はてなキーワード: 異端とは
ポリコレを宗教にたとえてるのに乗っかるなら、それに代わる心の支え・正しさの後ろ盾になる新教が必要なわけで、それがないのに棄教しろって言われても無理だよ。
別に棄教する必要はなくて、趣味を捨てれば信仰の一貫性が取れるよね。
趣味も捨てられないし棄教もできない? はあ、どうぞ、異端審問所があなたを待ってますよ。
腐女子がBL趣味を謳歌したままポリコレ聖戦士になれる道なんてどこにもないんですよ。信仰に殉じて趣味を捨てるか、棄教して反ポリコレ軍に加わるか、不信心者として異端審問にかけられるか、そのどれかしかないんです。
どうぞ、好きなのを選びなよ。
あなたの責任で、あなたの趣味と信仰のどっちを取るか選びましょうよ。
はてな匿名ダイアリーは初めてなので変なところがあったらすみません。「このサイトは本当に投稿しただけで匿名にしてくれるだかいねえ……」という疑り深い老人のような意見を持ちつつ投稿することをお許しください。
隙あらば自語りをしてしまうタイプの人間が書いた記事なので記述がうっとおしいかもしれませんが御容赦を。あと文章が下手です。
私は、ファッションが苦手です。
というのも、ただオシャレなことが分からないというのではなく、オシャレなものを着ている自分、というものを想像するだけで吐き気がするタイプの苦手です。
私はオタクで、服装も典型的なクソダサオタクのような服です。チェックの服がいっぱいあります。でも、私は今着てる服で自分が選んだものはありません。全て祖母の選んだ服です。嘘です、1着だけ自分で買った推しキャラのTシャツがあります。私の持っている服の中で1番高い6000円のTシャツです。
祖母のセンスdisみたいになりましたが実際に祖母のセンスはダサいです。それでも何も言わないで従うのは、自分の服装を自分で考えると吐き気がするためです。
つい先日、32歳のオタクの服装に関する記事をTwitterで見かけたので読みました。
服装のところでよくわからない呪文を唱えられていたのはさておき、内容は「皆年相応のオシャレをしているのに私は今まで気にしていなかった。どうしよう」と私は読み取りました。
年齢こそ違えど、私も似たような経験があるので耳が痛かったです。
相手はネットの友人ではなくリア友ですが、小学校の時と比べてどんどんオシャレになっているんです。それに比べて私は、未だに小学校と変わらない服で、小学校からずっと使い回している服さえあります。今は大学生なのでおよそ10年使っていることになります。
ならんでいると正直申し訳ないです。友人は小学校の時と変わらずずっと仲良くし続けてくれているし、私がいくらダサかろうが疎んだりはしません。でもこっちが申し訳ない。そういった流れで、先程の記事のように「どうしよう」となることは多々ありましたが、どうしようか想像したところで自分のファッションを考えてしまい気分が悪くなって終わってしまう。とりあえずファッションを学ぼうとしてもその先にある自分への応用を少しでも想像してしまうと吐き気がする。ほとんどどうしようもないです。なので申し訳なさに関してはもはや諦めました。
そもそもなんでオシャレを全ての人に強要するのか。確かにオシャレじゃない人よりオシャレじゃない人の方が見た目的には快適かもしれません。でも、私の場合オシャレに着飾ろうとしても吐き気を催し、その時点で諦めるのでオシャレをしたことも無いけれどしたところでおそらくずっと死にそうな顔です。どっちにしろ見苦しいんです。それだったら自分が辛くない方を選ぶということでダサいままでいる。そのような選択をしてきました。
特にスカートを履く自分が地雷すぎて1番無理。制服は「制服だから」と割りきれたけどそれ以外だと吐き気どころか実際に吐けます。
長ったらしくて申し訳ありませんが、ついでに化粧の話もします。
化粧については、アトピー性皮膚炎なので顔が傷だらけのため何かを塗りたくるのが怖くてやったことがありません。どの人もよく傷口に化粧品塗ってるけどよくできるなと思います。化粧をしたら顔がマシになってオシャレへの地雷が無くなるのではないかとも思ったのですが無理です。ストレスか知らないけど全然傷口が治らないしそれ故に何かを塗るのが怖い。就活ももうすぐなのにこんなままじゃいられないのはわかってるんですけど怖いものは怖い。ブスが、いや全人類がノーメイクでも許される時代が来てほしい。好きでブスになったわけでも好きでアトピーになった訳でもないのに傷口に化粧品を塗るのが怖いという感情だけで異端扱い。傷口に塗っても大丈夫なやつを使ったところで恐怖心はどうしようもないんです。
こうして誕生したクソブスノーメイククソダサ腐女子を許して欲しいです。なんて無理ですよねすみません。
ついでに言うと素の笑い方が汚いし声でかいので人間としては最悪の部類です。大声で腐向け話をしないことだけが唯一の普通の人間ポイント。最低限すぎる。
化粧品や服装といった恐ろしいものに手を出すくらいならば、とグッズや課金に少ないバイト代をはたいています。
将来、アトピーの治療を終え化粧が心置き無くできるようになってお洒落への地雷も薄れたら32歳の方の記事と同じようなものを書くことになるんでしょうか。
そもそもこの記事とは関係ないけど高校まで化粧もお洒落も校則通りしてこなかったので、アトピーやお洒落の地雷がなくともこうなっていた可能性はありますが。化粧も服装も独学でしろなんて難しすぎますよね。
うじうじ言ってきましたが、結局はただ不満を述べているだけです。所詮オシャレをしない言い訳に過ぎないです。こんな記事を読んでしまった人はすみません。でも実際恐怖心や地雷はどうしようもなく避けたいものなんです。
「BLはポリコレではない」議論(anond:20200710045020)、だいぶ盛り上がりましたね。
もう「現代日本のBLは存在自体がポリコレではない」には共通了解が取れたと理解していいんですかね? いや、だってどう考えても政治的に正しくないし。
理屈が理解できない人は当事者の人がスライド作ってくれてるからそれを見ような。
https://docs.google.com/presentation/d/1RY27M0g28cM9MTm2Mk5TYH-W_RzEZoiymCtJXeftFB0/edit#slide=id.p
個々の描写がどうとかではなくて「性的少数派の性愛をそうでない人たちがおもちゃにしてる」という構図自体がポリコレ的にアウトもアウトだという話なので、いくらホモ呼びをやめたり対等な関係性を意識したりしようがポリコレ違反からは逃れられないってことですね。
で、この、「BLはポリコレではない」って、「豚肉を食べるのはイスラムの教義に反する」みたいな話だと思うんすよ。トンカツ食ってるときに、「それはイスラムの教義に反する」って言われた、みたいな。
これは端的に事実ですよね。だってコーランに豚食べるなよって書いてあるし(細かい解釈の話は措いておくとして)。
でも、あなたがイスラム教徒じゃなけりゃなんも気にする必要ないじゃないっすか。「はあ、たしかにイスラムの教えには反してますが、それがなにか? 私イスラム教徒じゃないし」で済む話。
だからゲイ当事者の人に「BLはポリコレではない」って言われたとしても、おおかたの腐女子の人は「はあ、たしかにポリコレ違反ですが、それがなにか? 私ポリコレの支持者じゃないし」で済むはずなんですよね。
そう、本来ならそれで終わってた。淡々と「確かにあなたの言う教義には反してますね。でも私は異教徒なので」と言えばそれで終わりだった。なんなら「異教徒に身勝手な教義を押し付けるな! お前らは多様性の敵!」という反論をすることもできた。
なんでそれで済まなかったかといえば、まあ、ポリコレを掲げて他ジャンルの人や一般人に意識をアップデートしろと迫る腐女子の人たちがそれなりにいたからですよね。
ヤジーディー教徒が髪の毛さらして歩いてるのを「異教徒め! 外出するときはベールをかぶれ!」と声高に糾弾して場合によっては虐殺までしてきたイスラム聖戦士の皆様が豚肉食ってるんだもの、そりゃ背教者と罵られた挙げ句に石打ち刑に処されますわ。
日頃から豚肉食ってるのにわざわざイスラム聖戦士になろうとするやつなんてそうそういるもんじゃないし、仮に食っててもイスラム国に加入するときには豚肉断ちをするのが普通だろうけど、常日頃BLを愛好しておきながらBL断ちもせずにポリコレの聖戦士になる連中はなぜか大勢いたんですよね。いやほんと意味わかんないんだけど、でも現実なのよね。
まあ、そういうことなので、腐女子の皆さんはBL趣味を続けるならポリコレとは相容れないのでいっしょにポリコレ押し付け反対をやっていきましょう。
実際ポリコレとかただの圧制にすぎないもの。ポリコレに抗してBL文化や萌え文化を守護らねばならぬ。
たとえばカツ丼食ってるやつに「それイスラムの教えに反するよね」って言うのは単なる事実の指摘だよね? 「現状のBL作品の多くはポリコレじゃないよね」ってのもそうですよ。単なる事実の指摘。
その事実をどう評価するかってのは別の問題ですよ。でも事実は事実だから、前提となる事実くらい受け入れてくれ~~~~~~。
男だからといってフェミ叩き男の責任をとらなくてもいいように、腐女子だからといってラディフェミ腐女子の責任をとらなくてもいいと思うんだけどね…
いやほんとそのとおり。腐女子全般が萌えヘイター腐女子の責任を取る必要はない。
でもこれ、責任論じゃないんですよ。仮に男オタクが矛を収めたとしても「BLはポリコレ的にアウト」という部分は変わらないんですよ。なぜならこれはポリコレという主義に照らせばそうなるよねという筋論の話だから。
「BLはポリコレ的にアウトなので別の趣味探します」と「BLはポリコレ的にアウト? 知ったことか、私は反ポリコレだ!」のどっちを選びます? って話です。
個人的なオススメは後者っすね。いっしょにポリコレに立ち向かって文化を守っていきましょう。BL文化が潰されるのはもったいない、すごい損失だと思うので。
BLに限らず、男性向けエロ漫画やエロ同人を描いてる男性でもフェミニズムに理解を示す人や、ポリティカルコレクトネスの意義を認める人はSNS上に存在してるけど、そういう人は増田の観測範囲に居ないのかな?
なんも状況判断できてないんすね。今のポリコレを真面目に適用したら現状のBLは死ぬって話してるんすよ。
BLの中の倫理的ではないカプや描写が死ぬんじゃなくて、BLが死ぬの。
あたしゃ腐女子じゃないけど、BL文化は現代オタク文化の重要な一部ですから、みすみすポリコレなんぞに殺されるのを座視するなんてとてもできませんわ。だから一緒にポリコレに立ち向かいましょう。
腐女子の人たちが自分たちを殺す思想に従わなければいけない理由がわからない。
ポリコレなんて誰しもが多かれ少なかれ逸脱した部分と順守したい欲求を抱えているものだし、創作やオタクや腐女子を守るポリコレもあるべきなんで、どっちの勢力も0か1かみたいな扱いやめてくれんかね。
マジョリティである異性愛者中心の集団が男性同性愛者というマイノリティを使って彼らの実態とはかけ離れた創作してる時点でポリコレ的にはスリーアウトチェンジでしょ、という話をしてるんですが、マジで危機感ないんすね……腐女子はポリコレで守られる対象じゃなくてポリコレで殴られる対象でしょ、どう考えても。
ポルノだけじゃなく、いやむしろポルノよりも日常を描いた全年齢BLがポリコレ的にはヤバいって話はさんざんされてますね。
ポリコレだと、たとえば黒人をポジティブに描くだけじゃダメで、仮に昔のアメリカを舞台にした作品で黒人が差別されてなかったらそれはそれで「黒人差別という歴史を透明化しようとしている」って批判されるんすよ。抑圧や差別を無かったものとして描いてはいけません、ってことね。
現代日本ではゲイ差別は現役で生きてるんだから、現代を舞台にしながらも男同士がなんの偏見も苦労もなく彼氏を見つけて恋愛する「優しい世界」はポリコレ的にアウトっすね。
当然、これ女性差別でも同じこと適用されるんでしょ? 差別がなく要職が女ばかりで占められた世界で美少女キャラがのびのび暮らしてる萌えアニメとか全滅っすよ。こんなんポリコレと敵対する以外に解決策ある?
ポリコレってのはふわっとした「配慮」とか「思いやり」とかのことじゃなくて、こういう差別に関する独自の理論と実践の集積で、その理論はアメリカの社会情勢を元にして作られていて、理論の更新もアメリカ社会(というか英語圏)が主導して進められていて、本来はかなりドメスティックな理論と実践の体系であるはずなのにアメリカと英語の権力を背景に世界中で影響を持ってしまっているものなんすよ。こんなんマトモに導入したら、日本のオタクは自分たちの社会の事情と合わず自分たちが主導権を握れないものにみすみす表現の根幹を明け渡すことになりますよ。それでいいんですか?
(そろそろ我々アジア出身のアジア人は真面目に「アメリカの黒人は英語母語話者のアメリカ人という特権階級だろ」と主張した方がいい局面にいると思う。あいつらマジで特権を自覚してないっぽいので)
考えた結果ポリコレは文化を殺すなという結論に行き着いたので反対しますね~。
笑った。ポリコレ様に従うことで全人類が幸せになれると信じる教団。ブコメまさにそれそのものがいるじゃん。ポリコレ信者の方々にはどうもこれまで踏みつけられて不幸になってきた民草の姿はどうも見えないらしい。
ポリコレで自分たちが有利になるならポリコレを支持することは(善し悪しは別として)合理的だな~って感じなんですが(仮にアメリカで黒人やゲイに生まれたらポリコレ支持するのが一番自分にとって得っすよね)、自分の趣味が殺されることになるのにポリコレ支持してる一部の腐女子は理解不能すぎて……
(いや百合豚はどう考えても隠れて)ないです。百合は下手するとBL以上に当事者の目に触れてるジャンルなので……
創作者の中の当事者比率もそれなりに高いジャンルっすからねえ。ただ非当事者としては当事者のリアルは文献を通してしか知らんので、非当事者の立場から百合の現実度を言い立てることは問題があるかなって……どうしたって当事者にはなりえないので。それより現実とはかけ離れていてもファンタジーだからいいんだよっていう理屈を構築した方がよいのでは。
いや、話は簡単で、お前らはこっちに死ねって攻めてきたからならばお前らもろともに死ぬのか、死なないように相互不可侵を決めるのかどっちだ?と城下の盟を迫られているだけやで
一番迷惑してるのが普通の腐女子っすよねぇ。ごくごく一部のポリコレに目覚めた腐女子に外患誘致されてるんだもの。ほんと、よくそんな天敵を自陣に引き入れようと思ったよな……
ポリコレってメッチャ広範囲故に反対すると踏み絵(それもエグい奴)になるよ?要は別姓も、人種差別、女性差別すらBL支持の為に許容する事に。故にお薦めは是々非々のポリコレなんだけど…
海の向こうで是々非々ポリコレの種を蒔いたらあっという間に「シスはトランスの役をやるな」「白人声優が黒人キャラに声を当てるな」まで成長したの見てたら、とてもそんな呑気なことは言えないっすね。危機意識足りなさすぎでは?
ちなみに「シスジェンダーの白人女性がゲイの少年を主人公にした小説を書くのは搾取」という議論はマジでされてますからね。
https://i-d.vice.com/jp/article/8xeg4b/does-it-matter-who-writes-queer-stories
是々非々っていう態度でこれ拒絶できると思います? 無理でしょ。是々非々でポリコレの侵入を認めていたら絶対こういう話にたどり着きますよ。この理屈が波及したらお姉さま方が描いてるBLなんてほぼ全滅じゃないすか。ポリコレの論理そのものが我々の敵なんすよ。
ポリティカル・コレクトネスは「一般大衆に向けて発表する場合」に問題になるわけで、公開範囲を限定することが前提であれば従わなくても構わない、という点を抜きにした議論は無意味かと思います。
「同性愛匂わせで視聴者を釣るのは搾取」理論で『シャーロック』が叩かれてるっていう現実が見えてないんですかね……>https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47877196
こんな理論適用されたら日本産コンテンツたいていポリコレに抵触するでしょ。『ユーリ!!! on ICE』とかどうなんの? って話っすよ。
もうほんと、ポリコレ支持者ってなんでこんなポリコレに対する認識がテキトーなの? 信じられない。あ、そっかポリコレをテキトーにしか認識してないからその怖さもわかんなくて簡単に支持できちゃうんですね……
ほんとこれ。この期に及んで「でもPCにもいいところはあるし……」とか言ってる腐女子の人たち、マジで何がしたいのかわからん。死にたくなければそいつから離れろと。
ポリコレ推進派の腐女子は当事者のアカウントをブロックしたり無視するのがおすすめ。都合が悪い時は下を向いて黙り込むのがいい。みんなそうしてるし。
あ~、これめっちゃ笑いましたね。サイレンシングでマンスプレイニングでトーンポリシングやんけ! っていう。自分らで発明した概念で自分たちの首絞めてる光景、外野からはウケる~以外の言葉がないというか。
はてなでも時折話題となる、マッドサイエンティストを崇拝し独自の道を歩み続けるアーティストである。
また、ツイ恥とは平沢進(以下「師匠」という。)が使う用語でTwitterへの投稿のことである。
師匠は水曜を除く毎日21時から22時にツイ恥と投下するのだが、昨日投下したのは以下の1つだけである。
https://twitter.com/hirasawa/status/1280471625805119489
URLを開きたくない方向けに説明すると、リゾート地らしい場所で夕焼け空と共に師匠の後ろ姿が写された写真である。
その後間もなく、この撮影場所が沖縄のリゾートホテルだとファン(以下「馬の骨」という。)によって特定された。
自分はこのツイ恥を受け、えもいわれぬ不安感と不快感に苛まれた。
新型コロナウイルスで世界中が騒がれる中、時期こそ不明だが旅行写真を上げるということ。
しかもそれが県をまたぎ、あまつさえ沖縄という離島のものであること。
(馬の骨なら既知であるが補足すると、師匠は先日無観客ライブを終えたばかりで、過去の例だとライブの後に国内逃亡と称してタイに旅だったり、近年では沖縄に旅だったりしていた)
もしかしたらこれは過去の写真かも知れないが、それなら何故そう書かないのか。
馬の骨の様子(表だった範囲)を観測すると、やれやれ師匠を擁護するような意見、自信の都合の良いように解釈した意見ばかりで疲弊した。
自分は「宛城でもしたいのか?」と不安でいっぱいだったが、そのように考える馬の骨は(表向きには)皆無らしい。
多数の馬の骨の感性が正しく、自分はそれこそ恐怖に包まれすぎているのだろうか。
それとも、やはり自分は正しく、師匠の行動及び馬の骨の賞賛・擁護はおかしいのだろうか。
本来いちファンとして無用にさらすような行為はしたくなかったが、不安感と不快感が強すぎて夢にまで見てしまったので、はてなの聡明な意見が聞きたく投稿することとなった。
ツイ恥のリプライに自分と同じ意見が埋もれていないか眺めてみたら、市中での目撃証言ありとのリプライがあった。
そのリプライを信じるなら少なくともここ数日で沖縄に行った、或いは今滞在していることが確定となる。
師匠は関東在住であり、新型コロナウイルスの感染が日に日に増えている中、堂々と沖縄に旅行に行けるのはどういう神経なのか、自分には到底理解が及ばない。
でも、自分のような人間には理解できないからこその師匠なのだろう。
この旅行は到底褒められたものではないと自分は思うが、それでも旅行を後押しするきらきらとしたリプライが並んでいるのが現実だ。やはり自分の方が異端なのだろうか。
その是非は置いておいて、新型コロナウイルス感染拡大地域から旅行してきた師匠を受け入れたであろう沖縄市民がどういう気持ちなのかは純粋に気になる。
僕は昔から現在にかけて「男性向け・女性向け」ジャンルの作品/コンテンツを両方それなりに摂取している。
しかしその過程で僕は「女性向けコンテンツ」に辛さを感じるようになった。この記事ではその話を綴っていこうかと思う。
体験と気持ちを具体的に述べてくのでちょっと長い。時間が余った暇つぶし程度に読んで欲しい。
僕自身はオタクコンテンツかどうかに関わらずあまり物に男性向け・女性向けをつける必要はないと思っている立場だ。
何故なら、それを好むことに生まれ持った性別など関係無いし、実際(特に最近では)その表記関係なく両方の性別の人間が楽しんでいるコンテンツは多くあるからである。
しかしながら、両方を楽しむオタクをやっていく中で、この表記が必要不可欠かどうかは置いといて、"正しい"ものではあるということをひどく痛感した。
僕は小さい頃からジャンプや特撮や美少女深夜アニメを楽しんできた主に男性向け作品を楽しんできたタイプのオタクだ。
そんな中女性向け作品に初めて触れたのはアニ横・学アリといった人気もクオリティも高い、男性が楽しむにも敷居が低い少女アニメである。
そして本格的に女性向けコンテンツに手を出したのは恋愛シミュレーションゲームにハマっていた中高生の頃だ。
この頃は有名どころのギャルゲはそれなりにプレイしていて、それまで感じたことのなかった二次元キャラと自分との奇妙な関係性に衝撃を受けていた。しかもギャルゲ黄金期とも重なり良質なストーリーの作品にも恵まれ尚のことギャルゲにのめり込んだ。
そんな中ひょんなことから乙女ゲームである「緋色の欠片」というゲームを知る。
そしてこのゲームと会ったことが、僕が自分の首を絞め続けることになった元凶となる。
きっかけはYouTubeに上がっていたMADだ。その頃ハルヒと銀魂にハマってた僕は、杉田さん経由でたまたま緋色のMADを見かけた。初見は正直MADに組み込まれていたセリフで ああ乙女ゲームね(笑)とはなった。しかしギャルゲもやり尽くした感があった頃だった事や、犬夜叉を彷彿とさせる世界観に興味を持った事(結局全然違ったが)、ストーリーも面白そうで公式サイトを見る限りドストライクの女キャラがいた事もあり購入を決意した。
で、やった。
ストーリーの面白さもさることながら、女性向けという感じはあまりしない絵柄やキャラデザ、(描写に賛否あるものの)バトルも多いので馴染み易かった事、女性キャラも結構出てくるので読みやすかった事、美鶴ちゃん、など多くの要因が重なりあまり女性向けゲームという印象を強くは受けず、かなり楽しめた。あと中二病的固有能力設定にどハマりした。家で手に紋章とか書き込んでた。俺も風を操って真空の刃で敵倒すんだ妄想を授業中してた。
さて、ここで僕は「乙女ゲームも意外とイケるじゃん…?」という心境になった。そして他にもないかなと探し始めたのだが、まぁなかなか緋色並みにバチんと第一印象でくるゲームが見つからない。同じ絵師のゲームもあったがこちらはちょっとキャラデザと設定がやろうと思うに至らなかった。結局、探していくうち絵柄と設定があそこまで俺的敷居が低く印象が良いものは稀だったんだなと知った。
乙女ゲームという俺の中では手を伸ばすには異端ジャンルをやる上で、それを乗り越えてでもやりたいと思うほどの第一印象は大事だったのだ。
(あくまで僕の"第一印象"の話なので勿論神ゲーはいくつもある)
緋色がたまたまだったのだ…と思いつつ緋色の面白さを引きずっていた僕は、今までのオタク活動もそのままに緋色の新展開や新作乙女ゲーム情報を細々と追っていた。
さて気付かぬうちに首を絞め始めたのはこの辺りからだ。
この頃展開していた緋色のコンテンツは主に続編ゲーム、ドラマCD、アニメである。
ドラマCDはギャグ展開のものが多く大いに笑っていた。しかしたまに挟み込まれる恋愛要素や女性向け的台詞にうん…みたいな気持ちに僕はなっていた。
今思えば、いや今思わずとも、当たり前に当たり前の要素ではあるのだがなんか違うんだよな〜などと思っていたのだ。そもそもゲームにもそんな要素は当たり前にあった筈なのだが、出来上がったシナリオに必要不可欠な要素の一部として享受していたんだろう僕は、そこを強調されてもみたいな気持ちだったのだろう。
でもまぁこの時の僕はちょっと違和感程度で意識するほどは思ってなかったと思う。
そんな中、「夏空のモノローグ」という乙女ゲームが発売される。
緋色以降結局プレイに至るゲームは緋色の続編である蒼黒しかやってなかった僕だが、このゲームの広告一枚絵に衝撃を受けた。
儚げな少女と普通の男子高校生が佇む、爽やかでありつつどこか俺がのめり込んできた泣きギャルゲを感じさせる絵。
これは良いぞと公式サイトを見た。キャラデザ、ストーリー、沢野井…これは俺でもイケる、絶対面白いとそう思った。
また僕がその公式サイトを見たのは発売直後だったのだが、そこにはシナリオライターが発売に寄せる文章も載っていた。
そして多分これが1番の決め手になったのだが、そのシナリオライターめちゃくちゃ見たことのある名前だったのだ。それは緋色のナンバリングタイトルである翡翠リメイクの公式サイトで見た名前、西村悠さんだった。
翡翠リメイク公式サイトにて西村さんがこのリメイクにかける想いをとても丁寧に具体性を持って綴っていたことはかなり強く印象に残っていて、とても誠実に物作りをする方だなと思ったことを覚えていた。
だから、この夏空のモノローグという作品には信頼を置いていいと強く思い、購入を決意した。
とにかくこれぐらい強く想わない限り女性向けゲームに手を出せなかった僕だが、結局この夏空は神ゲーだった。
シナリオ音楽背景etcが神なのは前提として、この記事的にいうとゴテゴテしてないキャラデザと馴染みやすい絵柄、恋愛を主軸としながらも木野瀬をはじめかなり共感できるキャラクター達の葛藤…など、これもまた女性向けゲームという敷居を低く感じさせる作りで、とてもハマった。
スタッフブログにて登場するディレクターやシナリオの西村さんが男性だったのも馴染み易かった一因かもしれない。
やっぱり女性向け作品でも良いのは良い…!そう想いを強くした僕だったが、ここで衝撃の事実を知る。
夏空のモノローグ、当時めちゃくちゃ売り上げが低かったのだ。
今でこそ根強いファンを抱えるこの神作品だが、恐らく乙女ゲームを求める女性ユーザーには第一印象は良くなかったんだと思う。何故なら僕がうーんと思っていた絵柄や設定こそが求められていたものだったからだ。
よってこれ以降、このブランドから夏空のような素朴な絵柄や雰囲気のゲームはほとんど発売されていない。多分。俺基準かも。あったらすまん。
しかし人間は成功体験を忘れられない生き物で、男性向け作品に染まりきった僕でも楽しめる作品が乙女ゲームにはある…!とかなりこのブランドの新作情報は追っていた。
何より、1人のキャラの格好良さや魅力や葛藤を長編シナリオをかけて描写してくれる乙女ゲームという媒体は他の作品とは違った体験をくれるもので割と唯一だった。
結局僕が夏空以降にプレイした作品は、緋色のナンバリングタイトルである「白華の檻」と「Code:Realise」の2つである。
どちらも同じディレクターとシナリオライターが関わっており信頼のもと購入しそして信頼を上回る作品だった。
世界観やストーリー、作品描写が本当に良く、根強く心に残る作品であり大好きだ。
しかしながら、正直絵柄はどちらも若干苦手で(いや勿論めちゃくちゃ綺麗で素晴らしいとしか言えないのだが)"女性向け!"と思うものだ。
また他媒体展開においても、特にコドリア(Code:Realize)は発売から社をかけて運営されていたのもあってか、女性向けに満足度の高いものが多く展開された。
ドラマCDの内容や商品展開や続編の展開では女性向けのコンテンツなんだという事を意識させられるものが多く、求めてないなぁ…なんて思ったし、リアルイベントなんかはもう完全にそうなのであー…違うんだよな…となった。
こうして夏空からコドリアにかけゲーム内容も展開内容も段々と自分の求めてるものからかけ離れていくと感じていた中で、あぁ俺が求めてる作品はもう出ないんだろうな…どうして変わってしまったんだろう…と思うようになった。
そして割とマジで気がついてなかった、緋色から少しずつ感じていた違和感の原因に、ようやく気がつく。
そうなのだ。
…そうなのだ…。
そうなんだよな…。
いや勿論女性向けコンテンツで乙女ゲームということは分かっていたけれど、自分がマジで対象外だったそうだったという当たり前のことになぜか気がついていなかったのだ。本当に。あれだけ女性向けは食指を伸ばしづらいと思っていたにも関わらず、だ。
なんか求めてないんだよなと思ってはいたけれど。そう…そうなんだよ…俺、対象外なんだよ。
作品がどれだけ僕にとって凄い良くて、取っつきやすい作品性であっても、その後の展開はそりゃ女性向けに振るしそれが求められているのだ。何より夏空から段々とゲーム内容や他媒体展開の女性向け的色が濃くなったコドリアが圧倒的売り上げを誇っているのが何よりの証拠だ。
この事に気がついてから、コドリアをプレイしながら何度「俺はお前達と少年漫画で出会いたかったよ…」と思っただろうか。もしそういう環境下でこの作品が生まれていたらここの描写はもっと違ったんだろうか、とか、俺はもっと楽しめていたんだろうか、とか、と。
まぁでも
恋愛要素抜きにしても少年漫画じゃ絶対こんなの通らないし俺も読まんと思う。
それが答えだ。
このゲーム達は乙女ゲームという環境下でこそ生まれた神作品だ。
物語の終わりが保障されていて、信頼のおけるシナリオライターが書いていて、キャラクター1人1人の良さをじっくり知れて、様々な男性キャラクターが主軸になりいろんな視点から物語を進めていけ、最高の背景や音楽の下、快適なプレイ環境でやれるのは乙女ゲームでありこのブランドならではなのだ。
俺は本当にやるせない気持ちになった。
好きな作品のマーケティング対象外である事はよくある事だと思う。例えば僕は東映特撮も好きだがあれは対象は子供だし、プリキュアおじさんなんて言葉は正にその象徴たるものだ。
こんなに良い作品でこんなに好きなのに、だ。
僕自身はゲームの内容に満足しつつもその後の展開には満足できず、その内女性向け色が強くなったゲーム内容も楽しめなくなってしまったのだ…。
つまり
という
俺が悪い。俺が悪かった…。
今現在ではシナリオライターさんもブランドから離れていることも相極まって全く乙女ゲームには手を出していない。
好きになっちゃいけないのに好きになっちゃうみたいな悲恋エンドだからこんなん。
さて、
最近ではオタクコンテンツはアプリゲームが主流になりつつある。
女性キャラクターが際どい衣装を着て出てくるゲームや男性キャラクター同士がクソデカ感情をぶつけるゲームなど、以前より更に男性向け女性向けという意識が強いコンテンツも多くなった。アプリ課金という性質から単発的娯楽を提供するものも増え、終わりなき物語が量産されている。
しかしながらそれと同時に、アプリという手軽さや物語が終わらないという解釈の自由度が増した事により、男性向け女性向けに関わらずいろんな人が楽しむような時代になっているようにも思う。
また、僕の周りの友人達に割とそういう男性向け女性向けを超越するオタクが多くいた事もあり、やっぱり良いもんは良いんだよな…と改めて思っている。
けれど、(僕の場合は極端なコンテンツだったからというのもあるが) やっぱり男性向け女性向けという表記は商売である以上正しいしある程度は必要なのだとも思う。
僕自身は普段は出会うはずもない完全対象外の作品にハマってしまったが故の苦悩だった。
でも出会っちゃうもんは出会っちゃうし、良いもんは良いし、オタクは理性効かない。
この中途半端な立ち位置に居がちなオタク達はきっと事象は違えどいっぱいいるし内に抱える問題はきっとまだある。
【余談①】
尚僕は現在、男性向けコンテンツに出てきた男性キャラクターに傾倒したりもしている。
でも別にそういうんじゃなく女性キャラクターも普通に好きだし、格好良いものは格好良いな〜ってやりたいだけなんだけれども。
ただこのキャラクター今は女性向け作品に主に登場するようになり「アッ!ン!!違うんだよな!!!」というのをたまにまた繰り返しているところだ。
でもそれを上回る満足度の高いコンテンツなのでやっぱり出会えて良かったなと思っている。
【余談②】
この記事とズレるので余談とするが、前々から好きだった作品に最近別の層が流れ込みそこが消費者の主流になり、作品全体のターゲット層が変わり僕もターゲット層から外れだしたという出来事があった。これもまたオタクが抱えがちな難しい問題である。
俺達『日本非道徳人類監視委員会』では確かに思考盗聴をしている。それは認める。で、アルミホイルを巻けば思考盗聴システム『A−IS』の監視下から逃れることができる。これもまた事実だよ?
でも、今までずっと思考を盗聴できていた『国民』が急に盗聴できなくなったという事実を『観測』することはできるんだよね。
『非人会』は日本ひいては世界に歯向かう異端なる存在を特定・排除するために盗聴というシステムを用いてるんだから、それを意図的に阻止・妨害する存在が『非道徳』である事は思考を読むまでもなく自明の事なんだわ。
で、『非道徳存在』は集団的な監視によって協力者がいないか確認の後に『消す』だけだから、まったく意味がないんだよねー。
つまりアルミホイルはその程度の片手落ちな対策なわけ。せめてダミーの思考情報を送信して偽装するくらいしないと話にならないんだわ。ネットで4980円で売ってるんだけどね。ネットで4980円というお買い得な価格で売ってるんだけどね。
まあ少なくともそれを指摘すると異端者とされるわな。
(不倫じゃなくて)ミルトンの方の失楽園は比喩表現にクソデカ要素が詰め込まれているので面白いという話。
かっこいい平井訳を適当に抜粋していく(怒られるかな?この長さなら大丈夫だろう。あと改行は無視しているのでちゃんと楽しみたい人は買って読むように)
彼[=ベルゼブブ]がそう言い終わるか終わらぬうちに、早くも天使の長[=サタン]は岸辺に向かって歩いていた。天井の火で鍛えられたずっしりと大きく丸い彼の楯は、いかにも重々しく背後に投げかけられていたが、両肩に懸っているその楯の茫々たる円形は、さながら月そっくりであった−−そうだ、例のトスカナの科学者[=ガリレオ]が、斑点だらけの表面に何か新しい陸地か河か山を発見しようと、望遠鏡を通し、夜ともなればフィエゾレの山頂から、というよりヴァルダノから眺めているあの月の球面そっくりであった。
そしてガリレオを出しくるあたりのスケール感も別の意味ででかい。学説が異端視されて自宅に囚われの身となっているガリレオが遥か遠くの月にを眺めて自由に思索を巡らせる、というなかなか情緒ある描写。でも、その天才ガリレオの自由な思索の動き回る領域である月、これがただの楯!サタン、あまりにデカい。
彼は携えていた槍を(これまた、これに比べれば、巨大な旗艦のマスト用にと、ノルウェイの山中から伐り出されるいかなる亭々たる松の大木も、小さな棒切れにしか過ぎなかったが)、杖代わりに用いて身を支えながら、
息もつかせぬクソデカ描写が続く。この時代は、西欧諸国が帆船で全世界に進出した大航海時代の後、軍艦としてよりゴテゴテとしたでっかい船が作られて、各国の主要な戦力として重視されていた頃。その中でも旗艦と言えば大将とかが乗る船で一番デカイ船。それが棒切れになるようなデカイ槍、それをサタンは杖にしちゃう。サタン、強そ〜〜。
炎炎たる地面を、かつて紺碧の天上を歩いた時の足取りとは似ても似つかぬ不安な足取りで、歩いていった。円蓋のようにただ火、火、火で掩われた灼熱の世界が、これでもかといわんばかりに、彼の体を苛んだ。にもかかわらず、彼はこれに耐えに耐え、ついに、焔をあげて燃えている火の海の岸辺に辿りつき、すっくと立ちはだかり、依然として天使の姿を保っている麾下の軍勢に、大声で呼びかけた。
一面火の灼熱の世界(地獄)、きびし〜〜。その中を歩き抜くサタン、つえ〜〜〜。
虚脱したもののように、累々と横たわっている彼らの様子は、亭々と聳えるエルトリアの森がこんもりと樹形をおとす当たり、ヴァロムプローサの流れに散りしく秋の枯葉、さながらであった。それとも、−−かつてエジプトの王プシリスに率いられた軍勢が、約束に背き、憎悪にかられて、ゴセンに住んでいたイスラエル人を追跡し、結局紅海の怒涛に飲まれてしまい、その漂う死骸と破壊された戦車の残骸を、安全に対岸にたどり着いていたイスラエル人が眺めたことがあったが−−その航海の岸辺を荒れ狂う疾風を武器としてオリオンが襲ったとき、その一帯に散乱詩流れ漂った菅の葉のようであった、とでもいおうか。意気沮喪した敗残の戦士たちが、火の海を蔽うて幾重にも重なり合い、横たわっている姿はまさしくそのようであった。そして自分たちの無残な変化に、ただ驚愕しているのみであった。
サタンは大声で叫んだ。地獄のうつろな深淵は、隅々までそれに反響した。「王者よ、権力者よ、勇者よ、今でこそ失われたりといえども、かつてはお前たちのものであった天国の栄華よ!そうだ、天国は失われたといわれなければならぬ、もしこのような恐慌状態に永遠の霊を有するお前たちが陥っているとすれば!............目を覚ますのだ!起き上がるのだ!さもなくば、永久に堕ちているがよい!」
もう単にアジとしてかっこいい。「永遠」ないし「永久」(eternal)という時間的クソデカの天丼もある。
彼らはこの声を聞き、恥じ、翼を拡げて飛び立った。
その有り様は不寝番の任務についていた連中が、つい眠り込んでいるところを恐ろしい上官に見つけられ、未だ目を覚ますか覚まさないうちに、慌てふためいて起き上がり、右往左往するのに似ていた。彼らも、自分たちの置かれている窮状を認めないわけではなく、痛烈骨を噛む苦痛を感じていないわけでもなかった。だが、統率者の声に翕然として直ちに従った
すげ〜数のすげ〜奴らをここまで恐れさせるサタンさんまじぱねえっす。
−−その数、実に無数。エジプトを災禍が襲った日、アムラムの子[=モーセ]がその力強い杖を国土の四方に向かって揮い、東風の流れに乗った国運のような蝗の大軍を呼び寄せると、その大群は神を冒瀆して憚らぬパロの全領土を黒々と夜の如く蔽いかくし、ナイル河の全域を暗黒に包み込んでしまったことがあるが、その時の蝗の大群と同じぐらい、悪しき天使たちの群れも無数であった。それが、上から、下から、四方八方から、吹き出す焔に囲まれながら、地獄の天蓋の下を匆々に飛び回っていた。
はいはい、多い多い。はいはい、焔ね。はいはい、みんな元気元気。まーたモーセ、話がデカイ。でも蝗。
やがて、彼らを統率していた偉大な大帝がその槍を高く掲げ、所定の進行方向を示すかの如く幾度かそれを打ち振ると、それが合図となって、天使の軍勢は整然と均衡を保ちつつ硬い硫黄の上に降りたち、あたり一面の平地を埋め尽くす…。この雲霞の如き大群に比べれば、繁殖力豊かな「北国」の冷たい腰から生まれた蛮族が、ライン川を超え、打ニュー部側を超え、さらに怒涛のように南下し、はてはジブラルタルの南から灼熱のリビアの砂漠地帯にいたるまで展開して行ったときのあの大軍などは、とうていものの数ではなかった。地上に降りたつや否や、直ちに、あらゆる軍団、あらゆる隊から、その司令や隊長が一斉に最高指揮者の立っている場所へと急いで集まってくる。いずれも、人間の姿を遥かに凌ぐ神々しくかつ英雄然たる姿、格好で堂々たる王者の風を示している。かつては天国において、それぞれの王座についていた権力者だったのだ。
現状でtwitterや、はてブコメントで見られる新型コロナウイルス対策への意見に対して、どうしても違和感を覚えることが多いので、私の考えをここに記します。私は物書きの専門家ではないので冗長な文章になると思いますが、できればどうか最後まで読んでほしいと思います。よろしくお願いいたします。
現状で実施されている一般的な対策といえば、「マスクをする」 「手洗い・うがいをする」 「3密を避ける」 「不要不急の外出・遠出はしない」などが挙げられ、それらは感染拡大を抑止するという面で一定の成果を上げられたと思います。私も現在に至るまで、それらを忠実に守って生活しています。
しかしながら今後、我々が考慮し実施すべき対策というのは、そのような「抑止」を目的とした対策を超えて、「感染することを前提とした対策」ではないのかと。それが「正しく恐れる」ことではないのかと思います。
ここで批判を覚悟で敢えて申し上げると、今、この私の文章を読んでいるのは、先に挙げた対策を忠実に実施して感染を免れた誠実な方々がほとんどだと思います。しかしそれは、貴方や私が自粛を頑張ったからではなく、
に過ぎないということです。なぜなら上記の対策は100%感染を防ぐものではなく、その確率を下げることしかできないものであること。つまり、いくら自粛しようが感染するときは感染するし、逆にパチンコに出入りしようが、昼カラオケに行こうが、沖縄旅行しようが、感染しないときは感染しない。単なる確率論だということです。
「そんなこと言われなくても分かっている」という人が多いと思いますが、最初の違和感として、それを認識していない人が多いと思います。自粛している自分が感染しないことが「当然のこと」のように思い、自粛しない(できない)人をあからさまに叩く行為などは、それを表しています。「たまたま感染しなかった者」が「不幸にも感染してしまった人」を叩くことの浅はかさにどうか気づいてほしい。たとえそれがフーゾクやらキャバクラなど夜の街に出入りして(従事して)感染したとしてもです。感染した人にかけるべき言葉は、「どうか1日も早くよくなられますように」だけです。なぜなら自粛している貴方も私も、今後感染してクラスターを発生させる可能性が0ではないからです。
つまり、今後考慮しなければならない対策とは、「感染を前提とした」対策=「クラスターが発生しても大丈夫」な対策です。それが「ウイルスと共存する対策」であると私は思います。ですが世間は未だに「ソーシャルディスタンス」やら「新しい生活様式」やら、言葉は生まれても「抑止」の域から出ていない。…そこに大きな違和感を覚えます。「抑止」は間違ってはいませんが、今後は次のステージへ移行すべきだと思います。
本来、今実施している「自粛=抑止」対策も、「医療崩壊」を起こさないことが目的であって、「感染しないこと」が目的ではなかったはずです。もちろん誰も感染などしたくはありません。今回のコロナは場合によっては症状が急激に悪化して肺炎から様々な合併症を引き起こし、最悪は死に至らしめるものとしてインフルエンザなどとは違うものです。しかしながら完全に撲滅することができない以上、インフルと同様の捉え方をせざるをえないものと私は考えます。
ここで、なぜ人はコロナを恐れてインフルは恐れないかを敢えて書きます。インフルは実は今回のコロナ以上に毎年それが要因と考えられる死者を多く出しています。しかしそれをほとんどの人が恐れないのは、ある程度治療方法が確立しており、それが一般に認識されているからです。ワクチンもあれば対応薬もある。だがコロナはそれが今のところ確立していない。だから
「感染したら俺も死ぬかもしれない。俺は死ななくても周りの家族を死なせてしまうかもしれない…恐い恐い…」
この過剰な不安が「コロナ恐怖」の本質であると思います。まずはこの恐怖を取り除かない限り、私が先に挙げた「ウイルスと共存する対策」は浸透できないと思います。なぜならそれは「自粛を必要としない」対策、究極の意味では「マスクもしない」「3密も守らない」という対策なのだから・・・
「バカかお前は。そんなことしたらまたクラスターが発生して感染者が増大して今までの努力が水の泡になるだろうが!」
そういう声が聞こえてきそうです。そのとおりです。私が言うのは「クラスターが発生しても大丈夫」な対策ですから最終的に自粛は必要ないことになります。果たしてそんなことが可能なのか・・・。私は可能だと思っています。それにはまず我々の「意識改革」が必要です。
ここで皆さんにお聞きしたいのですが、「もし貴方が今、まさに新型コロナウイルスに感染したらどうしますか?」と質問されたときに、どう答えるでしょうか? …多くの人は「最寄りの医療機関に電話する」「保健所に対応策を確認する」「最悪は119番する」などと答えるのではないでしょうか。…少なくとも私はそうです。
ではその対応をとった後、具体的にどの医療機関に運ばれて、どのような検査をして、不幸にも感染が確認されたらどのように治療が進むのか完全に把握している人はいるでしょうか・・・。ほとんどいませんよね、私もそうです。でもそこに「コロナ恐怖」の本質があると思っています。
「感染したらどうなるか分からない」 「ちゃんと医療が受けられるか分からない」 「場合によっては、たらい回しにされて手遅れになるかもしれない」・・・
ワクチンなどの治療方法がまだ確立していないことも相まって、このような医療体制に対する自身の不明確さが「感染したらやばい!」=「自粛」という意識につながるのだと思います。無理はありません。誰でもそうです。しかしそれを改善していく努力=意識改革が今後必要であると思います。そしてそれはワクチンなどの治療方法が確立する前から必要なものと考えます(なぜならワクチンとて100%完全治療に足りえるものとならないのだから)。
これは決して自粛を否定するものでもなく、また現状の医療体制を完璧に把握しろということではありません。そうではなく今後は「感染することが前提」という意識改革のもと、全ての人が感染した時に慌てず恐れず適切な対応がとれる社会を、国民全体で一丸となって確立すべきということを言いたいのです。医療関係者だけではなく、政治もマスコミも、そして国民一人ひとりも全て…
分かりやすく例えると
「貴方、今日マスクとかしてませんね? 感染したらどうするんですか?」
「いやあ、感染したくはないですが、もし感染してもこれこれに連絡すればちゃんと対応してもらえて治療が受けられますし、万一重症化してもその後の入院施設も必要な機器も全て確保されていますし、その間の補償も確立していますから~。それでも感染が元で死んでしまったら、その時は寿命だと思って諦めますわ~(^o^)ニコー」
極端な話、誰もがこう言い切ることができる社会になればよいのではと。
繰り返しますが、これまでの自粛を主体とした対策を否定するものではありません。マスクも有効だし、手洗い・うがいも今後も励行すべきです。しかし「自粛」を基とした「新しい生活様式」には大いに違和感を覚えます。「ウイルスを克服する」とは「以前の生活に戻す」ことだと思います。
幸いにもいまだに要因が不明ですが、少なくとも日本国民には「ファクターX」と呼ばれる何かが存在し、欧米に比べて新型コロナウイルスによる「重症化」が低く抑えられていることが分かってきました。もちろん今後も更なる検証が必要ですが、「ねずみ算」式に重症者や死者が増えないことが今後も予測されています。これまでの統計的なデータや現状での医療機関の状況などを精査し、どれだけの感染者が発生したら、どれだけの割合で重症者が発生するか、またその切り分けを正しく判定する方法および、その後の医療措置(診断方法、病床、機材等)が確保される体制を確立すること。それを皆が理解すること。そうすれば徐々に現在の「自粛」中心の対策から以前の生活様式に戻していき、最終的には「元に戻しても大丈夫」な体制を確立することができるのではないかと。それが今後の実施すべき対策ではないかと思います。
1. 全ての人が感染することを前提とし、感染後の全ての対応が円滑に行われる体制を確立し、それを皆が理解することである。
2. そのためには全ての人の「意識改革」がまず必要である。「感染を抑止」しながらも「感染を前提」とすること。
これ、私は必ずできると思っています。そのためには、やはりまず「政治」にリーダーシップをとってほしい。日本国民は法で定められたわけでもないのに、お上から自粛しろと言われたらそれを忠実に守る、いい意味では「優秀」な国民です。しかしそれはひとたび方向性を間違えれば、「歪(いびつ)な正義」従って、それに沿わない「少数派」「弱者」「異端」等を排除する全体主義に陥る可能性も持っています。(正直、今回はウイルスよりもそっちの方に恐怖を感じました。) 現状を正しく検証し、明らかになった理論に基づいて元の生活に戻すための方向性を社会全体に打ち出してほしい。全ての人にコロナ以前の笑顔を取り戻すための「道しるべ」を示してほしい。それが政治の役割であると考えます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。ここまでの内容に関して、様々なご意見やご批判、ご指摘があろうかと思います。それらは大いにしていただきたいし、また私の認識で誤っているところは今後も修正を継続していきたいと思っています。ただ「皆で現状を克服しよう!」ということ、そして「感染した人を叩かないこと」だけは重ねて申し上げておきたいと思います。ありがとうございました。
ITが業界として成り立ち始めた当初から、IT業界全体にリベラル気質があふれていた。
それはApple IIのようなパソコン文化だったり、BSD・Linuxといったオープンソースだったり、あるいはM$帝国といったアイコン化などでもよく分かる。
IT関係者が当初のユーザーに多くいた"はてな"、特に"はてなブックマーク"にも、それは強く表れていた。
自由な環境を好み他人に寛容な典型的なリベラル気質の人が多く、東アジア諸国を見下すような愛国主義的なネトウヨもいないわけではなかったが見下されていたように思う。ただ、軽く見られて相手にされていなかったというところかも知れない。
いつの頃からかよく分からないのだが、"はてな"の特に"はてなブックマーク"の雰囲気が変わり始めた。
それはIT関連の記事がホットエントリーに上がらなくなってきた頃からか、政治や社会の記事がホットエントリーの常連になってきた。世間的には民主党政権の前か、最中か、後か、どうなのだろう。
それと共に、寛容さは失われ、攻撃性が増してきた。
「汚物は消毒だ~」というフレーズと共に半ばジョークとして半ば真剣に語られていた「モヒカン族」が、特にジョークであったはずの部分が現実化してきたようだ。元々「モヒカン族」は論理の棍棒で相手を打ちのめすという合理性と暴力性の合わさった存在として恐れられていたが、その合理性が独善化して自己完結化した結果、自分の正義に合致するか否かで暴力を振るう相手を特定し攻撃を正当化するように変容していった。これは、モヒカンの各氏が変わっていたのではなく、モヒカンを許容する"はてサ"社会が変わっていったと考えるのが正しい。
それは、表現規制やフェミニズム、その他様々な社会問題・政治問題でよく観察される。
一方、現実社会では、民主党の政権奪取と凋落などもありリベラルという看板が色褪せてきたためか、あるいは大陸中国の台頭もあって国際協調路線から民族主義的な危機感からか、世の中が左翼的な傾向から右翼的な傾向へ移行し始めている。それは、リベラリズム・グローバリズムが自分を救ってくれないという限界に対する失望感なのかもしれないし、対照的に自分を助けてくれそうな地域社会から見直しているからかもしれない。
"はてサ"が変わっていった一つの要因としては、そういった現実社会でのリベラリズムの退潮と無関係ではないだろう。
正義が揺らぐとき、その正義の正当性の是非が問われ、是であれ非であれ互いに正統性を主張することになる。それは寛容さを失わせ、自分の考え以外を異端と排除する方向へ向かうことになる。
正統性を求めるあまり狂気に走った事例というのは、古くは宗教戦争からフランス革命のジャコバン派の暴走、スターリン粛清・クメールルージュの虐殺など数えきれないほどある。昔から、人を狂気に駆り立てるのは、悪ではなく正義なのだから。
いずれにせよ、そのようにして"はてサ"の寛容さは失われた。
"はてサ"でも現実社会の左派でも結局残ったのは、他人に対して攻撃性を示す人たちばかり。政治の世界でも、報道でも、自らの正当性を主張して他人を非難・攻撃するのが左翼の姿になっている。かつてケネディが言った「あなたの国があなたのため に何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」という精神は、現状のリベラルの中には全く残っていない。
そのような有様で党派抗争に夢中になっている人々からは、何かを成し遂げようとする人は離れていく。
何かを成し遂げるためには、党派抗争は有害で邪魔なだけなのだから。けれども中にいる人には、その党派性こそが守るべき正義であり全てであるから、離れる人をも攻撃してくる。不正義に協力していると。そして更に教条的になり、異端排除、先鋭化していく。
もう、"はてな"ユーザーの中には、新しく何かを産み出すという気質は失われてしまったのだろう。
それは仕方のないことかもしれない。
匿名だし普段思ってるけど表で言えない事とか書くぞと思ってこんな明るくなる時間までクソ長文書いたのに、身内に見られたらとか自分の思考が異端でボコボコに叩かれたらとか思うとなんも書けん。それ考えたらツイッターでマシュマロみたいな匿名メッセージサービスに悪口や悪意書いて送れるやつの勇気すげえよ、俺は無理。こえーもん
感情を整合性の取れる文章にするのが苦手だが、この感情は文章化しておきたいと思い、書く。
大学生 22歳 女
性的指向は基本ノーマル女性のそれだし、ジェンダーロール的に定められた女の役割を果たすのも苦ではない。
だが物心ついた頃から、一般的な人間の根底にあるジェンダー観から外れることを、時たまだが、していた。一人称を俺にしてみたり、家のトイレで立ちションしてみたり。
やがてこの行動は社会的に正しくないと指摘されるようになり、中学に入る頃には完全に辞めていた。
大学で所属している学部は7割以上が男性だ。いちおうは、物理的な意味で男性に囲まれて講義を受けている。
男子学生から性的な意味で言い寄られることは皆無では無かったが、どうしても自分の事を性的に見ている存在を受け入れられず、全て断ってきた。
異性と付き合った経験が無いと異端者扱いされるような年齢になった頃、彼に出会った。
名前と容姿は芸能人に疎い自分でも知っていたが、バラエティ番組や歌番組で上っ面の部分を見たことしか無かった。
紆余曲折あり、2018年に開催されたコンサートの映像を鑑賞した。
登場したのはピンク色の衣装をまとった彼。女性とのデートを意識したコーナーが終わり、曲が始まった。
おそらく女性目線の歌詞。それを嫌味なく歌う彼ら。そして性別を超越した彼の"可愛らしさ"。
この曲、パフォーマンスで、私の中で何か引っかかっていたものが救われた。
と同時に、(少なくとも私の中では)性別を超えた魅力を放つ彼になりたくてしょうがなくなった。
これをきっかけにジャニオタになった。「彼になりたい」という欲が落ち着いてからは彼に疑似恋愛したり、純粋にエンターテイメント性を楽しんだり、短い期間だが色んな感情を自担に抱いた。
ここ数日、何の波かは分からないが、また自担になりたくなってしまった。彼らの冠番組を観て、パフォーマンスを観て、やっぱり自担にはなれないことに気がついて、少し泣いてしまった。
これをキッカケに自分のジェンダーについて整理しておくべきではないか、とも思ったが、怖くてやめた。
結局、身体は女で、内面はよく分からない性別のまま、しばらく生きることにした。
自担には私にとってエンタメであり、疑似恋愛の相手であり、いっそ取って代わりたい存在でもある。
自分の性別に決断を付けるのは怖いが、自担の存在がそんな曖昧な自分を許してくれる気がする。私の勝手な解釈だが、そんな考えにすがって生きている。
中島美嘉"「(上京してきたばかりの頃) 最初の何ヶ月かの間だけど、街歩いてる人が同じ顔ばっかりに見えて、気持ち悪くてコンビニとかも夜しか行かないようにしてて、、」"
"「上京して5日目ぐらいに東横線に乗ったんですけど、、 ちょうど朝で、乗ってきてた中学生の子とかが何十人もいて、
ふっと見たら男子も女子もみんな同じ顔に見えて(笑) この子たちみんな兄弟なの!?とか思って、、」"
"「東京来る前は福岡にいたんですけど、あそこではそんなことは、、一回もなかったですね」"
浜崎あゆみ"「(東京では)どうしてみんな下を向いて歩いてるの?っていうのが不思議でした。あとなんか、おんなじ顔の人ばかりに見えて、とか(笑)ごめんなさい」"
橘慶太"「(上京して世田谷の中学校に転入した時) クラスの人たちみんな小学生に見えてびびった(中略) 中3なのに、なんかみんなすごい顔が幼いっていうか、小学生ぐらいの子供に見えて、、
あと、みんな顔が似てると思った。でも中身は結構、、成熟っていうか、立派っぽい人が多いと思った」"
北村一輝"「あ~、確かに、おまえ外人みたいだな、とか、東京ではよく言われてきましたね。僕地元は大阪で、両親の実家が沖縄と鹿児島にあるんですけども、
ガキの頃はそっちによく遊びに行ってたんです。そっちではぜんぜん、なんというか、そんなことはなかったんですけども・・・」"
"「東京に来たばっかりの頃なんかは、よくありましたね。東京のほうは、基本の顔みたいなのがあるみたいで、・・・
結構同じような顔されてる方が多くて、そこから外れてる僕みたいなのは、異端視?というか・・・難しいですね(笑)」"
徹子の部屋出演時
"伴都美子:(専門学校に入るのと同時に上京した、という会話の流れ)「たまに周りの人の区別がつかなくなることとか。顔とかが同じ人に見えたり・・・」