema.europa.eu/en/news/ema-recommends-covid-19-vaccine-astrazeneca-authorisation-eu
55歳以上は治験データが不足しているが効果は期待できると書いてあるだろうが。
ブコメ連中が言うように本当に効果が無いんだったら、EUやWHOの方針はどうなるんだ。
すげえなお前ら。
日本だけ突き進んでワクチンを接種できるとかそんなありがたああああああああああい話、あったらいいね。教えてくれよ。なあ。
https://ourworldindata.org/covid-vaccinations
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021021600120&g=int
dededidou また利権が働いたかと疑わずにはいられない、この国では
y_as 邪推です。評価が低いワクチン→営業、ロビイング、賄賂を駆使して売り込み→こんな非常事態でも「国民の健康」よりも「自分たちの目先の利益」を優先した判断で採用
各国が供給を強く求めているの。
あとね、アストラゼネカはパンデミック期間中は利益を得ない方針なの。
実際にEUで明らかになった金額はファイザー1520円でアストラゼネカ225円だね。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020121900183&g=int
日本で作っていただくというありがたい話
あのね?ファイザー製もアストラゼネカ製も供給が逼迫してるの。
特にイギリスとEUの間ではイギリス工場で製造したワクチンをEUに引き渡せだの
EU内の工場で製造されたアストラゼネカワクチンの輸出を強制的に止めるだの
かなり緊迫したやり取りが続いてたの。これが先月ね。
https://www.bbc.com/news/world-europe-55860540
https://www.nytimes.com/2021/01/29/world/europe/EU-AstraZeneca-vaccine-export.html
そんな不足しているワクチンを輸入に頼らず国内製造できるって、文字通りありがたい話なんだよ?
兵庫のJCRファーマがせっかく9000万回分も製造するんだけど、捨てた方がいいのかな?
それともどこかの国が製造して、その国が自分とこの国民をさしおいて日本に輸出してくれるのを待つ?
おまえだけ待てばよくない?
日本政府がファイザーモデルナアストラゼネカと契約したのは2020年末から今年1月だ。
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000723995.pdf
その時点では、
どれだけ製造できるのか、
日本が確保できるのか、
有力な3社に全人口より大目に発注かけとくのは常識的じゃないの?
結果的にファイザーが一番有効なのがここ数週間でわかったんだけど
それを根拠に
副作用がでるよ~ だの
利益優先だよ~ だの
ほんっっっっっとしょうもない。
開発国であるイギリスが2月22日に公的な検証結果をリリースしたぞ。
接種した114万人のうち、ファイザーで85%、アストラゼネカで94%の入院数が低減したとのこと。
しかも2回接種のところ1回接種でだ。(4週目以降は効果が低減してくるから2回目が不要というわけではない)
イギリスと同じくファイザーとアストラゼネカを併用予定の日本でも同じ効果が期待できると俺は見込んでいる。
だから、
そんな理由でファイザーじゃなきゃ接種拒否みたいな風潮になっちゃ不合理でまずいと思うわけよ。
接種率が低いと無症状感染者による感染拡大は防げないんだから副作用がきつくなけりゃ接種するのが合理的だと思うわけよ。
おれは日本社会の同調圧力はクソ大嫌いだけど、今回のコレはこう思うわけよ。
お前はどう思う?
イギリス保健省の声明と論文 URLはスパム対策で貼れなくなってるからこれを半角にしてくれよな。
https://publichealthscotland.scot/news/2021/february/vaccine-linked-to-reduction-in-risk-of-covid-19-admissions-to-hospitals/
個人的になにがどう良いのか書きたいから増田を借りることにした。
みんなの楽しいこととかも聞きたいな。
実家暮らしはなにかと文句言われたのがめんどくさかった。「またそんなもの買って」とかいうけど自分で稼いだ金になぜ文句言われなきゃならん?自分用の棚に全部収まってるが?
一人暮らしだと今度はとっ散らかす。片付けが苦手だから誰もいないと置きっぱ出しっぱにしがち。さすがにゴミは捨てるし足の踏み場くらいはあるけど。けどってだけ。
同棲始めたらお互いの部屋には文句は言わないし、お互い嫌味も言わないし、言いたくもないからどこもかしこもきちんとできてて個人的にはとても良い。
些細なことのようだけどこれが自分には1番大事だと思う。本当に。
折半ってやっぱ強い。家賃は固定だから置いとくとして、それでも2人で十ン万の家住んでて水光熱は「え?こんなもん?」だし、しかもそのこんなもん?って請求書の数字だから自分が持つのはその半分だし、食費もお互い料理できるから自炊多くて思ったほど高くない。
UberEATS使っても罪悪感湧かないくらいには普段の食費そんなでもなかった。おなかいっぱい食べてるけどね。
お互い電気とかこまめに消せるタイプだからなお良かった。つけっぱ開けっぱ出しっぱってストレスになる人はそういう人と暮らしてくの大変だと思う。
趣味人だと「個人の時間」欲しくない?本読んだり、ネトゲしたり、絵描いたり、バイク乗ったり。共通じゃない趣味とか、ぼーっとする時間とか、好きだから週一会いたい!だったのが毎日一緒に居るとちょこちょこちょっかい出せるしまとまった一人の時間があっても寂しくならない。LINEだって会社の帰りにスーパー寄ろうか?くらいの連絡しかしない。
1LDKで足りる人はいいかもしれないけど個人的な時間を大切にしてる人は2DKのがいいよというアドバイスは本当だと痛感してる。うちは二間の真ん中が引き戸だから部屋が独立してるわけじゃないけど壁が作れるし開けれるのは良いなと思う。
日用品食料品の買い物めちゃくちゃ楽しい。夜ご飯どうする?って会話めちゃくちゃ楽しい!!デートってなんとなく楽しくなくちゃ、みたいなのあるけど日用品の買い物で気張ることも機嫌悪くなることも早々ない。気楽。帰りにコメダ寄って帰ろーみたいなのが楽しい。相手にとって、自分が当たり前になってることが嬉しい。
ずらずら書いてしまったが色んなことが全部楽しいので良かった〜〜他人と暮らすとか無理ゲーと思ってたけど杞憂でよかった〜〜〜〜って感じ。
あと他に考えうる原因は
・運動不足
・お金へのストレス(4月から行くスクールでつかうPC買いたいのと、カードの支払い)
だと思うので原因はわかってるからどんどん解決への道に行かなきゃいけないんだけど
鬱みたいになってずっとぼーっとしてしまう
あれしようと思っても力が入らないというか集中ができない
ふと気を緩むと他のことを考えてしまってADHDの子供みたいにやってることがコロコロ変わって同時進行になってるし一つの案件をすぐ消費できないが困る
「お前らどうせやめろっつってもセックスするだろうし、それはもう仕方ないけど、せめて避妊はしろよな!」って内容を大真面目にやってるのがオモロい
実際俺含め人類ってバカだし、特に男は性欲の前に無力だけど、そもそも性欲さえ抑えてれば万事平穏だったじゃんって感じの生殖絡みの「悲劇」はどうしても冷めた目で見てしまうわね
コンドーム とか存在自体がけっこう面白くて、「生殖に伴う快感部分だけを味わうために作られた、チンコに巻く用のメチャメチャ薄いゴムの膜」が教科書に載ってるのはかなりアホくさい
戦争、人類みんなが十分に合理的で冷静だったらおそらく全く起きないものなのが面白い
まあそんな状況はありえないのが悲しいところなんだけど、にしたって「戦争という悲劇」とか言ってるのはかなりマッチポンプ感あってアホくさい
人類の人類による人類のための戦争だったわけじゃん 戦争やるには国なんていう大量の人間が関わった組織が最低2ついる そこに属する相当数の人間が結果的にゴーサインを出した結果やっちゃったわけで、まあ完全に人災だよな
実際やんない方がいいっていうのは本当にそうなんだけど、未だに核兵器とかステルス兵器とかあらたに作ったりしてる一方で戦争はダメだ〜やめましょう〜つってるのは、なんというか情けない話だ
初見では「は?これ何の意味があるの?」と思わざるを得ないような謎の儀礼を、「相手が不快になる可能性があるんだからつべこべ言わんと覚えろ!」つって叩き込まれ、それに従って暮らしているうちに「礼儀がなっていない奴をみると腹が立つ」側の人間になってしまうという構造がかなり面白い
宇宙人が天皇なり国王なりと会って、会うなり舌(のようなもの)で顔ベロベロ舐め回したあとウンコの臭いがする液体をかけたとして、即座に礼儀がなっとらんと切り捨てることはできない、っていうのも奥深い 相手の顔を舐め回した後ウンコ臭の水をかけるのが最大の礼儀、って文化とぶつかった時、我々はどうしたらいいのか
そんで、そういう極大のマナー違反は逆にセンシティブな問題になる一方で、お辞儀の角度なんかを気にしないといけない風潮があるっていうのがなんともアホくさい
もう……いいじゃん
全員違う文化持ってるってことにしたらいいじゃん
「俺は逆に、あいさつなんてされるのはすごく不快だし失礼だと思いますよ」「私にとっての上座は、土間です」って人の文化も尊重されるようになったら面白いと思うんだけどな