「言文一致運動」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 言文一致運動とは

2022-04-30

anond:20220430025805

一応日本語にはなかった概念日本語を造ったり、言文一致運動してた明治学者たちも含めてあげて

2022-04-20

anond:20220420143742

令和の世に言文一致運動とは時代錯誤も甚だしい

じゃあ何か君は学校にある体育用施設をたいくかんって書くのか

2021-10-08

anond:20211007234035

とりあえずググってみたら1890年代くらいの文章がたくさん引っかかった。

島田三郎ほか『近世泰西通鑑』1884年

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/776556?contentNo=219

然レドモ此ノ陰謀最モ熱心ナル助成者ノ一人ハ「ノウゴロド」ノ大僧正「セッチン」ナルカ、「セッチン」ハ俗帝ニ反シテ其ノ管内ニ在ル所ノ衆多ノ法皇即チ道士煽動セリ

今回見つけた中では最も古かった。これはトーマスヘンリー・ダイアーの『History of Modern Europe』の翻訳で、原文では以下のようになっている。

But one of its most zealous supporters was Setschin, Archbishop of Novgorod; who incited the multitude of popes or priests in his jurisdiction against the "profane" Emperor.

天野為之『高等経済原論1891年

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/799370?contentNo=128

「グドウィン・サント」ヨリ成リ世界中最モ不毛土地ナリシ「フランダース」ノ「ペース・デ・ウエース」モ勤労ノ効ニ依リ豊饒ナル性質ニ変シ今ニテハ欧州最モ生産多キ土地の一ト為レリ

こちらはJ・S・ミル『Principles of Political Economy』の翻訳で、原文は以下のとおり。

One of the barrenest soils in the world, composed of the material of the Goodwin Sands, the Pays de Waes in Flanders, has been so fertilized by industry, as to have become one of the most productive in Europe.

最初の「One of the barrenest soils」については「世界中最モ不毛土地」と訳しているあたりに苦心がうかがえる気がする。

田口卯吉『史海 第7巻 光明皇后1891年

光明子は嘗て我邦土の上に生れ出てたる最も明敏なる婦人の一人に御座すなり

日本評論」誌による竹越與三郎『マコウレー』評

https://books.google.co.jp/books?id=y3ljPfzhz6EC&pg=PP11

加ふるに本書の主人公マコウレーは、著者が最も同情を表せる一人にして、其著作は著者が日夕誦読精通する所、其時代は著者が最も熟通せる所なりといへば、本書の著者が本書に置ける得意想ふべきなり。

竹越與三郎『マコウレー』は1893年刊行らしいので批評も近い時期に出たのではないか。「日本評論」は、後の日本評論社の雑誌ではなく、1890年から村正久が発行したという同名の雑誌のことと思われる。

森鴎外『月草』1896年

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/871718?contentNo=235

されどすべての文字上にあらはれたる人心の形象を文学なりとして、新聞紙最も重要なる文学の一つとせむは、文学の義をあまりに広く取り過ぎたるものにて、これがために青年文学会の進歩の多少障碍さらるべきは惜むべき事なり。

竹越與三郎『二千五百年史1896年

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993477?contentNo=128

良房藤原氏中、無学無術、最も拙劣なる政治家の一人なりき。

再び登場の竹越與三郎。今度は本人の文章である

外山正一『藩閥之将来 附教育之大計』1899年

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809188?contentNo=11

リーランド・スタンフォルド」大学ノ如キハ、千八百八十五年ニ「リーランド・スタンフォルド」氏及其夫人ヨリノ莫大ナル寄付金ニ依ッテ創設セラレタル大学デアルガ、今日デハ、米国ノ諸大学ノ中デ最モ盛大ナルモノノ一デアル



このように並べてみても、通説のとおり英語の「one of the most 〜〜」構文を直訳したものから「最も〜〜の一つ」構文が広まっていったように思える。つまり「誰が言い始めたの?」という質問に対しては「明治初期の翻訳家のうちの誰か」が答えになる。明治といえば、いわゆる言文一致運動があったように、まだ「近代日本語」自体が固まりきらず模索されていた時期であるし、またここに挙げた森鴎外田口卯吉・竹越與三郎・外山正一などは、いずれも英語の使える教養であるので、意識的に「直訳」的な表現を取り入れていったのだろうとも思われる。ちなみに、そもそも「〜〜の一つ」といった言い方自体が、英語の「one of 〜〜」から多用されるようになったという話もあるらしい。そうした文体は「欧文脈」「欧文直訳体」だとか言われて研究対象になっているので、気になるなら本格的に調べてみてはどうだろうか。

2021-03-08

anond:20210308191320

教育すれば言文一致運動などせずともそうなった、というのは事実かもしれないけど、教育運動を両方やっちゃいけない理由にはならないし、教育をしなかったという根拠にもならないのでは。

教育言文一致運動両方やったでしょ。

2019-03-23

はてな明治二十年ごろから使われ始めた説がある

もともと日本にははてなはなく文法はてなはなくても問題はないはずである

言文一致運動と関わりがあるのだろうか

2018-09-15

“文才”の正体

「この人は文才がある」は「私はこの人の言っている事が良く分かる」の究極の言い換えに過ぎない。だから評価されたいのなら)大多数の大衆理解できないような難解な文章を書いても意味が無いのだ。少し具体的に言うと、文才文才持て囃される増田は全て「難しい言葉が一つも使われていない」っていう共通点があったりする。これは俺が見てきた限り100%そうだった。そりゃそうでしょ、最初に出した大前提の為には「言葉意味が分からない」なんて一番ダメからね。

あともう一つ。「文才がある」と言われる人は大抵「喋りが上手い」ってこと。例は古いけど松本人志とか永井先生とかがそうだった。だから“文才がある”っていうのは“喋りが上手い”の言い換えに過ぎないのでは?とも思っている。話し言葉書き言葉は分離していく性質があり(だから言文一致運動なんてもの必要になる)、「文才がある」だなんてその書き言葉の技巧を褒めているように見せかけて、実は話し言葉としての技巧の方しか褒めてない…というのは面白いな、なんて思う。

まあ、喋りが上手い(口頭での説明が上手い)奴って大抵、相手の頭の中に今どんな絵ができてるか正確に把握できてて、次に自分がこの一言を発するとその形がこう変わる…、というのを理解する想像力に長けているので、その能力の有無こそが問題なのかも知れないが。

2018-06-21

anond:20180621215825

言文一致運動が起こったってことは話し言葉日本語だったわけじゃん?

まあ言葉尻いじってるだけで意見自体には賛成なんでこのへんで

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん