頭悪い人や子供なんかは本当だと勘違いしてしまうケースが有り、度々問題になる
いや実際の所芸人もやり過ぎる人が居るので、本当にプロレスなのかどうかは定かではない
視聴者も「これはプロレスだ」と100%わかっているわけではないはずだ
むしろそういった「どうせヤラセだという安心感と、若干の恐怖」がいい塩梅でエンターテイメントになっているのだと思う
「きっと嘘だけど、ひょっとしたら」というのが楽しさになる
これは不思議なもので、例えばイジメ自体に嫌悪を覚える人でも、イジメの「振り」は楽しめたりする
エンターテイメントの歴史とは、そういう人たちとの戦いの歴史でもあると思う
もちろん「分からない人」が常に悪いというわけではない
ボーダーラインというのは人によって違うんだ
悪ふざけが過ぎる人に嫌悪感を覚えるのと同じで、人によっては皆が楽しめるラインで嫌悪感を覚えるんだ
かと言ってその人のボーダーに合わせたら何もできなくなってしまう
彼らの存在はそれだけで場を白けさせる
ゲームや創作に影響される人、現実と区別がつかない人は一定割合居る
ゲーム業界ではどうにかそういうのを回避しようとゾーニングが行われている
個人のボーダーラインや、現実と虚構の区別が付くかは加味されていない
これから先のエンターテイメントが生き残るには、彼らを制御しなければならないのかもしれない
彼らは「嫌悪」し「区別がつかない」ので、義憤にかられて突撃してくる
最近は、彼らの見つからないマイナーな場所でエンタメを発達させる手法が上手く行っていたが
もうそろそろそれも難しいのかもしれない
情報はSNSで簡単に拡散され、簡単にそれを海外メディアが取り上げる
彼らは確かにマイノリティではあるが、炎上してしまうと突撃者の数はとんでもなくなってしまう
より強い仕組みのゾーニングが必要なのだと思う(手段はまるで思い浮かばないが)
また、制御しなければならないのは楽しむ側にも居る
「嫌悪」はしないが「区別がついていない」人が、真似をしてしまうからだ
同意の上でビジネスとしてやっているのかと思ったら、仕事だから仕方なく耐えていたけれど本当は苦痛で病んでた、みたいなハラスメント構造が根っこにあるんだよ。 フィクションは...