おもんない男性は、おそらく個人の気質以前に脳の作りが違うのだと思う。努力すればどうこうなるというものではない。
TVタレントで算数(数字の計算)が全然できないという人がいるが、言語能力や場の空気を読むみたいな能力には秀でている。
世界でも有数の研究者だけど時間感覚が絶望的にない人だっている。
文明が発達し、教育や訓練された人が増え、円滑な人間社会のシステムに組み込まれると平均的にこれくらいはできるだろう、普通はこんなものだろうと思ってしまう。
しかし、もう少し注意深く他人を観察したり、コミュニケーションをとってみると、能力のバラツキが多いことに気づくはずだ。
皆、当たり前のように日常をこなしているが、思ってもみないことに苦労していたり努力をしている。
主観による当たり前や普通を主張するのではなく、個々人の立場や能力など、どういった個体なのか、どういったメカニズムの人間なのか、相手の視点からも考えてみて欲しい。
インターネットが普及してからは、私の苦労、私の悲しみ、私の正義などの私の◯◯がヒステリックに叫ばれていることをよく目にする。
私ばかり頑張っている、私ばかり苦労していると思っているかもしれないが、皆、同じことを思っているのだ。犯罪者だって自分の正当性を主張する。
多くの人々は日々の生活で自分のことで精一杯だ。他人のことを深く考える余裕がないのかもしれない。
群れとして多くの他人と協調して社会を形成している我々は、私と他人の両輪が常に必要なのだ。
他人を責めたり、求めても、ほとんどのことは上手くいかないだろう。
人には人の価値観や優先順位があるのだ。丁寧にコミュニケーションをとっても言語化できない人や言えないことだってある。
人の本心は変わるものだし、自分にも分からないこともある。コミュニケーションで解決できると思わないで欲しい。
抽象的なことをダラダラと述べてしまったが、言いたいことは自分の価値観だけで物事を考えるなということだ。
私に価値観や優先順位、得意なこと、苦手なことががあるように、他人にも同じようにある。
相手を否定する前にどうしたら折り合いがつけれるか、相手も自分にも負荷が少ない方法を考えて欲しい。
私ばかり苦労していると思っているかもしれないが、皆、同じことを思っているのだ。 それなんか人の苦労を定量化する絶対的な指標とかデータとかあるんですよね?出してもらって...