「異端」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 異端とは

2020-06-19

anond:20200619180529

まあ少なくともそれを指摘すると異端者とされるわな。

2020-06-14

西洋版クソデカ羅生門としての『失楽園

不倫じゃなくて)ミルトンの方の失楽園比喩表現にクソデカ要素が詰め込まれているので面白いという話。

かっこいい平井訳を適当抜粋していく(怒られるかな?この長さな大丈夫だろう。あと改行は無視しているのでちゃんと楽しみたい人は買って読むように)

彼[=ベルゼブブ]がそう言い終わるか終わらぬうちに、早くも天使の長[=サタン]は岸辺に向かって歩いていた。天井の火で鍛えられたずっしりと大きく丸い彼の楯は、いかにも重々しく背後に投げかけられていたが、両肩に懸っているその楯の茫々たる円形は、さながら月そっくりであった−−そうだ、例のトスカナの科学者[=ガリレオ]が、斑点だらけの表面に何か新しい陸地か河か山を発見しようと、望遠鏡を通し、夜ともなればフィエゾレの山頂から、というよりヴァルダノから眺めているあの月の球面そっくりであった。

楯の比喩で月!?早くもデカイぞ。

そしてガリレオを出しくるあたりのスケール感も別の意味ででかい学説異端視されて自宅に囚われの身となっているガリレオが遥か遠くの月にを眺めて自由思索を巡らせる、というなかなか情緒ある描写。でも、その天才ガリレオ自由思索の動き回る領域である月、これがただの楯!サタン、あまりデカい。

彼は携えていた槍を(これまた、これに比べれば、巨大な旗艦マスト用にと、ノルウェイ山中から伐り出されるいかなる亭々たる松の大木も、小さな棒切れにしか過ぎなかったが)、杖代わりに用いて身を支えながら、

もつかせぬクソデカ描写が続く。この時代は、西欧諸国帆船で全世界進出した大航海時代の後、軍艦としてよりゴテゴテとしたでっかい船が作られて、各国の主要な戦力として重視されていた頃。その中でも旗艦と言えば大将とかが乗る船で一番デカイ船。それが棒切れになるようなデカイ槍、それをサタンは杖にしちゃうサタン、強そ〜〜。

炎炎たる地面を、かつて紺碧の天上を歩いた時の足取りとは似ても似つかぬ不安な足取りで、歩いていった。円蓋のようにただ火、火、火で掩われた灼熱の世界が、これでもかといわんばかりに、彼の体を苛んだ。にもかかわらず、彼はこれに耐えに耐え、ついに、焔をあげて燃えている火の海岸辺に辿りつき、すっくと立ちはだかり、依然として天使の姿を保っている麾下の軍勢に、大声で呼びかけた。

一面火の灼熱の世界地獄)、きびし〜〜。その中を歩き抜くサタン、つえ〜〜〜。

虚脱したもののように、累々と横たわっている彼らの様子は、亭々と聳えるエルトリアの森がこんもりと樹形をおとす当たり、ヴァロムプローサの流れに散りしく秋の枯葉さながらであった。それとも、−−かつてエジプトの王プシリスに率いられた軍勢が、約束に背き、憎悪かられて、ゴセンに住んでいたイスラエル人を追跡し、結局紅海の怒涛に飲まれしまい、その漂う死骸と破壊された戦車の残骸を、安全に対岸にたどり着いていたイスラエル人が眺めたことがあったが−−その航海の岸辺を荒れ狂う疾風武器としてオリオンが襲ったとき、その一帯に散乱詩流れ漂った菅の葉のようであった、とでもいおうか。意気沮喪した敗残の戦士たちが、火の海を蔽うて幾重にも重なり合い、横たわっている姿はまさしくそのようであった。そして自分たちの無残な変化に、ただ驚愕しているのみであった。

ただのグロッキーな奴らの描写出エジプト記〜〜〜数がすげ〜

サタンは大声で叫んだ。地獄うつろ深淵は、隅々までそれに反響した。「王者よ、権力者よ、勇者よ、今でこそ失われたりといえども、かつてはお前たちのものであった天国の栄華よ!そうだ、天国は失われたといわれなければならぬ、もしこのような恐慌状態永遠の霊を有するお前たちが陥っているとすれば!............目を覚ますのだ!起き上がるのだ!さもなくば、永久に堕ちているがよい!」

もう単にアジとしてかっこいい。「永遠」ないし「永久」(eternal)という時間的クソデカ天丼もある。

彼らはこの声を聞き、恥じ、翼を拡げて飛び立った。

その有り様は不寝番の任務についていた連中が、つい眠り込んでいるところを恐ろしい上官に見つけられ、未だ目を覚ますか覚まさないうちに、慌てふためいて起き上がり、右往左往するのに似ていた。彼らも、自分たちの置かれている窮状を認めないわけではなく、痛烈骨を噛む苦痛を感じていないわけでもなかった。だが、統率者の声に翕然として直ちに従った

すげ〜数のすげ〜奴らをここまで恐れさせるサタンさんまじぱねえっす。

−−その数、実に無数。エジプトを災禍が襲った日、アムラムの子[=モーセ]がその力強い杖を国土四方に向かって揮い、東風の流れに乗った国運のような蝗の大軍を呼び寄せると、その大群は神を冒瀆して憚らぬパロの全領土を黒々と夜の如く蔽いかくし、ナイル河の全域を暗黒に包み込んでしまたことがあるが、その時の蝗の大群と同じぐらい、悪しき天使たちの群れも無数であった。それが、上から、下から四方八方から、吹き出す焔に囲まれながら、地獄の天蓋の下を匆々に飛び回っていた。

はいはい、多い多い。はいはい、焔ね。はいはい、みんな元気元気。まーたモーセ、話がデカイ。でも蝗。

やがて、彼らを統率していた偉大な大帝がその槍を高く掲げ、所定の進行方向を示すかの如く幾度かそれを打ち振ると、それが合図となって、天使軍勢は整然と均衡を保ちつつ硬い硫黄の上に降りたち、あたり一面の平地を埋め尽くす…。この雲霞の如き大群に比べれば、繁殖力豊かな「北国」の冷たい腰からまれた蛮族が、ライン川を超え、打ニュー部側を超え、さらに怒涛のように南下し、はてはジブラルタルの南から灼熱のリビア砂漠地帯にいたるまで展開して行ったときのあの大軍などは、とうていものの数ではなかった。地上に降りたつや否や、直ちに、あらゆる軍団、あらゆる隊から、その司令や隊長が一斉に最高指揮者の立っている場所へと急いで集まってくる。いずれも、人間の姿を遥かに凌ぐ神々しくかつ英雄然たる姿、格好で堂々たる王者の風を示している。かつては天国において、それぞれの王座についていた権力者だったのだ。

はい、みんな大好き、ゲルマン民族大移動いただきました。はい、「ものの数ではなかった」いただきました。

移動も早い、やっぱ天使やとちゃんとしてはるんやねえ。

anond:20200614005534

差別を受けてきたITの者たちがようやく手に入れたユートピアからね。

その中に異端が紛れ込めば浮くよそりゃ

2020-06-12

現状の新型コロナウイルス対策違和感

現状でtwitterや、はてブコメントで見られる新型コロナウイルス対策への意見に対して、どうしても違和感を覚えることが多いので、私の考えをここに記します。私は物書きの専門家ではないので冗長文章になると思いますが、できればどうか最後まで読んでほしいと思いますよろしくお願いいたします。

現状で実施されている一般的対策といえば、「マスクをする」 「手洗い・うがいをする」 「3密を避ける」 「不要不急の外出・遠出はしない」などが挙げられ、それらは感染拡大を抑止するという面で一定の成果を上げられたと思います。私も現在に至るまで、それらを忠実に守って生活しています

しかしながら今後、我々が考慮実施すべき対策というのは、そのような「抑止」を目的とした対策を超えて、「感染することを前提とした対策」ではないのかと。それが「正しく恐れる」ことではないのかと思います

ここで批判覚悟で敢えて申し上げると、今、この私の文章を読んでいるのは、先に挙げた対策を忠実に実施して感染を免れた誠実な方々がほとんどだと思いますしかしそれは、貴方や私が自粛を頑張ったからではなく、

たまたまラッキーだった」

に過ぎないということです。なぜなら上記対策100%感染を防ぐものではなく、その確率を下げることしかできないものであること。つまりいくら自粛しようが感染するとき感染するし、逆にパチンコに出入りしようが、昼カラオケに行こうが、沖縄旅行しようが、感染しないとき感染しない。単なる確率論だということです。

「そんなこと言われなくても分かっている」という人が多いと思いますが、最初違和感として、それを認識していない人が多いと思います自粛している自分感染しないことが「当然のこと」のように思い、自粛しない(できない)人をあからさまに叩く行為などは、それを表しています。「たまたま感染しなかった者」が「不幸にも感染してしまった人」を叩くことの浅はかさにどうか気づいてほしい。たとえそれがフーゾクやらキャバクラなど夜の街に出入りして(従事して)感染したとしてもです。感染した人にかけるべき言葉は、「どうか1日も早くよくなられますように」だけです。なぜなら自粛している貴方も私も、今後感染してクラスターを発生させる可能性が0ではないからです。

まり、今後考慮しなければならない対策とは、「感染を前提とした」対策=「クラスターが発生しても大丈夫」な対策です。それが「ウイルス共存する対策であると私は思います。ですが世間は未だに「ソーシャルディスタンス」やら「新しい生活様式」やら、言葉は生まれても「抑止」の域から出ていない。…そこに大きな違和感を覚えます。「抑止」は間違ってはいませんが、今後は次のステージへ移行すべきだと思います

本来、今実施している「自粛=抑止」対策も、「医療崩壊」を起こさないことが目的であって、「感染しないこと」が目的ではなかったはずです。もちろん誰も感染などしたくはありません。今回のコロナ場合によっては症状が急激に悪化して肺炎から様々な合併症引き起こし、最悪は死に至らしめるものとしてインフルエンザなどとは違うものです。しかしながら完全に撲滅することができない以上、インフルと同様の捉え方をせざるをえないものと私は考えます

ここで、なぜ人はコロナを恐れてインフルは恐れないかを敢えて書きますインフルは実は今回のコロナ以上に毎年それが要因と考えられる死者を多く出していますしかしそれをほとんどの人が恐れないのは、ある程度治療方法確立しており、それが一般認識されているからです。ワクチンもあれば対応薬もある。だがコロナはそれが今のところ確立していない。だから

感染したら俺も死ぬかもしれない。俺は死ななくても周りの家族を死なせてしまうかもしれない…恐い恐い…」

この過剰な不安が「コロナ恐怖」の本質であると思います。まずはこの恐怖を取り除かない限り、私が先に挙げた「ウイルス共存する対策」は浸透できないと思います。なぜならそれは「自粛必要としない」対策、究極の意味では「マスクもしない」「3密も守らない」という対策なのだから・・・

バカかお前は。そんなことしたらまたクラスターが発生して感染者が増大して今までの努力が水の泡になるだろうが!」

そういう声が聞こえてきそうです。そのとおりです。私が言うのは「クラスターが発生しても大丈夫」な対策ですから最終的に自粛必要ないことになります果たしてそんなことが可能なのか・・・。私は可能だと思っています。それにはまず我々の「意識改革」が必要です。

ここで皆さんにお聞きしたいのですが、「もし貴方が今、まさに新型コロナウイルス感染したらどうしますか?」と質問されたときに、どう答えるでしょうか? …多くの人は「最寄りの医療機関電話する」「保健所対応策を確認する」「最悪は119番する」などと答えるのではないでしょうか。…少なくとも私はそうです。

ではその対応をとった後、具体的にどの医療機関に運ばれて、どのような検査をして、不幸にも感染確認されたらどのように治療が進むのか完全に把握している人はいるでしょうか・・・ほとんどいませんよね、私もそうです。でもそこに「コロナ恐怖」の本質があると思っています

感染したらどうなるか分からない」 「ちゃん医療が受けられるか分からない」 「場合によっては、たらい回しにされて手遅れになるかもしれない」・・・

ワクチンなどの治療方法がまだ確立していないことも相まって、このような医療体制に対する自身不明確さが「感染したらやばい!」=「自粛」という意識につながるのだと思います。無理はありません。誰でもそうです。しかしそれを改善していく努力意識改革が今後必要であると思います。そしてそれはワクチンなどの治療方法確立する前から必要ものと考えます(なぜならワクチンとて100%完全治療に足りえるものとならないのだから)。

これは決して自粛否定するものでもなく、また現状の医療体制完璧に把握しろということではありません。そうではなく今後は「感染することが前提」という意識改革のもと、全ての人が感染した時に慌てず恐れず適切な対応がとれる社会を、国民全体で一丸となって確立すべきということを言いたいのです。医療関係者だけではなく、政治マスコミも、そして国民一人ひとりも全て…

分かりやすく例えると

貴方今日マスクとかしてませんね? 感染したらどうするんですか?」

「いやあ、感染したくはないですが、もし感染してもこれこれに連絡すればちゃん対応してもらえて治療が受けられますし、万一重症化してもその後の入院施設必要機器も全て確保されていますし、その間の補償確立していますから~。それでも感染が元で死んでしまったら、その時は寿命だと思って諦めますわ~(^o^)ニコー」

極端な話、誰もがこう言い切ることができる社会になればよいのではと。

繰り返しますが、これまでの自粛主体とした対策否定するものではありません。マスク有効だし、手洗い・うがいも今後も励行すべきです。しかし「自粛」を基とした「新しい生活様式」には大いに違和感を覚えます。「ウイルスを克服する」とは「以前の生活に戻す」ことだと思います

幸いにもいまだに要因が不明ですが、少なくとも日本国民には「ファクターX」と呼ばれる何かが存在し、欧米に比べて新型コロナウイルスによる「重症化」が低く抑えられていることが分かってきました。もちろん今後も更なる検証必要ですが、「ねずみ算」式に重症者や死者が増えないことが今後も予測されています。これまでの統計的データや現状での医療機関の状況などを精査し、どれだけの感染者が発生したら、どれだけの割合重症者が発生するか、またその切り分けを正しく判定する方法および、その後の医療措置(診断方法、病床、機材等)が確保される体制確立すること。それを皆が理解すること。そうすれば徐々に現在の「自粛」中心の対策から以前の生活様式に戻していき、最終的には「元に戻しても大丈夫」な体制確立することができるのではないかと。それが今後の実施すべき対策ではないかと思います

まとめます。今後の新型コロナウイルス対策

1. 全ての人が感染することを前提とし、感染後の全ての対応が円滑に行われる体制確立し、それを皆が理解することである

2. そのためには全ての人の「意識改革」がまず必要である。「感染を抑止」しながらも「感染を前提」とすること。

3. そして最終的には「コロナ以前」の世界に戻すこと。

これ、私は必ずできると思っています。そのためには、やはりまず「政治」にリーダーシップをとってほしい。日本国民は法で定められたわけでもないのに、お上から自粛しろと言われたらそれを忠実に守る、いい意味では「優秀」な国民です。しかしそれはひとたび方向性を間違えれば、「歪(いびつ)な正義」従って、それに沿わない「少数派」「弱者」「異端」等を排除する全体主義に陥る可能性も持っています。(正直、今回はウイルスよりもそっちの方に恐怖を感じました。) 現状を正しく検証し、明らかになった理論に基づいて元の生活に戻すための方向性社会全体に打ち出してほしい。全ての人にコロナ以前の笑顔を取り戻すための「道しるべ」を示してほしい。それが政治役割であると考えます

ここまで読んでいただきありがとうございました。ここまでの内容に関して、様々なご意見やご批判、ご指摘があろうかと思います。それらは大いにしていただきたいし、また私の認識で誤っているところは今後も修正継続していきたいと思っています。ただ「皆で現状を克服しよう!」ということ、そして「感染した人を叩かないこと」だけは重ねて申し上げておきたいと思いますありがとうございました。

2020-06-08

anond:20200608231153

ワイは暗愚州に住むワイはキリギリス教徒やで

ユナイテッドステーツオブアリ化の国民としては異端らしいやで

2020-06-06

はてサ

"はてサ"の攻撃性が増している。

IT業界として成り立ち始めた当初からIT業界全体にリベラル気質があふれていた。

それはApple IIのようなパソコン文化だったり、BSDLinuxといったオープンソースだったり、あるいはM$帝国といったアイコン化などでもよく分かる。

IT関係者が当初のユーザーに多くいた"はてな"、特に"はてなブックマーク"にも、それは強く表れていた。

自由環境を好み他人に寛容な典型的リベラル気質の人が多く、東アジア諸国を見下すような愛国主義的なネトウヨもいないわけではなかったが見下されていたように思う。ただ、軽く見られて相手にされていなかったというところかも知れない。

つのからかよく分からないのだが、"はてな"の特に"はてなブックマーク"の雰囲気が変わり始めた。

それはIT関連の記事ホットエントリーに上がらなくなってきた頃からか、政治社会記事ホットエントリーの常連になってきた。世間的には民主党政権の前か、最中か、後か、どうなのだろう。

それと共に、寛容さは失われ、攻撃性が増してきた。

汚物は消毒だ~」というフレーズと共に半ばジョークとして半ば真剣に語られていた「モヒカン族」が、特にジョークであったはずの部分が現実化してきたようだ。元々「モヒカン族」は論理棍棒相手を打ちのめすという合理性暴力性の合わさった存在として恐れられていたが、その合理性独善化して自己完結化した結果、自分正義合致するか否かで暴力を振るう相手特定攻撃正当化するように変容していった。これは、モヒカンの各氏が変わっていたのではなく、モヒカンを許容する"はてサ"社会が変わっていったと考えるのが正しい。

それは、表現規制フェミニズム、その他様々な社会問題・政治問題でよく観察される。

一方、現実社会では、民主党政権奪取と凋落などもありリベラルという看板が色褪せてきたためか、あるいは大陸中国の台頭もあって国際協調路線から民族主義的な危機感からか、世の中が左翼的な傾向から右翼的な傾向へ移行し始めている。それは、リベラリズムグローバリズム自分を救ってくれないという限界に対する失望感なのかもしれないし、対照的自分を助けてくれそうな地域社会から見直しいるからかもしれない。

"はてサ"が変わっていった一つの要因としては、そういった現実社会でのリベラリズムの退潮と無関係ではないだろう。

正義が揺らぐとき、その正義正当性の是非が問われ、是であれ非であれ互いに正統性を主張することになる。それは寛容さを失わせ、自分の考え以外を異端排除する方向へ向かうことになる。

正統性を求めるあまり狂気に走った事例というのは、古くは宗教戦争からフランス革命ジャコバン派暴走スターリン粛清クメールルージュ虐殺など数えきれないほどある。昔から、人を狂気に駆り立てるのは、悪ではなく正義なのだから

いずれにせよ、そのようにして"はてサ"の寛容さは失われた。

"はてサ"でも現実社会左派でも結局残ったのは、他人に対して攻撃性を示す人たちばかり。政治世界でも、報道でも、自らの正当性を主張して他人非難攻撃するのが左翼の姿になっている。かつてケネディが言った「あなたの国があなたのため に何ができるかを問うのではなく、あなたあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」という精神は、現状のリベラルの中には全く残っていない。

そのような有様で党派抗争に夢中になっている人々からは、何かを成し遂げようとする人は離れていく。

何かを成し遂げるためには、党派抗争は有害邪魔なだけなのだから。けれども中にいる人には、その党派性こそが守るべき正義であり全てであるから、離れる人をも攻撃してくる。不正義に協力していると。そして更に教条的になり、異端排除、先鋭化していく。

もう、"はてな"ユーザーの中には、新しく何かを産み出すという気質は失われてしまったのだろう。

それは仕方のないことかもしれない。

匿名ですらなにも書けん

匿名だし普段思ってるけど表で言えない事とか書くぞと思ってこんな明るくなる時間までクソ長文書いたのに、身内に見られたらとか自分思考異端ボコボコに叩かれたらとか思うとなんも書けん。それ考えたらツイッターマシュマロみたいな匿名メッセージサービス悪口や悪意書いて送れるやつの勇気すげえよ、俺は無理。こえーもん

ジャニーズ自担になりたくて泣いた

感情整合性の取れる文章にするのが苦手だが、この感情文章化しておきたいと思い、書く。

大学生 22歳 女

性的指向は基本ノーマル女性のそれだし、ジェンダーロール的に定められた女の役割を果たすのも苦ではない。

だが物心ついた頃から一般的人間根底にあるジェンダーから外れることを、時たまだが、していた。一人称を俺にしてみたり、家のトイレ立ちションしてみたり。

やがてこの行動は社会的に正しくないと指摘されるようになり、中学に入る頃には完全に辞めていた。

大学所属している学部は7割以上が男性だ。いちおうは、物理的な意味男性に囲まれ講義を受けている。

男子学生から性的な意味で言い寄られることは皆無では無かったが、どうしても自分の事を性的に見ている存在を受け入れられず、全て断ってきた。

異性と付き合った経験が無いと異端者扱いされるような年齢になった頃、彼に出会った。

名前容姿芸能人に疎い自分でも知っていたが、バラエティ番組歌番組で上っ面の部分を見たこしか無かった。

紆余曲折あり、2018年に開催されたコンサート映像を鑑賞した。

登場したのはピンク色の衣装をまとった彼。女性とのデート意識したコーナーが終わり、曲が始まった。

おそらく女性目線の歌詞。それを嫌味なく歌う彼ら。そして性別を超越した彼の"可愛らしさ"。

この曲、パフォーマンスで、私の中で何か引っかかっていたものが救われた。

と同時に、(少なくとも私の中では)性別を超えた魅力を放つ彼になりたくてしょうがなくなった。

これをきっかけにジャニオタになった。「彼になりたい」という欲が落ち着いてからは彼に疑似恋愛したり、純粋エンターテイメント性を楽しんだり、短い期間だが色んな感情自担に抱いた。

ここ数日、何の波かは分からないが、また自担になりたくなってしまった。彼らの冠番組を観て、パフォーマンスを観て、やっぱり自担にはなれないことに気がついて、少し泣いてしまった。

これをキッカケに自分ジェンダーについて整理しておくべきではないか、とも思ったが、怖くてやめた。

結局、身体は女で、内面はよく分からない性別のまま、しばらく生きることにした。

自担には私にとってエンタメであり、疑似恋愛相手であり、いっそ取って代わりたい存在でもある。

自分性別決断を付けるのは怖いが、自担存在がそんな曖昧自分を許してくれる気がする。私の勝手解釈だが、そんな考えにすがって生きている。

2020-06-05

アベノマスクとどいた

せっかく貰ったので毎日洗って使ってるんだけど、あんまり周りに使ってる人いないみたい。

毎日洗って使ってんだけど?w異端か?ww

っていう懐かしいコピペを思いついたので書いておく。

2020-06-02

マインクラフト面白さがまったくわからない

牛や鶏を集めてわんさか繁殖させたり石炭を掘ったりして6時間ぐらい遊んだけどダメだった

なんでもやっていいとか目的がないとか何かをつくるとか、そういうクリエイティブゲームには向いてないとわかった

たかだか1000万人しか遊んでないゲームがつまらいからって異端気取りの人もいるみたいだけど

マインクラフトは売上だけで2億本だぞ

それがツマンネーんだから俺損してるよなあ勿体ないわ

2020-05-29

九州出身芸能人が語る「東京の人はみんな同じ様な顔に見える」

中島美嘉"「(上京してきたばかりの頃) 最初の何ヶ月かの間だけど、街歩いてる人が同じ顔ばっかりに見えて、気持ち悪くてコンビニとかも夜しか行かないようにしてて、、」"

"「上京して5日目ぐらいに東横線に乗ったんですけど、、 ちょうど朝で、乗ってきてた中学生の子とかが何十人もいて、

ふっと見たら男子女子もみんな同じ顔に見えて(笑)の子たちみんな兄弟なの!?とか思って、、」"

"「東京来る前は福岡にいたんですけど、あそこではそんなことは、、一回もなかったですね」"

ラジオFMO LOVE FLAPゲスト出演時

浜崎あゆみ"「(東京では)どうしてみんな下を向いて歩いてるの?っていうのが不思議でした。あとなんか、おんなじ顔の人ばかりに見えて、とか(笑)ごめんなさい」"

おしゃれカンケイ1999年4月11日 出演時

橘慶太"「(上京して世田谷中学校転入した時) クラスの人たちみんな小学生に見えてびびった(中略) 中3なのに、なんかみんなすごい顔が幼いっていうか、小学生ぐらいの子供に見えて、、

あと、みんな顔が似てると思った。でも中身は結構、、成熟っていうか、立派っぽい人が多いと思った」"

RKBラジオ 2006年4月16日 ゲスト出演時

北村一輝"「あ~、確かに、おまえ外人みたいだな、とか、東京ではよく言われてきましたね。僕地元大阪で、両親の実家沖縄鹿児島にあるんですけども、

ガキの頃はそっちによく遊びに行ってたんです。そっちではぜんぜん、なんというか、そんなことはなかったんですけども・・・」"

"「東京に来たばっかりの頃なんかは、よくありましたね。東京のほうは、基本の顔みたいなのがあるみたいで、・・・

結構同じような顔されてる方が多くて、そこから外れてる僕みたいなのは異端視?というか・・・難しいですね(笑)」"

徹子の部屋出演時

"伴都美子:(専門学校に入るのと同時に上京した、という会話の流れ)「たまに周りの人の区別がつかなくなることとか。顔とかが同じ人に見えたり・・・

福山雅治:「まああれだな、九州から上京した奴は大概が最初経験することだよな、それな(笑)」"

タデスペシャル 2004年1月17日 200回特録

2020-05-20

anond:20200520132855

ネトウヨがよく叩いているミサンドリストと、「左」巻きを叩いていることから左巻き意味勘違いしていると推察されてるのであって「左巻き」が「左翼」と「頭のおかしい人」の両方の意味では伝わっていない。

ダブルミーニングとしても

その考えが異端者だからダブルミーニングなんじゃないの?

あいつらとはちがう!」ってノリで資本主義否定したおれカッコイイの大2病からくる変わり者アイデンティティが「左巻き人生原風景だったのに今更それを捨てるのダサくね

「もしかして」という形でしか伝わっていなかったので、そもそも伝わる文章にはなってなかった。

まり伝わると思ってるやつが左巻きなだけ。

anond:20200520105548

その考えが異端者だからダブルミーニングなんじゃないの?

あいつらとはちがう!」ってノリで資本主義否定したおれカッコイイの大2病からくる変わり者アイデンティティが「左巻き人生原風景だったのに今更それを捨てるのダサくね

2020-05-15

外壁塗装営業が来た

本日休日につき、#stayhomeしていたら、外壁塗装を行う地元企業営業員と思われる人がインターホンを鳴らした。

チラシをポスティングしたので、挨拶したいとのことだった。

TVでよくCMを流している企業であった。

飛び込み営業自体別に構わないのだが、当然先方も探りを入れるというか、少しでも情報収集をしようと試みてくる。

真っ先に尋ねられたのが借家か否かということだった。

借家ならば営業すべき相手は住人ではなく大家なのだから、真っ先にこれを判定するこの営業員の姿勢は適切であると感じ、特段の不快感は覚えなかった。

ただ、そのとき言い回しがどうしてもひっかかった。

「気を悪くせずに聞いていただきたいのですが、このお住まいは貸家ですか?」

こんな言い回しだった。

実際、今の私の住まい一戸建借家である

そして私の居住都道府県は持ち家率が高く、持ち家に住むのが普通賃貸に住むのは何かよほどの"ワケあり"で異端、と判定されがちな地域性があることは確かである

この営業員は、「借家に住んでいます」と表明することが気を悪くするようなことであるとの認識を持っているのであろうことが推察された。

または、単に前述のような地域性があることを認識しつつそれに配慮しようとしただけか。

いずれにしても私の居住地の地域性は「見栄」をはりたがる傾向が強いということを再認識させられた瞬間であった。

2020-05-07

anond:20190626224519

58

298日目

GWが本当にいつもと何も変わらないということについて私から言えることは「本当になんで引きこもり問題で外でフラフラしてるやつは健全という風潮があったんだろう」ですね。

すきあらぱ異端(いじょうしゃ)をでっちあげたがる癖を乗り越えられない幼年期共めと同じ人類ながら人類というものほとほと見下げ果てる次第ですな。

2020-05-02

ファシズムが怖い。

コロナ自警団』のような人たちは、異端者に正義の鉄槌(てっつい)を下すことで、普段なら抑えている攻撃衝動を発散しているわけです。ファシズム根本的な特徴を体現しているといえます

正義暴走は恐ろしすぎる。

自警団に頼るのではなく、民主主義コロナを封じ込めた韓国台湾を参考にしたい。

特に韓国男性リーダーであるにも関わらず封じ込めに成功した。

https://www.asahi.com/articles/ASN4Y3GN0N4WUTIL013.html

2020-04-30

https://anond.hatelabo.jp/20200429064634

岡村さんは見た目があんなだからいわゆる非モテ代弁者としての立ち位置を築いていた

それが同時に普通の人に優越感を感じさせる立ち位置でもあった

その立ち位置からすると風俗に期待するのは自然なんだけどなあ

芸能異端や異形の者が担うべきであれこれ叩いていたら芸能は真面目人間ばかりになってしま

2020-04-28

anond:20200428082011

仲良いと思える人や、友達がいない人はこの世にたくさんいるか異端ではない。

仲良いと思っている人が死んでも悲しくないのであれば、それは異端。そんな異端な人がいるとすれば、そもそも「仲良い」の定義一般的定義と異なるのかもしれない。

anond:20200428081124

横だけど、仲良いと思える人がいないのは異端だろ

anond:20200428080848

答え出たじゃん。仲良いと思える人がいないのであれば、そのような感情が出ないのは正常だよ。異端じゃないよ。良かった。

仲良いと思える人がいなくなる事が泣ける・悲しくなる前提条件だから。それだけでは無いけれど。

anond:20200428074515

実在する人物の中で、一番仲良い人や、一番よく喋る人、一番好きな人が死んでも泣けない?

それは悲しいだけで泣けないってこと?それとも悲しくともないって事?

前者なら異端ではない。後者なら悲しくない理由を知りたい。興味深い。

anond:20200428073746

では誰が死んだら泣ける?その人と、祖父母との違いを教えて。

その考え方を聞かないと異端かどうか分からない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん