はてなキーワード: 狭間とは
視覚情報の説得力を憎んでいる。私の障害は傍目にはわからない。わからないからつらい。学校でも職場でも配属されて最初に「見た目にはわかりませんが私にはこのような障害があります」と説明しているのだが半年もすればみな忘れて健常者と同等の扱いをしてくる。その度に再度説明するのが苦痛だ。
自身の障害を言い訳にしてるのではという自己嫌悪と、いや障害は障害なんだという開き直りを何度も繰り返し続け生きている。初対面の人全員に「私は障害者です」と説明しなければならない呪い。「普通に見えますけど」と言われる呪い。いやいや、普通に見えるのはあなたたちに迷惑がかからないように私が懸命に努力しているからーーー!!!!!!
もう諦めていてあえて説明しないことの方が多くなった。少しダメな健常者だと思われた方がマシなのだ。
本当につらいのは私のように障害者と健常者の狭間にいる人たちだと言いたい。見た目にはっきりとわかる障害者が羨ましい。
私のような狭間の呪いを受けてる人たち、がんばっていきまっしょい。
ストラテラ、コンサータ、インチュニブ。こいつはドラクエの呪文じゃないぞ。俺たち発達障害者にとってのアルファでありオメガだ。辛いんだ。飲むとアドレナリンが胃の中で大暴れして、食事さえもできなくなる。
ぶっちゃけクスリの効果なんてろくすっぽ感じられない。健常者のフリがなんとか出来るって程度。なのにヤメたら元通り。あっという間に魔法が解けて、ただの落伍者にランクダウンだ。知的障害者ならまだいい。でも、俺たちは健常者と知的障害者の狭間に産み落とされている。社会からは見えない透明人間だから、いつだってセーフティーネットの濁りなき網からこぼれていく。
発達障害者には、常人にはない才能が備わっている、と人は言う。いわく、お前の内なる想像力を引き出せば、健常者どころか超人にだってなれる。いわく、お前は無限の可能性を秘めている。いわく、お前は磨かれていないダイヤモンドだ。シンデレラは意地の悪い姉を差し置いてプリンセスに、野獣は呪いが解けてイケメン王子に最後はなっただろう?You are エジソン and アインシュタイン and スティーブ・ジョブズ、blah blah blah…
ハイハイ、この話はもう終わり。そんな都合のイイ話、あるかってんだ。俺、本で読んで知ってるんだ。海馬とか側坐核とか、脳の一部が常人より小さいだけなんだろう?ようするにただの障害者なんだろう?
ある時、テレビで映画「フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能なフォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公のフォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。
だが俺たちは?チートツールで隠しパラメータを読むまでもねぇ。当ててやるよ、顔面:E・体力:D・知能:D・幸運:E。ゲームならノータイムでリセマラ対象、競馬なら二束三文でデビュー前に売却さ。何かひとつは良いところがあるはずだって?残念、ギリギリ正常であり、かつ真に何の取り柄もないナチュラルボーンの無能だ。
生まれてこのかた、あらゆるコミュニティーで必要とされたことがねぇ。唯一慰めてくれる親は日に日に年老いていく。クラスのみんなは結婚して子供もいるらしい。数少ない俺の友だちは(友だちと言えるのか?)、未だに森の小動物みたいに鼻をヒクヒクさせながら実家に引きこもってやがる。
どこにも属せない俺はどうすりゃいい?最近じゃ、phaとかいうヤツが「持たない幸福論」とか提唱してるそうだ。社会に適合できないはみ出し者は、はみ出し者らしく断捨離して生きれば幸せになれるってさ。それにヨッピーは「明日クビになっても大丈夫!」だって。オイオイ、クビになったらどうすりゃいいんだよ?ブログ記事書けってのか?お前みたいに、パンティー被って裸で渋谷でも駆け巡ったらさ、お布施貰えるのか?
イラッと来たね。そんなことが言えるのは、お前が京大卒だからであり、あるいはお前が元商社マンだからだ。つまりお前らは確かにアウトサイダーかもしれないが、と同時に才能のあるフォレストガンプだからだ。文化資本があるからなんだ。頭がいいからなんだ。人には負けない才能があるからなんだ。ムカつくんだ。
なぁ、教えてくれよ。俺たちの物語には、ハッピーエンドが存在しない。そう言うと、お前らは「誰にだって悩みはあるし、ハッピーエンドの人生を送っちゃいない。まずはその思い込みから脱却しろ」と、ニヤニヤしながら言ってのけるんだろう。それ、病院のセンセイにもこの間言われたよ。でも、それってお前が、医学部卒で4LDKのタワマンに帰ると綺麗な奥さんが笑顔で暖かいご飯を作っており休みの日には子供と遊園地に行き血統書付きのラブラドールレトリバーを飼いベンツを乗り回し悩みをウンウン聞いて薬を処方するだけで年収一千万だからだろう?そう話したら、向こうは押し黙りやがった。
俺も努力すればそうなれるのか?いや、人並みの生活が送れるのか?お前は短期バイトすらロクに受からない人間の気持ちを、頭を横に振られながらゴミを見るような目つきでクビを宣告される人間の余裕を、必死に働いて手取り15万という人間の惨めさを、本当に知っているのか?
発達障害者には隠された才能がある。駄目なところではなく良いところを伸ばしましょう。みんな違ってみんなイイ。ダイバーシティ。人という漢字は支え合ってできています。もう、やめないか?そういう綺麗事。どうせ俺たちは見捨てられる。才能がなきゃ、発達障害者は愛されない。臭いものに蓋をするかのように。まるで最初から存在しないかのように。無能なフォレストガンプに救いは用意されていない。
そこに贖いはなく、最初から天罰だけが与えられている。それでも生き抜くしかない。マハロ・マザーファッカー。みんなくたばりやがれ。
『ハムレット』は王子が復讐を叫ぶ感情と理性の狭間で葛藤して葛藤して悩むから400年の時を超越して悲劇として名作になったんですよ、わかります
でも読んだ人は一度はごく自然に考えると思うんですよ、「いいからさっさと殺せよ、親父の仇なんだぞ」って
そこへいくと、『バーフバリ 王の凱旋』では自身の出自すら知らなかった王子バーフバリが真相を聞かされた瞬間に
「おのれ悪逆の徒め許すまじ!!偽りの王よ、王国よ慄け、アマレンドラ・バーフバリの息子マヘンドラ・バーフバリが貴様の首を奪りにゆく!!」つって
本当にその足でカチコミかけに行くから、いっさいストレスフリーで「よし来た!!こっからはずーっと復讐者のターンじゃあ!!!」ってなっておもしろいんですよ
どこかの誰かがもうとっくに言ってるかもしれないけど、この間の千秋楽で私は初めて見たので許して欲しい。
あと、刀剣乱舞のこともミュージカル刀剣乱舞のことも、知ってる前提で話すから本当にチラシの裏だけど、ごめんね。
自分のために書かせて欲しい。
今私は、なんで皆あの三日月宗近を受け入れて、なおかつなんで褒め称えられてるのか本当にわからなくて
疑問通り越して困惑している。
つわものどもがゆめのあと、いつもキャラとか物語に解釈違いを起こす友人がべた褒めしてたので、
なんか嫌な予感がするなーと思って千秋楽のライブビューイングを見に行ったんだけど、
嫌な予感どころじゃなかった。
このルールがあったから、過去の作品の中では他のキャラクターたちは、
自分の大切な人が死ぬ運命にあったとしても、涙を飲んでそれを受け入れてきた。
死ぬはずだった義経をこっそりと逃がし、物語は大団円を迎える。
混乱した。死ぬはずの人を生かして逃がすなんてタブー中のタブーではないか。
しかも話を見るに、それを実行したのは三日月宗近の個人的な判断で、主人から命じられたというわけでもないし、
彼がやろうとしていることを他の登場人物たちは誰も知らなかった。
彼は過去の人物に積極的に接触し、介入し、時には人心を操ってまで『義経を生かす』結末に歴史を操作した。
これが、ルールに反する行為なのは誰がどう見ても明らかだと思ったし、
皆彼のやったことに対して困惑するか、更に言えば怒るだろうと思った。
でも終演後Twitterを開いて飛び込んできたのは、三日月宗近を褒め称える言葉ばかりだった。
優しい、そこまで人間のことを考えていてくれたなんて、素晴らしい作品、今までで一番好き。
愕然とした。その後怒りがこみ上げてきた。
ちょっと待って。あなたも、あなたも、前作も前々作も見たはずだ。
過去登場したキャラクターたちが、ルールと自分の心の狭間でとても苦しんだことを知っているはずだし、一緒に涙を流したはずだ。
三日月宗近がやったことが許されるなら、あの時彼らが苦しむ必要なんてなかったじゃないか。
みんなみんな、つじつまをあわせて助けてしまえばいいじゃないか。
だって、これが許されるんだから。あなたたちは許したんだから。
歴史というのはいろんな解釈があるからルートは一つじゃないとか、
今回はこのルートが成立する条件が揃ってたから~とかいろんな解釈を見た。
私だって義経生存説は知っている。でも問題にしてるのはそこじゃない。
その前提があったとしても『独断で、誰にも相談無しに積極的に歴史に介入した上で、自分の思う通りに操作していい』と三日月宗近が思っていることが問題なのだ。
そして彼はそれを『悪いことだ』と思っていない。
彼は今剣に義経を殺させないことで義経とともに今剣自身にも救いを与えようとしていた~とか、そんな感想も見た。
救いを与える、ってなんだ。今剣は三日月に救いを与えられなきゃならないほど、か弱い存在なのか。お前何様だよ。
私から見ると彼は『相談無しに独断で仕事を進めて、俺は仕事ができる、と思っているタイプ』にしか見えない。
べた褒めしている人たちは、彼がルールを破っている、ということに関してはどう思っているんだろう。
それがわからないし、そういう意見も見かけないのでとてもなんというかすわりが悪い。
過去の作品で歴史を変えてはいけない葛藤について、涙を流していた人たちがいるからなおさらだ。
前々から、ミュージカルの三日月宗近は、どこか他の刀を見下しているように感じることがあるのが気になっていた。
これが許された脚本とこれを許した空気があるのが信じられずにいる。
頭悪い人や子供なんかは本当だと勘違いしてしまうケースが有り、度々問題になる
いや実際の所芸人もやり過ぎる人が居るので、本当にプロレスなのかどうかは定かではない
視聴者も「これはプロレスだ」と100%わかっているわけではないはずだ
むしろそういった「どうせヤラセだという安心感と、若干の恐怖」がいい塩梅でエンターテイメントになっているのだと思う
「きっと嘘だけど、ひょっとしたら」というのが楽しさになる
これは不思議なもので、例えばイジメ自体に嫌悪を覚える人でも、イジメの「振り」は楽しめたりする
エンターテイメントの歴史とは、そういう人たちとの戦いの歴史でもあると思う
もちろん「分からない人」が常に悪いというわけではない
ボーダーラインというのは人によって違うんだ
悪ふざけが過ぎる人に嫌悪感を覚えるのと同じで、人によっては皆が楽しめるラインで嫌悪感を覚えるんだ
かと言ってその人のボーダーに合わせたら何もできなくなってしまう
彼らの存在はそれだけで場を白けさせる
ゲームや創作に影響される人、現実と区別がつかない人は一定割合居る
ゲーム業界ではどうにかそういうのを回避しようとゾーニングが行われている
個人のボーダーラインや、現実と虚構の区別が付くかは加味されていない
これから先のエンターテイメントが生き残るには、彼らを制御しなければならないのかもしれない
彼らは「嫌悪」し「区別がつかない」ので、義憤にかられて突撃してくる
最近は、彼らの見つからないマイナーな場所でエンタメを発達させる手法が上手く行っていたが
もうそろそろそれも難しいのかもしれない
情報はSNSで簡単に拡散され、簡単にそれを海外メディアが取り上げる
彼らは確かにマイノリティではあるが、炎上してしまうと突撃者の数はとんでもなくなってしまう
より強い仕組みのゾーニングが必要なのだと思う(手段はまるで思い浮かばないが)
また、制御しなければならないのは楽しむ側にも居る
「嫌悪」はしないが「区別がついていない」人が、真似をしてしまうからだ
毎年あっという間ね。
ほんと消化しまくりたいわ。
ほんともうHDDの空きがないの!
外付けも認識しなくなったの!
番組を消化しなくてはならないのよ!
いや~ツラすぎるわ。
何かやりたいわね~
うふふ。
レモン水!
レモンはそのつどつど切って使うのは面倒くさいので
いっぺんに切って置いておいて冷凍しておくと便利よ。
うふふ。
では皆さま押し迫ってくるこの年末の最中にも増田を読んで下さりましてありがとうございますという感謝を称えつつ賞賛するきもちを込めつつ来年は丸三年四年目に突入する私の計画としては電子書籍化をしたいんだけど一向に進まない需要あるかしらと感じつつまた頑張って増田プロを目指すわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
少女終末旅行は素晴らしい。さっき最終話を見たばかりのワタシからすればこれはもはや自明なのだが、もしかしたら明日朝起きたワタシにとってはそれはもはや説明を必要とするような感覚かも知れない。だが、ワタシはこの気持を忘れたくないので、一度言語化してみる。言語化することによって記憶は記録となる。記録を残すと思い出はより高い精度で再生する事が可能になり、明日以降のワタシも少女終末旅行の素晴らしさを忘れないでいることが出来る様になるのだ。話が逸れてきた。興奮しているようだ。落ち着け。
落ち着いた。続きをかく。
ここ数話の少女終末旅行を見てワタシの記憶に蘇ったのは2つのアニメだ。1つはけものフレンズ、もう1つはテクノライズ。どちらも素晴らしいアニメだ。片方は滅びた後の優しい世界を描いた作品であり、もう片方は滅びゆく優しくない世界を描いている。少女終末旅行の世界は優しくない世界の名残が各所に残る優しい世界だったからこの両者を思い出したのだろう。1つ間違いなく言えるのは、滅びるとは美しいという事だ。そして、滅びていると滅びていくが同居する、滅びかけの世界はとても美しいという事だ。
少女終末旅行の世界は滅びているし、滅びかけているし、滅び続けている。そして少女終末旅行の世界には世界を滅びから救う道が残されていない。人類の世界が滅びることで、別の新しい世界が生まれていると捉える事はできるが、人の世が滅びることはもはや避けられない。世界に残されているのは思い出と、ほんのわずかな人間であり、そこから人類の世界が蘇る未来はもはや何処にもない。
滅びている世界の中で、残されているのは人類がかつてそこにいた記録だけだ。だが、それらの記録を人類の記憶として再生するための人間がもはやいない。観測者不在の世界において記録はただのデータであり、記憶に書き換わることはない。そこにオッサンやオネーサンや、2人の少女がやってくることで、かつて人類がそこにいた世界を生きる日々の思い出が生まれていく。この世界に人が居たことを証明する事が出来る存在はもはや残り僅かだ。
歯車が、兵器が、工場が、食料が、機械が、記録が、人類がこの世界にいた証拠がこれほどまでに溢れていて、自然を上から覆っているのに人間はほとんど残っていない。矛盾だ。人間の為に存在するものが世界を覆っているのに、人はもうほとんどいない。矛盾ではない。人間の為に存在するものは、人間が存在していたことは証明しても、それらを築き上げた人間たちが今もそこにいることはまでは証明しない。
あの世界は屑鉄色だ。しかし、その世界で描かれる物語は暖かく柔らかい。それはそこにいる人間が柔らかいからだ。つくみずデザインの丸顔はとても柔らかい。饅頭を頭に乗せたような顔をしている。ちーちゃんはとても柔らかい。ユーもとても柔らかい。2人の関係も柔らかい。出会う人達もまた柔らかい。あの世界はあんなにも固くて冷たそうな物ばかりが溢れているのに、その世界を観測する人間が柔らかいからあの世界は柔らかい。
屑鉄色の固くて冷たい世界が、それを眺める人間によて柔らかくなっていく。その過程があそこにはある。
少女終末旅行が何故素晴らしいのか。それは夜に見るのに相応しいアニメだからであろう。それも週末の夜に見るのにとても素晴らしいアニメだ。週末にやっているという事が素晴らしいのかも知れない。放送時間はとても大事だ。平日の夜に見る深夜アニメは、次の日が平日であるという気持ちから入り込めない。平日への逃避の気持ちから深く入り込めるという意見もあるだろうが、それは入り込み方として濁っているとワタシは考える。これはワタシの個人的な意見だ。平日が終わった金曜日の夜に、一週間の仕事の疲れを抱えながらテレビを見る。季節は冬だからもう周りは真っ暗で部屋は少し寒い。だけど心は穏やかだ。膝に載せた電気毛布のほのかな暖かさと柔らかさが肌にしみる。そしてアニメが始まる。人気のない道をケッテンクラートが進む。寒空の下か、暗い工場の中を。少女達が現れる。途端に世界は晴れやかになる。晴れやかなまま穏やかに物語が進み。OPが流れる。とても心地よい。そしてCMがやってくる。
物語が再び始まる。冷たい雪景色に轍を残して軍用の半装軌車が進む。少女達が取り留めのない会話をする。雪が鉄を覆う景色は灰色と白の二色だ。しかし、その世界がまとう空気は春の並木道を思わせるような暖かさだ。世界は温かい。世界は冷たい。硬い。柔らかい。矛盾した感覚。滅びゆく世界。未来のある少女。少女2人の旅。未来のない世界。矛盾。心地よい。コタツに入ってアイスを食べるような。心地よい矛盾。
物語は進む。世界の真相は少しずつ暴かれる。暴かれているようで、暴かれていないようで、暴かれていく。世界の滅びの核心が近づく。世界が滅んでいても、2人の旅が楽しいことが確信に近づく。世界は滅んでいる。間違いない。もう駄目だ。救いはない。2人一緒の度は楽しい。もう疑いの余地はない。救いはある。
滅びの美学で少女の愛らしさをラッピングしているのか。少女の柔らかさで破滅の寒さを包んでいるのか。相互作用だ。相互に作用しあっている。混ざることのない2つが混ざり合わないからこそ引き立て合う。深夜アニメだ。深夜アニメとはこうあるべきなのだ。言い過ぎている。だが他の言葉で表現したくはない。真夜中に起きているような年齢の人間が、子供の見るような絵柄の番組を見る。内容は子供でも分かるような気がするが、大人の方が楽しめるように作られてもいる。難しい話をしているようにも見えるし、幼稚園児向けのおとぎ話みたいにも見える。深夜にやるアニメ。特別な時間。その特別がこの所は失われてきた。大人向けのおとぎ話、少し背伸びしたい子供のためのカルチャー。オタク向けの作品。オタクでない人間の視聴にも耐えるような作品。本当は誰のものなのか誰にも分からなくて、きっと誰のものでもない。子供は寝る時間。大人も寝たほうがいい時間にやる番組。狭間の世界にある狭間のテレビ。柔らかくて、冷たい。暖かくて、硬い。心地よい矛盾。その手触り。思い出せた。ワタシが深夜アニメを好きな理由。言語化しきれなかったけど、せめて言語化出来た範囲までは記録できたはずだ。何故ならこうして言語化したのだから。
とりあえず言いたいこと。ちーちゃんが凄い可愛い。ユーが可愛いのは、ユーがちーちゃんを可愛いと思っているからだと思う。相互作用。
広告業界の人です。
元電通のはあちゅう(伊藤春香)さんが、元電通のクリエイティブディレクターである岸勇希さんのパワハラを実名で伝えるという、勇気ある行動をしました。はあちゅうさんはインフルエンサーとして電通から仕事を直接的にも、間接的にも受けている可能性が高いので、仕事を失う(かもしれない)中でこの行動をとったのは素晴らしいことだと思います。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.rsZgEzAX9#.inw64Bypb
邪推になりますが、Newspicksでの特集が行われ、幻冬舎から書籍が刊行され、岸氏のメディア価値が高まるこのタイミングでの発表、Buzzfeedとはあちゅうさん(と背中を押したヨッピーさん)は、かなりの覚悟をもって周到に進めていた感じがします。私は働く一個人として、より本質的な問題解決が行われてほしいと感じています。電通を中心として、業界全体が良くなってほしいと思い、勝手ながら補足説明をさせてください。
広告業界の人としては、この領域にメスが入ったことに快哉を叫びたい気持ちでいっぱいです。なぜなら、広告業界はこうしたパワハラ/セクハラが横行しているから。そして、昨年の電通騒動で問題になったのは主に「長時間残業」であり、パワハラが問題として矮小化されていたから。
電通が発表している労働環境の改革は主に時短や働き方の弾力化がほとんどとして発表されています。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4015/
7月のクローズアップ現代でも、そのほとんどが働き方に関することであり、パワハラの文字は見えません。高橋まつりさんの問題に関しても、不適切な残業が原因としており、高橋さんのTwitterで確認できたような、パワハラやセクハラに関することは対外的な問題として受け止められているようには感じません。
しかし実際はこうしたハラスメントが横行しており、電通をはじめとした広告業界の中における「弱者」は大きな被害を受けているのが実態です。
広告代理店の仕組みは業界内にいないとわかりにくいかもしれません。様々な強者と弱者が存在し、さまざまなカタチでハラスメントが行われています。
今回の岸氏-はあちゅうさんの関係はこれにあたります。一般企業にも存在する関係性です。ただし広告代理店で特にこれが激しい理由は後述します。
多くの代理店社員は学生と関係することはありませんし、総合商社のように社員が採用に対して推薦するというような仕組みがないため、学生に対するセクハラは構造的には起きにくいのですが、一部の広告代理店の権力者は異なります。岸氏がBuzzfeedの記事で「カンヌ広告祭にインターンを連れて行った」という記載があります。(岸氏は直接的関与を否定していましたが)
広告業界は個人の力が強くなりやすく、かつクリエーティブはその中でも特権階級のため岸氏のようないわゆる「スタークリエイター」的な存在には絶大な権力が存在します。こうした権力者は採用に対して意見する力を持っている人もいます。こうした権力者は岸氏に限らず多く存在します。
https://twitter.com/UfG7GCzb7Oupjyz/status/942341326497923072
例えばTwitterで話題になっている博報堂で若者研究を行っている原田曜平氏なども似たような権力者でしょう。(真偽はわかりません)
電通、博報堂、ADKにはクリエーティブのインターン採用が存在します。こうしたインターン採用にまつわる問題は存在する可能性があります。Buzzfeedの記事にも記載がありますが、岸氏も「インターンで学生相手にやり過ぎたから、さすがに電通から切られたのでは?」という噂が本当かどうかわかりませんが業界内ではまことしやかにささやかれていました。
広告代理店はテレビ局や新聞社から広告枠を仕入れて、一般企業に販売しています。これが「代理店」と言われている理由です。基本的にはテレビ局や新聞社にとって広告代理店は「枠を買ってく売ってれるお客様」です。従って広告代理店の方がメディアより一般的には立場が上のように感じますが、テレビ局や新聞社と広告代理店は深い関係にあり、実情としては持ちつ持たれつです。事実、大手代理店にはテレビ局や新聞社の関係者が多くコネで採用されています。こうしたテレビ局や新聞社の役員や局長、部長クラスから、広告代理店の若手メディア担当は強烈なパワハラ/セクハラを受ける例が多いです。
(おそらくこうした問題は最後まで報道されないことでしょう。代理店同様に、マスコミも自浄作用に乏しい業界ですし、上述したような力関係で代理店側から訴えることは難しいので)
広告代理店において広告を出してくれる一般企業はお客様であり、クライアントと呼ばれています。つまり、立場は圧倒的に上です。広告代理店が広告を出す企業に対して強気に出ることはまずありません。これが長時間労働の温床になっていた「徹底的な御用聞き営業」の実態です。NOと言わないのですから、なんでも仕事が積み上がり、労働時間が増大します。
これと同時に存在するのが、クライアント企業のエグゼクティブからのパワハラ/セクハラです。持ちつ持たれつなメディアとは異なり、明らかに立場が弱いので、営業は厳しい立場にありパワハラやセクハラを受けやすい環境です。セクハラは言語道断ですが、難しいのは「パワハラと業務の注文」との境界線です。この狭間で多くの営業が心を病んでいます。
3と同様、この問題も明るみに出にくいでしょう。その理由は下記の通りです。↓
https://twitter.com/fladdict/status/942317902799060992
広告代理店は様々な業務を請け負うため、下請け会社を多数並行で使うハブ的な立ち位置になることが多いです。そんな下請け会社はクライアント相手と反対に、代理店から仕事をもらう立場ですから、立場が弱いです。つまりセクハラやパワハラが非常に起きやすい環境です。事実、代理店内では下請け会社へのパワハラやセクハラでの懲戒は多いです。(セクハラ/パワハラだけでなく、金銭の着服といった事件も存在します)
そもそもテレビ局などのメディアを含むマスコミという業界が、現代のネット隆盛まで実態が謎に包まれており、問題が表面化しにくかったことが大きいでしょう。結果的に自浄作用が非常に低く、問題が放置されていた現状があります。それだけでなく、人間対人間のトラブルが起きにくい産業構造であることも大きいです。いわゆるメーカーなどと異なり「代理業」が主であることから、自社の商品というものが基本的にありません。結果、人間が大きな変数として存在することになります。(コンサルなどと同様の産業構造です)そのため、人間関係が重要になりハラスメントが起きやすくなります。
様々なパターンがあり、広告代理店内には加害者と被害者が混在し、ある面では被害者が、加害者になることもありうる環境にあります。広告代理店内からハラスメントを根絶するためには、このすべてを是正しなくてはなりません。様々なハラスメントが起きやすい業界だからこそ、どの業界よりもハラスメントに厳しくなくてはいけないのですが、結果的にどんな業界よりも緩い・・・だからこそハラスメントがそこかしこで起きる、という実態があります。企業ガバナンスそのものを変える覚悟を持たなくてはならないのです。
ニコニコ動画は、インフラ等の基礎の面で、体力的(財務的)に、
技術的に競合サービスに競り負けつつある、という言説には一定の確からしさがあるように思う。
その姿は、PlayStation 2やXboxの狭間で沈みつつあったゲームキューブの頃の任天堂に重なる。
映像美やマシンスペックを追いかけるハードウェアの開発競争は体力勝負的な面がある。
当時の任天堂は財務体質的には立派でも、ソニーやマイクロソフトのような国際的な大企業と
競い合うほどの技術を自社で抱えるための投資は難しかったと思われる。
任天堂はある時、具体的には、ゲームキューブの中期以降からそのレースをイチ抜けたと降りてしまった。
当時誰かがインターネットで書いていたが、マラソンレースの横でいきなり、卓球を始めてしまった。
その象徴が、ゲームボーイアドバンスで出た『メイドインワリオ』のような作品であったり、
任天堂は技術力、もしくはその背景にある資金力で戦うことをやめ
自分たちの強み(ローテク・低画質だけど面白いゲームやハードウェアとソフトウェアの一体感だとか)で勝負をしだした。
その戦い方は常識はずれの破れかぶれな戦いのようにも見えたが、その後10年以上、浮沈を繰り返しながらも一定の成果を出してきた。
ただ、声が聞こえていたとしても、ユーザーの希望に答えて画質・インフラを上げていく先に、未来はあまり拓けなさそうだ、と私は思う。
「マラソンには周回遅れでついていくくらいでちょうどいい、ローテクでも、自分たちの強みを伸ばせる技術を深めることが先だ」
それはつまり、マラソンレースの横の卓球台を選択することであり、かつて任天堂が活路を見出した場所だ。
ユーザーは自分たちの欲しいものは知らない、というのはちょっと引用するのもはばかられるくらいに知られた言葉だけれど、
やっぱり、ユーザー自身が知らない需要に光を当てることにサービス開発の面白さがあり、
今回は、果たして発表されたものが「強みを伸ばすサービス」であるのかどうかは私にはわからないし、
また、発表会での伝え方や今までのユーザーコミュニケーションにも問題はあったのだろう。
ただ、今のニコニコの方針は、その環境を踏まえるとそれほど悪手ではないと感じるし、
それ以外に未来につながる手もないように感じる。
現実的には、手に職を得る=公にまもられた既得権益層になることなんだよね。オツムのレベルに合わせて選択肢はそれなりに用意されてるし。
そうやっていつの時代の大人も「フロンティア人材たれ」とか言って若者を煽り続けてるけど(最近でいうとデータエンジニアリング人材)、
ついついそれに乗せられちゃったまではいいものの、当時はまだ端も見えないぐらい最先端だったはずの技術がコモディティ化しちゃって、
おっさんになってから自身の有能・無能の狭間で息切れしてメンタル的にヒーヒー言ってる人は多いと思うのよね。元増田も含めて。
ここで社内でその筋の大家と目されたり管理職ゴールに乗れない人は、絶え間なく現れる先端技術と老化ですり減り続ける自分の才能と格闘し続けることになるから。
ノートの文字がかすれて消えそうだからここに置いておく(一応ネタバレ注意)。
二人の子供から二人の大人へ。最終章「Adulthood」をクリアした。
あの出来後のと翌朝。二人でインスタントの朝食を食べ登校する。二人で登校したことで Hanako は注目を浴びてしまい逃亡してしまった。
学校をサボって公園を歩き考え続ける Hisao。考えていたことは二人の間の壁について。昨夜の出来事があったといえども二人の間には互いを理解することを妨げている壁がある。Hisao は Hanako と話をしてその壁を壊したかった。後ろから声をかけられる "H...Hisao"。
Hanako も外出をして公園に来ていた。Hisao の前から逃れて、結局出会ってしまう。とうとう Hanako 自身の気持ちを尋ねる Hisao。Hanako の返答は彼の思い込みを打ち砕くものだった。
あの夜の出来事は Hisao の大切な人になりたかったから、他の人より私を見て欲しかったから、庇護の対象ではなくて一人の女性として扱って欲しかったから。Hanako の告白は Hisao を強く動揺させた。そして告白をした彼女自身も、そんな自分に対して嫌な女だと自覚していた。
"Was... I wrong?"
もちろん彼女は悪くないと思う Hisao だが言葉が出てこない。Hanako の告白は続く。家事の前までは少ないけれど友達がいて周りとちゃんとやれていたこと。大火傷を負ってからは全てが変わったこと。周りからの反応で深く傷ついたこと。傷つくことを拒否するために人と関わることを止めたこと。自分が消えてしまえばいいと分かっていたが、人との関わりを止める方がより簡単だったこと。Yamaku 学園に行けば再び社会との接点を見つけられるかと思ったこと。そして Lilly に出会ったこと。Lilly と出会って友達になれたけど、Lilly は Hanako ができないことをなんでもできてやっぱり自分は useless だと思い知らされたこと。そして Hisao に出会ったこと。Hisao も Lilly と同じで Yuko と簡単に仲良くなれたりして、自分はすぐ不要なものとして切り捨てられてしまうと思ったこと。それは嫌だったこと。誕生日は世界中の人が疑いもなく正しくて幸せだと思い込んでいるので、useless な自分はとてもつらかったこと。朝、ベッドで寝ている Hisao を見て、やっぱり自分は切り捨てられてしまうと思ったこと。
そんな Hanako に Hisao は衝撃を受ける。今までか弱くて自分が庇護しなければと思い込んでいた Hanako は守られたいと願う子供ではなかった。
語り終えて下を向く Hanako に対して Hisao は振り絞って語りかける。
Hanako がパニックを起こした時心配したこと。寮の自室に閉じこもった時は彼女に拒絶されているのではないかと感じたこと。それからいろいろ考えたこと。
そう言う Hisao に対して Hanako は思わず叫ぶ "I wasn't rejecting you!"。
Hanako がつらくて悲しくて Hisao を押しのけてしまった時も Hisao は彼女を捕まえていてくれたこと。そんな Hisao や Lilly 達の重荷にはなりたくなかったこと。それは Hanako の心からの叫びだった。
二人の間にあった壁は崩れた。壁を崩すのに痛みがともなったがとうとう二人は正面から向き合った。
Hisao は続ける。心臓の異常が発覚した時とても怖かったこと。社会から切り離されて Yamaku へ来て自分の人生が一度壊れたこと。でも Hanako と出会って一緒に過ごして友達になって再び自分を取り戻したこと。そして失ったからこと Hanako と気持ちを通じあわせられたのだと。
ずっとずっと自分は useless だと信じていた Hanako はこの言葉を聞いて座り込んで泣き出した。そしていっぱいメチャクチャにしてごめんなさいと謝る。Hisao は彼女を抱きしめてそんなことは言わなくていいという。
そして自分は useless なのにと言おうとする Hanako に
"You're my firend, Hanako! You're... No, you're more than that. I love you, Hanako."
泣き続ける Hanako に Hisao は寄り添う。Hanako はずっと自分は必要な人間だと言って欲しかったと泣く。
ようやく泣き止んだ Hanako に Hisao はいい天気だからこのままクラスをサボろうと提案する。でも……と迷う Hanako に対して大丈夫謝ればいいだけだよと言う Hisao。そんなことができないと拒否する Hanako。だが Hanako はやれる、絶対できるし、力が必要なら自分を頼ってと言う Hisao。そして二人は同じ道を歩いているんだから互いに助け合うのは当然なんだと言う。
公園を抜けて商店街を歩く二人。互いにたがいを横目で見つめながら歩く。なにかを思案しているように見える Hanako に何を考えているのかを聞く Hisao。立ち止まり一心な表情で Hisao に答える。Hisao に私からあげることができることがあると思う。でもそれにはすごく長い時間がかかると思う。だから恥ずかしいけれど、これが最初の小さな贈り物。
Hanako は Hisao の肩に両手を置き、ゆっくり顔を近づけた……
(Fin.)
Hanako 編は図書館から始まる。図書館で見かけた Hanako は夢中で本を読んでいた。クラスメイトだと思い出した Hisao は同じ本好きとして Hanako に話しかけるが、全力で逃げられる。
Lilly と出会い再び Hanako と Hisao 。 Hisao - Hanako - Lilly と三人の生活が回り始める。
基本的に仲良くなる→逃げる→もっと仲良くなるというのが Hanako 編。
彼女の逃避は後半になるにしたがってより深刻さを増す。
1. Lilly
Hanako の一番の友人。より正しくは唯一(Yuuko も一応友人だが)の友人。目が見えないのでよく Hanako が買い物に付き合う。
優美な身のこなしでありハイソな雰囲気を持つ。実際言葉遣いがとても丁寧。外見もスコティッシュハーフであり金髪アンド碧眼アンド長身でスタイルがいい。
Hisao と Hanako の隣のクラスで class represent を勤めており、Hanako と異なり交友関係も広い。
Hanako は Lilly のそんな万能っぷりを頼り、あごがれ、そして対照的な自分に対して無力感を抱いている。 Lilly にとって自分は価値のない人間だし彼女の重荷にはなりたくないと思っている。
Lilly は、 Hanako は守ってあげなくてはならないけれど、このままでは Hanako にとって良くないとも感じている。
Lilly は Hisao が現れたことで、 Hanako に良い影響が起こることを願っている。
2. Hisao
つい数ヶ月前まで健常者だったが、突然心臓病を発症しそれまでの社会から切り離される。そんな彼為のために両親は障碍児のための学校 Yamaku 学園に転校させる。見慣れない disable (盲目、手足の欠損、聾啞)にはじめは驚いたり疎外感を感じたりしたが、それぞれのユニークな個性を知るにつれて(足を使ってすごい絵を描く Rin、義足なのにものすごく足が速い陸上部のエース Emi、目が見えないが深い洞察力を持ちできないこととできることの違いを見せてくれる Lilly、聾者だが生徒会長を務める Shizune) disable について理解をしていく。
やがて Hanako、Lilly と仲良くなりともにボードゲームをしたり、お茶をしたり、誕生日会を開く仲となる。そしていつしか Hisao は Hanako の力になりたい、守ってあげたいと思うようになった。
しかし Lilly が家の用事でスコットランドに滞在している間、 Hanako の誕生日が来て、 Hanako の態度が急変する。順調に Hanako と friend-ship を築けていると思っていた矢先に Hanako は教室から姿を消し、自室に閉じこもる。 Hanako との関係が壊れるのを心配する Hisao だがどうすることもできない。 Hanako が姿を消してから Hisao はこれまでのことについて初めて考え始めた。そしてこれからのことについて自分が取るべき道を探し始めた。
自室から外へ出てきた Hanako だが、 Hisao は相変わらず彼女と自分の間に壁があるのを感じてしまう。なんとか Hanako に彼女のことを理解したいと願っていることを伝えようとして、 Hisao は自分の胸の傷を彼女にさらす。自分も傷を負っているから Hanako は独りではないと伝える。
Hisao の傷に触れた Hanako 。また一つ二人の絆が深まったように感じた。
数日後、図書館で勉強していた Hisao 。やってきた Hanako に、 Hanako が自室にこもっていた間ずっと考えていた彼女の過去について教えて欲しい、と Hisao は言った。ずいぶんとためらったがとうとう Hanako は真剣な表情で語り始めた。
多くの生徒が下校をして静かな校舎の中を二人で歩きながら、 Hanako は昔の火事について Hisao に語り始めた。深夜に突然火が出たこと、熱から逃れようとして体を丸めて小さくなっていたこと、彼女の両親が彼女に覆いかぶさって守ってくれたこと、体の半分だけ助かったこと。
二人はいつしか Hanako の寮の部屋まで来ていた。入室を躊躇する Hisao に対して Hanako はドアの鍵を閉めてと言い、カーテンを閉じる。そして大きく息を吸い、覚悟を決めると、ブラウスやブラジャーを順番に脱ぎ落した。 Hisao が彼女に傷(心臓手術)を見せたように彼女も傷(火傷)を見せたのだ。
そんなことをする必要は無いと言う Hisao だが、 Hanako はこれが私だからと傷を見せる。そして二人は......
(二人のプレイの後、息も絶え絶えな Hisao は心臓発作の兆候を感じていたところがリアルだった)
はじめは Hanako を守ろうとしていた Hisao だが、結局それは間違いだった。
守るというのは守る人間と守られるべき人間の関係だ。その関係は非対称であり、守る者は守られる者に対して優位な力を持つ。
3. Hanako
出会いはひどいものだった。話しかけられて、自分の空間に入られて、そして目が合ってしまった。
"I..."
"I...I..."
"Ivegottogodosomething!"
Hanako 編に入ると Hide and Seek (かくれんぼ)という Act がある。彼女と親しくなるということは Lilly や Yuuko そして彼女自身の中に隠れている Hanako を見つけ出すことだ。いろんな彼女がいる。
Life of Pie を読みふける Hanako 、チェスを好む Hanako 、ドールが好きな Hanako 、 Lilly とお茶を飲むのが好きな Hanako 、外へ出る時は顔が隠れるように大きなキャスケットを被ること、火傷の痕を隠すために左側を歩くこと。
何を書いているのだろう。まとまって体系だったことを書かなくては。
Katawa Shoujo とは disable である人々が able であることに焦点を当てた作品だ。例えば Emi は両足が膝より下がないのに、競技用義足で誰よりも早く走れるし、 Shizune は聾唖者であるがクラス委員と生徒会長を務めあげる才媛だし、 Rin は両腕が無いのにもかかわらず足で見事な絵を描く。そして Hanako の親友の Lilly は、全盲を苦ともせずクラス委員であり友人も多い社交的な女性だ。
皆ハンディキャップをかかえながらできないことを嘆くのではなく、できることで生活を組み立てている。
それでは Hanako の disable と able は何なのか。実は Hanako には先にあげたヒロイン達のような disability は無い。右半身に皮膚がひきつれるひどい火傷の痕が残るが五体満足であり、他のヒロイン達のような明快なハンディキャップは無い。では Hanako の able は何か。目が見えること?耳が聞こえること?意外と足が早いこと?両腕があること?そう Hanako の able とはそれだけなのだ。 Lilly しか友人はいないし、他人の視線が怖くてたびたび授業を逃げ出すし、人から話しかけられると赤面してしどろもどろになる。 Hanako とまともに会話できるのは Lilly と Yuuko 、Lilly の姉 Akira、そして Hisao のみだ。Hanako の disable とは able の裏返し、彼女は肉体的に able ではあれど精神的に disable なのだ。
どのヒロインも多かれ少なかれ悩みや心の傷はあるが、 Hanako は突出して深く、彼女のストーリーは見えない心の傷とその象徴である人目を惹く火傷の痕をメインテーマとして進む。
Hanako は過去のトラウマ(フラッシュバックに襲われて痙攣するレベル)のせいで、火傷の痕を見られることをひどく嫌がり恐る。そのため、普段は髪の毛で顔の半分を多い、人目が多い場所に行く時は大きな帽子を被りLilly の左側で小さくなり、顔の右側にある火傷の痕への視線を遮ろうとする。彼女が心を落ち着かせることができるのは、親しい友人と部外者が来ないところでひと時を過ごすことだけだ。悲しいことに、自分の部屋では外部からの侵入者を防ぐことはできても、彼女を苦しめる悲しい思い出が甦るのは防げないのだ。
彼女の disable は他のヒロイン達が外見上のものに対して内面的なものだ。その disable の根本の大火傷が彼女の全てを変えた。親を奪い家を奪い社会を奪った。そしてそれは主人公の Hisao との共通点だった。disable が二人の出発点だった。
「Disable」で Katawa-Shoujo のテーマとは disable の中の able であると説明した。そして Hanako は disability を持たない代わりに able が disable になっていることを例をあげて紹介した。ここからはそんな Hanako の数少ない able から彼女の内と外を考察する。
Hanako と初めて言葉を交わしたのは図書館でだった。図書館は Hanako にとってクラスからの逃避先であり、本は現実からの逃避先だった。そして読書は Hisao との共通の趣味であった。
本編の中で特徴的であるのだが、物語が進み Hisao と Hanako が仲良くなるにつれて、 Hanako が図書室へ逃避する回数が減少する。 Hisao たちと外へ出たりして内から外への変化が見られる。しかし図書館に来る描写はあるので、本から卒業したというわけではない。本は逃避先から趣味になったというべきだろう。
振り返ると Hisao と Hanako が交友を深めるのはゲームを通してだった。空き部屋でチェスをすることで友達になり、パブでビリヤードを遊ぶことで Hanako の意外と子供っぽい内面を知り、アンティークスタイルのチェスセットを贈ることで喜ぶ顔を見た。
いつも Hanako は感情を顔に出さず、自分から積極的に出ることもない。Shizune & Misha につつかれても困ってちぢこまるだけだし、知らない人に話しかけられると逃げるし、人に何かを協力してもらうこともできず独りで作業をする。
しかしゲームで遊ぶときの Hanako はかすかに笑み、時には自信を持って駒を動かす。その普段とはちがう姿は Hanako の本来の気質---人見知りだけど、活発で、遊びに夢中になれて、ちょっと子供っぽい性格が浮かび上がる。
Katawa-Shoujo では多くの登場人物は高校生だ。高校生というのは肉体的には大人であり精神的にはまだ子供であるという、大人と子供の狭間の期間である。そのためシナリオでも子供から大人への成長を軸とする。 Hanako 編では最終章が「Adulthook」である通り、 Hanako そして Hisao が大人への一歩を歩み出すことがエンディングを通して描かれる。
「大人になる」にはいろいろな意味がある。例えば成人することは社会的地位を手に入れるということだし、親元を離れたことに対して「大人だ」と使われることもある。それでは Hanako と Hisao の場合はどのような意味で「大人になった(子供を卒業)」のか。これには Hanako 編の主題である体と心が深く関係する。
よく知られた「大人になる」として男女ともに性交を経験することがある。Hanako 編においてもこの意味で二人は大人になった。共に痛みを経験し( Hanako は処女喪失。 Hisao は軽い心臓発作)一夜を明かしたことで二人は次のステージにシフトしたかに見えた。しかし後に分かることだが、二人は未だに子供のままの関係だった。
子供(children)という言葉は、作中で直接しかも Hanako の言葉として現れる。
```
"All I ever was to you was... a useless person. Just someone... to protect. Someone like... a child."
```
小さい頃に火傷の原因となった火事により社会と切り離され、そのまま子供のまま育った Hanako は、 Hisao に庇護が必要な対象(=子供)としてではなく友人以上の人として見て欲しかったから自分の傷を全て見せたという子供のような思いを告白する。 Hisao はこの告白を聞いて自分が全く Hanako のことを理解していなかったことを痛感する。 Hanako の外面的性格ばかり見ていて Hanako がどう感じているかを考えていなかったこと。
しかし Hisao が自分の病気のことその心情を同じように告白したことで、二人は互いに理解し合えることを確信した。そして自分か相手かでしか考えられなかった二人は、自分と相手を同じ道の上の存在として考えられるようになった。
Hanako 編では心をもって「大人になる」ことが提示される。
Hanako は声をあげて泣くことで子供時代に別れを告げた。そして大人の最初の一歩としてラストシーンの最初のギフト(てれる)を Hisao に送った。
Hanako のことを語るには子供と成長についてが欠かせない。
子供の頃の Hanako は人見知りするけど純粋で好奇心が強い子だったのだろう。しかし火事で人生を曲げられ、社会から切断され、その気持ちのまま体だけ成長した。自分の生きる意味を見失い、自分を守るため人と関わることを止め、ただ耐えていた。
Hanako が語る言葉に裏はない。 Hanako の世界は見たままの世界だ。トラウマのフラッシュバックに襲われたときには自分を責める自分の声を周囲に放射するけれど、それが嫌だから鬱の期間は自室にこもる。
フツウならばたとえ Hisao がテキストとノートを机に広げていたとしても、勉強より Hanako とのやり取りを優先すると気づくだろう。また茶目っ気のある性格ならばそのことをからかうように勉強しているじゃないというだろう。でも Hanako は見たままを見るのだ(But...)。
成長という言葉を使ったが、作中では Change が使われていた。 You can change という具合に。
変わること、変わるものはいつも Hanako の周りの世界だった(ムービーをみよ)。世界はすごい速さで動き続け彼女はその流れに乗れなかった。しかし Lilly と Hisao に出会ったことで、自分でも自覚しないうちに彼女は変わっていた。授業を逃げなくなったこと、自分から話しかけるようになったこと、きわめつけは Hisao を電話でお茶に誘ったことだろう。そして何より彼女の気持ち「友達では嫌」。
"If... if you're not busy... I-I was wondering if y-you would... l-like to... m---"
噛みっかみである。)
エンディングで Hisao は Hanako に変われると保証する。このとき Hanako もいつしか自分が変わっていたことに気づいたのだろう。
三連休はとうとうなんにもできなかった。
文字通り、寝転がって息をしているだけで精一杯だった。
もうすぐ3ヶ月で買った電車の定期が切れる。
そのまえに私も死んでしまいたい気がする。期限切れだ。
でもそのつぎは?
私はちっとも若くない。それでいて誇れるほどのスキルもない。
今の状況を打開できる能力も根性もない私が、この先をどうする気なのだ。
鬱病で休職するのは簡単だ。でもそこから帰ってくる場所なんてない。
今勢いの強いあの人の下で働くくらいなら死んだ方がましで(そもそも私のことは辞めさせたいだろう。ねちねちしたやり方でそれを実現しようとするだろう)、
苦し紛れに一度行った占いで、「周りが変わってくれるなんてことはない。自分から変わるのだ。」と言われた。
そういうもんかもと思う。でもできない。
なんだかもう疲れた。
この先のことをなに一つ考えることができない。
遺書の内容を考える。
そのまえにいろんな人に謝らなきゃ、と頭をよぎる。
出席することになっている結婚式。
行けなくなってしまった、ごめんね、って連絡しなくてはいけない。
そうまで考えたら、それは悪いよな、って不意に思った。
ささやかな楽しみを繋いでいる。
でもしんどい。
それは悪いよな、好きな人たちに悲しんでほしくないな、という思いと
でとしんどい、もう無理、甘ったれの根性なしで構わないからもう降りたい、の狭間にいる。
もうすぐ乗り換え駅につく。
たぶん今日も私は死なない。
遺書の文案だけ延々と考えている。
愛海「あたしも行ったよ」
卯月「愛海ちゃんその同僚のアイドルの握手会にお客さん側で参加する技なんなんです?」
愛海「765プロダクションの人に教えていだいたんだ」
卯月「で、そのときの話なんですけど、一人のお客さんが遅刻されたんです」
愛海「うわーかわいそー。下世話な話だけど、割とするもんね」
卯月「そうですね。私にそれだけの価値があるのかないのかは兎も角、割とします」
愛海「でも入場でスタッフさんに止められるでしょ」
卯月「はい。でも、あの時の会場はたまたまそのやりとりが見えるんです。
それで…… スタッフさんがもう時間が過ぎてるからダメだよって伝えたんですけど」
愛海「こればっかりはね」
卯月「はい。仕方ないんですけど、そのことが楽屋で話題になったんです」
愛海「ニュージェネの三人で?」
卯月「未央ちゃんが少しぐらいサービスしてあげればいいのにと入れてあげるべきだと主張しました。
凛ちゃんはそれを言いだすと後五分もう十分とキリがなくなるから仕方ないと言っていました」
愛海「らしいなあ。それで、卯月さんは?」
愛海「そんなの認められないよ、認められないからアドレス交換だけして後からファンの子のお山をうっひひひっ」
愛海「未央さん派かなあ。設営と後片付けがあるからスタッフさんの意見を尊重しないといけないから、そうするか否かはあたしが決めることじゃないけど、
卯月「らしいですね」
愛海「それで?」
卯月「私は演者である私たちにそれを考えさせないで欲しい、と思いました」
愛海「それは…… どうなんだろう」
卯月「だって、私のワガママでお客さんを一人後から入れたせいで、スケジュールがどんどん後ろ倒しになるのは嫌ですし、
かといって私の目の前でお客さんが落胆するのを見るのも嫌ですもん」
愛海「そうだけど、そうだけども…… でも、そうだなあ、あたしもしたいことやりたいことが全部できるわけでないしなあ」
卯月「結局、アイドルといっても、プロデューサーといっても、自分で出来ることって少ないですね。
私は演者でしかなくて、ステージの上やその場にしか携われないから、全部を管理する立場じゃないんですもん」
愛海「そうだね、それはすごく思うよ。ステージの上でお客さんが見るのって全体の1割ぐらいしかないんじゃないかな」
卯月「でも、お客さんにとっては、それが全てもあるわけで。
愛海「なるほどね。だからこそ、あの入場のゴタゴタをアイドルに見せるのは不要なインプットであり、本来アイドルの考える仕事じゃないってことかな」
卯月「はい。プロフェッショナルとして、私の仕事じゃない部分はそうだと認めて、他のプロに任せるべきです」
愛海「それで、それをプロデューサーはなんて言ったの?」
卯月「まだ聞いてません」
愛海「うーん、どう答えるだろうね」
愛海「ええええ!?!? ちょ、ちょっと待って、これ真面目な話じゃないの?」
卯月「前振りです」
愛海「えー、時間もうないよ」
ラジオネーム「雷句誠の自尊心と安野モヨコの性欲の狭間で」さんから頂いた、握手会に遅刻したファンへの対応。
卯月「ラスト二。ラジオネーム「私と手塚るみ子どっちが好きなのよ! と世迷言をほざく竹熊健太郎」さんのメール。
『光画部時間だから! ほらカメラ! 光画部時間だから! ほらカメラ!』」
卯月「ラスト。ラジオネーム『大高忍 個人撮影 でワード検索したあと再生時間でソートしても三十分以上の動画がでてこないよ!? なんでなの!?』さんの、握手会に遅刻したファンへの対応。
『私たちは今ここにいて。
それぞれ目標も考え方も違ってて、それでもこの握手会のためにみんな集まったの。
それが今なんだよ。
誰か一人でも欠けちゃったら次のステージへは行けない。
その前にやっぱり私だから、
全員で走り抜きたい!
愛海「握手会への熱に実感がこもってそう」
卯月「というわけで、今週もニュー」
愛海「乳」
「8月、どうやって暮らせというのだろう。」
8月契約期間が切れる間、どうやって喰いつなぐかバイト雑誌とにらめっこだ。
腐った人も多いが、それは頭の中がお花畑なだけだ。
合わせ技と言って文章をしめくくっているが、
あなたの身に起こっているのがどれだけ想像していたものと違うかは
わからないが、
「非常勤」と「「(モンスターペアレント、部活動指導、教育改革などになる)教員のブラック労働」」が
どこが重なるのだろうか。非常勤の人間はどれにも責任を負えないし、負う必要もない。
まじめに生きろ。
どうでもいい存在になりたくなければ、
非常勤は人の幸せなんて願える存在だなんて思っちゃいけないんだ。
なあ、あんたも少しずつわかってきたろ?
それがどうしてもいやで変えたくもないなら、去りなさい。
いいことないよ。
これが自分らしさと 格好つけ飾っては
この思いはリセットして
「僕を手放すのは僕だ」
胸に強く言い聞かせた
後ろ指さされても 前だけを向けるような
すげーな。
改めて説明するとサクラダリセットってのは大体10年ぐらい前にちょっと話題になった小説だ。
だけどラノベなんて読んでるような層からすつお同じような時期に出た紫色のクオリアに完全に食われる形になっていた。
そして密かにこの2つとセットでループ物ラノベの傑作として扱われていたオール・ユー・ニード・イズ・キルはいつの間にかハリウッド映画に。
シリーズ化こそしているもののサクラダリセットは中途半端な立ち位置に取り残されることになっていた。
そんでまあ10年ぐらい経って溜め込んだ原作を2クールで遂にアニメ化したぜヒャッホイ!こっから大逆転!ってな訳だが……
その答えはもう決まってる。
サクラダリセットだ。
ループ物がエロゲ業界で廃れだし、アニメ業界でまどマギという形で流行りだすまでの狭間の時代に生まれ時代の波に何とか乗るもいつの間にか本棚の隅に忘れ去られてサブカルクソ野郎気取りキモオタのカッコつけアイテムに成り下がっていたサクラダリセットだ。
狂ってるねROCKだ。
この作品の物語とは無関係な歌詞が随所に含まれていながら、コレ以上無い程にこのアニメに相応しい詩に仕上がっている。
アニメのOPってのはその作品のためにあってこそ素晴らしいと俺は思うが、この歌はまさにサクラダリセットという忘れ去られたサブカルクソ野郎向けオサレ風味キモヲタ小説の2クール目に最高にピッタリだと思うね。
その度に困るのが脱いだ浴衣の処理。これにいつも悩まされる。
日頃の疲れを取るために行っているので、極力だらけて過ごしたい。
もうハッキリ言って浴衣をたたむ、それだけでも面倒な気分。
でもいい宿は今後も利用したいので宿の人を不愉快な気持ちにもしたくない。
お姑さんはできるだけピッチリ片付けて出る。掃除まで始めそうなレベル。
せっかくの旅行で折り目の事まで考えてものを畳んだりしたくない。
対して夫は正反対。料金のうちだから浴衣は脱いだままでもいいんじゃないかと言う。
でも脱いだまんまの浴衣を四方八方に散り散りにしていくのは良心が痛む。
さて、どうしよう?どのくらいの散らかし方が常識の範囲なんだろう?
それを一か所に固めてさようなら~ってチェックアウトしたい。
浴衣って汗でじっとりしてる事もあるし、一緒にまとめておいていいのかな?って思ってしまう。
でもそもそも山になった衣類の塊を横目にチェックアウトするって謎の罪悪感を感じる。
いい宿に泊まると浴衣の枚数も増えるし、かと言って湯上りの新しい浴衣って気持ちいいからやめられない。
フェイスタオルはタオルかけが大概あるからいい。問題はバスタオル。大きすぎてタオルかけにかけられない。
じゃあどこに置いておこう?畳の上は気が引ける。布団の上なんて論外。
椅子の背もたれにかける?竹で出来てたりしたらいいけど、他の人も使うのにこんなものをかけるのはアリなのかな?
さていよいよ置くところが無い。とりあえず畳んでテーブルの上に置いておく?テーブルの上にバスタオル…。グレーな気がするけど他に置くところも無いし…と置く。
他にもゴミ箱に缶やペットボトルは入れていいのかとか、布団敷きっぱなしの所はどの程度整えた方がいいのか(これも出来れば起きたそのままの状態でチェックアウトしちゃいたい)、
そもそもクリーニングとか収納の事考えると下手に手を出さない方が親切なのか!?とか、
もういっそ汚れ物はここに突っ込んでくださいとか書いてある籠があればいいのにとよく思う。