はてなキーワード: 三島事件とは
はっきり言ってこの文脈において鬼滅の刃はそこまで重要じゃないんだけど、要は生まれ変わりの話である。
鬼滅の刃は最終巻を除いて全て読んでいるし、一年以上前からジャンプ本誌を購読していて大体の展開は知っている。三島に関してはこれまで十冊くらい読んだ。仮面の告白、金閣寺、豊饒の海。そういうやつだ。
要するに生まれ変わりの話である。三島由紀夫は東大を卒業して官僚になった後で小説家に転身した。諸々の経緯を省くと最終的に自衛隊基地で生涯を終えることになる。この事件には様々な思惑が見られるのだけれど、それはそれとして三島由紀夫は生前生まれ変わりというものへの執着を小説において大いに語っていた。勿論、それはポーズだったのかもしれない。荒唐無稽でナイーヴな小説家としてのポーズを取ることで、あるいは自分の目的を推測されまいとしたのかもしれない。
いずれにしても、豊饒の海シリーズを読んでいる限りで彼はかなり真剣に生まれ変わりというものを信望していたように思われる。三島事件だってそうだ。彼が事件を起こしたのは彼の誕生日である一月十四日の四十九日前だった。つまり、事件から数えること四十九日後に、彼は改めてこの世に生を享けようとしたのである。少なくとも三島由紀夫の研究においてはそれが定説だ。
鬼滅の話どこ行ったねんというツッコミが聞こえてきそうなので言及しておくと、鬼滅は正直面白いと思っている。下弦連中の粛清とか柱合会議あたりから特に面白くなったよね。俺はかなり好きだ。上限の六の兄妹鬼のエピソードのラスト辺りとかも特に好きだ。
鬼滅の刃においては、人と人との因縁、因果、あるいは、極言すれば生まれ変わりについて表現が散見される。生まれ変わり、そんなものが本当に存在するのかどうかは確かめようがない。だから、この議論は率直に言ってナンセンスだ。そんなものは分からないのだ。このテの命題にそもそも述語を接続しようとすること自体間違っているのだ。そんなことは我々には分からないし、発言の余地はない。生まれ変わりについてはそれで話が即座に終わる。オーヴァ。本来なら。
とは言え三島由紀夫は明晰な頭脳を持ちながらに生まれ変わりをラディカルな部分で信じていたように思われる。少なくとも、自分の小説でそのようにアピールしている。生まれ変わりを自分は信じているのだと。どうやら、彼は周囲に口にしなかった個人的な体験によって生まれ変わりを信じるようになったのではないかと思われる。彼の遺作である『豊饒の海』の最終巻『天人五衰』が脱稿されたのは三島事件の二日前で、つまり、彼は事件の後で『天人五衰』が出版されるように計らったのであり、『豊饒の海』シリーズにおいて「生まれ変わり」が大体的なテーマとして描かれていたことからも、彼が自身の存在を「生まれ変わり」の信望者として印象付けようとしたことは明らかであった。遺作のテーマは生まれ変わり――そして事件を起こしたのは誕生日の四十九日前であり、これまた生まれ変わりを示唆しているのだ。当然この二つの事象はリンクしている。
『豊饒の海』シリーズにおいて、主人公は松枝清顕と本多繁邦であり、本多は松枝と死別するが、生前松枝の身体に刻まれていた脇の下の三つの黒子を巡って彼は様々な生まれ変わりの事実に直面する。三巻『暁の寺』において登場する東南アジア某国の姫君ジン・ジャンは、本来知り得ようもはずもない前世の詳細な記憶を本多に向かって詳細に語ることで、少なくとも作中において生まれ変わりの事実が明確にされることとなる。
脇の下にある三つの黒子、というのがキーになっているこの連綿とした転生は、恐らくは三島本人の人生においても見られたのではなかろうか。三つの黒子とまでは言わずとも、身体的特徴の極度なまでの類似、そして死者と当事者しか知らぬはずの記憶が語られること。それらによって三島は生まれ変わりの事実を、自身の人生においても確認したのではないか――? 無論こんなことを考えるのはナンセンスだ。そんなことは三島当人にしか知る由はないし、重ねて、生まれ変わりに何らかの述語を接続してはならないのだから。
因みに、彼の遺作のタイトルである『豊饒の海』はミスリードを誘うもので、本来このタイトルは、ヨーロッパにおける月のクレータの異称を指している。
古来よりヨーロッパにおいては月に存在する巨大なクレーターのことを「豊饒の海」と呼ばうのだ。
それは、月に存在する一滴の水も存在しない茫漠とした荒野のことである。「豊穣」という言葉とは裏腹な、無益と徒労を象徴する荒野の存在が、彼の作品には浮かび上がっている。
▲無言のまま安保条約の質が変わっている
日米安保条約の改定をめぐって60年に全学連などのデモが吹き荒れ岸内閣が退陣にいたった。あれから半世紀になる。
60年アンポ反対運動は攘夷的な国民的ムードが背景にあり、当時のシチュエーションは反米だった。運動に参加した殆どの人は条約を精密に読んでいなかった。ゼンガクレンは情念と正義感で動いた
70年アンポは前年までに反戦運動が下火となり、赤軍派と三島事件という両極の政治事件で終わった。この間、高度経済成長と東京五輪によりナショナリズムは体制側に収奪された。
爾来、日米安保条約の自動延長が継続され、80年アンポは政治争乱もなく、むしろフォード元大統領らを招いた日米シンポジウムが東京で開催された。筆者は当該シンポジウムの広報担当だったため会場のホテルに一週間ほど泊まり込んだ。中川一郎、末次一郎氏らと夜遅くまで懇談した。駐日米国大使はマンスフィールドだった。不思議に親和力をもった人だった。
やがて政治の季節は去り、全学連政治各派は分裂を繰り返し、左翼は「サヨク」になり、過激派は三島由紀夫の割腹に衝撃を受け、一部は転向し、体制派はすっかり米国の執事のごとくになった。その後、国際情勢の緊張とともに防衛論議は本格化したが、「日米安保はこれからどうなる」という肝腎の議論がない。
ところが日米安保条約は無言のうちに運用が変質し事実上、改編されている。「条約」ではない、これは「同盟」である。
たとえば事前協議の対象とされるのに、沖縄の海兵隊も横須賀の空母も日本に相談なくイラクなどの戦場へ出て行った。集団安全保障議論も海外派兵議論も沸騰しないまま自衛隊は「国際貢献」と言われてカンボジア、イラク、モザンビーク、ゴラン高原、そしてソマリアへ出動している。日本ではなく米国が勝手に解釈を変えているのだ。
しかし日本国内の防衛議論は専門的に走り過ぎ、国民から遊離している。マニアックは兵器の性能を論じたり、次世代航空機を論じたり。しかし法の改正という議論には滅多にお目にかかれない。
歴史開闢以来、同盟が半世紀以上つづいた例はきわめて少ない。例外は英米同盟くらいだろう。日英同盟は短命だったし、日ソ不可侵条約はもっと短命だった。
しかし確実にくる宿命がある。それはいずれ日米同盟が終わりを迎えるという確固たる近未来のシナリオである。なぜなら東西冷戦が終わってソ連が崩壊し十五に分裂し、ユーゴは連邦が瓦解して六つの国にばらけ、NATOは反ソ軍事同盟から性格を変えて東方に拡大してイランを囲み、東側は上海シックス(中ロ+中央アジア四カ国)に収斂された。そして昨日の敵は今日の友、日本の頭越しに米中のG2時代がやってきた。
米軍はグアム以東へ防衛戦を下げ、北朝鮮の核実験には曖昧な態度で終始し、拉致問題を含めて日本の期待を裏切るかたちとなった。台湾海峡を中国海軍が扼することになれば米空母の防衛力が劇的に減殺される。日本の尖閣諸島は危機に瀕し、やがては沖縄をめぐる日中の攻防も予測される。
しかしワシントンから見ると経済の凋落と軍事力の衰退は現実であり、従来の米韓、米日、米印、米豪の安保体制を維持するものの、日本の防衛貢献が足りないという認識である。今後、いかに改編すべきか、日米同盟半世紀を閲して本格的議論が始まるだろう。