はてなキーワード: 異端とは
年代 | 男性 | 女性 | 感想 |
10代 | 4% | 4% | おれって異端? |
20代 | 22% | 30% | うごメモ(DS、3DS)の生き残り。20代の設定の創作が増えそう |
30代⭐️ | 38% | 36% | 最多ユーザー。blogといえば “はてな” 、エンジニアといえば “はてな” を知る世代・作った世代 |
40代 | 27% | 21% | blogといえばエンジニアといえば “はてな” を作った世代 |
50代以上 | 9% | 9% | 40代と同じく作った世代だけど意外と少ない。盛っていないガチでおハイソな方々が多いイメージ |
割合 | 感想 | |
未婚⭐️ | 50% | - |
既婚:子有 | 29% | ブクマカなイメージ |
既婚:子無 | 14% | - |
未回答・その他 | 7% | 多様性 |
金額 | 割合 | 感想 |
50,000円以上⭐️ | 31% | 子なし多いし、こんなもんだろ感 |
40,000〜49,999円 | 11% | - |
30,000〜39,999円 | 11% | - |
20,000〜29,999円 | 19% | - |
10,000〜19,999円 | 15% | - |
0〜9,999円 | 13% | - |
年収 | 割合 | 感想 |
1000万以上 | 15% | 世帯年収なら違和感ないけど、未婚者多いメディアなんだよなぁ・・・😒 |
800万以上 1000万円未満 | 13% | 年収でも違和感はない |
600万以上 800万未満 | 19% | エンジニア多いのでこんなもんだろ感 |
400万以上 600万未満⭐️ | 25% | エンジニア多いのでこんなもんだろ感 |
200万以上 400万未満 | 19% | - |
200万未満 | 9% | - |
ーーー
“ファミレスとかケンタッキーで ブクマカは 盛り上がってるのに???”
・・・について別増田書きました。既婚 子あり世帯さん(29%) の 発言 をご確認ください ↓
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MMMO (M 無教養で M 無能で M 無収入な O オタク) か
MMMM (M 無教養で M 無能で M 無収入な M マン) ですが、
増田が喜ぶ話題と『増田をブクマするブクマカ』が喜ぶ話題が違うことに気付いて頂けると幸いです
次のポイントに注目してみてください
○ 3つの注目ポイント
・ そのエントリーはトラバがいくつ付いていますか?
・ そのトラバは ほぼ縦だけに 伸びてますか? (自演ではありませんか?)
・ そのトラバは 無数に横にも 伸びてますか? (増田でも盛り上がってるようですね)
そこそこ仲の良かったフォロワーがいた。週に数回通話をして、遠距離だが何度かオフでも会った。
ジャンルAで気が合い繋がって、その後フォロワーに進められジャンルBにハマった。確か4年くらいの付き合い。
フォロワーはBでいくつか同人誌を出していた。ただ、そのフォロワーが出した小説の内容があまり得意じゃないので買ったことがなかった。所謂地雷というやつ。
相手にもやんわり地雷だということは伝えていたし、Bの話をする時もそのあたりではうまく距離を取っていた。
ある日新グッズでお互いの推しをあてたので送り合おうということになり、その件でフォロワーからDMがきた。
「そういえば、ついでに私が作ったBの同人誌も全部送るよ!」
え?困る。私はやんわり「大丈夫だよ~」と言った。ハッキリ「いらないよ」とは言えなかった。
このフォロワー、正直…傷つけると少々手がかかる。フォロワーの推しシュチュエーションが私の地雷だと判明したときもすごかった。「ごめんね、私が全部悪いよね」「○○大好きな異端でごめん(確かに地雷な人もいるかもしれないがそんなに異端なシュチュじゃない)」「いつでもブロックしていいからね」という複数のツイートをし他のフォロワーも巻き込んだ。いやこっちが加害者か!?誰も悪くないはず。誰も悪くないんだよ!
「遠慮しないで大丈夫だよw」
「是非貰ってほしいの!」
フォロワーが今まで出した同人誌は6冊、そのすべてが地雷。私は再度断った。「いいよ、悪いし…」と送った。
そこまで言うならまあ、ここで頷いて貰うだけで収まるならいいかあ。私は断るのに疲れて「じゃあ送ってもらおうかな」と返してしまった。
数日後、グッズを発送したという連絡と共にこうメッセージがくる。
この時のなんともいえない気持ち。
そうだよねふつうお金払うよね、なんで忘れてたんだろ。あんなに貰ってといっていたのに請求するのか。そのシュチュエーション地雷だって言ったじゃん。いやタダで貰えると思っていた自分もはずかしい。そりゃそうだ、でも…でもさあ。
私は1500円を銀行に振り込んだ。コピー本が多めな分値段が安いのが救いだった。部屋に残るのは読めない地雷本。
好きな本を買う1500円はとても良い買い物をした気分になれるけれど、地雷本に消えていく1500円は少し高く感じた。
フォロワーからは「よかったら感想送って」とDMが届いていた。私は地雷本をそっと流し読みし、1冊ずつにそれっぽい感想を書いて送った。フォロワーからは「感想長いw」と返ってきた。
その後フォロワーとは縁を切った。
長かったと思うし、実際信じられないくらい濃い時間だったのは事実だ。
仕事は嫌いじゃなかった。人間関係とか、上司とか、そっちが原因だった。
辞めてから約2週間が経とうとしている。ありがたいことに、辞めてからのここ数日間連日誘って誘われて時間を作っていただいては話をした。
昨日、1泊2日の小旅行を決行した。完全に自分の趣味のためだけだったのに、趣味の範囲だったのに、何故か見つめ返す時間になり、書いてみたくなった。
新卒でAという会社へ入社した。コミュニケーションは最低限しかとらないような少しわがままな女だったが、この時ばかりは先輩、上司に恵まれていた。
同期は30人くらいいた。本社と支店に分けて配属されており、私は本社で働いた。同じ課には6人の同期がいたが、私と同じチームに同期はいなかった。その時から、ずっと1人だった。
会社はブラックで、8時に出社して22時まで働くような上場しててもベンチャー企業。1人はとんでもなく言葉足らずで、何を意図しているか理解するのに苦労した先輩、もう1人は手取り足取り教えてくれる人で、バランスが取れていていい環境だった。2人とも仕事がめちゃくちゃできる先輩。大好き。仕事自体は合っていた。ちゃっかり表彰されたり、他部署と仲良くやっていたり。
でもそれは、2年目の途中までだった。
1年目の終わりかけに上司が変わった。新しい上司は華やかな仕事しか興味がなく、その他の雑務を全て下に押しつけて、私はちゃんと監督しています!悪いのは下の子たちです!と堂々と上司に報告するような人間だった。
仕事はできる。ただ、100やりました!90数字が間違ってます!という。誤った90の処理を私がひとりでする環境。仕事スピードに関しての相性はよかったが、気持ちの方は半年で限界がきて、別のチームに異動となった。2年目の10月の出来事だった。
別のチームでは、1年目でお世話になった言葉足らずな先輩の下についた。そんなことをいっても私は先輩が大好きだったし、慣れとは怖いもので、言葉を汲み取って仕事ができるようになっていた。
しかし異動して1ヶ月後に告げられたのは妊娠と産休だった。産休に入るまであと5ヶ月、頭が真っ白になった。1人の同期と5人の1年目を抱えたチームが、数ヶ月後には出来上がる。
それからの5ヶ月は繁忙期も含まれた。5ヶ月間で1億の売上を出して、粗利を計算して総利益を計算した。気づいたら私はリーダーだった。3年目の4月の出来事だった。
ここまでの社会人生活で私が身につけたものは、相手が何を意図しているか、どんな情報を欲しがっているかを感覚的にを汲み取ることができ、仕事の相手、上司が輝くためにはどんなサポートをすればいいのか、売上をあげるにはどうしたらいいかが本能的にわかる。異分子な社会人が出来上がっていた。
物腰が柔らかくて、人当たりが良さそうな人だった。最初は仲良くやっていた。これはわからないだろうな、という案件は手伝ってフォローしていた。部長はこういうのが好きだから、必ずこういう報告をしておいてほしい、あの仕事土台まで出来ているので見ておいてください。仕事のタスクが平均の倍以上に多い会社だと思う。すぐについてくるのは難しいと思っていたし、フォローするのが当たり前の環境だと私は思っていた。1年後のある日、デカい炎上案件が起きた。誰かがやらかしたわけではない、完全な外的要因。もちろんその場に上司もいた。チーム内で解決できないと判断した私は、まず他部署の上席に声をかけた。この後こういった案件で、私の上司から連絡があるから力になってほしい、と。
毎日催促をした。わかったといっていた。さすがに無理だと思った。限界。このままだと取引先との関係もダメになってしまう。
産休に入ってから、一人だけ私のチームを手伝ってくれていた、別部署の上席がいた。あくまでこちらのフォローをしてくれる、部署を任せられている人だった。
その人とは妙にウマがあって、ツーとカーで話が通じるよくわからないけれどいい人だった。
私はその人に助けを求めた。親身に聞いてくれ、私の上司はその人の影響でとりあえずは動いてくれた。逆に私は、そのまま少し病んだ。この上司を私が手伝う意味って何だろう。尽くす意味ってないのではないか?こうだったら助かるだろうな、なんてのは私の自分勝手な善意。私は、別に一度も見返りをくれなんて思ったことはなかったのに。部下が困っているときに助けてくれる上司ならよかった。私が求めたのはそれだけだ。ただそれだけでよかったのに、その関係はその日に幕を閉じた。
私には上司はいない。上司の席にいる男のことを、いないもの、として扱うことにした。チームのメンバーは責められることがないようにと、これは報告しておけ、と同じチームの同期やメンバーには強く言うようにしていた。私は自分のわがままで、上司として扱うことを辞めたのだ。他の人に被害を被らせるわけにはいかなかった。
部下の面倒をよく見ており、売上も好成績を維持しているチームを率いる上司。ハリボテで出来上がった評価される上司を作ったのは、紛れもなく私だった。
私はその置物と話をすることはなかった。情報提供も辞めた。代わりに仕事をすることも辞める。全部全部辞めた。この直後から1ヶ月にかけて、仕事の管理ができない、金の稼ぎ方を知らない、売上の管理も債権の管理もできない、部長職がほしい情報が上がってこない、部下の面倒すら見れない、使えない置物の評価を、私は作った。ある人はいった。気づいたら全員あなたの味方だった。怖くなった。
私は私を殺した人を、社内で殺したのだった。置物はすぐ、孤立した。私は私が正気なメンタルを取り戻し、正常な生活を送るために、クラッシャーになった。その後置物となった人は病んで、12月に退職した。
私はその人が残していった残務を、一人で片付けた。係長が残した不始末を、社員の私が片付けるなんてのは異端なのに、私の当たり前だった。
1月から、新しい人が着任した。面談でみた私の印象は、多分大事なときに部下を裏切りそうだなぁ、と思った。しかしこのとき、既に採用は決まっていた。私に合わせたとき、私がどんな感想を抱くかが部長陣は知りたがっていた。正直、あまりいい人ではないと思うと正直に伝えた。少し難しい顔をして、そうか、といっていたのを覚えている。
そしてこの予感は的中することになった。仕事をしていれば、自分がやったことではなくても対応することが多々あると思う。この案件はすぐ限界がくるな、とおもって上に相談した期日一週間前の出来事。部長への報告は期日3日前、怒り狂っっていた。それでもその仕事を終えた1ヶ月後、新しい上司から嘘の報告を受けることとなる。3月の出来事だった。全ての裏どりをして私が出した結論は、きちんと辞める準備をしよう、だった。予算管理は私がしていたから、仕事を遂行する中でも、5月で自分のチームの年間予算の達成は見えていた。決算は6月、そこで部長に、今月の数字は部の数字にそのままオンできる数字です、と伝えた。月次の数字は行く必要性を感じなかった。年間やって評価されないわけがないのだから。この時適当にやる分には許されていた。それ以降は、売上も考えない、ただの社員になろう。役職はもっていたが、たかが主任。本来、責任なんてない。
私の顧客は超大手の外資企業と、大手の子会社、グループ会社、上場企業と大きく振り分けると6社ほど。取引先には相当額のお金を投資してもらいながら楽しく仕事をしていた。もちろん壮大な迷惑はかけていたが、それでも信頼関係は築いていたのではないかと思う。仕事が続けられたのは、取引先のおかげだ。社内だけだったら、私はとっくに辞めていた。クラッシャーを極めた私は、8月末で辞めることを伝えた。
上司以外からは、止められた。どこの部署に行ってもいいから、残ってくれないか、と打診もされた。
でも、疲れたのだ。
自分が悪者になって解決するなら、それでいいと思っていた。幸いにも、チームの社員からは信頼もあった。最後には、一人の同期と上司を除いてだったが。
同期とのこともすこしだけ触れておきたい。仲がよかったはずだった。上司の嘘のすこし前から、避けられるようになり、私から声をかけることを辞めた。避けられたのにお昼に誘ったりしていた私のメンタルは褒めてほしいが、一週間で流石に悲しくなったため辞めた。それから、彼女は私を彼女の支配下におこうとあれやこれやと画策していた。上司のこともあったので、私は皆が苦しめばいいなぁと思いながら、水面下で人が苦しむために働いていた。その時はそれが精神を保つ安定剤になっていたし、なんなら私が手放して増えた仕事量に2人とも疲弊していて、筋書き通りに話が進んでいくことにつまらなさを感じていた。想定外なことほど面白いことはないのに、筋書き通りに死んでいく。楽しくなくなってった。
無事会社に辞めることを伝えた後も、転職サイトに登録せず、年内はアルバイトをして過ごそうとしていた。すると取引先2社から引き抜きがあった。絶対きてほしい、損はさせない。なんてありがたい話なのだろう。少なくとも年内は働きたくないことを伝えた。なら派遣やアルバイトでもいい、なんて条件ももらった。個人的に遊びの計画を入れていたため、10月中旬じゃないと無理ともいった。それでもいいよと、受け入れてくれた。すこしだけ、人を信じてみてもいいかもしれないと思った。
今、一人で東北へきて、ここまで書き殴って思った。やっぱり歪んでいる。会社を辞めるときに、普通の女の子に戻りたいと思った。会社から帰って、人に会って、結婚して、子どもを産んで育てて、旅行に行ったりしたいなって。
でも、ここまで歪んだ私に普通を求める価値はあるのだろうか。求めていいのだろうか。私は、私が求める普通に戻りたい。
今の願いはそれだけだ。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
一見良識的なアドバイスに見えるが、こと性については、自分のセクシュアリティがどこにあるのか、どのような形をしているのか、きちんと素直に見据えた方がずっといいと思う。それは精神的にはもちろんのことだが、QOLやその後の人生を考えても。
結局のところ「暴走」するような性欲というのはそんなにあるわけではなくて、たとえば仮に「全裸で逆立ちして靴の匂いを嗅ぎながら乳首に針を刺さないといけない」というような趣味をもっていたとしても、社会生活を破綻させることなく生きていくことは全然できる話だ。むしろ、そういう欲望ときちんと向き合わずにどんどん貯めこんでいく方が、先々を考えるとまずい状況に陥ることがあるのではないかと思う。先の例だって、理解あるパートナーと衛生知識さえあれば、普通に安全で満足できる人生を送れるだろう。だが、自分の欲望を「普通」に押し込めようとし続ければ、発散されない性欲を抱え込んで、いずれ破綻する。
「いや、それでも一部は『暴走』するのだから自制も必要だ」と思うかもしれない。だが、「暴走」するような本物のヤバい性欲というのは、ハナから「ちょっとした自制心」で押し込められるようなシロモノではない。誰にも理解されず共有されず、異端の中にあっても異端となって、先鋭化し続け、日常生活を送ることすら困難になる。そんな人に対して「自制しなさい」というようなのは、もうアドバイスですらなく、「お前は異常者だ」というレッテル張りであり、むしろ症状の悪化を加速させる補助剤のようなものだ。
まあ、なんだ。そんなん我慢しなくていーよ。とりあえず、自分の性欲と素直に向き合うことができて、それが少しでも社会性をもっていれば、それは極めて健全なコトであり「よかったね!おめでとう」てなもんだよ。だからまあ、好きにすればいいよ。
・自分の観測範囲ではそもそも「フェミニストを自称しつつ一人一派と主張する人」を殆ど見かけない
・むしろフェミニストは一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方
・またフェミニストを自称しつつ一人一派を主張する人がいたとして、それはフェミニスト思想全体への批判に繋げられるほど一般化された主張なのか?
・フェミニストの中で明示的に「一人一派」理論を採用している人は少ない。一人一派との指摘を行っているのはアンチフェミニストが主である
フェミは多様なものよ。一人一派、それ以上あるかもしれない。それらがぶつかり合うことはあっても、正統と異端という考えは全くない。(p186上野)(上野千鶴子×田房永子『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください! 』、2020年刊)
フェミニズムは一人一派、まさにそのとおり。/小倉:フェミニズムは一人一派だから、考え方が対立して当然なのだ。/フェミニズムとは一人一派と書かれているので(上野 千鶴子,小倉 千加子 ザ・フェミニズム (ちくま文庫)、2002年刊 感想)
フェミニズムは一人一派だ、というのは(多分)田中美津の言葉だけれども、別にフェミニズムでなくたって人間は基本的に一人一派である。(私は愛されたい、私はピンクが大好き、それゆえ私はフェミニストになれない(のか?) )
上野 千鶴子氏など著名なフェミニストが「フェミニズムは一人一派」と言い続けているのに、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」と嘘をついてアンチフェミを批判するあなたは、無知なのか歴史修正主義者なのか、どっちなんでしょうか?
そしてこういった汚れた輩から、高潔なフェミニズムを守るために、一人一派は役立ちます。
(追記)
あなたは理解力が著しく欠けているので、質問は義務教育を終えてから。まずは学校の勉強に専念しましょう。
第二に、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」のはすべて事実です。
これらは全部あなたの観測範囲にもとづく主観です。これが証拠になるのは、小学校までです。客観的な事実なしに主張するなら、フェミニストを名乗ることで他に多大な迷惑を及ぼしていることを自覚なさい。
第一に、上野氏ほかの主張は彼女ら自身の説・主張であって、フェミニスト全体の総意ではありません。
総意なんて存在しないものを議論する価値がありません。上野氏は活動家でもあるという事実(後述)から目を背けて、自分の正当性に固執するあなたの姿は醜い。
自分の耐え難い苦しみがこれまでのフェミニズムに相いれないときに、自分の苦しみを優先して個人が社会活動として訴えることを認めるのが、本来の「一人一派」で、あくまで最後の手段です。それを、自分の気に入らないことすべてに安易に使うから、フェミニズム全体の信用が失われ、アンチフェミニストが指摘するときの便利な道具になってしまったのです。
あなたには無理ですが、あなた以外が「一人一派」の一般性を理解できるよう、フェミニストによる「一人一派」をいくつか引用しておきます。
第二に、小倉さんが言うように、フェミニズムは「一人一派」。だって「わたしがわたしであること」がフェミニズムなんだもの、人の数だけあってあたりまえ。ある人はこういうが、別の人はああいう。批判されても、ああそういう人もいるわね、でもわたしは違うって思っていればいい。(略)
何はともあれ、矢はとっくに放たれている。小倉さんとわたしの「一人一派」に、読者のあなたにもうひとりの「一派」を付け加えてもらえれば、この本の目的は達せられたことになる。
トランスジェンダーとフェミニズム ツイッターの惨状に対して研究者ができること 堀あきこ (2019.2.4)
一方、フェミニズムは、フェミニズム内で意見の対立を抱え続けるものでもあります。(略)
この対立は、しばしば「フェミニズムは一人一派」という言葉で例えられます。なぜ、統一しようとしないのでしょうか。
Where We Are Right Now :多義的に進化するフェミニズムの現在地 清水晶子 (Harper's Bazaar 2017年6月号掲載)
でも、そもそもフェミニズムって何だっけと考えると、これが意外にわかりにくい。「フェミニズムをひと言で定義してください」と言われたら、専門の研究者やアクティヴィストでも一瞬たじろぐだろう。
女性も男性と同等の権利と尊厳を持つと考える人はすべてフェミニストだ、という言い方がある。出発点として、これは間違いではない。
同時に、「フェミは一人一派」という言い方もあって、これもある意味では正しい。実際、フェミニストの間で「それってフェミニズムとしておかしくない?」「いやそれはありでしょ」という議論が交わされることは、珍しくない。
大学に行かずにフェミニズムを学ぶ方法 小松原織香 2019.11.2
フェミニズムは一人一派と呼ばれ、それぞれが「私のフェミニズム」を語ることで成り立っている。それがどんなに間違っていると他人に言われても、「私のフェミニズム」は誰にも否定されるものではない。それが大前提だということはおさえておきたい。
プラスαの読書大特集(第2弾)新書だけで学び直す一般教養15講+α 著者不明
論座 (通号 86) 2002.7 pp.188 - 236
204 ページ
フェミニズムは一人一派というひともいるくらい多岐にわたっているし、その内容もきわめて多様である。だから、どんな考え方がフェミニズムなのかという根本はともかく、一口にフェミニズムといっても実にいろいろな考え方があるという
ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか? 髙崎順子 ハフィントンポスト 2020.2.7
上野 千鶴子 NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。古市憲寿との対談にて、「ジェンダー研究はフェミニズムのツールです」と自身の研究は運動に利用するためと答えて、小熊英二に「活動家としては正しい」と言われている。堀茂樹は上野が自身の運動に不都合なことは隠すと答えていることで、上野を「救いがたいレベル」と評し、小熊と古市も批判し、研究者且つ社会運動家である事は許されるが、「研究者として社会運動家のように行動するのは詐欺」と批判している。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200210094026
有性生殖によって意図的に個体差を作り出しているにも関わらず、個体差を無視し同一存在(クローン)として扱うことは明確に誤りである。
当然ながら個体差を理由として他者の生命財産を脅かすことも法治国家においては明確に誤りである。
当初は増太/増子としていましたが、このデフォルトネームは政治的に正しくないとツッコミが入ったので増田A、増田Bとしました
僕は腐男子である。異端であることは重々承知なのだが、ずっと息苦しくて仕方がない。中学生の時にこっそり読んだ姉の某92擬人化BL同人誌に突き落とされてしまって以来、ずっとだ。
これはひとえに小心者であるが故なのだが、でもなってしまったものはしょうがないし、同胞の作品は絵でも文でも口に入れたいし、作品を発表して萌えを共有したいという当然の欲求が出てくる。少しここで息苦しさを吐き出すことを許されたい。日記って書いてスッキリするところあると思うし。
まず僕がBL作品に出会ったきっかけは前述の通りである。それまでの僕はよくいるタイプのクソガキロードを辿ってきた。と思う。
幼少期は車が大好きで一日中ミニカーでブンブン言っていたし、小学生に上がると遊○王やらポ○モンやらのカードを集めて争い、近所の友達と寺の木登り競争をして落下して頭を縫い、ワールドホビーフェアとかにも行った。
じゃあトリガーとなった姉はというと、気付くと既にオタロードを走っていた。姉の部屋はキラキラした顔がいっぱいで、漫画も沢山持っていた。パソコンに向かってニヤニヤしてる時もあったので、まあもう腐っていたしサイトも飛び回っていたんだろうと思う。話し方もオタ丸出し。当時そんな彼女に抱いていた感情は、“恥ずかしい”だった。
とか言いつつ僕にも当時、誰にも言えない密かな趣味があった。「不在中の姉の部屋に忍び込み、彼女の所有する漫画群を読み漁ること」だ。自分でもコ○コロやジャ○プを買わないこともなかったが、はっきり言ってたまに読めればそれで良かった。まず買うのが面倒くさいとか、途中だから話がわからないとか、そういうのが勝ってしまっていた。
今思えば平手打ちものなのだが、とにかくスリリングな読書タイムにハマっていた。その日も同じ犯行に及ぼうとして、少し様子の違う本を発見した。それが件の某92擬人化BL同人誌である。
衝撃だった。
元ネタの方は(刊行版だが)既に姉の部屋を漁り、読了済みだった。知ってる漫画の登場人物達が、まさかあの二人が、そういう関係だったらどうなるかを描いた漫画が存在するなんて。
ここで面白いと感じ、他にもないのかと検索をかけてしまったのが全ての敗因だと思う。
その日のうちに僕は個人サイトの存在、pixivというサイトの存在を知り、漁っていくうちに自らがどっぷりハマりこんでしまったのである。後から気付いたのだが姉とは逆CPだった為、彼女の部屋に忍び込むことはこれ以来無くなった。
腐った趣味を得たことは友達の誰にも言ったことはない。徐々にオタク化もしていったが、小心者の僕は高校に上がっても一人でメイトにすら行けなかった。あくまで姉の付き添いという態で無ければ行けないような、オタクとも呼べぬカスだったのである。
まあでも一人で行くようになる頃にはpixivアカウントを取得し、ツイッターもやるようになっていた。しばらくのROM専を経て、僕はアカウントを増やして自ら二次創作をするようになった。途中某事務所プロデューサーになったりもしたのだが、結局のところは大体いわゆる女性向け界隈にいた。
アウェーなことははっきりと分かっていた。
ここでも僕は小心者を発動し、男であることは伏せていた。感想を送るにも何を呟くにも敬語で一貫し、顔文字や絵文字の使い方にも気を遣った。女ですと騙っていた訳ではないが、つまるところネカマに違わない。
だが、男のままで界隈に居座る勇気はなかった。腐女子は許されても、腐男子は許されないと勝手に感じていた。始まりの地である某92擬人化ジャンルは比較的男性を見かける方だったと思うが、それでも取り繕うことはやめられなかった。女性の目はもちろん、男性の目も怖かった。
そんな中、唯一真実を知っているのは姉だけだった。結局僕は腐男子バレし、珍獣扱いをされている。分かってはいた。彼女に悪気は無い。悪意なき侮辱だ。だからこそ、姉以外には隠し続けた。同じことを繰り返したくはなかった。
なんでそこで作者の性別が出てくるのだろうとシンプルに思った。女性の手によるものは、無性別だろうに。男が作ると女の作った一作品と等しくは見てもらえないのか?
それがポジティブな意味であれ、ネガティブな意味であれ、線を引かれていると思った。同じように楽しんでは貰えないのかと、自分の作品の感想ではないが少し落ち込んでしまった。
姉も似たことを言っていたことがある。バレた時に言われた言葉もあって、僕は彼女に二次創作活動をしていることは明かしていない。
はっきり言って気にしなきゃ良い。何もそこまで考えて呟かれたものでもないだろう。
だが小心者の僕には、耐えがたいものがあった。ショックのあまり、ありのままで呟いてしまった。ROM垢だったし、少しくらい構わないだろうと。「差別とまでは行かずとも壁を感じる。そんな自分の感性がしょーもな過ぎて辛い」と。
でもそこに、反応を下さった方がいた。一緒に悩んでくださると共に、ご自身の腐女子ならではの葛藤もお聞きした。
こちらが拝見するばかりの関係だったにも関わらず、だ。とても勇気をもらった。
まあ現在彼女が僕をどう思ってるかは知らないが。というくらいには月日が経つ。
結局のところ未だに僕は変われずにいる。小心者から脱却できず、ぬるいネカマで作品を投稿し続けているのである。実際頂いた感想にも、「貴女」と書かれていたことがある。立派な嘘つきだなと思った。心も痛いしそろそろネカマ行為をやめたいのだが、やめる勇気もない。それでここに駄文をしたためている。やはりカスである。高校生から何も変わってない。
もし変わる為一歩踏み出すのなら、すっぱり「私」を殺してしまって転生するのが堅実かと考えている。全く別人として、新たなアカウントを運営していくのが良いかと。
しかしまず僕は、姉に謝らなければならない。今でも僕は、姉に然るべき謝罪もしていないのだ。こういうところから、変わらなければならない。
フォローというわけじゃないが、姉の存在も悪いことばかりでは無い。大体好きな作品の系統は同じだし、推しになる人物は大体重なる。気兼ねなく話せる、好みが近い人がいるのは非常に良い。
しかしながら、姉とはことごとく逆CPになってしまうのである。これも高校生の時から変わっていない。二人の関係についての解釈は概ね同じなのに、結論のカップリングが逆になってしまう。僕ら姉弟は両者ともに左右相手完全固定タイプなので、互いが最強の地雷なのである。姉が弟×兄が好きであれば僕は兄×弟が好きだし、姉が青×赤が好きであれば僕は赤×青が大体好きになる。
前者については「今回は左右同じだと思ったのに〜!」と言われたが、僕は一度もその感覚に陥った事がない。何を根拠にそう思うのか。傲慢だとは思わないのか。多数派は正義ではない。僕はこの味を食べたいからこの味を作って美味えなとなる。この感覚の差も縮まる事はないのだろうなと思うと、息が詰まる事がある。異端なのはこちらだとわかっているからだ。
今年も残り半年を切り、光陰矢の如しの意味をしみじみと感じる。
このイベントに関しては経営者の思いつきで勝手に始まり、職員同士の対立や陰口など様々な問題を引き起こしたがそれらを乗り越え、なんとか開催に向け一丸となった(表面上は)
各職員に仕事が割り振られ掲示の作成や商品の準備などをそれぞれが進めているが当然普段の業務も並行して行わなければならない。
残業が必要になる時もあるが、残業代は出ないのでキャパシティを超える職員も中にはいて、家に持ち帰ったりサービス残業で割り振られた仕事をこなそうとしている。
業務時間内にも作業を行う時間を作れるように、普段より集中して取り組む社員に対して他の職員は口々に「大丈夫か」、「態度がおかしいぞ」、「暗い」、「機嫌が悪いから話しかけないでおく(決めつけ)」などと口にする。
仕事に集中することは悪いことなのだろうか?仕事中もコミュニケーションが必要なのは分かるが、その社員も自ら最低限の発言はするしこちらから話しかければいつもと変わらぬ様子で雑談だって出来る。
普段はよく笑うし冗談だって言う。そんな彼だって集中している時は寡黙になったっていいではないか。
不必要に騒ぎ立てる周りの人間のせいで、彼は無理して雑談をしたりコミュニケーションを取ろうとしているように見える。
色んな人間が集まる職場で自分の思い通りにならないと異端と責める集団圧力が恐ろしい。
増田が腐女子などに代表される女オタクに発見されて1ヶ月程度だろうか。
私はどちらかと言えば手斧を投げ合うインターネッツの住人なんだと思うんだけれど、昨今のこういったムーブはそのうち去ると思うので、今のうちに便乗をさせてほしい。
既に辟易している増田氏諸君も多いかと存じますが、増田という海の懐は深いと思うし、そもそもこんな記事はすぐ流れて藻屑になるだろう、どうかお許しください。
何より、自分の思考は恐らく異端と判じられることなのだろうなと常々考えていた。
かれこれ20年程前から、ずっと好きであり続けているキャラクターがいる。
私がインターネットの世界に身を投じる少し前にプレイした、ややマイナーなゲームの登場人物だ。
その当時のオタクは、同人誌即売会などの直接的なものを除けば、雑誌への投稿が交流の中心だった(10年前の個人サイト、5年前のpixiv、現在のTwitter等の役割に近い)。
親指の先ほど小さなイラストでも、そのキャラが描かれたイラストが1枚でもあれば、雑誌を購入する理由になっていた(今になってなぜ雑誌のスクラップを作っておかなかったかと後悔している)。
学生の頃、それも義務教育の枠内である時分にのめり込んだので、それまでの短い人生の中でも形成されていた嗜好を、そのキャラの存在が塗り替えた。
それまでは分かりやすいくらいの熱血漢で優しさもあるような性格のキャラクターが好きだったのだが、
以後は他作品であってもそのキャラに似た、少し長めの黒髪で深い青の瞳、淡々として気難しい性格のキャラクターが好みになる。
さて、私が好きになったキャラは、前述の通りゲームの登場人物だ。
そのゲームはマルチエンディングを採用しており、プレイヤーのとった行動によってはそのキャラは死を迎えることがあるが、幸福を得るエンディングもあった。
どのエンディングも余韻や想像の余地を残すものであり、創造意欲を掻き立てられるものだった。
20年前当時の私は(そして多分今でも)、このキャラに恋をしていた。いわゆる夢女子である。
まったくそういう性格付けはされていないのだが、彼は私にとっての王子様だった。私にだけは優しくしてくれるなどという愚かな妄想をし、どうしたら彼の心を解すことができるかを悩み、
眠りから覚めたばかりで夢と現実の境界が曖昧なときは『こんなに苦しいならば直接会いに行こう』とさえ本気で思い、そして現実にこの人がいないことに気づいて、我ながら馬鹿すぎると落ち込むのだった。
ゲームで描かれた物語のハッピーエンドをベースとして、このキャラを中心とした夢小説をいくつも書いた。
その頃の私は夢女子であったけれど、元々は男女の組み合わせで話を書くのが好きだった。別のゲームとかマンガとかではそういうお話をよく書いていたし、
このキャラが出ている原作ゲームでも他の男女の組み合わせの話を書くこともあった。
でも、このキャラと他の女性キャラクターの組み合わせだけはどうしても苦手で、殊更苦手な組み合わせは目にすることすら苦痛に思うこともあった。
私の思い描く世界で幸せになってほしい、というエゴを押し付けた話を量産していたのだ。
(しかし、二次創作とはおおよそそのようなものだろうとは思っている)
そして、当時の私は悪い意味で若く、一途ではなく、新しい刺激があればすぐさまそちらに寄っていった。
つまり、他の新しい作品に入れ込んで、このキャラを主体に二次創作をすることがだんだんとなくなっていったのだ。
新しい世界の扉を次々と開いて、その中で繰り広げられる物語に浸る。
そしてときどき、思い出してはそのキャラのいる世界に戻って、やはりいつになってもこの人は素敵だと幾度となく確認してから、また別の世界へと渡っていく。
どんな世界を覗いても、心を惹かれるのは例のキャラにどことなく似ている人物ばかりで、こんなにも己の内を侵食されているのだと我がことながら呆れもした。
百様玲瓏の世界の扉の中には、私のうちの別の嗜好を開く鍵がいくつもあった。
たとえば、それまでは毛嫌いしていた同性同士の組み合わせの話が読めるようになったり、書くようにもなった。
たとえば、性転換や両性具有などといった趣向も持ち合わせるようになった。
たとえば、四肢の欠損や痛がる描写、死ぬまでは生きてもがく様にある種の美しさを見出すようになった。
時には、二次創作ではなく全く別の世界に誘われることもあった。
さまざまに思うところがあり、私はそのキャラと原作ゲームの二次創作を再び始めることにした。
その前に、まだネットの片隅に残っている、そのキャラが出てくる二次小説を片っ端から読み漁った。
存在そのものがあり得ないと思っていた同性キャラとの組み合わせの話に感動した。
文字列を見るだけで苦々しく思っていた女性キャラとの組み合わせの話は、むしろ好みになっていた。
そして、以前ならば絶対に思わないことを思うようになっていた。
『バッドエンドの世界線の話を描いてみたい』と。
私は、20年以上も自分の心の真ん中に立つこのキャラクターの幸せをずっと祈っている。
どうかできればハッピーエンドの世界線でずっと幸せで暮らしていくことを願ってやまない。
だけど、その一方で、この人の苦痛に苛まれて歪む顔、今わの際の表情だってきっと美しく魅力的だろうから、描いてみたいと思ってしまった。
それだけではない、かつては苦手としていた女性キャラとの組み合わせの話も書いてみたい、ありふれているけれど満ちみちた暮らしを手にすることができるのだろう。
同性との組み合わせも書きたくて仕方ない、ガラス細工のように繊細で、そして耽美な雰囲気も実に似合うのだ。
もちろん、十数年前と同じように、夢小説も書いていきたいと思う。
どんな形でも構わない、そこに自分の行動の介在ができれば、きっとこの上なく嬉しい気持ちになれると思うが、所詮は妄想だから叶うはずがない。
否、結局はこの人の存在こそが空想のもので、私がその在り様に一喜一憂しているだけなのだ。
そうは分かっていても、このキャラクターがいかに他の人物・状況・世界に触れて、何を感じ、どんな表情を見せるのか、そのすべてを見てみたいし、この手でそれらを書いてみたいと思う。
元々がマルチエンディングのゲームである、その分岐をすべて観測できる立場に私はある、
ならばいっそ、自分が妄想したものでも他の方の手によって描かれたものでも、幸福でも不幸になっても、このキャラのすべての可能性を見れるものならば見てみたい。
自分が好きなキャラクターがただ不幸になるところを見てみたいなど、あまり思ってはいけないし、ましてや見えるところで言ってもいけないことだろう。
これから、このキャラが何かしらの形で苦痛を受けて流血する話を初めて書く。
どういう話にするかは何となく頭に浮かんでいる。これからプロットを立てていく。
その前の儀式として、増田の場を借りて書き捨てさせていただいた。
ありがとうございました。
杉田さんがホロライブのラジオに出るときいてなんかすごい違和感を感じている。
もちろん、Vtuberが市民権を会得したことは喜ぶべきだし。本人にとっても芸の幅が広がっていいことなのもわかる。
そういう頭でいるから、声優のようにキャラクターを演じる現実の人が入る事で、中の人の内輪ネタみたいな構図になるんじゃないかと何かザラっとする。
似て非なる2つの演者が混ざる事がノイズを生むんじゃないかと思ってしまう。
でも、世間のVtuber支持者はそれを良しとしてるんだから異端な考え方なのだとは思う。
まあ、そもそもパーソナリティの二人も杉田さんのノリも自分が苦手なだけなんだろうなって思うけど。
杉田さんも多彩な経歴があって、Vとも共演してきたなら変なことにはならないか。
プロの仕事人であり演技をする人なのだから、流石に世界観壊さず、踏み込んではいけない所は線引きできるよな。
今までパーソナリティのラジオなり番組なりで際どい事を言う人だなって印象があったから不安だったんだよ。
増田個人としては、例えばギータ・モカーズみたいな適当な名前で、3次元の存在からかけ離れた架空キャラクターアバターを着て話してくれればそれでええんや。
要は同じ次元ならそれで良い。