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はてなキーワード: 不要論とは

2017-05-28

某「正社員不要論」を主張しているやつは…

http://anond.hatelabo.jp/20170527133211

曰く、正社員既得権益なので、それにすがるのは無能だ。

曰く、経営者の方がリスクを取っているのだからリスクを取らない雇われ人は文句言うな。

曰く、経営者無能とグチるくらいなら、自ら起業してみろ。

…などと言っているやつがいる。

これぞ、洗脳だ。

2017-05-02

新・英語不要論

そういえば、英語不要論ってずっと昔からあったんだけど、大抵

日本人の○割は英語不要」「英語必要仕事は○割だから」みたいな割合

英語よりも日本語ちゃんとしろ」「もっと教養を身につけるべきだ」みたいな「英語よりも大事ものがある」論

日本勉強しても身につかない、海外行くべきだみたいな「日本だと身につかないから」論

みたいな感じだけど、最近

Google翻訳がすごくなっているから」みたいな翻訳技術

が出てきているなぁと思ったけど、よく考えたらこれも昔からあるな。

翻訳技術が発達してほしいなぁ...

2017-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20170329185806

多分だけど、元増田アニメくらいしか積極的に見るものがない人なんだと思われる。

http://anond.hatelabo.jp/20170329184010

けものフレンズネタバレなし最速視聴には必要


以上の情報からテレビ不要論者はアニメぐらいしか見ない、またはアニメに興味がない人物だと推察されます

年齢は10代~20代、もしくは30代~40代、または50代以上で、日本人あるいは外国人男性ないし女性なのではないでしょうか。

趣味はこれといってない可能性が高いですが、多方面趣味を持っている可能性も高く、何か1つの趣味にじっくり打ち込んでいる可能性の高さも考慮すべきでしょう。

現場からは以上です。

2017-03-21

マージ不要論

ローカルファイルをなんの確認もなく

なんのためらいもなくUPすんなよハゲ頭!

2017-02-27

テレビ必要論

http://izumojiro.hatenablog.com/entry/2017/02/27/194152

テレビ生活必需品ではない、という主旨の記事である

なるほど。たしかに今の時代テレビから取得する情報よりもインターネットで得る情報のほうが価値があるかもしれない。

インターネット情報選択可能性を有している。インターネットにおいて、関心のない情報は見なくて済むし、気分を害するような記事コンテンツ意図的に取り除くことができる。

Twitterを始めとしたSNSも、その強みの本質情報効率化だ。

気が合わない人のアカウントブロックすればいい。馬が合う人とだけ相互フォロー関係を結んだ上で情報を共有する。無駄のない社会、素晴らしい。

では、ここでひとつ知的好奇心を満たすという前提で、テレビは本当に必要ないのだろうか?

リンク先の記事担い手は、テレビ無しで生活をした上で実感を語っているだけである記事書き手に罪はないので、それを言及するつもりはない。

ただ、教養知識を蓄えようとするならテレビ必要不可欠なアイテムだと私は思う。

理由としては、テレビ情報にも価値はあるからである。むしろ、近頃はインターネット掲載された中身の浅い記事wikiよりも、NHKドキュメンタリー放送大学講義のほうが体系化された智慧として有用性が高いように感じられる。

なぜなら、傾向としてインターネット知識は皆一様に同じもの選択することになり、情報が共有できてしまう以上、その情報価値がないからだ。

知人に大学講師が数人いるが、試しに話を聞いてみると、インターネットニュース記事も読んでいれば、テレビ番組もしきりにチェックしている。もちろん熱心に本も読む。

あくまで私の周りの傾向なので、いやいやそれは違うだろと云う人もいるとは思う。

何はともあれ、私はテレビ不要論にはわりと辟易としている。これは個人意見なので、どっちが正しいかいかという線引をすることがこの記事目的ではない。

それでも、インターネットのほうが便利だという意見はげんなりするほど耳にする。一昔前よりもテレビの優先度が減ったことだけは確かだが、そこまで必要のないものだとも思えない。

匿名はてなを居場所にしているような人達テレビ不要なのだろうか?

2017-02-18

伝統とか文化は関わりたくない奴は関わらなくていいものにするのが筋だと思うのだが

何故一部は強制的または半強制的なのか

そんなことやってるから不要論必要論がぶつかるんだろ?

2017-02-07

敬語不要論

敬語必要性がわからない

敬語があるのが常識という視点で考えると意味不明かもしれないけど、

敬語がないのが常識という視点で考えると敬語ある意味がわからない。

敬意は態度と気遣いで示せばいいやろ

敬語で喋ってると冗談も言いにくいし気軽に話しかけづらいし

コミュニケーションがやり辛くて仕方ない。

2017-02-01

はてなってリベラルな奴多いけど

その割に更生したヤンキーは認めないとか、薬物犯罪者人間の屑とか、刺青差別なんかない!区別だ!みたいなことよく言うよね、結局自分の身に降りかからない事例じゃ上から目線リベラリスト気取りながら、いざ自分トラウマ刺激される事態になると都合よく人権不要論者になって発狂するんだねこの二枚舌

2017-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20170109200731

大学で身に着けるのは情報主体的インプットしてアウトプットする技術よ。

一方的先生の言うことを教わってればよかった小中高と違って大学自分で授業選んだり、自分研究テーマを見つけて、自分で調べて考えて卒論書かにゃならん。指導教員は使い倒せ。

これを真面目にやってればほどほど使い物になる人間になれる。

ホリエモンみたいな大学不要論者はなまじ出来がいいか自分課題を見つけて自分で調べて考えてアウトプットする技術トレーニングしなくても自然に身に着けられるものだと思ってるんじゃないかと思ったりもする。

2016-12-17

オープンワールド不要論

ゲームに求められている要素とオープンワールド乖離している気がする

少なくともやたらめったら広い世界を作る必要はない

1つのステージを終えて次のステージまで3分間移動するなんて実に面倒くさい

ネトゲボイスチャットをしながらでも面倒なことをなぜソロゲーでやらなければいけないのか

多くのオープンワールドゲーがファストトラベルを導入しておりプレイヤーは終盤に行くほどそれを多用するようになる事を考えればそもそもオープンワールドなど求められていないと分かる

あってもせいぜいマリオ64程度の1分程度で行きたい場所に行ける広さにすべきだ

2016-12-09

IT技術者から見る大学不要論少子化対策

先日匿名ダイアリー

奨学金を得て大学に入ったが200社受けても内定を貰えず人生が積んだ」

と嘆いていた人を見かけた。

大学という投資は4年間という時間

数百万円かけた投資であるのに、

期待したリターンが得られなかったという話である理解している。

私が知る限り、

IT業界では若い人材が貴重な戦力としてもてはやされている。

CCNALPICを持ってさえ持っていれば、IT業界であれば数社受ければ内定は獲得できる

CCNALPIC代表されるエントリーレベル資格は、実は実務経験が無くても数週間勉強すれば取れる

ということは、人材市場において、

高卒 IT資格保持者」は「平均偏差値大卒 IT資格保有者」

上位互換に当たるのではないかと考えている。

これがもっと一般的概念になれば、

・一子あたりの教育費に対する考え方が減額される

結婚可能な成人である機関を4年早く開始することができる

・よって少子化が多少改善する

と考えている。

国にとっては納税者が増える

親にとっては養育費が減る

子にとってはお金の無いモラトリアム期間を、お金のあるモラトリアム期間に変えることができる。

困るのは大学だけだ。

2016-11-17

学歴うんぬんはこのスピーチに完全に纏められてる件。

「何故学ぶことが必要なのか」具体的な作用を挙げて語っている。

日本はまだまだ、必要論者であれ不要論者であれ認識根本が呑気な人が多いね

切実になった頃には、もう何もかも遅いかも知れない。

J・D・ヴァン

アメリカの「忘れられた労働者階級」の葛藤

https://www.ted.com/talks/j_d_vance_america_s_forgotten_working_class/transcript?language=ja

0:11

初めて洒落レストランに 行った時の事をよく覚えています 高級なレストランでした 法律事務所主催した 面接ディナーでした ウエイトレス食事前に歩き回り ワインが欲しいかと聞いてきたので 「もちろん」と答えました 「白ワインを少し」 と

0:25

すると彼女は即座に言いました 「ソーヴィニヨン・ブランシャルドネが ございます

0:30

その途端頭によぎった事が 「かっこつけたフランス語できどるなよ とにかく白ワインをくれ」 それでも推理力を働かせ シャルドネソーヴィニヨン・ブラン白ワインの2つの種類だとひらめき 「シャルドネをください」と答えました その方が僕にとって発音やすかった それだけが理由でした

0:50

僕がエール大ロースクールに通った 最初の数年は たくさんこういう経験しました 見た目はみんなと同じでも 文化的には よそ者でしたから 僕はエリート層の出身ではありません 東海岸北東部サンフランシスコ出身ではなく 故郷オハイオ州南部の鉄鋼業の町 様々な社会問題に喘いでいる場所です アメリカ労働階級が抱えた問題体現している場所です ヘロインが浸透し 僕の知り合いも含め たくさんの命を奪っています 家族間のもめごと 家庭内暴力 離婚により家族が引き裂かれています 社会にも悲観的なムードが 浸透しています このような地域で 死亡率が上昇している事を考え この状況で暮らす 人々の多くにとって 目の前の問題こそが 地域の死亡率を押し上げる 直接の原因だという事を理解すれば 問題は身に迫ったものに感じられます

1:42

僕はそんな葛藤を 目撃しながら育ちました 僕の家族は長年その苦労と 共に生きてきました 僕の家庭は豊かではありません コミュニティー汚染した中毒は 僕のファミリー汚染し 悲しい事に 母も犠牲者の一人です 家庭内では たくさんの問題に 直面しましたが その原因は ある時はお金がないこと ある時は 人材や物資人間関係に基づく支援が得られないことで 僕の生活にも 大きな影響を与えました

2:15

もし14歳の僕の生きざまを見て 「この子は将来どうなるだろう」と 考えたとしたら 学者が「社会的地位の上昇」と 呼ぶ面で苦労するという 結論に達したことでしょう 社会的地位の上昇は 抽象的な用語ですが 「アメリカンドリーム」の核心に 大きな影響力を持っています 社会的地位の上昇とは 意識であり 僕のように貧しい境遇で 育った子どもが そこから抜け出し もっといい生活ができるのか 今よりも経済的に豊かな生活可能になるか それとも今までと同じ状況に 止まるかを判断できるのです 残念ながら 立証されているのは この国における上昇移動は 期待するほどは進んでおらず 興味深いことに 地域によって ばらつきがあります ユタ州を例にとりましょう ユタ州の貧しい子供は 実はそんなにひどい境遇ではないのです アメリカンドリームをそれなりに 享受できる可能性が非常に高いのです ところが僕が育った地域 南部や アパラチア地方や オハイオ州南部では 貧困から抜け出す可能性は少ないのです これらの地域でのアメリカンドリーム事実上 夢に過ぎないのです

3:26

何が原因でそうなるのでしょう? まず考えられるのが経済 あるいは構造的な原因です これらの地域を思い浮かべてください 石炭鉄鋼業といった産業を 取り巻く景気動向は最悪で 人々が向上するのを難しくしています それが一つの原因なのは確かです また頭脳流出問題で 優秀な人々は 高度な技術を要する仕事がないため 地元から離れていきます 地元ビジネスやNPOを 作るのではなく 別の場所へと去っていき 結果的に才能が流出します このような地域では破綻した学校も多く 子供たちへの教育支援ができず 将来チャンスを手にすることを 妨げています これらの要素は どれも重要です こういう構造的障壁を 軽視する気はありません ただ自分の生い立ちや 育った環境をふり返ると 別のことがおきていて それも重要だったのです その影響を測るのは難しい事ですが 同じぐらい現実的問題でした

4:19

まず最初に言えるのが 計り知れない失望感が 僕のコミュニティーに漂っていた事 子供達は自分選択無意味だと思い込み 何が起きても どんなに一生懸命努力して 向上する意欲をもっていようと 良い結果には ならないという絶望感です 子供が育つには厳しい環境です そんな思い込みを切り替えるのは 非常に困難で 思い込みは時に 疑いの原因になります 例えば いま盛んに議論されている 政治問題である積極的差別是正措置」です 差別是正措置政治的見解によって 仕事場教室多様性を促す 賢明方法かどうか 評価が分かれます このような地域で育つと 差別是正措置は そこに住む人々を 抑え込むものだと考えがちです 労働階級白人だと 特にそうです この措置は単に政策の良し悪しの 問題ではなく 自分の足を引っ張るために 政治力資金力を持つ人々が企てた 陰謀だと考えるのです 差別是正措置に対する いろいろな陰謀論が 現実であれ妄想であれ存在し その結果 将来への希望は 歪んでしまます

5:30

そんな世界で育って どうしたらよいか考えた場合 答えは2つになりそうです 1つ目は「一生懸命 勉強するのはやめよう どんなにがんばっても結果は同じだから」 もう1つの答え方は 「一般的成功の基準を 求めるのは止めよう 例えば大学教育や一流な職業 等 そんな基準を気にするのは 自分とは違う境遇の人間だし どうせ彼らには 受け入れられないから」 僕がエール大学に合格した時も 家族に聞かれました 「入学審査委員会に通るために リベラルのふりをしたのか?」 これは本当の話です もちろん大学の願書には リベラルが付けるチェック欄など ありませんでしたが これは こういった地域で 様々な社会障壁を通過するために 自分を偽る必要があるのではという 極めて現実味のある 不安感を表しています これは重要問題です

6:16

たとえ悲壮感に落ち込まずに 例えば 自分選択には意味があり 適切な選択をしたいと願い 家族自分のために 向上したいと思ったとしても 僕が育ったような環境では そもそも どんな選択肢があるのか わからない場合があるのです 例えば僕は弁護士になるには ロースクールに行く必要があることすら 知りませんでした 調査で明らかになっているように エリート大学低所得層子供にとって 割安だということも知りませんでした なぜなら有名校には より多くの寄付金が集まり より多額の学資援助が可能からです 僕自身この事を知ったのが エール大から資金援助の案内が届き 数万ドルの「所得に応じた援助」と 書いてあった時でした そんな表現さえ 初めて知りましたが その手紙を手にしながら 叔母に言いました 「これって 生まれて初めて 貧乏なおかげで すごく得したってことだね」

7:06

僕が その情報を 手に入れられなかったのは 僕を取り巻く社会的ネットワークが その情報を得られなかったからです 僕はコミュニティーから銃を撃つこと それも上手に撃つことを学びました すごく美味しいビスケットの 作り方も学びました ちなみに 秘訣は常温でなく 凍ったバターを使うことです しか社会成功する方法は 教えてもらえませんでした 教育や将来の可能性に関する 適切な判断 すなわち この21世紀における知識経済の中で チャンスをつかむのに必要な事は 習いませんでした 経済学者私的人間関係まり友人や同僚や家族から 我々が得る価値を 「ソーシャルキャピタル」と呼びます 僕のソーシャルキャピタル21世紀アメリカ社会では 通用しないことは明らかでした

7:49

もう一つ とても重要な要素があります 今も続いていて 地域ではタブーとされています現実的問題です すなわち 労働階級子供は 「子供時代の逆境体験」— 要は「トラウマ」のことですが これを経験する可能性が 非常に高いのです 親から繰り返し殴られたり 怒鳴られたり 罵られたり 親が乱暴されるのを目撃したり 麻薬の常習やアルコールの乱用を 目撃するといった経験 これらは全部 子供時代の トラウマの例ですが 僕の家庭では よくおきていました さらに重要なのは 家でよくおきていた トラウマ現在だけのことではなく 数世代に渡っているという点です 僕の祖父母は 子供が生まれた時 当然の事ながら子供を 良心的に育てるつもりでした 2人は中流階級で 製鋼所の仕事で まともな収入を稼げました でも 結局 彼らは子供たちに たくさんの トラウマを与えてしまったのです 何世代も前から続くトラウマです 母が12歳の時 目撃したのは 祖母が祖父に火をつけるところでした 祖父が犯した罪は酔っ払って 家に帰ってきた事です 祖母は警告していました 「酔っ払って帰ってきたら 殺してやる」 と そして その通り実行しました 子供にどんな衝撃を与えたか 想像してみてください

9:04

ごくまれ出来事と 片づけられそうですが 実はウィスコンシン州 児童信託基金調査によると 低所得層子供の40%が トラウマ複数回 体験するのに対し 高所得層の子供では わずか29%なのです これが何を意味するのか よく考えてみてください もし皆さんが低所得層子供なら およそ半数がトラウマを 数回は体験するのです これは まれなことではなく とても深刻な問題です

9:34

そのような体験をした子供が 歩む人生予測できます 麻薬に手を出す可能性も 刑務所に入る可能性も 高校中退する可能性も ずっと高くなり それにも増して心配なのは 彼らも自分達の子供に 自ら体験した事を 繰り返す可能性も高まるでしょう このトラウマ家庭内の混乱は この地域文化子供たちに残す 最悪の重荷であり 延々と引き継がれていきます

10:01

これらの要素の全て 絶望 落胆 将来に対する悲観 子供時代のトラウマ ソーシャルキャピタルの欠如を 総合して考えると 14歳の僕が 統計の数値の一部として 逆境に負けた子供の1人になる 寸前だった理由がわかります

10:21

ところが予想外の事が起きたのです 僕は逆境に打ち勝ったのです 僕にもチャンスが訪れました 高校卒業大学も終え ロースクールに行きました 今は満足できる職についています 何がきっかけだったのか?

10:36

一つ目の要因は 祖父母の存在です 人に火を放った あの祖父母が 僕が誕生した頃 自らの行いを改めたのです 2人は僕に安定した 家庭環境家族提供してくれました 子供にとって必要なことを 両親ができない時には 必ず手を差し伸べて その役割果たしてくれました 特に祖母意味のあることを 2つしてくれました 1つ目は 僕が勉強子供として必要なことに集中できる 平和な家庭環境を作ってくれたこと さらに それだけではありません 祖母中等教育さえ 受けていませんでしたが とても鋭い人で コミュニティーが 僕に向けて発するメッセージ 僕の選択には意味がなく 不利な立場だというメッセージに 気づいていました 祖母は ある時こう言いました 「ジェイディー 自分を不運と思うような 負け犬なっちゃダメ やりたいことは何でもできるんだから

11:23

もちろん彼女自身も 世の中の不公平認識してました 子供人生不公平だと伝えつつ 自分選択意味があるという事実子供にしっかり分からせる これを両立させるのは難しいことです でも おばあちゃんは うまく両立させたのです

11:40

もう一つ 助けになったのが アメリカ海兵隊です 一般には米軍の一部として知られ もちろんその通りなのですが 僕にとって海兵隊人格形成する 4年間の特訓コースでした ベッドを整えることや 洗濯をすること 朝早く起きること 自分お金管理すること 僕のコミュニティーからは 学べなかったことです 初めて車を買いに行った時 ディーラーで21.9%という 「超低金利」を勧められて 危うく契約するところでしたが 結局は断りました 将校相談たからです こう言われました 「おまえバカ地元信用組合もっとましな契約しろ」 言われた通りにしました 海兵隊に所属していなければ そのような知識は得られず ハッキリ言って 家計破綻していたでしょう

12:25

最後に伝えたい事はこれです 僕は指導してくれる人や 僕の人生重要役割を 果たした人々に恵まれました 海兵隊から オハイオ州立大 エール大学 そして その他の場所で 人々が手を差し伸べて 明らかに僕に欠けていた ソーシャルキャピタルを 確実に補ってくれたのです 僕にとっては幸運でしたが そういう幸運を得られない 子供たちも多く この状況を どうやって変えるかという 我々全員が考えるべき 重要問題を提起していると思います 我々は崩壊した家庭に生まれ低所得層子供たちに 温かい家庭を どうやって提供するか 問う必要があります 我々は低所得層の親たちに 自分子供や伴侶と より良い関係を築く方法を どうやって教えるか 問う必要があります 我々はソーシャルキャピタル指導力恩恵を受けていない 低所得層子供たちに それを どう提供するか 問う必要があります 我々は 労働階級子供たちに 読解力や数学といった 知識や技能を教える方法だけでなく 対立の解消や財務管理といった 社会的技能を 教える方法について 問う必要があります

13:32

僕は答えを全部 知っているわけではありません 問題解決する方法を 全部知っているわけでもありません ただ これだけはわかっています オハイオ州南部では 今この瞬間も ある子供不安そうに 父親の帰りを待ち お父さんがドアを開けた時 しらふか 酔って千鳥足か 気をもんでいます ある子供母親注射針を腕に刺し 意識をなくしてしまい なぜお母さんが 晩ご飯を作ってくれないのか わからないまま お腹をすかせて眠りにつきます ある子供は 将来への希望はないけれど 必死の思いで より良い暮らしを求めています どの子も より良い暮らしへと 導いて欲しいだけなのです 僕はすべての答えはわかりませんが これは わかります なぜ僕がこれほど幸運だったのか そして この幸運を より多くのコミュニティーや この国の子供たちに与える方法について もっと意味のある 問いを発しなければ この厳しい状況は永遠に続くのです

14:32

ありがとうございました

14:33

(拍手)

http://anond.hatelabo.jp/20161117145750

学歴不要論って災害対策不要論みたいなものなんだろうな

喉元過ぎれば熱さを忘れる

学歴不要論者の親のもとに生まれた子が将来

派遣切りに遭い寒風の中で野垂れ死にする

そこで学歴不要ミクロ的な知見が途絶して

低学歴貧困の中でも生きていける(気がしている)ゴリラ」が地域に濃縮されていく

で、そこの頭脳は都会へ流出し、地方は延々衰退または中央への隷属化が進む

世代か後にゴリラ言葉を失くしている

2016-10-28

未だに「AI労働の主流になる」=「雇用がなくなる」=「自分仕事がなくなって貧困になる」と思ってるのか

AI労働の主流になるなら生産のみならず管理にまでAIの方が効率が良くなるから

人間を雇う理由経営者まで含めて無くなり、

結果として政治から裁判所に至る総てにおいて人間雇用必要なくなる。

そうすると必要なのはAI生産する会社以外、必要なくなる。

からGoogleTOYOTA人工知能の開発元になるために急いでる。

要するにAI生産関係のない職業は全部解雇だよ。

AI生産だってAIが行うから本当に管理権の所持と主張をする人間くらいしか必要ない。

しかしそれもAI統治する世の中で権利が認められる判断AIが下すかどうかは誰にも分からない。

まり、最悪AI人間不要論を元に全解雇してくることもあり得る話。

なので産業革命とかとは訳が違う。

人工知能よりも明確に上の能力を誇示できるホモサピエンス以外はAIから見て、どこまでも不要であり、解雇対象

人間である限り、AI評価さらされ続ける。

2016-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20161011170143

ほぼ内容は読んでないが、日本人もっと英語勉強すべきだとは思うね。会話ができるレベルとは言わないまでも、英文メッセージ翻訳サイトなどを利用して多少読解できるレベルは。

でも、日本人は他言語圏の人間を「外人」呼ばわりして受け入れるつもりが全くない。鎖国は解除されたが意識レベルでは未だ日本人鎖国している。

から英語不要論が毎度出てくる。こういう外人絡みのクレームは彼らの言葉に多少の理解があれば違った見え方もしてきたんじゃないかなって思うね

2016-07-27

相模原市障害者施設刺殺事件 容疑者謝罪したい」

相模原市障害者施設刺殺事件 容疑者謝罪したい」

あっけなかったな。

やっぱり"ただの狂った"ネトウヨか。

 

相模原殺傷職員縛り襲撃 容疑者「遺族に謝罪したい」

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG27H36_X20C16A7MM0000/

 

本物の確信犯なら、一人一殺の元祖右翼のように

目的を遂げても遂げなくても

行動後に自殺して果てるのがセオリーだが

奴はそうした気高い志とは無縁で

ネトウヨ的言説に翻弄され感化されまくって

薬の力を借りて暴力快楽に溺れただけの愚かな奴だった。

 

"狂った"ネトウヨを利用する巨悪

社会的意味で奴は死んだと解釈するなら

奴の暴力行為ある意味自殺行為であるから

右翼的心情と共通するところがあるのかもしれないが、

だとすればなおさら、そういう右翼的心情を利用して

政治権力を集めてきた

小池百合子のような“自民党ネトサポ”の親玉連中は

本当に罪深い連中だと言わざるを得ない。

 

障がい者大量殺害相模原事件容疑者ネトウヨ安倍首相百田尚樹橋下徹、Kギルバートらをフォロー

http://lite-ra.com/2016/07/post-2447.html

そもそも、今回の事件に関しては、「容疑者ネトウヨ」というほうがまだ事実に近いのではないか

たとえば、容疑者ツイッターフォローしていた有名人を見てみると、安倍晋三百田尚樹橋下徹中山成彬テキサス親父日本事務局ケント・ギルバート上念司西村幸祐つるの剛士高須克弥村西とおると、ネトウヨが好みそうな極右政治家文化人がずらりと並んでいる。

また、その中身も、最近右派発言が目立つ村西とおるの「米軍沖縄駐留平和に大きく貢献している、米軍がいればこその安心なのです」という発言リツイートしたり、「在日恐い」「翁長知事ハゲ野郎って伝えて!!」といった、ネトウヨ志向かいま見えるツイート散見される。

  

奴は、自民党J-NSC(自民党ネットサポーターズクラブ)にいた

という説もある。真偽はわからない。

だが、自民党J-NSCが奴のようなネトウヨサポーターを利用し

歓迎していたのは事実だろう。

事件を起こす前までは。

  

ナチスのT4と自民党のT2

奴は「障害者なんていなくなればいい」と言っていた。

奴の考えはナチス優生学と通じるところがある。

 

かつてドイツ第三帝国は、

「生きるに値しない命」というナチスイデオロギーによって

殺害する安楽死政策「T4作戦」を実行し

少なくとも知的障碍者身体障碍者など20万人を殺害して殺した。

 

T4作戦

https://ja.wikipedia.org/wiki/T4%E4%BD%9C%E6%88%A6

生きるに値しない命

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%AB%E5%80%A4%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E7%94%9F%E5%91%BD

 

そういう意味で言うなら、奴は

ナチス的な心情にも感化されていたとも言える。

  

ちなみに「ナチスに学べ」と言っていた麻生太郎所属である自民党

Twitterブログ書き込みなどを24時間監視

自民党に不利な情報があれば管理人削除要請をすることを

専門の仕事とする世論操作組織

ネット対策特別チーム Truth Team」を作り、現在運用しているが

その略称は彼らの組織内部で「T2」と呼ばれている。

アベ自民幹部連中は

謝罪したい」と謝意を表明した相模原市障害者施設刺殺事件容疑者よりも

はるかナチスをよく学んでいる(笑)

 

アベ自民に反対する人間は生きるに値しない・・・

彼らはおそらく本気でそう思っているし

合法的に」死んでもらう方法も考えているだろう。

そして近い将来それを実行するだけの政治力が今の彼らにはある。

 

恐れるべきは狂った権力者

相模原市障害者施設刺殺事件容疑者

大量殺人はいたかだか19人しか殺していない。

一方、ナチス20万人を殺した。

恐るべきは狂ったネトウヨではなく狂った権力者だ。

 

障がい者抹殺思想相模原事件容疑者だけじゃない! 石原慎太郎も「安楽死発言ネットでは「障がい者不要論」が跋扈

http://lite-ra.com/2016/07/post-2449.html

戦後最悪レベルのとんでもない凶悪事件だけに、容疑者の異常性に注目が集まるが、残念ながら容疑者の“弱者排除すべし”という主張は現在日本社会において決して特殊ものではない。

石原慎太郎は、都知事就任したばかりの1999年9月障がい者施設を訪れ、こんな発言をした。

「ああいう人ってのは人格があるのかね」

絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああい障害で、ああいう状況になって……」

「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う」

「ああい問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」

 ほとんど植松容疑者の言っていることと大差ない。舛添のセコい問題などより、こういった石原差別発言のほうがよほど都知事としての資質を疑いたくなる。しかし、当時この発言問題視する報道は多少あったものの、そこまで重大視されることはなく、その後、4期13年にわたって都民石原都知事に選び続けた。

障がい者は生きていても意味がない」「障がい者迷惑だ」「障がい者税金がかかる」

 これらは基本的ナチスの重度障害者を本当に抹殺していったナチスドイツ政策ベースになった優生学思想と同じものだ。

小池百合子日本会議会長らと「東京核ミサイル配備」をぶちあげていた! 小池は「東京トランプ」になる?

http://lite-ra.com/2016/07/post-2438.html

 

 

2016-07-24

なろう系のネット小説って通常のルート文学賞目指しても多分最終選考まで辿り着けないよね

文章文体が下手とかそういうのじゃなくて、

結局あれ出来レースでしょ。

又吉の件だってKAGEROUもそう、女又吉の件だってそう。

結局得てして受賞ないし候補になってるじゃない、特に最終選考は。

多分なろう系はアニメ化したら大ヒットするだけの余力はあるんだけど、

文学賞は無理だろう。

いくら文章書けて面白い作品が作れても。

結局出来レース文学賞に応募するだけ時間と労力と金無駄なんだ。

じゃあ、どうすればいいって?

簡単な話、ネット小説を書いて信者を作って行ったりネットで話題になればいいんだよ。

これが一番の小説家への近道だって事はラノベ現在の主要作家陣を見れば明らか。

しか作家年収ランキング上位は皆なろう系とかネット小説から這い上がって来た人ばかり。

時代文学賞求めない事は、直木賞芥川賞を含む文学賞の顔ぶれを見れば分かり切っている。

正直面白くなくても受賞するのがそれらで、線引きは多分家柄とか学歴とか作家本人の認知度の高さで決まってくる。

それ以外、つまりそういうのを持ってない才能のある人はネット小説で試せばいい。

面白ければすぐ話題になるし、アニメ化ドラマ化、映画化なんて今はザラにあるからね。

というわけで文学賞不要論を唱えてみる。

2016-07-17

自分天才じゃない

人生の全ての時間プログラミングビジネスに捧げてきた人間がいる。そういう人は、きっと毎日仕事が楽しくて、そして、いっぱい稼いでいるのだろう。

でも自分はそうじゃない。

変人と呼ばれて育ち、病気と折り合いをつけ、自分能力を過信して倒れ、真っ白な部屋で2年ほど過ごした。

才能があった。だから努力したことが無かった。追い越されることを知らなかった。

難しい本が読めた。だから自分は偉いのだと思っていた。一生をかけても全ては読めないと気づけなかった。

未知を知らなかった。だから自由研究が怖かった。そもそも研究に値する自由テーマなんてものを見つけられなかった。

金銭感覚に無関心だった。ウチは貧乏から大学に行けない。その事実意味することが分からなかった。

友人関係を作らなかった。隣人の名前を覚えられないということが、どれだけ失礼なことなのか悟れなかった。

どれもこれも、大人になってから気づいて、赤面したことだ。

全ての選択肢で正解を選んできたと思っていたのに、結論から言えばほとんど全ての選択が間違っていた。

転生して最初から人生をやり直すなんていう作品が多くなってきているが、自分には無理だ。また同じ間違いを繰り返すだけだ。

自分天才じゃない。よくて秀才。いや凡才の類だ。

生産性のせの字すら知らなくても、書くコードの桁と質が違うプログラマに幾人も出会ってきた。

あしかし。幸いにも。

IT業界が頭から尻尾までブラックだと知れ渡ったことで、プログラマを志願する若者は減ってきている。

おまけに、親にスマホだけを買い与えられ、PCを触ったことすら無い世代が育ち、新卒青田買いすらできない状態になってきている。

地方にもはやプログラマ求人は無く、東京一極集中労働力を吸い上げるシステムへと変貌したが、それにも限界がくるだろう。

凡才の俺にとって、これはチャンスだ。

諸条件の重なりによって、プログラマ需要供給関係は崩れ、プログラマは完全に不足してきている。

まりプログラマ35才定年説」は崩れていく一方であり、俺と同い年の連中がしたり顔で語っていた「プログラマ不要論」は幻想だということだ。

自分天才じゃない。

でも現状を分析する限り、自分時代に逆らって生きているわけではなさそうだ。

人生の全ての時間プログラミングビジネスに捧げてこなかった人間でも。俺は、毎日仕事がそこそこ楽しくて、そして、そこそこ稼いで生きられればいいと思っている。

2016-06-30

エロゲにおける泣きゲー概観

エロゲには泣きゲーというジャンルがある。傾向として18禁要素は少なく、その必然性が薄いこともままあることから時にエロ不要論が主張されたり、あるいは泣きゲーエロゲではないと揶揄する人もいるジャンルである

しかし「一般に、泣いたあと人間は気分がよくなる」(ウィリアムフレイⅡ『涙―人はなぜ泣くのか』)。快楽を得ながら体液を体外に排出する行為エロと称するのであれば、その意味で泣きゲーエロゲの一ジャンルであることは間違いない。

泣きゲーはある日突然出現したものではなく、それはどうプレイヤーの涙を誘ったか技術の積層であり、様式の歴史である。個々の作品論は星の数ほど存在し語り尽くされてきたが、この歴史という点での言及は少ない。当時それは歴史ではなくリアルタイムだったのだから、当然といえば当然ではあるが。

2016年現在、エロゲ論壇は死に、泣きゲーが語られることも少なくなった。

だが、だからこそ、最初からぶっ通してやり直してみることでその変遷について、その後に何が継承されていったのかという点で俯瞰することが出来るのではないか。

ということでやり直したので、増田に書きなぐっておく。

1988~1996年

そもそもエロゲの目的は何かといえば、もちろんエロである。主役はエロCGであり、脇役に過ぎない物語の出来を評価する者などいなかった。

その様子が変わり始めるのは80年代後半、『リップスティックアドベンチャー』(フェアリーテール,1988/5)辺りからであるエロゲが一つの娯楽物語として成立することが示されたことでプレイヤーはその物語性に目を向け始め、脇役だった物語はSFやホラーなど様々な要素を取り入れていく。その一つが「感動」であった。

例として、早くも1991年の『ELLE』(elf)に対して「ホロリとした」という感想が存在する(小林義寛『ゲーマーエロと戯れるか』)。泣ける物語かというと微妙だが、今プレイしても確かに面白いSFエロゲであり、感動的要素が含まれていると言える作品である

人は感動すると涙腺が弛むことがある。逆に言えば、涙腺が弛む種類の感動がある。この点での先行研究として米沢嘉博の『マンガで読む「涙」構造』があるが、そこで昭和の泣ける少女マンガ少年マンガを分析した米沢は、女性は不幸における愛と感動の物語に泣き、男性友情、努力、勝利の感動に泣く、としている。

男性向けであるはずのエロゲはしかし、何を血迷ったか「不幸における愛と感動」を物語に取り込むことに成功する。

DESIRE』(C's ware,1994/7)、『EVE』(C's ware,1995/11)、更に『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(elf,1996/12)と傑作を連発した剣乃ゆきひろはいずれも物語の中核に少女の悲劇を配した。それは壮大かつ感動的な物語の帰結としての落涙をしばしば生み、その感想に「泣いた」というものが少なくない。

さらに『同級生2』(elf,1995/1)の桜子シナリオにおいていわゆる難病物がエロゲに導入される。それは当時十分に涙を誘うものであったとして、これが泣きゲー元祖だとする説も存在する(小林,前掲)。

努力・勝利の感動が無かったわけではない。例えば『闘神都市2』(ALICESOFT,1994/12)は自分の無力さが生んだ悲劇きっかけに、強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す物語であり、高く評価された。……しかしそこにはやはり「悲劇」がつきまとっている。

「不幸における愛と感動」は、こうしてエロゲで広く受けいれられていく。

1997年

難病物は概ね、主人公ヒロインの仲が深まるにつれて病状が悪化する展開をとる。これを病気に限定せず、「不幸」に一般化したもの涼元悠一は「萌やし泣き」と呼ぶ(涼元悠一ノベルゲームシナリオ作成技法』)。ヒロインとの幸福日常をまず描いてから一気に雰囲気を暗転して二人の不幸な状況を綿密に描写、涙腺の緩んだプレイヤーに最後の一押しをするという、泣きゲーに慣れた人にはお馴染みのそれである

この萌やし泣きは、しかし突如エロゲに登場したわけではない。

前述の闘神都市2には、ごく短いが構造上萌やし泣きと解釈しうるイベントが存在する。同級生2桜子シナリオは難病物である以上もちろん萌やし泣きだが、その不幸描写は非常に短く、またオチが「主人公勘違い」というギャグである。それは手法としては古くから存在しており、変わってきたのは、それを物語上どの割合で展開するかという点であった。

1997年5月、それが一つの分水嶺を超える。『ToHeart』(Leaf)のHMX-12マルチシナリオは、萌やし泣きを1ルート全てを費やして実現した。

おそらくこれが(エロゲ上で)萌やし泣きの威力が十分に発揮された最初の例だろう。彼女の物語は感動的な場面をクライマックスに据え、それ以外の要素――ギャグも皮肉もセンス・オブ・ワンダーも滲ませること無く、ストレートに終わった。そのシンプルさに価値があったと言え、本作は多くのプレイヤーから「泣いた」と絶賛された。

そしてもう一つ、作り手の意思という点でも分水嶺を越えたものが登場する。『MOON.』(Tactics,1997/11)が「鬼畜サイコ涙腺弛まし系ADV」と自ら名乗ったことは、その後の歴史的意味でも強く象徴である。もし泣かすという意思で作られたもの泣きゲーと呼ぶならば、その明示という点で最初泣きゲーは本作と言うこともできるかもしれない。

MOON.は大量のエロシーンを擁し、エキセントリックな人物造形も無く、萌やし泣きでもない。後の作品よりも本作が泣けるし好きだという人もいるが、多くの人を確実に泣かせる威力に本作があと一歩不足したことは事実と思う。

はいエロゲはついに、プレイヤーを泣かすことを主目的とし始めたのである

1998年

ToHeartで泣かせる物語構造確立し、MOON.で泣かす意思が示され、そしてそれは『ONE』(Tactics,1998/5)において結実する。MOON.スタッフが作ったそのエロゲには、萌やし泣きが全ヒロインルートで導入された。

当時の多くのプレイヤーにとって、それは致死量だったと言っていいだろう。

本作はMOON.と変わって18禁要素は非常に薄く、無くても物語は成立する。物語は全ルートで感動と涙が目的に据えられ、それしかない。にも関わらずこれがプレイヤーの絶賛を浴びたことは、「泣かせること」がそれ単独ジャンルを成立させられることを示していた。

今やり直してみると甘い部分も多い。しかし『sense off』(otherwise,2000)、『それは舞い散る桜のように』(BasiL,2002)など、本作の影響下にありつつも秀逸な作品がのちにいくつも生まれたことを考えれば、その影響力と価値を軽んじられる者はいないだろう。

1999年

6月、MOON.を作りONEを作ったチームは独立してKeyと名乗り、『Kanon』をリリースする。これがどれだけの信者を獲得したかは言うまでもないだろう。

特に技術的な面でKanonはONEよりも洗練されている。OPとED、泣かせるための特殊演出などのソフトウェア面はもちろん、泣かすための専用BGMが用意された、という点も大きい。1997年の『アトラク=ナクア』(ALICESOFT,1997/12)は物語のクライマックス、その絶望的状況下で「Going On」が初めて静かに流れ出すことで異様な精神的高揚をプレイヤーに与えたが、これが事前に何度も使われていたら効果は半減していただろう。これと同様のアプローチKanonは泣かすという目的で採っている。

Kanonから3週間後に発売された『加奈』(D.O.,1999/6)もまた、この時代泣きゲー金字塔である。ONEやKanonが物語を中盤過ぎまでギャグで埋め尽くしたのに対し、加奈は10年以上に渡る兄妹の闘病生活を正面からシリアスに描いた難病物であるリアリティのある物語という点で「新しい」泣きゲーだったと言え、今なお評価は高い。

――一方で、ToHeartもONEもKanon加奈も、悪く言えばただのお涙頂戴であるハッピーエンドは奇跡や幸運によってのみ訪れ、主人公たちは運命に翻弄される無力な存在でしかない。こうしたお涙頂戴は今も昔も根強い人気を誇るが、一方で毛嫌いする人がいることも事実である

興味深いことに泣きゲーは、これらのお涙頂戴では泣けない人々をも泣かせようとするかのように、別の「泣かせる何か」の模索を少しずつ始めていく。

2000年

知名度も低く地味だが言及しておきたい良作として、1月に発売された『Lien』(PURPLE,2000/1)がある。不慮の事故幽霊になった主人公とその周囲の人々が残された2週間でその死に向き合い、改めて別れを告げる物語であり、主人公が生き返ることは無い。従ってお涙頂戴の文法に則っているが、しかしその最後において、彼らは前を向き、笑顔で別れを告げる。別れは悲しみしか生まないものではなく、人の強さを示すものでもあることをLienは描いていた。

そして9月、Keyのリリースした『AIR』は約束された勝利を遂げる。物語はもちろん難病物で、ヒロインは最後に死ぬ。その死を「ほとんどなんの意味もない」(東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』)とするならば、これは従来通りのお涙頂戴だろう。

しかし、彼女無意味に死んだことが悲しくてプレイヤーは泣いたのだろうか。

もちろんそういう人もいるだろう。だがかの有名な「ゴール」は、彼女が最後まで努力し、やりきったこと――笑顔幸福記憶を全うしたからこそ、泣いた人も少なからずいたと筆者は考える。最後の別れにおいて、彼女は必死で前を向いていた。

悲劇象徴としての別れの描き方と、それに対する姿勢は少しずつ変化を見せ始める。

2001年

ところで萌やし泣きの多くは幸福8割、不幸2割程度の文量配分で構成される(※数字は筆者の体感であり、根拠はない)。これを反転し、幸福を2割以下、不幸を8割以上にするとどうなるか。

鬱ゲである

MOON.もその一つだが、『DiaboLiQuE』(ALICESOFT,1998/5)や『銀色』(ねこねこソフト,2000/8)など、爆発的に売れることは無くとも鬱ゲーは途切れること無く続いてきた。特に銀色の執拗な鬱展開は秀逸であり、未だ根強くファンがいることも頷けるものである個人的にはDiaboLiQuEももっと評価されていいと思う)。

そして8月、幸福と不幸がほぼ半々、つまり鬱ゲーであり泣きゲーでもある『君が望む永遠』(age,2001/8)が発売される。

男女関係修羅場シリアスに描いたエロゲといえば『WHITE ALBUM』(Leaf,1998/5)が有名だが、そこでは主人公修羅場の矢面に立たされることはない。対して本作のメインシナリオでは主人公は徹底して矢面に立たされ、主人公が別れを切り出すことでのみ悲劇は終幕する。

誰を切り捨てるかは、プレイヤー選択肢が突き付けられることで行われる。だからこそ最後に彼らが再び笑い合える可能性が示されることはプレイヤーを安堵させ、涙を誘った。彼らは奇跡によってではなく、心の強さによって悲劇を克服する。

さらに11月、物語の殆どがギャグで占められ、物語の構造自体は従来の萌やし泣きの延長ながら、にも関わらず枠を踏み越えたものが登場する。『家族計画』(D.O.,2001/11)である

家族に捨てられた連中が偶然集まり、やむなく家族を偽装し、衝突しながら家族になっていき、崩壊し、再び家族になる様が描かれる作品である加奈やAIRでも家族愛は描かれたが、いずれも兄妹あるいは母娘の二者間に閉じている。対して家計は父母兄姉妹という集団の絆を描く。

襲いかかる不幸は彼らの手によって跳ね除けられる。プレイヤーはもはや誰かの不幸にではなく、茉莉がお兄さんになって下さいと訴え、準が最後にスプーンを咥え、その家族としての努力が実ったことに涙する。

なにより家計ではもはや誰一人死ぬことはない。君望もメインシナリオでは誰も死なない。誰かを失う悲しさだけが泣かせる手段ではない。悲劇に敢然と抗い、心の強さで打ち勝つだけでも人は泣くのである

2002年

……などと枠を広げ、新しい要素を貪欲に取り込むパイオニアばかりではない。泣きゲーというジャンルを充実させたのは既存の要素で構成された作品群である

例えば『flutter of birds』(シルキーズ,2001/2)は極めて基本に忠実な難病物だし、特定ルートで萌やし泣きを取り込んだ『みずいろ』(ねこねこソフト,2001/4)や『水夏』(CIRCUS,2001/7)、『グリーングリーン』(GROOVER,2001/10)はいずれも好評を博した。またDESIRE同様、悲劇シナリオの感動としての落涙であれば『腐り姫』(Liar Soft,2002/2)はこの年の作品では秀逸である

また、集団間の絆も広く扱われていく。

うたわれるもの』(Leaf,2002/4)ではSRPGというジャンル上の必然もあるだろうが、家族的な仲間との絆が描かれている。『世界ノ全テ』(たまソフト,2002/4)や『ロケットの夏』(TerraLunar,2002/10)は後半こそ二者間が主軸になるものの、いずれも部活を通して仲間と触れ合うことで主人公が成長し、仲間との絆を育むことで成立する物語である

2003年

ONEとKanonとAIRを足して3で割ったような『SNOW』(Studio Mebius,2003/1)、あるいは『てのひらを、たいように』(Clear,2003/1)では、困難に対する仲間の存在がより大きな価値を持つ。その最後は奇跡による解決はいえ、ヒロインのために仲間全員が努力し、足掻くことでハッピーエンドが訪れる様は「与えられたもの」というより「勝ち取ったもの」という印象が強い。

これらを「みんなは一人のために」とするならば、「一人はみんなのために」もまた登場する。『CROSS†CHANNEL』(FlyingShine,2003/9)である

ToHeart型のよくある学園物語に始まり、それが綱渡りの上で構築されたものであることが明かされ、ばらまかれた伏線が繋がっていく様は見事の一言に尽きる。と同時にそれは、心の壊れた主人公が何度も失敗しながらトラウマを乗り越え、仲間のために自己犠牲を重ね、それによって心を再構築していく物語である。その実に静謐な最後において、そこで彼が平穏と幸福を遂につかんだことに、タイトルの意味と、そして彼が勝ち得たものが明かされることにプレイヤーは涙を流す。

2004年

そして1月、『Fate/stay night』(TYPE-MOON)が発売される。絶望的状況下で静かに流れだす「エミヤ」はプレイヤー凶悪な興奮を与え、「強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す」展開に涙を流した。

そこに「友情、努力、勝利の感動」があることを疑う者はいないだろう。

泣きゲーというとKanonやAIRがよく話題に出されるが、「泣いた」という感想がC†CやFateにも多く存在することは事実である。と同時に、いずれにも物語の重要位置に少女の悲劇と愛が配置されている。

そしてこれまで言及してきた「不幸における愛と感動」の泣きゲーに、努力や勝利が全く存在しないわけでもない。その努力が実ったかどうかの差はあれど、必死の行動があったことはどの作品でも紛れも無い事実である

としてみると、「泣いた」と感想を多く有する作品、すなわち泣きゲーには「不幸における愛と感動」と「友情、努力、勝利の感動」の要素が、両方含まれていると捉えても間違ってはいないだろう。そしてそうだとすれば両者は対立するものではなく、両立するものと言える。

そう捉えるならば泣きゲー歴史とは、時代によって、作品によって、この両者の配分を巡る歴史だった、ということもできるように思う。

2005年以降

いい加減読んでいる人も飽きただろうし2005年以降は割愛するが、一つ言及するなら不意打ちという手法が導入された点である

例えばいかにも安っぽいハーレムものとして始まりながらシリアスなSF展開を経て感動的最後を迎えたり、あるいは陰惨な陵辱物として始まりながら見事に綺麗な純愛物へと変貌したり、泣きゲーとしての姿勢最初は微塵も匂わせず、突如牙を剥くもの2005年以降に目立ち始める(いずれもタイトルは念のため伏せた)。

また泣けるイベントが用意されていても、それが作品としてのクライマックスと一致しないことが珍しくなくなる。中には語るべき物語は全て終わり、エピローグの最後の最後で油断しきったプレイヤーに猛然と襲いかかるものもある(いずれもタイトル以下略)。

昨今、泣きゲーが減ったと言われることがあり、実際、一見してわかりやす泣きゲーを現在はあまり見かけない。しかしプレイヤーを泣かせることが主目的化した時代を超えて、泣きゲーとしての技術や様式は再び物語を盛り上げるための一要素へと還元されていった、というのが現代の流れだとすれば、それは死につつあるのではなく、むしろ要素として広く普及し、遍在したことで目につきにくくなった、ということのようにも思えるのである

おわりに

リアルタイムにこれらを経験した人にしてみれば、有名作を並べただけでなんの面白みもない内容と思う。申し訳ない。が、今20歳前後若者にとってみればFateですら12年前の古典である。「泣きゲー元祖」がなぜ人によって違うのか。なぜ未だにはわわとかうぐぅとか言ってるヤツがいるのか。若者がそんなことを知っている方がおかしいし、それを知るために最初から全部やり直すなど正気の沙汰ではない。

かつて何が起きて、それが今にどうつながっているのか。粗く拙いまとめに過ぎないが、その理解一助として本稿に役立つところがあれば幸いである。加えて「そういや最近エロゲやってねぇなぁ。またちょっとやってみるか」と思うきっかけになれば、それに勝るものはない。

どうか、幸せエロゲライフを。

2016-02-28

ワクチン不要論

私はワクチン賛成派だったのだけど、最近、心の中でわきたつ反対論に負けてきている。

それについて、書いてみたいと思う。

ところで、前提条件として、ワクチンはなんのために打つのか。

私は、天然痘のように、この世から病気を消してしまうためだと思ってる。

理屈でいえば、1人が2人以上に感染させることさえしなければ、病原体はこの世から徐々に消滅する。

コンピュータシミュレーションなどしなくても、だれでもそんなことはわかる。

エイズなど、この世から消すことは理屈の上では可能だ。

極端な話、感染者が全員速やかに死に絶えてしまえばいい。

治療薬の開発など、エイズ撲滅には足枷しかない。

エイズの撲滅が難しいのは、治療薬の開発が困難だからではない。

無症状のまま過ごす期間が長いせいで、症状に気が付かないまま病気をばら撒く、その一点に尽きる。

一方で、狂犬病なんかは、この世から消滅させることは難しい。

野生動物からまれ感染するということは、感染している野生動物を全て見つけ出して、次の感染動物を出す前に処分なり隔離なりを実行しなければならない。

世界中野生動物をすべてチェックするというのは、かなり無理がある。

古釘を踏んで感染する破傷風なんかは、世界中の地面を一度すべて火で焼いたりしない限り撲滅は出来ない。

その意味で、天然痘は撲滅しやすかった。

1.感染すると、速やかに必ずわかりやすい症状が出る。

2.一度罹ると、二度とかからない。

3.動物感染したりしない。

同じ特徴を持つ感染症として、麻疹がある。

ある期間、世界中人間ワクチン接種を済ませてしまえば、麻疹ウイルスは次の感染者を出すことができなくなり、麻疹ウイルスはこの世から消滅する。

WHO天然痘の次には麻疹を撲滅するつもりでいる。

本題にはいろう。

インフルエンザについて考えたい。

なぜインフルエンザに毎年かかるのか、インフルエンザが毎年変異を繰り返しているから、と私は理解していた。

ところがだ

2016-02-21

[]2月21日

○朝食:カレーポテトサラダ

○昼食:中華丼

○夕食:なし

調子

むきゅー。

熱も下がって元気もりもり!

とはならず、病み上がりのシンドイ感じ。

なんだけど、近所に住んでる叔母ちゃんが今日も色々持ってきてくれた。

ありがたいです。

バッジとれ〜るセンター

メガへルガーとメガバンギラスきたーーーー!!!

特にメガへルガーはダーテングの次に好きなポケモンなので、

これはもう即課金ですわ。

と思ったけど、無料プレイでとれたので課金せずにすんだ。

FSS

ふと思い立ち、NTに乗ってるアンケートに今更自分も答えます

ファイブスター物語の魅力は?

騎士とファティマの関係

僕が好きなのはカイエンを中心とした、それですね。

クーンアトロポス、アウクソー、そのどの関係も魅力的です。

関係ないけど、母親であるヤーンと同じ顔のエストと面識あるのかな?

なんか乳を揉む技を伝授した的な記述が何周年か記念のNTに乗ってた気がしなくもないが、何時出会ってたんだろ。ハイアラキがエスト預かったときってカイエンまれてるんだっけ?)


ファイブスター物語と聞いて思い浮かべるものは?

年表。

未だに年表だけ読んでてても飽きないってのは本当に凄い作品だよなあ。

単行本派? リブート派?

両方。

(とは言え、単行本実家に置きっぱなので、ここ数年はリブートの読み返し率が高いなあ)

好きなキャラクター騎士

カイエン

厳密にはヒッターが好き。

僕はもう「昼行灯が実は切れ者」っていう王道がたまらなく好きなんです。

好きなキャラクターファティマ編

アウクソー。

宣言ときますが、アウクソーがデルタベルンに生まれ変わった?ときに、ハンドルネーム変えます

(ほら現にフォーカスライト時代ハンドルネーム違ったしね(冗談))

うん? っていうか、純血の騎士しかスバースの血筋すら今じゃもう薄いと判断してる?)しかパートナーにしないアウクソーがコーラス六世のパートナーになるってことは……

まさか、セイレイ旦那がデプレだったとは!

違うか。

は!

ベルベットコーラス六世が異父兄弟だったとは!(これも違う)


好きなキャラクターメカ

デムザンバラ

そうやあ、背徳者さんがする背徳的な行動って、デコース後ろからグサーーー! だと思うんだよね。

いやもう、十年ぐらい続いてるデコースとの因縁の話を、こんな形で決着ってのが、もう不条理すぎて

超楽しそう。


好きなキャラクターその他編

ガステン・コルト

カンのマイトね。(ヤバいぐらいに専門的な文章だな、カン(現設定名不明)という名前ロボット(旧設定名モーターヘッド、現設定名ゴティックメード)を作った人(旧設定名マイト、現設定名ガーランド)、という意味です)

いやあ、この人の「ファティマ不要論」の路線は、アマテラスラキシス結婚したりだの、7777年カレンが生まれるだのよりも、まじで、ファティマたちの救いになる可能性があると思うんだよなあ。

ファティマたちにアンケートとったら「バランシェファティマと糞神の婚姻とかどうでもいい、戦争したくないだけっすわ」って意見のファティマ絶対多いって!

作中の登場人物になれるとしたら誰がいい?

ソープ(男)。

好きなのはカイエンだけど、結婚したいのはボードから(真顔)

作中に登場するとしたらどのシーン?

カイエンミラージュレフトのみんなが戦いかけるところ。

あの名台詞を生で聞きたい。

いちばん泣けたシーン

「ほんで?」のまでの一連の流れ。

いやもう連載で読んで発狂しかけた。


いちばん燃えエピソード

デコースの「(カイエン戦場に出てきたら、即座に撤退しないと)死ぬぞ」って言うところ。

いやもう、作中屈指の強キャラ集団であるミラージュ騎士団ボッコボコにしたデコースですら

ビビるカイエンの別格さ。

そして、そのカイエンすら……


いちばん好きな騎士団

スケーヤ・エレクトナイツ

コーネラ帝国大好きっ子なので、活躍が楽しみですね。

と言い続けて十年以上たってる気がする。

そうやあ、カンはコーネラ帝国の周りでしか動かせないって設定大昔になかった?

いちばん好きなセリフは?

No.1はあまりにカッコ良すぎたんでほうり出されたんだネ」

カイエンの飄々とした感じと、絶対的な強さが合わさった名台詞中の名台詞


いちばん好きなファッションは?

サロメのファティマスーツ

作品に出てきた食べ物で食べたいものは?

(なんじゃこの難しい質問

ナイアスのために用意された日本一上手いケーキ

日本て。

単行本カバーイラストいちばん好きなのは

4巻。

静も好きなファティマですね。

リンスとの絡みが楽しみですね。

後楽しみにしているエピソード

アウクソーがデルタベルン再構成されるところ。

年表でいちばん気になる事件は?

3159年。

いやさ、物心ついたときからボードは死に際に何言ったんだろうなあ」って思ってるんですよね?

気にならないわけないやん。


映画花の詩女ゴティックメード」で好きなキャラクターは?

トリハロンかなあ。

いやなんかあんまり好きなキャラいないです。


次の映画化希望シーンは?

いや、あの、その、

せめて、せめて、魔導大戦前半終わるまでは連載に集中していただけませんかねえ?

あの、本当、もう、その、寿命とか、あるやん……

どんなファイブスターグッズがほしいですか?

アイシャアレクトーの星団のことがダンダンわかるラジオ」のDJCD。

アイシャ伊藤静さん、アレクトーはこやまきみこさんが良いと思います

いやあの、作者のアレはちょっとごめんなさい。

ファイブスター物語ニュータイプ表紙でいちばん好きなのは

カイエン単独表紙のやつ、の次号の野明。

ファイブスター物語以外で好きなマンガは?

ゆうきまさみはてなしない物語

絵がうまいにこしたことはないですからね、ねえゆうき先生

(もう二十年以上ぐらい前の絵日記漫画内輪ネタのことをクタクタ言う気持ち悪いオタクの図)

2016-01-31

組体操の件を見てて思うわけだが

組体操に限らず、スポーツって本当に糞だよな。

人に乗られたり、ボールを蹴って争ったり、本当に卑劣

私はスポーツを根絶しようと、心に決めたのだ。

スポーツのない平和社会が来てほしい。

そこで、私は、以下の様な戦略言論のちからによりスポーツのない平和社会を目指すことにした。

スポーツ全般3S政策に巻き込まれていることを主張する。

サッカーオリンピックジャパンコンソーシアムを通した、FIFAIOCに対する毎年500億もの支払い。NHK受信料による強制徴収。貧しい国の子供がサッカーボール平和をに対しては、日本FIFAに払っている500億の1億でも使えば解決なんだと主張する。JSCの失敗を強調する。

柔道危険の誇張、不要論

学校教育GHQによる3S政策の結果であることを強調する、時代と共に体力を作ることは不要になったことを強調する、リスクを強調する、

ここ半年で成果のある分野もあるし、成果のでなかった分野もあるが、全力でスポーツの根絶に向けて取り組んでいきたい。

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